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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和31年(ネ)272号 判決

控訴人 木原智燈

被控訴人 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外四名

主文

原判決を左の通り変更する。

被控訴人は控訴人に対し金一二万七、一七四円三三銭及之に対する昭和三〇年七月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

控訴人の其余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じ三分し其一は控訴人、其余は被控訴人の負担とする。

事実

控訴人は原判決を取消す、被控訴人は控訴人に対し金二十二万五千五百三十三円及之に対する昭和三十年七月八日以降完済に至るまで年五分の割合に依る金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする、との判決を求め被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は左記の各陳述の外は原判決事実摘示と同一であるから茲に引用する。

控訴人の陳述

一、控訴人は今次農地解放により農地を買受けるまでは所有農地なく、その耕作地は総て宝泉寺の所有地であつた。昭和二十一年度に田四畝二五歩畑一反九畝一歩計二反三畝二六歩を耕作していた(乙第十一号証)、昭和二十二年に本件田等五筆計一反五畝二八歩を中野作太郎外八名の元耕作者よりその耕作を譲り受け昭和二十一年よりの耕作分と合せ田二反二三歩、畑変りなく、計三反九畝二四歩を耕作するに至つた。而してこの耕作状態のとき政府の方針が社寺所有農地全面買収に変更され(甲第十八号証ノ二)宝泉寺所有農地の第一次買収(甲第二九号証ノ一)の時残された本件田等残全部の買収が昭和二十三年一月二十三日の諸岡村農地委員会(以下村委員会といふ)において第六次買収(売渡)計画として立てられ、控訴人は右耕作地三反九畝二四歩の外に先に宝泉寺再建引続き応召等で一時耕作できず他人に転貸してあつた田畑の返還を得た等特種の事情で計一町八歩(内訳後述)の買受をしたが右本件田を含む三反九畝二四歩は控訴人農耕の根幹農地であつた。此点につき原審は控訴人は六反六畝十五歩の農地を耕作すべき責を負担しているところへ更に本件田を含む増反売渡を受けたと判示しているが前記の通り本件田の控訴人に対する売渡計画の立てられた昭和二十三年一月二十三日から同年三月二日までの間に於て控訴人が耕作責任を持つていた農地は本件田を含む三反九畝二四歩であつて原審の右認定は誤りである。

二、自作農創設特別措置法(以下自創法といふ)により買収した農地の売渡相手方は法令で詳細に定められ、市町村農地委員会は自由に選定叉は変更できない。売渡すべき農地に小作農がある場合その者だけが買受の最優先権を持ち、その者が売渡しの相手方となるには(1) 買受申込をした者(自創法第十七条)(2) 自作農として農業に精進する見込ある者(同法第十六条一項)であることが要件であるが、これ等の要件を欠く場合、即ち買受を希望しない者或は売渡非適格者であつても、その者が耕作権を自ら放棄しない限り他の者に売渡すことができない(同法施行令第十八条の反対解釈)而して本件の如く昭和二十年十一月二十三日現在の耕作者が、同日以後他人(控訴人)にその耕作権を譲渡し遡及買収申出のできない場合は買収時期における当該農地の小作者が売渡相手方となり他に売渡相手方となるべき者は絶対にない(自創法第六条の二)。

従て本件農地耕作人異動承認を取消したからとて元耕作者を買収時期に於ける右規定に云う小作農とは云えないから同人に買受資格は生じない。

右の如き自創法並に同法施行令の規定は夫々基本規定で、これを知らずに農地解放事業の執行ができず、国も巨額の経費を投じてその趣旨の徹底を計り、まして、本件取消処分の審議がなされた昭和二十三年六月以後は、農地解放開始後既に一年半以上を経過し、村委員会も当然知悉していたことである。然るに村委員会は売渡相手方を変更せんため法令を犯し、本件農地の買収時期昭和二十三年三月二日(村委員会の買収計画樹立は同年一月二十三日)における買受資格者であり、即ちその所有権まで取得していた控訴人からその農業経営の根幹である三反九畝二四歩(内田二反二三歩)中本件田一反四畝四歩の耕作権を奪い、売渡決定を取消し、買収時期における小作農でもなく買受の申込もせず売渡に対する異議申立の資格のなくなつた元耕作者に売渡したのであつて、明かに故意又は過失(職務を怠慢し法規を知らなかつた場合)による違法行為である。

三、仮りに村委員会が控訴人買受農地の一部売渡を取消す要があつたとしても前叙自創法等の売渡規定の拘束を受け勝手に取消農地の選定ができない。買収時期において控訴人がどの農地の耕作権を持ち、或は持たなかつたかによつて自ら取消し得る農地と、取消し得ない農地が決定する。買収時期に控訴人が耕作権を持ち現実に耕作していたのは第一項の三反九畝二四歩でこの農地の上に有する控訴人の耕作権はどこまでも保護せらるべきで取消し得ないのである。若し取消し得るとすれば、買収時期に控訴人が未だ耕作に着手していなかつた農地、即ち前記三反九畝二四歩を除く他の農地であつて、これは村委員会の裁量(自創法第十六条二項、同法施行令第十七条一項五号、同令第十八条)で他の者に売渡すことのできたものである。

然るに、右の如き明白な事案において村委員会は元耕作者等に何等法的根拠のない耕作人異動承認取消申請(その内容は売渡人変更の申請であるが右申請は元来買受申込をしなかつた元耕作者にはその資格がない)といふ不信行為をさせ、取消事由がないため不実の事由、即ち「控訴人が寺有農地の全面解放を予知し、これを買受けるため耕作権の譲渡を受けた。元耕作者等は控訴人に耕作権を譲る意志がなかつた。永久に苗代として使用させる履行不可能な内契約があつた。耕作人異動承認申請に印を押すとき元耕作者は耕作権まで取上げられるとは思わず、その書面に新耕作者の名前や申請理由の記載がなかつた。」等の趣旨を唱えさせ一方控訴人の正当な耕作に不法介入までさせて紛争に持込み、自らは苗代慣習による合意の存在を耕作人異動承認前に知り、右合意が所有権が控訴人に帰属しても消滅する(自創法第二二条)如き性質のものでなく、控訴人から合意を解消するわけなく、元耕作者に不安を与へるものでもないこと等の実情を熟知し乍ら、これを以て元耕作者に不安を与へる内約と詐称し、何等のきずもない耕作人異動承認を取消し、以て売渡相手方の変更を計つたので、その故意は明かである。

四、自創法による売渡手続完結後、耕作権の保護を眼目とする農地調整法(以下農調法といふ)を以て控訴人の本件田の耕作権を奪い、以て自創法を曲げんとした村委員会の意図は二法を混淆しそこにも故意叉は過失の違法がある。

五、その他村委員会の本件違法取消処分には次の如き故意又は過失がある。

(1)  村委員会は本件取消処分審議に当り、控訴人を本件田の地主(買受前からの)とし既に耕作権を控訴人に譲つている元耕作者を本件田の耕作者(小作人)とする故意又は過失による誤認に立脚して本件違法取消処分をしている。

(2)  村委員会は本件取消処分は、自発的職権取消であると主張したが昭和二十三年九月三日の村委員会議事録(甲第四号証)及び同日作成の裁定書(甲第二号証の三)を以て明かな通り、西干二等元耕作者の「農地耕作人異動承認取消並に農地売渡人変更申請」に対する裁定であつて職権取消でなく、斯様な裁定は農調法、自創法の何れにも基かないものである。

(3)  村委員会は本件取消処分審議の会議に常に元耕作者等の親族であり、庇護者である石川県農地委員四柳徳夫を列し議事に参与させ元耕作者の利益を計り以て本件違法取消処分をしている。

(4)  第三項に掲げた村委員会が元耕作者をして唱えさせた不実の取消事由が仮りに元耕作者等が自ら作出したものとしても、その虚偽であることは、宝泉寺有農地の買収事情、諸岡村の苗代慣習の実態、同村農民組合活動等による一般農民に対する農地改革知識の普及等を知悉する村委員会が分らぬ道理なく、若し分らぬとすれば、その真偽を明かにすべきをそれもせず、唯元耕作者等の云うまゝに本件取消処分をしたのである。

委員会が努力したのはこの違法取消処分を如何にして合法化するかの点にあつただけである。

六、農地調整法第一条の「耕作者の地位の安定」とは耕作権の保護を意味し、同法の眼目であり、控訴人も等しくその保護を受ける小作農であつた。村委員会において本件耕作人異動承認の審議に当り、当事者の地位の安定、控訴人の耕作能力等が充分審議されたことは証人本井富蔵、同芝田一郎等の証言(乙第六、八号証)により明かである。唯当事者合意による申請であつた為議事録に詳しく記載しなかつただけで、当時本件田は旱害常習田であつた為これを防止すること、即ち「農業生産力の維持増進」も承認の重要な事由の一つであつた。

斯様に当事者合意の上、且、村委員会の充分な審議を経て、農調法の目的に反することなく、耕作権移転の承認がなされ、当時控訴人においてその農地の買受等全く念頭になく、後政府の買収方針変更により止むなく自創法による売渡を受けたのであつて、耕作権の取得と所有権の取得との間に何も作為的関連がなく別個のものである。然るに自創法による売渡相手方を変更せんため即ち、自創法を曲げんため所有権取得に先行する耕作権取得につき、その耕作権の保護を眼目とする農調法の目的に逆行し先の耕作人異動承認を取得し而も右の手段として昭和二十三年一月二十三日の本件田の売渡計画樹立の村委員会議事録を後日売渡決定をしなかつたように書替変造することによつて右売渡通知書を控訴人に交付しなかつた如く装い本件取消の合法化を図つたのは無法な権利の侵害であつて違法の最たるものであり、故意又は過失によるものである。

七(1)  本件農地の元所有者真言宗宝泉寺は檀徒少く且、檀徒か寺の経常費を負担しない習慣の為代々住職は寺有田畑約八反歩(本件田を含む)を耕作し生計を立て、一方寺の経費を補助して来た。故に百姓寺と云はれ、控訴人の代になつても同じであつた。

(2)  控訴人は昭和九年に宝泉寺再建に着手、能登四郎を二回にわたり勧財し昭和十八年内部造作未完のまゝ屋根瓦葺を漸く済ませ事業を打切つたが戦争次第に激しく控訴人の召集も必至になつたので再建中預けた田畑は返還を求めずそのまゝにした。

(3)  昭和十八年九月当時の村長山崎寅吉氏の「召集が来ても本俸だけ家族に当るから役場に入れ」との好意にて役場書記となり翌十九年二月応召入団し不在中宝泉寺が農兵隊の宿舎に当てられ、妻はその世話を引受けた等で田畑の殆どを一時他人に預け結局終戦時には畑一反九畝一歩が残つていた。(乙第十一号証)

(4)  田畑を他人に預ける際作れるようになれば何時でも返す約束であつたが終戦当時の食糧事情並に熾烈な農民運動のためそれも出来ず困り甲第二二号証の通り頼んだ処後に詳述する種々の事情で元耕作者等も譲つてくれ昭和二十二年度から本件田の耕作をした。その際右田はよく苗代に使われていたので村のしきたりにより苗代をしたいときは何時でもしてよい話合であつた。

(5)  昭和二十二年二月頃寺院は一町歩の小作地保有が認められるとの新聞報道があつて控訴人も時節柄寺に一町歩も残れば充分と思い、村一般も、村委員会も左様に信じていたことは、同年十一月上旬立てられた宝泉寺農地の最初の買収の際一町二畝二八歩を買収し、一町三反八畝二七歩を残したこと(甲第二九号証の一、二)即ち村委員会は控訴人の耕作地三反九畝二四歩を寺の自作地と考へたのか、或は控訴人を寺有地の地主と考えたのか、明かでないが、三反九畝二四歩の外に一町歩(九反九畝三歩)計一町三反八畝二七歩残したことで分る。従つて、当時控訴人が本件田等が買収されるとの予想は勿論、その買受等全然念頭になかつたことも明かである。

(6)  ところが、次いで昭和二十二年十一月末頃の新聞(甲第三〇号証)が社寺有農地の全面解放を報じ宝泉寺農地の残全部が昭和二十三年一月二十三日の村委員会でその買収売渡両計画が立てられることになり、控訴人の買受申込をした一町八歩の内訳は次の通りである。

(イ)  買収時期に控訴人が耕作していた本件田を含む三反九畝二四歩(自措法施行令第十七条第一項第一号により売渡)

(ロ)  再建、応召のため一時転貸してあつた農地中近く控訴人に返す約束のできたもの、四反〇畝二五歩(同令第十七条第一項第五号による認定売渡)

(ハ)  右(イ)(ロ)農地と一筆又は隣接地で分割等すると将来必ず境界問題等紛争の起きるおそれある個所で頼んで譲り受けることとした乙第九号証中◎印を除く他のもの一反九畝一九歩(同令第十八条による認定売渡)

而して右(ロ)又は(ハ)の農地を売渡す代りに(イ)の農地を売渡さないというような自由裁量は法規上許されない。

右農地に対しては控訴人の外に誰も買受申込をした者なく、手続が進み知事の売渡通知書を昭和二十三年五月十日に受領し、これを村委員会に預け保管して貰つた。

(7)  此頃になつて控訴人の農地買受につき、外来者に農地を持たす要がないと云い振らす者が出て来た。その為か右(6) (ハ)農地の耕作者西干二、田辺態次郎村農地委員から不服が出て、村委員会が県へ照会し、永井照次氏等の来村になつたが、農業協同組合における永井氏等と元耕作者等との会合席上にて始め本件田については元耕作者等も何も申出をしなかつた、それを四柳徳夫県農地委員が本件田についても売渡のやり直しをして貰え皆も頼めと励め其後西干二山崎庄次郎等が中心となり、他の元耕作者をさそい、その親族関係等ある県村両農地委員をして、控訴人農耕の根幹である前記(6) (イ)中の本件田の売渡取消をしたので行政訴訟にまで発展した。尚村委員会、西干二、高田政治、山崎庄次郎等は(6) (ロ)農地の売渡取消も策謀したが(ロ)農地耕作者等はその策謀に応じなかつた。

八、控訴人は先代に引続き耕作していた田畑を再建、応召等のため一時他人に転貸した状態で終戦を迎へ、その住職等は信施収入少く寺も住職も立行かないので、旧耕作反別に復する必要があつて、本件田は先代まで耕作していた縁故地でもあり、控訴人並に寺の実情を知る元耕作者から、その農業経営に支障のない僅かの面積で、当時毎年旱害を受け乍ら供出は減収を考慮しない反別割という苛酷なもので多少その耕作が厄介視されていた為控訴人一人でこの一団地を作れば少い水も有効に使え、旱害も幾分防止でき増産できると譲渡協議が成立し、村委員会もこれ等の実情を了知承認したので、その時の控訴人の耕作地は本件田を含めて三反九畝二四歩であり、控訴人の耕作能力に関する認定は勿論、その他何等の誤認も手落もない完全な耕作人異動承認であつた。故に取消さるべき何等の事由もなかつた。尤も村委員会は議事録に承認理由が詳記されていない(本件承認ばかりでなく村委員会議事録の記載は皆簡単である)のを幸に、苗代慣習による合意が元耕作者に不安を与えるとか、元耕作者が控訴人に耕作権を譲る意志がなかつたとか、耕作権の譲り受けは買収農地の買受が目的であつたとか、控訴人に耕作能力がないとか、色々の取消事由を挙げているが一つとして真実のものなく取消さんがために作出し、且、元耕作者等に含めて唱えさせたもので、そこに明白な故意少くとも過失がある。

九、本件田は控訴人農薬経営の根幹であることは買収時期に於て耕作していた三反九畝二四歩中の一部であることの外その重要性は次の諸点にある。

(1)  控訴人買受田地二反五畝二八歩中本件田一反四畝四歩を失えば残り一反一畝二四歩になり、年間飯米にも事かく所謂転落農家に転落し、経営に致命的打撃を受ける。(注、二一字三四ノ三、一畝二一歩は現況畑である)

(2)  別表二(甲第四二号証)の示すとおり、本件田の如き一毛作田の年間所要労力は反当一九七、五時間(約二五人)に対し畑作は年二作で最も労力を要しない大麦と大豆(但し大麦と大豆を作つていては欠損である)を作るとしても年間反当二三六、一六時間(約三〇人)を要しこれが他の煙草や野菜を作ると一作で米作の所要労力を超過する、斯様に労力面から見るも田作は畑作より耕作が容易であり村委員会は控訴人の労力を云々して取消したのであれば所要したのであれば所要労力の大きく且取消可能の畑地(第七項(6) (ロ)農地)にした筈である。それをしなかつた事由は外にある。(後述)

(3)  その上収益が畑地より田地の方がはるかに良いことは、田畑の旧賃貸価格を比較しても又別表三(甲第四三号証)田畑の売買価格を見るも田は畑の数倍の高値であり、諸岡村地区にても現在反当十八万乃至二十八万円する田に対し畑は反当六万乃至九万円であることから田地の農業経営に占める価値の如何に大きいかゞ分る。

(4)  元耕作者等に例をとるもその耕作田反別は皆二反歩以上であり諸岡村の田畑の面積は各々約百町歩で「田畑の割合を適正にする」との自創法施行令第二〇条の規定からしても、控訴人にとつては本件田は基本的農地である。

右の如く控訴人が農業に精進する為、技術的にも経済的にも最も重要な本件田を奪つた村委員会の処分は、耕作者の地位を安定し、農業生産力の維持増進を図るどころかこれに逆行し、法規にも実情にも違背し正に常軌を逸脱した故意又は過失行為である。

一〇、控訴人一家は先代に引続き田畑を耕作し、米作の経験は勿論あり、農産物供出も怠りなく割当に対し超過供出までして来た。その買受地は住居周辺に集団し農耕所要労力は一般農家の六、七割にも達しない為、たとえ一町歩あつても六、七反耕作するのと同じである。

諸岡村の一戸平均耕作反別は五反といいならされているが、実際の調査によると五反以上一町未満の耕作農家が最多数を占め、その平均耕作反別は七反三畝で、一町以上の農家が二十九戸ある。控訴人の買受面積が他に比して多くなつたのは、不在地主の農地を主に耕作していた方と同じく、その耕作地が全部宝泉寺の所有で全面解放された為で控訴人の作為ではない。現在一町歩位までの耕作農家の経済は別表四(甲第四四号証)のとおり賃労又は俸給収入なしに生活を維持できない実情にあり、しかもこの兼業農家は全農家の七〇%に達し、諸岡村にても農家三八四戸中三五五戸即ち八七%まで斯様な兼業農家で、控訴人もその一人であり且、控訴人等の如き農村役場書記の俸給の低額でそれのみにて生活を維持できないことも常識である。

控訴人住居は寺院のため、牛馬を置かないが、畜力を要する田は僅か二反五畝二八歩でさしてその必要を認めず、廐肥の代りに牛馬の飼料とする藁は境内落葉と共に堆肥として施用しているから差支えなく、字道下には共同作業所が四ケ所もあつて脱殻調整等総て機械を利用し当地方で使用されている農業用機械器具は皆利用している。現在何処の農村にても機械力を利用しない農家等あるわけがない。

右主張に反する原審認定は誤りであり、しかも一事不再理の原則に反してなされたものである。

一一、本件農地の買収売渡両計画の立てられた昭和二十三年一月二十三日は強制農地解放開始以来既に一ケ年経過し、其間市町村農地委員会に対する県の指導も徹底し、一般農民に対しても農地解放の趣旨は浸透していた。

特に終戦後間もなく農民組合が結成され活発に活動していた諸岡村においては尚更であつた。本件田と同時に買収された宝泉寺農地につき西干二、高田政治、関保等元耕作者は買受けしているので、元耕作者等も宝泉寺農地の全部解放をしつていたわけである。然るにその時何も云わずに黙過し、売渡手続完結後に売渡人変更申請の不信行為の挙に出たのは、政府の社寺有農地買収方針の変更で本件田の所有権まで控訴人に移ることになつた為、農地の所有に強い執着を持つ農民心理として無理からぬことであるが、外来者の控訴人に対する排他感情も手伝つて心境の変化を起し、永井照次氏来村の席上、元耕作者西干二、山崎庄次郎等が「苗代跡の植付から施肥、除草等一切の手入をして木原は唯刈取るだけ」と全く虚偽の申述をし、永井氏等はこれを信じたため「植付した者に権利がある。木原が取消をきかなければ一応白紙にしてでも取返してやる」又苗代慣習の実態を知らなかつたため「苗代もできなくなる」と言明し、村委員会はこれ又永井氏等の指導に責任を転嫁して本件違法処分を敢行したものである。

一二、「農業に精進する見込あるもの」とは近視眼的なものでなく、後継者の有無まで考慮した上での「将来見込ある者」の意であることは農政局長通達も示す処であり控訴人の如きは、自己の生計のみでなく寺院の維持まで負担し、是が非でも農業に精進せざるを得ない者で、特に現金収入の少い農村ではたとえ畑を離すことがあつてもある程度の田の耕作だけは確保しなければならないのである。

一三、昭和二十三年度収穫折半の村委員会勧告は勧告の形を取つているが、元耕作者をして控訴人の本件田耕作に不法介入させたのが村委員会であり始めから紛争を起させ、元耕作者に売渡を変更する一方収穫もさせる計画でしたことで勧告(乙第十号証も同じ)とは永井照次氏等に教へられた単に表面を糊塗する形式に過ぎず裏面では刈取の実行を推進しているので、控訴人の昭和二十三年度収穫半減の責は村委員会にある。村委員会は後日昭和二十三年九月三日付議事録を書替え折半勧告事項を附加し表面をつくろつたのである。

一四、控訴人主張の本件農地耕作人移動承認取消処分はさきに別件名古屋高等裁判所金沢支部昭和二五年(ネ)第二八号決議無効確認控訴事件の判決によりその取消処分は違法であるとして之を取消され該判決は上告棄却となり確定したから該確定判決の既判力並き束力により本訴に於ては右耕作人異動承認取消処分に関し右確定判決の趣旨と異なる認定は許されないのに原判決は右取消処分を有効と判示したのは一事不再理の原則に反し違法である、尚右確定判決の既判力には(一)従来の慣習に従つた本件苗代に関する合意は今次農地改革の政策に背反しない(二)控訴人を耕作者とすることは耕作能力のない者に耕作地を与える結果招来することとはならないとの事項も包含するものである。

一五、控訴人が損害額として主張する内訳は別紙損害額計算書の通りである。

被控訴代理人の陳述

一、控訴人の前記主張事実については被控訴人の従来の主張に反する部分はすべて否認する、控訴人主張の宝泉寺所有農地につき山崎庄次郎外六名の元耕作者は何れもその先代或は数十年前から小作しているもので控訴人主張の如き事情ではない。

二、原判決の認定が既判力に反するとの控訴人の主張につき既判力の客観的範囲は判決主文に包含するものに限り認められるところで被控訴人も甲第一号証の判決主文にうたわれている事項そのものについては少しもこれを争わぬのである。而して右甲第一号証の抗告訴訟で確定した違法がそれを原因とする本訴の国家賠償請求事件に於て訴訟物たる不法行為による損害賠償請求権の原因事実の存否についてまで効力を及ぼすものではない。既判力それ自体は主文に包含するものに限る以上被控訴人は今更甲第一号証の判決主文が不当とは申さぬが(但し事実認定はこの事件の原審認定が正しいものである。)行政事件訴訟特例法第十二条の拘束力の点については要するに行政権の実質的一体性の結果その判決がこれらのものを拘束しその行政処分に関しては判決の趣旨に従て行動するようき束されると云う丈のことであつて当該官吏の故意過失の存否を判断する損害賠償事件に於て抗告訴訟で為された事実の認定に拘束されるものではない。行政処分の取消というようなことは公益性の存否と法的秩序の尊重という二大要素を慎重に考察した上為さるべき処分でその原因たる幾多の事実については所謂拘束力は及ばない、甲第一号証の判決は控訴人に耕作能力ありとたやすく認定しているが右は取消事由の一縁由たる事実にして取消事由のなかつたことの確定については或は拘束力が及ぶかも知れぬが耕作能力の存否の認定にまで拘束力は及ばないと解する、従て原審判決が証拠調の結果を充分検討し下した判断は正当である。仮りに一歩を譲つても取消処分をした当該公務員に故意過失のないことは極めて明瞭である。

証拠〈省略〉

理由

第一、

控訴人は石川県鳳至郡諸岡村(現在町村合併により門前町となる)字道下にある宗教法人宝泉寺の住職にして旧諸岡村役場吏員を兼ねると共に右宝泉寺有農地の一部(昭和二十一年末現在で田畑二反三畝二六歩乙第十一号証)を耕作していたもの、被控訴人は我国農地制度改革のため旧自作農創設特別措置法(以下単に自措法と略称する)並旧農地調整法(以下単に農調法と略称する)を制定し之に基き耕作者の地位の安定と農業生産力の維持発展を図るため急速且広汎に自作農を創設し其他農地関係の調整を為すことを国の事業となし之が事業遂行のため行政事務担当の第一線機関として各市町村に市町村農地委員会を設置し之を維持するもの、諸岡村農地委員会(以下単に村委員会と略称する)は主務大臣並県知事の監督の下に前記農地改革に関する事務を担当する国の行政機関にして農地の買収売渡計画の樹立其他農地関係等の調整事務を処理する合議体の機関で昭和二十三年当時農地委員高坂良(会長)宮永良太郎、本井富蔵、森下文太郎、亀山徳太郎、神崎長松、塩谷由太郎、田辺熊次郎、高田政治を以て構成され、右委員会の庶務従事者として書記高坂茂吉、同森三郎が之を補助していたことは当事者に於て互に明かに争わないから自白したものと看做す。

また別紙目録記載の農地は元宝泉寺の所有であつて同目録記載の元耕作者等が耕作していたこと、控訴人は右耕作者等と協議の上右耕作者等は右農地の耕作をやめ控訴人に於て之を耕作することに合意し右耕作者異動につき昭和二十二年六月十七日前記村委員会の承認があつたこと、法人所有農地の全面買収方針の実施に伴い同村委員会も昭和二十三年一月二十三日本件農地を含む宝泉寺所有全農地の買収計画並本件農地の買収時に於ける耕作者を控訴人とする売買計画を樹立し石川県農地委員会も之を承認した結果同年五月十日石川県知事から本件農地の売渡期日を同年三月二日とする売渡通知書が発せられ、控訴人は同日之を受領したこと。然るに右元耕作者等は同村委員会に対しさきになされた耕作者異動承認の取消と本件農地を元耕作者等各自に売渡されたい旨の申請を為し同委員会は之を容認し同年九月三日前記耕作者異動承認の取消決議を為すと共に控訴人に対する前記売渡計画の取消決議を行つたこと、次で石川県農地委員会も同月十一日右両取消決議を承認し且右村委員会の右売渡計画に対する県委員会の承認を取消したこと、そこで控訴人は右県村両委員会の取消処分の取消を求めるため行政訴訟を提起し(第一審金沢地方裁判所昭和二三年(行)第二一号、第二審名古屋高等裁判所金沢支部昭和二五年(ネ)第二八号、上告審最高裁判所昭和二六年(オ)第六号)本件農地の確保に努めなければならぬ羽目に立到つたこと、右訴訟の結果は右村委員会の耕作者異動承認並控訴人に対する農地売渡処分の各取消決議及右両取消決議に対する県委員会の承認並県委員会の売渡計画承認の取消決議を何れも取消す旨の控訴人勝訴の第二審判決があり該判決は昭和三十年二月上告棄却の判決により確定したこと。それで控訴人はその間昭和二十四年から昭和二十九年まで本件農地の耕作が出来なかつたが昭和三十年度から耕作を開始できるようになつたことは何れも当事者間に争がない。

第二、

前記認定の事実に依れば控訴人は元耕作者との合意と昭和二十二年六月十七日の右村委員会の耕作者異動承認とにより本件農地の耕作権を取得し次で昭和二十三年五月十日附石川県知事の控訴人に対する本件農地売渡通知書の受領により本件農地の所有権を取得し自作農となつたのであるから若し右村委員会の前記各取消処分がなかりせば控訴人は昭和二十三年から完全に本件農地を耕作しその収穫をあげ得た筈であつた、従つて控訴人が昭和二十四年度から昭和二十九年度まで本件農地を耕作することができなかつたのは前記の如く村委員会が昭和二十三年九月三日右異動承認並売渡計画を取消したことに基因するものと一応推定することができる。

次に控訴人の昭和二十三年度に於ける本件農地からの収穫は右村委員会の前記取消処分と収穫物折半取得勧告とにより元耕作者等との折半取得となつたことは当事者弁論の全趣旨により之を認め得られる。

そして右村委員会の前記取消処分が違法であることは成立に争のない甲第一号証の一、二に依り明かである。

更に右村委員会の昭和二十三年度収穫物折半取得勧告が違法であるかどうかを案するに

成立に争のない甲第二号証の一、甲第三号証、甲第十五号証、甲第二十三号証、甲第二十五号証の一、二、甲第二十六号証、甲第三十一号証、甲第四十八号証、乙第六、七、八号証、乙第十号証、原審証人西干二、同木原はぎ、同山崎庄次郎、同高田政治、同田辺熊次郎、同高坂良、同本井富蔵の各証言、右西干二の証言により真正に成立したと認める甲第二十八号証並原審に於ける原告本人訊問の結果を綜合すれば控訴人は昭和二十二年三月頃本件農地の元耕作者等と協議の結果同年度から元耕作者等は本件農地の耕作をやめ控訴人に於て之を耕作するとの合意を為すと共に元耕作者等には同地方の慣習に従い本件農地に於て苗代だけをさせることとし苗代終了後は田植を為して本件農地を控訴人に引渡すことを約し前記認定のように右村委員会の承認を得た上で同年度は控訴人に於て元耕作者等の苗代終了と共に夫々その引渡を受けて之が耕作管理を為して収穫物を取得したが昭和二十三年度には元耕作者等に於て苗代を作りその終了後本件農地を控訴人に引渡したが其頃知事から控訴人に売渡通知書が発せられたので之を聞知した元耕作者西干二、村農地委員田辺熊次郎から不服を唱え出し右村委員会に陳情して来たので同委員会は石川県農地委員四柳徳夫、同委員会書記兼石川県農地部農地課技師永井照次と協議の上元耕作者等をして同年五月二十八日本件農地外数筆の元宝泉寺所有農地につき耕作者異動承認取消並農地売渡変更申請書を村委員会に提出せしめ数次に亘り右委員公を開催して審議の結果同年九月三日右の取消決議を為したのであるが右の如く村委員会の問題となつてから同委員会書記高坂茂吉前記四柳徳夫、永井照次等は本件農地の耕作権は依然として元耕作者等にある旨申向け耕作を為すよう勧めたので同人等の言により元耕作者等は耕作権があるものと信じ同年度の苗代終了後も引続き本件農地に立入り耕作管理を為し一方控訴人に於ても自己の耕作権所有権を主張して苗代終了後の本件農地の支配管理を為し双方が対立紛争するの事態を惹起したので右村委員会は前記取消処分を為すと同時に右の紛争防止のため同年度の収穫を元耕作者と控訴人とで折半して取得するよう勧告し同委員会書記高坂茂吉、森三郎をして現地につき控訴人の同意がないのに繩張りをさせて各自の収穫範囲を区分して各自に之を収穫させたものであること、右苗代慣行による本件農地の使用関係は控訴人居住地方の特殊の慣行で民法上の賃貸借とは認められず苗代育成期間だけの好意的一時使用関係であり苗代使用後該農地の耕作者に当然返還せらるべきものであることが夫々認められる。従て本件農地の耕作は昭和二十三年も控訴人が為し得るもので苗代終了後は当然控訴人に占有権が帰したのである。然るに右村委員会四柳徳夫、永井照次等が前記元耕作者等の訴を取上げて問題とし且元耕作者等に当然耕作権があるかの如く申向けたため同人等に於て之を軽信し苗代終了後も本件農地に立入り前記の如き紛争状態を生じたものであるし更に前記異動承認並売渡計画の各取消処分を為した結果紛争解決の方法として収穫物折半取得の勧告を為さゞるを得ない羽目となつたのであるから右村委員会の右取消処分其他前記紛争介入のことがなかつたならば昭和二十三年度も控訴人に於て本件農地の全収穫をあげ得た筈であることは推認に難くない、然れば同年度に於ける控訴人の収穫半減は右委員会等の介入行為に基くものと認むべく前記認定のように異動承認並売渡計画の各取消処分が違法である限り同委員会の為した収穫折半勧告現地に於ける繩張行為等は何れも違法であると謂わなければならない。

第三、

而して自措法農調法に基く農地の買収売渡其他の自作農創設事業並農地関係調整の事務は国家の公権力により強制する国の行政事務であつて、市町村農地委員会は右国の行政機関として前記各法律の規定により与えられた職務権限を有するのでその職務権限の行使は即ち国の公権力の行使に該当することは疑を容れないところである。従て前記村委員会が為した農地の移動承認取消処分並売渡計画取消処分及収穫物折半勧告農地の繩張等が違法に行使されその職務を行うについて故意過失があつたときはその処分により損害を受けた者に対し国は国家賠償法第一条により損害を賠償する責に任ずべきものと解する。尤も同法第一条には公権力の行使をする公務員とあるが公務員を以て構成する合議機関についてはその合議体の性質上その行動は之を構成する公務員の意思活動の結果によるものでその公務員の多数意思は即ち機関の意思と看做されるのであるから機関の行為は自然人たる公務員の場合と同様に解すべきである。

被控訴代理人は昭和二十三年度に於ける本件農地の収穫につき村委員会が控訴人並元耕作者に対し折半取得勧告決議を為し同委員会書記が之に従い現地につき繩張を為したとしてもこれは農地の占有を強制的に移転せしめる実力行使であつて同委員会の権限外の行為であり公権力の行為には該らないと主張するけれども市町村農地委員会は旧農調法第十五条同法施行令第十四条に定める職務権限を有し農地の利用関係につき斡旋及争議防止の職務権限を有するから本件農地の昭和二十三年度の収穫につき紛争防止のため村委員会が折半取得勧告を為したことはその職務権限に属するものと一応認められる、唯右勧告に基き同委員会書記をして現地につき繩張をなさしめ控訴人の同意なくして直接私人の占有関係に立入つたことは右権限の行使として行過ぎの観があるのであるが村委員会並に同書記は右の如き措置も亦その職務行為に属するものと誤認した結果であることは原審証人高坂良の証言に依り推認し得られる、かゝる職務上の権限を踏越えた行為をした場合でも前記の如く農地に関する紛争防止のための調整権限のある限り右行為も村委員会の職務行為と解するのが相当であるから被控訴代理人の右主張は採用しない。

第四、

進んで右村委員会の前記各認定の違法な職務執行処分が同委員会を構成する農地委員や同委員会書記の故意又は過失に基くものかどうかについて考察することとする。

(1)  成立に争のない甲第十五号証甲第二十号証の一、二、甲第二十一号証甲第二十五号証の一、二、甲第二十六号証第二十九号証の一、二、乙第十一号証前掲甲第二十六号証原審証人木原はぎ、同高田政治、同西干二、同山崎庄次郎の各証言、原審における原告本人訊問の結果を綜合すると、控訴人が住職を為す宝泉寺は元二町四反歩余の農地を所有していたが檀徒が少く且檀徒は寺の維持費を負担しない習慣となつておるため寺の維持は住職個人の費用を以てしなければならない関係上代々の住職は右寺有地の一部を耕作して来たので俗に百姓寺と称されていたこと、控訴人は本籍地和歌山県から控訴人先代の養子として来たもので控訴人先代までは本件田を含む七反歩位を耕作していたが控訴人が住職となり昭和九年頃から寺院建物の改修築を計画し寄附金募集に奔走したためと其後今次戦争に応召する等のことがあつて従来の耕作地を小作に卸し終戦当時は僅かに畑一反九畝一歩を控訴人の妻等に於て耕作していたに過ぎなかつたが終戦後控訴人は復員し控訴人一家の生活と寺の維持のため並当時農地改革が実施せられ寺院所有農地の解放が行われるやも知れない形勢となつたので寺の保有農地の確保のためから寺の農地を耕作する必要が生じたので昭和二十一年に小作人から田四畝二十五歩の返還を受け、更に昭和二十二年には本件田一反四畝四歩を含む一反五畝二十八歩を元小作人中野作太郎外八名に懇請して之が返還を受け昭和二十二年末現在で田二反二十三歩、畑一反九畝一歩計三反九畝二十四歩を耕作することとなつたこと、控訴人一家には右三反九畝二十四歩を優に耕作する能力のあること、右元小作人中野作太郎外八名は何れも宝泉寺の檀徒であつて宝泉寺のためを思い控訴人の申出に応じ任意に前記農地の返還に同意したものであること。控訴人が右元耕作者等に本件田を苗代田として使用することを認容したのは控訴人居村に於ける一般農家の慣習に従う一時的使用権を好意的に認めたもので永久的に賃借権又は使用賃借権を設立したものではなく而も本件田は苗代田に適し従前から永年苗代田として使用されて来たこと、従て右田地の返還と苗代田使用の認容とは交換的条件関係に立つものではなく右土地返還につき右元耕作者等に何等意思の錯誤は存しなかつたことが認められる。右認定に反する原審証人山崎庄次郎、同西干二の証言は措信しない。

また成立に争のない甲第一号証の一、二、甲第十五号証乙第六、七、八号証原審証人高田政治、同高坂良、同田辺熊次郎、同本井富蔵の各証言に依れば右苗代田の使用関係は控訴人居村に於ける昔からの慣習で今次農地改革後に於ける解放農地についても今尚慣行されており而もこれが使用につき行政庁の承認又は許可の手続が取られておらず右村委員会においても未だかつて之を問題にしたことのないこと、本件田が従前から本慣習に依り苗代田として使用されて来たことは村民一般が知悉しおること、従て右苗代田の使用は特に行政庁の承認許可がなくとも今次農地改革の政策に反するものでないと一般に認識されており之が使用の約定は毫も履行不可能なものでないこと、並控訴人は今尚元耕作者等が本件田を苗代田に使用することを認容しており、かつて之を認めないと申向けたことのないことが認められる。

(2)  原審証人高坂良、同本井富蔵、同高田政治の各証言、成立に争のない甲第三号証乙第六、八号証に依れば村委員会は控訴人の申請にかかる本件田の耕作者異動承認に当つては元耕作者の耕作情況苗代田使用の特約控訴人の耕作能力等を充分審議の上当事者の合意を承認する決定を為したものであることが認められる。

(3)  成立に争のない甲第十八号証、甲第十九号証、甲第三十号証及自措法第三条第五項第三、四号に依れば法人其他の団体でその耕作の業務が適正でないものの所有する自作地、法人其他の団体の所有する小作地は農地委員会が命令の定めるところにより自作農の創設上政府に於て買収することを相当と認めたものは買収することになつたが政府は昭和二十二年一月六日付農林次官通達を以て寺社有農地は一町歩を限度として之を残すか否かは小作農民の自由意思に任す方針を定め其旨通達したが其後同年十一月二十六日の同次官通達を以て右方針を変更し寺社有地は自作地小作地の別なく原則として全部買収するが右買収した農地の処分については僧侶が寺有地を小作している場合その者が自作農として農業に精進する見込のある者に該当すれば一般の例にならいその者に売渡す旨の方針を定めて通達したことが認められる。

(4)  右事実に成立に争のない甲第四号証の二、甲第二十九号証の一、二並当事者弁論の全趣旨を綜合すると

控訴人が昭和二十二年六月十七日本件田の耕作者異動承認申請を為した当時は未だ宝泉寺有農地の買収は行われておらず寺有地の買収は一町歩を限度として小作農民の意思により寺有地として残すか否かを決定する政府の方針であつたので控訴人は前段認定の様に控訴人自身の生活と宝泉寺有地の確保のため本件田の元耕作者等に懇請して之が返還を受けたもので当時控訴人自身に於て売渡を受けることは予想しなかつたこと、然るに同年十一月末頃から右の如く政府方針が変更となりその結果控訴人が耕作する農地は売渡を受けられるように自然になつて来たことが認められるのであつて控訴人に最初から本件田の売渡を受ける目的があつたとは到底推認することができない。尤も

(5)  成立に争のない甲第三十二号証の一、二、甲第三十五号証、甲第四号証の二に依れば控訴人は他の宝泉寺有小作地計約六反歩余(何れも控訴人に於て売渡を受けた)につきその各小作人から数回に亘り之が返還を受け耕作者異動承認申請を村委員会に提出した事実が認められるけれども右の返還並異動承認申請は昭和二十二年十一月二十九日以降のことにして前記寺社有自小作地全面買収の政府方針変更決定後のことにかゝるから此分については控訴人自身買受の目的の下に為された農地の不法取上げとの疑なきにしもあらずであるが此事実から政府の全面買収方針決定前に行われた本件田の返還についても買受の目的で為された不法取上と推断することは相当でないと認めるから右甲第三十二号証の一、二、甲第三十五号証の存在は未だ以て本件田の返還が買受目的の下に為されたものとの資料とするに足りない。

(6)  右の事実と控訴人が本件田につき昭和二十二年度は苗代終了後之を耕作収穫し昭和二十三年度も苗代終了後之を耕作管理した前段認定の事実並本件田の政府買収は自措法第三条の現状買収であること(甲第二十九号証の一、二により明かである)を綜合すると控訴人が本件田が政府買収となつた昭和二十三年三月二日当時之につき耕作権を有し且買受の申込を為したものであるから自措法第十六条第十七条同施行令第十七条第一項第一号の規定により本件田の買受適格者である。尚本件田の買収は現状買収であるから村農地委員会としては本件田の売渡の相手方を控訴人とするか元耕作者とするかの自由裁量権を有しないのであつて買受申込をした控訴人に必ず売渡さなければならないのである。仮りに控訴人に農業に精進する見込がないとの認定となつても同人が既に耕作している本件田に対する耕作権を奪うことはできなから自措法第二十三条による農地の交換分合の手続を経た上でなければ本件田を元耕作者等に売渡すことはできないのである。さればこそ村委員会は控訴人に対し昭和二十三年三月二日付で本件田の売渡を為したのであつて右売渡は当然且適正な措置と云うべきである。

しかるところ西干二、山崎庄次郎の元耕作者等は昭和二十三年五月十日本件田の売渡通知書が控訴人に交付されたことを知るや本件田は宝泉寺の農地として保存するため返還したものであるのに寺有地として残らず却て控訴人個人の所有となつたことに不満を抱いたのである、農地の所有につき強い執着を持つ小作農民として無理からぬことではあるが右売渡は控訴人の所為によるものではなく当事者双方の予見しなかつた寺社有地全面買収と云う政府方針変更の結果に基くものであることは前説示により明かであつて真に已むを得ないところであるから右売渡は毫も瑕疵あるもではないのである。而して

(8)  成立に争のない甲第二十九号証の一、二、甲第四号証の一、二、甲第四十七号証の二、三、四、甲第四十八号証原審証人西干二、同高田政治の各証言並当事者弁論の全趣旨を綜合すると右元耕作者等を含む元宝泉寺有農地の小作人は同寺所有全農地二町四反歩の内一町四反歩余を夫々分割売渡を受けたのであるが農地所有に強い執着を持つ農民心裡から右元耕作者西干二、山崎庄次郎が中心となり他の元耕作者を誘い控訴人に売渡す位なら自分等に売渡せと主張し県当局並委員会に働きかけ不平を唱えたので当時の石川県農地部農地課技師兼県農地委員会書記であつた永井照次等が来村して種々調査し同村出身で当時県農地委員会委員であつた四柳徳夫も右永井に右売渡の不当を唱えて右売渡処分をやり直し元耕作者等に売渡すよう要請し村委員会書記高坂茂吉は控訴人から本件農地を取戻してやる等と申向け同人等の協議により元耕作者等からさきに為された本件田の耕作者異動承認の取消申立並右農地の売渡申請書を昭和二十三年五月二十八日提出せしめた上右村委員会は数次に亘り審議を為し其間右永井照次、四柳徳夫の意見を聴き之に従つて昭和二十三年九月三日右承認及売渡の各取消並元耕作者等に対する売渡を決定したことが認められる。

(9)  右取消の理由とするところは元耕作者等は控訴人に耕作権を返還する意思がなかつたこと、控訴人は宝泉寺有農地の全面解放を予知し之が買受の目的を以て本件田の不法取上を為したものであること、苗代田永久使用と云う履行不可能な内約があり右内約は元耕作者等の苗代使用に不安を与えること、控訴人は一町八歩もの農地を売渡されているが控訴人にはその耕作能力がないこと等で右は今次農地改革の趣旨に反し容認し得ない性質のものであると謂うにあることは成立に争ない甲第二号証の一、二、三、甲第三十一号証乙第九号証原審証人高坂良、同田辺熊次郎、同高田政治、同本井富蔵の各証言により之を認め得る。

(10)  右村農地委員会の指導に当つた永井照治技師の意見は控訴人が今次農地解放により一町八歩の元宝泉寺有農地の売渡を受けたのはその一家の労働力に比し過大であるから不当であること、右の如き過大な売渡を受け得たのは控訴人が右農地の買受を目的として元耕作者等から農地の不法取上を為したためであること、本件農地も控訴人が買受目的の下に不法取上を為したものであること、本件農地の返還につき苗代田永、久使用の内約が条件となつているが(控訴人提出の耕作者異動申請書甲第二十二号証には苗代田永久使用の特約あることは表示されていないので之を裏面の特約と認めた)右内約は農地につき権利を設定するものであるから知事の許可を要するのに之が許可がないのみならず右内約は法的根拠のない苗代使用者にとり極めて不安定なもの(控訴人に於て何時でも之が使用を拒否し得るから)で而も農地売渡によりかかる権利は消滅する(自措法第二十二条)ものであつて、かかる内約を条件とする農地の返還は今次農地改革の趣旨に反し無効であると云うのである。同人は右見解に基き村農地委員会に本件田に対する耕作者異動承認の取消並売渡処分の取消方を勧告したものであることは原審証人永井照次の証言並前項掲記各証拠に依り認められる。

(11)  村農地委員会の各委員は右永井技師の見解勧告に従い右の各取消決議を為したものであることは前掲証人高坂良、同田辺熊次郎、同高田政治の各証言に徴し明かである。

(12)  成立に争のない甲第四号証の二、甲第十六号証甲第二十四号証甲第二十七号証の一、甲第四十六号証甲第四十七号証の一に依れば村委員会は本件農地其他元宝泉寺農地を昭和二十三年一月二十三日の委員会で控訴人に売渡す決定を為し次で之が売渡通知書を控訴人に交付しておきながら右昭和二十三年一月二十三日の委員会議事録の記載を本件田に対する異動承認の取消並売渡取消処分の際右記載中本件農地の部分及控訴人の従来の耕作地以外の分につき買収のみを決定し売渡を決定しなかつたように書替えた事実が認められる。

(13)  原審証人山崎庄次郎、同田辺熊次郎、同高田政治、同西干二の各証言に依れば前記県農地委員四柳徳夫は元耕作者西干二、山崎庄次郎と遠縁にあたること、村農地委員亀山徳太郎、塩谷由太郎は右西干二と親戚関係にあること、村農地委員高田政治、同田辺熊次郎は元宝泉寺農地の小作人であり右田辺は元耕作者関保と親戚であること、村農委員会書記高坂茂吉は同地方に於ける農民組合の指導者であることが認められる。

(14)  以上認定の(1) 乃至(13)の各事実前掲各証拠成立に争のない甲第三十三号証の一、二、三、原審証人木原はぎの証言原審に於ける原告本人訊問の結果並当事者弁論の全趣旨を綜合すれば、

本件農地に関する控訴人と元耕作者等との耕作者異動の合意は之を法律的に観察すれば宝泉寺所有農地につきその住職である控訴人がその法定代理人として右寺と元耕作者等との間の本件農地の小作契約を合意解約したものと見るべきで元耕作者等から控訴人に耕作権を譲渡する合意と見るのは妥当でない、而して当時施行の農調法(昭和二一年一〇月二一日法律第四二号による第二次改正)第九条に依れば小作契約の合意解約は自由に当事者の合意により為し得たのであつて右農調法第九条の統制に服さなかつたものと解する、そのことはその次の第三次改正法である昭和二十二年十二月二十六日法律第二四〇号による農調法第九条第三項に初めて合意解約についても統制するに至つたことに徴し明かである。従て本件合意解約については農地委員会の承認は必要としないのであるから其後に至つて耕作者異動承認の取消を為すも毫も右合意解約の効力に影響を及ぼさないのであるし右異動承認の取消自体何等意味のないことである。そして右合意解約は、前記認定の通り元耕作者等の自由意思により為されたものであるから右合意は私法上の意思表示として完全に有効であつて且昭和二十二年度の収穫は控訴人に於てあげ更に昭和二十三年度も苗代終了後は控訴人に於て占有耕作していたのであるから其後に至つて行政庁が私法上一度有効に効力を生じた法律行為に介入することは原則として許されないところである、若し控訴人の生産労働力に比し売渡耕作地が多過ぎ元耕作者に余力あり且同人等をして自作せしめるのを相当とするならば右宝泉寺農地買収に当り自措法第六条の二に則り昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基く遡及買収を為す措置をとるか、当時施行の農調法附則第三条により賃借権の回復協議の承認及びその裁定に関する手続を取るべきである、しかるに村委員会は右の如き合法的措置に出ることなく、元耕作者から遡及買収売渡の申請もなく、控訴人に対する売渡通知書の交付により右売渡に対する異議出訴期間は経過し最早売渡処分が完結確定した後に至り前記合意解約に介入し而も一旦為した異動承認を特別の取消事情の認むべきものなくして之を取消し且確定した売渡処分を取消したのである、而して控訴人の場合本件田買受当時の耕作面積は本件田を含めて田畑合計三反九畝二十四歩であつて決してその労働力に比し適当ではない、成程控訴人は右の外尚六反歩余合計一町八歩の農地買受を為したが右三反九畝二十四歩は控訴人が昭和二十二年、二十三年に亘り現実耕作を為し耕作権を保有するものであるに反し其余の六反歩の農地は売渡当時未だ現実に耕作を為しおらず而も此分については不法取上の疑さへあるものであるから此分に問題があつたのであるが村委員会は之を等閑に附し本件田の元耕作者等に関する小作地のみについて異動承認並売渡処分を取消したのである、加之右元耕作者等の申請した耕作者異動承認取消の如きは何等法的根拠に基くものではなく且前記認定のようにその理由のないことは明瞭であつたし、また元耕作者等への売渡申請も明かに不適法なもので却下すべかりしものであつたのである。然るに右永井照次、四柳徳夫等が本件元耕作者等の訴えを取上げ前記耕作者異動承認取消並売渡処分変更申請書を提出せしめ且前記認定の如き理由のない取消理由をあげて右各処分の取消方を勧告したので村委員会も軽々しく之に同調し寧ろ之に盲従したとさえ推認されるのである、斯の如きは行政庁として良心的に法を執行するものと謂えない、只農地改革なる公権力の行使に急なる余り控訴人の私権の享有と云う基本的人権の保護を等閑にしたそしりを免れないのみならす行政権行使の限界を逸脱しているのである、しかるが故に右異動承認取消並売渡処分取消の各取消を求める行政訴訟の判決(甲第一号証の一、二)に於て控訴人に耕作能力のあること、苗代使用に関する従来の慣習に従う合意は今次農地改革の政策に反するものでなく控訴人を耕作者とすることは耕作能力なき者に耕作地を与える結果を招来することにならないと判示し売渡手続の完結確定した後の承認並売渡の取消は違法である旨判決されたのであつて之に依て之を観れば村委員会永井照次技師、四柳徳夫県農地委員等の行動は私法行為と行政処分との限界を混こうし無理な要求をしている元耕作者の保護に一辺倒し控訴人の私権均軽視し法規の公正な解釈適用に依らずして軽々しく行政権の行使を施行したものと謂わなければならない、此点に於て村委員会の多数委員にその職務の執行につき故意に非ずんば少くも過失の存在を推断するに足るのである。

右認定に反する原審証人高坂良、同田辺熊次郎、同本井富蔵、同永井照次の各証言は措信せず他に右認定を左右するに足る反証はない。

前項掲記の各認定事実並各証拠を綜合すれば昭和二十三年度の収穫折半の村委員会の勧告並現地に於ける同委員会書記の農地折半の縄張及本件田の元耕作者等が苗代終了後勝手に本件田に立入り耕作し折半収穫を為したのは村委員会の勧奨諒解の下に為されたものであつて村委員会の此等の行為には前項同様故意か少くとも過失の存在を推断し得るのであつて右推断を覆えすに足る反証は存しない。

第五、

次に控訴人の蒙つた損害につき審査する。

(一)  別紙損害額計算書内訳(二)の訴訟関係損害額について、控訴人は村委員会が違法な本件耕作者異動承認並売渡各取消、処分を為したため昭和二十三年之が取消を訴求する行政訴訟を金沢地方裁判所に提起し控訴人敗訴の判決に対し名古屋高等裁判所金沢支部に控訴し支部で控訴人勝訴の判決があり更に相手方から上告申立あり昭和三十年二月上告棄却の判決があつて控訴人勝訴に確定したことは前段認定の通りであるが控訴人が右の如き行政訴訟を提起するに至つたのは村委員会が不法な行政処分を為したことに基因すること明かで控訴人が勝訴判決を勝取るまでに消費した金員は控訴人が右不法処分によつて蒙つた損害と認められる、

而して訴訟費用法に認められた費用は控訴人勝訴の確定判決により相手方の負担となつたから之を控除した其余の費用にして通常生ずべきものはその賠償を求め得べきである、控訴人が本訴に於て訴求する別紙損害額計算書内訳(ニ)訴訟関係に掲記する合計金一万三千九百拾二円は正規の訴訟費用に属しないもので控訴人が前記訴訟に関し支出した通常生ずべき損害であることは原審に於ける原告本人尋問の結果に依り成立が認められる甲第七号証の一、二甲第八号証乃至第十三号と右控訴本人の供述とに依り認められる。

(二)  右計算書内訳(一)の耕作関係の損害について

(イ)  控訴人は昭和二十三年度本件田一反四畝四歩につき村委員会の不法折半収穫勧告により半分の収穫を為したが他の半分の収穫は元耕作者等が取得したので右半分の米収穫を失つたことになり右損害は村委員会の不法な取消処分、折半収穫勧告並縄張に基因すること明かであるから控訴人は、之が損害賠償請求権を有するものと認める。而して成立に争のない甲第五号証に依れば昭和二十三年度稲作反当所得基準額は五、一〇〇円であることが認められるから本件田一反四畝四歩に換算すると金七、二〇六円(円以下切捨)となりその半額は金三、六〇三円であるが本件田は苗代田で苗代跡の稲作は普通の収穫より悪く二割減であることは成立に争のない甲第十五号証と原審証人山崎庄次郎の証言により認められるから右三、六〇三円より更に二割を減じた金二、八八二円四〇銭が控訴人の蒙つた損害額と認定する。

(ロ)  控訴人が本件田を昭和二十四年度から昭和二十九年度まで耕作出来なかつたのは右村委員会の前記各不法処分の結果であること、従て控訴人は右期間中の耕作に依り得べかりし収穫を喪失したのであるから之が損害賠償を請求し得ることは明かである、而してその数額は前記甲第十五号証、原審証人山崎庄次郎、同高田政治の各証言を綜合すると本件田は右期間中年一歩当米一升の二割減(苗代跡田なるによる)の八合の収穫があつたものと推定する、従て本件田一反四畝四歩では三石三斗九升(合以下切捨)となる、之を前記甲第五号証の昭和二十四年度乃至昭和二十九年度の稲作石当所得基準額に換算すると次表の通りである。

収穫量  石当所得基準額   所得額

昭和二十四年度 三三九升 二、九二七円  九、九二二円五三銭

〃 二十五年度  〃   三、六一〇円 一二、二三七円九〇銭

〃 二十六年度  〃   五、一〇〇円 一七、二八九円〇〇銭

〃 二十七年度  〃   五、九一〇円 二〇、〇三四円九〇銭

〃 二十八年度  〃   五、四三〇円 一八、四〇七円七〇銭

〃 二十九年度  〃   六、六一〇円 二二、四〇七円九〇銭

計  一〇万〇二九九円九三銭

(三)  右計算書内訳(三)慰藉料額について

控訴人が本件行政庁の不法処分により訴訟を提起したりして精神上の苦痛を蒙つたことは推測に難くないが控訴人の側にも多少疑を受けるに足る過誤があつたと云える即ち本件田の返還の外に六反歩余の宝泉寺小作地の返還を受けて之が買受の申込を為し計一町八歩の宝泉寺農地の売渡を受けるが如きは明かに控訴人の労働力に比し過当であつて、かかる所為に出たために本件の如き紛争を惹起したものと謂うこともできるから此点も斟酌し其他本件に現われた諸般の事情一切を考慮しその慰藉料は金一万円を以て相当と認定する。

然れば控訴人は被控訴人に対し以上(一)、(二)、(三)の損害金合計金一二万七、一七四円三三銭及之に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明かな昭和三十年七月八日以降完済まで年五分の割合による損害金の請求を為し得べきも其余は理由がないから棄却すべきである。

然るに原判決が控訴人の請求を全部排斥したのは失当であるから原判決を変更することとする。仍て民事訴訟法第三八六条第八九条第九六条第九二条に則り主文の通り判決する。

(裁判官 石谷三郎 岩崎善四郎 山田正武)

目録・損害額計算書〈省略〉

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