大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

大阪地方裁判所 昭和60年(わ)2247号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和六〇年五月二日午後七時ころ、大阪市生野区巽西二丁目四番三三号の自宅において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤結晶約〇・〇六グラムを水に溶かして自己の身体に注射して使用したものである。」というのである。

しかしながら、当裁判所は、左記の理由により、本件公訴事実については犯罪の証明がないとの結論に達したものである。

二1(保護手続の違法性について)

(一)  被告人、証人岡田一志(後記信用しない部分を除く。)及び同山口勝弥の当公判廷における各供述によれば、次の各事実が認められる。

(1)  昭和六〇年五月三日午前三時前ころ、被告人は、初対面の山口勝弥に対し、大阪市天王寺区の大阪教育大学正門付近で、同人の運転する自動車に乗せて自宅まで送つて欲しい旨を執拗に頼んだところ、山口はやむなくこれに応じて車に乗せ、被告人の指示する場所(源ケ橋)付近に来ると、被告人があいまいな指示を繰り返したため約二〇分間、右付近を運転することになつた。その間、被告人は、山口に対し「ホテルに泊る金を貸してくれ。」とか、着てもいない「背広を置いていくから金を貸してくれ。」とか、「家へは帰らん。」などと金員を要求するような内容や意味不明の言葉を発していた。

(2)  山口は、被告人の異様な言動から早く逃れたいと思つていたところ、同日午前三時三〇分ころ、大阪市生野区巽西二丁目四番三三号先路上で警ら中の警察官(岡田一志及び出葉秋芳の両名)を見つけたので、直ちに車を止め、車から降りて、両人に対し、「ちよつと変な人がいるので見てくれませんか。」と言つて助けを求めた。

(3)  右岡田及び出葉の両警察官は、事情を聞くため右自動車のところへ行き、被告人に降車するよう指示したが、被告人は「俺は何もしてへん。」などと言つて容易に降りようとせず、しばらくの間、意味不明の言葉を言つたりしていたが、やがて降車し、その際、求めに応じて、氏名と住所を答えた(証人岡田の当公判廷における供述によれば、同人はこの時点で氏名等を聞いておらず、後に、覚せい剤使用の疑いを抱いてから氏名等を確認したとの部分があるが同人は右降車の時点で職務質問を開始しようとしたことが認められるのであり、その場合には、まず、被質問者の氏名、住所等を聞き出そうとするのが通常であるというべきところ、これを否定する同証言は信用できない。)。そこで、出葉は、パトカーの無線で氏名照会をすることになつた。

(4)  右岡田は、被告人の山口に対する言動が脅迫に該当する疑いもあると考えていたので職務質問をしていたところ、被告人は、右質問に対しては、比較的おとなしく答えていた。その後、パトカーから戻つて来た出葉が岡田に対し、氏名照会の結果として、被告人に覚せい剤の前科があることを伝えたため、岡田は被告人に対し、腕を見せてくれとか、所持品を見せてくれと言い出したため被告人は、覚せい剤は関係がないと言つて、これを拒んだところ、岡田や出葉が無理にその衣類をめくろうとしたので、被告人は「やめんか。」などと大声で言つて抵抗した。しかし、結局、岡田に衣類をめくられ、注射痕を発見された(証人岡田の当公判廷における供述には、たまたま被告人の袖がめくれあがつて注射痕が見えたとの部分があるが、司法巡査作成の写真撮影報告書――昭和六〇年四月三日付となつているが、同年五月三日付の誤記と思われる。――によれば、被告人の衣類は長袖で腕にぴつたりと密着する感じのものであるところ、これをめくりあげるには、誰かが意識的にめくりあげる行為をしなければならないと思われること、及び、岡田が被告人に対し、覚せい剤取締法違反に対する何らの容疑も抱いていない段階で、袖がたまたまめくれあがつた瞬間に注射痕を発見しうるか疑問であること等に照らすと、むしろ、被告人に覚せい剤取締法違反の前科のあることを知るに及んで、岡田が、注射痕を発見しようとして意識的に衣類の袖をめくりあげたものと推測する方が自然であり、この点の右岡田の証言は信用し難く、被告人の当公判廷における右認定と同旨の供述を信用すべきである。)。

(5)  その後、岡田らは、被告人に対し、所持品検査をしようとしたところ、被告人は当初これに抵抗して、大声を出したりしたが、やがて、これを了承し、ポケット等からライター、ハンカチ等を取り出し、それらをパトカーのボンネットの方に投げつけたりした。

(6)  更にその後、岡田らが特に理由を告げずに被告人をパトカーに乗せようとしたため、被告人が抵抗してもみ合いとなり、そのため、岡田が出葉に対し、被告人に手錠をかけるように指示したため、被告人は、尚も大声をあげたり、相当抵抗したが、結局、二人がかりで後ろ両手錠(なお、被告人は前両手錠であつたと供述するが、記憶違いで、岡田証言のとおり後ろ両手錠であつたとみるべきである。)をかけられて、パトカーに乗せられた。

(7)  そして、右パトカーは、同日午前三時五五分ころ生野署に到着したが、その時点では、被告人はもはや暴れる気配もなく、被告人自身も暴れないから手錠を外して欲しい旨嘆願したため、岡田は、同署三階の廊下で手錠を外した。その後、被告人は、岡田らから靴や靴下、服を脱がされ検査を受けたあと、刑事課で脅迫の容疑で事情聴取をされ引き続き防犯課へ行き、覚せい剤取締法違反の事情聴取を受けた。なお、出葉は、被告人が刑事課で事情聴取を受け始めたころから、前記現場に出かけ覚せい剤関係の証拠収集に携つた。(証人岡田は、午前四時五〇分ころに至り、防犯課において、覚せい剤関係の事情聴取を開始したと供述するが、右服装検査は、右脅迫事件のものではなく、覚せい剤事件のものと思われるうえ、出葉も、直ちに、覚せい剤の補充捜査をしていることなどに照らすと、にわかに措信しえず、被告人が当公判廷で供述するように、生野署到着後、あまり時間が経過しない時期に防犯課へ移り、覚せい剤事件の事情聴取をしたものと認定した。)

(二)  以上の各事実が認められる。ところで、検察官は、警察官の右措置は、警察官職務執行法(以下「警職法」という。)三条にいう保護であると主張し、弁護人は、右措置は保護の要件を具備しないものであり、実質的には違法逮捕であると主張するので検討する。

(1) まず、被告人の前記認定のような挙動や言辞を、警職法三条一項一号の「精神錯乱又はでい酔」の状態(以下「精神錯乱状態等」という。)といえるかについてであるが、被告人は山口に対し、自宅まで送つて行つて欲しいと執拗に依頼はしているものの、自宅付近の目標地点を正確に告げており、また、自宅付近が一方通行路であることを認識したうえで道を指示していることも被告人の当公判廷における供述により認められるから、被告人が警察官に職務質問を受けるまでは、精神に不安定な面があつたことは否定しえないが、精神錯乱状態等にあつたとまではいうことはできない。次に、被告人が警察官から職務質問を受けた時点以降のことについてであるが、確かに、被告人は、大声で叫んだり、路上にかがみ込むようなことのあつたことは認められるが、右各行為は、前記認定のとおり、警察官からの職務質問や身体検査あるいは任意同行を求められた時に対応しており、いわば、これらに対する反発ないしは弁解あるいは逃避ないしは拒絶のための対抗措置というべきものであり、また、当初の職務質問に対し、被告人が正確に氏名、住所等を答えていること、生野署に連行直後には、警察官においても直ちに「保護」を解除しうる状態であつたことなどに照らすと、精神錯乱状態等にあつたと断定するには疑問なしとしない(証人山口の当公判廷における供述には、警察官の右措置を妥当とする旨の部分があるが、同人は、警察官が被告人に対し職務質問を開始した時点以後は、自己の自動車内にいたため、右状況を直接目撃したものではないこと及び右意見にわたる部分は、警職法三条の「保護」の当否に対するものではなく、自己への加害者たる被告人に対する警察官の措置についての判断も含まれていると解しうるのであり、直ちに採用するのは妥当ではない)。

(2) そこで警職法三条一項一号の「自己又は他人の生命、身体又は財産に危害を及ぼすおそれ」があるといえるかについてであるが、被告人の挙動は、右(1)のとおり、警察官の各行為に対応しているのであつて、精神錯乱状態等のためのものではなく、また、右行為も、危険を及ぼすおそれがあるとまではいえないから、右の要件に該当しないというべきである。

(3) 次に、警職法三条一項の「応急の救護を要すると信ずるに足りる相当な理由のある者」との要件について検討するに、前記(一)(3)で認定したとおり、被告人は、本件職務質問を受けた場所のすぐ近くに自宅のあることを答えているのであるから、警察官は、被告人の自宅を捜すなどして、被告人の家族らと連絡をとる余地があつたのに、直ちに生野署へ連行していること、「保護」の必要があつたのなら、直ちに救護すべきであるのに、所持品検査等をしていること、「保護」に値するとしながら、生野署に到着後、直ちに「保護」を解除しており、「保護」の時間は、わずか一〇分前後であること、そして、右解除の前後に、被告人の家族の者に連絡をとつていないこと、更に、解除直後に、脅迫等の容疑で事情聴取を行つていることなどの各事実に照らすと、右要件が具備していたと理解するには重大な疑問がある。

(4) 加えて、証人岡田の当公判廷における供述によれば、岡田は、本件措置につき、保護取扱簿(保護カード)を作成しておらず、その理由として、早期に「保護」を解除したことや保護室に収容していないことをあげていることが認められるが、本件措置が後ろ両手錠を伴なうものであつたことに照らすと、右手続上の問題は看過しえず、果たして、岡田が当初から、「保護」として取り扱う認識があつたのか、はなはだ疑問である。

(5) 最後に、岡田らは、「保護」の方法、手段として、被告人に対し、後ろ両手錠を施用している。いうまでもなく、後ろ両手錠は、通常の手錠の使用方法に比して強力苛酷であり、被施用者の身体の自由に対する制限は大きく、場合によつては危険性をも伴なうものであつて、特別の事情のない限り、用いることは避けるべきである。本件では、被告人がある程度抵抗を示していたことは窺えるが、警察官が二名いたこと、被告人の抵抗も警察官に対して直接向けられたものではなく、任意同行等を困難にさせるような態様のものが中心であつたことに照らすと、後ろ両手錠をした点も違法といわざるをえない。

(6) 以上の次第で、岡田らの「保護」手続は、警職法三条一項の各要件をいずれも具備しておらない違法なものであり、かつ、その方法、手段も違法であるといわざるをえない。

付言するに、岡田らの右「保護」措置は、前記認定の経緯及び後記認定のとおりの採尿手続の過程に鑑みると、覚せい剤事犯の取調べのために、正規の令状手続によらずに、生野署に連行したものではないかとの疑いを払拭しきれないものがある。

2(採尿手続の違法性について)

(一)  被告人の当公判廷における供述及び大阪府生野警察署長作成の鑑定嘱託書謄本によれば、被告人は、前記1(一)(6)(7)で認定のとおり、生野署に連行され、その直後に手錠を外されたが、直ちに刑事課において、山口に対する脅迫等の容疑で事情聴取を受け、更に、防犯課へ移され、尿を提出するように説得を受けたが、被告人はこれに対し、帰宅したい旨言つたところ、警察官から、尿を出すまでは帰さない旨言われたため、その後は、むしろ自ら排尿しようとして、午前四時ころから午前九時すぎころまでの間六回位便所へ行つたが、排尿できなかつた。この間、被告人は、警察官による特に厳しい監視下にあつたとまではいえないが、被告人が直接近親者へ電話連絡をとることは許されず(証人金忠玉の当公判廷における供述によれば、同人は被告人ではなく、警察官から電話を受けたことが認められる。)、結局、前記連行から約五時間後である午前九時五分ころに至り排尿し、右尿を提出したことが認められる(右認定に反する証人岡田の当公判廷における供述は信用できない。)。

(二) 右事実によれば、警察官において、採尿手続自体に強制力を行使したということはできない(被告人は、便所内で、警察官から暴行を受け、排尿を迫られた旨供述するが、前記手錠等の弁解と異なり、当公判手続の途中から唐突に供述するに至つたことに照らすと、必ずしも信用できない。)が、前記1で判断したとおり、適法な令状によらないで、後ろ手錠をされてパトカーに乗せられ、生野署に連行されるという極めて重大な違法手続に引き続く採尿手続であること、しかも、右連行の時刻が午前四時少し前ころという時間帯であること、警察官の説得から排尿まで約五時間余り経過していること、その間、被告人の近親者らと、直接、電話連絡をとることも許されていなかつたこと等に鑑みると、任意なものとはいえず、違法な強制連行に基づく強制的効果の排除されないままの状態を直接利用しての採尿手続であり、右採尿手続は違法なものといわざるをえない。

3(鑑定書の証拠能力について)

本件鑑定書は、右採尿手続により領置された尿を鑑定したものであるところ、右採尿手続前になされた前記連行手続は、短時間といえなくはないが、極めて強力な手段、方法たる後ろ両手錠を用いていること及び警職法三条一項の「保護」の各要件を全く具備していないものであつたことに照らすと身体の自由に対する極めて重大な違法手続であり、かつ、警察官において令状主義を潜脱する意図があつたのではないかとの疑いを払拭できないものであること、右連行後の採尿手続は、深夜であるにも拘らず約五時間も警察署からの退出を事実上許されていなかつたものであること等に鑑みると、右採尿手続の違法の程度は、令状主義の精神を没却するような重大なものといわざるをえず、更に、右各事情に鑑みれば、本件鑑定書を証拠として許容することは、将来における違法な捜査の抑制の見地からしても相当ではないというべきである。従つて、本件鑑定書の証拠能力は否定されるべきである。

三さすれば、本件においては、被告人が覚せい剤を使用したとの自白(取調状況についての被告人の当公判廷における供述は、信用しえず、証人植村三雄、同林幹雄の当公判廷における各供述により、その任意性には疑いはない。)はあるが、それを補強する証拠がないことに帰するので、結局、被告人の本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官古川 博)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com