大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

宇都宮地方裁判所 昭和52年(ワ)377号 判決

原告

佐藤吉男

原告

高橋英行

右両名訴訟代理人弁護士

渡辺千古

北沢孜

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

高井伸夫

右訴訟復代理人弁護士

加茂善仁

立花充康

右代理人

神原敬治

小川登

永島隆

鈴木昇

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら

1  原告らと被告との間で、原告らがそれぞれ被告の職員たる地位を有することを確認する。

2  被告は原告佐藤吉男(以下「原告佐藤」という。)に対し、金三九万二五八四円並びに昭和五二年九月一日から毎月二〇日限り月額金一二万四八九六円及び昭和五二年から毎年一二月末日限り金五三万六〇〇〇円の支払をせよ。

3  被告は原告高橋英行(以下「原告高橋」という。)に対し、金五万四〇五三円並びに昭和五二年九月一日から毎月二〇日限り月額金一一万〇九四一円及び昭和五二年から毎年一二月末日限り金四九万九〇〇〇円の支払をせよ。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

5  2及び3の項につき仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

(当事者等)

1(一) 被告は、昭和二四年六月一日、日本国有鉄道法(以下「日鉄法」という。)の施行により従来国(運輸省)の鉄道関係に属していた一切の権利義務を承継して発足した公法上の法人である。

(二) 原告佐藤は、昭和四四年四月一日被告の職員に採用され、後記懲戒免職処分がされた当時、被告の東京北鉄道管理局黒磯駅(栃木県黒磯市本町一丁目一番所在)に勤務し、運転係の地位にあったもの、原告高橋は、昭和四五年九月一日被告の職員に採用され、後記懲戒免職処分がされた当時、同駅に勤務し、構内指導係の地位にあったものである。

(懲戒免職処分の発令)

2 被告は、原告佐藤に対し、昭和五二年六月九日、別紙一の事由書記載の理由で、原告高橋に対し、同年七月七日、同二の事由書記載の理由で、それぞれ日鉄法三一条に基づき懲戒免職する旨の各処分(以下「本件各懲戒免職処分」という。)を発令し、右各処分の意思表示はそれぞれそのころ原告らに到達した。

(本件各懲戒免職処分の無効)

3 しかしながら、本件各懲戒免職処分は、(一)処分事由とされる事実自体が存在しないこと、(二)被告の意図する合理化などに協力せず強力にその反対闘争を展開してきた国鉄労働組合(以下「国労」という。)東京地方本部宇都宮支部黒磯駅分会(以下「黒磯駅分会」又は単に「分会」という。)を弱体化させる目的でされたもので、同分会に対する支配介入であり、正当な組合活動に対する不利益取扱いとして不当労働行為に該当すること、(三)仮に別紙一、二の各事由書記載の日時・場所において、原告らが被告の管理職員に対し抗議した際、身体の接触等が部分的にあったとしても、これをもって直ちに懲戒免職処分の事由とするのは著しく苛酷に過ぎるものであって懲戒権の濫用であること、の理由によりいずれも無効というべきである。

(未払賃金)

4 本件各懲戒免職処分当時、労働基準法一二条に定める平均賃金は、原告佐藤については、月額金一二万四八九六円、原告高橋については、月額金一一万〇九四一円であった。

また、原告佐藤は、その当時、年間金五三万六〇〇〇円の賞与(昭和五一年度の年末手当金二七万八七二〇円、同年度末手当金五万三六〇〇円の支給を受け、本件懲戒免職処分がなければ、昭和五二年度夏期手当として基本給金一〇万七二〇〇円の一・九か月分である金二〇万三六八〇円の支給を受けたはずである。)を、原告高橋は、その当時、年間金四九万九〇〇〇円の賞与(昭和五一年度の年末手当として金二五万九四八〇円、同年度末手当として金四万九九〇〇円及び昭和五二年度夏期手当として金一八万九六二〇円の支給を受けた。)を、それぞれ受けていた。

なお、被告における賃金の支払方法は毎月一日から末日までの分をその月の二〇日に支払う定めである。

しかしながら、原告佐藤は、昭和五二年六月分の給与として金三万二九八四円の支払を受けたのみで、同月分の残額金九万一九一二円、同年七月及び同年八月分の各給与並びに夏期手当金二〇万三六八〇円の支払を受けていないから、同原告は、右合計金五四万五三八四円から解雇予告手当として支払われた金一五万二八〇〇円を差し引いた金三九万二五八四円並びに同年九月一日から毎月二〇日限り平均賃金月額金一二万四八九六円及び毎年一二月末日限り金五三万六〇〇〇円の支払を受ける権利を有する。

また、原告高橋は、同年七月分の給与として金二万三〇二九円の支払を受けたのみで、同月分の残額金八万七九一二円及び同年八月分の給与の支払を受けていないから、同原告は、右合計金から解雇予告手当として支払われた金一四万四八〇〇円を差し引いた金五万四〇五三円並びに同年九月一日から毎月二〇日限り金一一万〇九四一円及び毎年一二月末日限り金四九万九〇〇〇円の支払を受ける権利を有する。

(請求)

5 よって、原告らは、雇傭契約に基づき、被告に対し、原告らがそれぞれ被告の職員たる地位を有することの確認を求めるとともに、前項記載の未払賃金の各支払を求める。

二  請求原因事実に対する認否

1  1の項はすべて認める。

2  2の項はすべて認める。

3  3の項は争う。

4  4の項のうち、本件各懲戒免職処分当時、労働基準法一二条に定める平均賃金が、原告佐藤については、月額金一二万四八九六円、原告高橋については、月額金一一万〇九四一円であったこと、原告佐藤は、昭和五一年度の年末手当として金二七万八七二〇円、同年度末手当として金五万三六〇〇円の支給を受けたこと、昭和五二年度夏期手当は基本給(原告佐藤のそれは一一万六七〇〇円)の一・九か月分の割合で支給されたこと、原告高橋は、昭和五一年度の年末手当として金二五万九四八〇円、同年度末手当として金四万九九〇〇円及び昭和五二年度夏期手当として金一八万九六二〇円の支給を受けたこと、被告における賃金の支払方法は毎月一日から末日までの分をその月の二〇日に支払う定めであること、原告佐藤が、同年六月分の給与として金三万二九八四円の、解雇予告手当として金一五万二八〇〇円の支給を受けたこと、原告高橋が、同年七月分の給与として金二万三〇二九円の、解雇予告手当として金一四万四八〇〇円の支給を受けたことは認める。その余は争う。

5  5の項は争う。

三  抗弁

(本件各懲戒免職処分事由の存在)

1 被告は、原告らに以下に述べるような非違行為があったため、日鉄法三一条に基づきいずれも懲戒免職処分に付したものである。

(一) 原告佐藤の関係

(1) 昭和五二年三月二五日の非違行為

昭和五二年三月二五日午前一一時一五分ころ、黒磯駅「上り二」勤務(同駅上り運転事務室において勤務する助役二名のうちの一名を指し、主として列車の到着・発車の取り扱い、「駅報」((当日の臨時列車のダイヤ、作業変更等各職員に対する伝達事項を記載した書面をいう。))の作成などの業務を行う。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から翌朝午前八時三〇分までである。)の滝田一司助役は、同駅構内の同事務室で「上り一」勤務(同事務室に勤務する助役二名のうちの他の一名を指し、主として列車の到着・発車の取扱い、入換監視などの業務を行う。所定の勤務時間は、「上り二」と同様である。)の大貫力助役が取り扱っていた列車扱い業務を引き継ぎ勤務に就いた。

右勤務は滝田助役にとっては同月一六日同駅に赴任して以来初めての本務であり、同助役は午前一一時二七分に予定より約八分遅れて同駅に到着した第一三四列車(仙台駅発黒磯駅着)の旅客案内放送等を行った。

その後、午前一一時三〇分ころ、「動昼」勤務(貨車の入換用に使用する動車を運転する業務等を行う。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から午後四時四〇分までである。)の原告高橋及び運転係相馬実が同事務室に入って来て、既に第一三四列車到着後右相馬と運転係小川真によって同列車の機関車解放作業が終了していたにもかかわらず、勤務中の滝田助役に対し「一三四列車は到着したのか。」「遅れを黒板に書かないのか。」「そのようなことは見習中に指導されなかったのか。」などと詰問していやがらせを行ったが、そこへ総勢十数名の同駅職員がつぎつぎと同事務室内に集まり、着任後間もない同助役に対し「まだ挨拶を受けていない。」「生意気だ。」などとこもごも罵声を浴びせた。

更に、「非番日」(前日からの一昼夜勤務で、当日午前七時二〇分が勤務の解放となる。但し、勤務が解放されるのは、「操テ二」、「操テ三」((「操」とは操車の、「テ」とは徹夜すなわち一昼夜勤務のそれぞれ略称である。))の各勤務に限る。)の原告佐藤と原告高橋は、午後零時五分ころから同一時一五分ころまでの間、同事務室内で同助役を肘や肩でこづいたり、手を引っ張り、あるいは両足を蹴るなどの執拗な暴行を加えるとともに、「いつ助役になったのだ。」「俺はまだ挨拶を受けていねえ。」などと大声で威嚇を繰り返すなどした。

この騒ぎを聞きつけた同駅首席助役大鷲茂男は、午後零時四五分ころ、同事務室に赴いたが、原告佐藤ほか数名の者らが滝田助役を取り囲んでいたため、「今日初めての本務だから多少のことは理解してもらわないと仕事がうまくいかなくなる。」などといってその場を治めようとしたところ、原告佐藤は「馬鹿野郎。こんな助役と仕事ができない。」などと午後一時一五分ころまでの間、上司に対し罵声を浴びせ続けた。

(2) 同月二七日の非違行為

同月二七日午前八時五〇分ころ、点呼終了後、上り運転事務室において、「上り二」勤務の滝田助役が業務に就いたところ、「操昼一」勤務(車両の入換及び機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から午後四時四〇分までである。)の原告佐藤が、同助役に近づきいきなり「お前、今日は仕事ができるんかよ。昨日は仕事ができねえで帰ったじゃねえか。今日は自信があるんだな。」と因縁をつけて威迫し、同助役が「やるだけやってみる。」と返答したのに対しても「何だ、その口の聞き方は、開き直るんじゃねえよ。」「見習で徹夜しろ、それともまた帰るんか。」などと大声で怒鳴りながら同助役の襟首をわし掴みにし、襟首を強く持ったまま右手拳で同助役の左胸を強く殴打するなどし、更に「暴力はよせ。」という同助役の左足を蹴るなど、午前九時一〇分ころまで執拗に暴行を加え続けた。

(3) 同月二八日の非違行為

同月二八日午後四時〇七分ころ、「操テ一」勤務(車両の入換及び機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から翌朝八時三〇分までである。)の原告佐藤が機関車を誘導して同駅下り四番線に留置してある客車に連結する際、同機関車の「肘コック」(機関車に連結された各車両のブレーキを緩解あるいは緊締するためのエアーを送るブレーキ管の空気の通路を開閉するための装置をいう。)を破損させる事故を起こした。

大鷲首席助役は右事故の直後、同駅構内で、原告佐藤に出会ったので、「どのような状態だったのか。」「連結の際、わからなかったのか。」と事故の状況について問い質したところ、原告佐藤は「そんなことわかんねえ。てめえらが悪いんだ。」と怒鳴る始末であった。

そこで、同助役が原告佐藤に対し、「仕事はきちんとやってもらわなければ困る。」と注意したが、原告佐藤は「何だ、この野郎。俺は悪くねえんだ。」「何をいってるんだ。」などと怒鳴り、何らの反省も示さなかった。

(4) 同年四月八日の非違行為

同年四月八日、代替として「改日A」の勤務(改札の業務をいう。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時一五分までである。)に就いていた斎藤保三助役は、「動昼」勤務の原告高橋から先に申し込んだ休暇の取扱いについて聞きたいことがあるので勤務終了後上り運転事務室に来るようにとの電話を受けたため、午後四時四〇分ころ、同事務室に赴いたところ、原告高橋から同人が先に申し込んだ同月一〇日の休暇の取得に関して代替勤務の手配は行ったかと質されたので、同助役はその手配をしてみたが代替勤務者を確保できず業務に支障を生ずるため同月二〇日を休暇にする旨説明した。

ところが、原告高橋は「馬鹿なことをいうな。年休はいつでもとれるんだ。」などと怒鳴り出し、「四月一〇日に休んだらどうなる。」と詰問した。

そこで、同助役は同日に休むと無断欠勤になる旨説明したところ、原告高橋のみならず同事務室にいた「操ヤ四」勤務(車両の入換及び機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、午後四時三〇分から翌朝八時四〇分までである。)の原告佐藤までもがともに大声で「馬鹿野郎。」「なに無断欠勤。」と怒鳴り、午後五時一五分ころまで執拗に抗議をし続けるとともに、原告佐藤において同助役の上着の襟をわし掴みにして上下に三、四回強くゆすりながら突き上げてねじるなどの暴行を加えた。

(5) 同月一三日の非違行為

同月一三日午前八時三六分ころ、上り運転事務室内において、点呼終了後、田崎作三駅長や大鷲首席助役に対し、「操ヤ一」の勤務(車両の入換及び機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、午後四時三〇分から翌朝午前八時四五分までである。)中の原告佐藤ほか数名の者らが、原告高橋の同月一〇日の欠勤の取扱いをめぐり「どうなんだ。馬鹿野郎。」などとこもごも罵声を浴びせるなどし、同駅長から原告高橋の欠勤は「不参」(箇所長の承認を得ない欠勤をいう。これに対し、箇所長が正当の理由があると認めた欠勤を「事故」という。)であると返答されるや、原告佐藤において「ふざけんな。この野郎。」と怒鳴りながら同助役の右腕を強く掴むなどしたうえ、同事務室内に置いてあった赤、青二本巻きの「フライ旗」(列車付替作業等に用いる合図のための手旗をいう。)で同助役の頭部を二回続けて殴打した。

更に、原告佐藤は「なにい痛えんか。」「まだ生きていんか、この野郎。」などと怒鳴り、他の数名の者らとともに同助役の身体に密着して今にも殴りかかりそうな格好で「何いってやがる。」「不参を取り消せ。」などと約三〇分間にわたり、こもごも上司に対し罵声を浴びせ続けた。

(6) 同月一六日の非違行為

同月一六日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、前記の原告高橋の欠勤の件について、「操ヤ二」勤務(車両の入換及び機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、「操ヤ一」と同様である。)の原告佐藤ほか数名の者らが「不参のことは取り消さねえのか。」「なんで不参にするんだ。」「てめえら不参を取り消せ。」などと怒号するなどし、大鷲首席助役が静かにするように説得してもこれを聞き入れず、原告佐藤は同助役に対し「不参の件取り消せ。」と怒鳴ったが、同助役が「取り消すことはできない。」と断わったため、原告佐藤は「この野郎。」「取り消せ。」などと怒鳴りながら同助役に対し肩や肘で身体を押し付けるなどして同事務室内の長椅子に座らせ、同助役の右足のかかとの内側を足で蹴るなどの暴行を加え、居合わせた数名の者らとともに午前一〇時三〇分ころまでの間、「不参を取り消せ。」「この野郎。」などと上司に対し罵声を浴びせ続けた。

(7) 同月一八日の非違行為

同月一八日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、「操テ三」勤務(機関車の入区((機留線内に留置させること。))の業務等を行う。所定の勤務時間は、「操ヤ一」と同様である。)の原告佐藤は他の数名のものらとともに前記の原告高橋の欠勤の件について、大鷲首席助役に対し「不参を取り消さねえのか。」「この野郎。なんで不参にするんだ。」「何をいってやがるんだ。このうす馬鹿野郎。」などと怒鳴り続けた。

そこで、同助役は代替勤務を依頼したが断われた旨説明したが、原告佐藤らはこれを聞き入れず、勤務時間中の同助役をつかまえて「こけ野郎。」「年休とはどんなことだ。」などと罵声を浴びせ続けた。

(8) 同月一九日の非違行為

同月一九日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、「非番日」の原告佐藤は大鷲首席助役に対し、原告高橋の欠勤の件について「事務室内で話し合いできないか。」と申し入れたが、同助役からそれを断わられたため、「なんだ、その口の聞き方は。この野郎。」と大声で怒鳴り、更に、他の数名の者らとともに同助役を取り囲み、右の件をめぐり約一時間にわたり「馬鹿野郎。」「不参を取り消せ。」などと罵声を浴びせ続けた。

(9) 同月二一日の非違行為

同月二一日午前八時三七分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、「操ヤ一」勤務の原告佐藤ほか数名の者らが、大鷲首席助役に対し、「今回の不参処理はおかしい。」「納得できねえ。」「馬鹿野郎。」などと大声で怒鳴ったが、同助役が原告高橋の件は「不参」が正しいのだから「不参」で処理した旨説明したため、原告佐藤は「不参とはおかしい。」などと怒鳴り、更に数名の者らとともに午前八時五五分ころまでの間こもごも「不参を取り消せ。」「この馬鹿野郎。」などと同助役に罵声を浴びせ続けた。

(10) 同月二四日の非違行為

同月二四日午前八時五〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、「操昼一」勤務中の原告佐藤は大鷲首席助役に対し「新しく助役が発令になっているが何をするんだ。」といったため、同助役が管理体制の強化である旨説明したところ、原告佐藤は「なんだこの野郎。管理体制の強化だとお。この野郎。」などと大声で怒鳴るなどして午前九時三〇分ころまでの間執拗に同助役に迫り、上司を侮辱するなどした。

(11) 同月二六日の非違行為

同月二六日午前八時二五分ころ、田崎駅長と大鷲首席助役が前日同駅に着任した今井沖ら三名の助役とともに上り運転事務室へ点呼のため赴いたところ、「操ヤ三」勤務中の原告佐藤は、いきなり大声で「わけのわからねえ者が来た。」「ぼっこしに来たんか。」などと怒鳴り、更に数名の者らとともに「何んのために来たんだ。首席説明しろ。」などと怒鳴り続けるなどし、点呼開始時刻を約五分間遅延させた。

(二) 原告高橋の関係

(1) 昭和五二年三月二五日の非違行為

前記(一)の(1)と同一。

(2) 同年四月八日の非違行為

前記(一)の(4)と同一。

(3) 同月一三日の非違行為

前記(一)の(5)のとおり同月一三日午前八時三六分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、前記の原告高橋の欠勤の件をめぐり「動ヤ」勤務(貨車の入換用に使用する動車の運転及び連結並びに機関車の付替業務等を行う。所定の勤務時間は、午後四時三〇分から翌朝午前八時四五分までである。)の同原告ほか数名の者らが「どうなんだ。馬鹿野郎。」などとこもごも罵声を浴びせたので同事務室内は騒然となっていた。

そして、原告高橋は引継を受けようとしていた「上り一」勤務の齋藤助役に対し、いきなり「おまえが問題を起こしたんじゃねえか。こっちへ来て一緒に聞け。」と怒鳴り右手で同助役の上着の左襟を掴んで引っ張った際、同助役の上着の第一ボタンがちぎれてしまった。

その後、田崎駅長が原告高橋の件は不参であるといったところ、同原告は「なに。」と怒鳴り、他の者らも「何いってるんだ。」「不参だとお。」などとこもごも罵声を浴びせた。

また、同駅運転係の加藤一三郎は原告高橋が「不参」の取扱いを受けたことについて、同駅長に対し「齋藤助役は嘘をいっている。」というので、同駅長は「齋藤助役が嘘をいうはずがない。もし嘘をいったとしたら駅長は腹切りもんだな。」というと、加藤は「駅長が腹を切るといっているから誰か刃物を持って来い。」と大声で怒鳴った。

そこで、原告高橋が刃渡一五センチメートルの包丁を持ち出して来て、同駅長に対し右包丁の刃先を上下に振りながら突きつけて「早く切れ。」「俺は腹を切るのを見たことがねえので早く見せろ。」などと脅迫的言辞を弄してすごんだ。

同駅長は包丁を元へ戻すようにいったが、原告高橋は大声で「腹を切るまで待つ。」となおも執拗に脅しながら同駅長のポケットに右包丁の刃先を下にして押し込み、更に他の数名の者らとともに午前一一時三〇分ころまで大声で「不参を取り消せ。」などとこもごも罵声を浴びせた。

(4) 同年五月三日の非違行為

同年五月三日午前八時三〇分ころ、上り運転事務室において、「日特ソ」勤務(駅構内にある施設の清掃等を主として行う。所定の勤務時間は、午前八時三〇分から午後四時四〇分までである。)の原告高橋は起立して点呼を受けなければならない立場にありながら、大鷲首席助役の左側に近寄り覗き込むようにして顔を近づけるなどの執拗ないやがらせを行ったため、同助役が「何をしているんだ。後に下がって点呼を受けろ。」と命じたにもかかわらず、これを聞き入れずに同助役の前をぶらつくなどして点呼終了時である同八時三七分ころまでの間点呼を受けず上司の命令に従わなかった。

(懲戒処分手続)

2(一) 原告らは、被告の職員として、「その職務を遂行するについて誠実に法令及び日本国有鉄道の定める業務上の規程に従わねばならない。」義務(日鉄法三二条一項)を負うのにかかわらず、前記のとおり、職場内で上司に対し暴行・暴言やいやがらせなどを反復して行ったのであって、右の原告らの行為は、被告の就業規則の「日本国有鉄道に関する法規、令達に違反したとき」(六六条一号)、「上司の命令に服従しないとき」(同条三号)、「職務上の規律をみだす行為のあったとき」(同条一五号)、「職員として品位を傷つけ又は信用を失うべき非行のあったとき」(同条一六号)、「その他著しく不都合な行いのあったとき」(同条一七号)に該当するものである。

(二) そこで、被告は、原告らの右の行為が悪質で企業秩序維持の観点から看過できないものであり、日鉄法三一条一項に基づき、原告らを懲戒免職処分にするのが相当と判断し、被告の懲戒基準規程等に従い、原告佐藤に対し、昭和五二年五月二四日に、原告高橋に対し、同年六月二〇日に、それぞれ免職処分と免職事由(別紙一、二の各事由書と同一の事由)を記載した懲戒処分通知書を手交した。

これに対し、原告佐藤から同年五月二四日に、原告高橋から同年六月二四日に、それぞれ異議の申立てがあり、被告の東京北鉄道管理局長は、被告の懲戒基準規程に基づき、原告佐藤に対し、同月七日に、原告高橋に対し、同年七月一日に、それぞれ弁明弁護の機会を与えたが、右の免職事由とされた事実を覆すに足りる弁明弁護がされなかった。

(三) そこで、被告は、日鉄法三一条一項に基づき、原告佐藤に対し、同年六月九日に、原告高橋に対し、同年七月七日に、それぞれ懲戒免職の処分を発令したのである。

四  抗弁事実に対する認否

1  1の項の冒頭の主張は争う。

(一) 原告佐藤の関係

(1) (1)の項の事実のうち、昭和五二年三月二五日午前一一時一五分ころ、滝田助役(「上り二」勤務)が上り運転事務室で大貫助役(「上り一」勤務)の取り扱っていた列車扱い業務を引き継いだこと、右勤務は滝田助役にとっては同月一六日に黒磯駅に赴任して以来初めての本務であったこと、当日第一三四列車が予定より遅れて同駅に到着したこと(但し、遅延の時間を除く。)、原告高橋及び同駅運転係相馬実が同助役に対し「一三四列車は到着したのか。」「遅れを黒板に書かないのか。」「そのようなことは見習い中に指導されなかったのか。」などといったこと、そこへ十数名の同駅職員が上り運転事務室に集まってきたこと、大鷲首席助役が午後零時四五分ころ同事務室に来たこと、同助役がその場にいた者らに対し「今日初めての本務だから多少のことは理解してもらわないと仕事がうまくいかなくなる。」などといったことは認める。その余の事実は否認する。

なお、当日は朝から列車の遅延が続いていたが、そのような場合には作業順序等に変更が生じるため、担当助役において列車の遅延状況を黒板に書くなどして担当職員に伝達し適切な作業指示を与えるものとなっていたところ、滝田助役は列車の遅延について何らの伝達や作業指示をしなかった。

相馬実は午前一一時三〇分から休憩に入ることになっていたが、第一三四列車が予定時刻を過ぎても同駅に到着せず、今後の作業や休憩時間の確保について明確にしようとして滝田助役に対し同列車の遅延状況を尋ねたが、同助役は相馬の質問に何ら答えようとはしなかった。

そのようなとき、原告高橋がたまたま同事務室に入って来て相馬から事情を聞かされて、これを労働条件に関わることと判断し、相馬とともに同助役に対し「遅れを黒板に書かないのか。」「そのようなことは見習中に指導されなかったのか。」などと尋ねたが、同助役はこれに対しても何らの返答もしなかった。

そこへ、黒磯駅分会副会長長谷川昭司、同書記長星野恵司及び原告佐藤ら約十名の者らが同事務室に入って来て、長谷川、星野が中心となって同助役に問い質して反省を促したが、「まだ来たばかりで仕事が出来ないのは当然だろう。」と開き直るような発言をしたのみで何らの返答もせず不誠実な態度に終始した。

そこで、このような状態では適切な作業は出来ないと判断した星野らが大鷲首席を呼び寄せ、事情を説明したところ、同助役も納得し滝田助役を勤務からはずしたため、事態は治まったのである。

(2) (2)の事実のうち、原告佐藤が、同月二七日午前八時五〇分ころから午前九時一〇分ころまでの間、上り運転事務室で滝田助役とやりとりをしたことは認める。その余の事実は否認する。

同日午前八時二五分ころ、原告高橋が出勤してきた滝田助役に対して挨拶したが、同助役はこれを無視し、同原告が点呼終了後同助役に対し「そんな協調性のないことで、今日は仕事ができるのか。」「この前と同じになってしまうのではないか。」などと話しかけたにもかかわらず、同助役はそれをも無視し黙ってにらみ続けた。そこで、同原告において「なぜ黙っているのか。」「挑発をしているのか。」など尋ねたが、同助役は相変わらず無言のままであった。

このような様子を見ていた原告佐藤は、「そんな挑発的な態度をとっていると皆とうまくいかないぞ。」「また二五日のようなことになるぞ。」といって同助役を諭そうとしたが、同助役は原告佐藤をにらみ続けるだけであった。

そこで、同駅運転係信号担当の熊本定行らも加わり、「今日の勤務は大丈夫か。」「今日は一本立で作業ができるのか。」などと話しかけたが、同助役はかえって「転勤してきたばかりで仕事ができる人なんかいないではないか。」などと居直るような発言をしたため、原告らは「何んだそのいい方は。それでは作業にならないだろう。一通り仕事ができるまで何度も見習をすべきだろう。そんな態度では助役として失格ではないか。」などといったが、同助役はやはり無言のままであった。

このような状況のもとで、原告佐藤らが、滝田助役の肩に触れたり、同助役が座っていた椅子に手を掛けるなどしたことはあり、その際同助役が「暴力はよせ。」などと叫んだこともあったが、それは前記のとおり、職員に作業の指示を与え、また職員を指導すべき立場にある同助役に対し、作業の円滑な遂行や相互の意思疎通を図るため種々の働きかけを行ったまでのことであって、到底暴力と評価されるものではなかった。

(3) (3)の項のうち、同月二八日午後四時〇七分ころ、原告佐藤(「操テ一」勤務)が、機関車を誘導して同駅下り四番線に留置してある客車に連結する際、同機関車の「肘コック」を破損させたことは認める。その余の事実は否認する。

なお、被告主張の(3)の事実は、原告佐藤に対する懲戒処分通知書に明記されていないうえ、弁明弁護の手続でも処分事由として明示されていなかったのであるから、懲戒免職処分の事由になっていないものというべきである。

(4) (4)の事実のうち、同年四月八日齋藤助役(代替として「改日A」勤務)が、原告高橋(「動昼」勤務)から同人が先に申し込んだ休暇の取り扱いについて聞きたいことがあるので勤務終了後上り運転事務室に来るようにとの電話を受けたこと、そのため同助役が同事務室に赴いたところ(但し、その時刻は被告の主張するそれよりも早い)、原告高橋から同人が申し込んだ同月一〇日の休暇取得に関して代替勤務の手配を行ったのかと質されたので、同助役はその手配をしてみたが代替勤務者を確保できず業務に支障を生ずるため同月二〇日を休暇とする旨説明したこと、原告高橋が同助役に「四月一〇日に休んだらどうなる。」と尋ねたことは認める。その余の事実は否認する。

原告高橋は、知人の結婚式に出席するため同月一〇日に休暇をとるべく、同月四日勤務割当担当の齋藤助役に右同月一〇日の年次有給休暇(以下「年休」という。)を申し込んだのであるが、そのころ、黒磯駅では職員が年休を申し込めば駅当局は最大限代替勤務者の手配を行ってこれを認める慣行となっていたところ、原告高橋の右年休の申込みに対しては、同助役はただ三名についてのみ代替勤務の手配をしただけで代替勤務者が確保できないとして同日の年休はこれを付与せず、一方的に同原告には不要の同月二〇日を年休として指定してきたのである。

これは、従来の慣行に比して明らかに齋藤助役の怠慢であり、年休取得の権利を制限するものであるとともに労使慣行の破棄にもつながるものであったため、原告両名ほか数名の職員は同助役のとった措置に対して抗議をしたのである。

ところが、同助役は明確な説明をしないで不誠実な態度に終始したため、職員らが声を大きくしたり、あるいは同助役の肩や腕などに手を置くなどしたことはあったが、暴行、暴言などは全くなかったものである。

(5) (5)の事実のうち、同年四月一三日、田崎駅長が原告高橋の欠勤について「不参」になると発言したことは認める。その余の事実はすべて否認する。

原告高橋の同月一〇日の欠勤については、駅当局はそれを「事故」扱いにするとしていたため、黒磯駅分会は同月一二日田崎駅長に対し釈明を求めるとともにその撤回を要求し、同駅長もそれについて同月一三日に回答する旨約し、それを撤回する様子を示していた。

そこで、右同日点呼終了後職員らは田崎駅長に対しその回答を求めたのであるが、同駅長はそれまでの態度を翻し、突然「事故」よりも不利益な「不参」扱いにすると発言したのである。

そのため、原告高橋ら職員が激高し、上り運転事務室内が騒然となったものである。

なお、原告佐藤は、当日は「操ヤ一」の明け番であり、午前八時〇八分ころ、作業を終了し、入浴した後、同九時過ぎころ上り運転事務室へ赴き、同一〇時一五分同駅発の急行列車で宇都宮へ向かったものであり、同日中に大鷲首席助役の身体に触れたことはなく、同助役の身体に触れたのは中村隆であるが、同人は同助役の腕を引いたり、所携の「フライ旗」で同助役の頭を指し示したことはあったものの、同助役に対し暴行を加えたことはなかった。

(6) (6)の事実は否認する。

原告佐藤(「操ヤ二」勤務)は、同月一六日午前八時四五分に勤務から解放され、入浴の後、午前九時三〇分ころ上り運転事務室に赴いたが、そのころには職員らと大鷲首席助役とのやりとりは終了するところであった。

したがって、同日原告佐藤が原告高橋の欠勤の件に関して同助役に対し暴行を加え罵声を浴びせたことはないのである。

(7) (7)の事実のうち、同月一八日、原告佐藤らが原告高橋の欠勤の件をめぐり首席助役とやりとりした事実は認める。その余の事実は否認する。

同日の午前の点呼終了後、職員らが大鷲首席助役に対し、原告高橋の欠勤の件について「不参」扱いを再考するように求めたのであるが、原告佐藤は、同日午前八時四二分着の列車を機留線に留置する作業を行ったものであり、同助役と接していたのは極く短時間にすぎない。

なお、被告の主張するの(7)事実は、原告佐藤に対する懲戒処分通知書に特定、明示されておらず、弁明弁護手続においても触れられなかったものであるから、懲戒免職処分の事由にはできないものである。

(8) (8)の事実は否認する。

原告佐藤は、同月一八日は「操テ三」勤務であり、翌一九日の午前九時二〇分ころまで寝室で仮眠していたものである。

なお、被告の主張する(8)の事実は、(7)の事実と同様の理由により懲戒免職処分の事由にはできない。

(9) (9)の事実のうち、同月二一日、点呼終了後、上り運転事務室で職員らが原告高橋の欠勤の件で首席助役とやりとりをしたことは認める。その余の事実は否認する。

当日は、同駅がストライキの拠点に指定されていて(その後、中止となった。)、点呼終了後、星野が中心となって、原告高橋の欠勤の件について、大鷲首席助役に対し再考を求めたものであるが、同助役に罵声を浴びせたことはなく、原告佐藤は一言も発言しなかったのである。

なお、被告の主張する(9)の事実は、(7)の事実と同様の理由により、懲戒免職処分の事由にはできない。

(10) (10)の事実のうち、首席助役が「管理体制の強化である。」と発言したことは認める。その余の事実は否認する。

黒磯駅分会は、原告高橋の欠勤が「不参」として処理された問題についてこれを正式に取り上げ駅当局に対し抗議を続け「不参」処理の撤回を要求してきたが、そのようななかで、駅当局も十分な説明ができず時にはその撤回すらほのめかすに至ったため、それに危機感を抱いた被告は管理体制の強化を企図して同月二二日突然同駅に助役四名を発令派遣した。

これは、駅当局の非を隠ぺいし原告高橋に対する不当な「不参」扱いの問題をうやむやにする意図であって、組合弾圧であることは明らかであったため、同月二四日の午前の点呼終了前、職員らが稲葉助役に右の助役発令問題について尋ねたがらちがあかず、大鷲首席助役が駆けつけて、点呼を行った後、職員らが同助役に対して釈明を求めたのである。

ところが、同助役はあからさまにも「管理体制の強化である。」と高言したため、職員らはそれに激高し、「組合弾圧ではないか。」などといって抗議を行ったものである。その際、職員らにおいて大声を発したことはあったが、同助役に対し侮辱的言辞を弄したことはなかった。

原告佐藤は、右の釈明や抗議に加わっていたものの、第一六五七列車(定時午前八時四二分同駅着のところ二七分遅れて到着)、第九五四三列車(同九時〇六分着のところ一四分遅れて到着)、第五一八三列車(同九時一二分着のところ一五分遅れて到着)の各列車の付替作業に従事したものであって、大鷲首席助役とやりとりしたのは短時間にすぎない。

なお、被告の主張する(10)の事実は、(7)の事実と同様の理由により、懲戒免職処分の事由にはできない。

(11) (11)の事実のうち、同月二六日午前八時二五分ころ、田崎駅長らが今井沖ら三名の助役とともに点呼のため上り運転事務室に赴いたところ、原告佐藤(前日「操ヤ三」勤務)が「わけのわからねえ者が来た。」「なんだい。」「ぼっこしにきたんか。」「何のために来たんだ。首席説明しろ。」と発言したことは認める。その余の事実は否認する。

前記(10)と同様に、職員らが助役発令問題に抗議したものである。

なお、被告の主張する(11)の事実は、(7)の事実と同様の理由により、懲戒免職処分の事由にはできない。

(二) 原告高橋の関係

(1) (1)については前記(一)の(1)の認否と同一。

(2) (2)については前記(一)の(4)の認否と同一。

なお、被告が主張する(2)の事実は、原告高橋に対する懲戒処分通知書に特定、明示されておらず、弁明弁護手続でも触れられなかったものであるから、懲戒免職処分の事由にはできない。

(3) (3)の事実のうち、田崎駅長が原告高橋の欠勤は「不参」であるといったこと、原告高橋らが「なに。」「何いってるんだ。」「不参だとお。」などと発言したこと、同駅長が「腹切りもんだな。」と発言し、加藤一三郎が「誰か包丁(刃物ではない。)を持って来い。」といったこと、原告高橋が果物ナイフ(包丁ではない。)を持ち出し「早く切れ。」といったこと、同原告が同駅長の上衣のポケットに右のナイフを刃先を下にして入れ、「不参を取り消せ。」といったことは認める。その余の事実は否認する。

前記(一)の(5)に記載したとおり、田崎駅長が突然原告高橋の欠勤について「不参」扱いにすると発言したため、職員らは激高し、上り運転事務室内が騒然となったが、職員らが同駅長に対し「不参」扱いについて種々釈明を求めるうち、駅当局が代替勤務者の手配について十分な措置を講じたか否かが問題となり、これについては同駅長は「駅側にミスはない。」「もしミスがあったら駅長は腹切りもんだな。」といい切ったのである。

そこで、担当の齋藤助役に代替勤務者の手配をどのように行ったのか質そうということになり、原告高橋が勤務引継のため同事務室の入口付近にいた同助役を手招きして呼んだところ、同助役は自ら駅長の側に近づき職員らが「高橋の年休についてどのような手配をしたのか。」と尋ねたのに対して「一〇日の休みの者三名に当たった。」と答えたのである。ところで、原告高橋は、昭和五二年四月一〇日の前日の九日は「動ヤ」勤務(同月九日午後四時三〇分から翌一〇日午前八時四五分までの夜間勤務)であり、同月一〇日の休暇の申し込みは実質的には前日の午後四時三〇分以降の勤務変更を求めるものであり、代替勤務者の手配も前日の午後四時三〇分から勤務が可能な者を確保すべきものであり、職員らがその場にいた大貫助役に確認をしたところ、同助役もそのような場合には前日から手配をすべきであると述べ、駅当局の手落ちが明らかになったのである。

そこで、加藤が田崎駅長に「さっき腹を切るといったがどうする。」といったところ、同駅長は「俺もヤクザだから切るしかないな。」と笑いながら答えたのである。そして、この言葉に居合わせた者らは爆笑し、加藤が「誰か腹切り道具を持って来い。」といったのに対し、原告高橋が果物ナイフを持って来て、同駅長に「ほれ、腹切り道具を持って来たよ。これで切ってみな。」などといいながら、同駅長の胸ポケットにそのナイフを入れたものである。この間、居合わせた職員らが「早く切ってみせてくれ。」などと野次ったり、田崎駅長も「もっといいものを持って来るよ。」「切るしかないな。」などといってこれに応じていたのである。

このように、当日の上り運転事務室でのやりとりは、笑いの渦のなかで冗談として行われたものであって、脅迫などといったものではなく、時間的にも午前一〇時三〇分ころには終了していたのである。

(4) (4)の項のうち、同年五月三日午前八時三〇分ころ、上り運転事務室内で、点呼中、原告高橋(「日特ソ」勤務)が、大鷲首席助役の横に近寄り、覗き込むようにして顔を近づけたことは認める。その余の事実は否認する。

当日、原告高橋には、勤務者に配布される「駅報」が配布されなかったことから、同原告が大鷲首席助役に対し、「駅報」をくれるように頼んだが、余部がないと断わられたため、同助役が持っていた「駅報」を見せてもらおうとして、同助役に近づき、「駅報」を覗き込んだもので、決していやがらせと評価されるものではない。

なお、被告が主張する(4)の事実は、原告高橋に対する懲戒処分通知書に明記されていないうえ、弁明弁護の手続でも処分事由として明示されなかったのであるから、懲戒免職処分の事由にはならない。

2  2の(一)の項のうち、日鉄法や被告の就業規則に被告主張のような規定が存在することは認める。原告らの行為が懲戒処分事由に該当することは否認する。

同(二) の項のうち、被告主張のように懲戒処分事由書(別紙一、二の各事由書と同一の事由が記載されている。)が原告らに手交されたこと、これに対し原告らが異議の申立てを行い、弁明弁護の手続がなされたこと(但し、十分なものではなかった。)は認める。その余は争う。

同(三)の項は認める。

五  再抗弁

(不当労働行為)

1(一) 原告佐藤は、本件懲戒免職処分の当時、国労の組合員であって黒磯駅分会青年部常任委員(兼黒磯地区青年婦人協議会議長)の、原告高橋は、同じく国労の組合員であって同分会青年部部長の各地位にあったところ、本件各懲戒免職処分は、いずれも、被告の企図した数々の合理化政策に反対し、黒磯駅当局などによる組合活動の妨害に反対していた同分会を弱体化させるため、次に述べるように被告が同分会攻撃の一環として行ったものであって、組合役員に対する不利益取扱いであり、同分会に対する支配介入として不当労働行為に該当するものである。

(二) 黒磯駅は、那須高原を控えた観光駅であり、観光シーズンの乗降客は膨大な数に上り、那須の御用邸を控えた天皇の乗降駅でもあり、直流・交流の切り換え駅であるという特殊性を持った重要な駅であるため、被告は同駅に対する労務管理政策を強化してきた。

(三) まず、被告は、大幅赤字解消を名目とする国鉄再建十か年計画を策定し、昭和四五年春ころから合理化を推進するとともに、それに反対する国労及び国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)を弱体化させることを意図した生産性向上運動(いわゆるマル生運動)を開始し、それに全面協力の方針を打ち出した鉄道労働組合(以下「鉄労」という。)の保護育成を図り、鉄労組合員を国労、動労組合員に比較して昇給、昇職等あらゆる面で優遇する差別的取扱いを行った。

黒磯駅においても、同様に、鉄労の保護育成及び国労黒磯駅分会の弱体化が図られ、例えば、昭和四六年八月三日に同駅構内で発生した列車脱線事故の処分について国労組合員のみを処分し鉄労組合員を不処分とし、毎年春に行う抜擢昇給を鉄労組合員のみに行い、年次有給休暇の取得に関しても鉄労組合員を優遇するなど露骨な差別的取扱いをするとともに、助役などが国労組合員宅を訪れて国労からの脱退と鉄労への加入を唆すなどして、国労黒磯駅分会に対する支配介入を行った。これに対し、同分会はマル生粉砕闘争を押し進め、昭和四七年九月には鉄労組合員が全員国労に復帰するなどした。

(四) 被告は、昭和四七年三月一五日白紙ダイヤ改正を計画したが、黒磯駅分会は合理化攻撃としてこれに反対し、当時の駅長や助役が労使の現場協議(以下「現協」という。)を軽視する発言をするなどといった職場問題が解決しない限りダイヤ改正は受け入れられないと主張したため、一時は無ダイヤのまま作業を行うほかない状態になり、ようやく駅当局が譲歩して職場問題は一定の解決をみて、ダイヤの合意に達した。

(五) 被告の職員には一年間に二〇日の年休が与えられているほか、労使の時間短縮協定により定められた勤務時間と実際の勤務時間との差を職種によって点数で表し、それが九九点になったときには、特別非番日として休暇扱いにされることとなっている(いわゆる「非休」)。

ところが、黒磯駅では、昭和四七年ころまでは年休を取ることはおろか非休を取ることも困難な状態にあった。すなわち、同駅では分会の増員要求にもかかわらず、被告において、増員を行わないため、慢性的に欠員状態が続くとともに病欠者も増加し、年休を取得しにくい状態となっていたことに加え、駅当局が年休希望者に対し「相対」(自己において代替勤務者を手配すること。)を強要したため一層休暇を取りにくい状況にあった。

そこで、分会は、年休闘争に積極的に取り組み、ついに昭和四九年の初めには十分な年休の取得が可能な状態を作り上げた。

これに対して、被告は、同年三月二七日、突然調査団と称する「組合対策班」を派遣し、同年四月三日から同月五日までの点呼の際に、同月一〇日から同月一三日までの間の年休をすべて取り消し、もし欠勤した場合には「不参」扱いとして賃金カットすると通告し、同月一〇日には同日の年休希望者全員を出勤させて作業ダイヤのない日勤勤務をさせ、同月一五日には「勤務の取扱いについて」と題する布告をし、診断書を提出して病欠扱いになっても、「突発休」という事実は消えず、虚偽の事実が判明したとき「不参」扱いをすることなどを通告し、実際にも病欠を承認しなかったり年休を認めないで「不参」扱いにして賃金カットを行うなどした。

分会は、これに対して全国からの支援を受けて闘争を続け、同年八月以降に至り、駅当局が態度を改め、賃金カットを撤回するなどした。

(六)被告は、昭和四七年ころ、東北新幹線の新設を立案し、それに伴い黒磯駅の構内の一部改良が行われ、構内詰所を取り壊し、その跡地に信号所を新設することになったが、分会は構内詰所を従来から集会等に使用していたことから組合活動に重大な制約を受けることになるのでそれに反対し、駅当局との交渉の結果、信号所は別の場所に新設されることとなった。

また、昭和五二年三月、信号所の完成により、駅当局から分会に対し、信号所の継電連動装置の工事の着工方について申入れがあったが、それは従来に比し要員の削減を伴うものであったため、分会はそれに反対し、駅当局と交渉を重ねた結果、被告から信号所の労働条件については現行のそれよりも低下させないこととするなどの確約を得た。

その他、分会は、昭和四六年ころから昭和四九年ころにかけて機関車付替一人化反対闘争、昭和四八年一月から同年五月にかけて貨物の要員削減を中心とした「要員適正化」反対闘争、同年八月から昭和五三年三月にかけて小荷物民間委託反対闘争、昭和五〇年一一月から昭和五一年一月にかけて踏切廃止反対闘争を行うなど種々の合理化政策に反対し、多くの成果を勝ち取った。

(七) このように、被告当局は、合理化推進を図ったが、黒磯駅が前記(二)記載の特殊性を有するところから、同駅の合理化の成否が国鉄全体の合理化の進展に波及するため、合理化の達成のためには、国労で最も戦闘的な黒磯駅分会の弱体化を図る必要に迫られた。

そこで、被告は、昭和五二年二月一〇日、田崎作三を同駅駅長に発令したが、同駅長は、従前の労使慣行や既得権を次々に否定していった。すなわち、従来同駅では、連休時などの乗客の殺到が予想される場合には、要員問題については、現協において駅当局と分会が協議していたところ、同年三月一一日に開催された現協では、田崎駅長は、分会の同月一九日から同月二一日まで連休時の要員増要求を拒否し、現協の傍聴をも禁止した。

また、同駅長は、従来代替勤務者がある限り、年休の申込みに応じてきたところ、前記のとおり、原告高橋が同年四月四日に行った年休の申込みに対しては、代替勤務者の手配が可能であるにもかかわらず、時季変更権の行使と称して、右の申込みを拒否したうえ、同原告の欠勤についても、一旦は「事故」と処理し、その後突然一層不利益な「不参」扱いに変更した。

そして、東京北鉄道管理局総務部長を責任者として同駅に派遣された「対策班」の指導のもと、同月二八日には、「休暇関係申込簿の適正な運用方について」と題する書面により、休暇の申込みに休暇の使用目的を記入することを要求するとともに、各職につき、一日当たりの休暇割当人員を一方的に割り当て、その割当人数を超えた場合には年休の取得を認めないなどの規制を行い、同年五月一一日には、「職場規律の確立等について」と題する書面により、年休の申込みに対し、管理職員による勤務の代行はしない、管理職員がその勤務を代行した場合には「不参」又は「事故」とする、分会が勤務の代替の呼出及び勤務変更に応じる態勢にならない限り年休を認めないと通告してきた。

更に、田崎駅長は右の「職場規律の確立等について」と題する書面により、当日勤務者及び駅長が許可した者以外の駅構内への立入り、施設利用の禁止を通告し、分会の学習会や集会等の組合活動の規制、妨害を図った。

(八) 以上の一連の経過によれば、被告は、黒磯駅分会を弱体化させる意図のもとに、同分会に対する種々の攻撃を行ってきたのであり、本件各懲戒免職処分は、いずれも同分会に対する右の攻撃の一環であって、同分会に対する支配介入であるとともに組合活動に対する不利益取扱いとして、不当労働行為たるを免れない。

(懲戒権の濫用)

2 仮に被告の主張するような身体の接触、喧騒等が部分的にあり、駅長や助役らに不快感を与えたとしても、前記のとおり、もともとその発端は被告側の不手際に起因するものであり、しかもそれについての分会員らの是正要求に対し被告側はかたくなな態度に終始したのであるが、一方、原告らの行動は組合活動の一環としてされたものであって、その中で原告らが特に指導的地位や中心的役割を果たしたわけではなく、実際にもそれによって駅長や助役らの身体に対し直接の苦痛、損傷を与えたものではなく、列車の運行自体にも影響を与えていないのであり、その他原告らはこれまで何らの処分を受けておらず、それらの行動に参加した他の職員の処分と比較するなど諸般の事情を考慮すれば、原告らに対する本件各懲戒免職処分はいずれも社会通念に照らし合理性を欠き、裁量権を逸脱したものである。

六  再抗弁事実に対する認否

1  1の項の(一)のうち、原告らの地位は知らない。その余の主張は争う。

同(二)のうち、黒磯駅が原告らの主張するような特殊性を有することは認める。その余の主張は争う。

同(三)のうち、昭和四六年八月三日に同駅構内で発生した列車脱線事故の処分について国労組合員を処分したことは認める(これは、事故の直接の責任者を処分したものに過ぎず、国労の組合員を差別したものではない。)。その余の事実は否認する。

同(四)のうち、被告が、昭和四七年三月一五日白紙ダイヤ改正を計画したが、分会はこれに反対したこと、その後、駅当局と分会とは現場協議において作業ダイヤの合意に達したことは認める。その余の事実は否認する。なお、分会が現場協議において駅当局と協議する誠意をみせなかったため、駅当局は、同日、改正された作業ダイヤに基づき職員に作業をさせたものである。

同(五)のうち、国鉄職員には一年間に二〇日の年休が与えられているほか、労使の時間短縮協定により定められた勤務時間と実際の勤務時間との差を職種によって点数で表し、それが九九点になったときには、いわゆる「非休」として休暇扱いにされることとなっていること、被告が、昭和四九年三月二七日、対策班を派遣し、同年四月三日から同月五日までの点呼の際に、同月一〇日から同月一三日までの間の年休をすべて取り消し、もし欠勤した場合には「不参」扱いとして賃金をカットする旨通告し、同月一〇日には同日の年休希望者全員を出勤させて作業ダイヤのない日勤勤務をさせ、同月一五日には「勤務の取扱いについて」と題する布告をし、診断書を提出して病欠扱いになっても、「突発休」という事実は消えず、虚偽の事実が判明したとき「不参」扱いをすることなどを通告したこと、実際にも年休を認めず「不参」扱いして賃金カットをしたことは認める。その余の事実は否認する。なお、同駅では、従来から、分会員が管理職員に対し、威圧を行うなどしていわゆる「ポカ休」を続発して、管理職員がその代替勤務に就かざるをえない状態に陥らせるなど職場秩序を紊乱する行為が多発していたため、被告の東京北鉄道管理局が「対策班」を派遣してその実態調査に乗り出し、同駅における職場秩序の確立を期待したものである。

同(六)のうち、分会が組合活動に重大な制約を加えることになるなどとして信号所新設に反対したことは知らない。分会が昭和四六年ころから昭和五三年三月ころまでの間に種々の合理化政策に反対し多くの成果を勝ち取ったとの点は争う。その余は、概ね認める。

同(七)のうち、被告が、昭和五二年二月一〇日、田崎作三を同駅駅長に発令したこと、従来同駅では、連休時などの乗客の殺到が予想される場合には、要員問題については、現協において駅当局と分会が協議していたこと、同年三月一一日に開催された現協で、分会が、同月一九日から同月二一日まで連休時の要員増を要求したこと、田崎駅長が、同月二八日には、「休暇関係申込簿の適正な運用方について」と題する書面により、休暇の申込みに休暇の使用目的を記入することを指導したこと、各職につき、一日当たりの休暇割当人員を設定し、その割当人数を超えた場合には時季変更権を行使することがありうることを決定したこと、同年五月一一日には、「職場規律の確立等について」と題する書面により、年休の申込みに対し、管理職員による勤務の代行はしない、管理職員がその職務を代行した場合には「不参」又は「事故」とする、分会が勤務の代替の呼出及び勤務変更に応じる態勢にならない限り年休を認めないと通告したこと、右の「職場規律の確立等について」と題する書面により、当日勤務者及び駅長が許可した者以外の駅構内への立入り、施設利用の禁止を通告したことは認める。その余の事実は否認する。なお、同年三月一九日から同月二一日までの連休時には、昭和五〇年、同五一年と同様に要員増を実施しなかったのであり、また、同駅における現協は、被告の職員局労働課長と国労中央執行委員間で合意した「議事録確認」違反し、勤務の内外を問わず職員が傍聴し、管理職員に対し、暴言を浴びせるなどして組合の主張を貫徹しようという状況であったため、田崎駅長は、現協を妨害するようであれば、傍聴を遠慮してもらうと発言したのであり、更に、同駅における前記のような職場秩序の紊乱を正すため東京北鉄道管理局の派遣した「対策班」の指導のもと休暇の申込み方の適正な運用等を図り、職場規律の確立を期したものである。

同(八)の項は争う。本件各懲戒免職処分は、原告らの暴行、暴言等の一連の行為に対して行われたものであるところ、それらの行為は、労働組合の行為とは到底評価できないものであって、不当労働行為が成立する余地はない。

2  2の項は争う。

日鉄法三一条一項に違反した職員に対し、懲戒権者である被告の総裁が、所定の懲戒処分である免職、停職、減給、戒告のうちいずれの処分を選択すべきかを決定するにあたっては、企業秩序の維持確保という見地から、懲戒事由に該当する行為の態様、原因、動機、状況、結果は勿論のこと、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響など諸般の事情を考慮に入れて判断するのであるが、その決定については懲戒権者である総裁に裁量が認められている。

したがって、処分が懲戒事由に該当する行為との対比において甚だしく均衡を失するなど社会通念に照らし合理性を欠くと認められる場合でない限り、それは裁量権の範囲内にあるものとしてその効力は否定されることはない。

これを本件についてみるに、原告佐藤の暴行行為は前記のとおり他の職員の勤務時間中職場内でしかも執務中の上司に対し再三にわたり個人的にあるいは多数の威を借り執拗に罵声を浴びせ、手拳で胸部を殴打し、足蹴りにし、更には「フライ旗」で頭部を殴打するなど悪質極まりないものである。

また、原告高橋も原告佐藤と同様に同原告らとともに職場内で再三にわたり執務中の上司に対し大声で罵声を浴びせ上司の上着のボタンを引きちぎるなどの暴行を加え、包丁を駅長に突きつけて脅迫まがいの行為をするなど、被告の職員としてあるまじき行為を行ったのである。

原告両名のこれらの諸行為は極めて悪質かつ重大であり職場規律を乱すのみならず被告の企業秩序をも破壊するものである。しかも、被告のような公共企業体にあっては、職員の廉潔性の保持は国民からの要請でもある。

しかるに、原告両名の右行為は、国民からの期待を裏切り、被告の社会的評価を著しく低下させ、被告の円滑な企業運営に支障をきたすおそれも十分考えられるものであって、職員として不都合な行為であることは論をまたない。

このように、被告の本件懲戒免職処分は社会通念に照らし合理性を有し、被告の懲戒権の範囲内にあって相当な処分である。

第三証拠関係(略)

理由

〔以下、控訴審で補正された部分の横に「―」を付し〔 〕内に補正内容を示した―編注〕

一  請求原因1及び2の項の事実はすべて当事者間に争いがない。〔―の次に「(被控訴人が日本国有鉄道の地位を承継したことについては、被控訴人において明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。)」を加える〕

二  そこで、本件各懲戒免職処分事由の存否について検討する。

1  まず、次の事実は当事者間に争いがない。

原告佐藤の関係につき、(一)昭和五二年三月二五日午前一一時一五分ころ、滝田助役(「上り二」勤務)が上り運転事務室で大貫助役(「上り一」勤務)の取り扱っていた列車扱い業務を引き継いだこと、右勤務は滝田助役にとっては同月一六日に黒磯駅に赴任して以来初めての本務であったこと、当日第一三四列車が予定より遅れて同駅に到着したこと(但し、遅延の時間を除く。)、原告高橋及び同駅運転係相馬実が同助役に対し「一三四列車は到着したのか。」「遅れを黒板に書かないのか。」「そのようなことは見習中に指導されなかったのか。」などといったこと、そこへ十数名の同駅職員が上り運転事務室に集まってきたこと、大鷲首席助役が午後零時四五分ころ同事務室に来たこと、同首席助役がその場にいた者らに対し「今日初めての本務だから多少のことは理解してもらわないと仕事がうまくいかなくなる。」といったこと。(二)原告佐藤が、同年同月二七日午前八時五〇分ころから同九時一〇分ころまでの間、上り運転事務室で滝田助役とやりとりをしたこと、その際、原告佐藤らが、同助役の身体に触れるなどし、同助役が「暴力はよせ。」などと叫んだことがあったこと、(三)原告佐藤(「操テ一」勤務)が、同年同月二八日午後四時〇七分ころ、機関車を誘導して同駅下り四番線に留置してある客車に連結する際、同機関車の「肘コック」を破損させる事故を起こしたこと、(四)同年四月八日齋藤助役(代替として「改日A」勤務)が、原告高橋(「動昼」勤務)から同人が先に申し込んだ休暇の取扱いについて聞きたいことがあるので勤務終了後上り運転事務室に来るようにとの電話を受けたこと、そのため同助役が同事務室に赴いたところ(但し、その時刻を除く。)、原告高橋から同人が申し込んだ同年同月一〇日の休暇取得に関して代替勤務の手配を行ったのかと質されたので、同助役はその手配をしてみたが代替勤務者を確保できず業務に支障を生ずるため同年同月二〇日を休暇とする旨説明し、原告高橋が同助役に「四月一〇日に休んだらどうなる。」と尋ねたこと、(五)同年同月一三日点呼終了後職員らが田崎駅長に対し原告高橋の欠勤の件で話し合いを行おうとしたこと、当日駅長が原告高橋の欠勤は「不参」扱いにすると発言したこと、(六)同年同月一八日の午前の点呼終了後、原告佐藤らが大鷲首席助役とやりとりをしたこと、(七)同年同月二一日職員らが原告高橋の欠勤の件について大鷲首席助役とやりとりをしたこと、(八)同年同月二四日、大鷲首席助役が「管理体制の強化である。」と述べたこと、(九)同年同月二五日〔「二六日」と訂正〕午前八時二五分ころ、原告佐藤(前日「操ヤ三」勤務)が「わけのわからねえ者が来た。」「なんだい。」「ぼっこしにきたんか。」「何のために来たんだ。首席説明しろ。」と発言したこと

原告高橋の関係につき、(一)同年同月一三日職員らが原告高橋の欠勤の件で田崎駅長や大鷲首席助役と話し合おうとしたこと、同駅長が原告高橋の欠勤は「不参」であるといったこと、同駅長が「腹切りもんだな。」と発言し、加藤一三郎が「誰か包丁(刃物ではない。)を持ってこい。」といったこと、原告高橋が果物ナイフ(包丁ではない。)を持ち出しそれを同駅長に向けたこと、同駅長はそれを受け取らなかったこと、同原告が同駅長の上衣のポケットにそれを刃先を下にして入れ、「不参を取り消せ。」といったこと、(二)原告高橋が同年五月三日の点呼の際、大鷲首席助役の横に行き、覗き込むようにして顔を近づけたこと

2  前記争いのない事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められ、この認定に反する(証拠略)は前掲証拠と対比してにわかに採用し難く、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告佐藤の関係

(1) 昭和五二年三月二五日の非違行為

昭和五二年三月二五日午前一一時一五分ころ、黒磯駅の滝田一司助役(「上り二」勤務)は、同駅構内の上り運転事務室で大貫力助役(「上り一」勤務)が取り扱っていた列車扱い業務を引き継ぎ勤務に就いた。

右勤務は滝田助役にとっては同年同月一六日同駅に赴任して以来初めての本務であり、同助役は午前一一時二七分に予定より約八分遅れて同駅に到着した第一三四列車(仙台駅発黒磯駅着)の旅客案内放送等を行った。

ところで、同駅では、上り列車に遅延があるときは、上り担当助役において、信号所からの遅延の情報を関係職員に伝達し、作業変更等の指示を行う体制であり、実際、大貫助役は、第一三四列車に関し白河駅の時点の遅延の状況を関係職員に伝達していたが、その後、同助役から業務を引き継いだ滝田助役は、白河駅以降の遅延の状況を関係職員に伝達しなかった。

しかしながら、大貫助役が右のように白河駅での遅延の状況を関係職員に伝達していたことなどから、第一三四列車の解放作業は支障なく行われた。

黒磯駅分会員で同分会青年部部長であった原告高橋(「動昼」勤務)及び運転係相馬実(「操昼二」勤務)は、このように新任の滝田助役が列車の遅延状況を関係職員に伝達しなかったことなどから、同助役にいやがらせをすべく、午前一一時三〇分ころ、上り運転事務室に入って来て、既に第一三四列車が到着して同列車の機関車解放作業が終了していたにもかかわらず、勤務中の同助役に対し「一三四列車は到着したのか。」「遅れを黒板に書かないのか。」「そのようなことは見習中に指導されなかったのか。」などと詰問したが、そこへ総勢十数名の分会員らがつぎつぎと同事務室内に集まり、着任間もない同助役に対し「まだ挨拶を受けていない。」「生意気だ。」などとこもごも罵声を浴びせた。

更に、黒磯駅分会員で黒磯地区青年婦人協議会議長であった原告佐藤(「非番日」)と原告高橋は、午後零時五分ころから同一時一五分ころまでの間、同事務室内で同助役を肘や肩でこづいたり、手を引っ張るなどの執拗な暴行を加えるとともに、「いつ助役になったのだ。」「俺はまだ挨拶を受けていねえ。」などと大声で威嚇を繰り返すなどした。

同日午後零時四五分ころ同分会書記長の星野惠司に呼ばれて同事務室に駆けつけた同駅首席助役大鷲茂男は、原告佐藤のほか数名の者らが滝田助役を取り囲んでいたため、「今日は初めての本務だからよろしく頼む。」といってその場を治め〔「収め」と訂正〕ようとしたが、原告佐藤はかえって「馬鹿野郎。こんな助役と仕事はできねえ。」などと午後一時一五分ころまでの間、他の分会員らとともに上司に対し罵声を浴びせ続けた。

(2) 同年同月二七日の非違行為

同年同月二七日午前九時前ころ、点呼終了後、上り運転事務室において、滝田助役(「上り二」勤務)が勤務に就いたところ、原告佐藤(「操昼一」勤務)が同助役に近づきいきなり「お前、今日は仕事ができるんかよ。昨日(同月二五日のこと)は仕事ができねえで帰ったじゃねえか。今日も見習いで徹夜しろ。」「プロならプロらしく仕事をやれよ。」などと因縁をつけて威迫し、同助役が「やるだけのことはやってみる。」と返答したのに対しても「何だ。その口の聞き方〔「利き方」と訂正〕は、開き直るんじゃねえよ。」「今日は自信があるんだな。」などと大声で怒鳴りながら同助役の襟首をわし掴みにし、襟首を強く持ったまま右手拳で同助役の左胸を強く殴打するなどし、更に同助役が「暴力はよせ。」といったのに対しても「何が暴力だ。」といって同助役の左足を蹴るなど、午前九時一〇分ころまで執拗に暴行を加え続けた。

(3) 同年同月二八日の非違行為

同年同月二八日午後四時七分ころ、原告佐藤(「「操テ一」勤務)が機関車を誘導して同駅下り四番線に留置してある客車に連結する際、同機関車の「肘コック」を破損させる事故を起こした。

大鷲首席助役は右事故の直後、同駅構内で、原告佐藤に出会ったので、「どのような状態だったのか。」「連結の際、わからなかったのか。」と事故の状況について問い質したところ、原告佐藤は「そんなことわかんねえ。てめえらが悪いんだ。」と怒鳴る始末であった。

そこで、同助役が原告佐藤に対し、「仕事はきちんとやってもらわなければ困る。」と注意したが、原告佐藤はかえって「何だ、この野郎。俺は悪くねえんだ。」「何をいってるんだ。」などと怒鳴り、上司の注意を聞かず何らの反省も示さなかった。

(4) 同年四月八日の非違行為

同駅では、休暇の取得に関しては、前月二〇日までに職員が休暇関係申込簿に当月分の休暇の申込みをし、前月二五日ころまでに、担当助役において、それに基づき勤務割当、公休・非休・祝祭日休・代休・年休等の休暇の付与を決定して勤務割予定表を作成してこれを公表し、当該勤務日の四日前にその勤務割が確定するという体制がとられていた。

ところで、原告高橋は、同年四月一〇日午前一〇時に福島県白河市内で行われる知人の結婚披露宴に招待されていたため、同月分の休暇の申込みに際しては、同月一〇日を夜勤の明番、翌一一日を公休として休暇を申し込んだ。

しかし、原告高橋は、右披露宴に出席するには明番よりも休暇にした方が一層都合がよく、しかも、当時、同駅では勤務割表が公表されてからも休暇・勤務の変更を申し出れば代替勤務者を確保し、それができなければ管理職員が代替勤務に就くという状態であった(しかし、被告においてこれに法的拘束力を認める規範意思があったとまでは認められないから、右のような労使慣行が成立していたとはいい難い。)ことから、同月四日になって、夜勤の点呼終了後、勤務割当担当の齋藤保三助役に同月一〇日の勤務を変更して休暇にして欲しい旨申し出、その際、同助役からその理由を尋ねられたが、理由をいう必要はないとしてそれを明らかにはしなかった。

そこで、同助役は、同駅の動車運転勤務は一日に三名必要であり、原告高橋に休暇を与えるには同原告を除く同係五名のうち勤務割当予定表で同月一〇日を公休として指定されている阿部圭助ら三名の勤務を変更する必要があったところから、右三名に同日の公休を変更して出勤して欲しいと勤務の調整を要請したが、右三名はいずれもこれに応ぜずあるいは難色を示したため、同助役において、原告高橋の代替勤務者の手配はできないものと判断した(なお、同助役が右三名に同月九日の夜勤から勤務の調整を依頼すれば、結果的には、代替勤務者が確保できなくもなかった。)。

同月八日、代替として「改日A」の勤務に就いていた齋藤助役は、原告高橋(「動昼」勤務)から先に申し込んだ休暇の件について聞きたいことがあるので勤務終了後上り運転事務室に来るようにとの電話を受けたため、午後四時四〇分ころ、同事務室に赴いたところ、原告高橋から同月一〇日の休暇の取得に関して代替勤務の手配は行ったかと質されたので、同助役はその手配をしてみたが代替勤務者を確保できなかった旨説明した。

しかし、原告高橋は、どうしても同月一〇日に休暇が欲しいといい、齋藤助役から再三にわたりその理由を聞かれ、ようやく前記の披露宴出席の件を明らかにして、同日に年休を申し込むといったが、同助役は、前記のように代替勤務者を手配できない状態では業務に支障を生ずるとして時季変更権を行使し同月二〇日を年休にする旨説明した。

ところが、原告高橋は「馬鹿なことをいうな。年休はいつでもとれるんだ。」と詰問した。

そこで、同助役は同日に休むと無断欠勤(「事故」か「不参」)になる旨説明したところ、原告高橋のみならず同事務室にいた原告佐藤(「操ヤ四」勤務)までもがともに大声で「馬鹿野郎。」「それはひどかんべ。」などと怒鳴り、午後五時一五分ころまで執拗に抗議をし続けるとともに、原告佐藤において同助役の上着の襟をわし掴みにして上下に三、四回強くゆすりながら突き上げてねじるなどの暴行を加えた。

(5) 同年同月一三日の非違行為

ところで、原告高橋は、前記のように、代替勤務者を確保できない状態にありながら、同月九日の徹夜勤務及び翌一〇日の明番勤務を欠勤し、管理職員がその勤務を代行した。

そして、同月一〇日、中村隆らから原告高橋の欠勤の処理について問い質された大鷲首席助役は、それを「事故」扱いする旨述べた。

ところが、同月一三日午前八時三六分ころ、上り運転事務室内において、点呼終了後、田崎作三駅長や大鷲首席助役に対し、原告佐藤(「操ヤ一」勤務)、〔―部分を削除〕原告高橋(「動ヤ」勤務)ほか数名の分会員らが、同原告の前記欠勤の取り扱いをめぐり「どうなんだ。馬鹿野郎。」などとこもごも罵声を浴びせるなどしたところ、同駅長はそれを「不参」扱いすると言明したため、分会員らは激怒し、原告佐藤において〔「ほどなく右事務室に赴いた控訴人佐藤(「操ヤ一」勤務)もこれに加わり、」と訂正〕「ふざけんな。この野郎。」と怒鳴りながら同助役の右腕を強く掴むなどしたうえ、同事務室内に置いてあった赤、青二本巻きの「フライ旗」で同助役の頭部を二回続けて殴打したうえ、「なにい痛えんか。」「まだ生きていんか、この野郎。」などと怒鳴り続けた。

なお、同駅では、これまで、休暇を申し込み代替勤務者が確保できないためそれが承認されないにもかかわらず欠勤した場合に、「事故」あるいは「不参」として処理されたことはなく、また、増渕敏久は本件直前の同月三日の日勤について、荒川清は本件直後の同月二三日の夜勤、同月二四日の明番について、それぞれ休暇を申し込み代替勤務者を確保できない状態で欠勤し、管理職員がその勤務を代行したが、いずれも年休として処理された。

(6) 同年同月一六日の非違行為

同年同月一六日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、前記の原告高橋の欠勤の件について、数名の分会員らが「不参を取り消せ。取り消さないのか。」などと怒号し、大鷲首席助役が静かにするように説得してもこれを聞き入れなかった。

そして、同日午前一〇時ころ、原告佐藤(「操ヤ二」勤務)が同事務室に入って来て同助役に対し「不参を取り消せ。」と怒鳴ったが、同助役が「取り消すことはできない。」と断わったため、原告佐藤は「この野郎。」「取り消せ。」などと怒鳴りながら同助役に対し肩や肘で身体を押し付けるなどして同事務室内の長椅子に座らせ、その右足のかかとの内側を足で蹴るなどの暴行を加え、同助役が「暴力はよせ。」といったにもかかわらず、「何いってんだ。この野郎。」などと怒鳴るなどした。

(7) 同年同月一八日の非違行為

同年同月一八日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、原告佐藤(「操テ三」勤務)は他の数名の分会員らとともに前記の原告高橋の欠勤の件について、大鷲首席助役に対し「何で不参を取り消さねえのか。」「馬鹿野郎。」などと怒鳴り続けた。

そこで、同助役は代替勤務を依頼したが断わられた旨説明したが、原告佐藤らはこれを聞き入れず、勤務時間中の同助役をつかまえて「馬鹿野郎。」「こけ野郎。」などと罵声を浴びせ続けた。

(8) 同年同月一九日の非違行為

同年同月一九日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、原告佐藤(「非番日」)は大鷲首席助役に対し前記の原告高橋の欠勤の件について「話し合いできないか。」と申し入れたが、同助役からそれを断わられたため、「なんだ、その口の聞き方〔「利き方」と訂正〕は。この野郎。」と大声で怒鳴り、更に、他の数名の分会員らとともに同助役を取り囲み、右の件をめぐり約一時間〔「約四〇分」と訂正〕にわたり「馬鹿野郎。」「不参を取り消せ。」などと罵声を浴びせ続けた。

(9) 同年同月二一日の非違行為

同年同月二一日午前八時四〇分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、分会員らが、大鷲首席助役に対し、原告高橋の欠勤の件につき「不参」処理はおかしいといい、同助役がその件は「不参」が正しいのだから「不参」で処理した旨説明したのにもかかわらず、原告佐藤(「操ヤ一」勤務)らはこれに納得せず、午前八時五五分ころまでの間こもごも「不参を取り消せ。」「何で取り消さないんだ。」などと同助役に罵声を浴びせ続けた。

(10) 同年同月二四日の非違行為

ところで、同駅では、前記のように分会員らによる管理職員に対するいやがらせが多発していたほか、休暇の申し込みの際に申込者側で一か月間の勤務をも一方的に指定する者がいて勤務割の決定に支障を生じさせ、また、勤務・休暇の変更に対しても容易に代替勤務の調整に応じないうえ、他の駅に比し、いわゆる「突発休」が多く、管理職員がその勤務の代行を余儀なくされて疲幣する等の職場規律が乱れていたため、被告は、同月二二日付で同駅に今井沖ら助役四名を増員発令するとともに同月二五日東京北鉄道管理局宇都宮運輸部管理課長ら九名からなる「対策班」を派遣し、いやがらせ行為の防止、休暇の申込みについての指導を行うなど職場規律の確立を図った。

同月二四日午前八時五〇分ころ〔「八時五五分ころ」と訂正〕、上り運転事務室において、点呼終了後、原告佐藤(「操昼一」勤務)は大鷲首席助役に対し「新しく助役が発令になっているが何をするんだ。」といったため、同助役が管理体制の強化である旨説明したところ、原告佐藤は「なんだこの野郎。管理体制の強化だとお。この野郎。」などと大声で怒鳴り、他の分会員らも「管理体制の強化とはどういうことだ。説明しろ。」などと怒鳴り午前九時三〇分ころまでの間〔―部分を削除〕執拗に同助役に迫った。

(11) 同年同月二六日の非違行為

同年同月二六日午前八時二五分ころ、田崎駅長と大鷲首席助役が前日同駅に着任した今井沖助役ら三名の者とともに上り運転事務室へ点呼のため赴いたところ、「操ヤ三」勤務中の原告佐藤はいきなり大声で「わけのわからねえ者が来た。」「ぼっこしに来たんか。」などと怒鳴り、更に数名の者らとともに「何んのために来たんだ。首席説明しろ。」などと怒鳴り続けるなどし、点呼開始時刻を約五分間遅延させた。

(二)  原告高橋の関係

(1) 昭和五二年三月二五日の非違行為

前記(一)の(1)と同一。

(2) 同年四月八日の非違行為

前記(一)の(4)と同一。

(3) 同年同月一三日の非違行為

前記のとおり、同月一三日午前八時三六分ころ、上り運転事務室において、点呼終了後、原告高橋の欠勤の件をめぐり原告両名ら〔「控訴人高橋ら」と訂正〕数名の分会員らが「どうなんだ。馬鹿野郎。」などとこもごも罵声を浴びせたところ、田崎駅長がそれは「不参」であると言明したため、分会員らは激怒し、原告高橋は「なに。」と怒鳴り、他の者らも「何いってるんだ。」「不参だとお。」などとこもごも罵声を浴びせた。

そして、同駅運転係の加藤一三郎は齋藤助役らが「事故」にするといったではないか、同助役の代替勤務者の手配に問題があるのではないかなどと同駅長に問い質したところ、同駅長はそれを否定し、もしそのようなことがあれば、「腹切り」ものであるといった。

そこで、原告高橋は引き継ぎを受けようとして上り運転事務室の入口にいた齋藤助役(「上り一」勤務)に対し、いきなり「おまえが問題を起こしたんじゃねえか。」と怒鳴り右手で同助役の上着の左襟を掴んで引っ張るなどして同駅長の前まで連れ出し(この際同助役の制服のボタンがとれた。)、同助役に代替勤務者の手配について質したところ、同助役が前記のとおり阿部ら三名に出勤を要請したといったため、それでは不十分であるとして、加藤は「駅長が腹を切るといっているから誰か刃物を持って来い。」といい、それに応じて、原告高橋が刃渡約一五センチメートル、長さ約二六センチメートルの包丁を持ち出して来て、同駅長に対しその刃先を上下に振りながら突きつけて「早く切れ。」「俺は腹を切るのを見たことがねえので早く見せろ。」などと脅迫的言辞を弄してすごんだ。

同駅長は右包丁を元へ戻すようにいったが、原告高橋は大声で「腹を切るまで待つ。」となおも執拗に脅しながら同駅長のポケットに右包丁の刃先を下にして押し込み、更に他の数名の者らとともに午前一一時三〇分ころまで大声で「不参を取り消せ。」などとこもごも罵声を浴びせた。

(4) 同年五月三日の非違行為

同年五月三日午前八時三〇分ころ、上り運転事務室において、原告高橋(「日特ソ」勤務)は起立して点呼を受けなければならない立場にありながら、自己の勤務には「駅報」が不要であるにもかかわらず、大鷲首席助役の左側に近寄り同助役の「駅報」を覗き込むようにして顔を近づけるなどの執拗ないやがらせを行ったため、同首席助役が「何をしているんだ。後に下がって点呼を受けろ。」と命じたが、これを無視して同首席助役の前をぶらつくなどして点呼終了時である同八時三七分ころまでの間点呼を受けず上司の命令に従わなかった。

叙上認定の事実によれば、被告が本件各懲戒免職処分の事由として主張する事実は、概ねこれを認めることができる。

ところで、原告らは、右認定事実のうち、原告佐藤の昭和五二年三月二八日、同年四月一八日、一九日、二一日、二四日、二六日、原告高橋の同月八日、同年五月三日の各非違行為は、原告らに対する懲戒処分通知書に特定、明示されておらず、弁明弁護の手続においても争点となっていなかったのであるから、これらの非違行為をもって懲戒事由とはなしえない旨主張するので、この点について更に検討する。

まず、原告佐藤の同年三月二八日、原告高橋の同年五月三日の各非違行為についてはしばらく措き、原告佐藤の同年四月一八日、一九日、二一日、二四日、二六日、原告高橋の同月八日の各非違行為についてみるに、原告佐藤の右非違行為は、原告高橋の欠勤問題をめぐって発生したものあるいはその欠勤問題などに関して惹起した職場秩序の乱れに対する対応策として被告がとった助役の増員措置をめぐって発生したもので、同年三月二五日、二七日、同年四月八日、一三日、一六日の各非違行為と密接な関連性があり、また、原告高橋の同月八日の非違行為は同原告の休暇の申込みをめぐって発生したもので同月一三日の非違行為の前提をなすという意味でそれと密接に関係するもので、別紙一の事由書掲記の「6 このほか、同年三月下旬から同年四月下旬までの間、数次にわたり、勤務中の同駅助役らに対し、他の数名の者とともにこれを取り囲み、大声で怒鳴りつけ、ば声をあびせるなどして、いわゆる吊るし上げ、いやがらせ行為を行った。」、同二の事由書掲記の「3 このほか、同年四月上旬から同年五月上旬までの間、数次にわたり、勤務中の同駅助役らに対し、他の者らとともに大声で怒鳴りつけ、ば声をあびせるなどして、いわゆる吊るし上げ、いやがらせ行為を行った。」という記載(この別紙一、二各事由書記載の事由と同一の事由が記載された懲戒処分通知書が原告らに手交されていることは、当事者間に争いがない。)の中に含まれていることが被処分者である原告らに容易に理解できるから、防禦の機会を不当に奪うものでもないというべきであって、それらの非違行為を処分の事由とすることは当然に許容されるものと考えられる。

しかしながら、原告佐藤の同年三月二八日の非違行為は、原告佐藤の作業上の過誤に関するものでその動機は全く個人的なものであるうえ、その余の非違行為とは全く発生の経過を異にしており、また、原告高橋の同年五月三日の非違行為は、原告高橋が「駅報」の配布がないとして助役の「駅報」を覗くようにしていやがらせをしたというもので、その動機も一応個人的なものであり、罵声を浴びせたり暴行を加える等といった積極的な態様ではなく、この二つの非違行為のみは本件各懲戒免職処分の中核的事由である管理職員に対する集団的暴行等というその余の非違行為と対比して明らかに動機・態様・経緯等が異なっており、これらをも処分事由に含まれるとみるのは、前記の処分事由書の記載自体からは必ずしも容易ではないから、これが被告の就業規則上何らかの懲戒事由に該当するとしても、弁明弁護手続において殊更この点が争点となったと認めるに足りる証拠がない本件においては、これらの非違行為を本件各懲戒免職処分の事由とすることはできないというべきである(もっとも、これらの事情も本件各懲戒免職処分を決するにつき情状として考慮しうることはいうまでもない。)。

そして、右の原告佐藤の昭和五二年三月二八日、原告高橋の同年五月三日の各非違行為を除く前叙認定の各非違行為は、「日本国有鉄道の定める業務上の規定〔「規程」と訂正〕」(日鉄法三一条一項一号)である被告の就業規則の「著しく不都合な行いのあったとき。」(六六条一七号)に該当することが明らかである。

三  次に、本件各懲戒免職処分が、不当労働行為に該当するか否かについて検討する。

前叙認定事実によれば、黒磯駅では、分会員らによる管理職員に対するいやがらせが多発していたうえ、管理職員が頻発する「突発休」の代替勤務に就かざるをえなくなって疲弊する等といった状況にあったため、被告において、職場規律の確立を図るべく、〔―の次に「前記認定の」を加える〕「対策班」の派遣、助役の増員等を行ったのであり、原告高橋の欠勤を「不参」として処理したのも、その一環として職場規律の確立を図る意図からされたものであることが〔「意図があったことは」と訂正〕明らかであるが、他方、同駅では原告高橋の欠勤が「不参」として扱われるまで、休暇を申し込んで代替勤務者の手配がつかないにもかかわらず欠勤して管理職員がその代替勤務に就いた場合でも「事故」や「不参」として処理されたことはなく、かえって、本件の直前あるいは直後、増渕敏久や荒川清はそれぞれ休暇を申し込んで代替勤務者が確保できない状態で欠勤し、管理職員がその代替勤務に就いたが、いずれも年休として処理されたこと、原告高橋の欠勤については四月一〇日大鷲首席助役が「事故」扱いする旨言明していたにもかかわらず、同月一三日田崎駅長が突然それを履し「不参」として処理する旨述べたこと、本件懲戒各免職処分の当時、原告佐藤は黒磯駅分会員であって黒磯地区青年婦人協議会議長の地位にあり、原告高橋は同分会員であって同分会青年部部長の地位にあり、いずれも組合の活動家であったこと等に照らせば、被告が原告高橋の欠勤を「不参」として処理したことには、職場規律の確立の意図とともに組合嫌悪の意思もが働いており、ひいて、原告両名に対する本件各懲戒免職処分にあたって〔―の次に「右と同様の意思が働いていたものとして」を加える〕も全く組合嫌悪の動機がなかったとはいえないのではないかとの疑念も払拭できないところである。

しかしながら、翻って考えるに、本件各懲戒免職処分は、前叙認定の非違行為を理由としてされているところ、それら非違行為は、勤務中の管理職員に対し、繰り返し執拗に罵声を浴びせ、手拳で胸部を殴打し「フライ旗」で頭部を殴打するなどの暴行を加え、あるいは刃物を用いて腹を切るように威迫するなど管理職員に対する坑議という範囲を著しく越えた悪質極まりないものであって、企業秩序維持の観点から看過することができないものであることは明らかであり、これは、原告らが組合員であるか否か、また原告らが組合内部でどのような地位にあるかを問わず、懲戒免職処分に相当するものであり、仮に原告らが主張するように組合嫌悪の動機が存在したとしても、〔「たとえ、前記認定の程度において、控訴人高橋の欠勤を『不参』として処理した当時から組合嫌悪の動機が付随して存在したことを完全に否定しえないとしても」と訂正〕、本件各懲戒免職処分を決するうえでそれが決定的な動機になったとは到底いい得ないから、結局、不当労働行為は成立しないものといわざるをえない。

四  最後に、本件各懲戒免職処分が懲戒権の濫用に該当するか否かについて検討する。

日鉄法三一条一項は、職員が懲戒事由に該当する場合には、「総裁は、これに対し懲戒処分として免職、停職、減給、又は戒告の処分をすることができる。」と規定し、職員の懲戒について総裁の裁量権を認めているが、右の日鉄法の規定は処分の具体的基準を定めていないうえ、そもそも、懲戒は企業秩序を維持し、企業の円滑な運営を可能ならしめる一種の制裁罰であって、懲戒権者は、懲戒事由に該当する行為の態様、原因、動機、状況、結果、更には選択する処分が他の職員や社会に与える影響等諸般の事情を考慮し、企業秩序の維持を確保する見地から相当と判断した処分を決定すべきものと解されるから、右の総裁の裁量権の範囲も広く、総裁がその裁量権を行使して行った処分は、社会通念上合理性を欠くものでないかぎりその効力を否定できないというべきである(もっとも、免職処分は、職員たる地位を喪失させるという重大な結果をもたらすものであるから、前記の裁量権の行使にあたっても特に慎重な判断を要することはいうまでもないところである。)。

これを本件についてみるに、原告らの前記一連の非違行為は昭和五二年三月二五日に滝田助役が列車遅延の伝達等を行わなかったことや同年四月一三日田崎駅長が原告高橋の欠勤について大鷲首席助役が「事故」として処理する旨言明していたにもかかわらず突然「不参」として処理したことなどに端を発しており、それについては管理職員に全く問題がなかったわけではないが、それにしても、前叙認定の原告佐藤の非違行為は、勤務中の管理職員に対し、約一か月の間ことあるごとに繰り返し「馬鹿野郎。」などと罵声を浴びせ、手拳で胸部を殴打し、「フライ旗」で頭部を殴打する等の暴行を加えるなどしたというものであって、甚だ執拗で悪質であり、また、原告高橋の非違行為は、上り運転事務室内で多数の分会員らが激高し騒然としたなかで、駅長に対し刃物を突きつけて威迫するなどしたもので、加藤一三郎が「誰か刃物を持って来い。」といったことに呼応したものではあるとはいえ、一歩誤れば傷害等の重大な結果も発生しかねないような危険な行為に積極的かつ中心的に関わる等したもので、これまた悪質なものであることは論をまたず、原告らのこれらの行為は、管理職員に対する抗議という範囲をはるかに越えたもので企業秩序維持の観点からは到底看過しえないものというべきであり、原告らの行為により列車の運行等の業務に支障を生じたわけではないこと、原告らに他に処分歴がないこと(本件口頭弁論の全趣旨によってこれを認める。)、原告らの一連の非違行為に関与した分会員は中村隆が一〇か月間減給一〇分の一、加藤一三郎が六か月間減給一〇分の一の各懲戒処分を受けたほかは処分を受けていないこと(〈証拠略〉によってこれを認める。)等諸般の事情を斟酌し、懲戒免職処分が特に慎重な判断を要することを勘案しても、原告両名に対し懲戒免職処分をもってのぞむことはまことにやむをえないところであって、本件各懲戒免職処分は社会通念上著しく合理性を欠くものとはいい得ない。懲戒権の濫用であるとの原告らの主張は採用の余地がない。

五  よって、原告らの本訴各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、〔「棄却すべきである。」と訂正〕訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野澤明 裁判官 山田公一 裁判官 阿部潤)

別紙一

事由書

黒磯駅

佐藤吉男

1 昭和五二年三月二五日、一一時三〇分頃から約二時間にわたり、黒磯駅構内上り運転事務室において、勤務中の同駅助役を一〇数名の者とともに取り囲み、こもごもば声をあびせ、大声で怒鳴りつけるなどをし、その際、数名の者とともに足げりし、ひじ、肩で小突くなどして暴行を加えた。

2 同年同月二七日、八時四〇分頃から約三〇分にわたり、前記運転事務室において、勤務中の前記助役を他の数名の者とともに取り囲み、大声でば声をあびせるなどし、その際、襟首をつかみ、強いて椅子から立たせ、手拳で左胸部を殴打し、足部を足げりするなどの暴行を加えた。

3 同年四月八日、一六時四〇分頃前記運転事務室において、勤務中の同駅助役に対し、大声で怒鳴りつけながら、上着の襟をつかみ、数回ねじあげる等の暴行を加えた。

4 同年同月一三日、八時三〇分頃から約三時間にわたり、前記運転事務室において、勤務中の同駅首席助役を、他の数名の者とともに取り囲み、大声でば声をあびせるなどし、その際、同首席助〔「同首席助役」と訂正〕の右腕をつかみ、フライ旗で頭部を二回つづけて殴打し、更に「まだ生きているのか、この野郎」などと暴言をあびせた。

5 同年同月一六日、八時四〇分頃から約二時間にわたり前記運転事務室において、他の数名の者とともに、前記首席助役を取り囲み、大声で怒鳴りつけるなどし、その際、腕をつかんで強引に椅子に引き座らせ、右かかとを足げりするなどの暴行を加えた。

6 このほか、同年三月下旬から同年四月下旬までの間、数次にわたり、勤務中の同駅助役らに対し、他の数名の者とともにこれを取り囲み、大声で怒鳴りつけ、ば声をあびせるなどして、いわゆる吊るし上げ、いやがらせ行為を行った。

以上の行為は、職員として著しく不都合であるため。

以上

別紙二

事由書

黒磯駅

高橋英行

1 昭和五二年三月二五日一一時三〇分頃から約二時間の間、黒磯駅構内上り運転事務室において、勤務中の同駅助役を一〇数名の者とともに取り囲み、こもごもば声をあびせ、大声で怒鳴りつけるなどし、その際、数名の者とともに、ひじ、肩で小突き、更に、襟首をつかみ引きずるなどして暴行を加えた。

2 同年四月一三日八時三六分頃から約三時間の間、前記運転事務室において、同駅駅長、助役らに対して、他の数名の者とともに、これを取り囲み、こもごもば声をあびせ、大声で怒鳴るなどして、いわゆる吊るし上げを行なった。

その際、勤務中の同駅助役に対し、大声で怒鳴りながら、上着の襟をつかみ、強引に引っ張り、ボタンを引きちぎるなどの暴行を加えた。

また、同室において、同駅長に対し、包丁を持ち出して、「腹を切れ」などと言いながら、刃先を上下に振りながら突きつけ、更に、同駅長の上着の胸ポケットに同包丁を差し込むなどしておどした。

3 このほか、同年四月上旬から同年五月上旬までの間、数次にわたり、勤務中の同駅助役らに対し、他の者らとともに大声で怒鳴りつけ、ば声をあびせるなどして、いわゆる吊るしあげ、いやがらせ行為を行なった。

以上の行為は、職員として著しく不都合な行為であるため。

以上

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com