大判例

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大阪地方裁判所 昭和46年(わ)992号 判決

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

本件勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

本件公訴事実中、死体遺棄ならびに保護者遺棄の点については被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、小学校四年限りで学業を放棄し、爾来家業である農業の手伝いをはじめとして職を転々とするうち、旅役者をしていた昭和四四年二月ごろ園元梅子と知り合つて内縁関係を結び、昭和四五年三月一〇日、女児千恵子の誕生をみたが、右出産に際し梅子の看護のため長期間休労したことにより当時の稼働先を馘首され、そのうえ居住していたアパートをも立ち退かざるを得なくなり、親子三人で被告人の実父方に一時身を寄せた後、梅子の姉婿の世話で職を得てアパートに移つたが、間もなく姉婿との間に不和を生じて右稼働先を離れ、その後職を探して歩き廻るうちに妻子ともども路頭に迷う有様となり、思い余つて一度は右千恵子を実父方軒先に捨てたこともあり、日ならずして同児を手許に引き取つたものの、乳呑児を連れていては泊めてくれる簡易旅館もなく、映画劇場で一夜を過ごすなどの事態に追いやられた。かかる矢先、同年四月二七日夜、右千恵子を泣かせないことを条件に漸く大阪市境川方面の簡易旅館に宿泊することとなつたが、間もなく右千恵子が泣き出したためやむなく同旅館を辞し、千恵子がいるため宿にも泊まれず、住込みで働くこともできず、また、千恵子自身右足が曲っていて将来みじめな思いをするだろうから、いつそ捨て子をしようかと思い悩みながら雨中をさまよううち、同日午後八時三〇分ごろ、大阪市大正区泉尾浜通四丁目三二番地先空地で被告人が右千恵子を左手に抱きかかえてミルクを飲ませようとしたところ、千恵子が一旦口に含んだミルクを吐き出して泣き続けたので、これに激昂した被告人は、右手に持つていたミルク約一五〇CC入りのビニール製ほ乳瓶の底に近い胴体の部分で同児の頭部を一回強打し、さらに同児を捨てるために同地点より西方約九〇メートルの鋼管野積場に至つた際、再び泣き出した同児を上下に二、三回強くゆさぶつて暴行を加え、よつて同児に対し脳震盪および脳腫脹の傷害を負わせ、右傷害に基づく急性脳機能麻痺によりその頃右同所において同児を死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)〈略〉

(弁護人の主張に対する判断および無罪の理由)

本件公訴事実中、「被告人は、昭和四五年四月二七日午後九時ごろ、判示銅管野積場において、右千恵子の死体を放置して立ち去り、もつて同死体を遺棄したものである」との本位的訴因および「被告人は、右日時場所において瀕死の重傷を負つた同児に対し、父親としてこれを保護し、救護の措置を講ずべき責任があるのにかかわらず、何ら救護の措置をとることなく同児をその場に置き去り、もつてこれを遺棄したものである」との予備的訴因につき、弁護人は、検察官は同児の死亡時期について確証がないのに右訴因につき公訴を提起し、択一的に処罰を求めようとするもので、右公訴提起は公訴権の濫用であるから公訴棄却の判決がなされるべきである旨主張するので判断するに、判決で公訴を棄却すべき場合を定めた刑事訴訟法三三八条四号は、公訴権の濫用の場合にも適用されたものと解する余地がないではないが、右にいう公訴権の濫用とは、犯罪の嫌疑のないことが明白であり、或いは有罪判決を得られる証拠がないことが明白であるのに、検察官が何らかの不当な意図をもつてことさらに公訴を提起した場合を指称するものと解すべきところ、本件においては、犯罪の嫌疑のあつたことは明らかであり、また結果的には後記のとおり証明不十分に終つたとはいえ、有罪判決を得られる証拠がないことが明白である場合には該当せず、また検察官が不当な意図をもつてことさらに公訴を提起したものというべき形跡もないから、前記の如き公訴権の濫用があつたものということはできない。そこで進んで右訴因の成否につき検討するに、前掲各証拠によると、右両訴因に共通の外形的事実、即ち、被告人が昭和四五年四月二七日午後九時ごろ、千恵子を前記鋼管野積場に放置して立ち去つた事実は明らかにこれを認めることができるが、右両訴因の罪が成立するには、さらに本位的訴因についてはその際同児が死亡していたこと、予防的訴因については生存していたことを要するので、この点につきさらに検討するに、被告人の司法警察員に対する昭和四六年三月二四日づけ供述調書ならびに検察官に対する同日づけ供述調書によれば、被告人が前掲ほ乳瓶で同児を強打した後も同児は目をキヨロキヨロさせながら首を左右に動かしており、右野積場に至つた際、再び泣き出したので同児を上、下に二、三回ゆさぶつたところ同児は泣きやんでぐつたりとなつたので、被告人は、同児を付近の地上に置いて立ち去つたことが認められるが、右のように同児がぐつたりとなつた際、同児が死亡していたものかそれとも仮死状態にとどまつていたかはにわかに解明し得ず、従つてまた、被告人が同児を地上に置いて立ち去るまでの間の同児の生死も明らかでなく、この点は前掲鑑定書および検察官作成の電話要旨聴取書の各記載によるもこれを明らかにし得ないし、同児を置き去りにした際同児が生存していた旨の被告人の当公判廷における供述もこの点についての前掲供述調書中の被告人の供述に照らしにわかに措信することができない。従つて、右各訴因の犯罪時における同児の生死は不明ということにならざるを得ないが、このような場合、右両訴因につきいずれも証明が十分でないものとして無罪の言渡をすべきものか、それとも、二者のうちいずれか一方の訴因が成立することは間違いないものとして択一的に或いは被告人に有利な訴因につき有罪の認定をなすべきかは困難な問題であるが、現行刑事訴訟法上の挙証責任の法則に忠実である限り、後者のような認定は許されないものと解すべきであるから(平野龍一外一名編実例法学全集刑事訴訟法四五八頁以下参照)、右各訴因についてはいずれも証明が十分でないものとして無罪の言渡をするほかはない。

よつて刑事訴訟法三三六条後段により右両訴因については無罪の言渡をすることとする。

以上の理由により主文のとおり判決する。(角敬 佐々木条吉 下司正明)

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