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仙台高等裁判所秋田支部 昭和37年(ネ)65号 判決

控訴人(被告) 秋北バス株式会社

被控訴人(原告) 芳川徳治

主文

原判決中「原告らのその余の訴を却下する。」とある部分を除き、その他を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文第一ないし第三項同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、控訴代理人において、別紙昭和三七年一一月五日付および昭和三九年七月六日付準備書面記載の通り陳述し、なお、「退職金について、停年退職と普通退職との間に特別の差異はない」と述べ、(証拠省略)被控訴代理人において、別紙昭和三八年一月二八日付および昭和三九年七月六日付準備書面記載のとおり陳述し(証拠省略)たほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

一、控訴会社は、昭和一九年一月一七日「秋北乗合自動車株式会社」として設立せられたが、昭和二九年三月二六日その商号を現在の名称に変更して今日に至つているもので、能代、大館の両市および北秋田、鹿角、山本の三郡にわたる区域をその主たる業域とし自動車による旅客運送を主たる目的とする会社であること、被控訴人は、昭和二〇年九月控訴会社に入社し株主たる職員として勤続してきたこと、控訴会社は、昭和三二年四月一日昭和三〇年七月二一日以来施行せられていた就業規則(以下旧就業規則と略称する)第五七条「従業員は満五〇才をもつて停年とする。停年に達したるものは辞令をもつて解職する。但し、停年に達したものでも業務上の必要有る場合、会社は本人の人格、健康及び能力等を勘案し詮衡の上臨時又は嘱託として新に採用する事がある。」との規定を、第五七条「従業員は満五〇才を以て停年とする。主任以上の職にあるものは満五五才を以て停年とする。停年に達したるものは退職とする。但し停年に達したるものでも業務上の必要ある場合は、会社は本人の人格、健康及び能力等を勘案し詮衡の上臨時又は嘱託として新に採用することがある。」と改正、変更し、昭和三二年四月二五日被控訴人に対し、すでに満五五才の停年に達していることを理由として同年五月二五日付で退職を命ずる旨解雇の通知をしたこと、以上は当事者間に争いがない。

二、被控訴人は、右改正、変更された就業規則の規定すなわち主任以上の職にあるものにつき満五五才の停年を定めた規定は被控訴人に対し効力が及ばない旨主張するので、以下この点につき判断する。

(一)  被控訴人は、被控訴人が旧就業規則当時から控訴会社のため大館営業所長代理という管理職にあり、控訴会社のため大館営業所管下労働者に対する人事、給与、労務管理等に関し事業主のため行為するものであつて、労働基準法第一〇条により使用者として扱われるものであるから、会社の一般従業員を規制する就業規則の適用を受けないものである、と主張する。

ところで、就業規則は原則として当該事業場で使用される「労働者」従業員のすべてに適用されるものであるが、成立に争いのない甲第二六号証、乙第二三号証の二によれば、被控訴人は、旧就業規則制定当時から本件就業規則改正当時まで控訴会社の大館営業所次長(所長事務取扱)の職にあり、控訴会社のため大館営業所管下労働者に対する人事、給与、労務管理等に関し事業主のため行為する「使用者」側に立つものであつたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかし、労働基準法上の「使用者」「労働者」という概念は、問題となる具体的な場合に対応して定められる相対的概念であつて、被控訴人が前記のように労働基準法第一〇条にいわゆる「使用者」に該当するとしても、それは大館営業所管下労働者に対する関係において同条にいわゆる「使用者」とされるに過ぎない。そして、控訴会社の制定する就業規則の適用が問題になつている本件においては、その就業規則の適用を受ける「労働者」かどうかは事業主たる控訴会社との関係において考察すべきところ、被控訴人は大館営業所次長として控訴会社に雇用され控訴会社に対して使用従属関係にあるものであるから、被控訴人は控訴会社に対しては「労働者」であるというべきであり、控訴会社の制定する就業規則の適用を受けない地位にあるものとはいえない。したがつて、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。

(二)  被控訴人は、昭和二五年秋控訴会社の経営統合に際し、被控訴人と控訴会社との間には、被控訴人を従前の経営者として会社役員と同一の待遇を与える旨の特別の契約が締結せられていたから、被控訴人は本件改正就業規則の停年制に関する規定の適用を受けないものである、と主張する。

ところで、成立に争いのない甲第二〇号証、同第二九号証、原審証人平山清太郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証、成立に争いのない乙第一七ないし第二〇号証の各二、原審証人平山清太郎、同千田秀三、同桜田治財門、同佐藤喜一郎、当審証人阿部惣左衛門の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果を綜合すると、控訴会社は昭和一八年四月頃いわゆる戦時強制統合によつて県北一三の会社組織または個人のバス業者が統合し秋北乗合自動車株式会社として発足(昭和一九年一月一七日登記)したものであること、しかし、控訴会社では終戦後の経営不振のため、昭和二一年六月頃から統合前の旧一三業者にその経営を委託し各業者がそれぞれ分散して実質上独立して経営するという変則的な経営形態をとることになり、能代地区では岡本庄右衛門に委託経営せしめ、右岡本庄右衛門は、地区株主と協議の上能代自動車匿名組合を設け、組合長を平山清三郎、専務理事を岡本庄右衛門、常務理事を被控訴人として実際上の経営を担当して来たこと、ところが、その後昭和二五年頃かゝる経営形態を違法であるとする監督官庁たる新潟陸運局の強い勧告により、各受託業者が協議のうえ昭和二六年一月頃委託経営を解除し控訴会社本来の経営形態に復したのであるが、その際被控訴人は本社庶務課長に就任したこと、以上の事実が認められる。甲第二六ないし第二九号証、原審証人福岡辰也、当審証人阿部惣左衛門の証言、原審ならびに当審における被控訴人本人尋問および原審における福岡善次郎(もと被控訴人)本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用できないし、他に右認定を左右する証拠はない。しかし、右委託経営解除にあたり、被控訴人と控訴会社との間に被控訴人を右委託経営解除前の経営者として会社役員と同一の待遇を与え一生身分を保証し年令にかゝわりなく雇用する旨の契約が締結されたとの点については、前記甲第二六ないし第二九号証、原審証人福岡辰也の証言、原審ならびに当審における被控訴本人尋問および原審における福岡善次郎本人尋問の結果中右主張に符合する部分は、前記乙第一七ないし第二〇号証の各二、原審証人平山清太郎、同千田秀三、同桜田治財門、同佐藤喜一郎、当審証人阿部惣左衛門の各証言と照合すると容易に信用できないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。なお、旧就業規則において被控訴人を含む主任以上の職にあるものにつき停年制の定めがなかつたことは後記認定のとおりであるが、このように主任以上の職にあるものにつき停年制の定めがなく、その他の従業員につき停年制の定めがある場合においても、そのことは、たゞちに控訴会社と被控訴人を含む主任以上の職にある者との間に、将来も停年制を適用せず年令にかゝわりなく雇用する趣旨の約定があるといえないことはいうまでもない。けだし、停年制は、後記のように企業ことに終身雇傭または年功序列型賃金制をとる企業においては経営の維持、発展のために重要な機能を有するものであつて、使用者が労働関係の画一的処理の目的をもつて、しかも使用者の権力の事実的表現として制定される就業規則において、停年制に関する規定内容が前記のようなものであるからといつても特別の明文がない以上、主任以上の職にある者に対する停年制の設定を使用者自ら制限した趣旨に解することは困難であり、せいぜい現在において主任以上の職にある者につき停年制をとらないことを意味するに止るのみならず、また元来就業規則における停年制の如き労働条件に関する規定も、その規定に基く労働関係がある期間継続したとしても、特別の事情がなければ、それが直に労働契約の内容となるものとはいえないからである。したがつて、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。

(三)  被控訴人は、元来旧就業規則の停年制の規定は昭和二六年九月控訴会社とその従業員組合との間に締結せられた労働協約に由来するものであるが、被控訴人は右協約締結当時控訴会社の本社庶務部長として従業員組合に対し控訴会社を代表する使用者の立場にあり、右協約の効力は右組合に所属する従業員にのみおよび被控訴人らのような主任以上の職にある者にはおよばないことがあきらかであるから、右協約に基く就業規則の停年制の規定は被控訴人には適用されないものである、と主張する。ところで、成立に争いのない甲第一〇号証、同第二六号証、同第二九号証、乙第一五号証の二、同第二六号証の二、乙第二〇号証の二、原審証人平山清太郎、同千田秀三の証言によると、被控訴人は、前記のように庶務課長に就任した後庶務部長を経て昭和二九年五月頃から本件就業規則改正当時まで大館営業所次長(所長事務取扱)の職にあり、その間控訴会社の職員中いわゆる主任以上の職にある者に該当し、控訴会社の労働組合に加入していなかつたことが認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

しかし、旧就業規則における停年制の規定が被控訴人主張のような由来を有し、被控訴人らを含む主任以上の職にあるものに右労働協約の効力がおよばないとしても、それだけでは、主任以上の職にあるものにつき、その停年を明確に規定した改正就業規則が被控訴人に対しその効力をおよぼさないとはいえない。したがつて、この点に関する被控訴人の主張も採用できない。

(四)  被控訴人は、旧就業規則においては、被控訴人を含む主任以上の職にある者につき停年制の定めがなかつたのであるから、その停年制を定めた本件就業規則の改正規定は被控訴人の労働契約を不利益に変更することになり、したがつて、その改正に同意しなかつた被控訴人に対し右改正規定は効力がなく適用できないものである、と主張する。

ところで、成立に争いのない甲第二号証、同第九、第一〇号証(原本の存在についても争いがない)、同第二四号証、同第二六ないし同第二九号証、同第三六号証の一ないし四、乙第一号証、同第一五ないし第一七号証の各二、同第一九、第二〇号証の各二、同第二二号証の二、原審証人千田秀三、同平山清太郎、同佐藤喜一郎、同福岡辰也の各証言、原審における被控訴人および福岡善次郎本人尋問の結果によると、控訴会社の旧就業規則第二条(もちろん、同条は改正されていないから新就業規則においても同一規定である)第一項には、この規則で従業員とは所定の手続を経て会社が本採用し会社の事業目的である業務に労務を提供し「直接」労働に従事するものをいうと規定されている(たゞし、同条第二項には、前項の外その名称の如何を問わず会社の業務に従事する者に対してこの規則の一部又は全部を適用すると規定されている)こと、控訴会社の就業規則に停年制が設けられたのは旧就業規則がはじめてであり、それは昭和二六年九月二五日から施行せられた労働協約における停年制をとり入れたものであるが、右労働協約における停年制については、被控訴人ら主任以上の職にある者は非組合員としてその適用を受けなかつたこと、被控訴人は明治三四年四月一〇日生れで旧就業規則施行当時すでに五〇才に達していたものであり、被控訴人以外にも当時米内沢営業所次長であつた福岡善次郎も同様であつたが、同人らは、控訴会社より停年による解雇あるいは退職の通知または退職の勧告などを受けたことがなくそのまゝの地位で雇用を継続されて来たのであつて、旧就業規則施行後主任以上の職にあるもので五〇才停年制を適用され解職または退職させられた者が一人もないこと、本件就業規則改正にあたり、控訴会社より労働基準監督署長に提出された就業規則変更届書には、本件就業規則改正変更の事由として、現行の条文では主任以上の者の停年制が定めていないからこれを制定するため変更したい旨記載されていること、なお、主任以上の職にある者については旧就業規則の賃金および労働時間に関する規定も従来適用されていなかつたこと、以上の事実が認められ右の事実に加えて元来、旧就業規則における従業員の五〇才停年制が主任以上の職にある者にも適用されていたとすれば、そもそも本件就業規則の改正が不要であり旧就業規則を適用すれば事足りる筈であると考えられること、控訴会社の事業目的である旅客運輸の業務に従事する自動車運転手、車掌その他これに準ずる業務に従事する従業員については、その業務の性質、これに対応する労働能力、適用性などの関係から、その雇用期間に五〇才の年令的制限を加えることも十分了解されるところであるが、主任以上の職にある者は他の従業員を監督するいわゆる管理職であつて、現今における停年延長の気運を考慮に入れないとしても、その雇用期間に前者と全く同一の年令的制限を加える必要はないものと考えられること、および成立に争いのない甲第一四号証の一、二、前記甲第二六ないし第二九号証、乙第一六号証の二、第一七号証の二、原審証人福岡辰也、同千田秀三の証言、原審ならびに当審における被控訴人本人尋問および原審における福岡善次郎本人尋問の結果、弁論の全趣旨を綜合すると、被控訴人を含む主任以上の職にある者は旧就業規則第二条第一項にいわゆる従業員ではなく、同条第二項の従業員以外の者で会社の業務に従事する者として、右就業規則の全部または一部を適用される(その仕事の性質などから適用できないものを除き、これを適用する趣旨であると解される)ものであるところ、右就業規則第五五条第一号(なお、同条は解雇「することがある」と規定し、解雇しないこともありうるように見えるが、それは解雇事由を多数列挙したためであり、少くとも停年に達した場合には、第五七条とあいまつて解雇しないことはあり得ないと考えられ、このことは原審証人千田秀三の証言によつてもあきらかである)第五七条は被控訴人ら主任以上の職にある者には適用されない規定であると解される。乙第二号証、同第一五号証の二、同第一六号証の二、同第二〇号証の二、原審証人平山清太郎、同千田秀三、同桜田治財門、同佐藤喜一郎、当審証人阿部惣左衛門、同畠山俊夫、同小笠原清の証言中、右認定に反する部分は信用できないし、乙第一一号証の一、二、同第三七号証の一ないし三は、前記甲第九、第一〇号証、同第二八、第二九号証、甲第三九号証の三、乙第一五号証の二、同第一七号証の二と照合すると、それは昭和二五年から旧就業規則施行当時までの間において控訴会社において施行されていた就業規則とは認め難く、他に右認定を左右する証拠はない。そうすると、結局控訴会社においては従来、被控訴人ら主任以上の職にある者につき停年制の定めがなかつたものというべく、本件就業規則の改正は、停年制の定めがなかつた者に対して新に停年制を定めたことになることはあきらかである。そして、控訴会社と被控訴人との間の労働契約において、その雇用期間を定めていたと認めるべき証拠はないから、かゝる就業規則改正を有効とし改正規定に効力を認めるとすれば、それは期間の定めのない被控訴人の労働契約に年令的制限を加え、しかも当時すでに五五才に達している被控訴人をして直ちに控訴会社との間の雇傭関係を失わしめることとなるから、本件就業規則の改正は、少くとも被控訴人にとつて不利益なものであることは否定できないところである。

ところで、就業規則の改正、変更は、その規定が労働条件に関する以上、労働者の同意がなければ不利益に改正、変更できない(改正、変更されてもその労働者に対しては効力がない)とする見解があり、被控訴人の主張もかゝる見解に立つものである。

しかし、本件就業規則の改正は、控訴会社の労働者中大部分を占めると思われる主任以上の職にある者以外の者にとつて格別の不利益をもたらすものでない(これらの者には、すでに五〇才停年制が施行されている)し、主任以上の職にある者にとつても、比較的若年の者は本件就業規則の改正により老令者を早く退職させることにより自ら昇進の道が開けてくるという意味で、またあるいは、停年制がある場合は特別の事情のない限り停年までは雇用関係を継続するという身分保証の意味ないし機能をもつているとも考えられる点で、それは必ずしも一概に不利益であると断定するのは疑問であるといわなければならない。そして、特別の事情(たとえば退職金の点で有利な取扱いを受けるなど)の認められない本件においては、本件就業規則の改正が既存の労働契約に年令的制限を加え、停年制のない場合においては年令的限界をこえても雇用が継続される可能性を一率、無差別に奪うという意味において、被控訴人らを含む主任以上の職にある者にとり不利益な改正であるとしても、それだけでは、本件就業規則の改正が被控訴人らを含む主任以上の職にある者の同意がない以上不可能であり、その同意をしていない被控訴人らに対し効力をおよぼさないものと解することはできない。けだし、就業規則は使用者が経営権に基き所定の手続を経て自由に制定、変更することのできる経営内法規であつて、このことは労働基準法第九章所定の各条項の文言に照してあきらかであると考えられる(この点につき最高昭和二七年七月七日第二小法廷決定、民集六巻七号六三五頁参照、なお、被控訴人も昭和三八年一月二八日付準備書面においてこれを認めている)ところ、その制定、変更される規則の内容が労働条件その他労働者の待遇に関する部分であつても、またあるいは、その制定、変更される態容が労働者にとつて、ことにその一部の個々の労働者にとつて不利益であつても、この使用者が自由に制定、変更でき、そしてその規定内容にしたがつて労働者を拘束する経営内法規であるという就業規則の本質が失われるとすべき法律上および実質上の根拠がないからである。実際上労働条件は、個別的契約によつてではなく一般的、画一的に(それが労使の団体的合意に基く労働協約によるにせよ、あるいは使用者が一方的に定める就業規則によるにせよ)決定される必要があり、また事実原則としてこのように決定されているものであり、さればこそ労働基準法第一五条において労働契約締結にあたり使用者の労働条件の明示を義務づけている訳であつて(もし、労働条件が本来個別的に決定されるものであるとするならば、労働条件は本来個別的折衝の対象として労働契約の場に立ち現れるはずであるから、使用者に労働条件の明示を義務づける必要はないものと考えられる)このように一般的、画一的に決定された労働条件は、原則として同様一般的、画一的に変更されるほかはないと考えられるのである。

これを要するに、使用者は就業規則の制定、変更により労働条件を一方的(ただし、労働基準法第九〇条等の制約がある)に決定、変更することができ、それが労働者に不利益なものであつても団体交渉によつてその解決が図られない以上、右就業規則の制定、変更により労働契約の内容も当然に変更を受けるものと解せざるを得ない。なお、この点については、労働基準法第二条の規定あるいは同法第九三条の反面解釈を根拠として反対に解する見解がある。しかし、労働基準法第二条について言えば、同条第一項の対等の立場で決定すべきであるということは、労働条件は一方的に決定さるべきではないことを意味するとしても、それは労働条件決定についての労使の心構えについての注文として訓示的規定であり、その規定自体からは直接的効果は生じないもの(同条第一項の対等の立場というのは、労働組合法第一条にいう対等の立場と同意義であり、結局同条項は、労働条件の決定は労使対等の立場において決定される労働協約によることを本則とする旨の規定と解される)であり、労働基準法における就業規則に関する規定も、右同法第二条の精神、理想から言えば不十分ではあるが、同法第九〇条により労働者の過半数で組織する労働組合またはその過半数を代表する者の意見を聴取する義務を認めただけで、就業規則の制定、変更を使用者の一方的行為に委ねていると解せざるを得ないし、さらに労働基準法第九三条について言えば、同条の反面解釈として、就業規則の定める基準を上廻る個別的労働契約を認めているとしても、それは就業規則所定の基準を前提としたうえで、これと異なる(上廻る)個別的契約がなされた場合にこれを有効とするに過ぎないと解されるから、この規定の反面解釈として、当然に既存の労働契約を不利益に変更する就業規則の制定、変更が許されないものということはできない。

以上の理由により被控訴人の主張は理由がなく、特別の事情の認められない本件においては(旧就業規則において主任以上の職にあるものにつき停年制の定めがなかつたからといつて、被控訴人と控訴会社との間に将来停年制を適用せず年令にかかわりなく雇用する趣旨の約定があつたとは言えず、他にかかる約定があつたことを認めるべき証拠のない点は前述したところであり、権利濫用、信義則違反となるかどうかは後述するところである)本件就業規則改正における停年制は被控訴人に対しても効力をおよぼすものと解せられる。したがつて、この点に関する被控訴人の主張も採用できない。

(五)  被控訴人は、本件就業規則の改正は権利の濫用であつて許されないと主張する。

就業規則は前記のように使用者が自由に制定、変更できるものではあるが、それは法令または労働協約に違反してはならないことはもちろん、労働法における労働者保護の精神にかんがみ社会通念上是認されるような客観的妥当性を要するものというべく、その就業規則の制定、変更にあたり労使の信義則に反し権利濫用となるようなことがあつてはならないことはいうまでもない。

ところで、旧就業規則において主任以上の職にある者につき停年制の定めがなかつたからといつて、それは被控訴人に対し格別の権利を与えるものでないから、本件就業規則の改正、変更において被控訴人ら主任以上の職にある者につき停年制を定めたことは、何ら被控訴人の既得権を侵害するものとはいえないが、先に認定した通り、それは少くとも被控訴人にとつて不利益なものであることは否定できないところである。

しかし、およそ人間の労働力には年令に基く自然的限界があるのであつて、民間企業においては、かかる限界に近ずいたにもかかわらず相対的に高賃金の高年労働者の雇用をある時点でやめることにより若年労働者の雇用を可能ならしめると共に人事の停滞や作業士気の沈滞を防止し、もつて企業の収支および体質の改善を計る必要がある(その必要性は生涯雇用、年功序列型賃金および永年勤続者優遇の退職金制度の下で著しい)のであつて、いわゆる停年制なるものはかかる点に根拠を有するのである。したがつて、停年制の定めがなかつた者に対し新しく停年制を定めることも、それが業務の性質に応じ人間の精神的、肉体的能力を適当に考慮し前記停年制の目的、趣旨から考えて社会通念上是認されうる限度でなされる限り、これを不当視することはできないものといわなければならない。本件についてみると、本件改正就業規則における五五才停年の規定は、現今における停年延長の気運を考慮すれば事務職員についてはやや低年の感がしないわけではないけれども、なおそれは人間の精神的、肉体的能力の限度について相当の考慮を払つているものということができるし、前記停年制の目的および趣旨から考えても社会通念上是認することができるものと考えられる。事実、作業職のみならず、いわゆる判定職、事務職、管理職に属する従業員についてもその停年を五五才と定めることは、我国産業界において広く一般的に行われているところであつて、このことは成立に争いのない乙第二八ないし第三二号証の各一、二、同第三三号証、同第三四、第三五号証の各一、二、同第三六号証、原審証人平山清太郎、千田秀三の証言によつてもあきらかであり、甲第三四、第三五号証のような事例があるとしても、それは必ずしも一般的なものとは認め難いし、また五五才停年制を不当とする根拠ともならない。そして、原審証人千田秀三の証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、成立に争いのない乙第四号証の一、二、同第一五、一七、一九号証の各二、原審証人平山清太郎、同千田秀三、同佐藤喜一郎の各証言、原審における被控訴本人尋問の結果によると、控訴会社は被控訴人に対し、昭和三二年四月二五日付をもつて、就業規則第五七条により昭和三二年五月二五日付をもつて退職を命ずる旨の予告とともに被控訴人を控訴会社嘱託として採用するから五月二六日より控訴会社に出勤されたい旨の通知をなし、一応本件就業規則改正が効力を生ずることによる被控訴人に対する不利益を救済する措置をとつていること、本件就業規則の改正規定の適用として当時五五才の停年に達していたため退職せしめられたものは被控訴人以外にも二名いたが、これらの者に対しても被控訴人と同様の救済措置がとられていること、なお、控訴会社における被控訴人ら中堅幹部をもつて組織する輪心会会員の多くは、本件就業規則改正後その改正は後進に道を開くため結局やむを得ないとして承認していること、以上の事実が認められ、他に右認定を左右する証拠はない。

そうすると、他に格別の事情の主張、立証がない以上、本件就業規則の改正が信義則に反し権利濫用であるとは到底認められない。したがつてこの点に関する被控訴人の主張も採用できない。

三、以上のとおり、本件就業規則の改正規定が被控訴人に効力を及ぼさないとする被控訴人の主張はすべて採用できないから、右主張を前提とする被控訴人の本訴請求(雇傭関係存在確認請求、他の請求は原審において訴却下の判決を受け控訴の対象となつていない)はその余の点の判断をなすまでもなく理由がなく失当として棄却すべきである。被控訴人の本訴請求を認容した原判決は失当であり、本件控訴は理由がある。

そこで、民事訴訟法第三八六条により、なお訴訟費用の負担につき同法第九六条、第八九条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 小野沢龍雄 新海順次 篠原幾馬)

(別紙)

準備書面(昭和三七年一一月五日付)

控訴人 秋北バス株式会社 被控訴人 芳川徳治

右当事者間の昭和三七年(ネ)第六五号就業規則の改正無効確認控訴事件につき控訴人は左の通り口頭弁論を準備する。

一、原判決は其理由中において『原告(被控訴人)等は右旧就業規則施行当時既に五〇才に達しており、右施行後も主任以上の者に対して五〇才停年制を適用した事例がないことが認められ、而かも原告(被控訴人)等が委託分散経営の統合の際入社して以来引続き主任以上の待遇を与えられていたことは当事者間に争いがないのであるから、これ等の事実を統合すると、旧就業規則第五七条の五〇才停年制は原告等に適用されていなかつたものと認められるのが相当であつて証人平山清太郎、同千田秀三の証言中右認定に反する部分は採用できない、そおすると定められたことは停年制のなかつた者に対して、新たに停年制を定めたことになる。

ところで停年制は労働者が停年に達することによつて(自動的にしろ或は解雇によるにしろ)雇傭関係の消滅をもたらすものであるから、新たに停年制を設けることは既存の労働契約に年令的制限を加えるという意味において労働者にとつて不利益な変更を意味する、勿論、解雇の自由が存在する限り使用者は何時でも一方的意思表示により労働契約を終了させることができるのであつてそれは停年制(身分保障の意味を持たない)があつても、無くても同じことであるが一面において、停年制なき労働者は、年令にかかわりなく働けるという可能性を有する停年制の設定は労働者から一率且つ無差別にこの可能性を奪ふと云う点において労働者にとつて不利益であり、而かも其不利益の度合は権利濫用の法理により解雇の自由が次第に制限される趨勢により強められるというべきである。

そして、就業規則は使用者が一方的に制定変更し得るものであるが、其変更は労働契約と対比して労働者にとつて不利益な場合には其同意なくして労働契約の内容を変更し得るものではない。そして原告等(被控訴人)が前記停年制の設定に同意したことを認むべき証拠はないのであるから前記変更された停年制の規定は、原告等に適用なきことは明かである。

従つて停年に達したことを理由として原告等を解雇することはできない。

右に述べた理由により原告等(被控訴人)に対する本件解雇は何れの意味においても無効であるから原告等(被控訴人)の本訴請求は何れも正当である。』と判示された。

然れ共原判決は左記の理由によつて失当である。

二、先づ(イ)原判決は被控訴人は委託分散経営の統合の際入社して以来、引続き主任以上の待遇を与えられていたものであるから会社の旧就業規則の停年制に規制されないものと認定しているけれども被控訴人入社の時期が何時であるかについては漫然委託分散経営の統合の際としているに過ぎない。

右委託経営の統合が昭和二六年中であることは控訴会社の取締役である平山清太郎、同桜田治財門の証人調書(昭和三六年一一月二七日付)によつても明かであるが委託経営時代でも控訴会社の従業員であつたし、被控訴人が控訴会社の従業員として入社したのは昭和二〇年九月一日で平山清太郎の斡旋によるものであるが控訴会社の五〇才停年制のある就業規則は昭和二五年中で当時被控訴人は控訴会社能代営業所の事務員で労働組合員でもあつたので昭和二五年以来施行の就業規則は同年八月二八日に労働協約が結ばれているから同規則第四七条の四には「停年期(満五〇才翌日付)に達したる者」とし主任以上の定めもなかつたし単に「従業員の停年は満五〇才とする」と定めただけであるから同規則に規制されるものである。

『此事実は会社備付の乙第十一号証の一(就業規則)と能代労働基準監督署から取寄せの乙第三七号証の一、二に因つて証明する。尤も乙第十一号証の一には施行の日は記載されていないが同規則は昭和二五年以来施行されたものであるし、乙第三七号証の一、二も届出の年月日は遅れているが又亦昭和二五年以来施行された就業規則である。』

三、次に(ロ)原審は控訴会社が就業規則第五七条の変更により「主任以上五五才停年」と定めたことは停年制のなかつた者に対して新たに停年制を定めたことになるし、新たに停年制を設けることは既存の労働契約に年令的制限を加える意味において労働者にとつて不利益な変更になるから無効であると認めているけれども被控訴人が労働基準法第一〇条に定義された「使用者」に該当するとしても、それは曾つて大館営業所所長代理として同営業所管下労働者に対する関係において同条に所謂使用者とされるに過ぎないのであつて控訴会社の制定する就業規則に関する限りにおいては被控訴人は大館営業所所長代理として控訴会社に雇傭され其労働条件の決定や其実施についての指揮監督等は事業主たる控訴会社によつてなされるのであるから会社に対しては労働者であり従つて被控訴人は会社の制定する就業規則の適用を受けない地位にある者とはいうことができない。

(ハ)次に被控訴人は委託経営解除前の経営者として、会社役員及び幹部同様の待遇を与える労働契約を結んだものであるから被控訴人に対しては一般労働者を規律する就業規則は当初から適用のない旨、並に改正就業規則の第五七条の規定は全く被控訴人には適用すべからざるものであり労働契約を一方的に不利益に変更せんとするものであるから許さるべきでない旨主張するけれども昭和三二年四月一日付改正前の旧就業規則第五七条の停年規定は『主任以上の職にある者』には適用がなかつたのであるがこれをもつて直ちに会社と被控訴人との間に停年退職の規定を適用しない旨の労働契約があつたものということができない。

してみれば右の如き内容の労働契約があつたことを前提として本件改正の就業規則第五七条が従前の労働契約を一方的に不利益に変更するものとしてこれを攻撃するのは失当である。

四、次に(二)被控訴人は従来停年制が設けられていなかつた主任以上の労働者に対して使用者が就業規則をもつて新たに停年制を設けることは労働者に対する不利益処分であるから無効であると主張するけれども、本来就業規則なるものは経営権の作用として使用者が一方的に制定変更し得る企業内の自主法規であり、それが法令又は労働契約に違反してはならないことは勿論であるが凡そ人間の労働力には年令に基く自然的限界があり、所謂停年制なるものは会社全従業員を対照として後進に道を開くこと、及び社会通念上労働能力の限界を考慮にいれ経営権の作用として一般的に是認され得る限度においてこれをなし得るものと云うべきである。

本件の場合主任以上の職にある者は会社の従業員を其職場関係においては監督の地位にあるものではあるが斯る事務職員について停年を五五才と定めることは我国の産業界において広く一般的に行われているし社会通念上是認され得るところでもあり且又人間の精神的肉体的能力の限度についても寧ろ適当な考慮を払つたものである。

而かも期限の定めのない雇傭契約は民法第六二七条一項によつて何時でも解雇できるし労働基準法第八九条、同第九〇条によれば就業規則は使用者が一方的に定めることもできるし、本件会社の五五才停年制は会社の全従業員は五五才迄は列挙の事由がなければ解雇し得ないと云うことも含まれており此点ではむしろ労働者に有利な規定でもあるからこのような定めをすることが解雇権の乱用とみるべきではない。

(判例時報二九五号昭和三七年六月一日号判決録)

五、次に(ホ)原判決は控訴会社は被控訴人に対して予告解雇の手続をとつているけれども被控訴人が停年以外の解雇事由の証明のない限り無効であるとしている。

勿論労働者を解雇するに当つては解雇権の濫用の許されないことは云うまでもないところであるが労働契約、就業規則、其他の契約又は労働法の規定に反しない限り解雇は自由であつて本件予告解雇の場合正当の理由を要するものではないから此点に関する原審の認定も不当と云うべきである。 以上

準備書面(昭和三八月一月二八日付)

控訴人 秋北バス株式会社 被控訴人 芳川徳治

右当事者間の昭和三七年(ネ)第六五号就業規則の改正無効確認控訴事件につき被控訴人は左の通り口頭弁論を準備する。

一、被控訴人が旧就業規則(昭和三〇年七月二一日実施のもの、甲第二号証)施行当時において停年制の適用を受けていなかつたものであることは、正に第一審判決理由二、(3)において認定する通りである。

二、控訴人は、被控訴人が労働基準法第一〇条の「使用者」に該当するとしても、それは大館営業所所長代理として同営業所管下労働者に対する関係において、同条に所謂使用者とされるに過ぎないのであつて、控訴会社の制定する就業規則に関する限りにおいては被控訴人は控訴会社に雇傭されその労働条件の決定やその実施についての指揮監督等は事業主たる控訴会社によつて為されるものであるから会社に対しては労働者であり、会社制定の就業規則の適用を受けないとはいえないと主張する(控訴人三七、一一、五付準備書面)。然しながら甲第二号証就業規則第二条によれば、一般従業員以外の者に対しては右規則の一部が除外されることも予想されて居るし、被控訴人は従来特別の地位を認められ、所謂一般従業員ではなく、就業規則の適用の外におかれたと主張し、特に少くとも右就業規則の停年制の適用を除外されて来たものと主張し、且つ立証して来たものである。此の点に関し第一審判決が、右旧就業規則第五七条の五〇才停年制は原告らに適用されていなかつたと認定したことは全く正当であり、控訴人の主張は理由がない。

三、もともと控訴会社では停年制の定めがなかつたのを、控訴会社が分散委託経営から昭和二六年統合経営に移つた後、同年九月二五日施行の労働協約で初めて停年制を定めたもの(甲第一〇号証)で旧就業規則(甲第二号証)はこの労働協約による停年制をとり入れたものである。右労働協約が被控訴人等管理職にある者に対しては効力が及ばないことは原判決の謂う通りであり、もともと被控訴人と控訴会社間の労働契約には停年退職の合意はなかつたものであるし、夫れ故に旧就業規則施行の際被控訴人は既に停年五〇才に達していたに拘わらず、何等身分上の影響を受けなかつたものである。甲第三号証就業規則変更申請書によつても昭和三二年四月一日、旧就業規則第五七条第一項を変更し、「従業員は満五十才を以つて停年とする。主任以上の職にあるものは、満五十五才を以つて停年とする。」と改正したのは、従来被控訴人の様に主任以上の者については停年制の定めがなかつたので、それを新設したものであることは明らかである。控訴人は旧規則第五七条の停年規定が「主任以上」には適用のなかつたことを認め(前記準備書面三、八)、これをもつて直ちに会社と被控訴人間に停年退職の規定を適用しない旨の労働契約があつたものということができないと主張する。然し停年規定が適用なかつたというのは、主任以上の地位にあつた被控訴人と会社間の労働契約に停年退職の定めがなく、又旧就業規則にも主任以上の者に対する停年の規定が欠いていたからである。

四、控訴人の主張するところの、就業規則が経営権の作用として使用者が一方的に制定し得る企業内の自主法規であること停年制が所論の理由により経営権の作用として制定し得るものであることは之を争わない。然し経営権に基いて制定した就業規則であつても、その変更が既存の労働契約に比べて労働者にとり、不利益な場合は、その同意がなければ労働契約の内容を不利益に変更することはできない。本件停年制の変更はそれに同意しなかつた被控訴人に適用のないことは原判決の指摘する通りである。

五、控訴人は労働契約就業規則其の他の契約又は労働法の規定に反しない限り解雇は自由で本件予告解雇の場合正当の理由を要しないと主張する。然し被控訴人は乙第四号証の一の辞令が解雇の予告であることは否認する。それは停年退職の予告である。且つ又抑抑被控訴人は控訴会社の分散経営から再統合となり、統合会社に勤務する際、将来年令に制限なく就業することを保障された特別の労働契約があつたのであるから、使用者は予告によつても解雇はできないのである。仮に斯様な特別の労働契約が認められないとしても、控訴人会社には矢張り予告解雇の自由はない。何となれば本件就業規則第五五条は会社が従業員を解雇することのできる事由を制限し列挙している。

その内、一の「停年に達した時」とあるのが被控訴人に適用ないことは前述の通りであるが、他の解雇事由の規定は労働者の身分を保障するものであるから、労働基準法第九三条により被控訴人にも利益に適用されるものである。そして控訴人には之等解雇事由に該当する事実がないのであるから、控訴会社は被控訴人に解雇の予告をすることは出来ない。

右申立する。

準備書面(昭和三九年七月六日付)

控訴人 秋北バス株式会社 被控訴人 芳川徳治

右当事者間の昭和三七年(ネ)第六五号就業規則の改正無効確認等控訴事件につき控訴人は左記の通り主張事実を明らかにして口頭弁論の準備をする。

第一、被控訴人は就業規則の効力は労働基準監督署に届出でしなければ効力が発生しないような主張のようにみうけられますが、以来多数の労働者を集めて就業させている事業場では就業の開始、終了をはじめ、服務規律や賃金其他の労働条件について全部の労働者に共通する規則が自ら生れる。

而して此種の規則は其事業場の慣行、其他不文律として行われる場合も又それが詳細に成文化される場合もある。

成文化される場合も、就業規則、従業規則、社則其他種種の呼び名が用いられ更に特別に賃金規則其他特定の問題についての規則が他の規則と独立して設けられる場合もある。

然し不文であり、又成文化の態様に区別があるにしても事業場の多数の労働者に共通である限り、就業規則としての性質を持つものと云うべきであるから行政官庁への届出は就業規則の効力の発生要件ではない。

従つて本件の場合、被控訴人の控訴会社への入社は昭和二〇年であるが以来控訴会社が停年制のある就業規則を制定したのは昭和二五年中で其規則には施行期日は記入されていないが昭和二四年の就業規則の協議約款に基き労資協議の上昭和二五年四月一日(乙第三六号証の三)に制定したが其後労働協約について協議を重ね同年八月二七日妥結したので労働協約を締結したものである。(乙第三八号証)

当時、被控訴人は主任でもなく、係長でもなく、控訴会社の能代柳町営業所の一従業員であつて労働組合関係において代議員であつたから就業規則の制定や、労働協約を締結する場合労働者側に属するもので其頃定められた停年制には同意をしたものであるし、規制される従業員でもあつた。

原審判決は「被控訴人は控訴会社の就業規則施行当時既に五〇才に達しており右施行後も主任以上の者に対して停年制を実施した事例がないことが認められるし、而かも被控訴人は委託分散経営の統合の際入社以来引続き主任以上の待遇を受けているものであるから旧就業規則第五七条の五〇才停年制は被控訴人に適用されるものではない、証人平山清太郎、同千田秀三の証言は援用できない」旨判示している。

何れの証人の証言を信ずるかは一に裁判官の専権に属するものではあるが本件控訴会社の就業規則や労働協約の効力の問題につき会社の経営権や執行権を持つ取締役の証言を援用しないことは採証の常則にも反するのみならず以上述べたように被控訴人は会社の定めた就業規則や労働協約に規制される従業員であつたし、其後定められた五五才の停年制は合法的に定められ有効なものであるから前陳判決の認定は事実誤認の甚しきものがある。

第二、次に控訴人は被控訴人に対し就業規則による停年制とは別に予告解雇の手続きをとり退職手当等も所轄法務局へ供託していたが被控訴人が、これを受取つたことは昭和三九年五月二五日付被控訴本人の供述によつて寔に明白である。

而かも最高裁判所は昭和三九年五月二七日停年制の定めのない場合の高齢者の解雇につき『定員過剰のため任命権者が職員を退職させる際、高齢を一応の基準としても違憲、違法ではない』と判断しているところからすれば原審が被控訴人が解雇事由中、停年以外の条項に該当したものと認むべき証拠はないのであるから解雇事由制限の条項に違反すると認定したことは事実を誤認し法の適用を誤つたもので此点からするも被控訴人の本訴請求は理由がない。

準備書面(昭和三九年七月六日付)

控訴人 秋北バス株式会社 被控訴人 芳川徳治

右当事者間の御庁昭和三七年(ネ)第六五号就業規則の改正無効確認請求事件につき、被控訴人は後記の通り口頭弁論を準備する。

一、控訴会社に停年制が設けられたのは、昭和二六年九月その従業員組合との間に締結された労働協約(甲第一〇号証)によるもので、之が昭和三〇年七月二一日施行の就業規則(甲第二号証)の第五七条に明文化されるに至つたものであり、昭和二六年春の控訴会社の再統合の際には未だ停年制がなかつたものであることは、甲第一四号証の一、二(秋北バス社報昭和二六年八月一八日発行)に辞令に代るものとして掲載されている従業員人名一覧表に五〇才以上の者を含むことからして明らかである。従つて被控訴人と控訴会社の雇傭契約においても勿論停年退職の取極めはなかつた。

二、殊に昭和二六年九月締結の前記労働協約について言えば、当時被控訴人は控訴会社の本社庶務部長であり(甲第一四号証の一)右労働協約は被控訴人が控訴会社を代表して従業員組合と団交を重ねた結果之を協約に定めるに至つたものであり、被控訴人は使用者の立場にあつたもので固より組合員ではなく(甲第一〇号証労働協約第二条尚労働組合法第一七条)、右協約によつて定められた停年制は組合員に非ず、使用者の立場にあつた被控訴人その他主任以上の職に在つた者を拘束するものではなく、同時に右協約に基づいて後日制定されるに至つた就業規則の停年制の規定も被控訴人には適用されなかつたものである。このことは昭和三〇年七月二一日就業規則施行当時において被控訴人は既に満五四才に達していたこと(甲第二四号証)からしても明らかである。

三、然るに控訴会社は昭和三二年四月一日前記旧就業規則第五七条を改め「従業員は満五〇才を以つて停年とする。主任以上の職にあるものは満五五才を以つて停年とする。停年に達したるものは退職とする」と変更した上、被控訴人に対し、之を理由として同年五月二五日付で退職を命ずる旨の通知をしたものであるが、之は従来停年制の適用のなかつた主任以上の職に在る者に新たに停年制を設けたものであり、従来停年制の適用を受けなかつた、換言すれば会社との労働契約の内容に停年制の制限のなかつた被控訴人に対しては、その同意がなければこの停年制を強制することは、既得権を剥奪するもので到底許されない(労働組合法第一六条類推)。

四、控訴人は控訴会社の停年制は昭和二五年八月二八日の労働協約(乙第三八号証)によつて設けられ、当時被控訴人は控訴会社能代営業所の事務員で、労働組合員であつたから、同協約第四七条の四によつて規制されて来たものと主張する。

然しながら右乙第三八号証の労働協約は当時控訴会社の従業員組合長藤島正雄が大館労政事務所の命によつて模範協約を手本として作成の上同事務所に提出したものに過ぎず会社と組合が団体交渉の上締結したものでないから協約としての効力はない。若し実際に左様な協約が成立したものとすれば控訴会社或はその労働組合に署名押印ある原本例えば甲第一〇号証の如きが存在しなければならない筈である。会社及び組合では、その他の書類(例乙第一二、一三、二一、二二、三九―四二号証等)は保持していながら、右協約の原本は火災によつて焼失したと称している。此の労働協約が真実に成立したものとするならば、昭和二六年六月七日に控訴会社から能代労働基準監督署に届出でた就業規則(甲第三六号証の一、二)に当然停年退職の規定が定められている筈であるのに、之には何等その記載がない。

更に控訴人は昭和二六年一〇月一日付能代労働基準局に届けた就業規則(乙第三七号証の一、二、三)により停年制が制定されたと主張する。然しながら之は当時の本社庶務部長であつた被控訴人が、各営業所の検討を求める為に送付した案を能代営業所が誤まつて基準監督署に提出したものであることは、被控訴本人の陳述する通りであり、夫れは、第二八条の従業員の停年は満五十才とするとの記載を五十五才と訂正しているところからも窺知することができるし、就業規則は当該事業場について適用される労働協約に反してはならない(労働基準法第九二条第一項)のであるから、前述の様に当時停年制を盛つた労働協約の締結がなかつた以上控訴会社には斯様な就業規則を制定し得る根拠はなかつたものである。

尚被控訴人は会社が分散経営から結合する以前は名目上の控訴会社能代営業所を経営していた能代自動車匿名組合の常務理事であつた(甲第二九号証、被控訴本人尋問)から、労働組合に加入することは出来なかつた者である。再統合に際し、本社の庶務部長に就任した者が、その直前に於て労働組合員であろう筈はない。何れにもせよ被控訴人に対し、昭和三〇年七月二一日施行の就業規則の停年制の適用がなかつたことについて疑を挾む余地はない。

五、控訴人は労働協約、就業規則その他の契約又は労働法の規定に反しない限り解雇は自由であり、予告解雇には正当の理由を要しないと主張する。被控訴人は乙第四号証の一の辞令が解雇の予告であることは否認し、夫れは停年退職の予告に過ぎないと主張するものであるが、仮にそれが予告解雇の趣旨であると仮定しても控訴会社就業規則第五五条は従業員を解雇することが出来る場合を制限列挙しているのであつて、控訴会社の解雇の自由は制限されている。之は労働者の身分を保障するものであるから、労基法第九三条により、被控訴人との労働契約においても此の基準は遵守されなければならない。そして被控訴人には之等解雇事由に該当する事実がないのであるから控訴会社は被控訴人に解雇の予告をすることは出来ないものである。

右申立する。

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