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岐阜地方裁判所多治見支部 昭和55年(ワ)1号 判決

原告 江口朝子

〈ほか二名〉

原告ら訴訟代理人弁護士 野間美喜子

同 加藤良夫

被告 岐阜県

右代表者知事 上松陽助

右訴訟代理人弁護士 土川修三

同 南谷幸久

同 南谷信子

主文

一  被告は原告らに対し、それぞれ金七三万三三三三円及びこれに対する昭和五五年一月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二五分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、それぞれ金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五五年一月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

(一) 亡江口勇(以下勇という。)は、昭和九年一一月一六日生れ(後記死亡当時四五才)の男性で、原告江口朝子はその妻、同江口裕一及び同江口智子はその子である。

(二) 被告は、岐阜県多治見市において岐阜県立多治見病院(以下県立多治見病院という。)を開設し経営している。

2  勇と被告間の診療契約

勇は、昭和五三年九月頃から、時々便に血液様のものが混っているのに気づき、昭和四八、九年頃罹患した十二指腸潰瘍が再発したのではないかと考え、同年一〇月五日被告との間で、県立多治見病院において病気の診断と治療を目的とする診療契約を締結した。

3  県立多治見病院における診療の経過の概要

(一) 勇は、同年一〇月五日と九日県立多治見病院において診察と検査を受けた結果、腸には異常はないが、膵臓に心配があるので精密検査をするため入院するよう指示され、同月一一日検査のために同病院に入院した。

(二) 入院後勇は、急性膵炎であると診断され、同年一〇月二八日退院した。しかして、下血については痔出血であるとの診断により、同年一二月末まで投薬を受けた。

(三) しかし、相変らず下血が続き、昭和五四年一月に入ると血の混った下痢が続き、腹痛を伴うようになったので、同月一六日と一八日同病院で診察を受けたが、神経性のものだといわれ、下痢止めの薬を与えられた。しかし、血液の混入した下痢はとまらず、微熱も出るようになった。勇は、同月三一日、大腸ファイバースコープと注腸造影による検査の結果、潰瘍性大腸炎と診断され、同年二月二日同病院に入院した。

(四) 同年二月三日、心電図、レントゲン、血液、検便の検査を受けた。夜中より血のまじった下痢がひどくなり、痛みも激しく、それは同月四日午前中まで続いた。

(五) 同年二月五日以後も、下痢状の血便は日に八回から一〇回の割であり、食欲も衰え、不調を訴え続けた。検査は検便のみとなり、多量の薬が与えられた。そこで勇が気分転換のため帰宅を申し出ると、二泊三日の外出が許され、勇は同月一〇日家に帰った。しかし、腹痛がひどく、身体の消耗も激しかったので、同月一一日病院に戻ったが、看護婦は「心配ないから」というのみであった。

(六) このような状態で下痢、痛み、血便が続き、勇の体力はどんどん低下していった。同年二月の終り頃から、下痢と血便のために脱水症状がみられるようになり、身体は目にみえて衰弱していき、点滴注射を受け始めた。そして同年三月五日頃には小便が出なくなり、管でとるようになり、微熱もずっと続いていた。

(七) 同年三月七日から二四時間点滴が始まったが、相変わらず下痢、血便が続き、貧血気味であった。

(八) 同年三月一一日夜、勇は、時々意識が混濁するようで、おかしなことを言うようになった。身体は極度に衰弱し、同月一二日には吐血し、血圧が低下した。主治医の後藤医師は「薬の作用で一時的に胃に潰瘍ができたからだ。」と説明した。

(九) 同年三月一三日、勇の容態は目に見えて悪化し、診察した外科医から「手術する以外に方法はない。一時間位で悪いところだけ摘出する。」との説明があり、同日午後七時頃から手術が始まった。しかし、勇は、手術後意識を回復せず、同月一五日午前一時一五分死亡した。

4  県立多治見病院の債務不履行

(一) 昭和五三年九月から昭和五四年一月三〇日まで(以下「第一期」という。)における債務不履行

(1) カルテ等によると、第一期における便に血液が混じるという勇の症状等は次のとおりであった。

(イ) 昭和五三年一〇月七日 検便、潜血反応プラス三

(ロ) 同月九日 痔出血

(ハ) 同月一一日 時々肛門出血あり、便潜血反応プラス三

(ニ) 同月一二日 検便、潜血反応プラス一

(ホ) 同月一九日 肛門出血あり

(ヘ) 同月二〇日 肛門出血、新鮮血あり

(ト) 同月二六日 排便時、少量の出血あり

(チ) 一一月二日 肛門出血は肛門周囲のビランからの出血である。

(リ) 一二月一四日 肛門出血は外科にて加療

(ヌ) 昭和五四年一月一六日 便に血液混じる。

(ル) 同月一八日 検便、潜血反応プラス三

(ヲ) 同月二九日 血液時々混じる。

(2) しかして、後藤医師は、初診時から勇の下血の原因を痔によるものと考えてうたがわなかったが、勇に痔の存在は確認されていなかった。にもかかわらず、後藤医師らは、昭和五三年一〇月一四日に注腸造影と同月二三日に直腸鏡検査を行った以後は、昭和五四年一月三〇日まで、勇の腸に対し何らの観察もせず、軽い急性膵炎として消化酵素剤等の投与と、痔の軟膏と坐薬を与えたのみであった。しかし、右直腸鏡検査の結果によると、肛門管の全周にわたって出血を伴うびらんが発見されたが、右びらんが潰瘍性大腸炎の初期の徴候であった可能性があったにも拘らず、これが痔以外の病変であるかについては、究明されないままに終った。そして、昭和五四年一月に入り、一日六、七回の下痢や粘血便、腹痛や検便による大量の下血が検出されてもなお、腸の検査は行なわれなかった。

(3) その結果、昭和五四年一月三一日にようやく発見された勇の潰瘍性大腸炎の病変は、ほぼ大腸の全体に拡がっており重症になっていた。

(4) このように、県立多治見病院は、勇に継続的下血があったのであるから、潰瘍性大腸炎を疑い、継続的な腸の観察を行うべきであったのに、下血の原因を痔によるものと速断し、腸の継続的観察を怠ったため、早期の軽症な段階での治療を不可能にした。

(二) 昭和五四年一月三一日から同年三月一四日(死亡時)まで(以下「第二期」という。)の債務不履行

(1) 勇は、昭和五四年一月三一日重症の潰瘍性大腸炎に罹患していることがようやく発見され、同年二月二日県立多治見病院に入院した。入院時から外科手術までの勇の病状の経過を症状別にみると、以下のとおりである。

(イ) 便の回数及び便の状態

(a) 入院時、便は一日六、七回で血液の混入した下痢便であった。

(b) 二月五、六日頃、便の回数がやや減り三ないし五回になる。

(c) 二月九日頃から再び便の回数が増え、一日一〇回位になる。同様の状態が三月三、四日頃まで続く。

(d) 三月五日頃から絶食状態になったため、便の回数は五、六回に減っているが、便の状態は悪化している。

(ロ) 腹痛

(a) 入院時に既に、腹部圧痛、鈍痛があったが、常時ではなく、程度も比較的軽度であった。

(b) 便が血性の水様便になった二月一一日頃から、ときどき強い腹痛と吐気がみられるようになった。

(c) 二月末から腹痛が更に強度になり、痛み止めを投薬されていても連日痛みが続くようになる。

(ハ) 発熱

(a) 入院時に三八度一分の熱があったが、下熱剤により平熱に戻った。

(b) 二月一四日に三八度の熱が出たが、二月末頃までは三七度前後の微熱の日が多い。

(c) 三月に入ると三八度を越す日が続く。

(二) その他特筆すべき症状

(a) 二月二七日に腹部膨満感を訴え始め、その後右訴えが一日何回となく出てくる。

(b) 三月三日頃から尿が出なくなる。

(c) 三月五日悪寒あり。

(d) 三月五日腸内に多量のガスが溜っており、中毒性巨大結腸症になっていることが発見される。

(e) 三月六日頃から顔色不良の状態が多くなる。

(f) 三月一〇日意識の混濁が始まる。

(g) 三月一二日午前六時血圧低下

(h) 三月一二日から一三日吐血

(i) 三月一三日午前一〇時頃再度血圧低下

(2) 以上の経過からすれば、勇の病状について次の点が明らかである。

(イ) 入院時既に重症であった。

(ロ) 症状は悪化の一途をたどり、快方に向ったことがなかった。

(ハ) 二月末から三月一日頃にかけて中毒性巨大結腸症を併発し始め、病状が極めて悪い状態になった。中毒性巨大結腸症の徴候は、発熱、腹痛、腹部膨満、悪感であるが、前記のとおり、勇の症状は、二月末から三月始めにかけてこれらの徴候を示していた。

(ニ) 三月一二日午前六時頃穿孔又は中毒性ショックが起こり、最悪の状態に陥った。

(3) 潰瘍性大腸炎の治療法

(イ) 潰瘍性大腸炎の治療には内科的治療と外科的治療がある。副腎皮質ホルモンやサラゾピリン等の薬物療法の治療効果が良好となったため、現在では内科的治療が原則とされるが、本症の内科的治療には限度があり、患者の救命や社会復帰のためには、外科的治療を必要とする場合も多い。

(ロ) 内科的治療法

内科的治療の中心は、薬物療法であり、最も有効な薬剤は、副腎皮質ホルモン(ステロイド)とACTHである。ACTHの方が緩解率は高いが、副作用があらわれ易く、また剤型が注射薬に限られるため一般には主としてステロイドが用いられ、ACTHは激症型の治療やステロイドが無効な時によく用いられる。ステロイドは経口投与、又は静脈注射が行われる。激症型では主として静注が行われるほか、最近ではステロイドを直接腸間膜動脈に注入する方法も提唱されている。

ステロイドによる有効例の大部分は、二、三週間で臨床的緩解が得られるので、ほぼ二週間の時点で効果の有無を判定し、爾後の方針を決定すべきであるとされている。

薬物療法の基準については、「内科セミナーGE7潰瘍性大腸炎・クローン病」(永井書店)によれば、次のとおりである。即ち、「本症の治療方法の選択は、主として臨床的重症度に基づいて行われるが、一般に全大腸型は難治性の傾向があるので、この点を考慮に入れておいた方がよい。重症度別の薬物療法の選択法は、学者間にある程度の差はあるが、通常は軽症、中等症ではサラゾピリンとステロイド注腸を主体とし、重症例には当初からステロイドの全身的投与やACTHが用いられている。次に厚生省特定疾患・潰瘍性大腸炎調査研究班で一九七五年に作成された薬物療法指針案のあらましを紹介する。この指針案では各薬剤については二週間で効果を判定し、次の薬剤への移行、または他剤との併用を原則としている。これは薬剤の効果はほぼ二週間であらわれることと、一定の薬剤で効果が乏しい場合にはその薬剤にこだわっていたずらに長期間の治療を続けないように配慮したものである。この基準はあくまでも原則であって、患者の状況を主体に判断すべきではあるが、特にステロイド剤を用いる場合には、その効果と副作用を考えながら慎重に治療を行わなくてはならない。」

(ハ) 外科的治療法

本症の外科的治療の適応は、その症状によって異なるが、中毒性巨大結腸症を併発した場合には、「緊急手術、または、四八時間観察後に手術して行う。」(ツルウラブ)とか、「直ちに手術を行うか、または四八ないし九六時間以内に内科的治療が奏効しない時には緊急手術を行う。」とされ、前記厚生省調査研究班の指針案においても、電撃型、激症型の症状においては、「強力静注療法を行っても一週間以内に症状のほとんどが消失しない場合には、緊急手術を行う。」とされている。即ち、中毒性巨大結腸症に対して、内科的治療を試みることの許される時間的限界は、四八時間から九六時間とするのが通説的見解であり、最大限の説をとっても一週間である。

(4) 勇が第二期において県立多治見病院で受けた治療

(イ) 潰瘍性大腸炎の薬物治療

(a) ステロイド

二月二日~二月一四日 リンデロン経口投与

二月一四日~三月五日 プレドニソロン経口投与

三月六日~三月一二日 リンデロン管注

(b) サルファ剤

二月二日~二月一一日 サラゾピリン

(c) 抗生物質

三月五日~三月一二日 リラシリンビギー

(ロ) その他の内科治療

(a) 下熱剤、痛み止め等の対症療法

(b) 栄養補給のための点滴

二月一四日~二月二一日 一本

二月二一日~三月六日 二本

三月七日~三月一三日 高カロリー点滴(中心静脈栄養)

(ハ) 外科手術

三月一三日午後六時三〇分より施行

(5) 第二期における県立多治見病院の債務不履行

(イ) 有効適切な薬物療法の不実施

前記のとおり、潰瘍性大腸炎の薬物療法における薬剤の効果は、二週間で判定することを鉄則とし、ステロイドで効果がないときは、ACTHを用い、更に効果のないときは免疫抑制剤(イムランなど)を使用するのが治療の常道であるのに、主治医の後藤医師は、ステロイドの効果の判定は使用期間二か月をメルクマールにして行うとの誤った認識に基づき、勇に対する薬物療法としてはステロイドの投与のみに終始し、これを漫然と六週間継続した。

(ロ) 中毒性巨大結腸症の発見の遅れ

前記のとおり、勇には中毒性巨大結腸症の徴候である腹満、腹痛、発熱などの症状が二月末日頃から顕著に現れていたから、同合併症が併発し始めたのは、二月末か三月一日頃からであると考えられる。ところで、中毒性巨大結腸症は、潰瘍性大腸炎の合併症の中でも特に重篤なものであり、早期に発見し、適切な治療を行なわないと穿孔を起こして死に至る危険がある。しかるに、県立多治見病院は、勇の症状が右のとおり中毒性巨大結腸症の徴候を呈していたにも拘らず、二月一四日に実施した以降は三月五日まで勇の腹部X線撮影を行わなかったため、その発見が遅れ、その結果これに対する治療を遅らせた。

(ハ) 中毒性巨大結腸症発見後の飲食物の経口摂取

中毒性巨大結腸症は、腸壁が膨脹して極めて破れやすい状態になるので、腸内に食物が入ることは絶対に避けなければならない。ところが、勇の場合、三月五日に中毒性巨大結腸症が発見されてもなお、三月七日まで絶食の指示がなされず、飲食物及び薬の経口摂取ないし投与が行われた。その結果、中毒性巨大結腸症の治療効果を妨げ、穿孔へと悪化させる大きな要因となった。

(ニ) 外科手術の遅れ

中毒性巨大結腸症を併発すると、穿孔そして死亡という危険が飛躍的に増大するから、この場合には、直ちに緊急手術をするか、または、内科的治療を試みるとしてもそれが奏効しないときには四八ないし九六時間以内に緊急手術を行うべきであることは前記のとおりである。勇の場合、中毒性巨大結腸症が判明した三月五日の時点で、ステロイドの効果がないことはほぼはっきりしており、したがって、同じようなステロイド療法では、幾分かの増量をしたとしても、著しい効果は望むべくもなく、かつまた、右時点においては、既に中毒性巨大結腸症になってから、数日が経過していたのであるから、中毒性巨大結腸症の右発見の時点で直ちに手術をなすべきであった。もっとも、主治医の後藤医師はその後も内科治療を継続したので、これを前提に考えるにしても、病状の改善は見られなかったのであるから、遅くとも三月八日には手術をすべきであった。しかるに、県立多治見病院は、中毒性巨大結腸症に対する内科治療の期間を一ないし二週間と考えた結果、穿孔を起こす最悪の事態に至る前に外科手術を行うという鉄則をふみはずした。

(ホ) 穿孔に対する対応の遅れ

前記のとおり、勇は、三月一二日午前六時と同月一三日午前一〇時頃血圧が低下した。しかして、右一二日午前六時の時点で穿孔がおきていた可能性が強かったから、主治医は、この時点で穿孔を疑い、腹部X線撮影によりこれを確認したうえ、緊急手術をすべきであった。しかるに、県立多治見病院は、勇の病状が最悪の事態になった一三日午前一〇時三〇分頃手術を決定したのみか、事態は一刻の猶予も許されない状況であったにも拘らず、直ちに手術を行わず、これを午後六時三〇分頃まで放置し、勇の救命のために診療契約上要求される最善の努力を尽くす義務を怠り、救命のための最後の可能性を抹殺した。

5  損害

(一) 以上の如き県立多治見病院の債務不履行によって、勇は生命を失う結果になり、次のとおりの損害を蒙った。

(1) 逸失利益

勇は、死亡当時日本国土開発株式会社の営業課長の職にあり、死亡前年度(昭和五三年度)の年収は四九五万三〇二三円であったから、生活費を三割、就労可能年数を六七才までの二二年間として、ホフマン式計算法(係数一四・五八)により勇の逸失利益を算出すると、五〇五五万円(一万円未満切捨)となる。

(2) 慰謝料 六〇〇万円

(3) 弁護士費用 三四五万円

(二) 原告ら三名は、勇の相続人であり、同人の損害賠償請求権を各相続分三分の一の割合で取得した。

6  よって、原告らは被告に対し、債務不履行による損害賠償としてそれぞれ金二〇〇〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日の昭和五五年一月一九日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  請求の原因2の事実中、勇が昭和五三年一〇月五日被告との間で、県立多治見病院において病気の診断と治療を目的とする診療契約を締結したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3(一)  請求の原因3(一)の事実中、勇が昭和五三年一〇月五日と同月九日県立多治見病院において診察を受けたこと、及び同月一一日膵臓に心配があり、その精密検査のため同病院に入院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 請求原因3(二)の事実中、勇が入院後の検査の結果急性膵炎であると診断され、同年一〇月二八日退院したことは認める。

(三) 請求の原因3(三)の事実中、勇が昭和五四年一月一六日と同月一八日県立多治見病院で診察を受けたこと、同月三一日大腸ファイバースコープと注腸造影による検査の結果、勇が潰瘍性大腸炎と診断され、同年二月二日同病院に入院したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 請求の原因3(四)の事実中、勇が同年二月三日心電図、レントゲン、血液、検便の検査を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 請求の原因3(五)の事実中、勇が同年同月一〇日帰宅し、同月一一日病院に戻ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(六) 請求の原因3(六)の事実中、勇に下痢による脱水症状があったこと、勇に衰弱があり、点滴注射を施したこと、同年三月五日から導尿し、微熱が続いたことは認めるが、その余の事実は否認する。点滴注射は同年二月一三日からである。

(七) 請求の原因3(七)の事実中、同年三月七日から二四時間点滴が始まったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(八) 請求の原因3(八)の事実は否認する。

(九) 請求の原因3(九)の事実中、同年三月一三日手術が行われたこと、勇が同月一五日午前一時一五分死亡したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一〇) 勇の病状及び治療の経過は次のとおりである。

(1) 初診時(昭和五三年一〇月五日外来にて受診)

(イ) 問診

勇は、問診に対し、「四年前に十二脂腸潰瘍を患い六か月加療した。一か月半前からゲップがあり、季肋部に圧痛がある。食欲、睡眠は良好で、便通は一日一回やや軟便であり、胸やけ、嘔気、背部痛はない。」と述べた。

(ロ) 触診、視診

舌苔があり、腹部に圧痛があった。血圧、体温共に正常であった。後藤医師は、一〇月七日に胃の検査をすることを勇に告げた。

(2) 同年一〇月七日

胃の検査を行ったが、異常がなかった。

(3) 同年一〇月九日

勇は、時々痔の出血がある旨訴えた。血液検査の結果、アミラーゼの数値が高かったので、更に検査をする必要があると判断し、勇に入院して検査を受けるように告げた。

(4) 同年一〇月一一日から同月二八日までの検査等のための入院

(イ) 一〇月一二日血液検査の結果は、血沈、白血球、好中球、α2グロブリンはいずれも正常、潜血反応プラス一であった。

(ロ) 一〇月一四日、注腸造影法により腸の検査を行ったが異常がなく、ついで胆のう造影の検査を行ったところ、胆のうが通常よりやや過収縮という結果であった。更に同月二五日膵臓の検査をした。

(ハ) 一〇月二三日外科を受診、直腸鏡による検査をしたところ、異常がなく、肛門管周囲に出血を伴うびらんがあったのみである。

(ニ) 右期間中の一〇月二〇日、勇は、手足のしびれ、気持の不安を訴え、家庭のことや検査のことなどが心配であるといって、極度に落着かない状態となり、神経質な挙動をした。このため、同月二一日は外泊し、翌二二日退院した。

(ホ) 以上各種検査の結果、急性膵炎と診断し、内服薬としては膵炎の薬を、外用薬(外科)としては強力ポステリザン軟膏、ルプリテックス坐薬を投与した。

(5) 同年一〇月二九日以降昭和五四年一月三一日までの通院

(イ) 昭和五三年一一月二日受診

肛門管周囲のビランからの出血があった外は異常がなかった。内科ではアクチム、コスパノンの内服薬を、外科では前記軟膏、坐薬を投与した。

(ロ) 同月一六日内服薬の投与のみ

(ハ) 同月三〇日受診

特に症状なく、下痢も出血もなかった。前記内服薬を投与した。

(ニ) 同年一二月一四日受診

特に異常がなく、下痢、血便の訴えもなかった。前記内服薬を投与し、アルコールを正月まで引き続き中止するように指示した。

(ホ) 昭和五四年一月一六日受診

正月頃から時々下痢をしていたが、二、三日前から軽快したと述べた。診察したところ腹部の圧痛はなかった。ビオフェルミン、タンナルビン、トランコロンを投与した。

(ヘ) 同月一八日受診

便は五、六回あったのが三、四回に減り、軟便となったと述べ、血便はないということであった。同月一六日と同様の内服薬を投与した。

(ト) 同月二九日受診

へそのあたりに痛みがあり、便の回数も六、七回となり、時々血が混ると訴え、三七・八度の微熱があった。ペントレックス(抗生物質)等の内用薬を投与し、大腸の検査をする旨を告げた。

(チ) 同月三一日受診

大腸の内視鏡及びレントゲン検査を行ったところ、上行結腸、S状結腸下部の所々に小潰瘍とびらんがあり、横行結腸伸展不良で小潰瘍があった。このため即時入院を指示したが、勇は、都合が悪いので、二月二日に入院するといって帰った。

(6) 同年二月二日入院から死亡に至るまで

(イ) 同月二日入院した。同日午後六時頃下痢はおさまり、同月三日は下痢も腹痛もなくなった。同月四日午後六時便に鮮血が混っていた旨の申出があったので、今後このような症状があったときは、看護婦に見せるように指示した。同月五日から同月一〇日までの間、下痢は一日二回ないし五回であり、毎日血便があったわけではない。

(ロ) 同月一〇日外泊を許可した。

(ハ) 同月一一日帰院後、下痢の回数は増加したが、持続したわけではなく、嘔吐もあったりなかったり、痛みも軽減し、血便もあったりなかったりという状態で、全身状態として少し弱っていたが、二月末日までは脱水症状もなかった。

(ニ) 同年三月七日から高カロリー点滴を行った。

(ホ) 同月一二日血圧が下がり気味となり、正常に戻ったが、同月一三日再度血圧が下った。このため、大腸の穿孔か、中毒性ショックのいずれかの疑いがあると診断し、手術の適応があるか否かについて外科医の診察を受けた。その結果、全結腸切除の手術をする必要が生じ、盲腸から直腸上部までを摘出したが、勇は、穿孔性、汎発性腹膜炎のため、死亡するに至った。

4(一)(1) 請求の原因4(一)(1)については、第一期において勇に多数回の下血があったことはなく、カルテの記載は重複している場合があり、下血に対する勇の訴えは、昭和五三年一〇月九日、同月一九日、同月二六日、昭和五四年一月一六日、同月二九日の五回のみである。右以外は次のとおりである。

(イ) 昭和五三年一〇月五日 初診時、下血の訴えなし

(ロ) 同月一一日 勇が同月九日述べた痔出血のことを記載したもので、便潜血反応プラス三も同月七日の検便の結果を記載したもの

(ハ) 同月一二日 検便結果プラス一は潜血食をとっていないまま検査をしたので、正常な範囲と考えられる。

(ニ) 同月二〇日 内科から外科への診察の依頼箋であるため同月九日か同月一九日の出血のことを記載したものである。

(ホ) 一一月二日 外科での診断結果を記載したもので、右依頼箋に対する返事を記入したものである。

(ヘ) 一二月一四日 外科で加療していることを記載したものである。

(2) 請求の原因4(一)(2)の事実中、昭和五三年一〇月一四日に注腸造影が、同月二三日に直腸鏡検査がなされたこと、右直腸鏡検査の結果、肛門管の全周にわたって出血を伴うびらんが発見されたこと、及び後藤医師が勇の下血の原因を痔によるものと診断したことは認めるが、その余の事実は否認する。

潰瘍性大腸炎は、原因不明の疾患であり、従ってまた、その診断基準も確定的ではなく、治療方法も確立していない難病の一種である。ところで、勇の下血、腹痛が継続的にあったことはなく、昭和五三年一〇月一四日の注腸造影の結果は異常がなく、同月二三日の指診及び直腸鏡の検査の結果でも直腸に異常はなく、肛門管の全周にわたって出血を伴うびらんがあったが、その位置は肛門管、即ち歯状線より外側であった。歯状線より外側の疾患は痔及び皮膚炎等であるに対し、歯状線より内側に病変がない限り、潰瘍性大腸炎等大腸疾患の初期病変であったり、あるいはそれらに移行したりすることはないものである。以上の諸検査の結果、後藤医師は、腸の出血を疑うものがみられなかったため、出血は痔疾患によるものとする外科の診断を疑わなかったもので、勇の下血を痔疾患と診断したことは誤診ではない。

(3) 請求の原因4(一)(3)の事実中、昭和五四年一月三一日勇に潰瘍性大腸炎の病変が発見されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 請求の原因4(一)(4)の事実は否認する。

(二)(1) 請求の原因4(二)(1)の事実中、昭和五四年一月三一日勇が潰瘍性大腸炎に罹患していることが発見されたこと、同人が同年二月二日県立多治見病院に入院したこと、及び同年三月五日中毒性巨大結腸症を併発していることが発見されたことは認める。

(2) 請求の原因4(二)(2)の事実は否認する。

勇の入院時の症状は、重症ではなく、中等症程度であった。また、(a)同年三月一日の熱は三七・二度であり、同月三日ないし四日に三八度を越す発熱があった、(b)同月四日に最も強い腹痛がみられた、(c)同月五日に腹部レントゲンにて中毒性巨大結腸症と診断されたことに鑑みると、中毒性巨大結腸症の発症時期は同月三日か四日である。さらに、穿孔については、穿孔と診断されたのは、同月一三日の手術時であるが、それが何時起きたかについては明確ではなく、また、知り得なかった。即ち、穿孔が起きた場合の顕著な症状として腹膜炎の発症があり、その症状は、激烈な腹痛、発熱及び特有な腹部所見であるが、勇にはそのような所見は認められなかったのである。

(3) 請求の原因4(二)(3)の潰瘍性大腸炎の治療法については、次のとおりである。

(イ) 潰瘍性大腸炎とは「粘膜に始まり、ときに潰瘍を形成するびらん性で原因不明の非特異性大腸炎で、多くは慢性に経過する。」とされている。そして、潰瘍性大腸炎は、我が国では、人口一〇万人に三ないし五人の罹患率であり、それほど多くはなく、その原因としては、腸管内感染説、粘液溶解酵素説、アレルギー説、心身障害説、自己免疫疾患説などがあるが、依然として原因不明である。原因が不明である以上、治療方法の確立も困難である。

(ロ) 薬物療法

潰瘍性大腸炎の治療には、内科的な薬物治療が原則である。薬物療法としては、ステロイドホルモン剤がもっとも有効とされており、単なる重症例のみではなく、電撃型、劇症型に対しても積極的に投与するのが有効であるといわれる。その他の薬剤は、潰瘍性大腸炎に対する効果に対し一定の見解もなく、また、骨髄機能の抑制など重症の副作用もあるため、補助的方法として使用される。

原告らは、「内科セミナーGE7潰瘍性大腸炎クローン病」(永井書店)を引用するが、同書が刊行されたのは昭和五七年三月一〇日であり、右時点における潰瘍性大腸炎についての報告書とでもいうべきものであって、本件治療時である昭和五三年から昭和五四年三月頃までの潰瘍性大腸炎に関する一般の医師の医療水準を示すべきものではない。また、厚生省調査研究班の指針案は、あくまでも治療指針案であったに過ぎず、その後も改訂されているものであり、しかも同案は昭和五一年三月に出版された業績集に掲載されたが、右業績集は、昭和五二年五月頃各大学病院へ一冊宛配布されたのみで、他の医療機関への普及は全くなされていなかったものである。

(ハ) 外科的治療法

内科的治療の限界の場合に外科的治療が試みられるが、手術適応については相対的適応と絶対的適応があり、絶対的適応とされるものに、合併症として腸管の穿孔、中毒性巨大結腸症、大出血等がある。しかし、中毒性巨大結腸症を発症した場合でも、それが直ちに必ず穿孔に至るとは限らず、また、手術により全大腸を摘出すれば予後に困難な問題が山積するのであるから、先づ内科的治療が行われる。その場合の治療法としては、先づ全身状態への改善をはかることが必要で、経口投与を禁じ、腸内圧の減少をはかり、輸液、アルブミン、電解質、ビタミン補給、高カロリー補給などを行い、強力な抗生物質投与、ステロイドの大量投与への変更等により早期緩解をはかることが行なわれる。

なお、厚生省調査研究班の指針案については前記のとおりであり、また、ツルウラブの見解については、症例も多く、従って研究も活発な外国の医学者の文献をもって我が国の医療水準と同一に論ずることはできないものである。しかして、一方、一、二週間経過しても症状の改善が得られぬ場合に、手術適応になるとの考えもあった。

(4) 請求の原因4(二)(4)の第二期における治療については、次のとおりである。

(イ) 昭和五四年二月二日入院後同年三月上旬まで

入院後、心電図、胸部レントゲン撮影、腹部レントゲン撮影をなし、各種検査をなすと同時に、食事は消化のよいお粥とし、潰瘍性大腸炎の内科的治療の原則とされるステロイド、サラゾピリンの両薬を投与した。もっとも、サラゾピリンについては、勇が嘔気、食欲不振を強く訴え、胃薬を投与したが、右症状が持続し摂食が困難であったので中止した。他方、下痢、その他の症状改善のため、必要に応じ点滴注射を実施した。

(ロ) 中毒性巨大結腸症発見後

中毒性巨大結腸症の併発が認められた以降は、先づ腸の安静を期するため点滴を中止し、中心静脈栄養に切替え、絶食としたうえ、ステロイドを増量した。

(5)(イ) 請求の原因4(二)(5)(イ)については争う。

潰瘍性大腸炎の薬物療法については、その発生原因、メカニズムが不明である以上、多彩な方法が考られるが、ステロイドホルモン、サラゾピリンを中心とする方法が主流であること前記のとおりであるところ、昭和五四年二月初旬頃の勇の症状としては、一日の下痢回数が三ないし八回であり、他の血液検査を総合しても、中等症程度であったといえるから、勇に対する内科的治療としてステロイドとサラゾピリンの併用を選択したことは相当な措置であり、その治療期間も少くとも二か月間はこれを妥当としなければならないものであった。

(ロ) 請求の原因4(二)(5)(ロ)は争う。

潰瘍性大腸炎の治療中に合併症として発症する中毒性巨大結腸症は、我が国では潰瘍性大腸炎の患者のうちわずかに〇・三%にすぎず、しかも、その発症のメカニズムも明らかにされてはいないのであって、したがって、その発症の時期を予測することも千差万別で困難である。しかして、勇に中毒性巨大結腸症が発症したのは、前記のとおり三月三日か四日と考えられるところ、三月五日診断されたのであるから、県立多治見病院に同症の発見の遅れがあったとはいえない。

(ハ) 請求の原因4(二)(5)(ハ)については争う。中毒性巨大結腸症発見後三月六日には絶飲食をなしている。

(ニ) 請求の原因4(二)(5)(ニ)も争う。

中毒性巨大結腸症の昭和五一年までの我が国における報告例は一二例と非常に少なく、しかも同症が発症しても、約三分の二は内科的治療で緩解するといわれている。したがって、本症が発症したからといって、直ちに外科手術をすべきであるとはいえず、前記のとおり、一、二週間経過しても症状の改善が得られぬ場合に、手術適応となるとの考えもあった。後藤医師としては、勇の中毒性巨大結腸症の治療のため、先づ内科的治療を行い、三月七日には中心静脈栄養を行い手術も考慮しながら、治療を検討していたところ、中毒性巨大結腸症は三月七日以降軽快してきたので、しばらく内科的治療を続けることとしたものである。したがって、勇に対する手術のタイムリミットを三月八日と設定する原告らの主張は失当であり、後藤医師のとった措置に何らの落度もない。

(ホ) 請求の原因4(二)5(ホ)についても争う。前記のとおり、腸管の穿孔を思わせる症状は外部からは何一つうかがえなかったのであるから、それがいつ起ったのかは明らかではなく、開腹してみるまでわからなかったものである。

5  請求の原因5は争う。

第三証拠関係《省略》

理由

一  診療契約の存在等

請求の原因1の事実(当事者)、及び、勇が昭和五三年一〇月五日被告との間で県立多治見病院において病気の診断と治療を目的とする診療契約を締結したことは当事者間に争いがない。

二  治療経過

1  勇が昭和五三年一〇月五日と同月九日県立多治見病院において診察を受け、同月一一日精密検査のため同病院に入院したこと、右入院中の同月一四日に注腸造影が、同月二三日に直腸鏡検査がなされ、直腸鏡検査の結果肛門管の全周にわたって出血を伴うびらんが発見されたこと、しかして、勇は、入院中の諸検査の結果では、急性膵炎と診断され、下血については痔によるものと診断されたこと、勇は、同月二八日同病院を退院したが、その後、昭和五四年一月一六日と同月一八日同病院で診察を受け、同月三一日大腸ファイバースコープと注腸造影による検査の結果、潰瘍性大腸炎に罹患していることが発見され、同年二月二日同病院に再入院したこと、同年三月五日中毒性巨大結腸症の併発が発見されたこと、同月七日から二四時間点滴による治療が行なわれたこと、及び同月一三日手術が行なわれたが、同月一五日午前一時一五分勇が死亡したことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  勇は、昭和四九年頃十二指腸潰瘍を煩い、半年程病院で通院治療を受けたことがあり、その後も痔で自宅付近の診療所で投薬治療を受けたことがあったところ、昭和五三年九月頃、便に血が混じったり、身体のだるさを感ずるようになって、十二指腸潰瘍の再発を疑い、同年一〇月五日県立多治見病院の内科で受診した。そして、診察にあたった後藤和夫医師(以下「後藤医師」という。)に、既往症として十二指腸潰瘍を煩い、治療したこと、一か月半前からげっぷがあり、右季肋部に鈍痛があること、食欲、睡眠は良好で、便通は一日一回軟便であり、胸やけ、嘔気、嘔吐、背部痛はないなどと述べたが、血便についての訴えはなかった。診察の結果は、腹部に圧痛があったが、血圧、体温共に正常で、検尿でも異常が認められなかった。

(二)  同月七日勇は、胃の検査を受けた。右検査の結果では異常はなかったが、検便の結果は、潜血反応プラス三で大量の血が混っていた。同月九日の受診時、勇は、時々痔出血があると訴えた。同日、初診時に行った血液と尿検査の結果が判明したが、それによると、血清アミラーゼ値がかなり高かったので、後藤医師は、膵臓の異常を疑い、勇に原因究明の検査のための入院を指示した。

(三)  同月一一日勇は、県立多治見病院に検査のため入院した。同日の診察では異常所見は認められず、肛門指診でも異常はなかった。同月一二日の検便の結果は潜血反応プラス一で一応正常範囲内のものであったが、前記のとおり勇が痔出血を訴えていたので、後藤医師は、痔以外の原因の有無をさぐるため、同月一四日大腸全体を注腸造影により検査したが、異常と思われる所見を認めることはできなかった。しかして、同月一九日には肛門出血が認められたため、同医師は、なお、同病院の外科に診察を依頼した。同月二〇日外科で勇の診察が行なわれた。診察を担当した酒向猛医師は、肛門部指診により、やや陳旧性の血液の付着を認めたが、右指診によっては肛門部に特別の異常を確認できなかった。そこで、直腸内部の直腸癌など悪性腫瘍性病変の有無や炎症性疾患の有無を検査するため、同月二三日直腸鏡検査が施行されたが、直腸内に炎症等の異常は認められなかった。もっとも、はっきりした痔核は存在しなかったが、肛門管の全周にわたって出血を伴うびらんの存在することが右直腸鏡検査により明らかになった。酒向医師は、以上の諸検査の結果、右部位のビランは、頻度として痔核を原因とするものが圧倒的に多いことから、痔核が破れて生じたものと判断し、勇の下血は内痔核によるものと診断し、右診断の結果を内科に報告した。しかして、内科においても、注腸造影によっても異常所見がなかったことや右外科での診断の結果から、勇の下血は内痔核を原因とするものと結論づけた。

一方、膵臓関係についても内科で種々の検査が行なわれた結果、一過性に血清アミラーゼ値の異常が見られたことや、季肋部痛を訴えていたこと、膵臓癌と慢性膵炎等の他の疾患が否定されたことなどから、後藤医師は、比較的軽度の急性膵炎と診断した。

そして、勇は、同月二六日排便時に少量の出血を見たが、翌二七日には特に変った症状もなく、同月二八日同病院を退院した。

(四)  その後勇は、同年一一月二日、同月一六日、同月三〇日、同年一二月一四日とそれぞれ県立多治見病院の内科と外科で、急性膵炎と痔の治療を受けたが、急性膵炎については、後藤医師は、血清アミラーゼ値が落ち着きを見せたため、右一二月一四日をもって投薬中止を決定し、勇に以後内科には通院しなくてもよいが、外科での加療は継続するよう指示した。

(五)  昭和五四年正月頃から勇は、下痢便となり、便には血液が混っていた。同年一月一六日勇は、県立多治見病院の内科で受診し、正月頃から下痢便となり、便に血が混っていたこと、しかし、二、三日前からやや軽快したと当日の担当医師である高田医師に述べた。同日の診察では、腹部に圧痛はなかったが、高田医師は、急性膵炎の悪化を疑い、同日血清アミラーゼと尿アミラーゼの検査を実施した。同月一八日検便が行なわれ、その結果は潜血反応プラス三であった。なお右血清アミラーゼと尿アミラーゼの検査結果は正常であった。同日勇から一日五、六回だった便が三、四回に減ったものの軟便だったとの訴えがあったが、腹痛についての訴えは特になかった。当日勇の診察にあたった後藤医師は、勇が外科で痔の治療をしていたことや、前記注腸造影や直腸鏡による検査結果では特に異常がなかったことから、正月以降の右下血は痔からの出血であると判断した。

(六)  同月二九日勇は、排便は一日六、七回で軟便で血が混っている、臍部痛があり、昨日は微熱あったと訴えた。後藤医師は、勇の状態が同月一八日より悪くなっていたため、細菌感染か炎症を疑い、これを明確にすべく直ちに諸種の検査を行った。検査の結果は、白血球数が一万二七〇〇とかなり高く、血沈の数値が異常値を示すとともに、免疫グロブリン検査値、分画検査値ともやや高めであるなど、炎症の存在が疑われた。そこで同月三一日に内視鏡検査が予定されたうえ、同日これが実施された。その結果、直腸からS状結腸の間にびらんないし潰瘍が認められ、勇が潰瘍性大腸炎に罹患していることがこの段階で初めて発見されるに至った。そして、引き続き行なわれた注腸造影の結果により、右潰瘍性大腸炎の病変は、ほぼ大腸全体にわたっていることが判明した。しかして、その症状の程度は、後記重症度による分類によるところの中等症ないし重症の部類に属するものであり、罹患時期は、遡及的にみて、血性下痢が始まった頃、即ち、昭和五四年正月頃と考えられるものであった。

(七)  同年二月二日勇は、潰瘍性大腸炎の治療のため、県立多治見病院に入院した。入院後とられた治療は、心身の安静を保ちつつ、内服治療を主たる内容とする内科的治療で、内服治療としては、主として、潰瘍性大腸炎に大きな効果があるとされるステロイドの経口投与がなされた。即ち、同月二日から同月一四日までリンデロン一日あたり八錠(〇・五ミリグラム)が、同月一五日以降プレドニソロン一日あたり四〇ミリグラム(リンデロン一ミリグラムがプレドニソロン八ミリグラムから一〇ミリグラムに該当)が後記中毒性巨大結腸症が発見された同年三月五日まで投与された。一方、同月二日からサルファ剤のサラゾピリンがステロイドの投与と並行して投与されたが、嘔気を誘発するため、同月一二日以降は同剤の投与は中止された。しかして、ACTHや免疫抑制剤などの他の薬剤は使用されなかった。なお、同月一二日以降一三日を除いて同年三月六日まで一日あたり一本ないし二本の点滴が行なわれた。

ところで、入院直後の同年二月三日から同月一〇日頃までと、同月一九日から同月二四日頃までの短期日ではあったが、便の回数の減少や熱の下降が見られ、病状が比較的軽減したと見うる期間があった。もっとも、同年三月二日には全身状態が必ずしも良くなかったため、後藤医師は、勇にはステロイドの効果がないのではないかとの疑いを抱いたが、同ホルモンの効果の判定は二か月を目処とするとの考えから、以降も同ホルモンの投与の継続をなすこととした。

(八)  ところで、潰瘍性大腸炎の合併症としての中毒性巨大結腸症については、同年二月一四日一般検査として行なわれた腹部X線撮影の結果では、大腸に異常と思われるガスの発生はなく、この時点では同症の存在は認められなかった。しかして、同症の兆候である腹部膨満については、同月二七日に至り初めて勇から訴えがあったが、熱は三六度台で、腹部の調子は良好とのことであり、その後は、腹部膨満の訴えないし症状は同年三月四日までなかった。しかして、同日の診察の結果では、腹部膨隆と鼓音打診が確認されたうえ、腹痛が最も強く、三九度近い発熱があったため(中毒性巨大結腸症の併発が疑われ、翌五日施行された腹部X線撮影により同症の存在が発見された。そして、遡及的にみた場合には、同症の発症は、同月二日か三日頃と推測し得るものであった。もっとも、同月一日以降はほぼ連日三八度前後の熱を記録するようになっていた。

(九)  右のように中毒性巨大結腸症が発見されたため、後藤医師ら内科医師団は、この段階で全結腸切除手術を考えたが、手術した場合のデメリット、即ち、人工肛門の設置、手術後の激しい下痢や吸収障害等の諸障害を考慮する一方、同症も内科的治療で軽快することもあり、しばらく内科的治療の継続によってその効果をみた方がよいとの判断に立ち、直ちに手術をするという方法はとらなかった。そして、先づ、同月五日から抗生物質リラシリンビギーの投与を始めるとともに、同月六日は絶食、同月七日から絶飲食とした。もっとも、同月六日には、水分の摂取は制限されたものの、合計して五〇〇ミリリットルの水分が摂取され、プレドニソロン四〇ミリグラム等の薬剤が経口投与された。また、同月七日から腸の安静を保つため、高カロリー点滴、即ち中心静脈栄養が行なわれ、ステロイドホルモンの投与も同月六日午後八時以降は、従来の経口投与からリンデロンの点滴静注へと変更し、一日あたりリンデロン六ミリグラム前後と増量もした。

(一〇)  一方、勇の症状は、熱が三六度台に下り、腹痛も普段より軽減するなどしたため、同月六日での診断では、全体としては軽快の方向にあると判断されたり、同月八日の腹部X線撮影の結果では、ガス像が多少小さくなっている部分も認められるなどしたが、基本的には、全身状態は、良い状態あるいは安全圏に入ったという状態ではなく、悪いなりに少し改善された面もみられるといった程度のものであった。そして、勇の症状は以降も同様の状態で推移していった。

(一一)  ところで、後藤医師らは、勇の中毒性巨大結腸症に対する内科的治療の一つとして、ステロイドホルモンの上・下腸間膜動脈内に直接注入する動注療法の施行を同月六日、同月八日、同月一三日と三回予定したが、同月六日は、中毒性巨大結腸症の悪化が見られなかったことと、全体として軽快の方向にあると考えたことから、また同月八日は、腹痛等の自覚症状が改善されたと判断したことから、更に同月一三日は、後述のとおり手術が施行されたことから、いずれもその施行が中止され、同療法は予定されただけに終った。

(一二)  しかして、同月一二日午前六時頃から血圧が徐々に降下しはじめた。そこで、後藤医師らが輸血等の処置をとったところ、血圧は、同日午後二時には最大九〇、最小五六、午後二時五五分には最大九四、最小六六、午後三時三五分には最大一〇〇、最小七〇とほぼ正常に回復した。しかして、右血圧低下は、輸血により血圧の回復がはかられたことから、巨大結腸の穿孔によるものではないと判断され、翌一三日午前〇時一五分と午前二時五〇分に見られた吐血から判断すると、右血圧低下を招いた出血は、上部消化管出血によるものと推定された。

(一三)  右血圧低下の見られた同月一二日夜、内科で担当している患者につき外科手術の要否や方法等を検討するための定例の症例検討会に、勇の症例も検討対象となり、二、三日様子を見て、中毒性巨大結腸症の改善がみられない場合には、手術をする、手術をする場合には同月一九日とすると決定された。

(一四)  同月一三日午前一〇時頃突然再び血圧が低下し、触診による血圧測定の結果は、最大八四で最小血圧は測定できなかった。後藤医師は、右血圧低下の原因につき、巨大結腸の穿孔か中毒性ショックかのいずれかを疑ったが、腹膜炎の症状である腹痛が見られなかったため、中毒性ショックの可能性の方が強いものと考え、午前一〇時三〇分頃、外科部長伊藤信孝医師の診断をも仰ぎ、同医師と相談した結果、同日昼前後頃、直ちに手術をすることに決定した。もっとも、伊藤医師は、当日乳癌と痔の手術を予定しており、同手術を予定どおり行なったため、勇に対する手術はすぐなされなかった。その後、勇に対する手術は、伊藤医師より先に当日の予定手術を終えた外科医の中尾昭公医師が担当することになり、勇は、同日午後六時三七分に至りようやく手術室に入室した。なお、中尾医師が当日予定していた手術は、胆石と胃癌の手術で、特に急を要するものでもなかった。しかして、同日午後七時一二分中尾医師の執刀により、勇に対し全結腸切除術と回腸瘻造設術が開始され、同手術は同日午後八時二九分終了した。手術の結果、結腸に二か所にわたり穿孔が認められた。ところで、右穿孔は、遡及的に見た場合、血圧が急激に降下した同日午前一〇時頃起ったものと考えられた。

(一五)  右手術の勇の大腸は、右のとおり穿孔していたほか、盲腸と直腸を除いては、縮みあがって原形をとどめておらず、壊死性の変化が見られ、既に手術しても助かるような状態ではなく、右血圧降下の時点で直ちに手術に踏み切っていたとしても、救命は困難な状態であった。そして勇は、右手術後意識不明となり、意識が回復しないまま、同月一五日午前一時一五分穿孔性腹膜炎により死亡するに至った。

《証拠判断省略》

三  潰瘍性大腸炎について

1  本症の概要

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  本症は、「主として粘膜を侵し、しばしばびらんや潰瘍を形成する原因不明の大腸のびまん性非特異性炎症」と定義され、病変は直腸より口側にびまん性にみられ、炎症は粘膜及び粘膜下層が主である。活動期にはほとんど確実にびらんや潰瘍がみられるが、病変が深部まで及ぶことは少なく、ほとんど常に直腸に初発し、多くは直腸炎から始まり、罹患範囲が上行性に拡がり大腸全体を侵す場合もあるが、小腸まで病変が及ぶことはまずなく、その意味で大腸固有の炎症性疾患であるといえる。

(二)  本症の発生頻度は、欧米においては人口一〇万人比で七九・九人とか四二人などと報告されているに対し、わが国では人口一〇万人比で一・五人程度であるとの報告がなされており、欧米に比してかなり少ないが、近年増加傾向にあるとされている。

(三)  病因については、腸管内感染説、粘液溶解酵素説、アレルギー説、心身障害説、膠原病説、自己免疫説などがあげられているが、今日に至るもなお原因不明である。

(四)  臨床的には、粘血下痢または血便を繰り返すだけで全身症状がほとんどない軽症例から、発熱、腹痛と多量の粘血下痢で発症し、急激に症状が悪化し重篤な状態に陥る電撃型重症例までその重症度と経過は多彩であるが、いずれも緩解と再然を繰り返し難治性疾患である。

本症の分類には、種々あるが、重症度による分類は次のとおりとされている。

軽症 全身症状――欠如またはきわめて軽微

中等症 軽症と重症の中間の臨床像

重症 頻回の粘血・水様便、発熱、頻脈などの全身症状、赤沈値亢進

(五)  しかして、本症は、原因不明の難治性の慢性疾患であるため、昭和四八年、厚生省から特定疾患(難病)の一つに指定されるとともに、同省に特定疾患潰瘍性大腸炎調査研究班が設けられ、以降継続的に本症の調査研究がなされた。

2  本症の診断

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  本症の初発症状は、粘血便ないし血便、下痢、腹痛が多く、そのほか軟便、食欲不振、粘液便、水様便などであり、重症度を増すと、発熱、悪感、嘔吐、栄養障害などを伴う。診断方法としては、注腸X線検査、内視鏡検査、生検などがある。

(二)  前記厚生省の潰瘍性大腸炎調査研究班の診断基準分科会が昭和四九年度に作成した本症の診断基準(案)(同調査研究班の昭和四九年度業績集(昭和五〇年三月発行)に収載され、昭和五〇年七月の日本医事新報に掲載された。なお、昭和五三年一二月二五日発行の「新内科学大系」や昭和五二年七月発行の「外科治療三七巻一号」にも掲載された。)は、次のとおりである。

診断基準

左記aのほか、bのうちの一項目をみたすもの

a 持続性または反復性の粘血、血便またはその既往がある。

b(1) 内視鏡検査により、①粘膜は粗または細顆粒状を呈し、もろくて易出血膿性(接触出血)を伴い、粘血膿性の分泌物を付着しているか、②多発性のびらん、潰瘍あるいは仮性ポリポーシスを認める。

(2) 生検組織学的検査により、主として粘膜に炎症反応を認める。この際同時にびらん、腺窩膿瘍や腺の配列異常及び上皮の変化を認めることが多い。

(3) 注腸X線検査により、①粗または細顆粒性の粘膜の表面の変化、②多発性のびらん、潰瘍、あるいは、③仮性ポリポーシスを認める。このほか腸管の狭小や短縮を認めることもある。

(4) 切除手術または剖検により、肉眼的及び組織学的に潰瘍性大腸炎に特徴的な所見を認める。ただし、細菌性赤痢、アメーバ赤痢、日本住血吸虫症、大腸結核などの感染性大腸炎、及び放射線照射性大腸炎、虚血性大腸炎、肉芽膿性大腸炎は除外されているものとする。

3  本症の治療法

《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  潰瘍性大腸炎の治療法としては、内科的治療法と外科的治療法があるが、外科手術では、直腸大腸全摘術が必要なことが多く、人工肛門の問題もあるため、内科的治療法が原則とされる。しかし、本症の内科的治療法には限度があり、患者の救命や社会復帰のためには、外科的治療法が必要な場合が少なくない。

(二)  内科的治療法

(1) 潰瘍性大腸炎の内科的治療には、心身及び腸管の安静を図るための一般的治療、食事療法、精神療法等のほかに薬物療法があるが、内科的治療の中心は薬物療法である。しかして、薬物療法の主要薬剤はステロイドホルモン剤(プレドニソロン、リンデロンなど)であり、同剤は本症に最も有効な薬剤で、とりわけ重症例に最適であるが、中等症にも比較的適応する。同剤の投与ないし注入の方法としては、経口、静脈、動注療法などがあるが、動注療法は重症例に奏効することが報告されている。

ステロイドホルモン剤のほかには、主として中等症または軽症に用いられるサラゾピリンや、ACTH、免疫抑制剤(イムラン)などがある。ACTHは、全身症状のみられる中等症及び重症の症例に用いられ、ステロイド剤が無効の症例に使用し奏効することもあるとされていたが、後記のとおり近年では、ステロイドの未使用例に有効であるとされ、重症例の初期治療に用いられるようになった。また、免疫抑制剤も、ステロイド剤やサラゾピリンの無効な症例に応用されるが、副作用もあり、効果について疑問視する見解も古くからあり(「新内科学大系」(昭和五三年一二月二五日発行)一八一頁)、また、昭和五〇年当時において、その適応については統一された見解はないとされ、危険な副作用もあり、安易な使用は慎むべきであるとの見解もあった(「臨床と研究」五二巻八号(昭和五〇年八月発行)五一頁以下)。

(2) ところで、ステロイドホルモン剤の有効性の判定については、その有効例の大部分は二週間(前掲「臨床と研究」五二頁)あるいは二ないし三週間以内(「臨床と研究」五七巻七号(昭和五五年七月発行)六四頁以下)に効果があらわれるので、この時点で一応の判定を行い、効果のない場合には次の段階の治療に移行するのがよいとされるが(前掲「臨床と研究」五二巻八号、五七巻七号)、その判定の時期については、個々の症例で反応が異なるので一概に言えないし、重症度や用いる薬量によっても異なり、使用後約一か月で一応の効果判定を行う場合もある。なお、昭和五四年当時までに発行された文献の中には、右判定時期について一切触れていないものも多かった(前掲「新内科学大系」、「新臨床外科全書」、「診療二〇号」、「外科治療三七巻一号」など)。

(3) ところで、厚生省の潰瘍性大腸炎調査研究班の治療分科会が、昭和五〇年に薬物療法指針(案)(以下「厚生省指針案」という。)を作成したが、それまでは各治療施設が、欧米等の方法を参考にして、それぞれの方針に従って薬物療法による治療を試みていたという状況にあった。

(4) しかして、厚生省指針案は、いずれも二週間毎に効果判定を行うとの前提に立ち、軽症及び中等症に対しては、サラゾピリン→プレドニソロン注腸の追加→プレドニソロンの注腸を中止しサラゾピリンとプレドニソロンの併用という順に、また、重症に対しては、プレドニソロンと抗生物質→ACTHの追加→ACTH中止しイムランとプレドニソロンの併用→プレドニソロン動注または手術という順にそれぞれ薬剤ないし治療方法を変更していくというものであり、同案は、昭和五一年三月発行の昭和五〇年度業績集に収載され、図書館とか大学に配布されたが、一般に対する普及にはなお時間を要し、これが掲載された一般開業医向けの書物である「症例による難病へのアプローチ潰瘍性大腸炎」が発行されたのは昭和五六年三月二八日であり、また、同じく「内科セミナーGE7潰瘍性大腸炎・クローン病」の発行は昭和五七年三月一〇日のことであった。

もっとも、右指針案については、昭和六一年に至り、ACTHはステロイド未使用例に有効であるという欧米の報告に基づき、重症例の初期治療に使用する、免疫抑制剤は重症例適用からはずし、軽症、中等症適応とするなどとする改訂が行なわれた。

(三)  外科的治療法

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1) 潰瘍性大腸炎の外科的治療の適応については、大別して絶対的適応と相対的適応とに分けることができる。相対的適応は、内科的治療に抵抗し、社会生活に復帰しがたいような慢性持続型及び再発再燃型の症例などであり、絶対的適応は、腸管の穿孔、中毒性巨大結腸症、大出血及び激症型の症例などで、緊急手術の対象となる。もっとも、わが国では、緊急手術を要する絶対的適応症は極めて少ない。

(2) ところで、緊急手術の適応症においても、腸管の穿孔の場合を除けば、絶食、輸血、補液、ステロイドの投与または投与中止、ステロイド動注療法などの強力な内科的治療を施すことにより、症状の軽快をみる場合もかなりあり、したがって、直ちに緊急手術を行うことなく、先づ強力な内科的治療を試み、症状の軽快あるいは全身状態の改善をはかるのがよいとされている。

もっとも、中毒性巨大結腸症を併発した場合には、「緊急手術、または四八時間観察後に手術を行う」(ツルーラブ)、「直ちに緊急手術を行うか、または四八~九六時間以内に内科的治療が奏効しない時に手術を行う」(「内科セミナーGE7潰瘍性大腸炎・クローン病」昭和五七年三月一〇日発行)、(「臨床と研究」五七巻七号昭和五五年七月)などと速かに手術に移行すべきことが強調されているが、一方で、「同症を内科的に治療していくときにも、一~二週経過しても症状の改善がみられぬ場合には手術適応とされている。」(「日本消化器病学会雑誌」七三巻二号昭和五一年二月発行)、「(中毒性巨大結腸症を含む緊急手術の適応となる症例について)内科的治療をどのくらいの期間行なったら外科的治療の対象になるかは四~一四日と諸家により異なる」(「腸管学」一四巻四号昭和四九年発行)との叙述が見られる文献も散見され、少くとも昭和五〇年代当初は、中毒性巨大結腸症をも含めた緊急手術の適応症に対する内科的治療の治療期間については、これを最大限二週間とする考えも存していたことがうかがえる。

なお、右手術移行の時期については、外科への早期の移行を主張する外科医に対し、内科医側では内科的治療に固執しがちな傾向があった。

(3) ところで、厚生省の潰瘍性大腸炎調査研究班が昭和五〇年に作成した前記指針案によると、潰瘍性大腸炎の電撃型または激症再発型の症例に対しては、先づ、プレドニソロン動注療法か強力静注療法(プレドニソロン四〇~六〇ミリグラムの静注または点滴静注、抗生物質、輸液、電解質の補給、輸血、経静脈的栄養補給などを行う療法)を施し、「強力静注療法を行っても、一週間以内に症状の殆んどが消失しない場合は、緊急手術を行う。」とされており、中毒性巨大結腸症も右症例に含まれるものと考えられていた。なお、右指針案の普及状況については、前記(二)(4)で述べたとおりである。

4  中毒性巨大結腸症

《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  中毒性巨大結腸症は潰瘍性大腸炎の重篤な合併症であるが、その発生機序は正確には不明である。中毒性巨大結腸症を併発すると、腸壁は緊張を失って極度に拡張し、壁は菲薄で穿孔を来しやすくなる。しかして、穿孔を来した場合の致死率は極めて高い。もっとも、中毒性巨大結腸症のわが国での報告は極めて少なく、新内科学大系(昭和五三年一二月二五日発行)によれば、集計で三例、自験例で一例にすぎないとの記述がある。

(二)  中毒性巨大結腸症の兆候は、腹痛の増強、腹部膨隆、発熱の増悪、鼓音打診、白血球増多などである。これらの兆候が現れた場合には、同合併症の発生を疑い、腹部単純X線撮影により診断を行う。

(三)  同合併症は内科的治療で軽快する可能性がかなりある。治療法としては、先づ全身状態への対策が重要で、絶飲食するなど経口投与を禁じ、経静脈的に輸液、アルブミン、電解質、ビタミンの補給、高カロリー補給、輸血、抗生物質の投与などを行い、従来からステロイドを使用している場合はこれを増量して早期緩解をはかるなどである。

(四)  穿孔をおこした場合には、腹膜炎をおこすので腹痛があり、また、血圧の降下やその他発熱、脈拍の増多など一般状態の悪化が見られる。穿孔の有無は、腹部単純X線撮影により容易に確認される。しかして、穿孔が確認された場合には、一刻も早く、火急的に手術を行わなければならない。

四  被告の債務不履行責任について

1  県立多治見病院の義務違反の有無

(一)  継続的観察を怠ったとの主張について

潰瘍性大腸炎の初発症状は粘血便ないし血便、下痢、腹痛などであることは前記三2に述べたとおりである。しかして、前記二2に認定したとおり、勇には昭和五三年一〇月初旬頃から時々下血がみられ、昭和五四年正月頃からは、血液の混った下痢便もみられるようになったが、後藤医師が大腸内の炎症を疑ったのは同年一月二九日の外来診療の時であり、同医師は、その直前の外来診療の同月一八日までは勇の下血を痔によるものと判断していたものである。ところで、勇の潰瘍性大腸炎の罹患時期は、遡及的にみて、血性下痢の始った昭和五四年正月頃のことと考えられるものであったことは前記認定のとおりであるから、遅くとも右血性下痢を知った同年一月一六日か同月一八日の外来診療までの間に、潰瘍性大腸炎を疑うことは可能であったかが問題となる。

しかして、昭和五三年一〇月一四日の注腸造影では異常と指摘し得る所見はなく、同月二三日に施行された直腸鏡による内視鏡検査の結果も、肛門管全周の出血とびらんが発見されたのみで、直腸内に炎症等の異常が認められなかったことは前記認定のとおりであり、鑑定の結果によれば、肛門管だけに出血とびらんがあるという所見は、潰瘍性大腸炎の初期症状としては通常みられないものであることが認められるうえ、前記認定のとおり、勇の下血については、外科で、肛門管のびらんによる出血、即ち内痔核によるものと診断され、その治療を受けていたことや、前記一月一六日と同月一八日の診療時には腹痛はなく、下痢の症状も軽快していたことなどの諸点に照らせば、右一月一六日と同月一八日の時点で、勇の症状を潰瘍性大腸炎と診断することは殆んど不可能であったものというべく、このことは鑑定の結果からも認められるところである。したがって、右以前の時点においては、潰瘍性大腸炎を疑い継続的観察を行うことを後藤医師らに期待することは困難であったといわざるを得ないのみか、右時点においても、潰瘍性大腸炎を疑わず直ちに検査等をしなかったとしても、これをもって後藤医師らの義務違反とまで断ずることはできないものというべきである。

(二)  有効適切な薬物療法不実施の主張について

原告らは、潰瘍性大腸炎の薬物療法におけるステロイドの効果は、二週間で判定すべきであり、ステロイドで効果がないときは、ACTHを用い、更に効果のないときは免疫抑制剤を使用するのが治療の常道であるのに、後藤医師はステロイドの投与のみに終始したと主張する。

後藤医師が、昭和五四年二月二日の勇の入院から同年三月五日中毒性巨大結腸症が発見されるまでの約一か月の間、薬物療法としては、当初の一〇日間はサラゾピリンと並行して、以降は単独でステロイドの経口投与を施したが、ACTHや免疫抑制剤は使用しなかったことは既に認定したとおりである。しかしながら、免疫抑制剤については、当時から、副作用もあり、効果について疑問視する見解や、安易な使用は慎むべきであるとの見解もあったのみか(なお、鑑定の結果によれば、免疫抑制剤の使用については今日なお否定論のあることが認められる。)、潰瘍性大腸炎の重症例に対し免疫抑制剤の積極的使用をうたった厚生省指針案は、その後改訂され、同剤の適応を重症例から軽症、中等症例とすることに変更されたことは前記認定のとおりである。また、ACTHの使用についても、厚生省指針案は、ステロイドの無効の場合に使用するとされていたが、その後、ステロイド未使用の初期治療に適用すると改訂されたことは既に述べたとおりである(なお、《証拠省略》によれば、厚生省の消化吸収障害調査研究班は、右改訂に際し、重症例に対しステロイドが無効な場合には、ACTHよりもステロイドの大量投薬の方が有効であると解するに至ったことが認められる。)。そうとすれば、本件治療当時ステロイドが無効な場合、ACTHや免疫抑制剤を使用すべきであるとの考えは、潰瘍性大腸炎(重症例)に対する有効適切な薬物療法として確立していたかについては大いに疑問の存するところである。

しかのみならず、前記三3(二)に認定の事実によれば、原告らの主張に副う厚生省指針案にいうところの薬物療法は、勇に対する本件治療当時、県立多治見病院のような地方の一般病院の医師らにまで普及していたかについても疑問なしとしない。

したがって、中毒性巨大結腸症発見の時点までの薬物療法に原告ら主張の如き義務違反が存したとは断ずることができず、同症発見後のステロイドの使用を主体とした内科的治療の継続の適否については後述する(後記(五)項)とおりである。

(三)  中毒性巨大結腸症発見の遅れの主張について

既にみてきたように、勇の中毒性巨大結腸症の併発は、昭和五四年三月四日疑われ、翌五日腹部X線撮影により発見されたが、同症の発症は遡及的にみて同月二日か三日頃と推測し得るものであった。しかして、中毒性巨大結腸症の兆候は、腹痛の増強、腹部膨隆、発熱の増悪、鼓音打診、白血球増多などであることは前記認定のとおりである。

そこで、右三月四日より前の段階で中毒性巨大結腸症の発症を疑い得たかについて検討する。先づ、昭和五四年二月二七日同症の兆候の一つである腹部膨満の訴えが勇から初めてなされたことは既に認定したとおりであるが、前記のとおり、遡及的にみた場合の推測では、同日頃勇が中毒性巨大結腸症に罹患していたとはいえないのみか、同日の勇の熱は平熱で、腹部の調子は良好とのことであったというのであるから、右同日同症の発症を疑うのは困難であったというべきである。その後同年三月一日から三八度前後の熱を記録するようになったが、腹部膨満の訴えないし症状は同月四日までなかったことは前記のとおりであり、《証拠省略》によれば、同月一日勇は強度の腹痛を訴えたが、翌日以降同月三日までは腹痛も軽減したこと、勇は、それ以前においてもしばしば腹痛を訴え、自制できない程の強度の腹痛を訴えたこともあった(同年二月二六日)こと、また、白血球数は、同年二月二四日一万七三〇〇、同年三月一日九八〇〇、同年三月三日一万二六〇〇と、三月一日以降のそれが、それ以前と比較し、特に高い数値を示していたわけでもなく、同日のそれはむしろ以前よりは低目であったことが認められ、これらの諸点に照らせば、三月一日以降同月四日より前の段階で、中毒性巨大結腸症発症の疑いを抱くこともまた困難であったものといわざるを得ない。なお、中毒性巨大結腸症のわが国での報告例は極めて少なく、当時の文献でも数例にすぎなかったことは前記のとおりであり、したがって、勇の治療にあたった後藤医師にとっても初めての経験であったことが推認されるから、同症発症の確認には、右の点からも困難を伴うものであったともいい得るところである。

したがって、中毒性巨大結腸症の発見の点においても、担当医師らに義務違反が存したとはいえない。

(四)  中毒性巨大結腸症発見後の飲食物の経口摂取の主張について

中毒性巨大結腸症が発見された場合には、絶飲食とするなど飲食物の経口投与が禁じられることは、前記のとおりである。

しかして、後藤医師は、勇に中毒性巨大結腸症が発見されたのちの三月七日から絶飲食としたが、同月六日は絶食のみとした(但し、水分の摂取制限はした。)ため、同日五〇〇ミリリットルの水分が摂取され、ステロイド等の薬剤も経口投与されたことは、既に認定したとおりである。そうとすれば、後藤医師には、同症発見後、勇に水分の摂取を許容したり、薬剤の経口投与をなした点において、診療上の義務違反が存したものといわざるを得ない。

(五)  外科手術の遅れの主張について

(1) 原告らは、中毒性巨大結腸症が判明した昭和五四年三月五日の時点で、若しくは、その後症状の改善がみられなかった同月八日の時点で勇に対し外科手術を施すべきであった旨主張する。

後藤医師が、勇に中毒性巨大結腸症の発症を認めたのちも、内科的治療を継続した結果、腸管に穿孔が生ずる事態となり、同月一三日緊急手術が施されたものの、勇が死亡するに至ったことは前記認定のとおりである。したがって、勇に対する外科手術の実施については、結局、同月一二日までの間に後藤医師らが外科手術に踏み切らなかったことが、当時の医療水準に照らし許容し得るものであったか否かが問題となる。

(2) そこで先づ、中毒性巨大結腸症が発見された時点で、外科手術を施すべきであったかについて検討する。しかして、同症の発症は外科的治療(緊急手術)の絶対的適応となることは、既に述べたとおりであるが、一方で、緊急手術の適応例においても、腸管の穿孔の場合を除けば、直ちに緊急手術を実施することなく、強力な内科的治療を施すことにより、症状の軽快をみる場合もかなりあること、中毒性巨大結腸症の場合の内科的治療法としては、絶飲食し、経静脈的に輸液等、高カロリー補給や抗生物質の投与などを行い、ステロイドを増量するなどであることも前述したとおりであるから、同症の発症が必ず緊急手術の対象となるものでもないことが明らかである。そして、前記認定のとおり、後藤医師は、外科手術を施した場合のデメリットも考え、しばらく内科的治療を施して症状の軽快をはかることとし、不充分ではあったが絶飲食としたうえ、高カロリー点滴、即ち中心静脈栄養や抗生物質の投与を行い、ステロイドも増量してこれを静注するなどの治療法をとったというのであるから、後藤医師が中毒性巨大結腸症の発見と同時に直ちに緊急手術を行うことなく、右のとおりより強力な内科的治療を施したことには、責むべき点はなかったものといわざるを得ない。もっとも、前記二2(七)の事実によれば、中毒性巨大結腸症発症の直前頃の時点で、勇に対してはそれまでのステロイド使用の効果がさ程なかったことがうかがえるから、なおステロイドを主体とした内科的治療を継続することは、無用の治療を続けることにならないかとの疑念が生ずるが、《証拠省略》によれば、中毒性巨大結腸症があらわれた症例のすべてはステロイドの使用例であり、そのような場合を前提としたうえで、なおステロイドの増量や抗生物質の投与などの強力な内科的治療を施すことによって症状の軽快をみることがあると認められるから、前記のとおり、同症の発見後は従前とは異った治療法をとりステロイドも増量するなどした(なお、実施はされなかったがステロイドの動注療法も予定していたことは前記認定のとおりである。)後藤医師の処置に前記の如き批難はあたらないものというべきである。

(3) そこで次に、中毒性巨大結腸症の発見後三月一二日までの間に外科手術を実施すべきであったかについて判断する。原告らは、中毒性巨大結腸症を併発した場合には、直ちに緊急手術を行わないときは、四八時間から九六時間までが内科的治療を施す時間的限界であるとする考えが当時の通説的見解であったとの前提に立ち、遅くとも三月八日には手術をすべきであったと主張する。

なるほど、原告らの右主張に副うツルーラブの見解や、「内科セミナーGE7」とか「臨床と研究」五七巻七号などの文献が存することは前記認定のとおりである。しかしながら、前記のとおり、右文献はそれぞれ昭和五七年三月、昭和五五年七月発行にかかるものであって、いずれも本件治療当時のものではなく、一方、昭和五〇年代当初においても、中毒性巨大結腸症を含む緊急手術の適応となる症例において内科的治療の治療期間を最大限二週間までとみる見解も存在していた。また、昭和五〇年に作成された厚生省指針案では、中毒性巨大結腸症の場合を特に区別せず、電撃型または激症再発型の症例に対しては、プレドニソロン動注療法か強力静注療法を試みて一週間以内に症状の殆んどが消失しない場合は緊急手術を行うとされているところ、ここでは最大限一週間の治療期間が考えられていたというべきであり(もっとも、すべての場合に一週間の余裕をみてもよいという趣旨ではないと考えられるが、そのように誤解される余地は大いにあったといえる。《証拠省略》によれば、昭和六一年の右指針案の改訂により、緊急手術に移行すべき時期につきこれを期間で示すことをやめ、他の表現に改めたことが認められるが、この事実は右事情を物語るものである。)、これによれば、勇の場合の内科的治療を施し得る時間的限界としては三月一二日までと考える余地もあったといわねばならず、しかして、後藤医師のとった内科的治療は右指針案にいうところの強力静注療法とほぼ同内容のものであった。しかのみならず、厚生省指針案ですら一般に普及するに至るまでには、前記認定の事実によれば、相当の時日を要したことがうかがえるところでもある。また、当時中毒性巨大結腸症の発症をみるのはわが国においては極く稀れであったことや、厚生省指針案でも同症の場合を特に区別して特別な扱いをしていたわけでもないことは前記のとおりであり、更に、潰瘍性大腸炎の手術移行の時期については、内科と外科では相違があって必ずしも一致しておらず、内科医側では内科的治療に固執しがちな傾向にあったことも既に述べたとおりである。これらの諸点に照らすと、中毒性巨大結腸症を併発した場合には、その改善がみられない限り、四八時間ないし九六時間以内に緊急手術に移行すべきであるとの考えは、本件治療当時、確立された治療法として県立多治見病院のような地方の一般病院に勤務する医師にまで普及されていたとはいい難く、しかして、一方、厚生省指針案や、当時内科的治療の期間を最大限二週間とみる見解も存したことなどの点にも鑑みると、三月一二日まで手術を行うことなく、右指針案の強力静注療法とほぼ同内容の内科的治療を施した後藤医師の処置は、裁量の範囲内にあったものというべく、これをもって診療上の義務違反とまで断ずることはできないものといわねばならない。

もっとも、証人吉田豊は、本件の場合、中毒性巨大結腸症があらわれる直前か直後頃手術すべきであったと供述するが、他方で、右は同証人の個人的見解であり、一般には内科的治療により軽快する場合もあるので直ちに手術ということは考えないと供述しており、また、鑑定の結果によれば、同証人は本件治療は妥当であったとの鑑定をなしていることが認められるので、右供述は、同証人の個人的見解に基づくものといえるから、必ずしも前記結論を左右しない。また、証人白鳥常男は、本件の場合につき、まず昭和五四年三月一日から三日位の間、次に中毒性巨大結腸症が発見された同月五日、そして遅くとも同月八日には手術すべきであったと供述するが、他方、本件治療の行われた昭和五四年当時の一般の医師のレベルがどの程度であったかは判断しがたいとも述べているのであるから、右供述は、本件治療当時の医療水準に基づいているものではないと考えられるから、右供述をもってしても、前記結論を左右しないものというべきである。

(六)  穿孔に対する対応の遅れの主張について

(1) 原告らは、昭和五四年三月一二日午前六時の血圧低下の時点で、腸管の穿孔の可能性があったので、右時点で穿孔を疑い緊急手術をすべきであったと主張する。

しかして、右同日午前六時頃勇の血圧が低下したことは前記認定のとおりであるが、右血圧の低下は、腸管の穿孔によるものではなく、上部消化管出血によるものであり、また、輸血等の措置により同日午後二時頃から次第に血圧が正常に回復したことは前記認定のとおりであるから、後藤医師らが原告ら主張の時点で緊急手術を行わなかったからといって、直ちに同医師らに義務違反があったものということはできない。

(2) 原告らは、また、後藤医師らは、再度血圧が低下した同年三月一三日午前一〇時三〇分頃、手術を決定しながら、同日午後六時三〇分頃まで放置し、勇の救命のための最善の努力を尽くす義務を怠った旨主張する。

ところで、中毒性巨大結腸症で穿孔をおこした場合には、腹膜炎のため腹痛があり、その他血圧の降下等の一般状態の悪化が見られること、穿孔の有無は腹部単純X線撮影により容易に確認されること、及び穿孔が確認された場合には、一刻も早く、火急的に手術を行わなければならないことは前記したとおりである。

しかして、右同日午前一〇時頃突然血圧が再度低下したが、右血圧低下は巨大結腸の穿孔によるものであったこと、しかし後藤医師らは、右血圧低下の原因につき、腹膜炎の症状が見られなかったため、穿孔も疑ったが、中毒性ショックの可能性の方が強いものと考え、同日昼前後頃、手術を決定したこと、しかしながら、同日は外科医において予定の手術があったため、勇に対する手術は後まわしにされ、同日午後六時三〇分頃に至り、ようやく右手術が開始されたこと、右予定の手術は緊急手術ではなかったことが前記二2(一)(一四)に認定の事実から明らかである。ところで、中毒性巨大結腸症に罹患している場合は、穿孔をおこしやすく、《証拠省略》によれば、同症の患者の血圧の急激な低下は、穿孔の大きな兆候であることが認められるから、後藤医師らは、血圧の突然の低下を見た右同日午前一〇時頃、直ちに腹部単純X線撮影により、右穿孔の有無を確認すべきであったといえ、そしてX線撮影を実施していれば穿孔を容易に確認し得たものというべきである。しかるに、後藤医師らは、穿孔を疑ったものの、X線撮影を実施せず、血圧低下が穿孔よりも中毒性ショックによる可能性の方がより強いものと結論づけたうえ、本来一刻も早くなすべきであった勇に対する手術を緊急になすべき必要のない予定の手術より後まわしにしてその時期を遅らせたものであるから、同医師らには、再度血圧が低下した前記時点で、X線撮影により穿孔の有無を確認したうえ、火急的に手術を施行し、救命のための最後の可能性ないし延命の可能性を追及すべきであったのに、これを怠った点において、診療上の義務違反が存したものといわざるを得ない。もっとも、血圧の低下に関する右判断は、腹膜炎の症状がみられなかったことによるのであるが、中毒性ショックによる場合以上に重篤かつ緊急を要する穿孔の疑いもあり、かつ、その可能性が全く否定されたわけでもなかったのであるから、腹膜炎の症状のみられなかったことは、X線撮影による穿孔の有無の確認義務までも免除するものではなかったものといわねばならない。

2  義務違反と死亡等の結果との因果関係

(一)  前記のとおり後藤医師には、中毒性巨大結腸症発見後の水分や薬剤の経口摂取許容の義務違反が存したが、勇の死亡は前記三月一三日の腸管穿孔に起因するものであることは既に述べたところから明らかというべきところ、右義務違反と穿孔との間の因果関係については、これを認めるに足る証拠はなく、むしろ、右義務違反の時期と右穿孔との間には一週間の時間的間隔が存することや、経口摂取された水分や薬剤の量等に鑑みると、右義務違反と腸管穿孔、死亡との間に果して因果関係が存するかは大いに疑問であるといわざるを得ない。

(二)  また、前記認定のとおり、三月一三日午前一〇時頃の血圧低下の時点で直ちに手術を実施しても、その当時の勇の症状は救命困難な状態にあったというのであるから、右時点における穿孔の有無の確認と火急的に手術を実施すべき義務の違反と死亡との間にも因果関係はないものといわざるを得ない。

しかしながら、仮に、県立多治見病院の担当医師が、右血圧低下の時点で、レントゲン検査による腸管穿孔の確認方法をとったうえ、直ちに手術に着手したとすれば、腸管穿孔の場合には火急的に手術に着手することが要請されることや血圧低下の時点から現実の手術着手までの時間などに鑑みると、右措置をとることによって、勇を最終的には救命し得なかったとしても、少くとも患者の死期を遅らせることができたと推認することは十分可能であるといわざるを得ない。

してみれば、勇は、県立多治見病院の担当医師の前記義務違反により、死期をある程度早められたという結果を招来せしめられたものというべきであり、したがって、被告は、診療契約上の債務不履行に基づき、これにより勇が蒙った損害を賠償すべき義務がある(なお、原告らは、本件においては、被告の債務不履行に基づき勇の死亡による損害の賠償を求めているものであるが、右債務不履行により死期を早めたとの主張をも当然に含んでいるものというべきである。)。

五  損害

1  慰謝料

前記四1(六)(2)の義務違反の内容、程度、右違反がなければ延命し得たと推測し得る期間(既に認定した事実によれば、さ程長期間でないことは明らかである。)等諸般の事情に鑑みれば、勇が右義務違反により蒙った精神的苦痛を慰謝すべき慰謝料としては金二〇〇万円をもって相当とする。

2  弁護士費用

原告らが本件訴訟の提起及び追行を弁護士である原告ら訴訟代理人に委任し、相当の手数料及び報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨から認められるところ、本件が診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償を求めるいわゆる医療過誤事件であり、その訴訟の追行にあたっては専門的知識経験を要するものであることに鑑みると、右弁護士費用は被告の債務不履行と相当因果関係にたつ損害であるというべきである。しかして、本件訴訟の経過、認容額等諸般の事情を考慮すれば、被告が債務不履行による損害賠償として賠償すべき弁護士費用は二〇万円をもって相当とする。

六  原告らの相続

原告江口朝子は勇の妻であり、同江口裕一及び同江口智子はその子であることは前記のとおりであるから、原告らは勇の被告に対する損害賠償請求権を各三分の一の相続分に応じそれぞれ七三万三三三三円宛相続により取得したものというべきである。

してみれば、被告は原告らに対し、それぞれ債務不履行による損害賠償金七三万三三三三円とこれに対する訴状送達の日の翌日であることが当裁判所に顕著である昭和五五年一月一九日から支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

七  結論

よって、原告らの本訴請求は、右限度で理由があるので正当として認容し、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を適用し、なお仮執行宣言については相当でないものと認めてこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 園田秀樹)

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