大判例

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名古屋地方裁判所 昭和43年(わ)1126号 判決

主文

本件公訴を棄却する。

理由

本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和四三年六月一日午後八時三〇分ごろ名古屋市港区千年八の割五四七番地の四所在、株式会社森吉倉庫二四号の東北角付近路上において、甲(当三七年)に対し脅迫及び暴行を加えてその反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫したものである」というのであるが、右の事実は刑法第一八〇条第二項の適用のない同条第一項の強姦罪として起訴されたのであるから、告訴を待つて論ずべきものであるところ、本件には起訴当時適法な告訴があつたか否かについて争があるので、まずこの点につき判断する。

〈証拠〉によれば、本件強姦事件の被害者である甲が昭和四三年六月二日愛知県港警察署、司法警察員寺田与之助に対し、本件公訴事実について口頭で告訴をなし、右寺田が同日付で甲の告訴調書を作成したこと、その後捜査の結果同月一八日に至つて被告人が本件強姦事件により同警察署員に逮捕されたのであるが、その後二日位経つて、被告人の身の上を心配していたその上司であるCや被告人の所属する労働組合の委員長であるEらに被害者の氏名等が知れたので、早速右Eらは被害者である右甲および同女の夫である乙に会つて被告人の行為を陳謝し、その後も引き続き数回にわたつて甲・乙と会つて示談の話合をした結果、一応同月二五日ご右C方において、右甲・乙、C、Eおよび被告人の妻ら関係者が集まつた上、同人らの間で損害賠償として金一五万円を被告人が甲・乙に支払うことで話がまとまり、同時に前記甲がなした告訴を取下げることに甲・乙も同意したのであるが、当時被告人側には手元に一〇万円しか現金の用意がなかつたので、後日一五万円の現金を調達して甲方に持参し、その際に示談書、告訴取下書を作成することに話合が成立したこと、やがて同月二八日ごろ右E、Cの両名が甲方に現金一五万円を持参した上、右甲に対し、Eらが予めの原案として作成してきた示談書、告訴取下書を示してそれに署名押印することを求めたのであるが、偶々当時甲方には夫乙が不在であつたところから、右甲はこのような重大なことを夫不在の際に同女の一存でするわけにはいかないという理由で右現金一五万円を受取ることも、示談書等に署名押印することも拒み、Eらが作成してきた右示談書、告訴取下書の原案たる書類のみを預りおいて夫乙と共に内容を検討しておくということで受取つたこと、そこで右E、Cの両名は同年七月三日の夜甲方を訪れ、甲・乙の揃つたところで示談金一五万円を同夫妻に手渡すと共に、預けてあつた示談書等の書類に署名押印することを求めたところ、夫乙が甲の同意を得て、その面前で示談書(告訴取下の記載あり)二通の各所定欄に夫乙および甲の各氏名を署名して押印し、又告訴取下書二通の所定欄にも「告訴人乙」と各署名の上、押印したものであつて、右示談書は被告人側と甲・乙側が一通宛保管し、右告訴取下書は右CおよびEが甲・乙に代つて港警察署と名古屋地方検察庁に各提出することに右関係者一同の間で話が決まつたこと、翌四日午前一〇時ごろ右CとEがそれぞれ港警察署と名古屋地方検察庁に出頭して、Cは同警察署司法警察員A巡査部長に、Eは同検察庁三井検事に右告訴取下書一通宛(三一五はその一通)を提出し、併せて本件告訴を取下げる旨記載した告訴人甲等作成名義の前記示談書を呈示し、告訴取下の経過を説明したのであるのであるが、その後数日してCが右告訴取下書は告訴取消権限を有しない乙名義で作成されているので有効な告訴取消とはならない旨を聞き込んできたので検討した結果、当時被告人に対する被疑事実が強姦致傷となつていたところから告訴取下書を作成してみても法律上公訴提起には影響をおよぼさないと考えたこともあつて、改めて甲名義の告訴取下書を作成して出し直すようなことはしなかつたこと、の各事実を認めることができる。

前掲A証人の供述中にはCから告訴取下書を受取つたのは昭和四三年七月三日正午頃であり、同日午前中同証人が被害者甲の取調をした際には、同女は被告人の処罰を求めていたとの供述部分があり、本件記録中には右甲の処罰を望む旨のA巡査部長に対する同日付供述調書が存するのであるが、前掲各証拠によれば右CがA巡査部長に告訴取下書を提出したのは、右甲および被告人が各立会の上、警察官の実況見分が行なわれた同月四日であると認められるのであつて、A証人の告訴取下受理日についての右供述部分はたやすく信用することができない。

以上認定の事実によれば、昭和四三年七月四日司法警察員および検察官に各提出された告訴取下書なる書面には、告訴人たる甲の夫乙の署名押印のみがあり、右甲の委任状の添付はもちろん同女の代理人である旨の記載もないのであるが、右乙の署名押印は同人が右甲の同意を得た上で、その面前でをなしたというのであるから、その形式はともかく実質に着目すれば、右甲が右席上において告訴取消の代理権を夫乙に授与したものとみるのが相当であつて、同年六月二日甲が司法警察員になした本件公訴事実に対する告訴は同年七月三日これを維持する趣旨の告訴人甲の陳述があつたとしても、その後作成された甲の代理人たる夫乙作成名義の告訴取下書が本件公訴提起前の同月四日その使者である前記CおよびEにより司法警察員ならびに検察官に各提出されたことにより適法有効に取消されたものと観るべきであり、これを代理人による告訴の取消がなかつたとする検察官の所論は、法の意図するところを越えて、いたずらに形式の具備のみを偏重するものというべきであつて到底賛同することができない。(最高裁昭三五・八・一九判決集一四巻一、四〇七頁以下参照)

なお、〈証拠〉中には、「本件強姦行為に伴い被害者甲が右乳上部付近に数センチメートルの擦過傷および全治三日間を要する左大腿部擦過傷の傷害をうけた旨の記載があるが、右乳上部の擦過傷は本件犯行の約四時間後に同女を診断した医師河出昌成作成の前記診断書にも記載されていないばかりか、前掲甲の司法警察員に対する供述調書によれば、本件犯行の翌日の六月二日にはすでに右両擦過傷とも肉眼で確認できない程度に消失していたことが窺われるので、その受傷程度を必ずしもその記載どおり認定し得ないばかりでなく、かかる軽微な肉体上の損傷をもつては未だ刑法第一八一条所定の致傷と認めるには足りないものである。この点については検察官においても同調して争わないところである。

従つて本件は非親告罪である強姦致傷罪として処理する余地ない。

以上の次第であつて本件公訴提起は、告訴を欠くためその手続が違法であり無効な場合にあたるので、その余の点につき判断するまでもなく刑事訴訟法第三三八条第四号により公訴を棄却することとする。

よつて主文のとおり判決する。(堀端弘士 高橋金次郎 福富昌昭)

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