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大分地方裁判所 昭和57年(ワ)591号 判決

第一乃至第三事件原告(第四事件被告) 小野晋市

〈ほか九名〉

第四事件被告 後藤義弘

〈ほか五名〉

右第一乃至第三事件原告(第四事件被告)ら及び第四事件被告ら訴訟代理人弁護士 柴田圭一

同 吉田孝美

同 岡村正淳

同 西田収

同 安東正美

同 古田邦夫

第一乃至第三事件被告 豊州タクシー株式会社

右代表者職務代行者 牧正幸

第一乃至第三事件被告補助参加人 福本忠男

第四事件原告 日光興業株式会社

右代表者代表取締役 福本忠男

右補助参加人及び第四事件原告訴訟代理人弁護士 塚田武司

同 古城敏雄

同 林圭一郎

同 河野浩

主文

一  第一乃至第三事件原告(第四事件被告)らの訴えをいずれも却下する。

二  第四事件原告と第一乃至第三事件原告(第四事件被告)ら及び第四事件被告らとの間において、第四事件原告が第一乃至第三事件被告の全株式四五〇〇株を有することを確認する。

三  訴訟費用は第一乃至第三事件原告(第四事件被告)ら及び第四事件被告らの負担とする。

事実

《省略》

理由

一  本件株式の帰属関係について判断する。

1  関西汽船がもと本件株式全部を所有していたことは、当事者間に争いがない。

2  《証拠省略》を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  被告会社は、四四台の営業用自動車を有し一般乗用旅客自動車運送業(タクシー運送業)を営み、四五〇〇株の記名式普通株式(本件株式)を発行する資本金四五〇万円の株式会社であり、関西汽船が本件株式全部を所有し、代表取締役を代々送り込んで経営を行っていたが、多額の負債を抱えるようになり、昭和五〇年三月一六日、訴外亀の井タクシー会社等を経営する訴外山口晃に本件株式全部を譲渡した。

ところが、関西汽船から出向してきて被告会社の代表取締役となっていた萩原は、昭和五〇年三月四日、本件株式が譲渡されたという噂が流れると、これを全面的に否定し会社譲渡が全く事実無根であり、今後会社再建に労働組合と協議して努力する旨の覚書を、被告会社の労働組合である分会との間で取り交わしていたため、本件株式が訴外山口晃に譲渡されたことが分会員に知れわたると大騒ぎとなった。

分会は、同月一八日、関西汽船の社長訴外山本秀雄(以下「山本社長」という。)が別府市を訪れていたため、被告会社と同様にかつて関西汽船の持株会社でありかつ、関西汽船から株式を譲渡されていた訴外関汽タクシー株式会社(以下「関汽タクシー」という。)の労働組合と共同して、関汽タクシー本社の役員室において、山本社長と団体交渉を行い株式譲渡を白紙撤回することを約束させ、その旨の確認書を作成した。

その後、関西汽船は、株式譲渡の撤回を求めて訴外山口晃と交渉し、昭和五〇年三月二四日合意を取りつけたが、分会は関汽タクシー労働組合とともに関西汽船と交渉するうちに、同月二一日、被告会社の経営を分会及び被告会社が自主独立に行うことを関西汽船との間で確認し、その旨の確認書を作成した。

被告会社では、そのころから分会による被告会社の自主再建の話が従業員らの中にでてきて、同年四月一四日、大阪市内にある関西汽船本社において、分会の志手分会長、亀谷副分会長、訴外矢野信行書記長代行、訴外和田執行委員、萩原社長が関西汽船の幹部と交渉し、本件株式全部を被告会社の再建対策委員会代表萩原に無償譲渡し、かつ、関西汽船が被告会社の債務を肩替わり返済し、さらに、退職金相当の解決金二七五〇万円を支払う旨を約束させ、その旨の協定書を被告会社及び分会と関西汽船との間に交わし、萩原が本件株券全部の引き渡しを受けて持ち帰った。

従業員らは、関西汽船の山本社長に本件株式譲渡を白紙撤回させた後、被告会社の自主再建に向けて話し合いを行っていたが、「再建対策委員会」という名称の団体自体はこれを本件株式の譲渡を受けた昭和五〇年四月一四日当時までに組織しておらず、関西汽船から本件株式の譲渡を受ける際に急遽その名称のみを作って使用したものであった。

(二)  萩原は、昭和五〇年四月一六日ころ、被告会社の役員及び管理職(以下「会社側」という。)から七名(萩原社長、伊東常務、訴外久松周、同田口義雄業務課長、同松村篤、同秋吉利美、同安部秀男)、分会から七名(志手分会長、亀谷副分会長、大塚、訴外野中恒雄書記長、同甲斐義広、同池辺勝己、同南義幸)をそれぞれ選出して、これを委員とする再建対策委員会を作り、本件株式の所有方法について話し合い、同年五月中旬ころ被告会社の再建が軌道に乗るまでの間、萩原が二二五〇株を、伊東が一一三〇株を、分会が一一二〇株(昭和五〇年九月一日付けで伊東から分会に一〇株が譲渡され、その旨本件株券の裏書欄に記載されている。)を所有することとし、その旨を本件株券に裏書きしたが、本件株券自体は一括して全部を被告会社の金庫に保管していた。

被告会社の経営は、代表取締役社長である萩原、常務取締役の伊東、分会長であるため取締役に就任していた志手の三名によって行われ、右萩原、伊東及び分会が本件株式全部を有していたため、株主総会も右三名(志手は分会の意向を代表する者として、株主権を行使していた。)出席のもとに開催され、その旨の株主総会議事録が作成されていた。

しかし、従業員らは、被告会社を従業員らが自主運営する趣旨を取り違えて、従前のように規律に従って就労せず、また、萩原及び伊東にしても本件株式を所有させられ、かつ、経営責任を負わせられながら、従業員らを従前のように就労させ得ないこともあって、昭和五〇年一一月ころから経営委員会を作る話しがでてきて、再建対策委員会を経営委員会に移行させ、再建対策委員のうちから訴外久松周、同松村篤、同秋吉利美を除いたものを委員として、同年一二月一八日第一回の会議を開催し、今後被告会社の経営を経営委員会を主体として行うことを申し合わせた。

従業員らの就労態度はその後も変化はなく、被告会社の経営は悪化して行ったため、萩原は、本件株式の半分を所有し経営責任を負うことに危惧の念を抱き、むしろ、本件株式を従業員らに配分し、株主としての自覚をもって働いてもらうことが被告会社のためにも良いとの意向を示し、また、分会側も、本件株式を二名の個人及び分会の所有にしておくことでは、再び本件株式の流失を招き、経営権を外部の者に奪われるおそれがあることから、これを阻止しようとして、本件株式の所有形態を変更したい意向を持ち、昭和五一年一月一二日開催の第三回経営委員会において、経営委員会の中に委員二名(萩原、大塚)の持株委員会を作って、その所有形態を研究していくことにし、当時の大塚分会長が弁護士に株式の譲渡防止策を尋ねたり、訴外関汽タクシーに赴き株式所有の形態について尋ねたりして調査を進めた。

また、右第三回経営委員会において、経営委員を会社側から三名(萩原、伊東、訴外田口義雄)を、分会から六名(大塚、亀谷、志手、訴外南義幸、同池辺勝己、同野中恒雄)を選出して経営委員とすることを決め、昭和五一年一月二〇日従業員らを招集して集会を開き、経営委員会を中心にして被告会社の経営を行っていくこと、経営委員会の構成員及び選任を右のとおり会社側から三名、分会から六名を選出することを決定し、同月二三日から本格的な経営委員会(第一回)を開催した。

そして、経営委員会は、まず経営委員会規定案を審議して、経営委員の選出を右のとおり会社側三名、分会側六名で構成すること、委員会では生産、設備計画、人員計画、労務、給与、資金計画のほか株式に関する事項も審議し決定すること、持株委員会、業績委員会、業務委員会、事故審議会、統制委員会の五つの専門委員会を設けていくこと、この委員会の決定した事項のうち商法の規定により取締役会の決定を要するものについては、取締役会も右委員会の決定事項を承認しなければならないことなどを内容とする経営委員会規定を作り、経営委員会が被告会社の経営を主体的に行っていくことにした。

そして、昭和五一年一月三〇日開催の第二回経営委員会において、慶弔、傷病者見舞金等の支給、会費について定めた共済会規定案(事業規定案)を決定して、同月二一日から実施することにし、被告会社と分会との間で共済会費を給料から天引き控除する旨の「賃金控除に関する協定書」を作成したうえ、同年二月の給与から共済会費五〇〇円を「共済組合」という項目のもとに天引きし、見舞金の支給もなされてきた。

(三)  従業員らは、昭和五一年三月二二日、高松公民館において集会を開き、経営委員会で審議し決定した共済会規定案、すなわち、慶弔、傷病等に対する見舞金、共済会費及び本件株式の所有方法について、審議して共済会規定を決定した。

右共済会規定八条は、共済会の目的を「本会は会員相互の親睦、意思の疎通並びに会員の福利繁栄を図りあわせて良い社風を培い、会社永遠の発展に寄与することを目的とする。」と定め、同九条は、右目的を達するため行う事業として、会員の福祉厚生、共済、資質向上及び慶弔、並びに株式等に各関する事項、その他本会の目的達成に必要な事項を掲げ、そのほか右共済会規定(附属の共済会事業規定及び附則株式の管理方法を各含む。)には、会費を一箇月五〇〇円とし毎月の会員給料より天引き積立てることのほか、共済の事業に関して、会員の慶弔、災害及び傷病時に一定の見舞金を支給すること、右会費の使途は見舞金及び共済会員の資格喪失時に支払われる慰労金であること等が規定され、さらに本件株式の保有形態に関して、本件株式全部を従業員(嘱託、臨時雇、試用期間中の者を除く。)らに対し、各従業員の勤続年数に応じて配分し、被告会社が昭和五一年四月一日以降本採用した者には、本採用時において三株相当の権利を無償配分すること、共済会の会員資格を喪失(死亡、退職、解雇並びにこれに準ずる場合)すると本件株式に関する権利を消失し、その代償として一株につき一〇〇〇円を慰労金として共済会が支払うこと(但し懲戒解雇の場合を除く。)(なお、右慰労金の支払の運用がどの程度現実に行われたかは関係者にも明らかでない。)、株主名簿には共済会の役員五名及び委員五名の氏名を記載すること、右記載された株式はこれを他に譲渡し、又は担保に供することはできないこと、右合計一〇名から譲渡証書を共済会が預ること、本件株券は右合計一〇名が訴外大分銀行上野支店に預けて保管し、その引き出しについては右役員及び委員全員の承諾と印鑑を必要とすること、共済会員には持株相当の預り書を共済会会長名で発行し、分会がこれを一括して預かること、会員の右預り書についてはこれを他に譲渡し又は担保に供することはできないこと等が規定してある。

そして、共済会役員及び委員の選出を行い、萩原を会長に、大塚を副会長に、志手を監査に、訴外池辺勝己を書記に、伊東を会計に、亀谷、訴外野中恒雄、同南義幸、同田口義雄、同安部秀男を委員にそれぞれ選任し、また、萩原は、各従業員に配分した本件株式の数を記載した「在籍者株式配分一覧」と題する書面を作成して配布したが、今後入社してくる者のために四三株を共済会が保有することにし、さらに、共済会は各従業員(共済会員)から本件株式の譲渡証書を取り、それと引き換えに共済会会長名で発行された預り証を渡した。

右共済会規定は、同月三〇日、右集会に欠席していた四名の従業員にも承認を求め同意を得た。

その後、共済会規定に基づき、共済会役員である萩原、大塚、志手、伊東、訴外池辺勝己及び共済会委員である亀谷、訴外野中恒雄、同南義幸、同田口義雄、同安部秀男の合計一〇名の者が、本件株式を四五〇株づつ取得したように昭和五一年四月一日付けで本件株券の裏書欄及び株券台帳に右各名義を記載した。

分会は昭和五一年七月三一日大会を開催し、分会役員の改選を行い従前の役員であった大塚、訴外南義幸、同池辺勝己が退任し、これに代わって訴外矢野信行、同秋吉利美、同甲斐義広が新たに分会役員に選出され、これにともない共済会の役員及び委員にも変更が生じ、訴外矢野信行を会計に、訴外秋吉利美を監査に、訴外甲斐義広を委員にそれぞれ選任し、これによって、本件株式の名義も変更すべきことになり、本件株券の裏書欄及び株券台帳には訴外矢野信行が大塚から、訴外秋吉利美が同池辺勝己から、訴外甲斐義広が同南義幸からそれぞれ四五〇株づつを譲り受けた旨の記載がなされた。

萩原は、昭和五二年一月一八日、共済会規定に基づき、本件株券全部を株券台帳に記載された右一〇名のうち、萩原を除く九名に各「株式名儀人」との肩書を付し、右九名と被告会社の連名で訴外大分銀行上野支店に封緘物として保護預けを依頼し、保護預り証書(同号証の四)の発布を受けた。

(四)  経営委員は、会社側からは社長(萩原)、常務(伊東)、課長(訴外田口義雄)が選出され、分会側からは分会長、副分会長、書記長、執行委員三名が選出されていたが、共済会の役員及び委員も訴外安部秀男を加える以外は経営委員と同じ者が選出されていた。

ところが、萩原が昭和五二年五月末をもって退任する意向を示したため、同月一三日開催の経営委員会において、伊東を代表取締役に、訴外田口義雄を取締役に推薦することを決め、株主総会及び共済会総会を同月三〇日に開催することにし、従業員全員(嘱託及び試用期間中の者を除く。)に右総会への出席を求める通知を同月一六日に出した。

そして、同月三〇日午後一時三〇分から高松公民館において、被告会社の社長である萩原も含めて従業員ら七三名が集まり、被告会社の昭和五一年度決算報告、監査役の報告、萩原の退任にともなう代表取締役、取締役の選任がなされたが、株主総会議事録には、同月三〇日午前九時から被告会社の本社において、株主一〇名全員が出席して、昭和五一年度の決算の承認及び取締役選任がなされた旨の記載がされている。

萩原の退任は、取締役の欠員を生じたばかりでなく、経営委員のうち会社側選出の委員にも欠員を生じ、そこで訴外安部秀男を後任の経営委員とすることを決め、また、萩原が共済会の会長であったため、同月三〇日開催の共済会総会において、伊東(従前は会計であった。)を会長に選出するとともに、株式名義人を一人補充する必要が生じ、分会長に一任する案が提出され審議されたうえ、右案のとおり決定された。

しかし、株券台帳及び本件株券には、萩原の株式名義を昭和五二年五月三〇日付けで変更した記載はなされていない。

その後、経営委員の任期は一年であるが、伊東、訴外田口義雄、訴外安部秀男の三名が昭和五七年六月一五日ころまで、会社側選出の経営委員を勤めたが、分会側の経営委員は分会役員が二年(昭和五一年七月三一日開催の分会の大会で役員の任期を一年から二年に変更した。)ごとに変わるため、そのたびに変更され、また、共済会の役員及び委員も会社側の右三名は変わらなかったものの、分会側から選出されていた者は二年ごとに変わるはずであったが、株式名義を共済会役員又は委員の退任により変更した記載は本件株券の裏書欄及び株券台帳にはなされていない。

(五)  経営委員会は、毎年退職者が出るのでその退職者の有していた本件株式を再配分することを決め、昭和五一年以降毎年在籍者株式配分表(但し、その名称は「在籍者株式配分一覧(表)」と題した書面であったり、「在籍者株式配分表」と題する書面であったりした。以下「在籍者株式配分表」という。)を作成して、従業員らで構成される集会に諮ったうえ本件株式を再配分してきたが、その再配分は各従業員に均等に配分され、昭和五二年五月には五株づつ、昭和五三年五月にも五株づつ、昭和五四年五月には六株づつ、昭和五五年五月には二株づつ、昭和五六年五月には三株づつ、昭和五七年六月一九日には八株づつ再配分してきた。

被告会社の株主総会で決定すべき重要な経営方針は、従業員らが株主であるという前提のもとに、必要最小限の保安係を除いた従業員らの集会において、全員が均一な議決権を有することを前提として決定されてきたが、商業登記簿に登記手続を要する取締役、監査役の選任等については、株主を一〇名とする株主総会議事録が作成されてきた。

すなわち、昭和五六年九月一六日開催の臨時株主総会と称する集会では、経営委員会の提案を受けて、一車一人制による勤務体制にすることを決め、また、昭和五七年五月三〇日開催の定期株主総会と称する集会では、昭和五六年度の決算報告並びにその承認、二車三人制の勤務体制を採ること並びに別府市鉄輪所在の土地を売却することの各決定、取締役の選任決議をそれぞれを行い、その旨の第二二回定時株主総会議事録を作成しており(右議事録とは別に第二二回定時株主総会議事録も存し、それには株主一〇名が出席し、決算の承認と取締役の選任のみがなされた旨記載されている。)、さらに、同年六月一六日、分会大会の後に伊東社長の出席を求めたうえ、臨時株主総会と称する集会に切り替えて、鉄輪の土地売却代金を従業員全員に配分すること、光吉営業所の開設を中止すること等をそれぞれ決定してきた。

(六)  分会は、昭和五七年五月三〇日、第一八回定期大会を開催し、執行部六名の総辞職をうけて役員選任手続を行い、大塚を分会長に、志手を副分会長に、訴外佐藤学を書記長に、訴外南義幸、同山南徹雄、同甲斐洋を執行委員にそれぞれ選任し、これにともなって経営委員も分会側選出の委員が右六名に変更された。

(七)  なお、昭和五四年五月一九日付け大分合同新聞には、「街の春闘」と題して被告会社を取り上げ、大塚分会長の談話として、従業員全員が労働者であると同時に経営者であり、被告会社の経営再建のため、従業員全員が努力してきた旨の記事を掲載している。

(八)  補助参加人は、昭和三六年六月に訴外日豊タクシー有限会社(昭和四六年に株式会社に組織変更した。)を設立し、昭和四九年に車両の整備を行う原告会社を設立し、同年九月に訴外光タクシー株式会社の譲渡を受け、右三社の代表者となっている者であるが、訴外日豊タクシー株式会社が二四台の、訴外光タクシー株式会社が二〇台の営業用自動車を有して、一般乗用旅客自動車運送業(タクシー運送業)を行っている。

(九)  訴外日豊タクシー株式会社及び訴外光タクシー株式会社の取締役支配人であった訴外牧實(以下「牧實」という。)は、昭和五六年春ころ、被告会社の経営がいずれ行き詰まると判断して、被告会社を買収する折衝を始め、義弟の訴外安部秀男や被告会社の運転手から亀谷、大塚、訴外後藤文雄の名前を聞き、同年八月ころから亀谷との接触を開始し、同人の兄訴外亀谷岩彦を介して会い、被告会社を譲り受けたい旨を話し、また、牧實は、同年九月ころ亀谷と別の用件で会った際に同人から、被告会社が同人の提案した一車一人制を導入し、再建に務めているから当分の間は売却できない旨の話を聞かされたが、昭和五七年三月ころ亀谷が入院していることを知り見舞いに行ったりして売却の話を進めようとしていた。

補助参加人は、昭和五六年暮ころ、牧實から被告会社の経営が苦しく、経営委員が全権をもって経営しており、亀谷がかなり実権をもっている旨の話を聞いて、買収できるものならしたい意向を持ち、昭和五七年三月二七日ころ、牧實とともに亀谷の入院先を訪れ同人を見舞い、また、同年五月五日、別府の小料理屋で牧實とともに亀谷と会って、被告会社を買収したい意向を伝え、さらに、同月一五日、大分市内で亀谷に会い、被告会社の買収を世話して欲しい旨を話したが、その際、本件株式の話となって、亀谷から内規があるから本件株式を売却できない旨の話を聞かされた。

しかし、補助参加人は、株式譲渡の制限は定款で行うほかに制限の方法がないと理解していたため、被告会社の定款を入手して、同月二五日に亀谷と会い右定款を示して、本件株式の譲渡制限のないことを述べたが、亀谷は被告会社を今のところ売却する意思のない趣旨の話をした。

牧實は、亀谷との接触を進めたが協力を得られそうにないので、昭和五七年五月二〇日過ぎころ、同じグループで旅行し同室になったことから知り合った大塚に電話して、被告会社の経営内容は良くないので譲渡できないであろうかと尋ねたところ、大塚が、自分一人で判断できることではないので伊東社長を紹介するから、同人を交えて話して欲しい旨答えたため、その旨を補助参加人に伝え、伊東に会うことにした。

補助参加人は牧實から右報告を受けて、同月二七日、牧實とともに伊東及び大塚と会い、被告会社の状況を尋ねたところ、伊東は、一人一車制を採用してから休車台数も増え経営が苦しく、そのため社会保険料、労災保険料、燃料費等の未払いも溜まり、そのうえ、不動産を売却したため今後の運営にも支障がある旨を話した。そこで、補助参加人は伊東に対し、本件株式の所有者及び売却が可能であるかを尋ね買収したい意向を話したところ、伊東は、経営委員が本件株式を有しており、経営委員の同意があれば売却することは可能である旨答え、これに続けて、具体的に名前をあげて被告会社を買収したい意向を示してきている同業者の存在を話して聞かせた。

補助参加人は伊東及び大塚に対し、被告会社の買収価格の基準となるものとして、営業用自動車一台当たり二三〇万円ないし二五〇万円が相場だという話をしたが、伊東はこれに明確な返事をせず、また、補助参加人が本件株券の裏書について尋ねると、伊東は経営委員九名の名義となっている旨答え、さらに、牧實が決算書を見せて欲しい旨依頼すると、伊東は次の会見の際に見せると約束した。

伊東は、同年六月一一日開催された経営委員会において、経営委員の大塚、志手、訴外山南徹雄、同南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同田口義雄、同安部秀男に対し、一人一車制を採用してから業績が落ち、社会保険料が七〇〇万円、労災保険料が四〇〇万円、燃料費が二箇月分四〇〇万円等の滞納に陥って非常に苦しい経営状況にあり、そのうえ、不動産を売却して信用も失墜しているからこのままでは倒産間近で、いい値段で売却できるのであればこの際売却したい旨を話すと、右経営委員らは、早く処分したほうがいいという意見で一致し、売却価額は伊東に一任するから話を進めて欲しいということになった。

そこで、伊東は、大塚及び訴外田口義雄とともに、同日補助参加人及び牧實と会い、かねて要望のあった被告会社の決算書を見せたところ、補助参加人は、右決算書の内容が黒字であったが、固定資産の減価償却費が低く抑えられ無理した決算内容であると判断したため、無理した内容の決算である旨話し、本件株式の譲渡につき経営委員全員の同意が取れることを確認したうえ、本件株券を見せて欲しい旨を依頼した。

伊東は、同年六月一四日、大分銀行上野支店から本件株券を引き出してきたが、昭和五二年一月一八日当時の共済会役員及び委員九名、被告会社の連名で預けていたため、同銀行に対し、同被告の代表者及び連名者が退社しているためこれらの者の印鑑が取りまとめられず、この件について伊東が全責任を負う旨を約した念書を差し入れた。

その後、伊東は、本件株券の裏書欄及び株券台帳に昭和五七年六月一四日当時の前記経営委員の名前を記載したが、従前から本件株式の名義人として記載されていた伊東(但し、四五〇株に相当する本件株券のみである。)、志手、訴外田口義雄、訴外安部秀男の各名義のものはそのままにし、他の者の名義が記載されているものについて、昭和五七年六月一日付けで伊東、大塚、訴外山南徹雄、同南義幸、同甲斐洋、同佐藤学に譲渡されたように右各人の氏名を記載して、伊東が九〇〇株、その他の者が四五〇株づつ本件株式を有するようにしたうえ、大塚に本件株券全部を訴外日豊タクシー株式会社の本社に持って行かせて補助参加人に見せた。

伊東は、昭和五七年六月一五日、大塚、志手、訴外田口義雄とともに、補助参加人、牧實、訴外石崎一大、同角安介、同火ノ口一久及び同児玉税理士と会い、本件株式全部を譲渡する前提のもとにその代金交渉を行い、伊東らは当初一億五〇〇〇万円を呈示したが、補助参加人が高過ぎるということで、一億四五〇〇万円に決まった。

その後、補助参加人は伊東に対し、税務対策上、本件株式全部を伊東らから、司法書士の訴外火ノ口一久の知り合いである訴外西山泉に一二七二万六〇〇〇円で売却したことにし、その旨の株式譲渡証書を作成すること、被告会社から原告会社が営業権を一億三二二七万円で買い受けたことにし、その旨の営業権譲渡契約書を作成することを依頼し、伊東も税務上だけのことであると判断して、これを承諾し右株式譲渡証書及び営業権譲渡契約書を作成した。

そして、補助参加人は、原告会社が同日付けで訴外西山泉から、本件株式全部を右同額の一二七二万六〇〇〇円で買い受けたことにして、その旨の株式譲渡証書を作成した。

そして、補助参加人は伊東から、その場に出席していない訴外佐藤学、同南義幸、同山南徹雄、同甲斐洋、同安部秀男が伊東に本件株式の譲渡を委任する旨記載された委任状、本件株券全部及び株券台帳を受け取り、内入金四〇〇〇万円を小切手で伊東に支払った。

その後、伊東は、経営委員らと本件株式譲渡代金の分配について話合い、関西汽船から無償で貰ったものであるから、従業員らに分配したほうがいいということになったので、在籍者株式配分表に基づいて退職金として分配することにし、伊東は、同月二二日補助参加人から残金一億一七〇〇万円(隠し債務が二五〇〇万円あったため、これの支払いを留保された。)を小切手で貰ったが、従業員らに分配することになったから、補助参加人から従業員らに渡して欲しい旨依頼して、渡された代金全額を補助参加人に預け、同月二三日ころ補助参加人に分配内容の明細表を渡した。

《証拠判断省略》

3  前記1、2の事実等を前提とし、さらにその余の証拠関係をも考慮し、本件株式の帰属経過について検討する。

(一)  関西汽船がもと本件株式全部を所有し、被告会社の経営を実質的に行ってきたものの、同被告が多額の負債を抱え経営難に陥ったことから、訴外山口晃に本件株式全部を譲渡したが、それが従業員らに発覚し大騒ぎとなり、関西汽船は右譲渡を白紙撤回し、その後分会及び被告会社との話し合いの結果、昭和五〇年四月一四日、本件株式全部を同被告の再建対策委員会代表と称する萩原に無償譲渡した旨記載した協定書を右三者間で作成して、本件株券全部を萩原に引き渡した。

ところで、原告従業員らは、再建対策委員会が従業員らを構成員とする民法上の組合であり、同委員会が昭和五〇年四月一四日、関西汽船から本件株式を譲り受けてきたから、従業員らの合有ないし共有になった旨主張する。

しかし、従業員らが右当時、被告会社を自主運営しようという意向を持って話し合いを進めていたにしても、従業員らを構成員とする再建対策委員会という組織上実体のある団体は、昭和五〇年四月一四日当時いまだ設立されておらず、再建対策委員会が従業員らを構成員とする民法上の組合であると認める根拠はないから、右主張は失当である。

また、再建対策委員会は、昭和五〇年四月一六日ころ、会社側七名、分会側七名の委員をもって組織される存在となったが、右委員会は、萩原の主導の下に急遽結成された関西汽船との交渉及びその成果を事実上受領するための集団に付せられた仮称であって、従業員らを構成員として、従業員ら相互の合意に基づいて作られたことを認める証拠はなく、また、前示の経緯からして、右委員会の目的が被告会社の経営を再建成功させることにあったと窺えるにしても、同被告の従業員らが自分の勤務する会社の経営を向上させるために活動することはその地位上当然であって、ことさら積極的な意義は有せず、これをもって民法の規定する組合契約におけるいわゆる「共同の事業」とは認め得ないのであり、右委員会をもって民法上の組合と認めることはとうていできない。

《証拠判断省略》

したがって、右の段階において、本件株式を関西汽船から譲り受けた者は判然とせず曖昧なものであって、被告会社を今後主体となって運営していく者、すなわち、「再建対策委員会」という名称のもとに行動を共にしていた者が関西汽船から本件株式の管理処分権を委ねられていたと解する他はない。

(二)  その後、再建対策委員会が昭和五〇年四月一六日ころ会社側七名、分会側七名の委員をもって設立され、その委員会において同年五月中旬ころ、本件株式を萩原に二二五〇株、伊東に一一三〇株、分会に一一二〇株帰属させることが決定され、本件株券に右の者の各名義が記載され、かつ、萩原が代表取締役、伊東及び分会長が取締役となって、被告会社の運営が始められたのであるから、本件株式は、関西汽船から、(前示のような再建対策委員会を通じて)爾後被告会社の経営主体となる萩原、伊東及び分会に譲渡されこれらの者に帰属したものと認めざるを得ないのである。

(三)  そして、経営委員会が、昭和五〇年一二月一八日ころ被告会社の機関として設けられ、昭和五一年一月二〇日従業員らを招集して集会が開催され、経営委員会を被告会社の運営を行う中心的な機関とすることを決め、以後この委員会が被告会社の運営を行っていったが、本件株式の帰属についても、株主である萩原、伊東及び分会の代表者の分会長が委員となっている経営委員会において協議され、その所有者を変更することとし共済会規定案を作成して、昭和五一年三月二二日従業員ら全員を招集して集会を開き、共済会規定を決定した。

ところで、まず、原告従業員らは、右決定により、共済会が従業員らを構成員とする民法上の組合となり、本件株式が共済会の財産になったから、これが構成員である従業員らの合有ないし共有となった旨主張する。

しかして、民法上の組合は、各当事者が出資をなし共同の事業を営むことを約する契約であるが、その共同事業はなんらかの事業を積極的に営むことを目的とする必要があり、かつ、出資は右目的を達成するための経済的手段を提供するものでなければならないと解される。

しかし、前記共済会規定の共済会の目的は、会員相互の親睦意志の疎通並びに会員の福利繁栄を図ること、これとあわせて良い社風を培い、会社永遠の発展に寄与することとされており、その目的達成のための事業として列挙されているのは、会員の福祉厚生、共済、資質向上及び慶弔並びに株式等に関する事項であり、一箇月五〇〇円の会費の使途にしても、慶弔、災害及び傷病時見舞金並びに会員資格喪失時慰労金のみである。

まず、これを共済の事業に関してみれば、右事業のうち株式等に関する事項を除くその他の事項は本来的に福祉厚生、交際的儀礼に関わるものであるうえ、実際上も共済会において右見舞金の支給(なお、前示のとおり資格喪失時慰労金の運用状況は必ずしも明らかでない。)以外になんらかの共同事業といえるような活動が行われたことを認める証拠はなく、さらに、共済会規定が従業員らが集会を開いて経営委員会の作成した共済会規定案を承認することによって設けられたものであるにもかかわらず共済会の会費は右集会の開催される以前から徴収され、見舞金の支給も同様にそれ以前から支払われていたのであって出資としての実質は稀薄なものであり、ちなみに、その後の新規加入者について、いかなる加入手続が行われたかについてさえもこれを認める証拠はない。

そうすると、共済の事業に関する側面で、従業員らが、法的効力を有する組合契約、すなわち、例えば、各従業員らが会費納入義務を負い、慶弔、災害、傷病に遇った場合には、見舞金請求権を取得し、さらに、共済会が共同事業の遂行するうえで負った負債については、各従業員らが個人財産をもって無限責任を負うなどという契約を締結する意思を有していたかは極めて疑問であり、むしろ、法的観念を持ち込まず任意的な慣行を明文をもって、儀礼的な見舞金について記載したものが共済会規定(附属の共済会事業規定)であると解されるのである。

そして、本件株式の保有形態に関してみれば、本来従業員らが共済会規定を設けた実際上の目的は、第一に本件株式が従業員ら以外の者に譲渡され、経営権が外部の第三者に渡るのを阻止すること、第二に従業員らに被告会社の運営に参加させ、かつ、同被告の経営内容が直接従業員らの経済的利害と関連するようにして、自覚をもった就労を促そうとすることの二点にあったのであるが、従業員らに本件株式を所有させることは、従業員らを被告会社の株主総会に出席させ重要事項の審議に参加させ得ることになるから、経営に参加している意識を持たせ、かつ、株式配当等により同被告の経営状況を従業員らの経済的利益と直接結びつかせることにはなるものの、他方、本件株式が多数の者に渡るため譲渡される機会が増えこれを防止することが困難となるのであって、右両目的は相反的に対立するものであって、そのため右両目的を達成させるために考えられた共済会規定(附則株式の管理方法)も本件株式の全部を対象とし従業員らに年功序列に応じて配分して帰属させる旨の規定をおく反面、株式の譲渡、株式の相続、株主名簿の名義書換請求を従業員(共済会員)らがなし得ないような規定をおいているのである。

すなわち、共済会規定(附則株式の管理方法)は、本件株式の譲渡及びこれを担保に供することを禁止し、かつ、本件株券全部を共済会役員及び委員の一〇名によって保管させ、従業員らが本件株券を入手することができないようにして、事実上も譲渡したり担保に供したりすることを不可能にしており、また、本件株式が配分された従業員らが死亡すると本件株式を喪失する旨規定しているから、もしこれらの規定に従えば、本件株式を相続させることもできず、さらに、株主名簿に名義を記載することは会社に対する対抗要件であるが、従業員らは本件株券を所持し得ず、かつ、株主名簿には共済会役員及び委員に就任した一〇名の個人名が記載される定めであるため、株主名簿の名義書換を求めることもできず、そのため従業員らは被告会社に対して自己が株主であることを対抗できず、株主総会において議決権を行使したり、株式配当及び残余財産の分配の請求もできないこととなり、結局、本件株式の所有者として、本来可能なはずである株式譲渡や相続ができず、かつ、株主名簿に名義書換を請求することができないため、株主総会における議決権の行使や株式配当の請求等さえもできないこととなり、株主としての権利は全くないに等しい結果となっており、また、右各規定の趣旨は、本件株式全部を従業員らの共有とすることにあり、在籍者株式配分表記載の数字は各従業員の共有持分を意味し、株主名簿に記載される共済会役員及び委員は共有者である従業員らの代表であるとも一応読めないではないかのようであるところ、もし株式の共有であれば、共有者は、民法が共有者に基本的な権利として認めている共有物分割請求、共有持分の譲渡、担保提供ができるばかりでなく、死亡すれば共有持分は相続され、さらに、株式の共有者として株主名簿を共有名義に書換請求することができなければならないはずであるが、右各規定によれば、本件株式の分割請求、共有持分権の譲渡、担保提供及び相続がいずれも規定上許されず、事実上もこれらができないようなしくみとなっており、かつ、株主名簿に名義書換を請求することもできないため、従業員らは被告会社に対し、共有株主であることも対抗できないこととなり、本件株式の共有者としての権利も全くないに等しい結果となっているのである。

なお、ここで一般的にいっても、一個の株式会社の株主全員が、当該会社の株式が他に譲渡され経営権が外部の第三者に渡るのを阻止する目的のもとに、民法上の組合契約を締結して組合組織を作り、その譲渡が制限された全部の株式を組合員の共有に属する組合財産化して同会社の経営を行うというのであれば、株式会社の社団法人性(商法五二条一項)をいわば換骨奪胎し、株式会社を実質的のみならず法的形式においても「組合」化するに等しく極めて異例なこととなり(ちなみに、いわゆる一人の株式会社は、株式譲渡を契機に実質的な社団法人性を回復する余地を常に潜在的に残しており、右と同類視の限りではない。)、また、法律、定款(同法二〇四条一項但書)による制限以外は、商法における株式会社制度上基本原則として認められなければならない株式の自由譲渡性をも潜脱することとなりかねないのである。

しかして、共済会規定を決めた目的の他の一つは、従業員らに被告会社の運営に参加させ、かつ、同被告の経営内容が直接従業員らの経済的利害と関連するようにして、自覚をもった就労を促そうとすることにあったのであり、また、現実にも、従業員らを招集して株主総会と称する集会が開催され、従業員らが実質上は株主であるかのような前提のもとに、同被告の決算報告、取締役の選任等の運営において重要事項を決めているうえ、そこで決定された方針に従って鉄輪の土地売却代金を在籍者株式配分表記載の株式数に応じて従業員らに配分し、さらに、萩原は、共済会規定に従って本件株券全部を共済会役員及び委員の合計一〇名の連名で大分銀行上野支店に預けたが、その際に共済会役員ないし委員であった伊東、志手、亀谷、訴外野中恒雄、同秋吉利美、同矢野信行、同田口義雄、同安部秀男、同甲斐義広の肩書として「株主名儀人」と保護預け依頼書に記載してあり、右各人が真実本件株式を所有する者ではなく、単なる名義人に過ぎないとも受け取られかねないような行動にでている。

しかし、従業員らを被告会社の運営に参加させ、その結果が各従業員の経済的利益に反映するようにしくむためには、必ずしも、本件株式を所有させて正式な株主総会に出席させたり、株式配当等の請求権を与えることが必要なわけではなく、共済会役員及び委員に本件株式を所有させ、右役員及び委員と従業員らとの間に、従業員らの意向に従って株主総会における議決権行使を行うこと、被告会社の株式配当等については右役員及び委員が株主として請求し得るものを従業員らに配分することをそれぞれ内容とする合意を成立させ、これに基づく内部的規律によっても、右目的は達成し得る筋合である。

また、株主総会と称する集会についても、もし各従業員が在籍者株式配分表記載どおりの数の本件株式を所有するのであれば、株主総会と称する集会において従業員らが右記載とは異なり各人同数の本件株式を有するがごとく議決権を行使していることは、商法が一株式に一個の議決権を与えて決議する旨定めていることに反することにもなるし、他方、従業員らが本件株式全部を共有しているのであれば、従業員ら全員が本件株式全部、すなわち、四五〇〇個の議決権をそれぞれ共有することとなるのであるから、従業員各個人が個々に議決権を行使することはできず、共有者の一人が議決権を行使しない限り商法上有効な議決にはならない(商法二〇三条二項)こととなるうえ、株主総会においては、共有者の一人が議決権を行使するのであるから、共有者間に会社運営をめぐって見解の相違を生じても、株主総会の場において商法の予定する株式の数でこれを決するのではなく、予め共有者間において共有持分割合に応じて議決するか否かを決めざるを得ず(民法二五二条)、この理を推しすすめれば、会社自体が消滅するような合併や解散の場合等においては、さながら共有物たる株式に変更を加える場合であるとして、共有者全員の同意を得ることも必要とされなければならない帰結となるはずであるが、現実に従業員らを招集して開催された株主総会と称する集会は、従業員らが個々に意見を述べ、かつ、本件株式を共有しているのではなく、単独でそれぞれ等しい株式数を有しているがごとく議決権を行使しているのであって、本件株式全部が共有されている場合において想定される右のような株主総会の在り方(ちなみに、このような在り方自体商法の解釈上是認されるかどうか疑問があるがその点は暫く措いたとしても)ともその様相を異にすることとなり、どちらにしても商法上有効な株主総会とは認められる余地のないものである。

さらに、共済会役員ないし委員に就任した個人が、保護預け依頼書に「株主名儀人」という肩書を付している点についても、共済会規定が共済会役員及び委員を株主名簿の名義人とする旨定めていることから、株主名簿の名義人である趣旨でそのような肩書を付したとも考えられないではないのであって、いずれにしても本件株券を銀行に預けるといったいわば派生的な手続において共済会役員ないし委員に就任した個人の肩書が「株主名儀人」とされたに過ぎないものであり、このことを共済会役員及び委員が本件株式を所有している者であるか否かを断ずるにつき決定的な影響を及ぼすものとみなすことはできない。

そうすると、右のとおり、必ずしも、従業員らが商法上有効な株主総会に出席して議決権を行使したり、株式配当等の請求権を有する法律上実際上の必要性やそれにそう実態があったものとは認めることはできず、むしろ、共済会役員及び委員が、本件株式を所有し、従業員らの意向に従って株主総会における議決権を行使する旨従業員らとの間でいわゆる内部的合意をしていたことから、これに基づき、従業員らの意向を聞く機会を設けるため集会を開催し、その集会を株主総会と称していたものと推認するほうが首尾一貫するし、かつ、株式配当等についても、被告会社が株主である共済会役員及び委員に支払うべきものを、従業員らと右役員及び委員との右同様の合意による内部的規律に基づき従業員らに分配することにし、同被告が直接従業員らに対し、在籍者株式配分表記載の数字に応じて支払うという簡易な手続で処理することとしていたと推認されるのである。

したがって、共済会規定(附則株式の管理方法)の内容は、本件株式を従業員らに配分すると明示しているものの、結局、本件株式の保有形態としては、本件株式を従業員らにその所有として帰属させていなかったこととならざるを得ないのであって、むしろ、従業員らが共済会規定を決定した意思内容は、本件株式を萩原、伊東及び分会から共済会役員及び委員に就任する合計一〇名の個人、すなわち、大塚、志手、亀谷、訴外野中恒雄、同池辺勝己、同南義広、同田口義雄、同安部秀男に各四五〇株づつ譲渡して帰属させ、また、萩原及び伊東については、四五〇株だけ自己に留保して所有し、従業員らは右一〇名に対し、同人らが株主権を行使するについて、意見を述べ自己らの意向にそって行使するように求めたり、又は被告会社の株式配当、残余財産の分配などの問題が生じた場合には右一〇名の者が取得したものを在籍者株式配分表に記載した株式数に応じて従業員らに分配するよう求め得るような内容の内部的合意を成立させたものと認めるのが相当である。

そうすると、本件株式の保有形態に関する側面でも、従業員らが本件株式の全部を民法上の組合に出資し、合有ないし共有しているとはいえず、むしろ、共済会規定を決定することにより、本件株式の所有者を三名から一〇名にし、本件株式上の権利行使についてその実質を確保するがための内部的な合意をなしたに過ぎないものとみざるを得ないのである。

以上詳細に検討を加えたとおり、共済会は共済の事業及び本件株式の保有形態の両側面に照らしてみても、従業員らが積極的な意義を有する共同事業を行う目的のもとに組合契約を締結して組織された民法上の組合であるとはとうてい認めることができない。

よって、原告従業員らの右共済会が民法上の組合として成立したことを前提とする主張は理由のないものである。

また、次に、原告従業員らは、従業員らが共済会規定を決定することによって、本件株式を同人らの単独所有にした旨主張するが、各従業員が本件株式を所有していた萩原、伊東及び分会のいずれの者から本件株式の譲渡を受け、かつ、本件株券の交付を受けたのかを個別的かつ具体的に確定するに足る証拠はないし、そのような株式所有形態と理解することが不自然かつ不合理であるゆえんは前記説示のとおりであるから、右主張は失当である。

(四)  共済会役員及び委員に就任した合計一〇名の者、すなわち、萩原、伊東、大塚、志手、亀谷、訴外野中恒雄、同池辺勝己、同南義幸、同田口義雄、同安部秀男が、昭和五一年三月二二日本件株式を四五〇株づつ取得したが、昭和五一年七月三一日開催の分会の大会において、分会役員の変更が生じそれにともなって共済会役員及び委員にも変更を生じたことから、共済役員ないし委員を退任した大塚、訴外南義幸、同池辺勝己から新任の訴外矢野信行、同秋吉利美、同甲斐義広に本件株式を四五〇株づつ譲渡する必要が生じ、大塚から訴外矢野信行に、訴外南義幸から訴外甲斐義広に、訴外池辺勝己から訴外秋吉利美にそれぞれ本件株式四五〇株づつの譲渡がなされた。

そして、萩原が、昭和五二年五月末をもって被告会社の取締役及び共済役員を退任したから、同人は本件株式四五〇株を他の共済会員に譲渡すべきであるが、同人が本件株式四五〇株を譲渡したことを認める証拠はなく、さらに、分会の役員は昭和五一年七月三一日以降二年毎に変更し、それにともなって共済会役員及び委員も変更する例であったが、共済会役員及び委員の変更を認める証拠はなく、かつ、本件株式譲渡がなされたことを認める証拠もない。

ところで、原告会社は、昭和五七年六月一五日当時、伊東が九〇〇株、大塚、志手、訴外南義幸、同田口義雄、同安部秀男、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄がそれぞれ四五〇株づつ本件株式を有していた旨主張するが、伊東、訴外田口義雄、同安部秀男が昭和五一年三月二二日本件株式のうち四五〇株をそれぞれ取得し、昭和五七年六月一五日まで共済会役員を継続して勤めて本件株式を右株数だけ所有してきたこと、また、志手が昭和五一年三月二二日に本件株式四五〇株を取得し、その後これを喪失したことを認める証拠はないものの、その他の大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄が四五〇株づつ本件株式を取得したこと及び伊東がさらに四五〇株を取得したことを認める証拠はない。

そうすると、原告会社は、昭和五七年六月一五日、伊東、大塚、志手、訴外南義幸、同田口義雄、同安部秀男、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄から本件株式全部を買い受けたが、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄がそれぞれ四五〇株づつの本件株式を有していたとは認めえず、かつ、伊東が四五〇株以上の本件株式を有していたとも認め得ないから、原告会社は本件株式のうち一八〇〇株を取得したに過ぎないものというべきである。

(五)  原告会社は、本件株式全部を善意取得した旨主張するので、この点について判断する。

原告会社の代表者である補助参加人は、昭和五七年六月一四日、伊東が九〇〇株、その他の大塚、志手、訴外南義幸、同田口義雄、同安部秀男、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄が四五〇株づつの本件株券を有していることを確認し、翌一五日本件株券全部の引き渡しを受けたうえで、本件株式全部を買い受けたのであるから、右売買当時において、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄がそれぞれ四五〇株づつの本件株式を有しておらず、かつ、伊東が四五〇株以上の本件株式を有していないことを知らず、かつ、知らなかったことに重過失がない限り本件株式二七〇〇株についても善意取得したというべきである。

そこで、原告会社が、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄が無権利者であること及び伊東が四五〇株以上の本件株式を有していないことを知っていたか、若しくは知らないことに重過失があったかについてみるに、原告会社が右事実を知っていたと認める証拠はないが、原告会社の代表取締役である補助参加人は、昭和五六年暮ころ、牧實から被告会社を買収できそうである旨の話を聞き、本件株式全部を買収する意向をもって亀谷と接触を始め、同人から内規があって本件株式は譲渡できない旨の話を聞いており、共済会規定の存在を知り得る契機自体は与えられていた。

しかし、前示のとおり、共済会規定の内容は一義的に明白なものとはいえず、仮に補助参加人が共済会規定を入手してこれを精査したとしても、本件株式が共済会役員及び委員の合計一〇名の所有に属するものと理解することは困難なうえ、経営委員全員が当初において、共済会役員及び委員を兼ねていたのであり、分会選出の経営委員六名と共済会役員及び委員のうち六名は、分会役員が就任する慣例もあったのであるから、その慣例に従って共済会役員及び委員が改選され本件株式の譲渡もなされていれば、会社側選出の経営委員、共済会役員及び委員に改選はなかったのであるから、経営委員の九名はそれぞれ四五〇株づつ本件株式を所有していたことになり、経営委員に就任している九名の個人が本件株式を所有しているといわれて信じたことが必ずしも間違いではなく、単に経営委員以外の一名も本件株式四五〇株を有している者がいたに過ぎなかったことになるのであり、そのうえ補助参加人は、本件株券全部を事前に調べて裏書欄に昭和五七年六月一四日当時の経営委員である九名の名義が記載されていることを確認し、かつ、被告会社の定款を入手して株式の譲渡制限のないことを確認しているのであって、補助参加人が同被告の内部事情を詳細に知りうる立場にないことを考慮すれば、原告会社の代表取締役である補助参加人が、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄が無権利者であること及び伊東が四五〇株以上の本件株式を有していないことを知らなかったことに重大な過失があるとはいい難い。

また、昭和五四年五月一九日付け大分合同新聞には、従業員全員が労働者であると同時に経営者であり、被告会社の経営再建のため、努力してきた旨の記事を掲載しており、原告会社は同業者として被告会社の経営が通常の経営形態とは異なり、労働組合の関与した特殊なものであることを知りうる状況にあったとも考えられるのである。

しかし、実質的な経営形態と本件株式の所有とは一応別個の問題であるうえ、右記事の内容は大塚の談話を中心にしたものであり、その大塚が原告会社に本件株式を売買する際に関与し、本件株式の所有者が経営委員に就任している九名の個人であることを前提に行動しているのであるから、仮に原告会社の代表取締役である補助参加人が右新聞記事を読んでいたとしても、これをもって本件株式の所有者を知りえたとか、容易に知りうべきであったとは到底認め得ない。

さらに、補助参加人は、本件株式を買い受ける前に本件株券を見たのであるが、本件株券の裏書欄には、関西汽船の名義に続いて萩原、伊東ないし分会の名義が昭和五〇年四月一四日付けで記載され、次に、昭和五一年四月一日付けで一〇名の個人名義が記載され、一部の本件株券がこれに続いて昭和五一年七月三一日付けで訴外矢野信行、同秋吉利美、同甲斐義広の各名義が記載されているが、その後は一部の本件株券に昭和五七年六月一日付けで伊東、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄の各名義が記載されるまで全く記載がされていないのであり、そうであれば、昭和五一年七月三一日以前には本件株券の裏書欄に記載が頻繁になされているのに、右以降昭和五七年六月一日まで本件株券全部について全く名義変更の記載のないことに不信を抱く余地があるかのようであり、特に昭和五七年六月一日付けで伊東、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄の各名義が記載されたことの理由をただし、右の者らが本件株式を取得した経緯を確認すべきものとも一応は考えられないではない。

しかし、本件株式は記名式普通株式であって、そもそも株券の裏書は株式譲渡の要件ではなく、裏書記載なしに株式譲渡がしばしば行われているのであって、本来裏書欄の記載にさほど重要性がおかれていないことを考慮すれば、裏書欄の名義人が一〇名から九名に変わったことや昭和五一年七月三一日以降昭和五七年六月一日まで全く記載のないことをもって、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄がそれぞれ四五〇株を、伊東が四五〇株以上の本件株式を有しないと疑うことは困難であり、むしろ、右の者らも本件株式を有しているとして、裏書欄にその名義記載のある本件株券を見せられれば、特段の事情のない限り、本件株式の所有者と信じたことに過失はないものと推認され(商法二〇五条二項)、本件株券の裏書欄の記載をもって、右特段の事情があったとは認めることができない。

したがって、前記裏書欄の記載関係をもって、原告会社が本件株式の取得に際し、大塚、訴外南義幸、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄が本件株式を有しないこと及び伊東が四五〇株以上の本件株式を有しないことについて、これを知っていたということができないばかりでなく、容易に知りえたのにかかわらず重大な過失によって知り得なかったとは認められず、その他これを認める証拠はない。

よって、原告会社は、本件株式のうち二七〇〇株を善意取得したものというべきである。

二  そこで、第一乃至第三事件の原告適格について判断するに、原告従業員らの本件訴えは、いずれも被告会社の株主総会における決議が不存在であることの確認を求めるものであるが、前記説示のとおり、同原告らは本件株式を有しておらず、被告会社の株主ではなく、また、同原告らは被告会社に雇用される者であるが、株主総会の決議は株式会社内部の意思決定に過ぎず、これをもって同原告らが本件一ないし三の各決議に法的な利害関係を有するものと認めることはできず、その他に同原告らが右各決議に法的な利害関係を有することの主張・立証はないから、同原告らは、右各決議の不存在確認につき原告適格を有しないことになる。

したがって、原告従業員らの本件訴えはいずれも不適法というべきである。

三  次に、第四事件の請求原因について判断するに、前項で説示したとおり、原告会社は、昭和五七年六月一五日、伊東、大塚、志手、訴外南義幸、同田口義雄、同安部秀男、同甲斐洋、同佐藤学、同山南徹雄から本件株式全部を買い受け、伊東、志手、訴外田口義雄、同安部秀男からそれぞれ四五〇株づつ合計一八〇〇株を承継取得し、その余の本件株式については即時取得したから、本件株式全部を取得したものというべきである。

そして、請求原因(四)の事実(原告従業員ら及び第四事件被告らが原告会社の本件株式全部の所有を争っている事実)は、当事者間に争いがない。

したがって、原告会社の本訴請求は理由があるというべきである。

四  よって、原告従業員らの本件訴えはいずれも不適法なものであるのでこれを却下し、原告会社の本訴請求は理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江口寛志 裁判官 岡部信也 西田育代司)

〈以下省略〉

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