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前橋地方裁判所高崎支部 平成元年(ワ)130号 判決

原告

川部文男

川部美江

右両名訴訟代理人弁護士

吉川孝三郎

吉川壽純

羽賀千栄子

被告

群馬循環器病院こと原田昌範

右訴訟代理人弁護士

山岡正明

岩崎茂雄

白田佳充

右訴訟復代理人弁護士

石原栄一

釘島伸博

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告ら各自に対し、金四四四九万円及びこれに対する昭和六一年九月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、いわゆる医療過誤訴訟であって、ファロー四徴症の心内修復術後死亡した幼児の両親が、右手術に過誤があったとして、右手術を施行した病院を開業する医師に対し、債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等

1  原告川部文男は、訴外川部幸代(昭和六〇年五月一三日生、以下「幸代」という。)の父であり、原告川部美江は幸代の母である。

被告は、循環疾患の治療を目的とした群馬循環器病院(以下「被告病院」という。)を開業している医師である。

2(一)  幸代は、昭和六一年六月一八日、被告病院の竹内東光医師(以下「竹内医師」という。)の診察を受け、心房中隔欠損を伴うファロー四徴症と診断され、以後月一回の検診とインデラルの投薬による治療を行ってきたが、被告病院の石川辰雄医師(以下「石川医師」という。)を始めとする被告病院の医師らの方針に基づいて、昭和六二年五月七日から同月一一日まで被告病院に入院して心臓カテーテル検査を受けた後、昭和六二年八月二七日、心内修復術を受けるため被告病院に入院した。

(二)  原告らは、同月二九日、幸代の親権者として、被告との間で、心房中隔欠損を伴うファロー四徴症に対する心内修復術(以下「本件手術」という。)等の治療行為を内容とする診療契約を締結し、原告らは、本件手術承諾書に署名押印した。被告及び被告病院の医師らは、同年九月三日、右診療契約に基づき、幸代に対し、本件手術を行った。

(三)  本件手術は、同日一一時三五分に開始され、同日一六時四二分に終了した。(この点について、原告らは明らかに争わず、〈書証番号略〉により認める。)

(四)  同月一三日、幸代は死亡した。

二  原告の主張

1  以下に述べるような被告の過失により、幸代は死亡したものであるから、被告には原告らに対して医療契約上の債務不履行ないし不法行為に基づく損害賠償責任が発生する。

2  説明義務違反

(一) 手術承諾までの経緯

(1) 昭和六一年六月一八日、初診当時の担当医である竹内医師は、幸代の治療方針につき、幸代の年齢、体重、身長その他の諸条件を総合的に判断して幸代が五歳ないし六歳になって体力が付いた時点でファロー四徴症に対する根治手術を行うこととし、現段階においては、月一度の検診とインデラルの投薬治療を行うとの方針を示し、その後しばらくこの方針にしたがった治療が行われ、幸代も日常生活において特に苦しがる等ということはなかった。

(2) ところが、その後担当医師となった石川医師は、昭和六二年四月七日、原告らに対し、突然根治手術を勧め、原告らが「竹内医師から五、六歳になって手術をした方が良いと言われてきた。幸代は普通の子よりも小さいので大丈夫でしょうか。」と不安を示すと、石川医師は「もっと小さい子でもどんどん手術をしているので大丈夫。原田院長も本腰を入れて手術をすると言われているから心配はいらない。」、「今は身長が極端に低いが、手術をすれば成長を早く取り戻すことができる。」、「今まで飲んできたインデラルを五、六歳まで飲んでいたら、果たして心臓が普通に近い動きをするかどうかわからないから、早く手術をした方がよい。」などと言って、現時点で手術するほうが、五、六歳の時に手術するよりも、安全で成長のためにも有益であると力説した。

原告らは、石川医師の前記説明内容が、竹内医師の説明と相違しているので、手術の承諾を躊躇していたが、石川医師は、「とりあえず、カテーテル検査をしてからどうするか決めましょう。」と提案し、これにより幸代は、同年五月七日から同月一一日までの間、被告病院に入院して、心臓カテーテル検査を受けた。

(3) 原告らは、昭和六二年八月二九日、被告から「十中八、九大丈夫ですから心配はいりません。」「技術的に問題はない。」と手術が安全なものであることを強調して再度手術することを勧められたため、これを承諾し、承諾書に署名、押印した。

(二) 説明義務違反

ファロー四徴症に対する治療方法としては、薬物治療、短絡手術及び根治手術の選択肢があるのであるから、被告は、原告らに対し、各治療方法の内容、効果及び危険性を説明すべきであるのにこれをしなかった。

しかも、被告及び被告病院の医師は、本件手術を強行しようとして、本件手術の安全性について前記(一)(2)(3)記載のとおりの詐術的要素を含む不適切な説明を行った。

3  手術適応の判断の誤り

幸代は、本件手術時、年齢二歳四か月、身長76.6センチメートル弱、体重11.2キログラムで、年齢、体力とも本件手術に耐えられる状態になく、また、右時点での幸代の症状は手術を緊急に行わなければならない程度のものでもなかったのであるから、本件手術は、幸代が五歳ないし六歳になって体力の付いた時期に実施すべきであった。

被告が本件手術を強行したことは、適応状態の有無の判断を誤ったものである。

4  本件手術前におけるインデラル投薬の中止義務違反

インデラルは、副作用としてうっ血心不全、低血圧、徐脈、末梢動脈血行不全、房室ブロック等を呈することがある。したがって、心臓に極度の負担を加重する本件手術を実施する場合においては、少なくとも手術の約一週間前にはその投与を中止しなければならない注意義務がある。

しかしながら、被告は、幸代に対して、本件手術の二日前までインデラルを投与したため、幸代は、手術不適応の身体状態にされた。

5  気管内挿管用チューブの選択上の過失

本件手術は患者の身体に大きな侵襲を加えるものであるから、全身麻酔を施用する場合には、患者の手術適応の身体的状況を維持させるため、酸素の運搬等に支障が生じないよう、適切なサイズの気管内チューブ等を用いる注意義務がある。

ところが、本件手術の酸素供給は、「カフなし」の五フレンチサイズの気管内チューブによる気管内挿管の方法によって行われたため、気管とチューブとの間に気密が保たれずに隙間から酸素等が漏れ、加えて、気管内チューブの太さが細かったため、酸素不足を生じ、他の要因と相まって心不全を惹起させたものである。

6  手術施行上及び術後管理上の過失

(一) 本件手術は、患者の心臓等を切開するという身体の枢要部に大きな侵襲を加える手術であるから、胸腔内に出血させるなどして心臓を圧迫することがないようにすべき注意義務があった。

(二) すなわち、手術による切開部分を正確に縫合して出血することのないようにすべき義務があるのにこれを怠り、不完全な縫合により出血させた。

(三) 仮に、右縫合が的確に行われたとしても、切開部位等から浸潤した血液が腹胸腔内に貯留することのないよう、血液を体外に排出するドレーンを的確に装着し、かつ、そのドレーンが機能するように管理すべき注意義務があるのにこれを怠り、ドレーンが的確に装着されなかったか、血液の凝固によりドレーンが詰まったにもかかわらず、ドレーン内部の凝固を除去しなかったものである。

(四) また、仮に、右(二)、(三)のような事実が認められないとしても、当時の幸代の状態からみて、薬物投与等の方法で末梢循環不全等の改善を行うべきであったのに、心臓に直接手を触れて力を加えるという負担の大きい心臓マッサージを行ったため、心機能を一層悪化させたものである。

(五) 以上の注意義務違反の結果、幸代に、心タンポナーデ様症状、血圧低下等を惹起させ、胸腔内に貯留した血液を除去するために再開胸手術を行ない、又は、心臓マッサージを行ない、そのような身体的負担によって、幸代に末梢循環不全等を招来して死亡させたものである。

7  損害額の算定

(一) 幸代の損害は以下のとおりである。

(1) 逸失利益 二八九八万円

247万7300円(昭和六二年度女子労働者の平均年収額)×0.7(生活費割合三割)×16.716(新フホマン係数)=約2898万円

(2) 慰謝料 三〇〇〇万円

(二) 原告らは、幸代の相続人として前記損害を各二分の一ずつ相続した。

(三) 原告らは、最愛の子どもを失った親としてそれぞれ各一〇〇〇万円の慰謝料請求権を有している。

(四) 原告らは、弁護士である本件訴訟代理人に訴訟手続を委任し、弁護士費用として五〇〇万円以上を支払うことを約した。

三  被告の主張

1  説明義務について

昭和六一年一〇月二一日、被告病院は、心電図及び心エコー検査によって、幸代が、右心房肥大、右心室肥大、ファロー四徴症、左側大動脈弓であることを確認した。また、幸代には収縮期駆出性心雑音があり、チアノーゼ、座り込み等の各症状があったため、これらの症状を踏まえて、一歳の冬を低酸素発作を起こすことなく越えられた場合には、二歳になってから心臓カテーテル検査をしたうえで心内修復術(被告病院においては、根治手術という言い方は患者の誤解を招くので使用していない。)を行い、低酸素発作が頻発した場合には、即時その時点でブレロック・タウジッヒ短絡術を実施するとの治療方針を立て、この旨原告らに説明した。したがって、昭和六二年四月七日に突然本件手術の話が出たわけではない。

また、「十中八、九大丈夫ですから心配はいりません。」などとは説明していない。いかなる手術であっても、手術による危険性はあり、必ずこれについての説明をしている。被告病院では、原告らに対して、本件手術をするに先立って、その内容については図を用いて、危険性等については、本件手術の前と後ではハワイから南極に移ったように環境が激変するのでそれに耐えられるかが問題であることを指摘して、それぞれ十分に説明をしている。

2  手術適応の判断について

ファロー四徴症に対する手術適応は、患者の年齢、体格等身体的条件の他、患者の症状の悪化の程度、術後の心機能の回復の程度等を考慮して決められるものである。そして、心機能の回復という観点からすると、三歳以内の早い時期に手術を受けることが望ましく、幸代の場合、本件手術を受けた年齢は、二歳四か月であり、心機能の回復の点から好ましいものであったといえる。

また、幸代の病状は、昭和六一年六月一八日の初診当時においても、著しい発育障害、心音及び心雑音の異常、多呼吸、呼吸困難、運動制限及びチアノーゼがあり、総合所見としては重症であった。そして、同年八月二日には、旅行先で低酸素発作を起こして茨城県立こども病院に入院を余儀無くされ、昭和六二年三月一〇日には、チアノーゼは中程度から重症に変化していたものであり、以上の各症状からも幸代にとって手術が必要な時期が来ていたものである。

したがって、被告病院には、本件手術適応の判断を誤った過失はない。

3  インデラルの投薬について

インデラルの血中半減期は、二時間から四時間であり、投与中止から二四時間ないし二八時間後には、血中濃度はゼロとなるから、原告らが主張するように手術の一週間前に投与を中止すべき義務はない。

4  気管内挿管用気管内チューブの選択について

被告病院が使用した気管内チューブは直径五ミリメートルのものであって不適切なものではなく、酸素の注入に何ら支障はなかった。

本件手術で使用したチューブは、通常幼児に使用する「カフなし」のものであったため酸素が少し漏れたが、特別問題はなかった。

5  手術の施行及び術後の管理について

(一) 切開部分の縫合は的確にされ、胸腔内に血液が貯留することはなく、ドレーンも適切に装着されていた。

(二) 本件手術は、何の問題もなく終了し、幸代は、昭和六二年九月三日一六時五〇分、ICU室に入室した。その時点では、血圧、脈拍数、体温、中心静脈圧(CVP)いずれも、心内修復術後としては正常な値であった。

しかし、手術後一時間二〇分ほど経過した一八時ころから不整脈が生じ始め、もともと手術による解剖学的変化による低心拍出量症候群状態にあったところ不整脈が発生したため、低心拍出量状態が改善しにくい状態に変化し、一九時を過ぎたころから血圧が低下した。

被告は、幸代の不整脈の症状に対して直ちに薬物治療及びペーシングの処置をとり、血圧低下に対しては、ノルアドレナリン等昇圧剤による薬物治療、輸液及び輸血を実施して血圧の上昇を図ったが、結果的には十分な効果が得られなかったため、再開胸して心臓マッサージを実施した。

前記のようにペーシング、輸液、輸血及び薬物投与等の処置を実施したにもかかわらず、なお血圧の上昇が得られない場合には、これを放置すれば、直ちに死に至ることは必然であって、被告がした再開胸の措置は、医師としての当然の判断であって何ら落ち度はない。

四  争点

1  ファロー四徴症に対する治療方法、本件手術の内容、安全性について被告から適切な説明があったか否か。

2  本件手術適応の判断が適切であったか否か。

3  幸代に対するインデラル投与の中止時期が遅すぎたか否か。

4  麻酔施行に使用した気管内チューブが適切なものであった否か。

5  手術施行上及び術後の管理上に過失があったか否か。

(一) 縫合が不適切で胸腔内に多量の血液が貯留したか否か。

(二) ドレーンが的確に装着されていたか否か。

(三) 再開胸して心臓マッサージをしたことは適切な処置であったか否か。

6  損害額

第三  争点に対する判断

一  争点1(説明義務違反について)

1  手術承諾までの経緯

後掲各証拠により認められる事実及び当事者間に争いのない事実は以下のとおりであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 初診時

昭和六一年六月一八日、幸代は、チアノーゼ、心雑音等の症状があり、被告病院で心エコー検査を受け、被告病院の竹内医師から心房中隔欠損を伴うファロー四徴症と診断された。竹内医師は、いずれは手術しなければならないが、当面は、インデラル及びインクレミンを投与し、月一回診察して経過をみることとし、原告らに対して、右診断結果及び方針を説明し、心臓カテーテル検査を同年八月三〇日に行うこととした。(〈書証番号略〉)

(二) その後の経緯

同年八月二日、幸代は、茨城県大洗海岸で砂遊びなどをした後、チアノーゼ、喘鳴、多呼吸などファロー四徴症の低酸素発作を起こし、同日、茨城県立子ども病院に一日入院した(〈書証番号略〉)。

同年一〇月二一日の診察においても、軽度のチアノーゼ、蹲踞があったため、診察した医師は、この冬を低酸素発作なく越した場合には、翌年に心臓カテーテル検査をした上で心内修復術(心室中隔欠損を閉鎖し、漏斗部狭窄を解除する手術)を行い、発作が頻発して起きた場合には、その時点でブレロック・タウジッヒ短絡術(鎖骨下動脈と肺動脈をつなぐ手術。心内修復術がラディカルオペレーション(根治手術)と呼ばれるのに対して、ブレロック・タウジッヒ短絡手術は、パリアティブオペレーション(姑息手術)と呼ばれる。)を行うとの治療方針を立て、その旨原告らに説明した。

幸代は、同年一一月、一二月、昭和六二年一月、二月と低酸素発作は起こさなかったものの、チアノーゼがやや進み、歩行五〇メートル程で蹲踞が見られ、同年三月には、チアノーゼは更に進んだ。被告病院の医師らは、ファロー四徴症としても中等症ないし重症と判断し、心内修復術の必要な時期とみてその検討を行い、同年四月七日の診察で、当初の方針どおり、心臓カテーテル検査の後、心内修復術を行うことを確認し、原告らに対して、その旨の説明をした。しかし、原告らは、竹内医師から、手術は体力の付く五、六歳になってからとも聞いていたので、この点の不安を述べると、石川医師は、「もっと小さい子どもでも手術をしている。」と説明した。(〈書証番号略〉)

(三) カテーテル検査等

幸代は、同年五月七日から同月一三日までの間、被告病院に入院し、同月一一日、心臓カテーテル検査を受けた。その結果、ファロー四徴症、心房中隔欠損症、左側大動脈弓であることが確認され、石川医師は、右検査結果を検査病状説明書等を用いて原告らに説明し、同年九月ころに手術を予定している旨伝えた。(〈書証番号略〉)

幸代は、同年七月一一日、走った後、しゃがみ込んで胸を押さえ、痛みを訴え、同月一三日、心エコー、胸部エックス線及び心電図の各検査が実施された。検査の結果、大きな変化はなかったが、八月に入っても走るとしゃがみ込んだり、チアノーゼが出る状態であった。(〈書証番号略〉)

(四) 本件手術のための入院

幸代は、同年八月二七日、本件手術をするために入院した。

同月二九日、被告は、原告らに対し、幸代の心臓は、心室中隔が欠損していること、肺動脈が狭窄状態にあること、大動脈が右方に偏位していること、その結果として右室が肥大していること、したがって、正常であれば、大静脈から右心房を経由して戻ってきた静脈血は、肺動脈に流れるのに対して、幸代の場合、肺動脈に流れず直接大動脈に流れ込んでしまう状態にあること、このため、本件手術は、心室の壁に開いている穴を塞ぎ、肺動脈の狭窄を解除する手術であること、この手術により、静脈血は、正常の心臓のように肺動脈に流れるようになること等を心臓の図面を用いて説明した。更に加えて、本件手術は技術的には問題はないが、手術後の正常な血液動態を示す心臓は、手術直後の幸代にとっては異常として受けとめられ、手術を契機にして一瞬にしてハワイから南極や北極に移るのと同じような大きな環境の変化を受けることになるので、幸代がこの変化に耐えられるか否かが問題である旨の説明をした。原告らは、この説明を受けたうえで本件手術を承諾し、手術承諾書に署名した。(〈書証番号略〉、原告川部文男、被告本人)

2  説明義務違反の有無について

(一) 被告が、原告らに対して、幸代の病状、本件手術の内容、効果、危険性についての説明をしたこと、右説明を受けたうえで、原告らが本件手術を承諾したことは、前記1(四)認定のとおりである。

(二)  原告らは、ファロー四徴症に対する治療方法としては、薬物治療、短絡手術、根治手術の選択肢があったのであるから各治療方法についての説明をすべきであったと主張する。しかし、薬物治療は、チアノーゼ発作に対する治療であり、短絡手術は、チアノーゼを軽くして合併症の発生を予防し肺動脈の発育を促す目的で行う手術で、薬物治療によってもチアノーゼ発作が治まらない場合に行う手術である。これに対して、心内修復術は、ファロー四徴症の原因に根本的にアプローチして正常に近い心臓の血液動態を得るための手術である(〈書証番号略〉)。したがって、ファロー四徴症に対して、三つの治療方法があるといっても、患者の症状等によっておのずとその選択肢は限られてくるのであって、被告病院としては、その時点における患者の症状及び右症状に対し適切と判断される治療内容を説明すれば足りるというべきである。

そして、前記1(一)(二)認定のとおり、幸代については、初診時に当分の間薬物治療を継続し、時期の到来を待って手術を実施する方法であることを原告らに説明したこと、また、昭和六一年一〇月二一日には、冬を低酸素発作なく越えられたらカテーテル検査のうえ本件手術をする、低酸素発作が起きた場合には、その時点でブレロック・タウジッヒ短絡手術を行う旨今後の治療方針を具体的に示したこと、更に、本件手術の承諾を得るにあたっても手術の内容や予後に関し原告らに理解が容易なよう表現を工夫して説明していることは前述したとおりであって、被告の原告らに対する説明に遺漏はなく、他に被告病院の説明義務違反を認めるに足りる証拠はない。

(三) なお、原告らは、被告医師から、本件手術の安全性について、「十中八、九大丈夫ですから心配はいりません。」「技術的に問題ない。」などといった詐術的要素を含む不適切な説明を受けたため、本件手術を承諾したものである旨主張するので、この点について検討するに、被告が、原告らに対して、本件手術は「十中八、九大丈夫」と言ったことを認めるに足りる証拠はない。「技術的に問題はない。」と説明したことは、前記1(四)のとおりであるが、ファロー四徴症の心内修復術は、臨床的に確立された術式で実験的側面を持つ手術ではなく、その意味で技術的に問題のない手術といえ(鑑定)、また、前記1(四)認定のとおり、被告は、本件手術の内容、効果、危険性について説明し、そのなかで「本件手術は、技術的に問題はない。」という説明をしたのであるから、この言辞をもって詐術的要素を含む説明であったということはできない。

二  争点2(手術適応判断上の過失の有無について)

後掲各証拠により認められる事実及び当事者間に争いのない事実は以下のとおりであり、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ファロー四徴症に対する心内修復術の手術適応の有無については、患者が手術の負担に耐える体力を備え、かつ、チアノーゼが心臓の筋肉に悪影響を及ぼさない三歳くらいまでのなるべく早い時期に施行することが望ましく、具体的には、心臓カテーテル検査、血管心臓造影検査等の結果と患者の症状、経過とを総合考慮して決定されるものである(鑑定、〈書証番号略〉、証人本多)。

幸代が、本件手術を受けた年齢は、約二歳四か月であり、本件手術を受けた当時の幸代の症状及びその経過は、前記認定一1(一)ないし(三)のとおり、昭和六一年八月には低酸素発作を起こし、同年一〇月には、軽度のチアノーゼ、蹲踞が見られ、昭和六二年に入ってからは、チアノーゼが進み、同年七月には、走った後、しゃがみ込んで胸を押さえ痛みを訴えるようになっていたというものである。また、本件手術直前の同年八月二八日の血算データは、赤血球数七〇四×一〇4/cmm、ヘモグロビン18.9gr/dlで、手術時期決定の一つの指標である赤血球数六五〇×一〇4/cmm、ヘモグロビン一六gr/dlを越え、チアノーゼが強いことを示していたのであるから、右症状及び各種の検査結果からは手術を施行すべき時期にきていたものといえる(鑑定、〈書証番号略〉)。

右のとおりであるから、幸代について手術適応に関する判断を被告が誤ったと認めるに足りる証拠はない。

三  争点3(インデラル投与の中止義務違反の有無について)

後掲各証拠によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

インデラルは、筋性右室流出路の狭窄の程度を一時的に改善し、低酸素発作を抑制する薬であるが、心臓手術を施行する場合、インデラル投与下では心臓手術後に心蘇生が困難な場合を生ずるおそれもあるので、手術施行前には特別な事情がない限り投与を中止するのが通常である(鑑定、〈書証番号略〉)。しかし、インデラルの血中の濃度の半減期は二ないし六時間であり、服用を中止して二四ないし二八時間後に血中濃度はほとんどゼロとなる。(鑑定、〈書証番号略〉)

そうすると、被告には、本件手術開始の二八時間前までにインデラルの投与を中止すべき義務があり、かつ、それで足りるというべきである。

ところで、本件手術前、インデラルは、昭和六二年八月三〇日まで、朝と夜の二回に分けて二〇ミリグラムが投与されていたが、同月三一日、同年九月一日には、朝の一回、一日一〇ミリグラムに減量され、手術前日の同月二日には投与されていない。(〈書証番号略〉)

したがって、被告は、幸代に対するインデラルの投与を本件手術の三〇時間以上前に中止したことが認められるから、被告にはインデラル投与中止義務違反はない。

四  争点4(気管内チューブの選択上の過失の有無について)

後掲各証拠によれば、次の事実が認められ、これを覆するに足りる証拠はない。

幸代は、本件手術当時、年齢二歳四か月、体重11.2キログラムであったが、このような幼児に対しては、直径一八ないし二二フレンチサイズ(六ミリメートルないし7.33ミリメートル)の気管内チューブを使用するのが通常である(〈書証番号略〉)。

本件手術では、通常よりも僅かに細めではあるが、直径五ミリメートル(一五フレンチサイズ)の気管内チューブが使用された(〈書証番号略〉、被告本人)。

また、本件手術では、カフのない気管内チューブが使用されたが、幸代のような幼児に対しては、カフのない物が使用される(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。

そして、幸代の動脈血酸素分圧(PO2は、手術前日の昭和六二年九月二日の検査では32.9ミリメートルHgであったところ、気管内チューブ挿管後はその数値が明らかに改善されたことが認められる(〈書証番号略〉)。

そうすると、幸代に対する酸素の供給は適切に行われていたと認められるから、被告が気管内チューブの選択を誤ったということはできない。

なお、カルテの中(〈書証番号略〉)には、五フレンチサイズの気管内チューブが使用されたとする記載もあるが、五フンレチサイズという極細のチューブは市販されていないから、単純な記載ミスというべきである(〈書証番号略〉、被告本人)。

五  争点5(手術施行上及び術後管理上の過失の有無について)

1  術後の経過

後掲各証拠により認められる事実及び当事者間に争いのない事実は以下のとおりであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

本件手術は、昭和六二年九月三日、通常の術式にしたがって行われ、同日一六時四二分に終了し、幸代は、同五〇分、ICU室に入室した。入室時の血圧は七二、脈拍数は一五六で特別な問題はなかった。しかし、一八時を過ぎたころから脈拍数が一二〇と急激に低下し、ペースメーカーを使用して脈拍数を上昇させるペーシングを行い、一九時には脈拍数の安定を得たが、一九時ころからの中心静脈圧(CVP)は一五ないし二〇cmH2Oと低く、尿量はなく、直腸温度は三八度ないし三九度で末梢温度が低く、血圧は六〇まで低下した。

ドレーンは、心嚢、胸骨下、左胸腔の三か所に装着されていたが、本件手術後のドレーンからの出血量は、手術直後の一七時から一八時までの間に、心嚢に装着されたドレーンから六cc、胸骨下のドレーンから九cc、左胸腔のドレーンからはまったく出血がなく、一八時から一九時の間で、心嚢のドレーンから五cc、胸骨下のドレーンから四cc、左胸腔のドレーンからは出血がなかった(鑑定、〈書証番号略〉、証人永瀬、被告本人)。

右のような状態に対し、血圧の上昇を得るため、ドーパミン、プロタノール、ノルアドレナリン等の昇圧剤が投与され、投与した昇圧剤の量は極量に近い量であったにもかかわらず、一九時以降、一旦はやや持ち直したものの血圧は依然として下降傾向を示した。そこで、被告及び被告病院の医師らは、一九時二〇分ころ、再開胸して心臓マッサージを施行した。その後、胸腔内を洗浄して一時閉胸したが、二〇時になって更に血圧が三〇まで下がったので、再び開胸して医師らが交代で心臓マッサージを行い、二〇時四〇分過ぎたころ再び閉胸した。(鑑定、〈書証番号略〉、永瀬、被告本人)

2  争点5(二)(ドレーンの装着の適否について)

原告らは、胸腔内に貯留した血液を体外に流出させるためのドレーンが的確に装着されなかったか、血液の凝固によりドレーンが詰まったにもかかわらず、ドレーン内部の凝固が除去されなかった旨主張する。

しかしながら、鑑定の結果、ドレーンの設置は確実に行われていたことが認められ、ドレーンからの血液の排出量は、前記1認定のとおりであること及び鑑定の結果から、ドレーンは詰まることなく機能していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  争点5(一)(縫合が不適切で胸腔内に多量の出血が貯留したか否かについて)

原告らは、本件手術の際の不正確な縫合により出血が生じ、胸腔内に多量の血液を貯留させ、心タンポナーデの状態に至らせたと主張するが、術後の経過は前記五1認定のとおりであり、本件手術の際の縫合が不正確で多量の出血があったと認めるに足りる証拠はない。

付言するに、胸腔部に多量の血液が貯留していたのであれば、再開胸した時点で、その貯留した血液が排出され、瞬時にして血圧の上昇、全身状態の好転がみられるはずであるが、前記五1認定のとおり再開胸しても急激な血圧の上昇や全身状態の好転はなく、加えて、心タンポナーデを疑わなければならない出血量としては、体重一キログラムにつき一時間ないし三ないし四cc以上の出血量(幸代については、一時間に三三ないし四五cc)を目安としているが、ドレーンからの出血量は前記五1認定のとおりで心タンポナーデを疑う出血量ではなかった。(鑑定、証人本多)

なお、一九時から二〇時までの間に心嚢のドレーンから二四cc、左胸腔のドレーンから七〇ccという量の出血が記録されているが、前記五1認定のとおり、この間に胸腔内を洗浄をしていることから、洗浄後吸引器により吸引しきれなかった生理食塩水が両ドレーンを通じて排出され、出血として計上されたと認められるから、右の事実をとらえて多量の出血があったということはできない(〈書証番号略〉、証人永瀬、同本多)。更に〈書証番号略〉には、止血術を必要とする程の出血があった旨の記載があるが、〈書証番号略〉は、医師が、社会保険庁宛に診療報酬の保険請求をするために本件手術後約一か月を過ぎたころ作成した書面であり、その作成の目的、作成方法からすると、〈書証番号略〉は採用できない(〈書証番号略〉、証人永瀬)。

4  争点5(三)(再開胸して心臓マッサージを施行したことについて)

後掲各証拠によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  ファロー四徴症の手術後の心臓は、右心室が切られてパッチをあてて広げられるために肥大し、また、心室中隔欠損部が塞がれるため、そこから右心室に流れていた血液が左心室に流れるようになるので、左心室も肥大する。このため、ファロー四徴症の術後においては、胸腔内で肥大した心臓が圧迫されて心不全に陥ることがあり、このような場合には、再開胸して心臓の圧迫を解き、心臓の動きを回復させて血圧の上昇を図る必要がある(鑑定、証人本多、同永瀬)。

幸代の再開胸前の状態は、前記五1認定のとおり極量ともいえる昇圧剤を投与したにもかかわらず、一九時になって血圧が急に低下し、一旦は回復したが、その後また下降傾向を示し、尿量、静脈圧の数値も心機能の低下を示していたのであるから、心臓の圧迫を解いて血圧の上昇を図る必要があった(鑑定、証人本多、被告本人)。

(二) そこで、再開胸して心臓に対する圧迫を解いたにもかかわらず、血圧の上昇が得られなかったため、被告は、血圧の上昇を図るために心臓マッサージを施行した(鑑定、〈書証番号略〉、証人永瀬、同本多、被告本人)。

なお、被告は、被告病院の医師らが、交代で約四時間にわたって心臓マッサージを行ったと供述するが、前記五1認定のとおり、再開胸した時刻は、一九時二〇分ころで、最終的に閉胸した時刻は、二〇時四〇分であるから、心臓マッサージをした時間は、最大限としても一時間二〇分であるから、被告本人の右供述は採用することができない。

(三) 右認定の事実によると、被告が再開胸して心臓マッサージをしたことは、幸代の状態及び経過に照らしてむしろ適切な処置であったというべきであり、被告の処置が幸代の心機能を一層悪化させたことを認めるに足りる証拠はない。

以上の次第で、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないので主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林敬子 裁判官髙橋文清 裁判官齋藤紀子)

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