大判例

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小倉簡易裁判所 昭和33年(ろ)718号 判決

被告人 石橋利雄

主文

被告人を罰金参千円に処する。

右罰金を完納しえないときは金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

本件公訴事実中窃盗未遂の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となる事実)

被告人は昭和三十三年十月二十七日午後十一時二十五分頃西鉄電車が八幡市大蔵停留所から三条停留所の間を進行中、乗客古沢伸市から同人の懐中時計をすりとろうとした疑いで咎められたことに憤慨し、同人の右足を一回蹴り、よつて同人に暴行を加えたものである。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)

刑法第二百八条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、刑法第十八条、刑事訴訟法第百八十一条第一項

(被告人の主張に対する判断)

被告人は本件犯行当時飲酒酩酊していたので自己の行為をよく覚えないといい、いわゆる心神耗弱の主張をするものと思われるが当公廷における証人古沢伸市、同神林明雄、同花田博の各供述を総合すれば、被告人は当時相当酔つてはいたが、心神耗弱の程度には至つていなかつたと認められるから、被告人の主張は採用しない。

(無罪理由)

本件公訴事実中窃盗未遂の訴因は「被告人は昭和三十三年十月二十七日午後十一時二十五分頃西鉄電車が八幡市中央町から同市大蔵電停間を進行中乗客古沢伸市(当五十四年)のズボンの右小ポケットから、同人所有の懐中時計一個をすり取ろうとしたが、同人に感知されたため窃取の目的を遂げなかつた」というにある。

本件につき検察官は、被告人は被害者の右前小ポケットに手を触れているから、既に窃盗の着手ありと主張し、被告人は当時酩酊していて、かかる犯罪を行つた覚えわないと主張する。

よつて按ずるに証人古沢伸市の当公廷における第一、二回の供述を総合すれば、自分はサック入の懐中時計を洋服のズボン(黒色)の右前小ポケット内に入れ、その時計に着けていた布製(濃紺色)紐をバンドつりに結んでいたが、電車が三条停留所を発車して間もなく、右前小ポケットの附近にコトコトと二回荷物でも当るような触感があつたので目をやると上衣の下から被告人の片手が時計を入れている右前小ポケットの外側のところに来ておりそのときの状態から拇指は右横ポケットの中に入つていたように思つたというのである。

ところで窃盗罪の成立には、犯人において財物を不法に領得の意思があることを要し、その意思は特別の事情なき限り客観的に他人の事実上の支配を侵す行為の一部もしくはこれに密接する行為(本件でいえば犯人の手が時計の紐にかかつていたとか、ポケット内に犯人が手を挿入していたとか)をしたときにこれを認め得べく、これをもつて窃盗の着手があつたものと解するを相当とし、ただすりの犯行においては犯人が被害者のズボンのポケット内に金品の存在することを知り、同ポケットに手を差しのべその外側に触れた以上は既に窃盗の実行に着手したものとしなければならないことは判例(昭和二十九年五月六日最高裁判所第一小法廷決定)の示すところである。

そこで本件においては、前記古沢証人の証言により被告人の片手が同証人のズボンの右前小ポケット附近に触れたことは認め得るところなるも、問題は果して被告人が他人のポケットに金品のあることを知り、これを不法領得する意思で手を差のべたかどうかの点である。右古沢証人と証人神林明雄、同花田博の当公廷における各供述並びに被告人の司法警察員、検察官に対する各供述調書の記載及び被告人の当公廷における供述を総合すれば、

(一)  被告人は当日午後六時過頃から午後十一時頃までの間三ヶ所で合計約八合程度の酒を飲み、相当酩酊して午後十一時二十二分頃神林証人と共に上本町停留所から電車に乗つたこと(ただし心神耗弱の程度に至つたとは認め難い)。

(二)  本件行為は被告人が上本町停留所より乗車後約三分間位経過した短時間内に発生していること。

(三)  古沢証人が時計につけていた紐は濃紺色であり当時着用のズボンは黒色で殆んど同色に近く、外部から一見しては紐のあること自体判明し難く、更にその紐を通じて右前小ポケット内に時計等が存すると推知することは、困難の状態であること(当公廷における裁判官の認識による)

(四)  古沢証人は右三分間位の間において時計をポケットから出し入れした事実はないこと。

(五)  被告人は当時何等の携帯品も有しなかつたこと(すり犯人はすり行為の際の遮蔽幕に用ゆるため何等かの品を携帯することが多い)。

(六)  被告人の住所は電車の進行方向であること。

(七)  電車は満員状態でなかつたこと。

(八)  被告人は古沢証人に暴行後間もなく同証人と共に電車を降り、槻田巡査派出所え素直に同道していること。

(九)  被告人は定職を有し、月平均約一万円位の収入を得て普通の生活を営んでいること。

(十)  被告人には、すり窃盗の前科がないこと。

が認められ、以上の諸情況を考え合せると、被告人が乗車後かかる短時間内に、古沢証人の右前小ポケット内に時計のあることを知り、不法領得の意思をもつて手をそのポケットに触れたものと断定することは困難である。なお古沢証人の「被告人の拇指は右横ポケットに入つていたように思つた」との供述は、同人の想像を述べるに過ぎないのであつて確実性に乏しく、この点についての同証人の供述は採用できないし、他に被告人の手の挿入状態を目撃した証人もない。

然らば被告人が単に古沢証人の右前ポケット附近に手を触れた本件行為をもつて、前示判例に恰当するものとし窃盗の着手ありと認定するには未だ証明不十分であつて、結局本件窃盗末遂の公訴事実は証明なきことに帰するから刑事訴訟法第三百三十六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 森口慶武)

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