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宇都宮地方裁判所 昭和30年(行)6号 判決

原告 中元藤明

被告 栃木県知事

主文

原告の本訴請求は之を棄却する。

訴訟費用は全部原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は請求の趣旨として被告が原告に対し昭和二十九年十二月二十七日附保第二五六八号を以つて為した戒告処分は之を取消す訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め其の請求原因として原告は肩書地で医業を開業し昭和二十三年八月一日附で被告から社会保険医の指定を受け社会保険の診療に従事して居るものであるが昭和二十九年九月二十七日被告は原告に対し厚生技官松本一郎地方技官福富義雄等を監査官として原告の診療方針及び診療報酬の請求状況について監査を実施し同年十二月二十七日附で「貴殿は社会保険診療方針に違背し且重大な過失による診療報酬の不当請求を為したものと認めらるゝので今後社会保険診療上の一切に過誤なきよう厳重戒告する」旨の戒告処分と称する行政処分を為し其の決定書を昭和三十年一月七日送達した為原告は社会的信用個人的名誉等を侵害されたので同年同月十七日異議の申立を為したが何等の再調査をも為さず同年四月十四日理由なしとして却下され同年四月十八日其の却下決定書を送達されたものである然し右戒告処分は社会保険医療担当監査要綱に準拠すべき処に準拠せず即ち(一)監査の事前に地方医師会との連絡を欠き(二)何等の根拠なく監査を開始し(三)医療担当者に弁明の機会を与えず白紙の監査調査書に署名捺印せしめ(四)事実と異なる虚構の事実を認定する等違法な手続によつて監査した結果に基いて無根の事実を理由として為された行政上の措置であるから其の本質は行政処分で其の結果は右指定取消の前提となる虞もあるのみならず原告の蒙る損害は前記の如く甚大なものがあるので之が行政処分の取消を求める為本訴請求に及んだものであると述べ被告の本案前の抗弁を否認し前記監査要綱は厚生大臣の決定による医療担当者監査に関する準拠法規であるから右要綱に違反して為された戒告処分は行政処分として訴訟による取消の対象となるものであると述べた外被告の主張事実に対し原告が被告主張の患者を診療した事実は認めるが其の診療方針に違背があり診療報酬の不当請求を為した点等を否認し(一)患者前川久三郎の高血圧症、リヨウマチに対し昭和二十九年一月から同年末日迄の診療当時ザルブロ、ナルピリンを注射したのは同患者に胃腸障害があつたので内服薬より注射薬を適当と診断した結果実施したもので之に反する治療指針が発表されたのは昭和三十年九月一日である(二)患者飯塚孝一に対しては頓服薬を投与したこともないので其の薬代を請求したこともない(三)飯塚貞吉の胸痛症に関しては診療録の事実欄に記録し其の他の所要欄に記載しなかつたのは重複を避けたものである(四)患者芹沢昭の淋毒性尿道炎に対しては尿道分泌物の塗抹染色鏡検を為して居る(五)患者五十畑直、同五十畑和子等の昭和二十九年六月二日同一家屋内に於ける患者の往診について夫々十点を請求したのは軽過失に過ぎない(六)患者蒲生英子に対しても検尿を実施したものであると述べた(立証省略)

被告訴訟代理人は

本案前の申立として原告の訴は却下する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め其の理由として社会保険医に対する監査の準則である社会保険医療担当者監査要綱は保険医の診療方針及診療報酬の請求について監査の権限を有する都道府県知事の被告等に対し監督権を有する厚生大臣が被告等の監査権の行使に際し其の円滑適正な運用を期する為被告等に対し其の準則を決定して昭和二十八年六月十日附保発第四六号を以つて厚生省保険局長から被告等に宛て通達せしめた内部規律で被告等の保険医に対する特別権力関係の規律を維持する目的で定められた実質的法規と解すべきものではないから同要綱に定める指定の取消戒告、注意なる三種の行政上の措置も懲戒的性質を有するものでもなく亦何等法律上の効果に影響を及ぼすことを目的としたものでもなく単なる事実上の行為に過ぎないので右要綱に基いて為した本件戒告処分は行政処分として抗告訴訟の対象となるものではないから本訴は不適法として却下さるべきものである、と述べ

本案の答弁として原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め原告主張事実中原告が其の主張の如き身分を有すること被告が原告に対し監査を実施して原告主張の如き戒告処分を通告したこと原告から其の主張の如く右処分に対して異議の申立を為したが被告に於て其の理由なしとして右申立を却下したことはいづれも認めるが其の他の事実は争う原告は既に昭和二十七年一月三十日診療報酬の不当請求の事実によつて注意を通告されたことがあるのに拘らず更に昭和二十九年九月二十七日前記監査要綱に基いて適法に実施した監査の結果

第一、診療方針の違背として

(イ)  患者前川久三郎の高血圧症リヨウマチ症に対し内服薬可能と考えられたのに拘らず同患者の要求に従つて昭和二十九年五月診療実日数十三日間に一日四本の注射を実施したのは健康保険医療養担当規程第六条第十一条第三号(一)の規定に違反したものである。

(ロ)  患者芹沢昭の淋毒性尿道炎に対し検尿しないで治癒と判定したのは右規程第十一条第七号(一)の性病治療法及昭和二十八年五月七日衛発第三五六号厚生省公衆衛生局長通牒「性病治療標準」淋病の項所定の方針に違反したものである

第二、重大なる過失による診療報酬の不当請求として

(イ)  患者飯塚貞吉に対する胸部疼痛に対し静脈内注射サルプロの処置を行わなかつたのに同注射二回十六点の報酬を請求したのは不当請求である

(ロ)  患者五十畑直同五十畑和子の両名に関しては同日同一家屋内の患者として往診したのに夫々一回十点を請求したのは昭和十八年二月八日厚生省告示第六十六号「健康保険法及船員保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」に違反したものである

(ハ)  患者蒲生英子のアレキナー腎炎に対し検尿しなかつたのに尿蛋白検査一回二点を請求したのは診療報酬の不当請求である

(ニ)  患者飯塚孝一の左急性肺炎腸カタルに対し頓服薬を投与しなかつたのにチアゾール一日二瓦四日分六点を請求したのは診療報酬の不当請求である

第三、原告の診療録は所要事項欄に記載のないものや記載があつても不明確のものがあり特に症状経過等は重要であるのに克明に記載されず前記規定第十七条に違反し整備を要するものと認められた個所が多かつた

以上の事実を確認したので所定の手続に従つて戒告処告を相当と認め通告したものであるから返りに右処分が抗告訴訟の対象となるとしても行政処分として適法なものであると述べた(立証省略)

理由

本案前の被告の抗弁について按ずるに原告主張の前記戒告処分は被告が其の指定にかゝる社会保険医療担当者たる原告に対し前記社会保険医療担当者監査要綱に基いて将来に於ける原告の診療方針の違背及診療報酬の不当請求を戒める為注意すべき旨を通告した行政上の措置であることは被告の認める処であるが証人松本一郎同岡本和夫の各証言及本件口頭弁論の全趣旨とを綜合すれば右要綱は被告が社会保険医療担当者に対し指導監査等を実施するに際しその円滑適正なる運用を期する為厚生大臣が其の監督権に基いて決定した監査の準則であつて之による監査の結果医療担当者に診療方針の違背又は診療報酬の不当請求等の事実が存在すれば其の軽重に従つて注意、戒告、指定の取消等の行政上の措置を為し得ることを定め之によつて社会保険施設の機構全体の規律を公平に維持し以つて之が適正なる運営を達成せしめ県公報にも之を告示して其の成果を期して居るものである、従つて右注意及戒告の措置は其れ自体何等法律上の効果の発生を目的としない一種の観念通知たる事実上の行為であるとは言え之が措置を受けた医療担当者に取つては事の性質上当然右指定取消の場合と同様其の名誉及信用等に事実上重大な影響を及ぼす虞のあることも明であるから右措置はいづれも懲戒的作用たる性質をも具有せしめたもので其の措置のいづれを選ぶかは原則として当該知事の監査の結果により其の専権に属するものと解するのが相当であるが右戒告処分が社会観念上著しく其の適正を欠くとか原告主張の如く全く事実の基礎を欠くような場合であるならば行政特例法第一条にいう行政庁の処分に準じて所謂抗告訴訟の対象となり得るものとして之が取消の救済を裁判所の判断に求めることは許さるべきものと解するのが妥当であるから原告の本訴提起は適法にして被告のこの点に関する申立は其の理由なく失当として却下さるべきものと謂わねばならない前記証人等の証言中右認定に反する部分は当裁判所たやすく措信できない

仍て本案について判断するに、

被告が原告に対し昭和二十九年九月二十七日厚生技官松本一郎地方技官福富義雄の両名を監査官として原告の診療方針及診療報酬の請求状態について監査を実施し昭和二十九年十二月二十七日附で「貴殿は社会保険診療方針に違反し且重大なる過失による診療報酬の不当請求を為したものと認めらるゝので今後社会保険診療上の一切に過誤なきよう厳重戒告する」旨の戒告処分を為し其の決定書を昭和三十年一月七日送達したところ原告に於て同年同月十七日之に対して異議の申立を為したがこの申立も理由なしとして却下されたことは当事者間に争がない、然るところ原告は右戒告処分は前記要綱に定める手続によらずして全く無根の事実に基いて為された違法のものである旨主張するのでまず前者につき按ずるに成立に争ない乙第一号証後記の如く成立を認め得る乙第二号証及証人成田小五郎同市川三良等の各証言と本件口頭弁論の全趣旨とを綜合すれば右戒告処分の前提として昭和二十九年九月二十七日実施した監査日は予め原告に通知し且栃木県医師会とも連絡をとり同日其の所属医師である西川於莵六、大島嘉平、小林英一等立会の下に監査官松本一郎、福富義雄の両名が原告の弁明を聴いた上心証を形成し監査調査書を作成して之に原告の署名捺印を求めた後之を被告に報告し其の結果に対する措置について栃木県社会保険医療協議会の質問を求め其の答申に基いて原告に対し前記戒告処分を為したものであることが認めらるゝので次に右監査の際其の対象となつた原告に於て診療した個々の患者等について按ずるに

(一)  成立に争ない乙第三乃至五号証乙第十一号証の一乃至三、証人松本一郎の証言により成立を認め得る乙第二号証及同証人及証人糸井明洋の各証言とを綜合すれば昭和二十九年五月に於ける患者前川久三郎の高血圧症リヨウマチ症に対する診療実日数は十三日であつて其の間往診十三回皮下筋肉内注射ナルピリン、アークレミン、ヒタチルチン各十三本静脈内注射サルプロ十三本を行つて居るが右は前川久三郎から東京の坂口医師作成にかかる診断書を提示されて此処に記載してあるように診療してくれと頼まれたのでその要求通りに注射し監査の際松本技官から質問された際患者の要求する注射を減らすと患者が来なくなると返事し同患者の胃腸障害の有無及高血圧症、骨髄骨膜炎のいづれの病症に如何なる注射を為したものか診療録の記載自体では不明確であつた事実等から右高血圧症に対してアークレミンの注射を為す必要があつたか否かの点も不明確であつた為前記健康保険医療養担当規程第六条第十一条第三号(一)に違反するものとして取扱はれた事実を認めることができる

尤も甲第九号証によれば乙第二号証に立会人石川丹吾と記載してあるが同人が当該監査に立会わなかつた事実は之を認めることができるが前記松本一郎の証言に照して之を考えれば斯る誤記あるの故を以つて直ちに右乙第二号証の全部を否定するには当らないものと判断せざるを得ない

(二)  成立に争ない乙第六号証乙第十二号証の一、二と前記証人松本一郎の証言とを綜合すれば昭和二十九年四月患者芹沢昭の淋毒性尿道炎に対し診療録に検尿の事実の記載がなかつた為前記療養担当規程第十一条第七号(一)駆梅療法、昭和二十八年五月七日附衛発第三五六号厚生省公衆衛生局長通牒性病治療標準淋病の項所定の治療方針に違背するものとして取扱われた事実を認めることができる

(三)  前記乙第二号証、成立に争ない乙第七号証の一、証人田村昭の証言により成立を認め得る乙第七号証の二及同証人及前記証人松本一郎の各証言とを綜合すれば昭和二十九年四月患者飯塚貞吉の右胸部疼痛に対する診療報酬として静脈内注射サルプロ二回十六点を請求しているが被告の同患者に対する実態調査によれば静脈注射はしなかつたと思うと供述し診療録の表面の処置欄に其の旨の記載がなかつた為静脈注射を行わないで其の報酬を請求した診療報酬の不当請求として取扱われた事実を認めることができる

(四)  前記乙第二号証、成立に争ない乙第八号証の一及三証人田村昭の証言により成立を認め得る乙第八号証の二及四と同証人及前記証人松本一郎の各証言とを綜合すれば昭和二十九年六月二日患者五十畑直のアレキナー五十畑和子の扁桃腺炎麻疹に対する診療報酬として夫々別個に往診料半里以内一回十点を請求しているが同患者の父被保険者五十畑頴について実態調査を為したところ同患者等は同時に同一家屋内で原告の往診を受けたとのことであつた為昭和十八年二月八日厚生省告示第六十六号「健康保険法及船員保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」別表診療報酬点数表中診察料往診の項三の規定に違反する診療報酬の不当請求として取扱われたものでこの点原告も亦認めて争わない

(五)  前記乙第二号証、成立に争ない乙第九号証の一、証人糸井明洋の証言により成立を認め得る乙第九号証の二及同証人及前記証人松本一郎等の各証言とを綜合すれば昭和二十九年四月患者蒲生英子のアレキナー腎炎に対する診療報酬として尿蛋白検査一回二点を請求しているが同患者の母蒲生ツネについて実態調査を為したところ検尿はしなかつたとの事であり且診療録の表面処置欄には検尿の実施及結果について何等の記載がなかつた為検尿をしないで其の報酬を請求した診療報酬の不当請求として取扱われた事実を認めることができる

(六)  前記乙第二号証、成立に争ない乙第十号証の一証人田村昭の証言により成立を認め得る乙第十号証の二及同証人及前記証人松本一郎等の各証言とを綜合すれば昭和二十九年五月患者飯塚孝一に対する診療報酬として内服薬の外頓服薬(チアゾール一日二瓦)四日分六点を請求して居るが右孝一の父飯塚貞吉について実態調査を為したところ頓服薬を貰つた記憶がないとの事であつた為診療報酬の不当請求として取扱われた事実を認めることができる

(七)  成立に争ない乙第十一号証の一乃至三乙第十三号証の一、二乙第十四号証の一、二及前記証人松本一郎の証言とを綜合すれば原告の診療録には病症の経過、受診者の住所職業事業所の名称、資格取得の年月日等の記載がないかあつても其の記載が不明確なものが多かつたので診療録の記載について整備を要するものとして前記療養担当規定第十七条に違反するものとして取扱われた事実を認めることができる成立に争ない甲第三号証、証人岡田久男、同高安周雄等の各証言及原告本人尋問の結果を綜合すれば患者の所持する保険証書にも記載のない部分があるので原告の前記診療録の不備も已むを得ないし診療録の整備は必要の程度に記載してある旨述べて居るが仮りに保険証書の記載に不備のものがあつたとしても別問題でこの一事を以つて当然直に前示認定の如き原告の診療録の記載の不備を全部正当視せらるべきものとは解せられないのみならず前記療養担当規定によれば健康保険の診療録は健康保険制度の公平にして適正な診療の実施を円滑に運営せしめる為其の目的に順応して定められた様式に従つて其の事項欄に夫々所定事項を明確に記載作成すべき事を要求して居るものである事も明であるからこの点に関する被告の主張は採用することができない

証人金子正信、同平尾格、同斎藤篤等の各証言によれば同人等が前記戒告処分後原告の依頼を受けて前記患者について調査した結果作成された甲第四乃至第八号証の記載によれば前記認定事実に照応する部分について異なつた趣旨を報告しているが前記認定の如く監査の際原告の弁解を聴いた上監査事項について原告の確認を得て作成された乙第二号証其の他前掲各証拠に照し考えれば右報告は前示認定事実に反する限り当裁判所たやすく措信しがたいのみならず之に証人松本一郎同市川三良等の各証言を併せ考えれば原告主張の本件戒告処分は前示の如く監査官等が適法の監査手続を経て前記認定事実を確認し之を関係法令に照して診療方針の違背及診療報酬の不当請求ありとして戒告処分を適当と認定した上上申し被告に於て之を前示の如く更に所定の手続を経て深重に審査した結果為した行政上の措置で其の間著しく事実を誤認したものとは認められないので原告が本件戒告処分は事実無根の基礎に基いて為した戒告処分である旨の主張は到底採用することができない亦成立に争ない乙第十六号証乃至第二十二号証によれば原告は既に昭和二十七年二日中診療報酬の不当請求ありとして診療報酬額を控除され注意を受けたものであることも明であるから本件戒告が社会観念上著しく其の適正を欠くものと認められない。

仍て原告の本訴請求は失当として棄却すべきものとなし訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 広瀬賢三)

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