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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)5235号 判決

反訴原告

檜川幹夫

反訴被告

野瀬俊彦

主文

一  反訴被告は、反訴原告に対し、二九七万二一四一円及びこれに対する平成二年一〇月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを六分し、その五を反訴原告の負担とし、その余を反訴被告の負担とする。

四  この判決は、反訴原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

反訴被告は、反訴原告に対し、一七八一万一三七九円及びこれに対する平成二年一〇月二四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を払え。

第二事案の概要

本件は、信号機により交通整理の行われていない交差点において、北から南に直進した普通乗用自動車と東から西へ直進した原動機付自転車(以下「原付自転車」という。)とが衝突し、原付自転車の運転者が負傷し、精神病となり、その後、精神安定剤を多量に服用したことなどにより死亡した事故に関し、被害者の相続人である父親が普通乗用自動車の保有者兼運転者を相手に自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等(証拠摘示のない事実は、争いのない事実である。)

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 平成二年一〇月二四日午前八時〇四分ころ

(二) 場所 大阪市東淀川区東中島六丁目一二番一一号先交差点上(以下「本件事故現場」ないし「本件交差点」という。)

(三) 被害車 檜川明美(以下「明美」という。)運転の原付自転車(和泉市と三一〇八号、以下「明美車」という。)

(四) 事故車 反訴被告が運転していた普通乗用自動車(神戸五二つ七六三七号、以下「反訴被告車」という。)

(五) 事故態様 信号機により交通整理の行われていない本件交差点において、北から南に直進した反訴被告車と東から西へ直進した明美車とが衝突し、明美が負傷したもの

2  責任原因

反訴被告は、反訴被告車の保有者として、本件事故と相当因果関係のある損害について、自賠法三条に基づく損害賠償責任がある。

3  明美の収入、死亡に至る経過等

明美は、本件事故当時、一八歳であり、一八二万七一〇〇円の年収を得ており、満六七歳まで稼働可能であつた。同女は、本件事故による傷病の治療のため、平成二年一〇月二四日から淀川キリスト教病院に入院し、同年一一月一日、箕面神経サナトリウム病院に転院し、平成三年七月一七日、同病院を退院し(入院日数合計二六七日)、同年八月二七日、死亡した。

4  損益相殺

反訴被告が加入する保険会社は、淀川キリスト教病院の治療費として一六万八五二四円を支払い、また、箕面神経サナトリウムの治療費として一二七万円(合計一四三万八五二四円)を支払つた。

二  争点

1  過失相殺

(反訴被告の主張)

本件交差点において、明美側には一時停止の標識はないものの路上に止れと書いてある等の事情を考慮し、同女には本件事故の発生に関し七〇パーセントの過失がある。

(反訴原告の主張)

明美の過失割合は、三〇パーセントを超えるものではない。

2  本件事故と明美の死亡との因果関係

(反訴原告の主張)

明美は、本件事故により頭部を負傷し、右負傷により外傷性精神病症状を発現し、右症状の緩和のため精神安定剤を服用するようになつたところ、箕面神経サナトリウムに通院加療中の平成三年八月二七日、適量以上の精神安定剤の服用により意識不明に陥つたところ、同女は、その頃、肺炎(肺水腫の状態)を起こしていたため、呼吸困難を来して死亡したというものである。右経過は、いずれも予見不可能なものではなく、因果関係において相当性の範囲を逸脱するものではない。

明美の解剖にあたつた山口大学の吉田謙一教授(以下「吉田教授」という。)は、解剖医が回答することか否かは分らないとしながら、交通事故の後遺障害により、被害者が自殺を企て、あるいは誤つて薬を過量飲んだと思われるので、事故による負傷(頭部外傷こと明美の因果関係は存在するとの意見を述べているし、兵庫医科大学の佐藤正保講師(以下「佐藤講師」という。)は、事故から約一〇か月経過した時点での安定剤の飲み過ぎによる死亡を交通事故と直接関係付けることには蓋然性がないとしつつも、交通事故による頭部外傷が明美の精神病発現を引き起こした若しくは増悪させたことを認めているのであるのであり、法的判断としては相当性を逸脱するものではない。

なお、佐藤講師の意見は、本件事故後六~七か月で、頭部外傷に基づく器質性精神病は右外傷の普遍的経過に従つて回復するものであり、回復後の精神病の症状は、明美の固有の境界性人格障害のみであり、事故から一〇か月経つた時点での自殺若しくは精神安定剤の多量服用は、同人格障害によるものであるから本件事故との因果関係はないというものである。しかし、頭部外傷の普遍的経過と、外傷に起因する脳器質の普遍的経過とは、必ずしも一致するとはいえず、少なくともその時間的ずれは個体により異なる可能性を否定できないはずである。

(反訴被告の主張)

明美は、淀川キリスト教病院での治療中に、別の精神科的病気で箕面サナトリウムに転医し、そこでの治療中に死亡したものであり、右死亡と本件事故とは因果関係がない。

3  素因及び事故後の明美の行動による減額

(反訴原告の主張)

仮に明美に精神病症状の固有の要素があつたとしても、明美が精神安定剤の適量を誤つて服用したという事実は、公平な賠償のための被害者の過失という観点から過失相殺の類推により賠償額の減額要素となることがあつても、その割合は五割を超えるものではない。

第三争点に対する判断

一  過失相殺

1  前記争いのない事実に加え、甲第一ないし三号証を総合すると、次の事実が認められる。

本件事故現場は、別紙図面のとおり、南北に通じる片側一車線(片側幅員約二・七五メートルの道路(以下「南北道路」という。)と東西に通じる幅員約四・六メートルの道路(以下「東西道路」という。)との信号機により交通整理の行われていない交差点にある。本件交差点は市街地にあり、南北道路、東西道路相互の見通しは悪く、両道路の速度は時速三〇キロメートルに規制され、交通は閑散である。両道路の路面は、平坦であり、アスフアルトで舗装され、本件事故当時乾燥していた。

本件交差点東側の東西道路には、一時停止の標識はないものの、一時停止線が引かれ、路面に「とまれ」の文字が表示してあつた。

明美は、友人宅を出てパンを購入するため、ヘルメツトを着用しないで明美車を運転し、東西道路を時速五〇キロメートルで西進中、本件交差点にさしかかつたが、一時停止し、左右の安全を確かめることなく、前記速度のまま同交差点に進入した。

反訴被告は、反訴被告車を運転して南北道路を時速約三〇キロメートルで南進中、本件交差点に差しかかり、徐行し左右の安全を確かめることなく同交差点に進入したところ、西進する明美車を約五・四メートルに近接して初めて発見し、急制動の措置を講ずるとともにハンドルを切つて衝突を回避しようとしたが及ばず、自車左前部を明美車前部に衝突させ、明美を負傷させた。

2  右認定事実に基づき、反訴被告と明美との過失割合を検討すると、反訴被告には、本件交差点は左右の見通しが悪かつたのであるから、徐行し、東西道路から進入する車両の有無を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠つた過失があり、他方、明美には、東西道路の本件交差点手前には一時停止線が引かれ、かつ、路面に「とまれ」の文字が印されていたのであるから、同停止線で一時停止の上、南北道路を走行する車両の有無、動静を確認し、同車両の進行を妨げてはならない注意義務があるのにこれを怠り、しかも、制限速度を二〇キロメートル超過する速度で同交差点に進入した過失がある。

両者の過失を比較すると、一時停止を無視し、かつ、制限速度を超過して本件交差点に進入した明美の過失は重大であり、しかも、本件においてヘルメツトを着用していなかつたことが後述する頭部外傷という損害の拡大の原因となつたと解されることを考慮すると、明美には、本件事故及びそれによる損害の発生に関し、少なくとも反訴被告主張の七割の過失があるものと解するのが相当である。したがつて、後記本件事故により生じた損害から同割合を減額すべきである。

二  明美の死亡と本件事故との因果関係、素因減額

1  前記争いのない事実に加え、甲第四、第六ないし第一〇号証、乙第一ないし第七号証によると、次の事実が認められる。

(一) 本件事故前の状況

明美は、父母が離婚し、父、義母、弟との四人暮しであつた。高校時代以降、たばこ、シンナーを吸うようになつたが、本件事故前、シンナー中毒により、平成二年三月から同年八月まで小曽根病院に、同年八月から九月まで久米田病院に、それぞれ入院し、同事故の直前までシンナー吸引を続けていた。

(二) 淀川キリスト教病院での治療経過

平成二年一〇月二四日、本件事故後、明美は、淀川キリスト教病院に搬送され、頭部外傷Ⅰ型(脳震盪)、右鎖骨骨折との診断を受けた。傾眠傾向(放置すると、うとうとする状態)があつたが、CT検査において異常は認められず、同日午後には、意識が清明となつた。明美は、搬送直後から、錯乱とせん妄が認められた。

同年二五日、明美は、MRI検査を行つたところ、右側頭葉に小脳挫傷が生じていることが判明した。鑑別診断により、頭部外傷、シンナー後遺症、内因性精神病、器質性精神病と判断された。

同月二九日、CT検査により、明美の頭蓋骨外部に皮下血腫が認められたが、頭蓋内出血はなく、脳挫傷の程度は軽度と診断された。明美は、「たばこ、たばこ」と叫び、ベツドから勝手に降り、看護婦の指示をきかなかつた。

同年一一月一日、明美は、箕面サナトリウム病院に転院のため、淀川キリスト教病院を退院したが、右退院時の見当識は正常であり、主治医は、分裂病の欠陥状態のようだが、分裂病とは異なるとの判断をしている。

(三) 箕面サナトリウム病院での治療経過

平成二年一一月一日、明美は、箕面サナトリウム病院において、頭部外傷性精神病との診断を受け、以後、衝動、暴行、いらいら、怒りつぽい、病識なし等の症状の改善のため、鎮静効果をもつハロペリドール等の精神安定剤の投与を受けたが、同女の症状の具体的状況は、次のとおりである。

同日、明美は、他の患者を「くそはばあ」と怒鳴り、他人のベツドに荷物を散乱させるなどした。事故の模様については、何も覚えていないと述べ、逆行性健忘の症状が認められた。

明美は、同月四日、いらいらし、怒りつぽい様子を見せ、同月五日、点滴やめろ、退院させろと怒鳴り、同月七日、入院は嫌だとドアから飛出そうとし、同月九日、看護婦を暴力的に蹴り、手を振り上げるなどし、同月一三日、ベツドで他の患者とつかみ合いの喧嘩をし、同月一四日、看護婦を蹴るなどした。同年一二月七日、明美は、「事故のことを思い出せるようになつた、私が悪い」などと述べた。だが、同月一一日、明美は、CT検査では異常がなかつたものの、脳波にはθ波が中程度混入しており、軽度異常の状態であつた。

平成三年正月、明美は、帰宅したが、餅が焦げると水をかけるなど、異常な行動を示した。明美は、同病院において、同年一月九日、廊下で気の合わない患者とつかみ合いの喧嘩をし、同月二八日、以前はシンナーで幻聴があつたが今はないと述べ、その後、同月末までは精神状態が安定していたが、同年三月六日、甲状腺機能にやや異常値を示し、すぐ発汗するようになり、同月二八日、テレビのチャンネル争いでコツプで他人に水をかけ、同年四月五日、他の患者とつかみ合いの喧嘩をし泣きながら自室に戻り、同月一二日、「死ぬ、車に飛込む」と述べ、同年五月一七日、自殺を企図し、隠していた安全カミソリで左手首を切つた。

同月二一日、明美の脳波検査において、θ波の軽度混入はあるが、以前と比較すると改善しており、正常と異常とのボーダーラインと判断された。同女は、同月二三日、むかむかすると述べ、拒食し、同月二四日、三七度に発熱し、倦怠感を訴え、嘔吐し、同月二六日、「大人しくしてると思つてなめるなよ」と怒鳴り、院内を徘徊し、頻繁に手洗いに行き、大声を出し、「父母に電話しても冷たい返事しかない」と訴え、保護室に入れてくれと頼み、同月二八日、他の患者が「包丁をもつて殺したる」と言うと述べ、吐き気、腹痛を訴え、同年六月一日、病棟二回の踊り場から飛び降りようとし、同月三日、病棟内ホールの長椅子を投げつけ、食事はほとんど食べず、同月二一日、事故直前のことまでは覚えていると述べ、同年七月六日以降、嘔吐を続け、同月一七日、退院した。

同年八月一七日、明美は、同病院に来院したが、父に精神安定剤の服用を止められたとし、ボーとしており、家事は何もしておらず、やる気がしないと述べた。同月二八日、父である反訴原告から同病院の主治医に電話があつたが、その内容は「昔の彼氏に会い、淡路でシヤブを打たれ死んだ、今解剖中」との支離滅裂なものであつた。

(四) 死因

明美を解剖した吉田教授は、同女の死因につき、適量以上の精神安定剤を服用し、合併した肺炎のため死亡と判断した。同医師は、明美が自殺の企図により薬剤を使用したのか、不安や不眠を鎮めるため誤つて過量を飲んだのかは不明であるとしている。

(五) 兵庫医科大学の佐藤講師は、明美の死亡と本件事故との因果関係について、鑑定書と題する意見書において、要旨、次のような意見を述べている。

(1) 明美は、淀川キリスト教病院の精神科医の鑑別診断でも触れられているように境界性人格障害の診断基準に該当する。境界性人格障害とは、全般的な気分、対人関係、自己像の不安定さのパターンで成人早期に始り、以下のうち、少なくとも五項目が該当することにより診断される。

〈1〉 過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴をもつ不安定で激しい対人関係の様式

〈2〉 衝動性で自己を傷つける可能性のある領域の少なくとも二つにわたるもの(浪費、セツクス、物質乱用、万引き、無謀な運転等)

〈3〉 感情易変性 正常な気分から抑鬱、いらいら、又は不安への激しい変動

〈4〉 不適切で激しい怒り、又は怒りの抑制ができないこと(例えば、しばしばかんしやくを起こす、いつも怒つている、喧嘩を繰り返す)

〈5〉 自殺の脅し、そぶり、行動、又は自傷行為などの繰り返し

〈6〉 著明で持続的同一性障害

〈7〉 慢性的空虚感、退屈の感情

〈8〉 現実の又は想像上で見捨てられることを避けようとする気違いじみた努力

境界性人格障害の度重なる自殺企図は重要である。それは本人の死への願望というより、冷たい周囲に対する抗議あるいは救いを求めるサインであると考えられる。したがつて、採られる方法も縊首、轢死などの致死的な方法でなく、服毒、ガスなど生死に運を任せた方法が多い。そのため右障害は、Wrist cutting症候群とも呼ばれている。

筑波大学の精神科のWrist cutting三〇例の報告では、二五例が女性であり、学生と看護婦に多く、用具は安全カミソリが多く、切るのは左手首が多い。皮膚のみの浅い数条の切傷であり、動脈を切つたものは一例もない。

明美が以上の診断基準に該当することは明らかである。

(2) 明美は、シンナー中毒で入院歴がある上に、事故当時もシンナーの酩酊状態にあり、その後離脱症状が生じた可能性を否定できない。

シンナー乱用はその向精神作用は含有されるトルエンによるものである。一九七二年から毒物及び劇物取締法による規制の対象となつている。覚せい剤より若い年齢層が用いるのが特徴的である。シンナーをビニール袋や空き缶に入れたり、ガーゼに浸してマスクとして吸入すると五~一〇分位で軽い意識障害に達するが、袋を口から離すと急速に意識は回復する。気分、感情面での変化は、多幸、発揚、全能感とボーとして不関になるものとがある。特徴的なのは、夢と呼ばれる夢幻状態の出現であり、幻視、幻聴、白日夢、時間体験の異常など幻覚周辺のすべての現症が出現する。身体症状としては、眠気、悪心、嘔吐、失調、発語障害、呼吸不全による死亡も見られる。

明美のシンナー使用は、厳密にいえば薬物依存には該当しない。しかし、明美の本件事故後の入院初期に離脱症状が含まれていた可能性は否定できない。いずれにせよ、離脱あるいは依存後遺症として重篤な症状であるせん妄状態や健忘症候群は比較的短期間で消えたようである。これらは、薬物が脳に不可逆的な変化をもたらした場合にはCT状の変化、脳波の異常などが永続的に残るものである。したがつて、明美の場合、シンナーによる脳器質性の障害は可逆的な程度に止まつていた可能性が高い。薬物による精神病状態は、一般に、それ以上薬物が摂取されない限り持続時間は短い。部分的には一か月以内、完全には六か月以内に改善する。

(3) 明美は、脳器質精神病にも該当する。箕面サナトリウム病院のカルテに記載されている頭部外傷性精神病はこの意味である。脳器質精神病とは、頭部外傷、腫瘍等により、脳の器質的変化、解剖的変化による慢性の精神病をいう。症状としては、記銘力、記憶力、判断力障害を中心とする痴呆と人格の変化であり、それに感情の変化、幻覚妄想が加わる。

(4) 明美は、事故後、境界性人格障害、シンナー中毒、脳器質精神病に起因する諸症状が密接に関連した複雑な精神障害を呈していたものと考えられる。頭部外傷が比較的軽度であつたこと、シンナー中毒の離脱症状も比較的短期間で軽快するのが通例であるから、入院中の得意な精神症状は人格症状によるものが主であり、過失か自殺かが不明な死亡についても、境界性人格障害によるものが主であり、過失か自殺かが不明な死亡についても、境界性人格障害患者の救いを求める自殺企図が不幸にして既遂に終わつたものである。したがつて、交通事故による頭部外傷が主たる責任を負うべき障害は、事故直後の傾眠状態、もうろう状態、せん妄状態と事故当時の一定期間に関する逆行性健忘である。事故後に継続的にみられた様々な精神症状については、境界性人格障害が主たる役割を果たしたものであり、頭部外傷は、症状発現の引き金あるいは増悪傾向をもたらした一要因としての役割を果たしたといえる。いつたん精神症状が寛解して退院した後、事故から約一〇か月経つた時点での安定剤の飲み過ぎによる死亡を本件事故と直接関係付けることには蓋然性がないと考える。

2  以上の認定事実をもとに、本件事故と明美の死亡との因果関係について判断すると、明美には、本件事故前から境界性人格障害の素因を有していたが、シンナー中毒による入院は別として、右人格障害自体は必ずしも比較的軽度であり、治療を要するような精神障害にまでは至つていなかつたところ、本件事故による軽度の脳挫傷(頭部外傷)により脳器質精神病(頭部外傷性精神病)となり、同精神病が右境界性人格障害に関し、症状を発現する引き金となり、かつ、右障害及び症状を増悪させたことが認められる。

右脳器質精神病は、脳挫傷の程度が軽度であつた上、その症状である、記銘力、記憶力、判断力障害を中心とする痴呆と人格の変化、感情の変化、幻覚妄想、すなわち、本件事故直後に明美に現れた傾眠状態、もうろう状態、せん妄状態と事故当時の一定期間に関する逆行性健忘等の諸症状が次第に軽快していることを考慮すると、脳波のθ波が軽度となり、正常と異常とのボーダーラインまで改善した平成三年五月二一日ころには、右脳器質精神病による直接の症状は治り、その後は増悪した境界性人格障害による症状のみが残存したと認められる(なお、シンナー中毒及びそれによる離脱症の可能性も否定できない。しかし、明美にはシンナーにより脳に不可逆的変化が生じたことを認めるべき客観的所見がないこと、佐藤講師も同女がシンナー依存症には該当しないとしていること、一般にいえば、部分的には薬物中止後一か月、完全には六か月で症状が消失するとされていることに照らすと、仮にシンナーの離脱症が前記明美の症状に含まれているとしても、その期間は、本件事故後六か月までとみるのが相当である。)。

明美は、自殺の企図ないしは不安や不眠を鎮めるため、適量以上の精神安定剤を服用し、合併した肺炎のため死亡した。右適量以上の精神安定剤を服用した原因は、箕面サナトリウム病院で二度にわたり自殺を企図していることに照らすと、自殺企図のためである蓋然性が高いが、仮に不安や不眠を鎮めるため適量以上を服用したとしても、右服用が前記増悪した境界性人格障害と因果関係を有することは明らかである。したがつて、本件事故と頭部外傷(脳器質性精神病)、同外傷と境界性人格障害の増悪、さらに適量以上の精神安定剤の服用、明美の死亡とは、順次因果の流れを有するものと認められるから、本件事故と明美の死亡とは相当因果関係を有するものと認めるのが相当である。

3  なお、佐藤講師は、頭部外傷(脳器質精神病)が、本件症状の引き金あるいは増悪傾向をもたらした一要因としての役割を果たしたことを認めつつ、いつたん、精神症状が寛解して退院した後、事故から約一〇か月経過した時点での安定剤の飲み過ぎによる死亡を本件事故と直接関係付けることはできないとの見解を表明しているが、たとえ一要因であれ、頭部外傷が本件症状の引き金ないし増悪の原因となつている以上、法的因果関係の判断としては、因果関係を肯定するのが相当であるから、右見解には賛同できない。

4  しかしながら、頭部外傷(脳挫傷)の程度が軽度であつたことを考えると、前記因果の流れにおいて明美が有していた境界性人格障害のもつ役割は多大であり、明美の本件に関する全症状及びその死亡による損害の全てを反訴被告に負担させるのは、損害賠償制度における公平の理念に照らし相当ではないから、損害額の算定に当たつては、過失相殺の規定を類推適用し、減額するのが相当である。明美の頭部外傷の軽微性、脳器質精神病の直接の症状として、明美に現れた傾眠状態、もうろう状態、せん妄状態と逆行性健忘の程度、継続期間とその他の症状の内容、程度、死亡経過等を比較考慮すると、明美の全症状、死亡についての本件事故の寄与率は三割が相当と認める。したがつて、後記本件事故による損害から七割を減額すべきである。

三  損害

1  休業損害(主張額一三三万六五三六円)

本件事故前、明美に一八二万七一〇〇円の年収があり、本件事故後、淀川キリスト教病院、箕面サナトリウム病院に合計二六七日間入院したことは当事者間に争いがない。前記認定のとおり、右入院は、本件事故による傷病の治療のためのものと解されるから、右入院中の休業による損害は、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。したがつて、本件事故による休業損害は、次の算式のとおり、一三三万六五三六円となる(一円未満切り捨て、以下同じ)。

1827100÷365×267=1336536

2  入院雑費(主張額三四万七一〇〇円)

前記のとおり、明美が本件事故後二六七日間入院したことは当事者間に争いがなく、右入院は、本件事故による傷病の治療のためと解されるところ、右入院中、雑費として一日当たり一三〇〇円が必要であつたものと推認される。したがつて、その間の入院雑費は、三四万七一〇〇円を要したものと認められる。

3  入院慰謝料(主張額一七八万円)

本件事故の態様、明美の受傷内容と治療経過、同女の職業、年齢及び家庭環境等、本件に現れた諸事情を考慮すると、慰謝料としては、原告反訴原告主張の一七八万円が相当と認められる。

4  逸失利益(主張額二二三〇万五二三七円)

本件事故当時、明美が一八歳であり、同女に一八二万七一〇〇円の年収があり、同女が六七歳までの四九年間稼働が可能であつたことは当事者間に争いがないところ、生活費控除を五割とみて、ホフマン方式を採用して中間利息を控除し、逸失利益の本件事故当時の現価を求めると、次の算式のとおり、二二三〇万五二三六円となる。

1827100×(1-0.5)×24.416=22305236

5  死亡慰謝料(主張額一八〇〇万円)

本件事故の態様、明美が死亡したこと、同女の職業、年齢及び家庭環境等、本件に現れた諸事情を考慮すると、慰謝料としては、原告反訴原告主張の一八〇〇万円が相当と認められる。

6  葬儀費用(主張額八〇万円)

本件に現れた諸事情を考慮すると、弁論の全趣旨により反訴原告が負担したと認められる葬儀費用のうち、本件事故と相当因果関係のあるのは八〇万円と認める。

7  小計

以上1ないし5の明美に生じた損害を合計すると、四三七六万八八七二円となるところ、淀川キリスト教病院及び箕面サナトリウム病院における治療費として合計一四三万八五二四円が支払われたことは当事者間に争いがないから、明美の損害のうち、後記素因による減額の対象額は、右四三七六万八八七二円に一四三万八五二四円を加えた四五二〇万七三九六円となる。

右四五二〇万七三九六円に反訴原告の固有の損害である葬儀費用八〇万円を加算すると、四六〇〇万七三九六円となる。

四  素因減額、過失相殺、損益相殺、弁護士費用

1  前記認定のとおり、素因減額により、本件事故により生じた損害のうち七割を減額するのが相当であるから、同減額を行うと、残額は一三八〇万二二一八円となる。

2  前記認定のとおり、過失相殺により、さらに七割の減額を行うと、残額は、四一四万〇六六五円となる(そのうち、反訴原告が相続により取得したものは、前記四五二〇万七三九六円に〇・三を二度乗じた四〇六万八六六五円である)。

3  本件事故により生じた損害に関し、合計一四三万八五二四円が支払われたことは当事者間に争いがないから、前記四一四万〇六六五円から右一四三万八五二四円を差し引くと、残額は、二七〇万二一四一円となる。

4  本件の事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としての損害は二七万円が相当と認める。

前記損害合計二七〇万二一四一円に右二七万円を加えると、損害合計は二九七万二一四一円となる。

五  以上の次第で、原告の被告らに対する請求は、二九七万二一四一円及びこれに対する本件事故の日である平成二年一〇月二四日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大沼洋一)

別紙 〈省略〉

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