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大阪高等裁判所 昭和61年(ラ)114号 決定

抗告人(原審申立人) 郭慶瑛

相手方(原審相手方) 郭向仁 外4名

被相続人 郭萬栄

主文

原審判を取消す。

本件推定相続人廃除の申立をいずれも却下する。

審判費用は第一、二審とも申立人の負担とする。

理由

一  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙記載のとおりである(抗告の趣旨略)。

二  当裁判所の判断

1  本件記録中の証拠資料及び神戸家庭裁判所調査官の調査結果を総合すると、大要、以下の事実が認められる。

(一)  被相続人郭萬栄(以下、被相続人という)は、台湾人を両親として大正3年(民国3年)8月11日、台湾(台湾省台北市○○○○○○××)で出生し、昭和12年(民国26年)相手方郭宋紅(旧姓名宋紅、以下宋紅という)と婚姻し、同女との間に、昭和10年(民国24年)11月20日相手方郭向仁を、昭和15年(民国29年)5月13日相手方郭玉代を、昭和19年(民国33年)7月1日相手方呂正代を、昭和24年(民国38年)11月27日相手方呉秀瑛をそれぞれ台湾で儲けた。

(二)  被相続人は、台湾で洋服生地店に勤務していたが、昭和18年頃来日し、洋服生地を商い、日本と台湾を往来していた。その後神戸市灘区○○○町×丁目×番×号を住居として永住することになり、青果、コルク等の貿易に従事していた。

(三)  右の関係から、被相続人は、昭和23年6月8日、本籍北海道茅部郡○町字○○町×××番地の大野シマと婚姻(重婚となる)し、同女との間に、昭和21年8月14日申立外郭建瑛を儲けた。

(四)  又、被相続人は、本籍兵庫県津名郡○○町○○○○××番地の川上さよ子と婚姻外の関係を結び、同女との間に、昭和22年7月18日申立人である郭慶瑛を、昭和28年2月1日申立外郭克瑛(昭和56年10月13日帰化、川上克子)を儲けた。

被相続人は、川上さよ子と同棲し、申立人慶瑛及び克瑛を手許において養育し、その間に申立人及び克瑛を認知したものと推認される。

なお、さよ子は、後記のとおり、相手方宋紅らが来日して被相続人と同居するに至つた後しばらくして家を出たが、申立人及び克瑛姉妹は残り、引き続き被相続人と生活を共にした。

(五)  相手方向仁は、台湾で相手方宋紅らと生活を共にしていたが、昭和25年頃来日し、被相続人方に同居し、同人の営む前記貿易業を手伝つていたが、さよ子親子との同居生活をめぐつて被相続人との間に不和を生じ、昭和37年頃被相続人と別居するに至り、その後昭和43年頃以降は被相続人との間の生活関係は薄くなつた。

(六)  相手方宋紅、玉代、正代及び秀瑛は、被相続人の来日後も台湾で被相続人の家作収入により生活していたが、宋紅が病弱である上、被相続人からの送金も少くなつたため、昭和29年5月来日し、被相続人方で同居生活をすることになつた。しかし、宋紅は、慶瑛や克瑛の養育をめぐつて被相続人との間に感情的な対立を生じ、昭和37年頃、秀瑛を連れて別居し、その後昭和40年頃から玉代の所に同居し現在に至つている。

又、相手方玉代及び正代も昭和40年頃、被相続人方を出て別居するに至り、玉代はその頃母宋紅を引き取り2人で生活をすることになつた。

相手方秀瑛は、前記のとおり、昭和37年頃母宋紅とともに被相続人方を出て別居した。

相手方宋紅らは、いずれも被相続人と別居するに至つてからは同人との生活関係は薄くなつた。

(七)  被相続人は、昭和45年7月脳血栓のため入院し、又、昭和52年9月には右再発のため再び入院し、十二指腸、胃潰ようを併発して手術した。そして、昭和59年2月26日、神戸市灘区○○○○×丁目×番××号所在の○○○病院で急性循環不全により死亡した。

(八)  被相続人は、昭和55年3月18日、神戸市生田区○町××番地所在の○○公証人役場公証人○○○に対して遺言公正証書(昭和55年第536号)の作成方を委嘱し、同公証人は、日本民法969条1号ないし5号所定の方式に従つてこれを作成した。

そして、右公正証書によれば、大要、以下の如き遺言をしている。

(1) 第1条

遺言者は、遺産のうち左記物件に対する共有持分全部を遺言者の四女郭慶瑛に相続させる。

(イ) 神戸市灘区○○○町×丁目××番の×

1.宅地201.22平方メートル

に対する共有持分72分の16

(ロ) 右地上所在

鉄筋コンクリート造陸屋根4階建の建物の専有部分家屋

番号○○○町×丁目××番×の×

1.鉄筋コンクリート造1階建居宅

床面積1階部分89.60平方メートル

に対する共有持分18分の16

(2) 第2条

遺言者は、遺言者の長男郭向仁、妻郭宋紅、長女郭玉代、二女郭正代及び五女郭秀瑛を相続人から廃除する意思を表示する。その理由は次のとおりである。

長男は、今から18年ほど前に遺言者の住居において遺言者を罵り、電話の受話器で遺言者を殴打し、そのため遺言者は吐血した。

妻は、今から18年ほど前、遺言者を捨てて無断で家出した。

妻子ら5名は、遺言者が昭和45年7月及び昭和52年9月に脳血栓のために入院した際、遺言者の病状を知りながら見舞もせず、放置して現在に至つている。

右の事実は、被相続人たる遺言者に対する虐待もしくは重大な侮辱または推定相続人の著しい非行に当ると考える。

(3) 第5条

遺言者は、遺言執行者に郭慶瑛を指定する。

(九)  そこで、申立人慶瑛は、前記遺言に基づき、遺言執行者として、相手方らについて本件推定相続人廃除の申立をした。

(一〇)  なお、被相続人、申立人及び相手方らの外国人登録簿における国籍は、いずれも中国となつている。

2  ところで、本件は、中国籍を有する被相続人が遺言によつてした相続人たる資格の剥奪の問題であるから、右遺言の効力について検討する。

まず、本件遺言の方式の適否について考えるに、遺言の方式の準拠法に関する法律2条によれば、遺言は同条1号ないし5号に掲げる法律の1に適合するときは方式に関し有効とされるところ、前記認定事実によれば、本件遺言は日本民法969条所定の公正証書遺言としてなされたものであることが認められるから、前記準拠法に関する法律2条1号の行為地法、3号の遺言者の住所地法である日本法に適合していることは明らかであり、その方式は有効である。

次に、本件遺言の意思表示としての成立及び効力についてみるに、法例26条1項によれば、遺言の成立及び効力は、その成立当時における遺言者の本国法によるものとされているところ、前記認定事実によれば、遺言者である被相続人は台湾人を両親として大正3年8月台湾において出生し、台湾に居住していたが、昭和18年来日し、その後神戸市内に住居を定め、本件遺言書作成当時、中国籍を有していたことが認められるから、右事実に徴すると、右の問題の準拠法となるのは現に台湾地域を法域として実効性を有する中華民国法であるというべきである。そして同国民法1186条及び1187条に照らして被相続人の本件遺言当時の状況を検討するに、被相続人が当時遺言能力を有していたことは明らかというべく、又、意思の欠缺もなかつたものと認められるから、本件遺言は有効に成立したものといわねばならない。

そこで、本件遺言の実質的内容である法律行為としての効力について検討するに、本件において問題となるのは、本件遺言内容のうち推定相続人の廃除(以下、第2条という)とその手続に関する遺言執行者の指定(以下、第5条という)であるところ、相続欠格事由、相続人の廃除原因、方法、効果に関する諸問題は相続の準拠法によつて定められるべきものと解されるから、それは法例25条により被相続人の本国法、すなわち中華民国法によるべきことになる(なお、同国渉外民事法律適用法に徴するも、日本法への反致は成立しない。)。そして同国民法1138条及び1144条によると、遺産継承人(遺産相続人、以下、相続人という)及び継承(相続、以下、相続という)順位は、直系血族たる卑属、父母、兄弟姉妹、祖父母の順序によりこれを定め、配偶者は常に右の者と同順位で相続人となるものとされている。又、継承権(相続権、以下、相続権という)喪失事由として、同法1145条1項によれば、相続人は左記各号所定の事情の1があればその相続権を喪失するものとされている。すなわち、(1)故意に被継承人(被相続人、以下、被相続人という)又は相続人を殺害し、あるいは死に至らないも因て刑の宣告を受けたとき、(2)詐欺又は脅迫をもつて被相続人をして相続に関する遺嘱(遺言、以下、遺言という)をさせ、又はこれを取消し若くは変更させたとき、(3)詐欺又は脅迫をもつて被相続人が相続に関する遺言をすることを妨害し、又は被相続人がこれを取消し若くは変更することを妨害したとき、(4)被相続人の相続に関する遺言を偽造、変造、隠匿又は湮滅したとき、(5)被相続人に対して重大な虐待又は侮辱の事態があつて、被相続人からその相続をさせないことを表示されているとき。ただし、右の(2)ないし(4)については、被相続人が宥恕しているときは相続権を失わない。以上のように定められている。

すなわち、相続権の喪失については、定められた事由が発生した時、当然に相続人が相続権を喪失する場合(以下、当然失権という)と定められた事由が発生した時において、更に被相続人が相続を許さない旨の意思を表示して始めて相続人が相続権を喪失することになる場合(以下、表示失権という)とに分けられており、同条1項1号ないし4号は当然失権(1号は絶対的当然失権、2号ないし4号は相対的当然失権)に、同項5号は表示失権に当るものである。しかし、以上の当然失権、表示失権のいずれの場合においても、裁判所に対して相続権喪失の確認、形成ないし宣言の裁判を請求する必要はなく、それ故、前記1145条に対応する訴訟手続法及び管轄裁判所に関する規定も存しない。

ところで、日本民法で、右の表示失権に照応するのは民法892条、893条の規定による推定相続人の廃除の制度であると解せられるところ、右条項はわが国の場合、推定相続人の廃除につき、一定の要件のもとに被相続人に対し実体法上の廃除権ないし廃除請求権を付与し、その行使によつて廃除の効果を生ぜしめるという方法をとらず、被相続人の請求に基づき、家庭裁判所をして、親族共同体内における相続関係上の適正な秩序の維持をはかるという後見的立場から、具体的に右の廃除を相当とすべき事由が存するかどうかを審査、判断させ、これによつて廃除の実現を可能とする方法によることとしている(最高裁昭和54年(ク)第149号、昭和55年7月10日一小法廷決定)。したがつて我が民法によれば、被相続人が自らあるいは遺言執行者が遺言の効力発生の後に、家庭裁判所に対し、廃除原因の存在を主張して推定相続人廃除の請求をし、その認容審判が確定して始めて推定相続人の地位を喪失せしめることができるのである。

しかし、前示中華民国法においては、わが民法892、893条のような相続人資格の剥奪のための形成的非訟手続を必要とせず、若し相続権喪失ないし相続人資格の有無について紛議を生じた場合には、これを争点として包含する訴訟において民事訴訟手続により裁判を求めることができるものと解されている。

そこで、中華民国民法の前叙法案に照して本件遺言第2条につき検討するに、同条項は、被相続人が、相手方らについて同法1145条1項5号所定の事態があるとし、いずれも自己の相続人として相続することを許さない旨の意思を表示したもので、表示失権の場合に当るものと認めるのが相当である(なお、中華民国民法においては、表示失権についてこれを遺言事項とする旨の規定は見当らないけれども、右意思表示の方法や形式について言及した規定もないから、遺言書の形式を藉りて相続不可の意思を表示することも有効であると解される。)。

そして、同法1209条によれば、遺言により遺言執行人を指定することができるものとされているから、被相続人が本件遺言書第5条により申立人を遺言執行者に指定したことは相当であるが、本件遺言書第2条の表示失権に関する意思の表示については、これによつて何らの審判を待たず直ちに実体法上相続人廃除の効果が生ずるものであつて、前叙のとおり、遺言執行者においてわが民法893条のように相続人廃除の形成要件規定に基づく家庭裁判所の形成的非訟の審判を求める必要もないのみならず、これにつき審判を求めることはできないものというべきである。

従つて、申立人が遺言執行者としてなした本件指定相続人廃除の申立は不適法といわねばならない。

3  よつて、本件推定相続人廃除の申立を適法として実体審理をしたうえ本件申立を理由なしとして却下した原審判は、失当であるからこれを取消し、本件申立は不適法として却下することとし、審判費用は第一、二審とも抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 廣木重喜 裁判官 諸富吉嗣 吉川義春)

抗告理由書

一 神戸家庭裁判所昭和60年(家)第348ないし第352号審判(以下、原審という。)が抗告人申立をすべて却下した理由の根底には、相手方らが法律上の妻及びその子であり、抗告人が婚外子であることを過度に偏重するという誤りがあり、その結果結論をも誤るに至っているのである。

二 抗告人、相手方らおよび被相続人等の生活歴、居住関係は大略別表記載のとおりである。

まず抗告人の母川上さよ子は、被相続人を婚外関係を結んで抗告人ら姉妹をもうけたとはいえ、本妻たる相手方郭宋紅は当初同じ日本国内におらず、従っていわゆる婚外関係といった違法ないし反道徳的意識はそもそもなかった。

被相続人自身にしてみても一夫多妻を当然と考える中国人であるから、そもそもいまでいう「不倫」といった意識は毛頭なかったことは十分に考えられるところである。

そして昭和25年本妻の長男向仁が単身来日して同居するようになって以降、更に本妻紅らが来日する同29年までの4年間、川上は実の母同様に向仁をいつくしみ育ててきたのである。

紅ら被相続人の台湾における家族が来日し、同居するようになってからは3、4年は我慢したもののさすがに本妻・内妻の同居という変則的生活に耐えきれず身をひく形で抗告人ら2人の実子をつれ、友人宅にころがりこむように別居し、約半年後子供の教育や生活のこともあって抗告人姉妹のみは再び被相続人と本妻ら一家へ引きとられたが、川上自身はもどることをせず以後被相続人とは同人の死に至るまで完全に関係は断えたままであった(川上とその子らとも、右別居以後10年近く音信不通のままであった。)。

しかるに相手方紅は、自分の長男向仁が単独来日中川上さよ子の十分な監護をうけたことを知っていながら、同女自身は川上の子供である抗告人ら2人の存在を決して許そうとはしない偏狭な性格の持主であり(抗告人ら姉妹に何の罪科もないこと、もとより論ずるまでもない。)、ことあるごとにこれをいじめ、しばしば暴力を奮い、食事の面でも明らかに差別的待遇をしたばかりか時には食事をさせないことさえあったのである。

先程、本妻・内妻が同居する「変則的生活」といったが、中国人にしてみれば正妻、側妻が同一屋敷内に住むことは特に富裕な階級にあっては何ら不思議なことではない。

そういう意味では本妻紅は中国人の正妻らしからぬ狭量という批判すら甘受しなければならない。

相手方向仁の電話機をもっての被相続人殴打というのは昭和37年頃のことであるが、その原因は、内妻の子たる抗告人ら姉妹に対する差別的待遇であり、さらにこれが高じて抗告人らを孤児院にでもいれろといいつのる冷酷さが原因である(この時点では内妻たる川上が出て約4年が経過しており、同女の存在自体が喧嘩の原因となることはない筈の時期であった。)。

すなわち被相続人にしてみれば、母もいず他によるべのない抗告人ら姉妹(当時は2人とも小学生にすぎない。)に対し、妻紅やその意をうけた向仁が日頃あからさまに邪魔者扱いし、辛くあたることには常々不満があった。

正妻からみればいわば不倫の子であるとはいえ子供自身に何らの責任がなく、かつその母もすでに家になく、かつまた同女から向仁自身が世話になったことも考え併せれば、多少の複雑な気持ちが残るとしても、殊更に抗告人らを冷たく遇するのは、余りに狭量というべく、それこそ人道に悖るものである。

現に抗告人は殴打事件のあった約1年前の昭和36年頃(当時抗告人は中学2年生)、かかる生活の辛さに疲れ果て淡路島にわたって自殺未遂をしたことさえあるのである。

本来何の罪もない少女がそこまで思いつめるところに紅の同女らに対する態度のいかなるものであったかが歴然とあらわれているというべきである。

このように川上さよ子の去った後4年を経てなおかつその子供たちに対する激しい憎悪を持ちつづけていた紅、向仁らの執拗さはほとんど異常の部類に属する。

その日も遇々紅らの抗告人らに対する待遇が原因で被相続人と向仁の間に口論があり、あげくに激昂した向仁が受話器をもって父である被相続人を激しく殴打したのである。

そしてこの1件が原因となって、その後何か月もしない昭和37年4月ころ被相続人と向仁はたもとを分ち、別居するに至っているのである。

原審は右殴打事件につき証拠なしと一蹴するが、抗告人とその妹克子が幼い乍らも忘れることのできない情景として、被相続人が殴られて血を流し、その血がふすまに飛び散っていたこと、抗告人自身が警察に通報し、警官が駆けつけてきたにもかかわらず、紅が頑として警官を家内に入れようとしなかったことを鮮明に記憶しているのである。

原審にしてみても「もみあいの喧嘩をしたこと」までは認めている。

しかし当日の喧嘩がいかにひどいものであったかは、これが被相続人と本妻・向仁らの別居の原因となったことも明らかであり(原審は、別居時期と殴打事件の時期との符合を見落すかそうでなければ故意に無視している。)、被相続人にとって息子から殴られることがいかに屈辱的なものであったかは、同人が長幼の序を重んずる儒教の国の人間であることを考えれば容易にその心境を察しうるのであり、遺言に殊更これを言い残したのも蓋し当然のことである。

原審は、法律婚尊重という建前にとらわれるの余り、ことの実体に即した合理的な判断の努力を全く放棄しているといわざるを得ないのである。

三 原審は、向仁を除く相手方らの被相続人遺棄の事実をも認めようとしないが、これまた杜撰な判断といわざるを得ない。

相手方らがそれぞれ互に連絡をとりあっていることは、被相続人の死後相手方全員が軌を一にして申立人に対し遺留分減殺の内容証明郵便を送りつけていること(いずれも昭和60年2月4日付郵便)ならびに同旨の調停申立を神戸家庭裁判所あてにおこしていることからも明らかである。

従って、相手方らの一部が被相続人の病気を知り、他が知らないというようなことはありえないのである。

そもそも見舞云々というのは相手方らの被相続人に対する遺棄の事実を象徴的に示す事実として挙げているのであって、要は、相手方らは昭和37年の別居以後、同59年2月26日の被相続人死亡までの約22年間、全く没交渉であったのである。

この22年間という歳月の重さを原審は全く理解していない。

しかも右別居の直接の原因が前記電話機による殴打事件なのであって、要は向仁らは、父たる被相続人を父として扱わぬままこれを捨てさったといって何ら言い過ぎではないのである。

22年間の音信不通というのはもはや夫婦・親子としての実質を奪うに十分な時間である。

その間の被相続人の生活(同人は昭和48年頃共同経営していた会社を整理処分して以降、死ぬまで一切仕事をしていない。)の面倒は、経済的にも物理的介護の面でもすべて申立人が1人でこれを負担し、妹克子の世話一切も同女がおこなっていたのである。

すなわち抗告人は昭和40年高校卒業後、子供を出産する前後の一時期を除いてつねに働きに出ており、その収入と婚姻中は夫(昭和45年ころ結婚し、53年頃離婚)の収入とで父たる被相続人の生活全般の面倒をみ、また実妹克子を大学まで出させているのである。

原審は、昭和45年7月に被相続人が脳血栓で倒れたとき紅や向仁が見舞にきたことがあるというけれども、同人らは、被相続人の残した唯一の遺産である不動産(被相続人及び現在は申立人の自宅)の名義を向仁名義にしてもらうべく、また同時に抗告人ら姉妹を右自宅から追い出すことを求めて(当時抗告人は22歳、克子は15、6歳)来たのであって被相続人の健康を気遺って来たわけではない。

被相続人が大病の最中にかかる財産目当の来訪を喜ぶ筈がなく、だからこそこのような目的での見舞にきてもらう必要はないと向仁らを追い返したのである。

昭和52年9月に被相続人は、病が再発して入院したが、このとき抗告人は向仁方自宅に赴き、父の療養費等の協力を求めたが、そのときの向仁の返事は、「長男だからといって親をみる必要はない、死ぬなり生きるなり勝手にしたらよい。」というつれないものであった。

被相続人は単に見舞にこなかったことを立腹して遺言したわけではなく、その都度の向仁らのかかる言動に夫婦・親子の絆が全く切れていることに絶望しての遺言だったのである。

四 ところで被相続人の遺産として現存するものは申立人が現住するマンション1室とこの敷地の共有持分のみである(元来は1戸の建物と土地であったのを、デベロッパーとの等価交換契約によって4階建4戸のマンションを建設し、その1階部分1室を取得したのである。)。

右物件の現在価格は約2,600万円程度のものであり、これに対する被相続人の持分(死亡当時18分の15)は、約金2,100万円となるところ、これが被相続人の所有名義として残っているについては申立人の貢献によるところがほとんどすべてといってよい。

別紙代位弁済関係の資料をみてもわかるとおり、申立人は昭和48年4月25日金599万2,170円、同53年10月27日に金953万9,442円の2件元本合計金1,553万1,612円の被申立人債務を肩替りして弁済しているのであって、これに返済のときから現在まで年5分の利息を付せば、債務の合計は約金2,320万円となり、これらのみを右不動産価額から控除してももはや遺言といえるものはなく、ましてやこれに申立人が過去22年間被相続人を単独で介護した費用を考慮すれば、結局相手方らが仮に相続権を認められかつ被申立人遺言の趣旨に基き遺留分のみの請求をなしうるものとしてみても、現実には同人らのうくべき金員は全く何もないのである。

被相続人は、申立人のかかる貢献と正反対にある相手方らの遺棄行為を総合勘案して前記遺言を作成したのであり、同人の相手方ら廃除の意思は十分に尊重されなければならない。

にもかかわらず、原審は同じ事実について何ら信ずるにたりる根拠もなくしてすべて相手方らに有利なニュアンスに事実を認定するという違法を冒しているのである。

以上、抗告の理由である。

(原文は縦書き)

〔参照〕原審(神戸家 昭60(家)348号 昭61.3.3審判)

主文

本件申立てをいずれも却下する。

理由

1 申立人は申立ての趣旨として「相手方らが被相続人郭萬栄の推定相続人であることを廃除する。」との審判を求め、その申立ての実情として、相手方らはいずれも被相続人の推定相続人であるところ、被相続人は昭和59年2月26日死亡したものであるが、その公正証書遺言によると申立人を遺言執行者に指定するとともに相手方らにつき推定相続人を廃除する旨意思表示をしているので、申立人は遺言執行者として本件申立てに及んだものである、と申述した。

2 本件の概略

本件1件記録中の資料及び家庭裁判所調査官○○○○、同○○○○作成の調査報告書によれば以下の事実が認められる。

被相続人郭萬栄は台湾籍(中華民国)であり大正3年8月11日出生し、昭和59年2月26日神戸市内で死亡した。被相続人は相手方紅と昭和12年に婚姻し、同女との間に、長男である相手方向仁(昭和10年11月20日生)、長女である相手方玉代(昭和15年5月13日生)、二女である相手方正代(昭和19年7月1日生)、五女である相手方秀瑛(昭和24年11月27日生)をもうけたが、これ以外に被相続人は川上さよ子との間に四女である申立人郭慶瑛(昭和22年7月18日生)、六女である申立外郭克瑛(昭和28年2月1日生、日本に帰化して川上克子)、また大野シマと昭和23年6月8日婚姻して三女である申立外郭建瑛(昭和21年8月14日生)をもうけている。そして相手方向仁の言によれば被相続人には上記以外に暢、麗瑛、蘭瑛なる3人の子がいるとのことであるが法律上の親子関係の有無などその詳細は不明である。前記被相続人と川上さよ子との間の子である申立人郭慶瑛、申立外郭克瑛(川上克子)は外国人登録原票上姓を被相続人の姓と同じ郭と記載されていることからして被相続人によつて認知されたものと推定される。被相続人は神戸市○○公証役場公証人○○○により遺言公正証書(昭和55年第536号昭和55年3月18日付)を作成したが、前記の本件公正証書遺言によれば、その第2項において相手方向仁、同紅、同玉代、同正代、同秀瑛を相続人から廃除する旨の意思表示をし、その理由として、相手方向仁は約18年前に遺言者を罵しり、電話の受話器で遺言者を殴打し吐血させたこと、相手方紅は前記相手方向仁の前記暴行により病身となつた遺言者を見捨てて家出したこと、相手方5名は、遺言者が昭和45年7月脳血栓のため入院し、昭和52年9月脳血栓の再発のため入院し、その入院中十二指腸胃潰瘍を併発して手術を受けたにもかかわらず、見舞もせず放置したこと、が記載されている。そして本件公正証書遺言によれば申立人が遺言執行者に指定されている。

3 渉外事件としての問題点

(1) ところで本件は、前記のごとく台湾籍を有する被相続人が日本民法の規定にしたがつた公正証書遺言において推定相続人廃除の遺言をしたものであるから渉外事件として取扱われるべきである。そこでまず我国の民法892条、893条のごとき推定相続人の廃除という制度のない台湾(中華民国)の国籍を有する者の推定相続人廃除の申立てについて日本の家庭裁判所が裁判をなしうるか否かという問題がある。中華民国民法1145条1項によれば、その1号ないし5号に該当する事由があれば相続権を喪失すると規定し、1号ないし4号の事由あるときは当然に相続権を喪失し(ただし2号ないし4号の事由の場合被相続人は宥恕しうる。同条2項)、5号の事由(日本民法892条に該当する事由と同旨)のあるときは被相続人の意思表示をまつて相続権を喪失するとある。そして台湾の法制上当然失権、表示失権を問わず裁判所に対してその相続権喪失の宣告裁判を申立てる必要はなく、もし当事者間に争いが生ずれば民事訴訟手続にしたがい判決により審理されるのである。おそらくその判決手続においては相続権喪失の事由の有無が争点として審理されるのであろうが、少なくとも日本民法892条893条のように相続権喪失自体を直接に形成し、これを裁判上宣告する制度は台湾の法制上は存在しない。しかし、民事判決手続と家事審判手続の相異があるとはいえ、司法権という公権力でもつて相続権喪失の事由の有無を判断するという本質にかんがみ、日本の家庭裁判所が台湾籍の被相続人にかかる推定相続人廃除の申立てにつき審判をすることは可能であると思料される。そして土地管轄の点については家事審判規則99条1項により本件の被相続人の住所地神戸市灘区を管轄する当家庭裁判所が管轄権を有する。

(2) わが国の法例26条1項によれば遺言の成立及び効力はその成立の当時における遺言者の本国法による、と規定されており、本件遺言者が台湾籍を有する者であるから台湾の法律により成立及び効力が判断されるところ、中華民国民法に照して本件遺言者が遺言能力を有することは明らかであり、遺言として成立し効力を有する。そして、本件公正証書遺言は日本民法969条に従つて作成されたものであるから遺言の方式の準拠法に関する法律2条1号の行為地法、すなわち日本民法に適合するものとして方式において有効である。そして本件公正証書遺言の内容のうち本件に関連する内容は推定相続人の廃除と遺言執行者の指定であるが、中華民国民法1145条1項5号の意思表示による相続権の喪失は遺言によつても可能であると解せられる。また遺言執行者の指定は同法1209条1項により可能である。以上により本件公正証書遺言は方式内容において適法である。したがつて、本件申立自体は適法であるといえる。

4 廃除事由の有無

前掲資料等によれば以下の事実が認められる。

(1) 被相続人は昭和12年ころ相手方紅と台湾で婚姻した。被相続人は昭和18年ころ単身来日し生地の商売で日本と台湾を往来していた。その時期は不明であるが被相続人は日本人川上さよ子と親しくなり同女との間に申立人慶瑛を昭和22年7月18日に、申立外郭克瑛(克子)をもうけて神戸市灘区○○○町×丁目で一家4人の生活をしていた。そのころ被相続人は貿易会社を経営していたようである。妻である相手方紅、長男である相手方向仁、長女である相手方玉代、二女である相手方正代、五女である相手方秀瑛の5人はそのころ台湾で生活していたが、昭和25年ころ相手方向仁が単身来日し、前記の被相続人一家と同居することとなつた。そして、昭和29年5月ころ相手方紅は同玉代、同正代、同秀瑛を連れて台湾での生活を引き払つて来日して被相続人一家と同居するようになつた。これは相手方紅が病弱であつたことと、被相続人からの送金が途絶えがちで生活が苦しかつたことがその理由である。したがつてこの結果被相続人一家は一時的に正妻一家と内妻一家とが同居するという状態になつた。しかし、内妻の川上さよ子は間もなく単身被相続人方を出たため、申立人慶瑛、申立外克瑛(克子)の面倒は相手方紅らがみざるをえなくなつた。経済的にはとくに困窮することはなかつたが、申立人慶瑛、申立外克瑛(克子)らは当時未だ幼く相手方紅らになじめないこともあつたり、被相続人が申立人慶瑛らが食事の面で差別されていると疑つたりするなどして被相続人がしばしば暴力を振うことなどのため被相続人と相手方紅との間に葛藤があつた。ことに相手方向仁は被相続人が申立人慶瑛らを同居させていることについてその無策をなじる気持が強く、そのため、被相続人ともみ合いの喧嘩をしたことがある。

また、相手方向仁は昭和35年3月に○○大学経済学部を卒業したが、その以前の昭和33年4月に学生結婚し、卒業後も被相続人と同居し、被相続人が実権を有する貿易商○○商事株式会社で被相続人の手助けをしていた。このような事情から被相続人が相手方向仁の妻の実家に事業資金の融資を依頼したところ、拒絶されたため、被相続人は相手方向仁の妻に悪感情を抱くようになり、ときには同女に暴力を振うことさえあつた。

以上のような諸事情のため相手方向仁、同紅とは昭和37年4月ころ被相続人と別居することとなり、他の相手方らもこれに従い相手方向仁の許に神戸市内で一家を構えることとなつた。この結果被相続人と申立人慶瑛、申立外克瑛(克子)とが残されることとなつた。

(2) 前記別居以後、被相続人と相手方らとの関係は没交渉に近く見るべき接触として主なものは、相手方正代が昭和40年2月ころ結婚した際にはその費用10万円を支出し、挙式には相手方紅とともに出席したこと、被相続人が昭和45年7月ころ脳血栓で倒れた際相手方向仁の妻が被相続人の面倒を見ると申し入れたこと(しかし被相続人から財産目当てであると拒否された。)、相手方紅、同玉代が被相続人の見舞に訪ずれたこと(もつとも被相続人は相手方紅に対しては二度と来ないでくれといつた。)、被相続人が昭和52年9月ころ再度倒れたとき相手方正代が見舞つたこと、くらいである。相手方向仁は被相続人とは仕事上も縁を切り独自の道を歩み、相手方紅の生活の面倒を昭和42年ころまでみた。相手方玉代は昭和36年3月に短期大学を卒業するまで被相続人に養育されたが、事務員として就職してのちは相手方秀瑛が昭和43年3月に高等学校を卒業するまでの間生活費、学費の援助をし、さらに昭和46年から3年間高等看護学校を卒業するまでの間学費等の援助をしたほか、昭和42年以降は相手方向仁から相手方紅を引取り今日までその面倒をみている。被相続人が昭和45年7月ころ最初に倒れたとき相手方向仁本人、同正代、同秀瑛は見舞いをしていないが、相手方正代はそのことを知らされていなかつた。また、被相続人が昭和52年9月に再度倒れたとき相手方正代以外の者は見舞いをしていないが、相手方向仁、同秀瑛はそのことを知らされていなかつた。なお、相手方正代は昭和40年2月ころ結婚して相手方向仁らと別居し、同年4月ころ相手方玉代は相手方向仁らと別居して尼崎市内に移り住み、その際相手方秀瑛を引取つた。相手方秀瑛は昭和51年8月ころ結婚して相手方玉代と別居した。相手方秀瑛の結婚に際して被相続人からは何らの援助もしてもらつていないし、結婚の通知もしていない。

5 以上の事実関係に照して本件を考察するに、被相続人と相手方向仁及び同紅との間に内妻川上さよ子及びその子である申立人慶瑛らをめぐつて不和の原因が根底にあり、それが主たる原因で暴行騒ぎが生じ相手方向仁、同紅は被相続人と必然的に別居し、それにともない他の相手方らも被相続人と別居のやむなきに至り、その後夫婦もしくは親子関係はほぼ断絶の状態で被相続人の死亡するまで継続したものである。このような状況下にあつては、被相続人との別居はやむをえないし、被相続人が病気で倒れたとしても容易に手厚い看護、見舞いを期待するのはそもそも無理であり、ことに相手方らのうちには被相続人が病気で倒れたことすら知らなかつた者もいたことは前記のとおりであつて、相手方らの心情を考えると法律上夫婦、親子関係にあるからといつてそのことを前面に主張して病気見舞等のなかつたことを非難するのは被相続人の心情は余りにも自己中心的でありすぎる。また、相手方向仁の被相続人のいう電話受話器による暴行についてはこれを認めるに足る資料はなく、またその具体的経緯は不明である。相手方向仁が被相続人に対し殴打したことがあるにしても前記のごとき家庭内の状況が原因で生じたものと推定されるが、そうであるなら被相続人にも一端の責任は免がれない。

6 以上のごとく、被相続人が本件公正証書遺言においてのべたような、相手方向仁による暴行の事実はなく、相手方紅が被相続人と別居して被相続人をかえりみず、被相続人が病気で倒れた際見舞もせず放置したことについても、それぞれやむをえない事情があり、相手方すべての者が見舞をしなかつたものでもない。したがつて推定相続人である相手方らについては、いずれも中華民国民法1145条1項5号に該当する事由は存在しない。

よつて、本件各申立ては、いずれも相当でないので、主文のとおり審判する。

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