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大阪簡易裁判所 昭和42年(ろ)2962号 判決

被告人 北野幸一

昭一一・二・四生 自動車運転者

主文

被告人は無罪

理由

一、公訴事実

被告人は昭和四一年一一月一九日午後一〇時一〇分ごろ、大阪府公安委員会が道路標識によつて、最高速度を四〇キロメートル毎時と定めた大阪市住吉区上住吉町四二〇番地附近道路において、右最高速度をこえる五七キロメートル毎時の速度で、普通乗用自動車を運転したものである。

二、公訴事実のうち、被告人が昭和四一年一一月一九日午後一〇時一〇分ごろ、普通乗用自動車で大阪市住吉区上住吉町四二〇番地附近道路を運転通行したこと、当該道路は大阪府公安委員会が道路標識によつて、最高速度を四〇キロメートル毎時と定めた道路の区間であることは、本件の各証拠によつて認められる。

三、公訴事実のうち、被告人が五七キロメートル毎時の速度で運転したという主張を検討する。

本件は、いわゆる定域測定方式によつて速度違反であるとされたものである。

当公判廷における証人本田厳、長谷川毅、飯倉忠春、中西金次郎の各供述、司法警察員作成の「道路交通法(速度)違反取締状況現認報告書」という書面によると、違反検挙までのいきさつはほぼつぎのとおりであつたことが認められる。

中西証人はA点(測定開始地点)で、先行車二台に追いつくよう第三通行帯を加速してくる被告人車を見つけ、それを速いと目測したので測定を始め、B、C各点へ車両を特定する事項を通報したこと(通報した内容の詳細は時間の経過によつて現在は忘れたと述べている)。A点附近において被告人車と、その先行車の距離は三〇ないし四〇メートルていどであつたこと。

本田証人はB点(測定終了地点)でA点からの通報に応じて測定を終了し、C点へ「三番目の近鉄タクシー、けつ番五四、客のり」と通報したこと。同証人も被告人車がA点附近を通過するのを見ていて、同人にはそのとき被告人車とその先行車の距離はだいぶん離れていたように思われたが、B点通過時には五、六メートルにまで接近していたように見えたこと。(両車の距離がそのように接近したことについてはA点にいた中西証人も、数値は示せないが、B点で被告人車はだいぶん先行車に追いついていたように思うと同じ趣旨のことを述べている。)

C点ではA点担当の中西巡査から「つぎいきます、前から三番目、近鉄タクシー、一九五四号、前の車に追いついていきます」という放送がインターホーンに入り測定器が動き始め、しばらくしてB点から前述の放送がつづき、メーターが停止した。長谷川証人は測定器の指針が五七キロメートルを指していたという理由で飯倉証人に被告人車を停止させるよう合図したこと。

以上のことを要約して結論すると、被告人車はA点における測定開始前より、その先行車を追い上げるようにして進行したので、B点ではA点附近における三〇、四〇メートルの間隔が五、六メートルにまで接近し、測定器は、A、B間における被告人車の速度として五七キロメートル毎時の数値を示していたと長谷川証人は供述し、なお本件の各証拠によると、A、B両点における基準線の設定、測定方法については特にその正確性を疑わせる他の証拠もなく、使用された測定器森田式五B型第二〇二号はその正確性について毎年および取締前にも検査をし、その結果を記載した整備カードも保存されているということから、被告人は訴因に示された違反をしたかも知れないという推認ができないことはない。

これまで述べたことは、検察官の主張に沿う方向で各証拠を評価した結果である。

つぎに、弁護人の主張を、その主張に沿う方向で検討する。

被告人車が先行車を追い上げたというだけで即違反ということにならないという指摘についていえば、追い上げる車両の速度は追い上げられる車両のそれよりも速いものであるという、車両相互間の相対的速度を表現しているのにすぎないのであつて、そのことからすぐ被告人車の絶対速度までが五七キロメートル毎時であつたことにはならないという意味で正しい。

もつとも先行車の速度について、A点の中西証人は尋問にたいし、制限内だつたと思う。徐行ではなく普通の速度であつたと供述しているけれども、それは目測であり漠然としていて、当然のことであるが、確定的な数値を示していない。というのも先行車の速度はこの場合測定の対象ではなく、また同証人は基準線に達した瞬間をとらえて被告人車の測定を始め、短い時間で通報しなければならないという緊張を要する諸任務があつたのであるから、そのていどの観察しか許されない状況に置かれていたであろう。

それだけに弁護人が指摘するように、追い上げることが、ただそのことによつて速度違反となるためには、先行車の速度が毎時四〇キロメートル以上でなければならないところ、その供述だけでは先行車の速度について、被告人車の速度違反を認定するために必要とされる明確な基準を提供することには成功していないと思われる。追い上げたということが事実であつても、それは速度違反について、一応の推認ができる根拠にはなつても、最後の証明は測定器に現われた数値にまたなければならない。

ところで被告人車と先行車の速度を、それぞれ秒速に換算し、A、B両点の距離および各地点における車間距離の差などの相互関係から被告人車の速度を認定することを、検察官は精密な計算によつて試みている。しかしその数値は両車の正確な速度、A、B両点における択一的な、しかも目測にすぎない車間距離のいずれをとるかの選択およびA点附近という場合の、附近という観念のもつ空間的な広がりからくる不確定性などから、その前提の選択に応じ、計算が精密であればあるだけ数値は変幻して定まらない。計算が正しいとしても、その妥当領域はごく限定されたものであるといわなければならない。その方法は、いつてみれば正に証明されなければならない主張でもつて当該主張を証明しようと試みる一種の同意反復に陥つているのではないだろうか。右に述べた結論に消長を来すとは思われない。

では測定器の数値について長谷川証人の供述によると、同証人はメーターの指針が五七キロメートルであるのを確認し、現認報告書にも当該認識の結果を記載した。被告人はメーターが見える位置までは来たがその確認を拒んだ。メーターは現状のまゝが保存されていた。同証人は測定器の指針を撮影した。その写真を顕出できない原因は撮影あるいは化学処理の方法が適切でなかつたからではないかと述べている。

一方、被告人は当初から本件違反を否認し、当公判廷および司法巡査にたいする供述調書で、測定器の数値によつて違反の事実を確認できれば納得して否認することはなかつたであろうと述べている。

供述の相違は極端である。比較して検討すると、本件は否認事件であつて測定の結果を被告人に確認させて納得させるか又は写真にして保存するかの必要性が検挙の当初からあつたのである。前掲の各証拠および検察官の釈明するところによつても本件のような場合にはその必要性が肯定されている。肯定されているその必要性は長谷川証人が供述しているように、有用な証拠を保存するため同人をして写真を撮影させたであろう。ただ写真はうつしたけれども、前に述べたような原因でその顕出ができなくなつたのだと善解するのが一応は自然だと思われる。

しかし反対の見方をすれば、写真は撮影されると現像焼付され被写体である測定数値が顕出されることは、よほど特別なことがないかぎりごく普通のことである。というのは、測定器を定期および取締前に検査してその正確性=すなわち取締の正確性=に配慮しているという各証人の供述は、その配慮の中に写真機およびその附属品が正常に機能するようにということだけは除外しているのだと理解しなければならない合理的な理由もないからである。

それだけに、よほど特別なことがあつたようにも思われない本件において、その写真が顕出できないのは何かの手違いで、(たとえば被告人が述べているように、確認前メーターが既に零にしてあつたというようなことで)もともと撮影できなかつたか、もつと端的に言えばメーターの指針、あるいはその写真が被告人の違反を証明できる結果を示していなかつたのではないかということ、同じことだが言いかえれば証拠として保存しておくだけの値打のないものであつたからではないかという疑問も可能である。

被告人はメーターで自分の違反事実を確認できれば否認しなかつたであろうと述べている。そのような供述にどこまで信頼をおけるかということは別にしても、そして又、メーターの確認ということが写真によるそれをも含むかについてもはつきりしないが、(文脈からいえばとにかく客観的事実による違反の確認ということだから、写真によるそれを除外しなければならない理由はない)とにかくその供述が検挙当日、すなわち写真の失敗がはつきりしていない当時既になされていることからいつても、被告人が速度違反をしなかつたという弁護人の主張には合理性があるように思われる。

四、結論

五七キロメートルという長谷川、飯倉両証人の認識は、客観的な事実であるメーターの状態、またはその写真自体ではない。それは証人らの主観的な認識にとどまる。

A、B両点にいた各証人が自分の任務、その任務をどのような方法で正確に行つたかということおよび被告人車の速度を測定することゝなつた動機、ことに追い上げの事実などについて、それぞれに述べていることも、直接的には測定器の指針が表示している数値そのものが、それを根拠として違反事実を認定するのに足りるだけの正確な方法によつて操作された結果現われたのであることを証明するために向けられているのであつて、長谷川、飯倉両証人が測定器の表示している数値を正しく認識したこと、すなわち同人らの確認を証明するために向けられているのではない。

長谷川、飯倉両証人の主観的認識の正しさは、メーター又は写真の数値が各証人の供述その他の証拠によつて正確であると証明されたことの反映として、その認識は正確な客観的事実を知覚することによつて生じたものであるから、その知覚に公訴事実について合理的な疑いの一つとなるであろうところの錯誤など特別な事情がない限り、素朴な意味においてではあるが、当該客観的事実の正しい反映であろうということが間接的効果としてでてくるのにすぎない、その意味において、中西、本田各証人の供述は写真が顕出できない本件では無駄な努力に終つているといわなければならない。

長谷川、飯倉両証人の認識自体、当裁判所は証言としてその証拠能力は否定しないけれども、その本来の機能は非供述証拠である写真の数値と本件違反との関聯性にあるのであつて、本件違反事実の証明という意味からいえば、たとえその認識が右にのべたように客観的事実の正しい反映であるかも知れないにしても、その証明力は二次的であり、いつてみればその供述がそれをよりどころとし、又はそれによつて媒介されなければならない基礎を欠落している。そのうえ長谷川証人の供述自身にもいくつかの合理的な疑い(当該合理的な疑いは写真のないこと、そのことから当然由来する性質のものといえる)を内含していることは、これまでにも述べたとおりである。

もともと、本件定域測定方式による違反検挙のばあい、各証人の認識は被告人が違反事実を争つていないというような例外を除いて原則的には客観的な証拠、このばあいは写真によつて担保されていることが必要であり、又必要であるゆえにこそ、取締に際しそのことが予定もされているのである。証言は写真と一体をなして充分な証明力を有するものといわなければならない。それを欠く本件公訴事実はその証明が充分に尽されているということはできない。

刑事訴訟法三三六条を適用して主文のとおり判決する。

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