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大阪地方裁判所 昭和40年(行ウ)7号 判決

原告

森安茂一

被告

寝屋川市長、寝屋川市

主文

被告寝屋川市長が原告に対し昭和三九年一二月二一日付を以てなした寝屋川市教育委員を罷免する旨の処分はこれを取消す。

原告の被告寝屋川市に対する請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告寝屋川市長との間に生じた分は同被告の負担とし、原告と被告寝屋川市との間に生じた分は原告の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

原告訴訟代理人は、

被告寝屋川市長が原告に対し昭和三九年一二月二一日付を以てなした寝屋川市教育委員を罷免する旨の処分はこれを取消す。

被告寝屋川市は原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年二月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決を求め、

被告ら訴訟代理人は、

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求めた。

(当事者双方の事実上の主張)

原告訴訟代理人は、請求原因として、次のとおり述べた。

一、原告は、昭和三六年一一月二五日被告寝屋川市長(以下被告市長という)により同市教育委員会教育委員に任命され、以来教育委員としてその職務を行なつていたものであるところ、被告市長は、昭和三九年一二月二一日付を以て、原告が地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下地教法という)第七条第一項に該当するとし寝屋川市議会の同意を得たうえ、教育委員を罷免する旨の処分をなした。

二、しかし、原告は教育委員としての職務上の義務に違反したりまたは教育委員たるに適しない非行をしたりしたことはなく、被告市長のなした罷免処分は地教法第七条第一項に該当する事実がないのにそのような事実があるとしてなされた違法の処分である。

三、被告寝屋川市(以下被告市という)の代表者である被告市長は、同市議会に原告の罷免の同意を求めるに当つて地教法違反の行為がないのにこれあるかのように虚偽の事実を公表し、寝免すべく理由なくして原告を罷免し、原告に地教法第一一条の規定に抵触する行為があり罷免につき市議会の同意を得た旨寝屋川市広報に掲載して一般市民に配布した。

原告は東京高等師範学校を卒業後、長野県飯田高等女学校、熊本県立第二師範学校、大阪府立天王寺師範学校に教諭として勤務し、昭和一〇年には大阪府立寝屋川高等女学校々長となり昭和二二年に同校校長を退職したがその後も大阪府立淀川工業学校、私立帝国女子学園、私立鉄道学校の各講師を勤め、昭和三三年大阪家庭裁判所調停委員を命ぜられ、また退職公務員連盟副会長の地位をも有する。

被告市長の前記行為は、原告の名誉感情を害し原告の信用と社会的評価を低下させ、原告に多大の精神上の苦痛を与えた。右苦痛を慰謝するためには金一〇〇万円を以て相当とする。

四、よつて被告市長のなした本件罷免処分の取消を求めると共に、被告市に対し損害賠償として金一〇〇万円およびこれに対する被告市に対する本件訴状送達の翌日である昭和四〇年二月七日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

被告ら訴訟代理人は、請求原因に対する答弁として次のとおり述べた。

一、請求原因第一項記載の事実は認める。

二、第二項記載の主張は争う。

三、第三項記載の事実中、被告市発行の寝屋川市広報に原告主張のような記事が掲載されたこと、右広報が市民一般に配布されたことは認めるがその余の事実は争う。

なお右の記事は定例市議会の議事内容の一として他の多くの案件の記事と共に掲載されたのにすぎない。

四、原告の教育委員としての任期は四年で、昭和四〇年二月二五日までであるところ、本訴係属中に任期が満了し、もはや原告は教育委員としての地位を回復することができないから、本訴は訴の利益を欠くものというべきである。

五、本件罷免処分は次のような事実を処分理由とするものである。

(一)  市教育委員会は、被告市長から寝屋川市立西小学校敷地の北西部の消防署用地として提供して欲しい旨要望せられ、原告も出席した昭和二七年一〇月二〇日の定例委員会において協議をなし、その場所、坪数等よりみて右敷地の提供は一応差し支えないが、同校々長の意向を確かめたうえ市長に回答するという決定をしたところ、原告は、右協議の際敷地提供に賛成しておきながら、教育委員会が同校々長の意向を確かめる以前に単身で同校長に面接し、市長の要望を拒絶するように示唆した。

およそ合議体の行政機関の構成員としてその意志決定に参加した以上その執行を妨げるような言動をしてはならないことはいうまでもなく、原告の右の行為は地教法第七条第一項に定める職務上の義務の違反および委員たるに適しない非行にあたるといわなければならない。

(二)  寝屋川市において昭和三八年度の市立幼稚園児の募集を行つた際、同市西地区に所在する市立西幼稚園の定員は二〇〇名であるのに二四九名に及ぶ応募者があつたが市教育委員会ではつとにこれを予想し、昭和三七年一二月一一日の定例委員会においてその対策を協議し、同市西地区内の成美地区に幼稚園を新設することが急務であるとの意見を述べる者があつたが、結局この問題については教育委員長において市長等市理事者と協議することと決定した。

次いで昭和三八年二月五日の定例委員会において西幼稚園の応募人員の定員超過に関連して、市立幼稚園園則(定員を規定)の一部を改正する件が審議されたが、結局昭和三八年度においては園則を改正することなく、暫定的措置として応募者全員を市立西幼稚園に入園することを許可し将来早急に幼稚園の新設を期する旨決定がなされた。

さらに同年五月二七日の協議会において、新設幼稚園の用地買収ならびに建物建築のための予算要求をする旨の決定がなされ、その際教育委員長より買収予定地は同市一地区内の成美地区である旨の説明がなされた。

以上の経過で、新設幼稚園の設置場所を市内西地区の成美地区とすることは教育委員会においては内部的に決定していたのであるが、ただ市長に予算要求をする以前であつたから公表することが差し控えられていた。

ところが同年六月の臨時市議会において市立幼稚園増設に関する予算案が上程され、文教民生常任委員会に付託され、同月一四日右常任委員会で審議されたところ、同日右常任委員会に教育委員長代理として出席していた原告は、審議終了後同常任委員会の委員訴外山崎源太郎に対し、成美地区に新設幼稚園を設置することは教育委員会において決定されておらない旨発言した。そのため山崎委員は、同月二一日の市議会において、教育委員長に対し、新設幼稚園を成美地区に設置することは教育委員会として意思決定をしているのかどうかと質すに至り、一般に対し教育委員会不信の念を抱かしめた。

このように原告は教育委員会の構成員でありながら市会議員に対し委員会の決定を否定する発言をしたのであつて、右行為は地教法に定める職務上の義務の違反および委員たるに適しない非行にあたるというべきである。

ところで教育委員会は、右の事態を収拾するため同月二二日の定例委員会において、原告の発言の内容が誤りであることを確認するとともに原告に反省をうながしたところ、原告はかえつて自己の誤つた主張を正当ずけようとし、その頃二回に亙り秘密事項である教育委員会における新設幼稚園問題の協議内容や委員間の言葉のやりとり、ならびにこれに対する原告の個人的見解を記載したガリ版印刷の印刷物を作成し、これを一般市民に配付したのである。

原告の右の行為は地教法第一一条第一項に規定する委員が職務上知ることのできた秘密を守るべき職務に違反したものといわなければならない。教育委員会での会議は公開で行なわれるものであるけれども、前記地教法の規定はたとえ会議が公開で行なわれた場合においても委員会の議事内容を不特定多数の者に軽卒に発表することを禁じた趣旨と解すべきであり、かりにそうでないとしても、委員間の言葉のやりとりに至るまで詳細に公表することを許した趣旨ではないと解すべきである。

のみならず教育委員会は、本来一般行政から独立した行政機関で、その自主性が保障され、政治的中立性が要求されるのに、原告は敢えて教育委員会の諸々の内部事情につき私見を加えてこれを一般に発表したものであつて、国会議員、市会議員の行為に類し、一種の政治活動と目するに防げなく、又右印刷物の頒布行為は教育委員会の信用を失墜させ、さらには一般行政からの独立を危殆ならしめるものと謂うべきである。よつて原告は地教法に定める職務上の義務上の義務に違反し委員たるに適しない非行をしたものというべきである。

(三)  寝屋川市においては昭和三九年八月から同年一一月までの間に寝屋川市長解職直接請求運動(いわゆる市長リコール運動)が行なわれたところ、その頃原告はその主唱団体であり且つ政治団体である民主自治擁護連盟の会長訴外織田佐太郎に加担し、同人と同行して行政監察局に赴き、前期の市立西幼稚園の定員問題、成美幼稚園新設問題等について調査方を申出で、また同年九月ごろ教育委員の地位を利用し、一回は同訴外人を伴い他の一回は単身で、府立寝屋川高等学校々長方を訪れ、同校体育館をリコール運動の会場として借用するための交渉をなし、更に原告の妻をしてリコールの署名運動をなさしめた。このような行為は積極的な政治活動であつて、地教法にいう職務上の義務違反となることは明らかである。

(四)  原告は教育委員の互選により昭和三九年一二月五日教育委員会の教育委員長に選任されたが、一部の市会議員に対し、就任挨拶をした際、原告が教育委員長に選任されたのは市議会の文教民生常任委員長である訴外山崎源太郎の要望によるものである旨述べた。原告の右のような発言は教育委員会の自主性を否定しその威信を失墜するものであり、且つ教育委員会全体の不名誉となる行為であつて、地教法にいう教育委員たるに適しない非行であるというべきである。

六、以上のとおり、原告を罷免すべき理由は十分存したのであつたが、被告市長はなお原告の地位を考慮し、教育長その他の者を介し原告に対し教育委員を辞職するよう勧告したが、原告は頑として勧告に応じなかつたのでやむなく罷免に及んだ次第であつて、本件罷免処分にはなんらの瑕疵もない。

原告訴訟代理人は、被告らの抗弁に対して、次のとおり述べた。

(イ) 被告ら主張四の点について

原告の教育委員としての任期が被告らの主張のとおりであることを認める。

しかしながら、たとえ現在において教育委員としての地位を回復できないとしても、原告が失つた社会的信用名誉等は罷免処分取消によつてのみ救済され得るものであるから、本訴は訴の利益が欠くものではない。

(ロ) 被告ら主張の五の(一)の事実について

被告ら主張のように、被告市長より西小学校の敷地の一部の提供方の要望があり、被告ら主張の日に市教育委員会がその主張のような決定をしたこと、原告が右小学校々長に面接したことは認めるが、原告が同校長に対し被告市長の要望を拒絶するように示唆したとの点は否認する。

同校々長訴外南政治は原告の教え子であつたので、同校の敷地提供の件について同校長が市民から非難を受けてはならないと考え、同校長に対し慎重に考慮して回答するようすすめたにすぎない。

(ハ) 被告ら主張の五の(二)の事実について

寝屋川市における昭和三八年度の市立幼稚園児の募集に際し、市立幼稚園において定員二〇〇名のところ二四九名の応募者があつたこと、昭和三八年二月五日の委員会で園則改正の件が審議され、昭和三八年度においては暫定的措置として応募者全員を入園させる旨決定されたことは認めるが、同年六月二一日の市議会開催当時、私立幼稚園の設置場所が教育委員会において決定されていたとの事実は否認する。

教育委員会では、前記のような市立西幼稚園の応募状況にかんがみ同年一月二六日および同年二月五日の委員会において市立幼稚園々則の一部改正に関する件について審議したが、採決はなされていない。原告は園則を改正することなくして定員以上の園児を入園させることはできない旨主張して極力反対したが、結局右二月五日の委員会において昭和三八年度においては暫定的措置として全員入園許可する旨多数決で決定された。然し、新設幼稚園の設置場所については何ら決議がなされず、同年七月一六日の委員会においてようやく決定されたものなのである。

原告が昭和三八年六月一四日の文教民生常任委員会に出席した上被告ら主張のような発言をしたとの事実主張は正確でない。原告は同月二一日開催の市議会を傍聴していたところ、教育委員長訴外中東三男造が、新設幼稚園の設置場所を成美地区とすることは教育委員会において決定している旨発言していたので、原告はこれに驚き議会外で昼食時において、教育委員会においては新設幼稚園の設置場所は未だ決定していない旨の話をしたことがあるのにすぎない。

したがつて原告の右の発言は教育委員会の決定に反するものではない。

昭和三八年六月二二日開催の教育委員会の定例委員会において、原告の文教民生常任委員会における発言が誤りであることが確認され、その際他の委員が原告に反省をうながしたとの事実は争う。

原告が二回にわたり市立幼稚園の定員増加および一園新設等の問題に関しガリ版刷りの文書を配布したとの事実は認める。

当時一部の市民の間で原告が教育委員会の決定を無視したとか委員会の反省要求にかかわらず反省しないとかの誤つた取沙汰がなされるに至つたので、原告は事の真相を明らかにすることが必要であり、また教育委員としての責務であると考え、印刷物(甲第五号証)を作成してこれを少数の知人に送つた。しかも右書面に記載の事実をみだりに世間一般に吹聴されないよう配慮してこれに〈秘〉と記載しておいたのである。ところが寝屋川市内で発行されている大阪政経新聞および守口市内で発行されている大阪府通信なる新聞に原告を誹謗する記事が掲載され、右の問題が世間一般の了知するところとなつたので、その真相を明らかにする目的を以て更に別の印刷物(乙第一号証の一)を作成してこれを被告市長、市議会議長に届け、また市会議員に送付したのである。

被告らは原告が秘密を守る義務に違反した旨主張するけれども、寝屋川市教育委員会規則第七条には教育委員会の会議は原則として公開である旨規定せられており、公開が禁止されたことはなく、その傍聴や会議録の閲覧は自由であつたから、原告の頒布した文書の記載内容は地教法第一一条第一項に規定する秘密に該当するものではない。

(ニ) 被告ら主張五の(三)の事実について。

原告は民主自治擁護連盟(市民有志の任意団体であり、政治団体ではない)の世話人の一人である訴外織田佐太郎から、府立寝屋川高校の体育館をその講演会場として使用したいので同高校の校長を紹介してほしい旨依頼され、同訴外人を校長に引き合わしたことがあるが、これは被告ら主張のリコール運動の開始される以前である昭和三九年六月一六日のことであり、原告の行為は右運動とは何の関係もない。原告はまた昭和三九年一月一三日付書面を以て近畿行政監察局に対し、教育委員会で成美幼稚園の新設が決定していなかつたにかかわらず教育委員長が市議会で幼稚園の設置場所は成美地区に決定している旨言明し、これを強行した不当な措置について調査方願い出たことはあるが、これはリコール運動とは関係がない。その余の被告ら主張事実はすべて否認する。

(ホ) 被告ら主張五の(四)の事実について

原告が、被告ら主張の日に教育委員長に選任された事実は認めるが、原告がその就任挨拶の際被告ら主張のような発言をしたとの事実は否認する。

(ヘ) 被告ら主張六の事実について。

被告市長が原告に対し、教育委員長を辞任するよう勧告したとの事実は否認する。

(証拠関係)

原告訴訟代理人は、甲第一号証の一、二、第二ないし第八号証を提出し、証人南政治、同織田佐太郎の各証言ならびに原告本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の一、一第五号証の一ないし三の成立は認める。同第四号証の一中寝屋川市教育委員会教育長官宮瀬清名下の印影が同人の印章によるものであることは認めるがその余の部分の成立は不知、その余の乙号各証の成立はいずれも不知と述べた。

被告市長訴訟代理人は、乙第一第二号証の各一、二、第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし三を提出し、証人南政治、同中東三男造、同森本重徳、同斉藤重典、同塩川好治、同竹井修の各証言ならびに被告市長本人兼被告寝屋川市代表者尋問の結果る援用し、甲号各証の成立はいずれも認めると述べた。

理由

一、被告市長は、本件取消訴訟の係属中原告の教育委員としての任期が満了したので原告は本件罷免処分の取消を求める訴の利益を有しない旨主張するのでまずこの点について判断する。

原告の市教育委員たる地位を将来に向つて回復させる余地はない。しかしこのことの一事により直ちに訴の利益が失なわれるものとみるべきでなく、特に教育委員は特別職の地方公務員として条例で定める金額および方法により報酬の支給を受ける権利を有し(地方自治法第二〇三条)、罷免処分の取消を得ない限りは報酬請求をする途がないから、少くともこの点で訴の利益のあることが明白である。よつて被告市長の前記主張は理由がない。

二、原告が昭和三六年一一月二五日、被告市長より市教育委員会教育委員に任命されたこと、被告市長が昭和三九年一二月二一日付を以て、原告が地教法第七条第一項に該当するとし、市議会の同意を得たうえ、教育委員を罷免する旨の処分をなしたことは当事者間に争いがない。

三、被告らは原告に地教法第七条第一項に規定する職務上の義務違反および教育委員たるに適しない非行があつた旨主張し、原告はこれを争うので判断する。

(一)  被告市長が市教育委員会に対し寝屋川市立西小学校敷地の一部を市の消防署用地として提供してほしい旨の要望をしたこと、教育委員会が昭和三七年一〇月二〇日の委員会において右要望について協議し、敷地の提供は一応差支えないが同校校長の意向を確かめたうえ、市長に回答するという決定をしたこと、原告が同校長に面接したことは当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実に成立に争いのない乙第五号証の一、一、証人南政治、同中東三男造、同森本重徳の各証書ならびに原告本人および被告市長本人兼被告市代表者各将問の結果を綜合すると、教育委員会としては敷地提供の件について最終的に意思を決定したものではなく、その場所、坪数等よりみて一応差し支えないように考えられるが、学校長の意向が大事であるから校長に対し公文書で意見を聞きその回答があつた後決定しようということを取り定めたものであること、原告はその際格別反対の意見を出さなかつたが、同校々長訴外南政治は自分の教え子であつたし、日頃から懇意にしていたので同校長が他から不評を買うことになつてはならないと考え、同校長が教育委員会に回答する以前にその自宅を訪れ、市長の要望だからとて軽々に承諾を与えることなく、学校運営上支障がないかまた父兄の要望を無視することにならないか等について慎重に考慮したうえ回答するよう進言したにすぎないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

してみれば、敷地提供の件に関しては、各教育委員が一応賛成意見を開陳したにとどまり教育委員会としての意思は未だ決定されておらなかつたと見得るばかりでなく、原告は学校長に慎重に考慮の上回答すべき旨進言したにとどまり必ずしも敷地提供を拒否することをすすめたのでもないから、原告の右行為を以て直ちに職務上の義務に違反したものというのは当を得ないし、また教育委員たるに適しない非行であるともいい得ないところである。

(二)  次に昭和三八年度の寝屋川市立幼稚園児の募集に際し、市立西幼稚園においてその定員が二〇〇名のところ二四九名の応募者があつたこと、昭和三八年二月五日の委員会で園則改正の件が審議され昭和三八年度においては暫定的措置として応募者全員を入園させる旨決定されたこと、原告が市立幼稚園および一園新設等の問題に関し二回にわたりガリ版刷りの文書を作成してこれを他に配付したことは当事者間に争いがない。

そして、右争いのない事実および成立に争のない甲第三ないし第六号証、同第八号証、乙第一号証の一、二、同第五号証の一、一、(前掲)、証人中東三男造、同森本重徳、同斉藤重典の各証言ならびに原告本人および被告市長本人兼被告市代表者尋問の結果を綜合すると、次のとおりの事実を認めることができる。

(1)  寝屋川市においては市立幼稚園として西幼稚園と北幼稚園とがあつたが、昭和三八年度においてその定員を上廻る応募者があつたところ(市立西幼稚園においては前記のとおり。市立北幼稚園においてはその定員一二〇名を一七名上廻る一三七名の応募者があつた)市教育委員会は昭和三七年一二月一一日の定例委員会においてすでに定員超過を予想してその対策について協議し、委員の間では、市立幼稚園を人口増加の顕著な成美地区(市内西部)に一園新設することが望ましく、当分の間成美小学校々舎の一部を借り西幼稚園の分校のような形で発足させてはどうかというような意見が強かつたけれども、原告は明和地区はどうかと述べ、また幼稚園の新設は市全体の問題であるので慎重に調査をした上で決定すべき旨主張し、意見が一致しなかつたが、結局教育委員長訴外中東三男造は、新設の問題、分校形式か独立校形式か等の問題は市理事者とよく話し合う旨述べた。次いで昭和三八年一月二六日の臨時委員会においては、すでに定員を超過する応募者のあつたことが判明していたので、市立幼稚園々則を改正し西幼稚園の定員を二〇〇名から二四〇名に増加させる議案が提出され、同幼稚園の遊戯室を間仕切り一学級増設することが論議されたが、結局園則改正の件は市理事者と意見交換した上で、次期委員会で再度提案することとされた。次期委員会である同年二月五日、教育委員長は、市長に対して市立幼稚園を一園新設すべき旨の申し入れをしたところ市長は昭和三八年度中に新設の意思があることを明言した旨を告げ、近く一園が新設されることが確実である以上園則を改正して定員を増加することは妥当でないから、昭和三八年度においては園則を改正することなく暫定的措置として応募者全員の入園を許可したい旨提案した。これに対し原告は、そのような措置は園則を自ら破るものであるから妥当でなく、昭和三八年度においては園則を改正して応募者を入園させ幼稚園の新設は昭和三九年度になすべきであると主張したが容れられず、多数決により委員者提案どおり可決された。

次いで同年五月一三日の定例委員会において昭和三八年度教育費予算編成の大綱を決定し、幼稚園の新設費を予算要求することとし、同月二七日の協議会において予算要求について協議がなされた際教育委員長は、新設幼稚園の敷地予定地は成美小学校の北隣でその敷地坪数は約七八〇坪である旨の説明をなし、また昭和三八年九月中に幼稚園を開園するためにも新設費は当初予算に計上してもらうよう理事者に要請すべきだとの意見を述べたが、委員長の右説明や意見に反対の発言をした委員はなかつた。

(2)  ところで、同年六月に臨時市議会が開催され、市立幼稚園新設に関する予算案が上程せられ、原告は同月二一日の市議会を傍聴していたところ、議会に出席していた教育委員長は、新設幼稚園を成美地区に設置することは教育委員会ですでに決定しているという趣旨の発言をしたので、原告は新設幼稚園の設置場所に関する議案がこれ迄教育委員会に提出されたことはなく、また採決の手続がとられたこともなかつたことから、教育委員長の発言は事実に反すると考え、同日の昼食時に食事を共にしていた議員に対し市内西地区に幼稚園を新設することは教育委員会において決定されておらない旨発言した。そのため文教民生常任委員長である訴外山崎源太郎は、同日午後の市議会において、新設幼稚園の設置場所について教育委員会内部で意思決定がなされているのかどうかと質問し、市理事者を困惑させるに至つたので、翌二二日の教育委員会の定例委員会において、原告の前記発言が問題とされ、教育委員長は、西地区の適当な場所に一園新設をすることが決まつてあればこそ予算要求をしたのであると主張し、原告は、新設はきまつていたが場所については決定されていない、これは議事録を見れば明らかであると応酬し、他の委員は議事録には書いてなくともその含みであつたと述べ、結局原告の六月二一日の発言に関し反省を求める動議が多数決により可決された。その後同年七月一六日の臨時委員会において、新設幼稚園の位置要望決定に関する件が議案として提出され、原告は全市にわたつて調査研究の上決定すべきであると述べて反対したが、多数の意見として、幼稚園の設置場所は市立成美小学校になるべく近く出来れば隣接している所、且つ公道に接し、最小六〇〇坪ある所を市長に要望する旨の決定がなされた。

(3)  ところで、六月二一日の原告の発言については、前記のごとく同月二二日の教育委員会において問題とされたほか、市当局や市議会関係者の一部において種々取沙汰されるに至つたので、原告は一般に誤解があるものとし、同年七月ごろ事実を明確にする趣旨を以て、教育委員会では新設幼稚園の設置場所が審議決定されていない旨、教育委員長は六月二一日市長室で「位置は決定している。記録をみてそうであればどうするか」などといつておきながら、同二二日の定例委員会では原告が記録の朗読を要求するのにこれに応ぜず、「市長選挙前であつたので位置を成美地区と明言することはできなかつたがその含みがあつたので、位置はすでに決定している」と言い張つて審議しようとせず、成美地区を委員会の決定として強要しようとしたが自分は承認することができない旨、西幼稚園は定員二〇〇名のところ四九名を超過した応募者全員を採用することを多数決で決定したが、これは教育的見地からも無謀であり、委員会は自ら定めた園則に自ら違反したことになる旨、原告がこれは市長選挙に関連するかと質問したところ委員長はこれを否定した旨(以上要旨)その他を記載したガリ版印刷の書面(甲第五号証)を作成し、さらにその内容がみだりに一般市民に伝播することを避ける意図を以てその右端上部に〈秘〉と表示し、これを市長、助役、市議会正副議長および市議会議員のうち知人数名に配布した。ところがその後大阪政経新聞および大阪時事通信なる新聞が原告と異なる見解に立ち、原告を誹謗する記事を掲載したため、さらにその真相を明確にする必要があると考え、昭和三八年二月五日の定例委員会および同月一九日の臨時委員会における審議の状況を主にその議事録から抜萃して詳細に説明した上、教育委員会としては六月二一日当時新設幼稚園の設置場所を決定していなかつたことを強調し、教育委員長の市議会における発言および原告に態度を非難すると共に、教育委員会自らが園則違反を犯すようでは児童、生徒に順法精神の教育ができず、四九名の園児は無籍となると共にこれら園児の施設費の負担に問題がある旨、幼稚園の新設位置を決定するには市全体にわたつて調査研究すべきところ教育委員会はこれをしておらず、最初から特定の位置に限定して新設を考えるが如きはおよそ委員として考えられないことであり、市の教育委員か成美地区の教育か問いたくなる旨(以上要旨)その他一般に右幼稚園問題について教育委員長の態度や教育委員会の運営を非難する趣旨を記載したガリ版印刷の書面(乙第一号証の一)を作成してこれを被告市長および市議会議員全員に配布した。

以上のとおり認めることができ、右認定に左右するに足る証拠はない。

考えるに、合議体の意思は合議体を構成する者の多数の意見の合致によつて成立するのであり、件名を附した議案の提出とか議事録への記載とかのことは必ずしも絶対の要件ではないのみならず、幼稚園の建設の如きは市理事者との接衝、費用の予算化、敷地の買収等の段階を経て徐々に具体化するものであつて、昭和三九年六月二一日当時教育委員長が新設幼稚園の設置場所を成美地区とすることについて他の教育委員の黙示の賛成を得たと信じたことは無理からぬ点もあるが、右に認定した審議の状況および経過の限りでは当時教育委員会の正式意志決定があつたとみることは困難であるから、原告の前発言を以て教育委員会の決定に反する言動であると謂うことはできない。仮に同年六月二一日当時教育委員会の意思が黙示的に決定していたものと見るべきであるとしても、新設幼稚園の設置場所に関する案件が教育委員会に正式議題として提出され採決されたようなことはなかつたことは前記のとおりであつて、その限りでは原告の発言は事実に反するといえないし、また原告としては、正式に議案として提出され採決されていない以上教育委員会の意思は未だ決定されていないと信じ前記の発言をしたことが認められるから、原告の行動を以て直ちに職務上の義務に違背したもの若しくは委員たるに適しない非行があつたものというに足りない。

次に教育委員は地教法第一一条第一項により職務上知ることのできた秘密を漏らすことを禁止されており、その秘密を漏らす行為は同法第七条第一項に定める職務上の義務の違反になるものと解せられる。しかしながら、原告が二回に亙り市政担当者その他に配布した文書に記載せられた事項は、幼稚園々児の定員、新設幼稚園の設置場所、その時期等に関する教育委員会での審議の状況であつて、一般に了知されることにより教育委員会の行政遂行上支障を生ずべき性質の事項でないのみならず、前掲甲第六号証によると、寝屋川市教育委員会会議規則第七条には「会議は公開する但し、委員の発議により議決したときは、この限りでない」との規定があり、前掲乙第五号の一、二によると、右文書に記載の教育委員会での審議はいずれも非公開の議決をすることなく行われたものであることが認められるから、前記文書に記載された事項は地教法第七条第一項にいう秘密にあたらないものと解するのが相当である。もつとも、前掲乙第五号証の一、二によると右審議の際実際には傍聴人はなかつたことが認められ、教育委員長や他の教育委員はそれを前提にして発言したことを窺うに難くなく、原告の行為はいささか信頼に反する感があるが、これは個人的、徳義的の問題であると考えられ、前記文書に記載された事項が法律にいう秘密でないとの判断を左右するものではない。

また教育委員は地教法第一一条第五項により積極的に政治運動を行うことを禁止されており、その違反は直ちに同法第七条第一項の職務違反となるものと解せられるが、原告の前記文書頒布行為は一般通念上政治運動の範疇に入らない行為であると解するのを相当とする。

次に、教育委員会は一般行政から独立した行政機関で、その構成委員たる教育委員は各自自由に意見を表明し、多数決により合議体としての意思を決定してゆくのであるから、各委員の不一致そのものはやむを得ないところであり、秘密事項に関するものでない限りは意見の不一致が市政担当者その他に知れたとて教育委員会の信用とか独立の問題に影響するものでない。ただ然し、会議における委員の応酬の模様まで記載したガリ版刷りの文書を他に配布するような行為は穏当とは考えられず、必要以上に委員会の運営を不円滑ならしめるものと謂うべきであるが、原告が委員の応酬の模様を記載し若しくは議事録からの引用をしたのは教育委員長や他の教育委員の措置、見解の正当でない所以を具体的に根拠を示して明らかにするためであつたと認められ、いささか感情に走つた措辞もないではないが、全体としては右の趣旨は書面に現われており、文書を配布した相手方も、市長、市会議員、知人等一応一定の範囲に限られているのであるから、右文書の配布行為を以て直ちに教育委員会の信用を失墜する行為あるいは一般行政からの独立を危殆ならしめる行為とまで評価することは当を得ないと謂うべきである。

以上を要するに新設幼稚園の設置問題に関し、原告に委員としての職務上の義務違反や委員たるに適しない非行があつたとは謂い難いところである。

(三)  原告が訴外織田佐太郎に依頼され寝屋川高等学校体育館を使用させる目的で同人を右高等学校々長に紹介したこと、原告が行政監察局に対し市立幼稚園の位置決定問題につき調査方願い出たことは当事者間に争いがない。そして成立に争いのない甲第七号証、証人織田佐太郎、同塩川好治、同竹井修の各証言ならびに原告本人および被告市長本人兼被告市代表者各尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると寝屋川市においては昭和三九年八月二一日から同年一一月二〇日まで訴外織田佐太郎の主宰する政治団体である民主自治擁護連盟(以下民擁連という)が主唱団体となり、市長解職直接請求運動(いわゆる市長リコール運動)が行なわれたこと、右リコール運動が開始される約二カ月前原告は民擁連の前身である市政研究会を主宰していた前記織田から、府立寝屋川高等学校の体育館を右研究会の集会場として使用したいので自分を校長に紹介してほしい旨依頼を受け、同訴外人を伴い同校長の自宅を訪れ紹介をしたこと、原告の妻が前記リコール運動の期間中署名運動をしたこと、原告が昭和三八年暮ごろ近畿管区行政監察局に対し書面で市立幼稚園の定員問題、新設幼稚園問題等に関し調査方申立をしたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。また証人塩川好治、同竹井修の各証言および被告市長本人兼被告市代表者尋問の結果によれば、原告の妻はリコールの署名を求めにまわり、「主人は教育委員をしているからできないので、自分がまわつている」というような趣旨のことを述べていたことが認められる。

しかしながら、原告がリコール運動に賛成であつたとしてもそれが直ちに政治運動となるものではないし、原告の妻の右の言葉は、夫は教育委員で政治運動をすることはできないけれどもリコール運動に賛成であり、自分は政治運動をすることができるので自分の行為として署名を求めにまわつているという趣旨にも理解することができるし、妻の政治運動を直ちに夫の指示命令に基くものと認めることはできないから、前記の事実から原告が妻をリコールの署名運動をなさしめたと認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠がない。また市政研究会が集会場として高等学校の体育館を借りようとした際原告が校長に対する紹介の労をとつたことは前記のとおりであり、原告として右集会が政治的目的のために行なわれることは知つていたものと推認し得ないではないが、右程度のごとき行為は積極的な政治運動ということはできない。また行政監察局に対する調査の申立の如きは、ほんらいその機関に属する行政権限の発動を促す行為たるにすぎないと共に、その申立の時期、内容よりみるもリコール運動との直接の関連を認め難く、積極的な政治運動とは到底認めることができない。

(四)  原告が昭和三九年一二月五日に市教育委員会教育委員長に選任されたことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない乙第五号証の三、証人斎藤重典の証言によつて成立を認め得る同第四号証の二、証人斎藤重典の証言、被告市長本人兼被告市代表者尋問の結果中に、原告が一部市会議員に対する就任挨拶の際原告が教育委員長に選任されたのは文教民生常任委員長山崎源太郎の要望又は尽力によるものである旨述べた趣旨の記載又は供述部分があるが、これらの証拠は、伝聞にかかるものであると共に原告の発言内容に関し具体性を欠き、原告本人尋問の結果に対比してにわかに措信し難く、他に原告がそのような趣旨の拶挨をした事実を認定するに足る証拠はない。もつとも原告本人尋問の結果によれば、前記中東教育委員長は昭和三九年九月頃退任し、その後教育委員長の席が空席であつたところ、市議会の文教民生常任委員長であつた訴外山崎源太郎は同年一二月五日教育委員会の審議が始まる前に教育委員等に対し教育委員長を早くきめてほしい旨要望し、同日の委員会で教育委員の互選により原告が教育委員長に選任されたことを認めることができ、また前記乙第四号証の二、同五号証の三および証人斎藤重典の証言によれば、原告が被告ら主張のような趣旨の挨拶をしたとして同年一二月二〇日他の教育委員全員から不信任決議ないしは辞任勧奨を受けた事実を認めることができ、これらの事実によれば、原告が教育委員会外で自己の教育委員長就任に関し何らかの発言をしたものと推認し得られないではないが、その発言内容を具体的に認定し得ないこと前記の如くであり、もし原告が前認定のような一二月五日の選任経過だけをのべただけのことであるならば、教育委員会の自主性、威信あるいは名誉に影響がないこというまでもない。

四、以上の如くであつて、本件罷免処分の理由となつた地教法第七条第一項にいう職務上の義務違反もしくは委員たるに適しない非行があつたとの事実は遂にこれを認めることができない。もつとも原告の言動の中には穏当を欠くものがないではなく、必要以上に教育委員会の運営を不円滑ならしめたことは否めないが、一旦教育委員に選任せられた以上はその身分は法の一般的保障を受けることはいうまでもないところである。よつて本件の罷免処分は、罷免理由に該当すべき事実がないのにこれありとしてなされた瑕疵があつて、取消を免れず、原告の被告市長に対する請求は理由がある。

五、よつて次に原告の被告市に対する損害賠償の請求について判断する。

本件罷免処分が罷免に値する事由なくしてなされた点に瑕疵があり取消を免れないことは前判断のとおりであるが、このことから直ちに本件罷免処分が国家賠償法第一条にいう違法な行為となるものでないこというまでもない。けだし右条文にいう違法とは、国民の私的権利、利益の侵害という面からみた場合における公権力の不当性の判断にほかならず、行政上の法律要件事実の欠缺の判断とは直接係わりがないからである。そして公務員に対する罷免処分が国家賠償法に定める違法行為を構成しその名誉、信用の侵害となり得るためには、ただ単に罷免処分を行なつた旨本人又は第三者に告知するにとどまらず、虚偽の事実を公表し又虚偽でなくともことさらに不名誉となるべき事実を発表するなどして、本人の社会的に承認された評価を低下させる行為のあつたことを必要とするものと解すべきである。

被告市発行の寝屋川市公報に原告に地教法第一一条の規定に牴触する行為があり罷免につき市議会の同意を得た旨の記事が掲載され、右広報が一般市民に配布されたことは当事者間に争がなく、成立に争いのない甲第一号証の一、二、同第二号証、同第七号証(前掲)および被告市長兼被告市代表者尋問の結果によれば、被告市の代表者である市長は、昭和三九年一二月八日市議会で原告の罷免の同意を求めるに当り、

原告は、市立幼稚園の新設問題その他につき二回にわたり文書を以て教育委員会内部の機密事項を漏洩し、これは地教法第一一条第一項の秘密を漏らすことの禁止の違反となる旨、また原告は昭和三八年一二月二三日行政監察局に出頭して織田佐太郎の名前を以て西幼稚園定員問題、新設成美幼稚園問題について訴え、これは地教法の違反となる旨、更に原告は市長に対するリコール運動の際妻をして署名運動をなさしめ、これは地教法第一一条第五項の積極的政治運動の禁止の違反となる旨説明し、格別の異議をのべる者もなく市議会の同意が成立したので、同月二一日罷免を決定し、その頃原告に罷免を通知し、昭和四〇年一月一日付発行の寝屋川市広報の昭和三九年一二月市議会定例会議事内容記事中に「議案第六十四号寝屋川市教育委員会教育委員の罷免について同意を求めるについて本案は本市教育委員会委員森安茂一氏を地方教育行政の組織および運営に関する法律第十一条の規定に牴触したので罷免したく議会の同意を求めるものであり原案どおり同意」と記載し、右広報は市民の家庭全部に配布せられたことを認められることができ、右認定に反する証拠はない。

してみると、本件罷免処分の告知の方法は何ら妥当を欠くものでないし、市長の市議会における説明中、幼稚園設置問題等に関する文書の配布の点は客観的事実に合致し、むしろ原告自らその行為を正しとしていたところのものであつて、市長の説明はその内容に照らし法的見解の表明たるにすぎないから、これにより原告の社会的評価に影響があると認めることができない。また右市長の説明中、行政監察局に対する申告の事実は、原告が自らしたのに訴外織田佐太郎の名前でしたとした点に誤りがあり、リコールの署名運動の事実は、原告の妻が自らしたのに原告が妻をしてなさしめたとした点に誤りがあるけれども、行政監察局に対する申告とかリコールの署名運動とかの行為は、それ自体格別反社会的、反倫理的の行為でなく右程度の誤りの事実の告知が直ちに原告の社会的名誉、信用を毀損するに足るとは認め難いところである。他に原告の名誉、信用が侵害されたと認めるに足る証拠はない。

もつとも原告が本件罷免処分そのものにより精神的苦痛を受けたことは推認されないではないが、右苦痛は罷免処分の取消を得ることにより当然回復できるところであつて、慰藉料請求の原因となるべき精神的損害であると認めることはできない。

そうだとすると、原告の被告市に対する損害賠償の請求はその予の点について判断するまでもなく理由がない。

六、よつて原告の被告市長に対する請求を認容し、被告市に対する請求を棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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