大判例

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大阪家庭裁判所 昭和52年(家)1462号 審判

申立人 日下部隆志(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

1  申立の要旨

申立人の戸籍に、申立人が村田洋子を養子とする旨の記載があるが、洋子は申立人の長女であつて養子縁組は無効であるから、申立人と洋子との養子縁組に関する上記戸籍の記載を削除することを許可する旨の審判を求める。

2  本件及び当庁昭和五一年(家イ)第二四一八号事件、同昭和五二年(家)第一四六一号事件各記録並びに申立人審問の結果によれば、次の事実が認められる。

村田紀美子(昭和二七年一月三一日生)は昭和四五年頃、申立人と知り合つて堺市内で同棲し、申立人の胤を宿して洋子を懐妊した。紀美子は昭和四六年一月以降申立人と別居し、同年五月頃、三浦孝夫(昭和二六年九月八日生、本籍兵庫県○○郡○○町○○××××番地の×)と知り合つて、堺市○で同棲し、紀美子と孝夫とは同月二〇日大阪府堺市長に対し、夫である孝夫の氏を称する婚姻の届出をした。紀美子は昭和四六年九月二二日洋子を出産した。孝夫は同年一〇月四日大阪府堺市長に対し、洋子が孝夫と紀美子との間の長女として出生した旨の出生届をしたため、洋子は筆頭者を三浦孝夫とする戸籍に入籍した。紀美子と申立人とは昭和四八年五月頃再会し、再び同棲を始めた。紀美子と孝夫とは昭和四八年一一月一四日大阪府堺市長に対し、洋子の親権者を紀美子と定めて協議離婚の届出をした。それで、村田紀美子を筆頭者とする戸籍(本籍大阪府岸和田市○○町×××番地)が編製された。次に洋子は昭和四八年一二月一一日大阪府岸和田市長に対し母の氏を称する入籍届をしたので、洋子は上記村田紀美子を筆頭者とする戸籍に入籍した。紀美子と申立人とは昭和四九年五月一八日大阪府豊中市長に対し、夫である申立人の氏を称する婚姻の届出をした。そこで紀美子は申立人を筆頭者とする戸籍に入籍し、村田紀美子を筆頭者とする戸籍には、洋子一人が残存することとなつた。申立人と紀美子とは洋子を申立人らの戸籍に入籍させるために、申立人が洋子を養子とすることにし、申立人と洋子(代諾者母紀美子)とは昭和四九年七月五日大阪府豊中市長に対し洋子を養子とする旨の縁組届を提出した。そこで洋子は、申立人を筆頭者とする戸籍に入籍し、同戸籍の申立人や同籍洋子の各身分事項欄に、それぞれ上記縁組事項が記載され、また洋子の養父の欄に日下部隆志、その続柄の欄に養女と各記載された、村田紀美子を筆頭者とする上記戸籍中同籍洋子の身分事項欄にも、上記縁組事項が記載された。当裁判所は洋子の申立により昭和五一年八月二六日洋子が三浦孝夫の子でない旨の審判をなし、同審判は同年九月一三日確定した。申立人は昭和五一年一〇月一三日大阪市○○○区長に対し、洋子の認知届を提出した。そこで洋子は申立人と紀美子との長女として、申立人を筆頭者とする戸籍に記載されるに至つた。

3  当裁判所の判断

一般に自己の嫡出子を養子とする縁組は原則として実益がないから無効であり許されないものであるが、実益のある場合には有効として許されなければならないものと解する。

本件養子縁組は、洋子が未だ戸籍上申立人の嫡出子となつていなかつた時に、戸籍上三浦孝夫を父とし、筆頭者を村田紀美子とする戸籍に在籍していた洋子を、申立人の戸籍に入籍させるためになされたもので、同縁組届が受理されたことによつて申立人らの意図した目的が叶えられたのである。まさに実益があつたものといわなければならない。洋子が申立人の嫡出子となつた今日、これを無効とすることはできない。

申立人の戸籍等に存在する上記縁組に関する記載に錯誤もしくは遺漏があるといえないことは勿論、同記載が法律上許されないものということもできないから、戸籍法一一三条によつては、これら戸籍の記載を消除することは許されないものと解する。

よつて、本件申立は却下するのほかなく、主文のとおり審判する。

(家事審判官 常安政夫)

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