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大阪高等裁判所 昭和59年(う)491号 判決

《本籍・住所省略》

自動車修理業 A

昭和一六年八月一日生

〈ほか一二名〉

右A、C、Gに対する各監禁、逮捕監禁、強要、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、右Eに対する監禁、逮捕監禁、強要、傷害(なお、原判決は監禁を挙示していないが、これは単なる表記上の遺脱と認める。)、右B、D、F、Iに対する各逮捕監禁、強要、傷害、右Hに対する逮捕監禁、強要、傷害、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反、右J、Kに対する各逮捕監禁、傷害、右Lに対する傷害、右Mに対する暴力行為等処罰ニ関スル法律違反各被告事件について、昭和五八年一二月一四日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人全員及び検察官(ただし、被告人Aに関する部分のみ)からそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 渡邉悟朗、同大谷晴次各出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

(控訴の趣意と答弁)

本件各控訴の趣意は、被告人Iを除くその余の被告人一二名の弁護人山上益朗、同麻田光広、同高野嘉雄、同分銅一臣、同浅野博史、同上野勝、同桜井健雄、同在間秀和、同中北龍太郎、同里見和夫、同正木孝明、同横井貞夫(以下、単に弁護人らと総称する。)共同作成の控訴趣意書、被告人Iの弁護人上野勝作成の控訴趣意書並びに検察官榎本雅光作成の控訴趣意書に各記載のとおりであり、弁護人ら及び弁護人上野勝の各控訴趣意に対する答弁は、検察官丸谷日出男作成の各答弁書に記載のとおりであり、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人ら作成の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

(当裁判所の判断)

第一弁護人らの控訴趣意(被告人A、同C、同G、同Eの関係)中、刑事訴訟法三七八条四号該当をいう主張について

論旨は、原判示第二の事実(青森宅・秋田議員包囲事件)につき、原審弁護人において、被告人Aらの行為は糾弾権の行使として正当行為に当たる旨主張しているにもかかわらず、原判決がこれに対する判断を示さなかったことは、刑事訴訟法三三五条二項に違反し、同法三七八条四号の理由不備に当たるから、破棄を免れない、というのである。

そこで検討するに、なるほど、原審弁護人がその最終弁論において所論正当行為の主張をしたことは、原審第八〇回及び八一回各公判調書の記載に徴して明らかであり、原判決にその点の明確な判断が示されていないことも、所論指摘のとおりと認められる。しかしながら、原判決は、その理由中の「(当裁判所の判断)」第二、一の項において、原判示第一の事実(元津事件)につき、被告人Aらの所為が、その動機・目的において首肯できないものではないにしても、その手段・方法は明らかに社会的に相当と認められる範囲を超え、その結果惹起された法益の侵害も軽微とはいえず、法秩序全体の見地から可罰的違法性を有する旨詳細な判断を示した上、「この理は、被告人Aらの判示第二の所為についても同様にあてはまる。」と判示しているところであって、右は、同被告人らの原判示第二(青森宅・秋田議員包囲事件)の所為についても、糾弾のための動機・目的そのものは正当として是認できるにしても、その手段・方法等は明らかに社会的相当性の範囲を超え法秩序全体の見地から許容できないこと、すなわち所論正当行為に当たらない旨を間接に判示したものと解される。

してみれば、原判決には、その判示の方法に措辞適切を欠き、右結論に至る理由を示さないなど不十分なきらいはあるものの(なお、その結論の正当なことは後記第三の三に示すとおりである。)、所論のような刑事訴訟法三三五条二項の判断遺脱のかどはないというべきである(ただし、同条項の判断遺脱は、同法三七九条の控訴理由となるものであって、所論三七八条四号の控訴理由となるものではないと解する。)。論旨は理由がない。

第二弁護人らの控訴趣意(被告人Iを除くその余の被告人一二名の関係)中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判示第七、二を除くその余の各事実について、原判決にはそれぞれ以下に述べるような事実の誤認があり、いずれもその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、右各点においても破棄を免れない、というのである。

そこで、各所論及び答弁にかんがみ、記録(証拠物を含む)を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて検討するに、当裁判所の判断は、以下に示すとおりである。

一  原判示第一の事実(元津事件)について

所論は、原判決中、被告人Aらを含む多数の部落解放同盟員(以下「解同員」という。)らが、被害者の青森六助らに対し、一方的に激越な調子で「差別者、糾弾する。」など原判示文言を肉声ないしハンドマイクのボリュームを上げて耳元で怒鳴り、或いは足を踏む、こづく、手拳を面前に突きつけるなどし、しかも、これらの行為を何らの理由もなく一方的に、かつ、終始継続して行ったかのように認定した部分は、事実を誤認したものである、というのである。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、本件犯行の経緯及び状況、並びに被告人Aらの具体的な行動等については、いずれも原判決が詳細に認定、摘示するとおりと認められ、所論指摘の点を含む原判示事実は優に肯認することができる。すなわち、右証拠によれば、本件犯行は、原判示のような経緯と態様のもとに、原判示元津三叉路付近の公道上及びその後場所を移動した同所路外の空地において、当日の午前七時過ぎころから午後五時一五分ころ警察機動隊員らによって被害者らが救出されるまでの間、約一〇時間もの長時間にわたって継続されたものであるが、その間、被告人Aらを含む多数の解同員らが被害者らに対し、それぞれ一人を数人で取り囲むなどし、順次入れ代わりながら、肉声又はハンドマイクを耳元に当て、激越な調子で「お前らどこから来た。」「今日は帰さへんぞ。」「一日で済むと思ったら大間違いだ。一週間でも一〇日でもやってやる。」「割り木で殴り殺したろか。」「大根みたいに切り刻んでやろか。」「商売もできんようにしてやる。」「議員にも出れんようにしてやる。」「女房、子供も呼んできて一緒にやってやる。」などと様々な脅迫、ば倒を繰り返したほか、更に同被告人らにおいて、一時意識もうろうとなってパイプ椅子に座らされていた青森の左足を踏みつけ、岩手と宮城の面前に手拳を突きつけて殴る格好をし、或いは山形と福島の足を蹴り、こづくなどの暴行をも加えたことが認められるのであって、これらの事実に徴すれば、所論指摘にかかる原判示事実の存在は明らかである。そして、右の激越な調子による発言等は、被害者らに反論ないしは弁明の機会を与えないまま、被告人らの側から一方的に浴びせられたものであり、またそうした状況は、途中、和田山警察署署長によるテントの撤去要求や昼食の際などの一時的な中断を除けば、ほぼ本件犯行の全般にわたって続いていたことも、関係証拠によって認められるところである。したがって、この点についての原判決の認定及び摘示にも誤りはない。

これに対し、所論は、原判決が認定した右暴行、脅迫のうち、(1) 被害者らをこづくなどの行為については、そのような事実はなく、たまたま狭いテント内での糾弾行為であったため、身体が偶発的に接触したものにすぎず、(2) 被告人Aが青森の足を踏んだとする点は、唯一の証拠である青森証言が全く信用性を欠いており、(3) 被告人Eがハンドマイクを耳元に近付けて怒鳴ったとする点も、岩手、宮城、茨城の捜査段階における各供述が信用性に乏しく、同被告人を犯人と特定するに十分でないなどとして、これらの事実を肯認した原判決を論難するのである。

しかしながら、右(1)の点についてみれば、福島は、原審公判において、「数名の解同員が入れ代り立ち代り怒声・ば声を浴びせかけたほか、ごく自然な形でこづくとか、足を蹴ってくるとかされた。」と供述しているが、ここにいう「ごく自然な形でこづく」というのは、右供述に引き続いて同人自身が説明し、また検察官も当審で反論しているように、実際は、故意にこづくなどの行為に出ながら、これを偽装するため、自然に手が相手の身体に当たったようなそぶりを示すという意味であって、所論のように全く自然に、すなわち故意を欠いたまま相手の身体と接触したものと解するのは誤りというべきところ、右供述は、それ自体、殊更所論のいうような誇張ないし虚偽に出たふしは見当たらず、また山形一郎の検察官に対する供述調書中、「テント内で被害者らを取り囲んでいた解同員四、五〇人が、一斉に『人権返せ』などと大声でシュプレヒコールを繰り返しながら、足で輪の中にいる被害者らを蹴ったり、こづいたりしていた。」旨の供述とも符合していて、極めて高い信用性を有するものといえるから、結局本件において、福島らがこづく、蹴るなどの暴行を受けた事実は、これを認めるに十分である。右の所論は採用できない。

次に、右(2)の点についても、青森は、原審公判において、「テント内でパイプ椅子に座らされて意識がもうろうとなっているときに、足をがんと踏まれてはっと気が付くと、被告人Aがそばに来ており、同人は、取り囲んでいた解同員数名に対し、『こいつはくたばっておらん。眠いだけや。』とか『もっとやれ』と言って立ち去った。」旨供述しているところ、所論は、青森が当時意識がもうろうとしていたこと、その周囲には被告人Aのほか数名の解同員がいたこと、更に青森が即座に抗議しなかったことなどをとらえて、右供述は全く信用性を欠いている旨主張するのであるが、検察官も反論するように、当時青森は、睡眠不足や心身の疲労により一時的に意識がもうろうとしていたにしても、足を踏まれて痛みを覚え、その瞬間、意識を取り戻して被告人Aの言動を認識・記憶したものであって、その点に何ら不自然、不合理なものはなく、また、青森が意識を取り戻した直後に見せた被告人Aの前記言動からすれば、青森の足を踏んだのが同被告人以外の者であるとの疑いを差しはさむ余地はなく、更に、当時青森は心身共に極度に疲労していたから、被告人Aの前記言動に対して即座に抗議する気力を失っていたと見られるのであって、いずれも、青森証言の信用性を左右するものではない。右の所論も採用できない。

更に、右(3)の点についても、被告人Eは否認しているが、被害者の岩手、宮城、茨城は、それぞれ原審公判において、「同被告人が肉声又はハンドマイクを耳元に近付けて怒鳴るなどの行為に及んだ。」旨明確に供述し、また、いずれも捜査段階で検察官の取調べの際に、写真によって同被告人を特定できたとしているのである。そして、検察官も指摘するとおり、右岩手ら三名のうち、宮城は、原審弁護人の反対尋問において、「背が高く、がっしりとした方で、髪は長く、どう猛というか恐ろしい顔をして向かってきたので、一番怖かった。一度見たら忘れられない顔であった。」と、また茨城も、「過去に見たことがあるような気がする人物で、非常に毛髪が長く、はち巻をしてゼッケンを付けており、糾弾を受けたときに非常にひどかったので印象深く、顔を覚えていた。」と、それぞれ被告人Eの人相、特徴等に触れて具体的に供述しているのであって、これらの者の供述は十分信用するに足りるものがある上、岩手を含めて右三名は、本件から三か月余りしか経っておらず、いまだ同被告人らに対する印象の鮮明であった昭和五〇年一月二二日又は二三日に、検察官の取調べを受け、その際、多数の解同員が撮影されている現場写真や顔写真の中から、当時の自己の記憶に基づき、被告人Eを特定したものであって、右特定の経過にも何ら不自然ないし作為的なものは認められない。してみれば、本件において同被告人がハンドマイクを岩手らの耳元に近付けて怒鳴るなどの行為に及んだことは、揺るぎない事実というべきであり、この点の所論もまた失当である。

なおまた、所論は、仮に本件糾弾中に激しい言葉、或いは原判示のような言葉が発せられたとしても、それは、右被告人らの真剣な説得に全く耳を貸そうとせず、同被告人らの糾弾を無視する態度をとる者に対して投げかけられた言辞であって、本件全体としての糾弾行為は、あくまでも部落差別の実態、或いは本件ビラの差別性を中心とする説得行為であり、したがって、被告人Aらの青森らに対する行為は、原判示のように「多数の包囲と威圧により同人らの脱出を著しく困難ならしめた」として監禁罪と評価されるべきいわれはなく、同罪の構成要件に該当しない、ともいう。右主張の趣旨は、事実誤認の論旨との関係でみれば、要するに、同被告人らの本件所為は被害者らをして脱出を著しく困難ならしめ、或いは不可能ならしめる程度のものではなく、監禁に当たらないのに、原判決がこれを肯定して監禁罪の成立を認めたのは、事実を誤認したものである、というのに尽きる。

しかしながら、右の点については、原判決が詳細に認定、説示するところであって、当裁判所もこれを正当として是認することができ、結局、本件における被告人Aらの所為は、たとえ糾弾のためとはいえ、多数の包囲と威圧により被害者らの脱出を著しく困難ならしめる程度のものと認められるから、これが監禁罪を構成することは明らかである(なお、可罰的違法性などの法的判断については、後に別途論述する。)。したがって、右の所論もまた採用の限りでない。

以上のとおりであるから、所論指摘にかかる事実関係等をもとに、被告人Aらの本件所為が監禁行為に当たるとした原判決の認定及び判断は正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。

二  原判示第二の事実(青森宅・秋田議員包囲事件)について

1 青森宅包囲事件

所論は、原判決が、公訴事実中昭和四九年一〇月二〇日ないし同月二二日午後五時三〇分までの事実につき、監禁罪の成立を否定しながら、その後事態に本質的な変化が生じていないのに、同月二二日午後五時三〇分以降同月二六日午前一一時四五分までの事実をもって監禁罪に該当すると認めたのは、事実を誤認したものである、というのである。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、本件犯行の経緯及び状況、並びに被告人Aらの具体的な行動等については、いずれも原判決が詳細に認定、摘示するとおりと認められる(もっとも、弁護人らも、右の事実関係そのものを争っているわけではない。)が、それによると、一〇月二二日午後五時三〇分ころ以降の事態は、それ以前のものと比べ、糾弾行動の態様並びに手段・方法、程度などにおいて、飛躍的な発展、変化を示していることが認められるのであって、少なくとも右時点以降の事実については、被告人Aら三名が多数の解同員らともども青森を監禁したことを優に肯認できるものといわなければならない。

すなわち、右証拠によれば、原判決も説示するように、一〇月二二日午後五時三〇分ころまでの段階にあっては、一応、同月二〇日と二一日の両日、いずれも午後七時ころから被告人Aら三名を含む約三五〇名の解同員らが集会を開き、原判示青森方居宅に向けてデモ行進した上、同宅前付近において、同人に対し糾弾に応じるよう要求し、或いは同人を非難、ば倒する演説、シュプレヒコールを繰り返すという状況は見られたものの、右デモ行進自体はおおむね警察への届出の趣旨に沿って行われ、かつ、時間的にも約三〇分ないし一時間程度の比較的に短いものであり、また、右の集会、デモ行進のほかには、二一日昼間、青森宅前付近道路のガードレールに部落解放同盟の荊冠旗などがくくりつけられたこと、及び二二日昼間、数名の解同員らが青森宅西側通路付近からシュプレヒコールなどを散発的に発していたことぐらいであって、いずれにしても、青森宅を包囲するとか、同人に対しそれ以上の集団的な威圧を加えるとか、或いは同人が右居宅から出て来れば直ちに捕えて糾弾するだけの具体的な態勢のもとに監視を継続していたことを認めるに足りる状況は見出しがたいのに対し、二二日午後五時三〇分ころ以降にあっては、これより先の同日午後四時過ぎころ、当時日本共産党に所属する兵庫県選出の衆議院議員であった栃木二郎らが青森宅を訪問したことを契機として、これを聞知した解同員ら約一〇〇名が、青森宅西側空地の出入口に駐車した解放同盟澤支部所属のマイクロバス付近にい集し、被告人Aらと共に、青森宅に向けて演説、シュプレヒコールをするなどの事態に立ち至り、それ以後、毎日午後七時ころから八時ころの間は、約五〇〇ないし二〇〇〇名の解同員らが参集して同宅内の青森六助に対しマイクを用いるなどして演説、シュプレヒコールを繰り返すのみならず、右集会終了後も一〇〇ないし二〇〇名程度の解同員らが同所に残留して肉声でシュプレヒコールなどを続け、夜半から翌朝にかけては、約一〇ないし数一〇名の解同員らが青森宅西側通路などでたき火を囲むなどしながら同宅内の動静をうかがい、昼間は、常時数一〇ないし二〇〇名程度の解同員らが同宅前路上及び西側通路などに待機し、断続的にシュプレヒコール、演説などを反復するなどしていたものであり、同月二六日午前一一時四五分ころまでの間、終始解同員らが同宅付近から退散することはなかったことが認められるのであって、これらの事実関係に徴すれば、右の後者の事態は、前者のそれに比して、単に参加人員が多数にのぼるだけでなく、一段と緊張の度合いを増した状況のもとで、長時間にわたり演説やシュプレヒコールなどを反復し、かつ、継続的に青森宅を包囲して監視するなど、糾弾行為の態様並びに手段・方法、程度において、飛躍的な発展、変化を示しているものというべきである。したがって、一〇月二二日午後五時三〇分ころ以降における解同員らの右の行動が、青森をして自宅内に閉じこもり自由に外出等をすることを断念させるに十分な行為といえること、その間、たとえ一時的には一〇名程度の者が青森宅内の動静をうかがっているにすぎない状況があったにしても、右時点以降同月二六日午前一一時四五分ころまでに至る間の解同員らの所為が、その全体を通じて監禁罪を構成するものと認められること、また、青森の妻花子をはじめ、日本共産党関係の支援者、弁護士らが解同員らに妨害されることなく青森宅に出入りできていたことも、その事実をもって青森六助個人に対する監禁がなかったことの証左とすることはできないこと、更に、被告人Aらには監禁の故意及び他の解同員らとの間の共謀が認められることなどについても、原判決の説示するところは正当であって、これに異論を差しはさむ点はない。してみれば、本件における被告人Aらの所為は、少なくとも一〇月二二日午後五時三〇分ころ以降に関する限り、主観的にも客観的にも、刑法二二〇条の「監禁」に該当するものと認めるのが相当である。

これに対し、所論は、一〇月二二日午後五時三〇分以降青森宅付近に集まった解同員らの人数が増え、現場の緊張状態が強くなったことはあるが、これは、青森との関係で変化が生じたものではなく、現場に登場してきた、警察機動隊及び多数の民青同盟員らとの間に生じたにすぎない旨主張する。

たしかに、本件において右のような変化を生じさせた原因が、前示秋田議員らの訪問やそれに続く所論警察機動隊及び民青同盟員らの登場にあることは否定できないが、そうであるからといって、青森に対する監視等の強化行為がなく、本件監禁の事実までもが否定されるとは考えない。けだし、本件においては、右の秋田議員らの訪問等によってもたらされた事態の変化が、単に警察機動隊や民青同盟員らに対する関係のみにとどまらず、その一方で、原判示のように青森及び同宅に対する包囲、監視の強化へと発展するに至ったことも明らかといわなければならないからである。

以上いずれも所論は失当であり、その他るる所論が主張するところにかんがみ、更に記録を調査、検討しても、前示の結論を変更する要をみない。

そうすると、公訴事実中一〇月二二日午後五時三〇分ころ以降同月二六日午前一一時四五分ころまでの事実に対し本件監禁罪の成立を認めた原判決は正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。

2 秋田議員包囲事件

所論は、要するに、本件監禁罪の成立を肯認した原判決の事実誤認を主張し、本件においては、被告人Aらは秋田議員らを「監禁」したとの主観的認識もなければ、客観的状況もなく、その本質は、和田山警察署署長らが秋田らに対し再三退去を促したにもかかわらず、あえて一日以上、秋田ら自身が青森宅に滞留したものであり、「解放同盟による不法監禁」という事実を秋田らが捏造しようとしたものである、というのである。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、秋田議員らに対する関係においても、原判示の約四時間三〇分にわたる監禁罪の成立は優に肯認することができる。

すなわち、本件は、現象的には青森宅包囲事件の一部をなす事件であって、その発生に至る経緯及び犯行の状況等については、原判決が青森宅包囲事件と包括して認定、摘示するところであり、また、これら原判示の事実関係が関係証拠に照らして肯認できることも、さきに見てきたとおりである。それによると、原判決も説示するように、本件においては、一〇月二二日午後五時ころ、秋田ら七名が青森宅から出て、同宅西側空地に乗り入れていた二台の乗用車に分乗し発進しようとした際、被告人Aの指示により、解同員らが右空地出入口に駐車させていたマイクロバスのまわりをスクラムを組んで取り囲む行為、被告人Cが右マイクロバスのエンジンキーを引き抜くなどして同車を移動できなくした上、同被告人の父柏一也が同車と秋田らの乗用車との間の溝蓋の上に寝転び、被告人Aが「お前達がバックさせたら殺人者として法廷に出んならんことは明らかだ。」「お前達の車がちょっとでも動いてみろ、殺人者だ。」などと怒号し、秋田らの乗用車の発進を阻止する行為、その後同所付近に約一〇〇名の解同員らがい集し、警察官の警告を無視したままアジ演説を続けるなどする行為、更に、右マイクロバスを移動させた後も、被告人Aにおいて、解同員らにピケットを張るよう指示した上、多数の解同員らがアジ演説、シュプレヒコールを繰り返し、デモ行進をする行為などが認められるのであって、これらの行為が秋田らの乗用車の発進を物理的に阻止して同人らの退出を不可能ならしめ、或いは多衆の包囲、監視やこれに伴う威圧的行動などによって青森宅に戻った同人らの退出を著しく困難ならしめるものであることは明らかである。そして、被告人Aらに、右秋田議員らの関係でも、原説示のとおり、監禁の故意及び他の解同員らとの間の共謀が存することも青森本人の場合と異なるところはなく、してみれば、青森宅包囲事件と同様に、秋田らに対する被告人Aらの所為もまた、主観・客観のいずれの面からしても、刑法二二〇条の「監禁」の要件に欠ける点はないというべきである。

もっとも、本件においては、所論が指摘するように、和田山警察署署長上田勝三らが秋田らに対し再三青森宅からの退去を促したにもかかわらず、秋田らがこれに応じようとしなかったことも事実であるが、右の退去要請がなされたのは、一〇月二二日午後一〇時ころ警察機動隊が解同員らを実力で排除する態勢をととのえてから後のこと、すなわち原判決の認める本件監禁の終了後のことであり、しかも秋田らは、当時続けられていた解同員らによる青森宅の包囲を即時排除するよう求めて、右の退去要請に応じなかったというのであるから、秋田らの右退去要請拒否の態度をもって、前示認定を左右することはできなく、もとより、所論のように「解放同盟による不法監禁」という事実を秋田らが捏造しようとしたとの疑いも、これを容れる余地はない。

所論はまた、本件における解同員らの所為は自然発生的かつ一時的な抗議行動にすぎないとも主張するが、前示のとおり、被告人Aの指揮のもとに、秋田らの退出を妨害するためのピケットを張り、青森と合わせて同人らを非難するアジ演説やシュプレヒコールを頻繁に繰り返し、更に多人数で路上をデモ行進するなどに及んだ解同員らの本件所為は、組織的かつ計画的であって、到底自然発生的な抗議行動ということはできず、また、秋田らの関係での右行為が当日午後五時ころから深夜にまで続けられていることからみても、単なる一時的なものとは認められないところであって、この点の所論も失当といわなければならない。

そうすると、秋田らに対する関係においても監禁罪の成立を認めた原判決は正当であり、所論のような事実誤認のかどはない。

三  原判示第三の事実(生野駅・南真弓公民館事件)について

所論は、原判示別表(二)記載の三重六夫など二〇名の被害者が多数の解同員らによって、その意に反して生野駅ホーム上から南真弓公民館まで連行された後同所において監禁され、更に同ホーム上及び右公民館において同人ら一三名が暴行を受けて負傷するに至ったという事実は争わず、ただ、被告人J及び同Kの刑事責任を問う前提となった同被告人らの具体的な行動について、原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで検討するに、原判決挙示の関係証拠によれば、右被告人両名の具体的な行動として原判決が認定、摘示するところは正当であって、当裁判所もこれを是認することができる。以下、各被告人ごとに、論点についての判断を示すこととする。

1 被告人Jについて

(一) 所論は、被害者らが乗車する予定の急行但馬一号が生野駅に到着した際、被告人Jが「列車に乗せるな。」と叫んだり、或いは被害者らに対し「一〇分間時間をやるから、話し合いに応ずるかどうか考えろ。」と言ったとの原判決の認定は誤りであり、そのような事実はなかった、と主張する。

しかしながら、検察官も反論するように、群馬三郎及び埼玉四郎の原審各証言によれば、被告人Jが他の解同員らに対し大声で「列車に乗せるな。」と指示したことが認められ、また、千葉五郎、新潟六郎、富山七郎、石川八郎、福井九郎、山梨一夫らの原審各証言によれば、右の「一〇分間時間をやるから、話し合いに応ずるかどうか考えろ。」と言ったのも同被告人であることが認められ、いずれも原判決の認定は正当である。

なお、所論は、右千葉以下の各証人は、被告人Jの顔と名前が知られているため、本件の責任を同被告人に押し付けるべく虚偽の供述をしているというやにうかがわれる主張をするが、右各証言は、いずれも前後の状況を含め具体的かつ詳細で、互いの間に矛盾もなく、十分信用できるものであって、それが所論のように虚偽ではないかと疑わせるふしは見受けられない。他方、右認定に反する同被告人の捜査段階及び原審公判での供述は、それ自体種々変遷していて、不自然であるばかりか、右の各証言等に照らし、到底措信できない。

(二) 所論は、被害者の一人である富山七郎の原審証言中、「きつい包囲ではなかったものですから、三〇人のうち何人かは乗り込めたと思います。」との部分をとり挙げて、被害者らは、当時乗ろうと思えば乗れたはずの前記列車に乗ろうとせず、かえって解同員に対して挑発的言動をとり、事件を起こすべく座り込んだ、と主張する。

記録によると、たしかに、富山は所論指摘のような供述をしているが、同人は、右の部分をふえんして「私自身は乗れる、乗ろうと無理に思えば、しようとすればですね、乗れる状態だったけれども、その何人かは取り残されると思ったので乗らんかったんだというふうに言ったんです。」とも供述しているのであって、これらを総合して判断すれば、その供述の趣旨は、まさしく検察官がいうとおり、「流血の犠牲を顧みずに体当たりなどで人垣を強行突破すれば、乗車できないことはなかったが、その場合でも、仲間の何人かは突破できずに取り残され、手ひどい仕打ちを受けると思ったので、あえて乗車しなかった。」というものであり、所論のいうような「乗ろうと思えば乗れたのに、事件を起こすべくあえて乗車せずに座り込んだ。」というものでないことは明らかである。そして、右富山のほか、千葉五郎、群馬三郎、長野二夫、岐阜三夫らの原審各証言によれば、被害者らは、真実同列車に乗る意図であったのに、これを阻止しようとする解同員らの二重、三重の人垣に妨げられて、乗車を断念せざるを得なかったことが認められる。したがって、この点の原判決の認定にも誤りはない。

(三) 所論は、スクラムを組んで座り込んでいる被害者らに対する解同員らの暴行及び逮捕行為が、被告人Jの「公民館へ連れて行け。」との指示によって開始されたとの原判決の認定は誤りであり、その時点において、同被告人は、生野駅を離れ、いったん自宅へ帰っていた、と主張する。

しかしながら、前記群馬、新潟、埼玉、更には福岡四夫らの原審各証言によれば、同被告人が、生野駅にいて、解同員らに対し原判示の趣旨の言辞を発した上、被害者らを強制的に連行するよう指示したことは、紛れのない事実と認められる。他方、右の時点で生野駅にいなかった旨の同被告人の弁解は、さきにも触れたように種々変遷がみられ、到底措信できない。この所論も失当である。

(四) 所論は、被告人Jが、南真弓公民館における糾弾の間、ほぼ終始二階の糾弾会場にいて、被害者らに対し「名前を言え。」「リーダーは誰だ。」などと怒号し、また、糾弾の方式についても他の解同員らに指示をしたなどとする原判決の認定は誤りであり、同被告人は、そのような行為に出ていない、と主張する。

しかしながら、前記千葉、長野、富山、埼玉、山梨のほか、愛知五夫、三重六夫、滋賀七夫らの原審各証言によれば、原判示のとおり、同被告人は、右公民館における監禁の間、ほぼ終始二階の糾弾会場にいて、他の解同員らと共に被害者らを取り囲み、或いは、前面に立ちはだかるなどした上、「名前を言え。」「リーダーは誰だ。」などと怒号し、リーダーが千葉五郎であることが判明した後は同人を対象に特に激しい糾弾をし、また、糾弾の方式などについても他の解同員らに指示をしていたことが認められるのであって、これらの点に関する原判決の認定にも誤りはない。

右に関連して、所論は、同被告人が被害者の一人である岐阜三夫に対して「君達は若いんだから大事にしなさい、県連の者が来たらこんなことではすまされん。」と申し向けたとの原判決の認定に触れ、同被告人としては、岐阜のような若い学生が差別問題を十分理解しないままビラ配布行為をすることに対して注意したにすぎず、これを脅迫的言辞を述べたかのように判示している原判決は、同被告人の真意を曲解したものであると主張するが、検察官も反論するように、同被告人は、解同員らが被害者らを監禁しつつ手ひどい暴行を加えている渦中において、これを認識・認容しながら、あえてそのように岐阜に対して述べたのであるから、右の「県連の者が来たらこんなことではすまされん。」という言辞は、解放同盟県連の役員らが現場に出動してきていたら、到底この程度の暴行ではすまされないとの趣旨の脅迫的意味をも含むものと認められる。してみれば、この点の原判決の認定及び判示方法にも問題はなく、もとより、所論のいうように同被告人の真意を曲解したものでもない。所論は失当というほかない。

更に、所論は、警察機動隊員らが公民館に立ち入ってきた際、同被告人がその救出活動を妨害したとの証拠はないともいうが、同被告人が他の解同員らとスクラムを組んで立ち並び、解放歌の音頭をとり、或いはシュプレヒコールを繰り返したことは、同被告人も自認しているところであり、また、それが警察官の救出活動を妨害する意図のもとに出た行為であることも、関係証拠によって認められる当時の客観的諸状況に照らして明らかであるから、この点の所論も採用できない。

2 被告人Kについて

(一) 所論は、被告人Kが、南真弓公民館において、被害者らに対し暴行の実行行為に及んだとの原判決の認定は誤りであり、そのような事実はなかった、と主張する。

しかしながら、同被告人が群馬の顔面を殴打し、滋賀の胸部を蹴りつけるなどして、暴行の実行行為に及んだことは、右被害者両名の原審各証言、その他原判決挙示の関係証拠によって優に肯認することができる。したがって、この点の原審認定に誤りはない。

これに対し、所論は、(1) 当時被害者らは、車座になり中を向いて座っていたのであるから、自己の背後から暴行を加えた犯人を識別・特定することは不可能である、(2) 滋賀の場合、同人の付近には被告人K以外の解同員もおり、また、胸を蹴られたのも一瞬のことであるから、滋賀において、瞬時に犯人の人相、着衣、体格等を認識できたかは疑問である、(3) 被害者らが捜査官に被害状況を供述したのは、本件発生より相当日数を経過した後のことであって、その間に相互に供述について打合わせする時間があったなどとして、右被害者らの証言の信用性を争うが、右(1)の点についてみれば、当時解同員らは、被害者らの車座の外側にも、内側にもいたのであって、必ずしも被害者らの背後からのみ攻撃をしたものではなく、また、たとえその攻撃が背後からなされた場合であっても、被害者らが犯人を識別・特定することが常に不可能とばかりはいえず、このことは、右(2)の点についても同様で、滋賀に対する被告人Kの暴行行為が、たとえごく短時間の一回限りのものであっても、滋賀において、自己の正面直前にいる同被告人の人相等を瞬時に認識することは、十分可能であったと考えられ、更に、右(3)の点についても、本件において被害者らが所論のような打合わせをしたとか、虚偽の供述をしたと疑わせるふしは見当たらないところであるから、結局所論は、右のいずれの点においても、被害者らの証言の信用性を否定する論拠とはなし得ず、失当というべきである。

(二) 所論は、原判決中、警察機動隊員らが被害者救出のため公民館へ立ち入ろうとした際、被告人Kがこれを実力で阻止しようとしたとの認定は、証拠に基づかない推測である、と主張する。

しかしながら、同被告人が、昼食後はもっぱら公民館の玄関前に出て、右機動隊員らが館内に入るのを実力で阻止しようとしていたことは、同被告人自身捜査段階で自認しているところであるばかりか、他の原判決挙示の写真撮影報告書等によっても優に肯認できるから、右の所論は当たらない。

(三) 所論は、原判決が、いわゆる承継的共同正犯の理論により、被告人Kに対して、その加功前の共犯者の行為についてまで刑事責任を認めた点を非難し、一般に、事後の加功の認識があるからといって、先行者の行為についてまで後行者に責任を負わせることは正当でなく、本件の場合は、そもそも同被告人の事後の加功の認識、或いは先行者の犯罪行為さえもなかったかのように主張する。

しかしながら、一般に、承継的共同正犯の場合、先行者の行為を認識・認容しつつ加功した後行者は、加功前の先行者の行為についても責任を負うべきものと解するのが相当であるところ、これを本件についてみるに、同被告人の捜査段階での供述、その他関係証拠によれば、同被告人は、本件当日青森宅付近で糾弾闘争に参加中、他の解同員から「生野駅周辺で解放同盟を批判するビラを配っていた民青の者二〇数人を真弓支部の者が連れて行って糾弾している。」と知らされて、これに参加するため南真弓公民館に赴いたが、同公民館二階の糾弾会場に入った際、そこでは解同員らと対面して被害者らがうつむいて正座させられ、これに対し解同員らが激烈な糾弾を加えており、被害者らの中には口もとを青く腫らしている者や目を腫らしている者もいたというのであるから、当時同被告人において、被害者らが同公民館へ強制的に連行され、暴行を受けつつ監禁されていることを十分認識したものと認められ、したがって、その後、自らも前記(一)のとおり犯行に加功した以上、少なくとも加功前の逮捕、監禁の部分についてはその認容があり、承継的に刑事責任を負うことは明らかである。右と異なる前提に立つ所論は採用できない(なお、所論のうち、被害者らの連行に際して特段の有形力の行使が存しなかったとする点の失当であることも、前記説示に照らして多言の要がない。)。

以上のとおりであるから、被告人Jについては、生野駅ホームにおける抗議及び南真弓公民館における糾弾を通じ、同被告人が指揮者・主催者の一人として他の解同員を指揮し、糾弾会を進めたとし、また、被告人Kについては、同被告人が犯行に加功した際認識・認容していた事情及び加功後の行動を根拠に、いわゆる承継的共同正犯の理論を採用した上、いずれにも共同正犯としての刑事責任を肯認した原判決の認定、判断は正当であり、所論のような事実誤認のかどはない(もっとも、原判決が、被告人Kにつき、「被害者静岡、福井に対する傷害の責任をも同被告人に負わせるのは相当でなく、右二名に対する関係では暴行の限度で責任を負わせる」とした点は誤りで、是認できないが、これについては、後記第六、職権調査の項で改めて記述することとする。)。

四  原判示第四の事実(新井駅事件)について

所論は、被告人Lが、大阪八夫の大腿部を足げにした上、手拳で同人の顎を殴打し、角材で兵庫九夫の頭部を殴打したとの原判決の事実認定は誤りで、同被告人はそのような所為に出ていないというのであって、その実質は、大阪らに右暴行を加えた犯人と同被告人との同一性を争う趣旨と解せられる。

そこで検討するに、被告人Lが自ら右の各所為に出て本件犯行に加功したことについては、当の大阪及び兵庫がいずれも原審公判において明確に証言しているところであって、これら証言を含む原判決挙示の関係証拠によれば、同被告人の本件実行正犯としての罪責は優に肯認できるものといわなければならない。すなわち、右証拠によれば、本件発生の際、大阪は、自己に対して大腿部を足げにし手拳で顎を殴打した犯人が、その後兵庫に対しても角材で頭部を殴打するのを現認していること、大阪、兵庫の両名とも、捜査段階において、それぞれ多数の写真の中から被告人Lのそれを選び出し、更に面通しによって同被告人を右の犯人として特定しており、原審公判においてもこれを維持していること、そして何よりも、右両名が目撃した犯人は、手の甲あたりに白い布状のものを巻いていたことが、それぞれ認められるが、被告人Lが当時右手関節捻挫のため右手首から手甲にかけて白い包帯を巻いていたことは、同被告人も自認するところであり、また、当時現場にいた解同員らのうちに同様の特徴を備えた者が他に存在したというような事情もうかがえないのであるから、同被告人が右の犯人であることは明らかというべきである。

これに対し、所論は、右被害者両名の犯人特定に関する供述には、種々不自然ないしはあいまいな点があり、客観的事実に相違し、かつ、相互の間で矛盾も見られるなどとして、その信用性を疑問視するが、所論が指摘する点はいずれも供述の本質的な部分ではなく、本件発生後、右両名が原審公判で証言するまで、相当長年月を経過していることを考え合わせると、その記憶に若干のあいまいさや相違点があったとしても、むしろ当然ともいえるから、これがあることをもって、所論のように供述全体の信用性を疑問視するのは当を得ない。

所論はまた、同被告人の手首の負傷の程度から、大阪らが供述するように、同人から奪ったビラ約三〇枚を破ったり、角材を握って兵庫に殴りかかったりすることができるはずはないともいうのであるが、医師奈良一夫の原審証言によれば、同被告人の負傷の程度は、右手首関節に腫れがあって赤味を帯びており、手の背屈運動に痛みは伴うものの、捻挫としては中等度で、全治一週間ないし一〇日間程度のものと見込まれ、手首固定の方法もボール紙の副木を当て、拇指の関節は自由にして包帯を巻いただけのものであり、指で物をつかむことも比較的に容易であったと認められるところから見て、同被告人が右のような行為に出ることは十分可能であったと考えられる。したがって、この所論もまた失当といわなければならない。

その他所論がるる主張するところにかんがみ、更に記録を調査、検討しても、前示の結論を変更する要をみない。

そうすると、大阪らの原審各証言が信用できるとし、かつ、これらを含む関係証拠により被告人Lにつき原判示傷害罪の成立を認めた原判決の認定及び判断は正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。

五  原判示第五の事実(青倉駅事件)について

所論は、和歌山二男、鳥取三男、岡山四男及び島根五男が多数の解同員らから原判示の暴行、傷害を受けた事実は争わず、ただ、被告人Dを犯人の一人と認めた点において、原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで検討するに、同被告人が本件犯行に加功した状況については、右の被害者らがいずれも原審公判において明確に証言しているばかりか、同被告人自身もまた、捜査段階においては、民青同盟員らしい若い男二、三人を殴ったことがある旨供述するなど、一部本件犯行への加功を自認していたところであって、これら証言及び自白を含む原判決挙示の関係証拠によれば、同被告人が犯人の一人であることは、紛れのない事実といわなければならない。

これに対し、所論は、(1) 和歌山らは、本件時の被告人Dの人相・服装の際立った特徴について、全く或いは極めて不正確にしか記憶しておらず、犯人を特定した根拠があいまいである、(2) 和歌山らは、解放同盟に露骨な敵対心を抱き、その解放運動を憎むの余り、たまたま本件現場で自動車のボンネットの上へ登るという特異な行動によって目についた被告人Dを、虚偽の供述によって犯人に仕立て上げたものである、(3) 島根についていえば、同人は裸眼視力が〇・一しかなく、被告人Dに暴行を加えられたとする時点以前に、他の者に顔面を殴打されて眼鏡をなくし、しかも右眼を殴打された痛みに耐えかねていた状態であったから、同被告人を識別することができたとする供述には致命的な疑問があり、島根が、犯人の目が鋭かったと微細に過ぎる点まで供述しているのは、かえって作為性を証明するものであるし、鳥取についても、同人は、原審公判において、被告人Dとは別の人物の写真を指して、顔面を殴打した犯人と似ていると供述しているなどとして、和歌山らの犯人特定に関する原審各証言の信用性を強く争うのである。

しかしながら、原判決も説示するように、和歌山らは、手や足が届く至近距離で暴行を受けたもので、その犯人を十分観察・認識しており、捜査段階において、多数の写真の中から被告人Dを指して犯人として特定し、原審公判においても、犯人の一人は同被告人である旨一致して供述しているところ、更に、右犯人の特徴として、たとえば鳥取は、目のあたりに絆創膏を貼っていたこと、島根は、金縁の薄い茶色のサングラスをかけていたこと、岡山は、ジャンパーかズボンのポケットに手を入れ、肩をいからせて歩いていたことをそれぞれ挙げ、部分的とはいえ、同被告人自身の供述その他関係証拠によって認められる同被告人の際立った特徴と符合する供述をもしているのであって、和歌山らの前記各証言の信用性は十分と認められる。所論は、以下に述べるように、その論拠が薄弱というべきであって、採用できない。すなわち、所論が指摘している前記(1)の点についてみれば、なるほど右の被害者らは、それぞれ犯人の特徴の一部しか認識ないし記憶しておらず、或いは客観的特徴と若干の食い違いがあること、所論のいうとおりである(もっとも、和歌山が犯人の特徴に言及していないのは、単にこの点についての尋問がなされなかったことによるものと考えられる。)が、検察官も反論するように、本件の場合、四人の被害者が四人とも、犯人の特徴のすべてを認識ないし記憶し、或いは四人の供述が完全に合致することの方がむしろ作為的で不自然というべきであるから、右の不一致は必ずしも前記各証言の信用性を左右するに足りるものではない。また、前記(2)の点についても、単に供述者が同被告人の所属する団体と対立関係にあるというだけでは、その供述の信用性を否定する根拠となし得ず、それに、本件においては、被害者らが細部に至るまで整合性のある供述をしているわけではないから、到底所論のように、被害者らが口裏を合わせて被告人Dを犯人に仕立て上げたものとは考えられない。更に、前記(3)の点についても、島根の場合、同人は、本件当日の午前八時過ぎという明るい時間帯に、屋外で、正面直近に相対した被告人Dから着衣をつかまれ、膝で腹部、大腿部を数回も蹴られたのであるから、たとえ島根が眼鏡をなくして視力〇・一の裸眼の状態になっていても、犯人の顔の特徴ぐらいは識別できたであろうし、他方、鳥取の場合、なるほど所論の写真の男に関して、同人は、左口唇を手拳で殴打した男と「感じはよく似ていると思います。」と述べてはいるが、その前段において、右写真の男は被告人Dと「同一人物とは思いません。」と述べ、両者が別人であることを識別しているのであって、結局、右のいずれの被害者についても、所論指摘の点をもってその供述に致命的な疑問があるとか、或いは作為性があるとはいえない。

所論はまた、被告人Dは、労働災害による負傷のため第五級の右足機能障害を有するので、原判示のように、和歌山や島根に対して足げにするという暴行に及べるはずがない、ともいうのであるが、原判決も説示するとおり、和歌山、島根の両名は、同被告人から足蹴り、膝蹴りされた状況を明確に証言している上、同被告人は、当時重機運転手として稼働していたこと、本件現場においても自動車のボンネットの上に登って立つなどしていたことからすると、その強弱の程度はともかく、右のような犯行に出ることが不可能であったとは考えられないから、この点の所論も採用できない。

その他の所論にかんがみ、更に記録を調査、検討しても、前示の結論は変わらない。

そうすると、和歌山らの原審各証言が信用できるとし、かつ、これらを含む関係証拠により被告人Dにつき原判示傷害罪の成立を認めた原判決の認定及び判断は正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。

六  原判示第六の事実(大薮公会堂事件)について

所論は、原判示現場において、被告人M及び同Hはもとより、他の解同員らも、広島六男及び山口七男に対して暴行を加えたことがないのに、同被告人らにつき、それぞれ原判示のような暴行による加功があったとして、暴力行為等処罰ニ関スル法律一条の共同暴行罪の成立を認めた原判決は、事実を誤認したものである、というのである。

そこで検討するに、右被告人両名がそれぞれ広島六男らに対し原判示のような暴行を加えて原判示各犯行に加功したことについては、当の広島六男らが原審公判或いは捜査段階においていずれも具体的かつ明確に供述しているところであって、これら供述を含む原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第六の事実は優に肯認できるものといわなければならない。

これに対し、所論は、(1) 広島六男の負傷はわずかに全治二日間の「下口唇腔側挫創等」にすぎず、同人のいうような手ひどい暴行を受けたにしては、軽きに過ぎる不自然なものであり、現に、事件直後に同人と会って様子を見た当時の養父町長徳島八男も、広島六男には暴行を受けた痕跡が見られなかった旨証言している、(2) 広島六男の証言中には、種々あいまいな点や食い違いなどが存在し、かつ、これらは原判決のいうように簡単に軽視できるものではない、(3) 広島六男は、日本共産党の党員であって、その立場上、解放同盟に敵対し、これに所属する本件被告人らに対し激しい敵意を抱く者である、(4) 他方、山口七男も六男の父であり、六男と同様、解放同盟や被告人らに敵意をもっていたであろうし、何よりも、その供述は原審弁護人の反対尋問を経ていないなどとして、広島六男及び山口七男の原審証言或いは捜査段階の供述の信用性を強く争うのである。

しかしながら、原判決も説示するように、広島六男及び山口七男は、本件被告人ら解同員から暴行を受けた状況についていずれも具体的に供述しており、これら供述は、暴行の細やかな態様、順序等につき若干あいまいな部分や食い違いはあるものの、大筋において一貫し、殊に、原判示第六の二の事実については、同一機会に暴行を受けたとする内容がおおむね一致していることからしても、十分これを信用することができる。所論は、以下に述べるように、その論拠とするところが前提を欠き、若しくは根拠薄弱というべきであって、採用の限りでない。すなわち、所論が指摘している前記(1)の点についてみれば、所論のいうような「全治二日間の下口唇腔側挫創等」の負傷にすぎないという証拠はなく、かえって、広島六男の原審証言によると、同人は、当初五日間の加療を要する「下口唇口腔側挫創、左下腿・右大腿部打撲症」の負傷との診断を受けていたものの、実際には、事件当日と約一週間後の二回にわたって治療を受けたことがうかがわれるのであって、その負傷の程度は、原審の認定する被告人らの暴行の態様等に照らし、必ずしも軽きに過ぎる不自然なものとまではいえず、他方、徳島八男の原審証言中には、なるほど所論のような趣旨の部分も存在するが、その証言の信用性には疑問がある上、同証言とても広島父子が事件後程なく同証人のもとに被害の事実を訴えてきて医師の診察を受けるよう指示し、その結果、広島父子が傷害を負っている旨の医師の診断書が作成、交付されたことまで否定するものではなく、基本的には前示広島六男の供述の信用性を妨げ、所論を正当づけるに足りるものではない。また、前記(2)の点についても、たしかに、広島六男の原審証言中には、所論指摘のような供述のあいまいさや食い違いがいくつか散見されるのであるが、これらは、原判決も説示するように、同人の記憶がもともと不鮮明であったり、或いは証人尋問が長期間にわたるうち記憶が若干混乱したりしたことに起因するものと考えられ、内容的にみてもそれほど重要な点についてではなく、到底同人の証言全体の信用性まで否定するに足りない。更に、前記(3)及び(4)の点についても、なるほど、広島父子が当時本件被告人らと所論の対立関係にあったこと、及び山口七男の供述が原審弁護人の反対尋問を経ないものであること、いずれも所論指摘のとおりであるが、そうであるからといって、直ちにこれら供述の信用性を否定し去ることは相当でなく、むしろ、本件においては、これら供述を含む関係証拠を仔細に検討しても、右両名があえて虚偽の供述までして同被告人らを陥れようとした形跡は見当たらないから、これらの供述は、所論のような事由の存在にもかかわらず、その信用性は相当に高いものと評価し得るのである。

所論はまた、広島六男の負傷の部位が口唇部のみであるとした上、その傷は、原判示公会堂内で解同員らが同人に向かって押しかけたときに、はずみで自ら携帯しているワイヤレスマイクの先で切ったために生じたもので、被告人ら解同員の暴行によるものではない、とも主張する。

しかしながら、広島六男の負傷の部位が口唇部のみにとどまらないことは、前示のとおりであり、更に、山口七男の検察官に対する各供述調書によれば、同人は、事件当日の午後一時半過ぎころ、原判示公会堂に入って六男に話しかけたとき、既に六男の唇のあたりに血がにじんでいるのを見ているのであって、六男の負傷のうち少なくとも口唇部の傷は、所論のいう解同員らが六男の万に向かって押しかける前の時点で生じたものであることが明らかである。被告人M及び同Hの原審公判における各供述中右認定に反する部分は、山口七男の前記供述調書の記載等に照らし、措信できない。したがって、この所論もまた失当といわなければならない。

そうすると、広島六男らの供述が信用できるとし、かつ、これら供述を含む関係証拠により前記被告人両名につきそれぞれ原判示共同暴行罪の設立を認めた原判決の認定及び判断は正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。

七  原判示第七(同二を除く。)の事実(八鹿高校事件)について

1 本件の背景事情及び経緯

所論は、原判決の認定は、大きな流れという意味では、誤りがないものの、八鹿高校の同和教育の差別性に対する認識、その具体的な現れとして八鹿高校教師らのとった態度にみられる差別性(それは、単に教育的配慮の欠如にとどまらず、差別的である。)の認識に欠けるところがあるという。そして、所論は、具体的に、原判文中のどの部分が事実の誤認であるのかは指摘することなく、もっぱら原審弁論で弁護側が主張した本件の背景事情及び経緯についての事実関係を改めて詳述するのである。

しかしながら、所論にかんがみ記録を調査しても、本件の背景事情及び経緯については、結局原判決が認定、摘示するところに尽きるのであって、何ら右認定等を異とするには当たらない。そして、所論のいう差別性に対する認識の点も、原判決は、本件の被害者である八鹿高校教諭らがとってきた同校の解放研設置をめぐる対応の仕方や、本件当日に見せた集団下校の態度には、教育者として果たして十分な配慮を尽くしていたといえるかどうか、大いに問題であるとした上、そうした被害者らの態度が、日頃部落差別に苦しんでいる被告人ら及び本件に加功した解同員らにとって、差別的・党派的なものと見られる余地のあることをも認め、結局は、これらの者が被害者らに対し、激しい怒りを持ち、糾弾を必要とすると考えたのも無理からぬところがあるといえなくもないと判示しているのであって、その判断は、本件に至る背景事情及び経緯に照らし、十分首肯できるものといわなければならない(なお、この点の詳細については、後に、本件行為の可罰的違法性の問題を検討する際に、改めて論述することとする。)。

してみれば、この点に関する原判決の認定及び判断に誤りはなく、右の所論は採用できない。

2 共謀の成否(一般)

所論は、原判決の共謀に関する一般論は、糾弾会が暴力行為であるという誤った認識に立ち、ひいては、各被告人の刑事責任を論じるにあたり、いかなる程度の実行行為を、いかなる場所で認定できようと、ひとつでも認定できれば、それだけで、全体の刑事責任を容易にかつ直ちに認めるという誤りを犯しているとして、るるこれを論難するのである。

しかしながら、原判決も、糾弾会がおよそ暴力行為であるとの認識に立つものでないことは、原判決がその判文中において、本件各犯行についての事前の謀議、計画性を否定していること、及び本件糾弾に参加した共闘会議構成員の中に一方で暴行を制止した者も相当数あったことを認めていることなどに照らし、明らかである。原判決の説示するところは、要するに、A以下関係被告人のうち、本件各犯行の実行を担当したと認められる者は、他の共犯者との黙示の意思連絡が肯認できるので、本件各犯行全体について刑事責任を負うが、実行していない者は、他の各種の事情を基礎として共謀の有無を解明することになるというのである。右のうち、後段の部分は、当然の原理を述べたまでであり、また、前段の部分についてみても、本件各犯行の状況からすれば、実行行為者は、その実行の際他の共犯者の犯行を認識・認容していることが推認され、しかも、そうした関係は、共犯者間においても順次、連鎖的に成立しているといえるから、原判決の右判断は十分首肯するに足りるものと考える。

これに対し、所論は、本件糾弾行為の過程において有形力の行使はなく、仮にあったとしても、それは、糾弾をしている者と糾弾を受けている者との個別的な状況の中で突発的に引き起こされるものであるから、当然には、当該行為者がそのような有形力の行使を他の被糾弾者に対する関係でも認容していたとはいえない、などと主張する。

しかし、本件糾弾行為の過程で有形力の行使があったことは証拠上明らかであり、ここにおいては、まさにその有形力の行使による結果に対して被告人らがどこまで共犯としての刑事責任を負うのかが問われているところ、たしかに、右有形力の行使の中には、所論のいう個別的要因の介在すると見られるものもないではないが、後述するとおり、本件各犯行は、逮捕、監禁或いは強要と、そのいずれをとって見ても、犯罪の構成要件に該当することが客観的に明らかなものであること、しかも、これらは長時間にわたり、かつ、第一現場(立脇履物店前路上付近)、第二現場(八鹿高校内)のいずれにおいても、互いに近接し限定された場所内にいる被害者集団に対し、同じような態様のもとに行われたものであること、更には、本件の加害者らが糾弾という一定の目的意識を共有し、相互に強い連帯感によって結ばれていることなどの諸事情に徴すると、少なくとも、本件糾弾行為の過程で有形力の行使をした者は、そのような有形力の行使を他の被害者らに対する関係でも認容していたものと推認されるのである。してみれば、右の所論もまた失当というほかない。

3 逮捕罪の成否

所論は、被害者らのうち二〇数名の教諭については、共闘会議構成員らの説得に応じて徒歩で八鹿高校に戻っているのであって、逮捕行為は存在しない、と主張する。所論のいう徒歩で同高校に戻った二〇数名の教諭とは、原判決の別表(五)記載の被害者香川九男ほか四六名のうち、番号2、11、16、17、18、20、21、22、23、24、25、26、28、30、32、35、36、38、44、45、46の愛媛一雄ほか二〇名を指すものと解せられ、このうち、所論は、26の高知松子をはじめとして、24の福岡二雄、28の佐賀竹子、32の長崎三雄、36の熊本四雄、39の大分五雄(ただし、この大分はトラックに乗せられて連行されており、誤解と思われる。)の氏名を例示的に挙げている。

しかしながら、検察官も反論するように、本件第一現場における共闘会議構成員らの言動は、原判示立脇履物店前路上にスクラムを組んで座り込んでいる右香川ら八鹿高校教諭約六〇名に対し、同人らを同高校へ連行するため、いきなり、しかも無差別的に襲いかかり、殴打、足げなどの暴行を加えたというものであって、およそ説得行為とは程遠いものである。すなわち、原判決挙示の関係証拠によれば、当時の状況として、被告人Aが「四人で一人ずつ引き抜け。」「ごぼう抜きにして学校の体育館に連れて行け。」と指示するや、多数の共闘会議構成員らがいっせいに教諭らに飛びかかり、顔面、頭部を手拳で殴打し、或いはひじ打ちを加え、またスクラムを組んでいる腕を手拳で殴打し、土足で蹴りつけてスクラムを解かせ、座り込んでいる教諭らの胸、腹、腰、足、背部等をところかまわず土足で蹴りつけ、踏みつけ、或いは反動をつけて飛び蹴りするなどの暴行を加えた上、数人がかりで教諭ら一人ずつをその頭髪、えり首、手、足等をつかんで隊列から引きずり出し、更に殴る、蹴るなどの暴行を加えていることが認められ、例えば、所論が氏名を挙げている高知らに対する右構成員らの暴行の状況をみても、高知に対しては、左右から頭髪を引っ張り、同女が両脇の男性教諭と握り合っていた手指を一本ずつ外し、更に頭、顔を手拳で数回殴り、尻、背中、足を土足で蹴るなどの暴行を加え、福岡に対しては、胸や足を数回ずつ蹴り、手足をつかんで引っ張るなどの暴行を加え、佐賀に対しては、同女がそばにいた宮崎教諭の上衣をつかんでいた右手の甲を革ベルトで強く叩き、左大腿部を蹴るなどの暴行を加え、長崎に対しては、ハンドマイクを耳元に近づけて怒鳴り、頭を二、三回叩き、更に同人が引きずり出された鹿児島教諭の足にしがみついたところ、後頭部を鈍器様の物で殴打するなどの暴行を加え、四方に対しては、同人がスクラムを組んでいる両腕を引き離して立たせた上、左腕をつかんで振りまわし、その場に転倒させ、更に踏んだり、蹴ったりする暴行を加えている状況であって、いずれも、右構成員らがスクラムを組んで座り込んでいた高知らに対し、これを連行するため、有無を言わさず、一方的に激しい暴行を加えていることが認められるのであり、所論のいうような説得行為が行われたり、被害者らがこれに応じて任意に八鹿高校へ戻ることを承諾したような形跡は存しないのである。

そして、高知らは、いずれも右暴行によって抗拒が不可能又は著しく困難な状態に陥り、右構成員らのなすがままに、腕をつかんで引っ張られ、或いは後ろから押されるなどして八鹿高校へ連行されたものであり、中には、高知のように、連行の途中、つかんでいた同女の腕を離し、服装を直させるなどの事実があったとしても、同女らのそばには右構成員らが付添い、或いは付近の路上を往来するといった状況が続いていたのであるから、その連行行為は、これに先行する暴行と相まって高知らが自己の意思に従って自由に行動することを不可能又は著しく困難ならしめたものであることは疑いがなく、これをもって、同女らが共闘会議側の説得に応じて任意に同校へ戻ったとみることはできない。

してみれば、徒歩で戻った二一名の教諭について逮捕行為が存在しないとする右所論は失当で、採用できない(なお、所論は、右二一名以外の教諭についても、これらの者に対する有形力の行使が比較的に軽微であるとして、逮捕行為の不存在を主張するもののようであるが、その主張の失当であることも、前記説示に照らし明らかと考える。)。

4 暴行、傷害罪の成否

所論は、本件第一及び第二現場のいずれにおいても、被告人らが自ら暴行の実行行為に及んだことはなく、また、これを認容するような行為、態度に出たこともないから、暴行、傷害については、被告人らは無罪である、と主張する。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、第一、第二現場のいずれかにおいても、被告人らを含む多数の共闘会議構成員らによって暴行が加えられ、その結果、原判決別表(四)(ただし、職権判断の項で示すとおり、39番の大分を除いては正当には別表(六)である。)及び(七)のとおり、合計四六名の八鹿高校教諭らが傷害を受けたことが認められるところ、右の結果に対して被告人らが刑事責任を問われることについては後記7に説示するとおりであって、所論は採用できない(もっとも、原判決別表(四)の被害者らのうち、第一現場の暴行のみにより受傷した者についていえば、その傷害は、逮捕監禁致傷の一部として問擬されるにすぎないから、ここで別個に論じる実益はない。)。

なお、所論は、本件の場合、誰がどの教諭に対して暴行を加えたのかという点についての認定はなく、ましてや、証拠上の特定もなされていないとして、原判決を論難するのであるが、いわゆる共謀共同正犯の犯罪事実を摘示する場合、必ずしも実行行為者の氏名やその者が担当した実行行為の具体的な内容まで明示する必要はないと解せられるから、原判決に右の点についての明示がないとしても、これをもって本件犯罪事実の摘示方法に違法があるとはいえない。したがって、右の所論もまた失当である。

5 監禁罪の成否

所論は、本件において、被告人らを含む共闘会議構成員らが被害者らを八鹿高校内の建物等に押し込め、その出入口、窓等を施錠するなどして外部との交通を遮断したことは全くなく、また、右構成員らが被害者らの周囲に集まり、或いは各部屋の出入口、校門等にいたとしても、被害者らの脱出を監視、阻止していたのではないから、その脱出を不可能ないし著しく困難にしたものとはいえず、監禁罪には当たらない、と主張する。

しかしながら、この点について原判決が説示するところは正当であって、当裁判所もこれを是認することができる。

すなわち、原判決挙示の関係証拠によれば、八鹿高校の第二体育館に連行された被害者らは、被告人Aの指示により一人ずつ引き離された上、それぞれ数名ないし一〇数名の共闘会議構成員らに取り囲まれて、髪の毛を引っ張り、頭部、顔面を殴打し、腹部、背部を蹴り、或いは冷水を浴びせるなど原判示の暴行を伴う激しい糾弾を受けたこと、その後の同校本館二階会議室、解放研部室における糾弾の際も右と同様な状況下にあったこと、右糾弾会場間の移動その他用便のため被害者らが移動する際は、共闘会議構成員がこれに付き添い、或いはその監視を続けていたこと、休養室においても被告人Gが在室の被害者らを監視していたこと、一方、同校の正門、通用門などには右構成員らが多数詰めて同校への出入りを制限していたこと、また、右正門付近その他室内外にも多数の構成員らがたむろし、最終の第一体育館における総括糾弾会の際は、被害者らを多数の構成員らと対面する形でステージの前の椅子に並ばせていたことなど、いずれも原判決が摘示するとおりの状況が認められ、これらに徴すると、本件では、たとえ所論主張のような、各部屋の出入口、窓等を施錠するなどの物理的状況はなくても、まさに原判決のいう多数人の包囲と威圧によって被害者らが任意に校外に退出することは著しく困難であったといわなければならない。

これに対し、所論は、被害者大分五男が休養室から校外へ出ていったん自宅に帰りながら、再び休養室に戻っている例などを挙げて、共闘会議構成員らが八鹿高校への出入りを厳重に監視、制限していた事実はない、という。

たしかに、大分の場合、当日午後三時過ぎころ八木川原の集会に出席した際と、午後六時三〇分ころ自宅に置き手紙をする目的で帰った際の二回にわたって校外へ出ており、更に、右の帰宅後再び八鹿高校の休養室に戻っていることも、所論指摘のとおりである。しかしながら、大分の捜査段階及び原審公判における各供述等によれば、同人は、当日、まず本件第一現場の立脇履物店前付近で右構成員らから暴行を受けた上、両手、両足をとらえてマイクロバス或いはトラック荷台に押し込められるなどして八鹿高校第二体育館に連行されたこと、その後も、同人は、午前一〇時三〇分ころから同館内及び本館二階会議室内において、右構成員ら四、五名に取り囲まれ、バケツの水を頭から浴びせられ、平手で数回殴られ、更に髪の毛をつかんで頭を強く壁に打ちつけられるなどの激しい暴行を受けたこと、その間、同人を取り囲んでいた構成員らのほか、右体育館や会議室の内外には多数の構成員らがいて、他の教諭らを取り囲み、意にそわない言動をとると一方的に暴行を加え、或いは教諭らを監視していたので、大分が校外から脱出するのは全く不可能であったこと、その後、同人は、右構成員らによって休養室に連れて行かれたが、同室内には被告人Gがおり、また同室前の廊下にも多数の構成員らがいたので、同室からも脱出するのは不可能な状態であったこと、ところで、前記のとおり、同人は、午後三時過ぎころ八木川原の集会に出席するため校外に出ているが、それは、もともと同所にいる同校生徒達をなだめる目的という共闘会議側の利にかなったものであり、しかも、右退出の際には、大分らに右のなだめ役を依頼した同校育友会役員や共闘会議構成員らも同行していたこと、また、自宅に帰った際は、その理由を申し出て被告人Gから同人の氏名を書いた「外出許可証」を与えられ、同校正門付近にたむろしていた右構成員らにこれを示して校外へ出たものであって、大分は、自宅で用件を果たした後、そのまま戻らなければ後刻右構成員らから暴行等の報復を受けるかも知れないと恐れ、再び校内に入り、休養室に戻ったことなどがそれぞれ認められ、右事実に徴すると、大分についても、少なくとも同人が午後三時過ぎに一時校外へ出るまでの間は、他の被害者らと同様、多数の共闘会議構成員らの包囲と威圧によって任意に校外に退出することが著しく困難な状態にあったことは明らかであって、その後、同人が「外出許可証」を持って校外へ出たことなど、所論指摘のような事実があるにしても、これをもって、同人を含む本件教諭らに対する監禁罪の成立を否定する論拠とすることはできない。

むしろ、検察官も反論しているように、右の大分の一時帰宅の事実は、本来、同人が自宅に帰るという全く自由になし得る行為ですらも、監視に当たっていた被告人Gに申し出て「外出許可証」をもらい、正門付近で人の出入りを制限していた共闘会議構成員らにこれを示さなければ、校外へ出られず、しかも、大分が再び校内に戻ってきたのも、同人の自由意思ではなく、戻らなければ暴行等の報復を受けるおそれがあると畏怖したからであるというものであって、それだけ同人らに対する監禁状況が厳しいものであったことを端的に物語っているといえるのである。その他の所論にかんがみ更に記録を調査、検討しても、前示の結論を変える必要はない。

してみれば、本件被告人らの行為が監禁罪に当たらないとする右所論も失当で、採用できない。

6 強要罪の成否

所論は、本件各自己批判書(確認書をも含む趣旨、以下同じ。)は、その作成状況及び内容等に照らし、いずれも教諭らが任意に作成したものであるから、強要罪は成立しない、と主張する。

しかしながら、この点についても原判決が説示するところは正当である。

すなわち、原判決挙示の関係証拠によれば、少なくとも本件強要罪の対象とされている香川ら二九名の被害者についてみる限り、同人らは、いずれも原判示のとおり、本件第二現場である八鹿高校第二体育館、会議室又は解放研部室等において暴行を受け、畏怖、困惑した状態に乗じて自己批判書の作成を求められていること、またその作成した同書面の内容も、各人により表現の強弱、文章の長短はあるにせよ、いずれも原判示のとおり、解放研の生徒と話し合わなかったことを反省し、八鹿高校の同和教育が誤っていたことを認める趣旨のものであって、結局は解放研生徒の「三項目要求」なるものを受け入れることに帰し、当時これに反対してきた被害者らにとっては、にわかに文書化できない事項を内容としていること、がそれぞれ認められ、右に徴すれば、自己批判書の作成が被害者らの任意の意思によるものでないことは明らかである。もっとも、被害者らの中には、自己批判書の内容の一部は当時の心情をそのまま書いたとする者(例えば、福岡、新橋、大分など)、或いは内容そのものは自分の気持に合致するとする者(例えば、浜松)もあるが、これらの者についても、作成自体が暴行によって強要された以上、同罪の成立を妨げないと解されることは、原判決の説示するとおりである。

してみれば、香川ら二九名の被害者に対する関係で本件強要罪の成立を肯認した原判断は正当であり、右の所論も採用できない。

7 各被告人らの刑事責任

所論は、原判決が各被告人につき、実行行為或いは共謀を認定したのは、事実を誤認したものであると主張するので、以下各被告人ごとに、その主張の当否を検討する。

(一) 被告人Aについて

(1) 所論は、被告人Aが立脇履物店前において、教諭らを四人一組になってごぼう抜きにし、学校へ連れ帰るよう指示した事実はないと主張するが、この点については、同被告人自身が捜査段階において、「四人が一組になって先生を体育館に帰ってもらうようにしなさい。」と指示した旨、ほぼ右事実を認める供述をしているばかりか、被告人Bも捜査段階で、被告人Aが「座り込んでいる先生を四人一組でごぼう抜きにして学校に連れ戻せ。」と指示した旨、明確にこれを裏付ける供述をしており、更に、香川九男、田町七雄、品川八雄も、それぞれ多少表現の違いこそあれ、内容的には右と同趣旨の供述をしているところから、本件第一現場において被告人Aによる前記指示行為の存在したことは明らかであって、この点に関する原判決の事実認定に誤りはない。

(2) 所論は、被告人Aが八鹿高校に解放車で戻り、第二体育館に入って、教諭らを「一人一人ばらばらにして糾弾せよ。」と共闘会議構成員に指示したとの原判決の認定も誤りであって、同被告人は、同校に最後にひとりで歩いて帰り、しかも第二体育館では、右のような発言はしておらず、単に「話し合いをしてもらいなさい。」と指示したにすぎない旨主張する。

しかしながら、被告人Aが解放車で戻ったことは、同被告人自身が捜査段階で明確にその旨の供述をしており、また、第二体育館における同被告人の指示の内容についても、同被告人は、「一人一人別々にせないかんで。」と言ったかも知れないとか、或いは「先生を一人ずつに分けて糾弾しなさい。」という意味のことを言ったかも知れないなどと、ややあいまいな供述をしているものの、香川九男、大崎九雄、五反田一彦、佐賀竹子らが、いずれも、同体育館内に連行されて間もなく、誰かが「一人一人ばらばらにして糾弾せよ。」という指示を下した旨一致して述べていることや、これに、同被告人が本件の最高指揮者であって、同体育館内にいた共闘会議構成員らのうちで右のような指示を出すことができる者は、同被告人以外にいなかったこと(なお、この点は、被告人Bも捜査段階でこれを肯認する供述をしている。)などを考え合わせると、右の「一人一人ばらばらにして糾弾せよ。」との指示は、被告人Aが発したものと認めるに十分である。

してみれば、原判決の右の事実認定も正当である。

(3) 所論は、被告人Aが、午前中校長室で休養している間に、① 救急車の手配、被害者らの入院の指示をし、② 教諭らを糾弾する手筈を目黒二彦と打ち合わせたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、右①の点については、同被告人自身が捜査段階において、校長室で保健婦に対し、「救急車を呼んでくれ。先生を入院させてくれ。」と指示した旨明確に供述しているばかりか、高田八彦も原審公判において、「Aさんの許可がないと病院へ連れて行けない。」という会話を何回も聞いた旨、被告人Aの右自供を裏付ける供述をしているところから、同被告人が前記指示をした事実は、これを認めるに十分である。次に、右②の点についても、同被告人は、捜査段階においては、校長室に年配の人が来て、「話し合いに応じるという人がいるが、どなんしたらええやろ。」と言うので、「二階の静かな部屋でしたらええ。」と指示した旨、一応右の相談を受けた事実は認めながらも、相手の氏名は伏せており、また、原審公判においても、目黒二彦との間で教諭らを本館二階に連れ出すという話をしているかも知れない旨、極めてあいまいな供述しかしていないが、右各供述に加え、同被告人が本件の最高指揮者であって、右のような新たな糾弾会場の設営などについては、当然これを指揮すべき立場にあったこと、現に、当日同じころ、品川八雄に統制ある糾弾行動をとるよう伝達させ、被告人Hに第二体育館内の見廻りを依頼するなど、原判示の様々な指示を出していることをも考え合わせると、なるほど、二階会議室を糾弾の場として設立する具体的な段取りなどは、右目黒と恵比須教頭との間で進められたにしても、それが目黒と被告人Aとの間の打ち合わせに基づいたものであることは、疑いのない事実と認められる。

そうすると、右のいずれの点についても、原判決の認定は正当であり、所論は採用できない。

(4) 所論は、被告人Aが、午後二時ころ、八木川原における八鹿高校生徒の集会にかけつけ、生徒から暴力は振るわないという約束に反したではないかと追及された際、「暴力は仕方がなかった。」と述べたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、同被告人が八木川原に集まった生徒らとの問答の中で右のような発言をしたことについては、当時八鹿高校の生徒で自治会執行委員でもあった渋谷四彦が、原審公判において明確に供述しているところであって、紛れの余地がない。所論にそう同被告人の原審供述は、右渋谷の原審証言等に照らし、措信できない。

してみれば、この点の原判決の認定にも誤りはない。

(5) 所論は、被告人Aが、午後、会議室で糾弾を受けている原宿に対し、「お前、けがをしておるな、早く楽になれ。」と申し向け、解放研部室においては、香川九男に対し、「何じゃ、がたがた震えているじゃないか。」などと声をかけたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、原審公判において、原宿は、同人が会議室において糾弾を受けていた際、被告人Aが近寄ってきて、原宿の顔をのぞき込みながら、「お前、目のところをけがしているな、早く楽になれ。」などと言葉をかけた旨、また香川は、同人が解放研部室において糾弾を受けていた際、被告人Aがそばに来て、さきに共闘会議構成員らから水を浴びせられるなどの暴行を受け、着衣も濡れて震えていた香川に対し、「何じゃ、がたがた震えているじゃないか。」などと声をかけた旨、それぞれ明確に供述しており、しかも、右各供述は、いずれも具体的で、原審弁護人らの厳しい反対尋問に対しても終始一貫していて、十分信用に値するものであるところから、原判決認定の事実は、これら両証言によって優に肯認できるものといわなければならない。右認定に反する被告人Aの捜査段階及び原審公判での各供述は、それ自体、あいまいな部分や不自然な点が見受けられるばかりか、右の原宿及び香川の各証言に照らしても、たやすく措信できない。

(6) 所論は、被告人Aにつき本件各犯行の共謀を認めた原判決は、共謀の根拠に関する事実とその評価を誤ったものである、と主張する。

しかしながら、この点について原判決が説示するところは正当であって、当裁判所もこれを是認することができる。すなわち、関係証拠によって認められる本件発生の経緯及び被告人Aに関する諸般の事情に徴すれば、原判決もいうように、当時同被告人が、ハンガーストライキをしている解放研生徒の健康状態を考慮し、連休の前日である一一月二二日中には教諭らと解放研生徒が話し合う機会をつかみ何とか事態を収拾したいと決意していたこと、それに、その目的を達成するためには、情況の如何によって共闘会議構成員多衆の助けを借りる必要もあろうと秘かに考えていたことは、推認にかたくないところであって、本件においては、もともと同被告人が他の共犯者らと意思相通じる素地があったといえるし、また、本件当日に見せた同被告人の具体的行動等も原判決の認定するとおりであって、それによれば、同被告人は本件の最高指揮者として、各犯行を包括的に認識・認容した上、ある部分については明示的に、ある部分については流れにまかせて、結局その全般を指揮(支配)していたものと認められるのであり、更には、自己批判書を作成させることは糾弾会の通例であって、これが同被告人ばかりでなく、他の被告人らにも共通の認識でもあることなど、原判決で摘示する本件諸般の事情を総合して考えると、同被告人は本件各犯行のすべてにつき他の共犯者との間で明示又は黙示の現場共謀があったものと認められる。

したがって、この点についても、原判決の判断に誤りはなく、所論は採用できない。

(二) 被告人Bについて

(1) 所論は、被告人Bが、立脇履物店前において、スクラムを組んでいる教諭の腕を数回手拳で殴打し、同人をスクラムから引き離すなどしたとの原判決の認定は誤りであり、同被告人がそのような暴行を加えた事実はない、と主張する。

しかしながら、この点については、同被告人自身が捜査段階において、被告人Aの指示に従い、座り込んでいる教諭らをごぼう抜きにかかり、スクラムを組んでいる教諭の腕をげん骨で数回叩いて手をはずさせ、他の共闘会議構成員と共にその教諭の両腕をかかえるようにしてマイクロバスに連れ込んだ旨、明確に右事実を認める供述をしているのであって、しかも、その供述内容は、警察官が被告人Bを取り調べた初期の段階から一貫していて、変転動揺している部分やあいまい、不自然な点もなく、いわんや、所論のような、捜査官が同被告人の供述を誘導、強要したなどの形跡は全く見られず、十分信用に値するものであるところから、原判示の第一現場における同被告人の行為は、右自白を含む原判決挙示の関係証拠によって優に肯認できるものといわなければならない。なお、同被告人の原審供述中にはとくに右の事実に触れた個所は見当たらず、また、本件において証拠上、その犯行の被害者たる教諭の氏名等が特定できないことなども、右認定を左右するものではない。

してみれば、この点に関する原判決の認定に誤りはなく、所論は失当である。

(2) 所論は、被告人Bが、第二体育館において、① 一教諭の肩をつかんで持ったこと、② 香川の頭髪をつかんで引っ張ったこと、③ 逃走を防ぐためのピケットに加わったことなどの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、右の各点についても、同被告人は捜査段階においてこれを全面的に認めており、また、その供述が十分信用に値するものと考えられることも、前記(1)で検討したのと同様である。すなわち、右①の点についてみるに、同被告人のこの点に関する捜査段階での供述は、具体的かつ詳細で、臨場感にあふれており、単なる否認、弁解に終始している原審公判での供述と比べて、極めて高い信用性を有するものといえるところ、右捜査段階での供述を含む関係証拠によれば、同被告人は、共闘会議構成員ら約一〇名と共に、一人の教諭を糾弾した際、他の構成員らがその教諭に対し、殴る、蹴るなどの暴行を加えることを認識しながら、その犯行を容易にするため、背後から肩をつかんで持っていたことが認められるから、これと同一事実を認定した原判決の認定・判断に誤りはない。次に、右②の点についても、同被告人自身、原審公判においてこれを認めている上、捜査段階においては、反解放同盟の立場をとる教諭らの主謀者と聞いていた香川教諭を糾弾しようと考えてその姿を探し求め、「これが香川か。」と言いながら、その頭髪をつかんで二、三回引っ張った旨、前記①の点と同様に極めて具体的かつ詳細な供述をしているのであって、これまた、原判示の事実を肯認するに十分である。右供述をもって、香川の被害供述と強引に結び付けたものであるとする所論は、証拠に基づかない推論にすぎず、採用できない。更に、右③の点についても、同被告人は、捜査段階においてこれを認める供述をしており、それによると、同被告人は、当日午後一時ないし一時三〇分ころ、第二体育館を出たところ、その入口には、共闘会議構成員ら四、五〇名が教諭らの脱出を防ぐためのピケットを張っていたので、右構成員の一人である松戸二也と雑談しながら、約三〇分間そのピケットに加わり、その後本館二階の会議室での糾弾に加わるなどして、午後二時三〇分ころ、八木川原に赴いたことが認められる。してみれば、同被告人が午後一時三〇分ころに八木川原に赴き、そのまま同五時過ぎまで留まっていて、同体育館前のピケットには加わっていないとする所論は、右の証拠に反する主張であって、失当というほかない。

(3) 所論は、被告人Bが八木川原集会から戻った後、会議室における糾弾に参加し、教諭らに自己批判を迫った事実は認めながらも、その際、同被告人はもちろん、他の共闘会議構成員らが暴力を振るった事実はない、と主張する。

しかしながら、同被告人の捜査官に対する供述調書によれば、会議室においては、教諭一名につき数名の共闘会議構成員らが取り囲んで自己批判書の作成を要求し、これに応じない教諭らに対し「早よ書かんかい。」などと言いながら殴る、蹴るなどの暴行を加えたこと、同被告人自身は暴行を加えていないが、二、三名の教諭に対し自己批判書の作成を要求したことなどが認められるのであり、また、同所において右構成員らが教諭らに対して暴行を加えた事実は、被害者らの原審各供述等によっても明らかである。したがって、右の所論もまた失当といわなければならない。

(4) 所論は、本件における共闘会議構成員らの有形力の行使は、あえて集団下校するなどした教諭らの行動に対処するため、やむを得ずにとった必要最小限のものであり、被告人Bの認識・認容もその限度にとどまるものである、したがって、仮に教諭らの態度に立腹した右構成員の誰かが右の限度を超えた有形力の行使をしたとしても、それはあくまでも突発的事態であって、同被告人の認識・認容するところではないとした上、原判決が、その連鎖的・黙示の共謀論によって、同被告人に対し本件各犯行のすべてにつき刑事責任を肯定したのは、共謀についての判断を誤ったものである、と主張する。

しかしながら、まず、本件における共闘会議構成員らの有形力の行使が社会的相当性の範囲を超えるもの、(この点については、後に改めて記述する。)であって、所論のようにやむを得ずにとった必要最小限のものとはいえないばかりか、同被告人自身、前示のとおり、立脇履物店前及び第二体育館において本件逮捕、監禁の実行行為の一部を担当し、更に会議室においても、他の構成員らから受けた一連の激しい暴行により殆ど抗拒不能の状態に陥っている教諭に対し、自ら自己批判書の作成を要求するなどしているのであって、これら同被告人の行動等に照らせば、本件各犯行のいずれについても、同被告人は、実行の際他の共犯者らの犯行を包括的に認識・認容していたことが容易に推認できるから、結局同被告人の場合も、原判決のいう連鎖的・黙示の共謀論によって、本件各犯行のすべてにつきその刑事責任を免れないものというべきである。したがって、この点に関する原判決の判断にも誤りはなく、所論は採用できない。

(三) 被告人Cについて

(1) 所論は、被告人Cが、立脇履物店前において、被告人Aの指示に基づき、教諭らを学校へ連行するため、教諭らに対し「学校へ戻らんか、このガキら。」などと怒鳴りつけ、スクラムを組んでいる腕と腕との間に足をねじ込み、手の指を反り曲げるなどしたとの原判決の認定は誤りである、と主張する。

しかしながら、この点については、同被告人自身が捜査段階での検察官の取調べにおいて、明確にこれを認める供述をしており、右自白を含む原判決挙示の関係証拠によれば、同被告人にあっては、立脇履物店前において、四人一組になって教諭らを学校へ連行せよとの被告人Aの指示に従い、スクラムを組んで座り込んでいた教諭らに対し、「学校へ戻らんか、このガキら。なんで話し合いせんのだ。」などと怒鳴りつけるとともに、その教諭らの腕を引っ張り、指をつかんで反らせる、或いはスクラムを組んでいる二人の教諭の間に足を割り込ませ、肩をもって引っ張るなどの行為に出たことが認められるから、これと同一事実を認定した原判決は正当である。なお、所論は、被告人Cの右自白の信用性を否定するが、これについては、同被告人自ら、原審公判において、記憶に基づき任意に述べたものであることを認めているばかりか、内容的にみても、具体的かつ詳細で、十分信用に値するものといえるし、また、本件において右暴行の被害者である教諭の氏名等が特定されていないことなども、その信用性を左右するものではないから、所論は採用できない。

(2) 所論は、被告人Cが、第二体育館で五反田三也に対し、両耳をつかんで強く引っ張ったとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、右事実は、五反田が原審公判において明確にこれを供述しているばかりか、同被告人も、捜査段階において、両手で五反田の両頬から耳をはさむようにして二、三回上下に揺すった旨、ほぼ右事実にそう供述をしているところから、これら関係証拠によって優に肯認できるものといわなければならない。右に関して、所論は、五反田の証言には誇張や不自然な点があり、信用できないというが、同人は、右被告人から両耳を持って上下、左右にその耳を持ち上げたり、強く引っ張られたと供述しているのであって、その際に体まで持ち上げられたとは表現しておらず、したがって、この点をとらえて誇張ないし不自然とする所論は、右証言内容を誤解したものというほかない。また、同証言が、被告人らに対する敵対心から殊更虚偽の供述に出たものとうかがわせるふしも見当たらない。してみれば、同証言は、前記被告人Cの捜査段階での供述とともに十分信用に値するものといえるから、いずれにしても、所論は失当である。

(3) 所論は、被告人Cが、第二体育館を出てから正門付近で、被告人Dら共闘会議構成員と待機していたとの原判決の認定をとらえ、被告人Cは、同所で、特段「待機」していたのではなく、単に被告人Dらと共にたき火にあたり雑談をしていたにすぎない、と主張する。

右は、多分に表現上の問題ともいえるのであるが、関係証拠によれば、被告人Cは、右の正門付近に留まっていた間も、他の構成員らと共に本件糾弾行為を続行する意思であったものと認められるから、たとえ、その間、食事をとり、或いはたき火にあたりながら雑談をするなどしていても、それが「待機」としての意味合いを有していたことは否定できない。してみれば、この点の原判決の摘示も何ら問題とするに足りず、所論は失当である。

(4) 所論は、被告人Cが会議室の糾弾に加わった事実はあるが、その際、教諭の耳元で怒鳴りつけ、かたわらの机を手拳で叩くなどし、女性の教諭に対して自己批判書の作成を強要したことはないのに、その事実を肯認した原判決の認定には、事実誤認ないしは理由不備の違法がある、と主張する。

しかしながら、この点についても、同被告人が捜査段階において認めており、その捜査官に対する供述調書等によれば、同被告人は、会議室において、共闘会議構成員ら数名と共に、新宿六彦教諭らを取り囲み、「なぜ話し合いを拒否したのか。」などと追及し、相手が沈黙しているのに腹を立て「こら、ど性根入れて聞かんかい。」と怒鳴りながら、そばの机を手拳で叩くなどしたこと、年齢二五歳位の女子教職員に対し、「部落差別をなくする教育をしているか。解放研の生徒が話し合いを申し込んでいるのを知っとるだろう。」などと追及した上、その意に反する自己批判書の作成を強要したことが、それぞれ認められるのである。してみれば、これと同旨の事実を認定した原判決に誤りはなく、また、判文上被害者の氏名や発言の内容等を明らかにしていなくとも、理由不備とはいえないから、右の所論も採用できない。

(四) 被告人Dについて

(1) 所論は、被告人Dが、馬橋付近で、共闘会議構成員らが三、四人の教諭らを連行するのを目撃し、「二人でかかったのでは逃げられるぞ。」と声をかけたとの原判決の認定は誤りである、と主張する。

しかしながら、右事実は、同被告人が捜査段階のみならず原審公判においても認めているところであって、これら同被告人の供述等によって明白である。してみれば、所論は、同被告人の原審供述をも無視した主張というほかなく、もとより採用できない。

(2) 所論は、被告人Dが、八鹿高校正門付近で、被告人Cら約五〇名の者と共に待機し、正門を固めたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、この点も、同被告人が捜査段階で明確に認めており、その検察官調書等によれば、同被告人は、馬橋付近から同校正門に戻って来ると、解放同盟澤支部員ら約五〇名が同所を固めており、同人らから同校教諭らを第二体育館に連れ込んで糾弾している旨、及び同支部員が正門に待機することになっている旨を聞いて、幹部からの指示で教諭らが脱出するのを防ぐため待機していることを知り、これに参加したことが認められる。してみれば、この点に関する原判決の認定も正当である。

(3) 所論は、被告人Dが、第二体育館で教諭らに暴行を加えた旨の原判決の認定も誤りであり、右認定にそう五反田三也の原審証言は信用できない、と主張する。

しかしながら、同被告人は、捜査段階における検察官の取調べに際し、午後二時三〇分過ぎから同三時前ころの間に、第二体育館に入り、共闘会議構成員らと共に、床に座らされている一、二名の教諭に対し、語気荒く詰め寄り、相手が沈黙しているのに立腹して肩をつかんで揺さぶり、或いは大声で「話してやれよ。どうしたんや。」などと怒鳴りながら頭髪をつかんで揺さぶった旨供述しており、しかもその供述は、具体的かつ詳細で、臨場感にあふれ、十分信用できるものであるところから、同被告人が第二体育館で被害者らに対し肩をつかみ、或いは髪の毛をつかんで揺するなどしたとの原判示事実は、同被告人の右供述等によって優に肯認することができる。

また、五反田に対する暴行の点についても、同被告人は否定しているものの、五反田は、原審公判において、同被告人から暴行を受けた旨を明言しており、それによれば、同被告人は、第二体育館に入って糾弾に加わった際、靴履きのまま五反田の腹部を蹴り上げ、続いてその頭、背中、尻などを蹴りつけたことが認められる。これに対し、所論は、① 五反田の証言中には、同被告人の当時の服装等について客観的事実と異なる部分がある、② 五反田が同被告人に蹴られたとする時間帯には、同被告人は第二体育館にいなかった、③ 同被告人は右足に障害があり、繰り返し蹴るなどということは到底不可能な状態であったとして、あくまでも右五反田証言の信用性を争うのである。しかし、右①の点について見ると、同証言中同被告人が編み上げの皮靴を履いていたと思うとしている点は、同被告人が履いていた黒色のゴム長靴を見誤った可能性もないとはいえず(なお、五反田の証言で同被告人のズボンの色に言及した個所は見当たらない。)、また、右②の点についても、五反田は、同被告人から暴行を受けた際の時刻を明確に記憶しておらず、更に、右③の点についても、さきに青倉駅事件において見てきたように、同被告人の右足障害の程度からすれば、前示の暴行が不可能であったとまでは認められないから、結局、右のいずれの点も前記証言の信用性を左右するに足りない。むしろ、被告人Iが、捜査段階においても、また原審公判においても、一貫して、被告人Dが第二体育館で他の構成員と共に教諭を取り囲み、何かわめきながら、足で相手を蹴飛ばしていた旨供述しているところから、五反田証言の信用性は極めて高いものと評価できるのである。

してみれば、同被告人の第二体育館内での暴行を肯認した原判決の認定も正当である。

(4) 所論は、被告人Dが、会議室において、一人の教諭に自己批判書の作成を強要したとの原判決の認定も明らかな誤認であって、同被告人はそもそも同所に入ったこともない、と主張する。

しかしながら、同被告人は、捜査段階において、午後八時過ぎころ会議室に入り、共闘会議構成員五、六名に取り囲まれ毛布を頭からかぶって床に座っていた教諭に対し、「お前ら、早よう生徒のいうことを聞いてやらんか。」「早よう書いてやらんか。書け、書け。」などと大声で怒鳴りつけて自己批判書の作成を強要した旨、右事実を明確に認める供述をしており、しかもその供述は、具体的かつ詳細であるほか、右犯行に先立ち、午後七時ころに会議室に入ろうとすると、室内から「一般の解同員は入ったらあかん。」と言って戸を閉められたこと、或いは午後八時過ぎにいったん同所に入ったものの間もなく右同様の理由で外に出されたことなど、自己が経験しなければ知り得ない事柄にまで言及しているもので、十分信用できるものといえるから、原判示強要の事実は、これら同被告人の自白を含む関係証拠によって優に肯認することができる。右認定に反する同被告人の原審供述は、それ自体あいまいで、右の捜査段階での自白に照らしても、到底措信できない。したがって、右の所論もまた失当というべきである。

(5) 所論は、被告人Dについても、その実行共同正犯としての刑事責任を認めた原判決を論難するのであるが、同被告人の行動についての原判決の事実認定がいずれも正当であること、前示のとおりであってみれば、所論はそもそもその前提を欠いているといわなければならず、また、同被告人の行動等に照らせば、本件各犯行のいずれについても、同被告人は、実行の際他の共犯者らの犯行を包括的に認識・認容していたことが容易に推認できるから、結局同被告人の場合も、被告人Bについて述べたとの同じ理由により、本件各犯行のすべてにつきその刑事責任を免れないものというべきである。したがって、右の所論もまた採用できない(もっとも、原判決が、被告人Dにつき、同被告人加功前の「第一現場においてのみ受傷したことが明らかな被害者一二名に対する傷害の責任をも同被告人に負わせるのは相当でなく、右一二名に対する関係では暴行の限度で責任を負わせる」とした点は誤りで、是認できないが、これについては、後記第六、職権調査の項で改めて論述することとする。)。

(五) 被告人Eについて

(1) 所論は、被告人Eが、立脇履物店前から連行途中の高田八彦の腹部を手拳で殴打し、その顔面を平手で数回殴打する暴行を加えたとの原判決の認定は誤りである、と主張する。

しかしながら、この点については、右高田に対する暴行を終始目撃していた警察官戸上和男が、原審公判において具体的かつ明確に供述しており、同供述のほか、同人撮影の現場写真、更には高田の原審供述等によって、原判示暴行の事実は優に肯認することができる。たしかに、腹部を殴打された点について、高田は明確な供述をしていないけれども、それは、同人が当時既に苛酷な暴行を受け、失神直前の状態にあったことによるものというべきであるから、所論のように、この点をとらえて同人の証言全体の信用性を否定する根拠とはなし得ない。してみれば、原判決の右の認定は正当である。

(2) 所論は、被告人Eが、マイクロバス内にいた目白梅子の髪の毛をつかんで、頭部を隣席の大塚七助の膝に打ちつけたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、右目白の原審公判における供述によれば、同女が共闘会議構成員らによってマイクロバスに連れ込まれた後、後部座席にいた大塚教諭の左側に座っていると、被告人Eが同車右側窓から手を入れて目白の頭髪の後方部をつかみ、その側頭部を大塚の膝に数回打ちつけたことが認められるのであって、この点についても、原判決の認定に誤りはない。

これに対し、所論は、右目白証言の信用性を争い、その供述する暴行の態様そのものが客観的にみて不自然であるというが、同証言は、その内容が具体的かつ詳細である上、犯人の特定についても、右暴行態様の特異性などのため、目白がその犯人の特徴を十分認識・記憶していて、後日、警察官から示された写真により被告人Eを犯人として特定することができたものと考えられるから、同証言の信用性には何ら所論のような疑いを容れる余地はなく、また、同被告人の大柄な身長やマイクロバスの車高・車幅等からすれば、右犯行が客観的に困難ないし不自然なものとも認められない。

(3) 所論は、被告人Eが、第二体育館で教諭の背中を蹴ったとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、被告人Iの検察官調書によれば、被告人Eは、第二体育館の中央付近でずぶ濡れになって座っていた教諭の背中を一回蹴ったことが認められるところ、右Iの原審供述に徴すれば、右調書の任意性はもちろん、その信用性も十分であって、何ら疑いを差しはさむ余地はない。してみれば、この点に関する原判決の認定も正当である。

(4) 所論は、被告人Eが、高知松子、巣鴨三彦、田端九彦に自己批判書の作成を強要したとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、右高知及び巣鴨に対する各強要については当該各被害者が、また右田端に対する強要については被告人Iが、それぞれ明確に被告人Eの関与を肯定する供述をしているところから、原判示事実は、これら関係証拠によって優に肯認できるものといわなければならない。

すなわち、右証拠によれば、高知については、会議室で他の共闘会議構成員らが同女に対し自己批判書の作成を強要しているところに、被告人Eが来て、同女の書いた右書面を持ち出し、その後再び戻って来て、同女に「部落という部分が抜けている。」と申し向けてその付加を求めたこと、巣鴨については、解放研部室で他の構成員らに取り囲まれている同人に対し、被告人Eは、同Gともども自己批判書の作成を求め、二回にわたってこれを書き直させたこと、田端については、同じく解放研部室で被告人Iが田端に対し自己批判書の作成を強要していた際に、途中から被告人Eが交代して右書面の作成を求めたこと、がそれぞれ認められる。もっとも、右の田端に対する関係では、同人自身、原審公判で、被告人Iの後を引き継いで自己批判書の作成を求めたのは被告人Gである旨供述しており、同供述と被告人Iの供述との間にくい違いが見られるのであるが、同被告人は、捜査段階のみならず、原審公判においても、一貫して、自己と交代した人物が被告人Eである旨供述しており、しかもその供述内容は、具体的かつ詳細で、被告人E、同G両名の当時の各行動をそれぞれ区別して説明し、殊に被告人Eとは、右田端への対処の仕方をめぐって自己と口論になった事実があるとしていることなどから、右I供述の信用性は極めて高いと考えられ、結局、田端に対する関係では、被告人Gはともかく、少なくとも被告人Eが前示のとおり関与していたことは、疑いを容れないところである。なおまた、所論は、高知松子がその検察官調書において被告人Eの氏名を挙げておらず、犯人特定の資料となった写真も同被告人のものではないとし、他方、巣鴨三彦も、当時同人が解放研部室と廊下を出たり入ったりしていたため、記憶に混乱があると考えられるとして、右被害者両名の各証言の信用性を争うのであるが、高知について見れば、同女が果たして検察官の取調べに際して被告人Eの氏名を挙げなかったのかどうか、また、犯人特定の資料となった写真が同被告人のものと相違するのかどうかは、記録上必ずしも明確でないものの、少なくとも原審公判においては、同女は、被告人Eを名指しした上、その犯行関与の状況を具体的に供述しており、また、弁護人から示された同女の昭和四九年一二月七日付警察官調書末尾添付の写真についても、それが同被告人特定の資料であることを否定しているのであるから、同女の証言自体に格別不合理、不自然な点があるわけではなく、他方、巣鴨について見ても、同人は、原審公判において、自己批判書の作成を強要した犯人のうち氏名の判明した者として、被告人Gのほかに同Eを挙げており、少なくともこの点に関する限り、巣鴨の記憶に混乱があるとは考えにくいのであって、結局、右両名のいずれの証言も十分信用に値するものというべきである。

してみれば、右の点に関する原判決の認定も正当である。

(六) 被告人Fについて

(1) 所論は、被告人Fが、第一現場で駒込一士に暴行を加えたとの原判決の認定は誤りである、と主張する。

しかしながら、駒込の原審証言によれば、同被告人は、立脇履物店前から他の共闘会議構成員数名と共に、駒込の両手、両足をつかんで引きずるようにして、マイクロバスの近くの田村自転車店前路上まで連行してきたところ、駒込が右バスに乗るのを拒否したので、路上に仰向けに下ろし、自ら手拳で同人の顔面を四、五回殴打したことが認められ、この点についての原判決の認定は正当である。

これに対し、所論は、右駒込証言の信用性を強く争うのであるが、同証言は、その内容が具体的である上、駒込が右暴行犯人を特定するに至った経緯や、更には同人の供述する右犯人の特徴(小柄、頬骨の張った顔、年齢五〇歳位)、着衣(濃い緑色のヤッケ)等が同被告人のそれらとよく一致していることなどからみて、十分信用できるものと考えられる(もっとも、駒込が、右犯人を特定した根拠の一つとして、捜査段階で「解放研でよく職員室に出入りしていた男」と述べていることは、所論の指摘するとおりであるが、この点は、同人自身も原審公判において、右供述の不正確さを認めた上、あくまでも犯人特定の主たる根拠は警察官から示された写真であるというのであるから、特に右証言の信用性に影響を及ぼすものと見ることはできない。)。

(2) 所論は、被告人Fが、八鹿高校第二体育館内で、高知松子及び上野二士に暴行を加えたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、この点についても、右の各被害者がいずれも原審公判において明確に証言しており、原判示事実は、これら被害者の証言を含む関係証拠によって優に肯認することができる。

所論は、ここでも、右各被害者の証言が信用できないというのであるが、高知については、たとえその前後の話は記憶にないにしても、当時被告人Fの発した「男か、女か。」という趣旨の言葉と、頭髪をつかんで顔を引き起こされた際に見た同被告人の顔などの特徴を記憶していて、これらを手がかりに警察官から示された写真の中から同被告人をその犯人として特定し得たというものであって、その証言に格別不自然、不合理な点は存せず、また、上野についても、その供述内容が具体的である上、犯人特定の面でも、被告人Fの原審及び捜査段階での供述等に照らし、疑問を容れる余地がないから、結局、右各被害者のいずれの証言も十分信用するに足りるものと考える。

してみれば、右の点についも、原判決の認定に誤りはない。

(3) 所論は、被告人Fが、大崎九雄に対し自己批判書の作成を強要したとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、この点については、同被告人自身、捜査段階において、行為の外形的事実はもちろんのこと、それが被害者の意思に反した強要であることをも認める供述をしており、また大崎の原審証言によってもそれが裏付けられているから、原判決の認定及び判断に誤りはない。

(七) 被告人Gについて

(1) 所論は、被告人Gが、会議室において千葉教諭に自己批判書の書き方を教え、同室内の糾弾を見守り、のち、被害者らが共闘会議構成員から暴行を受けている状況を認識しながら、その場にいた者に「徹底的に糾弾せい。」と指示したとの原判決の認定は誤りである、と主張する。

しかしながら、千葉教諭に自己批判書の書き方を教えたことは、同被告人が自らこれを認めているところ、ここに「自己批判書の書き方」とは、所論のいう「自己批判書を書く上での基本的な考え方」などをも包含する趣旨であるから、何らこの点の原判示方法に不都合はなく、他方、被告人Bの検察官調書等によれば、当日午後五時過ぎころ、会議室において、共闘会議構成員らが教諭らを取り囲み、自己批判書の作成を要求するとともに、殴る、蹴るなどの暴行を加えていたところ、被告人Gが同所に入って来て、その状況を見ながら、右構成員らに「徹底的に糾弾せい。」と指示したことが認められるから、この点の原判決の認定にも誤りはない。

(2) 所論は、被告人Gが、休養室において、いわば自己批判書の取りまとめ役をしたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、同被告人の原審及び捜査段階での供述のほか、神田四士、大井五士の原審各証言等によれば、同被告人は、休養室において、他の共闘会議構成員らが教諭らに作成させた自己批判書を持って来ると、これを受け取って内容を点検し、不十分な個所があると書き直しを指示し、神田については、同人の作成した右書面に「部落解放同盟と連帯して闘う」旨を付加することを求め、大分については、同人から直接自己批判書を受け取るなどして、最終的には右書面四〇数通を取りまとめ、これを一括して被告人Aに手渡したことが認められるから、被告人Gの行為は、まさに自己批判書の取りまとめ役をしたといえるのであり、この点の原判決の認定及び判断にも誤りはない。

(3) 所論は、被告人Gが、解放研部室において、廊下にいた巣鴨三彦を同室へ連れ戻すよう指示したり、同人に自己批判書の作成を求めたりしたとの原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、巣鴨の原審証言によれば、右部室で同人が他の共闘会議構成員らの要求に応じてクラスの生徒と話し合うことにして廊下に出たところ、その場に来合わせた被告人Gが、他の構成員に「自己批判書を作成したか。」と聞き、未作成と分かるや、巣鴨を右部室へ連れ戻させた上、自ら、被告人Eらと共に巣鴨に対し、自己批判書の作成を強要し、二回にわたり書き直しをさせたことが認められるから、この点の原判決の認定にも誤りはない。

(4) 所論は、被告人Gが、休養室において、被害者らの見張りをし、被害者らが室外へ出る際に許可を与えたなどとする原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、同被告人の原審及び捜査段階での供述のほか、大分五雄の原審証言並びに同人及び大崎九雄らの検察官調書等によれば、同被告人は、午後一時過ぎころ休養室に入り、同一〇時ころまで主に同所にいて室内に収容されている教諭らの監視に当たり、その間、大分から近くの自宅に置き手紙をするため一時校外へ出たいとの申し出を受けた際には、再び学校に戻ってくることを確かめた上、自己の名前を書いた一種の「外出許可証」を与えてその外出を認め、大崎から自宅に電話をかけてよいかと求められた際には、これを許可して、廊下にいた他の構成員に命じて電話機のある事務室まで大崎に同行させ、更に、他の構成員から負傷していた秋葉三士が病院へ行きたいと言っているとの報告を受けた際には、これを聞きいれて、同人を八鹿病院へ入院させるため救急車の手配をさせるなどしたことが認められる。そして、検察官も反論するように、大分らが校内から外出し、外部へ電話をかけ、或いは病院へ行くことなどは、他人の顔色をうかがうことなく自由にし得る行為であるのにかかわらず、その都度、被告人Gに申し出てその許可を受けていたこと自体、右被害者らが行動の自由を拘束され、同被告人の監視の下に置かれていたことを如実に物語るものといえるのであり、この点に関する原判決の認定にも誤りはない。

(八) 被告人Hについて

(1) 所論は、被告人Hが、立脇履物店前において、① スクラムを組んで座り込んでいる被害者の一人を足で蹴り、② ハンドマイクの台尻で大井五士を数回殴打し、③ 右マイクで「かかれ」などと叫んで現場にいた共闘会議構成員を指揮したなどとする原判決の認定はすべて誤りである、と主張する。

まず、右①の点については、駒込一士は、原審公判において、「(被告人Hが、共闘会議構成員らの)隊列の真ん中あたりで紙を丸めたようなものを持って振りかざし、大きな声でわめいていた。……誰を蹴ったか分かりませんけれども、蹴っている動作が見えた。」と供述しており、原判決の認定もこれに依拠したものと思われる。しかし右供述は、それ自体、暴行の目撃状況があいまいであるのみならず、所論が指摘するように、駒込の昭和四九年一二月二七日付警察官調書中には、同人の右目撃を否定する供述記載があり、しかも、その後の供述変遷の事情についても合理的な説明がなされていないから、右の原審供述をそのまま信用することは危険というべきであって、その他本件全証拠によるも、右の暴行を肯認するに足りない。そうすると、原判決には右の点について事実の誤認があるというほかなく、所論は理由がある。

次に、右②の点については、なるほど、被害者の大井自身は、被告人Hの暴行について供述していないけれども、上野二士及び大森六士の両名は、いずれも原審公判において、同被告人が座り込んでいた教諭らの隊列の前に向かい合って立ち、ハンドマイクの台尻で最前列にいた大井を(数回)殴りつけていた旨、その目撃状況を明確に供述している。そして、右両名の証言は、具体的で互いによく合致しており、また犯人の特定についても、右両名は、同被告人が本件の数日前八鹿高校の職員室に名前を名乗って訪れ激しく抗議をしたことがあり、その際の印象が残っていて、特に同被告人を現場で認識・特定し得たもので、何ら問題がないところから、右両証言の信用性は極めて高いものと考えられる。してみれば、これらの証言等に依拠して同被告人の大井に対する暴行を肯認した原判決は正当であり、この点の所論は採用できない。

また、右③の点についても、高知は、被告人Hがハンドマイクで「かかれ」などと号令をかけていた旨供述しているところ、その供述には、少なくとも右の趣旨において一貫性があり、また犯人の特定についても、「以前職員室に来てわめいていた」男であるとしており、これは、前記上野、大森の証言のように、同被告人が本件の数日前職員室に押しかけて激しく抗議したことを指すものであって、高知も右上野、大森同様、その際の印象などが重なって同被告人を特定できたものであるから、その証言の信用性は、やはり高いというべきである。してみれば、右の点についての原判決の認定も正当である。

(2) 所論は、被告人Hが、第二体育館で、① 鹿児島八雄の耳を引っ張って大声で怒鳴り、② 大井五士、大森六士に声をかけたなどとする原判決の認定も誤りである、と主張する。

しかしながら、これらの点については、右の各被害者が原審公判で明確に証言しているところであって、これら証言を含む関係証拠によれば、原判示の各事実は優に肯認することができる。なお、右の各証言はいずれも具体的で、前後の脈絡も通っており、その信用性に所論のような顔見知りの同被告人に罪をかぶせようとする作為などの疑いを差しはさむ余地もない。したがって、この点に関する原判決の認定も正当である。

以上の次第であるから、原判決には、同判示第七、一の事実に関して認定した被告人Hの行動について、一部事実の誤認があるものの、その余の点については何ら所論のような事実誤認のかどはなく、また、右の事実誤認のある点も、原判決が認定したその余の同被告人の行動からすれば、同被告人が原判示第七、一の各犯行につきいずれも(実行)共同正犯としての刑事責任を負うことは明らかであるから、いまだその誤認が判決に影響を及ぼすものとはいえず、結局、論旨はいずれも理由がないことに帰する。

第三弁護人らの控訴趣意(被告人Iを除くその余の被告人一二名の関係)中、法令の解釈適用の誤りの主張について

論旨は、要するに、原判示第一、第二、第三及び第七(ただし、同二を除く。)の各事実について、原判決にはそれぞれ以下に述べるような法令の解釈適用の誤りがあり、いずれもその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである(なお、論旨中、原判示第二の事実について原判決が当該行為の正当行為性を否定したことの誤りをいう点は、前示第一の刑事訴訟法三七八条四号該当をいう論旨との関係では、予備的に主張しているものと解される。)。

そこで、各所論及び答弁にかんがみ考察するに、当裁判所の判断は、以下に示すとおりである。

一  はじめに

所論は、右原判示のいくつかの事実につき、それが糾弾権の行使として正当行為に当たるとか、可罰的違法性を欠くものであるとか、主張している。

そこで、具体的な主張の当否を判断するに先立ち、まず、糾弾行為の許される一般的限界について考えてみるに、所論がるる述べるとおり、今日なお部落差別の実態には極めて深刻かつ重大なものがあるにもかかわらず、差別事象に対する法的規制若しくは救済の制度は、現行法上必ずしも十分であるとはいいがたい。そのため、従来から、差別事象があった場合に、被差別者が法的手段に訴えることなく、糾弾ということで、自ら直接或いは集団による支援のもとに、差別者にその見解の説明と自己批判とを求めるという方法が、かなり一般的に行われてきたところである。この糾弾は、もとより実定法上認められた権利ではないが、憲法一四条の平等の原理を実質的に実効あらしめる一種の自救行為として是認できる余地があるし、また、それは、差別に対する人間として堪えがたい情念から発するものであるだけに、かなりの厳しさを帯有することも許されるものと考える。しかし、そこには自ずと一定の限度があるのであって、個々の糾弾行為につきその違法性の有無を検討するに当たっては、当該行為の動機・目的のほか、手段・方法等の具体的状況、更には、これによって侵害された被害法益との比較など諸般の事情を考慮し、法秩序全体の見地から見て許容されるかどうかを判断すべきものである。そして、右の見地から見て許容されないものについては、刑法上それが正当行為に当たるとも、また可罰的違法性を欠くともいえないのである。

二  原判示第一の事実(元津事件)について

所論は、被告人Aらの本件所為が可罰的違法性を有するとした原判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、という。所論が右の可罰的違法性を否定する論拠は、原審弁護人のこの点についての主張と同じであるが、要するに、本件において青森らが作成、配布したビラは、解放同盟の行ってきた確認会・糾弾会の状況について事実を歪曲、誇張し、殊更差別意識を助長させるような表現をしたもので、橋本らの行動は「批判」に名を藉りた差別キャンペーン活動というべきものであるから、これに対する被告人らの糾弾行為は、目的において正当であり、その手段・方法も社会的に相当と認められる範囲内にととまるものであり、かつ、被害者らに対する行動の自由等の法益侵害の程度も軽微である、というところにある。

しかしながら、この点について原判決が説示するところは、基本的には正当としてこれを支持することができる。

すなわち、まず本件における被告人らの動機・目的の当否から見てみるに、一般に、解放同盟の運動方針ないし具体的活動を批判した文書が、いかなる場合に、いわゆる差別文書として社会的に許容できないものとなるのかは、言論・表現の自由との関係から極めて困難な問題であるが、結局は、当該文書の記載内容が真実にそったものといえるかどうか、また、その表現方法等が著しく誇張されるなど不適切な点がないかどうかによって、これを判断するほかないと考えられるところ、原判決も指摘するように、本件において青森が作成、配布に関与したものと認められる計七種のビラのうち、「この世の生き地獄……」で始まるビラは、見出しとして大きく「この世の生き地獄『教師をリンチする朝来中学校内確認会』県連行動隊直轄下におかれた朝来中学校の実態は……」と記載されており、他にも「くりひろげられる地獄絵図」とか「教師を恐怖のどん底におとしいれ……」などの文言が見られるのであって、そこにとり挙げられた朝来中学校の確認会(昭和四九年七月、八月)が実際に相当の厳しさを帯有していたことは間違いないとしても、右の記載はいかにも刺激的で、あたかも解同員や解放研生徒が朝来中学校の教諭に対し確認会の席上激しい暴力を加えているかのような印象を読む者に与えかねず、しかも、その内容が真実にそったものであるとの十分な証明もないものであるから、右ビラは、いわゆる差別文書であるとの疑いが濃いものといわざるを得ない。してみれば、これを広く南但地方の住民に配布しようとし、或いは右ビラと「深夜強迫で『新聞折込』を中止させ『確認・糾弾会』をでっちあげた県連行動隊」という見出しのビラを一組にして配布した青森の行為は、果たしてそれが検察官のいうように正当な言論活動といえるものかどうか疑わしく、少なくとも適切を欠いていたことは否定できないから、これを糾弾しようとした被告人Aらの本件所為は、その動機・目的において首肯し得るものがある(なお、原判決は、監禁された他の被害者九名については、前記各ビラの関係者でないから糾弾の対象とならないとしているが、被告人ら解同員の側にとってみれば、右の九名もまた青森の仲間で、かつ、前記各ビラの関係者であるとしての糾弾であり、実際本件において、同人らがそのような者として受け取られる余地は十分存在したのであるから、右の糾弾をとくに青森に対するそれと区別して論じることは相当でないと考えられる。)。しかしながら、本件犯行の手段・方法は、原判決が詳細に認定しているとおり、約一〇時間にわたって被害者らを監禁し、その間殆ど立ちづくめの同人らに対し、多数の者が、耳元に口或いはハンドマイクを当てて一方的に激越な調子で脅迫、ば倒を繰り返し、その足を踏みつける、こづく、手拳を面前に突きつけて殴るような気勢を示すなどの有形力の行使を伴うものであって、糾弾のためとしても、社会的に相当と認められる範囲を超えていることは否定できない。また、右犯行の結果、被害者らは、いずれも疲労困ぱいして心身に少なからぬ打撃を受け(現に、青森が疲労のためテント内で倒れ、一時意識もうろうの状態となるに至ったことは、原判決が摘示するとおりである。)、本件後も耳鳴りや難聴などの障害が残ったというのであるから、被告人Aらの右所為によって惹起された法益の侵害も決して軽微とはいいがたい。

以上要するに、本件は、犯行の動機・目的の点においてはともかく、その手段・方法並びに法益侵害の程度の点において到底許容できるものではないから、前記ビラ配布によって被る解放同盟側の不利益の大きさなど所論指摘の諸点を考慮に入れても、結局、法秩序全体の見地からみて可罰的違法性を否定することはできない(したがって、もとより、本件所為が所論正当行為に当たるものでないことも明らかである。)。

そうすると、その説示に一部適切を欠く点はあるにしても、基本的には右と同一の見地に立って本件犯行の可罰的違法性を肯定した原判断は正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

三  原判示第二の事実(青森宅・秋田議員包囲事件)について

所論は、本件における糾弾闘争の正当行為性を否定し、かえって可罰的違法性を肯定した原判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、という。所論が右の正当行為性及び可罰的違法性について述べるところは、大もとで元津事件における主張と軌を一にするものであって、要するに、同事件で指摘した一連のビラ配布などに見られる青森の行動の差別性を強調した上、これに抗議しようとした被告人Aらの本件闘争行為は、憲法一四条を実質的に裏付ける糾弾権の行使として正当行為に当たり、また、仮にそうでないとしても、右行為は、その動機・目的が正当であり、手段・方法も社会的に相当と認められる範囲内にとどまるものであるから、可罰的違法性を欠いている、というのである。

たしかに、本件は、その背景事情において元津事件と変わるところがなく、いわば同事件の延長線上に位置するものであるから、被告人Aらの所為がその動機・目的において首肯し得る余地のあることは、同事件について見てきたとおりである(なお、この理は、秋田議員らに対する関係でも同様にあてはまるものと考える。)。しかしながら、本件犯行の手段・方法は、原判決が詳細に認定しているとおり、延べ五日間・九〇時間余にわたり、青森宅を包囲して同人及び家族らの行動の自由を奪い、その間、殆ど昼夜を分かたず、アジ演説、シュプレヒコール、解放歌の合唱などを繰り返し、ば声を浴びせ、或いは同人宅の周辺で夜通し照明灯を照射し、たき火を燃やすなどして被害者らを極度に畏怖・困ぱいさせたものであって、糾弾のためとしても、社会的に相当と認められる範囲を超えていることは明らかである(なお、秋田議員らに対する関係では、その監禁時間が約四時間三〇分と比較的に短いものの、同人らの乗った乗用車の発進を実力で阻止し、しかも再三にわたる警察官の警告をも無視し続けて、原判示のように青森と合体して監視し威圧を加えたことなどの事情に徴すると、これまた、その手段・方法が相当であるとはいいがたい。)。そして、右犯行の結果、被害者とくに青森が、長時間にわたって行動の自由を奪われたにとどまらず、同人宅では、朝から戸や窓を締め切り、カーテンを引き、夜も電灯を消して屋内を暗くし、それでも外部の照明で屋内の人物の動きが分かるため、なるべく行動をひかえ、部屋に閉じこもってひたすら耐え忍ぶ生活を余儀なくされ、その間、本件被告人らの発する怒号、シュプレヒコール、解放歌の合唱などによる騒音はすさまじく、家族全員睡眠がとれず、蓄えていた食料品の枯渇などと相まって心身共に極度の疲労に陥り、青森は、本件後相当期間下痢に悩まされ、かつ、物音に対し異常に過敏な状態が続き、同人の妻や義母も健康を害するに至るなど、青森及びその家族に与えた恐怖と苦痛は極めて大きく、更に、静かな農村地帯を長時間にわたって喧騒状態に陥れるなど、付近住民に及ぼした社会的影響も深刻であって、被告人Aらの右所為によって惹起された法益の侵害も決して軽微とはいえない(秋田議員らに対するものも、右青森に対するものと一体をなす関係において同一評価を受けるべきものと考える。)。

以上要するに、本件は、犯行の動機・目的の点においてはともかく、その手段・方法或いは法益侵害の程度の点において到底許容できるものではないから、前記ビラ配布によって被る解放同盟側の不利益の大きさなど所論指摘の諸点を考慮に入れても、法秩序全体の見地から見て可罰的違法性を否定することはできなく、もとより、本件所為が正当行為に当たるともいえない。

そうすると、その判示の方法に措辞適切を欠くきらいはあるにしても、結局は前示のとおり右と同一の判断を示したものと見られる原判決は、結局において正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

四  原判示第三の事実(生野駅・南真弓公民館事件)について

所論は、被告人Jらの本件所為が正当防衛に当たらず、糾弾権の行使としての正当行為により違法性を阻却するものではなく、可罰的違法性をも具備するとした原判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、という。所論が右の正当防衛及び正当行為を主張し、かつ、可罰的違法性を否定する論拠は、原審弁護人のこの点についての主張と同じであるが、要するに、被害者らが生野駅周辺で配布したビラは、解放同盟やその活動を非難、中傷する内容のもので、その配布は、国民の中にある差別心を助長、拡大させる重大な被差別部落民への人権侵害行為に当たるから、これを防止し糾弾しようとした被告人Jらの本件所為は、緊急性があり、動機・目的において正当であり、その手段・方法も社会的に相当と認められる範囲内にとどまるものである、というところにある。

しかしながら、この点について原判決が説示するところは正当であって、当裁判所もこれを是認することができる。

すなわち、本件において被害者らが配布したのは、神戸地裁豊岡支部が青森宅包囲事件に関して発した仮処分決定や青森の手記などを掲載した朝来郡民報など二種類のビラで、いずれも右事件に抗議し、解放同盟の行動を不法、不当なものとして批判する内容のものであるが、原判決もいうように、一般に、対立する団体間の紛争中に情宣活動として配布されるビラなどには、多少なりとも誇張された表現や激越な文言を用いて相手方団体を批判する内容を含むことが往往にしてあり、また、そうした文書であっても、その誇張の程度や表現の方法が一定の限度を超えていない限り、これを配布することが許されるべきは、言論の自由や政治活動の自由の保障の観点或いは刑法二三〇条の二の規定の趣旨からして疑いのないものと考えられるところ、前記ビラの場合、仮処分決定に関する部分はもちろん、青森の手記の部分も、一応客観的な事実を記載し、これに基づいて解放同盟の行動を批判するという形式がとられており、内容の著しい誇張或いは殊更に刺激的な表現方法といったものは見当たらないから、被害者らが右ビラを配布した行為は、対立する団体間の情宣活動として社会的に許容される限度を逸脱しておらず、正当な言論活動であったと認められる。しかるに、被告人Jらの本件所為は、右ビラの配布による解放同盟批判は容認できないとして、一方的に被害者らの言論活動を封殺しようとしたものであって、その動機・目的が必ずしも正当であるとはいいがたい。のみならず、原判決も説示するように、被告人Jらが右ビラ配布に対してとった行為は、言葉で抗議、説得するにとどまらず、一〇余名に及ぶ被害者らに対し、頭、顔、腕等を殴打し、首、背中等を蹴り、或いは毛髪をつかんで引っ張るなどの暴行を一方的に加え、スクラムを組んで座り込む同人らを引きずり出して南真弓公民館へ連行し、約四時間三〇分にわたり同所に監禁するとともに、同人らに対し、再び殴る、蹴る、毛髪を引っ張る、たばこの火を手に押しつける、ハンドマイクを耳元に当てて怒鳴るなど苛烈な暴行を加えたというものであって、所論のような抵抗を排除するための軽微な有形力の行使とか、説得行為とはおよそ懸隔した行為であり、もとよりやむを得ざるに出た行為とはいえず、たとえ糾弾のためとしても、その手段・方法は、社会的に相当と認められる程度を著しく超えているというべきである。しかも、被害者らのうち、三重六夫ら一三名は、同被告人らの加えた一連の暴行により加療約五日間ないし二週間を要する傷害を負ったもので、その法益侵害の程度もまた軽微とはいいがたい。

以上要するに、本件は、もともと被告人らに対する不正の侵害行為が存在するとはいえず、犯行の動機・目的、手段・方法、更には法益侵害の程度のいずれの点においても到底許容できるものではない。

そうすると、被告人Jらの本件所為は、正当防衛或いは糾弾権の行使としての正当行為に当たらないのはもちろんのこと、可罰的違法性を具備することも明らかであって、これと同旨の見地に立つ原判断に所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

五  原判示第七(同二を除く。)の事実(八鹿高校事件)について

所論は、被告人Aらの原判示第七の各犯行のうち、逮捕、監禁、強要罪について可罰的違法性を欠くといえないとした原判断は、法令の解釈適用を誤ったものである、という。所論が右の可罰的違法性を否定する論拠は、原審弁護人のこの点についての主張と同じであるが、要するに、右の各罪のいずれについても、犯行の動機・目的が正当である上、(1) 逮捕罪については、被害者らに八鹿高校へ戻るように促す過程で、スクラムをはずし、腕をとり、マイクロバス等に乗せるなど一定の有形力の行使があったとしても、その程度は比較的軽微であり、(2) 監禁罪については、当時の状況下において、同校生徒らのハンガーストライキを中止させるためには、被害者らを同校内で糾弾する以外に他にとるべき方法がなかったのであり、その手段・方法も、社会的に相当と認められる範囲内にとどまっており、(3) 強要罪については、被害者らに自己批判書を作成させる過程で、ときには声を荒げ、机を叩くなどの行為があったとしても、その程度は軽微で、刑法上の処罰に値しない、というところにある。

しかしながら、この点についても、原判決の説示するところは正当として支持することができる。

すなわち、まず本件の動機・目的の当否から見てみるに、関係証拠によれば、本件発生に至る経緯については、おおむね原判決がその理由中の「(本件の背景事情および経緯)」第五の項に摘示するとおりであることが認められる。それによると、原判決もいうように、本件の被害者である八鹿高校教諭らは、同校の解放研の設置に対して一貫して消極的であり、昭和四九年七月三〇日に同校校長の承認により解放研が正式に発足した後も拒否的態度を崩さなかったことが明らかであり、また、同校教諭らにそのような態度をとらせた最も大きな要因が、解放研は解放同盟の尖兵であり、その設置を認めることは同校における解放同盟の勢力の介入を許すことになるという、原説示の理解であったことも容易に推察し得るところである。検察官が指摘する、同校に部落研が存在することなどの事情は、いずれも教諭らに右のような態度をとらせた決定的な要因ではない。そうだとすれば、事が自校の生徒に関する問題であるだけに、教諭らの態度は、やはり生徒を抜きにし、政治的観点にとらわれ過ぎた硬直した態度であるとの非難を免れがたいと考える。また、本件当日の集団下校についても、なるほど検察官がるる反論する経緯・事情が認められ、教諭らが被告人ら共闘会議側の激しい糾弾を予想したこと自体は誤りでないにしても、それを避けるために解放研生徒のことも顧みず集団で下校するということはいかにも性急で思い切った態度であり、もとより他にとるべき方法がなかったとはいいがたい。教諭らが、真にハンガーストライキをしている生徒やその父兄の心情を思うならば、右のような態度は教育者としてとり得なかった筈である。要するに、本件における被害者らの態度には、原判示のような教育者として適切を欠くものがあり、少なくとも、日頃部落差別に苦しんでいる被告人Aら及び本件に加功した解同員にとっては、差別的・党派的なものと見られる余地があるといわなければならない。してみれば、これらの者が被害者らに対し、激しい怒りを持ち、糾弾を必要とすると考えたのも無理からぬところがあり、本件は、動機・目的において一応首肯できなくはない。

しかしながら、原判決も詳細に認定、説示するように、本件糾弾の手段・方法は、第一現場及び第二現場のいずれにおいても、多数の者が被害者らに対し一方的に殴る、蹴るなどの執ようかつ激しい暴行を加えたものであって、社会的に相当と認められる範囲を明らかに逸脱しており、また、このような手段・方法が真にやむを得ないものでないことも明らかである。更に、法益侵害の程度も、多数の被害者が長時間にわたって行動の自由を奪われるなどしたばかりか、一連の暴行により実に四六名もの被害者が約一週間から二か月間以内の加療(入院加療を含む)を要する傷害を負ったものであって、むしろ重大と評価せざるを得ない。

以上要するに、本件は、犯行の動機・目的の点においてはともかく、その手段・方法、更には法益侵害の程度の点において到底許容できるものではないから、関係証拠によって認定し得る所論指摘のその余の諸点を考慮に入れても、結局、法秩序全体の見地から見て可罰的違法性を否定することはできない(したがって、もとより、本件所為が所論正当行為に当たるものでないこともいうまでもない。)。

そうすると、右と同一の見地に立って本件逮捕監禁、強要罪の可罰的違法性を肯定した原判断は正当であり、所論のような法令の解釈適用の誤りはない。

以上の次第であるから、原判示第一、第二、第三及び第七(ただし、同二を除く。)のいずれの事実についても、原判決の法令の解釈適用に所論のような誤りはなく、論旨は理由がない。

第四弁護人上野勝の控訴趣意(被告人Iの関係)について

論旨は、要するに、原判示第七、二の事実について、被告人Iが、当日の遅くとも午前一一時三〇分ころには八鹿高校第二体育館に入って糾弾に参加し、その際浜松六雄の尻を足で蹴り、巣鴨三彦の顔を手拳で数回殴るなどの暴行を加え、更に解放研部室で愛媛一雄を脅迫し、田端九彦に自己批判書の作成を強要したなどと認定した上、監禁・強要・傷害罪の刑事責任を負うとした原判決には事実の誤認があり、かつ、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論及び答弁にかんがみ、記録(証拠物を含む)を調査して検討するに、原判決がその理由中の「(当裁判所の判断)」第一、七、9の項において認定、説示するところはすべて正当として是認することができ、当審事実取調べの結果によってもこれを左右するに足りなく、原判示第七、二の事実は原判決挙示の関係証拠により優に肯認できるものといわなければならない。

これに対し、所論は、(1) 原判決が依拠した浜松六雄及び巣鴨三彦の原審各証言は、犯人を特定した経過に疑問があって到底措信できない、(2) 被告人Iが八鹿高校に赴いたのは本件当日の午後四時過ぎころであり、原判決のいうような早い時刻でなかったことについては、原審証人鶴見七士の証言等によって明らかである、(3) 同被告人の捜査段階の供述は、当時発熱・下痢の症状が続いていた同被告人が、早く釈放されたい一心で捜査官の誘導に応じたものであり、これにのみ重点を置く原判決の認定は不当であるなどとして、あくまでも本件について同被告人の無罪を主張する。

しかし、右(1)の点についてみれば、検察官も反論するように、浜松は、本件発生の前日、同校の事務室にいたとき、被告人Iが同室から電話をかけているのを真正面から机をはさんで二、三分間見ており、またその際、同被告人が「川上」という名前であることをも聞知した旨証言しているのであって、当時浜松としては、右の「川上」という比較的に著名な名前と結びつけて、同被告人の人相、特徴をかなり強く印象づけられていたため、その翌日第二体育館で自己の尻を蹴る暴行を加えた人物を同被告人であると特定することができたものと考えられ、更に、本件当時の同被告人の人相、服装(前額部の髪が薄く、大柄、赤ら顔、濃緑色のジャンパー・ズボン、靴履き、無帽、ゼッケンなし)が浜松証言のそれ(額が広く大造りな赤ら顔、黒っぽいジャンパー・ズボン、靴履き、ゼッケンなし)とほぼ合致していることなどに徴しても、浜松が同被告人を特定した経過については、何ら疑いを差しはさむ余地はないものというべきである。他方、巣鴨は、なるほど同被告人の人相、特徴、服装等に関して一切証言していないけれども、それは単に右の諸点についての質問がなかったことによるもので、何ら所論のように異とするに足りず、むしろ巣鴨自身、原審裁判長の「川上という人はいつ知りましたか。」との質問に、「事件後家内の父と話してて、そうと違うかということも聞きましたし、警察で写真を見て知りました。」と証言しているところから、これまた、同被告人を特定した経過に疑問を差しはさむ余地はないものというべきである。そして、同被告人から暴行を加えられた状況についての右浜松及び巣鴨の各供述内容は、いずれも具体的かつ詳細であって、原審弁護人の反対尋問にも動揺を示しておらず、十分信用に値するものと認められる。

次に、右(2)の点についてみるに、たしかに原審公判において、被告人Iは、「八鹿高校へ行ったのは、当日午後四時ころで、第二体育館にも校長室にも入っていない。当日は昼から午後三時過ぎまで鶴見七士方に庭石を届けに行っていた。」旨弁解し、原審証人鶴見七士もこれにそう供述をしている。しかしながら、同被告人は、捜査段階において、当日午前一一時過ぎないし昼ころ八鹿高校に行った旨ほぼ一貫して供述しており、右弁解は突如としてなされたものであること、同被告人は、第二体育館に入ったことも捜査段階で終始認めているところ、館内の状況に関する供述は具体的であって、かつ、その内容が被害者らの供述ともおおむね一致していること、同被告人が第二体育館で前記浜松、巣鴨の両名に暴行を加えたことは同人らの証言によって明らかであるが、このうち、浜松は午前一一時三〇分ころには同館を出ていることなど、いずれも原判決の挙示する理由のほか、更に、同被告人の供述する第二体育館内の目撃状況は、例えば被告人Dの暴行のように、自己が実際に目撃しなければ知り得ない他の共闘会議構成員らの犯行についても言及するなど、極めて臨場感にあふれるものであることをも併せ考えると、被告人Iは、原判決認定のとおり、遅くとも本件当日の午前一一時三〇分ころには第二体育館に入っており、そのころから犯行に加功したものと認めるのに十分である。これに反する同被告人及び鶴見の原審公判における各供述は、前記説示に照らして到底措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠もない。

更に、右(3)の点についても、被告人Iは、捜査段階において、自己の刑事責任を認めておらず、むしろ、被害者側に好意的な態度をとっていることを強調するなど、実質的には自己弁護の姿勢を維持し続けていたのであるから、その供述中に同被告人に不利益な内容が含まれているとしても、それが所論のように捜査官の誘導に応じたものであるとは到底考えられない。

以上いずれも所論は採用できなく、原判決が、被告人Iの前記弁解を排斥し、同被告人が遅くとも当日午前一一時三〇分ころには第二体育館に入って原判示の各暴行、脅迫、強要等の実行行為などを行ったと認定した上、本件第二現場での犯行につき、共同正犯としての刑事責任を負うと判断したのは正当であって、所論のような事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

第五検察官の控訴趣意について

論旨は、要するに、被告人Aを懲役三年、四年間刑執行猶予に処した原判決は、刑の執行を猶予した点において量刑著しく軽きに失し不当であるから、破棄を免れない、というのである。

そこで、所論及び答弁にかんがみ、記録(証拠物を含む)を調査し、当審における事実取調べの結果をもあわせて次のとおり判断する。

一  犯罪事実の概要

被告人Aに対して刑事責任が問われているのは、① 青森六助など一〇名に対する監禁を内容とする原判示第一事実の元津事件、② 右青森に対する監禁とこれに伴い発生した栃木二郎など三名に対する監禁を内容とする原判示第二事実の青森宅・秋田議員包囲事件、③ 香川九男など四一名に対する逮捕監禁、長崎三雄など六名に対する同致傷、右香川など二九名に対する強要並びに同人など四三名及び小原九助ら三名に対する各傷害を内容とする原判示第七(ただし、同二を除く。)事実の八鹿高校事件(なお、この八鹿高校事件の罪数等については職権判断で示す相違点がある。)の計三件の事案に関してである。右各事案の具体的内容については、さきに弁護人らの事実誤認の控訴趣意に対する判断の中で各別に触れてきたところであるが、ここに改めてその犯罪事実を略記してみると、

1 元津事件については、Cのほか多数の解同員らと共謀の上、昭和四九年九月九日早朝から夕刻にかけ約一〇時間にわたって、青森六助など一〇名を原判示通称元津三差路付近の路上及び路外空地に設置のテント内で取り囲み、その間、「差別者、糾弾する。」など様々な怒声を浴びせるなどし、もって多衆の包囲と威圧により同人らの脱出を著しく困難にして同人らを不法に監禁したというもの

2 青森宅・秋田議員包囲事件については、Cほか多数の解同員らと共謀の上、同年一〇月二二日夕刻から同月二六日昼前にかけ約九〇時間にわたって、原判示青森六助方居宅周辺に多人数参集して滞留し、或いはこれを取り囲み、その間、同屋内の同人に対し、ハンドマイク及び肉声で「青森糾弾。」など様々な怒声を浴びせるなどし、もって多衆の包囲と監視及び威圧により同人をして同宅に引きこもり自由な外出等を著しく困難にしてこれを不法に監禁し、一方、右青森に対する監禁行為開始の直前の同月二二日夕刻、右青森方を訪れた秋田十助らの一行に対しても、同人らが同所から退出しかかるのを認めるや、その分乗する二台の自動車の発進を妨げ、同人らをして右青森方に引きこもるのを余儀なくさせた後、引き続き同人方の周囲を多人数で取り囲み、青森同様同人らに対しても様々な怒声やシュプレヒコールを浴びせるなどし、同夜警察官が右秋田らを退出させる態勢をととのえるまで約四時間三〇分にわたり、多衆の包囲と威圧により同人らが右青森方から退出することを著しく困難にし、もって右秋田など三名を不法に監禁したというもの

3 八鹿高校事件については、Bほか八鹿高校差別教育糾弾闘争共闘会議の構成員多数と共謀の上、同年一一月二二日朝、原判示立脇履物店前など(すなわち原判示第一現場)において、香川九男など四七名の同校教諭らに対し、殴打、足蹴りなどの暴行を加え、路上にスクラムを組んで座り込んでいた同人らをスクラムから引き離した上、その手足を持って引きずるなどした後、トラック又はマイクロバスに乗せ、或いは両腕をとって徒歩で連行するなどし、右履物店から約三〇〇メートル離れた同校第二体育館に連れ込み、もって同人らを不法に逮捕し、引き続き同日深更に至るまでの間、一人につき約三〇分ないし一二時間三〇分にわたり、同人らを右第二体育館など同校内(すなわち原判示第二現場)に押し込め、右共闘会議構成員多数で包囲、監視するなどし、もって同人らが同校から脱出するのを著しく困難にして同人らを不法に監禁し、その間、右第二現場において、右香川など四一名に対し、殴打、足蹴り、或いは冷水を浴びせるなどの暴行を加えて同人らを畏怖・困惑させ、同人など二九名に自己批判書の作成を要求し、よって同人らをしてそれぞれその意思に反して、「解放研生徒と話し合わなかったことを反省する。」などの趣旨を記載した自己批判書又は確認書を作成させてこれに署名指印などをさせ、もって同人らに義務なきことを行わせるとともに、前記一連の暴行により、右香川など四三名に対し、加療約一週間から二か月間以内を要する各傷害を負わせ、なお、右第一現場においては、同じくスクラムを組んで座り込んでいた同校教諭小原九助など三名に対しても、その頭部、顔面、胸部を蹴るなどの暴行を加え、同人らに加療約一〇日間ないし四週間を要する各傷害を負わせたというもの

である。

二  本件の背景事情及び特徴

本件各犯行の背景となる事情については、原判決がかなり詳細に摘示しているところであり、とくにこれに異論を差しはさむ必要はない。

すなわち、原判決もいうように、兵庫県南但馬地方(朝来郡、養父郡)には、二二のいわゆる被差別部落(人口約六〇〇〇人)が存し、旧来から劣悪な生活環境、結婚・就職差別などに苦しんできたが、昭和四八年七月に部落解放同盟南但馬支部連絡協議会(略称「南但支連協」)が結成され、右の各部落に解放同盟支部が設けられ、更に同年一〇月南但支連協青年部が発足し、ここに同地方においても、差別に対する解放運動の基盤となる組織が整備されるに至り、青年層を中心とした解放運動が活発になった。とくに、昭和四九年一月ころ発覚した日光一差別文書事件(兵庫県職員日光一がその子息に送った手紙の内容が部落差別であるとして追及された事件)を契機として、右解放運動は一段と活性化し、部落差別解消の責務を負う行政の関係者に差別意識があるとしてこれをただすべく、同年一月下旬ころ、日光一差別文書糾弾闘争本部が設置され、被告人Aがその闘争委員会の委員長に、南但支連協を構成する解放同盟二二支部の各支部長がその闘争委員となっていた。そして、そのころから、右委員会の指導の下に南但支連協青年部ないし青年行動隊が中心となって、各部落における学習会はもとより、南但各町の行政関係者に対する確認会・糾弾会などいわゆる行政点検活動が盛んに行われるようになり、また、行政の同和事業に関する今一つの重要な柱は同和教育にあるとして、南但地方の小学校、中学校、高等学校の教育関係者に対する確認会・糾弾会も数多く開かれるようになった。更に、南但地方の中学校、高等学校内では、奨学生(同和奨学金を受けている学生)を中心に、部落解放研究会(略称「解放研」)の設置を要求する気運が高まり、朝来中学校、和田山中学校、和田山商業高等学校などいくつかの学校に解放研が設置され、解放研生徒が各学校における糾弾活動の一役をになうに至った。しかし、右のように南但支連協の青年層を中心とした教育機関に対する確認会等が盛んになるにつれて、これに反発する人達も出てきた。また、右の解放研設置要求に対して消極的な人達もいた。前者の代表は兵庫県教職員組合(略称「兵教組」)朝来支部長の青森六助であり、後者は八鹿高校の教諭達である。青森は、右の確認会等は、具体的な差別事象がないか或いはその有無が不明確であるにもかかわらず、確認会等の名の下に各校の同和教育、教育方針、教師の教育信条を解放同盟が点検、介入するものであって許されないこと、しかも極めて長時間教師の人格の尊厳を侵す方法で行われていることなどを理由として、これに反発し、自己が支部長をしていた兵教組朝来支部の一部組合員らと共に、確認会等に教師が出席しないよう働きかけ、或いは解放同盟の方針に批判的立場をとるとされる戸塚九士、大船一助、藤沢二助などの講師を読んで講演会を開くなどの活動をした。更に、青森は、昭和四九年六月ころ、右の藤沢二助の講演会開催を機に、城崎郡日高町鶴岡の区長であった辻堂三助と接触を深め、同人が後に結成した部落解放運動の統一と刷新をはかる日高有志連合の支援を得、また、高等学校教職員組合但馬支部支部長香川九男ら八鹿高校教諭の協力や日本共産党町議会議員の支援の下に、同年七月から八月にかけて、解放同盟の行った右確認会等を批判するビラを作成し、兵教組朝来支部組合員や朝来郡内の住民に配布した。青森を中心とする右一連の活動は、被告人Aらを中心とする南但支連協の活動を直接、間接に批判するものであったから、両者の間には次第に厳しい対立関係が生じてきた。他方、南但地方の中学校、高等学校内における解放研設置の要求に対し教諭らがこれを拒否するなどして紛争が生じた例は、和田山中学校、和田山商業高等学校などに見られたが、本件の八鹿高校の紛争はこれらにつぐものであり、前示教諭らが解放研設置に反対した理由は、八鹿高校の教諭らのそれに見られるように、ひっきょう、解放研は解放同盟の指導の下にあるからその設置を認めることは学校内に解放同盟の勢力の介入を許すことになる、というにある。したがって、ここでも解放同盟との対立関係が内在していた。これに対し、被告人Aらは、青森の行動とくに確認会等を批判するビラを配布するのは、悪質な差別キャンペーンであり、解放運動を妨害し、ひいては被差別部落出身者を苦しめるもので許されないと考え、同人や兵教組朝来支部に抗議する一方、ビラ配布を阻止し或いは新聞折込の中止を迫るなど組織をあげてこれに対応したが、青森の右の行動やその差別的体質に照らし、いずれは同人を糾弾する必要があると考えるに至っていた。

以上に見られるように、端的にいうならば、本件は、当時部落差別に対する解放運動の一環として南但地方の教育関係者に対し盛んに確認会・糾弾会を開くなどしてきた部落解放同盟と、これが過激であり学校教育に不当に介入するもので許されないとする勢力の対立が背景事情となっているものであるが、その更に背後には、原判決も指摘するように、部落解放という目的は共通にしながらも運動方針を異にする部落解放同盟と部落解放同盟正常化全国連絡会議(なお、現在は全国部落解放運動連合会に改組)の対立、ひいては、昭和四四年のいわゆる「矢田事件」を契機として決定的になったとされる部落解放同盟と日本共産党の対立があるといえよう。

そして、このような背景事情に照らしてみるとき、本件一連の犯行は、その根底において、たしかに政治的・党派的な色彩を帯びていることを否定できない。しかし、そうであるからといって、直ちに所論のように(もとより当裁判所としてもそのような一面のあることを完全に否定するものではないが、)、本件が「解放同盟を批判する反対派の言論活動を暴力をもって封殺しようとし、次いで、学校教育に不当に介入した上、これに従わない現場の教諭らに集団的暴力を加えて屈服させようとした事案である。」と決めつけるのは早計で、いささか片面的に過ぎる見方ではないかと思われる。けだし、本件では、部落差別という極めて深刻な社会問題について学校教育の場での取り組み方の姿勢が問われていたのであり、事案の本質を見極めるためには、前示の背景事情のほか、従来からの部落差別の実態、各犯行に至る具体的な経緯・事情、更には、学校教育に携わる被害者らの教育的配慮に乏しい言動に対して糾弾を必要と考えた被告人らの心情などをも被害者側の立場、心情などともに十分考慮に入れ、これらを総合的に検討しなければならないものと思料されるからである。そして、右の検討の上に立って見るとき、本件各事案の本質は、やはり弁護人らが反論しているように糾弾の行為であり、ただ、それが、同じく部落解放を標榜しながら運動方針を異にする前示教育的立場の集団に対して向けられたという点に、そのし烈で際立った特徴がある。

三  各犯行ごとの情状

1 元津事件について

本件は、さきに弁護人らの控訴趣意に対する判断で述べたとおり、その犯行の手段・方法が、約一〇時間にわたって被害者らを監禁し、その間殆ど立ちづくめの同人らに対し、多数の者が、耳元に口或いはハンドマイクを当てて一方的に激越な調子で脅迫、ば倒を繰り返し、その足を踏みつける、こづく、手拳を面前に突きつけて殴るような気勢を示すなどの有形力の行使を伴うものであって、かなり執ようかつ過激なものといわなければならず、また、右犯行が公道上及び公道付近で行われたことを考慮すると、これが現場付近を通行する一般住民等に与えた影響も軽視できない。更に、右犯行の結果、被害者らは、いずれも疲労困ぱいして心身に少なからぬ打撃を受け、本件後も耳鳴りや難聴などの障害が残ったというのであるから、惹起された法益侵害の程度も決して軽微とはいえず、被害者らにおいては、いずれも被告人Aらの厳重処罰を求めている。

しかしながら、本件犯行の動機・目的においては酌むべき点も認められる。すなわち、原判決もいうように、被告人らが右の犯行に及んだのは、青森の行動とくに確認会等を批判するビラを配布する行動が差別的であるとして、これを糾弾するためであったと認められるが、青森が作成、配布に関与していた「この世の生き地獄……」などと題するビラ(以下本件ビラという。)の内容や本件犯行に至る経緯、更には当時の南但地方にいまだ根強く残存していた一般の差別意識などに照らせば、被告人らが、右の青森らの行動を自分達の解放運動を敵視し真の解放を阻害して結局差別を助長するものととらえて糾弾しようとしたのも、心情的には理解できないわけではなく、ある程度無理からぬところであったと思われる。

この点につき、所論は、本件ビラが基本的には真実を伝えるものであるとした上、被告人らの所為は、青森らの正当な言論活動を封殺しようとしたもので、その動機・目的において不当であると主張するが、さきに弁護人らの控訴趣意に対する判断で述べたとおり、その作成の真の意図・目的はともかく、本件ビラは、その表現方法等から見て、いわゆる差別文書と見られる疑いの濃いものであり、したがってまた、これを配布しようとした青森らの行為も、果たして所論のように正当な言論活動といえるものかどうか疑わしく、少なくとも表現において適切を欠いていたことは否定できないから、右の所論は認容できない。

所論はまた、被告人Aらが青森以外の者をも含めて無差別に監禁行為に及んだことや、本件ビラ配布の以前から青森糾弾の計画が立てられていたことなどを挙げて、同被告人らが本件犯行に及んだのは、本件ビラを配布したこと自体をとらえて青森を糾弾しようとしたものではなく、従前から青森の行っていたビラ配布等の言論活動が部落解放運動を妨害するものと一方的に決めつけ、その活動自体を封殺、粉砕しようとしたものである、とも主張する。たしかに、同被告人らが本件ビラ配布の以前から青森に対して糾弾を加える必要があると考えていたこと、また本件犯行に際しては、青森を救出するために来た他の被害者九名に対しても同様の監禁行為に及んでいること、いずれも所論の指摘するとおりであるが、同被告人らが糾弾しようとしたのは、本件ビラの作成、配布に象徴される当時の青森の体質であって、右ビラの内容を抜きにしてこれを論じることはできないし、他方、同被告人らが青森以外の被害者に対しても糾弾行為に及んだのは、これらの者を青森の仲間で、かつ、本件ビラの関係者であると見たからであって、結局、右のいずれの事実をもってしても、本件の動機・目的についての前記評価を左右するに足りない。したがって、右の所論もまた失当というべきである。

2 青森宅・秋田議員包囲事件について

比較的に監禁時間の短かった秋田議員らに対する犯行はともかく、青森に対する犯行は、その手段・方法が、延べ五日間・九〇時間余にもわたり、同人宅を包囲して同人らの行動の自由を奪い、その間、殆ど昼夜を分かたず、アジ演説、シュプレヒコール、解放歌の合唱などを繰り返し、ば声を浴びせ、或いは同人宅の周辺で夜通し照明灯を照射し、たき火を燃やすなどして同人らを極度に畏怖・困ぱいさせたものであって、所論がいうように、まさしく青森がその家族と共に享有している住居の平穏を根底から侵害したものといえるであろう。そして、右の結果、青森及びその家族の受けた恐怖と苦痛が極めて大きく、付近住民も深刻な影響を受けたこと、更に被害者らが被告人Aらの厳重処罰を求めていること、いずれも所論の指摘するとおりである。

しかしながら、本件犯行についても、その動機・目的の点では情状酌量の余地がある。すなわち、本件は、さきに弁護人らの控訴趣意に対する判断の中で述べたとおり、その背景事情において元津事件と変わるところがなく、いわば同事件の延長線上に位置するものであるから、その動機・目的の点では同事件の場合と同様に評価することができる。

所論は、本件犯行についても、被告人Aらが、糾弾の名の下に、青森の正当な言論活動を封殺しようとしたものである旨主張するが、そのような見解の採り得ないことは、前記1における説示に照らして明らかである。

所論はまた、本件においては、確認会批判ビラの作成、配布や元津事件の告訴等とは全く関係のない青森の家族をはじめ、同人の身を案じて青森糾弾闘争の実情調査にかけつけた国会議員の秋田十助らに対してまで、一方的かつ無差別的な監禁行為に出たとした上、その点から見ても不当かつ理不尽な犯行である、とも主張する。しかし、結果的にはともかく、被告人らの側では、本件において青森の家族に対してまで糾弾をする意図があったわけではなく、他方、秋田らに対する糾弾は、元津事件の場合と同様、これらの者を青森の支援者で、同人に対する糾弾を妨害するものであると見たからであって、少なくとも本件犯行の動機・目的に限って論じるならば、必ずしも所論のように不当かつ理不尽とばかりはいえない。したがって、右の所論もまた失当である。

3 八鹿高校事件について

所論がるる具体例を挙げて指摘するように、本件犯行の手段・方法は、原判示第一現場及び第二現場のいずれにおいても、多数の者が被害者らに対し一方的に殴る、蹴るなどの執ようかつ激しい暴行を加えたものであって、その犯行時間の長さや規模の大きさとも相まって、到底許しがたいものというべきである。そして、右の結果、多数の被害者が長時間にわたって行動の自由を奪われたばかりか、一連の暴行により実に四六名もの被害者が約一週間から二か月間以内の加療(入院加療を含む)を要する傷害を受け、その後遺症に悩まされていた者も少なくない。また、本件が学校教育の現場でしかも教諭らを対象として行われたものであるだけに、それが生徒や付近住民などに与えた衝撃も甚大といわなければならない。更に、被害者らがいずれも被告人Aらの厳重処罰を求めており、その被害感情が強固であることも、所論指摘のとおりであり、その犯情の重さを示しているといえる。

しかしながら、本件犯行についても、その動機・目的の点ではかなり情状酌量の余地がある。すなわち、さきに弁護人らの控訴趣意に対する判断の中で述べたとおり、本件被害者らが八鹿高校の解放研設置に対して消極的であった最大の要因は、解放研は部落解放同盟の尖兵であり、その設置を認めることは同校における解放同盟の勢力の介入を許すことになるという、原説示の理解にあったものと推認されるのであって、その態度は、事が部落解放同盟に対するものではなく、自校の被差別部落出身生徒に関する問題であるだけに、いささか政治的観点にとらわれ過ぎた硬直した態度であるとの非難を免れないと考える。また、本件当日の集団下校についても、原説示のように、被害者らの態度には解放同盟を意識し過ぎ、これと離れた自校の生徒の立場を思いやるという教育的配慮に乏しく、教育者として適切を欠く点があり、少なくとも、日頃部落差別に苦しんでいる被告人Aら及び本件に加功した解同員らにとって、差別的・党派的なものと見られる余地があったといわなければならない。してみれば、これらの者が被害者らに対し、激しい怒りを持ち、糾弾を必要とすると考えたのも一面無理からぬところがあり、心情的には理解できる。

この点につき、所論は、(1) 同校教諭らが解放研設置問題に消極的態度をとったことには合理的な理由があり、これを政治的観点にとらわれた硬直した態度であると非難するのは当たらないし、(2) また、教諭らが集団下校したのは、そのまま在校すれば、同人らが解放同盟側に屈服するまで激しい糾弾を受けると予想されたからであって、当時の緊迫化した諸情勢の下では、やむを得ない緊急措置と認められるなどとして、原判断をるる論難した上、被告人Aらの本件所為は、学校教育に不当に介入し、多数の暴力で教諭らを解放同盟の方針に従わせようとしたもので、その動機・目的が極めて不当である、と主張する。

たしかに、右(1)の点についてみれば、当時同校には、同じ目的を有する同好会として、数年前から部落研が存在していたこと、解放研設置を要求する生徒と平塚四助教諭らが話し合った際、生徒が、「自分達は部落研の中で勉強する必要はない。行動するだけだ。校外の活動は青年部の人達の指導を受けるので、先生の指導を受けなくてもよい。」旨述べ、その校外活動につき、教諭らの指導に従わないともとれる発言をしたこと、解放研の設置を認めた大宮校長の措置が、「顧問会議及び職員会議の承認を受けなければならない。」などと定められた同校所定の同好会設立手続をとっていなかったこと、いずれも所論指摘のとおりである。しかしながら、これらの事情は、同校教諭らをして前記のような態度をとらせた、いわば付随的な要因にすぎなく、その主たる要因が同人らの解放研に対する原説示の理解にあったことは、本件の背景事情等に照らして疑いのないところである。

他方、右(2)の点についても、なるほど所論がるる主張する経緯・事情が認められ、教諭らが被告人ら共闘会議側の厳しい糾弾を予想したこと自体は誤りでないにしても、当時、大宮校長や解放研顧問の恵比須教頭も在校しており、ましてや、解放研生徒が自ら教諭らとの話し合いを求めてハンガーストライキをしているのであるから、右の糾弾を避けるためとはいえ、他にとるべき方法がなかったとはいいがたい(なお、所論は、教諭らが右の解放研生徒を放置して下校したことについて、教諭らは、それが共闘会議の指示に従ったハンガーストライキであり、本件当日、校内には、共闘会議構成員が多数来ており、右の大宮校長らも在校しているので、これらの人達が右ストライキを中止させるであろうと考えていた旨主張するが、教諭らのそのような理解の仕方こそが、既に政治的観点にとらわれ過ぎた安易な、少なくとも、前記立場の生徒に対する教育者としての十分な配慮に欠けていた態度との非難を免れがたいところであろう。)。

してみれば、所論は、右のいずれの点においても、前提となる事実の見方を誤っており、採用できない。

四  被告人Aの各犯行における立場、役割

被告人Aは、本件各犯行当時、部落解放同盟澤支部支部長の地位にあり、また八鹿高校事件の際には、解放同盟南但各支部をはじめ各町職員組合、育友会など多数の団体をもって組織された八鹿高校教育正常化共闘会議の議長をも兼ねていたものであるが、前示各犯行においては、組織を動員し多数の解同員らを指揮して犯行を実行させたものであって、いわば総指揮者の立場にあったものである。すなわち、所論も指摘するとおり、

1 元津事件においては

(一) 同被告人は、犯行の前日の午後六時ころから朝来町福祉会館で、新聞販売店主に対する確認会を行っていたが、午後九時三〇分ころ、ビラを配布している車両を発見した旨の連絡を受け、直ちに解放車で青森六助を取り囲んでいる現場に赴き、同人を認めるや、「ここを闘争本部にする。糾弾の場にする。」と宣言し、他の解同員に対し、青森の監視体制と動員要請について指示した上

(二) 翌九日朝まで右現場付近にとどまり、同日午前七時前ころ、青森らが乗用車から降りて移動を始めるや、これを解放車で追尾するとともに、同人らを指して「日共差別集団宮本一派とその手先です。彼らは嘘とデマを書きまくり、町民を困らせております。」などと放送し、午前七時ころ、原判示の犯行現場において、多数の解同員らに対し、「日共の手先を捕捉した。ここを糾弾の場とする。スクラムを組んで逃がすな。」と糾弾の開始を指示し

(三) 更に、犯行終了時まで現場にいて、澤支部書記長水戸四也を介し解同員らの応援を求め、その場に居合わせた朝来町議員にテントの手配を依頼し、多数の解同員らに対し、糾弾の中止、再開のほか、テントの移動、ピケットの配置まで指示し、或いはアジ演説をして解同員らを鼓舞、激励するなど終始犯行を指揮し、また、自らもテント内に何度も入って糾弾の状況を見分し、パイプ椅子に座っている青森の左足甲を強く踏み、解同員らに対し、「こいつはまだくたばっておらん。眠いだけや。もっとやれ。」などとも指示した。

2 青森宅・秋田議員包囲事件においては

(一) 同被告人は、解放同盟澤支部長として、同支部青年部が発案した青森六助に対する本件糾弾闘争計画に賛同し、澤支部において全面的にこれを支援することを決め、自らが総指揮者となって、糾弾闘争の準備を進めている青年部に指導助言を行い、糾弾闘争初日の一〇月二〇日には、口田路公民館前に集まった解同員ら約三五〇名を前にして、解放車上から拡声器により青森六助糾弾闘争の開始を宣言し、「本日より二四時間糾弾態勢をとり、第一次一週間の闘争を打つ。効果が上がらなければ、第二次、第三次、第四次、第五次、第六次、それでも青森が悪どい敵対行為をするなら、第九次まで闘争を打つ。」旨演説し、解放車上に立ってデモ行進を先導し、青森方前で「青森六助出て来い。」「青森六助糾弾。」のシュプレヒコールの音頭をとり、「青森六助出て来い。お前はけだものか。家族の者もおらんのか。青森六助姿を見せい。我々の糾弾に応じてみろ。」などとば倒し、総括演説を行い、演説終了後、公民館で共闘会議を主催した

(二) また、翌二一日の午後三時ころには、由利若神社前広場において、解同員Cに対し道路使用許可申請書の変更を指示し、同日も前同様にデモ行進を指揮し、終了後、公民館で共闘会議を主催し

(三) 更に、監禁行為を開始した同月二二日には、秋田十助議員ら一行が青森方かた出て乗用車二台に分乗して出発しようとするや、解放車上から拡声器で「お前達が車をバックさせたら、殺人者として法廷に出んならんことは明らかだ。」「お前達の車がちょっとでも動いてみろ。殺人者だ。」などとアジ演説をし、警察官の度重なる警告にも従わず、多数の解同員らを指揮して秋田議員らの自動車の発進を妨害し、遂には同議員らをして青森方に引きこもるのを余儀なくさせ、同人方付近に参集した解同員の数が増えるや、秋田議員の出発を妨害するためピケットを張ることを指示し、引き続き、デモ行進を指揮し、終了後、公民館で共闘会議を主催し、その後、解放同盟澤支部員に対し糾弾の続行を指示し

(四) その後も、同被告人においては、同月二三日午前八時三〇分ころから八時四五分ころまでの間、青森宅前で集会を開き、午後一時過ぎころまで、同所又は公民館前にいて、繰り返し演説するなどし、更に、午後七時ころから再度集会を開き、演説、シュプレヒコール、デモ行進の指示をするなどし、右集会終了後も翌二四日午前三時ころまで、青森宅付近や公民館付近などにおいて、解同員らの行動を指揮した

(五) そして二四日は、午前中から公民館前などにおいて、解同員らに指揮、演説などし、同日午後も、しばしば青森宅前及び公民館前に来て演説し、午後七時ころから青森宅前で集会を開き、右終了後翌二五日午前二時ころまで、解同員らに指示を与えるなどしながら待機し

(六) 同二五日の午前八時過ぎころには公民館前へ行き、午後二時ころまで同所付近で待機し、或いは青森宅前で演説するなどし、午後七時ころから同所で集会を開き、右終了後も引き続き糾弾することを指示した

(七) 同月二六日は、午前中に青森宅前付近で解同員らに指示を与えるなどし、昼ころ、同所を立ち去って朝来町役場前へ向かい、同所で集会を開いた

3 八鹿高校事件においては

(一) 同被告人は、犯行の前夜、八鹿高校校長室で解放同盟南但各支部長に対し、犯行当日の午前一〇時に共闘会議構成員ら約五〇〇名を八鹿町民ホールに集めておくよう指示した上、犯行当日には八鹿高校教諭らが集団下校を始めた際、これを実力で阻止し、学校に連れ戻して糾弾会を実施するため、右構成員に「町民ホールへ行って人を呼んで来い。」と指示し

(二) これにより、町民ホールに集まっていた共闘会議構成員ら約一五〇名において原判示第一現場に駆けつけるや、同被告人は、解放車の上から拡声器で、右構成員らに対し、スクラムを組んで座り込んでいた同校教諭らを四人一組になってごぼう抜きにして学校へ連行するよう指示した

(三) その上、原判示第二現場においても、同被告人は、同校教諭らが共闘会議構成員らによって同校に連れ戻された後、自らも解放車で同校に戻って、同年第二体育館に入り、右構成員らに対し、教諭らを「一人一人ばらばらにして糾弾せよ。」と指示し

(四) かつ、午前中は、同校校長室のソファーの上で休養をとりながら、その間救急車の手配、被害者らの入院の指示、或いは話し合いに応じることを承諾した教諭らを同校本館二階で糾弾する手筈を目黒二彦と打ち合わせ、共闘会議構成員品川八雄に統制ある糾弾行動をとるよう伝達させ、また、同Hに同体育館の見廻りを依頼するなどした

(五) 同日午後二時ころには、同校近くの八木川原で同校生徒有志七〇〇ないし八〇〇名が暴力非難のデモ行進を予定して集会していたため、これを阻止すべく説得にかけつけ、その後、同校本館二階会議室、解放研部室などの糾弾会場を見廻り、同日午後九時三〇分ころ、同校本館前広場で開かれていた共闘会議主催の定例抗議集会で演説をし、警察機動隊の突入に備えて各門のピケット張りを指示したほか

(六) その後も、同被告人は、大磯五助(当時解放同盟兵庫県連合会書記長)らと相談の上、いわゆる総括糾弾会を計画し、同日午後一〇時ころから一一時ころまでの間、同校第一体育館で開催された同集会において、その進行を指揮し、自己批判書を振りかざして同校教諭香川九男らに対し、これが自由意思で書かれたものである旨の確認を迫り、右集会終了後は、右香川らを職員室へ連れて行って解放することを指示した

のである。

五  被告人Aの刑事責任

以上見てきたとおり、被告人Aは、本件各犯行当時部落解放同盟澤支部支部長の地位にあり、また、八鹿高校事件の際は、八鹿高校教育正常化共闘会議の議長をも兼ね、いわば総指揮者として本件各犯行につき組織を動員し、多数の解同員らを指揮して犯行を実行させたものであって、その刑事責任は、他の共犯者の誰よりも重いことはいうまでもないところである。

しかも同被告人は、その目的・動機において是認でき、自己の信念に基づいて行った行為であるとはいえ、前示のように多数の者に社会的に相当と認められる程度・範囲を超えた手段・方法でし烈な糾弾を加え、所論のように重大な被害を与えながら何ら慰謝の方途を講じておらず、また、共犯者らの多くがその目的においてはともかく、右のように重大な被害の結果を発生させたことについてその非を悔い、改悛の情を示しているのに対し、同被告人は捜査の段階から一貫して、「本件は正当な糾弾権の行使であり、罰せられるべきは青森六助であり、八鹿高校教師集団である。」とか、「差別を公然と行い、恥じることのなかった教師集団と、それを後ろであやつる日共差別集団宮本一派こそ罰せられるべきであると思う。」などと述べ、不法に右の重大結果を発生させたことに対する反省の念がなく、その意味では本件各犯行に対する自己の刑事責任の真の理解と反省に欠けるものと評することができ、その責任を一層重くしているといえるであろう。

しかしながら、本件各犯行は、前説示のようにその動機・目的において是認できないものでなく、それが人の根源に関する差別助長に対するものであるだけに、手段・方法がある程度厳しいものとなることも理解できなくない上、その犯行はいずれも多数の解同員らを動員して行われた集団犯罪であって、とくにその規模の大きかった青森宅包囲事件や八鹿高校事件などの場合、集団内部における統制が必ずしも十分に保たれていたわけでなく、したがって、個々の犯罪の遂行に当たっては同被告人としても当初の自己の意図どおりに事が運ばれず、これと離れた行き過ぎの結果を招来したり、群衆心理の勢いのおもむくまま或る程度これに押し流されるという面のあったことも否めないところであって、その意味では同被告人の指揮統率力には一定の限界があったといわなければならず、右の事情は同被告人に対する刑の量定の上で十分斟酌されるべき事柄であると考えられる。

してみると、本件が部落解放運動のためとはいえ、所論のように多数の被害者に暴力の行使を含む執ようでし烈な集団的、組織的糾弾行為を加え、被害者らの心身に多大な打撃を与えるとともに、地域住民にも非常なる衝撃を与えた重大事犯であって、その最高総責任者であった同被告人の刑事責任は誠に重いものがあるといわなければならず、同被告人を実刑に処すべきであるとする所論にも理由がないわけではない。しかし、他方本件各犯行の動機・目的は前叙のようなものであり、犯行の結果についてもそのすべてを同被告人に帰せさせるのはいささか酷に過ぎること、犯行についての反省もそれが同被告人の信念に発する態のものであるだけに前示のような態度をとらせているものの、それによってもたらされた重大結果については同被告人としても内省の念があるものと窺われることなど、同被告人のために酌むべき事情もあるので、これらの点を考慮すると、懲役四年の求刑に対し懲役三年という他の共犯者に比しかなり長期の刑を科し、反面その恕すべき情状を勘案して四年間同刑の執行を猶予した原判決の量刑は所論のように破棄しなければならないほど軽きに失した不当なものとは認められない。論旨は理由がない。

第六職権調査

職権をもって調査したところ、原判決には以下のような瑕疵のあることが認められる。

一  原判決は、(1) 生野駅・南真弓公民館事件における被告人Kの刑事責任を断ずるに当たり、いわゆる承継的共同正犯の問題と関連して、「被害者静岡、福井の二名に対する関係では、その傷害の結果につき同被告人に暴行の限度で責任を負わせる」旨、(2) また、八鹿高校事件における被告人Dの刑事責任を断ずるに当たっても、前同様、「被害者浦和ら一二名に対する関係では、その傷害の結果につき同被告人に暴行の限度で責任を負わせる」旨、それぞれ判示している。

しかしながら、原判決の右の各点についての判断は誤りであって、是認することができない。けだし、右にいう各傷害の結果は、いずれも被害者らが逮捕される際その逮捕の手段としての暴行により生じたものと認められ、したがって、原判決のように、前記被告人らについてそれぞれ同逮捕(監禁)罪の承継的責任を肯定する場合、更にその構成要件の要素にすぎない同一暴行の責任を傷害の結果に代えて別罪を成立させる形において負担させる余地は全くないからである。

そうすると、原判決には右の各暴行罪の責任を認めた点で、刑法二二〇条一項の解釈適用を誤った違法があるというべきであるが、この誤りは、右被告人両名について成立する多数の罪の一部に関するもので、全体としての構成要件的評価及び処断刑の範囲に変化を来たすものではないから、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。

二  次に、原判決は、その法令の適用において、被告人J、同Kの原判示第三の所為についての適条を示すにあたり、被害者らの受傷が逮捕時にその逮捕の手段としての暴行により生じたものなのか、それとも監禁中の別個の犯意に基づく暴行により生じたものなのかの区別をすることなく、一律に、傷害の点が刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号、六〇条に該当する(もっとも、被告人Kについては、被害者静岡及び福井に対する傷害罪の成立を否定している。)とした上、右の各傷害と逮捕監禁が刑法四五条前段の併合罪の関係に立つものとして処理している。

しかしながら、関係証拠によれば、同事件の被害者らのうち前記静岡、福井の二名については、原判決もいうようにいずれもその受傷の全部が逮捕時の暴行により生じたもの、また西新井、梅島、岐阜、群馬の四名については、いずれもその受傷の少なくとも一部が逮捕時の暴行により生じたものと認められるから、これら合計六名の被害者に対する関係では刑法二二一条の逮捕(監禁)致傷罪が成立し(ただし、被告人Jについてのみ)、他方、傷害罪に問擬するためには、被害者の受傷の少なくとも一部が監禁中の別個の犯意に基づく暴行により、すなわちその逮捕監禁とは無関係に生じたものであることが積極的に肯認できる場合でなければならないから、被害者らのうちその受傷の全部が逮捕時の暴行により生じたものと認められる前記静岡、福井の二名についてはもちろんのこと、その受傷の一部が逮捕時の暴行によるものと認められるが、残余の部分が逮捕時又は監禁中のいずれの時点の暴行によるものか必ずしも明らかでない前記西新井、梅島、岐阜、群馬の四名についても、傷害罪は成立しないものと考えられる。したがって、厳密にいうと、右被告人両名の原判示第三の所為は、まず被告人Jについては、六個の逮捕致傷・監禁(ここでは、逮捕の罪を犯して人を傷害し、引き続き監禁の罪を犯したという意味である。以下同じ用法に従う。)、一四個の逮捕監禁、及び監禁中の別個の犯意に基づく暴行により生じたものであることの明らかな原判決別表(二)番号1ないし5、11及び12の各被害者に対する七個の傷害、並びに同傷害にまで至ったことの明らかでない前示西新井ら四名とそれに監禁中の暴行によっては傷害の結果が発生しなかった前示静岡、福井に対する計六個の暴行の各罪が成立し、右の逮捕致傷・監禁罪と逮捕監禁罪は全体として刑法五四条一項前段の一罪を構成し、更に、右の各傷害罪と各暴行罪もまた全体として同条一項前段の一罪を構成し(なお、この点については後記三を参照)、この両者が同法四五条前段の併合罪の関係に立つべきもの、他方、被告人Kについては、二〇個の逮捕監禁と前示七個の傷害、六個の暴行の各罪が成立し、右の逮捕監禁罪及び傷害・暴行罪はそれぞれ全体として刑法五四条一項前段の一罪を構成し、この両者が同法四五条前段の併合罪の関係に立つべきものと考えられる。

そうすると、右と異なる処理をした原判決には、一部の被害者に対する関係で事実を誤認したか、若しくは法令の解釈適用を誤った違法があるというほかないが、この誤りは、右被告人両名について成立する多数の罪の一部に関するもので、全体としての構成要件的評価に格別の差異を来たさず、また処断刑の範囲にも全く変化を来たすものではないから、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。

三  同じく法令の適用において、原判決は、被告人Lの原判示第四及び被告人Dの同第五の各所為につき、いずれもその当該各被害者に対して成立する傷害罪が刑法四五条前段の併合罪の関係に立つものとして処理している。

しかしながら、右の各所為は、いずれも数人共同して各自同一機会に同時に数名の各別の人を傷害したというものであって、それぞれ、これを数個の罪名に触れる一個の行為、すなわち刑法五四条一項前段の一罪を構成するものとみるのが相当である。

そうすると、右と異なる処理をした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかないが、被告人Dに関していえば、原判決の処断刑は右のように一罪として処理した場合と比較してその上限、下限がいずれも同一であり、他方、被告人Lに関していえば、原判決の処断刑は右一罪処理の場合と比較しその上限が異なるものの、下限は同一であり、しかも、宣告刑がその下限に近いものであるところから、結局右の誤りも、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。

四  同じく法令の適用において、原判決は、被告人Aらの原判示第七、一の所為についての適条を示すに当たり、(1) まず、逮捕監禁の点については、「(ただし、別表(五)番号32、42、44ないし47の被害者に対するものを除く。)」として、右六名を除くその余の被害者四一名に対する関係でいずれも刑法二二〇条一項、六〇条を適用し、(2) 同じ逮捕監禁致傷の点についても、「(上記番号の被害者に対するもの。同人らは、別表(四)で明らかなとおり、第一現場においてのみ暴行を加えられて受傷しており、右暴行は逮捕の手段と認められるから、同人らに対しては、結局逮捕監禁致傷の一罪が成立する。)」として、前示別表(五)番号32、42、44ないし47の被害者六名に対する関係でのみ刑法二二一条(二二〇条一項)、六〇条を適用し、(3) 更に、傷害の点についても、「(ただし、別表(四)の上記番号の被害者に対するものを除く。)」として、右六名を除くその余の被害者三七名に対する関係でいずれも刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条を適用している。

しかしながら、原判決別表(四)(五)の被害者のうち、第一現場における暴行のみにより受傷したことが明らかであるのは、原判示の番号32、42、44ないし47の六名に限られず、更に、番号14ないし17、19及び30の六名を加えた合計一二名にのぼるのであって、このことは、原判決自体、その無罪部分の判断の三(一)1の項において明示しているところでもある。してみれば、右の番号14ないし17、19及び30の被害者六名に対する関係でも、被告人Aら(ただし、被告人Dを除く。)について成立するのは逮捕監禁ではなく逮捕致傷・監禁の罪であり、他方、これと別罪をなす傷害罪は成立しないというべきである。

そうすると、右と異なる処理をした原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があるというほかないが、この誤りは、右被告人らについて成立する多数の罪の一部に関するもので、全体としての構成要件的評価にそれほど大きな差異を来たさず、また処断刑の範囲にも全く変化を来たすものではないから、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない(なお付言するに、右事件で傷害罪に問擬できる傷害とは、原判決のように単にそれが被告人らの第一、第二現場における「一連の暴行」によって生じたものというだけでは不十分であり、あくまでも逮捕監禁とは無関係に生じたことが積極的に肯認できるものでなければならないから、厳密にいえば、被告人Aらについて成立する傷害罪に当たる傷害は、前示別表(四)、(五)の番号14ないし17、19、30の被害者六名と、別表(四)番号39の被害者大分五雄に対するものを除けば、別表(六)に記載されている各被害者の傷害(なお、この各傷害と大分に対する傷害は前同様一個の行為で数個の罪名に触れる場合に当たる。)に限定すべきものと考えられる。してみれば、この傷害の内容についても原判決には事実誤認のかどがあることとなるが、この誤りも、一罪の一部に関するものであって、犯情その他にとくに変化を来たすほどのものではないから、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。)。

五  同じく法令の適用において、原判決は、被告人Aらの原判示第七、三の所為につき各刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条を適用した上、これを同被告人らの原判示第七、一の罪などとそれぞれ別罪の関係に立つものとして、同法四五条前段の併合罪加重の処理をしている。

しかしながら、原判示第七、三の各傷害は、いずれも当被害者に対する前示第七、一の第一現場において他の者と同時に行われた同一逮捕の手段としての暴行によるものと認められ、したがって、本件の場合、その傷害は原判示第七、一の逮捕(致傷)行為と合わせ全体として一個の行為を形成するものと解すべきであるから、罪数上は、右の各傷害も原判示第七、一の逮捕監禁及び逮捕致傷・監禁の各罪と刑法五四条一項前段の観念的競合の関係に立つものとして処理するのが相当である(ただし、被告人Dについてその傷害の責任を問えないことは原判決と同一である。)。

そうすると、原判決には、右の点についても事実誤認ないし法令適用の誤りがあるというべきであるが、被告人A、同C、同G、同Eに関していえば、原判決の処断刑は右のように一罪として処理した場合は比較しその上限、下限がいずれも同一であり、他方、被告人H、同B、同Fに関していえば、原判決の処理刑は右一罪処理の場合と比較しその上限が異なるものの、下限は同一であり、しかも、宣告刑がいずれもその下限に近いものであるから、結局右の誤りも、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。

六  次に、原判決は、その証拠の標目において、原判示第七の事実の証拠として死亡前原審被告人Lの検察官に対する供述調書四通を挙示しているが、うち昭和四九年一二月一三日付及び同月二二日付の二通の調書については、右Lに対する関係でのみ取り調べられたにすぎないものであるから、これらをも挙示した原判決は、証拠の挙示を誤ったものというほかない。しかし、右二通の調書を除外しても、原判示第七の事実は優に肯認できるから、この誤りも、いまだ判決に影響を及ぼすことが明らかとはいえない。

七  更に、原判決の

1 証拠の標目中、原判示第七の事実の証拠として挙示した医師谷尚ほか作成の各診断書の作成者名に、「大久保七彦」とあるのは「小菅二三」の

2 同じく右事実の証拠として挙示した自己批判書または確認書二九通は、いずれもその写の

3 法令の適用中、併合罪の関係にある罪として掲げた被告人Hの「判示第六の各罪」とあるのは、「判示第六の二の罪」の、また、同Mの併合加重される基礎となる罪の刑の「判示第六の一の各罪」は「判示第六の一の罪の各刑」の

4 別表(四)中、番号6の氏名欄に「原宿甲」とあるのは、「原宿乙」の

それぞれ誤記と認められるが、もとよりこれらの点が判決に影響を及ぼすものでないこともいうまでもない。

(結語)

よって、刑事訴訟法三九六条、一八一条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田登良夫 裁判官 梨岡輝彦 裁判官白井万久は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石田登良夫)

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