大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

名古屋地方裁判所 昭和50年(行ウ)23号 判決

原告 松川すゑ子

右訴訟代理人弁護士 水野幹男

〈ほか三一三名〉

被告 地方公務員災害補償基金名古屋支部支部長 本山政雄

右訴訟代理人弁護士 鈴木匡

同 大場民男

右訴訟復代理人弁護士 伊藤好之

主文

一、被告が原告に対し、地方公務員災害補償法に基づき昭和四八年八月八日付でなした公務外認定処分はこれを取消す。

二、訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

(当事者の求めた裁判)

一  原告

主文同旨

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

(請求原因)

第一、一、訴外松川時夫(以下単に「松川」という)は、昭和二四年四月二六日より名古屋市職員に採用され、水道局(後に下水道局に組織変更)に勤務してきたものであるが、昭和四七年一一月四日名古屋市中川区広住町四五番地名古屋市下水道局露橋下水処理場において夜間勤務に従事中、同日午後一〇時一〇分頃急性心臓死するに至った。

そこで、松川の配偶者である原告は、松川の死亡が公務に起因して発生したものであるとして被告に対し、地方公務員災害補償法四五条に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は昭和四八年八月八日付で本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨決定(以下「本件処分」という)した。

原告はこれを不服として地方公務員災害補償基金名古屋市支部審査会に対し審査請求をしたが、昭和四九年一月三〇日付で前記同様の理由で棄却されたため、更に、地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが、昭和五〇年四月一七日付で再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ同月二八日その送達をうけた。

二、しかしながら、松川の急性心臓死は、第二以下に述べるとおり公務上死亡した場合に該当するから、被告がこれを公務外災害と認定した本件処分は違法である。

第二、松川の労働条件及び労働環境

松川の急性心臓死は次のような労働条件、労働環境のなかで発生した。

一、作業内容

(一) 昭和二四年四月二六日~昭和四三年四月一五日

松川は昭和二四年四月二六日名古屋市水道局へ三五才で採用になり、昭和四三年四月一五日までは主に下水道建設工事現場の土木作業に従事していた。この間の作業内容は、採用後一〇年間は雨水或は小下水管の取付作業に従事し、主に「掘り方」として掘削作業に従事しており、その後下水道建設工事の請負化が進むなかで、請負工事現場の監督補助業務に従事してきた。

(二) 昭和四三年四月一六日~昭和四七年一一月四日(死亡)

1 松川は昭和四三年四月一六日露橋下水処理場に配転になり、昭和四七年一一月四日の死亡時まで技能手として勤務していた。

右の期間のうち、昭和四六年一月までの約三年間は、次表のようないわゆる「二四―〇―八」の三交替勤務であった。

勤務別

項目

勤務時間

実働時間

休憩時間

仮眠時間

第一日昼夜勤務

午前八時三〇分~翌朝午前八時三〇分

一八時間

二時間

四時間

第二日勤務明け

昼夜勤務が終った当日は「勤務明け」として勤務を要しない

第三日通常勤務

午前八時三〇分~午後五時一五分

八時間

四五分

昭和四六年二月以降死亡に至るまでの約一年九ヶ月間は、次表のようないわゆる「一六―〇―八―八」の四交替勤務であった。

勤務別

項目

勤務時間

実働時間

休憩時間

第一日夜勤勤務

午後四時三〇分~翌朝九時三〇分

一六時間

一時間

第二日勤務明け

夜間勤務が終った当日は「勤務明け」として勤務を要しない

第三日通常勤務

午前八時三〇分~午後五時一五分

八時間

四五分

第四日通常勤務

午前八時三〇分~午後五時一五分

八時間

四五分

松川が死亡した当時の「一六―〇―八―八」の作業内容は次のとおりである。

(1) 夜間勤務(第一日目の夜勤)

作業区分

時間

作業内容

定時的記録

監視作業

一時間毎

受電記録(電圧、電流、力率、使用電力量)

二時間毎

系統別使用電力量記録(汚泥ポンプ、送風機、汚水ポンプ)

ポンプ及び機器の運転記録(電流、圧力、軸受、温度、負荷量)

四時間毎

処理施設運転指針記録(流入下水量、返送量、空気量)

六時間毎

同右(汚泥濃度、気温、水温、透視度)

定時的ポンプ

機械運転作業

連続運転

下水ポンプ、送風機、汚泥かき寄機、汚泥ポンプ等の運転

二時間毎

沈砂池自動除塵機等の運転操作(二〇分~三〇分位)

最初沈澱池排泥バルブ開閉操作(二〇分~三〇分位)

その他作業

処理作業日報作成、汚泥調整バルブ開閉操作

雨天時

雨水ポンプ運転、笈瀬・江川・古渡の各雨水吐口ゲート操作、

駅前ポンプ所運転操作

晴雨時

除砂機運転(晴天時週二日及び雨天時)

(2) 日勤(第三日目の昼勤で「前8」ともいう)

作業区分

作業内容

施設維持管理上

直営作業可能な

保守業務

○各種器機定期点検整備

○各種器機故障修理

○散気板取替え

○沈砂・スクリーンかす運搬処分

○構内除草・清掃作業その他雑作業

(3) 昼勤(第四日目の昼勤で「後8」ともいう)

夜間勤務と同一の業務の外に付加して次の業務を行う。

曜日別

作業内容

毎日

送風機室及びポンプ室の清掃丸型沈澱池堰の清掃

コンプレッサー点検(ドレン開放)

自動除塵機メタル補油

角型沈澱池スカム除去

構内除草、清掃

月曜日

角型沈澱池汚泥かき寄せ機整備(グリスアップ)

沈砂池除砂機運転(二時間位)送風機点検整備

(オイル、冷却水)

火曜日

構内ゲート点検・整備(オイル・グリスアップ)

新汚泥輸送ポンプ室清掃

丸型沈澱池清掃

水曜日

汚水ポンプ・同補機点検(グランドパッキングランナー・ごみ等)

(二時間位)

ディーゼルエンジン点検整備(起動空気ターニングガスケット)

木曜日

曝気槽、風量計、流量計、コンプレッサー点検整備

汚泥ポンプ点検整備(グランドパッキング・ランナー・ごみ等)

金曜日

電気機器点検(シグナルランプ・トランスDCB)

新汚泥輸送ポンプ室清掃

駅前ポンプ所点検整備

土曜日

沈砂池除砂機点検(オイル・チェンバケット)

沈砂池除砂機運転(二時間位)

日曜日

終沈管廊ビルジポンプ点検整備

新汚泥返送ポンプ室清掃

2 各勤務ごとに定められた作業内容は右のとおりであるが、労働負担との関係でいえば、次のような作業上の特長点がある。

(1) 各勤務の作業は一定の事務所あるいは作業室内での作業ではなく、下水処理場内に点在している各ポンプ室、ブロワー室、沈澱池等の諸建屋を巡回し、記録、点検、整備、測定、検査等をなす作業である。

外気との大きな温度差のある各建屋内に頻繁に出入し、然も屋外で水しぶきを浴びながら汚泥を採取し、透視度を測定し、バルブ操作等をしなければならない。これは寒さのきびしい冬季における夜間勤務者にとっては、とりわけ負担の大きい作業である。

(2) 降雨時の作業は特に繁忙を極め、定められた通常の作業の他、次のような作業が加わる。

① 常時運転している二台のポンプのほか、雨水を直接堀川に排水するため、雨水ポンプを一台ないし二台新たに運転しなければならない。

② 降雨による流水量が増加し、下水管内に堆積しているごみ等が下水処理場に流入するため、自動除塵機を連続運転しなければならない。

③ 松川が勤務していた当時は、名古屋駅前ポンプ所は遠隔操作装置がなかったため、降雨の繁忙時には作業者の一名が右ポンプ所まで出向きポンプ運転に従事していた。

④ 降雨時には、流入量が下水処理場の処理能力を越えるため、笈瀬・江川・古渡の各雨水吐口ゲートから雨水を直接河川に放流するため、各ゲートの開閉作業に巡回しなければならない。当時四名が一組を編成して作業していたが、降雨時には右に述べたとおり緊急に行なわなければならない作業が加わるため、繁忙を極め、所定の仮眠時間もとれない有様であった。

(3) 汚泥の輸送、返送の各ポンプ室は地下に所在するため急傾斜の階段を昇降しなければならない。

(4) 最初沈澱池排泥バルブ開閉操作には二〇分~三〇分を要し、右作業は吹きさらしの屋外で操作しなければならない。開閉にはそれぞれ三〇回転を要する。

バルブ操作としては更に汚泥調整バルブの開閉作業がある。非常に固いバルブであるため、大きな力で回転させなければならない。そこでテコの原理を応用して回転軸に長い鉄の丸棒をとり付け、棒の端を腰にあてがって力を加え、回転軸を回転させる方法をとっていた。大きな力を加えつつ、体ごと回転させて作業するため、目がまわりその負担はきわめて大きい。

二、労働時間

(一) 下水道建設現場において土木作業に従事していた期間(昭和二四年四月二六日~昭和四三年四月一五日)は勤務時間は午前八時より午後四時四五分のいわゆる昼間勤務のみであり、夜勤あるいは変則交代勤務はなかった。

然し、建設工事という仕事の性質上、時間外労働・休日労働に従事する時間数は水道局の他の職場に比較して多い部類に属していた。

(二) 露橋下水処理場に勤務した期間のうち、当初の昭和四三年四月一六日より昭和四六年一月に至る間の約三ヵ年間は「二四―〇―八」という三日サイクルの三組三交代であった。

右の勤務形態によれば、三日間で実働時間は二六時間であるから仮に日曜日を確実に休んだとしても、労働基準法三二条に定める一週間四八時間の労働時間制限を越え、実働時間は五二時間となる。現実には日曜日は休日ではなく日曜日も又勤務ダイヤに組み込まれているため、実際の労働時間はこれをはるかに上廻る。

然も名古屋市当局は一週四八時間を越える実労働時間については、時間外勤務手当の支払をなさず、「特殊勤務手当」の名目で若干の金員の支払をなしていたにすぎない。組合は右の如き労働基準法違反の勤務体系を直ちに改め、一週四八時間を越える労働については時間外労働であるから、その手当を支払うよう昭和四三年一一月八日以来再三にわたって要求してきたにもかかわらず、名古屋市当局は長期にわたって右の如き違法な勤務体制を改めなかった。

三組交替制では一組四人であるが、予備要員がないため、容易に休暇を取得できない。欠員を生じたときは減員した人数で作業をするか、他の下水処理場より応援を求めて作業を遂行する以外にない状況にあった。

特に昼勤者の終業する午後五時一五分以降翌朝午前八時三〇分までの間は、夜勤者四人のみで下水処理場全体を運転管理しなければならず、夜勤(第一日目の二四時間勤務)については休暇をとることは不可能と言っても言いすぎではない。

従って休日・休暇を取得しようとすれば、昼勤(第三日目の昼間勤務)に取得する以外にないのである。

(三) 昭和四六年二月以降右の如き「二四―〇―八」という体制から(一六―〇―八―八」という勤務体制に変更され、四組四交代勤務となった。その結果、勤務形態の上では労働基準法三二条達反の事態は解消されたものの、長時間労働の実態はかわらず、後記のとおり恒常的な時間外勤務、休日出勤が繰り返されていた。

然も「一六―〇―八―八」の勤務体系のうち、第一日目の所定労働時間は一六時三〇分より翌朝九時三〇分までと定められ、この間拘束時間は一七時間であるにもかかわらず、所定休憩時間はわずか一時間である。

これは「使用者は労働時間が六時間を超える場合においては、少くとも四五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない」と定める労働基準法三四条(休憩)の規定に違反する。

従って第一日目の「一六」の勤務形態そもそもが違法なものである。

このように休憩時間も規定通り定めない勤務形態でありながら、長時間労働、長時間の深夜作業を命じているのである。昭和四七年四月を例にとれば、一ヵ月の総労働時間は二二七時間、一週(七日)当りの労働時間は実に五三時間に及んでいる。

然もこの労働時間の中には八回にわたる夜勤があり、深夜労働(二二時乃至五時)時間数は実に五一時間に及んでいる。

(四) 右の如く「一六―〇―八―八」の勤務体制を四組四交替で就労させることの不当性は、松川の死亡後名古屋市当局が、五組四交替に変更したことからも明らかである。

すなわち、昭和四八年一一月より名古屋市当局は四組四交替より五組四交替に変更したが、一組四名増員したことにより、休暇取得の際の交替要員が大幅に増加することとなった。これにより休日・休暇も取得し易い状況が作り出されることとなった。

三、時間外労働及び休日出勤

(一) 「二四―〇―八」体制のもとにおける労働基準法三二条違反の事実については先に指摘したとおりであるが、このような違法な体制のもとにおいて、なお多くの時間外労働がなされている。

例えば昭和四五年一二月には松川の所定外労働時間数は三二時間に及んでいる。

先にも述べたとおり当時の名古屋市当局は週四八時間を超えて労働した場合においても所定の勤務時間内である限り、時間外労働の取扱いをせず、時間外手当をも支給しなかった。

更に昭和四六年一月における松川の勤務状況をみると、実労働時間は一ヵ月二二九・七五時間であるにもかかわらず、所定外労働時間数は三二時間とされている。通常の日勤者(土曜日半日、所定労働時間週四四時間の者)と比較すれば、実に一四八時間のオーバーワークとなっている。

昭和四六年一月は祝日二日、日曜日五日、休庁日一日の八日間の休日うち規定どおり休暇を取得できているのは、わずかに祝日一日、日曜日二日にすぎない。然も深夜勤務は一〇回、定められたとおり四時間の仮眠を深夜時間帯に取得したとしても深夜労働時間は実に三〇時間に及んでいる。

(二) 「一六―〇―八―八」体制のもとにおいても、時間外労働時間数は決して減少していない。

昭和四七年四月を例にとれば、一ヵ月の実働時間数は二二七時間、一週平均労働時間は五三時間に達している。時間外労働時間数は三一時間、五日間の日曜のうち、暦日どおり休んでいるのは二日間にすぎない。

(三) 昭和四五年一二月以降昭和四七年一〇月に至る間の所定時間外勤務時間数(休日勤務、休庁日勤務時間数を含む)は次のとおりである。

年月日

時間外勤務

時間数

年月日

時間外勤務

時間数

45.12

32

46.12

31

46. 1

32

47. 1

50

46. 2

31

47. 2

32

46. 3

31

47. 3

25

46. 4

31

47. 4

39

46. 5

39

47. 5

24

46. 6

25

47. 6

18

46. 7

26

47. 7

18

46. 8

24

47. 8

16

46. 9

34

47. 9

24

46.10

26

47.10

26

46.11

17

右の一覧表から明らかなとおり、松川は長時間の拘束時間、長時間の所定労働時間を強いられ、更に右のごとき、長時間の時間外労働を事実上強制されてきたのである。然も右の所定内労働時間、時間外労働時間には多いときで一ヵ月一〇回・通常七回乃至八回にわたる深夜勤務が含まれている。

四、深夜労働

松川の勤務による負担を特に重くしたのは交替制勤務とこれにともなう長時間、深夜勤務である。

昭和四五年一二月、昭和四六年一月及び昭和四七年四月以降における総労働時間数(A)、深夜労働時間数(B)及びその百分比は次のとおりである。

年月日

総労働時間

(A)

深夜労働時間

(B)

B/A

(%)

45.12

208

30

14.4

46. 1

229.75

30

13.1

47. 4

227

51

22.5

47. 5

196

54

27.6

47. 6

194.25

49

25.2

47. 7

191.25

44

23.0

47. 8

200

54

27.0

47. 9

208

56

26.9

47.10

196

51

26.0

深夜勤務回数は「二四―〇―八」体制のもとでは一ヵ月一〇回、「一六―〇―八―八」体制のもとでも一ヵ月七回乃至八回に及んでいる。

然も、夜勤勤務の拘束時間は、前者では一勤務が二四時間、後者では一七時間といずれも異常な長時間勤務となっている。これは後に述べるとおり、夜勤勤務の有害性を更に加重するものとなっている。

五、休日及び休息時間

(一) 下水処理場は仕事の性格上、作業の一時の停滞も許されないとしても、それが故に労働者に過酷な労働を課すことが免罪されることはありえない。

松川が本来所定の勤務を要しないにもかかわらず出勤した日曜日(と表示)、祝祭日(と表示)、休庁日(と表示)の日数と、同人が代休を取得した日数を一覧表にすれば次のとおりである。

年月日

年月日

45.12

1

1

1

2

47. 1

3

3

1

0

46. 1

3

1

1

0

47. 2

3

0

0

0

46. 2

3

1

0

1

47. 3

3

1

0

0

46. 3

3

0

0

0

47. 4

3

1

0

0

46. 4

3

0

0

0

47. 5

2

1

0

3

46. 5

3

1

0

1

47. 6

2

0

0

1

46. 6

3

0

0

1

47. 7

2

0

0

1

46. 7

3

0

0

0

47. 8

2

0

0

2

46. 8

4

0

0

0

47. 9

2

2

0

1

46. 9

3

0

0

1

47.10

3

1

0

1

46.10

4

0

0

0

46.11

3

0

0

1

46.12

3

2

1

0

右の表から明らかなとおり、松川は多数の日曜出勤、祝祭日の出勤、休庁日の出勤をおこなっていながら代休日も取得せず勤務していたことがうかがわれる。

被告からは、松川が代休を取得していないとしても、年次有給休暇を取得しているとの反論が予測されるが、日曜日等の週休日と年次有給休暇とは本来制度的趣旨が異なる。所定の週休日等に労働者を休息させ疲労を回復させる他に、労働者に年次有給休暇の権利を自由に行使させることにより蓄積した疲労を回復させ、労働者の人間性を回復させようとするのが年次有給休暇の趣旨である。

然しながら、現実には労働者が有給休暇を取得することを前提とした人員配置がなされず、然も低賃金体系のもとでは労働者は代休の代替として年次有給休暇を取らざるを得ないのが実情である。これは労働者の責めに帰せられるべき事由ではない。

代替要員を十分に配置しない名古屋市当局の責めに帰せられるべき事由である。

(二) 夜勤の明け日は決して休日ではない。

「二四―〇―八」体制では、朝八時三〇分に、「一六―〇―八―八」体制では朝九時三〇分にそれぞれ夜勤の所定労働時間は終了するが、当日は勤務を要しないとしても決して休日ではない。

夜勤明けの当日においては、前者の場合は〇時より八時三〇分まで、途中仮りに仮眠時間二時間・休憩三〇分を除外しても深夜勤務を含む六時間労働を、後者においては休憩時間三〇分を除外するとしても深夜労働を含む九時間労働を終えているのである。三〇分の休憩で九時間労働、これでは明らかに労働基準法三四条に違反している。この事実一つをとっても夜勤の明け日が休日でないことは歴然としている。

六、環境騒音

(一) 露橋下水処理場には汚水処理のため多数のポンプあるいはブロアー(送風機)が設置されているが、これらの機械の運転に伴い高い騒音が発生する。

とりわけ多数のブロアー、ポンプの集中している機械室においては高い騒音を記録している。ところが昭和四六年七月までこの最も騒音の高い機械室の南西角に事務所兼休憩室が設置されこの西側に隣接して更に仮眠室が設置されていた。

右仮眠室と機械室とは鉄製のドアーで遮断されていたとはいえ、ドアーを閉めても室内騒音は六五乃至六六ホーンという高い騒音を記録している。

然も事務所兼控室の出入りに伴い、機械室の高い騒音が仮眠室に侵入し、睡眠を一層妨害されることとなる。

(二) 一九七三年一二月七日の露橋下水処理場における騒音は次のとおりである。

騒音測定結果

測定機器 IMV簡易騒音計

測定場所

ホーン

機械室入口

75

4号ブロアー2m離れ

90

4号ブロアー1m離れ

92

No.3号機1.2m離れ

88~90

仮眠室(旧)扉をしめて

65~66

汚泥輸送室1.2m離れ

84~89

旧返送ポンプ室

72~80

真空ポンプ1.2m離れ

100~108

新返送ポンプ室

74~76

仮眠室で仮眠ができないばかりでない。右の測定結果より明らかなとおり事務所兼休憩室も又、八〇ホーン以上の騒音に悩まされ、松川らは右事務所で執務し、休憩時間を過ごさざるを得ない状況にあった。

七、仮眠施設

現行労働安全衛生規則第六一六条は、使用者に適当な睡眠又は仮眠の場所を設置するよう義務づけているが、前記の如く騒音の高い機械室に隣接し、トビラを閉めても常時六五乃至六六ホーンの騒音にさらされる仮眠室が仮眠に「適当な場所」でないことは明白である。然も右仮眠室は騒音が高いばかりでなく、風通しが悪くて夏は蒸し暑く蚊が多く、然も悪臭に悩まされる。仮眠室としては最悪の場所であると言っても言いすぎではない。

八、寒冷

先にも述べたとおり露橋下水処理場における作業は処理場内の建屋を巡回し、外気との温度差の大きい室内に頻繁に出入りすることとなる。又、七ヵ所での汚泥採水、沈澱池等における採水による透視度測定においては、霧状の水しぶきが体にかかるという状況のもとで作業に従事しなければならない。最初沈澱池排泥バルブ操作は二時間毎に二〇~三〇分を要し、しかも吹きざらしの屋外における作業であり、寒期においてマイナス五度Cにも達する厳しい寒冷に曝露される。また、メーター検針等も二時間々隔で正確になされなければならない。

作業者は偶数時にバルブ操作を、奇数時にメーター検針等を行うよう励行しており、従って一時間間隔で巡視に出かけざるを得ず、然も右作業の合間をぬって右に述べた汚泥濃度測定、透視度測定、気温、水温の測定を行い、更には沈砂池、自動除塵機等の運転操作を行なわなければならない。

第三、松川の労働負担

松川の労働条件・労働環境は次のとおり同人の急性心臓死を招来する原因を形成していった。

一、深夜勤を含む交替制勤務

(一) 一般的に深夜労働を含む交替制勤務は疲労蓄積をもたらし反生理的とされる。即ち人間には、いわゆる「生体潮汐現象と呼ばれる生体固有の日周期リズムが存在する。そのため、夜間人間の生活機能が休息に向っているのにこれにさからって労働すると、その疲労は通常の場合よりも大きいものであるにもかかわらず、その疲労回復をなすべき昼間の睡眠効果は極めて悪い。その結果交替勤務では夜勤の疲労を回復しないまま、その疲れを残して出勤し、疲れを更に積み重ねる。さらに交替勤務者の生活は不規則になり、胃腸障害を来たし、疲労回復の基礎である栄養摂取に重大な障害をもたらす。

夜勤は右のとおり健康に有害な業務であるから労働安全衛生規則においても、特別の健康診断を義務づけている(四五条、一三条一項二号)。

(二) 松川の従事していた三組三交代による「二四―〇―八」四組四交替による「一六―〇―八―八」という交替勤務は、右に述べた夜勤の有害性のほか、次の理由により疲労の蓄積のはげしい勤務体系であった。

1 夜勤時の長時間拘束・長時間労働

「二四―〇―八」の勤務体系では夜勤を含む二四時間という長時間拘束勤務があり、「一六―〇―八―八」の勤務体系においても一七時間という長時間拘束勤務が続いている。この長時間労働が大きな疲労の蓄積をもたらすことは後に述べる通りであるが、夜勤を含む交替制による労働については通常の勤務に比し、労働負担が大きいことから通常の場合よりも厳しい労働時間規制をなしているのが、諸外国の実情である。我が国では、そのような法規制はないばかりか、現実の労働の現場においても夜勤を含む交替勤務者について、労働時間軽減の配慮がほとんどなされていない。

松川が勤務していた下水処理場については、この点についての配慮が全くないばかりか、通常の常日勤者よりも長時間拘束・長時間労働に従事させられていたのである。

2 仮眠

「二四―〇―八」体制の時点では「二四」勤務について四時間の仮眠が保障されていたが、「一六―〇―八―八」体制のもとにおける「一六」勤務においては仮眠時間は制度的には保障されておらず、休憩時間が一時間保障されているのみである。然も前記の如く仮眠室の騒音が高く極めて不十分な仮眠とならざるを得なかった。これは仮眠による疲労回復を妨げるものである。

3 夜勤明け後の休養間隔時間の不足

「二四―〇―八」体制では「二四」勤務終了後、次の勤務である「八」勤務の始業までは二四時間の間隔がある。しかし右夜勤を含む長時間労働後の休養間隔時間としては二四時間では不十分である。夜勤明けの昼間睡眠は不十分で短かくなり、更に翌日の「八」勤務に備えて夜間眠らなければならない。現実に二日分の睡眠を夜勤明けの昼眠と当日の夜間睡眠でカバーすることは不可能であるからである。

更に「一六―〇―八―八」体制では「一六」勤務終了後「八」勤務開始までは二三時間に過ぎない。「一六」勤務は「二四」勤務に比し、拘束時間、実働時間は短縮されているとはいえ、長時間拘束、長時間労働に変りはなく、実働一六時間の勤務終了後二三時間の休養間隔時間ではこれ又充分でない。長時間夜勤労働の疲労を充分回復するには、夜勤明けの翌日は休日とすべきである。

4 高令での夜勤就労

松川が土木作業現場より配転を受けて、露橋下水処理場勤務についたのは、五四才という高令になってからであり、然も同人は当時高血圧要観察者であった。

松川にとって二〇年近く勤務した土木工事現場から、慣れない下水処理場という全く異職種の職場への配転は、それだけでも大きな負担であったことが容易に推認される。ところが露橋下水処理場では、配転と同時に「二四―〇―八」という交替勤務に組み込まれることとなった。労働基準法は深夜業に対して一八才未満の者の就業を禁止しているが、高年令者についての制限規定はない。しかし夜勤による疲労回復が年令とともに遅れがちとなることは、中高年令者が休養優先の生活方式をとっていることからも充分考えられることである。

以上の諸事実からすれば、五四才という高令で疲労回復能力が衰えているにもかかわらず、右のような過重な深夜勤を含む交替制勤務を長期間続けたことが松川の身体に疲労を蓄積させ、その健康状態を悪化させたということができる。

二、長時間労働

(一) 前記のように潮汐現象とよばれる生体固有のリズムは昼夜の天然現象と密接な関係があり、血清蛋白濃度は睡眠中に最も低く、起床後急速に上昇し、その後日中の八時間~一〇時間位の間、特別の肉体労働をしなくても高値を持続して経過するが、夜間の横臥と睡眠で低値へとつながるカーブを描くことが認められる。右の事実からすれば、細胞の活動水準の上昇を自然に持続し得ている時間は一日中でおよそ八時間で、長くても一〇時間を超え得ないものであることが解る。従って生体の固有リズムを基礎にすれば、人間の労働の生理学的限界は昼間の八時間~一〇時間である。

又、就業時間が七時間を超えて長くなるに従ってフィッカー値の低下率が加速度的に大きくなること、労働時間の長い事業場ほどヘモグロビン濃度が低下することなどから長時間労働が著しい疲労をもたらすことが明らかである。更に長時間労働は過労による身体抵抗力の低下をもたらし、疾病にかかり易くし、又かかった場合回復を遅らせる。

(二) 右に述べたとおり一日八時間を超す労働は生理学的にも好ましくなく、加速度的に疲労を増加させ、病気にかかり易い状態を作り出す。ところが松川の勤務していた「二四―〇―八」体制、「一六―〇―八―八」体制は「二四」勤務、「一六」勤務にみられる如く、途方もない長時間勤務を組み入れ、然も一週の労働時間は四八時間をはるかに超えていた。然も松川は残業にまで従事していたのである。

深夜勤を含む長時間労働が松川の疲労を促進し、病状を悪化させたことは明白である。

三、休日

(一) 休日の疲労回復の効果は、客観的に種々の面でみることができ、フリッカー値、赤血球数、血色素、全血比重、体重などの測定結果の資料から確かめられている。

然も週休日は休日による疲労回復効果の他に、毎日の労働継続に対して生理的・心理的な定形の節度をつけるという重要な意義があるとされている。

(二) 松川の勤務していた「二四―〇―八」体制では、休日は「八」勤務にとる以外になく、日曜日が「八」に当らない限りは、休もうとすれば代休をとる以外にはない。「一六―〇―八―八」体制では「八―八」勤務のうちの前者の昼勤(これを前八と呼んでいた)が日曜日と合致した場合のみ休日となり、そうでなければ、代休をとることとなる。然しこのような週休日の定まらない勤務体制は休日が極めて不規則となり、疲労の回復が不充分となる。

四、騒音

(一) 騒音の人体に対する影響としては、うるさいという感覚への影響以外に不快感、睡眠の妨害、作業能率の低下、会話妨害、生理機能への影響、聴力への影響が挙げられている。

(二) 本件については、仮眠室での仮眠の妨害、事務室兼休憩室での騒音、自律神経への影響が特に重要である。

医学的にも自律神経―内分泌系への影響は循環器疾患を有する患者により多く出現するという結果が出され、高血圧患者では音響暴露による有意な最高ならびに最低血圧の上昇が認められると報告されている。

五、支部審査会の裁決(以下単に支部裁決という)に対する批判

(一) 支部裁決は「勤務形態が夜勤をともなう勤務形態であったこと」を認めながら、その影響については「職場の環境や勤務の内容などが被災職員に或程度の身体的影響をもたらしたであろうことは年令的なものによる疲労の蓄積とともに推察されるところである。」と述べているが、松川の勤務内容、職場環境は決して「或程度の身体的影響」にとどまるものではない。又、疲労の蓄積は「年令的なものによる」ものでもない。

支部裁決の認定は深夜勤を含む交替勤務の有害性、然も長時間労働による過酷な労働負担に全く目を塞いでいる。

(二) 更に深夜勤を含む交替勤務について「或程度、勤務が繰り返されることにより、その身体的状況が傾向として順応を示すことが認められる」と認定しているが、これは全くの俗論であって、生理学的には全然根拠がない。

昼間の覚醒・活動と夜間の睡眠・休息という人間の二四時間周期の生体リズムは、夜勤、昼眠という昼夜転倒生活でも逆転させえないほど根強いものである。この根強い生体のリズムに逆って、夜勤を繰り返したとしても身体が順応するどころか、逆に生体のバランスを失わせ、その機能を低下させ身体的疲労を蓄積させるという結果をもたらすに過ぎない。

(三) 然も支部裁決は「交替勤務その他も、同様の職種にある者にとっては一般的な条件であり、被災職員に特に異質若しくは過重なものがあったとは認められない」としているが、「過重」あるいは「異質」の判断の基準こそが問題なのである。

支部裁決の如く、松川と「同種の職場にあった者」の勤務を基準に松川の勤務が過重であったか否かを論ずることは二重の誤りを犯すものである。

まず、支部裁決が基準とした松川と同様の職種にあった者の従事していた労働条件・労働内容・労働環境こそが通常の常日勤労働者と比較して過重であったか否かが検討されなければならない。然も過重であったか否かは労働衛生学・生理学などの学問的成果に照らして検討され、更に労働基準法労働安全衛生法など労働者の労働条件を定めた諸法令にも照らして充分検討されなければならない。

支部裁決はこのような検討を全く怠っていた。

次に支部裁決の右の論理は、人間の個体差を無視した議論である。勤務が過重か否かの議論は本来当該個人にとって過重か否かを論ずるべきである。人間は生物の中でも、とりわけ個体差が大きい生物といわれている。過重か否かの判断には松川の個人的な健康状態こそが先ずもって考慮されなければならない。

松川は高血圧症、狭心症に悩まされながら、交替制勤務に従事していたが、このような健康状況のもとでは、仮りに同僚と同じ労働量の仕事に従事していたとしても身体に加わる負担は同僚と決して同一ではない。むしろ松川には同僚より加重された負担が加わっていたというべきである。

ところが、原処分はこの作業による労働負担と松川の高血圧症、狭心症を全く切り離して労働負担を考えるという重大な誤りを犯しているのである。

(四) 支部裁決は松川の健康状態を悪化させた諸要因そのものの分析を怠っているばかりでなく、その諸要因を個別的にバラバラに切り離して理解し、総合的・全面的考察を怠っている。

一例を挙げれば支部裁決は死亡前三ヵ月に限って勤務条件を分析しているが、勤務条件の分析を死亡前三ヵ月に限るべき根拠は全くない。然も勤務条件と当時の松川の身体状況を切り離して理解するという誤りを犯している。

《以下事実省略》

理由

一、松川は名古屋市下水道局露橋下水処理場に技能手として勤務していたこと、同人は、昭和四七年一一月四日夜間勤務に従事中、同日午後一〇時一〇分頃、急性心臓死するに至ったこと、松川の配偶者である原告が、地方公務員災害補償法四五条に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は昭和四八年八月八日付で松川の死亡が公務に起因したものとは認められない旨の本件処分をなしたこと、及び審査請求、再審査請求がいずれも棄却されたことは、当事者間に争いがない。

地方公務員災害補償法三一条によれば、職員が公務上死亡した場合において、遺族補償を給付する旨規定しているが、右規定の趣旨は国家公務員災害補償法一五条、一八条、労働基準法七九条、八〇条、労働者災害補償保険法一条と同旨であり、右地方公務員災害補償法三一条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果関係のある場合でなければならないと解すべきである(最高五一・一一・一二判決参照)

しかし、死亡が公務遂行を唯一の原因とする必要はなく、既存の疾病(以下「基礎疾病」ともいう)が原因となって死亡した場合であっても、公務の遂行が基礎疾病を誘発または増悪させて、死亡の時期を早める等、それが基礎疾病と共働原因となって死亡の結果を招いたと認められる場合には、労働者がかかる結果の発生を予知しながら敢えて業務に従事する等災害補償の趣旨に反する特段の事情がない限り、右死亡は公務上の死亡であると解するのが相当である。

松川が昭和三九年頃より高血圧症、冠状動脈硬化症の基礎疾病を有していたことは当事者間に争いがない。そこで以下において同人の死亡が基礎疾病の自然増悪にのみよるものであったのか、或いは公務の遂行が基礎疾病に作用し、その疾病を増悪させたといい得るのか否かを検討する。

二、松川の勤務状況

(一)  松川の労働条件

1  松川が昭和二四年四月二六日名古屋市水道局へ三五才で採用され、下水道建設工事現場の土木作業に従事していたこと、この間約一〇年間は雨水或は小下水管の取付作業中主に「掘り方」作業に従事し、その後一〇年間は下水道建設工事の請負工事現場の監督補助業務に従事してきたこと昭和四三年四月一六日露橋下水処理場に配転され、昭和四六年一月三一日まで約三年間は「二四―〇―八」勤務とよばれる三交替勤務に、同年二月一日以降死亡に至るまで約一年九ヶ月間は「一六―〇―八―八」勤務とよばれる四交替勤務に従事してきたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、「二四―〇―八」「一六―〇―八―八」の勤務時間は原告主張のとおりであること、前者は三班(一班は四人)、後者は四班で交替するものであることが認められる。

また「一六―〇―八―八」勤務の作業内容が、請求原因第二、一、(二)ノ(1)の図表中「駅前ポンプ所運転操作」とあるを除き原告主張のとおりであることは当事者間に争いがなぐ、《証拠省略》によれば、右争いのある点は「駅前ポンプ所(無人)運転操作」であることが認められる。

2  露橋下水処理場の下水処理概要

《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(1) 露橋下水処理場には雨水と汚水とが一緒になって(合流式)まず沈砂池に流入する。沈砂池には自動除塵機と除砂機とがあり、自動除塵機は下水中に含まれているボロ、金物、台所ゴミ、木片、石塊などを電動機を用いて機械的にかきあげる。普通は三時間に一回五分位運転すればよいが、降雨時には連続運転となる。右のゴミ等を除いた土砂は沈砂池に重力沈澱させ、これを除砂機が除去する。普通は週三回、各一時間程度運転し、下水工事があったときなどは連続運転して、除去する。このように分離されたゴミ類、土砂は、ベルトコンベア及びバケットエレベーターによってホッパーへ送られ、ここからトラックで処分地まで運搬する。

作業員は、右機械の運転操作のほか、自動除塵機のかき上げ部品の損傷、チェーンの摩耗による切断等を監視する。

(2) ゴミ類、土砂を除去した後の下水は下水ポンプ室に設置してある汚水ポンプで汲みあげて、約四対六の割合でエアレーションタンクと最初沈澱池へ送られる。

作業員は右ポンプの運転操作をするほか二時間おきに電流、電圧値、吸込、吐出圧力等を記録する。

(3) 最初沈澱池では汚水ポンプで送られてきた下水を約一・五時間程度漂流させて、下水中に含まれている微細な浮遊物を沈澱させる。ここには一時間三回転程度の速度で動いている汚泥かき寄せ機があり、すり鉢状の池底面に沈澱した汚泥を中心部へ集めている。沈澱汚泥は最初沈澱池排泥バルブを約二時間間隔で開閉して汚泥貯留槽へ引き抜く。

(4) 最初沈澱池から汚泥貯留槽に引抜いた汚泥は余剰汚泥(後記)とともに右貯留槽に一時貯留し、ここで含水率を少なくした後、汚泥輸送ポンプ室のポンプ圧送によって地下パイプラインを通して、熱田下水処理場経由で山崎汚泥処理場へ輸送する。この地下パイプラインは市内数箇所の下水処理場が利用するため各下水処理場毎に輸送時刻の指定があり、露橋下水処理場の場合は午前九時乃至午後三時、午前零時乃至午前六時の計一二時間である。露橋下水処理場の汚泥輸送施設は新旧二ヶ所がある。

作業員は汚泥輸送ポンプの起動及び停止時と二時間毎の記録をとる。また、汚泥の輸送を円滑にするため、汚泥除塵機で繊維質の夾雑物をかきあげ、ベルトコンベアで桝へ貯留し、毎月一回トラックへ人力で積込み除去する。

(5) 最初沈澱池の処理を終えた下水はエアレーションタンクへ送られる。都市の下水処理は、活性汚泥法を採用しており、活気性のバクテリアや原生動物のような微生物を含んだ活性汚泥と下水とをエアレーションタンク内で混合させ、送風機から送り込まれた空気に接触させ混和する。

この送風機が故障等で運転不能になれば下水の浄化処理が不能となるが、高速回転であるため軸受が焼付く危険があり、機側操作当時は特別の注意が要求されていたこのほか送風機については、電動機の電流、軸受温度二箇所、送風機本体の風圧、油圧、軸受温度二箇所を計測し、送風機の切替運転時には新しい二四〇KWの送風機以外は手動式のポンプのため一〇分以上軸受部への給油を続けなければならない。

(6) エアレーションタンク内で混合された下水と活性汚泥の混合液は、最終沈澱池へ送られ、活性汚泥(微生物)が空気の力をかりて下水中にとけている有機物を栄養分として吸収し繁殖し、かくて最初沈澱池では沈澱しきれなかった細かい夾雑物が沈澱し易い塊りとなって沈澱してゆき、きれいな水だけ堰から流出し殺菌室を経て中川運河へ放流される。

(7) なお活性汚泥は生きものであり、工場廃液など重金属類や強酸アルカリに弱いため、六時間おき(午前六時、一二時、午後六時、午前零時)に七箇所で採水し透視度を測定する。なお流入水、最初沈澱池通過水、最終沈澱池を経て河川へ放流されていく下水についても汚泥採水と同時刻に六時間毎に測定する。採水測定して一巡するには約一〇分を要する。

(8) 前記の如く最終沈澱池において浄化された水は河川に放流されるが、他方沈澱した汚水は、返送ポンプでたえず引抜き、下水一に対し、〇・二五乃至〇・三の割合でエアレーションタンクへ活性汚泥として送り込み、前記5でのべたとおり最初沈澱池から送られる下水と混合するが、このように再利用した汚泥の残り(余剰汚泥という)は、汚泥調整バルブを開いて汚泥貯留槽へ送り込む。この汚泥は前記4で述べたとおりポンプ圧送により汚泥処理場に輸送される。

返送ポンプは従前より設置されている旧返送汚泥ポンプ室と増設された返送汚泥ポンプ室とにあり、いずれも二時間毎に電流値、吸込、吐出圧力を調べ、ポンプの音をききわけるなどして揚水状態を点検する。

3  労働負担

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 作業内容

下水処理事業は公共性の高い事業で二四時間一刻の停滞も許されないので、昼夜連続の交替勤務が要求される。その作業は、日勤については各種器機の点検整備、故障修理、清掃等で労働負担上格別問題となるものはなく、重要なのは夜間勤務であり、昼勤の作業内容も器機の整備、点検等のほか夜間勤務と同一である。そこで夜間勤務における作業内容についてみる。

まず夜間勤務においては、定時的記録監視作業を偶数時間に、定時的ポンプ機械運転作業を奇数時間に、下水処理場に点在する各ポンプ室、プロアー(送風機)室、沈澱池等を巡回して行う。

偶数時間には、監視室―中川運河の水位、電力積算計、変電室―六〇〇〇ボルトの電圧等、下水ポンプ室―下水ポンプ、ブロア室―各ブロアのメタル温度、電流計等、汚泥輸送ポンプ室―汚泥輸送ポンプ等、旧返送汚泥ポンプ室―返送汚泥ポンプと輸送ポンプ、返送汚泥ポンプ室―返送汚泥ポンプの各記録とりの順に巡回するほか、最終沈澱池とエアレーションタンクの境目にある六箇のバルブにごみが詰っていないかを監視し、また六時間毎に汚泥濃度、水温、透視度等を吹きさらしの屋外でエアレーションタンクの水しぶきを浴びながら測定するが冬季は寒冷に身体を暴露する。右の記録とりは単に記録をとるだけでなく、むしろ重要なのは下水の流入状況に応じての処理をするため、下水の状態を監視し、或は機械の異常の有無を監視することである。右記録点検に処理場を一巡する距離は約七〇〇メートル、二〇分~三〇分位を要し、汚泥輸送ポンプ室には二六段、上下差五・六メートル、据付角度約四四度五〇分の昇降階段、返送ポンプ室には一六段、上下差三・三メートル、据付角度四三度一〇分の昇降階段があり、また、右ポンプ室は騒音がひどく、ポンプから一・二メートルで八六ホーンもある。時々ポンプを分解しつまっている汚物を除去する。

奇数時間には、最初沈澱池の沈澱汚泥引き抜き作業を行う。これは排泥バルブを正確に三〇回開き、沈澱汚泥を抜き取り、抜き終ればバルブを閉じる。汚泥の状況次第で数分ないし数十分を要するが、開閉を怠れば沈澱汚泥の濃度が高まり、口経三〇〇ミリの排泥管を閉塞し、最初沈澱池の機能が麻痺する。右バルブは屋外にあるため冬季は寒冷が身にしみ、また中腰姿勢で操作しなければならないので身体に無理がかかる。次に奇・偶数時間を問わずに行う作業として汚泥輸送ポンプ室横の倉庫に設けてある汚泥調整バルブの開閉作業をする。これはその時の汚泥の濃度により調整するもので、三〇分毎のことも一時間毎のこともあり、一回について四回程度開閉する。開閉には可成りの力を必要とする。

降雨時には、通常の作業の他に、常時運転している二台のポンプに加えて雨水ポンプを一~二台増加し、雷を伴うときは停電に備えてディーゼルポンプを整備し、或は多量のごみ類が下水処理場に流入するため、常時一人が監視について、自動除塵機や除砂機を連続運転し、かつ右機械に故障を与えるような流入物を除去する。また露橋下水処理場に流入してくる笈瀬川・江川・古渡の三本の下水幹線については下水処理場へ雨水を流入させずに制水扉を開けて直接中川運河へ放流する構造となっており、これには運転手一人作業員一人があたる。

この作業は約一時間を要し、とくに古渡幹線のゲート開閉は約三〇〇回転を要する重労働である。

更に大雨や停電が予想される場合には、名古屋駅前排水ポンプ所に一名を派遣し、手動によるディーゼル・エンジンのポンプを運転する。以上のとおり降雨時の作業は繁忙を極める。

(2) 長時間労働

昭和四六年一月末までとられた「二四―〇―八」の労働時間は三日間で実働時間は二六時間であるから、仮に日曜日を確実に休んだとしても実働時間は一週五二時間となり、労基法三二条所定の一週四八時間の労働制限をこえていた。昭和四六年二月一日以降は「一六―〇―八―八」勤務となり、同法違反の状態は解消された。右改善は労働組合からも繰り返し要求していたことであった。

「二四―〇―八」の夜勤は午前八時三〇分から翌朝午前八時三〇分まで、実働一八時間、休憩二時間、仮眠四時間であり、「一六―〇―八―八」の夜勤は、午後四時三〇分から翌朝九時三〇分まで実働一六時間、休憩一時間、(但し慣行として認められている仮眠四時間をのぞくと実働は一二時間である)で、昼間より夜間に継続しての長時間労働であるが、松川の昭和四五年一二月以降死亡時までの毎月の総労働時間は別表(一)のとおりであり、「二四―〇―八」体制下の昭和四五年一二月を例にとると、一ヶ月の実労働時間二七〇・二五時間で、これを通常の日勤者(土曜半日の週四四時間労働者)の一八一・二五時間と比較すれば、八九時間も多い。また「一六―〇―八―八」体制下の昭和四七年四月を例にとれば、一ヶ月の実働時間数は二二七時間で、これを前同様の通常の日勤者と比べれば、五五時間多い。

また深夜勤務の回数は、一ヶ月当り「二四―〇―八」では一〇回、「一六―〇―八―八」では七~八回であり、総労働時間数と深夜労働時間数、及びその百分比は、昭和四五年一二月、昭和四六年一月、昭和四七年四月以降一〇月までをみるに、原告主張のとおりである。

(3) 休日出勤及び時間外労働

松川の昭和四五年一二月以降死亡時までの勤務状況は別表(二)のとおりであり、「二四―〇―八」体制下の昭和四六年一月を例にとれば、祝日二日、日曜日五日、休庁日一日の八日間の休日のうち、休暇を取得できたのは、祝日一日、日曜日二日であり、「一六―〇―八―八」体制下の昭和四七年四月を例にとれば、五回の日曜日のうち休暇を取得できたのは二日である。

また松川の昭和四五年一二月以降昭和四七年一〇月に至る間の所定時間外勤務時間数は原告主張のとおりであるが、右時間外勤務時間数には、正規の交替勤務ダイヤに組み入れられた時間であるが、当日が日曜日(夜間勤務又は昼勤が振りあてられた場合に限る)、又は祝祭日にあたるため時間外労働として扱われているものが殆んどである。

(4) 休日

松川が出勤した日曜日(と表示)、祝祭日(と表示)、休庁日(と表示)、取得した代休(と表示)、一日の年次有給休暇(と表示)、半日の年次有給休暇(と表示)は別表(三)の休日一覧表のとおりである。

右の表によれば、松川は多数回の日曜、祝祭日、休庁日出勤を行っているが、これに見合う代休日をとっておらず、年次休暇を含めてもなお休日出勤を埋めるに至っていない。

元来週休日は労働者を休息させ疲労を回復させるためにあるが、松川が代休をとっていない理由は(イ)代休を取得すれば、休日出勤手当がすべて帳消しになる制度であるため、低賃金下にある労働者として代休にかえて有給休暇を取得しようとするものであること、(ロ)代休取得の日は「ポンプ運転等の業務に従事する職員の勤務時間の特例に関する規程」九条により「前八」に指定されており、「一六」勤務や「後八」で代休をとることは原則として許されず、同僚間においてもそのように申し合わせるなど制限されていたこと、(ハ)露橋下水処理場には代番要員(予備要員)がおらず、代番要員は、千年処理場、岩塚処理場より派遣されてくるのであるが、右の者らは露橋下水処理場の機械操作始め各作業に不慣れなため代番要員として不適当であり、結局休めば同僚の負担を重くするので代休を取りにくい実情にあったこと、等のためである。

昭和四八年一一月より四班四交替は五班四交替に変更され、一六週に一回は常日勤勤務となり、代休、休暇取得の際の交替要員が増加し、休暇もとり易く、かつ夜勤の間隔もあいた。これと比較すると、「一六―〇―八―八」の労働条件は著しく過重といえる。

(5) 仮眠施設―騒音

露橋下水処理場には泥水処理のため、多数のポンプ、送風機が設置されているが、その騒音は原告主張のとおりであり、松川が勤務していた当時は旧式機械のためより高い騒音であった。昭和四六年八月頃まで仮眠室はブロア室に隣接して設置されていたので騒音がひどく、しかも近くに汚泥のごみが堆積されていたので悪臭がひどく十分な睡眠がとれない状態であった。

(6) 寒冷

前記のように露橋下水処理場における作業は、一時間毎に処理場内の建屋内と外部を頻繁に出入し二〇~三〇分を要して巡回し、最終沈澱池における透視度測定のための採水はエアレーションタンクの霧状の水しぶきを浴び、エアレーションタンクに発生する泡を消すため放水するときも霧状の水しぶきを浴び、また除塵機室の汚物清掃も吹き抜けの建屋の中で散水して清掃する。最初沈澱池排泥バルブ操作も二時間毎に二〇~三〇分を要するが吹きざらしの屋外における作業である。かくて寒期における作業は厳しい寒冷に身体を暴露せぜるをえないことになる。

(7) 不規則な生活

「二四―〇―八」の夜勤においては、朝・昼食は通常の日勤者と同じであるが、夕食は同僚と共同自炊、仮眠は早番のときが午後一〇時~午前二時、遅番のときが午前二時~午前六時で、午前二時前後に夜食をとり、夜勤明けは帰宅後朝昼食兼用、一~二時間の仮眠をとる。

「一六―〇―八―八」の夜勤においては、朝・昼食を遅らせ、夕食を抜き、午前二時頃夜食をとる。夜勤明け以後は「二四―〇―八」の場合と同じである。これに加え、降雨時や油、薬品等が流入してきた場合はその緊急処理で食事のとれない場合が生じ、夜勤交替制勤務の生活は極めて不規則であった。

(二)  松川の勤務以外の生活

《証拠省略》によれば、次のとおり認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

松川は岩倉駅近くの借家に居住していたが、昭和四六年一〇月頃肩書住居に土地付二階建の新居を求めた。頑固で几帳面な性格であり、飲酒はせず、喫煙は紙巻タバコ一日二〇本位、釣りのほか趣味はなく、勤務日以外の日は読書、テレビ、家の周囲の掃除などに過し、死亡当時は長女二四才の結婚が定まっており、長男二一才は市役所に勤務し、次男一八才は高校三年で何らの問題もみられず、新居の購入移転についても格別苦労はなく、家庭内生活は平穏であった。松川は夜勤に入る前は健康で医師の治療を受けることもなかったが、夜勤一年後位から家人の目にも夜勤明けの疲労が目立って感じられるようになった。

三、松川の死亡に至るまでの病歴

《証拠省略》によれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

松川は、職場における昭和三九年の定期検診の結果、高血圧で職員衛生管理規則実施細則第一一により管理区分C1と判定された(同細則には、「C1の処遇は、疲労度のいちじるしく高い業務に勤務する職員にあっては、適宜休息を与え、又は当該業務以外の業務に勤務できるようにつとめる。」と定められている)。昭和四一年二月二八日の定期検診では血圧値が一四四―八八で、正常範囲内にあるが、そのころ頭蓋内血圧を代表するとみなされる網膜中心動脈圧(CAP)が、収縮期において正常上限とされる血圧の三分の二を若干超え、眼底所見にキース・ウェジナー分類によるⅠIa群、シャイエ分類による高血圧性変化二度、動脈硬化性変化二度、心電図に左室肥大が認められた。昭和四二年二月二二日の定期検診では血圧値一五二―九四、昭和四三年三月二五日の定期検診では血圧値一五二―九二で、僅かに高血圧症がみられたが、眼底所見は軽微となり、心電図も正常であった。松川が露橋下水処理場の夜勤交替制勤務についたのは同年四月一六日(五四才)からであるが、昭和四四年四月一九日の定期検診では血圧値一五〇―八〇、昭和四五年一二月二二日の定期検診では血圧値一二六―八六、心電図上ST―T変化(心室筋の興奮消褪過程の電気的表現)が認められ、また毎年管理区分C1の判定をうけた。昭和四六年一一月の定期検診はうけず、昭和四七年の定期検診の前に死亡した。同人は昭和四三年一〇月一四日より柵木医院に通院(当初の病名は下腹部両下肢慢性湿疹兼高血圧症。以後全ての治療を同医院で受けた)し、降圧剤(ベハイド)内服による治療をうけ、血圧は昭和四四年一月七日が一四〇―九〇、同年四月一九日が一五〇―八〇、同年六月一二日が一二〇―六〇というように正常値に復し、爾後一貫して正常範囲内に止まっていた。なお右柵木医院の初診時にみられた下腹部両下肢慢性湿疹は夜勤につく二、三年前は一週間位で治っていたが、夜勤に入ってからは治らない状態で死亡時まで続いた。昭和四四年五月一日心悸亢進、胸痛、頻脈を訴え、初めて狭心症と診断されたが、冠拡張剤(ネオフィリン)注射、服薬を続け、昭和四五年以降昭和四七年八月までは発作が起らなかった。もっともこの間前記のように昭和四五年一二月二二日の定期検診ではST―T変化の所見が認められたほか、柵木医院において同年一〇月二〇日左膝関節リウマチ、昭和四七年一月六日頭部脱毛症の治療を各一回うけ、同年五月末顔面急性湿疹に罹り、六月一日から三日間休業し、また同年七月七日から三日間急性胃炎で休業した。同年九月一日から一一月二日までの約二ヶ月間は屡々胸痛、心悸亢進を訴え、一三回(九月一、二、六、七、一三、三〇、一〇月二、七、一三、一五、二〇、二八、一一月二日)にわたって前記冠拡張剤の注射をうけた。一回の発作は短時間で緩解していた。この間主治医の柵木医師は松川に休養を勧めたが、同人は年次休暇をとったのみで、夜勤を休むことはしなかった。同期間中松川の夜勤時には降雨の日が多く、労働負担を過重にしていた。また気候の変り目で気温も一〇月中旬頃まで一〇度以上であったが、以後は一〇度以下の日が増え、夜勤で屋内外の巡回作業に従事する松川に悪影響を与えた。同年一一月四日露橋下水処理場において夜間勤務に従事して午後一〇時頃同僚とポンプ運転日誌記入資料を整理中、急に気分不良を訴え、同僚の手でのべられた床に横臥したが、約五分後に絶命した。死因は急性心臓死である。

四、公務起因性

(一)  松川の公務上の過労

以上松川の労働と健康状況について認定したところを要約すれば次のとおりである。

松川は三五才時の昭和二四年四月二六日名古屋市水道局に採用され、当初約一〇年間は「掘り方」作業に従事し、その後約一〇年間は請負工事現場の監督補助業務に従事していたが、同職場の請負化が進み配置転換の必要が生じ、昭和四三年四月一六日露橋下水処理場に配置換えになった、

同処理場に配置された当初の三年間は「二四―〇―八」の三班三交替、昭和四六年二月一日以降死亡時までは「一六―〇―八―八」の四班四交替の夜勤交替制勤務で、前者は三日に一度二四時間の、後者は四日に一度一六時間の夜勤を含む交替勤務であった。下水処理場の夜勤の作業内容は筋肉的労働は少ないのであるが、下水処理場内数箇所に散在する屋内の器機の監視記録とり、故障修理、屋外にある排泥バルブ、汚泥調整バルブ、エアレーションタンクの水しぶきを浴びながらする散水、採水、自動除塵機の放水による清掃など冬季は寒風に吹きさらされてする作業であり、かつ寒暖の差が激しい屋内外へ頻繁に出入し、更に二つのポンプ室は合計四二段の階段の昇降を伴うものであった。他方休みについては、「一六―〇―八―八」では日曜日が「前八」にあたるとき休みとなり、「後八」「一六」にあたるときは「前八」の日に代休をとるよう定められていたが、このように代休取得日が限られていることと予備要員が充分でないことがあって、代休をとることも容易ではなかった。「一六―〇―八―八」は昭和四八年一一月より五班四交替制に緩和された。

松川は夜勤交替勤務につく前は医師の治療を受けることはなかったが、既に昭和三九年には高血圧症で管理区分C1とされていた。しかるに昭和四三年四月一六日昼勤の工事現場監督補助業務から、五四才の高年令で、長時間の夜勤交替勤務に配置換になった。そして半年後の昭和四三年一〇月一四日より死亡時まで高血圧症等で近隣の柵木医院に通院した。その治療で血圧は良好状態を維持したが、昭和四四年五月一日第一回の狭心症発作をおこし昭和四五年一二月二二日には心電図上ST―T変化がみられた。しかし、昭和四五年当初より昭和四七年八月まで発作は生じなかった。

右昭和四四年の狭心症発作後も、病状に相応した業務に配置換えしたり勤務を軽減する等の措置はとられず、松川からもこれを求めることがなかった。昭和四七年九月以降狭心症発作が頻発し死亡するに至った。

松川は、勤務日以外の日は、家で読書、テレビ、周囲の清掃をするていどで、疲労するのをきらって職場旅行に参加することもなく、飲酒はせず、喫煙は一日紙巻タバコ二〇本位で、夜間交替制勤務以外に疲労をもたらすような原因を認めることはできない。

(二)  医学的考察

原告は、松川の死亡は、高血圧症・狭心症という基礎疾病が夜勤交替制勤務により増悪し死期を早めたものであると主張し、被告は、松川の昭和四四年五月一日の狭心症発作や昭和四五年一二月のST―T変化は、松川が既に昭和三九年に高血圧症であり、昭和四一年二月左心室肥大現象、動脈硬化症変化が認められていることから、同人の高令化、二〇本もの喫煙、食事の問題、運動不足等と相俟って高血圧症の心臓への悪影響が自然的に徐々に進展した結果であって、夜勤交替制勤務に就いたことにより、急激に増悪した結果ではなく、従って松川の死亡に公務起因性はないと主張する。

松川の死因に関し医師徳田秋の見解は、《証拠省略》によれば、次のとおり認めることができる。

松川の死亡は、疾病の自然的経過のみでは説明できない。同人には昭和三九年に本態性と考えられる高血圧症が発症しているのであるが、昭和四三年に至る期間の血圧値の上昇は極めて軽度であり、その頃の健康状態は、合併症のない軽症高血圧症とみるのが相当であり、一~二年のうちに狭心症などの合併症が発症するであろうと予想することは困難であった。狭心症患者の生存率は、発症後五年、一〇年、一五年において、それぞれ八六%、七〇%、五八%であり、松川の発症から死亡までの経過期間三年六ヶ月における死亡率は一〇%以下である。このように通常平均的に予想される経過より遙かに急速な経過をとって死に至った松川の場合は、その基礎をなす冠状動脈硬化症の進展を加速させる因子の存在が想定される。冠危険因子には、年令、性別、血清脂質異常、特に高コレステロール血症、高血圧症、喫煙、糖尿病、肥満、虚血性心疾患の若年発症の家族歴、心電図異常、食事、身体運動の不足、情動ストレス、高尿酸血症乃至痛風などがある。

松川の昭和四四年五月一日の狭心症発作につき、血清脂質は測定されておらず、糖尿病はなかったと推認され、著しい肥満体ではなく、家族歴食事内容に問題は見当らず、身体運動の不足があったとも認められず、高尿酸血症については不明であるが痛風発作は認められていない。心電図異常を窺わせる資料もない。そうすると松川の冠危険因子としては、高血圧、喫煙、情動ストレスの三者が考えられるが、高血圧は前記の如く比較的軽症であり、喫煙も二〇本程度では心筋梗塞に関係がないとされているから、結局情動ストレスを最も重要視せざるを得ない。時間的経過の上からみても、配置転換されて約一年後の発症であって、その間の夜勤交替勤務がもたらすストレスが狭心症発症の主要な原因をなした可能性は充分にある。

右の狭心症発作は、冠拡張剤の注射及び内服薬により遅くとも昭和四四年末には安定した。これは狭心症発作を招来した心筋虚血状態が側副血行路(血管が狭窄ないし詰まって血液が循環しなくなると、その周囲の血管から血管がのびて代替作用を営む。この周りからのびてゆく血管のことをいう)の発達によって大略修復し得たものと考えられる。

次に右狭心症発症から死亡に至る期間の増悪因子を検討すると、冠危険因子はそのまま冠硬化促進因子でもあるが、これに加えて身体的労作、寒冷などがあげられる。即ち既に冠状動脈に一定の狭窄が生じている場合、その動脈によって血液の供給をうけるべき心筋の領域に対して、前記の如く側副血行路が生じて、虚血状態を修復する過程が進行するのであるが、身体的労作や寒冷によって心仕事量を増大させることは、心筋の酸素需要を増し、狭心症発作の原因となるばかりではなく、修復過程を妨害し、更に、心筋の肥大を促進して新たな心筋虚血を生ずる危険をもたらすものである。この期間松川に基礎疾病である冠状動脈硬化症が存在し続けていたことは疑う余地がない。

昭和四五年一二月一日の定期検診で心電図に認められたとされるST―T変化の臨床的意味は心電図が保存されておらずST―T変化とのみ記載されているだけなので一義的にいえないが、右変化が軽微な所見に過ぎなかったとすれば、この時点における冠状動脈硬化症は、前年の狭心症発作を来たした一過性の心筋虚血を修復し得て比較的良好な状態に止まっていたと判断されるし、ST―T変化が心筋の虚血状態を示すものであったとすれば、前年の狭心症発作が、実は心筋壊死を伴う心筋梗塞であった可能性が想定され、その健康管理には万全を期す必要があったと考えられる。

いずれにせよ、松川はこの時点をはさんで従前通りの勤務についていたが、その作業内容は身体的労作、寒冷暴露、無理な作業姿勢、跋行、階段昇降を伴うものであって、心臓に対する負担の増大になっていたことは明らかである。また、夜勤交替制勤務に伴う生体リズムの乱れが、総体として、疾患の進展に促進的に作用した可能性も否定できず、松川の死亡は、かねて存在していた冠状動脈硬化症が、身体的労作、寒冷暴露を伴う長時間夜勤交替制勤務を継続することによって増悪を重ね、遂に死亡するに至ったものというべきである。

右徳田医師の見解は、要するに、松川の露橋下水処理場配転以前の健康状態は、昭和三九年高血圧症が発症しているけれども昭和四三年までさしたる進行はみられず、軽度で、一~二年以内に狭心症などの合併症が発生するであろうことは予想できない状況であり、また最初の狭心症発症から死亡に至った期間も通常の経過に比べ急速に過ぎ、到底疾病の自然的経過のみでは説明することができず、夜勤交替制勤務に従事していたことが、基礎疾病を増悪させたというにあるが、右見解は、当裁判所も相当であると解しこれを肯認するものである。他に右認定を動かすに足りる反証はない。

更に松川の露橋下水処理場における夜勤交替制勤務がその身体に及ぼした影響について医師松本忠雄の見解は、《証拠省略》によれば、次のとおり認めることができる。

人間には「生体潮汐現象」とよばれる生体固有の日周期リズムが存在し、午前八~九時頃から一六~一七時頃にかけて労働に適した状態になり、夜間は睡眠に適した生理状態になる。昼夜転倒生活を続けても生体のリズムを逆転させ、身体をこれに順応させることはできず、夜勤者が疲労を回復するには睡眠と栄養摂取とが必要であるけれども、夜勤明けの昼間は人間の生理機能上眠るのに不向きの方向に向っているため十分に睡眠がとれず、不規則な生活になるので胃腸障害をきたし、栄養摂取にも重大な障害をきたす。かようにして夜勤を継続すると疲労が蓄積し、非常なストレスが人体にかかってくる。

松川の従事した「二四―〇―八」「一六―〇―八―八」の勤務体制は、夜勤につき、前者が午前八時三〇分から翌朝八時三〇分まで、後者が午後四時三〇分から午前九時三〇分までで、その間に仮眠四時間、休憩が前者は二時間、後者は一時間を含むとはいえ、生体リズムにさからい、かつ労働の適正限界時間をこえる夜勤長時間労働であった。これに加え作業内容は一定時間騒音と冬季だけとはいえ寒冷に暴露され、汚泥調整バルブ操作は短時間ではあるが、急激な動作を含み、排泥バルブ操作は無理な中腰姿勢を伴い、建屋内外はこれも冬季だけとはいえ寒暖の差がひどく、階段を昇降する室に出入して計器や下水状態の計測監視を常時行い、公共性のある事業のためそれ相応の精神的緊張を伴うなど、総体的にストレスの高い職場であった。更に松川の死亡直前の一〇月中旬から一一月にかけては寒暖の変化が多い気象条件であったうえ、松川の夜勤時には折悪しく降雨の日が重なって通常以上の過重労働となっていた。他面休養についてみると、極めて代休のとりずらい状態にあるのに加えて高年令者の夜勤後の疲労回復が遅いことなど考え合わすと、五〇代半ばをこえる松川に疲労回復のために必要な休養が与えられていたとはいい難い状況であった。

一般に高血圧症や冠状動脈硬化症を有している者の健康管理は、治療の継続と合わせて精神的肉体的安静を保ち、過労を避け、十分に休養をとり、睡眠も充分とり、夜更しを禁じ、急激な温度の変化や冷気に身体を暴露しないようにし、階段の昇降を制限することなどが必要とされていることにてらし、高血圧症乃至冠状動脈硬化症を有している松川にとって前記作業内容はすべてがその疾病に悪影響を及ぼす労働であり、早晩その悪化を招くものであった。しかるに、松川は既に高血圧で管理区分C1とされていたにもかかわらず、昭和四三年四月夜勤交替勤務につけられ、その後昭和四五年に心電図異常や眼底変化が現われたこと、昭和四三年一〇月から死亡時まで頻繁に慢性湿疹がみられ、昭和四六年一月には頭部脱毛症が現われたことはいずれもストレス病と考えられること、など考えあわすと、夜勤交替制を伴う労働が松川の高血圧を狭心症の併発へ、さらに狭心症を増悪させて死亡に至らしめたものと認められる。

右松本医師の見解は、要するに、松川の従事した夜勤交替制勤務における作業内容、労働環境が、高血圧症を有する松川にとって極めて悪影響を及ぼすものであること、松川が夜勤交替制勤務に配置換になった後に発生した各種の疾病状態にてらし、松川の従事していた業務が基礎疾病を増悪させて死に至らしめたというにあり、右見解も当裁判所は徳田医師の見解と同様相当であると解するものであり、他にこれを動かすに足りる反証はない。

被告は、松川の作業内容につき、夜勤長時間労働とはいえ定時的監視、機械操作を中心とする断続的勤務で、実働時間は六~七時間に過ぎず、また或る程度夜勤が繰り返されることにより身体が順応していくものであり、原告主張の作業内容も一人で行うのでなく四人が分担するものであり、急激な動作を含む作業とはいっても二、三〇分程度であるし、寒冷暴露も限られた時間のことで、外気と建屋間に大きな温度差は認められず、これらが松川に対し若干の影響があったとしても冠状動脈硬化症進展の各種重要因子からみれば僅少であり、むしろ私生活において、松川が新居の購入とこれに伴う転居の苦労、長女の結婚など公務に無関係な面における情動ストレス、跋行・リウマチス性疾患、高血圧降圧剤、狭心症薬物の副作用等が松川の健康悪化に影響を与えたと考えるのが妥当であると主張する。

しかしながら、まず、《証拠省略》によると前記のとおり夜勤を継続していても、昼夜転倒生活に順応することは生理的に不可能であることが認められるのであり、夜勤時の労働拘束時間は「二四―〇―八」では一八時間、「一六―〇―八―八」では一六時間(但し、慣行として認められている仮眠四時間をのぞくと実働は一二時間である)の長時間である。また下水処理場における作業は確かに筋肉労働は少ないのであるが、監視労働というのは単調な作業で、しかも一刻の停滞も許されない下水処理場の性質上一業務員であろうとも自己の担当時間帯は可成りの精神的緊張を強いられるのである。

また急激な動作を伴う作業は短時間であり、寒冷暴露の作業も冬季期間中に限られることは被告主張のとおりであるが、これらは高血圧症を有する者にとってそれだけでも悪条件をなす夜間長時間労働に加えての問題であるから、これらだけとりあげて軽視することは相当でなく、防寒具があるといっても、夜勤は身体の循環器系の機能が低下し、寒冷に対する抵抗力も減退し、建屋内外の温度差も大であることが明らかであるから、寒冷の及ぼす影響を否定することはできない。跋行については、それが私生活においても心臓に負担をかけると同時に、公務上も通常人以上に松川の労働を重くしていることであり、リウマチは《証拠省略》によると、心臓に負担を及ぼす程度には至っていないことが認められる。

更に、湿疹と高血圧治療の薬物が松川の基礎疾病を増悪させたとの被告主張を認めるに足りる証拠はなく、仮にそうだとしても、それは松川の基礎疾病を増悪させる一因子にとどまり、その他の因子の存在を否定するものではあり得ない。

その他本件全証拠によるも、松川に私生活に由来するストレスを認めることはできない。

これを要するに、松川の場合には、その公務がその基礎疾病に極めて悪影響を及ぼす作業内容であり、しかも右作業従事期間が四年有余にも亘っていたのであるから、当該業務の影響が基礎疾病を増悪させる主要原因となっていることは医学的にも明らかであると認められる。

《証拠省略》によれば、被告嘱託医小菅真一は被告に対する昭和四八年六月二五日付意見書で松川の死亡については業務起因性を立証し難いと述べていることが認められるが、《証拠省略》によれば、右意見書は被告から提示された資料に基づくもので、松川の仕事内容や体質を把握できる資料がないため、業務起因性を立証し難いと述べたものであることが認められるから、《証拠省略》は前記認定を動かすに足りず、他にも右認定を動かすに足りる証拠はない。

(三)  総合的考察

前記医師徳田秋、同松本忠雄の見解及びその余の前記認定事実を総合すれば、本件は松川が夜間勤務に従事中の急死であって、死亡原因は冠状動脈硬化症による急性心臓死であり、右冠状動脈硬化症は露橋下水処理場の夜勤以前より始まっているものと認められるが、急性心臓死の誘因として心身の慢性的過労状態が重要因子であることは否定できず、しかも右過労状態は専ら夜勤交替勤務の継続によって生じたものと認められるのであるから、松川の死亡は冠状動脈硬化症と松川に課せられた公務の遂行による過度の肉体的精神的負担とが共働原因となって心臓疾患を急激に増悪させ、同人の死亡を招来せしめたものであると認めるのが相当である。

《証拠省略》によれば、支部裁決書は本件のような基礎疾病を有する者の疾病が公務上の災害とされるためには、一般的に発病前に、特に過激、または異常な職務による精神的肉体的負担を生ずる事態が存在し、それらの事態が、性質、程度および時間的間隔の点で発病との関係において医学上妥当な原因と認められることが必要であるという災害(アクシデント)主義を前提とし、本件においては松川の基礎疾病を増悪させるような公務上の突発的又は異常な事態のあったことは認められず、勤務上の労働負担と本件災害との間に医学的因果関係の存在も認められないから公務外であると決定し、再審査裁決書は、右裁決書とほぼ同旨の理由に加えて、発病前日までの職務による精神的・肉体的疲労の蓄積が認められる場合には、当該疲労を、前記発病直前又は発病当日における事態の程度を増大する付加的要素として考慮すべきものであるが、本件においては松川の勤務による疲労の蓄積が右にいう付加的要素に該るとも認められないとして、支部裁決を維持したことが認められる。

前記のとおり、公務起因性が認められるためには公務と疾病死亡との間に因果関係の存在することが必要であるが、一般に災害による傷病死亡の場合の因果関係は比較的明瞭であるけれども、高血圧症や冠状動脈硬化症のように慢性的疾病を有している者が死亡した場合には公務による慢性的疲労との共働関係を明確にし難い場合がむしろ通例であることは否定できない。

しかし、高血圧症や冠状動脈硬化症を患っている労働者の従事する作業内容が、その持っている疾病に悪影響を与えるとされる性質のもので、しかもその作業従事期間が長期間にわたる場合には、当該業務の影響が基礎疾病と共働して発病ないし死亡の原因をなしているものと推認するのが合理的であり、このような場合にまで、発病ないし死亡直前に突発的又は異常な災害が認められない限り公務起因性を否定する見解は失当であり、本件は正にこのような事例であるから、災害主義を前提とする支部裁決、これに加えて松川の公務による疲労蓄積が基礎疾病を死亡の原因となるまでに増大させたことを否定する再審査裁決の判断はこれを是認することができない。

もっとも松川がかかる結果の発生を予知しながら敢えて業務に従事したということならば、それはも早公務上の死亡とはいえないところ、《証拠省略》によれば、同医師は狭心症の発作が頻発したので、松川に休養を勧めたが、同人は平常どおり休養することなく出勤していたことが認められる。

しかし思うに、松川としては昭和四四年五月にいちど狭心症発作を起した後は、昭和四七年八月まで発作を起こしておらず、同年九月以降の発作も短時間に緩解していたため、自己の冠状動脈硬化症が重篤に陥っていたとは思いもよらずに夜勤についたものと推認され、本件全証拠をもっても松川が死亡の結果を予知しながら敢えて夜間勤務についたとは認められない。従って、本件死亡については松川にも健康管理上の手落ちがあるけれどもそうであるからといってその公務起因性を否定することはできない。

そして、本件は、本件処分の取消訴訟であり、名古屋市に対する損害賠償請求訴訟ではないから、名古屋市に原告主張の安全保護義務違反の債務不履行があったか否かは判断の要はないと解する。

五、結論

以上のべたとおり本件松川の死亡は、地方公務員災害補償法三一条、四二条の公務上の死亡に該当するから、同人の死亡を公務外の災害であるとした被告の本件処分は違法であるので、同法五六条により取消を免れず、原告の請求は理由がある。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 戸塚正二 島本誠三)

〈以下省略〉

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

本サイトは報道(不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせること)を事業としており,掲載された全ての情報は報道等に活用することを目的としています。

©daihanrei.com