大判例

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宮崎地方裁判所 昭和43年(ワ)174号 判決

原告

宗教法人岩ケ瀬水神神社

右代表者

杉田清

右代理人

持永祐宣

被告

高島重敬

右代理人

川崎菊雄

主文

一、被告は原告に対し、別紙目録(二)記載の土地について昭和一六年二月二四日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一、原告の請求原因一項(三)中岩ケ瀬水神が昭和四三年六月二八日宗教法人として主務官庁より成立の認証を受けて法人格を取得したこと、同二項中被告の父緒方平兵衛が本件土地につき大正一〇年二月二四日所有権移転登記を受けたこと、同三項の事実(被告への相続登記)はいずれも当事者間に争いがない。

二、岩ケ瀬水神の歴史と原告神社の現況

いずれも成立に争いない甲一号証の一、二(宮崎県史蹟調査第一輯)、同二号証(日向郷土事典)、同三号証の一(水神宮寄付金〈昭和二六年度〉)、同三号証の二(岩ケ瀬水神宮ならびに橘稲荷神社改築寄付名簿〈昭和三三年六月二〇日〉)、同三号証の三(岩ケ瀬水神様について御協力をと題する書面)、同四号証(岩ケ瀬水神・橘稲荷神社改修に就てと題する書面)、同五号証(昭和三一年一月一九日付朝日新聞)、同一一号証(岩ケ瀬水神神社写真)、同一二号証の一・二(いずれも岩ケ瀬水神神社境内地所在碑写真)、証人広島ワヰ・同山崎幸子・同平石四郎(一・二回)・同新納梅松・同金丸茂一・同岡元早雄の各証言、原告代表者・被告各本人尋問の結果、検証・調査嘱託の各結果を総合するとつぎの事実が認められる。

(一)、岩ケ瀬水神は、遅くとも安政六年〈西歴一八五九年〉九月二四日(石塔碑文による)原告肩書住所地付近に創建されて以来「岩ケ瀬水神宮」の名称で付近の住民またことに船主・漁関係の人々から崇敬されて来た。

(二)、明治の末頃には、同水神は別紙物件目録〈略〉(一)・(二)・(三)に記載の各土地(別紙図面〈略〉に表示の②を順次直線で結んだ範囲内の部分)上に拝殿、鳥居、石塔(岩ケ瀬水神宮稲荷大明神と刻まれたもの)灯ろう、お百度石、井戸、せんだんの立木などをそなえていた。それらの位置関係は別紙図面に表示のとおりである。また別紙図面に表示のを順次直線で結んだ線にそつて小溝が流れており、その頃から同水神拝殿周辺の土地は子供の格好の遊び場となつていた。

(三)、大正一〇年二月二四日、被告の父緒方平兵衛(のち高島平兵衛と改姓)が本件土地(別紙図面に表示のを順次直線で結んだ範囲内の部分)につき所有権移転登記を経由したのに相前後して、同水神の拝殿が奥行二間・間口一間のものに改築された。

(四)、昭和一一年頃吾妻町の世話役である戸高安平は、本件土地の北西部分にあたる前記小溝に沿つて同水神の管理人住宅(木造・トタン屋根、三畳・四畳半・六畳)を建てた。同人の依頼を受けた金丸甚平は管理人として同所に居住して以来昭和一七年頃死亡するまでの間、同水神の管理・月一回の祭礼を行ない、同水神に対する氏子、信者からの供物、さい銭などを生計の一部に当てていた。

(五)、昭和一七年はじめ頃、本件水神周辺にある町内の世話人高島嘉一郎と戸高安平から右水神の管理を依頼された平石四郎は、神社拝殿・管理人住宅・境内等の管理にあたり、また小戸神社の神官に依頼して祭礼を維持していたが、それに要する費用は信者らの寄り合いによつて取り決められた。その頃本件土地の北西側(別紙図面に表示のを直線で結んだ部分)には一間おきに立てられた御影石の石柱に鉄棒のはめ込まれた鉄柵が設けられていた。

(六)、昭和二一年、本件水神の拝殿ならびに管理人住宅は台風で倒壊し、以来二六年に再建されるまでの間そのままになつていたが、その間も平石は本件土地を含む境内の清掃を怠らず、そこが子供の遊び場となつていたことなどから神社境内地としての体裁を失つていなかつた。ただ昭和二二・三年頃被告方の下宿人である岡元早雄が右管理人住宅敷地跡の一〇平方米程度の土地に野菜を植えた時期があつたけれども土地がやせていたため収穫もなく、ほどなくその耕作を止めた。

(七)、昭和二六年、平石は青年団などの協力のもとに宮崎市瀬頭町・松山町・吾妻町・出来島町の四地区の範囲にわたり寄付金を募り、それを建築資金として現在の岩ケ瀬水神の拝殿が完成し、以来現在に至るまで毎年七月三〇日に盛大な祭典を催している。なお別紙図面に表示のAむく立木はその頃平石によつて植樹されたものである。このような神社拝殿の造改築・祭典の施行などに必要な事項は、吾妻町、出来島町、松山町等の町会世話人らが神社運営委員会を構成して決議していた。

(八)、昭和三三年に行なわれた岩ケ瀬水神と橘稲荷大明神改築の際にも右委員会の決議によつて募金改築が取り運ばれている。

(九)、昭和三一年一月一六日吾妻町内の区長でもあつた平石を中心にして区民総出の勤労奉仕により、当時水神様の広場と呼ばれていた本件土地上にブランコ四基、シーソー二基、鉄棒三基が構築され、以来同地は神社境内地と付近の子供らの遊園地とを兼ねるようになつた。

(一〇)、ところが昭和四二年夏、被告は突然平石に対して、本件土地が被告の所有に属するから返還せよと申入れをし、平石に拒絶されるや、本件土地周囲に鉄条網を張りめぐらし、ブランコ等遊戯施設を引き抜いたが、それまで岩ケ瀬水神が本件土地を境内地として使用して来たことにつき異議を述べたことはなかつた。

(一一)、昭和四三年七月頃、原告神社の世話人である平石他四名の働きかけにより、別紙物件目録(一)に記載の土地所有名義人である金丸茂一と、同目録(三)に記載の土地所有名義人である富金原重治より右各土地につき原告神社名義に土地所有権移転登記を経由し、原告神社はその際金丸に金五万円を支払い、富金原には同人が他に有していた負債を立替払いした。

(一二)、昭和四六年六月四日当時における原告神社の拝殿ならびに鳥居などの付属施設、遊戯施設、樹木等の位置関係は別紙図面に表示のとおりであつて、同図面に表示の②を順次直線で結んだ範囲の土地は一体として原告神社ならびに稲荷大明神の境内地を形成している。

(一三)、本件提訴に至るまでの間、前記町内世話人らによる再建・改築の際にも、岩ケ瀬水神が元村組中の共有に属するとの主張がなされた形跡はない。

三、岩ケ瀬水神の法主体性

前項で認定の事実、とりわけ明治の末頃には、同水神が拝殿・鳥居・石塔・灯ろう・お百度石・せんだんの木などをそなえていたこと、昭和一一年頃には同水神周辺の町会世話人らによつて選任された管理人が右世話人の一人から寄進を受けた住宅に居住して右神社財産の管理・祭礼を行なつていたこと、昭和一七年頃にはそれに要する費用の工面など信者らの寄り合いにより取り決められていたこと、昭和二六年に行なわれた神社拝殿の再建、その頃から行なわれている年一度の祭典、同三三年の右改築などを実施するのに必要な事項は付近町会世話人らの構成にかかる神社運営委員会によつて取り決められ、それらに要する経費は付近町内住民らの寄付によつてまかなわれてきたことなどを総合すると遅くとも大正一〇年二月二四日頃から昭和四三年六月二八日に法人格を取得するまでの間、同水神は固有の祭祀施設として前記のような財産を有し、地域住民の崇拝を背景に付近町内の世話人らによつてその管理・運営・それに要する財源の確保がなされてきたことを推認することができるから、付近一帯の地縁的な民俗信仰を基盤に伝承されてきた一種の財団的性格を有する祭祀施設として前後連続一貫した独立の権利主体であつたとみることができる。

証人金丸茂一の証言中、同水神が元村組中の共有に属する旨の部分は、前記認定のとおり本件提訴に至るまでの間そのような主張がなされた形跡もないこと、前記のような同水神の管理・運営態様にてらしてにわかに採用し難い。

四、岩ケ瀬水神の本件土地占有状況

前記二項で認定の事実、とりわけ明治の末頃には別紙図面表示のを順次直線で結んだ線にそつて小溝が流れており、拝殿にかけての一帯の土地が付近の子どもたちの遊び場になつていたこと、本件土地の南端にあたる右図面表示のを直線で結んだ線の南側に近接して井戸・石塔・灯ろうなどがあつたこと、昭和一一年頃から昭和二一年に台風で倒壊するまでの間本件土地上には岩ケ瀬水神の管理人住宅があつたこと、昭和二六年に同水神が再建されるまでの間も本件土地が神社境内地としての体裁を失つていなかつたこと、その頃管理人によつて本件土地上に植樹がなされていること、昭和三一年吾妻町内区民の勤労奉仕により本件土地上に子供の遊戯施設が構築されたこと、昭和四六年六月四日当時別紙目録(一)・(二)・(三)に記載の各土地は一体として原告神社ならびに稲荷大明神の境内を形成していることなどを総合すると、岩ケ瀬水神は遅くとも大正一〇年二月二四日以来現在に至るまで祭祀・管理・崇敬者(いわゆる氏子)の礼拝・享受など宗教的活動・民俗的生活により本件土地を境内地として占有し続けてきたことを推認することができる。

五、次に岩ケ瀬水神の右占有につき所有の意思の有無を検討するに前記二項で認定の事実によれば、同水神の右占有は民俗的宗教として独自に開始せられたもので本件係争の発端である昭和四二年夏まで本件土地が同水神の境内地として使用されて来たのに、被告をはじめ何人からもその使用につき異議がなかつたことが認められるし、証人平石四郎の証言(第一、二回)によれば同人ら管理人たちは本件土地が信者から同水神に寄進されたものと信じていたことなどを総合すると、同水神の本件土地の占有は所有の意思をもつてなされたものというべきである。

なお、原告神社は境内地として一体の中にふくまれる別紙目録(一)・(三)に記載の各土地につき所有権移転登記を経由した際、金丸茂一に金五万円を支払い、あるいは富金原重治の債務を立替払いしているけれども、右立替払いの詳細は不明であるし、金丸に支払われた右金員も、市街地である右(一)の土地(58.31平方米)の対価としては少額に過ぎること、金丸茂一は右土地が先祖の管理していた神社の土地であるから右登記手続の承諾をする旨述べたこと(証人金丸茂一の証言)などによれば、原告神社は右土地を買い受けたものではなく、むしろ右所有権移転登記手続に協力してくれたことの謝礼として同人らに金員の支払いなどをしたというべきであるから、右結論を左右するに足りない。

六、そこで岩ケ瀬水神が本件土地の占有のはじめ無過失であつたかどうかにつき検討するに、本件全証拠によるも大正一〇年二月二四日当時、同水神の管理人あるいは町会世話役らが本件土地の登記簿謄本を取り寄せるなどしてその所有者がだれであるかにつき調査した形跡はうかがえないから、無過失であつたとは認め難い。

七、岩ケ瀬水神と原告神社との同一性

右両者の関係につき検討するに、前掲認定諸事実からすると、それはあたかも設立中の会社と成立後の会社との関係もしくはその組織変更の前後の関係に対応する。

即ち、岩ケ瀬水神は、前記主務官庁の認証あるまでは実体法上の人格を取得していなかつたけれども、すでに権利能力なき財団として独立した存在であつたし、その間に神社運営のために必要な行為によつて取得した権利は同水神が法人格を有するにいたり当然包括的に原告神社に帰属したものというべきで、右両者の間には法主体としての連続した同一性があるといわなければならない。

八、従つて岩ケ瀬水神は、大正一〇年二月二四日当時、既に本件土地を所有の意思をもつて平穏公然に占有しており、これにより二〇年を経過した昭和一六年二月二四日、取得時効により右土地の所有権を取得したもので、同水神との間に法主体としての連続した同一性を有する原告神社は法人格を取得した昭和四三年六月二八日をもつて右所有権を承継したことになる。

九、よつて本件土地につきその所有名義人である被告に対して、同人から取得時効を原因とする原告神社への所有権移転登記手続を求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用した。

(舟本信光 白井万久 鎌田義勝)

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