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大阪家庭裁判所 平成8年(少)4700号 決定

主文

少年を大阪保護観察所の保護観察に付する。

理由

(非行事実)

少年は、B、C、D及びEとともに、原動機付自転車二台に分乗して走行中、平成八年一一月一二日午後一〇時二〇分ころ、大阪市平野区背戸口二丁目七番一五号先路上において、折から同所付近を自転車に乗って通行中のF(当時一四歳)、G(当時一五歳)、H(当時一五歳)及びI(当時一四歳)を認めるや、同人らから金員を喝取しようと企て、前記Bら四名と共謀の上、Fらを追い抜いて前記道路の交差点付近で待ち伏せし、その交差点に差し掛かったFらに対し、「待て。」と言って呼び止め、

1  「金持ってるか。」と聞いてきた少年に対し、Fが、「持ってない。」と答えたところ、少年において、「持っとったら殺すぞ。」などと語気鋭く申し向けて金員の交付を要求し、もしその要求に応じなければ同人の身体等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して同人を畏怖させて金員を喝取しようとしたが、同人が現金を所持していなかったため、その目的を遂げなかった。

2  Gに対し、Bが、「金なんぼ持ってんねん。正直に言えよ。」などと語気鋭く申し向けて金員を要求し、もしその要求に応じなければ同人の身体等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して同人を畏怖させ、よって、その場で同人から現金五〇〇〇円の交付を受けてこれを喝取した。

3  Hに対し、Cが、「お金持ってる。」と聞いた後、「なんぼ持ってんねん。」、「出せ。」などと語気鋭く申し向けて金員を要求し、もしその要求に応じなければ、同人の身体等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して同人を畏怖させ、よって、その場で同人から現金七〇〇円の交付を受けてこれを喝取した。

4  Iに対し、Dが、「金出せ。」などと語気鋭く申し向けて金員を要求し、もしその要求に応じなければ同人の身体等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して同人を畏怖させ、よって、その場で同人から現金九一〇円の交付を受けてこれを喝取した

ものである。

(事実認定の補足説明)

1  少年、B、D及びCは、各々本件非行への関与を否認しているので、同人らが本件非行の犯人であるかが本件の争点である。本件非行の各被害者は、捜査段階及び当審判廷において、恐喝された相手が少年らであることに間違いない旨おおむね一貫して供述しており、また、少年らと本件非行を敢行した旨の捜査段階でのEの供述も具体的かつ詳細であり、いずれもその信用性が高く、さらに、本件非行をBらとなしたとする少年の捜査段階での自白もその信用性が高いと認められる。これに対して、少年らの弁解は、変遷を重ねているのにその合理的な説明がなされていないなどその信用性に疑問があり、また、少年らの本件非行日の弁解と相反する少年の母親の捜査段階における供述が存在し、その信用性も高いと認められる。

2  本件記録から窺われる本件非行の概要及びその捜査の経過等は以下のとおりである。

(一)  G、F、H及びI(以下「Gら」と言う。)はいずれも、当時、高校受験を控えた同じ中学校の三年生であったが、平成八年一一月一二日、P学院という塾で各々勉強し、同日午後九時四〇分ころ勉強を終えて、四名一緒に塾を後にし、コンビニエンスストアーで買い食いなどした後、それぞれの自転車に乗って、Gが先頭に立ち、その余の三名がその後方でひとかたまりとなる形で帰宅していたところ、本件の非行現場近くにおいて、大きなエンジン音を響かせ、いずれも不良がかった男性三名と男性二名がそれぞれ乗った原動機付自転車(以下「原付」と言う。)二台がGらの後方から接近し、その右側を追い越して前方の交差点を左折して行った。

Gらが上記交差点に差し掛かると、突然、左方より、「待て。」という声がし、見ると前記の二台の原付が停まってGらを待ち受けていた。そこで、Gは同交差点の出口付近で、Fらは同交差点の中央付近で自転車を停めると、前記二台の原付が近づいて来、それらに乗っていた男達に、「どこの学校。」などと声を掛けられ、Hらが、「Q中学校。」などと答えると、「金出せ。」などと脅迫され、金員を要求された。この結果、Gは、三人乗りの原付を運転していた男に現金五〇〇〇円を、Hは二人乗りの原付の後部に乗っていた男に現金七〇〇円をそれぞれ喝取され、Fは二人乗りの原付を運転していた男に、「金持ってるか。」などと脅されたりポケットを触られたりしたものの、所持金がなく喝取されずに終わり、Iは上記以外の男一人に九一〇円を喝取された。Gらは恐喝された後すぐに帰宅したが、Hが家に帰って時計を見ると、同日午後一〇時三〇分ころであった。

(二)  同月一三日、学校でGが前日の恐喝の話をしていたところ、これを聞いていた同級生のJより、「それやったら昼間僕を脅してきた奴らや。帽子を被ってたのはB′の弟の方や。」などと言われ、さらに、Jの指摘するB′の弟なる者と、Gより金員を喝取した者との特徴が合致した。そこで、同日、Gは平野警察署に一人で被害の申告に赴き、B′の弟が犯人かもしれない旨述べたところ、同日付けのBを含む合計六人の顔写真を貼付した写真台帳(なお、この写真台帳には、対照用として少年の顔写真も偶然貼付されていた。)を見せられたが、犯人を特定することはできなかった。

ところが、同月二二日になって、Hが被害の申告に同署へ赴いた際、前記写真台帳を見せられたところ、同人から金員を喝取した犯人として少年を特定するに至った。そこで、従前の捜査で少年とBとの間に交遊関係があることが判明していたこともあり、同署司法警察員は、被疑事実の要旨として「B(当一五歳)他三名」と共謀してHより七〇〇円を喝取した旨の記載のある少年に対する逮捕状の発付を得、同月二八日少年を逮捕し、同人の取調べを開始した。少年は、同日の司法警察員による弁解録取の際、「記憶がありませんので思い出してみます。」と本件非行への関与を否認したが、同日の取調べ中に本件非行への関与を自白するに至った(ただし、少年の同日付け警察官調書は、大要、「平成八年一一月一二日午後一〇時二〇分ころ、本件非行現場で、友達のB、E、Dと二台の原付に二人乗りして、生野区の少年の彼女の家に向かう途中、自転車を運転する僕より一、二歳年下の中学生風の男を見つけ、Bが、「どこの中学、金貸してくれや。」などと言ってその男を脅かして小銭を受け取っていた。僕もお金が欲しかったので、Bを止める気は全くなかった。」との記載となっている。)。少年は、同月二九日の検察官による弁解聴取及び同日の勾留質問の際にも上記逮捕状と同様の事実を認め、同年一二月一日には、B、E、D、Cと本件非行に及んだ旨供述を訂正し、本件非行現場の図面を作成するとともに、相当詳細な供述もなすに至った。そこで、同署司法警察員は、B、少年、D、E、Cを含む合計九人の顔写真を貼付した同月三日付の写真台帳を作成した上、同日、同署に赴いたG、F及びHに対しその写真台帳を示したところ、Gより、Bにお金を脅し取られた旨の、Fより、少年にお金を脅し取られようとした旨の、Hより、少年にお金を脅し取られ、また、Cが少年の運転する原付の後ろに乗っていた旨の供述を得、さらに、F、Hによる少年の面通しも行ったところ、同人が本件非行の犯人に間違いない旨の各供述も得た。そこで、同署司法警察員はBに対する逮捕状の発付を得た上、同月九日Bを逮捕し、同人の取調べを始めたが、同人は当初より本件非行への関与を否認した。また、少年も、同月五日より本件の恐喝は起こしていないなどと本件非行への関与を否認する供述を始めるに至り、別件で少年院(播磨学園)に被収容中のEは、同月二五日付け警察官調書(謄本)等において、少年、B、C及びDと本件非行に及んだ旨の供述をなしたものの、平成九年一月一六日に逮捕されたD、同月二〇日に逮捕されたCはいずれも、当初より、本件非行への関与を否認した。本件非行を非行事実とする少年、B、D、Cの各恐喝・恐喝未遂保護事件は、いずれも当庁に受理されたが、同人らはいずれも、それぞれの第一回審判期日から本件非行への関与を否認する態度を維持している状況にある。

3  以上によれば、本件非行の犯人と少年らとの同一性を基礎づける主要な直接証拠は、本件非行の被害者らの各供述及び捜査段階におけるEの供述ということになる。そこで、まず、〈1〉本件非行の被害者らの供述する本件非行の犯人の容貌等の特徴と関係証拠によって認められる少年らの容貌等の特徴との整合性、〈2〉本件非行の犯人と少年らが同一である旨の各被害者の供述の信用性、〈3〉本件非行を少年らと敢行したとするEの捜査段階での供述の信用性を検討することとする。

(一)  本件非行の犯人の容貌等の特徴と少年らの容貌等の特徴との整合性について

(1) Gは、同人より金員を喝取した三人乗りの原付を運転していた男(面通し等でBと特定している。)の容貌等の特徴として、年齢一六歳くらい、身長一七〇センチメートルくらい、中肉、少し眼尻がつり上がった、面長の顔の男で白いスキー帽のような帽子を被っており、もみあげがその帽子から出ていた旨(なお、Gは、当審判廷において、「帽子から髪の毛が出ていましたか。」という質問に対して、「もみあげ部分が出ていました。」と答えていることに照らすと、もみあげ部分のみが出ていたという意味にとるのが相当である。)、Hは、同人より金員を喝取した二人乗りの原付の後部に乗っていた男(面通し等でCと特定している。)の容貌等の特徴として、年齢一七歳くらい、無帽、髪はセンター分けで全体的に金髪に染めており、面長であった旨、Fは、同人より金員を喝取しようとした二人乗りの原付を運転していた男(面通し等で少年と特定している。)の容貌等の特徴として、年齢一六歳くらい、無帽、目が細く、細長い顔、センター分け、前髪茶色、身長一七〇センチメートルから一七五センチメートル、やせ形であった旨、Iは、同人より金員を喝取した男(面通し等でDと特定している。)の容貌等の特徴として、高校生くらいの年齢、身長一六五センチメートルから一七〇センチメートルくらい、目がぱっちりとして大きい、スキー帽のような帽子を被っていた旨それぞれ供述している(なお、Dと特定された犯人の被っていた帽子の色について、Iは当審判廷で曖昧な供述をしているが、Fが平成八年一二月七日付け検察官調書において、一人は白い帽子を被っており、もう一人が黒っぽい帽子を被っていた旨供述し、Hも当審判廷において、帽子の色は黒と白であった旨供述していること、Gが、本件非行の翌日の平成八年一一月一三日に、同人からお金を取った男は白の帽子を被っていた旨明確に供述しており、その供述の信用性が高いことに照らせば、当該帽子の色は黒色であったと認めるのが相当である。)。他方、本件非行当時の少年らの容貌等の特徴につき、Bは、平成八年一二月一三日付け警察官調書(謄本)において、少年(昭和五四年七月一九日生)は、身長一七五センチメートルくらい、やせ形の体型、顔が色白、黒髪のセンター分けと、D(昭和五四年一〇月二日生)は、身長一六五センチメートルくらい、普通の体型、目つきが悪く、丸刈りと、C(昭和五四年一二月二八日生)は、身長一六〇センチメートルから一六五センチメートルくらい、肉付きの良い体型、目が大きく、茶髪のセンター分けと供述しており、Dは平成九年一月二〇日付け警察官調書(謄本。「僕は恐喝恐喝未遂事件」で始まるもの。)において、B(昭和五六年三月三一日生)は、身長一七五センチメートルくらい、やせ形と、Cは身長一六五センチメートルくらい、がっちり型、センター分けの茶色の髪と、少年は、身長一七二センチメートルから一七三センチメートル、やせ形、センター分け、黒髪であると供述し、また、Dは、同日付け警察官調書(謄本。「僕は何度も」で始まるもの。)において、本件非行当日、同人は布製でつばが一周した白色の帽子を被っており、Bは黒の毛糸の帽子か灰色と黒の混ざったつばが一周した布製の帽子を被っていた、DとBが帽子を被っていたのは、生野区でやったカツアゲの件で平成八年一〇月終わりころ、誠意を見せるためにそれぞれ頭を剃ったことから、かかる頭髪の状態を人に見られたくなかったからと供述しており、Eは平成八年一二月二五日付け警察官調書(謄本)において、Bは黒色の毛糸の帽子か、つばが一周したタオル地の黒色の帽子を、Dはつばが一周したタオル地か毛糸の白色の帽子を被っていた旨供述し、さらに、Eは、平成九年一月二七日付け検察官調書(謄本)において、DとBがそれぞれの帽子を取り替えて被ることがあったと供述しており、Cも同月二九日付け検察官調書(謄本)において帽子の取替えに関し、Eと同旨の供述をしている。

以上の供述等によれば、本件非行の犯人の容貌等の特徴は、少年らの容貌等の特徴と相当整合していると認められる。殊に、B、Dとして特定された犯人が上記のような特徴の帽子を被っており、さらに、Bとして特定された犯人の被っていた帽子からもみあげ部分のみが出ていたと認められる点は、両者が帽子を取り替えることがあったことやBが頭を剃って間もないころであったことを考慮すると、本件非行当時の両者の状況とよく整合していると言うべきである。

(2) Gらの供述する本件非行の犯人の乗る原付と少年らが供述するC等の原付(Eは、本件非行の際に使用されたのは、Cと少年の兄の各原付であったと供述している。)との整合性について、以下、検討するに、色に関しては特段の矛盾点はなく、エンジン音に関しても、Gらは、犯人の乗る原付は大きなエンジン音を響かせていた旨供述し、Cは、当審判廷において、同人の所有する原付はマフラーを変えていた旨供述している点に照らせば、一応の整合性がある。なお、Gは、平成八年一一月一八日付け警察官調書において、原付の後ろに点滅する変な色のライトが六個ほど付いていたとも供述するところ、平成九年三月一〇日の捜査によっても、Cの所有する原付、少年の管理する原付のいずれにもかかるライトの存在は確認できなかった旨同日付け捜査報告書で報告されており、その整合性が問題となり得るが、前記捜査が本件非行日から四か月近く経過した時点でなされていること、上記ライトの形状に鑑みればその着脱はそう困難なものとも思われないことなどに照らすと、本件非行の犯人が乗る原付がC等の原付でなかったとまで断定することはできないと言うべきである。

(二)  本件非行の犯人と少年らとが同一である旨のGらの供述の信用性について

Gは、前述したように、平成八年一一月一三日、上記の同日付け写真台帳を見せられたものの、犯人を特定するまでには至らず、同月一八日、Fも当該写真台帳を見せられたものの、犯人を特定することができなかったと推認されるが(Gが、当審判廷において、平成八年一一月一八日友達と平野署に行き、友達が写真を見せられていたと供述しているところ、G以外で同日に調書を作成しているのはFのみであることなどに照らすと、Gの言うその友達とはFのことを指すと思われる。)、Hは、平成八年一一月二二日、当該写真台帳を見せられて、「僕からお金を取ったのはAである。」旨供述しており、Iは、同月二六日、上記の写真台帳を参照したものの、犯人を特定することができなかったが、G、F及びHは、同年一二月三日、上記の同日付け写真台帳をそれぞれ示された結果、Gは、「Bが僕から五〇〇〇円を脅し取った男に間違いない。」と、Fは、「Aが僕を脅した男である。」と、Hは、「CがAの原付の後ろに乗っていた男である。」などとそれぞれ供述するに至っており、さらに、Gらは、同月七日、各々の同日付け検察官調書に添付された少年、B、D、E、Cの顔写真が貼付された写真台帳を示された上で、Gにおいて、「Bが僕からお金を脅し取った男に間違いない。」旨、Fにおいて、「Aが僕からお金を脅し取ろうとした男に間違いない。」旨、Hにおいて、「Aが二人乗りの原付を運転していた男で、Cが僕から七〇〇円を脅し取った男に間違いない。」旨、Iにおいて、「Dが僕からお金を脅し取った男に間違いない。」旨それぞれ供述している。また、F及びHはそれぞれ、同月三日に少年の面通しを行った上、Fにおいて、「Aが直接僕を脅してお金を取ろうとした犯人である。」旨、Hにおいて、「Aが間違いなく僕からお金を脅し取った男である。」旨それぞれ供述し、Gは、同月一〇日にBの面通しを行った上、「Bが僕からお金を脅し取った男に間違いない。」旨供述し、Iは、平成九年一月一六日にDの面通しを行った上で、「Dが僕からお金を奪った男に絶対間違いない。今日実物を見て、写真で確認した以上に間違いないと思った。」旨供述し、Hは、同月二〇日にCの面通しを行った上で、「Cが僕からお金を脅し取った男に間違いない。」旨供述している。そこで、上記各供述の信用性について検討するに、上記平成八年一一月一三日付け写真台帳に添付されたBの写真は平成七年六月二二日に写されたものと認められるが(平成八年一一月一三日付け司法警察員作成の「恐喝被害者Bの割り出し経過について」と題する捜査復命書(謄本)。なお、当庁書記官作成にかかる平成九年六月九日発信の電話聴取書参照。)、同人のその容貌は一見して相当幼く感じられ、Gがこれを見てBと指摘できなかったのも無理からぬところがあること(のみならず、同人が、この時点でBと指摘していないことは、警察官による誘導などがなされなかったことをも推認させるものである。)、上記写真台帳に貼付された少年の写真は平成六年一二月六日に写されたものと認められるが(司法警察員作成の平成八年一一月二二日付けの「恐喝被疑者Aの割り出し経過について」と題する捜査復命書)、その写真中の同人の頭髪は黒色で、本件非行当時と異なっているが、その容貌については、やや幼い感じはするものの、全体的には本件非行時ころと大きく異ならない印象を受け、この写真を示されたHが少年と指摘できたことに格別不自然な点はないこと、当該写真台帳には、C及びDの写真が貼付されておらず、これを示されたHがCを、IがDをそれぞれ指摘できなかったことはきわめて自然なことであること、Hの供述は当初より、二人乗りの原付に乗った二人の犯人を区別した上で供述されており、また、直接の犯人が誰かという点では動揺があるものの、本件非行が同人に突然降りかかってきたものであること、どちらの犯人からも脅された旨供述していること、上記のような経過で写真台帳を示されていることなどに鑑みれば、かかる動揺をもってHの供述の信用性を低めるものと捉えることは相当でないことなどを考慮すると、結局、上記各供述には相当の合理性があると言うべきである。その上、Gらが本件非行日と比較的近いころに写真での面割りを行い、本件非行日に近い時期に写された少年らの写真を示されるや、それぞれ断定的に犯人と指摘していること、Gらは、少年らの面通しの際にも、躊躇なく犯人である旨指摘していること、本件非行の際の犯行現場は犯人の容貌等を観察するのに特段支障のない明るさであったと認められること(H、Gの各審判供述)、Gらはおおむね、本件非行の犯人を近くで、ある程度の時間観察していること(当審判廷において、Hは金員を喝取した犯人を一メートルくらいの距離で一、二分見た旨、Fは、犯人の顔を二、三分くらい見ていた旨、Iは、犯人の顔を一メートルくらいの距離で、二〇秒くらい見た旨、Gは、犯人の顔を三〇センチメートルくらいの距離で二〇秒くらい見た旨それぞれ供述している。)、G、Fは、平成九年一月六日の審判期日に、両名にH、Iを加えた四名は、同年三月二七日の審判期日にそれぞれ証人として証言する予定であったが、後難の恐れを理由として両期日とも出頭しなかったところ、かかる対応をとっていた同人らが少年らに不利な虚偽の供述をあえてなす事情は考え難いこと等をも考慮すると、本件非行の犯人と少年らとが同一である旨の被害者の各供述の信用性は相当高いと認められる。

(三)  本件非行を少年ら敢行したとするEの供述の信用性について

Eは、平成八年一二月二五日付け、同月二七日付け及び平成九年一月九日付けの各警察官調書(謄本)並びに同月二七日付けの検察官調書(謄本)において、少年、B、D及びCと本件非行を敢行した旨相当詳細に供述しており、平成八年一二月二七日には本件非行の現場の引当りにも赴いたが、平成九年一月二九日の当審判廷においては、前記警察官調書は、そのほとんどが取調べ警察官に誘導されて作成されたものである、少年、B、D、Cと恐喝したことはあるが、その日時は分からないし、その恐喝をした日は家を出てからずっとシンナーを吸い続けていたのでその時の記憶はなくなっている、本件非行の現場についての記憶も余りなく、本件非行の現場の引当りでEが指示した場所は本件非行の現場と全く別の場所であったなどとそれまでの同人の供述から見ると相当後退した供述をなすに至っている。そこで、まず、Eの取調べの経過等を見るに、平成九年二月一二日付け援助依頼回答書には、大要、「Eは、平成八年一一月二七日毒物及び劇物取締法違反の容疑で現行犯逮捕され、翌日観護措置に付され、本件非行の取調べもなされたが、これを否認したまま、前記の事件等で少年院に送致された。そこで、同年一二月二五日、同人が収容されている播磨学園で本件非行の取調べをしたところ、同人は、前記観護措置中は施設収容を恐れて本件非行を否認したが、本当は、平成八年一一月初めに、少年、B、D、Cと四人組の男からカツアゲをしたと供述した。そして、写真での面割りを施行したところ、B、少年、D、Cを選別し、犯行の詳細を供述した。また、同年一二月二七日、同人に本件非行現場の案内をさせたところ、母校の中学校の前を北に行った背戸口公園の前あたりと説明し、同人の案内のもと車両を動かし説明を求めたところ、本件非行現場に案内した。」旨の記載があり、司法警察員作成の平成八年一二月二七日付け「恐喝、恐喝未遂被疑者Eの引当り捜査結果について」と題する書面(謄本)には、「名蔵巡査部長ほか一名の警察官が平成八年一二月二七日播磨学園よりEを連れ出し、車中において、R中学校まで行くので、そこから本件非行現場まで案内するよう申し向けると、「はい。」と返答があった。そこで、同中学校東側道路に出て北に進路を変え、約二〇〇メートル先の背戸口公園の西側に達し、間もなく右手にエッソガソリンスタンドが見えてくると、「あっ、この辺で相手を見つけたんです。」と申し立てたので、車両を左端に停め、場所を確認したところ、大阪市平野区背戸口二丁目一一番一〇号平野眼鏡店東側路上であった。次に同人は、「それから相手を待ち伏せするのにもうちょっと行った所の交差点を左に曲がって原付を停めました。」と申し立てたので、北に車を進め比較的大きな交差点で、「この辺りか。」と質問すると、「いいえ、こんな大きな交差点は違います。」と供述したので、さらに北に進んだところ、「この辺だったと思います。」と申し立てたので、場所を確認したところ、本件被害届の被害場所と一致した。」旨の記載があり、平成九年二月一二日付けの種村久雄副検事作成にかかる報告書には、「Eは、Cが来た時間、少年とDが仕事の面接に行った日、平成八月一一月一二日のBとDの被っていた帽子の色については曖昧な供述をしたが、Cが一人で来たこと、少年の声を聞いて初めて被害者に気付いたこと、Bが五〇〇〇円持っていたと言ったこと、少年ら四人と一緒にカツアゲしたのは一回だけで、その日が一一月一二日であることについては間違いないと断言した。」旨の記載がそれぞれあり、Eが要所要所で本件非行に関する具体的な供述をしていたことが窺えるほか、平成八年一二月二五日付け警察官調書(謄本)において、本件非行日の状況を問答形式で相当具体的に供述してもおり、また、同人は、当審判廷においても、「A、B、D、Cと恐喝した日、僕はAの兄の原付の前部分にちょこ乗りというしゃがみ込んだ乗り方をし、Bが運転し、Dが後ろに乗っていた。」、「そのときは、Aの家の前のガレージから出発した。」、「原付に乗って平野区辺りをぶらぶらした。出発してから、多分、喜連西のゼネラルのガソリンスタンドに寄ったと思う。」、「恐喝をした日、背戸口公園辺りを通った。」、「恐喝現場を見ると、五、六人集まっているのが見えた。多分カツアゲ現場と思った。僕は、ちょこ乗りをしていたので、足が痛くて、後ろの方で座って足を叩いていて、叩き終わると皆が帰ってきた。」、「犯行現場からAの家に行くまでの間、後ろの人が、五〇〇〇円と言っているのを聞いた。その時の原付の乗り方は、行きと同じで、僕が前でちょこ乗り、Bが運転、Dが後ろだった。」などと相当程度具体的な供述もしているのであり、捜査段階での供述から見ると相当後退した上記の審判供述はその信用性に疑問がある。他方、Eの捜査段階における供述は、詳細かつ具体的である上、Gらの供述と整合し、迫真性も感じられる。殊に、「僕は足が痛かったので、友達に相手を怖がらせて脅して金を出してもらうことにして、現場で待っていた。足が痺れていたので、痺れが切れたら脅しに加わる予定だったが、痺れが切れて相手を脅しているところで近づくと、もう、脅しは終わって、皆は金を奪い取っていた。」(平成八年一二月二五日付け警察官調書(謄本))、「現場を離れて原付に乗っている時に、Bが、「五〇〇〇円持っとたぞ。」と言ってるのを聞いた。」(同警察官調書(謄本))との供述は、それまで誰によっても指摘されていなかった事実を内容とするものである上、Gらが本件非行の犯人は五人であったと指摘しているのに四人の犯人しか特定できていないこと、GがBと指摘する犯人から五〇〇〇円を脅し取られた旨供述していることとぴったり符合し、迫真性もある。さらに、Eは、平成八年一二月二五日付け警察官調書(謄本)において、本件非行について述べるに至った心理状況につき、「僕もまともになりたいし、友達もまともになってもらって、また、少年院を出てから一緒にがんばれる人間になっていたら一緒に頑張りたい。」旨供述するところ、今後も交際を続けて行こうと考えている少年らに不利な虚偽の供述をあえてなす事情もにわかには想定し難い(Eは、当審判廷において、本件非行を認めれば逮捕状の請求を止めてくれると思ったので認めた旨供述するが、当時、少年院に収容されていた同人が前述のような不利益を甘受してまでかかる利益を図ろうとするとも考え難い。)。

以上に照らせば、本件非行を少年らと敢行した旨の捜査段階でのEの供述は、その信用性が高いと認められる。

4  次に、少年は、捜査段階において、本件非行につき自白しているので、かかる自白の信用性について、以下、検討する。

同人は、平成八年一一月二八日通常逮捕されたが、同日付けの弁解録取書には、「記憶がありませんので思い出してみます。」と記載され、本件への関与を強く否認した様子は窺うことはできず、同日より本件非行への関与を認め始め(なお、少年は、平成八年一二月五日付け検察官調書において、自白に至った理由につき、「逮捕されたのでどうしようもないと思った。」、「警察で嘘を言っても通らないと言われたので認めた。」と供述している。)、共犯者としてB、E、Dの名前を出し、同月二九日の検察官による弁解聴取においても、同日の勾留質問においても、本件非行への関与を否定することはなく、同年一二月一日には共犯者としてCの名前も出し、同年一二月二日本件非行現場へ警察官を案内し、司法巡査作成の平成八年一二月一六日付け引当り捜査結果復命書上、同人の案内状況に不審な点は窺えず、そのころの両親との面会に当たっても本件非行への関与を強く否定するような言動をとったこともなかったが、同月四日、母親との面会の際、「Bが本件非行への関与を否認しており、Bが弁護士を呼んだ。」旨聞かされて、「やっぱり俺してなかった。」などと反応し、同月五日の検察官の取調べに至って本件非行への関与を否認し始めたものであるが、偶然犯人として抽出され、複数の被害者によって犯人として指摘された同人が、逮捕当日より本件非行への関与を認め、程なく共犯者の名前も挙げ、かかる供述に従って共犯者とされた者の面割りを施行した結果、Gら全員が犯人に間違いない旨供述しているのであって、このこと自体、同人の自白の信用性の高さを端的に物語っていると言うべきである上、その自白の任意性に疑念を抱かせるような事情も特段認められないこと(平成八年一二月九日付け司法警察員作成の「任意性のある取調べ状況について」と題する捜査報告書、少年の平成八年一二月五日付け検察官調書。なお、平成八年一一月二八日の自白は、上記のように少年、B、E、Dで、被害者一名を恐喝したという内容となっているが、少年に対する逮捕状の被疑事実の要旨には被害者はH一人しか記載されておらず、したがって、被害者が一人である旨自白した点は、別段不自然ではなく、また、加害者が上記の四名である旨当該被疑事実の要旨と異なった供述をしている点は、むしろ、警察官による無理な取調べがなされなかったことを推認させるものである。)、当該自白が、本件非行日から二週間余りしか経過していない時期になされたものであること、少年の述べる自白に至った上記の理由が、これまで捜査機関での取調べを何度か受けたことのあることの窺われるその経歴等に照らすとにわかに首肯しがたいこと(同人は、昭和六三年から平成七年にかけて、窃盗等での補導歴等が五回あり、また、平成七年五月一六日、四件の窃盗事件等で保護観察に付されている。)、自白の内容が相当に詳細かつ具体的であり、その当時、被害者の供述程度しか資料のなかったと思料される取調べ警察官の誘導のみで作成しうる類のものとは思われないこと(なお、少年は、平成八年一二月五日付け検察官調書において、本件非行現場の場所、被害者の進行方向、喝取金の中に五〇〇円玉があったことはいずれも自ら想像を交えて言ったものである旨供述しているが、これらの点もにわかに首肯し難いと言うべきである。)、自白内容がおおむねGらの供述と合致し、迫真性も感じられること、他方、少年は、上記のような外在的事情を契機に否認に至っているほか、当審判廷において、自白から否認に至った理由につき、「僕はやっていないと言っても通らないと思っていたのですが、Bがやっていないと言っているということを母から聞いて、Bも言っているし、やってないことはやってないと言わないといけないと思って、そう言いました。」と供述しているところ、本件非行への関与を認めた上記の自白の時期、同人がこれまで受けたと思料される取調べの経験等に鑑みると、当該供述は措信し難いことなどを考慮すると、B、D、E、Cと本件非行を敢行した旨の同人の自白な信用性が高いというべきである。

5  少年らの弁解について

(一)  少年らの本件非行に関する弁解の状況は、大要、以下のとおりである。

(1) 少年は、否認に転じた日(平成八年一二月五日)においては、本件非行日の行動のうち、午後九時三〇分ころまでの行動は本当であるが、その後の行動は全部でたらめであるなどと供述し、以降、本件非行日に、B、D、E、Cと二台の原付で走り回るなどしたことはあるが、本件非行時は少年の家の前で四人で話をしていたなどと供述して、本件非行への関与を否定する弁解をしていたが(平成九年一月六日の審判期日においても同様である。)、同年五月六日の審判期日に至って、本件非行日に、D、Cとは会ったものの、その余の者とは会っていない、上記の四名と二台の原付で走り回ったのは本件非行の翌日の平成八年一一月一三日である旨弁解するに至っている。

(2) Bは、当初、本件非行日に何をしていたのか覚えていない旨弁解していたが、平成八年一二月一八日に至って、本件非行日は午後七時ないし午後八時ころ家に帰り、その後は外出していないとの弁解をするようになり、平成九年五月六日の審判期日において、本件非行日は、父と妹と一緒に焼きうどんを食べた、もう一人の妹は修学旅行に行って留守だった、午後七時すぎに寝た、この日に本件非行の犯人とされる者と会ったことはない旨弁解するようになった。

(3) Dは、当初から、本件非行日は少年の家に一人で遊びに行った、そこで少年とは会ったものの、B、E、Cと会ってはいない旨弁解している。

(4) Cは、平成九年一月二〇日には、本件非行日の記憶はないと供述していたが、同月二二日より、本件非行日は、仕事が終わるとまっすぐ自宅に向かい、午後七時ころ帰宅し、その後は近所のコンビニエンスストアーに一度だけ行ったほか外出しなかった旨弁解するようになり、同月二八日からは、本件非行日は、少年、B、D、Eと会ったが本件非行は敢行していないという弁解に変わり、同年二月二一日の審判期日からは、本件非行日は、少年、Dとしか会っていない旨弁解するようになった。

(二)  少年については、平成九年五月六日になって重要な点につき弁解が大きく変わっているのに、これに対する合理的な説明がなされておらず、Bについても、同日に至って初めて上記のような詳しい弁解をなすに至っており、いずれもその信用性に疑問がある。Dについては、その弁解は基本的に維持されているが、当初、少年、B、E、Cと遊んだことは一度もないなどと極めて不合理な供述をしており、Cについても、その供述が種々の点でめまぐるしく変遷しており、いずれもその信用性に疑問がある。しかも、平成九年五月六日の段階においても、本件非行日に関する少年とCの弁解は一応一致するものの、Dの弁解は両者のそれと一致しないままの状態となっている。なお、Cの母親(K)及びその妹(L)は、当審判廷において、本件非行時、Cが同人らの居宅に来ていたので同人にはアリバイがある旨供述するが、Cが同宅を来訪した時間等を裏付ける客観的証拠は特段存在しないこと(Cの妹の手帳の平成八年一一月一二日の欄には、「夜好祐」との記載があるのみである。)、本件非行現場や少年の自宅が、Cの母親の居宅と同じ平野区内にあり、比較的近接した場所に位置することを考慮すれば、本件においてCのアリバイが成立するとは言い難い。のみならず、少年の母親(M)は、平成八年一二月一九日付け警察官調書において、大要、「平成八年一一月一二日のことを説明します。私がこの日を特に覚えているのは、私の三男、四男が通っているS小学校PTAの社会見学会があり、カレンダーに印を付けていたからです。私は社会見学で神戸の方に行き、午後四時すぎころに家に帰ってきたと思うのです。この時はAはいなかったのです。そして、Aは一人で午後七時前後に帰ってきたと思うのです。それからしばらくしてDがやってきたのです。その後、時間ははっきりと覚えていないのですが、Aが家を出て行く姿を見たのです。この後、私が寝る前に家の窓から外をのぞいてみたところ、斜め前の月極めのガレージのところで、B、C、D、Eと一緒にAもおり、しゃべっていたのです。それで、私は、近所迷惑になると思って、皆に向かって、「はよ帰れ。」と怒鳴ったのです。私の記憶では、一一月一三日の午前〇時ころではなかったかと思うのです。同人らは、このころ入れ替わりでよく来ていたので、顔は良く覚えているのです。」と、少年らの弁解と相反する供述をしているところ、当該供述が本件非行日から一月余りしか経過していない時期になされたものであること、本件非行日が上記のような特別な日であったことなどに照らすと、その信用性は高いものと認められる(なお、少年の母親は、当審判廷において、「私は一二日と一三日の記憶がごっちゃになってるんだと思います。」などと供述して、上記の出来事は平成八年一一月一三日のことである旨供述を訂正しているが、他方において、「上記の出来事は、警察で供述したときは一二日の記憶であった。」旨の審判供述もしていること、上記警察官調書の末尾には、同人の申立てによる供述の訂正が三点にわたってなされており、同人が相当注意深く内容を検討したことが窺えること等に照らすと、上記の出来事が一三日のことであるとする前記の審判供述はにわかに信用できない。)。

以上より、少年らの上記各弁解は措信できないと言わざるを得ない。

6  以上を併せ考慮すると、少年、B、D、E及びCが本件非行の犯人であることを認めることができる。

(法令の適用)

恐喝の各事実につき、刑法六〇条、二四九条一項

恐喝未遂の事実につき、同法六〇条、二五〇条、二四九条一項

(処遇の理由)

少年は、窃盗・窃盗未遂保護事件等で平成七年五月一六日保護観察に付され、平成八年五月二一日これを解除されたものであるが、そのころより働く意欲をなくして仕事を辞め、不良仲間と徒遊中心の生活を送るようになり始め、暴走族との暴走行為やシンナー吸入などにも及ぶようになり、同年九月ころには遊ぶ金欲しさからBと二件の恐喝を敢行して一万円くらいを喝取し、同年一一月一二日にも少年の提案で本件非行に及ぶところとなり、これにより同月二八日通常逮捕され、同年一二月六日観護措置にも付されたが、平成九年一月六日の第一回審判期日で観護措置を取り消されると、その翌日から、逮捕前より稼働していた職場においてコーキング工として稼働を始め、同年六月に一度転職したものの、現在もコーキング工としておおむね無難に稼働し続けているほか、不良交遊との付合いも徐々に治まりつつある状況にあり、また、少年の両親も、少年の生活状況が落ち着きつつあることを実感し、同人に対する指導監督の意欲を高め、在宅処遇を強く希望している状況にある。したがって、審判続行中というやや特殊な状況があったとはいえ、少年の要保護性が本件非行当時と比べて相当低くなっていることは明らかであり、現在、直ちに矯正施設での教育が必要であるとは言い難いが、本件の鑑別結果通知書において、「少年は、自律性、主体性に乏しく、責任感も希薄なため、集団の高揚した気分が背景にあれば、容易に大胆な行動に出やすい。」旨指摘されていることなどを考慮すると、今後、少年が、不良交遊を復活させるなどして再非行に及ぶ危険性があることを否定できず、なお、相当の期間、専門家による指導を受けさせることが必要である。

よって、少年法二四条一項一号、少年審判規則三七条一項を適用して、主文のとおり決定する。

(編注)原原審決定は横書きであるが、編集の都合上縦書きに改め、文中の算用数字は漢数字にした。

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