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大分地方裁判所 昭和57年(ワ)454号 判決

原告

国鉄労働組合

右代表者委員長

六本木敏

原告

金丸晃

右原告ら訴訟代理人弁護士

小島成一

山川洋一郎

岡村正淳

右原告ら訴訟復代理人弁護士

吉田孝美

柴田圭一

河野善一郎

西田收

古田邦夫

安東正美

指原幸一

被告

株式会社産業経済新聞社

右代表者代表取締役

鹿内信隆

右訴訟代理人弁護士

倉地康孝

坂本政三

立花充康

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、各金五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年六月一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は原告らに対し、東京本社発行の「サンケイ新聞」朝刊社会面下段広告欄に二段抜きで、別紙一記載の謝罪広告を見出し、宛名及び被告の名前は二倍活字、その他は一倍活字をもつて、一回掲載せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告国鉄労働組合(以下「原告国労」という。)は、昭和五七年三月九日当時(以下「本件当時」という。)、日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に勤務する職員約二五万名をもって、全国的に組織された法人格のある労働組合であり、原告金丸晃(以下「原告金丸」という。)は、本件当時、国鉄大分鉄道管理局南延岡電力区佐伯電力支区(以下「佐伯電力支区」という。)に検査長として勤務する国鉄職員で、かつ、同支区におけるただ一人の原告国労の組合員であつた。

被告は、朝刊発行部数約二一二万部の日刊紙サンケイ新聞を発行する新聞社である。

2  不法行為

(一) 被告は、昭和五七年三月三一日東京本社発行サンケイ新聞朝刊社会面に、原告金丸の勤務する佐伯電力支区の助役訴外今永健三(以下「今永」という。)が、大分県南海部郡蒲江町波当津海岸において入水自殺した事件に関連して、別紙二記載の記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

本件記事は「山崎征二記者」の署名入りで、リードを付した八段組一三三行に及び記事であり、本件記事を掲載した朝刊は約八六万部発行された。

(二) 本件記事のうち、リード部分の「この助役は……初めての点呼で国鉄組合員から突きあげられた」(以下「リード部分①」という。)、「大分鉄道管理局では国労組合員の陰湿な“助役いじめ”に耐えられず自殺したとみている」(以下「リード部分②」という。)、及び本文の「国労に所属している検査長は『なぜ、自分が徒歩巡回なのか』と新任の今永助役にクレームをつけた」「今永助役は……『業務命令だ、ビシッと仕事をしてもらう』と、き然とした態度で、予定どおり作業をさせようとした。国労所属の検査長はこれに不満だつたらしく」(以下「報道部分①」という。)、「電力職場は国労と鉄労の対立が激しく、国労の組合員から助役になりそうな鉄労組合員に『国労にはいらないか。こつちへこなければ、助役になつた時、職場をメチャメチャにするぞ』というおどしめいた強引な勧誘がおこなわれていたという」(以下「報道部分②」という。)、「このようなことから大分鉄道管理局では、今永助役は赴任したばかりの初めての点呼で国労組合員から挑発を受けるようなイヤガラセをされたうえ、隣接しているとはいえ、他の職場から、“予告”どおりに国労組合員が押しかけてくるなど、職場のひどい荒廃ぶりをみせつけられ自殺したのではないかとみている。」(以下「報道部分③」という。)等の記述は虚偽である。

そして、右内容虚偽の記事は、本件記事のうち、「苦悩の助役また自殺」「労組の突き上げ?に耐え切れず」「荒廃、予想以上に深く……」との見出し及び「助役たちが管理局の指示でき然とした態度で組合に対応しようとすれば、今回のように組合員から激しい抵抗を受ける。これは国労、動労が職場を『闘争の場』とする基本方針を持つているからだ。」との解説記事とあいまつて、原告国労の基本方針に基づいた職場闘争が今永助役を自殺に追い込んだ原因であるかのように描き出すものであり、原告国労の名誉及び「国労一人」とある表現から「国労所属の検査長」とは原告金丸のことであることを容易に特定させ、もつて原告金丸の名誉を、いずれも毀損するものである。

3  損害

前項で指摘した内容虚偽の記事は、被告が責任ある報道機関としてなすべき最低限度の取材活動をしておれば、容易に明らかになることであるが、訴外山崎征二記者(以下「山崎記者」という。)は、原告国労の組合員に取材らしい取材をしないまま本件記事を執筆し、被告はこれを無批判に紙面に掲載したものである。

そして、本件記事を掲載したサンケイ新聞朝刊は、大分地区において直接講読されていたものではないが、東日本地区に配布され、それがただちに日本国有鉄道本社、原告国労本部の知るところとなり、国鉄本社、原告国労本部は事実確認と調査のため本件記事の掲載された紙面を国鉄大分管理局あるいは原告国労大分地方本部に電送し、これにより国鉄関係者に広く知れ渡り、また、昭和五七年四月一日東京のテレビ朝日局が午前八時三〇分から午前九時三〇分までの「溝口モーニングショー」で「国鉄労使と激論!助役は何故自殺したのか?」という番組を放映し、その冒頭で本件記事の内容を取り上げ、本件記事部分を大写しに写し出しながら本件記事の内容を紹介したのであり、しかも右番組と同一内容のものがネットワークを通じて全国に流され、大分県下でもOBS(株式会社大分放送テレビ)が同日午前八時三〇分から午前九時三〇分までの間に放映したことにより、広く大分県民にも知れ渡つた。

通信機器及び通信網が高度に発達した現代の情報社会では、一つの報道記事が複写、回覧等の手段により関係者に伝播し、さらにはテレビ・ラジオ等の他の媒体に取り上げられて、さらに広く伝播することはごく自然の、かつ、日常的な現象であり、新聞社も十分承知していることであつて、このように当然予想される二次的伝播について被告は責任を免れない。

そして、これら二次的伝播により、原告国労は名誉を傷つけられ、原告金丸は本件記事の内容を直接、間接に知るにいたつた職場の同僚、地域社会の人々等から、今永助役を死にいたらしめたのは同原告であるかの如くに受けとられ、その家族ともども耐えがたい苦痛を被つた。

原告らの本件記事による精神的苦痛を慰謝し、失われた名誉を回復するためには、各金五〇〇万円の慰謝料の支払いと別紙一記載の謝罪広告の掲載が相当である。

よつて、原告らは被告に対し、不法行為に基づき、各金五〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五七年六月一日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払い並びに別紙一記載の謝罪広告をサンケイ新聞朝刊社会面下段広告欄に二段抜きで、見出し、宛名、被告の名を二倍活字をもつて、その他を一倍活字をもつて一回掲載することを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認め、(二)の事実は争う。

なお、被告は、本件記事の解説記事において原告国労の職場闘争を今永助役の自殺した背景的事情として記載しているのであつて、今永助役の自殺原因が原告国労の職場闘争にある事実までは記載していない。

また、本件記事を掲載した東京本社発行サンケイ新聞朝刊の発行部数は約八六万部であるが、これは北海道、東北、関東地方の全域及び中部地方の新潟、長野、山梨、静岡の各県に配布された他は、大阪府及び沖縄に若干部数(大阪府二九部、沖縄二五六部)配付されたに過ぎず、本件記事は、原告国労が大分県下の国鉄関係者などに配布するなどして積極的に伝播させたもので、また、昭和五七年四月一日のテレビ朝日及びこれをキー局とする大分放送テレビなどの放映により、本件記事の内容が紹介され、伝播したとしても、右テレビ局は被告とは全く関係がなく、かつ、各放送局の責任においてなされたもので、被告の行為との間に相当因果関係はない。

さらに、本件記事の掲載された東京本社発行のサンケイ新聞朝刊は、右のとおり、東日本地域に配布されたもので、一般読者は大分県に所在する佐伯電力支区の職場の事情など知る由もないから、本件記事に「国労一人」とある表現から原告金丸であることを特定させるものとはいえない。

3  請求原因3の事実中、本件記事を掲載した新聞が東日本地区に配付されたこと、被告が原告国労の組合員に取材しなかつたことは認め、その余の事実は否認する。

なお、原告国労は、名誉を毀損されたとして慰謝料の支払いを求めているが、いわゆる慰謝料とは精神上の苦痛を償うための賠償をいうものであつて、同原告のごとき法人は感情ないし感覚をもたないから、この意味における慰謝料の請求を認め得ない。

三  被告の主張

1  違法性阻却

民事上の不法行為たる名誉毀損については、公共的関心事に対する報道の自由という観点から、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出た場合で、摘示された事実が真実であると証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しない(真実証明の法理)のである。

また、公共的関心事に対する批判、論評の自由という観点から、論評の対象が公共の利害に関するか、又は、一般公衆の関心事であり、その目的が公益に関係づけられたものであれば、論評の前提をなす事実が、その主要な部分について事実であるか、少なくとも、真実であると信ずるにつき相当の理由が存するときには、名誉毀損の不法行為は成立しない(公正論評の法理)のである。

さらに、公正論評を保護するためには、事実についての虚偽の陳述が、故意によつてか、または虚偽か否かについて全く意に介しないという現実的悪意をもつてなされたことを、原告が立証しない限り違法とはならない(現実的悪意の法理)のである。

(一) 本件記事は、その内容において公共の利害に関する事実(事実の公共性)にかかるもので、その目的がもつぱら公益を図るため(目的の公益性)のものであつた。

すなわち、国鉄は日本国有鉄道法に基づき、鉄道その他これに関連する国家的事業を経営する公共企業体であり、極めて公共性の強い存在であり、また、その職員は準公務員とされていて、原告国労はその職員をもつて構成される最大の労働組合であつて、その労働運動は国鉄の経営を左右し、国民に対して重大な経済的社会的影響を与えるもので、これまた極めて公共性の強い存在で、しかも、今日の国鉄は破局的な経営危機に陥つており、再建を図るためには国鉄職員の協力が不可欠であり、国鉄最大の労組である原告国労の運動方針及び同原告組合員の組合活動については国民の批判を甘受すべきもので、公共の利害に関する事項である。

そして、被告は、このような公共の利害に関する事項について、国鉄現場管理者である今永助役の自殺の動機、背景についてメスを入れることにより、破局的な経営危機に陥つて、その再建が国家的急務とされる国鉄職場の荒廃した実態について国民に知らしめ、世論の喚起を図り、あわせて国鉄関係者に猛省を促し、これの改善に取り組むように求め、もつて国鉄再建の一助にせんとして本件記事を作成、掲載したもので、専ら公益を図る目的のもとに行つたのである。

(二) 本件記事の内容となつた事実関係及びその背景は次のとおりである。

(1) 原告国労は昭和四〇年から「職場に労働運動を!」のスローガンを掲げ、階級闘争至上主義のもと、経営側の第一線である職制を敵階級の最前線要員として職場における非協力闘争を中心とした労働運動を行い、各職場で現場管理者の吊し上げ、突き上げ、嫌がらせ行為をしてきたが、それは、国鉄が昭和四三年四月一日原告国労と「現場協議に関する協約」を結び、原告国労が現場協議の場を現場管理者の吊し上げの場として、職場支配を図つたことにより、いつそう激化したのである。

鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)は、昭和四六年一〇月ころから国鉄当局が推進していた生産性向上運動(以下「マル生運動」という。)を支持してきたが、そのために原告国労との対立は全国的に激化を始め、原告国労は鉄労に対して、敵対視し非協力的行為を行つてきた。

そして、右マル生運動が原告国労を中心とする反対闘争によつて挫折した結果、国鉄当局の労働組合に対する態度は、主体性を欠くものとなり、労働組合が一方的に判断して指名した“不当労働行為者”の名簿に従つて、約千名の管理者を処分または左遷し、国鉄の再建を目指してマル生運動に取り組んでいた職制は、このいわゆる“ハシゴはずし”にあい、すつかりやる気をなくし国鉄当局への不信感をもつようになつてしまつた。

このような状況下において、現場管理者は、国鉄当局の指示と労働組合との板ばさみになり、荒廃した規律のない職場の中で、組合対策に追われ、精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたのであり、本件当時の前後の期間にしぼつても、次のとおり、現場管理者が自殺していつたのである。

① 門司鉄道管理局筑前垣生駅助役訴外広川九州男(五一歳)

同助役は、部下の原告国労組合員から勤務条件変更に反対され、管理局の方針と部下の反対の板ばさみになり苦悩して昭和五六年三月一八日電車に飛び込んで自殺した。

② 門司鉄道管理局佐賀保線区山本保線支区作業助役訴外上平義満(四九歳)

同助役は、一般職員が原告国労組合員ばかりである山本保線区に赴任し、その二日目にレールの切断作業に文句をつけられ、慣例の助役歓迎会に直属の部下一四名中、一名しか参加して貰えず、そのため苦悩して赴任三日目の昭和五六年四月八日首吊り自殺した。

③ 大分鉄道管理局豊後森機関区長訴外後藤孝雄(五三歳)

同区長は、公労委の仲裁裁定即時実施を要求する動力車労働組合(以下「動労」という。)のストが行われたため多忙をきわめ、そのうえ、動労との間に同機関区の建物、車両等に書き込まれた落書きを消すのを条件として落書者を管理局に報告しないとのヤミ協定を結ばされ、それを苦にして昭和五六年六月一〇日首吊り自殺をした。

④ 千葉鉄道管理局銚子運転区首席助役訴外山口房治(五四歳)

同助役は、昭和五六年春ころ首席助役に昇格したが、一般職員全員が国鉄千葉動力車労働組合に加入していたのが、同年六月ころ右労組のほか原告国労、動労の三つに分裂し、部下の作業分担、勤務条件の変更等について、ことがあるたびに三つの労組の間を根回しに奔走しなければならず、殊に同年一一月運転士の配置替えに関して、労組と区長との板ばさみになつて悩んでいて同年一二月一四日剃刀で頸部を切つて自殺した。

⑤ 門司鉄道管理局長崎客貨車区首席助役訴外松原久信(四九歳)

同助役は、昭和五八年三月二六日直方貨車区助役から長崎客貨車区首席助役に転任したが、そこは国鉄入社以来二三年間勤務したところであるが昭和四五年原告国労のストライキに反対して鉄労に移り、その後また原告国労に復帰したことから原告国労組合員から白眼視されていたところでもあつたため、着任後、原告国労組合員による誹謗、主張のゴリ押し、常軌を逸した揚げ足とりにあい、疲労困憊し職務への自信を喪失して昭和五八年四月一二日長崎新漁港岸壁から乗用車ごと海中に飛び込んで自殺した。

⑥ 門司鉄道管理局直方保線支区助役訴外水上俊雄(三六歳)

同助役は、昭和五八年三月五日門司保線区技術掛から直方保線支区助役に転任し、約一箇月の準備期間を経たのち、一人で点呼を行つていたが、部下の原告国労組合員から嫌がらせの質問を受け、そういう質問がしばしばトラブルに発展して悩んでいて、同年五月二一日首吊り自殺した。

このように、原告国労が、職場闘争至上主義に基づいて現場管理者を敵対視したため、同原告組合員による妨害、突き上げ、嫌がらせ等により現場管理者が深刻な精神的打撃を受け、また、挫折感を蒙り、荒廃した職場の中で孤立感を深めて、ついには自殺へと追い込まれていつたのである。

(2) 国鉄大分鉄道管理局大分電力区(以下「大分電力区」という。)では、昭和五六年九月ころまで鉄労中心の職場であつたため、右対立状況は起こり得なかつたが、同年九月に鉄労大分地本の電気部会長訴外内田正年が定期大会で不信任を決議され、鉄労を脱退して原告国労に加入し、これにともなつて原告金丸他五名も脱退して原告国労に加入したため、大分電力区にも原告国労の組合員が存することになつた。

そして今永助役が助役に登用されるまで勤務していた大分電力区においては、右鉄労脱退事件後、原告国労の組合員が四名で、鉄労組合員が一七名となつたが、右鉄労脱退事件の直後から、毎日のように原告国労組合員が鉄労組合員に対する組織勧誘、すなわち、原告国労への加入を強要し、助役試験に合格している鉄労組組合員に対しては「国労に入らないか。入らないと、助役になつた時、その職場をメチャメチャにするぞ」などと、脅しめいた強引な勧誘を行つて、職場秩序を乱していたが、今永助役もそれを見聞していた。

これに対して、管理者たる区長、支区長、助役らは、その職務権限に基づいて指示、注意を行つたが、原告国労組合員の抵抗にあい、ときには報復を受け後難を恐れて規律の乱れを見過ごすようになつていたが、昭和五七年二月二七日朝、大分電力支区の点呼の際、訴外桑野嘉道助役が、胸に「合理化反対」の黄色いワッペンをつけていた原告国労組合員に対して「ワッペンの着用は服務規定違反だから、やめるように」と指示したところ、同支区の原告国労組合員らは、点呼直後、本区や他の職場から組合員を集めたうえ、訴外桑野助役に対して「ワッペンをはずせというのは、だれの命令か」と詰問し、さらに本区である大分電力区の区長室に入り込んで、「どうしてワッペンをはずせというのか」などと、激しい口調で約三〇分間にわたり、訴外佐藤実生区長を吊るし上げ、そのあとは大分駅ホームに繰り出して乗客の目の前でデモをしたり、「区長はでていけ」などとシュプレヒコールを繰り返すなどの行動に出たが、今永助役は、区長室の入口近くの自分の席から、この区長吊るし上げ騒ぎを目撃しショックを受けていた。

原告金丸は、原告国労に加入するまで、鉄労の佐伯電力支区分会長で組合的指導力があり、昭和五六年一〇月一日に原告国労に加入した後は、同原告の大分地本佐伯支部佐伯電力分会長及び大分地本電気協議会電力分科長となり、電力職場の代表として大分地本の団体交渉委員とともに大分鉄道管理局との団体交渉に臨んでいた。

原告金丸の勤務する佐伯電力支区は、本件当時、支区長、助役が各一名、一般職員一八名で構成され一般職員のうち、原告国労の組合員は原告金丸一名で、一六名が鉄労組合員、残り一名が無所属であつたが、原告金丸は佐伯電力支区で一人だけの原告国労組合員でありながら、組合員約一三〇名を擁する原告国労大分地本佐伯支部を背景に孤立するどころか、原告国労のワッペンを胸につけて同原告の佐伯支部の幹部ら仲間とともに、佐伯電力支区の鉄労組合員の自宅へ押しかけ、「国労に入らないか」とオルグを始め、また、勤務時間中に鉄労組合員に原告国労に移るように執拗に勧誘し、さらに、原告国労組合員が昭和五六年一〇月二九日佐伯電力支区事務所前の電柱などに、原告国労大分地方本部が計画したストライキを支援する内容の多数のビラを貼り、同支区の支区長及び助役がこれをはがすと、午前九時ころ原告国労佐伯支部に所属する組合員数人が同支区事務所前に集まつて、「バカヤロー」「なぜビラをはいだのか」「だれがはげといつたのか」等抗議すると、原告金丸も右組合員らと連携して支区長や助役を追求し、ついには右支区長、助役に謝罪せしめ、そのうえ、同支区更衣室に原告国労用の掲示板の設置を要求し、これを認めさせて、佐伯駅から原告国労組合員数人を呼び設置したのである。

そのうちに、大分電力区では、原告国労が鉄労組合員の親まで巻き込む組合勧誘を行い、昭和五七年三月初めのころ、鉄労と原告国労とは互いに日常生活上「一線を引く」状態に発展せざるをえなくなつた。

原告金丸は、昭和五七年三月三日、列車巡視から帰つてきて、鉄労の佐伯電力支区分会長である訴外鍋島敏(以下「鍋島」という。)検査長に対し、「大分では国労と鉄労と一線を引いているから佐伯電力支区でも『鉄労とは一線をひく』(全面戦争)」という趣旨の申し入れを突如一方的に行つた。

鍋島は、大分電力支区での対立を知らなかつたので、原告金丸に促されて鉄労大分電力支区分会長に電話し、その事実を知つたものの、労働組合の対立を越えて職場の人間関係を大事にして協調していく方針をとつていたため、「大分のことをわざわざ佐伯まで持つてこなくてもいいんじやないか」と原告金丸を説得したが、同原告はこれを聞き入れず、同日催されることになつていた現場管理者を含む職員の送別会に欠席し、その後も佐伯電力支区の職員で行うレクリエーションに参加せず、これを契機に原告金丸の職場における態度は従前に増して非協調的なものとなつた。

(3) 今永助役は、大分電力支区に勤務していた鉄労組合員で、昭和五三年に三二歳で助役登用試験に合格し、助役発令を待つていた者であるが、穏やかな性格で大分市金池南一ノ一〇所在の国鉄アパートに妻桂子(本件当時三五歳)、長男達也(同九歳)、次男敦郎(同五歳)の四人で暮し、休日には家族そろつて自家用車でドライブに出掛けるなど、良き夫であり、良き父であつた。

今永助役は、昭和五七年三月三日夜、電話で佐伯電力支区の助役として発令される旨の内命を受け、翌四日朝、五日付けの助役任命の通知を受け取つたが、同人の助役発令は、大分鉄道管理局の電力職場で、助役二二名中、七名の助役がほぼ同時期に定年を待たずに退職したため、急遽その補充として任命されたもので、そのため、今永助役は初めて管理職となる心の準備が整う時間的余裕がなく、また、定年を待たずに退職していつた先輩助役の後任として発令を受けたことに不安があり、しかも、自分が見聞してきた職場における原告国労の突き上げ等を思い合わせると、本来喜ぶべき昇進も素直に喜べない状況であつた。

今永助役は、鍋島検査長と同期入社で、共に鉄労に所属し、昭和四一年四月の入社とともに門司で約二箇月間寝起きをともにしながら、変電関係の業務の教育を受け、その後大分で三箇月間の教育研修を共に受け、さらに、昭和四九年頃まで互いに隣接した大分の電気関係の職場で勤務していたため、酒を酌み交わす仲で、昭和五七年三月七日佐伯電力支区に赴任した夜も一緒に酒を酌み交わしながら、職場の実態について語り合い、その際、同助役が大分電力区で起きたワッペン着用をめぐる原告国労の抗議行動について語ると、鍋島は佐伯電力支区で起きた前記ビラ撤去抗議事件について語り、組合問題で不安がる同助役に助言や激励等をして力づけ、また、点呼の仕方等を教え友人として温かい心配りを示した。

今永助役は、翌八日佐伯電力支区事務所において、前任者の訴外長田勝義助役(以下「長田前助役」という。)の行つた点呼に立ち合い、前任支区長の訴外村山邦男支区長(以下「村山支区長」という。)とともに、同支区の職員に挨拶をし、その後長田前助役から事務の引き継ぎを受けた。

(4) 今永助役は、昭和五七年三月九日午前八時半ころ、佐伯電力支区事務所において現場管理者として初めての点呼を行つたが、村山支区長は前任地の南延岡電力区へ事務引き継ぎに出かけていて不在であり、前任の支区長及び助役は既に新任地へ赴任し、現場管理者は今永助役の他にいなかつた。

右点呼には、一般職員一八名中、休暇中の三名及び佐伯電力支区臼杵分駐勤務の五名を除く一〇名が参加し、今永助役は、原告金丸及び訴外井上雄二電力検査掛(以下「井上」という。)に対し、徳浦信号所から津久見駅までの4.5キロメートルを徒歩巡回(架線、送電線、碍子、電柱等の電気設備を点検して歩く作業である。)するように指示し、その他の者に対しては、徳浦信号所構内調査に二名を、佐伯駅構内調査に二名を、大分駅から佐伯駅までの列車巡視に一名を、佐伯電力支区勤務に三名を充てる指示を行つた。

今永助役は、約五分で点呼を終了し事務所内の助役席に戻り、そばにいた職員の一人に「どうだつた」と初点呼についての意見を求めていたところ、原告金丸が今永助役の机に近づき、「なぜ、自分が徒歩巡回なのか」と強い調子でクレームをつけ、これに対して今永助役は、徒歩巡回が一〇日に一回の割合で行われることになつており、前任助役からの引き継ぎで、まだ一区間残つていたため作業日程に入れた旨説明し、作業指示どおりやつて貰いたい等繰り返し説得し、就労するように求めた。

しかし、原告金丸は、「他の組がSH調査になつているのになぜ自分たちだけが徒歩巡回になつているのか、是非替えて貰いたい」と数分間にわたり執拗に作業指示の変更を要求し、今永助役は、やむなく指示どおりやつて、その後の問題については支区長が帰つてから話をしたい旨述べて、同原告の説得に努めたところ、同原告は、不満そうな顔をして何かぶつぶつ言いながら、今永助役の机のところから自席の方に向かつて歩いて行つた。

鍋島は、休暇中であつたが年次有給休暇の申請手続に佐伯電力支区事務所に来ていたところ、原告金丸が新任助役である今永助役にクレームをつけているのを目撃し、同原告が過去に再三にわたつて作業内容等について、訴外三浦前支区長や長田前助役にクレームをつけ、職場を混乱させてきたため、同原告の今永助役に対するクレームについてもにがにがしい気持ちで見守つていたが、同原告に抗議し、その態度を諫める意味で、同原告が今永助役の机の前から離れた直後、今永助役の机のそばに行き、同原告に聞こえるように、「助役さん、国労の職員といつしよに巡回はできない。」といつた。

今永助役はこれに対し、「ナベさん、どういうことか意味がわからん。内容を説明してくれ」と問い返し、鍋島が説明しようとしたとき、原告金丸は、鍋島の右発言が同原告のクレームを非難するものと受けとめて鍋島に歩み寄つて、「何や!もう一回いうちみよ!」と語気荒くいい、これが切つかけとなつて、事務所中央にあるストーブのそばで、同原告と鍋島の二人は口論となつた。

原告金丸は、鍋島と一五分ほど口論を続けた後、「ちよつと外に出れ」と興奮した口調で促し、事務所の外にでたが、鍋島は外に出るのを同僚職員に止められ騒ぎを起こすことも恐れて、外に出るのを思いとどまつた。

原告金丸は、鍋島のこの穏やかな対応が気に食わず、二、三分して事務所内に戻り、「外に出れと言つても、出りきらんくせに」と悪態をつき、次いで机の上にある電話をとり、「佐伯支区の金丸ですが、ちよつと入れてくれ」と原告国労組合員の動員を要請した。

(5) 佐伯駅の原告国労組合員は、勤務時間中であつたが職場を放棄して、「国労」という赤い腕章をつけた制服姿で続々と佐伯電力支区事務所内に押し掛け、同日午前九時一〇分頃には総数八名となつた。

原告金丸は、動員されてきた原告国労組合員を事務所内の更衣室に入れて鍋島の前記発言を説明し、同調することを求めた後、鍋島を呼び込み、心配して同行してきた鉄労佐伯電力支区書記長訴外佐藤賢吾(以下「佐藤書記長」という。)の二人を取り囲んで、原告金丸が「おい、さつきのもう一回言つてみよ」といい鍋島が前記発言の真意を説明すると、動員された原告国労組合員らが口々に徒歩巡回のペアの組み方、上司の送別会への欠席がなぜ問題となるか等を難詰して激しく迫り、鉄労の力の弱い職場では一線を画して、一緒に仕事をしない旨言い出す始末であつた。

今永助役は、自分の机にいて、南延岡電力区の首席助役に電話して、原告国労組合員が佐伯電力支区に動員されて来たことを報告した。

この間、佐伯電力支区に勤務する鉄労組合員らは、更衣室の外側から、原告金丸及び原告国労組合員らと鍋島及び佐藤書記長のやりとりを見守つていたに過ぎなかつた。

鍋島は、原告金丸の職場における和をぶち壊す言動を諫める趣旨で、送別会に同原告の欠席したこと等を述べると、同原告及び原告国労組合員らは、鉄労が送別会欠席問題を、原告金丸と一緒に仕事をしない口実として持ち出したと解し、送別会は拘束時間ではないから、本人の自主性にまかせるべきだと反論した。

そこで、佐藤書記長が、原告金丸の協調性を欠く態度が問題であり、送別会が拘束時間か否かの末梢的な問題ではないという趣旨で、「拘束時間ではないが、支区全員で決めたものであるから、勤務の一環ではないか」と述べて、話を本筋に戻そうとしたが、原告国労組合員らは、送別会が拘束時間か、勤務時間かといつて鍋島に詰め寄つたあげく、原告金丸が午前九時二〇分ころ今永助役に対し、「こつちに来てくれ」といつて、更衣室内に同助役を呼び入れ、原告国労組合員らが同助役に向かつて、「助役、送別会は拘束時間か」と問い質した。

今永助役は、他の職場の原告国労組合員らがつめかけた場で、職場の和に悪影響を及ぼすことなど度外視して、送別会が拘束時間かという返答に窮する問題について、問い詰められ、答えに窮してしばらく下を向いていたが、原告国労組合員から「どつちかはつきりせんか」と詰問の口調で返答を強要され、小さな声で「いえ、拘束時間ではありません」と答えた。

その直後、今永助役に村山支区長から電話がかかりまた、原告金丸にも電話がかかつてきて、二人がその場を離れたことから、更衣室に集まつていた者たちは自然と解散する状況となつた。

今永助役が自席に戻ると、原告国労の佐伯支部書記長訴外木村武雄(以下「木村書記長」という。)が動員の責任者としてやつて来て、同助役をつかまえ、「助役、この騒ぎはどうしたんだ。この始末はどうするんだ。どう決着をつけるんだ。」と迫り、今永助役はこれに対して、「話は支区長が帰つてからして下さい。」と返答せざるをえなかつた。

今永助役が電話にでると、村山支区長は佐伯電力支区の混乱収拾について、今永助役にアドバイスを含めて種々の指示をし、また、電話を鍋島に代わらせ、鉄労が原告金丸と一緒に仕事をすることについて了承するように求め、鍋島もこれを承知したので、さらに、原告金丸に電話を代わらせて、作業指示に従つて就労することを求めた。

今永助役は、電話を終えた原告金丸に対し、指示どおり徒歩巡回をするように重ねて求めたが、同原告は「鉄労が一緒にせんと言うたから、俺は歩かん」といつて徒歩巡回を拒み続けた。

今永助役は、原告金丸のかたくなな態度に困惑し、「なんなら、おれが井上といつしよに歩こうか」といつたが、鍋島や他の職員から「それでは助役の立場がなくなる」といわれて、これを思いとどまつた。

動員された原告国労組合員は、更衣室を出たものの事務室や講習室にとどまつており、そのため佐伯駅では午前九時過ぎから約四〇分間にわたり、構内関係職員が職場を勝手に離脱したことにより、点呼や車両の入れ換え作業に支障を生じ、佐伯駅から今永助役に、仕事にならないから動員された佐伯駅の職員をすぐに帰すようにという依頼の電話があり、午前九時四五分ころ勤務を放棄して動員に参加していた者は佐伯電力支区を立ち去つたが、残りの原告国労組合員らは、木村書記長及び原告金丸とともに午前一一時ころまで講習室に残留した。

(6) 原告金丸が就労しようとしないため、同原告と共に徒歩巡回を指示されていた井上や徳浦信号所構内調査を指示された他の二名の者は、同じ自動車で現地に赴くことになつていたため、就労しようにもし得ない状態となり、事務室に留まつていたが、他の職員は指示された作業にかかつていた。

鍋島は、休暇中であり、自分がいつまでも職場にいたのでは原告国労組合員が引き揚げないと判断して、午前一〇時ころ帰宅したが、佐伯電力支区の訴外清水輝男から、原告金丸が事態収拾のため鍋島と話し合いをしたいといつているから来て欲しい旨の電話があつたので、再び佐伯電力支区事務所へ赴き、テニスコート脇で原告金丸と話し合つた。

原告金丸は鍋島に対し、事態を収拾する気があるなら内容、文面は任せるから、一筆入れてはどうかと提案し、鍋島は混乱の収拾と問題が他の職場に波及することを恐れて、これを受け入れた。

動員された者の大半が午前九時四五分ころ引き揚げ、原告金丸及び残りの動員者は講習室に入つたので、今永助役は、午前一〇時三〇分ころ工事手配の仕事を始めたが、線路閉鎖工事の申請について列車指令と打ち合わせる方法がわからないといつて、同支区の訴外藤原澄雄検査長に尋ね、同検査長が三回にわたつて説明したが、この極めて単純なことが一向に理解できず、「頭がおかしくなつた、何をしたら良いかわからなくなつた。」と口走る有様であり、村山支区長が午前一一時ころ戻った際には、動員された者も全員引き揚げ、事務所内は平常の状態に戻つていたが、今永助役は翌日からの作業指示及び吊架線張替工事等の準備にとりかかつていたものの、「慣れるまで大変だ」と口走つていた。

佐伯電力支区の職員のうち、原告金丸と徒歩巡回を指示された井上や徳浦信号所構内調査を指示された二名は、原告金丸が村山支区長の帰りを待つて講習室に入り、就労しようとせず、また、時間も午前一一時になり中途半端となつてしまい、さらに、今永助役の様子が変なこともあつて、同支区事務室にとどまらざるを得なかつた。

その後、原告金丸が木村書記長に連絡して、午前一一時三〇分ころから佐伯電力支区の講習室で、村山支区長、今永助役、原告金丸及び木村書記長の四名で話合いがなされたが、木村書記長は、職場管理者の労務管理上の責任追求、特に当日の今永助役の作業指示、あるいは職場混乱に対する措置への非難、同助役の責任追求等を内容とする発言を行い、また原告金丸の行動や動員者の行動を正当化せんとする主張を行つたが、これに対し村山支区長は、「国労、鉄労とも業務上の取り扱い方は同じである、今後万全を期す」と答えた。

(7) 今永助役は、昼食をすませ、午後一時三〇分ころ「一五分程出てきます。すぐに戻ります。」といつて車を運転して外出したが、午後二時ころになつても戻らず、午後二時三〇分ころから佐伯電力支区の職員が三班に分かれ、佐伯市内をはじめ大分市内等を捜したが手がかりもなく、午後六時ころ今永助役の家族から大分警察署に捜索願いが出された。

今永助役は、佐伯電力支区から失踪して二一日目の昭和五七年三月三〇日、同支区から約二〇キロメートル離れた大分県南海部郡蒲江町波当津の新波当津港岸壁近くの海中に沈んでいる乗用車の中から、遺体で発見された。

(三) 本件記事は、次に主張するとおり、末梢的な部分で右事実とは異なるものの、大筋において右事実のとおりであつて、真実である。

(1) 本件記事全体から描き出されるものは、助役が自殺に追い込まれるほど国鉄の職場が荒廃していること、この職場の立て直しが国鉄再建にとつて喫緊事であることの二点であり、このことは、右事実及びこれに基づいてなされた合理的推測からして、正当な意見、論評であつて、公正論評の法理や現実的悪意の法理に照らし、これによつては名誉毀損は成立しない。

(2) 本件記事の見出し部分

主見出し及び解説記事に付された見出しは、本件記事の報道部分、解説部分の全体を分かりやすく要約して、端的に示したものである。

まず、「苦悩の助役また自殺」との主見出しは、苦悩の助役がまた自殺するという悲劇が起きた事実の伝達とそこに大きな問題がひそんでいることを示唆的に表現したもので、その内容、表現において正当なものである。

また、「労組の突き上げ?に耐えきれず……」の主見出しは、今永助役の自殺の動機について推測ないし見方を端的に表現したもので、被告の推測ないし見方であるため、慎重を期して「?」を付しており、正当な意見、論評である。

さらに、解説記事に付された「荒廃予想以上に深く……」の見出しは、解説記事を要約したもので、比較的問題が少ないとされている職場においても、次々と職場管理者が自殺しており、これによつて、国鉄職場の荒廃が全職場にまたがるほど広汎なもので、かつ、自殺者がでる程深刻なことを読者にアピールしたもので、正当なものである。

(3) 本件記事のリード部分

報道記事のリード部分は、報道記事全体を簡潔に要約した性格のもので、その内容は事実の伝達を主とするものであるが、意見、論評をも含むものである。

本件記事のリード部分には、別紙二記載の本件記事のとおり、赴任したばかりの新任助役が入水自殺しているのが発見されたこと、この助役が初点呼で原告国労組合員から突き上げられた(リード部分①)うえ、他の職場の原告国労組合員に乗り込まれるなど異様な体験をしたあと行方不明になつていたことの事実に関する記述に続いて、自殺の動機に関する記述(リード部分②)、昨年来現場管理者の自殺が相ついでいたとの記述及び国鉄本社では再建の柱になる現場管理者の自殺が続いていることに強い衝撃を受けているとの記述がなされているのであつて、全体としては、解説的記事であり、意見、論評的要素が強いものである。

そして、今永助役が初点呼直後、原告国労組合員である原告金丸から作業指示をめぐつて、クレームを突きつけられたこと(リード部分①)は事実であり、原告金丸の意図が、難癖をつけ職場を混乱させて、新任助役を威圧し、あわよくば屈伏させて原告国労組合員に対する対応を牽制せんとするところにあつたことは明らかであるから、まさに「突き上げ」というべき行為であつて、右記述が虚偽とはいえず、その表現も妥当なものである。

また、自殺の動機に関する記述(リード部分②)は、大分鉄道管理局の推測しているという事実の伝達と被告が大分鉄道管理局の推測に託して、自己の推測を表明した面とを併せもつものであるから、意見、論評の性格をもつものであつて、読者に与える影響という見地からは、推測の中身が重要であつて、右推測に合理的な根拠が存すれば、正当な意見論評としてなんら問題とならないのであり、次のとおり、合理的根拠のある推測を内容として記述しているから、正当な意見、論評である。

すなわち、今永助役は、原告国労組合員が、助役候補者の鉄労組合員に対し、原告国労に加入しなければ助役就任の際、職場を紊乱するなどと脅しめいたことをいつて強引な勧誘が行われているのを見聞していたこと、助役発令直前に、原告国労組合員による現場管理者吊るし上げを目撃し、ショックを受けていたこと、荒廃した職場に見切りをつけて、多数の助役が定年前に退職していつたことに不安感を感じていたこと、佐伯電力支区においても、原告金丸に他の職場の原告国労組合員が加わつて、同支区の支区長、助役を吊るし上げたビラ撤去抗議事件が発生したことを聞いていたこと、原告国労組合員の動静から、点呼その他助役の職務を無難に遂行することに大きな不安をもつていたこと、初点呼直後、原告金丸から作業指示についてクレームをつけられ、勤務時間中にもかかわらず同原告の要請に応じて、他の職場の原告国労組合員が押しかけ、職場が混乱したこと、鍋島が原告金丸の行動を牽制した発言を行つたことにいいがかりをつけ、これを追求する場に今永助役が呼び出されて、多数の原告国労組合員の面前で、答えにくい質問に返答を強要され、また、これら他の職場の原告国労組合員により、職場の秩序を長時間にわたつて紊乱され、当日の業務運営をメチャメチャにされて、助役としての面目をまつたく失墜せしめられたこと、村山支区長同席のもとに、木村書記長及び原告金丸から、点呼の件について改めて追求されたこと等から、「国労組合員の陰湿な“助役いじめ”に耐えられず自殺した」との推測を行つたのである。

(4) 本件記事の報道記事部分

報道記事部分は、別紙二記載の本件記事のとおり、今永助役の身元、行方不明になる直前の模様、捜索、遺体発見の状況、同助役の経歴、初点呼及び作業指示における原告国労所属の検査長のクレームとこれに対する同助役の対応、原告国労組合員の動員、鉄労組合員との激しい口論、動員された原告国労組合員の大半が勤務時間中に職場を放棄した者であること、その間の職場の混乱と失踪に至るまでの今永助役の動静等が時間的経過を追つて記述され、これに続いて、電力職場における原告国労と鉄労との対立の激しさ、原告国労組合員による助役候補者の鉄労組合員に対する脅しめいた強引な勧誘及び今永助役の自殺の動機についての大分管理局内部における推測を内容とする記述がなされている。

そして、右報道記事部分は、大筋においてほぼ真実であるが、原告国労所属の検査長が今永助役にクレームをつけ、これに対する同助役の対応に関する部分(報道部分①)は、今永助役が村山支区長に電話した時期について、原告国労組合員の動員前になされたように記述されていて、前記事実と異なるが、事実関係の大筋に影響を及ぼす程の事柄ではなく、その他の事実は真実なのである。

また、原告国労が助役候補者である鉄労組合員に対して脅しめいた組合加入の勧誘を行つていたこと(報道部分②)も、前記事実のとおり真実である。

さらに、今永助役の自殺の動機に関する記述(報道部分③)についても、大分鉄道管理局の推測を事実として伝達しているが、他方、被告の推測を同管理局のそれに託して論評している面もあり、前記リード部分②において、詳述したとおり、右推測が合理的根拠に基づく以上、正当な意見、論評として許容されるものである。

(5) 本件記事の解説記事部分

解説記事部分は、別紙二記載の本件記事のとおり、昭和五六年春以来五件も続発した国鉄現場管理者の自殺との共通点から、国鉄職場の荒廃と助役の孤立、苦悩の状況を指摘し、これを敷術して、助役がマル生後の“ハシゴはずし”により管理局に対し不信をもつていること、助役が管理局の指示に従い毅然とした態度で対応しようとすれば、原告国労や動労の職場闘争の基本方針によつて、労組から激しい抵抗を受けること、その結果、職場は荒廃し、助役は両者の板ばさみになつて苦悩すること、国鉄は再建の核となるべき助役の孤立をいかに立て直し、バックアップして行くか、その具体策を現場管理者に示す必要があること等を解説的に記述したもので、その全体が意見、論評の性格を有するものである。

右解説部分の記述は、前記事実に基づいた合理的根拠を有する正当な意見、論評であつて、なんら問題とならない。

2  責任阻却事由

仮に、本件記事の内容が真実でないとしても、被告は次のとおり、十分な取材を行つた結果、真実と信じて本件記事を報道したのであり、本件記事の内容を真実と信じるにつき相当の理由があつたから、責任がない。

すなわち、

(1) 本件記事は、被告の社員である山崎記者が執筆したものであるが、同人は昭和五六年四月から約二年間にわたつて専属的に国鉄担当記者を務め、国鉄本社の記者クラブ「ときわクラブ」に所属し、およそ国鉄に関する問題についてすべてに精通していた。

殊に、山崎記者は、被告が国鉄問題に精力的に取り組んできた関係から、原告国労、動労等の職場闘争や荒廃した職場の実態にもメスをいれ、昭和五六年三月から四月にかけて、九州の門司鉄道管理局管内で起きた二人の助役の相次ぐ自殺について取材し、これを、「ある助役の死、国鉄労使の挟間で」と題して、同年五月のサンケイ新聞夕刊に一一回にわたつて連載し、さらに、同年七月大分鉄道管理局豊後森機関区で助役から区長に昇格したばかりの新任区長が、動労から強制されてヤミ協定書を書かされたことを苦にして自殺した事件や、同年一二月千葉鉄道管理局の助役が原告国労組合員等から勤務変更に反対されたことに悩んで自殺した事件について取材して報道してきた。このように山崎記者は、国鉄問題に関する豊富な取材経験からいろんな立場にある国鉄関係者と密接な関係を保有するに至り、国鉄内部の複雑な事情と人間関係の下で、どこからどのような取材をすれば事件の真相を把握し得るかといつた取材の勘所について十分に心得るに至つていたのである。

(2) 本件において、山崎記者は、昭和五七年三月三〇日午後四時ころ、国鉄本社の「ときわクラブ」にいたとき、国鉄本社職員から電話で今永助役自殺の一報を入手し、国鉄本社職員局に赴き、訴外松田能力開発課長から今永助役の自殺に至るまでの経緯について取材し、大分鉄道管理局から国鉄本社に送られてきていた「南延岡電力区佐伯電力支区助役行方不明事件について」と題する報告書(以下「本件報告書」という。)を入手し、これを丹念に読み事件の顛末について把握した。

山崎記者は、被告東京本社の社会部デスクから本格的に取材するように指示されて、前記豊後森機関区長自殺事件の取材で知り合い、積極的に取材協力してくれ、以後付き合いの続いていたことから、十分に信頼のおける大分鉄道管理局運転部運転課の訴外安井俊幸(以下「安井」という。)に午後六時ころ電話して、今永助役が佐伯電力支区に着任し、点呼の当日行方不明になるまでの出来事の顛末、今永助役の前任地の大分電力区で現場管理者が定年を待たずに次々に退職している状況、原告国労組合員が電力職場にもでき、今永助役がこれに対して脅えていたことなどを聞き、また、本件報告書の記載についても、誤りや不十分な箇所を指摘された。

右指摘は、原告金丸の作業指示に関する発言が、正当な作業指示に対し、文句(クレーム)をつけたもので、原告国労の職場闘争の一環としてなされたものとみられること、鍋島の「国労の職員とは巡回できません」といつた発言は、今永助役に対する申入れではなく、原告金丸に対する牽制であること、原告金丸が鍋島の発言にいいがかりをつけ、これに鍋島が取り合わないと、動員を要請し更衣室において、動員された原告国労組合員が鍋島及び佐藤書記長を吊るし上げたこと、村山支区長が今永助役に作業指示どおり実施するように電話で指示してきたが、鍋島は当日の勤務者ではなく同人が勤務につくように指示されたということはないこと等の点において、本件報告書は誤つているというものであつた。

山崎記者は、安井に対する電話中に大分鉄道管理局の訴外岩野哲総務部長から電話がかかつてきたので、途中で安井職員の電話を切り、訴外岩野哲総務部長に電話取材すると、本件報告書の内容をでる話はなく、佐伯電力支区の更衣室と事務室との距離についても二〇メートルも離れているといい、本件自殺事件が原告国労の職場闘争の一環ではないかとの見地から、問い質しても、「国労の人は直接手をかけるようなことはしていない。今永助役の自殺の動機はわからない。」の一点張りであつた。

(3) そこで、山崎記者は、安井に二回目の電話をかけ、同人から、今永助役の自殺の動機に関する事実を取材すると、それに関連する事実として、昭和五六年に電力職場に原告国労組合員ができ、大分電力区では助役が点呼時に原告国労組合員に対しワッペンをはずすよう指示したところ、これに抗議して原告国労が動員をかけて同区の区長を吊るし上げたこと、佐伯電力支区では、原告国労が当局のビラはがしに抗議し、動員をかけて吊るし上げ、同支区の支区長と助役に謝罪せしめたこと、原告金丸は職場で孤立しているどころか、佐伯電力支区では原告国労組合員が原告金丸一人であるため、現場協議は認められていないにもかかわらず、現場長との交渉のため、南延岡電力区まで公用車を出させていること、鍋島は本件出来事の起きる前日、今永助役の引越しの手伝いをした後一緒に酒を飲んだが、その際に今永助役から、原告国労のワッペン取りはずし抗議行動が大分電力区であつたことを話題にし、着任に当たつて原告国労を恐れていた事実があつたこと、本件当時原告金丸のクレームと鍋島の発言があつたが、鍋島は今永助役が着任するというので、点呼のやり方まで教えたりしている親しい間柄であり、同助役を困らせるような発言をするわけがないこと、鍋島発言について、安井が鍋島から、直接確かめたところ、今永助役の作業指示に対しクレームをつけるというつもりは全くなく、原告金丸が助役いじめをしないように牽制するためのものであつたことなどを明らかにした。

(4) 山崎記者は、原告金丸のクレームにはじまる一連の行動と職場混乱の惹起が、今永助役自殺の直接の動機となつたのではないかとの推測を確かめるため、大分鉄道管理局総務部の係長や国鉄本社の幹部に電話取材した。

その結果、両者とも今永助役は原告国労の突き上げないし職場混乱戦術にやられたとの見方をしていることが確認でき、そのほか右係長は、今永助役が新任なのによく業務命令をだしたものだとの感想を述べ、同助役自殺の背景事実として、若年退職者続出の事実、原告国労のビラ撤去抗議事件、原告金丸が現場長交渉のため公用車を出させている事実について説明した。

(5) 山崎記者は、これでもまだ突つ込みが不十分で不満足であつたので、社会部デスクと相談の上、安井に対し三回目の取材を行い、午後八時締切の一〇版(早版)の原稿を全面的に書き換え、さらにこれに解説記事を付して本件記事として出稿したのである。

安井への三回目の取材は同人が自宅に帰つていたため同人の自宅に電話してなされ、同人は自ら鉄労大分地方本部組織部長として調査、作成した調査書等の資料をみて、山崎記者の取材に答えた。

その内容は、電力職場に原告国労組合員ができた経緯とそれ以降原告国労がとつてきた行動、その中で同原告が助役になりそうな鉄労組合員に対して自分の組合に入らないと将来管理職になつたときにその職場をめちやくちやにするぞといつた脅しめいた強引な勧誘を行つてきた事実をはじめ、今永助役が大分電力区における区長吊るし上げの現場を目撃していたこと、今永助役が本件出来事の前日、鍋島らと酒を飲んだ席で、右の大分電力区で起きたことが佐伯電力支区でも起きるのではなかろうかと心配しながら、自らこれを話題にするとともに、その際、佐伯電力支区でのビラ撤去抗議事件の話を聞かされ、着任に当たつて原告国労に大変な不安を抱いていたことなどであつた。

これらの事実は、それまで取材してきた事実と併せて今永助役自殺の背景事情や動機について十分裏付けるものであつた。

なお、山崎記者は、安井から今永助役の自殺に関連して、職場の問題以外に家庭的な問題など一切なかつたことを確認し、自殺の動機が職場の問題、つまり原告国労の職場闘争にあると推測したのである。

したがつて、山崎記者は真相を把握するのに必要にして相当な取材を行つているのであり、本件記事の内容が真実であると考えるにつき相当な理由があるというべきである。

四  被告の主張に対する認否及び反論

1  被告の主張1(二)の事実は否認する。

原告らは、今永助役自殺の背景事情に関し、被告の主張に対して次のとおり反論する。

(1) 被告の主張1(二)(2)の事実中、原告金丸が昭和五七年三月三日に『鉄労とは一線をひく』といつた事実はなく、その経過は次のとおりである。

すなわち、原告金丸は、同日原告国労の大分電力区分会長から、大分電力区において鉄労側から少数勢力である原告国労側に対し、「全面戦争」を通告したとの話を聞いたので、鉄労の佐伯電力支区分会長である鍋島に佐伯でもやるのかと問い質したところ、同人は明確に「やる」と答え、その日から原告金丸に対する差別、村八分が始まり、挨拶、話かけがなくなり、慣例的に若い者が佐伯駅まで同支区の文書等を取りに行くことになつていたにもかかわらず、原告金丸の分については業務文書も含めて取つて来なくなり、さらに、お茶も同原告には出さなくなつたのである。

(2) 被告の主張1(二)(3)の事実に関連して、原告金丸は、小学校四年生のころ今永助役と同じ大分市金池の鉄道官舎に住んでいて、年齢も一つ違いで、小中学校を通じてよく遊んだ旧知の間柄であつたのであり、同助役が着任した昭和五七年三月八日には連れ立つて「錦」という寿司屋で親しく食事をともにしているのである。

(3) 被告の主張1(二)(4)の事実中、原告金丸が今永助役にクレームをつけた事実はなく、その経過は次のとおりである。

すなわち、佐伯電力支区では、昭和五六年一〇月ころ支区長の提案をうけて、SH調査を昭和五七年三月三一日までに完了することを申し合わせ、分担を決めて開始したが、原告金丸は他の人に遅れていたため、できれば本件当時SH調査を行いたいという気持で、「助役さん、実は私の担当する区域もSH調査が残つているんだけれどさせてくれないだろうか」と申し出た。

今永助役は、これに対し「これは前支区長の三浦さんからの引継ぎ事項ですから私はわかりません。支区長が帰つてから話し合いましよう。」と答えたので、原告金丸は「そうですか」と答えて自席に戻つた。

鍋島は、原告金丸と今永助役の遣り取りが終了して、同原告がそのまま就労するに至つたであろうと思われる状況の下で突然大声で、「助役、国労と鉄労と一緒に仕事をさせなんな」「今日の徒歩巡回を金丸と井上一緒にさせなんな」と申し入れたのである。

今永助役及び村山支区長は、右鍋島の申し入れを作業指示に対する拒否と理解したことは明らかである。

また、その後の経過についても、原告金丸が鍋島に対して「何をつまらんことを言いよるか」「仕事と組合的なものを一緒にするな」と抗議すると、鍋島は、「何を言いよるか、そんなことをいつたつて全面戦争してるじやないか」と反発して口論となり、原告金丸が鍋島の鉄労分会長という立場を考えて、鉄労組合員の面前ではメンツ上穏やかに話にくいであろうと思い、外に出るよう求めたが、鍋島は出てこず事務室内に戻ると、ストーブのところに三、四人が固まり、今永助役も立つたままで仕事は行われておらず、だれも原告金丸に話かけてこず、異様なムードであつた。

そこで、原告金丸は、鍋島の作業拒否発言を事前に幹部クラスで意思統一された組織的な原告国労攻撃で、差別、いじめであると判断し、また、今永助役もこれに断固たる対応をしようともしないので、午前八時四〇分ころ動員の電話をしたのであるが、その後動員された者が来るまでの間、一〇分ちよつとの間があつたが、鍋島及び他の鉄労組合員らは、鍋島の作業拒否発言を撤回するなど原告金丸の理解を求めて事態の解決に努力することもせず、仕事にかかろうともしなかつたのである。

(4) 被告の主張1(二)(5)の事実中、鍋島が前記作業拒否発言を撤回し、今永助役が原告金丸に作業指示に従つて就労するように指示したにもかかわらず、同原告が従わなかつたという事実はなく、その経過は次のとおりである。

すなわち、動員された原告国労組合員が佐伯電力支区事務所に来たが、右の者らは、鍋島の原告金丸に対する作業拒否発言の取り消しを求めて、更衣室において鍋島及び佐藤書記長と話合つたのであり、今永助役に不当な圧力をかけたり、同支区の業務を妨害したものではなく、作業が出来なかつたのはもつぱら鍋島が原告金丸との業務拒否発言を、かたくなに固執し、撤回しないため同原告が作業につけなかつたからである。

動員の責任者である木村書記長は、鉄労組合員に対して、組合の所属が違うことを理由に仕事を拒否するのは労働組合以前の問題であつて、決して許されない旨の説得さえしているのである。

更衣室でのやりとりは、村山支区長からの電話で自然解散となり、間もなく動員された者の大半が引き上げ騒ぎもおさまつたが、鍋島は原告金丸との業務拒否発言を取り消さず、そのため原告金丸も就労できずに木村書記長と講習室にはいつていつたのである。

(5) 被告の主張1(二)(6)の事実中、木村書記長及び原告金丸が講習室で今永助役及び村山支区長と話し合つた点についても、被告主張の事実は真実ではなく、右話合いは、ソフトムードで行われ、相互に自己紹介ののち、木村書記長が今後こういうことのないように気をつけてくれと申し入れ、村山支区長が若いんで至らないところがあると思いますががんばりたいと答え、抗議や難詰といつたやりとりは一切なかつたのである。

(6) 被告の主張1(三)の事実は争う。

なお、本件記事中の今永助役の自殺動機に関する部分(リード部分②及び報道部分③)は、論評、意見の記載ではなく、大分鉄道管理局の見解という事実を記載したものであり、また、同助役の自殺動機は、原告金丸が原告国労の闘争方針に従つた労働運動を行つたからではなく、むしろ、鍋島が原告国労組合員であることを理由に、原告金丸との作業拒否発言を行い、佐伯電力支区鉄労組合員もこれを制止することなく、黙認していたことにより、原告金丸は動員をしなければ、就労しえなくなり、やむなく動員を求めたのであつて、職場が混乱し指示どおりの作業ができなかつた責任は、鍋島及び同支区鉄労組合員にあるのであつて、同助役が職場の混乱や指示が実行されぬことで、強い衝撃を受けて失踪し自殺したのであれば、その原因は右の者らにある。

2  被告の主張2の事実は争う。

なお、被告の山崎記者は、原告金丸、原告国労(本部及び大分地方本部)、佐伯電力支区の支区長、今永助役の同僚にあたる管理者、警察関係者になんら取材せず、また、訴外岩野哲総務部長の記者会見にも参加していないのである。

山崎記者は、当日のうちになんとしても記事を入れようと思いあせつて、電話取材のみで取材を終えており、しかも本件報告書では、鍋島の原告金丸との業務拒否発言が記載されているにもかかわらず、鉄労の組織部長安井との電話取材を重視してこれを無視したのである。

しかも、今永助役の失踪は、鍋島の発言に重大な原因があるのであつて、その鍋島は鉄労に所属し、その責任を回避し、あるいはこれを他に、すなわち原告国労に転化させんとするのは、鉄労と原告国労との一般的対立関係、とりわけ原告金丸が今永助役失踪の六箇月前に鉄労を脱退して原告国労に加入したばかりであり、鉄労が同原告に「全面戦争」をしかけていた状況から容易に考えられるのであるから、安井の話は、対立当事者ともいうべき原告金丸や大分鉄道管理局の話と十分付き合わせて信憑性を吟味すべきであつた。

しかるに、山崎記者は、この点に思いいたることなく、安井の話を頭から信用して、原告金丸、原告国労大分地方本部の関係者の話を全く聞かなかつたばかりでなく、訴外岩野哲総務部長の話や本件報告書の内容も無視したのであり、その取材は鉄労オンリー、鉄労べつたりのものであつた。

したがつて、本件記事は、極めて悪質な独断とずさんな取材によつてなされたもので、被告の過失はきわめて大きい。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二本件記事が、原告らの名誉を毀損すべきものであるか否かについて判断する。

1  被告が、昭和五七年三月三一日東京本社発行のサンケイ新聞朝刊社会面に本件記事を掲載し、右新聞を約八六万部発行したことは当事者間に争いがない。

ところで、新聞記事の掲載が、人の名誉を毀損すべきものか否かを判断するには、一般読者が通常用いる注意と読み方によつて、当該記事を理解した場合、その内容が人の社会的評価を害するおそれのある状態を生じさせうるものかどうかによると解される。

そこで、右の見地から本件記事の内容について検討するに、本件記事が別紙二記載のとおりであることは当事者間に争いがないからそれによれば、本件記事中の原告らに関係する見出し、リード部分及び報道記事部分は、解説記事部分と相まつて、次のような趣旨に読み取ることができる。

今永助役は、昭和五七年三月五日、助役に登用され、同月八日佐伯電力支区に赴任し、翌九日に初点呼を行つたが、その際、同支区にただ一人の原告国労所属の検査長から、原告国労の職場を闘争の場とする基本方針に基づき、作業指示について「なぜ、自分が徒歩巡回なのか」とクレームをつけられ、同助役は、本区に行つていた支区長に電話連絡したうえ、毅然とした態度で作業指示どおり就労させようとしたが、右検査長は、右指示に不満であつたらしく約一〇〇メートル離れた佐伯駅に電話して原告国労組合員にこのことを告げた結果、七名の原告国労組合員が同支区に乗り込み、鉄労組合員と口論となつた。

乗り込んで来た原告国労組合員のうち、四名は佐伯駅で勤務中の者であつたため、列車の入れ換え作業に支障を生じ、同駅の助役は捜しまわり、あわてて同支区にいた右原告国労組合員を呼び返し、騒ぎはおさまつたが、今永助役は同日午時一時半ころ行きさきも告げずに姿を消し、同月三〇日同支区から二〇キロメートル離れた大分県南海部郡蒲江町波当津の海中で同助役の遺体を乗せた車が発見され、車ごと海中に飛び込んで自殺したものであることが判明した。

今永助役を自殺に追い込んだ原因について、大分鉄道管理局は、原告国労所属の検査長が、陰湿な“助役いじめ”として、今永助役に対して挑発的な嫌がらせを行い、同助役は、他の職場の原告国労組合員が押しかけて職場を混乱させるなどの職場のひどい荒廃ぶりをみせつけられて自殺したものとみている。

以上のとおり、本件記事は理解される。

なお、被告は、本件記事において、原告国労の職場闘争が今永助役を自殺に追い込んだ原因であるとまでは記述していない旨主張するが、しかし、本件記事中のリード部分及び報道記事部分において、「大分鉄道管理局では国労組合員の陰湿な“助役いじめ”に耐えられず自殺したとみている。」「大分鉄道管理局では、今永助役は赴任したばかりの初めての点呼で、国労組合員から挑発を受けるようなイヤガラセをされたうえ、隣接しているとはいえ、他の職場から“予告”どおりに国労組合員が押しかけてくるなど、職場のひどい荒廃ぶりをみせつけられ自殺したのではないかとみている。」などと記述し、これを、解説記事部分の「助役たちが管理局の指示で、き然とした態度で組合に対応しようとすれば、今回のように組合側から激しい抵抗を受ける。これは、国労、動労が職場を『闘争の場』とする基本方針をもつているからだ。」と記述した部分と併せ読めば、原告国労の職場での闘争を重視する基本的な闘争方針のもとで、原告国労所属の検査長のなした行為が、今永助役を自殺に追い込んだ原因となつたとしているものと読み取られる。

2  本件記事を右のとおり理解するならば、原告国労の職場での闘争を重視する基本的な方針のもとで、同原告に所属する同検査長が新任助役に嫌がらせを行い、同助役が毅然とした態度をとると、動員をかけ職場を混乱させて、同助役を自殺するに至らせたというのであるから、本件記事の内容が、原告国労の社会的評価を害するおそれのある状態を生じさせ得るものであることは明らかであり、また、本件記事が、佐伯電力支区における「国労一人」又は「国労所属の検査長」と記載している点からして、地元などの国鉄関係者であれば、それが原告金丸であると推知し特定もされ得るから、同原告の社会的評価を害するおそれのある状態をも生じさせるに足りるものである。

なお、被告は、本件記事を掲載した新聞が東日本地区においてのみ配付されたものであり、大分県下では配付されておらず、むしろ原告国労が積極的に伝播させたり、被告とは無関係のテレビ局が勝手に取り上げて伝播させたもので、これは二次的に伝播された結果生じた損害と被告の行為との間に相当因果関係がなく、また、佐伯電力支区における「国労所属の検査長」というだけでは、一般読者には原告金丸のことであるとは分からない旨主張しているところ、本件記事の掲載された新聞が東京都を含む東日本地区においてのみ配布され、大分県を含む西日本地区では配布されていないことは当事者間に争いがない。しかし、本件記事を掲載した新聞は、前示のとおり約八六万部発行された日刊紙であり、およそ、原告国労の本部及び国鉄本社のある東京都において配布されているのであるから、直ちに原告国労及び国鉄の知るところとなり、組織上、本件事件の起こつた大分県下の原告国労大分地方本部及び国鉄大分鉄道管理局に本件記事内容の調査ないし問合わせをし、その結果、多くの国鉄関係者に伝播することは事柄の性質上当然予想されるところであり、また、〈証拠〉によれば、本件記事は、昭和五七年四月一日午前八時三〇分から午前九時三〇分まで放送された朝日テレビ局の「溝口モーニングショー」という番組において、テレビの画面に映されその内容が紹介されたが、右番組は全国に放映されたもので、大分県下にも大分放送(OBS)を通じて放映され、原告金丸も佐伯電力支区の事務所で他の職員とともに視聴したことが認められ、このように新聞記事自体が他の伝達媒体を通じて広く伝播することは、これ又現代の情報社会において当然予想されることであるから、このように二次的に伝播したことにより生じた流布状態についても本件記事の掲載と因果関連がないものということができないし、また、右のとおり、二次的に伝播して地元大分県下に知れ渡つた以上は、大分県において本件記事を掲載した新聞が配布されず、「国労一人」とか、「国労所属の検査長」などという表現であつたから、右検査長が原告金丸を指称することが第三者に分明とはなり得なかつたなどとはとうていいい得ない。

三違法阻却事由の有無につき判断する。

1  事実を報道することによつて、民事上の不法行為である名誉毀損が生じる場合であつても、その事実が公共の利害に関するものであり、かつ、専ら公益を図る目的にでた場合には、摘示された主要な事実が真実であることが証明されれば、違法性を欠き不法行為は成立しないものと解される。

また、ある事実を前提にして意見、論評が新聞に掲載され、それによつて名誉毀損が生じる場合であつても、「論評の自由」が言論の自由の一つとして保障されていることからして、直ちに不法行為責任を肯認することはできず、意見、論評の対象が公共の利害に関するか、または、一般公衆の関心事であり、かつ、その目的が、公的活動とは無関係な単なる人身攻撃等にあるのではなく、公益に関係づけられている場合には、その前提になつた事実の主要な部分の真実性が証明されれば、事実報道の場合と同様に違法性が阻却され、不法行為とならないものと解される。

2  そこで本件記事に記載された事実が公共の利害に関するものか否か及び本件記事がもつぱら公益を図る目的で掲載されたものか否かについて検討する。

日本国有鉄道法によれば、国鉄は鉄道事業その他の事業を経営し、これを発展せしめ公共の福祉を増進することを目的として設立された公法上の法人であり(第一、二条)国鉄の職員は法令により公務に従事する者とみなされており(第三四条)、そして、原告国労が本件当時国鉄職員二五万人を擁する労働者によつて構成される労働組合であつたこと及び原告金丸が原告国労組合員であること(請求原因1の事実)は、当事者間に争いがないから、原告国労及び原告国労組合員である原告金丸に関する事柄のうち、国鉄の事業経営に関連する事項については、少なくとも公共の利害に関するものであることが明らかである。

そして、本件記事の内容は、原告国労組合員が、同原告の労働運動の方針に基づいて、国鉄の行う鉄道事業の現場において、現場管理者を不当に追及し職場を混乱させているということに関連するものであるから、まさに公共の利害に関する事項というべきである。

また、被告が本件記事を作成し新聞に掲載した目的は、本件記事の内容、体裁等に証人山崎征二の証言を総合すると、原告国労の運動方針が職場を荒廃させ、現場管理者の自殺という事件まで引き起こすようになつていることを指摘し、原告国労に反省を促し、国鉄当局には、それに対する対応策の必要性を訴え、かつ、国民に現在の国鉄を知つてもらい、その再建の手助けとすることにあつたと認められ、本件記事の作成及び掲載が専ら公益を図る目的であつたことも明らかである。

3  次に、本件記事の主要な事実につき、真実性の証明があるか否かについて判断する。

(一)  原告国労がとつてきた労働運動の方針についてみるに、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

原告国労は、昭和四〇年岡山における定期全国大会において、同原告の労働運動が機関役員、又は活動家の請負的な行動によつて処理されるとするなら、いわゆる幹部闘争請負主義がはびこり、運動を低迷させ、また組織の団結にもひびを入れる結果となるので、各組合員が各職場において労働運動をすすめるべきだとの考えから、「職場に労働組合を!」「職場を団交の場に」をスローガンとして掲げ、労働運動の原則を職場組織の確立と職場闘争に求めることを決めた。

そして、原告国労は、昭和四一年七月一八日から五日間にわたつて行われた第二七回定期全国大会においても、昭和四一年度の運動方針として、「職場に労働運動を!」を中心的な柱としていくことを決め、昭和四二年七月一日には「職場闘争の手引き」と題する文書(乙第四四号証、以下「職場闘争の手引き」という。)を発行し、その中で、「職場交渉」のポイントとして、第一に使用者側と対等の立場に立つこと、第二に調査活動を重視すること、第三に交渉はできるだけ集団交渉とすることをあげ、特に集団交渉とする理由として、「集団交渉の場こそ、階級対立の第一線だから、団交を通じて、敵階級、すなわち経営者側の第一線である現場長の態度を通じて、敵の方針や姿勢を具体的に知ることができるのです。そして、要求を妨げているものは敵階級であるということを労働者に体験を通じて理解させることが要求を前進させることとともに重要な課題なのです。」と記述し、また、「非協力闘争」と題して、「職制に対して敵対対立の関係にあるという意識を明確にし、業務命令にていしよくしない範囲で、いつさい協力的な態度をとらないことによつて、職制に脅威をあたえる行動です。すなわち、食事のお茶くみはもちろん、仕事上の必要なこと以外は、いつさい口をきかないというような行動を労働者全体が行なうわけです。」と記述し、これに続けて「この行動は常に長期にねばりづよく行なわれなければならないし、職制の弾圧、懐柔が予想され、日常の人間関係の面から人情的になかなか実行しにくい面がありますが、その職制により処分され、その職制によつて配転されるなど、職制が敵階級の最前線要員であると割り切ることが階級意識の基本であるとすれば、この非協力闘争を十分訓練する必要があります。」と記述している。

そして、原告国労は、昭和四三年七月国鉄当局との間に「職場交渉」の中身をもつた「現場協議制」を認めさせた。

原告国労は、昭和四四年六月二三日から五日間にわたつて開催された第三〇回定期全国大会において、「現場協議」は「職場に労働運動を!」つくるための武器であり、職場団交制度をさらに活用し、「職場に労働運動を!」ますます定着させて、大幅賃上げと合理化粉砕のため闘うという方針を決め、昭和四五年七月二七日から五日間にわたつて開催された第三一回定期全国大会においても、恒常的に闘う「現場協議」制の確立に向けて努力するとともに組合との協議が調わなければいつさいの現場運営ができなくなるという慣行を確立すべきだとし、現場における安全衛生委員会を活用して、現場管理者の不正、不当問題を摘発し、職制をマヒさせるための職場闘争を強化していくという方針を決めている。

そして、昭和四六年になり、原告国労は、国鉄当局が進めてきたマル生運動に対する反撃闘争を強め、その闘争を確立しようとして、同年八月二四日から五日間にわたつて開催された第三二回定期全国大会において、職場闘争の充実のため、「一人一要求、一職場一抵抗」のスローガンを掲げて闘うことを決めた。

原告国労は、昭和四七年一〇月に「現場交渉権の手引」と題する文書(乙第四五号証)を発行して、職場闘争をいつそう進めようとし、右文書の中で、「幹部請負から大衆闘争へ」と題して、現場協議において要求が通らなければ、現場長に対して職場の抵抗運動を組合員の意志として行うべきであり、その場合ビラを貼る、リボンをつける、職制とは話をしない、現場長から呼ばれても返事をしない等の例をあげて抵抗運動を指導している。

原告国労は、昭和五〇年六月二四日から五日間にわたつて開催された第三六回定期全国大会において、「国鉄労働組合綱領」を採択したが、その内容は、労働階級の団結した力によつて、生活と権利を守り、かつ、労働条件を改善するために闘つていくが、これらの闘いを通じて、資本主義社会が労働者の搾取をつよめるものであることを知り、労働者階級の解放をもめざして闘う、というものが基本となつていた。

昭和五二年八月二四日から五日間にわたつて開催された第三九回定期全国大会においても、第一〇回定期全国大会から運動を階級的労働運動へと指向してきた方針は、今日まで継承され発展してきたとして、今後も同一の方針をとることを決め、メインスローガンとして、「職場に労働運動を!」の路線をさらに追及し、「一企業一組合」の組織原則のもとに、すべての国鉄労働者を結集し、主体的な力量をいつそう強化しようという方針を決めた。

そして、原告国労は、現在でも職場闘争を強め、「一人一要求、一職場一成功」のスローガンを掲げて労働運動を進めている。

以上のとおりであつて、これを覆すに足る証拠はない。

(二)  次に、原告国労と鉄労及び国鉄当局との対立状態及び今永助役の経歴についてみるに、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(1) 原告国労は、本件当時において、全国で約二五万名の国鉄職員を組合員とする労働組合であり(当事者間に争いがない。)、これに対し鉄労は四万名を割る組合員しか有しない労働組合であつたが、大分鉄道管理局管内においては、原告国労が約一七五〇名、鉄労が約一一五〇名であり、佐伯地区においては、原告国労が七一名、鉄労が三九名であつた。

佐伯電力支区は、日豊本線の幸崎から南宮崎間までが電化されのに伴つて、昭和四九年三月一五日日豊本線のほぼ中間に所在する南延岡駅構内近くに南延岡電力区が発足し、これにともなつて同電力区の支区として南延岡、高鍋とならんでできた支区である。

佐伯電力支区には、本件当時において、支区長、助役が各一名、事務掛一名、電気技術掛二名、電力検査長七名(臼杵分駐二名を含む。)、電力検査掛六名(臼杵分駐二名を含む。)、電気掛二名(臼杵分駐一名を含む。)の合計二〇名がいたが、管理職を除く一八名中、鉄労組合員が一六名、原告国労組合員が一名、未加入者が一名であつた。

原告国労は、昭和四六年ころから、マル生運動に対する反対闘争を激化させてきたことにより、マル生運動を支持する鉄労との関係が険悪なものとなり対立状態となつて、原告国労組合員の中には、鉄労組合員に対し「裏切り者」、「第二組合員だ」、「当局の犬」などという発言を行い、職場においても、「一緒に仕事をするな、作業をしてはならない、ものを言つてはならない、湯茶の接待をするな、冠婚葬祭も一緒にするな」、「職場における椅子、机、テレビは国労が要求したものだから、それらについて鉄労は使うな」などという嫌がらせ発言を行うものがあり、現在でも、湯茶を取り扱う場所や座る位置が違つたり、冠婚葬祭も組合が違うと出席しなかつたりする状態が続いている。

しかし、大分鉄道管理局管内の電力関係職場は、昭和三九年一〇月に鉄労の前身である新国労を結成して以来鉄労組合員だけの職場であつたため、問題の少ない職場とされていた。

ところが、昭和五六年九月三日開催の鉄労電気部会の第一三回定期委員会において、当時の訴外内田正年(以下「内田」という。)電気部会長ら執行部の組合活動における基本姿勢及びその行動が批判され、執行部一〇名位の不信任決議が可決されてしまつたため、内田部会長ら執行部は鉄労を脱退して原告国労に加入し、原告金丸も脱退して同年一〇月に原告国労に加入し、これにより電力職場にも原告国労組合員八名が存することになつたが、その八名は中津電力支区、宇佐電力支区、大分電力区、佐伯電力支区に散らばつていた。

そのため、原告国労は、電力職場にいる少数の同原告組合員が鉄労に取り込まれないために組合員を増やそうとして、同職場の鉄労組合員に対し親にまで架電するなどして加入勧誘を開始し、鉄労を批判した記事を掲載した情報紙や鉄労の脱退用紙、原告国労の加入用紙を右鉄労組合員の家庭に配つたり、さらに、職場においては管理者に対して、「おまえらの指示に従えるか」などといつて原告国労の勢力を誇示し、管理者になろうとする鉄労組合員に対して「管理者になつたとき国労に入らないと職場はめちやめちやになるぞ」などといつて脅しをかけて加入勧誘をしていた。

原告金丸は、昭和四〇年臨時雇用で国鉄に入社し、昭和五四年四月から佐伯電力支区に勤務し、昭和五六年九月当時鉄労の指導力ある同支区分会長であり、鍋島は、昭和五五年から同支区に勤務し、鉄労の同支区書記長であつた。

原告金丸は、鉄労電気部会の前記定期委員会における内田部会長ら不信任決議について、鉄労の地方本部が指導して可決させた不当なものである旨佐伯電力支区鉄労組合員に説明し、鉄労地方本部に反省を求める意味から脱退すべきだという指示をだして、脱退を強く勧め、一時は同支区鉄労組合員の大半を脱退させたが、原告金丸が同年一〇月に原告国労に加入したことから、右組合員らは原告国労の方針に批判的立場であつたこともあつて再び鉄労に復帰した。

そこで、原告金丸は、同年一一月ころから佐伯電力支区の職員が自分について原告国労に加入しなかつたことから、同原告を裏切つたといつて同支区鉄労組合員を責めて、原告国労への加入を勧誘し、同原告の佐伯支部幹部とともに右組合員宅へ勧誘に行つたり、勤務時間中にもかかわらずペアを組んでいる鉄労組合員に鉄労を脱退するように執拗に勧めたりし、また、同支区に原告国労組合員が一人しかいないため、現場協議(毎月定期的に労使が職場の労働関係、労働条件、翌月の作業計画等について話し合う機関、鉄労のいう「職場委員会」である。)が設けられないことになつているのに、原告金丸は公用車を出させて支区長と南延岡電力区まで出かけて支区長らに説明させ、鉄労側にこれはルール違反であると指摘されると、南延岡電力区から佐伯電力支区まで首席助役に出向かせ説明させたり、原告国労の掲示板を同支区事務室に設置し、そこに他職場で団結の寄せ書きをした赤旗の檄をはつたり、闘争時には腕章やワッペンを着用して原告国労の勢力を誇示し、さらに、同支区職員の超過勤務手当について、その支給時間の問題に文句をつけたり、同支区鉄労組合員の訴外青野和彦(以下「青野」という。)が佐伯豊南高校野球部の監督をやつているため、午後四時三〇分ころから野球の練習に行くことに文句をつけ、同人が中立であれば認めるが、鉄労組合員である以上は認められないなどといつて、同人を昭和五六年一一月上旬鉄労を脱退させた。

鉄労側もこれら原告国労の組織攻撃に対し、組織防衛をはかるため積極的な組合勧誘を行い、原告金丸に対しても鉄労大分地方本部の安井組織部長が鉄労に復帰するように勧め、また、佐伯電力支区でも組織攻撃に対する防衛策を話し合い、さらに、同支区の鍋島分会長は、昭和五六年一二月安井組織部長から「しつかりやつてくれ」といわれたりしていたが、鍋島は、佐伯において、職場に労組相互の対立関係を持ち込まず平穏のうちに仕事をしていく方針をとり、同組織部長にもその旨返答して、原告国労に対する特段の組織防衛策を示さなかつた。

佐伯電力支区の鉄労組合員は、原告金丸が原告国労に加入した後も、同原告に気をつかつて麻雀に誘つたりして以前と同様に接してきたが、昭和五七年三月三日、同原告が、列車巡視で大分市へ行き、そこで内田や原告国労の訴外永弘大分電力分会長に会つたところ、同人らから鉄労の訴外野崎大分支区分会長から全面戦争(一切の日常的付き合いを拒絶すること)の申し入れを受けた旨を聞き、同日開催が予定されていた佐伯電力支区の送別会を欠席することにし、同支区に電話して青野に送別会を欠席する旨伝え、また、同支区に戻つた午後三時ころ、鉄労の鍋島分会長に対し、「大分で国労と鉄労が一線を引くと言つておるが、佐伯ではどげんするんか」と尋ね、鍋島が「おれはそんなこと知らん」と答えると、同原告は「大分に電話して訴外野崎分会長にきいてみろ」といつて、同原告の面前で鍋島に電話させ、同人が大分では一線を引くといつていると伝えると、同原告は「佐伯でも一線を引く」といつてきかず、鍋島が「佐伯までやることはない」といつても聞き入れず、そこで鍋島は「勝手にしてくれ」といつて、原告金丸に対する説得を諦めた。

(2) 国鉄当局は、昭和四六年ころのマル生運動以来、原告国労の職場闘争に対し受身となり、同原告や同原告組合員と問題を起さない管理者を評価する傾向となつたと一般に考えられるようになり、大分鉄道管理局においても、管理者と原告国労組合員との職場でのトラブルについては、現場の管理職に対し消極的な方向での指導を行い、できるだけ問題を管理局上層部に持ち込ませないようにしていた。

また、大分鉄道管理局豊後森機関区の訴外後藤機関区長が昭和五六年六月一〇日に自殺した際、同管理局の訴外岩野哲総務部長は、動労等の労働組合を刺激し、問題を拡大したくないとの方針から、この事件を内部的に収め自殺原因を追及させまいとして、かん口令を敷いて自殺に至る事情の公表を極力防止しようとした。

そのため、およそ現場管理者は、管理局の指示を忠実に実行しようとしても、管理局上層部が、現場管理者の行つた指示や行動をのちに否定しかねないため、屈辱感、悲愴感、敗北感を感じ、自信を喪失して自殺に走る者がでてきて、昭和五六年春から昭和五八年にかけてだけでも、全国で七名の現場管理者が昇進または異動直後、これらの理由により自殺していつたと新聞に報道されている。

大分鉄道管理局管内においても、原告国労と同管理局との関係からして、現場管理者のおかれた状況はおおむね右と異なるものではなく、昭和五六年一〇月ころからは電力関係職場においても原告国労組合員が存するようになつて、現場管理者がいままで体験しなかつたような職場闘争に直面するようになり、大分電力区においては、原告国労組合員がワッペンを付けているのを発見され、現場管理者から取り外すように指示されると、これに反発して同原告の青年部が動員をかけて、大分電力区の区長を吊るし上げ、勤務時間中にもかかわらずシュプレヒコールを行い、また、佐伯電力支区においても、昭和五六年一〇月二九日、原告国労佐伯支部が同支区の設備や建物にビラを貼り、それを同支区の支区長や助役がはがすと、原告国労組合員四、五名が同支区に押しかけて支区長や助役を外に呼びだし、「なぜ、はいだ」「だれがはげと言つた」などと大声で吊るし上げ、それに原告金丸も加わつて、ついには支区長や助役に原告国労佐伯支部に出向かせて謝罪させる事件が起きていた。

さらに、鉄労が職場規律確立のため、ワッペン、腕章をしている原告国労組合員にそれらを取り外すようにいつても、はずさないので、大分鉄道管理局電力課長を通じて、点呼の席で、ワッペン等の取り外しの指示をしてほしい旨申し入れたが、佐伯電力支区では、三浦前支区長が大分電力区のように原告国労組合員の反発を恐れて、鍋島分会長に公式な席で指示することはこらえて欲しい旨話して、同人の了承を得て指示をださなかつた。

(3) 今永助役は、昭和四一年四月鍋島とともに国鉄大分鉄道管理局に入社し、大分電気区に配属され、門司において約二箇月間の教育を受けて同年一〇月大分電気区大分電力支区電気掛になり、昭和四二年、大分鉄道管理局管内でも電化されてきて変電設備、制御所等の補修要員が必要となつて、そのための教育を門司変電区で受け、同年七月に大分電力区電気技術掛に、昭和四八年一一月大分電力区南延岡電力支区電力検査掛に、昭和五二年三月大分電力区中津電力支区電力検査長に、昭和五六年三月大分電力区電気技術掛にそれぞれなつたが、同期生の鍋島とは昭和四二年から昭和四九年位までほぼ同じ職場にいて、その間、入社と同時に一緒に門司で約二か月間寝起きをともにする電気関係の教育を、またその後大分で約三か月の教育研修をともに受けたりしてきた仲であり、職場以外で個人的にも忘年会、誕生会の祝い、釣り、レクリエーション等に一緒に参加し、あるいは酒を酌みかわし親密に付き合い仲間意識を強めてきた間柄であつた。

今永助役は、本件当時三六歳で、性格的に弱い面をもつていたものの穏やかで真面目な性格であり、妻桂子(三五歳)とともに、長男達也(九歳)、次男敦郎(五歳)を育てながら、円満に大分市内の国鉄アパートに居住して暮らしていた。

以上のとおりであつて、〈証拠〉中、右認定に反するか、又は反するかのような部分は前掲各証拠に照らして信用できず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ちなみに、原告金丸晃本人尋問の結果中には、同原告が昭和五七年三月三日、大分市から佐伯電力支区に戻つて、鍋島分会長に「全面戦争をするのか、野崎さんに確かめてくれないか」というと、同人が訴外野崎分会長に電話したうえ、「佐伯でもやる」といいきつたので、同原告は覚悟を決めた旨供述する部分がある。

しかし、前示のとおり、原告金丸が鉄労を脱退して原告国労に加入した後においても、佐伯電力支区において鉄労組合員は以前と同様に気をつかつて原告金丸と付き合つており、そのうえ、鉄労と原告国労が電力職場において、組織防衛と発展をはかるため組合員の獲得に奔走した際にも、トラブルはあつたにしても、同支区の鉄労組合員が、職場において原告金丸と日常の付き合いを避けたり等の嫌がらせ行為はしておらず、また、原告金丸は鉄労を脱退するまで、同支区の分会長をしていて強い指導力を同支区鉄労組合員に発揮してきた者であつて、鉄労を脱退するについても右鉄労組合員に同調することを求め、一時それに大半が従つたこともあり、右鉄労組合員にとつて原告金丸が原告国労に加入したからといつて、直ちに日常の付き合いを止めなければならないような状況にはなく、さらに、鍋島分会長は労働組合運動を職場に持ち込み職場の雰囲気を暗くするようなことを嫌い、職場の和を保つことを基本方針にしていたのであり、しかも、原告金丸が鍋島に知らせるまで、鍋島は大分電力支区において鉄労が原告国労と一線を引くことを知らず、同支区の鉄労組合員内部で原告国労と一線を引くことについて話し合いは行われておらず、鍋島が訴外野崎分会長に電話した際にはすぐ横に原告金丸がいて、そこで両者間に原告国労といわゆる「全面戦争」を行うことが決まつたものでもない。

右事実に昭和五七年三月三日当時佐伯電力支区において、鉄労と原告金丸ないし原告国労との間に、いわゆる「全面戦争」をしなければならないような特段の出来事があつたと認める証拠もないから、右当時において鉄労が原告国労、すなわち原告金丸と一線をひいて、職場におけるお茶くみや挨拶などを拒否することを始める理由は全くなく、これらを考慮すれば、鍋島が同支区の鉄労組合員に相談することもなく全くの独断で、職場の和を乱し、職場の雰囲気を暗くするようなことを行うなどと、原告金丸に通告するとは考え難く、同原告の右供述は信用し難い。

(三)  今永助役が失踪し自殺した経緯についてみるに、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(1) 今永助役は、昭和五七年三月三日大分電力区技術掛として働いていた者であるが、同日午後七時三〇分ころ同区の区長から電話で佐伯電力支区助役に任命される旨の内命を受け、「ハイ、分かりました。有り難うございます。よろしくお願いします。」と答えてこれを承諾し、翌四日午前八時五〇分ころ大分電力区の区長室において、助役内命の通知書を渡されたが、その際、「はい、有り難うございます。頑張ります。」と答えて受け取つた。

今永助役は、同月五日に正式の内命を受け、同人と同様に助役に登用された訴外日野職員に対し、「自分に務まるだろうか」といい、次いで「頑張ろう」といつて張り切つて見せて、午後一時ころから午後三時頃まで、大分電力支区に行き同支区の助役から仕事内容の教示を受け、また、佐伯電力支区に電話して、小学校や幼稚園の場所等を尋ねる等していた。

同助役は、同日の勤務終了後、大分電力区の技術担当職員(助役を含む。)七名と飲食店に行き、その後四名の者とともに訴外榊助役の家を訪れ午後一一時三〇分ころ帰宅したが、その際に同僚の訴外篠田技術掛に対し、電車線の経験が少ないし、事務の仕事もわからないし、支区の技術掛もやつたことがないので不安である旨いつていた。

今永助役は妻に対し、助役昇進の辞令がでてからよく眠れないし、酒を飲んでもあまり酔えなくなつた旨もらし、「やめようかなあ」というと、妻が冗談のつもりで「あなたが辞めたいなら、国鉄がすべてではないから、兄さんの所でも入れてもらつたら、でも兄さんの会社は特殊な会社だからできる?」というと、「手伝いだからできるだろう」といいながら、「とにかくやつてみる」といつたので、妻は、「今からじやないですか」といつて励ました。

今永助役は、しばらくは単身赴任するつもりで、同月七日(日曜日)午後〇時ころ自家用車で佐伯電力支区に到着し、当日出勤していた訴外三浦支区長(以下「三浦前支区長」という。)、鍋島及び訴外安部忠夫検査掛と会い、三浦前支区長と仕事や宿舎のことを話をしていて、前任者が未だ引越していないため宿舎に人居できないことに話題が及んで、空いている北中野の宿舎へ入居できるかどうかを見に行くことになり、鍋島及び訴外安部忠夫とともに出かけたが、電気、ガス、水道が止めてあつて使用できず、はき掃除だけして同支区に戻つた。

そこで、今永助役が、ビジネスホテルにでも泊まろうかというと、鍋島が一晩くらいなら自分の家に泊まつてもいいじやないかといつて誘つたが、今までの友達関係と違つて、上司と部下、または当局と組合側という関係だからまずいといつて断り、さらに鍋島が、それでは同支区の宿直室に泊まつたらどうかと提案すると、同支区のガスとか風呂とかを私的に使うのは、現在原告国労と当局が正常でない中で問題になるといつて躊躇していたが、結局同支区に泊まることにした。

今永助役は、同日午後二時ころから作業行程表、点呼簿、工事書類を一人で見ていたが、車の手配や点呼簿について三浦前支区長に「こんなに詳しくするのか」「俺やれるかなあ」と話して不安を隠さなかつた。

鍋島は、午後五時一五分ころ今永助役と駅前の飲食店で酒を飲みながら、同助役の助役登用を祝つて激励したが、同助役は、当時辞める予定でなかつた管理者が次々と辞められたので自分に順番がまわつてきたんだといい、それに続けて、大分電力区で起こつたワッペン取り外しの指示に原告国労が反発して、区長を吊るし上げた話をして、「私にできるかな、仕事を含めてそういう問題について自分に勤まるだろうか」といつて、助役の仕事に不安を吐露していた。

その後、今永助役は、同日午後八時四〇ころ鍋島とともに佐伯電力支区に戻り、点呼簿を見ながら、「自分が勤務した中津電力支区はもつと簡単なものだつたが、ここのはややこしいものだ」などというので、鍋島は、同助役が点呼の仕方について不安を抱いていると思い、いつも助役がやつているとおりのやり方で二、三回点呼をやつてみせ、午後九時ころ自宅に帰つた。

翌八日(月曜日)、長田前助役が午後八時三〇分から点呼を行つたが、今永助役もそれに立ち合い、点呼終了後三浦前支区長、長田前助役の離任の挨拶に続いて、今永助役が着任の挨拶を行つた。

今永助役が長田前助役から引き継ぎを受けていると、午前八時四〇分ころ新任の村山支区長が同支区に着任し挨拶を行い、引き継ぎの終了した午前一〇時三〇分ころ新旧支区長、助役四人がそろつて佐伯所在の現場を挨拶回りに出かけ、午前一一時一〇分ころ同支区に戻つた。

同日の昼ころ、南延岡電力区長であつた訴外牧が退職の挨拶に佐伯電力支区を訪れ、今永助役、長田前助役、原告金丸及び南延岡電力区の訴外小川事務掛を誘つて昼食をとりに出かけた。

長田前助役は、同日午後四時半ころ行程表と記載された黒板に翌九日の作業内容を記入し、職員に翌日の自分の作業内容が分かるようにしたが、原告金丸は支区勤務で出勤していて、翌日の勤務内容が分かる状況にあつた。

今永助役は、前日佐伯電力支区の休息室に寝たが、列車や自動車の音で眠れなかつたため、長田前助役の家に泊めて貰うことにして同助役方を訪れ、保全計画をどうすればよいかなどと尋ねていたが、長田前助役は、「地理的には、以前臼杵分駐にいたことがあるので、何も心配することはないのではないか。俺ができたのに心配するな。」などといつて励ましていた。

長田前助役の妻が午後七時半ころ鍋島に、今永助役が来ているから来ないかと誘う電話を架けたところ、鍋島がやつて来たので、酒を飲みながら歓談をしていると、今永助役は、原告国労組合員が大分電力区においてワッペン問題で区長を吊るし上げたことや、原告金丸から、同原告とは格別関係のない訴外二村正弘電気掛が入社して日が浅いのにかかわらず、送別会のあと二日間年休をとつてレクレーションに参加したことについて、「年休が足りないのではないか、どう処理するのか」等いわれたことを困つた様子で話した。

そして、今永助役は、「佐伯は大丈夫だろうか」と尋ねるので、鍋島が、以前ビラ撤去をやつた際に三浦前支区長と長田前助役が吊るし上げられ、その時に原告金丸が加わつていたことを話すと不安気の様子であつた。

今永助役は、鍋島に対し、同人は組合役員としての経験があるからいいが、自分は中津の時に鉄労の副分会長をしたくらいで、交渉の経験がなく組合対策は慣れていないから心配である旨こぼしていた。

(2) 今永助役は、昭和五七年三月九日午前八時三〇分佐伯電力支区において点呼を行つたが、前任者の長田前助役は新任地へ出勤し、三浦前支区長も赴任してしまい、しかも、村山支区長は事務引継に南延岡電力区に行つていたため、管理者は今永助役一人だけであつた。

右点呼には、休暇をとつていた訴外山崎靖彦検査長、鍋島検査長、訴外安部忠夫検査掛、臼杵分駐の四名及び列車巡視の一名を除く一般職員一〇名が参加し、今永助役は、参加した一〇名の職員を起立させて点呼を開始し、原告金丸及び井上に徳浦・津久見間の徒歩巡回を、訴外藤原澄雄検査長(以下「藤原」という。)及び訴外仲間正夫検査掛(以下「仲間」という。)に徳浦構内調査を、訴外長井忠検査長及び同二村正弘電気掛に佐伯構内調査を、青野事務掛、佐藤技術掛(佐藤書記長)、訴外清水輝男技術掛及びその他一名に佐伯電力支区勤務をそれぞれ指示して約五分で点呼を終了した。

右作業指示により、原告金丸、井上、藤原及び仲間は同じ自動車に同乗して徳浦へ行くことになつた。

鍋島は、同年三月一一日に大分市内で開催される鉄労の会議に休暇をとつて出席するため、同月九日午前八時三〇分ころ年休申請に佐伯電力支区に来たところ、点呼を行つていたのでしばらく外で待ち、点呼終了後、同支区事務室に入り、今永助役の席近くにある自分の席で年休申請書を作成していた。

点呼終了後、今永助役は自分の席に戻り、そばにいた訴外清水輝男技術掛に、「今の点呼はこれでよかつたのか」と尋ねると、同人は、「良かつたが、名前を呼ぶときに何々検査長とか、何々検査掛とか職名をつけたほうがいいんじやないか」と答えていた。

原告金丸は、混乱を招くため受け入れられないことを承知のうえで、作業指示変更の申し入れを持ちかけ、昇進まもない新任助役である今永助役を困惑させ、これを迫つて威圧し、原告国労の勢力を誇示しようとする意図でもつて(この点に関する認定の根拠の詳細は便宜上後に説示する。)、同助役の机の前に行き、同助役に対し、「徳浦構内のSH柱の現地調査、徳浦・津久見間の徒歩巡回があるが、自分のグループだけ徒歩巡回か」と抗議口調で申し入れ、これに続けて、「なし自分と井上君だけが歩かにやいかんのか、SH調査のほうに替えてくれ」と作業指示変更の申し入れを行い、これに対して今永助役が、「これは前任の助役さんの作業指示なので、作業指示というより引き継ぎなので指示どおりやつてほしい」といつて就労を促し、さらに、一〇日に一回は徒歩巡回をやることになつており、引き継ぎに一箇所残つていたので作業指示に入れた旨説明したが、同原告は納得せず、「何で替えられんのか」とさらに文句をつけ、同助役が「仕事の方はしてほしい」といつてさらに就労を促したが、同原告は、「おれだけ差別しているじやないか」というので、同助役は「問題があるんだつたら、支区長が帰つてきてから話をしてくれんだろうか」といつたが、同原告は不満そうにその場を動かず「なぜ替えられんのか」とか、「おれだけ差別するのか」とかぶつぶついつて、就労する気配を見せなかつた。

しかし、佐伯電力支区では、各職員が一〇日に一回の割合で徒歩巡回を行つており、同支区で多い人でも月に三回ぐらいであり、原告金丸が本件当時、徒歩巡回が多かつたわけではなかつた。

その間、同支区の他の職員は、安全靴を履いたり、腰道具の用意やヘルメットをかぶつて仕事にでかける準備をしていたが、原告金丸は今永助役との遣り取りが一段落したあともぶつぶついいながら、自分の席の前あたりに立つていた。

(3) 鍋島は、自分の席で原告金丸と今永助役の遣り取りを聞いて、同助役が前々日から点呼のことを心配して気にしてきたのに、原告国労組合員から文句をつけられ、窮状にある同助役を気のどくに思い、かつ、朝早くから、正当な作業指示に対し緊急を要する仕事でもないSH調査を持ち出して、ぶつぶつ文句をいつている原告金丸に対し、腹立たしい感情を抱き、同原告を諫め牽制し同原告の同助役に対する気勢をかわす趣旨かつそのような口調で、同日午前八時四五分ころ、「助役さん、国労とは一緒にできんで」と同原告に聞こえるようにいつた。

今永助役は、この意味が理解できない様子で、「鍋さん、どういうことか意味がわからん」というので、鍋島が説明しようと自分の席を立つて同助役の席の方に行こうとすると、原告金丸が寄つて来て、鍋島に対し、「鍋島、もう一回いうてみろ、国労と一緒に仕事できんとはもう一回いうてみろ」と言い寄るので、鍋島が同原告に対し、右業務拒否発言を繰り返した後、「朝からぶつぶつ文句をいうな、送別会にも一線を引くといつて自分勝手に出て来ないし、朝から文句をいつたら職場がおもしろくないだろう。そういう人とは楽しく一緒に仕事はできんだろうが。」といつた。

これに対し、原告金丸は、「送別会に出ろうが出まいが勝手だ」といい、鍋島と口論になつたが、しばらくして同原告は「おい、ちよつと外に出ろ」といつて、外に出た。

鍋島も続いて外に出ようとしたが、まわりにいた他の職員が、「出るな」「取り合うな」といつて引き止めたので、騒ぎが大きくなつても困ると思い、外に出るのを止めて事務室内に留まつていると、二、三分して同原告が入つて来て、「外に出ろといつても、出きらんくせに」と悪態をついたうえ、原告国労大分地方本部に電話し、訴外羽田野教宣部長に鉄労が原告国労組合員と一緒に仕事をさせるなといつて非常に困つているから、動員してほしい旨を頼んだ。

訴外羽田野教宣部長は、原告国労佐伯支部の木村書記長に電話して、佐伯電力支区で動員を求めているので、支部のほうで対処してほしい旨を伝えると、同書記長は動員理由を聞かぬまま、原告金丸の身体に影響を受けるような重大事が持ち上がつたと判断して、佐伯駅分会に電話し、書記次長をしていたことがある訴外薬師寺に、佐伯電力支区で大変なことが起こつたらしいから、五名程度を同支区にやつてほしい旨を連絡した。

佐伯電力支区では、原告金丸が動員を求める電話をした後、異様な雰囲気でだれも同原告に話かけず、仕事にもつかずにいたが、一〇分位経過した午前九時一〇分ころ、佐伯駅のほうから、制服に赤い腕章をつけた原告国労組合員が、最初に四名、これに続いてさらに四名が同支区事務室内に入つてきた。

原告金丸は、動員されて来た者を同支区の更衣室に入れ、鉄労の鍋島分会長が国労とは仕事が一緒にできないということを助役に申し入れたことを説明し、仕事ができなくて困つていることを訴えて同調を求め、これに対して、動員されて来た者らは、これに同調して頷いていた。

今永助役は、原告国労組合員が動員されて、同支区にやつて来たので、南延岡電力区の訴外牧雅三首席助役に状況を電話報告した。

そして、原告金丸は、抗議するため鍋島を更衣室に呼び入れると、佐藤書記長も心配して更衣室に入り、動員されて来た原告国労組合員が、右両人を取り囲むような形で対面したうえ、まず、原告金丸が、「さつきの、もう一回いつてみよ」といい、鍋島が原告国労との作業拒否発言を繰り返して述べると、動員されて来た原告国労組合員らは憤慨し、なぜ一緒に仕事ができないのかと追求するので、鍋島は右発言の趣旨を明らかにするため、「一々大分のことを持つてきて、佐伯でいろいろやると仕事がおもしろくなくなるだろうが。自分から一線を引くといつて送別会にも出て来ないような者といつしよに仕事ができるわけないだろう。」といつて、原告金丸の非協調的態度を指摘すると、原告国労組合員らは、「佐伯が一線をひくから、おれたちもやるぞ」「鉄労の弱い職場はほかにもあるから」というので、鍋島は他の職場にもこの騒ぎが及ぶことを恐れて心配になつた。

そのうちに、動員されて来た者が、「送別会は拘束時間になるか」というので、佐藤書記長が鍋島に代わつて、「いや、拘束時間ではないが、支区全員で決めたものであるから勤務の一環ではないか」と話すと、原告国労組合員らが拘束時間とか勤務時間とかおかしいじやないかといつて、詰め寄つてきて、「拘束時間かどうか、助役に聞いてみろ」と言い出し、原告金丸が助役席に座つていた今永助役に対し、「助役、ちよつとこつちに来い」といつて更衣室に呼びつけ、怖々とした表情で入つて来た同助役に対して、原告国労組合員らが、送別会は拘束時間かどうかということを話しているのだがどつちだといつて同助役を問い詰めると、同助役は困つた表情で、下を向いてじつとしていたが、しばらくして小さな声で、「いえ、拘束時間ではありません」と返事をした。

その間、佐伯電力支区の職員は、心配して更衣室の入口にあるアコーディオンカーテンのそばで、中の様子を見守つており、また、青野は自分の席にいたが、更衣室の様子が険悪で荒々しくなつてきたので、更衣室のほうに行つて、原告国労組合員らの中にいた知り合いの訴外工藤及び同大賀の二人を外に連れ出して、「とにかく支区の中で騒がんでくれ」「こういう問題が起きたのはどうしてか、訳というのを君たちは把握しておるんか」「こうなつたのは第一に作業指示に対して金丸さんがいろいろ文句をいつたからこういう騒ぎになつたんだ」と話して聞かせた。

青野が話をしていると、動員を指示した木村書記長がやつて来て、外にいた訴外大賀に「どげんなつとるんだ」といつて、訴外工藤及び同大賀とともに事務室内に入つて行き、しばらく更衣室内の様子を窺つたあと、今永助役の席に行つて、「助役、この騒ぎはどうしたんだ。この始末はどうするんだ。」と言い寄つていつたが、同助役は支区長が帰つてから話をしてくれと答えて、取り合わなかつた。

木村書記長は、そのあと青野のところに来て、「青ちやん、どうしよるか、元気にしちよるか」といい、さらに「ここは国労は一人だから仲ようしてくれにやなあ」というので、青野は、こんなことになつたのは金丸さんがぶつぶついうからだと説明した。

(4) 今永助役が更衣室内にいるときに、村山支区長から電話がかかり、同助役が更衣室を出て電話にでると、同支区長から、鍋島の原告国労組合員との作業拒否の申し入れにかかわらず、職員を指示どおりの仕事に就けるように指示された。

そのあと、同助役は鍋島を呼んで受話器を渡し、鍋島が電話を代わると、村山支区長は鍋島に対し、原告金丸と一緒に仕事してもいいんだろうというので、鍋島は「ああ、いいですよ」と返事をして、そのあと今永助役が原告金丸を呼んで、村山支区長からの電話を同原告に代わつた。

今永助役は、原告金丸の電話が終わつた後、同原告に対し、「歩いてもらえんだろうか」といつて就労を促したが、同原告は「鍋島が歩くなといつているから歩かん」と返事して、同支区の講習室に入つていつた。

そこで、今永助役は、同日外に出る予定の藤原、仲間、井上及び鍋島らが集まつているところで、「なんなら僕が歩こうか」といつて相談すると、藤原らが「それはせんほうがいいですよ。それをすると後で自分の立場が悪くなるから。」といつて引き止めた。

木村書記長は、今永助役が村山支区長からの電話に出ている間に、訴外清水輝男技術掛からちよつと話があるんだと声をかけられ、動員されてきた原告国労組合員らと一緒に講習室に入り、訴外清水輝男から、この騒ぎはいろいろ事情があつてこういうふうになつたんだといわれたが、これに対し、同書記長は、この業務拒否は問題にならないことで一方的に鉄労が悪いのだから、なんとか事態収拾に努力してくれないかというと、同人は、それではちよつとやつてみようといつて、講習室を出ていつた。

佐伯電力支区の職員は、動員されて来た者らが講習室に入つて、事務室内も落ち着いたので、佐伯構内調査の作業指示を受けていた訴外長井忠検査長及び同二村正弘電気掛については、午前中に佐伯構内の図面調査を行い、午後から出かけることにして事務室内に留まり、また、同支区内勤務の作業指示を受けた青野、佐藤書記長及び訴外清水輝男技術掛については、机についていたが、原告金丸と徳浦・津久見間の徒歩巡回の作業指示を受けた井上及び徳浦構内調査の作業指示を受けた藤原及び仲間は、同原告と同じ自動車で出かける予定になつていて、同原告が就労しようとしないため、出かけられない状況で事務室内に留まつていた。

午前九時四〇分ころ、佐伯駅から、仕事にならんから直ぐ動員された職員を帰して欲しい旨の電話があり、青野がそれを動員されてきた原告国労組合員らに伝えると、木村書記長に相談したうえ六名の右組合員らが仕事に帰つて行き、動員されて来た者のうち、訴外上野及び同安田の二名が木村書記長とともに講習室に残り、村山支区長の帰りと訴外清水輝男の事態収拾についての結果を待つていた。

その後、原告金丸は、午前九時五〇分ころ、木村書記長に当事者である同原告と鉄労の鍋島分会長と二人で話をしてみたいという提案をし、同書記長も賛同したので、講習室を出て行つた。

鍋島は、騒ぎもおさまつてきたので午前一〇時ころ自宅に帰つたが、訴外清水輝男から、原告金丸が今日の事態を収拾するために鍋島と話し合いたいといつているので、佐伯電力支区に出て来て欲しい旨の電話があり、再び同支区に行き、テニスコートのそばで原告金丸と話をしたところ、同原告は、事態を収拾する気があるなら一筆入れたらどうかと提案するので、鍋島はこの混乱状態がこれ以上続いたり、他の職場にこの騒ぎが波及しても困るので、一筆入れることを承諾する気になつて、同原告に一筆入れる相手はだれかと尋ねると、同原告は、原告国労佐伯支部宛にして、内容は任せるというので、鍋島は一筆いれることを了承すると答えた。

原告金丸は、講習室にいた木村書記長と連絡をとつたうえ、鍋島に対し、同書記長も了解したから、一筆入れることで事態を収拾してもいいだろうといい、これに続けて、「鍋島さん、あんたの選んだことはよかつたなあ」といつた。

鍋島は、鉄労の大分地方本部の委員長に佐伯電力支区の事態を報告し、一筆入れることになつたことを報告すると、同委員長は、原告国労が動員をかけることはしよつちゆうあり、慣れているので心配するなといつて、一筆入れる必要はない旨述べた。

木村書記長は、原告金丸と鍋島との間で話もついたし、村山支区長が帰るまでまだ時間もあることから、一度引き上げて待とうと考え、午前一一時前ころに動員されて来た組合員らとともに原告国労佐伯支部事務所に帰つた。

今永助役は午前一〇時半ころから、自分の席で線路閉鎖の手続をやつていたが、その手続は工事区間に列車が入らないように保線区や駅と打ち合わせるのもので簡単な作業であるが、藤原に対し、「線路閉鎖工事の申請を列車指令と打ち合わせる方法が良く分からない。」といい、藤原が三回にわたつて説明したが、同助役は「頭がおかしくなつた。何をしたらよいかわからなくなつた。」と言い出す始末であつた。

村山支区長は午前一一時ころ佐伯電力支区に到着したが、同支区は動員された者も引き上げ平静になつており、今永助役も明日からの作業指示及び吊架線張替工事等の準備をしていたが、同助役は「慣れるまで大変だ」と口走つていた。

原告金丸は、村山支区長が帰つてきたので、原告国労佐伯支部に電話して、木村書記長に同支区長が戻つたことを伝え、同書記長は午前一一時三〇分ころ同支区にやつて来て、村山支区長、今永助役及び原告金丸の四名で講習室に入り、同原告が清涼飲料水を持つてきたので、右四名で飲みながら、今後の業務運用について話し合いを行つた。

右話し合いの中で、まず村山支区長、今永助役と木村書記長が自己紹介をし、同書記長が同支区長に、今朝の状況を知つているかと尋ね、同支区長が報告を受けていると答えると、同書記長は、今朝の出来事は偶発的なことではなく、一つの職場に二つの組合があれば国鉄当局として公平に扱うことが一番大事であり、その日の勤務が不公平だというのではなく、四週間とか一箇月とかある程度の節目のところで大体平均していれば公平なのだということを述べると、同支区長も原告国労、鉄労とも業務上の取り扱いは同じであり、今後万全を尽くすといつたので、同書記長は、さらに現場協議(鉄労が「職場委員会」と呼ぶもの)等について話し、同支区長は良く了解している旨答え、これに続けて、自分が三四歳で、今永助役が三六歳に過ぎず、若いため至らない点があろうけれどもよろしくお願いする旨の話しがあり、同書記長はこれに対し、頑張つてやつて欲しい旨激励して、午前一一時四〇分ころ引き上げた。

今永助役は、午後〇時ころ佐伯電力支区内で昼食をとり、自分の机に着いていたが、午後一時三〇分ころ「五分程出てきます。すぐ戻ります。」といつて、自分の車で出かけたが、午後二時三〇分になつても戻らず、なんの連絡もないことから、同支区職員が三班に分かれて捜索を開始し、村山支区長が午後四時二〇分、南延岡電力区に同助役の失踪を報告し、午後五時三〇分ころ大分市内に居住する家族に連絡したところ、妻の訴外今永桂子が午後六時一〇分ころ大分警察署に捜索願いを提出し、その後も同支区職員らが午後一一時まで捜索したが発見し得なかつた。

昭和五七年三月二九日夕方、南海部郡蒲江町波当津港に乗用車が沈んでいるのを近所の人が発見し、翌三〇日潜水夫を入れ右車を引き揚げると、運転席に今永助役の遺体があり、自殺したものと判明した。

以上のとおりであつて、右認定に反するか又は反するかのような証拠は次に説示するとおり信用できず、その他に右認定を覆すに足りる証拠はない。すなわち、

(1) 原告金丸晃本人尋問の結果中には、原告金丸が今永助役に対し、昭和五七年三月八日訴外二村正弘の年休問題について「年休が足りないのではないか、どう処理するのか」などとはいつていない旨供述する部分があるが、鍋島は、同月八日の夜訴外長田助役宅において、今永助役が、原告金丸から訴外二村正弘の年休問題について文句をつけられたといつて、気にしている様子であつた旨証言しており、右供述部分は鍋島の右証言に照らして信用し得ない。

(2) 原告金丸本人尋問の結果中には、同原告は、佐伯電力支区の他の職員に比べてSH調査が遅れており、他の職員にはSH調査の作業指示がなされていたため、三月九日の点呼終了後、今永助役の机の横に行つて、「助役さん、実は私の担当する区域もSH調査が残つてるんだけどさせてくれないだろうか」と作業指示の変更を申し入れたところ、同助役が、「どうしてですか」と尋ねたが、同原告は特に説明することもなく、他の組がSH調査になつているのに、どうして自分の組が徒歩巡回なのかと逆に質問し、これに対し同助役は「これは前支区長三浦さんからの引継事項ですから、私にはわかりません。この問題は支区長が帰つてから話しましよう。」と答えたので、同原告はそれ以上話しても難しいと思つたので、了解して自分の席に戻り、作業に出かける準備をしたのであつて、執拗に作業指示変更を求めたものでなく、同助役に対する嫌がらせではない旨供述する部分がある。

しかし、証人青野和彦の証言、原告金丸晃本人尋問の結果によれば、一旦なされた作業指示が変更されることは、天候等の都合によらない限りありえず、原告金丸もそのことはわかつていたこと、同原告はこれまで一度も作業指示の変更を求めたことがないことが認められ、そうであれば、同原告は、変更を求めても当然拒絶されるであろうことを承知していながら、しかも、今永助役にとつて、佐伯電力支区に着任後初めての点呼であるから、同助役が、同原告の作業指示変更を求める理由を十分には理解できないことも容易に知ることができたのに、なんら変更を求める理由も明らかにせず、他の職員がSH調査を指示されていることを取り上げ、逆に同原告に徒歩巡回の作業指示がなされた理由を尋ねたというのであるから、同原告と同助役のこの遣り取りからして、同原告の同助役に対する申し入れは単に作業指示の変更を求めたに過ぎないものと理解することは、困難である。

また、SH調査についても、原告金丸晃本人尋問の結果によれば、三浦前支区長の提案を受けて、昭和五六年一〇月か、一一月ころSH調査(図面台帳に記載された信号、高圧設備等と現状が一致しているか否かを調査し、図面を作成し直す作業である。)を電車線の設備にも広げて、昭和五七年三月三一日までに完成しようということで、佐伯電力支区全員が申し合わせたことが認められるものの、証人鍋島敏の証言によれば、SH調査は、徒歩巡回等の主な作業の合間に行う形になつていたことが認められ、かつ、右本人尋問の結果によれば、原告金丸自身が、SH調査が強制されたものではなかつた旨供述しているのであつて、そうすれば、本件当時同原告の分担していたSH調査が遅れていたにしても、まず本来の徒歩巡回等の作業を優先すべきものであり、前示のとおり、国鉄に一七年近くも勤務していた同原告にも、そのことが分からなかつたはずはなく、右本人尋問の結果中の、同原告が、SH調査に作業変更を求める目的で、今永助役に申し入れをした旨の供述部分は、不自然、不合理であることになる。

さらに、前示のとおり、長田前助役は前日に作業内容を黒板に記載し、原告金丸も出勤していて、右記載を見る機会があり、しかも、今永助役が着任まもない助役で、作業指示を具体的に決めたのが、同助役ではなく前任の現場管理者であることは、同原告に当然分かつていたはずであるから、それをあえて当日の点呼後に指示された作業内容の変更を今永助役に求めることは、同助役を困惑させるだけのものであつたといわざるを得ない。

したがつて、原告金丸の今永助役に対する申し入れが、単なる作業指示変更の申し入れに過ぎない旨の供述部分は信用できない。

むしろ、(以下の点はさきにも概説したとおりであるが、さらにここでも詳細に説示すると)原告金丸が今永助役に対し作業指示変更を申し入れた意図は、次のような事実からして、原告国労がとる職場闘争重視の基本方針のもとで、同原告が、同助役に受け入れ難い問題を持ちかけて困惑させるとともに、原告国労の勢力を誇示し、原告国労組合員との関係では現場管理者の意向のままには現場運営ができないことを知らしめることにあつたと推認せざるを得ないのである。

すなわち、

① 前示のとおり、原告国労は、昭和四一、二年ころから、組合幹部による請負的な運動を改め、各組合員による各職場での闘争を徹底させることを基本的な方針にして各組合員に対し、現場管理者が経営者側の第一線であることを明確に自覚して行動するよう求め、その要求を貫徹するため、原告国労との協議が調わない限り現場運営ができないという慣行の確立に向けて抵抗運動を行うように指導してきており、本件当時とマル生運動の反対闘争時では時代背景を異にするとしても、本件当時、同原告の基本的な方針に変更はなく、「一職場一要求、一職場一成功」をスローガンに掲げて職場闘争を繰り広げていた。

② そして、前示のとおり、国鉄当局は、昭和四六年ころのマル生運動後、原告国労等の行う職場闘争に対し強硬姿勢をとつて真正面から対立することを回避していたため、原告国労組合員の中には、職場において思うままに職場闘争を繰り広げ、職場を混乱させるものがでてきたし、そして、証人鍋島敏の証言によれば、鉄労組合員であつた者が助役に昇進すると、原告国労組員の中には、昇進直後に助役いじめをしてこれを「入学式」と称するものがあつたことが認められる。

③ 前示のとおり、大分鉄道管理局管内の電力職場においても、昭和五六年一〇月ころから、原告国労組合員が存するようになり、大分電力区では、同原告組合員がワッペンを着用していたところ、取り外すように指示され、これに反発した右組合員らが同区の区長を吊るし上げ、勤務時間中にシュプレヒコールを行うという事件が起こり、また、佐伯電力支区でも、三浦前支区長、長田前助役が同支区建物等に貼られたビラを剥がすと、原告国労佐伯支部の組合員及び原告金丸等に吊るし上げられ、謝罪させられるという事件が起こつていた。

④ 前示のとおり、原告金丸は、昭和五六年九月当時、指導力のある鉄労の佐伯電力支区分会長であり、同年一〇月に原告国労に加入した後も同支区の鉄労組合員に原告国労への加入勧誘を公然と行い、また、同支区には原告金丸しか原告国労組合員がいないため、現場協議が設けられないことになつているのにかかわらず、公用車を出させて南延岡電力区まで協議に出かけたり、同区の首席助役を佐伯電力支区まで出向かせて説明させたり、同支区に原告国労の掲示板を設置させ、闘争時には腕章やワッペンを着用したりし、さらに、原告金丸は同支区現場管理者に対し、超過勤務手当の支給時間について文句をつけたり、青野が午後四時半に退社し、高校の野球部監督として練習に行くことについて、鉄労を脱退しない限り認めないといつて文句をつけ、昭和五六年一一月上旬に鉄労を脱退せしめたりして、原告国労の指導に従つた職場闘争を行つていたのであるが、同支区の三浦前支区長は、原告国労組合員による職場混乱を恐れ、点呼の際にワッペン取り外しの指示をだすことさえしなかつた。

⑤ 前示のとおり、原告金丸は、昭和五七年三月八日今永助役に対し、同原告とは関係のない訴外二村正弘の年休問題について、「年休が足りないのではないか、どう処理するのか」といつて、助役に昇進したばかりで、しかも着任まもない同助役に、事情の分からない問題について指摘をし困らせ、このような経緯の中で、原告金丸から今永助役に対し、受け入れ難い作業指示変更の申し入れがなされた。

⑥ 原告金丸は、その本人尋問の結果によれば、徒歩巡回が前日の作業計画に入つていても、当日に激しい雨が降れば、しばしば変更されており、一〇日に一回の割合で行うことになつていたが、それほど厳しいものではなく、同原告としては、本件当時当日の作業をSH調査に変え、徒歩巡回は後日にずらしたらいいという気持であつた旨供述し、原告金丸にとつて、現場管理者の作業指示や徒歩巡回の作業などいかようにもなる事柄のことであるといつたような意識を表示している。

以上のとおり、原告金丸は佐伯電力支区において、ただ一人の原告国労組合員であつたが、周囲をはばかることなく職場闘争を行い、同支区の現場管理者を不合理な理由をつけて突き上げたり、文句をつけたりしていたのであり、また、現場管理者の作業指示など問題としないような意識を表示するなどしていることからして、現場管理者との職場闘争を重視する原告国労の闘争方針を実行しようとしていたと考えられ、それに対し同支区の現場管理者は、おそるおそるこれに接していた。

そして、原告金丸は、今永助役が着任した翌日、事情に通じていないことを十分に知りながら、同助役に訴外二村正弘の年休問題を持ち出して文句をつけ、さらに、同助役の初点呼の直後、今まで一度も作業指示の変更を求めたことがないのに、不当といわざるを得ない作業指示の変更を求めているのであつて、そうであれば、原告金丸の作業指示変更の申し入れは、たんに形にだけのものに過ぎず、実質は訴外二村正弘の年休問題で文句をつけた行為と一連のもので、前述したとおり、その意図するところは、鉄労組合員であつた今永助役が新任助役として新たに同支区に着任したことから、着任当初において、同助役に受け入れ難い問題を持ち込んで困惑させ、さらにこれを受け入れるように迫つて威圧し、同支区が従前の鉄労組合員だけの職場ではなく、原告国労組合員のいる職場であり、現場管理者の意向のままに現場運営がなし得ないことを同助役に知らしめるためであつたと認めざるを得ないのである。

ちなみに、原告金丸晃本人尋問の結果によれば、同原告は、小学校四年の時から中学校まで今永助役と同じ国鉄宿舎に暮らし、同じ学校に通つていたが、他方、同原告が同助役と同じ職場で働いたことはなかつたことが認められ、本件当時、両者が親しく付き合つていたと認められるような証拠はなく、むしろ、前示のとおり、同原告は同助役に対し、着任そうそうに訴外二村正弘の年休問題について文句をつけ、同助役を不安に陥れていたのであつて、本件当時、両者の間に幼な友達というような親しい関係が存したと認めることはとうていできない。

(3) 原告金丸晃本人尋問の結果中には、佐伯電力支区では、昭和五七年三月三日に原告国労と鉄労とが、いわゆる「全面戦争」の状態になり、同支区の鉄労組合員は、原告金丸に挨拶も話しかけてくることもなくなり、さらに、以前は若い職員がお茶をいれてくれたり、同支区職員にきた文書等を佐伯駅まで取りに行つてくれていたが、同原告にはお茶もいれてくれず、文書等も取つて来てくれなくなるなどの、同原告に対する村八分的状況になり、そのような本件当時の状況下で、鍋島が今永助役に対し、「助役、国労と鉄労と一緒に仕事をさせなんな」「今日の徒歩巡回を金丸と井上を一緒にさせなんな」と原告国労組合員との業務拒否の申し入れ(以下「鍋島発言」という。)を行つたので、同原告は、鉄労が組織ぐるみで原告国労組合員であることを理由に同原告に嫌がらせを行つていると理解し、鍋島に対し、「何をつまらんことをいいよるんか、仕事と組合的なものを一緒にするな」と大声でいうと、鍋島が「全面戦争しているんじやないか」といつて、反発してきて口論となつたが、同原告は、鍋島が鉄労の分会長であり、周囲に鉄労組合員が聞いていることから、同人の立場を考え外に出て二人だけで話せば、同人も右申し入れを撤回すると思い、「外に出ろ」といつた旨供述する部分があり、また、証人木村武雄の証言中にも、木村書記長は、原告金丸が同支区鉄労組合員から同原告の右供述のような嫌がらせをされていたことを、本件当時以前から聞いていた旨証言する部分がある。

しかし、本件当時原告金丸に対する村八分的状況にあつたかについて、原告金丸晃本人尋問の結果によれば、同原告は、同年三月三日以降、同月四日は勤務についたものの、同月五日から同月七日までは年休や公休で出勤せず、同月八日は三浦前支区長、長田前助役が転任し、村山支区長、今永助役が着任して、引き継ぎが行われるため出勤して佐伯電力支区事務室内にいたが、当日は新旧の支区長、助役の離任及び着任があり、また、南延岡電力区の前区長が退任の挨拶に来たりして、同原告に対する嫌がらせが行われる客観的状況になかつたことが認められ、また、証人木村武雄の証言によれば、木村書記長が、原告金丸宛の文書が取りに来られず佐伯駅に留まつているのを知つたのは、同月一二日であることが認められ、前示のとおり、その間に今永助役の失踪事件があり、同支区の職員は大騒ぎで捜索に懸命になつていたことを考えると、同支区の職員が本件当時、同原告の文書を殊更に取つて来なかつたとも認め難く、さらに、前示のとおり、原告金丸が鍋島に対し、大分で原告国労と鉄労が「一線を引く」といつているから、佐伯でもやるといつて、いわゆる「全面戦争」を申し入れたのであり、むしろ、鍋島は同原告を説得して、平穏裡に仕事をやつて、労働組合相互の対立を同支区内に持ち込まないようにしようとしていたのであり、これらの事情を考慮すると、本件当時、同原告に対する同支区鉄労組合員による村八分的状況が存した旨の同原告及び木村書記長の各供述は直ちに信用し得ない。

また、原告金丸が鍋島発言を組織ぐるみの嫌がらせであると考えたとのことについても、前示のとおり、原告金丸は、数箇月前まで佐伯電力支区の鉄労分会長として、同支区鉄労組合員に指導力を発揮してきて、同原告が鉄労を脱退したときには、右組合員の大半が同原告に従つて脱退していること、その後同原告が原告国労に加入すると、右組合員が鉄労に復帰したため、原告金丸は、右復帰した右組合員に対し、裏切り行為だといつて責め、原告国労に加入させようとしていたこと、これまで、原告金丸が原告国労の方針に基づいた職場闘争を、同支区において周囲をはばかることなく繰り広げていたこと、原告金丸は鍋島に対し、前記のいわゆる「全面戦争」の申し入れを行い、鍋島の説得にもかかわらずこれを固執していたこと、同原告は、今永助役に対する作業指示変更の申し入れが不当なものであることは十分承知していながらこれを行つたこと、しかも、同原告が数箇月前まで鉄労に所属していたことからして、同支区の鉄労組合員が同原告の不当行為をいまいましく思つていることも十分承知し得たはずであり、かつ、鍋島が、同原告と口論になつた際、同原告が協調性を欠く態度をとつたり、労組の対立を職場に持ち込み職場の雰囲気を暗くしたり、新任助役に着任そうそう嫌がらせを行つたことについて、自らの意図を明示して非難していることを考慮すれば、鍋島発言が、鉄労の組織ぐるみの原告国労組合員に対する嫌がらせ行為であると考えた旨供述する部分は信用することができない。

さらに、原告金丸が鍋島に、「外に出ろ」といつたことについても、通常、口論の最中にこのような発言をすれば、暴力行為に及ぶことを予期せしめるのであり、そのうえ、前示のとおり、同原告が一旦外に出て再び事務室内に戻つた際、「外に出ろといつても、出きらんくせに」と悪態をついているが、右発言内容が、鍋島が暴力行為を恐れて外に出なかつたことを前提にして、鍋島を揶揄するものであり、さらに、右説示した事項をも考慮すれば、同原告が鍋島の立場を配慮して、他の鉄労組合員のいない外で二人だけで話そうと思つて、「外にでろ」といつた旨供述する部分は直ちに信用することができない。

したがつて、原告金丸と鍋島との口論に至る経緯及びその経過に関する同原告の右供述部分は、信用し得ないのである。

(4) 証人木村武雄の証言中には、今永助役が更衣室から出て来て自席に戻つた際、木村書記長が同助役に対し、穏やかな口調で、鉄労の鍋島分会長が国労とは仕事が出来ないと申し入れたことを確認し、支区長が不在なので戻つたら話をしたいと申し入れをした旨証言する部分がある。

しかし、前示のとおり、木村書記長は、動員の責任者でありながら、右証言中の他の部分によれば、佐伯電力支区に行くまで原告金丸が動員を求めた理由を知らず、多数の鉄労関係者の行為により同原告に身の危険が及ぶような事態が起こつたと判断していたというのであり、しかも、同原告や動員されてきた原告国労組合員が更衣室で鍋島らと話しあつているのに、それに参加しようともせず更衣室の外側から右話し合いの様子を窺つていたに過ぎないというのであるが、これを前提とするかぎり、原告金丸に当日の経緯を尋ねるのならばともかく、まず今永助役に事実関係を確認するということはいかにも的はずれの行動であり、いわんや、原告国労が職場闘争の対象としている現場管理者に対し同原告佐伯支部書記長が右のような前提に立つて事情を確認するなど不自然である。かえつて、原告国労との就労拒否の発言がなされていることを前提とするならば、原告国労佐伯支部書記長としては、そのような業務拒否発言を放置して原告金丸に動員を要請させるような事態を招いた今永助役を責め立てることの方こそ自然であり、木村書記長の右証言部分は青野の証言に照らして信用し得ないばかりでなく、その内容においても不自然で信用することができない。

(5) 証人木村武雄の証言中には、更衣室での遣り取りが終了した後、木村書記長が佐伯電力支区鉄労組合員に対し、所属する労働組合が違つても仕事を拒否することは許されないのだということを訴えた旨証言する部分があるが、しかし、前示のとおり、その訴えがなされたという直前まで更衣室において、原告金丸及び動員されて来た原告国労組合員八名が鉄労の鍋島分会長や佐藤書記長を取り囲んで原告国労との業務拒否発言を抗議し、半ば吊るし上げていたのであり、同支区鉄労組合員はそれに対してなんらの対応もとつておらず、しかも、木村書記長は、同支区に来るまで原告金丸が動員を求めた理由を知らず、同支区に来てからも同原告から事情を聞くことはなかつたし、かつ、青野から、今回の騒ぎの発端が原告金丸の作業指示に対する文句から始まつたものである旨の話しを聞いていたのであるから、事態を明確に把握していない同書記長が、右証言内容の発言(訴え)をする状況にも、必要もないときにこのような発言をするとは考え難く、右証言部分は、青野の証言に照らして信用し得ないばかりでなく、その内容自体においても不自然、不合理で信用することができない。

その他、前記認定を覆すに足る証拠はない。

(四)  そこで、以上に説示した事実関係により、本件記事につき真実性の証明があつたか否かについて判断する。

(1) 本件記事中のリード部分及び報道記事部分に記載された事実経過(自殺動機に関する内容を除く。)は、大筋において大部分が真実性を有すると認められる。

なお、原告らは、リード部分のうち、「この助役は、……初めての点呼で国労組合員から突きあげされた。」(リード部分①)及び「国労に所属している検査長は『なぜ、自分が徒歩巡回なのか』と新任の今永助役にクレームをつけた」(リード部分②)が虚偽である旨主張するが、原告金丸が今永助役を困惑させ、威圧しようとの意図のもとに、作業指示の変更を執拗に求めたことは、前示のとおりであり、これを「突き上げ」とか、「クレームをつける」とか表現することが虚偽であるとはいい難い。

また、原告らは、報道記事部分のうち、「今永助役は……『業務命令だ、ビシッと仕事をしてもらう』と、き然とした態度で、予定どおり作業をさせようとした。」(報道部分①)が虚偽の事実である旨主張し、かつ、同助役が「業務命令だ。ビシッと仕事してもらう」といつたことを認めるに足りる証拠はないが、しかし、前示のとおり、今永助役は原告金丸に対し、「指示どおりやつてほしい」又は「仕事のほうはしてほしい」と繰り返し述べているのであつて、同原告に対する就労の指示がなされていたことはそのとおりであり、同助役の具体的な発言内容は別にして、予定どおりの作業に就労させようとしていたことは事実であつて、虚偽の内容とはいい難い。

もつとも、今永助役が、原告金丸から作業指示変更の申し入れをされた際、村山支区長に電話したうえで、就労を促す指示をしたことは認めることができないが、同支区長に電話した時間は、本件記事において末梢的な部分であり、右程度の相違を殊更に取り上げて、本件記事が虚偽であるともいい難い。

また、本件記事中には、鍋島が今永助役に対し、原告国労との業務拒否発言をしたことの記述がなく、原告金丸が同助役の就労指示に対して、不満だつたので一〇〇メートル離れた佐伯駅に電話して、動員を求めたように記述してあるが、前示のとおり、鍋島は、原告国労との業務拒否発言をすることによつて、今永助役を困惑させ、威圧する原告金丸の不当な言動を止めさせようとしたものであり、そのことを同原告自身も理解していたため、かえつて逆上して鍋島と口論になり、ついには原告国労の大分地方本部に電話して動員を求めたのであつて、この点において、いわば消極的に、本件記事は事実と相違しているかのようである。

しかし、限られた紙面の中に記事を入れ込まなければならない新聞記事の場合、事細かく事実経過を記述し難いものであるから、仮に、鍋島の業務拒否発言を記述すれば、その発言の真の趣旨を説明しなければならず、その余裕が紙面になければ、ことの本質のみにとどめる趣旨から鍋島発言の記述を省略することも異とするには足りないし、また、前示のとおり、原告金丸は、今永助役を困惑させ威圧しようとして行つた自らの行為を鍋島から非難されて動員を要請したのであるから、いいかえれば、同原告は、現場管理者に対する職場闘争の妨害を排除するため動員を求めたもの、すなわち原告国労と鉄労との対立といつたものではなく、原告金丸と同原告の不当な職場闘争を阻止しようとする現場管理者及び他の同支区職員との対立状況というべきものの中で、これを不満として動員を求めたということができるのであるから、本件記事の記述が誤りとはいえず、さらに、同原告が動員を求めて電話した相手が間違つていることは、本件記事の中で末梢的部分であり、殊更に誤りを指摘するまでもないことである。

さらに、原告らは、報道記事部分のうち、「電力職場は国労の鉄労の対立が激しく、国労の組合員から助役になりそうな鉄労組合員に『国労にはいらないか。こつちへこなければ、助役になつた時、職場をメチャメチャにするぞ』というおどしめいた強引な勧誘がおこなわれていたという。」(報道部分②)の部分の記述が虚偽である旨主張するが、前記三3(二)で認定したとおり、右記事の内容には真実性があると認められる。

(2) 本件記事中の今永助役の自殺動機に関する記述についても以下に説示するとおり、真実性が認められる。

すなわち、前示のとおり、昭和五六年一〇月大分鉄道管理局管内の電力関係職場における鉄労組織が分裂して、鉄労組合員ばかりの職場に原告国労組合員八名が存することになり、そのため、職場で少数労組の原告国労が強引な勧誘を行い、大分電力区でも、助役になりそうな鉄労組合員に対し、「原告国労に加入しないと助役になつてから職場をめちやめちやにするぞ」というような勧誘がなされ、また、右当時今永助役が勤務していた大分電力区において、原告国労組合員が同区の区長をワッペン取り外し指示に関して、吊るし上げたとき、今永助役もそれを目撃していて、それを非常に気にして、佐伯電力支区に着任後も鍋島にその話をして、原告国労の職場闘争に不安を抱いていた。同助役は、助役昇進の辞令を貰つてから、本来喜ぶべき昇進なのにかかわらず、妻に対してよく眠れず、酒を飲んでも酔えなくなつたといい、国鉄を退職することさえ話題にしているのであり、同僚に対しても助役の仕事に対して、不安感を抱いていることを語り、また、佐伯電力支区に着任後も、三浦前支区長に助役の仕事に対する自信のなさを話したり、鍋島に対しても、原告国労組合員の職場闘争を自分から話題にして、大分電力区の区長吊るし上げ事件を語つたうえ、同支区の状況を尋ね、これに対して、鍋島が、同支区現場管理者のビラ撤去に、原告金丸を含む原告国労佐伯支部の組合員が反発して、同現場管理者を吊るし上げて謝罪させた事件を語ると、同助役は不安な様子でこれを聞いており、さらに、同助役は、原告金丸から訴外二村正弘の年休問題について、文句をつけられたことを話して不安な様子を隠さなかつた。そして、同助役は点呼について、かなり気にしており、鍋島が同助役のために、いつも行つている点呼のやり方を実際にやつてみせて、教えてやつたりしていたし、また、同助役は、初点呼終了後、訴外清水輝男に点呼のでき具合を尋ねていた。このように、同助役は、助役昇進後の初仕事で、助役の仕事に不安を抱きながらも、なんとか点呼を終了してほつとしていた状況にあつた時に、三浦前支区長から引き継いだ作業指示内容について、原告金丸が文句をつけて就労しようとしないため、困惑させられ、これに引き続いて鍋島発言がなされて、同支区の職員同士が職場の中で口論となり、ついには最も恐れていたと思われる原告国労の動員がなされ、鍋島及び佐藤書記長と原告国労組合員らとの間で激しい口論が行われて、職員は浮き足だつて混乱し、しかも動員の責任者である木村書記長から、同助役の責任を追及するが如き詰問にあつたうえ、その口論の場に呼びつけられ、事情も分からないまま送別会が拘束時間かと問い詰められ、さらに、村山支区長から職員を就労させるように指示されて、原告金丸に就労を穏やかな調子で依頼したが、同原告から拒絶されてしまい、なんとか予定の作業を実行しようとして、自ら徒歩巡回に出ようとさえしたのであつて、その結果、同助役は、助役の仕事を早々から満足に遂行し得なかつたことで自信を喪失し、同助役の考えていた以上に労務管理の困難な職場であることに強い衝撃を受けたのである。そのため、動員されて来た原告国労組合員が引き上げ、同支区が平静を取り戻した後であつても、同助役は精神的錯乱状態にあり、簡単な仕事でさえできなくなつて、村山支区長が当日の騒ぎを尋ねることさえもできないような状態で、右騒ぎの終了した三時間余り経過した午後一時三〇分ころ、突如として車で出かけ、そのまま失踪し自殺するに至つたのである。

右のような事実経過に、前示のとおり、今永助役が温厚で真面目な性格であるが、性格的に弱い面を持つていること、家庭内において同助役が困窮するような特段の問題がないことを考慮すれば、同助役の自殺の動機は、原告国労の職場闘争重視の方針のもとで、原告金丸が現場管理者である同助役に対し、同助役を困惑させ、威圧しようとの意図のもとに行つた職場闘争、これに引き続いて起こつた原告国労組合員の動員による職場の混乱が主な原因であると推認するのももつともなことといえる。

ちなみに、原告らは、鍋島が就労しようとしていた原告金丸に対し、原告国労組合員との業務拒否発言をし、かつ、同原告が右発言を撤回するように求めたが、これにも応じず、さらに、他の佐伯電力支区鉄労組合員も、黙つて鍋島と同原告の遣り取りを見ていて、就労しようとする様子もないので、動員を求めて同原告が就労し得る状況を作ろうとしたものであつて、今永助役に強い衝撃を与えた責任は鍋島及び同支区鉄労組合員にある旨主張し、原告金丸の供述中には右主張に沿う供述部分がある。

しかし、前示のとおり、原告金丸が今永助役に作業指示変更を求めた行為は、同助役に対する職場闘争の一環であり、鍋島は、友人である同助役のためこれを見過ごすことができず、同原告を牽制しその気勢を削ぎ反省を促す意図でいわゆる業務拒否発言を行つたもので、そのことは、今永助役も同原告自身も分かつていたはずであるし、その後、鍋島と口論になつた際には鍋島において右発言の趣旨を明示して話しているのであるから、動員を求める前には少なくとも鍋島の意図するところは了知していたはずであつて、鍋島の業務拒否発言が、同助役を窮地に陥れたとは認め難く、むしろ、右供述部分は、原告金丸が鍋島の業務拒否発言の意図を承知しながら、その言葉じりを捉えて、原告国労組合員に対する差別であるとして、自己の今永助役に対する不当な行為を隠ぺいし、動員を求め職場を混乱させたことの責任を鍋島及び同支区鉄労組合員に転嫁させんとしてなされたものとの疑いを払拭しえず、これをたやすく信用し難く、したがつて、右主張は理由がない。

また、右に関して、本件報告書(乙第二八号証)には、村山支区長が午前九時三〇分今永助役に対し、鍋島の申し入れに対し作業指示どおりに実施するように指示した旨の記載がありこれも右主張にそうかのようであるが、これは、前示の事実関係に照らせば、村山支区長が着任そうそうで、鍋島の人柄、性格等を知らず、かつ、同助役が南延岡電力区首席助役に対し、本件当時の外形的状況のみをそのまま伝え、鍋島発言の真の趣旨あるいは意図についてまで、踏み込んだ説明をしなかつたしできなかつたため、鉄労分会長の原告国労組合員との業務拒否と単純に受け取つていたからではないかとの疑いが残り、本件報告書記載事実をもつて、鍋島発言により混乱が生じ、今永助役が窮地に陥つたものと認めるには足りない。

さらに、前示の事実関係を検討すれば、原告金丸にとつては、鍋島から原告国労の闘争方針である職場闘争を非難され、原告国労組合員として、ことが原告国労の闘争方針にかかわることである以上そのまま引き下ることのできない問題であつたこともあつて、動員を求めざるを得なかつたとも考えられ、その点において、鍋島の業務拒否発言は混乱をより拡大することになつたとはいえようが、前示のとおり、鍋島と原告金丸とは、同支区において昭和五五年から一緒に勤務し、しかも、同原告が鉄労の同支区分会長であるときに鍋島が書記長をしてきた仲であり、同原告としては、鍋島の話に耳を傾け、原告国労が職場闘争を基本方針としているにしても、原告金丸はこれを措いて同支区職員と協調して仕事をする意思があれば、動員を求めて職場を混乱に陥れることもなかつたのであるから、同原告の職場を混乱に陥れ、指示どおりの作業の円滑な遂行を阻害した自らの責任はこれを免れえず、鍋島発言がその根本的原因の如く認めることはできない。

そして、〈証拠〉によれば、大分鉄道管理局が国鉄本社に提出した本件報告書は、今永助役の失踪について報告したもので、同管理局の同助役失踪についての見解が記載されているのであるが、それには、同助役が助役に昇進する辞令を貰つてから、よく眠れず、酒を飲んでも酔えなくなつたといい、国鉄を退職することさえ妻に話したという今永助役の妻の話が記述されており、また、事実経過についても、同助役と鍋島が古くからの友人関係にあり、佐伯電力支区に着任後、同助役が鍋島からいろいろ面倒をみて貰つている経過の記述、原告金丸が同助役に、なぜ同原告が徒歩巡回なのかと尋ねた旨の記述及び鍋島の業務拒否発言から同原告が動員を求め、約八名の原告国労組合員が佐伯電力支区に動員されて来たことの記述がそれぞれなされており、さらに、「失踪の推定理由」として、昭和五六年一〇月一日の鉄労分裂事件以来、職場における管理者の苦労が増加している点、今永助役が鉄労分裂に際し、原告国労加入の勧誘に応じず、以前から鉄労内の分裂組と人間関係のなかつた点、佐伯電力支区にも一人の原告国労組合員がおり、今永助役もそのことを不安に思つていた点を指摘して、同助役が考えていた仕事内容より、同支区の業務面及び労務管理面で相当の開きがあつたことに自信を喪失して、失踪した旨記述してあり、そのうえ、山崎記者が大分管理局の係長に電話で取材すると、同係長は、今永助役の失踪し自殺した事件につき、その動機が原告国労組合員による嫌がらせや同組合員が他の職場から動員されて来たことなど、職場の荒廃に失望したためである旨の話をしたことが認められる。

そして、本件報告書の記載及び大分鉄道管理局の係長の話をあわせれは、同管理局が作成した本件報告書は、同助役の失踪の動機について、原告国労組合員である原告金丸の嫌がらせ行為や原告国労組合員が動員されて来たりして、同助役が考えていた以上に職場が荒廃していたことを見せつけられ自信を喪失して、失踪したと読み取ることができ、本件報告書それ自体が、今永助役の失踪の経過及び理由を記載したにすぎないにしても、その内容は自殺の動機と直接かかわるものであるから、同鉄道管理局は、本件当時、右理由により自殺したとみていたと推定し得るのであり、本件記事中の同管理局の見方を記載した部分は真実というべきである。

なお、証人山崎征二の証言によれば、大分鉄道管理局の訴外岩野哲総務部長は、同管理局の広報担当責任者であるが、昭和五七年三月三〇日、山崎記者からの電話取材に対し、今永助役の自殺の動機について調査中であると答えたのみで、同記者が原告国労組合員の動員を指摘して尋ねても、「国労は直接手をかけるようなことはしていない」といつていたことが認められるが、しかし、前示のとおり、訴外岩野哲総務部長は、豊後森機関区長の自殺事件の際も自殺の動機について追及されて労組を刺激し、問題を惹起することを恐れ、かん口令を敷いて、事情を外部に漏れないようにしていたのであつて、今永助役の自殺の動機についても、同管理局の見解を外部に公表することを躊躇し、これを回避していたとも考えられ、また、山崎記者の取材が同助役の遺体発見の日であつたため、失踪したのとは異なり、自殺するには相当程度の原因があつたと考え、新聞報道を前提にした右取材に対し、十分な調査を遂げたうえで、同管理局としての見解を示すべきものと慎重に構えていたとも理解できなくはなく、右事実をもつて、同管理局が本件記事記載の自殺の動機であるとみていたことを否定し去ることはできない。

(3) 本件記事中の見出しについてみるに、「苦悩の助役また自殺」と記述する部分は、前示のとおり、今永助役が職場の労務管理の面において苦悩し、自信を喪失して自殺したものと推定されること、昭和五六年以来現場管理者の自殺が相次いでいたことからして、右の見出しが虚偽のものとはいい難く、また、同じく、「労組の突き上げ?に耐え切れず……」と記述する部分は、原告金丸が今永助役に対し、作業指示変更の申し入れという形をとつて、同助役を困惑させ、威圧しようとしたこと、自殺の動機として、原告金丸の右行為や原告国労組合員らが動員されて同助役の職場に押しかけて来たことが原因と推定されることからして、右の見出しが虚偽の内容とはいえず、さらに、「荒廃、予想以上に深く……」と記述する部分も、同じく、新任助役である今永助役が自殺に至る程、職場が荒廃していること、以前はあまり問題のないとされていた大分鉄道管理局管内の電力職場で起こつた自殺事件であつたことからして、右の見出しが虚偽であるとはいい難いのである。

その他、原告らの名誉を毀損すると考えられる見出しはなく、かつ、真実に反する内容のものもない。

(4) 本件記事中の解説記事部分については、主に、山崎記者の意見ないし論評が記載されている。

意見ないし論評は、その対象となつた事実が公共の利害に関するか又は一般公衆の関心事であり、かつ、その目的が公益に関係づけられている場合、その前提となつた事実の主要な部分の真実性が証明されれば、前記三1説示のとおり、他人の名誉を毀損しても不法行為とならないと解される。

そこで、右見地から本件記事中の解説記事部分をみるに、前記三2説示のとおり、右部分は公共の利害に関する事柄について、公益をはかる目的でなされた論評ないし意見である。

そこで、意見ないし論評の前提となつた事実についてみるに、原告らの名誉を毀損するものと一応考えられる部分は、「助役たちが管理局の指示で、き然とした態度で組合に対応しようとすれば、今回のように組合側から激しい抵抗を受ける。これは、国労、動労が職場を『闘争の場』とする基本方針を持つているからだ。この結果、職場は荒廃し、管理局と組合の板ばさみになつた助役は苦悩するわけだ。」と記述された部分であるが、右のうち、現場管理者が管理局の指示に従つて、毅然とした態度をとると、原告国労組合員らに激しい抵抗をうけることは、前示の大分電力区におけるワッペン取り外し指示に対する抗議行動や佐伯電力支区におけるビラ撤去抗議行動からして明らかであり、「今回のように」と記述する今永助役に関する自殺事件に関しても、同助役が原告金丸に対し、作業指示どおりの作業をさせようとして、原告金丸及び原告国労組合員らから激しい抵抗を受けたことはそのとおりであり、さらに、原告国労が職場を「闘争の場」としていることは、前示のとおり認められるのであつて、右事実を前提にして、助役が苦悩する理由、それと原告国労等の運動方針との関連性について論評しているのであるから、右解説記事部分がたとえ原告らの名誉を毀損するものであつても、不法行為は成立しない。

その他の解説記事部分は、原告らの名誉を毀損するようなものでなく、前示のとおりの事実からして、その前提となつた事実に虚偽の点を認めることはできない。

(5) 本件記事全体から理解される内容についてみるに、その内容は、原告国労所属の検査長が、同原告の職場闘争重視の基本方針のもとで、新任助役に着任早々嫌がらせを行い、かつ、勤務中の同原告組合員を動員して、職場を混乱させ、ついに、同助役を自殺に至らせたというものであり、右事実のうち、自殺に至らせた点を除き真実性の立証があつたものと認められ、かつ、自殺に至らせた点についても、前記説示してきたとおり、鍋島の業務拒否発言があるものの、自殺の動機が主に原告金丸の職場闘争に起因しているであろうことは合理的に推認し得る事実なのであつて、虚偽な点はないというべきである。

(五)  以上説示したとおり、本件記事は、事実報道の部分のうち、その主要な部分が真実であり、かつ、意見ないし論評の部分については、その前提となる事実が主要な部分において真実であるというべきである。

したがつて、本件記事の内容は、原告らの名誉を毀損すべきものを含むが、本件記事を作成し、新聞に掲載した被告の行為は、違法性を阻却され不法行為とはならない。

四よつて、原告らの本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官江口寛志 裁判官岡部信也 裁判官西田育代司)

別紙一 謝罪広告〈省略〉

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