大判例

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広島高等裁判所 昭和25年(う)551号 判決

控訴人 被告人 朴寿竜

弁護人 辻富太郎

検察官 大町和佐吉関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人辻富太郎の控訴趣意は別紙趣意書に記載してある通りである。

論旨第一点に付

本件起訴状に記載してある訴因が「逮捕を免れる為、平賀の気勢を挫く手段として同人の頬部を手拳を以て数回殴打暴行を加へ」とあるに対し、原判決は「その罪跡を糊塗湮滅する為右窃盗事実を否認し、却て右平賀の気勢を挫く手段として同人の頬部を手拳を以て数回殴打し」と判示したこと、刑法第二百三十八条に規定する所謂事後強盗の構成要件として窃盗が(一)財物を得て、其の取還を拒く為暴行脅迫した場合、(二)逮捕を免れる為暴行脅迫をした場合、(三)罪跡を湮滅する為暴行脅迫をした場合の三場合が定められていることは所論の通りで、訴訟手続上審判の対象が起訴状に訴因として記載してある事実に限定されることも亦所論の通りである。併し訴因とは各罰条の構成要件にあてはめて法律的に構成された犯罪事実と解するところ、右刑法第二百三十八条の所謂事後強盗とは窃盗犯人が暴行又は脅迫をした場合、それが(一)財物を得て其の取還を拒く為、(二)逮捕を免れる為、(三)罪跡を湮滅する為であつたときは之を強盗罪とするといふにあつて、竊盗犯人が暴行又は脅迫をした以上それが右(一)(二)(三)の中何れかの目的を以て為されれば足り、何れの目的を以てなされたにしても事後強盗であることに変りはなく、従つて本件に於て窃盗犯人たる被告人が平賀に対し暴行を加えたことに付之を訴因に於ては逮捕を免れる為であるとしたのに対し、原判決が罪跡を湮滅する為であると認定しても其の具体的事実に於てさしたる相異はなく其の構成要件的評価にも何等変動を生じないのみならず被告人の防禦権にも重大な影響を及ぼすものでもないから、訴因の変更手続は必要でなく、所論の様に審判の請求を受けた事件に付判決せず審判を受けない事件に付判決をした違法は存しない。論旨は理由がない。

論旨第二点に付

先ず原判決に挙示してある証拠によつては原判示の本件犯行の時刻を認めることが出来ないことは所論の通りであるが、犯行の日時はもともと罪となるべき事実そのものではないから、処罰上特別の必要がない限り、必ずしも常に正確に証拠により之を認めた理由を説明することを要しないもので、原判決が本件犯行の時刻を午後四時五十分頃と認定したのは証拠に基かないで事実認定をした瑕疵はあるが、この程度の瑕疵は判決に影響を及ぼさないことが明らかで原判決破棄の理由とはならない。

次に原判決に証拠として挙示してある証人野村光治の証人尋問調書中同人の供述記載によれば、百円札三十五六枚を盗まれた旨供述して居り、之によれば原判示の「約三千五百円位」の盗難があつたことを認めることが出来る。所論の様に原審が証拠として取り調べた押収調書及領置調書によれば、被告人から百円札四十一枚及現金百八十一円六十銭を押収したことが認められるけれども右押収金員中には被告人がもともと所持していた金員も在中して居たものと認められるから、之を以て原審の被害金額の認定を論難するのは当らない。

又原判決に証拠として挙示してある証人平賀孝制の証人尋問調書中同人の供述記載によれば、被告人が自己の罪跡を湮滅する為平賀に暴行を加えたものであることを認めることが出来、其の後被告人が逃亡し様とした形跡があつたにしても、右認定を左右するものではない。

所論は原判決の採用しなかつた証拠に基き、又は原審の自由な心証に属する証拠の証明力に関し、原審の認定を論難するものであつて、記録を精査するも原審の右認定に誤りがあるものとは認められない。

従つて原判決には何等所論の様な違法はなく、論旨は何れも理由がない。

論旨第三点に付

刑法第二百三十八条に所謂暴行とは被害者の反抗を抑圧すべき、手段として一般的に可能と認められる程度のものであれば足り必ずしも現実に反抗を抑圧したか否かは問うところではない。

而して原判決挙示の証拠によれば原判示の如く、被告人は自己の罪跡を湮滅する為平賀孝制の頬を手拳で数回殴り負傷させたものであることを認め得るから、斯くの如き行為は一般的観察上同人に対する不法な力の行使であり、之に因り同人の反抗を抑圧する手段として功を奏する可能性があるものといはなければならぬ。

従て原審が原判示事実を認定して之に対し刑法第二百三十八条に基く事後強盗として同法第二百四十条を適用したのは相当であつて、所論の様な違法はない。論旨は理由がない。

論旨第四点に付

原判決が証拠として挙示している証人平賀孝制の供述記載によれば所論の様に森田巡査が来てからも同人が被告人から三回殴られた旨供述していることが認められるが、其の供述の全趣旨からすれば、同人が負傷したのは被告人が自己の罪跡を湮滅する為、同人の頬を数回手拳で殴打した際に生じたものであることを認められるから原判決には何等所論の様な違法はない。論旨は理由がない。

論旨第五点に付

被告人が当初強盗罪の被疑者として勾留せられ、其の後其の勾留状の侭強盗傷人罪を犯したものとして起訴せられ勾留を継続されたものであることは所論の通りである。併し被疑者としての勾留理由となつて居る犯罪の被疑事実と、被告人として公訴を提起せられた公訴事実との間に事実の同一性が存する限り、其の罪名に多少の相違があつたにしても、被疑者として発せられた勾留状の効力は尚公訴を提起せられた後に於ても有効に存続するものと解するところ、被告人が当初強盗罪の被疑者として勾留せられた勾留状に記載してある被疑事実と本件被告人に対する起訴状記載の公訴事実とを比照すれば、被告人が昭和二十五年一月十一日山口県美禰郡東厚保村の食糧配給所に於て、現金三千五百円位を窃取した際、平賀孝制に之を発見せられたので、逮捕を免れる為手拳で同人の頬部を殴打して暴行を加えた旨の事後強盗の事実は両者同一であり、只起訴状に於ては其の暴行の結果右平賀に傷害を蒙らしめたことが附加せられ其の為罪名が強盗傷人罪と変つたものであることが明らかであつて、其の主要な点に於ては全然事実が同一であり、只公訴事実に於て傷害の事実が附加せられた為、加重的結果犯である強盗傷人罪となつたものに過ぎないものであるから、被告人に対する強盗被疑事件としての勾留状は被告人が強盗傷人罪の被告人として起訴せらた後に於ても尚有効で起訴後の被告人の勾留には何等所論の様な違法はない。又仮に違法であるとしても、之に対しては別個の方法による救済を求めるは格別其の為に原審の訴訟手続が法令に違反して居るものということは出来ない。論旨は理由がない。

以上の理由により刑事訴訟法第三百九十六条により、主文の通り判決する。

(裁判長判事 横山正忠 判事 秋元勇一郎 判事 高橋英明)

控訴趣意書

第一、刑事訴訟法第二百五十六条及び第三百十二条によると起訴状に記載される公訴事実は必ず訴因を以て具体的に明示することを要する。そして公訴事実の同一性を害しない限り検察官は訴因の追加、撤回、変更を請求できるし裁判所は審理の経過に鑑みて適当とするときは訴因の追加、撤回、変更を命じ得るものである。かくして訴因の追加、撤回、変更があつたときは速かにこれを被告人に通知することを要し、若しそれが被告人の防禦に実質的に不利益を生ずる虞があると認めるときは公判手続を停止しなければならないので、これは公訴事実の同一性を害しない場合でも法定の手続による追加、撤回、変更がなされぬ限り起訴状に訴因を以て明示されていない事実はそれが被告人に実質的に不利益を与えると否とを問はず審判の対象とすることを禁止し当事者に対し不測の事実認定を受けないことを保障し当事者として安じて起訴状の又はその後の法定の手続によつて審判の対象とされている当該訴因に攻撃防禦を集中せしめる趣旨であつて訴因の異別は劃一的に且厳格に判定すべきものである。それで裁判所が法定の手続を経ずに起訴状に記載された訴因を以て明示された公訴事実を認定せずしてその他の事実を認定したときは刑事訴訟法第三百七十八条第三号に所謂審判の請求を受けた事実について判決をせず、又は審判の請求を受けない事実について判決をしたものと解する。然るに本件起訴状によると被告人は昭和二十五年一月十一日午後四時五十分頃野村光治方事務所において同人管理に係る事務机抽斗内に在りたる現金約三千五百円位を竊取逃走せんとしたる際隅々同所に居合せたる平賀孝制に発見誰何せらるや逮捕を免れる為右平賀の気勢を挫く手段として同人の頬部を手拳を以て数回殴打を加えて因て同人に傷害を加えたものであるとしているに対し、原審判決は被告人は昭和二十五年一月十一日午後四時五十八分頃野村光治方の事務所内事務机左側抽斗の中に入れてあつた、同人保管にかゝる現金三千五百円位を窃取しその場を立ち去らうとした際偶々同所に居合せた平賀孝制に発見詰問せられるやその罪跡を糊塗湮滅する為右窃盗事実を否認し却て右平賀の気勢を挫く手段として同人の頬部を手拳を以て数回殴打暴行を加えよつて同人に対し、傷害を加えたものであると認定判示した。抑々事後強盗には(一)竊盗か財物を得てその取還を拒ぐため暴行脅迫した場合、(二)竊盗が逮捕を免れるため暴行脅迫した場合、(三)竊盗か罪跡を湮滅するために暴行脅迫をした場合の三態様があるが起訴状は右(二)であるに原判決は右(三)である。若し原裁判所が審理の経過に鑑みて右(三)を適当とするならば宜ろしく訴因の変更を命ずべきものであるにかゝわらずこのことなく判決において俄然(三)に認定したものであるから原判決は結局審判の請求を受けた事件について判決をせず審判の請求を受けない事実について判決をした違法がある。

第二、原判決は虚無の証拠によつて事実を認定したものである。即ち

(一) 原判決は犯行時を昭和二十五年一月十一日午後四時五十分頃と認定しているが原判決挙示の全証拠によるもこれを認めることができない。否却つて原判決挙示の証人野村光治の証言によると午後六時又は午後五時三十分頃なるか如く又同証人平賀孝制の証言によると午後五時四十五分以後なるか如くである。

(二) 原判決は窃取金額を現金約三千五百円位と認定し、主文において三千五百円を被害者に還付することにしているが原判決挙示の全証拠によるもこれを認めることはできず、却つて右証人野村光治の証言によると百円札三十五、六枚がなくなつており、机の下に百円札一枚が腰掛の脚のところに百円札一枚が落ちていたので正確な金額は判らないと言うことであり原審で証拠調をした証人森田生駒の証言によると野村光治が差出した被害金は三千三百円であつたと言い、同差押調書によると百円札四十一枚で四千百円を押収したこと明かであり、又同領置調書によると現金百八十一円六十銭を領置したこと明かである。そして同証人朴敬順の証言によると一月十日同人は被告人に金二千円を貸与したこと明かであり又同米田タマヘの上申書によると同人は一月十一日被告人に金五百円渡したこと明かであり、同徳岡平吉の始末書によると同人は同日被告人に金六百円渡したこと明かであり、原審における被告人の供述の如く右金四千百円及び金百八十一円六十銭は一月十日の借金一月十一日の集金と以前からの所持金との合計であつて窃取したものではないことを窺知するに足るのである。そして之に反する右野村光治の証言はその供述自体によつて信用し得ないこと明かであり、又右平賀孝制の証言は虚偽のものであること経験ある裁判官ならば直ちに之を観破し得ることその供述の表現態様に徴して疑のないところであるが原判決はそれに至らずして全部を盲信したものである。

(三) 原判決は被告人が罪跡を湮滅するため暴行したと認定しているが原判決挙示の全証拠によるも被告人の罪跡湮滅の目的があつたことを認めることはできない。却て右証人平賀孝制の証言によると被告人は置いて行くとて上衣やガイトウを置いて逃げようとしたと言つているのであり、これを真実とすれば被告人に罪跡湮滅の目的のなかつたこと明白である。

それで原判決は右の点において判決に理由を附せず又は理由にくいちがいがあるか又は事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすこと明かである。

第三、強盗罪の暴行は反抗を抑制する程度のものなることを要すること言を俟たないが、原判決挙示の全証拠によるもこれを認めることはできないのみならず、右証人平賀孝制の証言によると被告人は酩酊していて同証人に数回突倒されたこと明かである。それで平賀孝制としては被告人の殴打によつて反抗を抑制されてはいないのであるから仮に被告人が金員を窃取し且平賀孝制に暴行して傷害を加えたとするもそれは窃盗罪と傷害罪の成立があつても強盗傷人罪の成立はないと言はねばならない。然るに被告人の所為を強盗傷人とした原判決は此の点において事実の誤認があるか又は法令の適用に誤がありこれが判決に影響を及ぼすこと明かである。

第四、原判決は被告人は平賀孝制を数回殴打し同人の左粘膜面歯列に治療約一週間を要する傷害を加えたと認定しているが右証人平賀孝制の証言によると同人は被告人から数回殴打されたが森田巡査が来てからも三回殴られたと言うのであるから被告人が森田巡査に逮捕されて後に三回殴打したことになるが逮捕後の殴打は強盗の暴行ではないから、右傷害がその逮捕の前後何れの暴行によるか即ち強盗の暴行に基因するか否か全く不明と言はねばならない。それで仮に被告人に事後強盗の刑責ありとするも強盗傷人なりや否やを判定すべき証拠は一も存在しないに拘らず漫然これを強盗傷人と認定した原判決は此点において事実の誤認があるか判決に理由を附せず又は理由にくいちがいあると言はねばならない。

第五、昭和二十五年一月十四日附の勾留状によると被告人は強盗の被疑者として勾留されたのであるが、強盗傷人で起訴しているから強盗の勾留を解き起訴と同時に求令状により強盗傷人の被告人として勾留すべきに拘らずこのことなく、そのまま勾留を続け勾留更新において始めて強盗傷人の被告人として勾留したものであること、勾留更新決定により明かである。それで起訴後の強盗被告人としての勾留は不当であり、又右勾留更新決定は不法である。従て被告人は不法に勾留されて、審判を受けたことになり原審の訴訟手続には此点において法令の違反があること明かである。

仍て以上の理由により原判決は破棄されるものと信ずる。

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