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新潟地方裁判所 昭和42年(ワ)318号 判決

原告

別紙〔一〕原告目録記載のとおり

右原告ら訴訟代理人

別紙〔二〕原告ら訴訟代理人目録記載のとおり

被告

昭和電工株式会社

右代表者代表取締役

安西正夫

右訴訟代理人弁護士

成富信夫

鵄沢晉

沢田喜道

板井一瓏

成富安信

森岡幹雄

主文

一被告は、

1  原告大野作太郎に対し金三五二万円、

2  原告大野ミスに対し金七七万円、

3  原告大野功に対し金五三一万三、三〇〇円、

4  原告大野一広に対し金五三一万三、三〇〇円、

5  原告大野和江に対し金五三一万三、三〇〇円、

6  原告桑野忠吾に対し金一、一四四万円、

7  原告桑野リイに対し金一、七二七万円、

8  原告桑野チイに対し金三三〇万円、

9  原告桑野四郎に対し金四四〇万円、

10  原告桑野七郎に対し金一一〇万円、

11  原告星山幸松に対し金一、一〇〇万円、

12  原告星山トクに対し金七七万円、

13  原告星山松雄に対し金一一〇万円、

14  原告近喜代一に対し金一、二一〇万円、

15  原告近彦蔵に対し金四四〇万円、

16  原告桑野九二三に対し金六六〇万円、

17  原告桑野清三に対し金二七五万円、

18  原告桑野ミヨに対し金二七五万円、

19  原告古山マリコに対し金一一〇万円、

20  原告古山知恵子に対し金一、一〇〇万円、

21  原告古山務に対し金一一〇万円、

22  原告五十嵐英夫に対し金五五〇万円、

23  原告橋本晃に対し金四四〇万円、

24  原告五十嵐健次郎に対し金四四〇万円、

25  原告成田松吉に対し金一、一〇〇万円、

26  原告山田二作に対し金二七五万円、

27  原告桑野清平に対し金二七五万円、

28  原告大野正男に対し金二七五万円、

29  原告村木藤四郎に対し金四四〇万円、

30  原告中川春雄に対し金四四万円、

31  原告中川チカに対し金三三万円、

32  原告本田光子に対し金三三万円、

33  原告五十嵐雪子に対し金三三万円、

34  原告山田房子に対し金三三万円、

35  原告橋本十一郎に対し金四四〇万円、

36  原告橋本繁雄に対し金二二〇万円、

37  原告大野福治に対し金二七五万円、

38  原告大野セツに対し金一六五万円、

39  原告大野広司に対し金一、一五五万円、

40  原告大野和子に対し金五五万円、

41  原告堀文子に対し金五五万円、

42  原告大野勝司に対し金五五万円、

43  原告大野トミに対し金五五万円、

44  原告五十嵐栄一に対し金二七五万円、

45  原告五十嵐松男に対し金二七五万円、

46  原告五十嵐俊に対し金二七五万円、

47  原告石山平松に対し金八八〇万円、

48  原告石山トメに対し金二七五万円、

49  原告五十嵐藤一に対し金三三〇万円、

50  原告渡辺キミに対し金五三一万三、三〇〇円、

51  原告渡辺徳栄に対し金四五二万一、一〇〇円、

52  原告渡辺徳篤に対し金一七七万一、一〇〇円、

53  原告小島キイに対し金一七七万一、一〇〇円、

54  原告渡辺篤に対し金一七七万一、一〇〇円、

55  原告渡辺篤夫に対し金一七七万一、一〇〇円、

56  原告中村芳美に対し金一七七万一、一〇〇円、

57  原告成田チヨに対し金七七万円、

58  原告古山繁に対し金七七万円、

59  原告南キヨノに対し金一六五万円、

60  原告村山政次に対し金二七五万円、

61  原告村山昇二に対し金一一〇万円、

62  原告今井春吉に対し金五五〇万円、

63  原告今井一雄に対し金七七〇万円、

64  原告近喜代司に対し金五五万円、

65  原告近喜三男に対し金五五万円、

66  原告近四喜男に対し金五五万円、

67  原告近喜与平に対し金五五万円、

68  原告斎藤ヨキに対し金五五万円、

69  原告秋田ミツに対し金五五万円、

70  原告五十嵐惣吉に対し金二七五万円、

71  原告五十嵐ヨシに対し金四四〇万円、

72  原告近彦一に対し金一一〇万円、

73  原告梶原シモに対し金二七五万円、

74  原告山田ナカに対し金二七五万円、

75  原告五十嵐ミヨに対し金二七五万円、

および右金員に対する昭和四六年三月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による各金員を支払え。

二 被告は原告南健次に対し、金一、一五五万円およびこれに対する昭和四六年四月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三 第一、二項掲記の各原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四 原告五十嵐マツの請求を棄却する。

五 訴訟費用は被告の負担とする。

六 この判決は、

第一項のうち、1、2、8ないし10、12、13、15、17ないし19、21、23、24、26ないし38、40ないし46、48、49、51ないし61、64ないし75につき、いずれも無担保で、

第一項の3の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金四〇万円の担保を供することにより、

同項の4の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金四〇万円の担保を供することにより、

同項の5の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金四〇万円の担保を供することにより、

同項の6の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二五〇万円の担保を供することにより、

同項の7の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金四〇〇万円の担保を供することにより、

同項の11の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二三〇万円の担保を供することにより、

同項の14の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二七〇万円の担保を供することにより、

同項の16の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金八〇万円の担保を供することにより、

同項の20の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二三〇万円の担保を供することにより、

同項の22の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金五〇万円の担保を供することにより、

同項の25の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二三〇万円の担保を供することにより、

同項の39の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二五〇万円の担保を供することにより、

同項の47の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金一六〇万円の担保を供することにより、

同項の50の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金四〇万円の担保を供することにより、

同項の62の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金五〇万円の担保を供することにより、

同項の63の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金一二〇万円の担保を供することにより、

第二項の内金四〇〇万円につき無担保で、その余の金員につき金二五〇万円の担保を供することにより、

仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら(請求の趣旨)

1被告は、別紙(三)請求金目録欄記載の各原告に対し、同目録欄記載の金員およびこれに対する同目録欄記載の日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え、

2訴訟費用は被告の負担とする、との判決ならびに仮執行宣言の申立。

二、被告(請求の趣旨に対する答弁)

1原告らの請求をいずれも棄却する。

2訴訟費用は原告らの負担とする、

との判決。

第二、原告らの主張

一、請求原因

1当事者

原告らは、いずれも阿賀野川流域である肩書住所地に居住しているものであり、被告は肩書地に本店を置く総合化学工業会社であつて、新潟県東蒲原郡鹿瀬町に、アセチレンから水銀(無機水銀)触媒を用いてアセトアルデヒドを合成する工場(鹿瀬工場)をもつていたものである。

2不法行為

(一) 被告は、右鹿瀬工場において、昭和一一年から同四〇年一月までアセトアルデヒドの製造を行なつていたが、その製造工程中に生ずる廃液を阿賀野川上流に放出していた。

(二) 右廃液中には、アセトアルデヒド合成工程中に副生されるメチル水銀化合物が多量に混入しているから、これを除去するに足る適当な手段を講ずることなく、そのまま右廃液を河川に放出するときは、廃液中のメチル水銀化合物は流水とともに下流に流下し、河川に棲息する魚類を継続的に汚染し、その体内にメチル水銀化合物を蓄積させる。そして、このように汚染された魚類を人が反復して多量に摂食するときは、メチル水銀化合物は人体内に移行蓄積し、その結果脳神経症を主とする水俣病をおこさせる。

(三) しかるに被告は、鹿瀬工場において、メチル水銀化合物が多量に混入している廃液を無処理のまま阿賀野川に放出すれば、アセトアルデヒドの生産量の増加とともに阿賀野川の汚染度が増し、ここに棲息する魚類の体内にメチル水銀化合物が蓄積され、これら魚類を繰り返えし捕獲・摂食する住民の間に、将来水俣病に罹患し、死傷者等が発生するかもしれないことを昭和三四年一一月ころまでに知つていながら、あえて右廃液を流し続けた(故意)。その結果、これら魚類を多量に反復摂食した原告らおよびその家族をして遅くとも昭和三八年一〇月ころから同四五年九月ころまでの間に水俣病(以下、「新潟水俣病」という。)に罹患等させたものである。

(四) 仮に、被告に故意がないとしても、被告は遅くとも昭和三四年一一月ころにおいて、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程から生ずるドレン排水中に含まれたメチル水銀化合物を除去するための措置をとり、水俣病の発生を未然に防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、昭和四〇年一月の操業停止に至るまで、メチル水銀化合物を除去するための措置を全く設けることなく、無処理のままこれを阿賀野川に放出し続けた(過失)。その結果、メチル水銀化合物に汚染された魚類を多量に反復摂食した原告らおよびその家族をして、前記のとおり、新潟水俣病に罹患等させたものである。

(五) そのため、原告らは後記のとおりそれぞれはかり知れない肉体的、精神的苦痛と生活上の不利益を蒙つている。

3損害額

イ 慰藉料

(一) 原告らの被害

前記被告の不法行為の結果、

(1) 亡大野岸松、亡桑野忠英、亡近喜与太、亡大野岩次、亡渡辺篤太郎、亡南宇助の六名は、いずれも新潟水俣病に罹り、悲惨な症状を呈したうえ死亡するに至り、

(2) 別紙(三)請求金目録番号1、6ないしないし11、13ないし18、20ないし29、35ないし37、44ないし49、51、62ないし65、72、ないし77の各原告は、新潟水俣病に罹患し、そのなかには死にも比すべき重症者も少なくなく、いずれもいまなお悲惨な症状を呈しており、

(3) 同目録番号19、30の各原告は、新潟水俣病の原因物質であるメチル水銀を多量に体内に保有して、現在および将来ともに不安な生活を続け、

(4) 同目録番号1ないし7、12、14、19、38ないし42、50ないし61、66ないし71の各原告は、いずれも前記新潟水俣病の死亡患者および死にも比すべき重症患者の親族(父母、配偶者、子)として、これらとともに苦しみ、その看護を続けて来たか、または現在も続けており、

(5) 同目録番号19、31ないし34、43の各原告は、いずれも婦女子であるが、新潟水俣病の原因物質であるメチル水銀を多量に体内に保有したため、妊娠規制または不妊手術をせざるを得なかつたものであり、

それぞれはかり知れない肉体的、精神的苦痛と生活上の不利益を蒙つたものである。

(二) 慰藉料算定の根拠等

新潟水俣病は不治の病であり、その治療に抜本的対策がなく、表面に出ない病変の進行があつて、現在でもなお症状は固定したとはいえない。このような状況にあるから、各患者の肉体的苦痛は、いずれも優劣をつけがたいものであるが、本件においてはつぎに述べるような基準にもとづいて慰藉料を算定した。

なお、本件請求は右慰藉料の支払いのみを求めているが、原告らは今後とも、被告に対し財産上の損害金を請求する意思はなく、本件紛争を右慰藉料の請求のみによつて解決しようとする趣旨である。

(1) 死亡患者

金一、〇〇〇万円

(2) 死亡患者の配偶者固有(民法七一一条) 金五〇〇万円

(3) 死亡患者の子固有(右同)

金二〇〇万円

(4) 死亡患者の両親固有(右同) 金二〇〇万円

(5) 胎児性水俣病患者

金一、〇〇〇万円

(6) 生存患者

(イ) Aランク患者

金一、〇〇〇万円

他人の手助けを借りないかぎり、日常生活ができない者。

(ロ) Bランク患者

金七〇〇万円

日常生活は辛うてじ維持できるが、生業を維持できない者。

(ハ) Cランク患者

金五〇〇万円

辛うじて生業を維持できる者。

(7) 重症患者の親族固有(民法七一一条) 金三〇〇万円

(8) 水銀保有者

金三〇〇万円

(9) 妊娠規制婦女子

金五〇万円

(10) 不妊手術婦女子

金二五〇万円

(11) 特別事情による加算

金五〇万円

(三) 原告らの身分関係、症状ならびに慰藉料額。

(1) 原告大野作太郎(別紙(三)請求金目録番号1、以下数字は同じ。)同大野ミス(2)、同大野功(3)、同大野一広(4)、同大野和江(5)

(イ) 原告大野作太郎、同大野ミスは、亡大野岸松の父母であり、原告大野功は右岸松の妻、原告大野一広は右岸松、功夫婦間の長男、原告大野和江は同夫婦間の長女である。

(ロ) 原告大野作太郎およびその長男亡岸松は、阿賀野川に棲息する川魚(以下「川魚」という。)を反復摂食した結果、新潟水俣病にかかり、とくに岸松は昭和四〇年六月七日新潟市旭町通一番町七五四番地新潟大学附属病院において、同病により死亡するに至つた。

亡岸松は昭和三四年一二月原告功と結婚し、長男、長女とともに円満に暮らしていたのであるが、二八才にして幼児を残し、しかも悲惨な病状で死亡したのであるから、その蒙つた精神的損害は甚大で、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告大野功がその夫を、原告大野一広、同和江がその父を、不慮の災害で失つた同人らの精神的打撃はまことに甚大であり、これが慰藉料は原告功が金五〇〇万円、原告一広、同和江は各金二〇〇万円が相当である。また同人ら三名はいずれも亡岸松の相続人として、同人の被告に対する慰藉料請求権を、民法所定の相続分により各自その三分の一、すなわち各金三三三万三、三〇〇円の債権を承継取得した。

(ニ) 原告大野作太郎、同ミスは、その長男岸松を新潟水俣病により、年若くしてしかも悲惨な症状のうちに失つたのであるから、両親としての精神的打撃はまことに甚大であり、これが慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。

(ホ) さらに原告大野作太郎は、自己も新潟水俣病患者になつてから、手足のしびれ、頭部圧迫感等の症状を呈し、稼働も容易ならず、不安と焦燥の生活を余儀なくされているので、Bランク患者としてこれが慰藉料は金七〇〇万円が相当である。

(2) 原告桑野忠吾(6)、同桑野リイ(7)、同桑野チイ(8)、同桑野四郎(9)、同桑野七郎(10)

(イ) 原告桑野忠吾、同桑野リイは夫婦であり、同桑野チイはその間の三女、同桑野四郎は四男、同桑野七郎は七男であり、さらにその間に六男として亡桑野忠英がいた。

(ロ) 前記原告らおよび亡桑野忠英は、川魚を多量に反復摂食した結果、いずれも新潟水俣病に罹り、とくに桑野忠英は、同病特有の悲惨な症状を呈し、昭和四〇年三月二一日新潟大学附属病院において、寝台の上でのたうちまわりながら年若くして死亡した。したがつて同人の苦痛は大きく、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告桑野忠吾、同リイは、前記のとおり六男忠英を、年若くして悲惨な症状のうちに、不慮の災害で失つたのであるから、両親としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。また右両原告は、亡忠英の相続人として、同人の被告に対する慰藉料請求権を、民法所定の相続分により各自その二分の一、すなわち各金五〇〇万円の債権を承継取得した。

(ニ) さらに原告桑野忠吾は、自己も新潟水俣病にかかつてから手のしびれ、下肢神経痛等の症状を呈し、そのため生業であつた漁業を完全に放棄せざるを得なくなり、肉体的にもその病状のため日夜苦悶の生活を続けているばかりでなく、後記のような廃人同様のリイの夫としても筆舌に尽し難い苦痛を蒙つている。したがつて、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円、リイの夫として金三〇〇万円が相当である。

(ホ) 原告桑野リイは、企図振せん、右肩のしびれ感、右手足の不自由等の症状があつたが、最近はその病症がとくに重篤であつて、病臥したまま殆んど廃人同様の状態のもとに死にも比すべき苦痛の日々を送つているので、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ヘ) 原告桑野チイは、中学卒業後愛知県江南市の紡績工場に八年八ケ月勤務していたところ、たまたま昭和三九年暮に帰省し、その後新潟水俣病のためつぎつぎに倒れた家族の看病にあたつている間に自らも罹患してしまつた。同女には、足のしびれ、めまい等の症状があり、同病のため結婚適令期でありながら、将来の結婚を断念せざるを得なくなるなど、予想だにしなかつた災難に遭遇したものでその精神的損害は大きい。したがつて、同女はBランク患者に該当するが前記のとおり特別事情があるので、これが慰藉料は金七五〇万円が相当である。

(ト) 原告桑野四郎は、中学卒業後東京での四年二ケ月にわたる左官見習を漸く了え、帰郷後独立して間もなく新潟水俣病に罹り、手のしびれ、関節の痛みなどの症状があらわれ、そのため手先が生命である左官の生業もできなくなつてしまつたから、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(チ) 原告桑野七郎は、昭和四〇年六月現在頭髪に二七五PPmと多量の有機水銀を有していたため、顔色悪く、たえず疲労感をおぼえるなどの症状があり、年若くして健康がすぐれず、現在および将来の健康状態に強い不安をもつているなどその精神的損害は大きく、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(3) 原告星山幸松(11)、同星山トク(12)、同星山松雄(13)

(イ) 原告星山幸松と同星山トクは夫婦であり、原告星山松雄はその長男である。

(ロ) 原告星山幸松は、同松雄とともに川魚を多量に反復摂食したところ新潟水俣病に罹り、手足のしびれ、視野狭窄、難聴、発語障害、失調性歩行等の症状をともなう回復の見込みがない重篤患者であり、日常生活のすべてにわたつて妻トクの手を借りなければならない状態であつて、一生廃失者のらく印を押されて生きなければならない。したがつて、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告星山トクは、前記のように夫を新潟水俣病に奪われ、絶望のどん底に落ちいりながら、昼夜をわかたず、悲惨な病症の夫の看護に終始し、はかり知れない精神的損害を蒙つている。したがつて、これが慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告星山松雄は、新潟水俣病のため口や頭のしびれ等の症状を呈し、その健康と稼働力を失い、不安と焦燥の生活を余儀なくされているので、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(4) 原告近喜代一(14)、同近喜代司(66)、同近喜三男(67)、同近四喜男(68)、同近喜与平(69)、同斉藤ヨキ(70)、同秋田ミツ(71)

(イ) 前記原告らは、いずれも亡近喜与太の子である。

(ロ) 近喜与太は、生前原告喜代一とともに川魚を反復摂食したため、昭和四〇年四月ころから、左上下肢にしびれ感を覚え、言語、聴力歩行などの各障害、視野狭窄の症状を呈し、遂に同年六月二日死亡するに至つた。同人は平穏であるべき老後の生活を一瞬にして絶たれ、苦痛に呻吟しながら生命を奪われてしまつた。したがつてこれが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) しかるところ、原告近喜代一を除く前記六人の子はいずれも相続を放棄したので、原告近喜代一は亡喜与太の金一、〇〇〇万円の慰藉料請求権を相続によつて承継取得した。さらに同原告は、亡喜与太の長男として、亡父を中心として妻と四人の子供とともに一家七人が、それまで平和で楽しい生活を送つて来たが、新潟水俣病に罹りたちまち悲惨のどん底につき落されてしまつた。すなわち、同原告は一家の精神的支柱として敬愛してきた父を前記のように奪われたばかりでなく、自らも昭和四〇年四月ごろから手足にしびれ感を覚え、言語・歩行障害、全身倦怠の症状を呈するに至つて新潟水俣病患者となり、二重の苦しみを受けることになつた。しかも、一家の中心として多数の家族をかかえて家計を維持すべき責務を負つていながら、右病気のため労働も意のままにならず、将来に対する不安と焦燥ははかりしれないものがある。したがつて、父を新潟水俣病で失つた子固有の慰藉料として金二〇〇万円、Cランク患者としての慰藉料として金五〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告近喜代司、同近喜三男、同近四喜男、同近喜与平、同斎藤ヨキ、同秋田ミツは、いずれも敬愛してきた父を突然奪われ、これにより蒙つた精神的苦痛は甚大であり、これが慰藉料は各金二〇〇万円が相当である。

(5) 原告近彦蔵(15)、同近彦一(74)

(イ) 原告近彦蔵は、同近彦一の父であるが、同居家族八人の長として農漁業を兼業し、一家の維持、繁栄について重責ある身であつた。ところが、右彦一とともに川魚を反復摂食したため、昭和四〇年三月ころ、右趾にしびれ感を覚え、言語、歩行障害、倦怠の症状を呈し、疲労し易くなつて、遂に新潟水俣病に罹り、健康と労働力を奪われ、深い悲しみと経済的困窮に陥いつた。したがつて、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告近彦一の新潟水俣病の症状は、当初は格別顕在化していなかつたものの、その後次第に両肩から両腕にかけてのしびれ、腰部の痛み、労働能力、記憶力の顕著な減退などの症状が現われ、現在では、視野狭窄も加わり勤務も欠勤しがちとなつており、物心両面にわたつて甚大な被害を蒙つているから、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(6) 原告桑野九二三(16)、同桑野清三(17)、同桑野ミヨ(18)

(イ) 原告桑野清三と同ミヨは夫婦であり、原告桑野九二三は右清三の養父である。

(ロ) 原告桑野九二三は、前記家族とともに川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、当初両下肢にしびれ感を覚えていたところ、その後歩行障害、言語障害の症状を呈し、これにより健康と労働力を喪失し、物心両面にわたり甚大な損害を蒙つたので、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告桑野清三は、前記のように新潟水俣病に罹り、左半身にしびれ感を覚え、物忘れが顕著になり疲労し易くなるなどの症状を呈している。その結果、多数の同居家族の支柱でありながら、前記症状により健康と労働力の喪失または減退をきたし、物心両面において甚大な損害を蒙つたので、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告桑野ミヨは、昭和四〇年五月ころから、後頭部に疼痛、全身に倦怠感、両手、右足にしびれ感を覚え、新潟水俣病患者となり、家庭の主婦としての家事の切盛りにも苦痛を覚えるようになつた。これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(7) 原告古山マリコ(19)、同古山繁(59)、同古山知恵子(20)、同古山務(21)

(イ) 原告古山繁、同マリコは夫婦であり、その間に昭和四〇年三月二七日原告知恵子が出生した。原告古山務は、同古山繁の弟である。

(ロ) 原告古山知恵子は、後記のとおり母親マリコが水銀保有者としての診定を受けたほどであつたから、生まれながらにしてその影響を受け、高値の水銀量を保有しており、表情に乏しく、言語障害、流誕著名、起立不能の症状を呈していたが、昭和四五年二月一日胎児性水俣病として認定され、今後正常な成育は全く期待できず、廃人同様の現状からみて将来もこの悲惨な状態が改善されないことが確実である。この精神的苦痛は甚大で筆舌につくし難いものがあり、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告古山繁、同マリコが、右知恵子の父母として同女の症状等から蒙る現在および将来の精神的苦痛は、死亡の場合に劣ることはなく、これが慰藉料は各金三〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告古山マリコは、川魚を反復摂食してきたため、新潟水俣病の原因物質である有機水銀を保有するに至り、両手にしびれ感、全身に倦怠感を自覚する症状を呈し、健康をそこない、疲労を受け易くなるなど甚大な精神的苦痛を受けることになつた。これが水銀保有者としての慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

ところで、昭和四〇年六月中旬に阿賀野川流域の住民を対象に第一回の総合検診が行われたが、この結果、同年八月関係行政機関により、一六才から四九才までの婦女子で頭髪水銀量五〇PPm以上のものに対し、妊娠に注意するよう、いわゆる妊娠規制の指示がなされ、同規制は同四二年七月まで続いた。同原告(当年三一才)もその指示を受けたため、妊娠しはすまいかとの不安から夫婦の和合に支障をきたす生活を余儀なくされた。したがつて、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(ホ) 原告古山務は、川魚を多量に反復摂食した結果、新潟水俣病に罹り、知覚障害、歩行障害の症状を呈するに至り、その健康と労働力を極度にそこない、荷揚げ人夫として衰えた身体を酷使しながら、不安と焦燥の生活を余儀なくされ、その受けた苦痛は甚大である。これが慰藉料はCクラス患者として金五〇〇万円が相当である。

(8) 原告五十嵐英夫(22)、同五十嵐マツ(57)

(イ) 原告五十嵐英夫は、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、当初は口周囲、両手足にしびれ感を覚え、歩行障害、四肢痛、関節痛、全身倦怠の症状を呈していたところ、その後知覚障害、運動失調も増悪し、そのため作業不能の状態になり、家業である自転車販売修理業を停止し、不安と焦燥の日を送つており、この受けた精神的苦痛は極めて大きい。これが慰藉料は、Aランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告五十嵐マツは、右英夫の妻であるが、廃人同様の夫の附添看護に追われる日々を送つている。そのため、同原告は妻として死亡の場合にも比肩すべき精神的苦痛を蒙つているが、これが慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

(9) 原告橋本晃(23)

同原告は、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り視力障害、歩行障害、筋肉にピクピクを感じる症状を呈し、昭和四〇年四月から六月までは起立不能となつて臥床の毎日を送り、その後両手足にしびれ感を覚え、両手の伸展障害の症状を呈し、そのため、健康と労働力をそこない、家業の自転車販売修理業も思うにまかせず、店番程度の仕事しかできなくなつた。その結果、不安と焦燥の生活を余儀なくされ、妻子五人をかかえて生計の維持に日夜腐心し、その受けた精神的苦痛は甚大である。これが慰藉料はBクラス患者として金七〇〇万円が相当である。

(10) 原告五十嵐健次郎(24)

同原告は、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、現在でも両手足に知覚低下の症状を覚え、倦怠感も著名で、疲労し易く、作業不能の状態で、健康と労働力をそこない、専業である漁業も廃業のやむなきに至り、一家五人は妻の労働によつて辛うじて生活している有様である。一家の長である同原告は、不安と焦燥の日々を余儀なくされており、この受けた精神的苦痛は甚大である。これが慰藉料はBクラス患者として金七〇〇万円が相当である。

(11) 原告成田松吉(25)、同成田チヨ(58)

(イ) 原告成田松吉は、川魚を反復摂食した結果、薪潟水俣病に罹り、視野狭窄、発語障害、手足のしびれなどの症状を呈し、半盲、半唖、不髄の状態となつて勤務先の鉄工所を退職せざるを得なくなり、廃人同様の希望のない生活を余儀なくされている。この精神的損害は甚大であつて、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告成田チヨは、右松吉の妻として夫の前記症状のため、死亡の場合にも比肩すべき筆舌に尽し難い苦痛を蒙つており、これが慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

(12) 原告山田二作(26)、同山田ナカ(76)

(イ) 原告山田二作は、川漁を専業としており、妻の原告ナカとともに川魚を多量に反復摂取した結果、新潟水俣病に罹り、そのため正常な歩行が困難となり、健康をそこない、稼働力の低下をきたしている。また、新潟水俣病発生以降、阿賀野川で捕獲される川魚の販売は禁じられたため、その専業とする川漁で生計を立てることも困難で、同原告は一家の柱として家族一一名の生活維持ができず、不安と焦燥に迫われる毎目を余儀なくされ、その蒙つた精神的損害は甚大である。これが慰藉料は、Cランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告山田ナカは、夫と同様に新潟水俣病に罹り、手足のしびれ、頭部膝部の痛み、記憶力の顕著な減退、視野狭窄の症状を呈している。そのため、労働能力を殆んど喪失し、炊事仕事をするのが精一杯で、肉体的苦痛と将来に対する言い知れない不安の毎日を送つているから、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(13) 原告桑野清平(27)

同原告は、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、手足のしびれ、思考能力減退、立ちくらみなどの症状を呈している。このように、その健康をそこない、稼働力を喪失したことから、今後とも不安と焦燥に追われる生活を余儀なくされ、その蒙つた精神的損害は甚大であつて、これが慰藉料はBランク患者として、金七〇〇万円が相当である。

(14) 原告大野正男(28)

同原告は、川魚を反復摂食した結果新潟水俣病に罹り、右肩から右手先の痛み、右手のしびれ、倦怠の症状を呈している。同原告は一家の支柱であり、働き盛りのときに新潟水俣病にかかり、一時は家族の生活維持にも多大の不安と焦燥を感じ、現在でも健康の回復に不安を覚えており、その蒙つた精神的損害は甚大であつて、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(15) 原告村木藤四郎(29)

同原告は、川魚を反復摂食した結果新潟水俣病に罹り、口周、右下肢および手足にしびれ感を覚え、かつ軽度の歩行失調の症状を呈し、現在でも治療を受けているものの、疲れがひどく、臥床の日がほとんどで家業の農業に従事できない状態である。同原告は老母、妻、長男夫婦、および孫三人の大世帯の支柱として働いてき、ようやく孫達にかこまれた楽しい余生を過そうとしていた矢先、突然右症状のため病床に臥し、苦痛の毎日をおくらなければならなくなつた。このため家業を妻と嫁にゆだねざるをえず、またその症状のため日夜不安と焦燥の生活を余儀なくされ、その蒙つた精神的苦痛は甚大であつて、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(16) 原告中川春雄(30)、同中川チカ(31)

(イ) 原告中川春雄は、川魚を反復摂食していたところ、昭和三九年六月ころから腕に痛みを感じ、足にしびれを自覚するようになり、昭和四〇年に水銀保有者として診定を受けるに至つた。同原告は鳶職をしているが、右症状のため現在でも疲れ易く、一週間に二日位は疲労のため仕事を休まざるをえない状態であり、生活維持のため多大の不安にさらされている。このように、健康をそこない稼働力の減退を受けたことにより、不安と焦燥の生活を送つている苦痛は甚大であり、これが慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告中川チカ(当年三一才)は、右春雄と昭和三九年一月二五日に婚姻し同居するにいたつてから、夫とともに川魚を反復摂食するようになり、昭和四〇年七月現在で頭髪中に77.7PPmの水銀を保有していたため、前記(7)の(ニ)記載のように妊娠規制の指導を受けてからは、不具の子供を妊娠しないかとの極度の不安と危惧におののいていた。この精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(17) 原告本田光子(32)

同原告(当年二八才)は、訴外本田義和と昭和四〇年八月八日に式を挙げ、同月二五日婚姻届出をして肩書地に居住するようになつたが、結婚前は新潟市津島屋三四八番地の実家に居住し、当時、川魚を摂食していたため、昭和四〇年七月現在、頭髪中に九二PPmの水銀量を保有していた。

このため、同原告は前記(7)の(ニ)記載のとおり、昭和四〇年八月に妊娠規制の指導を受けたが、その後昭和四一年八月一八日長女和子を初めて出産したところ、妊娠時すでに多量の水銀を保有していたため、初めて子供を産む母親の喜びどころか、かえつて不具の子供が生まれはしまいかとの不安・危惧が日ごとにつのるばかりであつた。加えて、夫の両親からは水銀保有者だときらわれ、夫にまで長女を生むなと強く反対され、その苦悩は筆舌につくし難いものがあつた。同原告が妊娠規制のため蒙つた前記数々の精神的苦痛は甚大であり、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(18) 原告五十嵐惣吉(72)、同五十嵐雪子(33)

(イ) 原告五十嵐惣吉は、川魚を多量に反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、手足口唇のしびれ、立ちくらみ、視野狭窄、難聴の症状を呈し、歩行困難の状態にあり、以前は近隣でも評判の働き者であつたが、右罹患以来労働能力を完全に喪失した。かような肉体的苦痛に加えて、将来に対する不安を抱きながら毎日を送る生活を余儀なくされているから、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告五十嵐雪子(当時二八才)は、右惣吉の子である訴外五十嵐惣平と昭和三九年三月二〇日に式を挙げ、昭和四〇年五月一二日婚姻の届出をした。同原告は、挙式前も実家の豊栄市新井郷一七〇番地で川魚を摂食していたが、挙式後夫と生活をともにしてからも川魚を反復摂食したため、昭和四〇年六月現在、頭髪中に五三PPmの水銀量を保有していた。ところで、同原告は同年一〇月二六日長男真雅を出産したところ、これにさきだつ同年八月前記(7)の(ニ)記載のとおり、妊娠規制の指導を受けたために、すでに長男の出産を間近にひかえていたことから、不具の子が生まれはしまいかとの不安と危惧は非常なもので、自分の死すら考えるほど悩みぬいた。その後無事出産はしたものの、将来長男に水銀の悪影響がでるのではないかと不安の毎日をすごした。さらに同原告は、その後昭和四一年に妊娠をしたが、胎児に対する悪影響の不安から中絶すらせざるをえないかつた。このように生命を生み、守り、育てる母親が、体内に水銀を保有したため妊娠規制を受けざるを得なかつた苦悩は大きく、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(19) 原告山田房子(34)

同原告(当年三三才)は、訴外山田義郎と昭和三五年二月二六日に式を挙げ、同年四月二七日婚姻の届出をし同居してからは川魚を反復摂食するようになり、その結果昭和四〇年六月現在頭髪中に一一〇PPmの水銀量を保有していた。同原告は、当時すでに長男と次男をもうけていたが、昭和四〇年八月前記(7)の(ニ)記載のとおり妊娠規制の指導を受ける対象者となつたため、昭和四二年七月右規制解除の通知を受けるまでの間、絶えず水銀による不具の子供を妊娠しないかとの不安と危惧におののいてきた。かような妊娠規制を受けたために蒙つた精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(20) 原告橋本十一郎(35)

同原告は、自転車の修理販売業を営んでいるものであるが、川魚を多量に反復摂食した結果新潟水俣病に罹り、手の掌にしびれを感じ、瞼、口、唇の周囲に痙攣を覚え、軽い言語失調を呈し、全身疲労が甚だしく臥床しがちになつた。同原告は現在六〇才であり、四人家族の長として、一家の生計の中心となるべき立場にありながら前記症状によつて健康をそこない、労働能力を喪失し、日夜不安と焦燥にかられ、その症状は一向に好転せず、患者としての不安はますます募るばかりである。かように同原告の蒙つている精神的苦痛は甚大であつて、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(21) 原告橋本繁雄(36)

同原告は自営農業者であるが、川魚を多量に反復摂食した結果新潟水俣病に罹り、手足および口周囲にしびれ感を覚え、歩行に際してふらつきを呈し、歩行失調に悩まされている。同原告は、現在五一才であるが、前記症状のため健康をそこない、全く労働ができないため、一家の支柱として妻子を養うこともできず、その生活は悲惨をきわめており、その心労も大きく、医療扶助を受けながら治療に追われる生活を余儀なくされている。かように精神的苦痛は甚だしく、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(22) 原告大野セツ(38)、同大野広司(39)、同大野和子(40)、同堀文子(41)、同大野勝司(42)、同大野トミ(43)同大野福治(37)

(イ) 原告大野セツは、亡大野岩次の妻であり、原告大野広司、同大野和子、同堀文子、同大野勝司は右岩次の子である。また、原告大野トミは右広司の妻、同大野福治は右和子の夫である。

(ロ) 亡大野岩次は、自営農業者であつたが、昭和三九年一一月中旬ころから、川魚をほとんど毎食反復摂食していたため新潟水俣病に罹り、昭和四〇年初めころから身体の変調を訴えはじめ、歩行失調、両手足のしびれをつぎつぎと感じ、同年二月一三日ころからは言語失調が顕著になり、同月二五日ころには会話が全然できなくなり、遂には臥床し手足をもがく狂乱状態を呈するようになつたすえ、同年三月二日死亡するに至つた。ところで、同人は平穏であるべき老後の余生を前記のとおり一瞬にして絶たれ、苦痛に呻吟しながら悲惨な最後を遂げたもので、同人の受けた精神的、肉体的苦痛は言語に絶し、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告大野セツは、永年連れ添つてきた夫を前記のごとき悲惨な死により一瞬のうちに奪われ、また老夫婦の幸福であるべき余生の希望を絶たれたことにより、多大な精神的苦痛を蒙つたものであり、これが慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告大野広司、同大野和子、同堀文子、同大野勝司は、精神的支柱として敬愛してきた父を前記のような悲惨な死により奪われたことにより、多大の精神的苦痛を蒙つたものであり、これが慰藉料は各自について金二〇〇万円が相当である。

(ホ) 亡大野岩次には、相続人として妻のほかに前記四人の子がいたが、原告大野広司を除く他の相続人は相続を放棄したので、同広司は前記(ロ)記載の亡岩次の被告に対する慰藉料請求権を単独相続により承継取得した。

(ヘ) 原告大野福治は、自動車運転者として勤務するかたわら、自営の農業に従事してきたものであるが、川魚を多量に反復摂食した結果新潟水俣病に罹り、歩行失調をきたし、両手に感覚麻痺ないししびれ感を感じ、身体に疲労、倦怠を自覚するようになつた。前記症状はその後も容易に好転せず、現在でも軽度の歩行失調と両手足にしびれを感じ、このため発病前の職場に復帰したものの、極めて軽い仕事しかできず、また自営農業にはまつたく従事できない状態にあり、これが慰藉料はCクラン患者として金五〇〇万円が相当である。

(ト) 原告大野トミは、前記広司と昭和三四年一二月二四日婚姻し、その後長女淳子(昭和三四年一一月三日)、二女裕美(昭和三七年九月二三日生)の二子をもうけ、幸福な結婚生活を送つてきた。ところが、義父の亡岩次と食膳をともにし、川魚を摂食してきたところ、亡岩次が前記のごとく悲惨な死を遂げ、この死が新潟水俣病に原因する旨昭和四〇年六月ころ認定されたため、当時すでに長男浩之(昭和四〇年九月九日生)を懐妊していたものの自分も頭髪中に高値の水銀量を保有していたことを知り、不具の子供を分娩しはしないかと強度の不安にかられ、出産期が近ずくにつれて子を思う母親の心労は極度に達したほどであつた。その後、県衛生部の指導でようやく決意し、長男を分娩したが、同人が将来健全な成育をとげることについてなんの保証もなく、依然子の成長についての不安は解消しなかつたため、将来頑健な男児が欲しいとの希望もあつたが、水銀を保有している母体に対する不安危惧が大きく遂に長男分娩後一週間くらいして不妊手術をした。同原告がかような事情から不妊手術におよんだことにより蒙つた精神的苦痛は甚大であり、これが慰藉料は金二五〇万円が相当である。

(23) 原告五十嵐栄一(44)、同五十嵐松男(45)、同五十嵐ヨシ(73)、同五十嵐ミヨ(77)

(イ) 原告五十嵐栄一、同五十嵐松男、および訴外五十嵐栄作は、原告五十嵐ヨシの子であり原告五十嵐ミヨは右訴外人の妻である。

(ロ) 原告五十嵐栄一は、自営農業に従事するかたわら、阿賀野川での漁業を営んでいたところ、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、当初は口唇の周囲、両手足にしびれ感を覚える程度であつたが、口唇のしびれは次第に激しくなり言語失調も訴えるようになり、右症状は進行を重ね、両手のしびれは腕のつけ根辺りまで、両足のしびれは腿から腰にまで展開するほどになつた。そして、現在でも常時口唇、舌および両手、足から肩、腿にかけてしびれを自覚しており、右腕は背後にまわらない状態である。同原告は、年老いた両親および妻と三人の子女を抱え、長男夫婦とその子供二人等と同居の生活しているが、健康をそこない、労働能力を喪失しているため、一家の主柱として生計を維持することができず、現在および将来の生活について不安と焦燥の毎日を送ることを余儀なくされており、その受けた精神的苦痛は多大のものであり、これが慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である。

(ハ) 原告五十嵐松男は、木材会社に勤務していたものであるが、常日ごろ川魚を反復摂食していたため新潟水俣病に罹り、現在も左半身にしびれを感じ、力仕事が全然できず、勤務先も昭和四〇年九月以来休職している。このため、妻が二児を抱えながら一家の生活を支えるため、木工所に勤務しており、その生活は悲惨をきわめ、生活保護により辛うじてその日の生活を維持している有様である。同原告が、かように身体を蝕ばまれたことによつて蒙つた精神的苦痛は多大で、これが慰藉料はCクラス患者として金五〇〇万円が相当である。

(ニ) 原告五十嵐ヨシは、右松男らとともに川魚を反復摂食したことにより新潟水俣病に罹患したものであるが、昭和四四年春ころから、右病気の症状が顕在化し、頭部痛、頭部から頸部を通つて左手指に至るまでのしびれ、両足膝下のしびれ感と感覚喪失、立ちくらみ、全身にわたるほてりと悪感、視野狭窄などが現われ症状は進行を重ねている。このため、同原告は、従前の約三分の一にも満たない飯椀半分程度の食事しかとることができず、たえがたい苦痛と将来に対する言い知れない不安の毎日を送ることを余儀なくされており、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(ホ) 原告五十嵐ミヨは、木材工場に勤務していたものであるが、川魚を多量に反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、現在、両手足、後頭部のしびれ、痛み、下肢の運動失調、視野狭窄、疲労の各症状を呈しており、このため昭和四五年四月ころから前記工場を辞め、辛うじて家事に従事しながら苦痛と不安の毎日を送ることを余儀なくされている。右肉体的、精神的苦痛は甚大であり、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(24) 原告五十嵐俊(46)

同原告は、阿賀野川の漁業に従事するかたわら、土工として建築、土木工事に従事していたものであるが、川魚を多量に反復摂食したため新潟水俣病に罹り、手指の感覚麻痺、指に力が入らず、容易に疲労を覚えるようになるなどの症状を呈し、現在でも手指の感覚がなく、重い物を持つ仕事に従事できないほどの体調である。同原告は、当年三四才であり、妻と二人の子供を養う身でありながら、前記症状のため、昭和四三年末までは全く労働することができず、生活保護を受けながら一家の生活を支える必要から昭和四四年に入つて、ようやく身体の調子の良いときだけ手間賃とりの仕事に従事している有様である。したがつて、これが精神的苦痛に対する慰藉料はCランク患者として金五〇〇万円が相当である唇。

(25) 原告石山平松(47)、同石山トメ(48)

(イ) 原告石山平松は、川魚を反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、口唇および舌にしびれを感じ、手足の感覚麻痺を訴え、遂には舌の根が動かず、食事すら困難の状態になり、視力の低下をきたすようになつた。同原告はこのため再々入院加療をこころみたが、現在でも頭部左半分および両手足にしびれを感じ、言葉が不明瞭なほどの言語失調を訴えている。かように、同原告は健康をそこない、ほとんど労働に従事できない状態であり、勤務先の石油会社からの休業補償で辛うじて生活を維持している有様である。その精神的苦痛は多大なものであり、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告石山トメは、右平松の妻として前同様川魚を反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、当初は口唇の周囲、両手足にしびれ感を覚え、歩行障害、全身倦怠感を訴える等し、現在でも、舌先、口唇周囲のしびれ感、両手足の知覚低下、身体の易疲労性を訴え、家庭の主婦としての日常の家事労働にも従事できない状態である。このため、一家の生活は悲惨をきわめ、同原告が健康を蝕ばまれた精神的苦痛は多大のものであり、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(26) 原告五十嵐藤一(49)

同原告は、家業の農業に従事しているものであるが、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、当初は両手足にしびれ感を自覚する程度であつたが、その後症状はますます進行し、口唇、舌および頭部にもしびれを感じるほどになり、手足のふるえ、視力障害、肩腰部に筋肉痛を覚えるに至つた。同原告は幼児のころ小児麻痺に罹り、右手、左足が不自由で、二級の身体障害者となつているが、今日(当年四七才)まで、肢体の不自由にもめげず、生活の努力をしてきたところ、新潟水俣病患者として健康を蝕ばまれ、あまつさえ労働能力を喪失するに及んで、二重の苦しみを味わうことを余儀なくされている。同原告の受けたかような精神的痛手は著しく、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(27) 原告渡辺キミ(50)、同渡辺徳栄(51(、同渡辺徳篤(52)、同小島キイ(53)、同渡辺篤(54)、同渡辺篤夫(55)同中村芳美(56)

(イ) 原告渡辺キミは、亡渡辺篤太郎の妻であり、その余の前記原告らは、その間の子である。

(ロ) 亡篤太郎は、阿賀野川で漁業を営んでいたものであるが、川魚を反復摂食したため、昭和四〇年春ころから手のしびれ、視野狭窄に悩まされ、とくに昭和四三年に入つてからは両眼の機能に著しい変調をきたし、米飯が変色して見えるため家族に毒殺されるのではないかと疑い、またゴミ類が全部虫に見えるため家族に虐待されていると疑うなどの被害妄想にとらわれて不眠症にかかり、果ては居宅に放火すると口走るようになり、その挙句昭和四四年一二月三一日狂死するに至つた。同人は老後の平穏な生活を送つていたところ、前記のとおり悲惨な状態で生命を奪われてしまい、これが精神的苦痛に対する慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 右篤太郎死亡の結果、民法所定の相続分により、原告渡辺キミは右慰藉料請求権金一、〇〇〇万円のうちその三分の一に相当する金三三三万三、三〇〇円を、その余の原告ら六名はそれぞれその九分の一に相当する金一一一万一、一〇〇円を相続によつて承継取得した。

(ニ) また原告渡辺キミは、最愛の夫を必死の看護の甲斐もむなしく、狂人同様の状態で奪われ、その余の原告ら六名は精神的支柱として敬愛してきた父を無惨な最期で奪われたものであるが、妻としての原告渡辺キミの受けた精神的苦痛は金五〇〇万円をもつて、子としてその余の原告らの受けた精神的苦痛は各二〇〇万円をもつて慰藉されるのが相当である。

(ホ) 渡辺徳栄は、川魚を反復摂食したため、昭和四四年六月ころから両手指、下肢、口唇のしびれ、疲労、視野狭窄などの症状が顕在化し、同四五年九月三日新潟水俣病患者と認定され、現在独力では家業の川舟運送業を営むことが困難なため実弟に助けられて辛うじて生業に従事している。同原告は、前記のとおり父を狂死させられたうえ、一家の主柱たるべき自分までも水俣病症状の顕在化に直面せしめられ、将来に対するはかりしれない生活上の不安を抱きながら毎日を送ることを余儀なくされている。したがつて、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(28) 原告南キヨノ(60)、同南健次(61)

(イ) 原告南キヨノは亡南宇助の妻であり、原告南健次はその間の子である。

(ロ) 亡宇助は、農業のかたわら漁業を営んでいたものであるが、川魚を多量に反復摂食したため、昭和三九年八月下旬ころ、新潟水俣病に罹り、同年一〇月二九日同症特有の悲惨な病状のもとに死亡したものである。したがつて、その苦痛は筆舌につくし難く、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(ハ) 亡宇助の相続人のうち原告南キヨノが相続を放棄したので、前記慰藉料請求権金一、〇〇〇万円は、原告南健次が全部相続によつて承継取得した。

(ニ) 原告南キヨノは、永年連れ添つてきた夫を悲惨な病状のもとで奪われ、その精神的打撃はまことに甚大なものというべく、これが慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(ホ) 原告南健次は、父を突然失い、これによつて蒙つた精神的打撃ははかりしれないものがあり、これが慰藉料は金二〇〇万円が相当である。

(29) 原告村山政次(62)、同村山昇二(63)

(イ) 原告村山政次は、農業のかたわら養鶏を業とするものであるが、川魚を多量に反復摂食したため新潟水俣病に罹り、両手、口の周囲、側頭部のしびれ感、足の痛みなどを覚え、現在妻にたすけられて、辛うじて生業を維持している。したがつて、同原告の受けた精神的、肉体的打撃は甚大というべく、これが慰藉料はCクラス患者として金五〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告村山昇二は、右政次の二男で、中学三年(昭和四五年四月現在)に在学中のものであるが、右父と同様に川魚を多量に反復摂食したため、昭和四四年一一月二二日新潟水俣病患者と認定されるに至つた。同原告は成長盛りの年頃であるのに身体を有機水銀に冒され、手足と舌のしびれ、足の感覚喪失などの症状を呈し、学業にも大きな支障をもたらしている。かような苦痛に対する慰藉料はCクラス患者として金五〇〇万円が相当である。

(30) 原告今井春吉(64)、同今井一雄(65)

(イ) 原告今井春吉は、川魚を反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、遅くとも昭和三九年六月四日ころには発病し、手、口の周辺のしびれ、視野狭窄などの病状が顕著である。かように同原告は同病のため精精神的肉体的に甚大な損害を蒙つており、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

(ロ) 原告今井一雄は右春吉の子であるが、父と同様川魚を多量に反復摂食したため、新潟水俣病に罹り、手や口の周囲のしびれ、視野狭窄、難聴、運動失調などの症状を呈し、一家の柱であるにもかかわらず、生業の農業、養鶏業も殆んど妻に委ねざるをえなくなつたばかりでなく、その後病状は悪化の一途をたどり、現在は日常の起居動作にも大きな支障を来している。かような精神的、肉体的苦痛は甚大なものというべく、これが慰藉料はAランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(31) 原告梶原シモ(75)

同原告は、川魚を反復摂食したため新潟水俣病に罹り、昭和四一年ころからは頭部から左腕にかけてのしびれ感、両手指の感覚麻痺、記憶力減退などの症状が顕在化するとともに、その病状は進行を重ね、現在では右眼はすでに失明し、左眼は視野狭窄が顕著であり、両足の神経が麻痺のため上がらず歩行困難の状態にある。このように、同原告は新潟水俣病により死をも容認するほどの苦痛と不安の毎日を送ることを余儀なくされており、これが慰藉料はBランク患者として金七〇〇万円が相当である。

ロ 弁護士費用

別紙(三)請求金目録欄記載の各原告は、昭和四六年三月九日弁護士渡辺喜八に対し、本件訴訟第一審終結の際に報酬として、前記イ項記載の慰藉料、すなわち同目録欄の合計金額の一割分に相当する目録欄記載の各金員を支払うことを約した。同弁護士は、別紙(二)原告ら訴訟代理人目録記載の弁護士らとともに新潟水俣病弁護団(団長渡辺喜八)を結成し、本件各併合事件について原告らの訴訟代理人として訴訟活動をしてきた。

4よつて原告らは、被告に対し、別紙(三)請求金目録欄記載の損害金、およびこれに対する不法行為以降である同目録欄記載の日から各支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、請求原因を理由あらしめる事実、法律上の主張および被告の反論に対する再反論

別紙昭和四三年六月六日付原告準備書面(第二)、同年六月六日付原告準備書面(第三、但し二項のみ)および昭和四六年五月一七日付原告準備書面(最終・但し、第二編のみ)にそれぞれ記載のとおり。

第三、被告の主張

一、請求原因に対する答弁

1請求原因1項の事実は認める。

2同2の(一)項の事実のうち、被告が鹿瀬工場において、昭和一一年から同四〇年一月までアセトアルデヒドの製造を行なつていたことは認める。ただし、正確には、鹿瀬工場の有機部門は、昭和三二年五月まで昭和合成化学工業株式会社の工場であつたが、同月被告がこれを吸収合併したものである。鹿瀬工場が阿賀野川上流に排出していたのは、処理後の蒸溜廃水(すなわち、使用済の水銀をアセトアルデヒド製造工程中の水銀除去装置を通じて除去・回収した後に蒸溜工程から排出した廃水)であつて、原告のいうような製造工程中の廃液をそのまま放出していたのではない。

3同2の(二)項の事実のうち、鹿瀬工場が阿賀野川に排出する廃水に「アセトアルデヒド合成工程中に副生されるメチル水銀化合物が多量に混入している」ことは、全面的に否認する。すなわち、アセトアルデヒド工程中にメチル水銀の副生、流出はなく、いわんや多量に排水に混入することなどは全くありえない。

また、被告がメチル水銀化合物の混入した廃液を、そのまま河川に放出したことを前提とする原告らのその余の主張も争う。

4同2の(三)、(四)各項の事実は、すべて否認する。

5同2の(五)項の事実は争う。

原告らの主張するがごとく阿賀野川の魚類の休内にメチル水銀化合物の汚染があつたとすれば、それは昭和三九年六月発生した新潟地震により被災した水銀農薬による一時的、局地的濃厚汚染に起因するものであつて、被告鹿瀬工場とは全く無関係である。

6同3の各項の事実のうち、死亡者の死亡日時、死亡者ならびに原告らの続柄は認め、弁護士報酬契約は不知、その余は否認する。

7同4項の主張は争う。

二、請求原因否認の事実、法律上の主張および反論

別紙昭和四四年二月二五日付被告準備書面(第六)、同年六月二四日付被告準備書面(第七、但し「第三準備書面に対する認否」の一、三項関係を除く。)および昭和四六年五月一九日付被告準備書面(最終)にそれぞれ記載のとおり。

第四、証拠関係〈略〉

裁判所の基本的な考え方

この判決が判断した対象は複雑、多岐にわたり、かつ、これが相互に絡んでいて、判決の理由部分の分量もほぼ八百頁に達している。したがつて、その全体を限られた紙面で洩れなく要約することは正確さを欠くうらみがあるので、判決理由における基本的な考え方を述べることとする。(注〔 〕内は、判決理由本文のうち関連する項目を示す。)

(因果関係論)

一般に、不法行為に基づく損害賠償事件では、因果関係の立証責任は被害者(原告)にあるとされているが、いわゆる公害事件、なかでも化学工業に関係する企業が事業活動の過程で排出する化学物質によつて、多数の住民に疾患等を起こさせる「化学公害」事件などでは、争点のすべてにわたつて高度の自然科学上の知識を必須とするから、被害者に対して、因果の環の一つ一つにつき逐次自然科学的な解明を要求することは、民事裁判による被害者救済の途を全く閉ざす結果にもなりかねない。けだし、右の場合、通常、①被害疾患の特性とその原因(病因)物質、②原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)、③加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)が問題となると考えられるが、①については、昭和二八年ころから発生した熊本における水俣病の例が端的に示しているように、相当数の患者が発生し、多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ明らかにならない場合が多く、②については、当該企業関係者以外の者が排出物の種類、性質、分量などを正確に知ることは至難であり、加えて、これが被害者に到達するまでには複雑な自然現象も関係してくるから、その汚染経路を被害者や第三者は知り得ないのが通常と思われる。③にいたつては、加害企業の「企業秘密」を理由に、国などの行政機関においてすら、企業側の全面協力が得られなければ、立入り調査をし試料採取することなどはできず、いわんや一般住民にすぎない被害者がこれを解明しようとすることは不可能に近く、被害者は加害企業が企業秘密を解かない以上、その内容を永遠に解き得ない立場にある。これに反して、加害企業は多くの場合、生成・排出のメカニズムにつき排他的、独占的な知識を有しているとすらいえるから、③については、企業内の技術者をもつて容易に立証し、その真実を明らかにすることができる。したがつて、以上から考えると、「化学公害」事件においては、被害者(原告)に対して自然科学的な解明をまで求めることは、不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく、前記①、②については、その情況証拠の積み重ねにより、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明ができれば、法的因果関係の面ではその証明があつたものと解すべきであり、右程度の①、②の立証がなされ、汚染源の追求がいわば企業の門前にまで達したときは、③については、むしろ企業側において自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果、すべての法的因果関係が立証されたものと解すべきである〔第三の六の1〕。

二これを本件についてみると、まず本件中毒症は、臨床、病理、動物実験等の研究の結果、水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であり、その病因物質が低級アルキル水銀、特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから〔第三の二〕、前記①については立証がつくされたといえる。②については、本件中毒症患者らが阿賀野川河口付近に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの、その川魚の汚染経路について、原告側が工場排液説(被告鹿瀬工場排水に汚染源を求める。)を、被告側が農薬説(昭和三九年六月一六日発生した新潟地震により被災した新潟港埠頭倉庫内農薬に汚染源を求める。)をそれぞれ主張し、いずれの説においても科学的に十分解明されたとはいえない。しかし、工場排液説において、鹿瀬工場は昭和一一年から昭和四〇年一月まで、アセチレンから水銀等を触媒にしてアセトアルデヒドを製造(アセチレン水化反応)していたが、その製造工程から生ずる廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出して処理していたこと、同工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水苔から、いずれもメチル水銀化合物が検出されたこと、食物連鎖による濃縮蓄積により川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること、上流の汚染有機物は下流、特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され〔第三の三〕、また、この工場排液説と阿賀野川の時間的汚染態様、すなわち、患者発生の時期、患者等の長髪水銀量の経時変化、猫の斃死、行方不明の時期、河口における豊漁、川魚の異常挙動の時期との関係および場所的汚染態様、すなわち、患者等発生の地域分布、患者等の頭髪水銀量の地域分布、河口付近の川魚の異常挙動、魚類、藻類、泥、水の水銀分布との関係も、その一部について説明が容易でない現象があるとしても、関係諸科学との関連においてすべて矛盾なく説明ができるから〔第三の五〕、前述した程度の立証はつくされたものと解すべきである。他方、被告主張の農薬説では、四つの汚染経路が主張されているが、理論的可能性があるとして取り上げるべきものは塩水楔による汚染(地震により被災した埠頭倉庫内の農薬が港外、信濃川河口、日本海へと流出し、日本海沿岸流で阿賀野川河口前に達し、塩水楔現象で河口を遡上し川魚を汚染する。)のみであるが、理論自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりでなく〔第三の四〕、阿賀野川の汚染態様との関係につき、地震前の患者発生(前記の)、地震前の高水銀量(同)、地震前のアルキル水銀中毒症猫(同)、および上流居住者に高水銀保有などの現象(前記の)は、関連諸科学との関連において矛盾し説明のつかない点もあり〔第三の五〕、また農薬説で立証された事実も工場排液説の成立を妨げるものではない。そして、前記③については、アセチレン水化反応の工程中にメチル水銀の生成・流出の有無につき、学者、専門家の間でも意見が分れ、また、鹿瀬工場においては、特に昭和三四年以降の実際のプラントは試料等が保存されないまま撤去され、製造工程図等も廃棄されてしまつているため、同工場における前記生成・流出の有無を確定することはできないが、被告はこれを否定することができなかつたばかりでなく(なお、被告が右試料等を廃棄した当時は、すでに鹿瀬工場が本件中毒症の汚染源として疑われていたから、被告がこれら試料等を保存してさえおけば、この点は容易に立証できたと考えられる。)、鹿瀬方式においても、その量の点はともかく、メチル水銀が生成・流出する理論的可能性が肯定され〔第三の三〕、前記のとおりこれを裏づける事実(反応系施設および排水口付近水苔からのメチル水銀化合物の検出)も立証された。以上からして、被告が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生ずる廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出した行為と本件中毒症の発生との間には、法的因果関係が存在するものと判断する〔第三の六の2、3〕。

(被告の責任)

一故意については、これを認めるにたりる証拠はない〔第四の一〕。

二過失について検討すると、被告のような化学工業を営む「化学企業」の生産活動においては、日進月歩に開発される化学技術を応用して大量に化学製品を製造するものである以上、その化学反応の過程において、製品が生成されるかたわら、有害物質が副生されることが当然ありうるから、化学企業としては、これらの有害物質を企業外に排出することがないよう、常にこれが製造工場を安全に管理する義務があるというべきである。そして、被告は前記のとおり、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程から生ずる廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出していたのであるが、このように、化学企業が製造工程から生ずる廃水を一般の河川等に放出して処理しようとする場合は、最高の分析検知の技術を用い、排水中の有害物質の有無、その程度、性質等を調査し、これが結果に基づいて、いやしくもこれがため生物や同河川を利用している沿岸住民に危害を加えることのないよう万全の措置をとるべきである。特に、被告は、昭和三六年暮ころまでには、熊本における水俣病の原因についての熊本大学による有機水銀説、すなわち、同種の化学製品を生産し、しかもその生産量において業界随一を誇るチッソ株式会社水俣工場の工場排水が水俣病の原因だとする考え方があることを、業界団体の日本化学工業協会の動き等の中で知悉していたから、右工場と同種の原料から同種の化学製品を生産している企業として、死者までも発生するという予測される結果の重大性にかんがみ、鹿瀬工場の排水については格段の注意を払い、前述のような調査をし、工場排水として阿賀野川に放出した場合の危険性について絶えず検討する義務があつたというべきである。しかるに被告は、前記有機水銀説等に謙虚に耳を傾むけることもなく、漫然と水俣病の先例をいわば対岸の火災視していたため、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程からの廃水について、前述の調査分析の実施すら怠たり、右工程中に微量とはいえ有害物質であるメチル水銀化合物が生成し流出していたのに気づかず、これを無処理のまま工場排水とともに阿賀野川に放出して処理した結果、原告らに対し本件中毒症に罹患等させたから、この点に被告の過失がある。なお、鹿瀬工場からのメチル水銀化合物の排出は極く微量であると推認できるが、適切な分析方法を採用すれば当時の分析技術によつても十分検知可能であつたと考える。また、当時においては、メチル水銀の完全除去装置の設置は極めて困難であつたことが推認できなくはないが、危害発生の結果を回避すべき具体的方法は、その有容物質の性質、排出量等から予測される実害の大小との関連で相対的に決められるべきであり、最高技術の設備をもつてしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶことが予想される場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までも要請されることがあると解する。けだし、企業の生産活動も、一般住民の生活環境保全との調和においてのみ許されるべきであり、住民の最も基本的な権利ともいうべき生命、健康を犠牲にしてまで、企業の利益を保護しなければならない理由はないからである〔第四の二、第三の一〕。

(損害)

一公害事件に基づく損害賠償には、つぎの特質を見い出すことができる。①企業は、資本と人的、物的設備等を擁して一定の生産活動を営んでいるのに対し、被害者である付近住民らは一般にかような立場になく、かつ、容易に加害者の地位にとつて替り得ない。②公害は、自然環境の破壊を伴うから、付近住民らにとつてその被害は不可避的であり、多くの場合、被害者側に過失と目されるべき行為はない。③公害は、不特定多数の住民にその被害を及ぼし、その範囲も相当広範囲にわたるため、社会的に深刻な影響をもたらす。④公害は、環境汚染をもたらすものであるから、同一の環境のもとで生活している限りひとしく被害を蒙り、ために家族全員またはその大半が被害を受け、いわば一家の破滅をもたらすことすら起こりかねない。⑤企業は、公害の原因となる生産活動により利潤をあげることを当然予定しているのに反し、被害者である住民らにとつては、これから直接得られる利益は何ら存しない。

二したがつて、公害による損害賠償の損害額を算定するに当つては、右の特質を考慮して損害の填補をはかることにより、はじめて公平、妥当かつ合理的な損害の負担という不法行為法の理念にもよく合致するということができるが、本件においては、さらに、①水俣病の治療法は、主要症状の改善にあまり効果がなく、その症状は一般的に未だ固定しておらず、一部の症状に部分的な改善がみられる反面、罹患後一〇数年経つてから症状が悪化した例もあり、予後の経過は必らずしも期待することができないこと、②本件では原告らは慰藉料のみを請求し、いわゆる逸失利益については現在および将来もこれを請求する意思がない等の事情もあるから、慰藉料の算定に当つては、水俣病の治癒、改善の困難さ、各患者の症状、入院およびリハビリテーション期間の長短に加えて、患者の年令、稼働可能年数、収入、生活状況等諸般の事情をも参酌した。そして、死亡患者の慰藉料を原則として一、〇〇〇万円にしたほか、生存患者の慰藉料については、患者らを「日常生活における障害の程度」と「服することのできる労務の程度」を基準として、その症状をつぎの五段階に分類し、当該ランクに応じた慰藉料を原則とし(括孤内の金額)、これに前記諸要素を加えて、各人の金額を算定した。〔a〕ランク患者――他人の介助なしには日常生活を維持することはできず、死にも比肩すべき精神的苦痛を受けているもの(一、〇〇〇万円)、〔b〕ランク患者――日常生活を維持するのに著しい障害があるもの(七〇〇万円)、〔c〕ランク患者――日常生活は維持できるが、軽易な労務以外の労務に服することができないもの(四〇〇万円)、〔d〕ランク患者――服することができる労務が相当程度制限されるもの(二五〇万円)、〔e〕ランク患者――軽度の水俣病症状のため継続して不快感を遺しているもの(一〇〇万円)〔第五の一ないし四〕。なお、弁護士費用については、各認容慰藉料合計額の原則として一割を本件不法行為から通常生ずべき損害と認めた〔第五の六〕。各原告の認容慰藉料額、弁護士費用額は、別紙のとおりである〔第五の五〕。

理由目次

(書証の形式的証拠力について)

第一当事者

一原告ら

1ないし19

二被告

第二阿賀野川沿岸における有機水銀中毒症発生の概況

一患者発見の端緒等

1ないし5

二新大と県、市の調査研究

1 対策のための体制作り

(一)ないし(三)

2 魚介類の捕獲制限

3 原因究明のための調査

4 潜在患者の発見

(一)ないし(五)

三国の調査研究とその見解

1

(一) 厚生省の現地調査

(二) 国の調査研究組織の設置

(三) 特別研究班の調査研究

(1)ないし(3)

(四) 政府の技術的見解

2

四行政機関等による患者の認定

1ないし4

五行政見解に対する被告の反論

第三本件中毒症と被告の行為との因果関係

一熊本県の水俣病

1 水俣病発生の概況

(一)ないし(七)

2 水俣病の特性とその病因物質

(一)

(1) 水俣病の臨床的観察

(イ)ないし(チ)

(2) 水俣病の病理的所見

(イ)、(ロ)

(3) 水俣病に関する動物実験

(イ)、(ロ)

(4) 水俣病の疫学的観察

(イ)ないし(ハ)

(二)

3 水俣病の発生機序

(一)

(1) 水俣湾付近の地形

(2) チッソ水俣工場と工場排水

(イ)、(ロ)

(3) メチル水銀化合物の副生・流出と水俣湾の汚染

(イ)ないし(ハ)

二本件中毒症と水俣病

1 本件中毒症の特性とその病因物質

(一)

(1) 本件中毒症の臨床的観察

(イ)ないし(ヘ)

(2) 本件中毒症の病理的所見

(イ)、(ロ)

(3) 本件中毒症に関する動物実験等

(イ)、(ロ)

(4) 本件中毒症の疫学的観察

(イ)ないし(ホ)

(二)

2 本件中毒症と水俣病の関係

三工場排液説

1 鹿瀬工場におけるアセトアルデヒド合成工程

(一)

(二)

(1)、(2)、((イ)、(ロ))、(3)((イ)ないし(ヘ))

2 鹿瀬方式におけるメチル水銀の副生・流出

(一) メチル水銀生成の理論的可能性

(1) 瀬辺・喜田村説とその実験

(イ)((a)ないし(c))ないし(ハ)

(2) 入鹿山説

(3) 北川説

(4) 被告のモデル実験

(イ)((a)ないし(c))、(ロ)

(二) メチル水銀化合物溜出の理論的可能性

(1)、(2)((イ)、(ロ))、(3)

(三) メチル水銀化合物の系外排出の理論的可能性

(1)、(2)

3 鹿瀬工場付近からのメチル水銀化合物の検出

(一) チッソ水俣工場におけるメチル水銀検出と鹿瀬工場

(二) 鹿瀬工場内からメチル水銀化合物の検出

(1)、(2)

(三) 鹿瀬工場排水口付近水苔からメチル水銀化合物の検出

(1)((イ)ないし(ハ))、(2)((イ)ないし(ハ))

(四) 鹿瀬工場ボタ山等の水銀

(1)、(2)

4 鹿瀬工場のアセトアルデヒド生産量と操業状態

(一) アセトアルデヒド生産量

(1)ないし(3)

(二) 操業状態

(1)、(2)

5 魚類・人体へのメチル水銀化合物の蓄積

(一) 生物の代謝作用とメチル水銀化合物の性質

(1)ないし(6)

(二) 超稀薄濃度汚染と濃縮蓄積

(1) 自然界における濃縮蓄積の現象

(イ)ないし(ハ)

(2) 食物連鎖による濃縮現象

(三) 阿賀野川における汚染と濃縮蓄積

(1)、(2)、(3)((イ)、((a)、(b))、(ロ)((a)ないし(d)))

(四)

四農薬説

1 新潟地震と埠頭倉庫の被災状況

(一) 新潟地震と津波

(1)ないし(4)

(二) 県営埠頭と倉庫の被災状況

(1) 中央埠頭と倉庫

(2) 東埠頭と倉庫

(3) 北埠頭と倉庫

(4) 万代島埠頭と倉庫

(5) 後背地の倉庫

(三) 臨港埠頭と倉庫の被災状況

2 保管農薬の数量・種類および被災流出状況等

(一) 保管数量と保管形態

(1)、(2)

(二) 本件中毒症の原因物質たりうる農薬

(1) アルキル水銀系農薬

(2) 酢酸フエニル水銀農薬

(イ)((a)ないし(d))、(ロ)

(三) 農薬の被災流出の状況

(1) 被災流出量

(2) 流出の状況

(イ)、(ロ)((a)ないし(c))、(ハ)

3 流出農薬が阿賀野川河口の魚類等を汚染する可能性

(一) 日本海経由の汚染

(1) 日本海沿岸流

(イ)ないし(ハ)

(2) 塩水楔

(イ)((a)ないし(f))、(ロ)

(3) 塩水楔による流出農薬の持ち込み

(イ)、(ロ)((a)ないし(c))

(二) 通船川経由の汚染

(1)、(2)

(三) 不法投棄による汚染

五汚染の態様と工場排液説、農薬説との関係

1 汚染の時間的態様と両説

(一) 患者発生の時期

(1) 患者全体の発生時期について

(イ)、(ロ)

(2) 亡患者南宇助について

(イ)、(ロ)

(3) 原告今井春吉について

(イ)、(ロ)

(4) 原告五十嵐松男、同村木藤四郎、同桑野忠吉について

(二) 長髪水銀量の経時変化

(1) 原告桑野リイら六例について

(イ)、(ロ)

(2) 遠藤ツギについて

(イ)、(ロ)

(三) 犬、猫の斃死、行方不明

(1) 患者発生地域等の犬、猫について

(イ)、(ロ)

(2) 原告桑野忠吾家の猫について

(イ)、(ロ)

(四) 阿賀野川河口における豊漁、川魚の異常挙動

(1)、(2)

2 汚染の場所的態様と両説

(一) 患者等発生の地域分布

(1)、(2)

(二) 患者等の頭髪水銀量の地域分布

(1) 上・中・下流沿岸居住者の頭髪水銀について

(イ)、(ロ)

(2) 鹿瀬町居住の遠藤ツギの頭髪水銀について

(三) 阿賀野川河口付近の川魚の異常挙動

(四) 阿賀野川の魚類、藻類、泥、水の水銀分布

(1)、(2)

(五) 三川村の斃死猫の水銀値

3 被告の統計的観察と汚染態様

4

六本件中毒症の原因

1ないし3

七各原告らの因果関係

第四被告の責任

一故意

1 熊大の研究発表等

2 水俣における漁民紛争等

3 通産省通達

4 田宮委員会の調査研究

(一)((1)ないし(4))、(二)

二過失

1ないし3

第五損害

1ないし5

1、2

1 原告大野作太郎、同大野ミス、同大野功、同大野一広および同大野和江について

(一)ないし(三)

2 原告桑野忠吾、同桑野リイ、同桑野チイ、同桑野四郎および同桑野七郎について

(一)ないし(六)

3 原告星山幸松、同星山トクおよび同星山松雄について

(一)ないし(三)

4 原告近喜代一、同近喜代司、同近喜三男、同近四喜男、同喜与平、同斎藤ヨキおよび同秋田ミツについて

(一)ないし(三)

5 原告近彦蔵および同近彦一について

(一)、(二)

6 原告桑野九二三、同桑野清三および同桑野ミヨについて

(一)ないし(三)

7 原告古山マリコ、同古山繁、同古山知恵子および同古山務について

(一)ないし(三)

8 原告五十嵐英夫および同五十嵐マツについて

(一)、(二)

9 原告橋本晃について

(一)ないし(五)

10 原告五十嵐健次郎について

(一)ないし(五)

11 原告成田松吉および同成田チヨについて

(一)、(二)

12 原告山田二作および同山田ナカについて

(一)、(二)

13 原告桑野清平について

(一)ないし(五)

14 原告大野正男について

(一)ないし(五)

15 原告村木藤四郎について

(一)ないし(五)

16 原告中川春雄および同中川チカについて

(一)、(二)

17 原告本田光子について

(一)ないし(三)

18 原告五十嵐惣吉および同五十嵐雪子について

(一)、(二)

19 原告山田房子について

(一)ないし(三)

20 原告橋本十一郎について

(一)ないし(五)

21 原告橋本繁雄について

(一)ないし(六)

22 原告大野セツ、同大野広司、同大野和子、同堀文子、同大野勝司、同大野トミおよび同大野福治について

(一)ないし(六)

23 原告五十嵐栄一、同五十嵐松男、同五十嵐ヨシおよび同五十嵐ミヨについて

(一)ないし(四)

24 原告五十嵐俊について

(一)ないし(五)

25 原告石山平松および石山トメについて

(一)、(二)

26 原告五十嵐藤一について

(一)ないし(六)

27 原告渡辺キミ、同渡辺徳栄、同渡辺徳馬、同小島キイ、同渡辺篤、同渡辺篤夫および同中村芳美について

(一)ないし(三)

28 原告南キヨノおよび同南健次について

(一)、(二)

29 原告村山政次および同村山昇二について

(一)、(二)

30 原告今井春吉および同今井一雄について

(一)、(二)

31 原告梶原シモについて

(一)ないし(五)

第六むすび

(別紙〔一〕ないし〔六〕、うち〔一〕、〔二〕は原告らの表示等、〔三〕は事実関係)

(表〔1〕ないし41〕)

(図〔1〕ないし〔19〕)

理由

(書証の形式的証拠力について)

当事者双方から提出された書証は、別紙〔四〕書証目録(一)、(二)項記載のとおりであるが、同目録(一)、(二)項「真正に成立を認めた証拠」欄が空白な書証については、いずれもその成立につき当事者間に争いがなく、その余の書証については、右同欄記載の各証拠によつていずれも真正に成立したことを認めることができる。

したがつて、以下各書証を引用するときは、書証番号のみを掲記することとする。

第一  当事者

一原告ら

原告らのうち別紙〔五〕患者等目録に記載されている原告および死亡者(以下「別紙〔五〕の患者等」という。)らが、いずれも阿賀野川流域に居住していたものであること、ならびに同患者ら、その余の原告らの身分関係と死亡者の死亡日時がつぎのとおりであることは、当事者間に争いがない。

1 原告(1)(「事実」欄においては、番号を原告氏名の末尾につけたが、「理由」欄においては、説明の便宜上原告氏名の冒頭につけることとした。以下同じ。)大野作太郎と同(2)大野ミスは亡大野岸松の父母であり、同(3)大野功は亡岸松の妻、同(4)大野一広は右岸松、功夫婦間の長男、同(5)大野和江は同夫婦間の長女であり、亡岸松は昭和四〇年六月七日死亡した。

2 原告(6)桑野忠吾と同(7)桑野リイは夫婦であり、同(8)桑野チイはその間の三女、同(9)桑野四郎は四男、同(10)桑野七郎は七男である。また、亡桑野忠英はその間の六男であるが、昭和四〇年三月二一日死亡した。

3 原告(11)星山幸松と同(12)星山トクは夫婦であり、同(13)星山松雄はその長男である。

4 原告(14)近喜代一、同(66)近喜代司、同(67)近喜三男、同(68)近四喜男、同(69)近喜与平、同(70)斎藤ヨキ、同(71)秋田ミツは、いずれも亡近喜与太の子であり、亡喜与太は昭和四〇年六月二日死亡した。

5 原告(15)近彦蔵は、同(74)近彦一の父である。

6 原告(17)桑野清三と同(18)桑野ミヨは夫婦であり、同(16)桑野九二三は右清三の養父である。

7 原告(59)古山繁と同(19)古山マリコは夫婦であり、同(20)古山知恵子はその間の子である。また、原告(21)古山務は右繁の弟である。

8 原告(22)五十嵐英夫と同(57)五十嵐マツは夫婦である。

9 原告(25)成田松吉と同(58)成田チヨは夫婦である。

10 原告(26)山田二作と同(76)山田ナカは夫婦である。

11 原告(30)中川春雄と同(31)中川チカは夫婦である。

12 原告(33)五十嵐雪子は、同(72)五十嵐惣吉の子訴外五十嵐惣平の妻である。

13 原告(38)大野セツは亡大野岩次の妻であり、同(39)大野広司、同(40)大野和子、同(41)堀文子、同(42)大野勝司は右セツと亡岩次間の子であり、亡岩次は昭和四〇年三月二日死亡した。また、原告(37)大野福治は右和子の夫であり、同(43)大野トミは右広司の妻である。

14 原告(44)五十嵐栄一、同(45)五十嵐松男は、同(73)五十嵐ヨシの子であり、同(77)五十嵐ミヨは右ヨシの子である訴外五十嵐栄作の妻である。

15 原告(47)石山平松と同(48)石山トメは夫婦である。

16 原告(50)渡辺キミは亡渡辺篤太郎の妻であり、同(51)渡辺徳栄、同(52)渡辺徳篤、同(53)小島キイ、同(54)渡辺篤、同(55)渡辺篤夫、同(56)中村芳美は右キミと亡篤太郎間の子であり、亡篤太郎は昭和四四年一二月三一日死亡した。

17 原告(60)南キヨノは亡南宇助の妻であり、同(61)南健次はその間の子であり、亡宇助は昭和三九年一〇月二九日死亡した。

18 原告(62)村山政次は同(63)村山昇二の父である。

19 原告(64)今井春吉は同(65)今井一雄の父である。

二被告

甲第一号証、証人安藤信夫の証言ならびに弁論の全趣旨によると、つぎの事実が認められ、これを左右する証拠はない。

被告は、昭和一四年六月日本電気工業株式会社と昭和肥料株式会社とが合併して設立されたものであるが、東京都港区宮本町三四番地に本店を置く資本金三一七億円(昭和四五年五月現在)の総合化学工業会社であつて、新潟県東蒲原郡鹿瀬町に鹿瀬工場(以下「鹿瀬工場」という。)をもつていた。

もともと鹿瀬工場のあつたところには、昭和四年ころから昭和肥料株式会社鹿瀬工場があつて、カーバイト、石灰窒素等を製造していたが、一方これと隣接したところにも、昭和九年ころから昭和合成化学工業株式会社の工場があつて、昭和一一年一二月ころから酢酸、酢酸ビニール、可塑剤等の原料になる中間体のアセトアルデヒドを、アセチレンから水銀等を触媒にして合成(アセチレン水化反応)していた。

そこで被告は、前記合併後、昭和肥料株式会社鹿瀬工場をそのまま引継いでこれを無機部門とし、さらに昭和三二年五月には昭和合成化学工業株式会社を吸収合併して、前記工場をそのまま引き継いでこれを有機部門とし、従前と同じ製品を造つていた。

その後被告は、昭和三七年ころ日本瓦斯化学株式会社、出光石油株式会社らとともに、エチレンからアセトアルデヒドを製造する方法を採用した徳山石油化学株式会社を設立したため、右新会社におけるアセトアルデヒド製造が軌道にのつた昭和四〇年一月、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造を中止した。

したがつて、鹿瀬工場におけるアセトアルデヒドの製造は、昭和一一年一二月ころから昭和四〇年一月まで続けられたことになるが、その間、その製造工程から生ずる廃水は阿賀野川に放出し処理されていた。

第二  阿賀野川沿岸における有機水銀中毒症発生の概況

一  患者発見の端緒

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

1新潟大学医学部(以下「新大」という。)脳神経外科に、昭和三九年一一月一二日新潟市内桑名病院から、同市浜松町(下山部落)居住の原告(65)今井一雄が、原因不明の疾病に罹つているとして紹介され入院した。

当時の今井一雄の主な症状は、著明な求心性視野狭窄、著しい小脳性構語障害と歩行障害、全身の、特に口周囲や四肢の末梢に強い異常知覚と知覚低下、神経性聴力障害などであり、歩行、書字、着物の脱着は不能、会話も困難であつた。

そして、昭和四〇年一月、右患者を診察した椿忠雄教授(但し、当時は東京大学医学部助教授で、昭和四〇年三月から新大神経内科教授。以下「椿」という。)は、右の症状には定型的な有機水銀中毒症の疑いがあると診断し、そのころ同患者の頭髪を採取して東京大学薬学部に送つて含有水銀量の測定を依頼したところ、同大学から頭髪水銀量は三二〇ppmである旨の回答があつた。

2また同年三月二七日ころ、新大脳神経外科に、豊栄市内葛塚病院から、同市高森(胡桃山部落)に居住する亡大野岸松が、同じように原因不明の疾病に罹つているとして紹介されて入院した。

この患者についても椿が診察したところ、当時精神症状があつたため視野検査は不能であつが、口周囲、四肢特に遠位部に強い知覚障害、著明な共同運動障害、難聴、筋強剛などの所見があり、同年四月一四日ころ採取した頭髪の水銀量を測定したところ232.6ppmあつた。

3そこで新大では、同年五月、前記今井一雄、大野岸松両患者の家庭環境を調査し、両家付近の下水、井戸水、阿賀野川の泥の採取、使用農薬の調査、頭髪採取等を実施したが、その際今井一雄と同じ下山部落に居住していた亡南宇助(すでに昭和三九年一〇月二九日死亡)が、同じような症状を呈して死亡したことが判明した。

4さらに同年五月一四日ころ、新大神経内科に入院した新潟市江口に居住する原告(11)星山幸松を椿が診察したところ、同じように求心性視野狭窄、神経性難聴、構音障害、運動障害などの症状があり、その頭髪水銀量を測定したところ五七〇ppmあつた。

5このように、椿らは、いずれも阿賀野川沿岸部落の住民に、散発的ではあるにしろ同じような疾患が発生した事例に遭遇し、しかもその症状から、同疾患が後記のように熊本県水俣市にかつて発生した有機水銀中毒症「水俣病」類似のものと考えるに至つたが、その診断の確定になお慎重を期する必要があることと、これが特異で稀有な疾患であるため、とりあえず原因不明の水銀中毒症とし、同年五月三一日新潟県(以下「県」という。)衛生部に対し、「原因不明の水銀中毒症(以下「本件中毒症」という。)患者が阿賀野川下流沿岸に散発している。」旨報告した。

二  新大と県・市の調査研究

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

1対策のための体制作り

(一) 椿らから前記報告を受けた県衛生部は、直ちにその対策に動き出した。すなわち、まず椿らから、本件中毒症の原因について、水銀農薬か水銀剤等を使用している工場の影響が考えられるとの見解を聞き、翌六月一日から水銀使用工場と水銀農薬の使用状況等につき調査を開始することとした。

そしてその対策のための体制作りとして、同年六月四日県、新潟市(以下「市」という。)と新大の三者が合同会議を開き、その原因探究、潜在患者発見等について話し合つた結果、三者が密接な協力関係をもたねばならないとの結論に達し、新大は患者発生部落を中心に住民の健康調査をして潜在患者の発見に努めること、その際の部落住民の集合や健康診断の援助、阿賀野川の水、泥等の採取等のために必要な船などは市が担当すること、県は農薬の使用状況の調査、工場関係の作業工程や水銀使用状況等の調査などを行なうことを決定し、それぞれの機関がじ後、その分担に副つた調査研究を開始した。

(二) 同年六月一三日ころ、新聞等の報道機関が一斉に本件中毒症患者の発生を報じ、これが大きな社会問題になつた。そして同月一六日には、椿らによつて本件中毒症患者として診断されたものは、阿賀野川下流沿岸部落で一四名に達した。そこで、同日県は「新潟県水銀中毒研究本部」(但し、原因物質が有機水銀にほぼまちがいないと判断された同年七月三一日に「新潟県有機水銀中毒研究本部」と名称を変えた。)を設置し、本部長に県副知事と新大医学部長が当り、その下に医学調査研究部(部長新大医学部長)と環境調査研究部(部長県衛生部長)を置き、前者は臨床班、実態調査班、病理解剖班、化学分析班、疫学班に分れて新大の関係各教授がこれを担当し、また後者には庶務班、疫学班、動植物班、工場班、水産班、農薬班、水道班、試験検査班があつて、それぞれ県の関係各課が責任をもつて当ることになつた。

(三) また同月二一には、県に「新潟県水銀中毒対策本部設置要綱」に基づく機構が設置され、本部長に副知事、本部員に関係各部長が、幹事には関係各課長が当り、本件中毒症患者の医療、生活問題等諸対策の処理を円滑にすることとなり、さらに「新潟県水銀中毒連絡会議」を設置して、県知事、新大学長、前記新潟県水銀中毒研究本部長、同対策本部長、市長、豊栄町長(同町はその後市制に変更)および新潟県医師会長が加わり、諸対策の実施につき関係機関の連絡を緊密にすることとした。

2魚介類の捕獲制限

椿らは、本件中毒症患者がいずれも阿賀野川で捕獲された川魚を摂食していたことを知り、同年六月一六日「本件中毒症の原因は、阿賀野川の川魚にある。」との見解を発表した。

そこで、前記対策本部は、同月二八日患者発生の拡大を防止するため、阿賀野川下流水域(横雲橋下流、河口から約一四キロメートルの間)の沿岸住民に対し、同水域における魚介類を捕獲しないよう、同地区漁業協同組合を通じあるいは新聞発表等をして、行政指導を実施した。

3原因究明のための調査

本件中毒症の原因究明に関しては、県はまず農薬について、同年六月二日ころから阿賀野川横雲橋の両岸部落につき、部落別水銀系農薬の使用状況調査を行ない、六月一九日ころ下山地区根室部落に対し、浸水した被災農薬の処理、使用残農薬の処分状況について戸別調査をし、さらに六月二〇ころからは信濃川河口、新潟港付近の埠頭関係の倉庫業者に対し、前年六月のいわゆる新潟地震(後記第三の四に詳述)当時の保管農薬の種類、数量、被災状況等について調査した。

つぎに工場関係については、当初水銀に関係ある工場として、新潟市付近では、日本瓦斯化学工業株式会社松浜工場、日本曹達株式会社新潟製造所、北越製紙株式会社、旭カーボン株式会社、新潟硫酸株式会社、明道金属株式会社、北興化学株式会社、少し離れて、日本曹達株式会社二本木工場、ダイセル株式会社新井工場、電気化学工業株式会社青海工場および被告会社鹿瀬工場が調査対象になつたが、調査が進むにつれ、本件中毒症発生当時水銀を使用していたのは、右のうち北興化学、日本瓦斯化学松浜工場、日本曹達新潟製造所および被告会社鹿瀬工場の四工場にしぼられたので、これら四工場に対しては、とりあえず県知事名で、「排水処理について注意されたい。」旨の電話連絡をするとともに、県の係官が排水口からの採水、沈澱池からの採泥等の調査をした。

4潜在患者の発見

(一) 潜在患者の発見に関しては、前記のように新大が中心となつて県衛生部の協力のもとに行なわれたが、同年六月初めころから、第一次住民調査として、それまでの患者発生地区である新潟市下山、津島屋、一日市、上江口、豊栄市兄弟堀、胡桃山の各部落住民四一二戸約二、八〇〇名余を対象に個別訪問をし、各個人毎の自覚症状の有無、川魚摂食状況、農薬、飲料水の状況、昭和三九年初めからの死亡者の死亡状況、飼育動物の異常等についての調査をし、自覚症状のある者に対しては診察を行なつた。

(二) また同年八月下旬には、第二次住民調査として、県、市ならびに保健所が中心となり、横雲橋から鹿瀬町までの阿賀野川沿岸住民約二万五、〇〇〇名余を対象に調査をし、そのうちから有症者と疑わしい者については、新大が精密検査を行なつた。

(三) この二回にわたる調査の結果、後記四のとおり本件中毒症患者を発見したほか、有症者および患者家族のうち川魚多量摂食者約三〇〇名について頭髪水銀量を測定し、これが二〇〇ppm以上の者を「保有者」と呼称し、入院をさせ水銀排泄剤を投与してその経過を観察していつた。

(四) いわゆる胎児性(先天性)水俣病の発見ないし予防のため、同年八月ころ前記患者発生地区内の乳児三八四名に対し、新大が中心となつて乳児検診を行ない、その際川魚を多量に摂食したと申し出た母親一〇名と同地区内の妊婦八一名について頭髪水銀量を測定し、また同地区内の頭髪水銀量五〇ppm以上の妊娠可能婦女子(当時一六才から五〇才まで)に対し、受胎出産ならびに乳児の哺育等に関し、保健婦による訪問指導により、その健康を管理し、特に受胎調節をするよう指導した。

(五) さらに、患者発生地区以外にも患者の存在する可能性があり、かような汚染地区の範囲を知る必要もあつたため、県内の医療機関について訪問調査と過去のカルテ等からの調査も行なわれた。

三  国の調査研究とその見解

1〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められる。

(一) 厚生省の現地調査

県から本件中毒症発生の報告を受けた厚生省では、同年六月一四日環境衛生局食品化学課長のほか、公害課、水道課、食品衛生課から各一名の係官が現地調査に赴き、実情を聴取調査し、県側および新大側の従来の調査に協力することとなつた。

その後、同月二一日には厚生省参事官および食品衛生課長が、また七月二日には厚生省環境衛生局長がそれぞれ現地調査に赴いた。

(二) 国の調査研究組織の設置

同年七月二一日ころから、厚生省は臨床、疫学、衛生、薬化学等の諸学者らから意見を求め、また同月三〇日には、厚生、通産、農林、科学技術、経済企画等の関係各省庁の合同連絡会議が開催され、各省庁は県水銀中毒対策本部の業務に協力し、調査研究態勢をととのえることにしたが、九月八日に至り国の調査研究組織が設置された。

すなわち、科学技術庁の予算から本件中毒症事件の調査研究費を支出することとし、これを本件中毒症事件の(ⅰ)疫学的調査研究、(ⅱ)水銀化合物による汚染態様に関する研究、(ⅲ)水銀汚染水棲生物の分布調査、(ⅳ)水銀中毒の診断に関する研究、(ⅴ)以上の総合的推進の各分担に分けて予算を配付し、右のうち(ⅲ)は農林省日本海区水産研究所、(ⅴ)は科学技術庁研究調整局の所管となつたが、その余の研究については厚生省の所管となり、同省内に「新潟水銀中毒事件特別研究班」(以下「特別研究班」という。)が結成され、その中で右の(ⅰ)については「疫学研究班」、(ⅱ)については「試験研究班」、(ⅳ)については「臨床研究班」と、三班が分担してそれぞれ調査、研究することとなつた。

そして、三班はそれぞれつぎのように構成された。

(1) 疫学研究班

前国立衛生院疫学部長(主任) 松田心一

熊本大学医学部教授 入鹿山且朗

東京歯科大学教授 上田喜一

新潟県衛生部長 北野博一

神戸大学医学部教授 喜田村正次

新潟大学医学部教授 小坂隆雄

日本医科大学教授 乗木秀夫

国立がんセンター疫学部長 平山雄

(2) 試験研究班

国立衛生試験所食品部 川城巌

ほか七名

同試験所環境衛生化学部 外村正治

ほか二名

東京大学薬学部衛生化学裁判化学教室 浮田忠之進

ほか二名

東京歯科大学衛生学教室 上田喜一

ほか三名

東京医科歯科大学総合法医学研究施設裁判化学部 中沢泰男

東京理科大学衛生化学教室 石倉俊治

(3) 臨床研究班

研究本部長新潟大学医学部長 野崎秀英

班員(副部長)同神経内科教授 椿忠雄

同  同脳神経外科教授 植木幸明

班員 同松岡内科教授 松岡松三

同  同産婦人科教授 鈴木雅洲

同  同小児科教授 小林収

同  同神経病理学教授 小宅洋

同  同神経化学教授 佐竹明

同  同公衆衛生学教授 小坂隆雄

同  同精神々経科教授 沢政一

(三) 特別研究班の調査研究

(1) 特別研究班の調査、研究は、発足後前記新大や県等の調査、研究を引き継ぎ、それらの協力を得ながら続けられた。

同年一〇月一三、一四日疫学研究班は、一、二の他の研究班員の参加を得、通産、農林、経済企画、科学技術各省庁係官を同道して、本件中毒症発生現地や日本瓦斯化学松浜工場、被告会社鹿瀬工場などを調査し、昭和四一年二月には試験研究員である国立衛生試験所員が鹿瀬工場内から試料を採取した。

特別研究班は、前記のとおり三班に分れてはいたが、試験研究班のデータを疫学研究班が使い、疫学研究班の調査結果を試験研究班が用いるなど相互に資料を交換して連絡し合い、ときには相互に他の分担にわたるものについて自ら調査、研究したこともあつた。

(2) 昭和四一年三月二四日、各班はその一応の成果をまとめ報告した(後日これは「中間報告」と呼ばれた。以下、これが報告書を「中間報告書」という。)が、その中で疫学研究班はその調査、研究の結論を、「本件中毒症の発生は、鹿瀬工場におけるアセトアルデヒド製造工程中産成されたメチル水銀によつて阿賀野川の河水が汚染をうけ、新潟地震を中心とする水流の変化、河底の変動等が誘因となり川魚を汚染し、川魚の体内でメチル水銀が蓄積し、そのような川魚を多量に摂食した人達が中枢神経系をおかされて特異な中毒症状を呈するに至つたものと推測されるのである。」とした。

(3) 右中間報告後、通産省を通じ被告からその報告内容に異論が唱えられ、特に疫学研究班の調査資料に対する反対資料が提出された。

そこで、特別研究班は、その後も、右の反対資料の検討や県の補充調査(昭和四一年七月)などにより、従前の調査の正確性を再検討する等の研究を続け、昭和四二年三月末日ころ三班がそれぞれ最終案をまとめ、同年四月七日ころ厚生省に提出した。

厚生省は、同年四月一八日これを「新潟水銀中毒事件特別研究報告書」(甲第四二号証)(以下「最終報告書」という。)として科学技術庁に提出するとともに報道機関にも発表した。三班の結論は、最終報告書において並列されているが、そのうち疫学研究班の結論は、「本件中毒症は、阿賀野川のメチル水銀化合物汚染を受けた川魚を多食して発生したメチル水銀中毒事例で第二の水俣病というべきである。すなわち、その汚染源は阿賀野川上流鹿瀬地区にある鹿瀬工場で、汚染機序は、アセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物が工場排水によつて阿賀野川に流入し、アセトアルデヒドの生産量の年々の増加に比例して、その汚染量も増し、それが阿賀野川の川魚の体内に蓄積され、その川魚を一部沿岸住民が捕獲摂食を繰り返すことによつてメチル水銀化合物が人体内に移行蓄積し、その結果発症するに至つたものと診断する。」とされている。

(四) 政府の技術的見解

厚生省は、三班の最終報告書に関する総合的見解を科学技術庁より求められたので、同年四月二〇日厚生大臣の諮問機関である食品衛生調査会に対して諮問を行なつた。

食品衛生調査会は、右の審議のために、特別部会(部会長豊川行平教授ほか委員八名)を設置し、最終報告書やこれに対する被告提出の資料等を検討したほか、本件中毒症事件に関し当時すでに農薬説を唱えていた横浜国立大学北川徹三教授(以下「北川」という。)や被告会社の技術者などを参考人として意見聴取をした結果、答申書を同年八月三〇日厚生大臣に提出した。厚生省は、この答申書の内容を同省の見解として科学技術庁に提出したが、これが要旨はつぎのとおりである。すなわち、

(ⅰ) 鹿瀬工場の排水により阿賀野川流域を長期、広域にわたり汚染させたことが、本件中毒症発生の基盤をなしている。

(ⅱ) 右(ⅰ)のみでも患者発生の可能性があるが、患者が一定時期に集中して発生した原因は、(ⅰ)のほかに、メチル水銀を含む水銀化合物が比較的急激かつ多量に患者の体内に蓄積されたことによるものと考えられるところ、これが原因については現段階では明らかでない。

科学技術庁は、厚生省見解に対する技術的見解を各省庁に求め、関係省庁の意見を調整して、昭和四三年九月二六日科学技術庁の技術的見解を取りまとめたが、その要約はつぎのとおりである。

(ⅰ) 本件中毒症の病因物質は、メチル水銀化合物であり、それが川魚に蓄積し、かかる川魚を常に多食したために発生したものである。

(ⅱ) 阿賀野川の汚染形態としては、長期汚染の事実と、これに比較的短期間の濃厚汚染が加わつた可能性とがあるが、いずれにしても長期汚染が関与し、その程度は明らかでないが本件中毒症発生の基盤をなしたものと考えられる。

(ⅲ) 長期汚染の原因は、主として鹿瀬工場の排水であり、阿賀野川流域に散布された農薬による汚染は無視しうるものと考えられる。

(ⅳ) 比較的短期間の濃厚汚染の原因として地震時の流出農薬説があるが、これを裏づける資料はない。操業中止に先立つ鹿瀬工場の管理不備については、入手し得た資料の範囲において汚毒源として推定することは困難である。

以上の科学技術庁の技術的見解は、また政府の技術的見解と称されている。

2ところで被告は、前記最終報告書(甲第四二号証)のうち疫学研究班の報告部分については、同研究班が本件中毒症事件について、鹿瀬工場が原因であるとの予断のもとに、疫学的手法を誤用して、自己に有利な資料または作為的資料に拠り、果ては共同研究班の調査結果を無視するまでして、本件中毒症の汚染源を鹿瀬工場アセトアルデヒド排水であると「診断」しているから、疫学研究班の報告部分は信憑性がない旨主張しているので、以下この点について判断する。

特別研究班の班員は、医学関係の専門家を中心として選定されているが、これは本件中毒症が集団中毒という疾病であり、同研究班が厚生省の所管にあつて、その調査・研究の分担が前記認定のとおりであるとすれば、その人選はむしろ当然であつて、これに非難を加えるべき点は格別見当らない。

疫学研究班の中には、松田心一、喜田村正次、入鹿山且朗ら、後記熊本水俣病における原因追求調査の経験者が加えられているところ、最終報告書(甲第四二号証)ならびに中間報告書(乙第三五号証の一ないし三)によると、疫学班が熊本水俣病との関連で本件中毒症を検討していたことは明らかである。しかし、前記に認定したように、特別研究班が結成されたころには、すでに新大によつて本件中毒症の病因物質が有機水銀化合物であり、これが川魚を媒介にして患者の体内に侵入したとの見解が公表されていたところ、後記のとおり、当時有機水銀化合物による集団中毒症の発生例としては、わが国には熊本大学が解明した熊本水俣病しか先例がなかつたのであるから、これが原因調査につき経験のある専門家を班員に加え、水俣病に関する研究成果等をふまえて調査研究をすることは、また当然というべきであり、これをもつて同班が予断と偏見をもつて調査、研究にあたつたということはできない。

被告は、疫学研究班員のうち北野博一、喜田村正次の両名は、特にいち早く農薬原因説を捨て、鹿瀬工場に汚染源を求めるという先入感にとらわれていた旨主張する。しかし、被告が右の裏づけ事実であるとする乙第二六七号証の昭和四〇年六月二二日付北野発言に関する新聞報道は、乙第三〇九号証(同年六月二三日付新聞)ならびに証人北野博一の証言に照らして考えると、北野博一がそのころ被告主張のような先入感にとらわれていたことを裏づけるものではなく(甲第六二号証と右証言から明らかなように、県衛生部が同年七月三日新潟商船倉庫の状況調査を実施していることは、これが否定の一証左といえよう。)、同様に、乙第三〇号証の昭和四〇年八月九日付の喜田村教室の研究に関する新聞報道も、それ自体何ら被告の主張に副うものではない。もつとも、喜田村正次はその証言において、疫学研究班においては当初から農薬原因説はあまり問題にしていなかつたと思う旨供述しているが、〈証拠〉によると、同班は、昭和四〇年一〇月一三日、一四日の現地調査後も農薬に関する資料を整備する必要があることを認めており、中間報告後も被告の反対資料について逐一検討していたことは前記認定のとおりであるから、喜田村の前記供述部分が直ちに同班の調査姿勢を示しているとはいえない。

特別研究班は、各班毎に研究項目が特定されており、それぞれ相互に連絡し合つてその資料を交換しながら研究を続けていたが、ときには他の班の分担にわたるものであつても自ら調査、研究をしたことがあることは、前記認定のとおりである。しかし、被告主張のように、疫学研究班が、本来の各班の分担のとりきめをまつたく無視し、独自の前提に基づいて調査、研究を進めたとの点については、これを認めるにたる証拠はない。中間報告書ならびに最終報告書を検討すると、各班とも他の班の調査、研究成果を各専門分野の立場においてとり入れ、評価、利用していることはあるとしても、ことさらこれを曲解した点は認められず、その研究結果は、各班とも見解の相違点は相違点としてそのまま報告していることが窺える。

そうだとすれば、疫学研究班報告を含めた最終報告書(甲第四二号証)の信憑性に対する被告の非難は、失当というのほかはない。もつとも、当裁判所が本件について司法的判断を加える際、同報告書の結論、あるいはこれを前提とする食品衛生調査会の答申、科学技術庁の技術的見解そのものによつて、何ら影響を受けるものでないことはもちろんである。

四  行政機関等による患者の認定

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

1本件中毒症患者の発見については、当初は椿らに一任されていたが、昭和四〇年一二月八日県は、本件中毒症患者の「診定」、患者の「要医療」、「要指導」の判定および療養指導上の指示ならびにこれに関する必要な調査をするため、前記対策本部に「新潟県有機水銀中毒症患者診査会」(以下「患者診査会」という。)を設置し、その判定の正確を期することにした。

患者診査会の委員は、関係医療機関の医療に従事するものとして、新大医学部長野崎秀英、新大教授椿忠雄、同植木幸明、同松岡松三、新潟県医師会々長広神伊藤が、また関係行政庁の職員として県衛生部長北野博一が、それぞれ県知事から委嘱された。

2第一回患者診査会は、昭和四〇年一二月二三日開催され、本件中毒症患者および有機水銀保有者を診定したが、本件中毒症患者は、表〔1〕のとおり累計二六名(死者五名を含む。以下「表〔1〕患者」という。)となり、水銀保有者は表〔2〕のとおり九名となつた。

昭和四二年六月二日第三回患者診査会が開催されたが、その際前記二の4の(四)のとおり妊娠可能婦女子に対しなされていた妊娠規制等の行政指導を、頭髪水銀量三〇ppm以下の者に限り解除することとした。

また、同年七月一三日開催された第四回患者診査会では、前記保有者のうち一名を患者として診定し、また本件中毒症と症状が似てはいるものの他の病気によるものかどうか未だ判明しないものは、引き続き観察する必要があるとして、これらのものを「要観察者」と称し、保有者中三名をこれに診定した。

患者診査会は、その後も数か月に一度の割合で開催されたが、要観察者や一般住民調査の際異常者と検診された者の中から、新たに本件中毒症患者を診定した。

3ところで、昭和四四年一二月一五日法律第九〇号をもつて「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(以下「特別法」という。)、同月二七日政令第三一九号をもつて「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法施行令」(以下「特別法施行令」という。)がそれぞれ制定されたところ、右法令により本件中毒症は「水俣病」の名称でいわゆる公害病とされ、本件中毒症患者発生部落付近である新潟市のうち、松浜町(下山)、根室新町、津島屋、新川町、一日市、海老ケ瀬、大形本町、中興野、本所、江口、新崎、名目所、濁川と、豊栄市のうち、高森新田、森下、高森(胡桃山)の各区域は、いずれも特別法第二条にいう指定地域(特別法施行令第一条別表)とされたため、新潟県と新潟市に公害被害者の認定機関である同県知事および同市長に対する諮問機関(特別法第三条、同施行令第二条)として、昭和四五年二月六日「新潟県、新潟市公害被害者認定審査会」(以下「患者認定審査会」という。)が設置され、つぎのものがその委員に委嘱された。

新大教授(眼科) 三国政吉

〃   (神経内科) 椿忠雄

〃   (脳外科) 植木幸明

〃   (内科) 松岡松三

〃   (小児科) 小林収

〃   (産婦人科) 鈴木雅洲

〃   (整形外科) 田島達也

〃   (耳鼻咽喉科)猪初男

〃   (精神科) 沢政一

新潟県医師会々長 広神伊藤

そして、患者認定審査会は、発足以来新たに本件中毒症患者を認定する旨の答申をなし、特別法の患者が認定されたが、昭和四五年九月現在、患者診査会ならびに患者認定審査会の答申により新たに本件中毒症患者と診定または認定された者は、表〔3〕のとおりである。

4かくして、行政機関等により本件中毒症患者として認定診定されたものは、累計四九名(うち死亡者六名)に達した。

五  行政見解等に対する被告の反論

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、つぎの事実が認められ、これを左右する証拠はない。

前記のように、本件中毒症発生の原因を鹿瀬工場に求めようとする行政見解等に対し、被告はいち早く昭和四〇年一〇月ころにはすでにこれが反論のための調査を開始し、昭和四一年六月本件中毒症の発生につき本訴における被告主張とほぼ同趣旨の「見解書」を公表し、その後特別研究班の最終報告書やいわゆる政府見解が出た後も、同様な反論をくり返えした。

そして、被告は昭和四二年一一月から本件中毒症事件のために、同会社内に調査委員会を設置し、本事件に関連する調査、研究を現在に至るもなお引き続き行なつている。

第三  本件中毒症と被告の行為との因果関係

ところで、本件中毒症の発生機序については、原告らは、「鹿瀬工場の排液中に含まれるメチル水銀化合物が、阿賀野川に棲息する魚類を長期、継続的に汚染し、これを反復多量に摂食した同河川流域住民を本件中毒症に罹患させた。」(以下「工場排液説」という。)と主張し、一方これに対し被告は、右工場排液説を否定するとともに、その汚染機序を、「昭和三九年六月一六日に発生した新潟地震により被災した新潟港各埠頭倉庫内の有機水銀を含む農薬が、津波、塩水楔現象あるいは保管者等の不法投棄により、阿賀野川河口に至り、同河口付近の魚類を一時的に濃厚汚染させた。」(以下「農薬説」という。)と主張している。

しかして、本件中毒症が有機水銀中毒、なかんずく低級アルキル水銀中毒であることは当事者間に争いがないところ、原告らは工場排液説を主張する際、アルキル水銀中毒症の先例として、熊本県水俣市における水俣病(以下単に「水俣病」というときは、これを指すものとする。)があるとして、これを前提に議論していることが明らかであるから、まず水俣病について検討する。

一  熊本県の水俣病

1水俣病発生の概況

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

(一) 熊本県水俣市郊外の一定地区に、昭和二八年ころから原因不明の中枢神経疾患の発生があつたといわれていたが、昭和二九年度には約八名、昭和三〇年度には約五名の患者が観察されていたにもかかわらず、不明のまま経過していた。

ところが、たまたま昭和三一年四月二一日ころ、新日本窒素肥料株式会社(後記のとおり、その後「チッソ株式会社」と社名変更した。以下「チッソ」という。)水俣工場附属病院に神経症状を主訴とする六才の女児が来院して診察を受けたことから、同病院の医師細川一らが右患者の家庭環境等を調査した結果、患者の妹である三才の女児にも右と全く同様の症状を呈していること、またその母親の言葉から隣家にも同様症状を呈する患者がいることが判明した。

そこで同病院は、同年五月一日水俣市保健所に対し、「原因不明の神経症状を呈する患者を収容した。」旨届け出るとともに、患家付近の調査を続けたところ、水俣市月の浦、湯堂、出月部落付近でかなり多数の類似症状者がいたので、その症例の増加とともに臨床症状の特徴をつかむことはできたが、その疾患の本態を知ることはできなかつた。

そのため、同年五月二八日同病院のほか水俣市、同市医師会、市民病院および前記保健所の五者をもつて「水俣奇病対策委員会」を結成し、患者の措置やその原因探究に当ることとし、一方熊本県衛生部は、熊本大学医学部(以下「熊大」という。)に対し、右疾患の原因究明についての研究を依頼した。

(二) 熊大では、同年八月二四日ころ、内科、小児科、病理、公衆衛生、細菌学の各分野から構成される「水俣病医学研究班」(以下「熊大研究班」という。)を組織し、患者についての精密な臨床的観察、死亡者の病理解剖、現地からの飲料水、海水、海泥、土壌、魚介類等の検査資料を採取して分析、検索を行ない、また現地で多数の猫が奇病を起こして斃れたことも判つていたので、猫等を使つての動物実験を行なうなど、それぞれの基礎的研究を行ないながら、奇病の原因の究明、治療法の考察を進めた。

その結果、同年一一月四日熊大研究班は、「この奇病(水俣病)は、ある種の重金属による中毒と考えられ、その中毒物質としてマンガンが最も疑われ、人体への侵入は主として水俣湾産魚介類によるものであろう。」との中間発表をし、この報告を受けた熊本県衛生部は、翌昭和三二年二月二六日「水俣湾の魚介類を摂食すると危険である」旨を発表し、現地の住民に対して行政指導をした。

(三) その後、熊大研究班の原因物質究明の研究は、厚生省、国立公衆衛生院との協同、あるいは文部省科学研究費による「文部省水俣病総合研究班」として続けられ、その研究成果は、数度にわたり熊本医学会雑誌、日本医事新報および文部省科学研究総合研究報告に発表された。

(四) そして、昭和三四年七月それまでの患者の臨床的観察、病理組織学的研究の結果から、熊大研究班内部に、水俣病の原因物質は有機水銀であるとの考え方が支配的になり、同月二二日非公開の研究報告会が開催され、「水俣病は現地水俣湾産の魚介類を摂取することによつて惹起された神経系疾患で、魚介類を汚染している毒物としては水銀が極めて注目される。」旨報告された。この結果は、翌二三日各種報道機関により同地方を中心に報道され、また右の研究報告要旨は、同年八月二〇日ころ関係者に配付された。

(五) 他方、厚生省食品衛生調査会に、昭和三四年一月ころ熊大学長鰐渕健之を代表者とする「水俣食中毒特別部会」が結成されたが、同特別部会は同年一〇月六日、「水俣病の原因物質として水銀が最も重要視されるが、水俣湾底の泥中の水銀が魚介類を通じて有毒化される機序だけが未だ明らかでない。」旨の中間報告をし、これを受けた同調査会は、同年一一月一二日、「水俣病を惹起する主因をなすものは、ある種の有機水銀化合物である。」旨の結論を出し、厚生大臣に答申した。

(六) 水俣湾汚染の原因となる可能性をもつものに、当初は月の浦地区の水俣市立屠殺場の排液、湯堂地区の海水の湧水、かつて茂道地区にあつた旧海軍弾薬貯蔵庫、高角砲陣地などの終戦時における廃棄物があげられていたが、前記のように有機水銀説が有力になるに及び、チッソ水俣工場が汚染源としてもつとも疑いのあるところとされた。

そこで、チッソでは、昭和三四年八月五日ころから「有機水銀説は実証性のない推論である。」として反論を始め、同年一〇月にも同趣旨の見解書を出した。

そのため熊大研究班は、その後も水俣湾産魚介類を通じて有毒化される機序および原因物質そのものの追求に研究を進めた。

(七) 水俣病患者はその間にも増発し、昭和三一年一二月から設置された患者診査会によつて水俣病患者と診定された者は、昭和四〇年末現在一一一名(成人五九名、小児三〇名、胎児性二名)にのぼり、そのうち四一名(成人二九名、小児一〇名、胎児性二名)が死亡するに至つた。

2水俣病の特性とその病因物質

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

熊大研究班は、その後関係省庁からの予算的措置もなくなり、形式的な組織変更をしたが、ほぼ同一の班員により水俣病の研究を続けた。そして、昭和四一年三月それまでの同班員および班員所属の教室の研究発表の内容を一括整理し、「水俣病――有機水銀中毒に関する研究――」(甲第五〇号証)として発表した。

右発表までにおける水俣病の特性ならびにその病因物質に関する研究の成果は、要約すると、つぎのようなものとされている。

(1) 水俣病の臨床的観察

水俣病は、その大部分は緩慢な形で始まるが、二、三の症例では、飲酒後に突然発病したものもあつた。患者はまず四肢末端、口の周囲のしびれ感を訴え、その後およそ一ないし三週間位の間に、以下のような主要症状が出現する。

(イ) 眼症状としては、求心性視野狭窄が特有であり、昭和四〇年一二月現在の患者の全症例に認められた。その他の眼症状、すなわち眼底視力、眼球運動、対光反射等は正常であり、瞳孔の変形を二例に認めたほか、左右異同、眼球震盪等は認められなかつた。

(ロ) 難聴も大部分の患者に認められ、オーヂオグラム(聴力の状態、主として聴力損失と周波数との関係を図示したもの。)で低音部より高音部にわたり低下が認められ、殊に高音部が低下が著しく、神経性起因が考えられる。

(ハ) 運動失調は、水俣病の最も顕著な症状である。まず、言語は緩徐な長く引張つた、しかも不明瞭な言葉づかいで、あたかも甘えたような極めて特異な調子である。ある者は声は出ても言葉にならず、専ら筆談に依らねばならず、症状恢復とともに軽快している。このような言語障害は構音障害に因るものであるとされている。つぎに、歩行は動揺性であたかも酒に酔つたようであり、急激な方向転換、停止等は出来ない。甚しい場合には起立も困難であり、座位を取つても上体は動揺し、辛うじて支え得る程である。その他水飲み、たばこ吸い、マッチ附け、ボタンかけ、書字等は極めて拙劣であり、多くは粗大な振戦を伴つている。したがつて、指々試験、指鼻試験、膝踵試験等の諸試験は程度の差はあれ陽性に出現した。

(ニ) しびれ感等の異常知覚を含めた末梢知覚障害も必発の症状であり、触覚、温度覚、痛覚等は四肢末端で鈍麻が認められた。また圧覚、位置覚、振動覚、識別覚等の障害も顕著に認められた。このうち表在知覚は治療により比較的速やかに好転したが、振動覚、識別覚は長く障害が残存している。

(ホ) そのほか、精神興奮、抑うつ、不眠、嫉妬等軽度の精神障害が認められたが、応答の内容は正確であった。知能も一部に低下したものもあつたが、一般にはよく保たれ、小児は学校に通い中以上の成績を修め、大部分は囲碁、将棋を楽しんでいる程である。

(ヘ) 患者のうち成人三四例について、詳細に症状を分析して集計を行ないその出現頻度をみると、図〔1〕のように、求心性視野狭窄、難聴、言語障害、歩行障害、日常諸動作の拙劣などの運動失調、知覚障害、振戦(殊に企図振戦)、軽度の精神障害などは七〇ないし一〇〇パーセントに出現し、筋強直、強剛、不随意運動などは八ないし二〇パーセントに、発汗、流涎などの自律神経症状は二三パーセントに認められ、腱反射は三八パーセントが亢進、8.8パーセントが減弱を示し、その他は正常であつた。

かように水俣病の症状は、小脳症状を中心とし、一部錐体路、錐体外路症状、大脳皮質症状、末梢神経症状などの多彩の症状を示している。

なお、かように水俣病の臨床症状のうち重要な主徴として、運動失調(小脳性失調)、視野狭窄、構語障害があげられるが、これは有機水銀中毒に認められるハンター・ラッセルの報告例(D. Hunter. R.F. BomfordおよびD.S. Russll(一九四〇年)は、イギリスで沃化メチル水銀、硝酸メチル水銀、リン酸メチル水銀を生産する工場で起つた中毒例を報告している。)の主徴と全く一致しており、このことは小児(後天性)水俣病の症状においても同様である。

(ト) また臨床検査所見では、血液像、血清蛋白、尿、便、髄液などの一般所見には特有な変化はなかつたが、患者の尿中水銀雨一〇ないし一三〇r/lの間にあり、発病後五か月までのものでは五〇r/l前後で、正常健康人の一五r/lと比較し、かなり高値で、六ないし一二か月以上経過したものでは一般に低値であつた。しかして、水銀排泄剤を患者に五日間投与し、その前後の尿中水銀量を測定した結果、二ないし四倍に尿中水銀量が増加した。尿中ポルフィリン量は、水俣病患者では排泄増加が認められ、かつ、発病後の日数が浅いもの程多量の排泄値を示し、右の水銀値と同一傾向を示した。

脳波については、一三例につき脳波検査を行ない、正常四例、残り九例に異常波を認め、前頭優位、一過性痙攣波などを示したが、一定の傾向は得られなかつた。

筋電図所見については、五例の患者について検査を行なつた。その結果、一例について前脛骨筋収縮時におけるNMUの発射間隔に不規則な変動が認められた。ALSに似た一例では、前脛骨筋収縮時の発射間隔図で二つとびに発射が脱落したか、または発射が二こ宛接近して生じたような所見が得られた。他の二例では、立位におけるヒラメ筋の発射様式は、正常人より大きい緩慢な動揺を示し、慢性刺激型の一例では、前腕筋収縮時にGroupimg Voltageを認め、分析の結果脳性であることがわかつた。

(チ) 胎児性(先天性)水俣病の臨床症状は多彩であるが、その特徴は、全例とも(ⅰ)症状は、乳児期、殊に乳児の早朝から現われていること、(ⅱ)症状は一過性のものではなく、また非進行性であること、(ⅲ)身体発育の遅延があること、(ⅳ)高度の精神障害がみられること、(ⅴ)運動機能の発育遅延ならびに筋緊張の異常と運動失調によると思われる自発的運動能力の不全および運動の円滑さの欠如がみられ、これらはすべて両側であることなどである。

すなわち、これらは在胎期または出生前後に起つた脳の広汎な障害を思わせるものである。このような乳児期に中枢神経の障害により発達遅延をきたす疾患は多いが、前記患児にみられるような症状の非進行性、身体、精神および運動機能の障害に加え、不髄意運動、筋張の異常、腱反射の亢進、肢位異常などの臨床症状に、家族歴および既往歴を考え合わせるとき、胎児性水俣病は脳性小児麻痺と診断するのが最も妥当である。

このように胎児性水俣病は、一つの独立の疾患でなく、一種の状態像、あるいは一症候群とみられるが、その発生状況や臨床像にはいくつかの特徴がある。

(2) 水俣病の病理的所見

(イ) 水俣病には、急性、亜急性に経過して重症のうちに死亡するものがある反面、その時期を経過したものは生き延び、一年以上を経過して神経障害に基づく続発性病変で死亡するものがあり、二ないし四年経過後は長期にわたつて神経障害を残したまま生存するが、約一〇年を経過して続発症で死亡することもある。

昭和三一年九月三日を第一例として、右の死亡患者二三例(うち成人一七例)を病理解剖、検索したが、急性例ないし亜急性例と慢性例とでは、詳細な病理所見を異にするものの本質的に変化はなく、その主要病変はつぎのとおりである。

(ⅰ) 水俣病の本態は中毒性神経疾患で、主として中毒性脳症である。

(ⅱ) 水俣病の原因物質は、主として大脳皮質および小脳皮質を障害する。

(ⅲ) 大脳皮質では、両側性に大脳半球の広範囲の領域の神経細胞が障害され、一般に、選択的好発局在が認められる。最も障害の強い領域は後頭葉で、しかも鳥距野領域、中心前回、横側頭回などである。脳構築からみると、第Ⅱ層から第Ⅳ層にかけての神経細胞障害が最も強いが、その他の神経細胞もおかされうる。脳回表層部よりも脳溝深部谷部に病変が強い。鳥距野では深部前方程病変が比較的に強く、後頭極へ近づくにつれて比較的軽い。

神経細胞の障害としては、急性期に急性腫張、クロマトリーゼ、重篤変化、融解、崩壊、ノイロノファギーをみ、後に重症なものは消失して脱落する。その脱落が強いものは海綿状態を作る。慢性に経過すると、残存障害神経細胞は変性萎縮、硬化する。障害部にグリア増殖を招来する。

(ⅳ) 小脳では、両側性に新旧小脳の別なく皮質の顆粒細胞層が障害され、顆粒細胞の融解、崩壊を招来してその脱落をきたす。プルキニェ細胞は保存され易いが、後にはその脱落を招来し、ベルグマン・グリア細胞の増殖を伴なう。このような神経障害は小葉中心性に現われ易く、後にはいわゆる中心性顆粒型小脳萎縮の像を招来する。

(ⅴ) 成人水俣病、小児水俣病および胎児性水俣病には、本質的病変の差はないが、一般に成人水俣病では、大脳皮質障害に選択性好発局在を作り易い傾向があり、小児および胎児性のものには、その傾向が少なく、むしろ皮質の広範囲の領域を侵し易い傾向をみ、また胎児性水俣病には、それらの病変に加うるに、発育障害に伴う脳の各種病変が加重され修飾されている。

(ⅵ) 胎児性水俣病には、小児水俣病の病変に加うるに、脳の層構築の低形成、脳梁低形成Matrix遺残、神経細胞低形成とその形態異常、特異の小脳顆粒細胞層低形成などの発育不全ないし発育障害がある。

(ⅶ) 水俣病剖検例の病変は、アルキル水銀中毒症の剖検例のそれと一致する。

(ⅷ) 水俣病剖検例の諸臓器、特に肝・腎・脳には水銀が存在し、その含量が二〇ppm以上になると、組織化学的に細胞内に証明が可能である。組織細胞内水銀の染色性と脳/肝・脳/腎百分比からみて、それは有機水銀特にアルキル水銀の性格を示している。

(ロ) 諸種の有毒元素が生体内に侵襲した場合、これが毛髪中へ移行蓄積することは従来より認められているが、昭和三四年一二月から昭和三五年一月までの間に測定した生存患者二五例の頭髪中の水銀含有量(総水銀)は2.46ppmから705ppmであつたが、特に発病後の経過日数の短かい者(特に入院して現地の有毒魚介を摂食しなくなつてからの経過日数に関係する。)では最高七〇五ppmから二五〇ppmまでと多量の水銀が検出されており、経過日数が長くなるにつれて、頭髪水銀含有量は減少する傾向が認められた。この点は、死亡した人の諸臓器中の水銀量が、発病後の経過日数とともに減少していたことと同様である。

なお、水俣地方の漁民家族中には健康者であつても、対照地区の健康人(頭髪水銀含有量最高7.49ppm)に比べて頭髪や爪に多量の水銀(頭髪水銀含有量最高一九一ppm)を保有する者が認められた。通常このように多量の水銀が頭髪や爪に検出されることは、一般食品の水銀含有量分析値からみても起こりうるものではなく、これは明らかに水俣地方における大量の水銀を含有する魚介を反復摂食した結果であると認められた。

(3) 水俣病に関する動物実験

水俣病がアルキル水銀中毒であろうとの推論を裏づけるためと病因物質の究明のために、つぎのような動物実験が行なわれた。

(イ) 患者発生部落では猫も奇病により狂死していたが、これら現地の自然発症猫は、食欲不振、元気喪失、ときには不穏状態を示し、これが数日続いてついには失調性運動、痙攣性発作および遅鈍の三主徴を呈し、その他異常運動、失明などの症状が現われ、またこれを病理解剖的にみると、大脳皮質の神経細胞障害と小脳皮質の顆粒細胞障害を主とする病変が確認され、人の水俣病のそれと本質的には変らないことが証明された。

そこで、現地水俣湾産の魚類およびヒバリガイモドキを猫に経口投与したところ、投与開始後多くは一ないし二か月、遅いのは一〇〇日以上経過して前記初発症状を呈し、臨床的にも病理学的にも自然発症の猫と全く同様の変化を惹起させた。

(ロ) また猫・ラット等に対し、アルキル水銀化合物を経口投与した実験結果では、水俣病と類似した症状と病変(病理学的所見)を惹起させた。この場合、アルキル水銀基(R―Hg―)の中で、Rがメチル、エチルのいずれであつてもその病変に大差はないが、メチルである場合の方が病変を惹起し易い傾向にある。特にメチル水銀化合物は、R―Hgの形、R―Hg―SおよびR―Hg―S―X(Xはシステイン、グルタチオンなど)でも、すべて水俣病症状を起しうることから、その作用基CH3―Hgはであり、それと結合する対向基の種類の如何によつても、その毒性に著しい差異を生じない。しかしフェニル水銀では、大脳の神経細胞には何らかの病変を起すものが一部に認められるものの、水俣病の症状は何ら現われない。

(4) 水俣病の疫学的観察

(イ) 昭和四〇年末までに、患者診定会により水俣病患者と診定されたものは合計一一一名であるが、その年次別発生・死亡状況は、表〔4〕のとおりである。患者は、昭和二九、三〇年と多発し、昭和三一年に至つて激増し、前記のように熊本県が漁獲禁止の行政指導をした昭和三二年には一時患者の発生が止み、翌三三年も少なかつたが、昭和三四年には再発生をみている。

そして、水俣病患者発生地域は、図〔2〕のとおり、水俣市の不知火海に面した水俣湾周辺の漁村部落を中心とし、南部は鹿児島県湾に近い月の浦、湯堂、出月の三地区と、水俣港(百間港)の西に突出して港南の三年浦とともに水俣港を囲んでいる明神岬付近とが、多発地域である。南の湯堂地区は、袋湾をはさんで茂道地区に対しているが、後に、この茂道、さらに県境を越えて接している鹿児島県出水市米の津にも患者の発生をみている。また一方、明神地区の北、梅戸、丸島地区にも患者が発生し、さらに水俣川河口の北側、津奈木、田の浦地区まで発生地域は広がつているが、いずれにしても、水俣湾を中心とした不知火海岸に限られている。

また月別の患者発生数は、漁期である四ないし九月の間に多く発生し、冬季の期間は少ない。

(ロ) 患者の発症時の性別、年令(満年令)別に発生状況をみると、表〔5〕のとおり、乳・幼児、小児では性別に差異はないが、老壮年期の患者は男子に多く、あらゆる年令層に罹患者がいるが、九才以下が四七名と特に多く、四〇・五〇才台も多発している。また、死亡者は四一名で死亡率約三七パーセントの高率を示し、一〇才台に死亡者がいないのが特徴である。

(ハ) 患者の職業別の構成をみると、表〔6〕のとおりとなるが、漁業およびその家族が最も多く、農業、日雇、大工、土工、俸給生活者等が少数を占めている。しかし、漁業以外の人々もすべて本業の余暇に、あるいは趣味で水俣湾において漁獲に従事している。

また患者発生地帯について、摂食する魚介の種類を季節別に分けて調査したところ、表〔7〕のように、水俣湾内の魚介の摂食は患者世帯に圧倒的に多く、対照世帯は湾外でとれる魚、すなわち、アジ、サバ、イワシなど水俣の市場あるいは鹿児島県米の津方面からの行商のものを購入摂食しているものの多いことが判明した。それらの種別の摂食量を月間の摂食回数で調査すると、表〔8〕のとおりで、患者世帯では湾内の魚介の摂食量が甚だ多いことがわかつた。

(二) しかして、以上の研究成果から考察すると、水俣病は、水俣湾産の魚介類を多量に摂食したことにより起つた中毒性中枢神経系疾患であり、その病因物質はメチル水銀化合物(この病因物質がメチル水銀化合物であることは、当事者間に争いがない。)であることに間違いなく、かつ、その本態はアルキル水銀基にあることが認められる。

3水俣病の発生機序

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

(1) 水俣湾付近の地形

水俣湾付近は、西北から東南に傾斜した水成岩を基盤として海岸にせまつた丘陵からなるリアス式地形を呈し、波浪静かな入海が多く、魚種の多い小沿岸漁業の漁場である。水俣湾、袋湾はいずれも湖水のような内海の一小湾で、干満の差は著明であるが、この海域の潮の主流は、満潮時に北流し、これが水俣湾では恋路島南部から北東に流入し、南西に向つて流出しているものの、あたかも池のように海水は湾内に停滞する。

そして、この水俣湾内に近接した一端に、後記チッソ水俣工場があり、その工場排水の主要排水路は、湾内最奥部に開口している。

(2) チッソ水俣工場と工場排水

(イ) チッソは、明治三九年一月曾木電気株式会社として設立され、明治四一年電力を基盤として化学工業会社に転向し、社名を日本窒素肥料株式会社と変え、戦後昭和三五年一月新日本窒素肥料株式会社として再発足し、昭和四〇年一月チッソ株式会社と社名変更し、今日に至っている。

同会社は資本金七八億一、三九六万円余(昭和三九年一〇月現在)の総合化学会社で、水俣工場では、化学肥料、合成樹脂、可塑剤、工業薬品を製造しているが、昭和七年ころから昭和四三年五月までの間、酢酸、可塑剤、D・O・P(ジオクチルフタレート)の原料になる中間体のアセトアルデヒドを、アセチレンと硫酸水銀の水化反応により製造していた。

(ロ) 水俣工場では、アルデヒド酢酸設備関係の工場排水を、昭和三三年九月まで百間排水溝を経て水俣湾に流していた。

しかし、その後昭和三四年九月ころまでは八幡プールを経て水俣川河口に流し、その後昭和三五年三月ころまでは酢酸プールを経て八幡プールへ送り、右プール上澄水をアセチレン発生残渣ピットに返送させるかあるいはカーバイト残渣へ返し、再び八幡プールへ逆送していた。昭和三五年三月ころ以降は右プールが満ぱいになるので、プールの水をサイクレーター(排水浄化設備、昭和三四年一二月竣工)を通した後百間湾に放出していたが、昭和四一年五月から昭和四三年五月一八日アルデヒド生産を停止するまでの間は、アルデヒド排水を完全に循環させる装置にし、系外に出さなかつた。

なお、右の期間中昭和三三年九月ころから翌三四年九月ころまでの間は、排水口が変更されて水俣川に流されたことに対応し、昭和三四年中水俣川河口付近の居住者で同河口の魚を摂食した者数名が、水俣病に罹り発症している。

(3) メチル水銀の副生・流出と水俣湾の汚染

(イ) すでに認定したように、熊大研究班は、水俣湾産の魚介類に水俣病の原因を求め、同湾産の貝の経口投与で猫等に水俣病を惹起させたのであるが、さらに昭和三五年二月ころ熊大内田教授らは、水俣湾産ヒバリガイモドキから含硫有機水銀結晶の分離に成功し、後日これがメチル水銀(硫黄)化合物(CH3―Hg―S―CH3)であることを確め、また熊大入鹿山且朗教授(以下「入鹿山」という。)らは、昭和三五ないし三六年ころ水俣湾から採取したヒバリガイモドキおよび昭和三七年同湾から採取したアサリから、同じメチル水銀化合物(CH3 Hg cl)をとり出すことに成功し、とくに後者は結晶として抽出した。右内田の抽出した物質については、猫等に経口投与した動物実験において、水俣病特有の症状ならびに病理学的所見を呈し、これが水俣病の病因物質たりうることを確認している。

(ロ) そして、熊大研究班の調査結果によると、水俣湾ならびに不知火海の魚介中から多量の水銀が検出され、また、水俣湾海泥中にも著しく異常大量の水銀が含有されており、その分布は、百間の排水口付近の二〇一ppmを最高に湾外に向うにつれて水銀含有量は急速に減少しており、その分布からみて、以上の水銀は排水口よりの由来に基づくものであることが明らかにされた。

昭和三六年一月ころ、入鹿山らはチッソ水俣工場排水溝および水俣港内の泥土を集めて検査したところ、百間港水門の内側の泥土中からある種の有機水銀が検出され、その性状が水俣湾産の魚介から抽出した水銀化合物と一致した。

このことから、水俣湾付近の魚介中に蓄積された有機水銀(メチル水銀化合物)は、海中で生成されたものではなく、チッソ水俣工場の排水に関連するものであることが判明した。

(ハ) ところで、チッソ水俣工場の工場排水には、アセトアルデヒド酢酸設備排水のほか、主なものとして、塩化ビニール排水およびカーバイト、アセチレン残渣排水の二種があるが、カーバイト、アセチレン排水には水銀が含まれていないから問題はなく、前二者の生産にはいずれも水銀が使用されていた。

そこで前記細川一医師は、水俣病患者発生後、いち早く水俣病と同工場の排水との関係に疑惑を抱き、昭和三二年中旬から同工場の技術部と協力し、猫の餌に同工場の排液をかけて与える実験をくり返した。その結果、昭和三四年七月二一日から実験を開始した四〇〇号猫(四〇〇番目の実験猫)が同年一〇月六日ころ発症した。右猫は、痙攣、よだれを流す、とびはねて壁にぶつかるなどの回走運動を起こし、同月二四日衰弱したため屠殺し、これを九州大学医学部に送って病理解剖に付した。同大学の病理組織学的所見は、「①小脳の顆粒細胞の脱落、消失著明、プルキニエ細胞にも変形脱落がみられる。②大脳各部神経細胞萎縮変性?――これはアルコール固定のためか判断は困難?グリヤもびまん性に多少増生?③大脳皮質内血管周囲の円形細胞浸潤、小脳膜の軽い細胞浸潤。」とされ、なお不明の点を残してはいたが、その症状ならびに病理組織学的所見は、前記熊大における猫の水俣病のそれとほぼ一致するところがあつた。(この結果は同工場に報告されたが、公表はされず、実際も同年一一月末日限りで中止された。)

その後、入鹿山らはチッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド製造工程、すなわち水銀を触媒とするアセチレン水化反応(チッソ法)の工程において、無機水銀特に酸化第二水銀とアセトアルデヒドが反応し、酢酸第二水銀を経てメチル水銀化合物が副生され、これが塩素イオンの存在により溜出性のある塩化メチル水銀(CH3 Hg cl)となり、系外に排出される旨の学説(以下「入鹿山説」という。)を発表し、実際にも昭和三六年水俣工場の酢酸工場のアセチレン水化反応装置に連続する管から直接採取した泥状の水銀スラツジより、塩化メチル水銀を結晶として分離することに成功し、さらに昭和四一年七月と一〇月には、アセトアルデヒド精留塔ドレン排水中に総水銀三四〇ないし三七〇ppm、塩化メチル水銀一三〇ないし一四〇ppm(但し水銀として)を検出し、昭和四三年五月のアセトアルデヒド製造設備閉鎖前、精留塔排水中から総水銀七六ppm、塩化メチル水銀四六ppmを検出した。

右のことから、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド製造工程において、生成のメカニズムはともかく、塩化メチル水銀が現実に副生され、排水とともに水俣湾内に放出されることが明らかにされた。

なお、塩化ビニールは、活性炭に塩化第二水銀を吸着させ、これを触媒としてアセチレンと塩化水素より気相反応によつて造られるのであるが、入鹿山は、「右の過程でメチル水銀が副生され排水中に含まれる可能性はあるが、水俣工場の場合、その量は0.3ppmと微量であり、アセトアルデヒド排液中のそれと比較し、一万分の一以下である。」との見解を発表している。

(二) しかして以上の事実に、後記に認定のような魚介類に対するメチル水銀の蓄積性の点を併せ考えると、水俣病の汚染源はチッソ水俣工場にあり、その汚染機序は、同工場のアセトアルデヒド製造工程中に副生されたメチル水銀化合物が工場排水によつて水俣湾等に流入し、それが魚介類の体内に蓄積され、その魚介類を多量に摂食したことにより、メチル水銀化合物が人体内に移行蓄積し、その結果発症したものと認めることができる。証人大島竹治は、水俣病の原因を、前記旧海軍弾薬貯蔵庫等に求める旨の証言をしているが、特に科学的根拠があるわけではなく、同人の独自の見解であつて、前記認定の事実に照らし、到底採用することはできない。

二  本件中毒症と水俣病

1本件中毒症の特性とその病因物質

(一) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

前記認定のように、新大は特別研究班の臨床研究班員、疫学研究班の一員(小坂教室)として、本件中毒症の研究をしてきたが、患者二六例の本件中毒症の特性等についての研究成果は、最終報告書(甲第四二号証)をもつて発表され、その後の研究内容も報文等で逐次発表されている。それによると、本件中毒症ならびにその病因物質は、要約すると、つぎのようなものとされている。

(1) 本件中毒症の臨床的観察

(イ) 本件中毒症患者四九例(うち死亡者六例)の各症状は、後記第五の五に認定のとおりであるが、これを表〔1〕患者二六例(昭和四二年六月現在)の主要臨床症状の頻度についてみると、図〔3〕のとおりであり、また患者三〇例(表〔1〕患者に、表〔3〕患者の昭和四三年四月までの患者を加える。)の同じ頻度についてみると、図〔4〕のとおりで、表在性知覚障害がもつとも多く、これはまた多くの場合初発症状である。

患者の多くは、まず、手指のびりびりするしびれ感に気づき、ついで足先、舌、唇、口周囲などにも同様のしびれ感が起り、ときには全身に及ぶ。この部位には一般に知覚鈍麻も認められる。一般に四肢末端部に障害が強く、障害部位の局在性は明らかに末梢神経(殊に尺骨神経)障害を思わせるものもある。このほか注目すべき所見として、頭部および顔面の知覚障害が多いことがあげられる。

知覚障害についで、運動失調、聴力障害、筋力低下、求心性視野狭窄、言語障害などが比較的多い。このほか、従来のアルキル水銀中毒症の症状としては注目されていないが、関節痛、深部反射減弱ないし消失、指趾拘縮が多い。深部反射は発病時に一定の傾向はないが、三年後の経過をみると、下肢深部反射は減弱ないし消失の傾向にある。

死亡例では、いずれも求心性視野狭窄、難聴、構語障害、運動失調、知覚障害などのいわゆるハンター・ラッセル症候群がみられるが、生存例では、必らずしもこれを兼ねそなえるものではない。これは、本件中毒症では、アルキル水銀中毒症のうち比較的軽症例をも含めたためである。

比較的軽症のものも、つぎのような診断根拠により、本件中毒症患者と診断された。すなわち、

(ⅰ) 入院検査により他の疾患を除外

軽症例は、頸推症、糖尿病、その他の原因による神経炎、脳血管性障害、神経症と症状が類似しているものもあるので、特にこの点に注意して鑑別診断を行なつた。そのほかの疾患についても各症例ごとに鑑別した。

(ⅱ) 臨床症状の特徴

知覚障害部位の特異性、知覚障害のみを主徴とするものでも軽快しにくいこと、多くの例は、小脳症状、聴力障害など知覚障害以外の症状をもつこと、

(ⅲ) 頭髪中水銀量高値

(ⅳ) 川魚摂食と発症時期の関係

などを総合して診断した。

(ロ) 臨床検査所見では、一般的検査については著変を認めないが、血液、頭髪水銀量は著増しており、経過とともに頭髪水銀量は血中水銀量に平行して減少している。治療に当つては、SH基を有するペニシラミン、チオラ、タチオン、バルなどにより水銀の尿中排泄を図り、各種のビタミン剤を併用した。これらの薬剤中ペニシラミンの排泄効果が確実であつたが、チオラの静注、経口投与も有効であつたので、これらを主として用いた。

(ハ) 本件中毒症患者において、ポルフィリン代謝障害のあることは確実であり、ポルフィリン体排泄が一様に増加している点では明らかに鉛中毒とは異なり、酵素阻害よりは、むしろ単なる産生増加と考えられた。そして、糞便ポルフィリン体の増加がない点から、その産生増加は軽度のものと考えられた。ポルフィリン代謝障害位としては貧血がなく、赤血球ポルフィリン体の増加ない点や骨髄の光顕、電顕所見から、骨髄系の関与は否定された。また、肝機能障害のない点から、肝臓におけるポルフィリン代謝障害のみでは説明しにくいものと思われ、むしろ、臨床症状や水銀の主な侵襲臓器が肝のほかに中枢神経系、筋、腎などであることを考え合わせると、これら臓器のポルフィリン代謝障害の関与が推測された。

ポルフィリン体増加の機序として、尿中ポルフィリン体排泄増加と水銀排泄量が相関する点から、ポルフィリンによる水銀キレート作用が推定された。また治療剤によるポルフィリン体減少が水銀排泄効果と平行する点は、外因性の強いキレート剤による競合的減少と考えられた。

(ニ) 表〔1〕患者のうち二三名と頭髪水銀量二〇〇ppm以上で神経症状のほとんどないもの九名のうち他疾患合併例を除いた計二八名について、臨床脳学的検討を行なつたところ、これが結果は、つぎのとおりである。すなわち、

発作性異常波、焦点性変化は認められなかつたので、基礎波について単一律動性前頭部E型、不規則徐波型、低電位脳波型、diffuse α型、正常型に分類し、発症時と一年後の所見について比較検討した。発症時、低電位脳波が42.9パーセント、diffuse αが21.4パーセントと高率に認められ、正常型は17.9パーセントであつたが、一年後には、異常波は軽度となり、正常型は31.8パーセントと増加している。殊にdiffuse α型六例中五例は正常化している。

Pentazol賦活法で低閾値のものが外い。重症例では、前頭優位徐波から平坦脳波化がみられたが、その他では臨床症状とのあいだに相関々係はない。また血中、尿中水銀量とのあいだにも相関を認めない。

(ホ) 本件中毒症患者一八例について、筋電図学的検討を行なつたが、その結論は、つぎのとおりである。

(ⅰ) 一般筋電図上、特徴ある群化放電が出現し、その波の持続と間隔の比は二〇〇以上となり、標準偏差と平均値との比は13.0ないし38.0パーセントに及び、grouping voltageの分析図で右上方に位置した。

(ⅱ) 閾値比、振幅曲線では、H波に著名な抑制がみられた。

(ⅲ) しかし、回復曲線は正常パターンで前角細胞の興奮性の回復過程に明らかな異常はなかつた。

(ⅳ) 尺骨神経運動最大伝導速度およびsensory nerve action potentialからみて、末梢神経レベルでのある程度の障害が推定された。

(ⅴ) 本件中毒症の筋電図学的特徴として、特異な群化放電の出現と、H波抑制をあげることができるが、この発現機序の解明は今後の課題とされる。

(ヘ) 臨床経過では、発病初期には、求心性視野狭窄、小脳症状、知覚障害にかなりの改善がみられたが、その後、ビタミン剤を中心とする各種の治療で改善がみられず、かえつて精神症状や視野狭窄の明らかになつたものもいる。

(2) 本件中毒症の病理的所見

(イ) 新大神経病理学教室では、本件中毒症で死亡した二例の患者を剖検し、病理組織学的研究をしたところ、つぎのような所見を得た。

症例1亡桑野忠英(病歴は後記第五の五の2の(一)のとおり)――小脳皮質顆粒層のかなり広範な荒廃、すなわち、顆粒細胞は脱落し膠増性があり、ブルキニエ細胞の変化は比較的軽いが、処によりベルグマン氏膠の増殖がみられる。大脳特に鳥距野・横及び上側頭回・後及び前中心口の皮質の著名な荒廃、この変化は脳口の壁及び谷にみられ、頂部では弱い。また第Ⅱないし第Ⅲ層に層状に起つており、病変の強い部位では深層も侵されている。神経細胞は変性ないし消失し、星膠及び小膠細胞が肥大ないし増生している。一部では海綿状態もみられる。錐体路の軽い二次性索変性、その他脳・脊髄に特記すべき変化はない。急性間質性肺炎。肝の萎縮、中心性及び星細胞脂肪化。腎にネフローゼはない。

症例2亡大野岸松(病歴は後記第五の五の1の(一)のとおり)――小脳皮質には、第一例と同様の病変がみられるが、その程度は遙かに軽い。大脳及び脳幹の変化は第一例と全く同様であるが、大脳底面には外傷による小瘢痕が二ないし三個認められた。肝の萎縮及び星細胞脂肪化。新鮮な十二指腸潰瘍。腎にはうつ血のほか著変なし。水銀定量の結果、頭髪339.6ppm、小脳10.7ppm、後頭葉14.4ppm、肝35.6ppm、腎47.2ppm等の数値が得られている。

以上の所見により、この二症例がアルキル水銀中毒症に属するものであることは疑いない。

また右二症例について、中枢神経系よりそれぞれ百数十個の小塊を採取し、Timm氏法(少し改変して施行した)により、水銀の分布及び局在を検討した。その結果、水銀顆粒と考えられるものは、星膠細胞、小膠細胞ないし血管外膜細胞の胞体内にあり、神経細胞内にあつても軽微であることがわかつた。また顆粒の局在については、組織病変の強い処には顆粒が多く、病変の軽微ないしない部位では、顆粒の存在が陰性ないし軽度なことがわかつた。ただし第二例の小脳皮質では、組織病変は軽度でも、顆粒密度は相当に高かつた。

(ロ) 本件中毒症患者の頭髪水銀量は、別紙〔五〕患者等目録に記載のとおりであるが、昭和四〇年五月ないし七月測定の患者三〇例についてみると、水銀含有量の最低は五二ppm、最高は五七〇ppmであつた。

試験研究班員である東京歯科大学衛生学教室(上田喜一教授、以下「上田」という。)は、原告(7)桑野リイの頭髪から有機水銀を検出し、同じ班員である東京医科大学裁判化学教室は、亡大野岸松の頭髪(昭和四〇年四月一五日採取)に含まれる水銀化合物(ジチゾン法による総水銀量二三二Pig/g)から薄層クロマトグラフィー(以下「薄層クロマト」という。)による分離固定を試みたところ、メチル水銀化合物に一致する所見を認めた。また、神戸大学喜田村正次教授(以下「喜田村」という。)らは、昭和四〇年八月ころ椿から送付を受けた前記桑野リイほか六、七名の本件中毒症患者の頭髪に含まれる水銀化合物からガスクロマトグラフィー(以下「ガスクロ」という。)による分析および薄層クロマトによる分離固定を行なつた結果、その大半からメチル水銀化合物(最高約二〇〇ppm)を検出したが、エチル水銀その他の有機水銀は認めなかつた。さらに、新大公衆衛生学教室滝沢行雄助教授(以下「滝沢」という。)も、前記桑野リイの頭髪についてECD(電子捕獲型)ガスクロで、原告(24)五十嵐健次郎の頭髪についてFID(水素炎イオン化型)ガスクロで、各分析したところ、前者については、特に大きな塩化メチル水銀に一致するピークが現われた。

(3) 本件中毒症に関する動物実験等

(イ) 本件中毒症患者の発生地域で飼育された猫について組織学的検査を行なつたところ、アルキル水銀中毒症に相当する病変を認めた。

すなわち、新潟市一日市産の雄猫は、昭和四〇年二月末日より興奮状態となり、発作的に飛び上つては物にぶつかるようになつた。同年六月一五日屠殺、体重3.4kgで、水銀量は毛髪で一二八ppm、肝で17.2ppmであつた。腎では細尿管主部に著明な脂肪化がみられたが、その他の臓器に特別の所見はなかつた。脳の組織学的検査では、大脳皮質全般に(特に後頭葉に強いという所見はない。)ごく軽度の変化ではあるが、神経細胞の変性ないし脱落、星膠細胞および小膠細胞の肥大増殖が層状ないし斑状におこっていた。この変化は脳回の谷の部にやや目立ち、四ないし六層が一ないし三層よりやや強く侵されていた。小脳皮質や脳幹には殆んど変化はなかつたが、脳軟膜には軽い浮腫と出血がみられた。

(ロ) また、後記疫学的観察により、本件中毒症の原因が阿賀野川河口の川魚にあると考えられたので、同川の川魚を猫に経口投与する実験をした。生後六か月の秋仔猫を昭和四〇年一一月から現地(新潟市一日市原告(6)桑野忠吾宅)で飼育を開始した。餌付けは、まず、同年一二月中旬に阿賀野川河口からとつたニゴイ、ハヤの七五〇g程度の焼魚を米飯に混ぜて与え、翌四一年一月ころから、毎日一ないし二匹(二年魚では一匹、一年魚では二匹)をいずれも焼いて投与した。

その結果、昭和四一年三月一〇日ころから発症した。特有な症状として、元気消失、よたよた歩き、震え、飛び上り、突進、衝突、そり返りなどの失調性運動、痙攣性発作を起した後、流涎、高い鳴き声等を発して一応落ち着くが、発作後は惟悴した顔貌を示して食欲不良を示した。これらの発作を繰り返えして同年三年二一日に斃死した。

右発症猫は、斃死後直ちに解剖され、その病理組織学的検索が行なわれた。その結果は、体重1.55kg、毛髪水銀量一七五ppm、腎では細尿管主部で著明な脂肪化がみられたが、その他の臓器に著変はなかつた。大脳皮質では、前(イ)項の猫と同様の組織病変がこれよりもはるか著明に認められた。小脳皮質では、顆粒細胞の変性、脱落は殆んどみられず、プルキニエ細胞の軽い変性がみられた。また脳幹の諸核特に黒質、歯状核や脊髄前角の神経細胞に変性があり、ときに神経食現象を伴つていた。

なお、滝沢は、右斃死猫の臓器から病因物質として、メチル水銀化合物の固定ならびに定量分析を行なつた。その結果は、肝99.6ppm、腎73.5ppm、胃18.9ppm、腸34.4ppm、大脳1.7ppm、小脳0.3ppm(メチル水銀の臓器別沈着量)となり、諸臓器からいずれもメチル水銀化合物が検出され(他のアルキル水銀は証明されない。)、特に肝、腎では脳の数十倍という多量のメチル水銀の沈着を認めた。

(4) 本件中毒症の疫学的観察

本件中毒症の発生機序についての疫学的観察は、疫学研究班により、川魚摂食の疫学的意義、病因物質による汚染の実態と汚染経路の追求、病因物質の究明、汚染源の追求、にわたつて調査、研究されているが、右のうち、、は、本件訴訟において特に争いの大きいところであるから、ここでは触れず、後に詳述することとし、その余の調査研究について主要なものだけをあげると、つぎのとおりである。

(イ) すでに認定したとおり、行政機関等によつて本件中毒症患者とされたものは、合計四九名(死者六名を含む)であるが、これらの発生地域は、表〔9〕地区別患者・死者・水銀保有者数および図〔5〕本件中毒症患者発生地域に示すとおり、いずれも新潟平野を横断して日本海にそそぐ阿賀野川河口近くに位置しており、横雲橋下流の両岸に点在する小部落である。

(ロ) 初発患者の時期については、本件訴訟では特に争いがあるので、後記に詳細に検討する。また個々の患者の初発時期については、必らずしも正確に確定できないので、本件中毒症の時間的現象を正確に把えることはできない。しかし昭和三九年後半から昭和四〇年中にほとんどの患者が発生している。

(ハ) 患者を年令、性別に分類してみると、表〔10〕年令別・性別患者発生状況に示すとおり、男子が圧倒的に多くしかも中高年層に集中している。また患者の同一家族集中率が高いことは、前記第一の一に認定した患者らの身分関係をみれば明らかである。

(ニ) 患者らは、大半が本人または家族が職業としてあるいは自家用として、阿賀野川の川魚を捕獲しており、職業としている場合においても、商品価値のない雑魚(ニゴイ、マルタ等)は一般に自家用にしていた。また、同人らが漁業以外の職業に従事する者であつても、趣味として、阿賀野川河口付近の川魚を多量に捕獲していた。

(ホ) 疫学研究班の表〔1〕患者のうち二四名(死者を含む)についての調査では、患者の川魚摂食状況は、表〔11〕のとおり、その家庭では一般に夕食に川魚を摂食する頻度が高く、また季節では、冬、秋、春の順に高いことがわかつた。このうち年間を通じて、三度の食事毎に魚を食べたものは、六人でそのうち二人は死亡している。また、ほかに年間を通じ、毎晩魚を食べていたものが二人いた。

右の患者についての川魚摂食状況を一般家庭の川魚摂食状況、すなわち表〔12〕に示すものと比較すると、一般家庭では四季によつて毎日川魚を摂食するものの割合は二ないし七パーセント程度であるのに比べて、患者の場合には、それが三二ないし七二パーセントとははるかに高率で、一般家庭の一〇ないし一五倍も高い。

患者の家庭で摂食した魚類の種類とその調理方法は、表〔13〕のとおりであり、摂食量中等量以上のものについて調査した結果では、魚類のうちもつとも摂食頻度の高いものはニゴイの約六〇パーセントで、ついでマルタの二二パーセントであつた。また調理方法では、全体として肉を煮たものや焼いたものが多い。しかしニゴイやマルタとは、刺身として生食される割合も高かつた。

同様の調査を一般家庭についてみると、一般家庭での摂食魚類は、ニゴイ三一パーセント、フナ二五パーセント、マルタ一〇パーセントの順であつた。また調理方法も主に煮たり焼いたりが多く、患家の場合に比べて刺身の生食は少なかつた。

つぎに患者について摂食魚類の種類および量をできるだけ正確に調査した結果では、表〔14〕に示すように、患者二四名のうちほとんどのものがニゴイを食べており、ついでマルタを食べていたものも多い。

そしてニゴイの摂食状況を調査すると、表〔15〕に示すように、患者および水銀二〇〇ppm以上保有者は、ほとんど九六パーセントがニゴイを頻繁に食べているが、その割合は頭髪水銀量が少なくなるほど低くなつている。

このように患者の発生と、阿賀野川河口に棲息する川魚、特にニゴイ、マルタ等の底棲魚の多量摂食とは不可分のものとされた。

(二) しかして、以上認定の研究成果から考察すると、本件中毒症は、阿賀野川に棲息する川魚(特にニゴイ、マルタ等の底棲魚)を多量に摂食したことにより起つた低級アルキル水銀中毒症であり、その病因物質は特にメチル水銀化合物であることが認められる。

被告は、本件中毒症の病因物質として、メチル水銀のほかエチル水銀化合物もあるかのような主張をしている。本件中毒症が同じアルキル水銀化合物であるエチル水銀化合物によつて惹起させうることは、前記の研究結果から明らかであるが、乙第二一二号証の「患者の摂食した川魚からエチル水銀化合物を検出した」旨の新聞報道だけでは、未だエチル水銀が汚染魚に侵入したことを裏づけるに足らず、そのほかこれを裏づける証拠もない(証人寺本亘二の証言も、右新聞記事を根拠にしているに過ぎない。)以上、少なくともエチル水銀化合物が本件中毒症の主要な病因物質であるとすることはできない。

2本件中毒症と水俣病の関係

前記一の2、二の1の各項に認定した事実に、証人椿忠雄、同滝沢行雄、同喜田村正次の各証言を併せ考えると、本件中毒症と水俣病とは、その特性が一致する低級アルキル水銀中毒症であり、その病因物質はいずれもメチル水銀化合物であつて、患者らがこれを魚介類を多量に摂食することにより体内にとり入れた点も共通しており、以上に関する限り、本件中毒症は水俣病(但し、ここでは汚染源までを水俣病の定義に含ませない。)であると認定することができる。

もつとも、水俣病と本件中毒症の各症状の発現頻度を比較してみると、前者の場合、図〔1〕のとおり、求心性視野狭窄、構語障害、運動失調(小脳症状)のいわゆるハンター・ラッセルの三主徴がほぼ一〇〇パーセントであるのに対し、後者は、患者二六例で、図〔3〕、三〇例で図〔4〕のとおり、必らずしもそうでなく、後記第五に認定のその余の患者の症状発現頻度を集計しても、その傾向が大きく変らないことは明らかである。そこで、被告はこの点を把えて、本件中毒症は水俣病ではない旨主張する。しかし、前認定の事実に甲第五〇号証、第九一号証、第一六九号証の一、二、乙第三六六号証、証人椿忠雄、同徳臣晴比古の各証言を考え併せると、本件中毒症と水俣病の各症状発現頻度の差は、両者の同一性の認定を妨げる事情にはならないと解すべきである。すなわち、一般にハンター・ラッセル症候群の典型症状は、求心性視野狭窄、構語障害、運動失調(小脳症状)の三症状とされているが、ハンター・ラッセルの報告例では、その症例患者四人にすべて知覚障害が現われており、熊本水俣病でもこれが必発であるところ、本件中毒症でもこれに近い頻度で現われていること、水俣病では当初から知覚障害を主として中枢神経障害に由来するものとして把え、ハンターラッセルの三主徴を患者診定の診断基準としてきたのに対し、本件中毒症の場合は、すでに認定のように、必らずしも右三主徴にとらわれない診断基準をもつて、比較的軽症者をも含め患者診定(認定)してきたこと、熊本水俣病でも、最近熊大の学者の中から、水俣病では末梢神経障害に由来する知覚障害がある旨主張する学説が出て、従来の患者の診断基準に対する強い批判を加えるものも出ていること、本件中毒症の症状発現頻度も、図〔3〕と図〔4〕を比較すると明らかなように、その症状は固定しているものではなく、かなり流動的であり、調査対象人員、調査時点によりその出現頻度が多少異なるにしても、熊本の症例との差は決定的なものでないこと、本件中毒症患者の重症者、すなわち死亡者や後述する〔a〕、〔b〕ランク患者には、すべてハンター・ラッセルの三主徴をそなえており、反面熊本水俣病においても、比較的軽症者の中には関節痛、頭痛があることも報告されていること、そして自然環境の差や患者の年令、性別分布の差などを考慮すると、前記症状発現頻度の差は本質的なものではないということができる。

また被告は、本件中毒患者には、腰痛、関節痛等の一般症状があるから、むしろ農夫症である旨主張するが、〈証拠〉によると、いわゆる農夫症なるものの実態は未だ必らずしも明らかでないばかりでなく、文献における農夫症の報告例は、いずれも農業の第一線に専従する者が罹つているものであることが認められるところ、本件中毒症患者には、右にいうような専業農業者がむしろ少ないことは、別紙〔五〕患者等目録の職業欄の記載から明らかであるから、被告の右主張はにわかに採用できない。

三  工場排液説

1鹿瀬工場におけるアセトアルデヒド合成工程

(一) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

アセチレンを水銀塩の酸性溶液中に吹き込むと、水一分子が付加してアセトアルデヒドが生ずるアセチレン水化反応は、古くから知られていた。アセトアルデヒドは、酢酸、酢酸エチル、酢酸ビニルモノマー、ブタノール、オクタノールおよびこれから誘導される様々の可塑剤などの原料となる重要な中間体で、塩化ビニルモノマーと並んで、アセチレンを出発点とする化学工業の主要な位置を占めており、アセチレン水化反応は、一九一二年ドイツにおいて初めて、工業化に成功して以来、世界の主要な化学工業会社において採用され、一九六〇年ころからエチレンをパラジウム触媒で空気酸化する方法(エチレン法)が普及したため、大部分の会社がこのエチレン法に転換するまで続けられた。

そして、右のアセチレンから水銀を触媒としてアセトアルデヒドを製造する方法には、母液循環法と過剰アセチレン法(アセチレン循環法、別名ドイツ法)がある。昭和三五年ころから昭和四〇年初めころまでの間、日本においてアセトアルデヒドを製造していた会社は、日本合成化学工業株式会社(宇土工場、大垣工場)、日本瓦斯化学工業株式会社(新潟工場)、チッツ(水俣工場)、ダイセル株式会社(旧商号、大日本セルロイド株式会社、新井工場)、株式会社鉄興社(酒田工場)、電気化学工業株式会社(青海工場)、および被告会社(鹿瀬工場)の七社であつたが、このうち前三社はの母液循環法、後の四社はの過剰アセチレン法によつていた。

の母液循環法は、アセチレン水化反応において吹込みアセチレンを当量で加え、触媒水溶液を満たした反応塔内で全部反応させる方法であり、そのうち、チッソ水俣工場で採用した方式は「チッソ法」といわれ、その方式を多分に簡易化している。すなわち、図〔6〕のとおり、まず反応塔下部からアセチレンを吹き込み、塔頂から触媒液をシャワーのように降らせてアセチレンとその触媒液とを接触反応させ、生成したアセトアルデヒドは反応液に溶解して反応塔底にたまる。このときの反応温度は約摂氏六八ないし七三度、触媒は硫酸水銀、助触媒として硫酸第一鉄または二酢化マンガンを使用し、一五ないし二五パーセント硫酸に溶解しており、これが触媒液である。そして、反応塔底の反応液に溶解したアセトアルデヒドは、反応液とともにフラッシュ蒸発器に送られ、減圧のもとで反応液から蒸発分離される。つぎに、これは圧縮器で圧縮されて直接精溜塔に送られ、ここで水とアセトアルデヒドに分離、精製される。蒸発器ではアセトアルデヒドを約六〇パーセント蒸発分離し、約四〇パーセントが反応液に溶解して残留するので、反応液は再び反応塔上部からシャワーされる。このようにして、反応液(母液)が循環する。

一方、の過剰アセチレン法は、反応液の中に化学量論的に必要な量(当量)よりも過剰のアセチレンを吹き込んで、アセトアルデヒド蒸気、未反応アセチレンおよび水蒸気とを排出させ、未反応の過剰アセチレンを回収し、循環させる方法である。

しかし、同じく過剰アセチレン法をとつていても、触媒および助触媒の種類、これらを含む反応液の濃度、アセチレンと水との接触の仕方、反応温度等の反応条件は異なり、またそれに応じて、実際のプラントにおける原料から中間物、副生品、製品に至る物質の流れ、その間の諸操作の順序、操作の行なわれる装置、機械類の関係などが異なつてくることは、充分考えられるところである。

(二) そこで、鹿瀬工場における具体的なアセトアルデヒド製造法について検討してみると、

(1) 証人阿部浩の証言ならびに弁論の全趣旨によると、鹿瀬工場では昭和一一年以来(前記のとおり合併前は昭和合成化学工業株式会社)、過剰アセチレン法によりアセトアルデヒドを製造してきたが、昭和三四年四月ころ、従来あつた小規模の製造装置を廃止統合し、将来の需要増加をもある程度見越して、製造能力の大きな通称「吹込水化」といわれる装置に切り換え、操業停止の昭和四〇年一月まで右装置を運転してきたこと、右の吹込水化法はドイツにおける第二次大戦終了時までの技術で、いわゆるPBリポートによつて戦後開示された過剰アセチレン法によるアセトアルデヒド製造技術を基礎とし、これに鹿瀬工場独自の技術を付加して完成させたものであるが、昭和三四年四月以前のものに比べ、反応条件は特に大差がなく、触媒に以前は硫酸水銀を用いていたのを、改造後金属水銀を用いた点が異なることを認めることができる。

なお、原告らは、鹿瀬工場は昭和三四年四月以降も従前と同じ製造工程で運転していた旨主張するが、甲第九二号証(折り込み伝票部分)によつても、未だこれを認めることができず、そのほか原告らの右主張事実を裏づけ前記認定事実を左右する証拠はない。

(2) ところで、被告は、改造後の吹込水化を示す製造工程図として、乙第七二号証の七(乙第三九号証の二別図(2)も同じ)を提出し、証人阿部浩も、同図面をその製造工程図として、被告主張の詳細な反応条件につきこれを裏づける証言をしている。

しかし、同号証の図面は、つぎに述べる理由から、これが鹿瀬工場における吹込水化の製造工程図として、そのまま採用することはできない。すなわち、

(イ) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、被告は昭和四〇年六月ころから同年末ころまでの間に、鹿瀬工場の実際のプラントや運転条件の記録等とともに製造工程図をすべて焼却、廃棄し、前認定のように、同年一〇月一三日ころの特別研究班の現地調査の直後である同年一一月ころからプラントの撤去を開始し、翌四一年の国立衛生試験所の調査の後一ないし二か月後にそのすべて完了し、その際に水銀残滓、反応塔側壁の付着物、水化液、ドレン廃水まで一切廃棄してしまい、その資料は何も残していなかつたことが認められる。

右のように製造工程図を焼却してしまつた理由について、昭和三九年ころから鹿瀬工場有機課長をしていた証人小沢謙二郎は、「アセチレンからのアセトアルデヒド製造方式は、昭和三七年ころから設立された徳山石油化学株式会社がエチレンからの製造方式をとるようになつて、もはや古い形式の、とつておいても価値のないものであつたからだ。」という趣旨の証言をしている。しかし、物理化学の専門家である証人北川徹三(横浜国大教授)の証言によつて認められるように、製造工程図は、当該工程を如実に示すものであり、化学技術者は工程図により一見して製品が得られるまでの化学変化等の製造方法ならびに処理方法を知りうる、いわば基礎的、不可欠の資料であり、しかも前記第二の二に認定したとおり、昭和四〇年六月ころには、すでに新大と県、市の調査研究において、水俣病におけるチッソと同じように、鹿瀬工場が本件中毒症の原因、汚染源と疑われる工場の一つに数えられており、また乙第三二号証によると、被告は右疑惑を受けていることを前提として、すでに同年一〇月には、前記のように工場排液説の反論のための資料採取を阿賀野川において開始していたことが認められるから、被告が本件中毒症の原因につき工場排液説に反論を加え、かつ、自らその真実を究明するためにも、最高の資料というべき製造工程図等を、特に企業秘密でもなくなつた段階(旧式として廃棄しようとしている。)で、何故焼却、廃棄してしまつたのか、前記証言中でなされた説明だけでは、到底納得できないものがある。

(ロ) そして、証人小沢謙二部、同村山敬博の各証言によると、鹿瀬工場の製造工程図は電気工営課に保管されていたものであつて有機課には保管されておらず、乙第七二号証の七は、結局、有機課長経験一年程度の小沢謙二郎が、操業停止後数年を経てからもつぱら同人の記憶に基づいてメモしたものに過ぎないことが推認でき、同人の反応条件の証言も、これを裏づける資料は右以外何もなく、その記憶のみに基づいている。

(3) そうだとすると、鹿瀬工場の前記改造後の実際の具体的な反応方式、反応条件を正確に知ることができないのであるが、証人小沢謙二郎の証言によると、甲第九二号証(昭和三二年九月現在、「製造工程図」と題する書面)は、被告社員の研修用教材として使用していたものであるものの、改造前の製造工程図を正確に写したもの(前記乙第七二号証の七と比較にならないほど詳細、かつ、具体的である。)と推認でき、前記のように、改造前後によつて実際のプラントは異なつたとはいえ、反応条件においては大差がなかつたということであるから、右甲第九二号証に反応方式の基礎となつた乙第七三号証(PBリポート集録)ならびに弁論の全趣旨を考え併せると、改造前の鹿瀬工場におけるアセトアルデヒド製造の実際をおおむね知ることができ、これによつて改造後のそれもある程度推認することができる。すなわち、まず改造前の製造工程についてみると、

(イ) アセチレン水化工程の反応工程は、ガス循環式を採用し、反応にあずかるアセチレン量の四ないし六倍の過剰のアセチレンを循環して、反応液よりアセトアルデヒドを分離捕集する。反応液(触媒を含んだ硫酸溶液)をアセチレンと接触させて反応を行なわせるための飛散のさせ方に、ポンプ循環によるもの(図〔7-1〕)と、攪伴子によるもの(図〔7-2〕)との二つがある。生成アルデヒドはガス状であつて、アセチレンに伴なわれて塔外に出るものを、右両者とも水に吸収して約一〇パーセントの濃度にし、蒸溜によつてアセトアルデヒドを得るのである。

(ロ) この際、触媒として硫酸第二水銀と硫酸第二鉄が用いられ、反応母液は硫酸一五ないし一八パーセント、硫酸鉄四パーセント、水銀0.05パーセントより組成され、反応温度は摂氏九〇ないし九八度である。

(ハ) 生成したアセトアルデヒドは、直ちに未反応の過剰アセチレン、水蒸気とともに絶えず反応塔頂からガス状として溜出する。すなわち、アセトアルデヒド蒸気と未反応の過剰アセチレンおよび水蒸気を含んだ混合ガスは反応塔より排出されるが、その際触媒液ならびに金属水銀が同時に飛沫あるいは蒸気の状態で同伴されるので、まず邪魔板形式あるいはサイクロンなどのセパレーターにより、右同伴飛沫の一部が分離され、再び反応塔で使用される仕組みになつている。ついで、これが摂氏氏七五度で多管式冷却器(クーラー)に導入され、摂氏二〇度に冷却されて、さらにスクラバー(洗滌器)の下部より入つたうえ塔頂より出て、つぎのスクラバーの下部より入り塔頂より出る、というように、四基ないし六基のスクラバーを順次通つていく。スクラバーには磁製ラッシヒリングが充填されていて、下部は循環タンクになつており、水が最後のスクラバータンクに入るようになつている。スクラバーにはそれぞれのクーラーが付いていて、アセトアルデヒドを充分吸収できるよう水温を下げ、塔頂からシャワーで前記混合ガスと交流させて、アセトアルデヒドを吸収させ、逐次アセチレンとアセトアルデヒドを分離し、水の方にアルデヒドを移行させる。

こうして流れた液は、No.1スクラバー循環タンクにおいてアルデヒド濃度が一〇ないし一三パーセントになるようにしてある(粗液)。そして、No.6スクラバーを出るガスにはアルデヒド分はほとんどなく、アセチレンが主体でこれは反応塔に送られる(図〔7-1〕)。

(ニ) 粗製アルデヒドタンクより原液仕込槽に粗製アルデヒド(原液)をポンプで送り、ついで蒸溜塔(濃縮塔)下部に原液を仕込む。その途中下塔(回収塔)より出る高温の排水と原液とを熱交換して原液を予熱するようになつている。上塔下部に仕込まれた粗アルデヒド中のアルデヒド分は、熱により上昇し、水分は逐次凝縮して下塔に入る。上塔塔頂より純アルデヒドが気化して出て行き、この気化したアルデヒドは凝縮器に入る。ここで、液化したアルデヒドは上塔に戻り、気化しているアルデヒドはつぎの凝縮器に入り、これで液化しきれないものは第三、第四の凝縮器で液化される。第二凝縮器以降液化した純アルデヒドは、一部上塔に戻り、他は製品冷却器を通過し流出口から製品受槽に入り、さらに製品タンクに入る(蒸溜工程)。蒸溜工程で水とアルデヒドが分離され、蒸溜塔下塔(回収塔)でアルデヒドは塔頂へ、水は系外へ廃水として放出される(図〔7-3〕)。

(ホ) なお、右水化反応の進行過程で触媒機能の劣化反応があるため、その回復に助触媒(硫酸鉄)工程がある。助触媒調整槽には、硫酸水銀より一部還元された金属水銀の泥状物質の沈降物が産出される。この水銀泥を定期的に抜きとり、水銀蒸溜工程において一部は生灰粉で中和して回収し、他の一部は加熱し、水銀蒸気を発生させ、さらにこれを凝縮して水銀を回収するのである(図〔7-4〕)。

(ヘ) そして、水化反応工程における反応塔基数は攪拌式四基と循環式一基からなり、その総設備能力は月産六〇七トン、実働能力月産五七九トンであつて、第一ないし第三部門に分れて稼働していた。触媒に用いた硫酸水銀の設備能力は、水銀量に換算して一か月当り10.2トンになり、また鉄量に換算して一か月当り28.5トンであつた。

以上が、改造前の鹿瀬工場におけるアセトアルデヒド製造工程である。

ところで、〈証拠〉によると、鹿瀬工場では前記昭和三四年の改造の際、右二種類五基の反応塔を設備能力の大きな(同証人は日産六〇トンと証言しているが、前述の理由からそのまま採用できないので、具体的数字は不明である。)一基の「吹込水化」といわれる装置に切り換え、蒸溜工程では一基増設したほか、新たに三群七基の水銀回収装置を付加し、全体として計装化したことが窺える。この三群七基の水銀回収装置は、乙第九号証の二〇(特許公報)によると、前記認定の製造工程では、多管式冷却器の直後に装置されるものと考えられ、これは、反応塔に生成されたアセトアルデヒド蒸気と過剰アセチレンおよび水蒸気の混合ガス中に同伴合有される金属水銀を捕集回収するものであり、ここで凝縮分離された水銀は、自重により底部に沈積し、取り出しパイプにより器外に排出されるものと推認できる。

2鹿瀬方式におけるメチル水銀の副生・流出

(一) メチル水銀生成の理論的可能性

ところで、金属水銀を触媒とするアセチレン水化反応において、メチル水銀が生成(副生)されるか否かについては争いのあるところであるが、これについての学者・専門家の意見およびこれに対する批判はつぎのとおりである。

(1) 瀬辺・喜田村説とその実験

(イ) 〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めることができ、これを覆すにたりる証拠はない。

熊大元教授瀬辺恵鎧(以下「瀬辺」という。)および喜田村(神戸大学教授)は、昭和四一年末ころ、アセチレン水化反応に随伴する副反応によつて、メチル水銀化合物が必然的にまた正常的に産生せられるとの理論を唱え、右理論はフラスコワークの実験でも実証されたとして、要旨つぎのとおり報告している。すなわち、

(a) アセチレン水化反応における触媒の形成は、図〔8〕の式で示されるように、硫酸溶液における硫酸水銀が、アセチレンと接触して一水銀化化合物、二水銀化化合物を経由して三水銀化化合物(3HgO−C2H2)(以下これを(S)と称する。)となるが、これがいわゆる触媒水銀化合物である。そして、この触媒水銀化合物にアセチレンが反応すると、中間化合物である白色不溶性の沈澱物(3HgO−2C2H2)(以下これを(P)と称する。)を生ずるが、の式で示されるように、アセトアルデヒド一分子を放出して可溶性化合物の(S)となる。(S)はまたアセチレンに出合うと、その一分子と結合して再び(P)にもどる。この(P)、(S)という触媒水銀化合物の変化の繰り返えしと同時に、アセトアルデヒドが生成する。これがアセチレン水化反応の主流である。

ところが、この主流反応と平行して、(S)の一部は反応の経過とともにその触媒機能が劣化して分解を起し、逆に二水銀化化合物を経て一水銀化化合物となり、遂には一水銀化化合物が更に二種の分解反応を起して、その一つはアセトアルデヒドと金属水銀および無機水銀からなるものと、他の一つは硫酸メチル水銀と蟻酸からなるものとなる。

このように、アセチレン水化反応によつて造られるアセトアルデヒドは、(P)、(S)両物質間の転換によつて造られるもの(主流反応の産物)と、(S)の脱水銀化反応において造られるもの(劣化反応の産物)とがあり、この後者の過程の中で微量のメチル水銀化合物(主として硫酸メチル水銀)が必らず生成されるのである。このことは、母液循環法(チッソ法)、過剰アセチレン法(ドイツ法)のいずれの反応方式によつても同様である。

(b) 前記のように、(S)物質の脱水銀化反応で一水銀化化合物ができるのであるが、これはそれ自体単離できないので、喜田村は、瀬辺の指示に基づき、別に類似一水銀化化合物を合成し、これが分解してメチル水銀化合物を得られる実験を試み、前記理論の正しさを実証した。

(c) そして、右実験結果等からすると、アセトアルデヒドの全生産量の一〇パーセント内外が前記劣化反応の過程において造られ、そのまた0.2ないし0.03パーセントに相当するメチル水銀化合物が、劣化反応からさらに分岐した副反応によつて生成されることになる。アセチレン水化反応の工場作業の過程において損耗される水銀量は、関係諸施設の改良、反応諸条件の変改に伴つて変動するようであるが、文献で知りうる生産量当りの損耗水銀量に前記理論を適用すると、過剰アセチレン法の場合には、損耗水銀量の中の五パーセント内外がメチル水銀である。

(ロ) 以上の瀬辺・喜田村説に対し、被告は、「同説における(S)物質およびこれが生成する過程における一水銀化化合物、二水銀化化合物はすべて単離し確認したものではなく、また、これらに相当する物質の存在を推定せしめる測定をしているわけでもないから、右各物質の化学構造は全く両人の想像的産物である。(S)の構造は、その説のように既知のものではなく、瀬辺らがこれに引用した文献は何ら関係のないものがあるなど、(S)物質生成の論拠はない。(S)、(P)各物質の推定構造は、元素分析、赤外吸収スペクトルの結果、デニゲの報文の記載などからはむしろ否定され、したがつて、瀬辺らの反応のメカニズムは否定されるべきである。喜田村の実験には、その方法、分析操作などに誤りがあり、特にその際合成した一水銀化化合物は、酢酸第一水銀の誤りであつて、これを前提にしたメチル水銀生成量の推定についても誤りがある。」などと詳細な批判をし、瀬辺らの説が化学的実証を伴なわない全くの架空論であると主張しており、被告の社員であり技術者である証人北畠道俊、同橋本浩二は、右主張を裏づける証言をし、〈証拠〉中には、これに副う記載がないわけではない。

しかし一方、証人瀬辺恵鎧、同喜田村正次は、いずれも右被告の批判に対して、被告の不勉強さを指摘し、瀬辺・喜田村説における理論と実験は被告主張の点についても何ら疑いのないものであるとし、化学者の批判に十分耐えうるものである旨証言している。

(ハ) しかして、右瀬辺・喜田村説の当否について判断を加えることは、本件全証拠によつても未だ困難であり、これが当否を判断するためには、なお専門家の鑑定等を求めざるを得ないものといえよう。しかし、裁判所が本件訴訟において、これが当否の判断のため専門家の鑑定を採用することになると、鑑定、再鑑定等がくり返えされ、いわゆる果しなき科学論争に陥ることは必至と考えられるところ、現在の民事訴訟の構造上、裁判に科学論争を必要以上に生のまま持ち込み、裁判所がその当否を判断することは極めて不適当であるというべきであつて、しかも本件においては、鹿瀬工場のアセチレン水化反応において、「いかなる反応のメカニズム」によつてメチル水銀化合物が生成されるかということよりも、その反応のメカニズムはともかく、「実験にメチル水銀化合物が生成・流出」していたかどうかが、重要な争点で(このことは、仮に瀬辺・喜田村説が誤つているとしても、それはメチル水銀が生成(副生)するという同人らの理論的説明が失当であるというにとどまり、メチル水銀が実際に生成することはあり得ないことを何ら意味していないことからして、明らかである。)、後述するように、必らずしも瀬辺・喜田村説の当否に触れなければ、右の争点を判断できないものではないから、同説についての判断はあえて示さないこととする(なお、当裁判所が、右事項に関連する被告からの鑑定申請をすべて却下したのは、同様の理由に基づくものである。)

(2) 入鹿山説

すでに認定のように、入鹿山(熊大教授)は、チッソ法(母液循環法)の水化反応工程において、無機水銀とアセトアルデヒドとが反応塔内に存在すれば、両者の反応でメチル水銀化合物が副生され、これが塩素イオンの存在により溜出性のある塩化メチル水銀となる旨の説を発表している。

被告は、入鹿山説のメチル水銀化合物生成のメカニズムは、アセトアルデヒドが酸化されて過酢酸となり、この生成過酢酸と無機水銀とが反応してメチル水銀化合物が産生されるものである旨主張するが、これに副う乙第二五八号証(昭和四五年一〇月七日付新潟日報)は新聞報道にすぎず、証人寺本亘二も結局のところ、右新聞記事を前提として証言しているのであるから、これらによつて右の化学専門的事実を認めることはできない。しかし、この反応のメカニズムはともかく、アセトアルデヒドと無機水銀とが反応塔内に共存すればメチル水銀化合物の生成することは、被告においても実験的に確認したものとして、これを認めているのである。

もつとも、被告は、チッソ方式のアセチレン水化反応においては、その反応形式からして、アセトアルデヒドと無機水銀とがよく混合接触するようになつており、メチル水銀化合物の生成が容易に考えられるが、鹿瀬方式では水化反応で生成したアセトアルデヒドは直ちに過剰アセチレンとともに系外に去り、反応液中には微量をとどめるにすぎず、また無機水銀イオンも存在しないから、アセトアルデヒドと無機水銀とが接触する機会がなく、したがつて、入鹿山説によつても、鹿瀬方式ではメチル水銀化合物の生成はない旨主張している。しかし、すでに認定した事実に、〈証拠〉を考え併せると、一般に過剰アセチレン方式においては、チッソ方式(特に昭和二六年以降のもの)に比べて、反応液中に残る生成アルデヒドが少なく、無機水銀も微量であろうことは容易に推認できるのであるが、メチル水銀化合物の生成に必要な程度の量の存在をも否定してしまうことはできないのであつて、しかも鹿瀬方式の改造後の実際の製造工程は、前記のとおり判然としていないのであり、また、かつて操業中に右量を測定した形跡は関係証拠上窺われないのであるから、鹿瀬方式のアセチレン水化反応でメチル水銀化合物の生成する可能性について、入鹿山説を否定することはできないといわなければならない。

(3) 北川説

北川は、安全工学協会会員として、本件中毒事件について調査し、その原因について後述の農薬説を主張するものであるが、その専門家としての立場から、鹿瀬方式においてもその量はともかくメチル水銀化合物が生成され、流出することがありうるとの見解を、証人として供述している。これに対しては批判ないし反論は何もない。

(4) 被告のモデル実験

(イ) 〈証拠〉を総合すると、つぎの事実が認められ、これを左右する証拠はない。

被告は、昭和四三年四月から昭和四四年一二月ころまでの間、鹿瀬方式によるアセチレン水化反応のモデル実験として、つぎの実験を試みた。

まず本モデル実験に先立ち試みられた予備実験において、反応液中極微量のメチル水銀化合物が、ECDガスクロで検知された。

そこで、連続して反応塔内反応液の一部が常に一定量ずつ循環して入れ替えられるという本プラントの操業において、果して反応液中のメチル水銀化合物が増減するかを確かめるため、本モデル実験を行なつた。

(a) 本モデル実験は、アセチレン水化反応における反応温度、アセチレン吸収率、硫酸、硫酸鉄および水銀濃度などの反応条件が、反応時間に関係なく、常に一定に保持され、定常状態において実施された。

(b) その結果、反応開始後五ないし六時間を経過すると、供給速度に応じて触媒液中のメチル水銀化合物の濃度は一定値に達し、じ後平衡値を持続した。すなわち、反応液を循環した場合、メチル水銀は、反応液中濃度が2.6ppm以上になれば反応器内で分解し、次第にその濃度を低め、一方2.6ppm以下になれば生成してその濃度を高め、結局反応液中2.6ppmにおいて、生成と分解とが相殺されて、その濃度に保持されることとなり、以後増減はなく、メチル水銀は生成しないこととなる。

(c) 右のメチル水銀の生成と分解を裏づけるために、硫酸メチル水銀の分解反応につき実験をしたところ、過酢酸によつて硫酸メチル水銀が大幅に分解されることが明らかになつた。

(ロ) ところで、被告は、「右のモデル実験は、鹿瀬工場のアセチレン水化反応と同一の過剰アセチレン吹込方式ならびに反応条件を適用し、かつその製造工程は本プラントに比べ簡略化してはいるが、同一の機能を営むように組み立てて操作されているから、本プラントと相似性がある。したがつて、モデル実験の結果を本プラントについてあてはめると、操業開始後短時間のうちは、反応塔内でメチル水銀の濃度増加が認められるが、それが2.6ppmの濃度に達すると以後平衡が保たれ、アセトアルデヒドの生産に伴つてメチル水銀が副生されることがない、ということになる。反応液には微量のアセトアルデヒドが溶解しており、アセトアルデヒドは容易に酸化されて過酢酸となり遂には酢酸になることは、すでに知られているところであるから、前記(c)の実験結果によつても、本プラントにおいて定常状態で反応液中のメチル水銀濃度が平衡を保つことは明らかである。」と主張している。

しかしながら、証人村山敬博の証言によると、実際に右のモデル実験に当つた同人らは、モデル実験と本プラントの相似性を決める際、格別本プラントに関する具体的資料につき検討したものではなく、主に操業当時の鹿瀬工場有機課長であつた前記小沢謙二郎の指導によつて決めたことが認められるところ、すでに認定のとおり、被告は、昭和四〇年暮までには本プラントに関する運転条件や製造工程図など一切の資料を焼却、廃棄してしまつたというのであるから、実験開始を検討した昭和四三年四月ころには、被告の手許には本プラントに関する資料は何ら残つておらず、結局、小沢のわずか一年くらいの有機課長としての経験(しかも、すでに認定したように、当時においても製造工程図は有機課では保管していなかつた。)を、操業停止をしてから三年後の記憶に基づいて、本プラントを再現したものと推認せざるを得ないのであるから、被告主張のようなモデル実験と本プラントとの相似性をにわかに肯定することはできない。そして、本プラントとの相似性に疑問がある以上、右のモデル実験の結果は、本プラントにおけるメチル水銀化合物の副生の有無等を検討するに際し、一つの資料にはなりうるとしても、被告主張のように、これをもつて直ちに本プラントの場合に当てはめてその結論を云々することは、到底許されないものといわなければならない。

以上のように、アセチレン水化反応においてメチル水銀が生成される理論的可能性については、学者、専門家の間にも意見が分れるところであるが、これら学者らの意見は、本件訴訟資料に現われたものでみる限り、反応のメカニズムや生成量の問題では意見の一致をみないとはいえ、アセチレン水化反応、それが鹿瀬方式といわれるものであつても、その工程においてメチル水銀化合物が副生される理論的可能性があることを、いずれも肯定しているということができる。被告のモデル実験も、右の限りでは同様のことを意味しているといえよう。

(二) メチル水銀化合物溜出の理論的可能性

(1) アセチレン水化反応において、メチル水銀化合物が生成された場合それが硫酸メチル水銀であることは、瀬辺・喜田村説、入鹿山説でも同様であり、この点は当事者間においても争いのないところである。

ところで、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、硫酸メチル水銀の物性は、水に対する溶解度が高く、加熱しても水溶液から溜出することは困難であるが、反応液中に塩素イオンが存在すると、これと反応して塩化メチル水銀となり、塩化メチル水銀は硫酸メチル水銀に比べて極めて溜出性が高いことが認められる。

(2) そこで、硫酸メチル水銀が塩化メチル水銀になりうるにはどの程度の塩素量が必要かということと、鹿瀬工場の反応液の中には右に必要な塩素量が存在していたかどうかが問題となるが、この点について、

(イ) 証人瀬辺恵鎧、同喜田村正次は、いずれも、「鹿瀬工場が工業用水として使用していた阿賀野川の河水にも、一般河川と同様に、一〇ppm程度の塩素が存在していると推定でき、硫酸メチル水銀が塩化メチル水銀となるにはこの程度の塩素量で十分であるし、また工業用水が循環すれば塩素イオンが蓄積する。」と証言している。

(ロ) これに対し、被告の社員であり技術者である証人寺本亘二は、「鹿瀬工場で工業用水として使用した阿賀野川には、六ないし七ppm程度の塩素イオンがあつたであろうが、塩素イオンは、反応塔反応液中で生成される水銀スラッジに吸収されるから低濃度になつてしまい、工業用水の循環による蓄積も起らない。被告の行なつた実験がこれを裏づけている。」と証言し、〈証拠〉によると、塩素の蓄積濃縮の実験結果は、「塩素イオンは反応液中で生成する水銀スラッジに吸着され、一〇〇ppmもの高濃度の塩素イオンを投入しても、反応液中の塩素イオン濃度は一ないし二ppm程度に減少するが、例えば塩素イオン初濃度が一、〇〇〇ppmもの高濃度になれば吸着しきれず、液中に三〇〇ppmもの塩素が残る。また前記モデル実験の場合と同様の反応条件で、反応加水として阿賀野川の河水を使用して定常状態での反応を実施したところ、本来塩素イオンが蓄積すると仮定した場合における理論上の計算値は二五ppmの濃度になるはずのものが、実測値としては四ppmという結果になつた。」と報告している。

しかして右によると、鹿瀬工場で工業用水として使用していた阿賀野川には、とにかく六ないし一〇ppm程度の塩素量が含まれており、これが鹿瀬工場の反応塔内でそのままの形で存在したか蓄積濃縮したかについては理論的見解が分れるのである。しかし、証人阿部浩の証言によると、被告は操業中本プラントの反応液から塩素イオン濃度を測定したことがなかつたものと認められるから、実際の本プラントの反応塔反応液においての塩素量、その蓄積濃縮の有無は不明というほかはない。被告の行なつた塩素イオン蓄積の実験も、前記のとおり本プラントとの相似性に疑問がある以上、一般論として、水銀スラッジの塩素吸着性を認める点では支障がないとしても、その結果から直ちに実際の本プラントにおける塩素量を推認することは、論理の飛躍のきらいがあるというべきである(なお、甲第三〇号証の九、第五〇号証によると、入鹿山は、チッソ水俣工場の反応塔反応液中から一、〇〇〇ppmの塩素イオンを検出しており、同人は、これは工業用水に海水が含まれていたためではないかと疑つているが、工場側は海水使用を否定していることが窺われる。そのいずれが正しいかは本件証拠上からはわからないが、若し工場側のいうとおりであるとすれば、少なくともチッソ方式では工業用水の循環による塩素の蓄積濃縮があつたことになる。)。

(3) そうだとすると、鹿瀬工場におけるアセチレン水化反応において硫酸メチル水銀が副生された場合、これが塩化メチル水銀に変化し、反応塔から溜出する理論的可能性を否定することはできない。

(三) メチル水銀化合物の系外排出の理論的可能性

(1) 被告は、仮に鹿瀬工場の反応塔内で硫酸メチル水銀が副生されることがあるとしても、これが各工程を経由して、アセトアルデヒド蒸溜工程の廃水にまで運ばれる可能性はなく、系外に排出されることはない旨主張し、その理由として、

「(イ) 水銀スラッジは、元来メチル水銀化合物を非常によく吸着するから、反応液中で硫酸メチル水銀が生成したとしても、これは水銀スラッジに吸着される。鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程においては、反応液の一部を連続的に系外に取り出して液中の助触媒の賦活を行なつており、この反応塔系外に取り出した反応液は調整槽に入れられる。そして、この調整槽で反応液中の水銀スラッジが沈降し、反応液と分別される。沈降分離した水銀スラッジは、摂氏四〇〇度以上の温度で水銀蒸溜に付されるから、吸着された硫酸メチル水銀(分解点摂氏約二五〇度)は熱分解されてしまい、硫酸メチル水銀が反応液中に蓄積したり、これが流出したりすることはあり得ない。

(ロ) 硫酸メチル水銀は、前記のようにその物性からして、生成アセトアルデヒド、未反応アセチレンの混合ガスとともに反応塔から溜出することは考えられず、ただ混合ガスの脱出に同伴する飛沫になつて反応塔外に出る可能性があるにすぎない。そしてこの飛沫も、反応塔と吸収工程との中間に設けられた水銀回収工程、特に前記三群七基の水銀回収装置によつて完全に系内で除去処理される。」旨主張している。

(2) しかし、右被告の主張は、反応塔内で生成される硫酸メチル水銀が塩化メチル水銀に変化しないことを前提にするものであるが、すでに述べたように、反応塔の反応液中に存在する塩素イオンにより溜出性のある塩化メチル水銀が生成される可能性がある以上、これを前提にして検討するほかはない。そこで、以上の観点に立つて検討してみると、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、塩化メチル水銀は溜出性とともに水溶性も高いため、その一部は反応塔内で水銀スラッジに吸着することがあるとしても、その余は反応塔から生成アルデヒド、未反応アセチレンの混合ガスとともに、次段の蒸溜工程に移り、蒸溜排水中に水溶して系外に流出する可能性があることが認められる。被告主張の三群七基の装置は、前記のとおり、元来金属水銀回収の装置であり、右のような物性をもつ塩化メチル水銀の回収に対し、結果的にでもどのような効果を発揮するかは、本件証拠上必らずしも明らかではなく、乙第九号証の二〇(特許公報)の記載内容からみる限りでは、塩化メチル水銀の回収には実効がなかつたものと推認できる。そうだとすると、塩化メチル水銀が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程の系外へ排水とともに放出される可能性は、これを否定することはできない。

3鹿瀬工場付近からのメチル水銀化合物の検出

(一) チッソ水俣工場におけるメチル水銀検出と鹿瀬工場

すでに認定したとおり、入鹿山は、昭和三六年チッソ水俣工場の酢酸工場のアセチレン水化反応装置に連続する管から直接採取した泥状の水銀スラッジより塩化メチル水銀を結晶として分離し、昭和四一年にも同工場のアセトアルデヒド精溜塔ドレン廃水中から塩化メチル水銀を抽出したのであるが、原告らは、チッソ水俣工場における右塩化メチル水銀検出の事実から、同じアセチレン水化反応である限り、鹿瀬工場も変りはないから、これは同工場においてもメチル水銀化合物が排出されたことを裏づける事実である旨主張している。

しかし、チッソ方式と鹿瀬方式とがその反応方式が異なること、反応方式が異なつた場合、メチル水銀化合物の生成に関する反応のメカニズムが同じであるかどうかについては、学者・専門家の間においても意見が分れるところであることは前記のとおりであるところ、これらの議論やすでに検討してきた事実によると、アセチレン水化反応の反応方式、反応条件の違いは、メチル水銀化合物の生成の有無に関し何らかの影響を与えるものであろうことは十分考えられるのであり、しかも鹿瀬工場の「吹込水化」の具体的反応方式、反応条件を正確に知る由もない以上、チッソ水俣工場のアセチレン水化反応工程内からメチル水銀化合物の検出があつたからといつて、これから直ちに鹿瀬工場においても同様だと速断することは許されない。

(二) 鹿瀬工場内からメチル水銀化合物の検出

(1) 〈証拠〉を総合すると、試験研究班員である国立衛生試験所所員は、昭和四一年二月鹿瀬工場を現地調査した際、アセトアルデヒド反応系(施設内の検体施設の一部についてその内部をアセトンをもつて洗滌し、そこで得られたアセトン洗液)から、ECDガスクロおよび薄層クロマトの両分析結果より、メチル水銀化合物と同じ挙動を示す物質を検出し、「この検体は、メチル水銀化合物を含む可能性が大である。」と報告していることが認められる。

(2) 被告は、「国立衛生試験所が採取した資料は、反応系施設から採取したものでなく、被告社員が立会つて水銀蒸溜工程のコンデンサーから採取したものである。」旨主張し、証人田辺正士はこれに副う証言をしている。

しかし、乙第三一号証(疫学調査班現地調査報告)によると、疫学研究班は、前出の昭和四〇年一〇月一三、一四日の現地調査の終了後全員討論会を開催しているところ、その中で、「有機水銀のソースについては、鹿瀬工場のアセトアルデヒド工場内に残存する反応塔内の残渣を収去し、直ちにメチル水銀の存在を確認することがもつとも捷径である。」との意見が強調されており、また厚生省、県および市等との全員懇談会でも、今後の調査方針を検討する際、科学技術庁からの説明として、「通産省は本調査研究に全面的に協力するので、検体検査等必要事項については本省に連絡して欲しい。」と述べられ、さらに厚生省側の委員からの意見として、「二工場(鹿瀬工場と日本瓦斯化学工業株式会社松浜工場)の反応塔内の残渣収去は、厚生省から通産省に依頼して検体を入手するのが確実である。」旨述べられていることが認められるので、このことから、特別研究班としては、当時から鹿瀬工場に残存していた反応系施設内から検体を採取し、メチル水銀の存在の有無を確かめることを考慮しており、これを受けて国立衛生試験所が現地調査をし、反応系施設を対象にして検体試料を採取したものと推認できる。甲第四二号証、乙第三五号証の二によると、現地調査員として赴いた衛生試験所の所員らは、反応系施設と水銀蒸溜工程施設との区分を容易にできる程度の専門家と認められ、立ち会つた被告社員が特に誤つた指示でもしない限り、右の調査目的からみて、あまり意味のない場所から検体試料を採取したとは到底考えられない。被告としても、当時鹿瀬工場が汚染源の一つとして、かなりしぼられた形で一層強く疑われていたことを十分承知していたことは証人安藤信夫の証言と弁論の全趣旨から明らかであり、したがつて、当時においても真実の究明を望んでいたと思われる状況下にあつたはずであるから、同工場の担当技術者が立ち会つているにもかかわらず、アセチレン水化反応系施設と直接関係のない水銀蒸溜工程の施設を指示し、検体試料を採取させたとは考え難いところである(若し、証人田辺正士の証言どおりだとすると、右のような立場にあつた鹿瀬工場では、仮に衛生試験所の試料採取場所が反応系施設と関係ないところであるならば、調査員らに注意を促がしたであろうし、またそうでないとすれば、当時においても真実の究明を望んでいたという被告の立場と矛盾することになるからである。)。したがつて、証人田辺正士の前記証言部分はにわかに措信できず、他に被告主張を裏づける証拠はない。

また、被告は、右の国立衛生試験所の行なつたECDガスクロによる分析はチャートもなく、薄層クロマト分析におけるスポットも分離が不十分であるから、前記報告は信用できない旨主張するが、特に衛生試験所の分析操作につき誤りがあつたとの証拠がないばかりか、〈証拠〉によると、衛生試験所所員が分析の専門家であることも明らかであるから、この点の被告主張も採用できない。

そして後に詳述するように、鑑定人西末雄の鑑定結果によると、ECDガスクロによる分析において、一定の条件下では、メチル水銀と同一のリテンションタイムを示す物質もあることが認められるが、衛生試験所の分析の際、そのような物質の出現が疑われたとの証拠が何もない以上、メチル水銀化合物と同一のリテンションタイムを持つ物質が少なくともメチル水銀化合物である可能性は、極めて大きいといわなければならない。

(三) 鹿瀬工場排水口付近水苔からメチル水銀化合物の検出

(1) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

(イ) 滝沢(新大助教授)は、疫学研究班の調査研究の一環として、県衛生部が、昭和四一年四月と五月図〔9〕のように、鹿瀬工場の排水口の地点を中心に十数か所から採取した水苔(多年性蘚苔類、一部泥土付着)を分析実験した。その結果は、表〔16-1〕に示すように、鹿瀬工場の排水口、排水溝の検体(検体番号1、2、9)から、ジチゾン法による分析で131.0ppmから461.8ppmと多量の総水銀が測定され、また同場所の検体(検体番号1、2、9、10)から、ECDガスクロ(検知限界1×10-5μg)でメチル水銀化合物の知見を認めた(なお、検体番号10の地点からは、同年八月に再度採取して、ECDガスクロ(検知限界1×10-7μg)で分析したところ、0.02ppm程度のメチル水銀化合物を定量した。)。

ところが、排水口からの排水に影響を受けないと思われる上流対照地点の検体(検体番号6、7、8、17、18、18-2)からは、表〔16-2〕のとおり、ごく微量(一ppm以下)の総水銀が定量されたにすぎず、同地点の検体(検体番号6、7、8)からは、メチル水銀化合物は全く検出されなかつた。

(ロ) そして、これらの成績は厚生省に報告されたが、メチル水銀化合物の分析については同省からの依頼で、東京歯科大学上田と神戸大学喜田村によつて追試された。すなわち、

上田は、排水口の検体(検体番号9、10、10-2、11)から、表〔16-1〕のとおり、ECDガスクロによる分析でメチル水銀を検出した。なおその際、水苔の抽出試料(検体番号9、10)におけるピーク同定のため、塩化メチル水銀の標準品添加を行なうとともに、SH系解毒剤のグルタチオン、チオラ等を用いてピーク除去の実験を試み、検出物がメチル水銀化合物であることを確認した。

また喜田村も、排水口の検体(検体番号9、10、11、13)から、表〔16-1〕のとおり、ECDガスクロによる分析でメチル水銀化合物を検出した。

(ハ) さらに滝沢は、自己の行なつたガスクロによる水苔分析の成績をクロスチェックする意味で、昭和四二年二月ころ、県衛生部に排水口の水苔(前記の検体番号10と同一地点)を約一キログラム採取してもらい、これを新大教育学部食品化学研究室大塚教授らと共同で薄層クロマトによる分離定性を試みたところ、塩化メチル水銀と一致する所見を得た。

(2) ところで被告は、右の排水口水苔に関する滝沢、上田、喜田村三者の分析結果については、いずれも分析化学上、技術上多くの問題点を含んでいるから、本件証拠資料として採用すべきでない旨主張し、その理由を縷々述べているので、これについて判断すると、

(イ) まず被告は、三者の分析した試料は同一試料でなく、また当時はECDガスクロによる分析方法は未だ確立されていなかつたから、これによる有機分析結果は信頼度に乏しく、たとえ三者それぞれにおいてメチル水銀のリテンションタイムに一致するピークが出たとしても、これから直ちにメチル水銀化合物が検出されたと断定できない旨主張する。

なるほど、三者が分析した試料は、同一試料ではなく、一部は採取時期も異にする同一地点の試料であるが、三者の水苔の分析は、いずれも鹿瀬工場排水口における水苔にメチル水銀化合物が検出されるかどうかという目的でなされたものであるから、これが検体試料は同じ排水口の同一地点からほぼ同時に採取された水苔であれば足りるというべきである。

また、〈証拠〉によると、ECDガスクロによる有機水銀分析が行なわれ初めたのは昭和四〇年ころからであつて、少なくとも昭和四一年四、五月ころは、ECDガスクロによる有機分析は未だ一般に完成されたものではなかつたから、これを行なう際には、薄層クロマトその他の方法によるいわゆるクロスチェックを行なう方がより正確な分析結果を得られるものであることが認められ、したがつて、クロスチェックを伴わない分析だけで、これがデータに決定的な意味をもたせることは慎重でなければならないとしても、三者が同時に独立してそれぞれの技術によつて分析した結果が一致したということは、そのこと自体がむしろ最大のクロスチェックに当るというべきである。すなわち、前記のように、滝沢は薄層クロマトによつて、上田はグルタチオン、チオラによるピーク消去等の方法により、いずれもクロスチェックをしており、さらに甲第一三号証、第九一号証、乙第三一号証、証人喜田村正次の証言によると、喜田村は昭和四〇年いち早くECDガスクロを有機分析に用いるために独自の改良をなし、その正確性を確認し、特別研究班の内部においても右分析の権威者とみなされていたことが認められるから、同一地点の検体(検体番号9、10)について、これら三者の分析結果がいずれも独自の方法で正確性を担保しているばかりでなく、各分析結果が同じようにメチル水銀のリテンションタイムに一致するピークを報告していることは、その正確性を裏づけるものというべきであり、それぞれの分析者が全く同一の試料について同じ分析操作をし、同じようなクロスチェックをしなかつたからといつて、そのことから三者の分析結果が信用できないというものではない。

(ロ) また被告は、水苔試料には泥土が含んでいたから、これにどのような有機、無機化合物が含まれているかも知れず、前記分析の際、メチル水銀化合物以外のものをメチル水銀化合物と誤認した可能性がある旨主張する。

鑑定人西末雄の鑑定の結果によると、「(ⅰ)ECDを用いたガスクロでメチル水銀化合物を分析する際、溶媒にベンゼンおよびエーテルを用いることによるメチル水銀化合物ピーク出現に対する障害はないが、クロロホルムを溶媒とする場合、現在メチル水銀化合物分析用に用いられている一般的カラム条件では、メチル水銀化合物の定量的な測定は極めて困難と判断され、特定のカラム条件を研究する必要がある。(ⅱ)塩化第二水銀、硫酸第二水銀、酸化水銀などの無機水銀化合物を塩酸酸性溶液とし、これをベンゼン、エーテルなどの有機溶媒でふりまぜ、抽出液をガスクロで分析すると、ガスクロのメチル水銀化合物の保持値にピークを与える場合がある。この場合、メチル水銀化合物相当のピークの出現の状況は、有機溶媒中への移行した無機水銀化合物の量に関係する。有機溶媒のうちエーテルは、無機水銀化合物を水溶液から比較的良く抽出するので、メチル水銀相当のピークが出現し易いが、ベンゼンの場合は、無機水銀の濃度が高くないと、メチル水銀相当のピークが出現し難い。無機水銀化合物からのメチル水銀相当ピークの出現は、ガスクロ内での無機水銀の有機化に起因するものと推定される。(ⅲ)無限に存在する物質の中には、ガスクロで同一保持時間を持つ物質が複数存在しうるから、単純に一定の測定では、保持時間が符合しても、それのみで同定できない。しかしこれにグルタチオン、チオラ等の消去が伴えば、誤認の可能性が非常に小さい。」ことが認められ、また鑑定人山口誠哉、同松本久男の鑑定の結果(共同鑑定)によつても、ほぼ同趣旨のことが認められるが、特に同鑑定では、「(ⅰ)ECDを装置したガスクロにより塩化アルキル水銀化合物、特に塩化メチル水銀を検出確認し定量する方法は、適切な操作と注意の下に行なえば、その信頼性は非常に高いものである。特に独立したピークがかなりの高さで検出された場合は、塩化メチル水銀として極めて確実性が高い。(ⅲ)現在までの分析経験において、カラムその他の最適条件において、塩化メチル水銀と全く同一のリテンションタイムを示し、前処理操作においても同じように抽出されて、しかもSH剤で消失するような物質は見い出し得ない。」とされている。

しかして、前記認定の事実に甲第四二号証を考え併せると、上田は、そのガスクロ分析に際し、ベンゼンを溶媒にしており、ピーク同定のために標品添加を行ない、さらにグルタチオン、チオラによるピーク消去の実験を行なつているのであるから、前記鑑定についても、メチル水銀のピークを誤認する可能性は非常に少ないばかりでなく、さらに上田は、ガスクロ分析の際無機水銀化合物をメチル水銀と誤認する危険をも意識し、水銀汚染のない水苔に無機水銀(Hgcl2を加えて分析を試み、水苔中の無機水銀をメチル水銀と誤認する危険性が極めて小さく実際上無視できるものであることを自ら確認していることが認められる。

喜田村のガスクロ分析の詳細は、証拠上必らずしも明らかではないが、甲第一三号証によると、同人も分析の際、従来のステンレス製カラムのほか、新たにガラス製オンカラム方式を用いるなど多角的に検討を加え、その分析の正確度に意を用いていることが窺われる。

さらにまた、〈証拠〉によると、滝沢らは、水苔の分析処理に溶剤としてエーテルを使用(被告は、滝沢らがクロロホルムを使用した旨主張するが、これを認めるにたりる証拠はない。)しているため、前記鑑定の結果や証人田辺正士の証言に照らすと、右分析によるメチル水銀の定量については、不正確になる可能性がないわけではないが、併せて薄層クロマトによるクロスチェックも行なわれているから、水苔に含まれるメチル水銀化合物を検出同定する限においては、信頼できるものというべく、〈証拠〉をもつてしても、滝沢のガスクロ分析が不正確で、メチル水銀以外のものをメチル水銀と誤認した事実は認められない。もつとも、被告は、滝沢がクロスチェックとして行なつた薄層クロマトの結果もまた信用できない、と主張しているが、証人滝沢行雄の証言によると、同人は当時薄層クロマトによる有機水銀化合物の分離定性等の経験が浅かつたため、新大で薄層クロマトを普段扱い慣れている食品化学教室大塚教授らに協力を求め、その測定を一切同教室に依頼したものと認められるから、被告主張のような理由では、その測定結果を直ちに信用できないものとすることはできない。

さらに、〈証拠〉によつて認められる被告社員の実験結果では、有機水銀化合物の中にも、メチル水銀化合物でないにもかかわらず、メチル水銀化合物と同じリテンションタイムを有するピークが現われ、かつ、グルタチオンに対しても同じ挙動をとる物質として、モノクロルマーキュリアセトアルデヒド(ClHgCH2CHO)があつたと報告されているが、前記の検体試料のガスクロ分析の際、その報告例のような物質が含まれ得る疑いすら立証されていない以上、右報告例も三者の分析信頼性に何ら影響を与えるものではない。

(ハ) 被告は、被告が三者の分析測定した試料と同時期、同一地点から採取した水苔についてECDガスクロで分析を試みたところ、これからはメチル水銀化合物は全く検出されなかつた旨主張し、これに副うかのような証拠として、〈証拠〉がある。しかし、同証拠によつても、被告が分析した日時が昭和四一年六月九ないし一五日ころと判明するだけで、検体試料採取の日時、場所が明確でないばかりでなく、前掲証拠に証人安藤信夫の証言を考え併せると、ECDガスクロによる右分析を実際に担当したのは被告会社中央研究所の田辺正士であつたところ、同社にECD装置つきのガスクロが納入されて使用し始めたのは、昭和四一年五月ころであつたから、いかに田辺が他の検出器(例えばFID、TCD)付きのガスクロについては経験があつたとはいえ、ECDガスクロに関する限り、使用し始めて一か月前後に行なつた分析であることが窺えるから、その分析技術に前記三者のそれ以上に信頼を寄せることには躊躇せざるを得ない。

してみると、三者の水苔のガスクロ分析に関する被告主張は、すべて採用できず、そのほか前記(2)の認定を覆すにたりる証拠はないから、鹿瀬工場の排水口付近の水苔には、メチル水銀化合物が含まれていたと認めるのが相当である。

(四) 鹿瀬工場ボタ山等の水銀

(1) 原告らは、鹿瀬工場の排水口、ボタ山の泥から多量の水銀が検出された旨主張する。しかし、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において、金属水銀が微量ながら水に溶解して排水口に流れているため、排水口の泥に水銀が蓄積されて総水銀量でかなりの量が検出されたこと、また、水銀スラッジからも回収もれの金属水銀がある程度検出されたことは、被告も争わないところであり、このこと自体は、鹿瀬工場からメチル水銀が流出されたことを裏づける根拠となりうるものではない。

(2) また原告らは、鹿瀬工場のボタ山の泥、水銀スラッジからメチル水銀が検出された旨主張する。しかし、ボタ山の泥からメチル水銀を検出した旨の記載がある甲第一五号証には、何ら具体的資料が示されていないので、同号証のみによつては未だ右事実を認めることができず、かえつて甲第四二号証によると、ボタ山からの有機水銀検出は、特別研究班の調査によつて否定されていることが窺われる。また、〈証拠〉によると、滝沢が北興化学株式会社から入手した水銀スラッジようの物質からメチル水銀を検出したことは認められるとしても、右物質が鹿瀬工場のスラッジであるとの点については、右証言以外に証拠はなく、同証言部分は、同証人調書添付附図(発光分析の結果)および証人小沢謙二郎の証言に照らし、にわかに採用できない。

以上(一)ないし(四)を要するに、(一)および(四)の原告ら主張は採用できないが、(二)、(三)で認定したように、鹿瀬工場内反応系施設からメチル水銀化合物の可能性が極めて大きい物質が検出され、かつ、排水口付近の水苔からはメチル水銀化合物が検出された。そしてこれに、前記2で検討した鹿瀬工場におけるメチル水銀化合物の副生、溜出、系外排出の理論的可能性を加えて考察すると、鹿瀬工場からメチル水銀化合物が阿賀野川に放出されていた可能性は、極めて大きいものといわなければならない。

4鹿瀬工場のアセトアルデヒド生産量と操業状態

(一) アセトアルデヒド生産量

(1) 鹿瀬工場において、アセチレンを原料とするアセトアルデヒドの合成は、昭和一一年一二月操業開始以来昭和四〇年一月にその合成部門を閉鎖するまで、約三〇年間にわたつて操業を続けていたことは、前記認定のとおりであるが、そのうち近年における生産量がつぎのとおりであることは、当事者間に争いがない。

昭和三二年    六、二五一トン

昭和三三年    六、六三〇トン

昭和三四年    九、一四三トン

昭和三五年   一一、八〇〇トン

昭和三六年   一五、五五二トン

昭和三七年   一七、七三四トン

昭和三八年   一九、〇四三トン

昭和三九年   一九、四七六トン

昭和四〇年      五四三トン

(2) また、乙第三二六号証、第三二七号証、第三二九証の一ないし七、第三三〇、第三三三号証の各一ないし六および当裁判所の調査嘱託に対する回答を総合すると、昭和三四年から昭和三九年(事業年度)におけるアセトアルデヒドの関係会社の生産実績は、表〔17〕のとおりであることが認められ、これを左右する証拠はない。

これによると、被告(鹿瀬工場)は、関係七会社中三または四位の生産実績を持ち、年生産量は、昭和三九年がピークで、昭和三二年の約三倍、昭和三四年の約二倍と急増しているが、昭和三五年からの生産量の伸びは漸増で、日本合成化学工業株式会社のそれとよく似ていることがわかる。

(3) ところで原告らは、被告(鹿瀬工場)の生産量はその生産設備の製造能力を超えて運転された結果達成されたものである旨主張しているが、前記のとおり、鹿瀬工場に昭和三四年四月ころ設置された「吹込水化」が、従前のものに比べ、その製造能力を拡大したものであることは疑いがないとしても、その具体的数字を確定できる証拠はないから、これと生産量との関係を明確に対比するすべがない。

もとつも被告は、鹿瀬工場の「吹込水化」の製造能力は日産六〇トンである旨主張し、証人小沢謙二郎の証言中には、これに副う部分があるが、これを裏づける具体的資料は何ら提出されておらず(なお、チッソ水俣工場におけるアセトアルデヒド製造能力は、甲第四号証のような外部に公表される種類のパンフレットにすら明記されているので、鹿瀬工場にも同様の資料があると思われるところ、鹿瀬工場のそれは、原告側提出の甲第一号証によつても明らかでなく、被告側からは、特にその種の資料さえも、すでに廃棄してしまつたためか、提出されていない。)、右証言のみによつては、被告主張の数字を認めることができない。

そして、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、鹿瀬工場における昭和三八年七月から昭和四〇年一月までの、粗アルデヒドの一日当りの生産量を月別にみると、表〔18〕のとおりになることが認められる。原告らは、被告のいう日産六〇トンの製造能力だとしても、表〔18〕のとおり、その製造能力を超える日が昭和三九年一月から四月までに集中している旨主張するが、証人小沢謙二郎は、この点を、「製造能力日産六〇トンというのは、精製アルデヒドの換算能力日産六〇トンというのは、精製アルデヒドの換算能力をいうのであつて、粗製アルデヒドの場合は大体六三トンになる。甲第一二六号証の一ないし一九(製造日誌)中に精製アルデヒド日産六〇トンを超える数字は、粗製アルデヒドのタンクと精製アルデヒドのタンクの間、および精製アルデヒドと酸化、酢酸エチル関係の払い出しとの計算の誤差である。」旨証言しているので、表〔18〕の結果のみによつては、直ちに原告ら主張のような結論は出せないことになる。しかし、計算の誤差を考慮に入れるとしても、被告のいう日産製造能力の限界に近い五七トン以上の稼働日数が昭和三九年に入つてから多くなつたことは、明らかである。

(二) 操業状態

(1) 〈証拠〉および第一回検証の結果によると、鹿瀬工場が昭和三四年のプラント改造の際、当時としてはできる限りの近代的な合成化学工場を目指し、その製造工程を計装化したこと、操業中の停電等不時の運転停止に際する対策がとられ、定期整備等をし、安全の確保にもそれなりに努力をしていたであろうことは、推認に難くない。しかし、その操作の計装化の程度や安全確保との関係で、実際の装置がどのようになつており、具体的にどのように管理されていたのか、また閉鎖時の処理は万全であつたかどうかについては、前掲証拠によつて未だ確認できない(なお、このような生産施設、操作の計装化の状態等は、通常工場側で保存していると考えられる写真、図面等によつて、また閉鎖時の処置についても、工場側の関係帳簿、伝票等によつて、いずれも客観的に、かつ、容易に立証できるはずである。しかるに、被告はこれをも廃棄してしまつたためか提出せず、たまたま外部に公表された鹿瀬工場一部の写真が掲載されている甲第一号証(パンフレット)、乙第一一六号証(「カーバイト・アセチレン産業と石油化学工業」カーバイト工業会発行)を援用しているにすぎず、その実態を不明に終らせている。)。

もつとも、〈証拠〉を総合すると、鹿瀬工場のアセトアルデヒド生産において、主原料であるアセチレンおよび水銀の原単位、アセチレン水加収率は表〔19〕のとおりであつて、一般の同種他工場に比較して優秀といえること、昭和三八年七月から昭和四〇年一月までの、日産粗製アルデヒドトン当りの水銀使用量は、五ないし七トンにほぼ定着していることが認められるので、その間定常運転がおおむね確保されていたものと推認できるのであるが、一方、前掲証拠に、〈証拠〉を考え併せると、被告主張のように、前記の期間事故がなかつたわけではなく、アセチレン水化反応工程に関連する災害事故も多発し、その都度操業を一時停止していることが認められる。

しかし、これらの事故がアセチレン水化反応の化学変化にどのような影響を与えていたのか、本件全証拠によつても全く不明である。

(2) 〈証拠〉によると、鹿瀬工場が昭和合成化学工業株式会社の時代から引き継ぎ閉鎖するまでの八年間、アセトアルデヒドの製造中損失した水銀は三四トンであることが認められる。

いまこれを、八年間のアセトアルデヒドの生産量の増量を考慮せず、単純に算術平均しても一日約11.6キログラムが損失水銀量となり、前記水銀単位を考慮して計算すると、昭和三八、三九年当時のアセトアルデヒド生産量では、一日平均約二〇キログラムの損失水銀量となる。

被告は、「触媒水銀の使用量は、原価管理上特に重要であつて、鹿瀬工場でも水銀使用量を節約すべく常時研究努力を重ねてきたもので、昭和三八年、三九年の例でみても、アセトアルデヒド生産量に対して水銀量はむしろ漸減している。」旨主張しているが、水銀使用量節約の努力の点はともかく、〈証拠〉によると、アセトアルデヒドの生産量に対する使用水銀量は必らずしも被告主張のような傾向になく、むしろ前記のとおり粗アルデヒド当りの使用水銀量はほぼ五ないし七トンに一定しているので、アセトアルデヒドの生産量増加に伴い、水銀使用量も増加(但し、その正確な比率はわからない。)していたものと考えざるを得ない。〈証拠〉によると、右にいう使用水銀量には回収水銀量をも含むので、これがそのまま損失水銀量の数字を示すものではない、ということであるから、アセトアルデヒド生産量の増加に伴う使用水銀量増加傾向はそのまま損失水銀量の増加傾向にはならないとしても、アセトアルデヒドの生産量の増加に伴い損失水銀量の絶対数が増加したことは、すでに検討した点から考えて疑いないところである。

また被告は、損失水銀の行方については、その分布を

助触媒工程ストリッパーにおいて

約六〇パーセント

水銀蒸溜工程において 一三ないし一四パーセント

水銀蒸溜残渣において 一三ないし一四パーセント

その他(水銀タンク、水銀投入口において揮散するもの、水銀泥の保存、運搬時に揮散するもの、さらに水に溶解し排水とともに流出するもの) 一三ないし一四パーセント

の割合である旨主張し、証人小沢謙二郎はこれに副う証言をしているが、すでに検討したように、鹿瀬工場の実際のプラント、製造工程は判然としないところであるし、同証言によつても、損失水銀の分布は実測して確認したものではなく、文献等に基づく理論値にすぎないので、同証言により、損失水銀の行方が被告主張のとおりに分布されたものと認めることはできない。

したがつて、損失水銀の行方はわからず、有機化して排水とともに阿賀野川へ放出された可能性もあるわけである。

5魚類、人体へのメチル水銀化合物の蓄積

(一) 生物の代謝作用とメチル水銀化合物の性質

すでに認定した事実および甲第九一号証ならびに当事者間に争いのない事実を総合すると、生物の代謝作用とメチル水銀化合物の性質に関し、つぎのことがいえる。すなわち、

(1) 人・魚介類等を含む生物体には、新陳代謝作用があつて、体内に摂取した異物、毒物を分解無毒化し、あるいは排除する働きを営んでいる。したがつて、一般には、外部から摂取された物質が生物の体内で蓄積してゆくためには、代謝作用により分解され体外に排出される量を上廻るだけの量の摂取がなければならない。

(2) 本件中毒症のように、人が魚介類の摂食により有機水銀中毒を起すためには、その病因物質が人体に吸収され易く、排出されにくい蓄積性のある形の有機水銀でなければならない。

(3) 本件中毒症の病因物質とされるメチル水銀などの低級アルキル水銀化合物は、一般に親油性(親リポイド性)を有し、その有機水銀結合が容易に切れない性質があるから、これを摂取した生体にそのアルキル水銀が容易に吸収され、排出されにくいものである。したがつて、メチル水銀化合物は、前項(2)の条件に合致する有機水銀化合物である。

(4) 河水がメチル水銀化合物により汚染された場合に、水中にスルフイドリ基(蛋白SH基)をもつ物質があれば、メチル水銀化合物はこれと結合し易い。スルフイドリ基とメチル水銀との解離恒数は10-17とされている。

(5) したがつて、水中生物は超稀薄濃度の溶液中からでもメチル水銀を取り込みうるが、その侵入量が一定量(メチル水銀は分解・排出しにくいとはいえ、分解・排出があることに変りはないから、それを上廻る量)以上にならないと体内に蓄積が起らない。

(6) また一方、水中生物はメチル水銀化合物による急激な高濃度汚染を受けた場合、例えば0.1ppm程度のメチル水銀溶液中においても絶えずそれに曝されるため、有毒化する以前に短時間に死亡する。魚介類にメチル水銀が侵入し、その量が直ちに死亡する程度でなく、かつ、分解(無機化)、排出量を上廻つた場合には、体内に蓄積を生じうるが、それが一定以上大量の蓄積であつた場合は、生きていられるものではない。

(二) 超稀薄濃度汚染と濃縮蓄積

(1) 自然界における濃縮蓄積の現象

(イ) すでに認定したとおり、本件中毒症患者の頭髪水銀量は、最高、総水銀量で五七〇ppm、メチル水銀量で約二〇〇ppmであるが、これら患者が摂食した阿賀野川河口の魚類(ニゴイ、マルタ)からは、後記認定のように、総水銀量で21.0ないし23.6ppm(昭和四〇年ないし一〇月採取、湿重量。但し、ウグイ干魚では総水銀量一四〇ppm、有機水銀量四〇ppm。)が検出されている。

五七〇ppmの水銀量を保有した患者は、たまたま一回同程度の汚染魚を摂食したものではなく、それよりはるか低濃度の二十数ppm以下の汚染魚を反復多量に摂食していたものであり、またこれら汚染魚(ニゴイ、マルタ)も、一度に二十数ppm程度の汚染水に触れたり、同程度の汚染餌をたまたま一回摂取したものではなく、より低濃度の汚染水にある程度の時間曝されるか、同濃度の汚染餌をある程度反復多量に摂取したものであることは、すでに検討してきた事実および後記五の2の(四)の事実から推認できる。

しかして、この事実は、生物体における汚染の濃縮、蓄積現象の例にほかならない。

(ロ) そして、自然界における生物体内の濃縮、蓄積の例としては、証人川那部浩哉の証言によると、淡水あるいは海水中の微量の炭酸カルシュウムが固まりになつて貝殻を造る例、ホヤ等の体内に海水中のバナジュームが108程度濃縮、保有される例が認められ、甲第三九号証、第五〇号証、第九一号証によると、熊大における調査実験では、他海域から水俣湾内に移殖した無毒のカキは一ないし数か月間に有毒化し、その水銀含有量が三か月で湿重量当り一〇ppmに達した例があることが報告され、さらに喜田村の実験では、3×10-4、3×10-3等の濃度の塩化メチル水銀溶液の水溶液で飼育した金魚、イトミミズに、表〔20〕のとおり、数十日で数千倍の水銀濃縮があつた例が報告されていることが認められる。

(ハ) 〈証拠〉によると、被告は、川魚における直接蓄積の実験として、阿賀野川原水および塩化メチル水銀の3×10-4、3×10-5、3×10-6ppm各濃度において、川魚(コイ)を一〇〇日間飼育したところ、その溶液からの直接著積の結果は表〔21〕のとおりであつたことが認められる。

被告は、右実験の結果を、「3×10-4では著積があつても四〇日間で平衡値に達しており、3×10-5、3×10-6ppmの両液中では、飼育期間中いずれも原水飼育による対象魚の水銀値の変動範囲内にあり、これと有意差がないから、蓄積されていない。」旨主張している。しかし前掲証拠によると、右実験においては、対照系列の原水のメチル水銀濃度が測定されていないことが明らかである以上、原水飼育の0.13ないし0.25ppm程度のものと対照して有意差を求め、それが否定されたから蓄積がない、と結論づけるのは、早計にすぎるといわなければならない。

(2) 食物連鎖による濃縮現象

実際の河川には、無数の水中細菌がおり、これから川底の石などに付着している藻類(植物性プランクトン)あるいは動物性プランクトン、これを餌とする水棲昆虫、さらに魚類と、、生物間の各段階にいわゆる食物連鎖の現象があることは、当事者間に争いがないところ、証人川那部浩哉の証言によると、自然界においては、汚染物の付着などによる直接蓄積だけではなく、一般に右の食物連鎖過程を経て汚染物が濃縮されることがあること、アメリカにおける同人の実験例では、ヨシに亜鉛、燐などを注射し、その葉を餌とする虫を介し、さらにクモに汚染が移行・侵入する経過を観察したところ、食物連鎖による濃縮蓄積が確認されたことを認めることができる。

もつとも、〈証拠〉によると、放射性物質の海洋生物に対する濃縮についての実験調査では、むしろ食物連鎖による濃縮が否定された例が報告されているが(したがつて、証人川那部浩哉の証言中いわゆる原爆マグロを食物連鎖による濃縮の例としている部分は、採用できない。)、同証拠によつても認められるように、汚染物質によつて濃縮係数が異なることは当然であるから、右報告例をもつて一般的な食物連鎖による濃縮をすべて否定することができず、特に汚染物質がメチル水銀化合物である場合における食物連鎖による濃縮を否定するような証拠はない(なお、本件に関してなされた被告の食物連鎖による濃縮実験は、後述する。)。

(三) 阿賀野川における汚染と濃縮、蓄積

(1) ところで、鹿瀬工場における昭和三四年四月以降の実際のプラント、吹込水化の反応条件等が明確でないことは前記のとおりであるから、同工場の排水にメチル水銀化合物が含まれていたとしても、その量を具体的に確定できる証拠はない(瀬辺・喜田村のフラスコワーク実験では、実際のプラントとの相似性の保証がなく、これから直ちに生成、流出量を推論することは科学的でない。もつとも、証人喜田村正次は、ダイセル株式会社新井工場、電気化学工業株式会社青海工場の調査実績をも加味してメチル水銀生成量を推論した旨証言しているが、鹿瀬工場の本プラント等が明らかでない以上、生成量の推論に関する限り、他工場との比較は決定的な意味がない。)。

そこで、いま仮に原告ら主張のように、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中、メチル水銀化合物が一日五〇〇グラム生成されそのまま排出されたとし、他方被告主張のように、同製造工程の精溜塔から蒸溜ドレン廃水が一日三六〇ないし四〇〇トン、全工場排水量が五万トン、阿賀野川の平均流量が一日二、六〇〇万トンであるとすると、工場から排出されたメチル水銀濃度は、工場排水溝で1×10-2ppm程度、阿賀野川に入ると2×10-5程度になることは十分予想されたところである。したがつて、実際の場合右のような数字になるかどうかはともかく、〈証拠〉および第一回・第五回検証の各結果によつて認められる、阿賀野川の地形、流域面積、流量等から考えると、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において格別の事故等がない限り、右数値に遠くない程度の超稀薄濃度汚染であることは疑いない。

(2) 〈証拠〉によると、被告は、昭和四二年一〇月と昭和四四年三月の二回にわたり、阿賀野川における拡散状況についての実験を行なつたが、工場内の排水ピットにトレーサー(臭化アンモ水溶液)を連続的に投入し、阿賀野川への工場排水口から約1.6キロメートル下流、約2.3キロメートル下流の二地点で溶解拡散した川の水を採取し、排水の拡散状況および稀釈度を求めた結果、工場排水は阿賀野川に流出した後、排水口下流1.6キロメートルの地点に至るまでに河水中に均一に稀釈混和されるものと結論づけていることが認められる。そこで被告は、工場排水にメチル水銀が含まれるとしても、右実験の結果からみると、排水口から僅か一ないし二キロメートルすら下流に行かないうちに、全く均質に稀釈され混和されてしまうから、その濃度は超極微濃度になつてしまう旨主張する。しかし、メチル水銀はその水溶性が高いとはいえ、実験トレーサーと同じ挙動をとるとは限らないし、実験当時と本件発生当時の阿賀野川の地形、水量、流速等の相違なども考慮しなければならないから、右実験の結果をそのまま本件に当てはめることは避けるべきではあるとしても、一定距離の下流へ行けば、いずれメチル水銀溶液も河水に稀釈混和されることは、右実験の結果から推認できる(なお、証人大八木義彦はその証言中で、この点につき、排水は、いわゆるピンチ効果により、河口近くまで何ら稀釈混和されることなく流れる旨の見解を供述しているが、右の点は同人の専門的知識によるものではなく科学的根拠も示していないので、にわかに採用できない。)。しかし、ある一定距離の下流までは完全に稀釈混和がないということは、これを反面から把えると、右下流の地点に至るまでの間の汚染は均質でなく、場合によつては特定の場所に比較的高汚染が継続することを意味しており、かかる場所に棲息する藻類、水棲昆虫等を、比較的高汚染下に曝すことになるのである。

(3) 原告らは、阿賀野川において、右のような稀釈汚染によつて何故河口付近の川魚に高汚染があつたかについて、

「(ⅰ) 稀薄濃度のメチル水銀に持続して曝露されメチル水銀を取り込んだ水中の藻類、昆虫、その死骸(デトリタス)などの粒子状流下物は、河床と流水の状態に応じて、流下しあるいは沈降するものと考えられる。

(ⅱ) 阿賀野川の河川形態から推定すると、粒子状流下物の沈降と集中の特に多い水域としては、河口から二〇キロメートル上流の地点、すなわち横雲橋付近より河口二ないし八キロメートルの地点である。

(ⅲ) 患者らが最も多食したニゴイ、ウグイ等は沈降した流下物を餌としてあさる。

(ⅳ) そして、阿賀野川の下流での動物、微生物の生産には、上流での基礎生産により造られた動・植物の流下がきわめて重要な意味を持つから、下流ほどメチル水銀化合物の食物連鎖による濃縮が最大限に現われる。」

旨主張し、証人川那部浩哉は、その分野での学者(京都大学理学部生態学助教授)としての立場から、その証言において、右主張にほぼ副う見解を述べている。

これに対し、被告は、(ⅰ)阿賀野川における食物連鎖による濃縮を否定し、(ⅱ)原告ら主張のように、水中浮遊物等にメチル水銀化合物が付着しても、これらが河口付近に特に沈降することはない旨主張し、自己の実験調査の結果などを援用しているので、これについて検討を加える。

(イ) 被告の食物連鎖による濃縮の実験

(a) 〈証拠〉によると、つぎの事実が認められる。

① 被告は、昭和四四年六月ころから食物連鎖による濃縮の実験を行なつた。すなわち、まず阿賀野川において起り得べき食物連鎖の段階として、藻類→動物プランクトン→魚の三段階のモデルを基本に考え、第一段に緑藻セネデスムス、第二段にミジンコ、第三段に稚ゴイを選択し、連続大量培養が可能なメチル水銀濃度を予備実験により確かめたうえ、表〔22〕のとおり、3×10-5および3×10-6ppmの濃度におけるメチル水銀環境水において、最終段階の川魚で七系列の実験系列を設定し、食物連鎖による濃縮実験を行なつた。この結果、第一段のセネデスムスにおいては、3×10-5および3×10-6の濃度においていずれも二、三時間の短時間で取り込みはピークに達し、総水銀は0.2ないし1.0ppm存在するが、メチル水銀は検知しなかつた(浸漬予備実験では、3×10-4ppmで総水銀一〇ppm、メチル水銀二ppmで平衡に達した。)。そこで、二か月間にわたり実験を継続したところ、総水銀については表〔23〕のとおり、メチル水銀については表〔24〕のとおりの結果となつた。

さらにその後、珪藻アクナンテスによるミジンコの飼育実験を試みた結果、ミジンコはアクナンテスもセネデスムスと同程度に十分に摂食し、仔虫増殖率も大差なく、親虫の寿命も殆んど変りがなかつた。

② また、①の付帯実験として、被告は、まず珪藻によるメチル水銀の分解能力の実験を試み、メチル水銀3×10-5ppm濃度の環境水10リッター/時の汽水中において四八時間までアクナンテスを浸漬したところ、表〔25〕のとおり、総水銀量は0.7ないし0.8ppmで平衡に達し、メチル水銀量は当初0.01ppmを取り込んだが、八時間経過後は検出されなかつた。

つぎに、アクナンテスと共存するバクテリヤを培養し、これによるメチル水銀の分解実験を試み、メチル水銀濃度3×10-5の環境水中においてバクテリヤを浸漬してみると、表〔26〕のとおり、二四時間経過後においては、総水銀は当初二ppm台を保有していたものが逐次減じて一ppm台になり、メチル水銀は当初一ppm台のものが0.05ppmに減じた。

さらに、イトミミズにおけるメチル水銀の蓄積実験を試み、阿賀野川原水ブランク(O)、3×10-5ppm(A)および3×10-5ppm(B)の環境水濃度で七週間イトミミズを飼育したが、その結果は表〔27〕のとおりとなつた。

(b) しかして、被告は、右の①の実験の結果、3×10-5ppm以下のメチル水銀濃度の環境水中においては、生きたプランクトンでもメチル水銀を蓄積せず、しかも餌を介してもあるいは水側からも、または餌、水の複合につつても、三段階各生物すべてにメチル水銀の濃縮蓄積は起つていないというべきであり、②の実験はこれを裏づけているから、この結果、工場排水が阿賀野川河水により稀釈された程度の極微濃度のメチル水銀では、食物連鎖を介してみてもなお濃縮蓄積は起り得ないことが明らかになつた旨主張する。

しかし、被告が第二段階の生物として選択したミジンコは、〈証拠〉によると、分裂が早く脱皮も早いため、この種実験に用いるには不適当であるとされているばかりではなく、①の実験の結果でも、ブランク(阿賀野川原水)で第一段のセネデスムスでは〇であるが、第二段のミジンコでは0.02ないし0.16ppm、第三段の稚ゴイでは0.13ないし0.43ppmとメチル水銀が検出されているのであるから、これが食物連鎖による濃縮か、生物のメチル水銀の取り入れ方の違いかはともかくとして、阿賀野川の原水中の生物間に、その段階に応じたメチル水銀の保有濃度の違いが出ていることは明らかである。また前掲証拠によると、被告は阿賀野川の原水そのもののメチル水銀濃度を測定していないのであるから、このブランクにおける数値と3×10-5ppm以下の水銀濃度の環境水における結果を比較し、自然界における食物連鎖の濃縮を否定してしまうことは早計であるというべきである。そして証人川那部浩哉、同福島博の各証言を総合すると、生きたプランクトンの蓄積限界が自然界においてもすべて右実験の結果どおりとは推測し難いし、阿賀野川の自然の流れの中には、実験に用いた生物以外の動・植物プランクトン、水棲昆虫、魚等が無数におり、したがつて、その生態に応じた食物連鎖の種々の組み合わせがあることも容易に推認できるところである。

被告は、②の付帯実験の結果(表〔25〕、〔26〕)に乙第一六九号証(「ソーダーと塩素」No.228のうち「水銀化合物に対する微生物のはたらき」外村健三)を考え併せると、アクナンテスに共存するバクテリヤにメチル水銀を分解する能力がある旨結論づけられると主張し、証人真保昇はこれに副う証言をしている。しかし同号証の論文も、実験結果から、有機水銀を無機化し金属水銀とする水銀耐性菌の存在を示唆しているにとどまり、如何なる環境下にあつてさような水銀耐性菌が生存するのか、特に阿賀野川においてこれが生存するかどうかについては全く主張、立証されていないので、本件の阿賀野川のメチル水銀による汚染と右の耐性菌とを結びつけて考えることはできない。

(ロ) 被告の沈降性に関する調査・研究

被告は、上流から流下してきた水中浮遊物の河口付近における沈降性につき考えられるものとしては、河川の流速の変化とイオン濃度の影響とが想定されるとし、一般に河川は河口付近に至ると、上・中流に比べ河幅も増し、河床の傾斜も緩やかになることが通常であるとしながらも、阿賀野川河口付近は、上・中流に比べこれら沈降性を増す要素をもつていない旨主張する。

ところで、証人奥田節夫は、その専門家の立場(京都大学防災研究所教授)から、河口部の感潮帯で沈降性が増すかどうかは、主に、(ⅰ)河水の流速、(ⅱ)乱流の程度、(ⅲ)およびフロキュレーション(塩水との混合による凝集落下の作用)の有無の三条件に支配される旨証言しているので、以下この順序で検討を加える。

(a) まず〈証拠〉によると、一般に河水の流速が遅くなる程水中浮遊物は沈降し易いが、阿賀野川の上・中流には渕が数多くあり、特に河口から約五〇キロメートル上流に揚川ダム(新潟県東蒲原郡三川村地内)があるため、ここでは河水の流速が落ち、浮遊物の沈降があることが認められる。しかし、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、鹿瀬町から河口に至るまでの阿賀野川全体の地形では、上・中流の渕等の面積は下流のそれに比べ到底及びもつかないほど小さいものであること、また揚川ダムは、阿賀野川本流を堰き止めて作られた可動堰付きフローティングダムであり、幅一二メートル、高さ12.30メートルの門扉を有するローラーゲート可動堰一五門が設けてあるが、このゲートは毎秒四六〇トン以上の流量になるとダム底から上方へ開けられることになつており、週に数回開けられることがあること、ダムは、毎年一回、深域測量の結果あるいは建設省の指示により土砂の浚渫をするが、ゲート付近の底はゲートを開けると河水の流速のために綺麗になつていたことが認められる。したがつて、阿賀野川の地形からみる限り、全体的に下流に行くにしたがつて、河水の流速が落ちる場所が多くなり、また大きな渕と考えられる揚川ダムに浮遊物が沈積することがあるとしても、下流へ再び放流されることもありうるわけである。

〈証拠〉証人福島博(横浜市立大学教授、水中微小生物生態学専攻、以下「福島」という。)の証言によると、同人は、被告の依頼により昭和四四年一月ころ、その専門的立場から、鹿瀬工場上流から河口までの流下藻類調査を実施したが、その結果、メチル水銀を取り込めない死細胞(原形質の抜けた死殻)は比較的一筋に上流から下流まで流下するが、生細胞(原形質があるもの)は沈み易く、渕やダム湖では特に多く沈降するということ、以上の事実をオダムのP・D法(パーセンテイジ・ディファレンス)を用い、数字的に証明している。しかし、同証言によつても、同人の用いたP・D法自体にも自ら指摘するような欠点があるばかりではなく、生細胞は上・中流の特に渕やダム湖で沈下し易い性質を帯びているが、すべて沈下してしまうものではないことが認められ、また、流下藻類の沈降性が、河水の流量等の条件によつても著しく影響を受けるものであることは容易に考えられるから、右の調査結果が阿賀野川の流下藻類の沈降性の実態を必らずしも正確に把握していると言いきることはできない。

河口付近のうち塩水楔が侵入している部分、すなわちいわゆる感潮帯では、後記のとおり、上方の淡水部は下方の塩水楔部(海水部)により押し上げられる形になるものと考えられる。そこで、証人奥田節夫、同福島博は、河口付近の感潮帯における淡水部は、断面積としてはそれより上流の部分に比べて、かえつて小さくなるから、河水の流速は大きくならざるを得ず、河口部で沈降性が低下こそすれ、増大することはない旨を証言している。しかし右奥田の証言中にもあるように、それはあくまでも川幅等が上・下流とも一定している場合のことであると考えられるところ、第一回および第五回検証の各結果によると、阿賀野川の河口は、上・中流に比べて川幅、水深とも極めて大であるばかりでなく、河相が年々変化していることも認められるから、一概に河口付近感潮帯の淡水部の断面積が小さいとは断言できない。

(b) また証人奥田節夫の証言によると、乱流が塩水楔上で大きくなるか小さくなるかについては、つぎの二学説が対立していることが認められる。すなわち、一つの考え方は、いままで凹凸のある河底を通つてきた河水が塩水楔の上にくると、そこは滑らかであるから、流速は同じであつても乱流が小さくなる(かき乱す効果が減る。)から、前より流下物が沈降し易くなるというのであり、いま一つの考え方は、塩水楔上の淡・塩水の境い目は、一定した固体の壁のようなものではなく、非常に波立つているため、上流からの流下物が必らずしも塩水楔の上に行つたからといつて、直ぐ乱れが減つて沈降し易くなるかどうか疑問である、とするものである。同証人は後の考え方を採つていることが明らかであるが、同証言によつても未だ定説がないということであるから、この乱流については、阿賀野川河口の浮遊物沈降性を問題とするうえで決定的意味をもたせることは避けなければならない。

(c) さらに証人奥田節夫の証言によると、フロキユレーションが起るのは、塩水が淡水中に混入したとき塩水中のイオンの影響によるものであること、一般の教科書には、フロキュレーションにより小粒が感潮帯でパタパタ落ちるように書いてあるが、こういう考え方は未だ定説ではなく、同人はこれに疑問を持つ一人であることが認められる。

ところで、〈証拠〉によると、被告が昭和四五年実施した阿賀野川の塩素イオン調査(電気伝導度テスト)では、「阿賀野川の塩水楔はいわゆる弱混合型であつて、淡水、塩水の混合部分が非常に薄く、両面がシャープに区分されていたから、塩水の境界面付近は別として、淡水中に海水中のイオンはほとんど混入することがなく、比較的フロキュレーションの起りにくい河川である。」とされ、また奥田の昭和四五年の実測でも、「塩水楔上を流れる河水の濁り物質が塩水楔中に入つてきていなかつた。」とされている。しかし一方、乙第一三〇号証(「阿賀野川塩水楔および河口塩水分調査結果について」昭和三九年南勲)によると、京都大学農学部農業土木研究室南勲は、農林省阿賀野川用水事業所の昭和三八年六月から一一月までの阿賀野川塩分調査の結果に基づき、その理論的研究をしたうえ発表しているが、その中で、「阿賀野川の塩水楔の上層部に乗つている淡水部の中の塩分濃度は、八〇ないし九〇μv(電気伝導度)が普通であるが、河口部においては二四〇μv程度の場合もみられたこと、風等のために急に攪乱が下方まで及び、上方の塩分濃度の急上昇となる場合があること、塩水楔上層部の塩分濃度は、その先端部が八〇μvであり、その下流約五キロメートルの地点では九〇μv程度となり、その間にその差約一〇μvに相当する塩分が下方の塩分濃度の大きい塩水楔から上方に放出されること、塩水楔の上層にある淡水部の塩の分量は、平常の塩分濃度と異なりその塩分濃度の著しく上昇する場合があり、この原因は、下方の塩水楔部分の上層淡水層内への急上昇に原因していること、このメカニズムに関しては、外海からの波浪又は風の急増に原因していると思われること。」と報告され、むしろフロキュレーシンが起りうる状況となつているので、後に検討される河相の変化等をも考慮すると、被告らの調査のみで、阿賀野川の河口が特にフロキュレーションの起りにくい場所と断定することはできない。

(d) そして、〈証拠〉によると、河水中の流下物粒子を包括的に「砂」の名で呼ぶとして、これを比重、粒度により、「掃流砂」(底をはつて流れる粒子)と「浮遊砂」(懸濁して流下する粒子)に分けて両者の挙動を観察すると、河水中に両者が沈降した場合、掃流砂は底質となりその上面に浮遊砂が沈降するという具合に、それぞれ別の層を形成すること、一般に掃流砂は有機物質を含むことがほとんどないのに対し、浮遊砂は有機物質を多く含み汚染物の担体となりうること、被告が奥田の指導の下に昭和四五年八月ころ行なつた阿賀野川の調査では、河口付近の底には掃流砂が比較的多く沈着していたこと、また被告の行なつた塩水楔のモデル実験では、浮遊砂と考えられるタルク、ペナントナイト等の微粒子(比重2.8程度)を上流方面から流すと、河口付近では上の淡水部を通つて海へ出てしまつたこと、以上の事実が認められる。しかし一方、証人福島博の証言によると、同人の調査の際、河口付近泰平橋の少し下左岸寄りに有機物もかなり沈積していたことが認められるところ、同人はこれらが上流から流下された可能性については、同証言中でも否定しておらず、また〈証拠〉によると、日本海区水産研究所の昭和四〇年半ばころの調査結果では、「河口付近の生物相からみると、泰平橋の下地点およびその下流(松浜橋寄り)の右岸の地点では海水の影響は極めて弱く、左岸の津島屋付近、松浜橋下付近、その下流大浜地区付近はいずれも汽水と考えられ、また河口最先端および飛行場付近の水深は、やや深く停滞ないしは渦流があると思われ、底生生物相は他の地点より豊富であつた。」とされていることが認められ、さらに証人奥田節夫の証言によると、凝集の条件さえそろえば、上流からの浮遊物はむしろ塩水楔の先端付近に沈着し易いことが窺われるから、これらの点を併せ考えると、被告の調査研究、モデル実験等により、本件発生当時(昭和三九年前後、以下同じ。)の阿賀野川河口付近における流下物沈降の自然現象の実態が明らかにされたとはいい得ない。

(四) 以上、(一)ないし(三)に検討したところを要するに、鹿瀬工場の排水中にメチル水銀化合物が含まれていた場合、それが如何なる経路により河口付近の川魚の体内に侵入したかを、逐次自然科学的に未だ明確にされなかつたとはいえ、原告ら主張の汚染経路はすべて自然科学的に可能性があるものとして残り、被告の反論をもつてしても、これを否定することはできなかつたと結論づけられる。

四  農薬説

1新潟地震と埠頭倉庫の被災状況

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

(一) 新潟地震と津波

(1) 昭和三九年六月一六日13時01分39.9秒((+)(−)0.1秒)に新潟地震が発生した。震央は北緯三八度二一分、東径一三九度一一分粟島沖で深さ四〇キロメートル、その規模は新潟市においてマグネチュード7.5((+)(−)0.2)であつた。

この地震動は、そのころ地盤沈下が続いていた新潟市付近に地下水圧の増加による地下水の噴出、噴砂、地層の流動化現象による建物の沈下あるいは傾斜、さらには地面の亀裂、地盤のふくれ上り、陥没等の被害をもたらした。

そして、これに地震直後襲来した津波による浸水とが重なり、地下水位の高い低湿地、埋立地、旧河床などの地盤の軟弱なところ、あるいは砂丘と平たん部との接触部などに浸水・滞水などの被害が集中した。

津波の第一波は一三時三五分で、その後ほぼ三〇分おきに襲来したが、信濃川河口より約5.3キロメートル上流・新潟地方気象台正面の信濃川水域で測定されたデータは、つぎのとおりである。

(時刻) (津波の高さ)

第一波 一三時三五分 五五センチメートル

第二波 一四時〇七分 ――

第三波 一四時三三分 一八〇センチメートル

第四波 一五時〇〇分 六五セントメートル

第五波 一五時二七分 ――

第六波 一五時四〇分 ――

第七波 一六時一一分 ――

第八波 一六時三八分 全振幅一三〇センチメートル

第九波 一七時一〇分 全振幅一三〇センチメートル

第一〇波 一七時三四分 八〇センチメートル

第一一波 一八時〇五分 九六センチメートル

第一二波 一八時四五分(気象台構内浸水測定不能)

津波の流速は、信濃川八千代橋付近で秒速七ないし八メートル程度であつたが、津波の流勢自体による建造物等の破壊、流失の被害はほとんどなかつた。引き潮の力も地震で破損した建造物を破壊するまでに至つていない。これは侵水高が低かつたことも一因とされている。しかし、護岸が破壊したためもあつて、非常に広い範囲に浸水したが、その侵入範囲は、前記のような地下水の噴出やその防潮堤の決壊による浸水と重なり、明確にきめにくい状況であつた。

(2) 信濃川河口を利用してつくられた新潟港内には、突堤、さん橋、導流堤などがあり、複雑な外形をしているため、同港内における津波襲来高は、場所によりかなりの差があつた。すなわち、図〔10〕に示すように、港口から侵入した津波の主流は信濃川本流を遡上し、他方、万代島導流堤と山の下埠頭岸壁間を通過した津波の分流は、防波堤を越えることなく新潟県営埠頭に向けてほぼ直進して県営埠頭内に侵入し、ここで収束して波高を急激に増大させ、万代島水産物揚場に1.8ないし2.4メートル(第一港湾建設局新潟港工事事務所、BM基準による調査、地震の影響補正前数字)の波高痕跡を記録して、その後背地に溢れて浸水し、かつ、旧栗の木川に侵入した。さらに分流として、北埠頭の東、新川からも遡上し、新栗の木川、焼島潟へも分れて侵入した。新潟港内の各埠頭は、後記のとおり、津波の侵入と地盤の沈下等とが相まつて多大の浸水による被害を受けたが、特に津波により運ばれた重油による被害があつた。

(3) 阿賀野川に襲来した津波は、建設省北陸地建新津工事事務所の痕跡調査によると、最高波高は河口では3.37メートル、河口より4.2キロメートル上流の泰平橋では1.75メートル、一四キロメートル上流の横雲橋では三〇センチメートルの痕跡高を示している。阿賀野川下流においては、地震と津波のために、泰平橋と河口との間の堤防の各所に陥没や亀裂を生じ、河口近くでは左岸堤防が破壊して、堤内の低地に浸水して大被害を及ぼした。

(4) 信濃川と阿賀野川を連絡する通船川沿線一帯は、もともと地盤沈下によるゼロメートル地帯になつていたため、阿賀野川左岸堤防の破壊による浸水および海岸からの直接の津波の侵入により、両岸の水田地域は広範囲に冠水し、さらにこの地区の下山ポンプ場の破壊のため、民家に床上浸水状態が続いた。焼島潟に遡上してきた津波の分流は通船川を遡上したものと考えられるが、その遡上距離は、臨港線鉄橋付近まで至つたことは明らかであるとしても、それを越えどの付近まで遡上したものか不明である(被告主張の遡上距離は、これを裏づける証拠がない。)。

通船川には、地震当時、津島屋付近まで津波による水流を遮ぎるようなものは特になかつた。しかし、もともと同川の河床は高く、流域の地盤よりも一メートルも高い水面をもつて流れていたため、地震の主動後ほぼ全川にわたり堤防が亀裂、決壊したばかりでなく、上流の河床は隆起し、中流流域においても、噴出地下水が用排水路から流入するなどして、津波の侵入前すでに同河川水自体の水量増加があり、これに下流からの津波の侵入による増水が重なり、後背地の浸水被害を大きくし、流域一帯に湛水した。通船川の阿賀野川側入口は、地震直後水門を閉めたので、阿賀野川からの津波の侵入は防げたが、地震の主動で堤防に亀裂を生じ、その割れ目から噴出した土砂まじりの地下水などは付近の田畑や用排水路を埋め、そのうえ通船川にも土砂を押し流し、その結果、水深2.5メートルあつた河床は、隆起や地下水とともに流れ込んだ土砂により、水門から西側(下流)約三〇〇メートルぐらいは閉ざされてしまつた。

通船川流域一帯の湛水は、その後排水のために、下流の通船橋付近鴎見鉄橋下と河渡付近真壁木土所地先、上流の大払橋上手新川排水機場で締め切られ、地震後二日後の六月一八日から川岸にポンプを置き、流域一帯の田圃の湛水をその間の通船川に排水するとともに、通船川締切部では応援ポンプ七台を据えて信濃川に排水し、一方新川排水機場からは、津島屋地区の隆起した河床を開いて阿賀野川に排水した。その後の余震および集中豪雨により数回にわたる堤防の決壊等があり、約二〇日間は地震発生当時とほぼ同様の状態を繰り返したが、七月一〇日ころから減水がみられ、二一日ころにはようやく排水が急ピッチとなり、九月三〇日をもつて排水作業は完了した。

(二) 県営埠頭と倉庫の被災状況

新潟地震当時の県営埠頭および各埠頭上の主な倉庫の位置関係は、図〔11-1〕、〔11-2〕に示すとおりである。

(1) 中央埠頭と倉庫

中央埠頭は、北側、先端および南側の三つの岸壁に分かれる。地震により南側岸壁は、水深が北側に比べて浅く小規模な岸壁であるにもかかわらず、北側よりも大きなはらみ出しをみせた。先端部は著しい被害を受け、はらみ出し量は2.3メートルに達し、先端南隅角部に六四センチメートルの亀裂が入つた。北側岸壁は沈下も小さく、わずかにはらみを出したのが見られる程度であつた。全体的に岸壁としては一応の原形を保ち、利用上差し支えない程度であつた。

しかし、倉庫の被害は甚大であつた。すなわち、南北両岸壁とも、アンカー位置より前において地盤の移動があると同時に沈下も起り、倉庫はアンカー・ウオールの位置で足を払われた形で、倒壊したり破損したりした。岸壁の変化の大きかつた南側では、日本セメント倉庫を除いて全壊ないし半壊であつた。新潟商船A号倉庫は、屋根が大きく崩落し、南側および北側の壁が亀裂、破損し、特に東側(内陸側)の壁は崩落した屋根の重みで大きく破損し、崩れ落ちて一部開口している。倉庫内部の品物にも大きな被害を与えたが、この付近の津波の最高波は1.2メートルくらいで岸壁を越えなかつたため、津波による浸水はなかつた。

(2) 東埠頭と倉庫

東埠頭は、中央埠頭と北埠頭の付根にはさまれた延長約二五〇メートルの埠頭であるが、岸壁全長にわたつて三メートルくらいはらみ出したほか、頭部コンクリートの前傾も著しく、約二〇センチメートル沈下した。

倉庫は、コンクリート造りのものを除いてほとんどすべてが海側に足を引張られた形で潰れた。東洋埠頭倉庫一号も、海側は全面的に潰れ、倉庫内部は大きく陥没した。河口からの津波は岸壁を越えなかつたものの、この付近は岸壁のみをかさ上げしてあつたため、津波は新川沿いに低地から倉庫背後に侵入した。

(3) 北埠頭と倉庫

北埠頭先端部は、一五ないし二〇センチメートルにわたつて水没した。北埠頭の岸壁自体は崩壊しなかつたが、中央部が1.5メートルはらみ出し、その変形のため上屋倉庫は沈下を起し、アンカー・ウオール付近において足を払われた形で倒壊し、壁が引き裂かれたりした。また北埠頭背面物揚場は、通船川(新川)河口より上流に向つて約一〇〇メートルの間が著しい被害を受けた。

北埠頭の貨物引込線を挾んで北東側、新潟商船C、日本海A二号などの倉庫は半壊程度であつたが、反対側南西側の日通北一号、東洋四号などの倉庫はほとんど全壊した。特に日通北一号倉庫は、下の岸壁が4.7メートル海中へすべり出し、かつ、三〇センチメートル程沈下したため、もぎとられた形で全壊した。津波は、埠頭先端(石油埠頭の一角)では1.8メートルの痕跡高を残したが、岸壁が約二メートルかさ上げしてあつたため岸壁を越えず、そのため、南西側倉庫は津波の侵入を免れた。しかし、津波は北東側の倉庫群に来襲し、特に日本海A二号倉庫内部は、陥没して荷崩れをした品物に侵入したため、被害を大きくした。

(4) 万代島埠頭と倉庫

万代島埠頭付近では、前記のとおり津波が収束して侵入したので、地震後護岸は水没した。

ここには、日通六号倉庫などがあつたが、被災の状況は不明である。(この点に触れた証拠はない。)。

(5) 後背地の倉庫

県営埠頭の後背地には、神山倉庫、日通東二、三号倉庫、新潟運輸倉庫などがあつたが、この付近は、栗の木川および新川より遡上した津波と、岸壁背後より地震と同時に噴出した水により、浸水し湛水した。

(三) 臨港埠頭と倉庫の被災状況

臨港埠頭には、A、B、C、D、Eの各埠頭があつたが、地震当時の各埠頭上の主な倉庫の位置関係は、図〔11-1〕、〔11-3〕照に示すとおりである。

臨港埠頭は、各埠頭とも、その後背地の地盤の高さがもともと地盤沈下のため海水面とほとんど変らないくらいであつたため、二段の防潮堤で港内水面を仕切つていた。倉庫はそのような低地に建てられていた。

したがつて、各埠頭が地震により破壊されると同時に、直ちに海水が流れ込み、引き続きいて起つた津波による浸水とあいまつて、大きな被害をもたらした。この浸水被害は、特にA、Bと埠頭の後背地に著しかつた。なかんずく、滝沢倉庫があつたC埠頭では、地震により地盤が1.5メートル沈下するとともに約二メートル前方にのめり出したため、防潮堤とともに全体が深く水没した。そのため、滝沢一、二号倉庫とも同程度に水没し、倉庫内部の品物に被害を与えた。なお滝沢倉庫は、地震当時一部の扉が開いていた。

以上の認定に対し、証人山本秀雄は、「津波の引き波で、電気製品がもつていかれた程であつた」等と、認定事実より相当大きな津波による被害を現場で目撃したかのような証言をしているが、同証言によると、同人が津波を目撃していた場所は、万代島付近の、前記認定のとおり津波が収束しもつとも激しくなつた付近であることが明らかであるから、これをもつて全体の被害状況を説明することはできず、そのほか前記認定を覆すにたりる証拠はない。

2保管農薬の数量、種類および被災流出状況等

(一) 保管数量と保管形態

(1) そこで、地震当時における各埠頭倉庫の保管農薬の種類とその数量を検討してみると、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、すでに認定したとおり、県衛生部は、昭和四〇年六月ころ新潟港港内各埠頭倉庫内の保管農薬の数量等を調査して特別研究班に報告していたが、研究班の中間報告後、被告等からその調査の不備等を指摘され、厚生省からも質疑があつたため、昭和四一年六月ころから約一か月にわたり、関係倉庫業者に対し、改めて保管農薬の数量、種類、被災状況等についての精密調査を行なつた結果、地震当時各埠頭に保管されていた農薬は、表〔28〕のとおりであり、その保管数量は合計一、七〇五トン余であつたことが認められる。

被告は、県の精密調査は、調査担当責任者である北野県衛生部長が調査に予断をもつていたうえ、調査方法も杜撰であるから信びよう性がなく、保管農薬数量の合計は八、〇〇〇トンであつた旨主張する。しかし、同衛生部長が疫学班員としての調査において格別予断をもつていたと考えられないことは、すでに説示のとおりであり、被告主張の保管数量に副うかにみえる乙第三三号証中の記載は、県衛生部薬事衛生課長の座談会席上で発言した概数にとどまり、これが算定根拠も明らかでなく、証人北野博一の証言に照らし措信できないし、また乙第三〇七号証の一(主要農薬使用状況推移)から直ちに被告主張の保管数量を推認し難く、さらに精密調査外にも多量の保管農薬がある旨の証人杉山真の証言もすべて伝聞にわたるもので、しかも昭和四二年七月以降の口答による聞き込みに基づくものであるから、にわかに措信できない。もつとも、〈証拠〉によると、精密調査の対象外となつた万代島日通六号倉庫にも、地震当時三井物産の農薬五〇トンが保管され、復旧後すべて搬出されたことが窺われなくもないから、精密調査にも調査洩れがないとは断言できず、多少の保管数量の増加は予想されるが、だからといつて、精密調査がその大筋において被告の主張するよう杜撰であるとは考えられない。また証人北野博一の証言によると、精密調査の際、現場倉庫の浸水等のため伝票等が紛失し、これに当つて調べることができなかつた事例も窺われるが、かような場合、倉庫業者等の帳簿(なお、保管依頼者である農薬販売業者等は、農薬取締法により、農薬数量を記載した帳簿を少なくとも三年間保存する義務があり、これに違反した場合、六月以下の懲役または五、〇〇〇円以下の罰金に処せられることとされている。)に当つて数字を出したとされているのであるから、倉庫業者等が特に虚偽の帳簿記載、申告をしたとの証拠がない限り、精密調査の結果の保管数量は信用に価するものと判断するほかはない。

(2) そして、これら埠頭倉庫内の保管農薬の包装方法が表〔29〕のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(二) 本件中毒症の原因物質たりうる農薬

前項の保管農薬合計一、七〇五トン余のうち、本件中毒症の原因物質たりうる農薬、すなわち、本件中毒症の病因物質であるメチル水銀化合物を含んでいる農薬の有無について、検討する。

(1) アルキル水銀系農薬

東洋埠頭一号倉庫B、Cに一二〇キログラム保管されていたソイルシン乳剤(北興化学製)に、エチル水銀化合物(燐酸エチル水銀)のほかメチル水銀化合物(沃化メチル水銀)が2.0パーセント含まれていることは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、右ソイルシン以外のルペロン、ウスプルン等のアルキル水銀系農薬一、四〇一キログラム(エチル水銀系農薬)にも、市販されているものにはメチル水銀が少量ながら含有されていることが認められる。

原告らは、アルキル系農薬が原因物質であるとすれば、本件中毒症患者の頭髪や阿賀野川の川魚からエチル水銀が検出されなければならないにもかかわらず、現実にはこれが検出されていない以上、これら農薬は原因物質でない旨主張しているが、〈証拠〉によると、生物体内でエチル水銀はメチル水銀に比較して容易に分解排出されること、エチル水銀は水中に溶解した場合、土壌への吸着力がメチル水銀に比べて格段に高く、その反面溶解度は低いなどの物性があることが認められるから、エチル水銀が本件中毒症を惹起させたものではないとしても、原告ら主張の理由では、アルキル水銀系農薬を本件中毒症の原因物質たりうるものから除外することはできない。

(2) 酢酸フエニル水銀農薬

(イ) 保管農薬のうち非アルキル水銀系農薬は合計一、〇四三トン余であるが、このうちの大部分が酢酸フエニル水銀農薬(PMA)であることは、当事者間に争いがない。

そこで、この酢酸フエニル水銀農薬にメチル水銀が含まれているかどうかを検討すると、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを左右する証拠はない。

(a) 被告は、昭和四一年中酢酸フエニル水銀農薬にメチル水銀化合物が混入しているかどうかを実験分析した結果、ECDガスクロにより、試薬中0.05パーセント、農薬原体中0.13ないし0.25パーセントのメチル水銀を検出したので、その結果を直ちに厚生省に報告した。

(b) そこで、昭和四一年一二月、科学技術庁の指示により、被告と厚生省とがそれぞれ試料(酢酸フエニル水銀、農薬原体、無機化合物)を持ち寄つて、いわゆる交換分析を行なうこととなり、厚生省側では試験研究班員の国立衛生試験所と東京歯科大学上田がガスクロ分析を担当することにした。

そして被告の分析の結果は、厚生省側提供の試薬PMAでは0.05パーセント、農薬原体PMAでは0.13ないし0.15パーセントのメチル水銀(但し、酢酸メチル水銀として換算)が含まれている旨の数値が出たが、厚生省側の分析結果は公表されなかつた(証人田辺正士は、上田教室、国立衛生試験所から直接聞いたとしてその数値を証言しているが、にわかに措信できない。)。

(c) そして昭和四二年一月中国立衛生試験所において、同試験所および神戸大学(喜田村)、新潟大学(滝沢)、東京歯科大学(上田)、東京理科大学、厚生省食品衛生課の六機関立会のうえで同じガスクロ実験分析をしたところ、酢酸フエニル水銀中に含まれるメチル水銀化合物は0.005ないし0.009パーセントという結果が出た。但し、右実験分析においては、時間の制約から、二〇ないし三〇分以内にできる限り多くの試料を処理する必要があつたため、メチル水銀に相当する位置を経過後直ちにつぎの試料の注入を行なうなど、極めて変則的な方法をとつており、立会者らは、この方法が測定値の正確を期するうえで非常に危険であることを認めている。

(d) また北川は、酢酸フエニル水銀農薬中にメチル水銀が含まれていることを理論的に証明すべく、独自の実験分析をくり返したが、その理論を、「酢酸フエニル水銀は、図〔12〕に示すように、その酢酸基の脱炭酸反応に基づき容易に分解し、メチル水銀を生成する。」と発表している。そして、酢酸フエニル水銀試薬に農薬粉剤製造の際に用いられる増量剤タルク、消石灰などを加えて摂氏五〇度に加温して貯蔵する実験をしたところ、表〔30〕のとおり、貯蔵時間とともにメチル水銀が生成され、特にこの分解反応は、タルク、消石灰等の増量剤で促進されることがわかつた。さらに、市販の酢酸フエニル水銀農薬について同じような実験分析をしたところ、表〔31〕のような結果になつた。北川はこの結果から、平均して酢酸フエニル水銀の0.86パーセント、同農薬一トン当り28.3グラムのメチル水銀化合物が含まれるとし、そして、埠頭保管中の酢酸フエニル水銀は、倉庫に貯蔵中これと同じ割合で自然にメチル水銀を生成していたと推論している。

(ロ) しかして、以上の事実によると、酢酸フエニル水銀農薬にメチル水銀化合物が含まれていることは明らかであるが、その含有率については必らずしも明らかであるとはいえない。すなわち、(a)、(b)の被告の分析は、前記のとおり、当時の被告のECDガスクロ分析技術を一〇〇パーセント信用することはできないし(そのために、六機関立会の分析が計画されたものと推測できなくはない。)、(c)の六機関の立会分析は、一応六機関の分析の専門家が同時に立ち会つていることからみると、その正確性につき充分配慮されたものとも考えられるが、その方法が変則的であり必らずしも正確な数値が期せられていないことは、立会者ら自身すら認めているところであるから、その分析結果をもつて一般的に酢酸フエニル水銀含有率を定めることは、極めて危険であるといわなければならない。また北川の理論の当否はともかく、同人の試薬の実験においては、分解速度を速めるため摂氏五〇度に加温しているから、常温での生成率は当然異なることが予想され、市販農薬の実験では、表〔31〕のとおり、使用した農薬がいずれも製造後、早くて二年二か月遅いのは一五年一か月、平均六年余経過の古い農薬であるところ、同人の証言によると、市販の農薬(酢酸フエニル水銀農薬を含む。)は不安定な成分から組成されており、数年で分解してしまうため、有効期間を製造後四年と限り、通常の場合、前年秋ころ製造したものを当年の春ころ売り出すことが認められるから、北川の右実験結果によるメチル水銀生成率もまた、そのまま本件の埠頭倉庫内の保管農薬(いずれも商品であつたから、製造後間もないものと推認できる。)に当てはめることはできない。

(三) 農薬の被災流出の状況

(1) 被災流出量

すでに認定したような新潟港内埠頭および倉庫の被災状況から考えると、地震により倉庫内の保管農薬にかなりの被災(浸水等で商品価値を失つた。)があつたであろうことは当然予想できるところ、甲第六六号証、第六七号証、乙第三七号証、証人北野博一の証言によると、前記県の精密調査における被災数量は、表〔28〕のとおり、合計四八七トン余であることが認められる。

ところで、このうちどの程度が水中に流出したかどうかについては、前掲証拠によつて認められる県の精密調査では、「ソイルシンを含むアルキル水銀系農薬被災量四二三キログラムのうち、三七八キログラムは委託者等に返品され、残つた四五キログラムは地中埋没等で廃棄された。酢酸フエニル水銀を含む非アルキル水銀系農薬被災量二〇六トン余のうち、一三一トンは返品され、一二トンは減価販売、六三トン余は同様に廃棄された。地震によつて倉庫から水中に流出した農薬はない。」とされている。しかし、精密調査の前提となつた乙第六五号証(農薬倉庫業者に対するアンケート用紙)には、ももともと「流出」の項目がないのであるから、調査に流出量が現われるわけはなく、証人北野博一も、「調査に際し、在庫数量をまず帳簿上から確めて、それから被災数量を帳簿から出し、無傷のままで運び出した数量が記録にあつたので、それと伝票等で返品を差し引き、最後に残つたものを廃棄量とした。」と証言し、流出量については調査に出ない方法をとつていたことが明らかであるから、精密調査のうち、流出農薬ゼロという点に関する部分は採用できない(なお、精密調査を裏づけるような記載のある甲第一六一号証は、にわかに措信できない。)。そして、〈証拠〉によると、県衛生部は、昭和三九年七月三日付「新潟地震災害による漂流農薬の危害防止について」、同月一七日付「農薬の保管管理の徹底による危害防止について」、さらに同月二三日付「農薬の空容器の漂流による危害防止について」と題する通知、通達を関係市町村長等に宛て発していることが認められるところ、これら通達等は、海岸付近住民の安全性を考慮したいわば予防的措置とみられなくはなく、また、必らずしも新潟港内埠頭倉庫内の農薬を対象にして発せられたものではないとしても、少なくとも同地域付近は地震によつて危険な農薬が漂流しうる状況にあつたため、その危険性を警告し、危害防止の措置をとるよう関係者を指導したものというべきであり、この事実に、前記認定の各埠頭倉庫の倒壊状況等を加えて考察すると、県の精密調査結果にある被災数量のいくらかは地震により水中に流出した可能性が残るといわざるをえない。

(2) 流出の状況

(イ) 前記認定のとおり、本件中毒症の原因物質たりうる農薬が保管されていた各倉庫のうち、地震時扉が一部でも開口していたことが明らかであるのは、臨港埠頭の滝沢倉庫のみである。したがつて、この倉庫では、前記認定の浸水状況等から考えて、被災農薬が包装箱、袋のまま、あるいは瓶のまま水中へ流出することはありうることであるが、確認はされていない。しかし他の倉庫については、このような流出があつたかどうか全く不明である(この点に関する証人杉山真の証言は採用できず、乙第二三四号証(昭和四四年七月一〇日付読売新聞掲載の鹿児島県川内市の水害に関する報道記事)も、本件に類推できるものではないから採用できず、その他これを認めるにたりる証拠はない。)。

(ロ) そこで被告は、実験により農薬流出の状況を推測しようと試みた。すなわち、〈証拠〉によると、つぎの事実が認められる。

(a) 被告は、農薬入ダンボール箱(ホクコークミスイ粉剤30、三キログラム×八袋入)の浸水実験を試みた結果、浸水すると、箱は約三分の一が水面上に出て水平に浮上し、約二五分間浮上状態を続け、五分後に沈没した。また農薬袋(ホクコークミスイ粉剤30、三キログラム紙袋入)の浸水実験をしたところ、浸水すると、袋は上部二ないし三センチメートルを水面上に出して浮上し、突き沈めても浮き上つてきて、このような浮上を少なくとも数日間続けたうえ沈没した。

(b) また被告は、ダンボール箱の荷量による変形ならびに水中における破袋の各実験を行なつたが、その結果は表〔32〕のとおりとなつた。

(c) さらに被告は、粉剤の浸水ならびに粉剤が浸水の際重油と接触した場合の各実験を行なつたが、その結果では、粉剤は浸水すると水面に浮遊し三日間以上沈降せず、攪き混ぜても沈降しないのに反し、一旦水面上の重油と接触すると、重油が粉剤中に浸透拡散して行きそこに密度の大きい混和物を作り、ある程度これが成長すると団子状の粒子となつて沈降することがわかつた。

(ハ) しかして、以上の各実験の結果に証人帯刀俊文の証言を考え併せると、地震後埠頭倉庫から農薬の流出する状況は、(ⅰ)(a)の実験のように、ダンボール箱あるいは袋のまま流出する。(ⅱ)(b)の実験から考えられるように、倉庫の倒壊、内部の荷崩れなどで包装箱、袋が破れ、中身の粉剤が(c)の実験のように水面にただよい、津波によつて運ばれてきた水面上の重油と接触して団粒状となり、沈降する、(ⅲ)さらに倉庫内の浸水により水面下になつた箱入農薬が日時の経過とともに泥状となり、水中に溶解してゆく。以上三つの状況の可能性が推認できる。

このうち(ⅲ)の状況については、乙第二二五号証、第二二六号証の日本海倉庫A二号内部の写真(昭和三九年夏ころ撮影)によつても裏づけられるところであるが、(ⅰ)、(ⅱ)の流出状況については、当時津波で材木等が押し寄せられることがあつた(乙第二二九号証)にしろ、右流出状況が現実に起つたとすれば、当然右状況が目撃されるとか、破れたダンボール箱、袋の痕跡が残つていると思われるにもかかわらず、本件全証拠によつてもこれらの事実が全く認められないこと、また、すでに認定したところから明らかなように、前記通知、通達が地震後半月以上経過してから瓶の漂着を契機として発せられていることを考え併せると、少なくとも被災農薬がこれらの形では一時に大量に流出したものではないことを示しているといえよう。

3流出農薬が阿賀野川河口の魚類を汚染する可能性

以上からして、埠頭倉庫内に保管されていた農薬が地震によつて阿賀野川河口を汚染する可能性について検討してみると、被告はその汚染経路を、

(ⅰ) まず地震後の津波の引波で港外や信濃川河口、日本海へと流出し()、数次の津波と日本海沿岸流で阿賀野川河口前に達し()、津波により河口地区を遡上する経路(日本海経由の1、津波による汚染)

(ⅱ) 津波の引波やその後の大豪雨による流水で右と同じになり、と同様に阿賀野川河口付近に達した流出農薬は、塩水楔現象で河口を遡上する経路(日本海経由の2、塩水楔による汚染)

(ⅲ) 埠頭倉庫からの流出農薬は、津波により新川、通船川を遡上し、阿賀野川河口(津島屋付近入口)に達する経路(通船川経由にる汚染)

(ⅳ) さらに地震後被災農薬を阿賀野川河口に不法投棄した経路(不法投棄による汚染)

のそれぞれがいずれも考えられる旨主張している。

(一) 日本海経由の汚染

(1) 日本海沿岸流

(イ) そこで、まず前記(ⅰ)、(ⅱ)の汚染経路に共通な、日本海沿岸流について検討してみると、被告は、信濃川と阿賀野川との間の日本海沿岸流は、複雑な渦を巻きながら阿賀野川方向に移動している旨主張しているところ、証人北川徹三はこれに副う証言をし、また乙第六〇号証の三二ないし三五(昭和三九年六月二七日防衛庁撮影の航空写真)によると、信濃川河口付近の浮上重油が全体として東へ移動し、阿賀野川河口付近海岸に達しているようにみえること、さらに乙第六四号証によると、運輸省第一港湾建設局新潟調査設計事務所は、昭和四三年一〇月から昭和四四年二月までの間新潟海岸において粒度別螢光砂を投入しての土砂の移動状況の調査を行なつているが、その結果、「同海岸では、大、中粒砂の移動はなかつたが、小粒砂のものは、主方向は投入点(信濃川河口東側の海岸)より一旦沖に移動した後東方向に向う移動をし、一部は離岸堤付近を離岸堤に沿つて東に移動するものがある。」とされていることが認められ、これらの事情が被告主張を裏づけるものと考えられないことはない。

(ロ) しかし一方、乙第三〇一号証(乙第一三号証の四七、A、B)によると、新潟県海岸対策委員会は、昭和二四年一〇月二三日、昭和二五年七月三一日、同年八月一日、同年八月二日、同年一〇月九日、一〇日の五回にわたり、新潟海岸付近の「漲潮及び満潮時流況調査」を行なつていることが認められるのであるが、この調査結果からみると、被告主張のように日本海沿岸流が東方へ移動しているのはの調査の時のみであつて、これを除く四回の調査時では、むしろ全体として逆の方向(西方向)へ流れていたことが明らかであり、前記の航空写真にある重油の流れも、風向き、波浪等を考慮に入れて検討しなければならないとすると、前記(イ)の資料から直ちに、日本海沿岸流が地震当時ころ被告主張のように流れていたとは速断できずその可能性を肯定できるにすぎない。

また被告は、新潟地震後埠頭倉庫内の農薬瓶が阿賀野川河口付近の海岸に漂着した旨主張し、第二回検証(於阿賀野川河口付近海岸)の際に同海岸から拾得された空瓶が、新潟港内埠頭倉庫から地震時流出して漂着したものである旨主張している。しかし、甲第一二号証(農薬包装規格表)によつて認められるような形状、材質の内蓋、外蓋をもつて厳重に密閉されていた農薬瓶が、第二回、第六回の検証の各結果によると、いずれも蓋が閉まつたまま充填農薬がなくなつており、なかには外蓋があるのに内蓋だけがなくなつているものがあることが認められるから、農薬瓶が漂流中如何なるメカニズムによつて自然にこのようになるのか、甚だ疑問といわなければならず、乙第一七八号証の一、二の被告の漏出実験によつてもこの疑問は解消しないばかりでなく、前掲検証の結果、甲第六九号証、第七〇号証ならびに弁論の全趣旨によると、右漂着農薬瓶は、農家が使用済み農薬空瓶を阿賀野川あるいは付近海岸に投棄したために漂着したものと考えざるを得ない。

(ハ) それはそれとしても、日本海沿岸流の東方(阿賀野川方向)への動きは可能性としては残ることは前述のとおりであるから、これと津波の動きとにより、流出農薬が被告主張の(ⅰ)りの汚染経路で阿賀野川河口に達し得たかどうか検討してみると、すでに認定したように、津波は六月一六日一四時三三分を最高波としてその後波高は小さくなり、引波の力はたいして大きなものでなかつたのであるから、津波(引波)自体の力でどれほど流出農薬を港外、日本海へ引き出し得たかについて疑問が残るばかりでなく、仮に引き出し得たとしても、信濃川河口と阿賀野川河口間の海岸線にも津波は日本海側からほぼ直角に侵入していたのであるから(乙第一八九号証)、同地点間の沿岸流の東方向への流速は、少なくとも津波が続いている限り非常に小さくなるものと推定され、したがつて、沿岸流が信濃川河口付近の流出農薬を津波が続いている時間内に阿賀野川河口まで運ぶことは、理論的にも考えにくいところである。乙第六〇号証の四一(昭和三九年七月二一日アジア航測撮影の航空写真)には、阿賀野川河口中州に浮上重油が付着した痕跡がみられるが、これよりさらに地震時に近い日時(同年六月二七日)に撮影した前掲乙第六〇号証の三四には、右中州付近に浮上重油が認められないことと対比して考えると、前者の写真は津波による遡上の証左とは到底なり得ない。

してみると、被告主張の(ⅰ)の汚染経路は極めて可能性に乏しいものといわざるを得ないから、本件中毒症の原因物質の追求に際しては、これを無視することができる。

(2) 塩水楔

(イ) 日本海沿岸にある阿賀野川河口および信濃川河口に塩水楔現象(河水の上層部は淡水であるが、河底には海水が侵入遡上する現象)が存在することは、当事者間に争いがなく、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを左右する証拠はない。

(a) 阿賀野川の塩水楔に関しては、従来から有力な資料として京都大学農学部農業土木研究室南勲助教授の「阿賀野川流量および塩分濃度調査報告書」(昭和三八年)があつたが、特別研究班の報告書(甲第四二号証)もこれを引用しているところ、これが調査結果の主要な点は、「河口全水深四メートル、淡水水深1.8メートル、塩水水深2.2メートル、河床勾配河口から〇ないし四キロメートル1/1000、四キロメートル1/5000、磨さつ抵抗系数0.02として

河口流量五〇〇m3/secの場合―塩水楔

四キロメートル(一日市部落)

〃  二〇〇 〃 ―― 〃

六キロメートル(江口部落)

〃  一〇〇 〃 ―― 〃

八キロメートル(細山部落)

〃   五〇 〃 ―― 〃

一四キロメートル(横越部落)

〃   二〇 〃 ―― 〃

一六キロメートル(横雲橋)

以上の数値から、阿賀野川河口の流量の大小と塩水楔の遡上距離とは互いに反比例し、流量が大となれば、塩水楔の到達地点は河口に近くなり、小となれば遠くなることがわかる。阿賀野川河口の全平均日流量をおよそ一六〇m3/secとすると、その塩水楔の到達距離は泰平橋の上流で上江口付近となる。しかしこの地点は、流量の変化につれて上下に移動するものであることは当然で、例えば、河口流量二〇m3/secのときは塩水楔は横雲橋上流までも遡上することになる。そこで、若し阿賀野川が気象上の諸条件(大雨、台風、洪水等)によつて増水し、大洪水等を来たして水量が増大した場合には、河口では海水と淡水との強混合型の変化がおこり、塩水楔の遡上現象は全くおこらなくなる一方、そのために河口の砂州等の障害物は押し流され河口がひろく開くようになる。ついで河流がもとにかえつて流量が減少するにつれ、今度は逆に、塩水楔がはるか上流にまで遡上する現象がみられることとなる。」とされている。

(b) 疫学研究班が収集した日本瓦欺化学工業株式会社松浜工場の調査資料によると、昭和三九年六月四日より八日までの阿賀野川河口付近の海水侵入状況は図〔13-1〕のとおりであり、地震後の八月二〇日のそれは図〔13-2〕のとおりであつて、地震前後ともに、海水域が一日市上流(河口より約4.4キロメートル)まで遡上していた。

なお、この日時を含む昭和三九年六月より一二月までの阿賀野川横越観測所測定の日平均流量は、表〔33〕のとおりであり、前記日時は一〇〇t/sec前後であつた。

(c) 被告は、昭和四四年六月二六日から七月三日まで、および七月二六日から三〇日まで、阿賀野川河口付近の河床と塩分濃度を実測したが、その結果を横越観測所の日流量と関連させてみると、表〔34〕のとおりになつた。そこで、右の結果から日流量が一〇〇t/secないし二二〇t/secぐらいまでの間では直線関係にあると考え、このことから阿賀野川の各流量に対応する塩水楔先端距離を、表〔35〕のとおり推定した。

なお、被告の前記実測の結果、塩水楔は流量、干満により深み(主としてみおすじ)をたどつて上下するが、実測当時は、松浜橋付近から白新線鉄橋付近までは右岸を通つている深みと、左岸に津島屋から一日市にまで遡る深みがあり、後者は一日市で行きどまりになつていたが、河水の流速は右岸に比べ左岸は著しかつた。

(d) また、被告はその後奥田とともに、前記の実測結果および北陸地方建設局の昭和三九年一一月における河床測量値等により、地震当時の阿賀野川河口の河床モデルを作り、流量を変化させて塩水楔の遡上および流下の実験を行なつた。そして奥田らは、その結果から、昭和三九年一一月の河床の方が昭和四四年六月の被告の実測当時よりも塩水楔が入り易い状態にあつたこと、および河口海域の懸濁物が塩水楔によりその先端部まで運ばれることなどを結論づけた。

(e) さらに奥田らは、昭和四五年七月二五日から同月三〇日まで阿賀野川河口を実測したが、その結果、塩水楔の干満による前進と後退の差は、右のモデル実験の結果とを併せて、一〇〇ないし二〇〇メートルであることを確認した。

(f) なお、被告は、昭和四四年九月二八日信濃川の塩分濃度等を実測したところ、新潟鉄工所前面(河口から約二キロメートル)では水深は浅く、かつ、ここから上流側には塩水は遡上していなかつたが、ついで昭和四五年七月三一日の調査結果では、八千代橋付近(河口から約4.6キロメートル)まで遡上していたことがわかつた。

(ロ) しかして、以上の認定事実によると、被告および奥田の実測、実験による解析は、京都大学南勲の理論的解析の結果と対比すると、流量と塩水楔到達距離の関係ではかなりくい違う点があり、(b)の実測資料とも若干のくい違いを示している。そして、証人奥田節夫の証言によると、塩水楔は、右のように流量の変化、潮の干満差により遡上の先端が上下するばかりでなく、その幅も伸縮するものと考えられるところ、大洪水や地震等自然現象の変化により阿賀野川の河相、特に河床が大きく変化することは充分予想されるから(地震前後の表〔13-1〕および〔13-2〕の比較によつても窺い知ることができる。)、被告らの解析結果をもつて直ちに地震直後における阿賀野川の塩水楔現象を再現するものと考えることは、極めて危険であるといわざるを得ない。

しかし、塩水楔の遡上距離に一、二キロメートル程度の幅を誤差として考えれば、他の資料ともおおむね一致するところがあるので、被告らの解析結果はその限りでは当時の塩水楔の実態を現わしているものといえる。

(3) 塩水楔による流出農薬の持ち込み

(イ) 前掲証拠によつて認められる被告の塩水楔のモデル実験では、塩水楔上面で海水が河水と接触している境界面において、海水が河水で押し流され、これを補うために塩水楔の底部では上流に向つての海水の流れがあり、その流れは塩水楔の先端部で停滞した後、反転して塩水楔上面を河口へ向うこと(Uターン現象)、そして海水中に懸濁物としてタルク、あるいはペントナイトを投入すると、塩水楔の遡上流によつて運搬され先端に沈降する現象を示したことが認められる。

そこで、右実験の結果に、〈証拠〉を考え併せると、阿賀野川においても、河口付近海域の浮遊物(懸濁物、浮遊砂)は、塩水楔の遡上流にのつて上流に運ばれ、その流れの停滞する先端部で沈積し、しかも一旦沈積した浮遊物は塩水楔が後退した後でもそのままの状態で残留し、掃流砂が流されるよりも大きな流速でない限り洗掘が行なわれないことが推認できる(但し、乙第一二七号証(一九七〇年度水工学に関する夏期研修会講義集のうち、「Estuaryの水理」東京工業大学教授吉川秀夫)では、「上流より運ばれた土砂は、塩水楔の上を流れる淡水層の流れの乱れが減少するのに伴い、塩水層の中に沈降し、この土砂が塩水の上流向きの流れに運ばれて塩水楔の末端付近に堆積する。」として、塩水楔の先端に沈積するのは上流からのものを含むものとされている。)。また、〈証拠〉によると、福島が昭和四五年にサンプリング調査した結果では、阿賀野川河口に海産性の藻類が沈積していたことが確認されている(但し、淡水産のものが圧倒的に多いことが窺われる。)。

したがつて、以上の事実からみる限り、被告主張の塩水楔による河口汚染の条件は、一応存在することになる。

(ロ) しかし被告主張の塩水楔による汚染経路は、その農薬流出から阿賀野川河口の川魚汚染までの汚染機序を逐次検討して行くとかなりの疑問ががあるといわなければならない。すなわち、

(a) 新潟港内の埠頭倉庫から農薬が水中へ流出したとしても、それが津波の引波により地震直後一時大量に港外へ流出する可能性が薄いことは、すでに検討したとおりである。してみると、港外への流出には、七月三日以降の大豪雨(表〔33〕)によらなければならないところ(港内に流れがほとんどないことは、第二回検証の結果から明らかである。)、前記認定の事実によると、七月二六日ころまでは阿賀野川の流量が著しく大きいため塩水楔が起りにくい状況にあつた。したがつて、この間は港外へ農薬が流出したとしても、これが阿賀野川河口から上流へは遡上しにくい状況にあつたといえる。

(b) 水中に流出した粉剤農薬は、そのまま水面に浮上し、あるいは重油と接触して団粒状となつて一部は沈降し、一部は水面に漂流する可能性があることは、すでに検討したところである。しかし、これら農薬がともかくも港外に流れ出て沿岸流によつて運ばれることがあるとしても、浮遊物となつて阿賀野川河口付近に達するまでには当然相当の日時を要すると推測されるところ、その間何故にメチル水銀が水中に溶解してしまわないのか、との疑問が残る。メチル水銀が極めて水溶性が高いことは前記のとおりであり、乙第一八号証によつて認められる被告の実験によると、メチル水銀化合物は、海水に対しても淡水とほぼ同等の溶解度(塩化メチル水銀で五〇二〇ppm(摂氏二〇度))とされているのである。

このことは、浸水倉庫内において、水面下にあつて泥状と化した粉剤等の場合では、なおさらである。

(c) もつとも、証人北川徹三は、右の疑問点を意識してか、酢酸フエニル水銀農薬に関しては、その汚染機序を、「酢酸フエニル水銀農薬は、図〔14〕に示すように、有効成分は酢酸フエニル水銀の微粉末0.42パーセント(比重2.6)で、これと鉱物質微粉(タルク、パイロヒライト、消石灰)99.58パーセント(比重2.8)で組成されているが、これが貯蔵中に接触しメチル水銀を一パーセント生成する。この農薬が倉庫内浸水等により水中に分散すれば泥状となつて流出し、信濃川の塩水楔の中に入ると、有効成分である酢酸フエニル水銀は海水と反応して塩化フエニル水銀(比重2.8)となり、水に溶けにくい白い沈澱になる。そして、約一パーセントのメチル水銀も、海水と反応して塩化メチル水銀(比重4.1)となるが、右の塩化フエニル水銀の粒子の中に約一〇〇分の一ほど塩化メチルが吸蔵されて比重約三に近い粒子(図〔14〕の下方の図)になる。この粒子は、信濃川から沿岸流にのり、さらに阿賀野川の塩水楔にのつて遡上し、塩水が動いている間はコロイダルになつており、しばらく静止すると自然に沈降する。したがつて、塩水楔の先端においてこの粒子は沈降し、塩化フエニル水銀と塩化メチル水銀との溶解度の違いから、後者は粒子の中から抽出され比較的高い濃度の層がまわりにできる。かような状態になつて沈降しているところへ、図〔15〕に示すように、塩水楔が退いた後ニゴイ、マルタなどの底棲魚がきて、餌をあさりあるいは粉塵を舞い上げるときに、このコロイダル粒子をえらに付着させるため、これら川魚に不均質な濃厚汚染が生ずる。」旨証言している。

しかし、右北川説は、一応(b)の疑問に専門的に説明を与えてはいるものの、これまでの認定事実に第二回、第五回検証の各結果を考え併せると、信濃川河口の新潟港内、信濃川の塩水楔先端部、あるいは日本海沿岸においても、右にいうコロイダル粒子が沈降しうる場所は数多く想定されるにもかかわらず、何故阿賀野川の塩水楔に入るまでの間に、沈降静止し塩化メチル水銀が水中に溶解しないのか、との疑問が残るばかりでなく、右粒子は比重約三に近いもので水中に沈降するものとされているだけで、その粒度が明らかにされていない以上(乙第三一五号証では、クミスイ粉剤の規格だけがわかるだけで、これをもつて他の粉剤や北川説にいう粒子の粒度を推認することはできない。)、これが塩水楔において遡上しうる懸濁物(浮遊砂)と同一の挙動を示すのか、速断できないところである。

そして、〈証拠〉によると、福島の調査時において、阿賀野川河口の塩水楔現象の起る地域内で、信濃川に棲息するものと同一種類の珪藻が沈積していたことが認められるが、このことから直ちに北川説が実証されたものと考えることはできず、結局北川説も実証的に裏づけられたものではなく(なお、コロイダル粒子の生成やこれが水中での挙動は実験可能のものと考えられる。)、塩水楔による汚染経由の理論的可能性を説明したにとどまり、またそれが理論的可能性である限り、これを全面的に否定する証拠はない。

(二) 通船川経由の汚染

(1) 地震およびその後の津波による通船川と沿岸地域の被災状況は、すでに認定したとおりである。

それによると、地震の主動によつて、通船川津島屋付近入口は閉ざされてしまつたのであるから、その後の津波が新川出口から遡上したとしても、そのまま阿賀野川に侵入することは不可能であつた。また、通船川一帯の湛水は、地下水の噴水、阿賀野川河口およびその西海岸を越えてきた津波の侵入によつて浸水したものであるから、信濃川河口、新川出口から通船川へ遡上する津波がどこまで達したのか必らずしも明らかでなく、第三波の最高波のとき以外は大きく遡上したものとは考えられず、通船橋を越えた痕跡は見当らない。そして、地震後二日目の六月一八日、上流は新川排水機場、下流は鴎見鉄橋下でそれぞれ締め切り、付近一帯の湛水を通船川に排水し、それを上流は阿賀野川へ、下流は信濃川へ排水した。したがつて、仮にこの湛水中に新潟港内からの津波が侵入していたとしても、すでに検討した埠頭倉庫の被災状況や農薬の流出状況から考えると、農薬が一時的、大量に運び込まれたことは想像もできないところであり、しかも通船川上流は、特に地下水や他の経路による浸水が激しかつたところであるから、仮にこの中に新潟港内からの汚毒水が入つたとしても、本件中毒症を惹起しうる量が上流締切部から阿賀野川に排水されたとは到底考えられない。なお、被災農薬が六月一八日以降に埠頭内倉庫から流出したとしても、通船川滞水部分にこれが入り得ないことは、もはや説明を要しないであろう。

(2) 被告は、通船川経由の汚染を裏づける事実として、通船川の水銀汚染をあげている。すなわち、〈証拠〉によると、被告が昭和四一年九月一七日から一二月一五日までの間に採取して分析した阿賀野川、信濃川および通船川の泥の銀分析値は、図〔16〕のような分布を示しており、また社団法人分析化学研究所が昭和四一年一一月一一日採取した焼島潟内の泥からは、総水銀値で6.5ないし26.9ppm(メチル水銀値はゼロ)を分析していることが認められる。

しかし、右の通船川における水銀値の分布は、図〔16〕を一見してもわかるように、被告の主張するように信濃川方向に向つて高いというものではなく、焼島潟、県営貯木場付近の水銀値が高いことを示しているものと解すべきところ、この地帯が右測定時、すでに新潟市の工業地帯であつたことは当裁判所に顕著な事実であり、甲第一〇二号証によると、昭和四五年一〇月ころには、通船川の汚染は、その河水がそのまま写真現像液の役目を果すほど雑多な物質によつて強く汚染されていることが窺われるほどであるから、通船川、特に焼島潟、貯木場付近の泥に総水銀値が高い(メチル水銀値はゼロ)ことをもつて、被告主張の通船川経由による汚染を裏づける事実とすることはできない。また、そうだとすれば、〈証拠〉から明らかなように、国立衛生試験所が昭和四〇年六月一九日阿賀野川の通船川排水機場付近の水から、0.009ppmの総水銀を検出したこと、および乙第一九一号証(昭和三九年七月二一日撮影の航空写真)に、通船川の排出水が濁つて写つていることなどの事実も、被告の主張の裏づけとなるものではない。

したがつて、通船川経由による汚染の可能性は極めて乏しく、阿賀野川河口付近の川魚の汚染原因を検討するに際しては、これは無視しうるものといわなければならない。

(三) 不法投棄による汚染

〈証拠〉によると、被告主張のように、昭和四一年一一月一一日ころ阿賀野川左岸泰平橋付近河川敷において、また同年一一月二九日ころ同川泰平橋上流河川敷において、それぞれ不法投棄された農薬が発見されたことが認められる(被告主張の昭和四三年三月二五日の不法投棄は、乙第一九四号証、第一九五号証のみでは未だ認められない。)。

しかし、これが三年前の本件中毒症の発生とどのように結びつくかは主張、立証されていないから、不法投棄による汚染は、本件では全く無視するほかはない。

以上検討の結果の結論として、(一)ないし(三)の汚染経路は、いずれも実証的裏づけにより科学的に解明されることはなかつたが、その可能性があるとして残されるものは、(ⅱ)の塩水楔による汚染のみであり、他の汚染経路は、すべて可能性すら極めて乏しく、本件中毒症の因果関係の判断に際しては、これを除外できるというべきである。

五  汚染の態様と工場排液説、農薬説との関係

本件中毒症発生当時の阿賀野川の汚染態様について、特に被告は、新潟地震後の一時的、かつ、河口付近の局地的なアルキル水銀の濃厚汚染であり、これは工場排液説では説明できないが、農薬説によれば容易に説明できる現象である旨主張している。

そこで、以下阿賀野川の汚染態様と工場排液説(以下「甲説」という。)および農薬説(以下「乙説」という。)との関係について検討する。

1汚染の時間的態様と両説

(一) 患者発生の時期

(1) 患者全体の発生時期について

(イ) 本件中毒症患者の個々の発病時期については、後記第五の五に認定のとおりであるが、その初発時期については必らずしも明らかにすることができない者もあり、患者全体の発病時期を時間的現象として正確に把えることはできない。しかし全体としての患者の発生が、昭和三九年後半から昭和四〇年中にほとんど集中していることは、すでに検討したとおりである。

また、後記第五に認定のとおり、これら患者はすべてその発病前に阿賀野川の川魚を相当日数の間続けて摂食したところ、患者が病因物質を体内に取り入れても、発病するまでにいわゆる潜伏期間の問題を無視することはできないので、患者の発病時期の見地から汚染の時間的態様を知るためには、右の潜伏期間を考慮して検討しなければならない。そこで、これを検討してみると、甲第五〇号証および証人徳臣晴比古の証言によると、熊本の水俣病の症例として、一五才の中学生が昭和三三年七月二日ころから七月一〇日ころまで水俣市茂道湾のワタリガニを一日一〇匹位食べ続けて、七月末より全身倦怠、易疲労、上肢末端にしびれなど感をじ始めたこと(但し、七月以前にも摂食したかどうかは不明)、すでに認定したように、チッソ水工俣場では昭和三三年九月ころから排水口を変更して水俣川に流したため、その後同川河口付近の川魚を摂食したものから水俣病患者がつぎつぎと発生したところ、これが第一例は昭和三四年二月下旬、第二例は同年三月下旬、第三例は七月初旬、第四例は同年九月、第五例は同年六月にそれぞれ発病したことが報告されている。また熊大で水俣湾産の汚毒魚介類を猫に経口投与した実験では、投与開始後多くは一ないし二か月、遅いものは一〇〇日以上経過して発病したこと、新大で同様に阿賀野川産の汚毒魚を猫に経口投与した実験では、投与開始後約四か月後に発病したことは、すでに認定したとおりである。さらに、本件中毒症では、前述したように、昭和四〇年六月二八日ころ県衛生部が阿賀野川沿岸住民に対して漁獲禁止の行政指導をしており、しかも、〈証拠〉によると、このころはすでに本件中毒症が第二の水俣病の疑いがあるとして、水俣病の恐ろしさ、患者の悲惨さが各種報道機関によつても報道されていたことが認められるから、沿岸住民、特に既発症患者を出している家族やその付近部落民は、当時以降川魚を摂食していなかつたものと推認できる(本件全証拠を検討しても、右摂食の事実を肯認すべきものは見当らない。)ところ、何ら合併症の疑いがない者においても右漁獲禁止後(川魚摂食中止後)一年以上経過して発病した者もあることは、後記認定のとおりである。

これらの事実にかんがみると、本件中毒症のいわゆる潜伏期間は、一か月以上数か月、あるいは一年以上のこともあることがわかり、しかして、右発症が魚介類を摂食することに起因している以上、発病に先行する魚介類の体内における汚毒物蓄積の時間も加算して考えなければならない。

(ロ) これを両説との関係で検討すると、主に地震後に患者発生が集中している現象は、甲説では明確に説明しにいくところである。すなわち、鹿瀬工場のアセトアルデヒド部門の操業が、昭和四〇年一月に停止されるまでその生産量は年々増加していることを理由として、原告らはこれと患者発生の集中化とを関連させて主張しているが、この点の立証がなかつたことは前記のとおりである。また、地震により阿賀野川河口付近の河相、特に河床に大きな変化があつたが、これが汚染の集中化にいかなる影響を与えたかも不明である。しかし、潜伏期間の問題を考慮すると、地震前における阿賀野川の汚染も問題になるところ、この点は甲説でなければ説明がつかない。

他方、乙説によると、この患者全体の発生の時期的集中化は、汚染の集中化を意味するものとして説明し易い現象といえよう。ただ、潜伏期間の把え方次第では地震前の汚染が必須の要件となり、その場合は全く説明がつかないこととなる。

(2) 亡患者南宇助について

(イ) 本件中毒症患者らのうち、亡南宇助が地震後の昭和三九年八月下旬に発病したことは、後記第五の五に認定のとおりである。

(ロ) 同患者の発病時期は、潜伏期間の点を考慮すると乙説では説明しづらい現象である。すでに検討したように、乙説のうち可能性が残つているのは塩水楔による日本海経由汚染のみであるが、この塩水楔による遡上は流量に関係するということであるから、阿賀野川河口患者発生地域にまで塩水楔が入りうるのは、地震直後から七月二日までと、七月二七・二八日以降ということになる(表〔33〕)。ところが、前者の塩水楔の時期には、新潟港内の農薬が港外、日本海へ流出されにくい状況にあり(前記四の3の(一)の(3)の(ロ)の(a))、、仮にこれが流出され阿賀野川における塩水楔の遡上流にのつてその先端部に沈積したとしても、証人北川徹三の証言によると、その後七月三日からの大豪雨により、沈積浮遊物は洗掘されて海へ押し流されたはずであるから、塩水楔による汚毒物の侵入沈積があるとすれば、後者の七月二七日・二八日以降からの塩水楔によるものと考えるほかはない。しかし、後者の塩水楔による汚染では、八月下旬の発病は、前述した潜伏期間を考慮に入れると、極めて例外的現象と把えない限り説明しにくいところである。

(3) 原告(64)今井春吉について

(イ) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告(64)今井春吉は、従来、新大において昭和三九年一〇月発病したものと診断されていたが、その後昭和四三年九月ころ椿らが従来の認定患者について再調査をしたところ、その際同原告が昭和三九年六月四日新大眼科で診断を受けたことがあり、その時のカルテ(甲第五九号証の一)により、当時同原告に左眼外視野欠損の視野狭窄があつたことを発見した。そこで、椿らは、これをもとに同原告を再診察したところ、同原告には従来一般に視野狭窄の原因として考えられている網膜自身の病気(網膜色素変性、網膜の炎症等)、神経系脳腫瘍、ヒステリー等の病気についてはいずれもその疑いがなく、その後(同年八月)の眼科所見では、両眼とも視野狭窄が現われ、しかもそれが前の視野狭窄の原因と別の原因によるものであるとは考えられず、結局同一の症状が悪化したものと診断でき、さらに同年八月ころから本件中毒症の主徴である知覚障害等が顕在化していること、本件中毒症(アルキル水銀中毒)の特性から考えて、患者に知覚障害の前に視野狭窄が顕在化しても不合理ではないこと、同原告は従来から漁期には毎年阿賀野川の川魚を多量に反復、摂食していて、昭和四〇年六月測定の頭髪水銀量は七七ppmと健康人のそれよりも高いことなどを理由に、同原告の昭和三九年六月四日の前記視野狭窄を本件中毒症に基因するものと診断したことが認められる。鑑定人水川孝の鑑定の結果は、右椿の診断に必らずしも牴触するものではなく、そのほか右認定を覆すにたりる証拠はない。

したがつて、同原告は、昭和三九年六月四日ころ本件中毒症に罹患していたものと考えるほかはない。

(ロ) 同原告の初発時期については、地震後に汚染が始まる乙説では説明のつけようがなく、説明できるのは甲説のみである。

(4) 原告(45)五十嵐松男、同(29)村木藤四郎、同(6)桑野忠吾について

原告らは、右三名がいずれも地震前に発病していた旨主張する。しかし、甲第九七号証の三、二〇、五一(診断書)には、原告(45)五十嵐松男が「昭和三七年、八年ころから」、同(29)村木藤四郎が「新潟地震以前から」、同(6)桑野幸吾が「昭和三八年一〇月から」各症状を訴えた旨の記載はあるが、同証拠によつても明らかなように、これらはあくまでも患者の主訴のみに基づくものであり、甲第四二号証によると、昭和四〇年の一斉検診の際、これらの患者はその都度当然症状を訴えていると思われるにもかかわらず、新大(臨床研究班)によつて、それらが本件中毒症の症状としては採用されていないことが推認できるから、前記三原告の主訴にかかる時期を本件中毒症の発病時期と認めることはできない。

(二) 長髪水銀量の経時変化

(1) 原告(7)桑野リイら六例について

(イ) 〈証拠〉によると、椿らは、昭和四〇年七月から九月までに、患者およびその家族の婦女子から頭髪を採取し、その含有水銀量(総水銀)を分析したところ、そのうち水銀量の高い六例について、頭髪の成長速度を測定して対応した経時変化をみると、図〔17〕のとおりであつたことが認められる。このうちR・Kは原告(7)桑野リイである。

被告は、〈証拠〉により、同原告の頭髪については、三センチメートル刻みに分画したことになつているが、実際は他の人と同様一センチメートル刻みであることがわかつたから、甲第四二号証のこの点に関する記載は誤まりであり、同書証の記載による図〔17〕の経時変化は、その水銀値の間隔が時間的に後へ繰り下がるはずである旨主張する。しかし、同証言においても、「同原告の分画の長さについては、他の人と区別しなかつたような気がするが、はつきりしない。」としており、その点はともかく、頭髪の成長率との対応(時期の補正)については正確にしていたことが認められるから、同証言によつても、被告主張のように右図のグラフを修正する必要はない。

(ロ) そして、図〔17〕のグラフを全体的にみると、地震後に水銀量が急増し昭和四〇年初めころがピークになつているから、この点に関する限り、乙説の方が説明し易いこととなる。しかし、すでに認定した事実に、証人椿忠雄、同喜田村正次の各証言を考え併せると、人が水銀を経口摂食してもそれが頭髪に出るまでには、一度に多量の水銀をとらない限り数か月間は必要とされまた体内に侵入した水銀は一方では分解、排泄しているから(但し、有機水銀は無機水銀に比べて排泄しにくい。)、これら事実からすると、右六例の者らは頭髪水銀含有量以上の水銀を体内に摂取していたことが推認できる。したがつて、右六例の頭髪水銀量の経時変化により汚染の時間的態様を知ろうとするときは、数か月前へ繰り上げて考えなければならない場合があり、しかもその水銀値以上のものが体内に侵入したものと計算する必要がある。

特に原告(7)桑野リイの例について検討してみると、グラフがそのまま汚染時期を示していると考えてみても、地震前から五〇ppmを超え、地震時すでに一〇〇ppm程度に達しているのであり、このことは、バックグラウンドの点を考慮しても、地震前からの長期汚染を示すものとして、乙説では説明できない現象である。

もつとも、〈証拠〉によると、農村地帯における婦人の頭髪水銀量は、川魚を摂食しないものでも二〇ないし六〇ppmある例が報告されているが、少なくとも阿賀野川流域に関する限り(問題となるのは、同流域におけるバックグラウンドである。)、そのような例があることは立証されておらず(甲第四二号証三二八頁には「二〇ppm以上」とあるだけで、それ以上の特定はない。)、かえつて〈証拠〉によると、日本人の健康人の頭髪水銀量は二〇ppm以下程度であることが認められる。なお、被告は、同原告の居住する地域には、昭和三九年七月に三回にわたり有機水銀農薬が空中散布され、同原告がこれに被曝したのではないか、との主張をしている。しかし、本項で問題とされるのは、前述したところから明らかなように、地震当時における同原告の頭髪水銀量であるところ、被告の右主張が地震後における被曝の可能性を論じていることはその主張自体明らかであるから、右主張は前記結論を何ら左右するものではない。

(2) 遠藤ツギについて

(イ) 〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨によると、阿賀野川上流鹿瀬町居住の遠藤ツギは、夫好三郎がその居住地付近の阿賀野川(鹿瀬工場排水口下流)から釣つてきた川魚(ハヤ、ビワコブナ、ニゴイ等)を多量に摂食してきたが、特に昭和三九年五月から一〇月ころまでの間と、昭和四〇年五月から九月中旬までは、夫がほとんど毎日釣つてきたため連日のように摂食していたこと、そのため椿らが、昭和四〇年一二月九日ころ同女の頭髪を採取して含有水銀量を分析したところ、多量の総水銀とメチル水銀を検出したこと(メチル水銀は、ECDガスクロによる。)、そこで、同女の頭髪の成長率に対応させて頭髪水銀量(総水銀)の経時変化をみたところ、図〔18〕に示すようになつたことが認められる。

被告は、「遠藤ツギの夫好三郎は、昭和三九年五月以前および同年一一月より昭和四〇年四月まで川魚を釣れない状態にあつたから、この間ツギの頭髪に約一〇〇ppmもの高水銀を保有していることは、その頭髪水銀値と川魚の摂食とは相関関係がなく、もし川魚の摂食が原因であれば、夫好三郎の頭髪にも同様の水銀値がなければならない。」旨主張している。しかし、〈証拠〉を考え併せると、夫好三郎は昭和三九年五月以前町役場に勤務していたが、勤務期間中も出勤前後に川釣に行つていたこと、その後昭和三九年一〇月八日から一一月二八日まで脳軟化症で入院し、昭和四〇年一二月五日からも突然意識昏迷、半身不髄等で再入院したため、その間川釣はしなかつたが、同家では釣つてきた川魚を干魚にして保存し、その後も摂食していたこと、さらに好三郎の頭髪水銀量は確定し得ないが、(甲第四二号証(最終報告書)では昭和四〇年一二月二七日75.0ppm、乙第三五号証の三(中間報告書)では同日5.0ppm、同第四五号証の一、二(津川保健所同年一二月二二日付通知文書)では5.0ppmとそれぞれ記載されているから、そのいずれが正しいのか明らかでない。)川魚の摂食量と個体差(感受性の違い)により水銀含有量の差のあることが認められるから、右被告の主張は採用できない。

また被告は、遠藤ツギの頭髪水銀汚染は、「明らかではないが、」としながらも、散布農薬の付着によるものと推定している。〈証拠〉によると、遠藤ツギは、自宅で野菜、果樹を裁培しまた庭にはブドウ棚があり、これらの防虫に水銀農薬を使用したことがあること、また久留米大学医学部の実験研究の結果(乙第三一四号証)では、散布した水銀農薬の付着があると頭髪に高水銀値が残り、水洗いしても容易に除去されない例が報告されていることが認められるが、ツギがどの程度水銀農薬を使用し、どの程度の付着汚染を受けたものかは、全く主張、立証されていないばかりでなく、甲第四二号証によると、ツギと同じ上流付近住民で川魚を摂食しない農薬使用の婦人の頭髪水銀量は、最高22.2ppm(但し分析対象者三名)にすぎなかつたから、同地域のバックグラウンドとして農薬による高汚染があつたものとは到底考えられない。

(ロ) そうだとすると、遠藤ツギの頭髪水銀量とこれが経時変化は、本件中毒症患者と同じく、阿賀野川の汚染川魚に原因があるものと考えるほかはなく、この現象は甲説のみで説明がつき、乙説では説明することが不可能である。

(三) 犬、猫の斃死、行方不明

(1) 患者発生地域等の犬、猫について

(イ) 〈証拠〉によると、臨床研究班が患者発生地区について犬、猫の斃死、行行方不明数を調査したところ、図〔19〕に示すように、昭和三八年から昭和四〇年五月までの間、飼育数合計猫一一六匹、犬七四匹のうち、斃死、行方不明は猫四二匹、犬一二匹であつたこと、また、疫学研究班が患者の家庭二六例についてその飼育犬、猫の同様の調査をしたところ、表〔36〕のとのり、猫は計一五匹、犬は二匹が斃死、行方不明であつたことを認めることができる。

(ロ) 右図〔19〕および表〔36〕のうち、犬については、数も少なく阿賀野川の汚染との関係は全く不明であるが、猫については、その死亡の原因がすべて明らかではないとしても、本件中毒症の患家(家族の多くがその後発病している。)において、斃死例がほぼ患者発生の時期と一致して多いことは、阿賀野川の川魚汚染と無関係ではないものと思われる。そして、その関係を肯定する限り、猫の斃死数等は、昭和三九年秋ころから昭和四〇年春ころに集中しているから(もつとも、昭和三七年以前と昭和四〇年以降は調査対象外なので、それとの比較はできない。)、猫についても潜伏期間の問題があるとしても、この現象は乙説の方が説明し易いものと思われる。

(2) 原告(6)桑野忠吾家の猫について

(イ) すでに認定した事実に、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、一日市部落に居住の漁師である原告(6)桑野忠吾宅では飼育猫に阿賀野川から獲つた川魚(ニゴイ、マルタ等)を与えていたところ、①昭和三七年から昭和三八年秋ころまでの間、②昭和三九年五月ころから秋ころまでの間、③昭和四一年三月中および④昭和四二年七月ころの四回にわたり猫が狂死したこと、これら斃死猫は、いずれもよたよた歩き、痙攣、ヨダレを流し、狂つて暴れるなどの症状を呈し、ついには狂死したこと、このうち③の猫については、死亡直前に新大公衆衛生学教室に送られて調査されたが、前記二の1の(一)の(3)の(ロ)に認定のとおり、毛髪に一七五ppmの総水銀量が含有され、剖検した結果アルキル水銀中毒症に一致する組織病変があつたことが認められる。

ところで、〈証拠〉によると、猫が中毒症状を呈するのは、殺鼠剤を食べた鼠を摂食した場合にも多くみられ、これら殺鼠剤のうち、弗素剤(フラトール等)によつても中毒症状を呈し、殊にタリウム殺鼠剤の場合には、有機水銀中毒症と極めて酷似した症状を呈し、このことは猫にタリウム剤を投与した発症実験によつても確かめられ、また、熊本の水俣病の原因物質を究明する段階では、専門家の中にタリウムを原因物質と考える者もあつたこと、そして、フラトールおよびタリウム殺鼠剤は、昭和三九年当時新潟市付近においてもかなり使用されていた疑いもあることが認められるから、これらの点から考えると、桑野宅の猫の斃死が殺鼠剤に原因するものではないかとの疑いもなくはない。しかし、前認定のように、四匹のうち一匹の猫については、新大において毛髪に高水銀値があり、アルキル水銀中毒症猫と同一の病変があつたことが確認されており、これを含む四例がともに同一環境下で同一の川から獲れた川魚を摂食し、その結果同一症状を呈して狂死した(同原告は、前掲尋問の結果中において、飼育していた猫が殺鼠剤を摂食して狂死した事例にも遭遇したが、この場合の症状は前記四例のそれと明らかに区別できた、と供述している。)のであるから、他の三例も③と同様にアルキル水銀中毒で斃死したものと考えることがむしろ自然であるというべきである。

(ロ) そうだとすると、右四例の猫のうち①の猫の斃死については、その当時からの阿賀野川汚染を示すものとして、乙説では説明のしようがないといえる。

(四) 阿賀野川河口における豊漁、川魚の異常挙動

(1) 〈証拠〉および弁論の全趣旨を総合すると、地震後の昭和三九年一〇月ころから翌年三月ころまでの間、阿賀野川河口付近を中心に、例年に見られない多くの川魚の浮上、異常挙動があり、かつ、異常に豊漁であつたことが認められる。

原告らは、その以前にも川魚の異常挙動等があつた旨主張するが、それが本件と関係するものであることの立証はない。すなわち、地震以前の昭和三四年一月、鹿瀬工場のカーバイト発窄捨場が決壊した際、阿賀野川の川魚が多量に死んで浮上した事故があり、沿岸漁民の要求に応じて被告が補償金を支払つた事実があることは、被告の自認するところであるが、右川魚の浮上事故が鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程の排水に関係するものかどうかについては、何ら主張、立証されていない。また、証人〈略〉の各証言、原告〈略〉各本人尋問の結果の中には、阿賀野川には地震前から「赤濁水」、「白濁水」あるいは「鹿瀬の毒水」といわれる汚毒水が流れたことがあつたとされているが、これが本件中毒症発生と関連する汚染かどうかについては、立証されておらず、全く不明である。

(2) そして、右のように地震後一定の時期に阿賀野川に「異常豊漁」があつた事実は、その時期に汚染が強まつたことを示唆するものであり、この点からみる限り、乙説の方が説明し易いことは否定できない。すなわち、甲説では、鹿瀬工場の排水中にメチル水銀量の急増、あるいは地震による河床変動の影響等を考慮しない限り説明しづらいところである。

しかし、阿賀野川河口の川魚につき一定時期に「異常挙動」が集中したことは、必らずしも乙説にとつて有利な現象であるとはいえない。何故ならば、乙説の説くように、塩水楔により運ばれたメチル水銀が阿賀野川河口の川魚に異常挙動を惹起させたものであるとすれば、すでに認定したところから明らかなように、メチル水銀が同河口に達する以前の経路、すなわち、新潟港内、信濃川河口、および同所から塩水楔が遡上する八千代橋付近までに至る水域、あるいは信濃川と阿賀野川間の日本海沿岸等においても、異常豊漁がないのはともかく(前二者の水域には漁獲禁止区域が多いことは、当裁判所に顕著な事実である。)少なくとも、川、海魚の浮上などの異常挙動がなければならないはずであるところ、本件全証拠によつてもこれらの事実は見出し得ない。してみると、川魚の「異常挙動」は、必らずしも乙説にのみ根拠を与えるものとはいえない。

2汚染の場所的態様と両説

(一) 患者等発生の地域分布

(1) すでに認定したとおり、別紙〔五〕の患者等の居住地は、表〔9〕および図〔5〕に示すように、いずれも阿賀野川河口、横雲橋下流の両岸に点在する小部落に限定され、中流および上流には患者の発生を見ていない。

(2) このように、本件中毒症患者の発生が河口付近の沿岸住民にのみ集中していることについて、被告は、河口付近にのみ汚染があつたからであるとし、この現象は乙説でなければ説明できないものである旨主張する。しかし、汚染物の河口付近における沈降性から検討すると、乙説の塩水楔の遡上による汚染物の沈降でも説明ができるととともに、甲説においても、上流からの汚染物(浮遊物)が河口の感潮帯、特に塩水楔の先端部に沈降し易いものとされていることは、前記三の5の(三)の(3)の(ロ)で検討したとおりであり、一たび沈積した浮遊物は、流速の極めて大きい河水によつて洗掘されない限り、そのまま沈積してしまうことは、甲・乙両説のいずれにおいても同様である。そして、食物連鎖による濃縮、蓄積の可能性も否定はできないから、下流の沈積汚染物をあさつて餌とする底棲魚に高汚染があることの説明も困難ではない。

また被告は、時期的にみると、河口に最も近い下山部落から順次上流の部落へと患者が発生しているから、これは塩水楔の遡上の時期と地域が対応している旨主張する。なるほど、下山部落から原告(64)今井春吉、亡南宇助と早い時期に患者が出ていて、河口から遠い部落の患者発生が遅れていることは、被告主張のとおりであるが、今井春春吉の初発時期の点につき乙説が説明に窮することはともかくとしても、すでに検討したように、阿賀野川の流量との関係で地震後七月二日までの間に遡上したと考えられる塩水楔では、被告の解析結果(表〔34〕、〔35〕)によつてすら、被告の前記主張とは逆に、むしろ上流に近い江口部落(河口より約六キロメートル)付近から汚染が始まらなければならない理屈となる。もつとも、七月二七、八日以降の第二回の塩水楔による汚染の場合であると、下流からの汚染が説明し易くなるが、一方潜伏期間との関係において、南宇助の初発時期の点が説明しづらくなることは、前述のとおりである。

そして、患者らの家庭では、他の一般家庭に比べて極めて多量にしかもニゴイ、マルタ等を主に摂食していたことは、すでに検討したとおりであるが(表〔11〕ないし〔15〕)、これを上、中流の沿岸住民のそれと比較してみるため、ニゴイ、マルタ等の漁獲量の差を検討してみると、〈証拠〉を総合すると、患者発生地域と上、中流地域では、漁法の差があり、疫学研究班が調査した阿賀野川における漁業協同組合別のニゴイ、マルタの漁獲量は表〔37〕のとおりであつたことが認められる。しかして、右の調査結果では「漁協組合員一人当り一キロメートル当り」のニゴイの漁獲量を算出して、患者発生地域と上、中流地域とを対比させているが、このように漁協組合員につきすべて同一漁獲量と仮定して比較することの当否はともかくとしても、右のような「一人当り一キロメートル当り」のニゴイ漁獲量の対比は、本件の場合のように、大量摂食の前提となる大量捕獲を比較する際にはあまり意味がないというべきであり、むしろ単純に「漁協組合員一人当り」の漁獲高を算出する方がまだしも妥当であると思われる。そこで表〔37〕にしたがつてこれを求めると、松浜漁協1.26キログラム、大形濁川漁協5.07キログラム、大江山漁協1.54キログラム、阿賀野川漁協1.71キログラムとなり、患者発生が集中している地区である大形濁川漁協の組合員一人当りの漁獲量と、中流の阿賀野川漁協の組合員のそれとは、5.07対1.71ということになる。この漁獲量の差が河口における患者発生集中化の理由の一つであるかどうかは、必らずしも明らかではないが、証人喜田村正次はその専門的立場から、「生物体である限り、五対三の差でも汚染物を蓄積して発症するかしないかの重大な差となる。」旨証言している。

これを要するに、患者等発生の地域分布の点は、甲説でも説明しうる現象であり、乙説のみに根拠を与えるものではない。

(二) 患者等の頭髪水銀量の地域分布

(1) 上・中・下流沿岸居住者の頭髪水銀について

(イ) 甲第四二号証によると、疫学研究班は、阿賀野川上流、中流、下流で一、〇〇〇件以上の頭髪水銀量を測定したところ、その結果は表〔38〕のとおりになつたことが認められる。

(ロ) 右認定の事実によると、下流、河口に行くにしたがつて頭髪水銀の高度保有者が多くなる傾向は、一応乙説の根拠となりそうであるが、前述した浮遊物の下流地域での沈降性、食物連鎖による濃縮蓄積等のことを考慮すると、甲説でも説明ができなくはなく、反面、被告の解析結果においても、塩水楔の影響がほとんど及ばないとされている河口から一〇ないし二〇キロメートルの地域において、健康人の水銀値と考えられている二〇ppmを超える者が対象者二一九人中三九人もおり、さらに上流にも五名いることは、他に特別の汚染原因がない限り、河口付近の汚染と同一原因によるものと考えるほかはなく、これは乙説では説明しがたいところである。

(2) 鹿瀬町居住の遠藤ツギの頭髪水銀について

阿賀野川上流鹿瀬町に居住し同所付近の川魚を摂食していた遠藤ツギの頭髪水銀量が、高水銀(甲第四二号証、第四四号証の三八、証人椿忠雄の証言によると、メチル水銀量一五〇ppm以上が検出され、エチルその他の有機水銀は検出されなかつたことが認められる。)であつて、しかも川魚以外に汚染原因を求めることができないことは前記のとおりであるところ、これは甲説でなければ説明できない現象である。

(三) 阿賀野川河口付近の川魚の異常挙動

地震後、阿賀野川河口付近の川魚に浮上等の異常挙動があつたが、これが必らずしも乙説にのみ根拠を与えるものでないことは、前記1の(四)の(2)に説示したとおりである。

(四) 阿賀野川の魚類、藻類、泥、水の水銀分布

(1) 〈証拠〉を総合すると、試験研究班および水産庁は、県衛生部と日本海区水産研究所により昭和四〇年六月から一〇月までの間採取された阿賀野川の魚介類および底棲生物の検体一、〇〇〇件余について、その含有水銀量を測定したところ、その主な結果を抜すいすると、表〔39〕のとおりであつたこと、試験研究班員である東京理科大学衛生化学教室は、河口付近一日市部落の居住者である原告(14)近喜代一宅(同家では一名死亡している。)で干魚にしていたウグイを分析した結果、総水銀量一四〇ppm、有機水銀量四〇ppm(但し、乾重量)を検出したこと、さらに試験研究班は、阿賀野川の土壌、水等についてもその含有総水銀量を測定したが、その結果は表〔40〕のとおりであつたことが認められる。

そして、新大滝沢ら、神戸大学および国立衛生試験所が、鹿瀬工場の排水口およびその下流の水苔から、表〔16-1〕〔16-2〕、図〔9〕のとおり、多量の総水銀を検出し、メチル水銀も検出したことは、すでに検討したとおりである(なお、甲第四二号証には、東京歯科大学の測定した総水銀量の成績が載つているが、他の測定機関のものに比較して、上流、下流、信濃川を問わず、いずれも著しく水銀値が高くなつているところ、証人喜田村正次の証言によると、同大学の成績は、右の点に関する限り、分析担当者の操作上のミスによる疑いが濃いから、採用できない。)。

(2) しかして、右の事実によると、一日市の干魚や津川のウナギ(〈証拠〉によると、ウナギには遡上性があることが認められ、また弁論の全趣旨によると、右ウナギの分析値は干魚と同じ乾重量の疑いがあり、湿重量では、さらに低くなる。)の例を除外して考えるとしても、河口付近の下山、津島屋、一日市付近で採取されたニゴイで21.0ないし23.6ppm、ライ魚で12.3ppm、マルタでも4.6ないし8.38ppmの総水銀量が測定され、河口付近に汚染が強いことを示しているが、前記のように塩水楔による影響がほとんどないと考えられる横雲橋付近(河口より一四ないし一五キロメートル)が採取された川ガレイに17.0ppm、ナマズに8.0ないし12.0ppm、さらに鹿瀬工場排水口下流のマルタで5.48ppmの水銀量を検出するなど、ばらつきはあるものの、上・中流水域や塩水楔の遡上外であると考えられる下流水域の川魚にも、高い水銀値を認めることができる。

被告は、右上・中流水域の川魚の全魚種における平均値は2.0ppm程度にすぎないから、一般農村地帯の川魚水銀値と何ら異なるところはない旨主張し、富山県神通川などから採取した川魚の水銀値の資料(乙第五六号証、第五七号証の一、二)を提出しているが、乙第二四二号証および証人北川徹三の証言によると、人工的汚染のないといわれる水域に棲息している川魚の魚体には、総水銀で0.5ないし0.3ppm程度が含まれているといわれていることが認められ、また、甲第四二号証によると、疫学研究班が昭和四一年、四二年に採取した信濃川と阿賀野川のフナ、ニゴイ、マルタの総水銀平均値の比較をしたところ、後者の川魚水銀量が前者のそれよりも著しく(一〇倍以上)高かつたことが認められること、さらに表〔39〕の検体採取時期は、前記認定のとおり、地震から一年以上、また鹿瀬工場アセトアルデヒド製造停止から半年以上それぞれ経過した後であることなどを考慮すると、阿賀野川のバックグラウンドにおける水銀汚染が被告主張のとおりであることは、到底認められない。

鹿瀬工場から、その量はともかくとして無機水銀が工場排水とともに阿賀野川に放出されていたことは、被告の自認するところであるが、現に工場排水口やその下流の水苔には、排水口の上流の水苔(表〔16-2〕)に比較して、一〇〇倍以上の高水銀値(表〔16-1〕)が検出され、メチル水銀〔(検体番号1、2、9、10、11、13)を検知されている。しかして、〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、上流に水銀鉱床地帯を有する奈良県芳野川などのように、天然においてメチル水銀が存在する例があり、工場のない河川の魚介類においても0.1ppm程度のメチル水銀が含まれていた例も報告されてはいるが、一般に汚染のない水域に棲息する魚体内には、前記のとおり総水銀すら微量をとどめているのであつて、一般的にメチル水銀が天然に存在するかどうかについては学説の分れるところではあるが、少なくとも現在においては、これを否定し、メチル水銀は人工的にのみ合成されると考える説が有力であり、特に阿賀野川においては、芳野川のようにメチル水銀が天然に存在するという自然環境にないことが認められる。そうだとすると、鹿瀬工場排水口付近の水苔からメチル水銀が検知されたことは、甲説に有力な根拠を与えることとなる。

さらに、土壌、水の汚染分布では、上流から下流まで全域にわたつて高水銀とはいえないが、鹿瀬工場の排水口付近が高水銀量(表〔40〕検体番号222-1、222-2、理20、86、88、89等)であることは、下流に対する汚染の可能性を裏づけるものである。もつとも、すでに認定したように、被告が昭和四一年九月から一二月までの間、阿賀野川、信濃川等の泥を採取しその含有水銀量を測定した結果は、図〔16〕のように分布されており、これによると、新潟港内の各埠頭付近における泥の含有水銀量が阿賀野川河口のそれよりも高いことが認められる。そこで、被告はこの点を把え、汚染源(埠頭)に近いほど水銀量が高い旨主張し、乙説の根拠としようとしているのであるが、他方、被告の調査分析より一年以上も早い時期における試験研究班の調査結果では、表〔40〕に示されているように、被告のそれとは全く逆に、各埠頭付近の泥の水銀量は阿賀野川の河口のそれよりも低いことが明らかである。そして、乙説の裏づけのためには、単に新潟港内の汚染だけにとどまらず、信濃川と阿賀野川との間の日本海沿岸付近の汚染も検討しなければならず、これが調査が困難でないことは、表〔40〕に右地域のデータが掲げられていることからもたやすく推認できるところ、前記被告の調査結果では、これを裏づけるものはなく、これは被告の調査においてはその対象から特に除外しているのではないかとも思われる。

これを要するに、阿賀野川の魚介類、藻類、泥、水等の含有水銀量の地域分布は、乙説のみに根拠を与えるものではなく、甲説によつても説明ができる現象というべきである。

(五) 三川村の斃死猫の水銀値

〈証拠〉によると、滝沢らは、昭和四六年三月一四日午後一時ころ京都大学理学部高見優および県衛生研究所係官らが、阿賀野川の上流である東蒲原郡三川村上城三、九四七番地付近地内から発堀した斃死猫を剖検した結果、臓器(骨)中に総水銀およびメチル水銀を検出したこと、右猫は同村大字小石取三、三六一番地神田慶義宅に昭和三二年ころから飼育されていたところ、昭和三九年九月ころ狂死したものであることが認められる。

原告らは、右猫から水銀を検出したことをもつて上流汚染を裏づける事実として主張するが、右猫がどのような環境下で飼育され、阿賀野川の汚染川魚をどれほど摂食したかについての主張・立証がない以上、これを本件中毒症の因果関係と結びつけて議論することはできない。

3被告の統計的観察と汚染態様

被告の社員である証人篠原彰男は、阿賀野川の汚染態様と甲、乙両説との関係について、統計学的手法により、その現象をもつぱら係数的に比較検討したうえ証言しており、同証言中には、前記1、2項に検討した結論と相反する部分が少なくない。

しかし、統計学的検討を行なうとしても、その対象である現象が、自然界において同じような条件で同じように起りうるものであれば格別、本件のように、メチル水銀による自然界の汚染が係数的に同じような現象を起すものではないことは論ずるまでもなく、仮に統計学的に意味のない例外的な現象であつても、それが本件中毒症の原因追求(汚染源の追求)に重要な意味があるかどうかは、その現象に関連する諸科学によつて有機的に判断を加えなければならず(その際、疫学のように、統計学を有機的にとり入れることがあることは、当然である。)、これを単に係数的に検討し、統計的手法のみで結論を出してみても、本件証拠資料としては価値に乏しいといわなければならず、前記証言部分は採用の限りではない。

4以上を要するに、阿賀野川の汚染の時間的態様と甲、乙両説との関係では、患者発生・長髪水銀量の経時変化におけるピーク、猫の斃死数、川魚の豊漁などが一定の時期に集中しているということ、換言すると、従来かような現象がなかつたか、あるいは少なかつたということは、汚染の時期的集中を意味しており、これは甲説よりも乙説の方が説明し易い点が多い反面、乙説では説明しずらい点もあり、特に患者の初発時期、なかんずく原告今井春吉の初発時期、原告桑野リイ、および遠藤ツギの各長髪水銀の経時変化、ならびに原告桑野忠吾宅の猫のアルキル水銀中毒死などは、甲説による以外説明できず、乙説とは両立しない現象である。

また、汚染の場所的態様との関係をみても、河口付近部落において患者発生が集中していること、頭髪水銀量が下流住民ほど高いこと、河口付近の川魚体内に高水銀があることなどは、甲説でも説明がつくとはいえ、乙説の方が説明し易い現象であるといえよう。しかし、乙説にも不利な現象があり、特に鹿瀬町居住の遠藤ツギの頭髪に高水銀が含有されメチル水銀も検出されたこと、および鹿瀬工場排水口付近の水苔からメチル水銀が検出されたことなどは、乙説では到底説明できないところである。

したがつて、説明の難易はあるとしても、甲説では阿賀野川の汚染態様との関係を一応矛盾なくすべて説明することができるのに対し、乙説ではこれと矛盾し説明不可能な現象もあることとなる。

六  本件中毒症の原因

1ところで、不法行為に基づく損害賠償事件においては、被害者の蒙つた損害の発生と加害行為との因果関係の立証責任は被害者にあるとされているところ、いわゆる公害事件(ここでは、便宜、公害対策基本法第二条にいう定義を用いる。以下同じ。)においては、被害者が公害に係る被害とその加害行為との因果関係について、因果の環の一つ一つにつき、逐次自然科学的な解明をすることは、極めて困難な場合が多いと考えられる。特に化学工業に関係する企業の事業活動により排出される化学物質によつて、多数の住民に疾患等を惹起させる公害(以下「化学公害」という。)などでは、後記のところから明らかなように、その争点のすべてにわたつて高度の自然科学上の知識を必須とするものである以上、被害者に右の科学的解明を要求することは、民事裁判による被害者救済の途を全く閉ざす結果になりかねない。けだし、右の場合、因果関係論となる点は、通常の場合、①被害疾患の特性とその原因(病因)物質、②原因物質が被害者に到達する経路(汚染経路)、③加害企業における原因物質の排出(生成・排出に至るまでのメカニズム)であると考えられる。ところで、①については、被害者側において、臨床、病理、疫学等の医学関係の専門家の協力を得ることにより、これを医学的に解明することは可能であるとしても、前記一に認定したような熊本の水俣病の例が端的に示しているように、そのためには、相当数の患者が発生し、かつ、多くの犠牲者とこれが剖検例が得られなければ、明らかにならないことが多く、②については、企業からの排出物質が色とか臭いなどにより外観上確認できるものならばいざ知らず、化学物質は全く外観上確認できないものが多いため、当該企業関係者以外の者が排出物の種類、性質、量などを正確に知ることは至難であるばかりでなく、これが被害者に到達するまでには、自然現象その他の複雑な要因も関係してくるから、その汚染経路を被害者や第三者は、通常の場合、知り得ないといえよう(こうした目に見えない汚染に不特定多数の人が曝らされ、しらずしらずのうちに健康を蝕まれ、被害を受ける、というのが、むしろこの種公害の特質ともいえよう。)。そして、③にいたつては、加害企業の「企業秘密」の故をもつて全く対外的に公開されないのが通常であり、国などの行政機関においてすら企業側の全面的な協力が得られない限り、立入り調査をして試料採取することなどはできず、いわんや権力の一かけらももたない一般住民である被害者が、右立入り等をすることによりこれを科学的に解明することは、不可能に近いともいえよう。加えて、この種公害の被害者は、一般的にいつて加害者と交替できる立場にはなく、加害企業が「企業秘密」を解かぬ以上、その内容を永遠に解き得ない立場にある。一方、これに反し、加害企業は、多くの場合、極言すると、生成、排出のメカニズムにつき排他的独占的な知識を有しており、③については、企業内の技術者をもつて容易に立証し、その真実を明らかにすることができる立場にある。

以上からすると、本件のような化学公害事件においては、被害者に対し自然科学的な解明までを求めることは、不法行為制度の根幹をなしている衡平の見地からして相当ではなく、前記①、②については、その情況証拠の積み重ねにより、関係科学との関連においても矛盾なく説明ができれば、法的因関果係の面ではその証明があつたものと解すべきであり、右程度の①、②の立証がなされて、汚染源の追求がいわば企業の門前にまで到達した場合、③については、むしろ企業側において、自己の工場が汚染源になり得ない所以を証明しない限り、その存在を事実上推認され、その結果すべての法的因果関係が立証されたものと解すべきである。

2今、これを本件についてみると、本件中毒症は、すでに認定のような臨床、病理、動物実験等の研究結果により、水俣病と呼ばれる低級アルキル水銀中毒症であつて、その病因物質は低級アルキル水銀、特にメチル水銀であることは科学的にも明らかにされているから、前記①については立証はつくされており、②については、患者らが阿賀野川河口に棲むメチル水銀で汚染された川魚を多量に摂食したことが原因であることは明らかにされたものの、その川魚汚染の原因については、科学的に充分解明されたとは解し得ないうらみがあるが、原告ら主張の工場排液説において、鹿瀬工場がアセトアルデヒド製造工程の廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けていたこと、鹿瀬工場アセトアルデヒド反応系施設および工場排水口付近の水銀からいずれもメチル水銀化合物ないしその可能性が極めて大きい物質が検出されたこと、食物連鎖による濃縮蓄積により、超稀薄濃度汚染から川魚に高濃度の汚染をもたらすことがありうること、上流の汚染有機物(浮遊物)等は、下流、特に河口感潮帯に沈積し易いともいえることなどが立証され、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様との関係も、説明が容易でない現象も一部にはあるとしても、関係諸科学との関連においてもすべて矛盾なく説明できるのであるから、前記1に説示した程度の立証はあつたものと解すべきである。他方、被告主張の農薬説は、塩水楔による汚染経路の可能性しか残らないところ、それ自体にも科学的な疑問点が少なくないばかりではなく、関係諸科学との関連において、阿賀野川の時間的、場所的汚染態様と矛盾し、説明のつかない点もあり、また、農薬説で立証された事実も、工場排液説の成立を妨げるものではない。そして、前記③については、被告は、鹿瀬工場におけるメチル水銀の生成、流出を否定することができなかつたばかりではなく、かえつてその生成、流出の理論的可能性は肯定され、あまつさえ、前記のとおり工場内および排水口付近の水苔よりメチル水銀化合物ないしはその可能性が極めて大きい物質が検出されたことが証明されているから、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程において、メチル水銀化合物が生成、流出され、工場排水とともに阿賀野川に放出されていたものと推認せざるを得ない。

以上からして、被告が鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程中に生じた廃水を含む工場排水を阿賀野川に放出し続けたことと本件中毒症の発生とは、法的因果関係が存在するものと判断すべきである。

なお、前記因果関係論が加害企業に対して酷を強いるものでないことは、本件におけるつぎの指摘からみても明らかであろう。すなわち、すでに再三指摘したように、被告は、鹿瀬工場アセトアルデヒド製造工程関係の製造工程図を焼却し、反応系施設、反応液等から試料を採取する等して資料を保存することなく、プラントを完全に撤去してしまつている。被告が本件の因果関係の存否の立証に、一企業としては他に例を見ない程、人的、物的設備を動員し、これに莫大な費用を投じていることは、弁論の全趣旨から明らかである。しかし、被告は前記資料を廃棄等する以前、すでに鹿瀬工場が本件中毒症の汚染源として疑われていることを承知していたのであるから、これが疑惑を解くため、前記資料等を保存してさえおけば(これが容易であることは多言を要しない)、これを証拠資料として提出することができ、その場合は、前記因果関係論にしたがつても、③について容易に立証でき、もし真実が被告主張のとおりであるとすれば、右因果関係の存在をたやすく覆すことができたものと思われる。

3要するに、本件中毒症は、被告鹿瀬工場の事業活動により継続的にメチル水銀を含んだ工場排水が阿賀野川に放出され、同川を汚染して同川に棲息している川魚を汚染し、この汚染川魚を多量に摂食した沿岸住民に惹起させたアルキル水銀中毒症であり、原因出所を含めた水俣病に類似するものとして、第二の水俣病と呼称するのも差し支えないといえる。

七  各原告らの因果関係

別紙〔五〕患者等のうち、番号1、6ないし11、13ないし18、20ないし29、35ないし37、44ないし49、51、62ないし65、72ないし77の各原告、および大野岸松、桑野忠英、近喜与太、大野岩次、渡辺篤太郎、南宇助の各死亡者が、いずれも本件中毒症患者であること、同19、30ないし34、43の各原告がいずれも本件中毒症患者と同様川魚を多量に摂食したためにその病因物質であるメチル水銀を多量に体内に保有するに至つたことは、後記第五の五に認定のとおりであるから、これらはいずれも被告の前記不法行為によつて惹起されたものと認めることができる。

第四  被告の責任

一  故意

原告らは、被告が鹿瀬工場において、メチル水銀化合物が混入した排液を無処理のまま阿賀野川に放出すれば、同川に棲息する魚類を介して沿岸住民の間に、将来水俣病に罹患し死傷者が発生するかも知れないことを、遅くとも昭和三四年一一月までに知つていながら、あえて右排液を流し続けたのであるから、これは故意(未必の故意)に因り原告ら沿岸住民を本件中毒症(水俣病)に罹患させ、死傷させたものである、と主張しているから、まず、被告に故意があつたかどうかについて判断する。

1熊大の研究発表等

熊本における水俣病は、昭和三一年以来熊大研究班を中心とする研究グループによりその発生機序がつぎつぎと明らかにされたことは、前記第三の一に認定したとおりである。すなわち、昭和三一年一一月四日には、水俣病の原因物質が重金属類であり、人体への侵入が水俣病湾産魚介類によるものであることが明らかにされ、昭和三四年七月二二日に至つて有機水銀説が報告され、さらに同年一一月一二日には、厚生省食品衛生調査会が、「水俣病を惹起する主因をなすものはある種の有機水銀化合物である。」旨の答申を厚生大臣宛にしている。これらの研究成果は、主に研究報告書の形で関係者に配付されたり、医学雑誌等の専門誌により発表され、熊本県地方を中心とする新聞等にも逐次報道された。この間、チッソ水俣工場内では、細川医師の猫の実験などが行なわれていたが、この結果は公表されず、同社は有機水銀説に反論し、昭和三四年一〇月にも見解書を出していた。しかし、その後も熊大研究班による臨床、病理、化学的実験などの研究により、有機水銀説が裏づけられ、その汚染源としてチッソ水俣工場が明確にされた。

2水俣における漁民紛争等

甲第一七号証の六ないし一三および弁論の全趣旨によると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

熊本における水俣病患者や漁業被害者らは、昭和三二年ころから水俣病の原因がチッソ水俣工場の排水によるものであるとして、同工場に対し、排水の海面放流の停止、浄化装置の設置、漁業被害に対する補償、患者の救済などの要求を始めていたが、昭和三四年七月の熊大の有機水銀説発表後はその要求は激しさを加えた。特に同年八月中関係漁業協同組合員が二回にわたり工場に乱入し、また一一月にも工場に乱入して施設や器材を叩きわこし、出動した警察官と衝突して双方に一〇〇人以上の重軽傷者を出す事件が起きるなど、水俣病問題は最悪の事態に入つた。そして、水俣病患者の組織である水俣病患者家庭互助会は、同年一一月二五日チッソ水俣工場に対して二億三、〇〇〇万円にのぼる補償金を要求し、同月二八日から一か月間余り工場正門での坐り込みに入つた。

こうした状況の中で、不知火沿岸四七漁業協同組合(すでに補償問題が解決されていた水俣市漁協を除く。)は、水俣病調停委員会の①調停成立後一週間以内に浄化装置を完備する、②漁業補償金三、五〇〇万円、漁民の立ち上り資金六、五〇〇万円を支払うなどを内容とする調停案を受諾し、水俣病患者家庭互助会もまた同年一二月三〇日、死者に対する弔慰金三〇万円を含む一時金、生存患者に対する年金支払などを内容とする調停案を受諾し、漁民、患者らのチッソに対する排水処理ならびに補償をめぐる紛争は、ここに一応の落着をみた。

そして、かような漁民紛争等一連の出来ごとは、主に同地方を中心に、新聞等により報道された。

3通産省通達

〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実が認められ、これを覆すにたりる証拠はない。

通産省軽工業局長は、昭和三四年一一月一〇日付をもつて、被告を含めたアセトアルデヒド製造関係および塩化ビニール製造関係の会社に対し、秘密裡に、「工場排水の水質調査報告依頼について」と題する通達を発し、その報告を求めた。その内容は、

「昭和二八年以来、熊本県水俣地方に発生しているいわゆる水俣奇病の原因究明につきましては、政府においても、厚生省を中心として、種々調査を重ねてきたところでありますが、未だ確定的な結果を得るに至つておりません。然しながら、最近ではその原因として新日本窒素肥料株水俣工場から流出する微量の水銀が水俣湾の魚介類を有毒化するのではないかという説が現地の熊本大学(医学部、理学部)などでは有力になりつつあると伝えられております。同工場の生産品目中その製造工程から水銀が流出することが考えられるのはアセトアルデヒドおよび塩化ビニールモノマーでありますが、これらを生産している全国の他の工場では今日のところ工場排水に関して何等の問題が起きておらず、この点が水銀を原因であるとする説にとつて大きな問題点となつております。したがつて、この際全国の同業各工場における水銀の処理の状況、その工場排水中の含有量、水銀が消失されると思われる個所、流出する際の水銀状態(単体、化合物)等を調査し、これらを比較検討することが水俣病の原因の早期究明のために必要であると思われますので、ご多忙中のところまことに恐縮ですが、アセトアルデヒドまたはビニールモノマーを製造している貴社工場につきまして、別紙事項をご調査の上、一一月三〇日までに有機化学第一課長あて親展にてご回答いただきたく、この段お願いする次第です。

なお、この調査は、水俣奇病問題が政治問題化している現状に鑑み、秘扱いにて行なうこととしていますので、この旨ご承知の上、社外に対しては勿論、社内における取扱いについても充分注意して実施されるよう希望いたします。

(別紙)

1  工場名、工場所在地

2  触媒に使用した水銀の仕込量、回収量、消費量(造品毎および三三年度および三四年四月〜九月の二期に分けて)

3  工場排水の量(m3/日またはm3/時)

4  工場排水の放流先

5  工場排水処理の状況(特に消失水銀関係について)

最近において処理施設等につき改良または新設した場合には、その経過と施設費について

6  工場排水の水質(特に水銀の含有量)

特に塩化ビニールモノマー、アセトアルデヒドの工程に関する排水のみに限る必要はなく、全工場の最後の水質でもよい。

7  排水口付近の水底の泥土中の水銀含有量、水銀の状態(金属水銀か、酸化水銀か等)

8  水銀触媒の取扱状況

(活性を失つた触媒の処理、たとえば下請工場へ払下げるか。工場内で再生しているか、またアセトアルデヒド蒸溜塔等の内壁に付着した触媒の回収方法、その際の歩留り等々)

9  水銀が消費されると思われる個所

(アルデヒド、塩化ビニールモノマー、水銀電解、ソーダアラウント等において)

(注) 6および7については、水銀の分析に用いた分析方法を付記して下さい。

資料採取量

(略)

魚貝類および砂のHg分析法

(略) 」となつている。

被告鹿瀬工場では、右の通達を受けた後、製造部長が有機関係の係長以上の技術者を集め、水俣病の原因についてチッソ水俣工場が疑われていることなどを討議したが、そのことで格別の措置をとることはなく、有機工場と無機工場排水の合流点から五〇メートル下流の地点(排水溝)から試料を採取し、排水および泥土中の水銀量を測定した。排水中の水銀の分析については「飲料水検査指針」の水銀分析法を採用し、泥中の水銀の分析については、従来から行なわれていた水銀蒸溜残滓中の水銀分析法(ロウ氏法)により行なつたが、いずれの場合も、それぞれ0.1ppm(排水)、1.0ppm(泥)の検知限度で水銀が検出されなかつた。

4田宮委員会の調査研究

(一)  〈証拠〉を総合すると、つぎの事実が認められる。

(1)  日本化学工業協会(以下「日化協」という。)は、被告、チッソなど化学製品の生産販売業者その他化学工業に関係のある会社その他の団体をもつて組織された任意団体であるが、昭和三四年七、八月ころその会員であるチッソから、同社水俣工場が水俣病の汚染源と疑われ、漁民らとの間に補償問題等をめぐつて紛争が起つて困惑している旨の報告を受けた。そこで、日化協の専務理事である大島竹治は、同年九月ころ水俣の現地に赴いたが、当時発表されていた熊大の有機水銀説は納得できないとし、チッソの反論等の内容とほぼ同趣旨のパンフレットを関係者に配付し、熊大の有機水銀説に対抗した。

(2)  そして同年一一月ころ日化協は、チッソ水俣工場の排水問題に関連して、同種工場の排水対策を研究するため、日化協内の産業排水対策特別委員会(以下「排水対委」という。)内に塩化ビニール酢酸特別委員会(以下「塩ビ特別委」という。)を設置することに決め、株式会社鉄興社社長が委員長となり、大日本セルロイド株式会社、信越化学工業株式会社、チッソ、被告などの業界各社が構成員となつた。

塩ビ特別委は、第一回の会合を同年一一月中旬ころ開いたが、その際、チッソ社長の現地における実情報告を聞くとともに討議し、その結果、チッソの現地の問題はチッソ自身で処理することとするが、水俣病の原因についての問題は、熊大の研究だけでは納得できないので、熊大のほかにわが国の権威者を含めてさらに研究、討議してもらうこと、およびこれが費用は塩ビ特別委の委員会社が拠出して特別会計とすることが決められた。右とり決めは、同年一二月八日開かれた日化協常務理事幹事会で事後承認されたが、そのころ前任者死去のため空席となつていた排水対委の委員会に被告社長安西正夫が選任された。

(3)  塩ビ特別委の前記方針に基づく研究グループの人選は、当時の日本医学会会長田宮猛雄に一任され、同人が委員長、東京大学医学部教授勝沼晴雄、同大学伝染病研究所教授山本正、同大学医学部助教授斎藤守、東京教育大学理学部助教授大八木義彦、東遅大学医学部教授戸木田菊次および東京工業大学教授清浦雷作が委員、東京大学医学部教授沖中重雄および同大学名誉教授小林芳人が顧問となつた。第一回の初顔合わせは、昭和三五年四月八日、業界側からは、日化協会長、理事、株式会社鉄興社社長、チッソ社長および被告社長安西正夫も出席して開かれ、(席上、水俣病問題に関連して工場排水の問題が懇談された。)その後間もなく田宮委員会(以下「田宮委」という。)と呼ばれ、活動を開始した。委員の人選につき熊大にも交渉がなされたが、同大学は昭和三六年になつてから教授入鹿山且朗、武内忠男、内田槙男、助教授徳臣晴比古が参加した。また別に、日化協から専務理事大島竹治、業界から塩化ビニール協会専務理事石川和一、酷友会事務局長折美儔および田宮委から前記勝沼が幹事となつて田宮委の幹事会を作り、田宮委と塩ビ特別委との一切の連絡にあたることになつた。

(4)  田宮委の具体的研究題目および研究方法は委員長に一任され、各委員は各自の研究の進行に応じ、その経過を委員会に持ち寄つて報告し討論するという方法で行なわれた。この会合は、当初毎月一回位の割合で開かれていたが、昭和三六年一二月が最後となり、昭和三八年七月田宮委員長死亡後は、田宮委自体自然解消してしまつた。その間、水俣病の原因については、戸木田、清浦のアミン説と他の委員の有機水銀説が対立したが、少なくとも熊大が参加した昭和三六年に入つてからは、有機水銀説が田宮委内部においても支配的となつた。そして、これら研究、討論の経過等は、塩ビ特別委や排水対委の構成員あるいは日化協会員に対しては、大島ら幹事を通じて役員懇談会などで、あるいは日化協の機関誌「日化協月報」を通じて、その概要程度は知らされたが、必らずしも田宮委の研究成果が「有機水銀説が支配的」という事実がそのとおり正しく伝えられず、むしろ有機水銀説に疑問を持つた形で伝えられていた。また、田宮委員長を報告者代表とする「水俣病研究懇談会研究経過報告」(昭和三六年九月一八日から昭和三七年五月五日まで)(甲第九四号証)が印刷されて関係者に配付されたが、その内容は各委員の研究の中間的概要報告程度であつて、専門的論文といえるものではなかつた。

(二)  以上の認定に対し、証人大島竹治は、田宮委内部では、水俣病の原因につき有機水銀説が少数で、後半ではむしろ消滅してしまつた旨の証言をしているが、現在も当初以来の爆薬原因説を信じている旨証言している同人が、一方では、「今考えれば、田宮委にはメチル水銀の恕限度を研究しておいてもらえば良かつた。」旨の証言をしており、このことは、当時からチッソ水俣工場排水中のメチル水銀が水俣病の原因であることがわかつていて、これを前提に「恕限度」を研究してもらえば良かつた旨を述懐していることを物語るものであるから、このこととすでに認定した熊大の研究経過を考え併せると、田宮委内部において有機水銀説が消滅したとする同証言部分は、到底措信できず、そのほか前記認定を覆すにたりる証拠はない。

しかして、以上の認定事実のように、熊本における水俣病の発生機序については、熊大を中心とする研究グループにより次第にその実態が明らかにされ、これを契機として漁民紛争等の社会問題が勃発し、行政官庁もその対策に乗り出し、特に通産省は、チッソ水俣工場と同種各工場に対し、有機水銀説による水銀と水俣病の結びつきを指摘し、水銀の処理状況等について調査回答を求めたのであるが、このような状況下で、同種業界の団体である日化協内部において、水俣病問題が論議を呼んだことはむしろ当然と思われる。そして、学問的問題については、排水対委の下部機構である塩ビ特別委の中に特に付属機関として田宮委を作り、その中で研究討議が続けられていたのであるから、その成果の概要程度は、必らずも正確ではないとしても、塩ビ特別委、排水対委の構成員にはもちろん、日化協会員にも知らされていたものと推認できる。しかして被告は、日化協の会員、塩ビ特別委の構成員であるばかりでなく、田宮委発足時には社長が排水対委の委員長に就任しており、田宮委の初顔合わせ会にも出席して学者委員と水俣病問題について懇談しているのであるから、当時アセトアルデヒド製造業界で生産第三位の実績をもつものとして、同第一位のチッソ水俣工場の工場排水が汚染源と疑われている水俣病問題(死者までも発生している。)に無関心であつたとは到底考えられず、現に通産省の通達を受けた際、鹿瀬工場においては技術者が水俣病のことを討議したことは前述のとおりである。したがつて、前記認定の事実にかんがみると、被告は少なくとも田宮委の事実上の活動が終りに近い昭和三六年暮ころまでには、熊大を中心とする有機水銀説を額面どおり信用したかどうかはともかくとして、これに重大な関心を抱き、水俣病の発生とアセトアルデヒド製造工場排水との結びつきに関し学者間で議論がかわされていたことは認識していたものと推認でき、チッソ水俣工場の工場排水が死者までも発生している水俣病の汚染源として疑われていることを被告において知悉していたことは、すでに判示したところから明らかである。

しかし、原告ら主張のように、被告が右以上に水俣病の発生機序を明確に知つていたうえ、「鹿瀬工場の排水中にメチル水銀が含まれており、それが阿賀野川沿岸住民を水俣病に罹患させることがあつても、これを容認していた」事実は、これを認めるにたりる証拠がない。すなわち、熊大の研究班等の研究成果は、前記のとおり、その都度医学関係の専門誌に発表され、研究報告書として関係者に配付されたが、これにより被告がその専門的知識を得て、特に有機水銀説を信じていたと解することは困難であり、右の研究成果の概要や漁民紛争などの社会問題は新聞等による報道がなされたとしても、これは主に熊本地方が中心であつたから、結局、被告は、通産省の前記通達や日化協内部の動きの中で水俣病問題を知つたところ、これが認識は前記判示程度であつたものと解するほかはない。そして、証人大八木義彦の証言中にある、田宮委の初顔合せ会における被告社長の発言、および分析関係の学会において同証人に質問した被告社員らしい者の発言からは、未だ原告らの主張事実を認めることができず、その他被告に故意があつたことを裏づけるにたる証拠はない。

二 過失

1そこで、つぎに被告の過失について検討すると、

およそ、化学工業を営む企業(以下「化学企業」という。)の生産活動においては、日進月歩に開発される化学技術を応用して大量に化学製品を製造するものである以上、その化学反応の過程において、製品が生成されるかたわらいかなる物質が副生されるかも知れず、しかもその副生物のなかには、そのまま企業外に排出するときは、生物、人体等に重大な危害を加えるおそれのある物質(以下「有害物質」という。)が含まれる場合もありうるから、化学企業としては、これらの有害物質を企業外に排出することがないよう、常にこれが製造工場を安全に管理する義務があるというべきである。

したがつて、化学企業が製造工程から生ずる排水を一般の河川等に放出して処理しようとする場合においては、最高の分析検知の技術を用い、排水中の有害物質の有無、その性質、程度等を調査し、これが結果に基づいて、いやしくもこれがため、生物、人体に危害を加えることのないよう万全の措置をとるべきである。そして、右結果回避のための具体的方法は、その有害物質の性質、排出程度等から予測される実害との関連で相対的に決められるべきであるが、最高技術の設備をもつてしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止まで要請されることもあると解する。けだし、企業の生産活動も、一般住民の生活保全との調和においてのみ許されるべきであり、住民の最も基本的な権利ともいうべき生命、健康を犠牲にしてまで企業の利益を保護しなければならない理由はないからである。

2これを本件についてみると、化学企業である被告は、鹿瀬工場において、無機水銀を触媒としてアセトアルデヒドを製造し、その製造工程から生ずる廃水を阿賀野川に放出して処理していたのであるから、その反応過程における有害物質の副生、流出の有無、その程度等について常に調査し、その結果に基づいて、いやしくも同川を利用している沿岸住民に危害を加えることがないよう万全の措置をとるべき義務があつたところ、すでに判示したところから明らかなように、特に昭和三六年暮ころまでには、熊本における水俣病の原因について有機水銀説、すなわち同種の化学製品を生産し、しかもその生産量において業界随一を誇るチッソ水俣工場の工場排水が、水俣病の原因だとする考え方があることを知悉していたのであるから、右工場と同種の原料から同種の化学製品を生産している被告としては、死者までも発生するという予測される結果の重大性にかんがみ、鹿瀬工場の排水については格段の注意を払い、最高技術の分析検知法を用いて有害物質の有無とその性質、程度等の調査をし、工場排水として阿賀野川に放出した場合の前記危険性について絶えず検討する義務があつたというべきである。

しかるに被告は、熊大研究班の有機水銀説等に謙虚に耳を傾けることもなく、漫然と水俣病の先例をいわば対岸の火災視していたため、鹿瀬工場のアセトアルデヒド製造工程からの廃水について、前記の意味における調査分析の実施すら怠たり、右工程中に、微量とはいえ生物、人体に危害を加えうるメチル水銀化合物が副生し、かつ、流出していたのに気づかず、これを無処理のまま、工場排水とともに阿賀野川に放出し続け、よつて同川に棲息する川魚を汚染し、これを摂食した原告ら沿岸住民を本件中毒症(水俣病)に罹患させ、あるいはその病因物質であるメチル水銀をその体内に保有させたものである。

もつとも、被告は、通産省の通達後、前記のとおり鹿瀬工場の排水溝内の泥土、水につき水銀量を分析しており、証人斎藤斎の証言によると、昭和三五年春、秋にも同様の方法をもつて水銀量を分析したことがあり、いずれの場合においても水銀が検出されなかつたことが認められるが、右分析の検体試料は、前記のとおり、有機工場と無機工場排水の合流点から五〇メートル下流の地点であつて、この地点は、被告の主張にもあるように、すでにアセトアルデヒド製造工程よりの廃水が工場排水五万トンより一二〇ないし一五〇倍に稀釈されたとされているところであるから、単にこのような調査分析をもつて満足すべきではなく、稀釈前のものを調査分析すべきであり、かかる方法を採用したとすれば、当時の検知分析の技術をもつてしても、水俣病における熊大等の研究実績等にかんがみると、被告の技術者においても廃水中のメチル水銀化合物を検出することができたというべきである。しかるに、証人斎藤斎の証言および弁論の全趣旨によると、被告は、その後も操業停止に至るまで、右の意味における調査分析を実施していなかつたことは明らかである。

なお被告は、鹿瀬工場の排水の阿賀野川への放出は、法令の制限に従つたものであり、排水中にメチル水銀が含まれていたとしても、現在の恕限度すら超えていないとし、その行為には違法性がない旨主張するが、およそその行為によつて人の生命・身体に害を与えている以上、民事上違法でないとはいえず、被告主張の法令は取締法規であつて、特にこれにより民事上の責任が左右されるものではなく、また恕限度という概念も、取締法規の前提になる場合は格別、その遵守が民事上の違法性を阻却するものとは解せられない。また、被告が設置した三群七基の水銀回収装置がメチル水銀化合物の除去に実効がなかつたことは、すでに説示のとおりであり、証人入鹿山且朗の証言によると、チッソ水俣工場の設置したサイクレーターも、メチル水銀の除去には効果がなかつたことが認められ、これらの事実と弁論の全趣旨から考えると、当時の技術では、これが完全除去の装置を設置することは極めて困難であつたことは推認できなくないが、それがため人の生命・身体に危害が及ぶことが予測される場合には、生産活動の停止をもつてしてもその結果を回避する義務を当該企業が負うことは、前述のとおりである。

3したがつて、被告は前記過失により、原告らのうち、別紙〔五〕患者等をして本件中毒症(水俣病)に罹患させ、あるいはその病因物質であるメチル水銀を体内に保有させ、その結果後記第五のとおり、同人らおよびその家族である原告らに損害を与えたのであるから、民法第七〇九条により、原告らが蒙つた損害について賠償する義務がある。

第五 損害

一被告は、以上判示したところから明らかなように、本件不法行為に基づき原告らに対してその損害を賠償すべき義務があるところ、不法行為に因る損害賠償は、ある不法行為の結果損害が発生した場合、これを公平、妥当、合理性という見地から、誰に対してどの程度負担させるかということである、といわれている。

二ところで、これを公害事件に基づく損害賠償について考えてみると、これにはつぎのような特質を見い出すことができる。

1まず、第一に、公害においては、他の交通事故や通常の生命・身体に対する侵害の場合と異なり、被害者が加害者の立場になり得ないという、被害者と加害者との地位、立場の非交替性をあげることができる。すなわち、企業は資本と人的、物的設備等を擁して一定の生産活動を営んでいるのに対し、公害の被害者である付近住民らは、一般にかような資本、設備等をもたず、また、もち得る立場にもなく、交通事故の場合のように、被害者が容易に加害者の地位にとつて替り得ることはない。

2つぎに、公害は、後記のとおり、自然環境の破壊を伴なうものであるから、当該企業の付近住民らにとつて、その被害は不可避的であり、日常生活において、好むと好まざるとにかかわらず、これに直面しなければならないということである。この非回避性という点で、労働災害、航空機事故等の場合と質的に異なつている。大気汚染の場合はもとより、水質汚濁の場合においても、住民は、通常の場合、当該企業から発生する公害を回避することは不可能か、もしくは極めて困難であり、多くの場合、被害者側には過失と目されるべき行為はない。

3第三に、公害は不特定多数の住民にその被害を及ぼし、その範囲も相当広範囲にわたることがその特質である。このことは、その被害の程度はともかくとしても、これが対象と範囲の点において社会的に深刻な影響をもたらし、その結果、企業側においては、賠償すべき損害額が莫大にのぼる場合が少なくない。

4第四に、公害は、いわゆる環境汚染をもたらすものである以上、付近住民らは、同一の環境のもとで生活している限り、程度の差はあるとしても、これが被害をひとしく蒙り、したがつて、家族全員または大半が被害を受け、いわば一家の破滅をもたらすことすら起りかねまい。

5最後に、公害においては、原因となる加害行為は、当該企業の生産活動の過程において生ずるものである以上、企業は右生産活動による利潤をあげることを当然予定しているのに反し、被害者である付近住民らにとつては、右活動から直接得られる利益は何ら存しない。なるほど、企業がその生産活動を通じて社会一般に貢献している側面を有していることはもちろんであるが、だからといつて、そのために、付近住民らの生活環境を破壊することが許されることにはならず、企業の生産活動は、付近住民らの生活環境保全との調和においてのみ許されるべきものである。

三したがつて、公害による損害賠償の損害額を算定するにあたつては、前述した公害のもろもろの特質を考慮して損害の填補をはかることにより、はじめて公平、妥当かつ合理的な損害の負担という不法行為法の理念にもよく合致するということができる。そして、本件においては、さらにつぎの事情をも斟酌しなければならない。すなわち、

1〈証拠〉によると、水俣病の治療方法としては、病因物質である有機水銀を早期に体外に排泄するための原因的療法と、ビタミン類、鎮静剤、副腎皮質ホルモンの使用による対症療法があり、これらの療法は、中毒症状の急性期を脱するためには役立つが、主要症状の改善にはあまり効果はなく、これは水俣病が中枢の非可逆的病変によるものであることが認められる。右の認定事実に〈証拠〉を考え併せると、水俣病の症状は、一般的にいつて、未だ固定したものということはできず、熊本における水俣病では、一部の症状に部分的な改善がみられる反面、罹患してから十数年を経過したのちに症状が悪化している症例もあり、未だこれが症状に流動的な面があることも否定できず、予後の経過は必らずしも期待することができないものであることが認められる。

2本件において原告らの請求している損害賠償は慰藉料に限られており、いわゆる逸失利益については、現在および将来もこれを請求する意思のないことは、弁論の全趣旨により明らかである。

かような場合、裁判所が慰藉料を算定するにあたつては、水俣病の治癒、改善の困難さはもちろんのこと、後記各認定患者等の症状、入院およびリバリテーションの期間の長短に加えて、特にこれら患者の年令、稼働可能年数、収入および生活状況等諸般の事情をも参酌すべきものと考える。

四以上の観点に立つて、本件原告らの損害について個別に検討することとなるが、特に本件中毒症(以下単に「水俣病」という場合は、本件中毒症を指す。)患者らの慰藉料の算定にあたつては、右患者らを、その日常生活における障害の程度と服することのできる労務の程度を基準として、その症状をつぎの〔a〕ないし〔e〕の五段階に分類し、当該ランクに応じてそれぞれ慰藉料を算定するのが相当である。

〔a〕ランク患者

他人の介助なしには日常生活を維持することはできず、死にも比肩すべき精神的苦痛を受けているもの

〔b〕ランク患者

日常生活を維持するのに著しい障害があるもの

〔c〕ランク患者

日常生活は維持できるが、軽易な労務以外の労務に服することができないもの

〔d〕ランク患者

服することができる労務が相当程度制限されるもの

〔e〕ランク患者

軽度の水俣病症状のため継続して不快感を遺しているもの

五〈証拠〉ならびに弁論の全趣旨を総合すると、別紙〔五〕の患者等の生年月日、職業、水銀保有量およびその測定年月日、入院期間、リハビリテーションを受けた期間とこれら病院は、同別紙記載のとおりであることが認められるほか、同患者等の症状等について、つぎの各事実が認定でき、これに前記慰藉料算定の諸事情を考慮して個別に判断すると、その請求し得べき慰藉料額は、つぎのとおりである。

1原告(1)大野作太郎、同(2)大野ミス、同(3)大野功、同(4)大野一広および同(5)大野和江について

前記認定のとおり、原告大野作太郎と同大野ミスは亡大野岸松の父母であり、原告大野功は亡岸松の妻、原告一広は亡岸松、功夫婦間の長男、原告大野和江は同夫婦間の長女である。

(一)  亡大野岸松

(1)  亡大野岸松は、父作太郎とともに阿賀野川で農業のかたわら漁業を営み、同川で獲れるサケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタ、フナなどは自家用としてほとんど毎日のように摂食していた。

(2)  同人は、昭和四〇年三月二日ころから口周囲と四肢、特に指趾にしびれ感を覚え、これが次第に全身に及ぶととともにそのころから目がかすみ、発語障害をきたし、漸次増強した。そして同月一五日ころから酩酊様歩行となり、食事の際茶わんを口もとへ運べなくなつた。その後歩行不能となり、難聴も著明となつたうえ視界朦朧となり、排尿障害も現われて同月二七日新大脳外科に入院した。その際、主要所見として、口周囲、四肢特に遠位部に知覚障害、著明な共同運動障害、難聴、筋強剛、精神症状などが認められた。その後これらの症状は急速に増悪し、同年四月一七日ころから尿失禁、奇声を発して苦悶を続け、全く意思の疎通を欠く状態となり、これらの症状は漸次増悪し、殊に精神症状が著明となり、遂に同年六月七日死亡するに至つた。

同人は、死亡後新大脳研究施設神経病理学講座で剖検された結果、前記認定のとおり、水俣病に一致する所見が得られ、脳やその他臓器から大量の水銀が検出された。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状および剖検結果等を、すでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状とその悲惨な経過および死の結果に、同人の年令、境遇等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(3)大野功、同(4)大野一広および同(5)大野和江

(1)  原告大野功、同一広、同和江は、いずれも亡岸松の相続人であり、同人の被告に対する前記慰藉料請求権につき、原告大野功は妻として、民法所定の相続分であるその三分の一に相当する金三三三万三、三三三円を、原告大野一広および同和江は子として、前記相続分である各三分の一に相当する金三三三万三、三三三円を相続によつて承継取得した。

(2)  原告大野功(昭和一一年一二月一七日生)は、亡夫とともに原告大野一広(昭和三五年一一月二六日生)、同和江(昭和三七年一二月九日生)を養育しながら生活を共にしていたところ、原告功はその夫を若くして、同一広、同和江はその父を前記のような悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるところ、これによる同人らの精神的苦痛はまことに甚大であり、殊に幼くして遺された原告一広、同和江のいとけない悲しみは非常なものがあるということができ、これが慰藉料は右各原告において各金一五〇万円が相当である。

(3)  よつて、右原告ら三名の被告に対して請求できる慰藉料の額はいずれも右(1)の金額のうち本件請求にかかる金三三三万三、三〇〇円と(2)の金額の合計金四八三万三、三〇〇円である。

(三)  原告(1)大野作太郎および同(2)大野ミス

(1)  原告大野作太郎は、農業のかたわら阿賀野川で漁業を営み、亡岸松とともに同川でサケ、マス、ヤツメウナギなどを捕獲して売りに出し、ニゴイ、マルタなどの雑魚は自家用として毎日のように摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年ころから後頭部ののぼせ感、めまい感、難聴、歩行時のよろけるような不安定感、仕事時の動悸、息切れが現われ、同年七月下旬から口周囲、前腕部と下肢にしびれ感が加わり、同年八月三日新大第一内科へ入院して治療を受けた結果右各症状は一時軽快したようにもみえたが、その後再現し、同年九月ころから後頭部のしびれ感が加わつた。さらに、その後も前頭部の圧迫感、耳鳴、難聴、口唇部や手足のしびれ感、軽い共同運動障害(小脳症状)、両手のこわばり、歩行障害、全身の筋束性攣縮、易疲労感、寒がり、立ちくらみ症状などがみられ、現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年七月ころまでに水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両側の手関節以下、足関節以下の知覚低下、耳鳴、難聴、四肢の筋力低下、腱反射の亢進、軽い平衡障害、流涙などの自律神経障害が認められ、そのため、兼業の漁業をやめなければならなくなつたばかりでなく、農作業においてもその働ける範囲が相当程度制限され、主として前記功に委ねている状態である。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(6)  原告大野作太郎、同ミスは、前記認定のとおり、未だ年若い長男岸松をしかも悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであり、これによる右原告らの精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は各金七〇万円が相当である。

(7)  よつて、原告大野作太郎が被告に対して請求できる慰藉料の額は右(5)および(6)の合計金三二〇万円、原告大野ミスのそれは右(6)の金七〇万円である。

2原告(6)桑野忠吾、同(7)桑野リイ、同(8)桑野チイ、同(9)桑野四郎および同(10)桑野七郎について

前記認定のとおり、原告桑野忠吾と同リイは夫婦であり、同チイはその間の三女、同四郎は四男、同七郎は七男であり、さらにその間に六男として亡桑野忠英がいた。

(一)  亡桑野忠英

(1)  亡桑野忠吾は、父忠吾が川漁を営んでいたため、毎年阿賀野川で獲れた魚をほとんど毎日多量に摂食していたが、殊に昭和三九年から昭和四〇年にかけての冬期は豊漁であつたため、特に多食した。

(2)  同人は、昭和四〇年二月一〇日ころから右手指がしびれ、目がかすむようになつたが、間もなくしやべり方が悪くなり、ついで右手、右足の動きも悪くなつた。同月一九日ころから聴力障害および視障害が明らかとなり、次第に増悪し、同年三月一日新大脳外科に入院したが、発語はほとんどなく、四肢はかたく、共同運動障害が認められた。そして、同月一一日には強直性痙攣が現われ、また、同月一三日からは大声を出し目的もなく手足を動かすなどの精神症状が加わり、同月一五日に新大精神科に転科したがこれらの症状は漸次増悪して高熱も加わり、寝台の上で猛獣のように咆哮しながら苦悶し、同月二一日遂に死亡するに至つた。

同人は、死亡後同大学脳研究施設神経病理学講座で剖検された結果、前記認定のとおり、水俣病に一致する所見が得られ、中枢神経系から大量のメチル水銀が検出された。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状および剖検結果等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状とその悲惨な経過および死の結果に、同人の年令、境遇等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(5)  原告桑野忠吾、同リイは、右認定のように、未だ年若い六男忠英をしかも悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるところ、これによる両親としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は各金七〇万円が相当であり、また、同原告らは亡忠英の相続人であり、同人の被告に対する前記慰藉料請求権につき、民法所定の相続分であるその二分の一をそれぞれ承継取得したので、これが相続による慰藉料は各金五〇〇万円である。

(二)  原告(6)桑野忠吾

(1)  原告桑野忠吾は、生業として三〇年来阿賀野川で漁業を営み、同川で獲れるサケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタなどは自家用として夏期を除いて年中ほとんど毎日のように多量に摂食していたが、殊に昭和三九年から昭和四〇年にかけての冬期は豊漁であつたため、ほとんど食事ごとに摂食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年二月ころから左肩や右膝の痛みと全身の倦怠感が現われ、またイライラした異常感を覚えるようになつた。同年六月新大神経内科の診断を受け、同年八月同脳外科に入院してペニシラミン等による治療を受けたが、当時は前記各部位の異常感と両手指の知覚低下、眼球の上転制限がみられた。しかし退院後昭和四一年にかけて上肢のしびれ感、足部の知覚低下等の知覚障害が漸次現われ、特に冬期にはしびれ感、全身倦怠感や肩、膝関節部の痛みが増悪した。その後昭和四二年以降に至つて症状は一層顕在化し、口周囲、後頭部、四肢の末端部のしびれ感、手指の拘縮、握力の低下、頭痛と肩や下肢の痛みなどが現われ、昭和四三年六月には中等度の求心性視野狭窄が指摘された。昭和四二年から昭和四四年にかけてリハビリテーションを受けたため、手の拘縮などは一時軽くなつたが、その後はまた元に戻り軽快しないまま現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年二月ころまでには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、中等度の求心性視野狭窄、軽い言語障害、口周囲と肘以下、膝以下の両側四肢の知覚低下、手指の拘縮と右握力の低下、上下肢の共同運動障害、平衡障害、腱反射の全般的低下、健忘症状を中心とする軽い知能障害が認められ、このため、日常の起居動作にもかなりの不便に悩まされているところ、同原告は、前記各症状のため、生業である漁業を廃止せざるを得なくなつたばかりでなく、軽易な労務以外の労務につくことができなくなり、生業資金の借り入れおよび生活保護法の適用を受けて生計を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

(6)  同原告は右認定のように自ら水俣病の患者として苦しい生活を余儀なくされているばかりでなく、後記認定のとおり、水俣病のため廃人同様となつた妻リイの夫として、同女の日常生活の介助を、不自由な身体に鞭を打ちながらもせざるを得ない状態を強いられている。後記認定のようなリイの症状等諸般の事情を総合すると、リイの夫としての同原告の慰藉料は金七〇万円が相当である。

(7)  よつて、同原告が被告に対して請求できる慰藉料請求金額は右(一)の(5)および(二)の(5)、(6)の合計金一、〇四〇万円である。

(三)  原告(7)桑野リイ

(1)  原告桑野リイは、その夫忠吾が川漁を生業としていたため、夏期を除いて年中ほとんど阿賀野川で獲れる魚を摂食し、特に昭和三九年から昭和四〇年にかけての冬期は豊漁であつたため、毎日のようにニゴイ、マルタなどの川魚を刺身、みそ汁として摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年ころから手の振戦などが現われ、そのため、昭和四〇年七月新大神経内科へ入院したが、その際、両耳の軽い難聴、企図振戦、軽い知能低下の所見が認められた。また、同年暮ころから手と口周囲にしびれ感が現われ、昭和四一年二月ころかからは一日中じつとして坐つていたり、異常な行動を示すようになり、歩行障害も増悪し、食事もほとんど摂取しなくなつたため、再度入院して治療につとめた結果精神症状はかなり改善したが、昭和四三年二月再び元のような状態となり、同年三月三回目の入院をした。その結果、異常行動や意識水準の低下はある程度改善したものの、知能低下、意欲の減退は現在もなお継続しており、さらに昭和四四年七月には強度の視野狭窄が指摘された。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年六月末ころまでには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、知能低下、意欲の低下、視野狭窄、口周囲と両手の尺骨神経領域に強い知覚低下、握力の低下、企図振戦、軽い共同運動障害と平衡障害、緩徐な歩行、四肢の腱反射の減弱、股関節、膝関節の拘縮が認められ、そのため日常生活は家事もできず寝ていることが多く、食事は自分でするがひどくこぼし、他人の介助なしには日常生活を維持できない状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に右症状を水俣病の特性に照らしてみると、同原告の症状が将来好転する見込みは皆無にひとしく、今後とも廃人同様の生活に終始しなければならない同人の精神的苦痛は、死にも匹敵するともいえるから、以上からすると、これが慰藉料は〔a〕ランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(6)  よつて、同原告が被告に対して請求できる慰藉料請求金額は右の(一)および(五)の(5)の合計金一、五七〇万円である。

(四)  原告(8)桑野チイ

(1)  原告桑野チイは、中学卒業後愛知県江南市に紡績工として就職していたが、昭和三九年一二月生家に戻り、父忠吾らと共に生活するようになつたところ、忠吾が、前記認定のように川魚を生業としていたため、昭和四〇年二月中旬までの間ニゴイ、マルタなどを刺身、みそ汁などにして毎日のように摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年七月上旬から足先にしびれ感が現われ、昭和四一年五月ころから両手にも知覚低下がみられるようになり、その後漸次腱反射の減弱、四肢の共同運動障害と平衡障害、身体の節々がこわばつたようで動かしにくいなどの症状が現われ、昭和四四年七月には明らかな求心性視野狭窄が指摘され、これらの症状は現在も継続している。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年七月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両手足の知覚低下、求心性視野狭窄、四肢の共同運動障害、握力の低下、四肢の腱反射の減弱が認められ、母リイに替つて家事に従事しているものの右各症状のため、その稼働の範囲は相当程度制限されている。

(5)  同原告の前記症状、生活障害等諸般の事情を総合し、特に、同原告が前記症状と家族の看病のため、婚期を逸するのを余儀なくされた悲しみに想いをいたすと、これが慰藉料は〔b〕ランク患者としての金額に右の事情を考慮して加算した金三〇〇万円が相当である。

(五)  原告(9)桑野四郎

(1)  原告桑野四郎は、中学卒業後左官見習を了え左官として働いていたものであるが、父忠吾が前記認定のように川魚を生業としていたため長年川魚を多食し、殊に昭和三八年から昭和四〇年にかけては、主に一一月から三月までの冬期間ニゴイ、マルタ等の川魚を一日約三〇〇グラムの割合で摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年一一月ころから両手にしびれ感を覚え、昭和四〇年六月新大脳外科へ入院したが、その際、両手指に知覚低下のほか、全身倦怠感、易疲労感があつた。そして、同年夏ころから難聴と早口で話せず、考えたことがすぐ言葉にならないことを自覚するようになり、昭和四一年六月同眼科で赤、緑などの色視野狭窄が認められ、ついで、昭和四二年ころから両膝、右肩関節痛が現われ、同年八月県立瀬波病院で機能訓練を受け一時痛みも軽快したが、退院すると再び痛みが現われた。そして、昭和四二年一〇月ころから上下肢の共同運動障害と平衡障害が認められるようになり、昭和四四年ころから手指の拘縮が現われ、現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和三九年一一月ころまでに水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、視野狭窄、難聴(特に語音聴力の低下)、両肘と両膝以下の知覚低下、手指の拘縮と握力の低下、四肢の共同運動障害(小脳症状)と平衡障害が認められ、そのため、同原告は疲労し易く、軽易な労務以外の労務に従事することが出来ない状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

(六)  原告(10)桑野七郎

(1)  原告桑野七郎は、配線工として働いていたものであるが、父忠吾が前記認定のように川魚を生業としていたため川魚を摂食し、殊に毎年九月末から翌年三月までの期間は、ほとんど毎食のようにニゴイ、マルタ、ボラなどの川魚を刺身、煮付などにして摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年秋ころから全身倦怠感があり、手足や顔の筋肉が痙攣するようになり、昭和四〇年夏ころからは手指のしびれ感、四肢の脱力感、目の疲労感が現われ、昭和四一年秋ころには身体が疲れて働けなくなることがしばしばあつた。そして、昭和四二年六月には両足背部に知覚低下を認め、昭和四三年一二月にはこの知覚低下が下腿まで拡大し、また上肢にも認められた。さらに昭和四四年ころからは、耳鳴、難聴を自覚し、平衡障害が加わり、同年七月には求心性視野狭窄が指摘されたほか、ここ数年下肢に時々痛みを伴う筋肉の痙攣をよくおこすようになつている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年六月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、軽い視野狭窄が認められ、肘以下に末梢ほど強い異常覚と知覚低下があり、下肢の振動覚も低下している。また、下肢全体に筋力が低下し、腓腹筋と大腿四頭筋に強い圧痛があるほか、上肢の腱反射は減弱しており、四肢に共同運動障害(小脳症状)と平衡障害が認められ、同原告は配線工として稼働しているものの、右症状のため継続的に不快感を遺している状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔e〕ランク患者として金一〇〇万円が相当である。

3原告(11)星山幸松、同(12)星山トクおよび同(13)星山松雄について

前記認定のとおり、原告星山幸松と同トクは夫婦であり、原告松雄はその長男である。

(一)  原告(11)星山幸松

(1)  原告星山幸松は、川魚が好きで若いころから毎年秋から春にかけて阿賀野川でニゴイ、マルタ、コイ、フナなどの川魚を獲り、漁期には一週間に三日ないし四日くらいの割合でこれを摂食していたが、昭和三九年秋から昭和四〇年二月にかけては比較的豊漁であつたため、毎日のように川魚(主にニゴイ)を摂食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年四月初旬から四肢末端部と口唇部にしびれ感が現われ、わずか数日でこれが全身に及んだ。ついで視野狭窄、難聴、耳鳴、めまい感、歩行障害が次々と出現し、四月末には動揺が激しくて歩行ができない状態になり、同年五月当時には全身、特に四肢末端部と口唇部や舌に強いしびれ感と知覚低下、著明な求心性視野狭窄、神経性難聴、構音障害、上下肢の強い共同運動障害と平衡障害(小脳症状)、失調性歩行、握力の低下、腱反射の軽度亢進が認められ、典型的な臨床像を示す重症な水俣病と診断された。その後、ペニシラミン等の水銀排泄剤による治療をうけ、一時は視野狭窄、小脳症状、知覚障害がいくぶん軽快したかのように思われたものの、前記症状は再び悪化し、昭和四〇年以降三回にわたつて入院、治療を試みたが症状は軽快せず、現在に至つている。なお、同原告にはこの間に一過性の病的反射の出現や、再手指の拘縮などがみられている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年四月初旬までに水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、全身、特に口唇部および口周囲、舌、両手足の末端部に著しい異常知覚と知覚低下、著明な求心性視野狭窄、強い難聴、構音障害、全身の筋力低下、両手指の拘縮、上下肢の共同運動障害(手足の細かい運動、書字、ボタンかけ、帯結びなどが困難)と平衡障害、失調性歩行(杖を使用)が認められ、特に最近は物事にあきやすいなどの軽い精神症状も加わつてきている。そして、難聴のため会話は筆談を要し、また前記知覚症状のため、鏡に写る自分の動作を見ながら食事をとつており、ほとんど寝たきりで他人の介助なしには日常生活が維持できない状態が続いている。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に右症状を水俣病の特性に照らしてみると、同原告の症状が将来好転する見込みは皆無にひとしく、今後とも廃人同様の生活に終始しなければならない同人の精神的苦痛は死にも比肩するともいえるから、以上からすると、これが慰藉料は〔a〕ランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(12)星山トク

原告星山トクは、重症の水俣病患者として前記認定のように廃人同様の悲惨な症状におとしいれられた幸松の妻として、その日常生活の介助および看護を余儀なくされているばかりでなく、永年連れ添つた夫がほとんど再起の見込もないまま病床に臥し、楽しかるべき老後の生活が破壊されてしまつたものであつて、かような幸松の症状等諸般の事情を総合すると、幸松の妻としての同原告の慰藉料は金七〇万円が相当である。

(三)  原告(13)星山松雄

(1)  原告星山松雄は、父幸松が川漁をしていたことから同人の獲つた川魚(主にニゴイ)を摂食していたが、特に昭和三九年秋から昭和四〇年二月にかけては、毎日多食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年四月中旬から両手指にしびれ感が現われ、同年五月までに両足底部、臀部、側頭部などにビリビリしたしびれ感が拡大し、同年六月二二日新大神経内科へ入院して水俣病の軽症例と診断されたが、その際、前記各部位のしびれ感と知覚低下が認められた。治療の結果しびれ感は一時軽くなつたが、退院後再び元に戻つたばかりでなく、首や肩の緊張感、膝関節部や手関節部の鈍痛、腓腹筋の圧痛、上下肢の筋束性攣縮、易疲労感などが加わり、現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年四月中旬ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両手指と両足部に知覚低下、耳鳴、握力の低下、上下肢の腱反射の減弱、軽い上肢の共同運動障害が認められ、同原告は工員として稼働しているものの、右症状のため継続的に不快感を遺している状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔e〕ランク患者として金一〇〇万円が相当である。

4原告(14)近喜代一、同(66)近喜代司、同(67)近喜三男、同(68)近四喜男、同(69)近喜与平、同(70)斎藤ヨキおよび同(71)秋田ミツについて

前記認定のとおり、右原告らはいずれも亡近喜代太の子である。

(一)  亡近喜与太

(1)  亡近喜与太は、原告近喜代一が川漁を営んでいたため、毎年阿賀野川で獲れる川魚を摂食していたが、殊に昭和三九年から昭和四〇年にかけての冬期は、ニゴイ、マルタなどを毎日のように多食した。

(2)  同人は、昭和四〇年四月はじめころから左上下肢にしびれ感を生じ、歩行が不安定となり、動作がぎごちなくなつた。その後同年五月ころから難聴となり、書字も不能となつたばかりでなく、箸を用いての食事もできなくなり、同月下旬には流涎がみられ異常な目つきで大声を発するなどの精神症状を呈し、これらの症状は漸次悪化して同年六月二日死亡するに至つた。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状特にその悲惨な経過および死の結果ならびに年令等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金八〇〇万円が相当である。

(二)  原告(14)近喜代一

(1)  原告近喜代一は、前記認定のとおり川漁を営んでいたため、毎年阿賀野川で獲れる川魚を摂食していたが、殊に昭和三九年から昭和四〇年にかけての冬期はニゴイ、マルタなどを毎日のように多食した。

(2)  同人は、昭和四〇年四月下旬から、右肩から腕にかけて疼痛と前腕以下にしびれ感を覚え、同年六月新大脳外科に入院したが、その際にも前記各部位に知覚低下が認められた。その後、しびれ感と知覚低下は、前胸部、両足部、舌、口周囲などにも新たに現われたほか、漸次軽い共同運動障害、物忘れ、易疲労感、右手指の拘縮と握力の低下、筋の束性攣縮が出現した。また、昭和四〇年九月ころから発作性の胸部苦悶、頻拍やめまい発作が時々生じたが、右各症状は自然に軽快した。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年四月下旬ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、求心性視野狭窄、難聴、耳鳴、口周・右肘以下・右足部の知覚低下、右手指の拘縮、握力の低下、軽い共同運動障害と平衡障害が認められ、そのため、家業の川漁も思うにまかせず、多数の家族を抱えながら生業資金等を借り受けて生活を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔b〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(6)  同原告を除く前記六人の子はいずれもその相続を放棄したので、同原告は亡父喜与太の前記八〇〇万円の慰藉料請求権を相続によつて承継取得した。

(7)  さらに、同原告は亡父の長男として、亡父および妻、四人の子供と共に平穏な生活を送つてきたが、前記認定のとおり、亡父を悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるところ、これによる子としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(8)  よつて、同原告が被告に対して請求できる慰藉料請求金額は、右(5)ないし(7)の合計金一、一〇〇万円である。

(三)  原告(66)近喜代司、同(67)近喜三男、同(68)近四喜男、同(69)近喜与平、同(70)斎藤ヨキおよび同(71)秋田ミツ

右同原告らはいずれも亡父喜与太の子として、同人とは生計を異にはしていたものの、日頃父を敬愛していたところ、前記認定のとおり、亡父を悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるから、これによる子としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は各金五〇万円が相当である。

5原告(15)近彦蔵および同(74)近彦一について

前記認定のとおり、原告近彦蔵は同近彦一の父である。

(一)  原告(15)近彦蔵

(1)  原告近彦蔵は、生業として昭和二〇年ころから阿賀野川で川漁を営み、同川で獲れるサケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタなどは自家用として夏期を除いて年中ほとんど毎食摂食していたが、殊に昭和三九年秋からは比較的豊漁であつたため、特に多食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年二月初旬から左肘外側部にしびれ感が現われ、同年六月には両側手背、手指、足趾に拡がり、このころから口周囲や上肢の筋肉にピクピクする動きが現われるようになつた。同月二二日新大脳外科に入院した際、手指、足趾の知覚低下、神経性難聴が認められ、昭和四二年五月ころから右足趾の強いしびれ感、めまい、強度の疲労感、冬期には異常なほど寒がるなどの症状が加わり、さらに昭和四三年七月ころから難聴、耳鳴まで覚え、昭和四四年春ころから頭部にチクチクする異常感も現われるようになつた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年六月ころには水俣病に罹患していたものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、神経性難聴、右足趾の知覚低下、手指の軽い拘縮、四肢の腱反射の減弱、四肢の軽い共同運動障害および平衡障害が認められ、そのため同原告は現在も治療を継続し、生業の漁業は身体の具合がよいときに従事する程度であつて、軽易な労務以外の労務に服することができない状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

(二)  原告(74)近彦一

(1)  原告近彦一は、父彦蔵が川漁を営んでいたため毎年主に一〇月から三月にかけて阿賀野川で獲れた魚を多食していたが、殊に昭和三九年秋から昭和四〇年にかけては、ニゴイなどが比較的豊漁であつたため、ほとんど毎日のように一日一ないし二食の割合でニゴイ、マルタを摂食した。

(2)  同原告は、昭和四二年ころから全身筋のピクピクする感じや易疲労性を自覚していたが、昭和四四年から手足のしびれ感が現われ、翌昭和四五年三月ころ、神経学的に四肢末梢部の知覚低下と上肢の振戦が認められ、両側の求心性視野狭窄が指摘された。こうした症状が増悪する傾向にあつたため、同年六月一〇日新大神経内科に入院して検査をした結果、前記各所見に加えて両側の神経性難聴が認められた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四五年三月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両側性の求心性視野狭窄と神経性難聴、両肘、両膝以下の知覚低下、上下肢の共同運動障害と腱反射の減弱が認められ、そのため同原告は易疲労感を覚えて勤務先を時々欠勤し勝ちであり、普段継続的に不快感を遺している状態にある。

(5)  同原告の前記各症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔e〕ランク患者として金一〇〇万円が相当である。

6原告(16)桑野九二三、同(17)桑野清三および同(18)桑野ミヨについて

前記認定のとおり、原告桑野清三と同ミヨは夫婦であり、原告桑野九二三は右清三の養父である。

(一)  原告(16)桑野九二三

(1)  原告桑野九二三は、その養子である清三が川漁を営んでいたため、毎年阿賀野川で獲れる魚を多量に摂食していたが、特に昭和三九年秋ころから昭和四〇年春にかけては、ニゴイ、マルタ、ヤツメウナギなどを一週間に約二キログラムの割で摂食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年秋ころから手足にしびれ感を覚え、次第にこれが増強し、昭和四一年春ころから構語障害、嗄声に気づくようになり、同年秋には両手の振戦を自覚し、昭和四二年には歩行時のふらつきが現われるようになつた。そして同年六月の健康調査の際、手足の知覚低下、手の振戦と上肢の共同運動障害が認められ、また、同年七月二五日新大神経内科で受診した際、口周囲と両手指、両膝以下に知覚低下、上下肢の共同運動障害(小脳症状)、前腕に筋束性攣縮が認められた。そしてまた、昭和四四年五月ころから両下肢の運動障害が次第に強まり、同年八月ころからは、ほとんど床につくようになり現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四二年七月ころ水俣病に罹患していたものと認めるのが相当である。

(4)  もつとも乙第四〇六号証(カルテ)には、同原告は「頸椎関節強直(変形性頸椎症)と多発性神経炎が問題となる。」旨および「高血圧の治療をしている。」旨の各記載があり、右記載からすると、同原告の前記症状の中には水俣病以外のものである可能性がないわけではないが、他方同号証自体にも「有機水銀中毒の疑い」と明記されていることおよび同原告の前記症状等からすると、前記各記載は同原告の症状を水俣病と認定するには何ら妨げとなるものではない。

(5)  同原告には現在、視野狭窄が認められ、軽い構語障害、両手首、両足首以下に知覚低下があり、四肢は細く筋萎縮が広汎に生じ筋力も弱い。腱反射は上肢が減弱し下肢は正常、上下肢に軽い共同運動障害(小脳症状)が認められ、足趾が屈曲変形してきている。同原告は右各症状のため現在寝たきりの生活を余儀なくされ、日常生活全般に介助を要する状態にある。もつとも、同原告は、元来身体が弱く、かつ、高令(前記認定のとおり明治二六年一〇月二六日生)であるから、これらの事情が前記介助を要する状態の一因をなしていることも否定できない。そして、同原告は現在生業資金の借入等によつて生活を維持している。

(6)  同原告の前記症状等からすると、〔b〕ランク患者に該当するといえなくはないが、同原告の年令等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金六〇〇万円が相当である。

(二)  原告(17)桑野清三

(1)  原告桑野清三は、農業のかたわら毎年一〇月から翌年三月までの間阿賀野川で漁に従事していたため、右の時期には一週間に平均四日くらいの割合でニゴイ、マルタ等を摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年一一月ころ一週間ぐらい食事時に指のふるえを自覚したが、その他には神経学的には他覚的、自覚的に異常はなかつた。しかし、その後昭和四一年ころから体力の減退、易疲労感が強まり、頸部の緊張感、背中の痛みなどが現われ、昭和四二年ころから左半身の脱力、倦怠感が次第に増強し、昭和四四年には左上下肢の不全麻痺と左下肢の筋萎縮がみられるようになつた。また、このころから四肢の共同運動障害、口周囲および四肢末梢部の知覚低下も明らかとなり、昭和四四年八月には求心性視野狭窄が認められ、さらに昭和四五年六月ころには、前記各所見以外にも神経性難聴が認められ、左母趾の変形も次第に現われてきた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四四年ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、四肢末梢部の知覚低下、求心性視野狭窄、神経性難聴、四肢の軽い共同運動障害(小脳症状)、左上下肢の軽い不全麻痺(筋力の低下)と左下肢の筋萎縮、左母趾の変形が認められ、一家の主柱として農業に従事しているものの、その労働能力は半減に近く、このため生業資金の借入等によつて生計を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(三)  原告(18)桑野ミヨ

(1)  原告桑野ミヨは、その夫である清三が川漁を営んでいたため、毎年阿賀野川で獲れる魚を多量に摂食していたが、特に昭和三九年秋から四〇年春にかけてはニゴイ、マルタ、ヤツメウナギなどを多食した。

(2)  同原告は、昭和四一年八月ころから全身倦怠感、疲労感を、同年一一月には両腕に異和感を覚え、昭和四二年三月ころには口周囲のしびれ感、両手の明らかな知覚低下などが認められ、同年一〇月ころには手指のこわばりが現われ、時々茶碗を落すようになり、昭和四四年七月には求心性視野狭窄を指摘されるに至つた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四一年八月ころまでには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、軽い視野狭窄、難聴、口周囲および両肘、両膝以下の知覚低下、左上下肘の筋力低下、四肢の腱反射の減弱、両手指の拘縮、四肢の軽い共同運動障害と平衡障害などが認められるほか頭重感、不眠、冬期に特に悪化する四肢の節々の鈍痛に悩まされている。しかし、かような症状の下でともかくも、一家の主婦として家事に従事するほか、特に父九二三の世話をひとりでしており、したがつて、同原告は服することができる労務が相当程度制限される状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

7原告(19)古山マリコ、同(59)古山繁、同(20)古山知恵子および同(21)古山務について

前記認定のとおり、原告古山繁、同マリコは夫婦であり、同古山知恵子はその間の子であり、原告古山務は原告古山繁の弟である。

(一)  原告(20)古山知恵子

(1)  原告古山マリコは、原告古山繁と昭和三九年四月結婚し肩書住所に居住していたが、夫が農業のかたわら阿賀野川で漁業を営み、ニゴイ、マルタ、フナなどを捕獲していたため、漁期である昭和三九年一〇月末から昭和四〇年三月までの間、夫の捕獲してきた川魚をほとんど毎日のように多量に摂食していた。

(2)  原告マリコは生来健康で、結婚後間もなく妊娠したが妊娠中は病気することもなく、また、服薬することもなかつた。

(3)  原告マリコは昭和四〇年三月二七日原告知恵子を出産したところ、知恵子は、出産時の体重は三、〇〇〇グラムで特に異常も見当らず、新生児黄疸も軽く、生後二か月間は母乳、六か月までは母乳と人工栄養の混合で育てられたが、乳幼児期には特に病気にかかることもなかつた。

(4)  しかし、原告知恵子は、その後発育の遅れが目立つたため、昭和四一年三月一二日新大小児科へ入院して治療した結果、ペニシラミンの投与により尿中の水銀排泄に六九六ないし一、二七二μg/lの著明な高値を示したほか、気脳写で大脳の前頭葉、後頭葉に広汎な脳萎縮を示す所見がみられた。

(5)  同原告には現在、高度の知能障害と言語障害、錐体外路症状としての筋硬直、寡動、アテトーゼ、視床手様異常肢位、小脳症状として首や躯幹の筋緊張の異常な低下、運動の拙劣さとゆつくりな動作などを主要な症状として、さらに錐体路症状である病的反射、下肢の囲内筋拘縮や尖足、自律神経障害としての著明な流涎、斜視や原始反射など多彩な症状が入り組んで認められ、現在では、家族を識別して自分の要求をかなり表現できるようになつたとはいえ、辛うじて喋れる数語にも構語障害があり、上下肢の筋硬直、アテトーゼがみられ、自ら立ちまた歩行することさえ出来ない状態にある。

(6)  そして、甲第五〇号証によると、つぎの事実が認められる。すなわち、

(イ) 水俣市郊外の水俣病多発地域に、水俣病の多発した昭和三〇年から昭和三四年までの間に生まれた小児で、身体および精神発達の遅延、運動障害を示す、いわゆる脳性小児麻痺と思われるものが多数いることがわかり、熊大研究班において昭和三四年からその研究に着手し、その大部分は水俣病との関係が濃厚であることが示唆された。

(ロ) これら小児のうち一七例が昭和三七年一一月に、五例が昭和三九年三月に、それぞれ熊本における患者診査会において胎児性(先天性)水俣病と診定された。

(ハ) 右患児の家業は漁業または半農半漁であるものが多く、また、その家族中に水俣病に罹患している家庭は二一例中七例にのぼつた。

(ニ) これらの患児の主要症状として、精神障害、運動失調、歩行・言語・咀嚼嚥下障害は全例にみられ、また、聴力・視力障害、視野狭窄等は小児では明らかにすることは不可能であつたが、明らかに難聴を認めるもの4.5パーセント、視力としては光をみる、明るい方を向くのが22.7パーセント、物や光を追視するものが13.7パーセントあり、他は普通の視力と思われ、完全な盲目はなかつた。また、腱反射の亢進は81.8パーセント、病的反射陽性は54.5パーセント、不随意運動72.7パーセント、原始反射陽性72.7パーセントで、これらを小児(後天性)水俣病、成人水俣病に比較すると、明らかにその発現頻度が高かつた。

(ホ) また、患児一九例の頭髪中の水銀量を測定した結果は、一〇ppm以下でほぼ正常の範囲にあると思われるものは三例で、他の一六例(84.2パーセント)中、一〇ないし五〇ppmのものは九例、五〇ないし一〇〇ppmのものは七例であり、患児の母親一一例の頭髪中の水銀量は一〇ppm以下のもの三例、一〇ないし五〇ppmのもの三例、五〇ppm以上のもの五例で、一一例中八例(72.7パーセント)に増量をみ、特に二例の患児(姉妹)の母親は一九一ppmの高値を示した。

(ヘ) 結局、前記胎児性水俣病の臨床症状は、かなり多彩であるが、その特徴を要約すると、全例とも、

(ⅰ) 症状は乳児期、殊に乳児の早期から現われていること

(ⅱ) 症状は一過性のものではなく、また非進行性であること

(ⅲ) 身体発育の遅延があること

(ⅳ) 高度の精神障害がみられること

(ⅴ) 運動機能の発育遅延ならびに筋緊張の異常と運動失調によると思われる自発的運動能力の不全および運動の円滑さの欠如がみられ、これらはすべて両側であること

などである。

(ト) すなわち、これらの状症は、在胎期または出生前後に起つた脳の広汎な障害を思わせるものであつて、このような乳児期に中枢神経の障害によつて発達遅延をきたす疾患は多く、脳性小児麻痺、各種の精神薄弱、脳変性疾患などがある。しかし、胎児性水俣病患児にみられたような状症の非進行性、身体、精神および運動機能の障害に加えて、不随意運動、筋緊張の異常、腱反射の亢進、肢位異常などの臨床状症に患児の家族歴および既応歴を考え併せると、胎児性水俣病は脳性小児麻痺と診断するのがもつとも妥当と思われる。しかし、胎児性水俣病には、従来脳性小児麻痺の臨床症状として報告されているものと異なるいくつかの特徴があり、両者の異同を一括すると表〔14〕のようになる。

(チ) 結局、昭和三〇年から昭和三四年にかけて水俣市郊外に発生した二二例の中枢神経障害を示している患児について、その発生状況、家族歴、既応症、臨床像、臨床検査成績などを総合すると、これらの臨床像からすれば、明らかに脳性小児麻痺の重症型あるいはcerebral dysfunction syndromeに他ならないが、前述した諸々の事由からすれば、胎児性(先天性)水俣病というべきである。

(7)  前記認定の原告古山マリコの懐妊中における川魚の摂食状況、同原告の妊娠、分娩の際、胎児にとつて特に重篤な脳障害となる原因が見当らないこと、原告マリコおよび原告知恵子の頭髪水銀量、原告知恵子のペニシラミンによる多量の水銀の排泄の事実等に、水俣における胎児性水俣病について前述した各臨床状症、家庭歴等を考え併せると、原告知恵子は、胎児期から新生児期にかけて胎盤を経由して高濃度の有機水銀の汚染を受け、その結果中枢神経に障害をもたらしたことによつて発症した有機水銀中毒症、すなわち胎児性水俣病であると認めるのが相当である。

(8)  同原告には現在、前記認定のとおり、高度な知能障害、言語障害等の各症状が認められるばかりでなく、今後正常な発育は全くといつてよいほど期待することはできず、廃人同様の生活を将来も引き続き余儀なくされるものと思われる。

(9)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は〔a〕ランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(19)古山マリコおよび同(59)古山繁

(1)  原告古山マリコおよび同古山繁は、前記認定のとおり、胎児性水俣病のため生まれながら廃人同様の知恵子の父母として、同女の日常生活全般にわたり介助を余儀なくされているばかりでなく、改善の見込もない同女の状症等から蒙る現在および将来の精神的苦痛は甚大であり、死にも比肩すべきものがあるといつても過言ではなく、原告知恵子の両親としての慰藉料は各金七〇万円が相当である。

(2)  原告古山マリコは、前記認定のように川魚を反復摂食したため、昭和四〇年七月現在その頭髪中に二九三ppm(放射化分析)の水銀量を保有していた。

同原告は当時二五才であつたところ、同年八月ころ県水銀中毒対策本部から頭髪水銀量五〇ppm以上の妊娠可能婦女子(当時一六才から五〇才まで)を対象とした受胎調節等(以下「妊娠規制」という。)の指導を受け、同規制は昭和四二年六月まで継続された。

ところで、当時阿賀野川の川魚を反復して多量に摂食した者の頭髪水銀量が健康人のそれよりもはるかに高い五〇ppm以上である場合には、その体内に水俣病の病因物質であるメチル水銀を保有しているおそれがあつたため、原告マリコは、右規制の対象とされていた期間、不具の子を妊娠しないかとの不安と危惧の念を抱いた日日を送らざるを得なかつた。同原告が妻また母親として、前記認定のように妊娠に不安を抱く日日を送つた精神的苦痛は、原告知恵子を抱えていただけに大きく、かような諸事情を考慮すると、これが慰藉料は金三〇万円が相当である。

(3)  なお、同原告は、水銀保有者としても甚大な精神的苦痛を受けているとして、これが慰藉料の請求をしているが、〈証拠〉によると、同原告の頭髪中の水銀量は、その後昭和四〇年一一月には一二八ppm(放射化分析)、昭和四二年三月には21.6ppmとなり、同年六月当時にはすでに健康人のそれと大差がないことが認められるばかりでなく、そもそも、同原告が、前記のとおり妊娠規制による慰藉料の請求をしていることは、その前提として、頭髪中に高水銀量を保有していたためであるから、すでに保有水銀量が正常となつている現在、妊娠規制による慰藉料のほか水銀保有者としての慰藉料の支払を求める請求部分は、その理由がない。

(4)  よつて、原告古山マリコが被告に対して請求できる慰藉料額は、右(1)および(2)の合計金一〇〇万円、原告古山繁のそれは右(1)の金七〇万円である。

(三)  原告(21)古山務

(1)  原告古山務は、兄繁が阿賀野川で漁業を営んでいたため、毎年一一月から翌年三月までの漁期には、ニゴイ、マルタ、フナなどをほとんど毎日のように多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年五月ころから両手と膝以下の足にしびれ感を覚え、同年一〇月ころから前額部と後頭部のしびれ感、手の振戦がみられ、全身倦怠、全身筋肉の束性攣縮、手指のこわばり、四肢の筋力低下、軽い平衡障害、無気力な精神病状などが引き続き現われてきた。そして昭和四三年三月には、口唇部、頬、側頭部、前腕、手、足部の知覚低下がみられ、さらに同年一二月には、舌、口内のしびれ感が加わり、その後めまい感、頭痛、腰痛、膝の痛み、右上肢の筋肉痛などが出没している。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年五月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両手足の知覚低下、軽い平衡障害、四肢の筋力低下と腱反射の減弱が認められ、現在港湾荷役の労務に従事しているが、右状症のため、作業中に時折腰痛を覚えるほか疲労し易くなるなどの状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔e〕ランク患者として金一〇〇万円が相当である。

8原告(22)五十嵐英夫および同(57)五十嵐マツについて

前記認定のとおり、原告五十嵐英夫と同マツは夫婦である。

(一)  原告(22)五十嵐英夫

(1)  原告五十嵐英夫は、肩書住所において自転車店を営んでいたが、昭和三二年新潟市津島屋にその出張所を出して以来、得意先の漁師等から阿賀野川の川魚をもらつてよく食べるようになり、特に昭和三九年八月末から同年一一月ころにかけては、ニゴイ、ボラ、マルタ、ハゼ、ヤツメウナギなどを多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年一〇月上旬から前腕部に筋肉がつるような緊張感が現われ、手を握ると痛みを感じ、次第に口唇部や両手指にしびれ感を覚えるようになつた。その後右状症は漸次悪化し、昭和四三年二月ころから口唇部、手足のしびれ感は増悪し、平衡障害、歩行障害、手指の拘縮、耳鳴などの状症が出現するに至つた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四三年二月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、口唇および口周囲、手関節、膝以下の知覚低下、構語障害、両手指の拘縮(屈曲、伸展の制限)、握力の低下、上下肢の共同運動障害、平衡障害および失調性歩行の症状を呈している。

(5)  もつとも、〈証拠〉によると、同原告は一七才のころから慢性脚気にかかり、じ来全身倦怠と全身の異常知覚、しびれ感に悩まされてきたこと、この全身のしびれ感は川魚摂取で悪化したものではないこと、および同原告は昭和四一年一月から五月にかけて時々めまいと発作におそわれたことが認められ、また、乙第三八四号証(カルテ)には、「水銀による症状とは考えにくい。」旨および乙第三八五号証(カルテ)には臨床診断として、「脳軟化症(右不全マヒ)」旨の各記載があるから、以上の所見に注目すると、同原告の前記症状はいずれも脚気ないし脳軟化症に起因するものではないかとの疑いがなくはないが、他方、前記乙号証にはいずれもその臨床診断として「有機水銀中毒」もしくは「有機水銀保有者」旨の記載があること、乙第三八四号証(カルテ)の前記記載もこれを仔細に検討すると、同原告の前記のめまいと発作は一過性の脳脈管不全と考えるのが最も妥当と考えられ、水銀(中毒)による症状とは考えにくいとするものであつて、同原告の前記各症状の原因として水銀中毒症を全く否定し去つているものではないものと理解されること、したがつて、前記乙号各証(カルテ)の各記載を総合すると、結局、同原告の前記認定の各状症は、水俣病のみに起因するものであるとは到底これを認めることはできないが、同中毒症に脳軟化症等の合併症が有機的に、かつ、複雑微妙に作用して同原告の前記各症状を呈するに至つたものと認められる。

(6)  同原告は、前記症状のため、家業の自転車店を廃業するの止むなきに至つたばかりでなく、洋服の着用にも介助を要し、また、歩行に際しては杖を常用している状態にある。同原告の前記症状およびその生活障害の程度からすると、同原告は〔b〕ランク患者に該当するが、前記合併症、年令等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(二)  原告(57)五十嵐マツ

原告五十嵐マツは、水俣病患者である夫英夫の世話にかかりきることを余儀なくされており、これがため妻として固有の精神的苦痛を蒙つていることを理由に、これが慰藉料を請求している。

しかし、同原告の全立証によつても、夫英夫の症状とその生活障害の程度は、前記認定の程度にとどまるから、これをもつて到底民法第七一一条にいわゆる死にも比肩すべき苦痛がある場合にあたると解することはできず、そうだとすると、同原告の本訴請求は理由がない。

9原告(23)橋本晃について

(一)  原告橋本晃は、川魚が好きで知人からもらつて摂食していたが、昭和三九年末から昭和四〇年春にかけて兄の原告(35)橋本十一郎からニゴイを沢山もらい、例年になくこれを刺身、みそ汁などにして毎日のように多食した。

(二)  同原告は、昭和四〇年春ころから今までにない疲労感、全身倦怠感を自覚し、同年一一月初旬には腰部から右下肢に疼痛としびれ感が現われ、昭和四一年五月ころには右部位に重苦しさを感じ、そのため右足はつまずき易く、歩行も不自由となつた。その後昭和四二年四月には両手のしびれ感と知覚鈍麻に気づき、新大神経内科で受診したが、その際、両手と右足部の知覚低下、右上下肢の共同運動障害を認めた。さらに同年七月ころから、頭部のしびれ感、左足部の知覚低下、腱反射の亢進、振戦、筋の筋束性攣縮などが加わり、昭和四三年には両手のこわばりと拘縮が現われ同年一二月には新大眼科で求心性視野狭窄が指摘されるに至つた。なお、全身に痛みを伴う筋肉の一過性の痙攣(こむらがえり)が昭和四〇年一一月ころから頻発し、右状症は現在まで続いている。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年一一月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、両手首と両膝以下の知覚低下、求心性視野狭窄、耳鳴、手指の拘縮と握力の低下、下肢の腱反射の減弱、上下肢の共同運動障害と平衡障害、失調性歩行障害、こむらがえりなどの所見が認められ、そのため、家業である自転車販売修理業も思うにまかせず二男昇および三男光男の手伝を受けて辛うじてこれを維持しているが、これが収入は半減し、生業資金を借り入れて生活している状態である。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

10原告(24)五十嵐健次郎について

(一)  原告五十嵐健次郎は、生業として三〇年来阿賀野川で川漁を営み、同川で獲れるサケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタ、コイなどは自家用として摂食し、殊にニゴイは三月、四月を除いて年中ほとんど毎日二食程度、一日一キログラム程度を刺身、煮つけなどにして多食していた。

(二)  同原告は、昭和三八年ころから全身倦怠、仕事時の強い疲労感を覚えるようになり、昭和三九年一〇月ころから両手指の知覚鈍麻が現われた。その後も易疲労感、仕事時の異常発汗、細い道でのふらつき、物忘れし易いなどの状症が続き、昭和四〇年一一月眼振と前進機能障害が指摘された。さらに昭和四二年ころから、手指のこわばり感、筋束性攣縮、手指の細かい共同運動の障害、上肢の振戦などがみられたほか、昭和四三年ころには両足部のしびれ感も加わつた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和三九年一〇月ころには水俣病に罹患していたものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、口唇部と前腕および下腿の二分の一以下に知覚低下、上下肢の共同運動障害と軽い平衡障害、上下肢の腱反射の低下、手指の軽い屈曲拘縮が認められ、そのため生業として続けてきた漁業をやめたばかりでなく、兼業としていた鳶職の仕事も危険となつてやめてしまい、現在は一週間に二日の割合で前記各症状の治療のため医師の往診を受けながら、半日は臥床し、半日は床から起きて新聞やテレビをみて無為に過ごす生活を余儀なくされ、生業資金の借り入れや妻の収入によつて辛うじて生計を維持している。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

11原告(25)成田松吉および同(58)成田チヨについて

前記認定のとおり、原告成田松吉と同チヨは夫婦である。

(一)  原告(25)成田松吉

(1)  原告成田松吉は、川魚が好きでこれを買い求めて摂食していたが、特に昭和三九年秋ころから昭和四〇年初めにかけては、少なくとも三日に一度位の割合で川魚を摂食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年一月急に言語がもつれ、口が曲がり、左手の脱力を生じたため入院治療を受け、右症状はほとんど軽快したが、間もなく易疲労感、めまい感を覚え、さらには同年七月ころから口周囲、後頭部、腰、手足にしびれ感を自覚するようになつた。そして同年九月ころには、急に泣きだしたり夜間川辺をうろつくなどの異常行動もみられるようになり、同月二二日新大神経内科で受診時、左難聴、言語障害、右手の知覚低下を認め、口周囲にしびれ感もみられるようになつた。その後言語障害が悪化し、目つきが鋭くなり、流涎をきたし、話しかけてもぼんやりしている状態となり、一時軽快したが、再度少しずつ悪化の傾向をたどり、昭称四二年一月ころから左手のしびれ感、昭和四三年一月ころから口周囲のしびれ感と四肢末梢部の知覚低下をきたし、そのころから発語不能となり、食事および日常生活全体に介助を要するようになつた。さらに昭和四四年ころから嚥下障害も加わり、流動物をかろうじて飲みこむことができるような状態となり、情動失禁、強制泣、強制笑、易怒、乱暴するなどの精神症状も強まり、知能障害(痴呆状態)も高度で、軽快することがなく現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四二年一二月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、強い知能障害と情動失禁を認め、簡単な質問は理解し指示に応ずることができるが、発語は不能で嚥下障害も著しい。また、右上下肢に軽い筋力の低下があり、歩行時わずかに右足をひきずり、筋力が比較的保たれているにもかかわらず右上肢はほとんど動かすことができず、右上肢に強い痙縮と筋硬直がみられる。また、両手は中基節関節で屈曲し、指は伸展しており、異常な肢位をとる。さらに、求心性視野狭窄のほか口周囲部、両側四肢末端部にしびれ感を訴え、同部に知覚低下を認める。共同運動も全体に拙劣で、軽い平衡障害を認める。

(5)  もつとも乙第三八六号証(カルテ)には、診断として脳軟化症、乙第三八七ないし第三九〇号証(いずれもカルテ)には、各臨床診断として脳梗塞の各記載があり、前掲各証拠によると、同原告は脳軟化症その他の脳血管障害を有し、ときおり発作にみまわれ、しびれ感を覚えることがあり、これに対しても投薬等による治療を受けていたことは容易に認められるが、他方、前記認定事実から窺われるように、右各症状は比較的短期間に軽快していること、および〈証拠〉によると、同原告の知覚障害、知能障害等前記認定の各症状は、水俣病に特徴的なもので、脳軟化症等の血管系障害では説明し得ないものであることが認められるので、以上からすると、同原告の前記各症状は水俣病に基因するものと認めざるを得ない。

(6)  同原告は、前記症状のため、勤務先の鉄工所を退職するのやむなきに至り、以上からも明らかなように、廃人同様の生活を余儀なくされているところ、前記症状等諸般の事情を総合すると、同原告の受けている苦痛は死にも匹敵するものがあり、これが慰藉料は〔a〕ランク患者として金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(58)成田チヨ

原告成田チヨは、前記認定のとおり、重症の水俣病患者として廃人同様となつた松吉の妻として、その日常生活全般にわたる介助を余儀なくされているばかりでなく、永年連れ添つた夫がほとんど再起の見込みもなくなつてしまい、ために一時は家庭生活にも破綻をきたしたものであつて、かような夫松吉の症状、生活状況等諸般の事情を総合すると、妻としての同原告の慰藉料は金七〇万円が相当である。

12原告(26)山田二作および同(76)山田ナカについて

前記認定のとおり、原告山田二作と同山田ナカは夫婦である。

(一)  原告(26)山田二作

(1)原告山田二作は、生業として阿賀野川で漁業を営み、同川で獲れるニゴイ、マルタ、フナなどを摂食していたが、昭和三七年ころからほとんど毎日一日約六〇ないし七〇匁の割合で摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年六月ころ両手指にしびれ感を覚えたが、このしびれ感は同年一一月ころから増強して持続的となつた。そして、同年一二月には両足趾にも同様のしびれ感が現われたばかりでなく、漸次、両手のこわばりと握力の低下を自覚するようになり、昭和四二年一月には頭部のしびれ感が、昭和四三年二月には軽い求心性視野狭窄が認められ、その後は前記症状のほか、右耳の聴力低下、四肢の共同運動障害、物忘れ、易疲労感、肩や膝部の鈍痛などが現われ、視野狭窄はさらに進行した。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年六月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、高度の求心性視野狭窄、右聴力低下、両手足末梢部と口周囲の知覚低下、握力の低下、四肢の腱反射の軽い亢進、四肢の共同運動障害と平衡障害が認められる。しかしながら、同原告は、後記認定のとおり、その妻ナカもまた水俣病に罹患しているため、右症状にもかかわらず生活維持のため川漁に従事しているところ、その稼働も思うようにならず、同居している子供らの収入から援助を受けて生計を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(二)  原告(76)山田ナカ

(1)  原告山田ナカは、その夫二作が川漁を生業としていたため、毎年阿賀野川で獲れるニゴイ、マルタ、フナなどを多食していたが、昭和三七年ころからはほとんど毎日夫二作と同様摂食した。

(2)  同原告は、昭和三九年秋ころから両側大腿部や臀部に筋肉の一部がピクピク動く感じがあり、昭和四〇年四月かからこれが痛みを伴うしびれ感となり、同時に両肩から手にかけても右のしびれ感が生じた。その後も右状症は軽快せず、冬期には一層強く感じられるようになつた。そして昭和四二年六月には、顔面と両手の知覚低下と軽い運動障害が認められ、さらに昭和四五年三月一九日新大神経内科で受診した際には、両側の手関節以下、下腿以下に知覚低下と腱反射の減弱、軽い共同運動障害が認められ、同年六月ころには両側の視野狭窄が指摘された。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年四月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、視野狭窄のほか、両手足末梢部の知覚低下、両下肢の腱反射の低下および共同運動障害が認められ、そのため家事のかたわら月に三、四日くらいの割合で魚市場の日雇として稼働しているが疲れ易く、その収入も以前に比べて半減している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

13原告(27)桑野清平について

(一)  原告桑野清平は、阿賀野川で漁業を営む兄の原告(16)桑野九二三および弟の原告(6)桑野忠吾らから毎年ヤツメウナギ、ニゴイ、マルタなどの川魚をもらい、これをよく摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年四月初旬から両手指にしびれ感を覚え、同時に難聴、目が暗くなつた感じ、頭がイライラするなどの症状を自覚した。そして昭和四〇年六月新大神経内科で受診した際、右手に知覚低下、軽い運動障害、平衡障害が指摘され、さらに同年一一月には新大眼科で求心性視野狭窄が認められ、その後は両肘以下のしびれ感、頭重感、記憶力低下、易疲労感、耳が遠いなどの症状がほぼ固定して現在に至つている。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年四月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、両肘と両膝以下の知覚低下、求心性視野狭窄、難聴、四肢の筋力の軽い低下と腱反射の減弱、四肢の軽度の共同運動障害および平衡障害が認められ、そのため家業である自転車店の仕事も思うにまかせず、その収入も半減するに至つた。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に年令、生活障害の程度等を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

14原告(28)大野正男について

(一)  原告大野正男は、昭和三九年一二月末から昭和四〇年三月までの間毎朝のように阿賀野川で四〇ないし五〇センチのニゴイを手づかみで捕え、これを毎日摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年二月下旬から右側頭部にしびれ感を覚え、同時に下肢の背面に神経痛ようの痛みも生じた。下肢の痛みはまもなく消失したが、頭部のしびれ感はその後も続き、同年七月二九日新大神経内科で受診したときには、右側頭部と左手甲部にしびれ感と知覚低下が認められた。その後昭和四二年三月ころから右肩の鈍痛と全身の疲労感が強くなり、さらには両腕の筋束性攣縮、左上肢全体のしびれ感、腱反射の減弱傾向もみられるようになつた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年二月下旬水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、水俣病による左手甲部のしびれ感と知覚低下、難聴、軽い平衡障害等の症状があるほか、昭和四五年三月発病した脳血管障害の後遺症として、右半身の筋力低下、軽い運動障害と知覚低下が認められる。同原告は農閑期にはブルトーザーの運転手もして働いていたが、昭和四二年ころからは、前記水俣病の症状のためこれが困難となり、現在では前記合併症に因る後遺症も加わり、軽易な労務以外の労務に服することができず、生業資金も借り受けて生計を維持している。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度および合併症の症状とこれが程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

15原告(29)村木藤四郎について

(一)  原告村木藤四郎は、生業として阿賀野川で川漁を営み、同川で獲れるサケ、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタ、フナ、ボラ、コイなどの雑魚は自家用としてほとんど毎日二貫目くらいを一家で摂食し、殊に冬期間は川魚が美味のため特に多量に摂食していた。

(二)  同原告は、すでに昭和三九年六月以前から身体がだるく、仕事が手につかず倦怠感を自覚していたが、昭和四〇年一月ころから目がかすみ難聴が強くなつた。その後同年五月中旬から両肘と両膝以下にしびれ感が現われ、同年六月には口周囲にもしびれ感を自覚し、同月二九日新大神経内科で受診した際、難聴、構音障害、口周囲と四肢末梢部の知覚低下、共同運動障害(小脳症状)を認めた。その後、後頭部にもしびれ感が現われ、全身倦怠、不定部位の筋束性攣縮が加わり、昭和四二年六月ころから歩行時よろけ易くなるとともに右足の鈍痛としびれ感が増強し、右下肢の脱力が著明となり、昭和四三年以降は両手指の拘縮、記憶力の減退、両耳難聴も加わり現在に至つている。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年一月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、口周囲、両手、両膝以下に知覚低下、両側の難聴、両手の握力の低下と右下肢の脱力、四肢の共同運動障害、平衡障害が認められるほか、最近では右上下肢の不全麻痺を示す徴候がみられるに至つた。そのため、同原告は漁業に従事することができなくなつてこれを廃止するのやむなきに至つたばかりでなく、疲労感のため半日は横臥して家事の仕事も満足にできず、長男夫婦の収入と農協からの借入金等によつて生計を維持している。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

16原告(30)中川春雄および同(31)中川チカについて

前記認定のとおり、原告中川春雄と同中川チカは夫婦である。

(一)  原告(30)中川春雄

(1)  原告中川春雄は、川魚が好きで自分で阿賀野川で漁をしてニゴイ、マルタ、ヤツメウナギなどの川魚を捕獲し、これを摂食していたが、昭和三九年秋から昭和四〇年二月にかけては、川魚を一日二、三匹の割合で摂食した。

(2)  同原告の頭髪水銀量は、前記認定のとおり、昭和四〇年八月当時三九九ppmを示した。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況とすでに認定したところを総合して考え併せると、同原告の頭髪水銀は川魚の摂食によるものであり、かつその量が健康人のそれをはるかに上廻つている以上、その体内には水俣病の病因物質であるメチル水銀を相当程度保有しているおそれがきわめて大きいということができる。

(4)  同原告は、神経学的検査では上肢の腱反射減弱以外に異常はなく、また、眼科的検査でも異常は認められず、未だ水俣病に罹患したものということはできないが、昭和四二年ころから易疲労感を自覚し、両腕、両大腿部に鈍痛が現われている。

右の症状はいわゆる一般症状でもあるが、前述したところから明らかなように、水俣病においても同様の症状が現われており、このため、保有水銀量が異常に高いことも加わり、同原告は、水俣病が発症しないかと絶えず危惧し、その将来の生活について不安と焦燥を抱いている。

(5)  同原告の右認定のような生活上の不安、焦燥感に前記認定のような本件中毒症の特性とその経過を考え併せると、これが慰藉料は金四〇万円が相当である。

(二)  原告(31)中川チカ

(1)  原告中川チカは、昭和三九年一月二五日前記春雄と婚姻して同居するようになつてからは、春雄の捕獲してきた前記川魚をともに反復摂食したため、昭和四〇年六月現在頭髪中に77.7ppmの水銀量を保有していた。

(2)  同原告は当時三一才であり、同年八月ころ前記妊娠規制の指導を受けてから、昭和四二年六月その保有水銀量が6.7ppmに減少して右規制が解除されるまでの間、前述した原告(19)古山マリコと同様に、不具の子を妊娠しないかとの不安と危惧におののく毎日を送らざるを得なかつた。

(3)  同原告の前記認定事実等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金三〇万円が相当である。

17原告(32)本田光子について

(一)  原告本田光子は、昭和四〇年八日八日訴外本田義和と式をあげ、同月二五日婚姻の届出をした。同原告は結婚前新潟市津島屋三四六番地の実家に居住し、そのころ川魚を摂食していたため、昭和四〇年七月現在頭髪中に90.2ppmの水銀量を保有していた。

(二)  同原告は、このため同年八月妊娠規制の指導を受けたが、その後昭和四一年八月一八日長女和子を出産したところ、妊娠時すでに多量の水銀を体内に保有していたため、前記原告(19)古山マリコと同様の理由から、不具の子が生まれはしまいかとの不安と危惧におののく毎日を送つたばかりでなく、夫やその両親からなにかと嫌われ、夫からは長女を産むなと反対され、そのため夫婦間にも円満を欠く有様であつた。

(三)  同原告の前記認定事実等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金三〇万円が相当である。

18原告(72)五十嵐惣吉および同(33)五十嵐雪子について

前記認定のとおり、原告五十嵐雪子は原告五十嵐惣吉の子惣平の妻である。

(一)  原告(72)五十嵐惣吉

(1)  原告五十嵐惣吉は、昭和三七年ころから阿賀野川で季節漁業をし、サケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタなどの雑魚は自家用として多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年四月ころから肩が張る感じがしたが、同年八月から舌や口唇部、上肢の前腕以下と足部にしびれ感が現われ、下肢の疲労感も自覚されるようになつた。その後右各症状に加えて異常な寒がりやめまい感も覚えるようになり、口唇部、上下肢の知覚障害、上肢の軽い振戦、握力の低下、左上肢の筋の固縮と軽い共同運動障害などが認められた。さらに、昭和四五年には耳が遠くなり、視力も低下し、同年四月新大眼科で両側性求心性視野狭窄を、耳鼻科で神経性難聴が指摘された。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年八月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、求心性視野狭窄と神経性難聴、四肢末梢部と口唇部の知覚低下、両側握力の低下、軽い四肢の共同運動障害と平衡障害が認められ、そのため、同原告は昭和四五年一月ころから漁業をやめ、現在では家に居て留守番や孫の世話をしており、生業資金を借り受けて生計を維持している状態である。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に年令、生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(二)  原告(33)五十嵐雪子

(1)  原告五十嵐雪子は、昭和三九年三月二〇訴外五十嵐惣平と式をあげ、昭和四〇年五月一二日婚姻の届出をした。同原告は、挙式前も実家である豊栄市新井郷一七〇番地で川魚を摂食していたが、挙式後夫惣平と生活をともにしてからも、前記惣吉の捕獲した川魚を反復摂食したため、昭和四〇年六月現在頭髪中に五三ppmの水銀量を保有していた。

(2)  同原告は同年一〇月二六日長男真雅を出産したところ、これに先立つ同年八月前記妊娠規制の指導を受けたため、当時すでに出産を間近にひかえていたことから、前記原告(19)古山マリコと同様の理由から、不具の子が生まれはしまいかとの不安と危惧にかられた。その後無事長男真雅を出産したものの、同人に将来保有水銀のため影響がでるのではないかとの不安が去らず、その後昭和四一年に妊娠したが、保有水銀の胎児に対する影響の不安から、妊娠中絶をすらせざるを得なかつた。

(3)  同原告の前記認定事実等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金三〇万円が相当である。

19原告(34)山田房子

(一)  原告山田房子は、昭和三五年二月二六日訴外山田義郎と式をあげ、同年四月二七日婚姻の届出をした。同原告は右義郎と同居してからは、義郎の父の原告(26)山田二作が捕獲した川魚を反復摂食するようになり、その結果、昭和四〇年六月現在頭髪中に一一一ppmの水銀量を保有していた。

(二)  同原告は当時すでに長男和義と二男加津則をもうけていたが、昭和四〇年八月妊娠規制の指導を受けたため、昭和四二年七月右規制解除の通知を受けるまでの間、前記原告(19)古山マリコと同様の理由から絶えず水銀による不具の子を妊娠しないかとの不安と危惧におののく毎日を送つていたところ、その後昭和四一年二月ころ妊娠したものの、保有水銀の胎児に対する影響の不安から妊娠中絶をせざるを得なかつた。

(三)  同原告の前記認定事実等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金三〇万円が相当である。

20原告(35)橋本十一郎について

(一)  原告橋本十一郎は、川魚が好きで、昭和三九年一〇月ころから昭和四〇年三月までの間毎晩阿賀野川でニゴイを捕獲し、毎日のように刺身などにして摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年五月ころから両手指にしびれ感を覚え、ついで足底部にしびれ感、握力の低下の各症状が加わり、同年八月新大第一内科において診断を受けた際、両上肢尺骨神経域の知覚低下と強度のしめつけられるようなしびれ感がみられた。前記各症状はその後も変らず、昭和四一年ころからは手指の屈曲、昭和四二年ころからは前腕部を中心とする筋束性攣縮が現われ、下肢の深部知覚障害も増悪した。その後下肢の全知覚低下が次第に明らかとなり、上肢の共同運動障害も明瞭となつてきた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年五月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、口周囲および両肘・両膝以下の知覚低下、右耳難聴、上肢全体の軽い筋力低下と握力の低下、両手骨間筋の筋萎縮、両上肢の振戦、四肢の共同運動障害と平衡障害、腱反射の減弱傾向などが認められ、そのため家業である自転車店の経営も思うにまかせず、疲労を覚え易いため、軽易な労務以外の労務に服することができない状態にある。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金四〇〇万円が相当である。

21原告(36)橋本繁雄について

(一)  原告橋本繁雄は農業を営んでいたが、昭和三九年一一月ころから昭和四〇年三月ころまでの間阿賀野川でニゴイやヤツメウナギなどを捕獲し、一週間に四日位の割合で、特に川魚の頭部、内臓を好んで摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年六月ころから両手指にしびれ感を覚えたが、その後右しびれ感は口唇部、足にも拡大し、同月末ころには口周囲、両手、両足に知覚障害を認めるようになつた。その後も右の所見に変りはないが、新たに舌尖のしびれ感、下肢筋力の低下、大腿部の筋束性攣縮、動揺性歩行などが認められるようになつた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四三年二月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、神経性難聴と口周囲を中心とする顔面、両肘、両膝以下の知覚低下、軽い上肢の振戦、共同運動障害(小脳症状)、平衡障害、上肢の骨間筋を中心とする軽い筋萎縮、軽度の構語障害が認められ、そのため農業に従事することができなくなり、現在田を売つたりして生活を維持している状態である。

(五)  もつとも、〈証拠〉には、同原告の合併症として肺結核症が記載され、また、乙第三九一号証、第三九二号証、第三九四号証によると、同原告は昭和三六、七年ころから連日一升ないし一升五合の酒を飲み、遂に昭和四一年二月急性アルコール中毒症として入院加療を受けるに至つたこと、同原告は、アルコール中毒症に罹患した結果、体内にアルコール分がなくなると手先がふるえ、また飲酒後は指のふるえのため書字が不能となつたが、アルコールを中止したら振戦は消失したこと、そのため同原告は昭和四一年四月一五日新大神経学的検査の結果では、水銀中毒症が否定されアルコール中毒症と考えられたこと、しかも同原告はその後も依然として酒をやめず、一週間に四回位の割合で飲酒を続けていたこと、およびその後さらに精密検査を継続した結果、同原告には水銀中毒としての徴候、症状が認められるに至つたことが認められる。

以上の認定事実によると、同原告の前記認定の症状には、アルコール中毒症もしくは肺結核症が相当程度関与していることは容易に肯認することができるとしても、これが水俣病に起因することも全く否定してしまうこともできない。

(六)  同原告の前記各症状およびその生活障害の程度からすると、同原告は〔c〕ランク患者に該当するが、前記合併症およびその関与の程度等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金二〇〇万円が相当である。

22原告(38)大野セツ、同(39)大野広司、同(40)大野和子、同(41)堀文子、同(42)大野勝司、同(43)大野トミおよび同(37)大野福治について

前記認定のとおり、原告大野セツは亡大野岩次の妻であり、原告大野広司、同大野和子、同堀文子および同大野勝司は右セツと亡岩次間の子である。また、原告大野トミは右広司の妻、同大野福治は右和子の夫である。

(一)  亡大野岩次

(1)  亡大野岩次は、川魚が好きで近隣からもらつたり前記福治らが捕獲してきた阿賀野川のニゴイ、ハエなどをほとんど毎日のように多量に摂食していた。

(2)  同人は、昭和四〇年一月初旬足底部と手指にしびれを生じ、箸やキセルを持てなくなり、同年二月中旬からは、アメ玉をほうばつたような話し方となるとともに耳も遠くなつた。そして同月一六日ころから臥床するようになり、目はほとんど見えず、同月二五日から全身の力をふりしぼるようにして手足をもがく等の狂乱状態を呈するようになり、食事はもちろん水すら嚥下出来ないような状態が三日間継続したすえ、同年三月二日死亡するに至つた。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状とその悲惨な経過および死の結果等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(38)大野セツ

原告大野セツは、永年連れ添つてきた夫岩次を、前記認定のとおり、悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるところ、これによる妻としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は金一五〇万円が相当である。

(三)  原告(39)大野広司

(1)  亡大野岩次にはその死亡当時相続人として妻セツのほか前記四人の子がいたが、原告大野広司を除く他の相続人はいずれもその相続を放棄したので、同原告は亡岩次の前記一、〇〇〇万円の慰藉料請求権を相続によつて承継取得した。

(2)  さらに、同原告は亡父の二男として、亡父、母および妻子とともに平穏な生活を送つてきたところ、前記認定のとおり、亡父を悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるから、これによる子としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

(3)  よつて、同原告が被告に対して請求できる慰藉料請求額は右(1)および(2)の合計金一、〇五〇万円である。

(四)  原告(40)大野和子、同(41)堀文子および同(42)大野勝司

右原告らのうち原告勝司を除くその余の原告らは、亡父岩次とは生計を異にしていたが、右原告らはいずれも父を敬愛していたところ、前記認定のとおり、亡父を悲惨な症状のうちに不慮の死で失つたものであるから、これによる子としての精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は各金五〇万円が相当である。

(五)  原告(37)大野福治

(1)  原告大野福治は、川魚が好きで昭和三九年一〇月ころから昭和四〇年三月ころまで阿賀野川でニゴイを捕獲し、これを一週間に五、六日くらいの割合で一日に二、三匹程度、特に頭部を好んで摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年一二月末ころから言語と歩行が緩徐となり、昭和四〇年三月ころから両手にしびれ感が現われ、同年四月ころから歩行障害をはつきり自覚するようになり、同年七月三日新大第一内科に入院した際、軽い構音障害が認められたが、前記歩行障害はほとんど軽快していた。しかしその後も易疲労感が続き、昭和四一年ころから左肩部の痛みや腰痛が現われ、昭和四二年六月ころから下肢にしびれ感が認められた。そしてさらに昭和四三年一二月ころ、両手足の知覚低下、深部知覚障害、腱反射の減弱が明らかとなり、昭和四四年八月には新大眼科で求心性視野狭窄が指摘された。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年三月ころまでには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、手指と膝以下の下肢の全知覚低下、求心性視野狭窄、軽い構音障害、下肢の共同運動障害(小脳症状)と平衡障害、上肢の振戦、腱反射の減弱と上下肢の筋束性攣縮がみられ、同原告は現在運輸会社に勤務してショベルカーの運転をしているものの、右症状のため疲労し易く、稼働可能な労務は相当程度制約されている状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(六)  原告(43)大野トミ

(1)  原告大野トミは、昭和三三年一二月二四日前記広司と式をあげ、昭和三四年一月二四日婚姻の届出をした。同原告は広司との間に長女淳子、二女裕美をもうけたが、婚姻後前記岩次らと食膳をともにして阿賀野川で獲れたニゴイ、マルタなどの川魚を反復摂食したため、昭和四〇年六月現在頭髪中に一一〇ppmの水銀量を保有していた。

(2)  同原告は、同年九月九日長男浩之を出産したところ、これに先立つ同年八月ころ前記妊娠規制の指導を受けたため、当時すでに出産を間近にひかえていたことと、前記原告(19)古山マリコと同様の理由、およびこれに加えて、舅岩次の前記悲惨な最後を終始看病して見守つていたことから、不具の子が生まれはしないかとの不安と危惧は、出産期が近づくにつれてつのるばかりであつた。幸い無事出産したものの、同人に将来保有水銀のため影響がでるのではないかとの不安にかられたばかりでなく、将来不具の子を妊娠するのではないかとの心配も拭うことができず、遂に右出産後一週間ほどを経て不妊手術を受けるに至つた。

(3)  同原告の前記認定事実等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金五〇万円が相当である。

23原告(44)五十嵐栄一、同(45)五十嵐松男、同(73)五十嵐ヨシおよび同(77)五十嵐ミヨについて

前記認定のとおり、原告五十嵐栄一、同五十嵐松男および訴外五十嵐栄作は原告五十嵐ヨシの子であり、原告五十嵐ミヨは右訴外人の妻である。

(一)  原告(44)五十嵐栄一

(1)  原告五十嵐栄一は、農業のかたわら阿賀野川で漁業を営んでいたものであるが、同川で獲れるサケ、マス、ヤツメウナギは売りに出し、ニゴイ、マルタ等は自家用として年中ほとんど毎日のように摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年六月ころから両手指にしびれ感を覚え、同年八月ころから仕事時に腰痛を感ずるようになつたが、当時は著明な変化が認められなかつた。しかし、同年末ころから再び腰痛が現われると共に疲れ易くなり、仕事にも根気がなく、寒がりになるなどの症状がみられるようになり、さらに昭和四一年に入ると、下肢のしびれ感と冷感、両手と口まわりのしびれ感が現われ、このころから時々足がつまずき軽い平衡障害がみられるようになつた。かような症状はその後も続いたが、昭和四二年七月ころから握力の低下が目立ち、上肢の共同運動障害も次第にはつきり認められるようになり、昭和四三年二月ころには舌と頭部にもしびれ感が現われた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四二年七月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、口周囲、両肘、両膝以下の知覚低下、難聴、手指の軽い拘縮、軽い共同運動障害、両側腱反射の亢進が認められ、そのため同原告は稼働可能な労務の範囲が相当程度制限され、一家の主柱として生計を維持するため生業資金を借り入れて生活している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔c〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(二)  原告(45)五十嵐松男

(1)  原告五十嵐松男は、兄栄一が捕獲した川魚を多量に摂食していたが、特に昭和三九年ころはニゴイ、マルタを毎日平均一匹か一匹半の割合で摂食した。

(2)  同原告は、昭和四〇年九月新大神経内科で受診した際、上肢振戦と軽い平衡障害が認められ、その後易疲労感、腰痛もあり、昭和四一年二月ころから両手足のしびれ感、顔面のチクチクする異常感が加わり、また、同年五月ころから軽い左上下肢の脱力、運動障害が次第に現われ、腱反射も亢進する傾向を示した。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年一〇月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、右は肘以下、足関節以下、左は肩以下、大腿以下の知覚低下、左半身の筋力低下と不全麻痺、左上下肢の腿反射の軽度亢進、平衡障害が認められ、そのため同原告は力仕事ができなくなり、勤務先である木工会社を休職して川漁の軽易な作業に従事しており、これによる収入と二児を抱えながら働らいている妻の収入および生活保護法による扶助で、生計を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(三)  原告(77)五十嵐ミヨ

(1)  原告五十嵐ミヨは、夫栄作が阿賀野川で捕獲した川魚を多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四二年秋ころから両手指、趾にしびれ感と手・肘・足の関節痛を覚え、その後次第に目が疲れ易くなり、後頭部にしびれ感が加わり、昭和四五年八月新大神経内科の入院検査の際、口周囲、四肘遠位部の知覚障害と共同運動障害および視野狭窄が認められ、また、末梢神経検像でも障害が認められた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四二年秋ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、口周囲、両前腕、上腿の二分の一以下に知覚障害があり、共同運動障害、視野狭窄も加わつており、このため家事労働がまずまずできる程度である。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(四)  原告(73)五十嵐ヨシ

(1)  原告五十嵐ヨシは、子の栄一が捕獲したニゴイ、マルタ、ボラ、フナなどの川魚を好んで毎日のように摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四一年ころから両側下肢、ついで両手指にしびれ感と知覚鈍麻が現われたが、昭和四二年になると、難聴、歩行障害、頭重感も加わり、さらには両側の腱反射の亢進、平衡障害が認められるようになつた。その後も右の各症状は依然として軽快しないばかりでなく、かえつて次第に舌や口周囲、四肢末梢部のしびれ感、難聴は増強し、昭和四五年四月ころには両側の高度な求心性視野狭窄も認められるに至つた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四五年四月ころまでには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、著明な求心性視野狭窄、難聴、口周囲、両肩と両膝以下の知覚低下、左半身の軽い運動障害と知覚低下、両側の腱反射の亢進、右の軽い共同運動障害と平衡障害の各症状があるところ、合併症として脳軟化ないし脳栓塞の既往症もあることが認められ、このため日常生活にも軽度の介助を要する状態である。

(5)  同原告の前記症状およびその生活障害の程度からすると、同原告は〔b〕ランク患者に該当するが、同原告の前記合併症、年令等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金四〇〇万円が相当である。

24原告(46)五十嵐俊について

(一)  原告五十嵐俊は、鳶職のかたわら毎年一〇月から翌年四月までの間阿賀野川で漁をし、捕獲したニゴイ、マルタをほとんど毎日のように多量に摂食していた。

(二)  原告は、昭和四一年一月ころから腰痛と右下肢の痛みが現われ、同年四月ころから手指の振戦、手指のチクチクするしびれ感、下肢の倦怠感などが加わり、これらの症状は冬期に増悪し、昭和四三年三月には上口唇部と両手足の知覚低下、四肢の腱反射の減弱がみられ、同年六、七月ころから足趾のしびれ感、手のこわばり、握力の低下、健忘症状などがみられるようになつた。前記の各症状はほぼ固定したが、昭和四四年七月には、軽い平衡障害と中等度の求心性視野狭窄が加わつて現在に至つている。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四一年四月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、中等度の求心性視野狭窄、上口唇部と両手足の知覚低下、右手のこわばりと握力の低下、上肢の振戦、四肢の腱反射の減弱、平衡障害が認められ、そのため同原告は、鳶職をやめ、金網フエンスの組立をしているが、指先に力が入らず疲労を感じ易く、生業資金の借入等によつて生計を維持している。

(五)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔b〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

25原告(47)石山平松および同(48)石山トメについて

前記認定のとおり、原告石山平松と同石山トメとは夫婦である。

(一)  原告(47)石山平松

(1)  原告石山平松は、川魚が好きで下山や津島屋の漁師から四、五日に一回くらいの割合でニゴイを二匹くらいずつ買い求め、冬期より暖かい時期に多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和三九年一〇月一二日ころ両手と口の周囲にしびれ感を自覚し、昭和四〇年一月ころには味覚が鈍麻し、目がかすみ、耳が遠くなり、口がもつれ、歩行も不安定となつて身体が疲れ易いなどの症状が現われ、前記のしびれ感は下肢と足にも現われた。その後味覚の鈍麻はかなり改善したが他の症状は持続し、昭和四〇年六月一六日新大神経内科へ入院し、その際、口周部と手足の知覚低下、両側神経性難聴等の各症状が認められた。同原告の前記症状は、入院治療の結果一時軽快したかにみえたが、退院後再び同様の症状が現われ、同年九月には両上肢に痛みを伴つたしびれ感が増悪し、これに手の振戦も加わつて書字が困難となつた。右の痛みは昭和四一年になつて軽快したが、同年八月ころから下肢の筋肉痛と歩行障害が強まり、同年一一月ころからめまい感、舌のもつれ、口周囲のしびれ感、平衡障害が増悪し、同年一一月二八日新大神経内科へ再入院した。その結果、舌のもつれ、平衡障害などは軽快したが、起立性低血圧によるめまいと頭痛が著しかつた。その後昭和四二年四月ころから、左肩から腕にかけて疼痛を伴つたしびれ感が現われ、左手の運動もかなり不自由となり、昭和四三年三月ころ両側の腰部と左下肢に強い痛みが現われて歩行不能の状態となり、このころから昭和四四年にかけて、左半身に軽い片麻痺が次第に認められるようになつた。さらに昭和四四年ころから、両手指に軽い拘縮が認められ、同年七月には中等度の求心性視野狭窄が指摘され、以後左片麻痺は運動練習によつて軽快の傾向を示しているが、他の症状は軽快することもなく現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和三九年一〇月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両側中等度の求心性視野狭窄と神経性難聴、言語障害、舌、口唇部と右上下肢の末梢部、左半身の各知覚低下、左半身の軽い運動麻痺、両側の共同運動障害、平衡障害、麻痺性歩行障害が認められ、そのため現在でも石油会社に出勤しているとはいうものの、ぶらぶらしているばかりで全く労務に服することができず、通勤には長男らの運転する自動車で送迎してもらつているばかりでなく、日常生活においても、衣服の脱着から入浴まで家人の手助けを借りることもあり、食事は何とかひとりでとつているが、箸を握ることもできず、用便にも困難を感じている状態であり、日常生活を維持するのに著しい障害がある。

(5)  同原告の前記現在の症状および生活障害の程度からすると、同原告は〔b〕ランク患者に該当するが、特に症状の経過等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金八〇〇万円が相当である。

(二)  原告(48)石山トメ

(1)  原告石山トメは、川魚が好きで夫平松とともにこれを多量に摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四二年二月ころから舌先にしびれ感を覚え、同年五月ころから頭部にも熱感を伴うしびれ感が現われた。さらに同年六月ころには、口周囲と左頬部のしびれ感と知覚低下が認められ、その後右症状は軽快しないばかりでなく、新たに左手にしびれ感が現われ、目がかすむ、耳鳴りがするなどの症状を呈した。そして昭和四三年末には、易疲労性、転びやすい、耳鳴、難聴、足底部の知覚鈍麻、寒がりなどの症状も加わり、軽い小脳症状もみられるようになり、昭和四四年七月には軽い求心性視野狭窄が指摘され、その後右各症状はほぼ固定的に持続して現在に至つている。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四二年二月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、口周囲、左側頭部、四肢の末梢部に知覚低下があり、難聴、左上下肢の筋力の軽い低下、精神機能の軽い障害があり、記銘力、注意力、理解力などが低下している。そのため、同原告は疲労し易く、夫平松の日常生活の世話はできるが、家事の手伝は時折する程度である。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮するとこれが、慰藉料は〔b〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

26原告(49)五十嵐藤一について

(一)  原告五十嵐藤一は農業に従事していたが、生来川魚が好きで近所の漁師からもらつたり買つたりして食べ、特に昭和三九年六月ころから昭和四〇年にかけてはかなりの量の川魚を摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年八月ころから手指と足趾にしびれ感を覚え、昭和四一年八月ころから口唇や口周囲にもしびれ感を自覚するようになつた。そして昭和四二年六月ころには、両上下肢にしびれ感があつたが、知覚低下はあまり明らかでなく、耳鼻科的検査および眼科的検査では別段異常は認められなかつた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和四〇年八月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  もつとも、乙第四〇一号証(カルテ)および乙第四〇二号証(カルテ)には、同原告のしびれ感は昭和四二年六月当時「一週間に一回位で一〇分位続く。」旨および「ヒステリー」と診断する旨の各記載があり、右各記載によると、同原告の前記症状は一過性発作かヒステリーに基づくものではないかとの疑いもなくはないが、他方、乙第四〇一号証自体にも、「始めよりあるしびれは水銀によることを否定しない。」と明記されていることおよび同原告の前記症状等からすると、前記各記載も同原告の症状を水俣病と認定する妨げとはなるものではない。

(五)  同原告には現在、口唇と口周囲、両側四肢末端部の知覚低下、軽い共同運動と平衡障害が認められる。もつとも、同原告は四才のころ脳性麻痺にかかつたため、左不全麻痺の後遺症があつて、元来農作業は半人前程度しかできず、合併症として脳血栓、リュウマチ性関節炎の疑いも残つている。かようなことから、現在でも左上下肢の軽い運動障害、筋萎縮、腱反射の亢進が認められ、これらからする精神的、肉体的な負担に水俣病が加わつて、健康が蝕ばまれるに至つた。そのため、同原告の稼働し得る労務の範囲は相当程度制約され、借入金等によつて生計を維持している状態である。

(六)  同原告の前記症状およびその生活障害の程度からすると、同原告は〔c〕ランク患者に該当するが、前記合併症等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金三〇〇万円が相当である。

27原告(50)渡辺キミ、同(51)渡辺徳栄、同(52)渡辺徳篤、同(53)小島キイ、同(54)渡辺篤、同(55)渡辺篤夫および同(56)中村芳美について

前記認定のとおり、原告渡辺キミは亡渡辺篤太郎の妻であり、その余の前記原告らは右キミと亡篤太郎間の子である。

(一)  亡渡辺篤太郎

(1)  亡渡辺篤太郎は、生業として阿賀野川で漁業を営み、同川で獲れる魚を好んでほとんど毎日のように摂食していた。

(2)  同人は、昭和四〇年七月ころ手指にしびれ感を覚え、その後次第に知覚障害が明らかとなり、下肢腱反射低下、共同運動障害も認められるようになつたが、昭和四四年三月ころから手のふるえ、難聴が生じ、同年四月には身体のふるえが起こり、口をもぐもぐするようになり、同年六月ころからは、着衣や食物、周囲に小さな虫がいるなどの錯視を訴えるようになり、同月二六日新大神経内科に入院して検査した結果、四肢遠位部の知覚障害、共同運動障害、難聴、視野狭窄などの所見が得られた。その後精神症状が強まり、同年一二月三一日三日間にわたつて訳のわからぬことを怒鳴りつづけたすえ死亡するに至つた。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状とその悲惨な経過および死の結果等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(50)渡辺キミ、同(52)渡辺徳栄、同(53)小島キイ、同(54)渡辺篤、同(55)渡辺篤夫および同(56)中村芳美

(1)  前記原告らは原告徳栄とともにいずれも亡篤太郎の相続人であり、同人の被告に対する前記慰藉料請求権につき、原告渡辺キミは妻として民法所定の相続分であるその三分の一に相当する金三三三万三、三三三円を、その余の原告らは原告徳栄とともに、子として同相続分であるその九分の一に相当する各金一一一万一、一一一円を相続によつて承継取得した。

(2)  また、原告渡辺キミは永年連れ添つてきた夫を看護の甲斐もなく狂人同様の状態で奪われ、その余の原告らは原告徳栄とともに敬愛していた父を無惨な最期で奪われたものであるから、これによる精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は、原告渡辺キミは妻として金一五〇万円、その余の原告らは原告徳栄とともにいずれも子として各金五〇万円が相当である。

(3)  よつて、原告キミが被告に対して請求できる慰藉料請求額は、右(1)の金額のうち本訴請求にかかる金三三三万三、三〇〇円と(2)の合計額金四八三万三、三〇〇円であり、原告徳篤、同キイ、同篤、同篤夫、同芳美がいずれも被告に対して請求できる慰藉料請求額は、右(1)の金額のうち本訴請求にかかる金一一一万一、一〇〇円と(2)の合計額金一六一万一、一〇〇円である。

(三)  原告(51)渡辺徳栄

(1)  原告徳辺徳栄は、前記認定のとおり父篤太郎が川漁を営んでいたため、父とともに川魚を摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四三年春ころから両手足にしびれ感を覚え、昭和四四年秋にはこれが増強するほか、口周囲にも現われ、昭和四五年七月三日新日大神経内科で受診した際、主要所見として、口周囲、四肢遠位部の知覚障害、共同運動障害、視野狭窄、末梢神経の異常が認められた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四三年春ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、口周囲、四肢遠位部の知覚障害、共同運動障害等の症状が認められ、このため生業である砂利等の川船運搬業にも支障をきたして手伝を要する状態であり、収入も減少して生業資金を借り入れて生計を維持している。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(6)  よつて、同原告が被告に対して請求できる慰藉料請求額は、右金二五〇万円と前記(二)の(1)のうち本訴請求にかかる金一一一万一、一〇〇円および同(2)の金五〇万円の合計金四一一万一、一〇〇円である。

28原告(60)南キヨノおよび同(61)南健次について

前記認定のとおり、原告南キヨノは亡南宇助の妻であり、原告南健次はその間の子である。

(一)  亡南宇助

(1)  (1)亡南宇助は、農業のかたわら阿賀野川で漁業を営み、同川で獲れる魚を好んで毎日のように摂食していた。

(2)  同人は、昭和三九年八月下旬から手のしびれを訴え、間もなく足にしびれを感ずるようになつた。同年九月中旬から下旬にかけて手足がきかなくなり、食事の時箸を持てなくなり、また、歩行も著しく不安定になつた。そして同年一〇月初めには、歩行が不能となり耳が遠くなるとともに言語も不明瞭になつた。かような症状はその後漸次悪化し、少し離れた戸外でもその唸り声が聞え、三、四人がかりで押えるほど荒れ狂う症状を呈したすえ、同月二九日死亡するに至つた。

(3)  同人の前記認定のような川魚の摂食状況、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同人は水俣病により死亡したものと認めるのが相当である。

(4)  同人の前記症状とその悲惨な経過および死の結果等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金一、〇〇〇万円が相当である。

(二)  原告(60)南キヨノおよび同(61)南健次

(1)  原告南キヨノおよび南健次は、いずれも亡宇助の相続人であるところ、キヨノが相続を放棄したため、原告健次は亡宇助の被告に対する前記慰藉料請求権を相続によつて承継取得した。

(2)  原告南キヨノは、永年連れ添つてきた夫を悲惨な病状のうちに不慮の死で失い、また、原告南健次も敬愛する父を同様失つたものであるところ、これによる精神的苦痛は大きく、これが慰藉料は、原告南キヨノは妻として金一五〇万円、原告南健次は子として金五〇万円が相当である。

(3)  よつて、原告南キヨノが被告に対して請求できる慰藉料請求額は金一五〇万円、同南健次のそれは右(1)および(2)の合計金一、〇五〇万円である。

29原告(62)村山政次および同(63)村山昇二について

前記認定のとおり、原告村山政次は同昇二の父である。

(一)  原告(62)村山政次

(1)  原告村山政次は、農業のかたわら養鶏に従事しているものであるが、父六次郎が阿賀野川で川魚を営んでいたため、毎年川魚を多量に摂食していたが、特に秋から春にかけては一週間に二ないし五日の割合で一日に体長約五〇センチのニゴイを家族四人で二匹程度摂食した。

(2)  同原告は、昭和三九年一一月一〇日ころから両手指にしびれを感じ、間もなくこれが手掌、口周囲、舌先および両前腕へと次第に拡大し、昭和四〇年三月ころからは後頭部がしめつけられる感じが加わつた。そして、昭和四〇年六月ころの主要症状は、口周囲、舌、後頭部、両肘以下、両足などの知覚障害、難聴、軽度視野狭窄などであつた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和三九年一一月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、両前腕、両足関節以下に知覚障害のほか深部反射低下が認められ、養鶏の管理とか自動車の運転等はできるが、農作業や鶏への給餌等の作業等の労務は相当程度制約される状態にある。

(5)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

(二)  原告(63)村山昇二

(1)  原告村山昇二は、父政次と同程度の川魚を摂食していた。

(2)  同原告は、昭和四〇年八月ころから両手指、舌尖にピリピリする感じを覚え、その後間もなく両指趾に知覚低下を認めた。その後知覚障害部位は両手足に拡大し、やがて口周囲にも明らかな知覚低下が現われた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年八月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  なお、甲第九七号証の三六(診断書)には、同原告には「昭和四四年七月中等度の視野狭窄が証明された。」旨および乙第四〇五号証(カルテ)には、診断として「視野狭窄(+)」の記載があり、右各記載からすると、同原告には視野狭窄の症状があるかのようであるが、他方、乙第四〇五号証(カルテ)によると、新大神経内科から、同年同月一二日眼科に対して同原告の視野検査の依頼をしたにもかかわらず、これが回答が見当らないこと、さらに同号証には、昭和四五年三月一九日の一斉検診の結果として、「視野全く異常なし」との記載もあるから、同原告に視野狭窄がある旨の前記記載部分は採用できない。

(5)  同原告には、現在四肢遠位部知覚低下の症状があり、このため、継続的に不快感を遺している状態にある。

(6)  同原告の前記症状等諸般の事情を総合し、特に生活障害の程度を考慮すると、これが慰藉料は〔e〕ランク患者として金一〇〇万円が相当である。

30原告(64)今井春吉および同(65)今井一雄について

前記認定のとおり、原告今井一雄の父である。

(一)  原告(64)今井春吉

(1)  原告今井春吉は、農業および養鶏業を営むかたわら毎年八月から一二月の漁期に阿賀野川で漁業に従事していたため、川魚を多量に摂食し、殊に昭和三八年からは大量に川魚を捕獲し、漁期には毎日三食とも多量に摂食していた。

(2)  原告は、昭和三九年五月下旬から左眼がかすみ、左外側方視野が欠け、四年六月四日新大眼科で受診した結果、左外側方の視野狭窄が確認された。そして同年一〇月中旬から顔面、両前腕、右拇趾にしびれ感を覚え、次第にこれが増強したが、昭和四〇年一月ころから両手に振戦が現われ、同年六月二四日新大神経内科で受診した際、手指、口唇のしびれを訴え、同年八月一〇日新大脳外科に入院したときの主要症状としては、口唇、四肢遠位部の知覚障害、共同運動障害、難聴、視野狭窄が認められた。

(3)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和三九年六月四日ころには水俣病に罹患したものと認めるのが相当である(なお、右発病時期の認定については、すでに判示したところである。)。

(4)  同原告の主要症状としては、口唇、四肢遠位部の知覚障害、共同運動障害、難聴、視野狭窄があり、以前に比べて知覚障害がわずかに軽快したものの、昭和四四年三月および同四五年五月に脳血管障害の発作があり、左半身完全麻痺を生じ、このため現在瀬波病院に入院して療養生活を続けているが、日常生活を維持するにも著しい障害がある状態にある。

(5)  同原告の前記症状およびその生活障害の程度からすると、同原告は〔d〕ランク患者に該当するが、同原告の前記合併症および年令等諸般の事情を総合すると、これが慰藉料は金五〇〇万円が相当である。

(二)  原告(65)今井一雄

(1)  原告今井一雄は農薬に従事していたが、父春吉が捕獲した川魚を摂食していたところ、特に昭和三九年六月からは、父とともにニゴイ、マルタなどの川魚を大量に捕獲して、毎日多量に摂食した。

(2)  同原告は、昭和三九年九月ころから腰痛が現われ、同年一〇月ころからでてきた両手指のしびれ感は次第に口周囲、両下肢、前腕からさらには全身へと拡大し、下肢の脱力感、歩行不安のほか、視野がぼやけ、日常の動作も円滑を欠いて拙劣となり、発語も遅く不明瞭となるなどの症状が次々に現われた。その後も右症状はさらに進行し、全身のしびれ感は増強し、発語、歩行ともに不能となり、同年一一月一二日新大脳外科に入院したが、その当時の主な症状として、著明な求心性視野狭窄、著しい小脳性構語障害と歩行障害、全身、特に口周囲や四肢末梢の強度の異常知覚と知覚低下、神経性聴力障害などがあり、歩行、書字、着物の脱着は不能、会話も困難な状態であつた。右症状の一部は昭和三九年一一月をピークとして少しずつ改善し、歩行は明らかな失調性歩行ながらも可能となり、発語もどうにか会話ができる程度となり、食事も箸を使つてできる程度となつた。同原告は、退院後毎日の運動練習およびリハビリテーション治療により、運動機能は日常生活が可能な程度に改善されたが、前記各症状は現在もなお残り、視野狭窄、難聴、知覚障害などはまだ軽快していない。

(3)  原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は遅くとも昭和三九年一〇月ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(4)  同原告には現在、前記認定のとおり、視野狭窄、難聴、知覚障害、歩行障害はいくぶん軽快しているもののかなり重症である。このため、現在生業である農業は妻子が入手を借りて辛うじて維持しているが、手広く営んでいた養鶏業は廃止を余儀なくされている。

(5)  同原告の現在の症状および生活障害の程度からすると、同原告は〔c〕ランク患者に該当するが、右症状の経過とこの間における同人の闘病のための努力、加えて、同原告が働き盛りの年令で水俣病に倒れ、このため、営々と励んできた養鶏業も手離なさなければなくなつたその心情等諸般の事情を考慮すると、これが慰藉料は金七〇〇万円が相当である。

31原告(75)梶原シモについて

(一)  原告梶原シモは、長男清至が昭和三九年一一月中旬から昭和四〇年三月までほとんど毎日のように阿賀野川でニゴイを捕獲してきたため、これをほとんど毎日のように摂食していた。

(二)  同原告は、昭和四〇年秋ころから歩行障害が認められ、これはその後もさらに進行したところ、昭和四二年ころから両大腿部から腰にかけてしびれ感が現われるようになり、昭和四五年三月ころには、右上下肢の末梢部に知覚低下、両側上下肢の腱反射の亢進、病的反射の出現、左手の振戦、かなり強度の平衡障害、痙性歩行が認められ、さらに左眼(右眼は右網膜中心動脈血栓症で失明)の求心性視野狭窄が認められた。

(三)  同原告の前記認定のような川魚の摂食状況、頭髪水銀量、臨床症状等をすでに認定した本件中毒症の特性に照らして考え併せると、同原告は昭和四〇年秋ころ水俣病に罹患したものと認めるのが相当である。

(四)  同原告には現在、左眼の求心性視野狭窄、両上肢の知覚低下、下肢の深部知覚の著明な低下、手指振戦、四肢の筋力低下と四肢の腱反射の亢進、軽い共同運動障害と強い平衡障害が認められ、そのため身のまわりのことは一応自分で仕末できるとはいうものの、歩行や坐る際には不安定で、歩行時には杖を使用している状態である。

(五)  同原告の前記症状、生活障害等諸般の事情を総合し、特に同原告は七〇才をはるかに越える老令であるばかりでなく、前記認定のように、右網膜中心動脈血栓症による右眼失明の既往症を有している点を考え併せると、これが慰藉料は〔d〕ランク患者として金二五〇万円が相当である。

六甲第一二七号証の一ないし七七に弁論の全趣旨を総合すると、本件原告らは昭和四六年三月九日弁護士渡辺喜八に対し、本件訴訟第一審終結の際、本件訴訟遂行の報酬として別紙〔三〕請求金目録欄記載の合計金額の一割五分に相当する同目録欄記載の各金員を支払うことを約したこと、同弁護士は本件の他の原告ら訴訟代理人である弁護士らとともに新潟水俣病弁護団(団長渡辺喜八)を結成し、訴訟代理人として、本件併合訴訟事件の全般にわたつて訴訟活動をしてきたこと、以上の事実を認めることができる。

そして、原告らが本件訴訟を提起してこれを遂行するにあたり弁護士にこれを依頼することは、原告らの権利の伸長に必要やむを得ない措置であつたものと認められ、これによる支出は本件不法行為から通常生ずべき損害といえるので、本件訴訟の性質、訴訟の事前準備とこれが遂行の難易、請求認容額等諸般の事情を斟酌すると、右請求額のうち被告の負担すべき額は、原告らにつき、それぞれ以上認容した慰藉料の一割を基準として算出した、別紙〔六〕原告別請求・認容額一覧表中、認容額内訳欄の「費用」の項目に記載する金額が相当であると認める。

第六 むすび

よつて、被告は、別紙〔六〕原告別請求・認容額一覧表中、原告氏名欄記載の各原告らに対し、同表中認容額合計欄記載の各金員および原告(61)南健次については、右金員に対する本件不法行為の後である昭和四六年四月七日以降、同別紙記載のその余の原告らについては、右各金員に対する前同様同年三月一〇日以降完済にいたるまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、同別紙記載の原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、同原告らのその余の請求および原告(57)五十嵐マツの本訴請求は、いずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九〇条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎啓一 泉山禎治 佐藤歳二)

(別紙〔一〕)  原告目録

原告 大野作太郎

外七六名

(別紙〔二〕)  原告ら訴訟代理人目録

原告七七名訴訟代理人弁護士 渡辺喜八 井伊誠一 山本茂三郎 松井道夫 石田浩輔 松井誠 坂井一元 岩淵信一 坂井煕一 坂上富男 清野春彦 坂東克彦 片桐敬弌 室根茂子 川村正敏 橋本保則 平田亮 今井敬弥 中沢利秋 山田昇 佐藤伍一郎 福田政雄 工藤勇治 重松蕃 丸山武 我妻真典 山崎  尾山宏 雪入益見 高橋清一 田原俊雄 鷲野忠雄 榎本信行 芦田浩志 福田拓 新井章 小林芝興 村上利夫 鈴木亜英 佐藤久 千葉憲雄 榎本武光 小川裕之 宮田量司 滝沢寿一 中村洋二郎 小海要吉 山本茂雄 千葉茂勝 竹中敏彦 荒木哲也 青木幸男 馬奈木昭雄 近藤忠考 木沢進 根本孔衛 松波淳一

(別紙(三))〈略〉

(別紙(四))書証目録〈省略〉

別紙

(五))

患者等目録

番号

原告ら

氏名

生年

月日

職業

保有

水銀量

(頭髪ppm)

水銀

測定日

入院期間(病院)

リハビリテーション

期間(病院)

大野岸松

昭和

12.1.2

(農業兼漁業)

232.6

昭和

40.6

昭和

40.3.27~40.6.7

(新大脳外科)

なし

1

大野作太郎

大正

4.7.30

(農業,漁業廃止)

212

40.6

40.8.3~40.8.28

(新大第一内科)

昭和

42.7.20~42.8.2

42.9.30~42.10.29

44.8.1~44.8.31

(六日町病院)

桑野忠英

昭和

21.2.20

(自動車修理工)

測定せず

40.3.1~40.3.21

(新大脳外科

および神経内科)

なし

6

桑野忠吾

明治

39.1.20

なし

(漁業廃止)

338

40.6

40.8.9~40.9.18

(新大脳外科)

42.7.20~42.8.2

42.9.15~42.10.14

43.7.1~43.8.31

44.7.1~44.8.31

(瀬波病院)

7

桑野リイ

明治

43.2.12

なし

343

40.6

40.7.30~40.9.4

41.3.1~41.4.3

43.3.30~43.6.15

(新大神経内科)

なし

8

桑野チイ

昭和

16.2.27

なし

66

40.7

40.10.13~40.11.10

(新大神経内科)

42.8.3~42.8.16

43.10.14~43.11.13

44.5.1~44.5.31

(六日町病院)

9

桑野四郎

昭和

17.9.14

左官

527.5

40.6

40.6.22~40.8.7

(新大脳外科)

42.8.17~42.9.14

43.6.1~43.6.30

44.1.4~44.1.31

44.8.1~44.8.31

45.3.1~45.3.31

(瀬波病院)

10

桑野七郎

昭和

25.11.13

配線工

275

40.6

40.8.6~40.8.31

(新大神経内科)

なし

11

星山幸松

明治

42.7.15

なし

(農業および

瓦製造業廃止)

570

40.5

40.5.4~40.5.14

(桑名病院)

40.5.14~40.8.24

41.6.18~41.8.6

43.7.11~43.7.30

44.9.16~44.10.11

(新大神経内科)

42.9.9~42.11.7

43.5.1~43.5.31

(瀬波病院)

13

星山松雄

昭和

11.4.25

工員

310

40.6

40.6.22~40.7.28

(新大神経内科)

なし

近喜与太

明治

25.5.5

(農業)

測定せず

なし

なし

14

近喜代一

大正

6.6.10

農業兼漁業

258

40.6

40.6.22~40.8.7

(新大脳外科)

42.7.20~42.8.2

42.9.9~42.10.8

43.7.1~43.8.15

44.2.27~44.3.26

44.8.1~44.8.31

45.3.18~45.4.17

(瀬波病院)

15

近彦蔵

明治

35.1.21

漁業兼農業

250

40.6

40.6.22~40.8.7

(新大脳外科)

なし

74

近彦一

大正

15.9.14

市役所勤務

305

40.6

40.9.29~40.10.18

45.6.10~45.6.20

(新大神経内科)

なし

16

桑野九二三

明治

26.10.22

なし

152

40.10

なし

なし

17

桑野清三

大正

41.2.21

農業兼漁業

378

40.6

40.8.9~40.9.18

(新大脳外科)

45.6.15~45.7.2

(新大神経内科)

なし

18

桑野ミヨ

大正

12.6.1

なし

(農業廃止)

275

40.6

40.7.30~40.8.31

(新大神経内科)

40.8.3~40.8.16

(六日町病院)

19

古山マリコ

昭和

14.10.4

なし

260

(放射化

分析)

不明

40.9.30~40.10.21

なし

20

古山知恵子

昭和

40.3.27

なし

77

40.8

41.3.21~41.3.25

(新大小児科)

42.8.18~42.12.27

43.10.1~43.12.27

44.11.4~44.12.26

(はまぐみ学園)

21

古山務

昭和

14.3.6

荷役夫

213

40.7

40.9.1~40.9.28

(新大神経内科)

なし

22

五十嵐英夫

明治

33.3.16

なし

(自転車屋廃業)

93

40.9

40.11.25~40.12.11

42.7.31~42.8.29

44.1.8~44.1.21

(新大神経内科)

45.2.1~45.4.17

(瀬波病院)

23

橋本晃

大正

2.2.9

自転車店

27

41.3

44.1.14~44.1.28

(新大神経内科)

なし

24

五十嵐健次郎

昭和

2.2.5

なし

(漁業廃業)

425

40.6

40.9.30~40.10.16

41.9.2~41.9.20

43.6.27~43.7.30

(新大神経内科)

42.10.13~42.10.25

(新大第三内科)

44.2.10~44.3.10

(臨港病院)

その他沼垂診療所に

数回入院

42.8.3~42.8.16

(瀬波病院)

25

成田松吉

大正

4.2.5

なし

(もと起重機運転手)

39

40.8

40.10.5~40.10.22

40.11.10~40.12.16

44.2.3~44.3.16

45.1.27~45.3.13

(新大神経内科)

なし

26

山田二作

明治

41.4.3

漁業

151

40.6

なし

44.5.1~44.5.31

(瀬波病院)

76

山田ナカ

明治

45.3.16

なし

測定せず

なし

なし

27

桑野清平

明治

29.9.8

なし

(もと自転車店経営)

52

40.6

なし

43.6.3~43.7.2

44.1.20~44.3.20

44.7.9~44.8.12

(六日町病院)

28

大野正男

大正

15.8.12

農業

(ブルトーザー

運転手廃業)

104

40.6

40.7.29~40.8.16

(新大神経内科)

45.3.15~45.5.30

(葛塚病院)

45.10.16~46.4ころ

(岩室リハビリセンター)

なし

29

村木藤四郎

明治

38.11.24

なし

(もと農業兼漁業)

57

40.6

40.9.11~40.10.12

(新大神経内科)

42.8.17~42.8.29

42.9.15~42.10.14

43.6.3~43.8.31

44.6.9~44.7.8

(六日町病院)

30

中川春雄

昭和

11.3.29

鳶職(日雇)

399

40.8

なし

なし

31

中川チカ

昭和

14.1.5

なし

77.7

40.7

なし

なし

32

本田光子

昭和

17.11.20

なし

90.2

40.7

なし

なし

33

五十嵐雪子

昭和

18.1.30

川船業手伝

53

40.7

なし

なし

72

五十嵐惣吉

明治

36.1.4

なし

(漁業廃業)

65

40.6

45.4.22~45.5.12

(新大神経内科)

なし

34

山田房子

昭和

12.8.23

会社員

111

40.6

なし

なし

35

橋本十一郎

明治

43.9.11

自転車店経営

319

40.6

40.8.23~40.9.25

(新大第一内科)

41.6.~41.7

42.8.17~42.8.29

42.9.15~42.9.29

44.6.9~44.7.8

(六日町病院)

36

橋本繁雄

大正

9.4.26

なし

(もと農業)

32.5

41.4

41.2~41.3

(葛塚病院)

41.4.14~41.5.8

(新大神経内科)

43.5.10~43.6初旬

43.1.12~43.3.8

(金太郎温泉)

43.7.17~43.8.15

43.10.14~43.11.13

(六日町病院)

大野岩次

明治

39.8.16

(農業)

測定せず

なし

なし

37

大野福次

昭和

2.1.2

工員

160

40.6

40.7.3~40.8.18

(新大第一内科)

42.7.20~40.8.2

(六日町病院)

43

大野トミ

昭和

10.11.14

農業

110

40.6

なし

なし

44

五十嵐栄一

大正

6.7.14

漁業兼農業

325

40.6

40.9.9~40.9.28

(新大内科)

42.8.3~42.8.16

43.8.1~43.8.12

(瀬波病院)

45.3.23~45.4.20

(六日町病院)

45

五十嵐松男

昭和

12.8.26

漁業

(もと木工会社

リフト運転手)

116

40.6

40.9.21~40.10.11

(新大神経内科)

42.8.3~42.8.16

43.8.1~43.8.27

(瀬波病院)

73

五十嵐ヨシ

明治

31.4.8

なし

100

40.6

なし

なし

77

五十嵐ミヨ

昭和

6.12.2

なし

(もと木工所工員)

37.5

40.6

45.8.20~45.9.1

(新大神経内科)

なし

46

五十嵐俊

昭和

11.7.25

漁業兼土工

258

40.6

40.9.20~40.10.2

(新大神経内科)

なし

47

石山平松

大正

7.5.30

会社員

177

40.6

40.6.16~40.8.16

41.11.28~42.1.21

(新大神経内科)

42.8.17~42.9.6

42.11.10~42.12.19

43.3.9~43.6.15

(瀬波病院)

48

石山トメ

大正

9.4.25

なし

36.7

40.9

なし

なし

49

五十嵐藤一

大正

12.3.20

なし

(もと農業)

38.5

42.6

43.8.8~43.9.21

(新大精神科)

44.5.1~44.5.31

45.10.15~44.11.20

(瀬波病院)

渡辺篤太郎

明治

33.12.25

(農業兼漁業)

65

40.6

41.6.26~41.8.26

(新大神経内科)

なし

51

渡辺徳栄

昭和

3.8.7

川船運送業

108

40.

45.7.14~45.8.9

(新大神経内科)

なし

南宇助

明治

35.4.28

(農業兼漁業)

測定せず

39.10ころ

(山ノ下健康保険病院

および桑名病院)

なし

62

村山政次

昭和

5.6.13

農業

145

40.6

40.6.18~40.8.5

(新大神経内科)

なし

63

村山昇二

昭和

31.6.19

生徒

12

40.7

なし

なし

64

今井春吉

明治

35.4.1

なし(もと農業)

77

40.6

40.8.10~40.9.18

(新大神経内科)

43.6.1~43.6.30

44.1.7~44.1.28

(瀬波病院)

65

今井一雄

昭和

8.5.27

農業

320

40.1

39.10.26~39.11.12

(桑名病院)

39.11.12~40.4.12

(新大脳外科)

42.7.20~42.8.2

42.10.9~42.12.9

43.10.20~43.12.25

(瀬波病院)

75

梶原シモ

明治

29.10.15

なし

198

40.6

なし

なし

(別紙(六))

原告別請求・認容額一覧表

番号

原告氏名

請求額(円)

認容額(円)

合計

内訳

内訳

合計

1

大野作太郎

10,350,000

B 7,000,000

2,000,000

1,350,000

患者

親族

費用

d 2,500,000

700,000

320,000

3,520,000

2

大野ミス

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

700,000

70,000

770,000

3

大野功

9,583,200

3,333,300

5,000,000

1,249,900

相続

親族

費用

3,333,300

1,500,000

480,000

5,313,300

4

大野一広

6,133,200

3,333,300

2,000,000

799,900

相続

親族

費用

3,333,300

1,500,000

480,000

5,313,300

5

大野和江

6,133,200

3,333,300

2,000,000

799,900

相続

親族

費用

3,333,300

1,500,000

480,000

5,313,300

6

桑野忠吾

19,550,000

7,000,000 B

5,000,000

5,000,000

2,550,000

患者

相続

親族

費用

c 4,000,000

5,000,000

1,400,000

1,040,000

11,440,000

7

桑野リイ

19,550,000

A 10,000,000

5,000,000

2,000,000

2,550,000

患者

相続

親族

費用

a 10,000,000

5,000,000

700,000

1,570,000

17,270,000

8

桑野チイ

8,625,000

B 7,500,000

1,125,000

患者

費用

d 3,000,000

300,000

3,300,000

9

桑野四郎

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

10

桑野七郎

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

e 1,000,000

100,000

1,100,000

11

星山幸松

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

a 10,000,000

1,000,000

11,000,000

12

星山トク

3,450,000

3,000,000

450,000

親族

費用

700,000

70,000

770,000

13

星山松雄

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

e 1,000,000

100,000

1,100,000

14

近喜代一

19,550,000

C 5,000,000

10,000,000

2,000,000

2,550,000

患者

相続

親族

費用

d 2,500,000

8,000,000

500,000

1,100,000

12,100,000

15

近彦蔵

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

16

桑野九二三

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

b 6,000,000

600,000

6,600,000

17

桑野清三

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

18

桑野ミヨ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

19

古山マリコ

7,475,000

3,000,000

3,000,000

500,000

975,000

保有者

親族

妊娠

費用

0

700,000

300,000

100,000

1,100,000

20

古山知恵子

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

a 10,000,000

1,000,000

11,000,000

21

古山務

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

e 1,000,000

100,000

1,100,000

22

五十嵐英夫

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

b 5,000,000

500,000

5,500,000

23

橋本晃

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

24

五十嵐健次郎

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

25

成田松吉

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

a 10,000,000

1,000,000

11,000,000

26

山田二作

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

27

桑野清平

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

28

大野正男

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

29

村木藤四郎

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

30

中川春雄

3,450,000

3,000,000

450,000

保有者

費用

400,000

40,000

440,000

31

中川チカ

575,000

500,000

75,000

妊娠

費用

300,000

30,000

330,000

32

本田光子

575,000

500,000

75,000

妊娠

費用

300,000

30,000

330,000

33

五十嵐雪子

575,000

500,000

75,000

妊娠

費用

300,000

30,000

330,000

34

山田房子

575,000

500,000

75,000

妊娠

費用

300,000

30,000

330,000

35

橋本十一郎

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 4,000,000

400,000

4,400,000

36

橋本繁雄

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 2,000,000

200,000

2,200,000

37

大野福治

5,755,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

38

大野セツ

5,755,000

5,000,000

750,000

親族

費用

1,500,000

150,000

1,650,000

39

大野広司

13,800,000

10,000,000

2,000,000

1,800,000

相続

親族

費用

10,000,000

500,000

1,050,000

11,550,000

40

大野和子

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

41

堀文子

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

42

大野勝司

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

43

大野トミ

2,875,000

2,500,000

375,000

妊娠

費用

500,000

50,000

550,000

44

五十嵐栄一

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

45

五十嵐松男

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

46

五十嵐俊

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

47

石山平松

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

b 8,000,000

800,000

8,800,000

48

石山トメ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

49

五十嵐藤一

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

c 3,000,000

300,000

3,300,000

50

渡辺キミ

9,583,200

3,333,300

5,000,000

1,249,000

相続

親族

費用

3,333,300

1,500,000,

480,000

5,313,300

51

渡辺徳栄

11,627,700

B 7,000,000

1,111,100

2,000,000

1,516,600

患者

相続

親族

費用

d 2,500,000

1,111,100

500,000

410,000

4,521,100

52

渡辺徳篤

3,577,700

1,111,100

2,000,000

466,600

相続

親族

費用

1,111,100

500,000

160,000

1,771,100

53

小島キイ

3,577,700

1,111,100

2,000,000

466,600

相続

親族

費用

1,111,100

500,000

160,000

1,771,100

54

渡辺篤

3,577,700

1,111,100

2,000,000

466,600

相続

親族

費用

1,111,100

500,000

160,500

1,771,100

55

渡辺篤夫

3,577,700

1,111,100

2,000,000

466,600

相続

親族

費用

1,111,100

500,000

160,000

1,771,100

56

中村芳美

3,577,700

1,111,100

2,000,000

466,600

相続

親族

費用

1,111,100

500,000

160,000

1,771,100

58

成田チョ

3,450,000

3,000,000

450,000

親族

費用

700,000

70,000

770,000

59

古山繁

3,450,000

3,000,000

450,000

親族

費用

700,000

70,000

770,000

60

南キヨノ

5,750,000

5,000,000

750,000

親族

費用

1,500,000

150,000

1,650,000

61

南健次

13,800,000

10,000,000

2,0000,000

1,800,000

相続

親族

費用

10,000,000

500,000

1,050,000

11,550,000

62

村山政次

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

63

村山昇二

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

e 1,000,000

100,000

1,100,000

64

今井春吉

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

b 5,000,000

500,000

5,500,000

65

今井一雄

11,500,000

A 10,000,000

1,500,000

患者

費用

c 7,000,000

700,000

7,700,000

66

近喜代司

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

67

近喜三男

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

68

近四喜男

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

69

近喜与平

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

70

斎藤ヨキ

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

71

秋田ミツ

2,300,000

2,000,000

300,000

親族

費用

500,000

50,000

550,000

72

五十嵐惣吉

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

73

五十嵐ヨシ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

b 4,000,000

400,000

4,400,000

74

近彦一

5,750,000

C 5,000,000

750,000

患者

費用

e 1,000,000

100,000

1,100,000

75

梶原シモ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

76

山田ナカ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,750,000

77

五十嵐ミヨ

8,050,000

B 7,000,000

1,050,000

患者

費用

d 2,500,000

250,000

2,570,000

注1.「患者」,「保有者」とは,患者,保有者固有,「相続」とは亡患者の相続分,

「親族」は患者等の親族固有(民法711条),「妊娠」とは妊娠規制(不妊手

術),「費用」とは弁護士費用をそれぞれ示す。

2.患者欄中の「A~C」とは原告ら主張の区分であるAランク,Bランク,Cラン

クを示し,認容額欄中の「a~e」は裁判所が分類した区分であるaランク,bラ

クソ,cランク,dランク,eランクをそれぞれ示す。

原告五十嵐マツの請求と判決結果

番号

原告氏名

請求額(円)

判決結果

合計

内訳

57

五十嵐ケツ

3,450,000

3,000,000

親族

全部棄却

450,000

費用

原告ら請求合計額と判決認容合計額

原告ら請求額

判決認容額

454,499,800円

慰謝料

245,699,800円

68,174,200円

弁護士費用

24,550,000円

522,674,000円

合計額

270,249,800円

表(1) 患者診定者

(昭和四二年六月現在)

原告

番号

氏名

原告

番号

氏名

原告

番号

氏名

65

今井一雄

9

桑野四郎

54

五十嵐松男

(亡)

大野岸松

14

近喜代一

18

桑野ミヨ

11

星山幸松

37

大野福治

29

村木藤四郎

(亡)

南宇助

7

桑野リイ

1

大野作太郎

62

村山政次

64

今井春吉

15

近彦蔵

47

石山平松

28

大野正男

(亡)

大野岩次

13

星山松雄

8

桑野チイ

35

橋本十一郎

(亡)

桑野忠英

6

桑野忠吾

24

五十嵐健次郎

(亡)

近喜与太

21

古山務

表(2) 水銀保有者診定者

原告

番号

氏名

原告

番号

氏名

原告

番号

氏名

10

桑野七郎

74

近彦一

46

五十嵐俊

22

五十嵐英夫

30

中川春雄

19

古山マリコ

44

五十嵐栄一

17

桑野清三

(訴外)

今〇三〇

表(3) 患者診定、認定者

(昭和四二年七月から昭和四五年九月まで)

原告

番号

氏名

認定、診定年月日

備考

44

五十嵐栄一

昭和四二、七、二一

保有者から

27

桑野清平

四三、四、一

36

橋本繁雄

49

五十嵐藤一

25

成田松吉

四三、一〇、一

26

山田二作

23

橋本晃

四四、一一、二一

63

村山昇二

22

五十嵐英夫

四四、一一、二一

保有者から

46

五十嵐俊

10

桑野七郎

四四、一一、二二

17

桑野清三

16

桑野九二三

(亡)

渡辺篤太郎

48

石山トメ

20

古山知恵子

四五、二、一

胎児性

74

近彦一

四五、六、九

保有者から

76

山田ナカ

72

五十嵐惣吉

75

梶原シモ

四五、六、一五

73

五十嵐ヨシ

四五、六、二五

51

渡辺徳栄

四五、九、三、

77

五十嵐ミヨ

表(4) 水俣病の発生状況

(熊本例)

(昭和40年12月末現在)

年次

発生例数

成人・小児

胎児性

死亡例数

昭28

1

1

0

0

29

12

12

0

5

30

14

9

5

3

31

51

44

7

10

32

6

0

6

2

33

5

3

2

5

34

18

16

2

7

35

4

4

0

2

36

0

0

0

1

37

0

0

0

2

38

0

0

0

0

39

0

0

0

0

40

0

0

0

4

111

89

22

41

注:胎児性水俣病は出生年月を発病時としてある。

表(5) 水俣病患者性別・年令別発生状況

(熊本例)

年令

0才~9才

10~

19才

20~

29才

30~

39才

40~

49才

50~

59才

60~

69才

70~

79才

0~4才

5~9才

16

6

3

5

6

13

10

6

3

68

17

8

5

2

2

3

5

1

0

43

33

14

8

7

8

16

15

7

3

111

表(6) 職業別患者発生状況

(熊本例)

職業

世帯主

の家業

本人

死亡

例数

漁業

51

30

18

農業

5

3

3

商業

4

4

1

公務員

2

1

0

会社員

10

3

1

大工・土木

3

2

1

運輸業

2

2

1

日雇

7

2

0

無職

5

64

16

89

111

41

注:小児は無職に算入した。

表(7) 摂食する魚貝類

(熊本例)

漁獲の

患家(40)

対象(68)

場所

方法

魚貝の種類

えそ

湾内

かしあみ・釣

3

4

2

0

9

2

0

1

1

4

このしろ

かしあみ

20

10

16

12

58

9

6

3

4

22

きす

10

7

10

8

35

4

3

4

1

12

しひのふた

かしあみ

10

3

6

6

25

4

3

1

1

9

かれい

かしあみ

9

3

6

7

25

2

3

5

1

11

ぐち

かしあみ

9

2

9

6

26

2

1

2

1

6

こち

かしあみ

10

4

9

6

29

1

0

1

1

3

えびな

かしあみ

11

3

8

9

31

1

0

1

1

3

くろうお

かしあみ

6

0

6

9

21

4

3

4

3

14

めばる

かしあみ

2

0

0

1

3

0

0

0

0

0

かさご

よぶり

3

1

0

1

5

0

1

0

0

1

ぼら

8

24

21

2

55

5

23

22

1

51

たら

4

14

16

5

39

6

13

18

6

43

ちぬ

2

4

2

1

9

2

1

0

2

5

たれそ

地引あみ

2

3

3

2

10

4

2

1

3

10

ふぐ

0

0

0

1

1

0

0

0

0

0

えび

かしあみ

10

1

8

7

26

4

4

3

0

11

かに

かしあみ

16

11

12

9

48

4

4

3

2

13

しやこ

よぶり

7

0

8

6

21

1

0

1

1

3

なまこ

よぶり

3

0

0

8

11

1

0

0

1

2

たこ

よぶり・たこつり

9

13

2

4

28

6

8

6

2

22

いか

湾外

3

4

1

2

10

3

0

1

3

7

かき

湾内

貝拾い

17

3

1

26

47

8

1

2

23

34

びな

貝拾い

13

10

5

13

41

11

4

2

9

26

あさり

貝拾い

5

2

3

2

12

6

2

2

4

14

あわび

よぶり

2

0

0

4

6

1

0

1

1

3

あぢ

湾外

16

11

18

12

57

35

28

39

45

147

さば

15

6

12

11

44

29

19

37

35

120

いわし

17

7

14

14

52

46

30

36

39

151

さんま

0

0

1

0

1

0

0

2

0

2

きびなご

1

0

1

1

3

2

3

2

2

9

たい

0

2

1

0

3

1

3

2

0

6

わかめ

0

0

0

1

1

0

0

0

0

0

表(8) 魚貝の摂食状況

(熊本例)

湾内の魚

かき貝類

湾外の魚

患家(40)

殆んど毎日食べる

25

5

2

週2~3回食べる

10

11

2

月2~3回食べる

3

6

6

対象(68)

殆んど毎日食べる

4

5

12

週2~3回食べる

19

12

25

月2~3回食べる

23

12

24

表(9) 地区別患者・死者・水銀保有者数

阿賀野川

地区・部落名

患者数

死者数

水銀保

有者数

総計

左岸

下山(松浜)

3

(1)

3(1)

根室新町

2

2

津島屋

15

(1)

15(1)

一日市

13

(2)

1

14(2)

江口

2

2

大形本町

2

2

小計

37

(4)

1

38(4)

右岸

高森

(胡桃山を含む)

4

(1)

4(1)

高森新田

(兄弟堀を含む)

5

(1)

5(1)

森下

1

1

新崎

2

1

3

小計

12

(2)

1

13(2)

総計

49

(6)

2

51(6)

注1. 地区・部落名別の患者等の数は,阿賀野川河口付

近の川魚摂取期間の住所地による。

2. ( )内は,患者数のうち,死亡者数を内数として示す。

表(10) 年令別・性別患者発生状況

(死亡者を含む)(新潟例)

年令

0才~9才

10~

19才

20~

29才

30~

39才

40~

49才

50~

59才

60~

69才

70~

79才

0~4

5~9

2(1)

3(1)

5

7

9(1)

10(2)

4(1)

40(6)

1

2

1

2

1

2

9

1

2(1)

3(1)

7

8

11(1)

11(2)

6(1)

49(6)

注:( )内は死亡者につき,死亡時の年令別を内数として示す。

表(11)患者の川魚摂食状況―患死者24名について

摂食時期

8

33%

9

37%

15

62%

15

62%

47

49%

8

33%

6

25%

13

54%

17

71%

44

46%

13

54%

9

37%

14

58%

20

83%

56

58%

29

40%

24

33%

42

58%

52

72%

表(12) 一般家庭の川魚摂食状況

(72世帯調査)

2

2.8

1

1.4

3

4.2

3

4.2

9

3.1

3

4.2

1

1.4

1

1.4

3

4.2

8

2.8

6

8.3

3

4.2

6

8.3

8

11.1

23

8.0

11

5.1

5

2.3

10

4.6

14

6.5

表(13) 川魚の種類と調理方法

(喫食中等量以上)(14世帯)

種類

(延件数)

ふな

まるた

にごい

すずき

めなだ

(通称ぼら)

八目

うなぎ

調査

123(100.0)

(100.0)

9

(7.3)

27

(22.0)

73

(59.5)

1

(0.8)

2

(1.6)

11

(9.0)

生食

(さしみ)

全部

肉だけ

20(16.3)

3

16

1

焼く

全部

15(12.2)

3

5

1

1

5

肉・内臓

1(0.5)

1

肉だけ

32(26.8)

12

20

煮る

全部

13(10.6)

2

6

5

肉だけ

35(28.5)

12

23

その他

全部

7(5.7)

4

2

1

肉だけ

全部

35(28.5)

9

13

1

1

11

肉・内臓

1(0.5)

1

肉だけ

87(71.0)

27

59

1

123(100.0)

表(14) 摂食魚類

摂食量

多量摂食

中等量摂食

少量摂食

魚種

ニゴイ

22(92%)

2

マルタ

14(58%)

3

4

ヤツメウナギ

3

1

9(37%)

フナ

2

3

2

ライ魚

1

サケ・マス

7

オイカワ

3

注:( )内は摂食率

表(15) 頭髪水銀量と川魚摂食状況

種類

ニゴイのみ食べた その他の川魚を食べた

川魚は

たべない

摂食量

毎日

3日

/W

小計

小計

頭髪

水銀量

200ppm以上

32

77

47

47

203

19

44

95

158

73

434

32

77

47

47

(△46.8%)

(△16.8%)

(△16.8%)

(△100%)

(75.6)

(81.1)

(51.6)

(43.1)

(60.4)

(45.2)

(28.2)

(25.1)

(27.4)

(19.8)

(33.9)

200ppm以下

9

18

44

62

133

23

112

283

418

296

847

(24.4)

(18.9)

(48.4)

(56.9)

(39.6)

(54.8)

(71.8)

(74.9)

(72.6)

(80.2)

(66.1)

41

95

91

109

336

42

156

378

576

369

1281

(100%)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

(100)

注:

多  毎日   毎日及び,冬,春毎日摂食

多  3日/W  週3回以上及び夏,秋毎日摂食

中  週1~3回及び夏,秋週3回以上摂食

少  月1~3回摂食

( )内は縦欄の%,△印は横欄の%を示す。

表(16)-1 鹿瀬工場排水口付近の苔の水銀量

(湿検体)

検体

番号

検体名

採取

年月日

採取場所

総水銀量

ガスクロマト

新潟大

歯科大

衛試

神戸大

新潟大

歯科大

衛試

神戸大

1

41.4.9

昭電排水口

ppm

131.0

ppm

ppm

2

140.0

41.2

3

9

5.25

昭電排水溝

461.8

153.4

43.5

+(0.74)

+(0.13)

+(0.3)

10

No.1に同じ

+(1.5)

+(0.74)

10-2

57.9

+(0.07)

11

No.2に同じ

+(0.64)

+(0.06)

13

No.10~

No.11の中間

130.2

45.5

+(0.02)

表(16)-2 対照地域の苔の水銀量

(湿検体)

検体番号

検体名

採取

年月日

採取場所

総水銀量

ガスクロマト

新潟大

歯科大

衛試

神戸大

新潟大

歯科大

衛試

神戸大

6

41.5.10

鹿瀬   下流

発電所  300m

0.16

7

〃   上流

100m

0.08

8

〃   上流

350m

0

14

5.25

昭電   上流

排水口  30m

15

〃    50m

3.7

17

角神橋

下流   250m

0.21

18

下流   250m

0.35

0.1

18-2

4Stボタ山―

川岸の中間崖下

0.22

C101

水苔

(泥を含む)

8.11

常浪川

C104

8.12

信濃川

昭和大橋 上流

C105

〃   〃

C106

〃   〃

表(17) 昭和34年~39年(事業年度)(被告以外の六社)

アセトアルデヒド生産実績表

(単位トン)

年度

34

35

36

37

38

39

会社

チツソ

35,896

41,073

39,642

22,924

40,459

28,909

ダイセル

20,460

24,005

25,008

27,355

32,656

日本合成

14,082

15,957

18,014

20,360

23,024

23,154

電気化学

7,326

10,542

日本瓦斯化学

4,546

7,209

7,757

8,725

8,539

鉄興社

2,325

2,794

2,983

3,164

3,689

3,671

表(18) 鹿瀬工場における粗アルデヒド, 精アルデヒドの生産状況

30t以下

31~50

51~60

60以上

その月の記録

57t以上

38.7

1

1

1

4

24

26

0

0

56×6

57×2

0

2

8

1

0

2

3

28

27

0

0

58×1

56×2

3

0

9

1

1

4

5

25

24

0

0

59×1

60×1

9

3

10

1

0

1

7

29

24

0

0

59×3

58×2

15

4

11

0

0

2

2

28

28

0

0

57×1

57×2

14

2

12

2

2

4

6

25

22

0

0

59×1

58×1

7

3

39.1

1

1

0

1

25

28

5

1

61×5

61×1

22

13

2

1

0

2

2

16

24

10

3

62×1

61×3

25

21

3

1

1

0

1

25

29

2

0

62×1

60×1

27

18

4

0

1

2

1

26

27

1

0

61×1

60×2

25

18

5

1

2

4

1

26

25

0

0

60×2

58×4

23

12

6

3

3

2

4

25

21

0

1

60×3

61×1

23

13

7

3

3

1

5

26

23

1

0

61×1

59×2

15

5

8

4

2

1

6

26

22

0

0

59×3

58×1

11

4

9

1

1

2

3

27

25

0

0

60×1

60×1

19

8

10

2

2

0

2

28

27

1

0

61×1

60×2

24

11

11

0

1

1

2

27

27

2

0

63×1

58×3

23

13

12

1

1

0

1

29

29

2

0

62×1

60×1

27

20

40.1

2

2

0

1

9

8

0

0

58×2

58×2

5

4

表(19)

精製アルデヒドトン

当りのアセチレン原単位

(摂氏一五度一気圧)

精製アルデヒドトン

当りの水銀単位

アセチレンに対する

精製アルデヒド収率

鹿瀬工場

五七七立方メートル

三三四グラム

九三%

一般(文献値)

五五九~六三二立方メートル

三〇〇~一〇〇〇グラム

八五~九六%

表(20) メチル水銀の稀薄溶液中で飼育したイトミミズ,金魚体内への水銀蓄積

(喜田村実験)

メチル水銀濃度

(ppm)

飼育日数

(日)

体内メチル水銀量

(ppm)

蓄積倍数

体内全水銀量

(ppm)

蓄積倍数

イトミミズ

0.0003

14

0.15

500

0.51

2,150

47

0.5

1,670

1.65

6,870

0.003

14

1.9

630

50

12.2

4,070

13.6

5,670

金魚

0.0003

10

0.48

2,000

38

0.15

500

1.07

4,460

0.003

15

0.35

117

2.5

1,040

39

0.71

237

3.1

1,290

0.03

20

11.0

367

表(21) 実験結果一覧表

(被告実験)

(単位ppm)

系列

目的系列

対照系列

飼育濃度

3×10-5

原水

3×10-6

3×10-4

飼育日数

25

0.178

0.148

0.130

0.399

40

0.171

0.142

0.121

0.936

60

0.300

0.093

0.154

0.805

80

0.223

0.255

0.128

1.101

100

0.363

0.130

0.118

0.947

注:上表水銀値は原水系列2匹,薬液投入

系列3匹の平均値である。

表(23) 被告実験結果一覧表(T-Hg)

(単位Wet.ppm)

生物名

経日

7

14

21

35

49

63

系列

セネデスムス

O

0.27

0.22

0.11

A

0.24

0.31

0.16

B

0.72

0.85

0.81

ミジンコ

O―O

0.13

0.16

0.16

0.02

0.10

A―A

0.14

0.24

0.18

0.03

0.07

B―B

0.20

0.16

0.20

0.18

0.01

O―A

0.12

0.12

0.16

0.11

0.08

O―B

0.10

0.15

0.30

0.05

0.14

稚ゴイ

O―O―O

0.30

0.21

0.43

0.26

0.13

0.21

A―O―O

0.21

0.26

0.34

0.13

0.23

0.06

B―O―O

0.26

0.49

0.26

0.21

0.02

0.23

O―A―A

0.00

0.00

0.17

0.11

0.34

0.30

O―B―B

0.23

0.15

0.53

0.32

0.06

0.30

A―A―A

0.23

0.00

0.51

0.11

0.06

0.15

B―B―B

0.55

0.09

0.45

0.28

0.21

0.26

表(24) 被告実験結果一覧表(MM)

(単位Wet.ppm)

生物名

経日

7

14

21

35

49

63

系列

セネデスムス

O

0.00

0.00

0.00

A

0.00

0.00

0.00

B

0.01

0.05

0.00

ミジンコ

O―O

0.01

0.00

0.00

0.00

0.01

A―A

0.00

0.00

0.00

0.01

0.01

B―B

0.03

0.01

0.02

0.00

0.02

O―A

0.01

0.01

0.01

0.01

0.01

O―B

0.01

0.01

0.01

0.02

0.02

稚ゴイ

O―O―O

0.02

0.03

0.07

0.02

0.02

0.04

A―O―O

0.03

0.02

0.05

0.02

0.02

0.07

B―O―O

0.04

0.05

0.07

0.02

0.04

0.05

O―A―A

0.03

0.04

0.06

0.03

0.02

0.06

O―B―B

0.03

0.06

0.08

0.05

0.06

0.07

A―A―A

0.04

0.05

0.08

0.04

0.06

0.03

B―B―B

0.08

0.05

0.05

0.06

0.04

0.07

表(25) アクナンテス実験結果一覧

(被告実験)

(単位Wet.ppm)

浸漬時間

T-Hg

MM

0

0.21

0.00

1

0.58

0.01

3

0.60

0.01

8

0.71

0.00

24

0.76

0.00

48

0.77

0.00

表(26) バクテリヤによる分解実験結果

(被告実験)

(単位Wet.ppm)

経過時間

T-Hg

MM

0

0.04

0.01

1

2.32

1.13

3

2.20

0.31

8

1.31

0.09

24

1.62

0.05

表(27) イトミミズ実験結果一覧

(被告実験)

(単位Wet.ppm)

経日

7

14

21

35

49

濃度

T-Hg

O

ブランク

0.02

0.10

0.07

0.12

0.03

A

3×10-6

0.25

0.03

0.10

0.15

0.05

B

3×10-5

0.22

0.12

0.12

0.10

0.05

MM

O

ブランク

0.00

0.00

0.05

0.03

0.00

A

3×10-6

0.00

0.00

0.06

0.01

0.00

B

3×10-5

0.00

0.00

0.05

0.04

0.00

表(28) 地震時保管中の農薬の被災数量

倉庫名

保管依頼者

保管農薬種別

保管数量

kg

被災数量

kg

神山物産(株)倉庫

神山物産(株)

アルキル水銀系(A)

39

0

非アルキル水銀系(B)

33,244

960

非水銀系(C)

46,561

1,716

79,844

2,676

東洋埠頭(株)倉庫

1号BC

北興化学工業(株)

(A)

963

196

(B)

555,820

57,424

(C)

146,152

8,097

702,935

65,717

新潟商船倉庫(株)

A号

武田薬品工業(株)

(A)

4

B号

(B)

226,755

51,651

C号

(C)

18,456

8,376

245,211

60,027

日本通運(株)

新潟営業所

北1号東2・3号

富山平四商店

(A)

30

18

(B)

15,262

1,512

(C)

6,656

2,966

21,942

4,496

日本海倉庫(株)

北埠頭A2号

・日産化学工業(株)

・東亜農薬工業(株)

・石原産業

・八州化学工業

・北興化学工業

(A)

0

(B)

27,072

15,880

(C)

142,414

119,812

169,486

135,692

新潟倉庫運輪(株)

B1号

北興化学工業(株)

(A)

410

130

(B)

81,810

18,810

(C)

145,181

33,521

227,401

52,461

滝沢運送(株)倉庫

臨港1号

(株)中野組

日産化学工業(株)

(A)

79

79

(B)

103,735

60,103

(C)

154,680

106,222

258,494

166,404

合計

(A)

1,521

423

(B)

1,043,698

206,340

(C)

660,094

280,710

総計

1,705,313

487,473

表(29) 農薬の包装

容器

内装

外装

乳剤

1. 壜(ガラス製)に充填

1号壜

(100cc入,120g)

5号壜

(500cc入,360g)

2. 中栓(ポリエチレン製)で密閉

3. キャップ(ブリキ又は樹脂製)

で密閉,水銀乳剤にはおお

むね樹脂キャップを使用

1号壜

10本を中仕切のある

内装ダンボール箱に入れ,

セロテープで蓋を止める。

右6個を外装ダンボール箱

に入れて,のりづけ。

農薬入重量約13.5kg

5号壜

1本ずつ内装ダンーボル箱に入れて,セロテープでとめる。

右20本を,外装ダンボール箱に入れてのりづけ。

農薬入重量約17.5kg

粉剤水和剤

袋(クラフトペーパー二層,又は

ビニール)に入れてのりづけ。通常3kg入500g入が使用される。

3kg入袋    8個

500g入袋  40個

を外装ダンボール箱に

入れのりづけ。

錠剤

小箱に入れる。

但,メーカー品種により区々。

右小箱を内装箱に数個入れる。

右内装箱数個を,外装ダンボール箱に入れる。

表(30) 酢酸フエニル水銀(試薬)の分解によるメチル水銀の生成

(50℃貯蔵)(北川実験)

No.

混合割合(mg)

メチル水銀生成率(%)

酢酸フエ

ニル水銀

タルク

消石灰

5日

10日

20日

1

100

0.20

0.29

0.34

2

100

100

0.42

0.58

0.90

3

100

900

0.66

0.72

1.20

4

100

100

0.30

0.52

0.62

5

100

900

0.32

0.50

0.45

6

100

450

450

0.27

0.55

0.63

7

100

800

100

0.20

0.88

1.20

表(31) PMA配合農薬中のメチル水銀化合物の分析成績

(北川実験)

No.

農薬名

(製造所)

組成〔wt%〕

製造後

推定経過

年月

MMC生成率

農薬

全量中

MMC

含有率

〔ppm〕

〔wt%〕

〔mol%〕

1

山本セレサン石灰

(山本農薬)

PMA 0.42(Hg,0.25)

タルク29,88

消石灰69.70

4年7箇月

1.8

2.4

76

2

三共水銀粉剤

(三共製薬)

PMA 0.42(Hg,0.25)

その他鉱物質微粉99.58

4年2箇月

1.6

2.2

65

3

キング水銀粉剤25

(キング除虫菊工業)

PMA 0.42(Hg,0.25)

その他(鉱)99.58

2年5箇月

1.4

1.9

59

4

キングセレサン石灰25

(キング除虫菊工業)

PMA 0.42(Hg,0.25)

その他(鉱)99.58

2年2箇月

0.65

0.88

27

5

東亜水銀粉剤

(東亜農薬)

PMA 0.42(Hg,0.25)

その他(鉱)99.58

11年0箇月

0.30

0.40

13

6

セレジット

(日本特殊農薬)

PMA 0.42(Hg,0.25)

メチルアルシンビス

メチルジチオカルバメート0.25

その他(鉱)99.33

不明

0.08

0.13

3

7

日農モンテ粉剤

(日本農薬)

PMA 0.34(Hg,0.20)

メチルアルシンビス

(バラメチルフエニル

ジチオカルバメート)0.4

その他(鉱)99.26

7年10箇月

0.41

0.55

14

8

三共メラン粉剤

(三共製薬)

PMA 0.30

バラトルエンスルホン

酸トリル水銀0.055(Hg,0.20)

その他(鉱)99.645

3年5箇月

0.63

0.85

19

9

イハラ水銀粉剤

(イハラ農薬)

PMA 0.29(Hg,0.17)

その他(鉱)99.71

9年9箇月

0.20

0.26

6

10

強力タケダメル粉剤

(武田製薬工業)

PMA 0.27(Hg,0.167)

ジナフチルメタンジスル

ホン酸ジフエニル水銀0.20

(H 0.083)

その他(鉱)99.53

7年6箇月

0.52

1.2

14

11

リオゲンダスト

(三共製薬)

PMA 0.25(Hg,0.15)

その他(鉱)99.75

15年1箇月

0.96

1.3

24

12

ホクコー水銀ボルドー粉剤

(北興化学工業)

PMA 0.25(Hg,0.15)

塩基性硫酸銅5.63

その他(鉱)94.12

6年1箇月

0.84

1.1

21

13

ホクコー水銀ボルドー粉剤

(北興化学工業)

PMA 0.25(Hg,0.15)

塩基性硫酸銅5.63

その他(鉱)94.12

7年6箇月

3.0

4.0

75

14

日農ブラエスM粉剤

(日本農薬)

PMA 0.17(Hg,0.10)

ブラストサイジンSペンジルアミノ

ベンゼンスルホン酸塩0.20,

その他(鉱)99.63

5年5箇月

0.19

0.25

3

15

武田メル粉剤

(武田製薬工業)

PMA 0.16(Hg,0.10)

ジナフチルメタンジスルホン酸

ジフエニル水銀0.12

(Hg,0.015)

その他(鉱)99.72

11年10箇月

0.35

0.47

6

平均

0.86

28.3

表(32) 包装農薬の水中破袋実験

(被告実験)

(a) ダンボール箱の変形に要する荷重

箱名

クミスイ粉剤30箱

K社硫酸鉄ビン箱

J社硫酸ビン箱

大きさ

(縦×横×高さ)

cm

45×33.5×25

cm

44.5×35×20.5

cm

39×32×19

紙の厚さ外側

0.8cm

0.5

0.5

〃  内側

0.9

0.7

0.5

仕切板の型

必要荷重

68.7kg

38.8

33.4

(b) 3kg入粉剤の破袋荷重

農薬名

包装方法

充填袋寸法(cm)

破袋荷重

クミスイ粉剤

クラフト紙二層袋

15×12×15

8.9kg

12.1

三共ボルドー粉剤

15.0

表(33) 日流量年表

(横越より)

(t/sec)              昭和39年6月~12月

6

7

8

9

10

11

12

1

107.2

92.9

184.2

275.4

607.2

294.6

447.1

2

107.2

126.0

184.2

319.8

407.6

268.8

469.6

3

100.4

1,092.4

145.2

378.4

446.4

278.7

394.0

4

101.4

931.4

158.9

325.0

367.8

262.6

397.9

5

100.0

472.0

168.4

403.6

261.0

301.3

386.4

6

89.2

309.4

170.0

369.7

450.4

350.4

363.1

7

83.0

472.0

193.0

278.4

458.0

308.4

530.0

8

83.0

2,508.5

251.1

205.5

392.2

311.3

497.5

9

94.9

1,879.8

367.7

258.5

321.3

301.3

513.1

10

118.5

2,063.9

465.6

355.2

443.3

318.2

520.1

11

127.2

1,228.4

320.3

249.1

364.8

325.0

397.8

12

120.6

2,266.9

207.0

196.0

337.5

292.6

433.2

13

92.9

2,122.3

155.4

163.8

288.0

275.2

382.7

14

96.4

1,107.4

168.4

304.9

323.1

267.3

398.0

15

92.0

1,143.0

107.4

227.4

364.2

400.4

457.3

16

121.9

960.2

99.6

204.6

337.2

419.4

465.5

17

139.2

990.0

111.6

207.1

360.8

351.7

353.3

18

125.5

1,993.7

141.4

206.6

371.5

294.6

364.6

19

109.4

1,503.1

154.3

215.4

325.2

367.4

476.3

20

105.8

1,041.8

119.6

331.9

308.0

328.6

384.6

21

249.0

876.9

141.7

503.2

308.0

288.2

413.8

22

150.1

698.7

152.1

731.4

500.2

469.8

455.3

23

124.2

543.4

104.4

797.2

758.5

321.8

433.2

24

92.0

417.9

133.3

547.4

810.0

717.8

417.2

25

88.3

359.0

269.6

1,282.0

523.2

607.4

495.1

26

226.6

321.6

266.6

1,035.1

409.8

411.4

512.4

27

166.2

232.6

191.2

684.4

386.4

382.8

401.8

28

172.7

214.0

174.5

681.0

342.6

357.1

384.6

29

121.6

209.6

185.6

811.2

304.7

361.4

359.2

30

107.4

193.8

157.8

672.8

325.0

403.8

328.4

31

193.0

145.2

289.7

318.2

北陸地方建設局阿賀野川工事事務所横越水位流量観測所測定値

表(34)

測定日

横越流量

(t/sec)

海水先端部

河口よりの距離

混合先端部

河口よりの距離

44.

St.

km

km

6.27

208

3

3.2

3.25

6.28

141

3

3.4

3.5

6.29

116

4―2

4.8

5.2

6.30

159

4―2

4.8

4.8

7.1

176

4

4.2

4.25

7.22

215

4

3.2

3.9

7.3

218

2

2.0

2.8

7.27

96

5―1

5.6

5.65

7.28

103

5―1

5.8

6.2

7.29

215

3

3.4

3.5

7.30

476

1

1.6

1.65

表(35)

流量(t/sec)

塩水楔先端の

河口よりの距離(km)

地名(左岸)

100>

6以上

江口

100~150

5~6

江口~本所

150~200

4~5

本所~泰平橋

200~220

3.5~4

泰平橋~一日市

220<

3.5以下

表(36) 患家の猫・犬の調査成績表

正常

病気

行方

不明

病死

合計

発病時期

S38

S・39

S・40

9

8

9

10

11

12

1

2

3

4

5

6

7

8

不明

2

3

1

1

1

2

2

2

1

2

1

2

15

20

2

1

1

1

2

5

表(38) 頭髪水銀量の地域的分布

頭髪ppm水銀量

~10

~20

~50

~100

~200

200~

主要建造物

河口より

の距離

松浜橋

~5

252

(28.5)

294

(33.3)

221

(25.0)

72

(8.1)

27

(3.1)

18

(2.0)

884

(100)

通船川門門

泰平橋

~10

99

(33.0)

112

(37.3)

59

(19.7)

16

(5.3)

9

(3.0)

5

(1.7)

300

(100)

横雲橋

~15

100

(49.5)

69

(34.2)

28

(13.9)

3

(1.5)

2

(0.9)

202

(100)

小阿賀の川門門

~20

6

(35.3)

5

(29.4)

2

(11.8)

3

(17.6)

1

(5.9)

17

(100)

阿賀浦橋

早出川合流点

~25

8

(88.9)

1

(11.1)

9

(100)

安田橋

~30

10

(100.0)

10

(100)

馬下橋

~35

2

(100.0)

2

(100)

~40

1

(25.0)

2

(50.0)

1

(25.0)

4

(100)

~45

中沢川・新谷川合流

揚川発電ダム

~50

2

(66.7)

1

(33.3)

3

(100)

昭和橋(吊橋)

~55

5

(100.0)

5

(100)

キリン橋

常浪川合流

昭和電工

~60

8

(44.4)

6

(33.3)

2

(11.1)

1

(5.6)

1

(5.6)

18

(100)

鹿瀬橋

カノセ発電ダム

~65

2

2

4

(100)

495

(34.0)

491

(33.7)

314

(21.5)

95

(6.5)

40

(2.7)

23

(1.6)

1,458

(100)

表(39) 魚介類,底棲生物の水銀含有量

(試験研究班中間成績,および日本海区水産研究所調査抜すい)

魚介類名

(ハ

イ)

河口

よりの

距離Km

採取場所

海域

松浜沖

0.54

0.26

2.7

0.03

4.2

16.0

3.3

0.13

1.00

0.06

1.0Km

以内

阿賀野川河口附近

21.0

0.44

4.6

0.17

1.64

0.11

2.16

1.15

2.00

0.50

12.3

1.48

0.95

1.93

0.03

0.11

0.02

3.0

〃 津島屋

8.38

0.40

2.13

3.38

0.61

4.12

0.04

4.5

〃 一日市

2.36

0.32

2.96

0.34

2.06

0.01

1.47

0.25

14?

15

〃 横雲橋附近

3.94

4.80

2.40

12.0

12.0

8.0

2.32

17.0

23.0

〃 水原町分田

0.17

6.01

1.83

0.0

30.0

〃 安田橋

1.55

1.72

34.0

〃 馬下

3.29

4.64

1.22

0.77

3.60

2.85

5.10

37.0

〃 石間

3.58

1.73

1.65

43.0

〃 岩谷

1.55

2.33

49.0

〃 揚川発電所(谷沢)

3.14

3.26

6.78

内蔵

1.96

0.59

4.34

3.32

56.0

〃 津川町キリン橋附近

3.28

41.0

0.06

59.0

〃昭電排水口下流

2.8

5.48

1.52

9.13

9.45

60.0

〃 鹿瀬橋

0.72

1.07

1.81

0.26

対象

新井郷川

1.37

0.09

奥野川(小出町)

0.02

表(40) 土壌,水及び藻類総水銀含量検体一覧表泥関係

41.1.12

検体

番号

検体名

採取

日時

採取場所

検査実施機関

検査

結果

備考

69

6.19

阿賀野川左岸下山排水機附近

国立衛生試験所

0.38

tatal Hg

71

〃  通船川排水機附近

0.40

73

〃  津島屋附近

0.50

75

〃  岸左泰平橋400m下流

0.52

77

〃  通船川出口100m上流

0.32

79

〃  松浜橋下

0.56

81

〃  下山排水機出口

0.40

83

〃  下山排落附近

0.34

85

〃   〃  北端

0.42

87

昭和電工鹿瀬工場排水口

151

100

6.23

新潟港通船川口

0.50

102

通船川と新栗ノ木川交流点

0.00

104

栗ノ木川紫雲橋下手

0.00

106

〃  姥ケ山橋下手

0.28

108

6.17

通船川下山附近

0.56

110

〃 焼島附近

0.00

185

(かや

No.1)

ボタン泥

7.22

昭和電工鹿瀬工場

640

186

(かや

No.2)

624

185

ボタ山泥

東京歯科大学

有機水銀

1186

194

土砂

7.28

飛行場附近

195

7.22

臨港埠頭外海深7m

0.1

196

県営住宅沖合水深10m

197

山下沖合水深8m

198

飛行場水深10m

0.41

(0.64)

200

7.24

新井郷川右岸(日本ガス排水口)

1.75

(0.86)

201

206

ボタ山

日本ガス化学

5.1

207

7.26

8.6

208

7.24

阿賀野川河口燈台上手右岸

0.14

(3.63)

209

〃  松浜橋下流

210

〃  一日市場水門下流

0.1

211

〃   〃  〃 上流

212

〃  泰平橋下流

213

8.6

〃    〃

214

184

7.24

阿賀野川鹿瀬発電所

国立衛生試験所

0.48

187

〃  津川町

0.84

188

〃  揚川上流

0.90

189

7.26

〃  馬川下流

0.82

190

〃  六郷

0.89

191

〃  横越下流

0.58

192

7.28

通船川

193

199

7.22

日本ガス化学

202

7.24

新井郷川

203

204

205

新井郷川加治川合流点

0.18

(水分50.2%)

121

(215)

10.13

昭和電工排水口出口

222-1

222-2

34

82

(水分10.38%)

(〃85.9%)

223

ボタ山泥

昭和電工ボタ山

11800

(水分19.62%)

224

(218)

225

(219)

226

(220)

227

(221)

4190

(水分42.45%)

228

(220)

臨No.1

40.6.19

昭和石油沖

国立衛生試験所

0.03

2

信濃川燈台附近

3

〃 河口

4

臨港入口

5

帰港

国立衛生試験所

0.04

6

〃 倉庫前

7

臨港

8

通船川出口

9

中央埠頭入口

10

〃 倉庫前

東京理科大学

0.0

理泥

No.1

6.12

阿賀野川本町

0.00

2

0.07

3

0.22

4

0.32

5

0.94

6

0.12

7

0.18

8

新川入口(信濃川)

0.54

9

0.70

10

焼島潟

1.92

11

通船川薬師橋附近

0.00

12

0.14

13

新川揚水排水機場

0.00

14

阿賀野川松浜橋(通船川入口)

0.14

15

0.14

16

日本ソーダ(新井郷川)

31.00

18

日本ガス化学( 〃 )

45.50

19

34.20

20

昭和電工鹿瀬工場

81.52

21

日本ガス化学海より3番目排水口

15.40

22

〃    4番目排水口

1.60

埋23

万代パルプ排水口

理科大

0.43

24

新潟工業用排水溝

0.10

検体一覧表その他

41.1.12

検体

番号

検体名

採取日時

採取場所

試験機関

試験結果

備考

68

9.19

阿賀野川下山排水機附近

国立衛試

0.006

70

〃  通船川 〃

0.009

72

〃  津島屋 〃

0.001

74

〃 左岸泰平橋400m下流

0.000

76

〃 通船川出口100m上流

0.000

78

〃  松浜橋下

0.003

80

〃  下山排水機出口

0.004

82

〃  下山部落附近

0.008

84

〃   〃  北端

0.004

86

昭電鹿瀬工場排水口

0.004

88

〃   排水溝合流点

0.003

89

〃   有機工場排水口

0.005

99

6.23

新潟港通橋川口

0.004

101

通船川と新栗ノ木川交流点

0.004

103

栗ノ木川紫雲橋下手

0.004

106

〃  姥ケ山橋下手

0.004

107

6.17

通船川下山附近

0

109

〃  焼島〃

0.004

計検体数 18検体 実施数 18検体

1

6.19

新潟港外(昭石沖)

新潟衛研

2

〃  (燈台附近)

3

〃内 (臨海埠頭附近)

4

5

6

7

〃  (山下埠頭付近)

8

〃  (県営 〃 )

9

〃  (東洋 〃 )

10

井戸水

8.24

上江口 星山幸松

0.00

下山 中山謹治

0.00

河川水

6.24

阿賀野川工業用水

0.00

6.17

臨港倉庫跡溜水

0.012

臨港の水

0.00

臨港埠B頭水

0.005

ヨシ

(乾燥)

6.24

阿賀野川下山

12.30

水藻

(〃)

10.27

90

水藻

〃  左岸下山

国立衛試

91

ヨシ

〃  下山

0.43

92

水藻

〃  松浜橋附近

93

マコモ

〃    〃

0.36

0.10

94

水藻

〃  津島屋上流

95

ヨシ

〃  一日市下流

0.59

0.00

96

水藻

〃    〃

97

マコモ

〃  加治川水門下

0.00

0.01

224

石水苔

9.2

〃  昭電下流

0.23

埋水

No.1

6.12

〃  本所

東京理科大

0.0

2

信濃川新川口入口

0.0

3

阿賀野川

0.0

4

信濃川

0.0

5

〃  新川入口

0.0

7

阿賀野川

0.006

8

新川入ロ(信濃川)

0.001

11

焼島橋

0.0

12

通船川 薬師橋

0.0

13

0.0

14

新川揚水排水機場

0.0

15

阿賀野川松浜橋(通船川出口)

0.0

16

日本ソーダ(新井郷川)

0.0

17

0.0

井戸水

地震当時冠水したもの

0.0

表(41) 胎児性水俣病と脳性小児麻痺

胎児性水俣病

脳性小児麻痺

原因の作用時期

殆んど全例先天性と思われる。

先天性 6~30%

出生時 60~65〃

後天性 10~20〃

病型

混合型が多い。

(痙直,強剛―痙直失調型が目立つ

痙直型が最も多い。

(60~80%)

部位別分類

全例とも両麻痺または四肢麻痺

(下肢≦上肢)

一肢 1~2%

半身 10~15〃

両側又は四肢 60~70〃

対 8~20〃

症状の出現頻度

殆んど同じ発生

頻度を示すもの

筋トーヌスの亢進(但し強剛―痙直型は胎児性水俣病に多い)

病的反射,腱反射亢進

奇型,姿位異常,strabismus

やや差を認めるもの

身体発育遅延

一般運動機能の発育障碍

不随意運動 原始反射

胎児性水俣病が稍々多い

腱反射の減弱または消失―胎児性水俣病に少ない

胎児性水俣病に

著しく多いもの

知能障害(100%)

言語 〃 (〃 )

咀嚼嚥下〃 (〃 )

歩行〃(失調性歩行)(〃 )

30~60%

50~70%

40~50%

検査所見

毛髪中水銀量

著しく増加する

(母親も同じく)

ない

気脳図

広汎な変化を認める

脳波

広汎な変化を認める

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

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