大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

名古屋高等裁判所 昭和46年(収ほ)1号 判決

控訴人 伊藤義人

主文

原判決を破棄する。

被告人山本貢稔ほか三名に対する兇器準備集合等被告事件(名古屋地方裁判所昭和四五年(わ)第五八四、第五九六、第九一六各号)につき、同裁判所が昭和四五年九月一四日言い渡した調書判決中、「押収にかかる前同裁判所昭和四五年押第一五七号の証第七号(日本刀一振)を被告人山本貢稔より没収する」旨の部分を取消す。

理由

本件控訴の趣意は、控訴人代理人水口敞、同服部優共同作成名義の控訴趣意書に記載されているとおり(ただし当審第一回公判期日における控訴人代理人服部優の釈明参照)であるから、ここにこれを引用する。

一、本件控訴趣意中、原審の訴訟手続に法令違背があるとの論旨(前同控訴趣意三記載)について。

所論は、要するに、原判決は、本件事実認定の資料として、伊藤義人の司法警察員に対する昭和四五年五月四日付供述調書の記載を挙示しているけれども、同供述調書は、控訴人伊藤義人において、本件日本刀(名古屋地方裁判所が被告人山本貢稔ほか三名に対する兇器準備集合等被告事件――同裁判所昭和四五年(わ)第五八四、第五九六、第九一六各号――につき押収した同裁判所昭和四五年押第一五七号の証第七号該当のもの。以下単に本件日本刀と略称する。)が、右山本貢稔らによつて、控訴人に無断で持ち去られたものである旨の真実を供述すれば、いわゆる暴力団に所属する右山本貢稔らから後日報復を受けるに至るべきことを慮り、また本件日本刀を右山本貢稔らが持出すに当り、これを承諾していた旨供述しても、結局のところ、本件日本刀が後日控訴人に返還されるものと信じ、右山本貢稔の供述に口裏を合わせて、真実に反する虚偽の事実を供述し、これを録取作成せられたものであつて、到底措信するに足りないものである。従つて、このような供述者の真意でない供述を録取し、ひいては、その内容も措信できない前記の控訴人の司法警察員に対する供述調書の供述記載を、本件事実認定の資料にした原審の措置は、証拠の取捨選択に関する証拠法則に違背したものであり、その訴訟手続に法令違反がある、というのである。

所論にかんがみ、原判決を調べ本件記録を調査すれば、原判決が、本件事実認定の資料として、伊藤義人の司法警察員に対する供述調書の供述記載を挙示していることは明らかであるところ、同供述調書の供述記載内容と原判決の認定した事実とを対照してみると、原判決が、前記供述調書の供述記載内容を全部措信しうるものとして、事実認定の資料としているのではなく、原判決認定の事実に照応する部分のみを証拠としていることが看取されるのであるが、同供述調書の供述記載中、原判決認定事実に副う部分に関する供述の任意性を疑うに由なく、該部分の供述記載内容もこれを措信しうるものであることは、後記二の所論に関する判断において説示したとおりであるから、原判決が、右供述調書中の供述記載を本件事実認定の資料として挙示したことにつき、何らその訴訟手続に法令違反のかどを見出すことができない。本論旨は理由がない。

二、本件控訴趣意中、原判決に事実誤認が存するとの論旨(前同控訴趣意一、二、四ないし七記載)について。

所論は、要するに、原判決は、「本件日本刀が、暴力団山口組系弘田組傘下の山本組組長である山本貢稔において、昭和四五年二月一一日名古屋市中村区長筬町三丁目五九番地所在の同組事務所およびその周辺に、その配下組員の森下徳幸他一〇数名とともに拳銃、日本刀等の兇器を準備して集合した際の兇器中の一振で、右兇器準備集合罪のいわゆる組成物件にあたるところ、該日本刀が、右兇器準備集合事件の以前より、控訴人の承諾のもとに、右山本貢稔に譲渡され、以後、右山本貢稔に対する右兇器準備集合事件についての判決宣告当時まで引つづいて同人の所有物件であつた」旨の事実を認定しているけれども、本件各証拠によれば、本件日本刀が、控訴人の全く不知の間に、右山本貢稔によつて持ち去られたもので、控訴人において、本件日本刀の右占有の移転について承諾を与えていないことが認められ、本件日本刀の所有権が控訴人から山本貢稔に移転していないことも明白である。また、かりに、控訴人から右山本貢稔への本件日本刀の占有の移転につき、控訴人が承諾を与えていたとしても、本件各証拠によれば、昭和四四年一一月ごろ、控訴人は、右山本貢稔の懇請にあい、同人に本件日本刀を金一五万円で売ることにし、代金支払方法については、右山本貢稔の都合のでき次第支払う約で、即日日本刀を交付した事実を認めうるところであつて、その際、控訴人と右山本貢稔との間で、本件日本刀の所有権を、前記代金支払の有無にかかわらず、意思表示のみによつて、直ちに移転させる意思を持つていたと認めるに足る証拠はなく、かえつて、右山本貢稔において、前記代金完済までは、本件日本刀が控訴人の所有物であると考えていたこと、控訴人において、右山本貢稔に対し昭和四五年二月以降再三にわたつて、本件日本刀の返還を求めていたことなどが認められ、かかる事情のもとにおいては、本件没収裁判(前記兇器準備集合等被告事件についての判決の一部)言渡当時、本件日本刀の所有権が控訴人に未だ留保されていて、右山本貢稔は、本件日本刀の所有権を完全に取得した段階に至つていなかつたものであるから、いずれにしても、この点につき、前記のような認定をした原判決は、事実の認定を誤つたものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を精査検討すると、先ず原判決挙示の被告人山本貢稔ほか三名に対する兇器準備集合等被告事件(名古屋地方裁判所昭和四五年(わ)第五八四、第五九六、第九一六各号)の調書判決謄本の記載によれば、名古屋地方裁判所が昭和四五年九月一四日被告人山本貢稔ほか三名に対する原判決摘録の兇器準備集合事件を含む兇器準備集合等被告事件につき、「被告人山本貢稔を懲役三年(未決勾留日数中三〇日算入)に処する。押収にかかる本件日本刀一振を被告人山本貢稔より没収する」旨の判決(被告人山本貢稔以外の被告人らの関係部分は省略)を言渡していること、同判決の理由中において、本件日本刀が原判決摘録の兇器準備集合事件に際し、被告人山本貢稔らによつて準備された兇器の一部であると認定し、これが、被告人山本貢稔の関係において、刑法第一九条第一項第一号第二項に該当するとしていることが認められ、また原判決挙示の各証拠、とくに、愛知県教育委員会発行名義の銃砲刀剣類登録証の記載によれば、本件日本刀が、昭和三四年四月一五日愛知県教育委員会に登録記号番号愛知第二一六三一号として、銃砲刀剣類所持等取締法第一四条所定の登録がなされていることが認められ、さらに、原判決挙示の各証拠によれば、本件日本刀が、もと控訴人の所有であつたところ、前記摘録の兇器準備集合事件の際(昭和四五年二月一一日ごろ)ならびに被告人山本貢稔に対する前記被告事件につき前記の判決が宣告された当時に右山本貢稔の所持のもとにあつたことが認められ、以上の各認定に反する証拠は存しない。

ところで、本件日本刀の所持が、前叙のように右山本貢稔に移転した経過に関し、原審第四回公判調書中証人森下徳幸、同山本貢稔の各供述記載を綜合すれば、右山本貢稔は、同郷であつたことなどから、控訴人と知り合い、控訴人方へも出入りをしていたのであるが、昭和四四年の九月か一〇月ごろ、控訴人方に本件日本刀があることを知り、控訴人に対し、本件日本刀を譲つてほしい旨申し向けたところ、控訴人から「本件日本刀は時価三〇万円くらいだけれども、お前に三〇万円といつても、その金を支払うことができないだろうから、お前の気持で、五万円でも一〇万円でもよいから持参されたい」旨を返答されるに及び、控訴人から本件日本刀の譲渡方を承諾されたものと解し、森下徳幸に対し、本件日本刀の引取方を指示し、該指示に従い、右森下徳幸が昭和四四年一一月ごろ、当時控訴人が入院していた名古屋市千種区末盛通二の一五所在医院加藤外科に赴き、控訴人に面会した際、控訴人から、釣竿のケースに入つた本件日本刀を示されたうえ、「これを右山本貢稔のところへ持つていつてやれ」と申し向けられ、本件日本刀を釣竿ケースに入れたまま手渡されたので、これを受け取つて、同医院を辞去した直後、これをそのまま右山本貢稔に交付したことを認めることができる。

しかるに、該認定事実に反し、原審第五回公判調書中証人伊藤義人の供述記載によれば、控訴人は、かねて本件日本刀を所有していたところ、昭和四四年の八月か九月ごろ、右山本貢稔から再三にわたり、右日本刀を譲つて欲しい旨の申し出でを受けたけれども、これに対し別段承諾を与えないでいた折柄、昭和四四年一〇月二五日ごろから昭和四五年一月三〇日ごろまで前記医院加藤外科に入院したりして時日を経過し、昭和四五年二月ごろに至り、本件日本刀が紛失していることを発見し、従来、右山本貢稔から本件日本刀の譲渡方を申し向けられていたので、同人が本件日本刀を持ち出したものと推測して、これが捜索のため、再三同人方に赴いたけれども、その都度、同人が不在であつた関係上、同人に面会できず、また、たまたま同人方に居合わせた前記森下徳幸らも言を左右にしていたので、本件日本刀を発見するに至らないで、その後時日を経過し、本件日本刀が控訴人の手に戻らなかつたというに帰着する。そこで、そのいずれが真実であるか否かを考えるに、前記の証人山本貢稔、同森下徳幸の各供述記載内容は、原審で取調べた山本貢稔の司法警察員に対する昭和四五年五月六日付供述調書、森下徳幸の司法警察員に対する昭和四五年五月一三日付供述調書(右各供述調書は、いずれも被告人山本貢稔ほか三名に対する前記被告事件の審理の際、検察官から証拠として提出されたうえ、適式に取調べられたもの)の各記載内容とも符合するところであり、これらの各記載内容は、それぞれ、その前後を通じて、本件日本刀が、さきに認定したように、右山本貢稔の所持に移つた経過として何ら不自然な点がなく、また前同各証人が、それぞれ同人らに対する前記被告事件に対する判決確定のうえ、現在該判決による刑の執行を受けている身であつて、その段階において、それぞれ原審に証人として出廷しても、敢えて従前の各供述を変えることなく、なお前叙のような供述をしていること、さらには、本件各証拠を仔細に検討して肯認しうる控訴人と前記山本貢稔との間柄、同山本貢稔が本件日本刀を所持した後における同日本刀の処置についての心境、その他諸般の状況に照らして、前記の証人山本貢稔、同森下徳幸の各供述記載は、いずれも十分に措信するに足るものと考えられ、これに反して証人伊藤義人の前記供述記載中、前記の証人山本貢稔、同森下徳幸の各供述記載内容に副わない部分は、その前後における供述記載に徴し、その間に不自然な点が多く、また、原審で取調べた山本貢稔名義の封書(甲第六号証の二)の記載内容を仔細に調べても、これが必ずしも前記の証人伊藤義人の供述記載部分を裏付けるものとは認め難く、その他前記の証人伊藤義人の供述記載部分を裏付けるに足る証拠が存しないのであるから、右証人伊藤義人の前記供述記載中、前記の証人山本貢稔、同森下徳幸の前掲各供述記載等による前叙認定事実に反する部分は、これを措信できないものといわねばならない。なお、原審で取調べた伊藤義人の司法警察員に対する昭和四五年五月四日付供述調書中同人の供述記載には、本件日本刀の授受の経過について、前叙認定とやや相違する点が存するけれども、控訴人が、右山本貢稔に対し本件日本刀の引渡しを承認していた点など前叙認定に副う部分は、これを措信するに足るものというべく、また、同供述調書につき、本件各証拠に徴しても、控訴人の供述の任意性を疑うべき節を発見することができない。

そこで、右認定事実に即して、本件日本刀の所有権の帰属について考えると、右山本貢稔と、控訴人との間の本件日本刀に関する前叙の約定は、これを民法上の契約の種別にあてはめてみれば、いわゆる負担付贈与に類するものと解されるのであるが、その約定の内容は、本件全証拠を綜合考察しても、せいぜい前記摘録の程度に出でず、その内容が極めて簡単かつ不明確であり、とくに、右山本貢稔の負担たる給付の内容も、前叙のように五万円か一〇万円という不確定なものであり、また、その履行時期も全く定められていないのであつて、右山本貢稔の右負担行為が完了しない段階において、価格約三〇万円に及ぶ本件日本刀に関する所有権が移転されたと解することは、やや速断に過ぎると思料されるばかりでなく、およそ、銃砲刀剣類所持等取締法第一八条の規定によれば、登録を受けた銃砲又は刀剣類を譲り渡し、若しくは譲り受けるに際しては、当該銃砲又は刀剣類の登録証とともにしなければならないとされているところ、本件各証拠、とくに、前記の原審第四回公判調書中証人山本貢稔の供述記載、原審第五回公判調書中証人伊藤義人の供述記載(前記措信し得ない部分を除く)、愛知県教育委員会発行名義の銃砲刀剣類登録証(とくに、検察庁において添付された符籤の部分を含む)、伊藤義人名義の還付請書の各記載によれば、本件日本刀は、かねて、控訴人が、銃砲刀剣類所持等取締法第一四条の規定による登録を受けたものであり、同登録証が、引続き控訴人の手許に保留されており、その後右山本貢稔らの前記被告事件が未だ被疑事件として捜査されていた当時、同事件に関し、愛知県中警察署に、控訴人から提出され、前記被告事件についての判決が確定した後、昭和四五年一二月一一日名古屋地方検察庁から控訴人に一旦還付されるに至つたものであることを認めることができ、この認定に反する証拠は存しないのであつて、これらの事情を考慮すれば、右山本貢稔と控訴人との間において、前認定の約定の際あるいは、本件日本刀の前記引渡の際に、本件日本刀の所有権を控訴人から右山本貢稔に確定的に移転する旨の意思表示が存したとは、到底認めることができない。そうとすれば、右山本貢稔らに対する前記被告事件に関する前記判決宣告当時、右山本貢稔において、本件日本刀につき、所有権を有して居らず、同所有権が未だ控訴人に留保されていたものと解するのほかなく、ひいては、法律上、右判決宣告当時、本件日本刀を右山本貢稔から没収することができないものであつたことも明らかである。しかるに、これと見解を異にし、本件日本刀の所有権が右山本貢稔に存することを前提とした原判決には、本件日本刀の所有権の帰属に関し、事実誤認の違法が存するものといわなければならない。

ところで、本件記録によれば、右山本貢稔らに対する前記被告事件の前記判決(ただし調書判決)中、右山本貢稔に関する部分が、昭和四五年九月二九日確定したところ、昭和四五年一二月一八日に至り、控訴人から、右判決裁判所である名古屋地方裁判所に対し、本件日本刀没収裁判取消の申立がなされたことを認めることができるのであるが、本件全証拠を検討しても、右山本貢稔らに対する前記被告事件において、本件日本刀に関し、刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法(以下単に応急措置法と略称する)所定の告知あるいは公告がなされたという形跡が毫もなく、なるほど前記の控訴人の司法警察員に対する昭和四五年五月四日付供述調書の記載などによれば、控訴人が右山本貢稔らに対する前記被告事件(当時同被疑事件)の捜査段階において、本件日本刀に関し取調べを受けており、右山本貢稔が、本件日本刀に関係する被疑事件で捜査され、ひいてはこれについて公訴を提起されるに至るべきことを知り得たとも考えられないでもないが、原審第四回公判調書中証人山本貢稔の供述記載、同第五回公判調書中証人伊藤義人の供述記載(前記措信し得ない部分を除く)、前記の山本貢稔名義の封書(甲第六号証の二)の記載などによれば、控訴人において、本件日本刀が、いずれ控訴人に返還されるものと信じていたことがうかがわれ、これらの事情からみると、控訴人が右山本貢稔らに対する前記被告事件の審理手続において、本件日本刀に関する権利を主張しなかつたことにつき、必ずしも控訴人の責に帰すべき事由が存したものとは考えられないところであり、また、前記の原審第五回公判調書中証人伊藤義人の供述記載(前記措信しない部分を除く)、前記の控訴人名義の還付請書の記載によれば、控訴人が、昭和四五年一二月一一日名古屋地方検察庁に呼び出され、同庁検察事務官から、前記登録証を還付する旨申し向けられ、ここに、はじめて、本件日本刀を没収する旨の裁判が確定したことを知つたという事情を認めることができる。なおこの点につき、前記の山本貢稔名義の封書(甲第六号証の一、二)の記載を調べると、同封書は右山本貢稔から控訴人に宛て、昭和四五年九月二九日発信されたものであり(被告人山本貢稔に対する前記判決は同日の満了を以て確定)、その記載内容中、本件日本刀が公判の結果没収された旨を報じた部分が存するのであるが、これを以て、控訴人が、そのころ前記判決の確定を知つたと認定することは困難であり、その他前記認定をくつがえすに足る証拠はない。これらの認定事実を本件日本刀の所有権の帰属に関する前示認定事実に併せて考えると、原判決における前記の事実誤認は判決に影響を及ぼすものといわなければならない。本論旨は結局理由があることに帰着する。

よつて、本件控訴は理由があるので、応急措置法第一三条第七項、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条によつて、原判決を破棄し、刑事訴訟法第四〇〇条但書に従い、当裁判所において、本請求事件につき、さらに判決をする。

前示の各認定に従えば、本件日本刀が、前記山本貢稔に対する前掲被告事件についての前記判決宣告当時、右山本貢稔の所有に属せず、控訴人の所有に属していたものと認められ、控訴人の本件請求は理由があるので、応急措置法第一三条第四項によつて、右山本貢稔に対する前掲被告事件の前記判決(ただし調書判決)中、本件日本刀を右山本貢稔より没収する旨の部分を取消すこととして、主文のとおり判決をする。

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com