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千葉家庭裁判所 昭和63年(家)441号 審判

申立人 川原俊一

未成年者 上野俊朗

主文

本件申立てを却下する。

理由

第1申立て

1  趣旨「未成年者の親権者を本籍○○県○○市○○×××番地亡上野久美子(以下久美子という)から申立人に変更する。」

2  事情

(1)  昭和61年10月14日協議離婚の際、未成年者の親権者として母久美子を指定した。

(2)  これまでの養育状況は、未成年者出生後昭和63年1月まで母久美子のもとでその後は久美子の父母のもとで養育されている。

(3)  これまでの養育費負担は、久美子と申立人の双方であつた。

(4)  親権者を変更したい理由は、親権者母が死亡したためである。

(5)  協議はしていない。

(6)  申立人は、親、兄弟姉妹などに未成年者の世話をしてもらえる。

(7)  昭和○○年(家)第○○○号後見人選任申立事件が、未成年者の伯母加藤春子からすでに申し立てられている。

第2当裁判所の判断

1  当庁昭和○○年(家イ)第○○○号、○○○号嫡出子否認、夫婦関係調整申立事件、同○○年(家イ)第○○○号養育料請求申立事件、同年(同)第○号離縁申立事件、同○○年(家)第○○○号後見人選任申立事件、及び本件の各記録並びに各調停の経過によれば、次の(1)ないし(12)の事実を認めることができる。

(1)  申立人は、昭和56年11月に上野久美子(以下久美子という)と事実上結婚し、妻の父上野祥吾(未成年者の祖父、以下祖父という)方(○○市○○)に同居して結婚生活を始め、同年12月19日に祖父とその妻カネ(祖母)の養子となる縁組の届出をし、同日久美子(祥吾、カネ夫婦の三女)との婚姻の届出をし、申立人は○○市役所に久美子は○○○○株式会社に、それぞれ通勤していた。

(2)  久美子は、最初の子を妊娠したが、申立人からいたわりも、喜びの声も聞くことができなかつたし、また申立人がしよつちゆう酒場に寄つて遅く帰宅するし、結婚後一度も楽しいことがないという不満を抱いていて、勤め先の会社の方針により女子従業員を会社のライトバンで送り迎えしてくれる運転手役の中内正人によく愚痴を聞いてもらつていた(女子従業員の中で久美子の家が最も会社から遠く、最後は2人きりになつたので、そういう話もできた)ところ、昭和57年9月半ば頃、中内が夜、家人の目をぬすんで2階に寝ている久美子の所に突然やつて来た。その時、中内は相当酔つていた。久美子は、びつくりして、父母(祥吾、カネ)に見つかつても大変と思い、うろたえた。そこへ運悪く夫の申立人が帰つて来た。中内を階下に下ろす時間もなく、仕方なくて、他にかくれる所もないので、久美子の布団の中にかくして、久美子も寝たふりをした。久美子は、夫の申立人も酔つて帰つてくるので、すぐに眠るであろうと考えていたが、夫に見つかつてしまい、大騒ぎになり、祥吾とカネも起きて来て怒り、中内の家に電話をしたので、ますます騒ぎが大きくなつた。そして、この中内の侵入事件から4日か5日後の昭和57年9月30日に久美子は流産(6か月)をした。

(3)  申立人は、実家に帰つていたが、2週間位後に久美子の両親がお願いして戻つてもらつた。久美子は、戻つて来たときは、もう申立人が水に流してくれたものと思つていたが、申立人は態度も固く、余り家人とも口をきかなかつた。

(4)  久美子は、着付の免許を持つていたので、妹に頼まれて昭和57年12月から翌58年2月までとなり村の部落の婦人会の人たちに週1回着付を教えに通い、帰宅が遅く12時頃になることもあつたが、楽しかつた。久美子は、この時すでに申立人の子である未成年者を妊娠していたのである。ところが、申立人は、着付教室が面白くなかつたらしく、夜遅く酔つて帰るのがますます頻繁になり、また、家出するつもりになつていたのか、申立人の洋服が少しずつ減つていた。そのうち申立人は車が欲しいと言い出し、高級車でないと嫌だと言い張つた。久美子の母は、100万円位だつたら出してやると言つたが、申立人から駄目だと言われ、怒つて「借金が終つてから新車を買いなさい」と説教したこともあつた(借金というのは、申立人の実家の車のローン(月額約1万5000円)があと1年半位残つていたのである)。このようなことから申立人がふてくされた日々が続き、遂に昭和58年3月に申立人は家出して、生家に帰り、久美子と別居した。

(5)  久美子は、昭和58年9月17日に申立人との間の長男である未成年者を出産した。

(6)  申立人は、昭和59年9月15日に未成年者に対する嫡出子否認、久美子に対する夫婦関係調整(婚姻解消)を求める調停を当庁に申し立てたが、同61年4月に「申立人の未成年者に対する総合的父権肯定確率は99.96%であつて、申立人は未成年者の父である」旨の鑑定が出るに及んで、同61年5月嫡出子否認の申立てを取下げ、久美子との間で未成年者の親権者を久美子と定めて同61年10月14日協議離婚した上、同61年11月17日夫婦関係調整の申立てを取下げた。

(7)  未成年者の祖父母である祥吾とカネは、昭和62年1月5日申立人に対する離縁の調停を当庁に申し立てた。「娘の久美子が申立人と昭和56年11月に婚姻したため、将来の面倒もずつとみてもらいたいので養子縁組をしたが、申立人が娘とうまく行かずに昭和58年3月に家を出、同61年10月ついに離婚し、孫の未成年者の養育も放棄し娘が養育しており、私たちとも絶縁状態にあり、これでは養子縁組の意味がないので、解除しようとして話合いを申し込んでも会つてくれようとしないので、申立てに及んだ」というのである。

これに対して申立人は、「久美子と離婚したのは久美子の不貞行為が原因であるのに久美子の人倫にもとる行動を庇護加担するなど縁組の当事者間の協同関係をかえりみない所業の数々をなして来たのは祥吾とカネである、調停に先立ち相手方の職場に上司と面談や電話連絡して相手方の名誉を毀損したり業務を妨害した」と主張し、解決金として当初1、000万円以上、のちに500万円を請求し、結局150万円の解決金支払いを受けることにして調停離縁した。

(8)  久美子は、離婚後、未成年者と同居してこれを監護養育し、昭和62年8月1日に相手方に対する養育料請求の調停を当庁に申し立て、その4回調停期日の昭和63年1月18日にようやく「相手方が申立人に未成年者の養育料として同63年1月から未成年者が成年に達する月まで毎月末日限り月額2万5000円宛を支払う」旨の調停が成立した。

(9)  母久美子は、上記調停成立の8日後の昭和63年1月26日朝通勤途上の踏切でJR特急と自分の運転中の車とが衝突し、同日午前11時4分死亡した。

(10)  未成年者は、出生以来祖父母(祥吾とカネ、以下同じ)と母久美子との生活であつた。母久美子が稼働していた日中は祖母カネが主に未成年者を世話して来た。母の事故死のシヨツクは大きかつたが、昭和63年5月頃からやつと受けとめて来た様子で、母をなつかしむ方向へ移つて来ている。未成年者の幼稚園担任教諭は、同年4月の入園時から比較すると未成年者は明るく安定してきており、未成年者をとりまく現在の環境をあたたかく好ましいものとみている。

(11)  母久美子の姉加藤春子は、昭和63年2月5日祖父母と未成年者との養子縁組を前提として当庁に後見人選任の申立てをした。祖父母及びその長女加藤春子、二女寺田美智子らの間では、未成年者を祖父母が養育監護していくこと、祖父母が未成年者を養子として上野家をついでいく跡とりにすることを考えており、経済的には問題はなく、高齢のため祖父母による養育監護が難かしくなつた場合には二女夫婦(寺田美智子38才、寺田篤43才○○○○技術課長、長男隆一中1、二男順二小4、三男文夫小1)が祖父母宅に入り、未成年者の養育監護にあたるという話し合いができている。祖父母方に、農繁期には、寺田家は、家族そろつて手伝いに来てくれるので、すでに未成年者も馴染んでいる。

(12)  申立人(父)は、婿入りした祖父母方を、未成年者出生前(昭和58年3月)に家出し、ついに戻らなかつた。出生後今日まで未成年者との直接の接触はない。申立人は、祖父母死亡後久美子の同胞がどれだけ未成年者の面倒を見てくれるか、自分の子と差別されないか心配で、将来のことを考えると今から未成年者を引取り養育したいが、もし親権者となつても、すぐに末成年者を引取るのは無理だと考えている。また引取つた場合には申立人の母せきが面倒を見てくれることになつているというが、調査官から母せきを家裁に同道することを要望したところ、それはできないとのことであつた。申立人は、祖父母死亡後に養育や金銭面での要求が出されることを心配しており、「加藤春子ら母久美子の同胞から祖父母死亡後も何があつてもちやんと未成年者を責任をもつて面倒を見、現在以上の養育費を請求したり、突然引き取れと言わないことなどの念書を取りたい」とも調査官に述べている。そして申立人には、未成年者との実際的具体的な関係づくりの動きも、態勢もない。

2  以上認定したところによると、現在ようやく安定に向かい祖父母とともに母の死亡による精神的動揺を整理しつつある未成年者にとつては現在のままの環境に置いておくのが最も良いことであつて、親密な関係が形成されている祖父母を親権者変更によつてうしなうことは未成年者にとつて大きな痛手となるであろうと考えられる。申立人には、将来未成年者から必要とされた時に、未成年者に対してその必要とするものを与えられるような父であつて欲しいというのが、未成年者の表現されない心からの願いであろうと思われる。

結局、申立人に親権者を変更するよりも、母久美子の姉である加藤春子を後見人に選任することが相当であると認められる。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 本村輝武)

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