大判例

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徳島地方裁判所 昭和41年(わ)178号 判決

被告人 元木恒

主文

被告人を懲役五年に処する。

未決勾留日数中三六〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は幼時疾病のため聴覚機能および言語機能を喪失したいん唖者であるところ、徳島県名西郡石井町で酒類販売業を営んでいた元木宇之助の次男として生れたのであるから、兄の戦死により本来右営業を受け継ぐ立場にあつたが、父宇之助の意向によつて被告人の弟哲夫が右営業を受け継いだ。被告人は昭和三二年一二月二五日ごろ右足義足の大西キミ子(昭和五年二月一〇日生)を妻に迎え、宇之助の建ててくれた同町高原字桑島八五番地の四の住宅に住み当初竹細工職人、次いで木管工として働き、昭和三九年ごろからは徳島市内の若松木工株式会社に木管磨工として勤務していた。その間、被告人は妻キミ子との間に昭和三四年二月二五日長女敏子をもうけ、次いで昭和三七年六月一〇日次女ゆう子をもうけたが、右敏子については妻キミ子が他の男と関係してもうけたものであると考えて煩悶していた。

ところで、昭和四〇年末ごろキミ子が当時既に右宇之助の死亡により営業を受け継いでいた哲夫(当時既に父の名を襲名して宇之助と改名していた。)を相手に徳島家庭裁判所に対し「結婚の際宇之助が被告人夫婦に住家を贈与する約束であつたのに、右住家について被告人名義で住宅金融公庫より建築資金の融資を受けその旨の抵当権設定登記がなされ、被告人がその支払義務を負担しているのは、結婚時の約束に反するからその融資全額を支払われたい、また被告人の亡母に二三〇、〇〇〇円預けてあつたからそれを返還してもらいたい。」との家事調停を申し立てたが、哲夫においてその要求を拒否し、被告人も調停期日に右申立にそうような発言をしなかつたので、キミ子が立腹して被告人と離婚するといいだし、調停委員の提案で昭和四一年三月一六日ごろからキミ子は実家に帰り、被告人ら夫婦は一時別居することになつた。しかし、キミ子は時折子供の世話などのため帰宅しており、その折被告人はキミ子と夫婦関係を持つこともあつた。

昭和四一年五月三一日午後七時ごろ、キミ子が帰宅して被告人に金をくれと要求したが、被告人が拒否したのでキミ子が被告を「唖、つんぼ」などとののしり互に口論したところ、子供が泣きだしたのでその場は一応納り、同日午後一〇時ごろ前記自宅の奥四畳半の間でともに就寝したのであるが、キミ子が夫婦関係を拒否し、かつまた同女の陰部に異状があると思つたので、被告人は同女が他に男があつて自己との夫婦関係を拒否するのであろうと考えて立腹するとともに同女の寝顔を眺めるうち先に同女に「唖、つんぼ」とののしられたことを想い起し憤激のすえ咄嗟に同女を殺害しようと決意し、同日午後一一時ごろ、枕元にあつた長さ約二メートル五七センチ、幅約三八センチの白木綿(昭和四一年押第八三号の一)を就寝中の同女の頸部に巻きつけて緊縛し、よつて同女をそのころ頸部圧迫により窒息死させ、さらに、前記のとおり敏子は自分の子ではないと思つており、また同女はキミ子に対してのみ同情的であつたので同女を心よく思つていなかつたところ、傍に寝ている同女をみているうち、前記キミ子との口論の際も敏子はキミ子の側に立つて被告人の味方にならなかつたことを想い起し、憎悪の念にかられて同女をも殺害しようと決意し、翌六月一日午前二時すぎごろ、前記白木綿を就寝中の同女の頸部に巻きつけて緊縛し、よつて同女をそのころ頸部圧迫により窒息死させ、もつてそれぞれ殺害したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人はいん唖者であるから、刑法四〇条前段により無罪であると主張するが、刑法四〇条は、生来または幼時から聴覚機能と言語機能を欠如している結果精神の発達を妨げられている者のうち、その程度が是非を弁別し、またはその弁別にしたがつて行動する能力を欠いている状態にあるときは同条前段により責任無能力者として処罰しないこととし、その他の場合は精神の未発達の具体的な程度を問わず同条後段により限定責任能力者としてその刑を減軽する趣旨の規定であると解すべきところ、前掲各証拠および鑑定人宮本哲雄、同寒川伊佐男共同作成の鑑定書によれば、被告人は盲ろう唖学校に入学して中等部三年の課程まで進んだことがあり、限定された範囲ではあるが簡易な文字を使用して通常人と意思を疎通することもでき、また手話を理解する妻、弟妹、ろう教育者なごとは意思感情のきめこまやかな伝達はできないにしてもある程度意思を疎通することができること、知能的には正常者との境界域ないしは軽愚に相当する領域にあつて、人格の未分化、未成熟の傾向が認められるが、結婚して二児をもうけ、永年木管工として通常人に伍して働き社会生活に一応適応してきたこと、被告人には前記のような意思疎通上の欠陥にもとづく誤認ないし誤解から生じた猜疑が解消されないまま固定したところの嫉妬妄想的傾向があり、被告人は右のような妄想的傾向のうえに前示認定のような犯行前の体験が加わつて一時的な反応性の情緒爆発を惹起して本件犯行を犯したものであるが、狭義の精神病に罹患していると疑わせるような徴候は表われていないこと、本件犯行後、被告人はことの重大さに気づいて自殺しようとし、弟妹らに自殺を制止されるや、自らすすんで自首したことがそれぞれ認められる。

以上の事実からみると被告人の精神の未発達の程度および犯行時の精神状態が是非を弁別し、またはその弁別にしたがつて行動する能力を全く欠如した状態ではないことが明らかであるから弁護人の主張は採用しない。

なお、弁護人は、かりに刑法四〇条前段の適用がなく被告人は有罪であるとしても、同条後段により刑を減軽すべきところ、被告人は犯行当時心神耗弱の状態にあつたのであるから、さらに刑を減軽すべきものであると主張するが、刑法四〇条後段は、前段に考察したように、いん唖者のうち、同条前段を適用すべき場合を除き、その者の具体的な精神状態を問わず限定責任能力者としてその刑を減軽する趣旨と解すべきところ、前段において判断したように被告人の判示所為に対し同法四〇条前段を適用すべきものと認められない以上、同法四〇条後段を適用するほかはないのみならず同法六八条により法律上の刑の減軽は一回に限られるのであるから犯行当時の精神状態が同法三九条二項にいう刑を減軽すべき心神耗弱の状態にあつたかどうかについて判断すべき刑法上の実益は全く存しない。よつて弁護人の右主張も採用することはできない。

(法令の適用)

被告人の判示元木キミ子および同敏子に対する各所為はいずれも刑法一九九条に該当するので、所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、右はいん唖者の行為であるから同法四〇条後段、六八条三号によりそれぞれ法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四七条本文、一〇条により犯情の重い敏子に対する殺人の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲で量刑処断すべきところ、被告人は罪もない幼い子供と若い妻との二人の生命を奪つたものでその責任はまことに重大というべきであるが、ろう唖という大きな負因を背負い、そのために知能、人格ともに未発達で弟妹からも疎外され、妻子にさえ軽侮されていた被告人の不幸な境遇、しかもその負因に起因する猜疑心のため本件犯行を犯すに至つたものであることを思うとき、被告人に対し重刑をもつて臨むことは酷にすぎると考えられる。以上の次第ならびにその他の諸般の情状を考慮して被告人を懲役五年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち三六〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川寛吾 田村承三 笠井昇)

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