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前橋地方裁判所 昭和57年(ワ)317号 判決

原告 甲野春子

右法定代理人後見人 甲野松子

右訴訟代理人弁護士 山田謙治

同 藤倉眞

被告 国

右代表者法務大臣 遠藤要

右訴訟代理人弁護士 小野淳彦

右指定代理人 鹿内清三

〈ほか四名〉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六一一七万四〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年九月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

(一) 原告は訴外甲野花子(以下「花子」という。)の子である。

(二) 被告は群馬県渋川市一三八八番地において国立渋川病院(以下「渋川病院」という。)を設置、管理しており、訴外津久井芳二(以下「津久井医師」という。)は同病院産婦人科医長として、同六川俊一(以下「六川医師」という。)は同科医師として、同山岸正秀(以下「山岸医師」という。)は同外科医師として、それぞれ同病院に勤務していた者である(以上三名の医師を、「被告医師ら」と称する。)。

2  医療事故の発生

(一) 花子は昭和五六年六月一六日、性器出血が続くので渋川病院を訪れ、同病院産婦人科において六川医師の診察を受けたところ、妊娠しており切迫流産のおそれがあるとの診断を受け、即日入院した(以下「第一回入院」という。)。入院後花子は、六川医師の治療を受けたが、同月二八日、少量ながら出血が続く状態のまま、同医師の許可を得て退院した。

(二) 花子は右退院後自宅で生活をしていたが、症状が悪化して、発熱するばかりでなく腹痛を覚えるようになったので、同年七月八日、渋川病院に再度入院した(以下「第二回入院」という。)。その際は六川医師によって子宮旁結合織炎の疑いがあるとの診断を受け、その治療を受けたが、出血は止まらず、発熱や腹痛も続いた。花子は同月一七日、胎児が死亡したので子宮内容除去術を受けたが、手術後も性器からの出血は継続していた。しかしながら花子は、翌一八日に医師の許可を得て退院し、以後は自宅で療養していた。そして同月二二日、右手術後の抜糸のため渋川病院を訪れたが、性器出血が続くので抜糸できず、一週間後に来院するよう指示された。

(三) 花子は同月三〇日、性器出血と高熱、腹部疼痛を訴えて渋川病院を訪れ、津久井医師の診察を受けたところ、子宮頸管裂傷の疑いがあるとの診断を受け、即日入院した(以下「第三回入院」という。)。入院後直ちに子宮内容除去術を受けることになり、六川医師が吸引器にて子宮内を吸引したところ大出血を生じ処置が不可能となった。そこで直ちに津久井医師が執刀して開腹手術を行うこととし、山岸医師が花子の全身麻酔を行った後、津久井医師が開腹したところ、胎児の胎盤は子宮頸管(以下、単に「頸管」という。)に癒着し、いわゆる頸管妊娠であることが判明した。そこで津久井医師が子宮全摘出術に着手したが、その術中に花子は心停止に陥ってしまったのである。ただし津久井医師らが心臓マッサージ等の処置を行ったところ三、四分後には血圧が上昇し心臓が再び動き出したので、手術は続行された。

(四) 右摘出手術終了後、花子は頭部を左右に動かし四肢を硬直させてつっぱるなど、身体の震え、けいれんが続き、意識を回復しないまま入院を継続し、同年八月三日から同月二七日まで群馬大学医学部付属病院に転院、以後は再び渋川病院に戻って治療を受けた。しかし、昭和五七年一月二五日、花子はついに意識を全く回復することなく、脳不全のため死亡した。

3  被告の責任

(一) 診療契約の締結

花子は被告との間で昭和五六年六月一六日、被告の設置管理にかかる渋川病院において、その症状を除去し健康を回復させることを内容とする診療契約を締結した。

(二) 債務不履行

被告医師らはこの診療契約に基づき、花子に対し、具体的には次のような診療をなすべき債務を負っていたのに、その履行を怠った。

(1) 頸管妊娠発見の遅れ

花子は第一回入院の当初から性器出血があり、入院中もホルモン剤の投与による治療を受けたがなお出血が継続していた。このような場合医師としては、問診、触診などによって花子の全身状態、なかんずく性器出血の有無程度、子宮の位置、子宮頸管の位置、形態等を検査し、とりわけ超音波断層造影の機械(超音波を利用して人体の内部を輪切りにした状態でブラウン管に写し出す装置。以下「Bスコープ」という。)の活用により子宮の位置等を正しく把握し、早期に頸管妊娠を発見して、これに対する処置をとるべきであった。しかるに六川医師は右のような診察を十分に行わず、またBスコープの画像の判読も不正確で子宮頸部の位置の判断を誤ったため、花子の頸管妊娠を発見することができず、これに対する処置をしなかった。また、六川医師は、花子の第二回入院中である昭和五六年七月一五日ころドプラー聴診器(超音波を利用して胎児心拍動を検知する装置(以下「ドプラー」という。))などによる検査結果から頸管妊娠の疑いを持ったのであるから、これを否定しうる合理的理由があるまで頸管妊娠の有無について更に慎重な診断を行うべきは当然であるのに、津久井医師と討議したのみで何らの検査等もせずに右疑いを否定し、以後も漫然と切迫流産を前提とする治療を続行して、頸管妊娠を発見することができなかった。さらに津久井医師及び六川医師は、花子の第三回入院中に子宮内容除去術を施行し、子宮を診察したのであるから、その際、子宮口の状態、胎児の位置及びその死亡原因等を十分把握して頸管妊娠を発見すべきであったのに、これを怠った。右のような頸管妊娠発見の遅れが、これに対する処置の遅れにつながり、花子の死亡の原因となった。

(2) 子宮全摘出術の遅延

花子の頸管妊娠は、第三回入院中開腹手術を施行した段階で初めて発見されたのであるが、かかる異常妊娠の重大性、緊急性からすれば、直ちに子宮全摘出術を施行しなければならないのに、津久井医師および六川医師は当初は子宮を存置しようとして子宮へ通ずる動脈を閉塞するなどの手術を繰り返し、子宮全摘出術の施行を遅延した。これによって花子は性器から大出血を余儀なくされ、その結果心停止状態となって脳に重大な悪影響を受け死亡したものである。

(3) 麻酔術施行の不適切

花子の開腹手術に先立つ麻酔術は、花子の全身状態、特に当時体力が低下し出血が続いていたこと等を正確に把握し、花子の負担にならずかつ手術に必要な限度で最も安全有効な麻酔術として局部麻酔を施行すべきであり、仮に全身麻酔を選択した場合でも、花子の容態の変化に応じた麻酔薬剤の選定および量の調整が行われるべきであった。しかるに山岸医師はこれを怠り、漫然とフローセンによる全身麻酔を施行したため、花子は術中に心停止状態となって、脳に重大な悪影響を受け死亡に至ったのである。

(三) 右のとおり、被告医師らの不完全な診断、治療行為により花子が死亡したのであるから、被告は原告に対し、民法四一五条の債務不履行責任により、原告の被った後記損害を賠償する義務がある。

4  損害

(一) 花子の逸失利益 二三一九万五〇〇〇円

花子は、昭和二五年三月二六日生れの健康な女子で、本件事故に遭遇しなければ六七歳まで三五年間就労可能であり、その間少なくとも年一八三万四八〇〇円(昭和五六年度賃金センサスによる企業規模計、学歴計女子労働者平均賃金相当額)の収入を得ることができ、同人の生活費は収入の三割と考えられるから、同人の死亡による逸失利益を新ホフマン方式により中間利息を控除して算定すると二三一九万五〇〇〇円となる。

(二) 花子の慰藉料 二〇〇〇万円

花子の死亡による精神的苦痛を慰藉するには、二〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告による相続

原告は花子の子で唯一の相続人であるから、同女の死亡により、右合計四三一九万五〇〇〇円の損害賠償請求権を相続した。

(四) 原告の慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、幼くして最愛の母を失い、実母の下で養育される幸せを奪われた。その精神的苦痛を慰藉するには、一〇〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 七九七万九〇〇〇円

原告は本件訴訟の提起及び追行を弁護士たる原告訴訟代理人らに委任してその費用の支払を約したが、そのうち右損害額合計の約一五パーセントに相当する七九七万九〇〇〇円は、本件事故と相当因果関係にある損害というべきである。

5  結論

よって原告は被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、前記損害六一一七万四〇〇〇円及びこれに対する本件訴訟状送達の日の翌日である昭和五七年九月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)、(二)の事実は認める。

2  同2(一)ないし(四)の事実は認める。但し、(二)のうち、花子が二二日手術後の抜糸のため渋川病院を訪れたが、性器出血が続くため抜糸ができなかったとの事実は否認する。

3  同3の事実のうち、(一)は認めるが、(二)(1)ないし(3)はいずれも否認する。

4  同4(一)ないし(五)の各事実はいずれも知らない。

三  被告の主張

被告医師らの花子に対する医療行為は適正なものであり、したがって本件医療事故の発生につき被告には原告主張の債務不履行はない。

1  頸管妊娠の発見が遅延したことについて

当時の医療水準に照らすと、頸管妊娠の診断の最も有力な手掛りは、ダルマ状子宮の有無、及びBスコープないしはドプラーによる胎盤及び胎児の位置の確認であった。しかるに渋川病院における診断の際には、花子の子宮にダルマ状の症状が表れておらず、また、開腹術後に判明したことであるが、花子の子宮体部は上部に伸びて腹壁に癒着していた結果、子宮頸部が異様に長く伸びていたため、Bスコープ及びドプラーによっても、何らの異常も発見することができなかった。更に、花子の子宮内容除去術中に生じた大出血は通常の頸管裂傷を想定した処置で完全に止血しえたのであるが、これは止血がほとんど困難な大出血を伴う頸管妊娠の徴候に反するものである。これらの事情からすれば、花子の場合は、開腹手術以前の段階において頸管妊娠を発見することは極めて困難であったから、これを想定した処置をとらなかったとしても何ら落度はない。

2  子宮全摘出術が遅延したことについて

津久井医師は、花子の頸管妊娠を発見した段階で直ちに子宮全摘出術を実施すべく万全の準備を整える一方、右施術に先立って子宮を存置するための努力を試みているが、これは術前花子及びその母が子宮保存を強く希望したことによるものであり、その後、短時間で保存術から子宮全摘出術に切り替えて摘出に成功した。したがって同医師の子宮全摘出術の施行に遅れはない。

3  麻酔術施行の不適切について

花子の開腹手術施行においては、その手術の内容、規模等からして全身麻酔を相当とすることは明白であるし、山岸医師は麻酔術施行につき、麻酔薬の選定を含めてその操作等を適正に行っているから、麻酔術施行上の落度もない。

第三証拠《省略》

理由

第一  請求原因1(一)、(二)、2及び3(一)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

第二  そこで、請求原因3(二)(被告の債務不履行責任)について判断する。

一  《証拠省略》によれば、本件医療の経緯は、次のとおりと認められる。

1  花子は昭和五六年六月一六日、続発性無月経と性器出血を主訴として渋川病院の産婦人科外来を訪れ、六川医師の診察を受けた。六川医師の問診に対し花子は、最終月経は三月二一日で、四月末からつわり症状が、五月末から性器出血がいずれも診察時まで続いている、妊娠歴は五回で、うち一回は前置胎盤のため帝王切開で原告を分娩しており(昭和五一年一〇月)、他に自然流産一回、人工妊娠中絶が三回ある、なお既往症あるいはアレルギー体質はない旨を述べた。また初診時の所見では、妊娠反応が陽性、子宮は手拳大で軟、褐色の分泌物は少量認められた。そこで六川医師は、切迫流産と診断して、即日花子を入院させた(第一回入院)。

2  花子に対する治療方針は、用便のための起居のみを例外として安静を守らせ、黄体ホルモン(子宮内膜を改善する。)を一日当り五〇ミリグラム五日間投与して、経過を観察することにした。右入院中、六月一七日ドプラーによる診断では胎児心拍動は整であり、また、同一九日及び二一日にBスコープにより子宮部位を造影したところ、子宮及び胎児の位置に格別の異常を認めることはできなかった。そして相変らず褐色の分泌物を排出し切迫流産の徴候が継続するほかは、下腹部痛も同月二四日には消失し、かなり安定した状態を保つようになったが、なお胎盤異常なども疑われたので、津久井医師はもう暫く入院させ安静を守らせて経過を観察する方針でいた。しかしながら花子が家庭の都合を理由に退院を強く希望するので、やむなく津久井医師は、自宅で安静を守ることなどを条件としてこれを許可し、花子は同月二八日退院した。

3  同年七月八日、花子は前日来の発熱及び頭痛を主訴として渋川病院の産婦人科外来を訪れ、再び六川医師の診察を受けた。このときの同医師の所見は、子宮は超手拳大で軟、両側子宮旁結合織に移動痛、子宮体部およびダグラス窩(子宮の後方)に圧痛があり、褐色少量の分泌物も認められた(なおドプラーにより、胎児の心拍動が検知された。)そこで六川医師は、子宮旁結合織炎の疑いがあると診断し、即日花子を入院させるとともに(第二回入院)、抗生物質の点滴及び所要の検査を実施した。翌九日津久井医師が花子を診察した際も、子宮は超手拳大で軟、分泌物は褐色でやや多く、子宮旁結合織に移動痛が認められたので、引き続き同様の治療方針のもとに経過を観察することにした。しかるに花子はほとなく解熱し、一〇日に凝血及び月経様の出血がある旨の訴えがあったほかは、移動痛なども消失し、感染は防止できたものと考えられ(抗生物質の点滴も一三日をもって終了した。)、一方花子が前回と同様強く退院を希望したので、津久井医師は同月一三日六川医師に対し、診察をしたうえ花子の退院の許否を決するように指示した。

4  しかしながら、同月一四日六川医師が診察したところ胎児の心拍動を検知できず、続く一五日の診察でも同様に胎児心拍動は確認できなかった。また内診によると子宮は超手拳大で軟、子宮口はほぼ閉鎖し、分泌物は褐色のものが少量あった。そこで六川医師は、胎児死亡を疑うとともに、以前検知しえた胎児心拍動が子宮下方向であったことも併せて、あるいは頸管妊娠ではないかとの疑念をもった。翌一六日津久井医師が再びドプラーによる診察を行ったが、胎児心拍動を全く検知できなかったので、この時点で胎児死亡の診断を下した。そして死亡胎児を除去するため子宮内容除去術(妊娠四か月以前の人工中絶の術式)を行うこととし、頸管拡張のためラミナリア杆(水分を吸収して漸次膨張する。)を八本挿入した。

5  同月一七日、手術に先立ち六川医師が診察したところ、花子は下腹痛はなく、また性器出血も見られなかった。そこで六川医師はヘガール拡張器を使用して子宮内容除去術を開始したのであるが、最初に胎児の頭部が出た段階で大出血があり止まる気配がなかったため、六川医師は津久井医師の応援を求めた。津久井医師は右のような出血状態をみて、その原因は子宮内容除去に際し頸管を損傷したものと判断した。そこで子宮動脈の下行枝を結紮すべく、頸管の二か所(時計の針の三時と九時に相当する部位)を縫合してみたところ、出血を止めることに成功したので、子宮内容除去術を続行し、胎児をとり出したが、胎児は妊娠約三か月末までに発育した状態であった。しかしこの時は、胎盤の一部を子宮内に遺残するなど、完全な除去術を施行することはできなかった。その後一時間ほど手術室で経過をみた後、花子は病室に戻り、子宮収縮剤、止血剤、抗生物質を投与されたが、血圧、脈、血色素量などに異常は認められなかった。

翌一八日津久井医師が診察したところ、子宮は手拳大で軟、褐色の分泌物があったが、出血は見られなかった。そして遺残した胎盤の処置(自然の壊死をまつ、再度除去術を行なう、あるいは化学療法によるなどの方法がある。)について津久井医師は、少なくとも一週間は安静を守らせ抗生物質などを投与しつつ経過を観察する必要があると考えたが、花子が又も退院を強く希望するので、やむなく、安静を守ること、一日三回体温を測定記録すること、指定の日には来院して診察を受けることなどを条件としてこれを許可し、花子は即日退院した。

6  花子は同月二二日、渋川病院の産婦人科外来を訪れ津久井医師の診察を受けたが、子宮は手拳大で軟、褐色の分泌物があるほかは、その全身状態に異常は認められなかった。そこで津久井医師は、先に縫合した頸管部分の抜糸を五日後に行うこととし、花子に二七日の来院を指示するとともに、投薬を行った。しかしながら花子は指定の二七日には来院せず、同月三〇日に至って性器出血と発熱を主訴として来院した。津久井医師が診察したところ、頸管裂傷によるものと考えられる出血が続き、感染も疑われたので、直ちに入院を指示した。しかしながら花子はこれに不満を示して帰宅しようとしたが、病院の廊下で倒れ、そのまま入院となった(第三回入院)。津久井医師は心電図、胸部レントゲン、血液の各検査を行い、頸管裂傷の処置と併せて子宮内容除去術を行うことにしたが、花子の出血が新鮮血であったことから、再掻爬によって大出血する可能性も十分考えられたので、輸血(新鮮血五本)など、情況によっては直ちに開腹術も施行しうるような万全の準備を整えて手術に臨んだ。

7  同日午後二時ころ手術室で、子宮内容除去術が開始され、まず六川医師が吸引器による経膣操作を試みたところ、膿様の血液に続いて新鮮血がほとばしるように出血し(約二〇〇ミリリットル)、吸引器では処置が不能となった。そこで津久井医師が鉗子による処置を試みたが、胎盤様のものが少量出たものの、癒着しているためか除去することができず、出血もますます多くなってきたので、この段階で、開腹し場合によっては子宮全摘出をしなければならないと判断し、とりあえず膣口をゼゴンによって閉鎖した。

開腹手術に先立って麻酔術は山岸医師が担当した。すなわちまず午後二時七分、前投薬(硫酸アトロピン〇・五ミリグラム、アタラックスP一〇〇ミリグラム)を、同三〇分静脈麻酔薬(バルビタール二〇〇ミリグラム)、筋弛緩薬(サクシン四〇ミリグラム)を逐次注射したうえ、同三五分気管内挿管による吸入麻酔(麻酔薬は笑気四リットル・酸素二リットルに、濃度一パーセントのフローセンを併用)を開始した。かくして午後二時四一分津久井医師の執刀、六川医師の助手で腹壁切開が開始された。津久井医師は、花子が以前帝王切開により原告を出産した際の瘢痕上を切開していったが、腹壁の癒着が強く、開腹創を上方に広げて漸く腹腔に達した。そこで腹壁に癒着した子宮を一部剥離してみたところ、子宮体部は頸管(双手拳大にまで肥大していた。)の上方に挿し上げられて腹壁臍部近くに完全に癒着しており、始めて頸管妊娠であることが判明した。

8  津久井医師は花子本人の強い希望により、当初は子宮を全摘出することなく、止血して胎盤を壊死させる方法により子宮を存置する方針で、子宮に通ずる子宮動脈と卵巣動脈の四か所をペアン鉗子で挾んで止血し、頸管を切開してこれに根付いている胎盤と思われと部分を絹糸により結紮したうえ、鉗子を取り外して止血状態を確かめるという作業を二、三回繰り返していたところ、手術開始後約三〇分経過の時点から花子の血圧が降下しはじめたので、手術時間を短縮するため右子宮存置を諦め、全摘出術に切り替えた。そして、同医師は、輸血、輸液の速度を早め、フローセンの濃度を〇・五パーセント、更に〇・三パーセントにまで減じたが、花子の血圧はなお上昇せず血圧の測定が困難となるに至ったので、笑気とフローセンを中止して酸素のみを吸入せしめた。一方山岸医師は、この段階で心停止と判断し、手術中止を津久井医師に指示したので、同医師は手術を中止し心臓マッサージを始めた。この心臓マッサージと、輸血及びイソプロテレノール(心筋興奮などの作用がある。)の注射により、三、四分して血圧が七〇ミリメートル水銀柱と回復したが、手術開始五〇分後には再び血圧測定が不能となった(出血が持続していたためと考えられる。)。そこで輸血、強心剤投与と心臓マッサージ等を施したところ、血圧が回復しその後は血圧一三〇ないし一五〇ミリメートル水銀柱を維持したので、手術を再開し、まず子宮上部を切断(右断端下部からなお出血が続くので、血液凝固作用があるフィブリノーゲン五グラムを投与)、次いで子宮下部を摘出し、結局子宮を全摘出した。手術は午後五時一一分終了し、術中の総出血量は出液を含めて三四四〇ミリリットルに達し、輸血量は二〇〇〇ミリリットル、輸液量は二五〇〇ミリリットルであった。

9  手術終了後、麻酔覚醒の遅延が危惧されたため、群馬大学医学部麻酔科の小川龍助教授の応援を依頼した。同助教授は、対光反射があり痛み刺激にも反応を示し、排尿状態も良好なので、翌日までには覚醒するのではないかと診断した。そして全身、特に頭部を冷やすと共に、脳圧を下降させるためマンニトール四〇〇ないし六〇〇ミリリットルを投与するなどの治療を続けた。ところが翌三一日午後一一時一二分、花子は生あくびを数回した後に呼吸を停止し脈が減弱するなど、再び心停止状態に陥った。このときは当日在院していた六川、山岸両医師の救急処置により、同一七分には血圧が上昇し心電図も正常に復したが、その後花子は覚醒することなく推移した。同年八月三日、花子は群馬大学付属病院に転院し同院の集中治療部(ICU)において治療を受けたが効果なく、同月二六日に再び渋川病院に戻り、以降は中心静脈栄養、チューブ栄養、点滴を続けたが、意識を全く回復しないまま次第に全身が衰弱していった。

10  そして花子は昭和五八年一月二五日午前一時一八分、渋川病院において死亡した。

以上のとおり認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

二1(一) 原告は、津久井医師及び六川医師は花子の開腹手術以前に十分な診察をしていればより早期に頸管妊娠を発見し適正な治療をなしえたのに、花子を開腹するまで頸管妊娠を発見できなかったことには診断上の過失がある旨主張するので検討する。

《証拠省略》によれば、本件医療に関する医学上の知識及び被告医師らの医療行為について、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(1) 頸管妊娠とは、妊卵が子宮腔を完全に離れて頸管(その内膜の筋層内)に着床発育したもので、着床異常の一つであるが、その発症頻度は極めて低く、着床異常の僅か〇・〇六五パーセントにすぎないとの統計結果も医学者によって報告されており、稀発型異所性妊娠と称される所以である。その発症機序の詳細は十分には解明されていないが、妊卵の移送が迅速にすぎること、妊卵の成熟が遅延し着床期となるのが本来の着床部位である子宮体部(子宮腔の概ね上部または中部)に達する頃でなくなお下降して頸管に達した頃になること、あるいは子宮腔が炎症や損傷により着床に不適な状態にあること等が関与すると推定されている(ちなみに子宮頸部とは、子宮体部の下端と膣腔を結ぶ部分であって、細筒状の頸管がこれを貫いている。)。

(2) 頸管は右に述べたように細いばかりでなく、その筋層は主として輪状筋で結合織に富み、かつ、子宮動脈にも近い悪条件のため、頸管妊娠の予後は甚だしく不良である。すなわち妊娠が後半期まで継続することは稀有であって、早期(一二ないし二〇週)に自然中絶するものが殆どである。初発徴候はほとんど全例において少量の出血が継続し、これに多くは軽度の下腹疼痛、腰痛、下腹部膨満感および発熱などを伴い、切迫流産を思わせる経過をもって始まる例が多い(出血開始の時期は妊娠五週目が多く、七・八週までに出血しないものは稀である。)。頸管内においては胎盤は筋層等と堅く結合していわゆる癒着胎盤となるため剥離しがたいばかりでなく(子宮体部ならば脱落膜が形成され剥離が容易である。)、その絨毛は収縮性の乏しい筋層内に深く侵入し子宮動脈の近くに達しているので、安易にこれを掻爬すると大出血が必発であって、この出血は強く、かつ頑固に継続する。本症が致命的とされる所以はこの止血困難な大出血であって、訪医して内診中または人工妊娠中絶中、突発的に奔流のごとき強出血を起こすことが多く、この場合に救急処置が対応できないとその場で失血死の危険性が高い。

(3) 頸管妊娠は前述のように切迫流産に類似する徴候を示すが、内診所見として、頸部が著しく肥大し軟化すること(その上方に比較的硬く頸部より小さい子宮体部が位置するので、子宮全体がいわばダルマ状をなす。)、及び膣部が短く場合によっては展退消失していること等が挙げられる(なお本症が経産婦で流産とりわけ人工妊娠中絶を繰り返している者に発症し易いことも留意さるべきである。)。

(4) ダルマ子宮の存在は、医師が両手を使って子宮の形状や硬さなどを触診する方法(双手診あるいは双合診と呼ばれる。)によって判明することがある。また、妊娠中における胎盤及び胎児の位置の確認も、頸管妊娠の診断には有力な手掛りとなりうる。

(5) しかるに花子の子宮は、開腹によって判明したように、その体部が臍の付近まで押し上げられ恰も子宮筋腫核のような姿で腹壁に癒着し、一方、頸部は長く引き伸ばされて異常に肥大していたのであって、全体としてダルマ状とは言い難い特異な形態であった。

(6) また本件医療が行われた当時、渋川病院はBスコープ及びドプラーを備えていたが、これらの機器は、当時の技術水準では最高の性能を有するものであった(ただしその解像力等が現在のものに劣ることは否みえない。)。しかし六川医師及び津久井医師が花子の第一回入院以来開腹手術に至るまで、何度となく各機器により診察をしても、胎児及び胎盤の位置を含め、異常を発見することはできなかった。

(7) 六川医師は、花子の第二回入院中である昭和五六年七月一四日ころ頸管妊娠に疑いを持ったが、その根拠は、以前ドプラーによって胎児心拍動を検知しえた方向が子宮下部であったということのみである。しかしながら胎児心拍動の方向の異常が頸管妊娠の徴候たりうることは、医学上の知識とされてはいない。

(8) 流産は、その進行程度により四期に区別されるが、このうち最も早期のものが切迫流産であって、そのまま放置すれば流産に至るおそれが大きい状態をいう。少量の性器出血の持続を主徴とするのが通例であって、妊娠の際、出血や下腹疼痛の徴候が認められたならば、まず切迫流産を疑ってただちに安静療法、ホルモン療法(黄体ホルモン投与)など、適正な治療を施さねばならない。

第一回入院時に六川医師が花子を切迫流産と診断した根拠は、妊娠反応があるとともに微量ながら性器出血が継続しているが、これ以外には格別の異常が認められなかったことである。

(9) 子宮旁結合織炎とは、子宮を囲む支持組織(これによって子宮は体内に安定した位置を保っている。)に炎症を生ずるものであって、分娩や流産時等の細菌感染によることが多く、発熱、疼痛を主訴とする。六川医師が第二回入院時に子宮旁結合織炎と診断した根拠は、子宮に移動痛及び圧痛があったうえ、発熱が続いていたことである。

(10) 頸管裂傷とは、頸管に裂傷がある状態をいう。津久井医師は花子の第二回入院時における子宮内容除去術中に頸管裂傷と診断したが(同医師は花子の第三回入院時にも同様の所見であったことは既述のとおり。)、これは、みぎ除去術の際の大出血は六川医師が胎児を子宮から取り出すとき頸管内を損傷したことによるのではないか、と推測したものである。

(二) 前記第二、一認定の本件医療行為の経緯に右認定の事実を併せて考察すると、花子が罹患していた頸管妊娠は極めて稀有な症例であって外部的な徴候からこれを診断することは本来的に困難であるのに加えて、花子の子宮は体部が臍部辺まで押し上げられて腹壁に癒着し、そのため頸部が長く伸びた特異な形状であったのであるから、津久井、六川医両医師が双合診、あるいはBスコープやドプラーなど当時の医療水準からして相当な医療機器を使用してもこれを発見しえなかったことを捉えて、その診察に足りぬところがあったと一概に非難するのは当たらないと言うべきである(その半面、同医師らが当初は切迫流産、次いで子宮旁結合織炎、更には頸管裂傷と診断しこれに適合する治療を行ったことは、合理的な診療行為と考えるに十分である。)。のみならず、第二回入院時の子宮内容除去術に先立ちラミナリア杆を挿入したときには全く出血が見られず、また同手術中に発生した大出血が通常の頸管裂傷に対する処置によって止血しえたことは既述のとおりであるが、かかる結果は(その理由は本件証拠上は解明できないが)頸管妊娠の前認定の症状とは矛盾すると言わざるを得ないのであって、彼此総合すれば、花子については開腹手術施行より前の段階において頸管妊娠の診断を下しうる可能性は殆ど存せず、結局同医師らには頸管妊娠の発見が遅れたことにつき、診断上の落度はなかったものとするのが相当である。

2(一) 原告は、津久井医師は花子の頸管妊娠を発見したのち直ちに子宮全摘出術を施行すべきであったのに、その着手を遅らせた治療上の過失がある旨主張するので検討する。

《証拠省略》によれば更に次のような事実も認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(1) 頸管妊娠の治療は、大出血を起こしている場合は直ちに手術室に担送し輸液輸血のかたわら大至急開腹して子宮全摘出術を施行し(これ以外の療法はあり得ず、間に合わないときは失血死する。)、大出血を起こしてないような場合も速やかに開腹して子宮全摘出術をするのが望ましく、経膣操作は避けるのを原則とする(頸管妊娠を掻爬で治療しえた稀有の事例は、妊娠の極めて初期のものと言われている。)。ただし、患者が子宮の存置を特に希望するなどの事情があるときは、例外として、子宮へ入る動脈を結紮したうえで、頸部に着床した胎盤を壊死させる方法により子宮を残存させる手術を施行することがある。

(2) 津久井医師は昭和五六年七月三〇日花子の子宮内容を除去するには開腹手術が必要であり、その際場合によっては子宮摘出を余儀なくされるかもしれぬと考え、花子及び当時連絡を受けて来院していたその母にその旨説明し同意を求めた。しかしながら同女らはこれに反対し子宮を存置させることを強く希望したので、津久井医師は一旦は子宮を残す手術を開始したが、その後花子の血圧が降下したため右手術を中止し、子宮全摘出術に転換しようとして花子の母にその同意を求めたものの、なかなか同意が得られなかったので、やむなく同女を手術室に入れ花子の出血状況を見分させるなどして説得した結果、やっとその同意を得た。この同意を得るために二〇分ないし三〇分間手術は中断されていた。

(二) 前記第二、一認定の本件医療行為の経緯と右認定の事実とを総合してみると、津久井医師は、花子の頸管妊娠を発見してから子宮全摘出術に着手するまでに約四、五〇分の時間を費やしているが、これは、前認定のとおり当初は花子やその母の強い希望に従って、医学上公認されているところの胎盤壊死による子宮残置の手術を開始施行したこと、及び子宮全摘出術に方針を転換することとしたのちも花子の母からその同意を得るのに時間が掛かったことによるものであって、いずれも、本件の診療を担当した医師として無理からぬところと考えることができる。それゆえ、同医師に子宮全摘出術を施行する時期を逸した医療上の落度があったとはいえない(なお付言するのに、この間花子の出血は続いていたものの、その量は寸刻を争うほどのものとは認められず、これに十分対応しうるだけの輸液・輸血が続けられていた。)。

3(一) 原告は、花子の開腹手術にあたっては局部麻酔を行うべきであり、仮に全身麻酔を選択したならば当時の花子の重篤な容態に適合した安全な方法で行うべきであったのに、慢然とフローセンによる全身麻酔を行った山岸医師には治療上の過失があると主張するので検討する。

《証拠省略》によれば、本件医療にあたって行われた麻酔について次のような事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(1) 下腹部の手術を可能とする麻酔としては、中枢神経系の機能を麻痺させる全身麻酔(静脈麻酔・吸入麻酔など)と、患者の意識を消失させることなく神経支配領域を麻酔する局部麻酔(脊椎麻酔・腰椎麻酔・硬膜外麻酔など)がある。

(2) 津久井医師双び山岸医師は、花子の思わしくない容態にも鑑み、全身麻酔を採用した。これは、花子の手術が開腹のうえ場合によっては子宮全摘出の大規模なものとなるので、呼吸・循環など全身状態の綿密な管理、及びショックなどの突発的な異変への対処は、局部麻酔より全身麻酔(吸入麻酔)の方が優れているとの理由による。

(3) 山岸医師は花子に対し麻酔術の術前管理として、血圧、脈搏、体温、心電図、胸部レントゲン、貧血及びぜんそくの有無など所要の検討事項をチェックし、異常なきことを確認したうえで吸入麻酔術の施行に入った。

(三) 前記第二、一認定の本件医療行為の経緯に右認定の事実を総合すれば、まず、本件開腹手術の規模、内容等から考えると、全身麻酔(吸入麻酔剤による)を選択したことはもとより相当である。またその施行方法も、施行前の検査結果の確認、麻酔前投薬及び呼吸・循環のモニタリングを含む術中管理、ひいては、花子が心停止状態に陥った際の対応など、全過程を通じて、証拠上間然するところを見出しえない、結局医師らには原告主張のごとき治療上の過失はなかったものと判断できる。

第三  以上の次第で、花子の死亡との因果関係を肯認しうるような被告医師らの注意義務違反を認めることはできないので(それゆえ花子が本件医療行為中に陥った心停止状態、ひいてはその死は、人為の及びえない不幸な事態と言うほかない。)、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 春日民雄 裁判官 市川賴明 宮﨑万壽夫)

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