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旭川地方裁判所 昭和36年(わ)467号 判決

被告人 佐藤彰 外六名

主文

一  被告人佐藤彰を罰金二、五〇〇円に、

被告人松橋武男を懲役三月に、

被告人浜埜登を罰金五、〇〇〇円に、

被告人外崎清三を懲役二月に、

各処する。

二  被告人佐藤彰、同浜埜登において、その罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、当該被告人を労役場に留置する。

三  被告人松橋武男、同外崎清三に対し、この裁判確定の日から一年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。

四  訴訟費用中、証人斉藤吉春(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同松田宏(永山第三五回公判の分を除く。)、同大門功、同松崎信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同有賀登志男、同上野要治、同柴田貞夫、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好、同氏本利光(永山第六三回公判の分を除く。)に各支給した分は、その二分の一を被告人佐藤彰、同松橋武男、同浜埜登の連帯負担とし、証人斉藤吉春(永山第一〇回、第一三回公判の分を除く。)、同大門功、同松橋信吉、同目黒厚子、同由川匡寿、同池野幸次郎、同中川弘、同北岸洋子、同安川長吉、同坂下博、同八重樫好に各支給した分の二分の一および証人佐藤和子(永山第四八回公判の分を除く。)に支給した分は、被告人松橋武男、同浜埜登、同外崎清三の連帯負担とする。

五  被告人広岡外洋、同伊藤信明、同加賀谷利雄は、いずれも無罪。

(理由目次)〈省略〉

理由

第一章  被告人佐藤、同松橋、同浜埜、同外崎に対する頭書被告事件(昭和三六年(わ)第四六六号事件)(以下、この章において、これを本件という。)関係

第一節裁判所が認定した事実

第一本件学力調査実施に至る経緯

文部省は、昭和三一年から全国小、中学校および高等学校の児童、生徒を対象として、その一部の抽出による学力調査を実施していたが、昭和三五年秋ごろ、全国中学校二、三年生の全生徒を対象とする一斉学力調査(以下、本件学力調査という。)を企画し、これを雑誌等を通じて明らかにしたのも、昭和三六年三月八日付文部省初等中等教育局長、同調査局長連名による「中学校生徒全国一斉学力調査の実施期日について(通知)」と題する書面および同年四月二七日付同連名による「昭和三六年度全国中学校一斉学力調査実施について」と題する書面を各都道府県教育委員会教育長あて(正確には私立中学校、国立大学付属中学校の関係で各都道府県知事および付属中学校を置く国立大学長あてにも送付した。以下、本件に関連する公立中学校関係に限るものとする。)送付し、各都道府県教育委員会に対して、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、地教行法という。)第五四条第二項に基づき、つぎの要領による調査およびその結果に関する資料、報告の提出を求めた。すなわち、右調査は、その趣旨、目的として、

(1)  文部省および教育委員会においては、教育課程に関する諸施策の樹立および学習指導の改善に役立たせる資料とすること、

(2)  中学校においては、自校の学習の到達度を、全国的な水準と比較において見ることにより、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、

(3)  文部省および教育委員会においては、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること、

(4)  文部省および教育委員会においては、育英、特殊教育施設などの拡充、強化に役立てる等の教育施策を行なうための資料とすること、

等を掲げ、全国中学校二、三年生の全生徒を対象として、国語、社会、数学、理科および英語の五教科について同年一〇月二六日に一斉に調査することとしていた。

そこで、北海道教育委員会(以下、道教委と略称する。)は、同年六月二〇日付教育長名の通達により、道内各市町村教育委員会に対して同旨の調査およびその結果に関する資料、報告の提出を求め、これを受けた旭川市教育委員会(以下、市教委と略称する。)は、同年一〇月二三日同市立の各中学校長に対し、学校長をテスト責任者として各中学校における前記調査の実施を命じた。

第二反対闘争の概略

一 北海道教職員組合の組織の概要

北海道教職員組合(以下、北教組と略称する。)は、北海道内の公立学校教職員をもつて組織されている法人であり、他の都府県教職員組合とともにその連合体である日本教職員組合(以下、日教組と略称する。)を組織している。北教組は、最高議決機関として大会、大会に次ぐ議決機関として中央委員会をおき、執行機関として中央執行委員会をおく。北教組は、道内の各市町村を区域として支部をおき、各学校に班をおく。さらに各支部は、支庁を区域として(ただし、空知支庁管内のみ三個に区分している。)地区協議会を設ける。各支部は、本部に類似した機関、役員を設けている。

二 北教組の本件学力調査反対闘争の経過

北教組は、前記抽出調査に対しても、基本的には反対であるとして、同調査の実施に対する労務提供の拒否等の戦術を展開していたが、前記一斉学力調査の実施計画を知るや、前記の如く調査の趣旨、目的とされているところは、単なる名目上のものに過ぎず、むしろ

(イ) 同調査の真の目的とするところは、いわゆる教育二法(義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法、教育公務員特例法の一部改正に関する法律-同法第二一条の三の新設)の制定、任命制教育委員会制度の採用、勤務評定制度の実施、教科書検定制度による教科書内容への行政的介入、さらには学習指導要領の改訂等、昭和二六年ごろを境として現われてきたところの一連の反動的な非民主主義的、中央集権的諸立法ならびに教育行政施策の締めくくりを図らんとするものであり、憲法ならびに教育基本法に違反する教育に対する国家権力の重大なる介入である。

(ロ) さらに右調査は、児童、生徒の格付けを図らんとするものである。これすなわち、いわゆる所得倍増計画に伴う経済審議会の人的能力開発政策に呼応し、結局、独占資本が要求する大量の下級技術者を作出するための施策にほかならない。これが、本道の如く教育条件、施設等のきわめて劣悪なる地域の学校において、大都市のそれと同一レベルでテストをなすこと自体問題であるばかりでなく、かかる一片のペーパーテストの結果によつて児童、生徒の将来を決定することは、当該児童、生徒に対する重大なる人権侵害である。

(ハ) 右調査は、教育現場における五教科偏重の弊をもたらし、さらにテスト中心主義の教育を助長する。児童、生徒、各個の個性を引き出し、全人格の陶冶、育成を図るべき教育の実践を阻害し、その弊害はきわめて重大なるものである。

(ニ) 文部省があげている地教行法第五四条第二項に基づいては、本件調査をなしえず、結局、本件学力調査の実施は、その法的根拠を欠くものである。

等を理由として、右調査の実施に強く反対し、昭和三五年一二月の北教組第三五回定期大会、昭和三六年四月の北教組第三六回年次大会において、学力調査実施反対を決議して、父母、大衆とともに反対運動を展開することを決定した。そして、同年六月に行われた日教組第二三回大会において、これを全国的に確認し、意思の統一をしたうえ、その後北教組第四六回中央委員会、北教組戦術会議等において、

(イ) 校長を含めて、学習会を積極的に開催し、学力テストの本質を理解するとともに、反対闘争についての意思統一を図ること、

(ロ) 地域の父母、住民に対し、宣伝、啓蒙活動を行ない、さらに各地域の労働団体、民間団体との共闘体制をかためること、

(ハ) 教育委員会に対し、学力テスト返上の交渉をねばり強く行うこと、

(ニ) テスト実施に対しては、テスト補助、採点等の労務提供を完全に拒否し、当日は平常授業を行なうこと、そしてテストを実施するため教育委員会等から派遣された者に対しては、これを思いとどまらせるようねばり強く説得活動を続けること、等具体的かつ詳細なる戦術を決定し、これを各地に指示、指令して、反対闘争の姿勢をかためる一方、道教委としばしば交渉をなし、本件学力調査の中止を迫つた。

三 北教組旭川支部ならびに旭労を中心とする本件学力調査反対闘争の経過

北教組旭川支部は、昭和三六年三月三日の支部年次大会において、本件学力調査反対の確認をするとともに、日教組の統一闘争として学力調査反対の運動を組織し、日教組ならびに北教組の具体的戦術に従うことを決議した。そして、前記の如く北教組から指示、指令がもたらされるや、そのつど、これを支部執行委員会、代議員会等において確認したうえ、これに沿つて反対闘争を展開し、各学校班においては、学力テストの本質等に関する学習を重ねて反対の意思統一につとめ、一方、家庭訪問をなし、あるいは支部の教宣資料を配付するなどして、地域の父母、住民に対する宣伝、啓蒙活動を行ない、さらに後記の旭川地方労働組合会議等との共闘体制を確立して、同年九月初めごろから、市教委に対し、学力調査の中止を要求する交渉を続けた。このようにして、本件学力調査の実施が迫つた同年一〇月一七日には、本部指令に基づき、支部闘争委員会を、さらに各中学校区を単位として中学校闘争委員会を設置して、同中学校闘争委員長には各中学校班長をあてることとし、これを補佐するとともに説得要員(各中学校につき五名ないし一〇名)、闘争委員を指揮、統率しながらその中心になつて説得活動に当るものとして説得隊長を決定するなどして、本件学力調査阻止の体制を固め、その後も市教委と連日交渉を続けて、学力調査の違法性、不当性を訴え、その中止方を要求した。

一方、旭川市における単位組合並びに産業別、地域別の連合会または協議会によつて組織する旭川地方労働組合会議(以下旭労と略称する。)は、前記の如く、本件学力調査は単なる教育問題ではなく、従つてこれに対する反対闘争は、北教組等の教員組合にのみ限局されるべき性質のものではなくして、むしろ全労働者、全市民が参加すべきものであるとの考えのもとに北教組旭川支部と共闘体制を組んで、これとともに積極的なる学力調査阻止闘争を展開することとした。そして同年一〇月七、八日に開かれた第二二回定期大会において、本件学力調査当日には、市内の各中学校に合計三、〇〇〇名を動員して、学力調査阻止のための説得活動を行なうことを決議し、その後、各中学校に派遣する各単産の割り当ておよびこの責任者としての執行委員の配置等を決定して、具体的に本件学力調査阻止の体制をかため、さらに各単産を通じて、組合員に対し、学力調査反対の宣伝、啓蒙をなし、本件学力調査当日における説得行動への積極的な参加を求めた。

その結果、旭川市永山町所在の旭川市立永山中学校(以下、永山中学校という。)においては、前記北教組の指令等に従い、同校学校班長氏本利光を闘争委員長とする永山中学校闘争委員会が設置され、同校校長斉藤吉春を除く全教員は、一致して本件学力調査に反対し、校長からのテスト補助員を命ずる旨の職務命令に対しても、これを一括して返上し、調査実施と決定された場合にも平常授業を行なつてこれと闘う旨確認する一方、当日の学力調査阻止の説得行動には、永山中学校区内の永山、永山東、永山西各小学校および旭川農業高校の教員ならびに旭労に加盟する国策パルプ、富島産業、金谷組、北海道林業および北王製油各労働組合の組合員が参加して、これに当ることとなつた。そして同年一〇月二四日、旭川市内の教育会館に北教組旭川支部、旭労等の各役員並びに各中学校闘争委員会委員長、説得隊長および旭労関係の説得責任者らが集つて、旭労、北教組旭川支部等の合同戦術会議を開催するなどして、当日の説得行動につき具体的な方策を協議した。

かくて、北教組旭川支部においては、同月二五日午後から、市教委と最終的な交渉をもち、市教委に対し、学力調査を中止して事態を収拾すべき旨強く要求したが、翌二六日(テスト当日)早暁に至るも、この話合いはまとまらず、結局、同日午前五時ごろ、右交渉を打ち切つて、予定どおり各中学校における説得行動に突入することとなつた。

第三本件被告人らの経歴、地位等および永山中学校における本件直前の状況

一 被告人らの経歴、地位等

被告人佐藤は、昭和二二年四月から高等学校教諭となつて旭川農業高校(ただし、当時は永山農学校と称した。)に勤務するかたわら、北教組教科書研究小委員会委員、上川地区協議会高校部長等北教組の役員を歴任し、本件当時は北教組旭川支部高校部長の地位にあり、永山中学校において実施予定の本件学力調査を阻止するため、前記北教組旭川支部の決定により永山中学校闘争委員会説得隊長として同校における説得行動に参加したもの、被告人松崎は、昭和二四年二月から国策パルプ株式会社旭川工場に勤務するかたわら、国策パルプ労働組合旭川支部執行委員、同組合中央委員を歴任したのち、本件当時は同組合旭川支部副支部長兼旭労執行委員の地位にあり、前記旭労の決定により永山中学校における本件学力調査を阻止するため同校に赴いた旭労関係の説得責任者として同校における説得行動に参加したもの、被告人浜埜は、昭和一四年八月から当時の札幌鉄道局旭川工場(現在国鉄旭川鉄道管理局旭川工場)に勤務し、国鉄労働組合旭川地方本部工場支部鉄工分会委員長などを歴任したのち、本件当時は同組合旭川地方本部執行委員の地位にあり、前記永山中学校における説得行動に参加したもの、被告人外崎は、昭和二七年一二月から北王製油株式会社に勤務し、北王製油労働組合に加入するものであつて、前記永山中学校における説得行動に参加したものである。

二 斉藤校長の行動

永山中学校校長斉藤吉春は、同年一〇月二六日午前六時三〇分ごろ登校し、直ちに、市教委の指示どおり、

「告ぐ

一 学校の正常な運営を確保するため一〇月二六日においては次のおこないを禁止します。

1 この学校の生徒及びこの学校の職員並びに教育委員会の職員以外の者が教育委員会の許可を受けることなく校地及び校舎内に立ち入ること

2 校門においてこの学校の生徒及びこの学校の職員の登校や教育委員会の職員の通行を妨げること

二 一〇月二六日は学校の付近において騒音高声を発しないようにして下さい。

昭和三六年一〇月二六日

旭川市教育委員会

委員長 斉藤二郎

永山中学校長 斉藤吉春」

と墨書した紙四枚(縦約一四七糎、横約七七糎、昭和三七年押第七九号の五ノ一および五ノ二はその一部である。)を、それぞれ、ベニヤ板製の掲示板に貼り付けるなどしたうえ、校地内の正面玄関右側、生徒玄関入口、校地南西隅、校内北西部工事小屋付近の四か所に各一枚宛を道路側に向けて掲げ、右表示した関係者以外の者の校内への立入り等を禁止した。そして、市教委の命により同校の学力調査立会人としてすでに来校していた藤川重人および平崎勲とともに事務室に搬入されていた学力調査用紙を二階保健室のベツドの下に運び込むなどして、右用紙の保管に苦慮する一方、同校教員らに、再度、調査実施の協力方を要請するなどして、本件調査の実施に腐心していた。

三 被告人らの来校の状況

被告人佐藤は、同日午前七時二〇分ごろ、永山中学校に赴き、北教組の指令により同日午前七時四〇分ごろから同校北西側生徒玄関前で開かれた永山中学校区小学校、高校の北教組旭川支部組合員ら約二〇名による本件学力調査実施に対する早朝抗議集会に参加し、永山中学校闘争委員長氏本利光、同校教諭(北教組旭川支部執行委員)藤田峯男の両名から、前記市教委との交渉の経過、同校教員らの学力調査実施に対する闘争体制等の報告を受け、自らも学力調査の本質やこれに反対しなければならない所以等を話すうち、同日午前八時前ごろ、被告人松橋および前記国策パルプ、北海道林業等旭労関係の労組員ら六〇余名が乗車する貸切バスが同校正面玄関前広場に到着したので、これと合流すべく前記北教組組合員らとともに同所に赴き、同所で円陣を組んで集つた組合員(以下このように同校に赴いた組合員を説得隊員あるいは説得員という。)らに対し、被告人佐藤、同松橋、国策パルプ労組書記長松崎信吉において、前記市教委との交渉の経過、一〇月二四日の旭労、北教組旭川支部等合同戦術会議などで協議決定された説得に当つての具体的な注意事項、ことに、あくまでも説得によつてテストを中止させること、そのさいピケツトやスクラムは組まず、暴力行為には出ないこと、同校教員による平常授業を妨げず、静粛にして生徒の目につかぬよえ行動すること等を話して注意をなし、さらに各説得隊員の配置等を指示するとともに、前記氏本利光より、同校教員らは平常授業を行なう体制にあること、同校校長および学力調査実施のため同校に派遣された市教委職員(以下テスト関係者という。)

らはすでに校舎内にはいつていること等の報告を受けた。

一方、被告人浜埜は、国鉄労組旭川地方本部の決定により、同日午前七時すぎごろ北海道上川郡比布町比布中学校に赴いたが、同校では、すでに学力調査が中止されていたので、さらに前記本部の指示を得て、同日午前九時ごろ永山中学校に到着し、被告人外崎もまた同日午前九時ごろ来校した。

第四罪となるべき事実

一1 被告人佐藤、同松崎は、前記のとおり、永山中学校教諭にして同校闘争委員会の委員長である氏本利光からテスト関係者らがすでに校舎内にはいつている旨を聞かされたので、前記一〇月二四日の合同戦術会議の決定に基づき、校舎内において校長およびテスト関係者らを説得して本件学力調査の実施を阻止しようと決意し、説得隊員約七〇名と互いにその意を通じて共謀のうえ、同日午前八時すぎごろ、右説得隊員らとともに、同校正面玄関より、同校校長斉藤吉春の制止にもかかわらず、同校長が管理する永山中学校校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、

2 被告人浜埜は、同日午前九時ごろ、前記のとおり、すでに故なく校舎内に侵入していた説得隊員らと意思を通じて、同校正面玄関より右校舎内各所に立ち入り、もつて故なく建造物に侵入し、

二 被告人松橋、同浜埜、同外崎は、同校校長斉藤吉春が同日午前一一時四〇分ごろから同校二階の二年ABCD各組の教室において、ひそかに学力調査を実施していることを知り、他の一部説得員らとともに相次いで二階に上つたのであるが、その後、説得員らの中には、同校長のいる教室の出入口に集まつて自由な出入を妨げる者があつたため、同校長は、やむなく、二年D組の外側窓から同C組外側窓に足をかけて渡り、さらに他の教室へ赴くべく、同日午後零時過ごろ、同教室から廊下に出てくるや、説得員らの一部は同校長のまわりに集まり、激しく、右窓渡りに抗議するとともに学力調査の中止を訴えるに及び、そのころ、

1 被告人外崎は、右廊下において、同校長に対し、「最高責任者である校長が窓渡りをするとはあまりにも非常識じやないか。」等と激しく非難抗議をするにさいし、手拳をもつて同校長の胸部付近を突いて暴行を加え、

2 被告人松橋、同浜埜、同外崎は、(右外崎の暴行後間もないころ、)同二階において、同校長を階下校長室に連れて行くべく、同人の周辺に集まつていた説得員約一四、五名の者と互いに意思を通じて共謀のうえ、被告人松橋においては同校長の右腕をかかえて、二、三歩引つぱり、被告人浜埜、同外崎においては右説得員らとともに同校長の身近かにほぼ馬蹄形にこれをとり囲み、これらの者は口々に「テストを中止したらどうだ。」とか「下へ行つて話をしよう。」などと抗議し、あるいは、促し、その間、校長の体に手をかける者もあり、また、校長が教室内にはいろうとするや出入口に立つてこれを妨げる者もある等、右囲みのまま、同校長をして、その意に反して正面玄関側階段方向へA組教室前付近まで移動するのやむなきに至らしめて同校長の行動の自由を束縛し、もつて共同して暴行を加え

たものである。

第二節証拠と主張に対する判断

第一証拠の標目〈省略〉

第二公務執行妨害罪の成否について

一 本件学力調査の適法性

本件学力調査は、判示のとおり、文部大臣が地教行法第五四条二項により各都道府県教育委員会(以下教育委員会を教委という。)に調査結果の報告を求め、これを受けた各都道府県教委がさらに同条同項により各市町村教委に調査結果の報告を求めて、各市町村教委が同法第二三条第一七号により教育に係る調査を行なうという形式をとつて実施された。しかしながら、前示の文部省より各都道府県教委宛「昭和三六年度全国中学校一せい学力調査実施について」と題する書面によれば、その実際は、文部省において、調査期日、時間割、調査教科、問題の作成、実施手続、結果利用の方針等の一切を詳細に決定し、都道府県教委ならびに市町村教委においては、ほとんど裁量の余地をもたず、右文部省の企画に従い、調査を実施したうえ、その結果を報告すべきものとされていることが明らかである。しかも、これが各都道府県教委ならびに市町村教委を義務づけるとするのが文部省の見解であり、文部省は、各教委に対してその旨の行政指導を行なつている。そうだとすれば、本件学力調査は、形式的には各市町村教委がこれを実施した体裁をとつているものの、その実質においては、文部省が主体となつてこれを実施したとなんら異なるところがない。ところで、地教行法第五四条第二項の規定は、同法第五三条の規定と対比して考えると、本来、市町村教委又は都道府県教委が自主的に実施した調査等の結果について、都道府県教委または文部省にも、必要に応じこれを利用する機会を提供するため、その資料または報告の提出に関し規定したものと解される。したがつて、本件学力調査のように、実質上文部省が主体となつて予算を伴う大規模な調査を企画立案し、各教委に指示してこれを実施させたうえ、その結果を報告させる(右調査の実施および報告を法的に義務づけるという形で)などということは、明らかに同条の趣旨を逸脱したものというほかない。

さらに、本件学力調査は、生徒の学力を検査し、学校の教育効果を測定するという性質をもち、しかも、全国学校の全生徒を対象として、正規の授業時間内に、教員等の監督のもとに行なわれる。この意味で、それは、教育的な価値判断にかかわり、かつ、一個の教育活動としての性格を帯びる(実際、本件学力調査が全国学校の教育活動の内容に組み込まれ、その一部として行なわれることは、学力調査の実施のため、全国各学校における授業計画の変更を必要とし、また、調査結果の換算点が生徒指導要録に記入されるという事実に、明白にあらわれている。)。この面からみても、本件学力調査は、通常の行政的事実調査の枠をこえており、地教行法第五四条第二項の規定が予想しないところのものだといわなければならない。

以上のように、地教行法第五四条第二項の規定を根拠として本件学力調査を行なうことは、同条の文理に照らしてみても、はなはだ無理な解釈であるといわなければならない。しかし、問題は、単なる同条の技術的、形式的な解釈論の域にとどまるものではない。現行法のもとで、文部省が教育内容についてどの程度介入することができるか、という教育行政上の根本的な問題につながる。

まず、本件学力調査の実施のため、各学校における授業計画の変更を必要とすることは、前記のとおりであるが、これは、実質上、文部省が各学校の教育内容の一部を強権的に変更させることを意味する。

さらに重要なことは、本件学力調査が日常の学校教育活動に及ぼすべき影響という点である。このような調査が、全国的に全生徒を対象として実施された場合、教育の現場において、その調査の結果が各学校または各教員の教育効果(成績)を測定する指標として受け取られ、これを向上させるため、日常の教育活動が調査の実質的な主体(とくに問題作成権者)である文部省の方針ないし意向に沿つて行なわれる傾向を生じ、教員の自由な創意ある活動が妨げられる危険がある。とくに、学力調査の問題は学習指導要領に基づいて作成されるといわれ、その学習指導要領には法的拘束力があるという行政解釈が行なわれていること等の事情から、学校関係者の間に、個々の教員が好むと好まざるとにかかわらず、調査の結果に関心をもたざるを得ないような空気がかもし出される危険があることに注意すべきである。これは、文部省による教育内容に対する統制を意味するだけに、重要である(ちなみに、これは、文部省の主観的な意図に関する問題ではない。文部省の意図のいかんにかかわりなく、客観的に、右のような教育統制の危険を結果することが問題なのである。)。

この点、文部省は、学校教育法第三八条(第二〇条、第四三条)、同法附則第一〇六条が「中学校(小学校、高等学校)の教科に関する事項は文部大臣がこれを定める。」と規定していることを根拠として、文部大臣は、中学校等の教育課程につき第一次的、包括的な編成権をもつから、当然に教育内容に介入できるとの見解にたち、本件学力調査が教育内容に影響するところがあるとしても、それは文部大臣の権限として許されたものであり、なんら不当な介入を意味するものではないと考え、さらに、前記学校教育法の諸規定および同法施行規則第五四条の二(第二五条、第五七条の二)の規定により、文部大臣の定めて公示する学習指導要領には当然に法的拘束力があると解すべきところ、本件学力調査の問題は右学習指導要領に準拠して作成されていることでもあるから、何ら問題を生ずる余地はないとしているようである。

しかし、教育関係法全体を総合的に検討すると、右学校教育法第三八条等による文部大臣の「教科に関する事項」を定める権限には重大な制約が内在すると認めざるを得ない。

まず、教育基本法第一〇条は、「教育行政」と題して、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と規定しているが、同法の制定経過、ことに同法が戦前、戦中における文部、地方内務官僚や軍部等による強力なる中央集権的、画一的、形式的教育統制に対する反省を基礎としていること等の事情に照らして考えると、同条は、教育内容について国家の行政作用(とくに強権的な作用)の介入を抑え、教育活動の独立を確保し、教員の自由な、創意に富む、自主的な活動を尊重するという理念を基礎としつつ、教育行政の任務を教育条件の整備確立においていることが明白である。

この理念は、教育関係諸法に具体的な形で規定されているが、教育行政の組織についても、いわゆる教育委員会制度がとられ、地方自治が徹底されたことが重要な意味をもつ。このようなことの結果、文部省の主要な権限が、教育委員会等に対し、指導、助言および勧告を与えることにおかれ、法律に別段の定めがある場合を除いては、強制的な作用を行ない得ないとされたことに注意しなければならない(昭和三一年に教育委員会法が廃止され、これにかわつて地教行法が制定される等、一連の重大なる変遷が認められるが、前記教育内容についての国家権力介入の排除、教育行政における地方自治等の基本理念に変化があつたとは認められない。)。

以上のような法体系の中で、前記学校教育法第三八条等の規定をみると、同条が文部大臣に対し教育課程の第一次的、包括的な編成権を与えたものとはとうてい解されず、同条により、文部省が学校教育の内容や方法について詳細な規定を設け、教員の教育活動を拘束するというようなことは、法の予想しないところだといわなければならない。むしろ、同条は、初等、中等教育が義務教育であること等を考慮し、その教育課程の編成について、文部大臣が(前記の教育の独立および教育行政の地方自治等を尊重しつつ、)大綱的な基準を設定すべきものとした趣旨に解するのが相当である。したがつて、学習指導要領のうち、右のような大綱的な基準の限度を越える事項については、法的拘束力がなく、単に指導、助言的な効力を持つにとどまると解すべきである。

このように考えると、文部省が本件学力調査を通じ教育活動の内容に影響をおよぼすということは、それ自体不当であり、仮りにその調査問題が学習指導要領に準拠して作成されていることを考慮しても、なおこれを正当なものとみることはできない。

したがつて、本件学力調査は、形式的には地教行法第五四条第二項の規定の趣旨を逸脱し、実質的にも現行教育行政法の基本理念に反するものとして、違法といわざるを得ない(なお、地教行法第五三条の規定を根拠として本件学力調査を実施しえないことも、同条の趣旨および前述のところから明らかである。)。

二 公務執行妨害罪にいわゆる「公務」の適法性

本件学力調査が違法であり、しかもその違法がはなはだ重大であることは、前述のとおりである。

しかも、同調査実施当時の状況を仔細に検討しても、文部省が同調査の実施を適法と信ずるについて、相当な理由があつたとは認められない。むしろ、地教行法第五四条第二項の規定を根拠として同調査を施行することには、同条の文理解釈からしても、はなはだ無理があること、事柄が教育内容に対する介入という重要な問題に関するだけに、文部省としては格別慎重な態度を必要としたこと、本件学力調査に対しては、教育関係者の間に反対が少なくなく、とくに、平素現実に教育の掌にあたつており、かつ、調査実施を直接担当することの予定されている教員の間にも反対が強かつたこと、そのさい、法的根拠の薄弱なことも十分指摘されていたこと(前示「反対闘争の経緯」参照。)等の事情を考慮すると、文部省が、法的根拠を整え、教育内容に対する介入の弊を避けるために十分な配慮を尽すことなく、地教行法第五四条第二頂に基づき本件学力調査の実施を強行したことは、妥当を欠いたと判断せざるを得ない。

したがつて、本件学力調査は、「適法な」公務の執行として、刑法上、これを保護すべき実質を備えていないといわなければならない。

もつとも、この点については、理論上大いに問題の存するところであり、とくに、職務の執行が公務員の抽象的権限に属し、かつ、公務員が適法と信じて行為した以上、たとえそこに重大な瑕疵があつても、それが明白でないかぎり、「適法な」公務の執行として、これを保護すべきである、とする考え方は、いわゆる行政行為の公定力の理論とも関連し、傾聴すべきものを含んでいる(「適法性」の問題を「一般人の見解」を標準として判断すべきものとする説も、基本的には同一の考え方に立つと思われる。)。

しかし、この「明白性」ということをあまりに強調すると、重大な瑕疵のある(違法の程度が高い)公務の執行も、刑法上ほとんどすべて適法なものとして保護される結果となり、公務執行妨害罪について職務行為の適法性を要件としている法の趣旨が没却されるおそれがある。また、行政行為の公定力の本質は、行政に関する法律関係を簡明なものとするため、いつたん成立した行政行為については一応その有効性を擬制し、これに反する権利関係を主張しようとする者は特定の争訟手続でその旨の確認を受けなければならないものとするところにあるのであつて、違法な行政行為に対し国民の無条件の服従を要求するものではなく、したがつて、行政行為が、必らずしも明白とはいいがたいが、重大な瑕疵を帯び、現行法秩序に全く違反する場合等について、これに刑法上の保護を否定することは、公定力の理論と矛盾するものではないと解される。むしろ、国民の基本的人権を尊重し、行政権の行使が厳格に法律にしたがつて行なわれるべきことを要請している現行法秩序のもとにおいては、行政行為について、その行為当時の状況を基礎として判断しても、なお重大なる違法があると判断される場合(事後的に、客観的に判断して、公務員に重大な権限踰越があると認められるだけでなく、行為当時の具体的な諸状況を基礎とし、社会通念に照らして判断しても、公務員の権限ありと信じたことが相当であつたと認められない場合等)には、これを公務の執行、すなわち国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)の行政作用としては刑法上保護しないとするのが正しいとおもわれる(このように解しても、公務の執行に対し国民のいたずらな反抗を惹起したり、公務員の保護に欠ける結果にはならないであろう。なぜなら、暴行又は脅迫により公務の執行を妨害する者は、常に、将来裁判でその公務の執行が「違法」と判断され、公務執行妨害罪に問われる危険を負担しているのであり、しかも、公務の執行が「違法」と判断された場合にも、暴行または脅迫について正当防衛その他違法阻却の事由が認められないかぎり、公務員個人の法益を侵すものとして、暴行罪、傷害罪、脅迫罪等により処罰されることを免れないからである。)。

なお、本件公務執行妨害の客体は、直接には校長等の行為である。そして、校長等の立場から見れば、校長は上級官庁である教委の命今に従つて本件調査を実施しようとしたのであり、校長等が自己の行為を適法と信ずるについては相当の理由があつたとおもわれる。したがつて、「適法性」の問題を、校長等の立場だけにかぎつて考えるならば、適法性を肯定すべき余地が大きい。しかしながら、公務執行妨害罪の保護法益は、当該公務員の個人的な法益ではなく、公務員によつて執行される公務そのものを保護しようとする国家的な利益である。したがつて、そのような公務の執行が適法であるか否かを判断する場合には、当該公務員の行為のみを切り離して考えることはできず、国家の行為として、上命下服の関係にある全ての機関を一体として、全体的に観察すべきであると考える。

以上の理由により、本件訴因中、斉藤吉春および藤川重人に対する被告人らの所為を、公務執行妨害罪に問うことはできないといわなければならない。

第三弁護人の主張に対する判断

一 判示建造物侵入罪の成否について(被告人佐藤、同松橋、同浜埜関係)

1 弁護人の主張

弁護人らは、判示第四の一の建造物侵入の事実につき、被告人佐藤らが他の説得隊員らとともに校舎内に立ち入つたのは、北教組、旭労の決定により、当時北教組の組合員であつた同校校長に対し、本件学力調査を実施しないよう説得するため(この意味において、それはまた憲法が保障する団結権の行使でもある。)であつて、なんら不法の目的に出たものでもなく、しかも右立入りは整然と平穏に行われたのであるから、被告人佐藤らの所為は建造物侵入罪に該当しない。仮りにこれが該当するとしても、法に許された正当な行為である旨主張する。よつてこの点につき、当裁判所の判断を示すこととするが、そもそも、刑法第一三〇条前段に規定する住居等に侵入する罪は、その規定するところの住居等に侵入したときに成立するとともに、そのときから退去するに至るまで継続するところのいわゆる継続犯と解せられ、したがつて、本件においても、ただに校舎以外から一歩校舎内に立ち入ることのみが問題となるのではなく、被告人らが退去した午後一時ころまでの間継続した立入りの違法状態が評価の対象となるのであり、以下、この観点に立つて検討を加える。

2 被告人佐藤、同松橋関係

イ 事実の経過

(一) 被告人佐藤、同松橋の各供述および青木延男、富田由一(以上永山第五二回)の各供述記載、村田竹雄(同第六五回)の供述によれば、判示一〇月二四日の旭労、北教組旭川支部等の合同戦術会議においては、校長およびテスト関係者らに対するいわゆる説得の方法につき協議し、そのさい、(イ)もしテスト関係者らが校舎内にはいる以前であれば、校舎外においてこれに説得をなし、すでに同人らが校舎内にはいつている場合には校舎において説得すること、(ロ)右校舎内に立ち入る場合には、市教委等の「立入禁止」の制札がある事態が予想されるが、立入りの目的が教育問題という重要な問題に関して説得することにあり、また学校は公共の建物であるから、市教委等の制札のみをもつて入校を阻止しうるとは考えられないし、これまでの例をみても入校を拒まれたことはないから、右の如き制札についてはさして気にする必要がないこと、(ハ)できるだけ多くのものがテスト実施に反対していることを示す必要があるが、実際にどの程度のものが校舎内に立ち入るかについては、各中学校の規模等によつてテスト関係者の数等にも差異があるから、各中学校闘争委員長の判断によつて決定すること等が協議決定された事実が認められるとともに、右会議には被告人佐藤、同松橋もまた出席していて右決定の趣旨を熟知していたことも認められる。

(二) また、被告人佐藤、同松橋の各供述および氏本利光(永山第六四回)の供述によれば、当日、永山中学校正面玄関前広場に説得隊員らとともに集合したさい、判示のとおり、氏本利光から校長およびテスト関係者らがすでに校舎内にはいつていることを知らされたので、被告人佐藤、同松橋は、氏本利光と協議のうえ、校舎内にはいつて説得をすることとし、そのためには、当日来校していた説得隊員が教員として、父兄として、あるいはまた組合員としてそれぞれの立場から、直接、校長らに学力調査を実施しないように訴えることがより効果的であるとの考えから、できるだけ多くの者とともに校舎内にはいつて説得に当ることとし、被告人松橋において、あらかじめ準備していた配置計画に従い、外部から入校してくるテスト関係者およびテスト教室に赴かんとするテスト関係者を説得させるため、説得隊員を正面玄関前約二〇名(国策パルプ労組員)、北西側生徒玄関付近約一〇名(金谷組労組員)、三年F組前階段付近約八名(北海道林業労組員)、体育館横階段付近約五名(国策パルプ、富島産業各労組員)および連絡係として国策パルプ女子労組員一〇名、その他のもの約四〇名は正面玄関ホール付近に位置するものとして、それぞれ所定の箇所に配置するよう各労組責任者に指示し、右正面玄関前に配置されたものを残して、他の約七〇名の説得隊員とともに、被告人佐藤、氏本利光が先頭になつて、同日午前八時すぎごろ、正面玄関から校舎内に入つたことが認められる。

(三) ついで、前掲第一節第四の一の事実(被告人佐藤、同松橋の建造物侵入)につき挙示した各証拠によれば、右説得隊員らの約三分の二が正面玄関ホールに上つたころ、同校校長が事務室を通つて右ホールに現われ、被告人佐藤らに対し、「立入禁止の立札を見なかつたのか。教育委員会の許可書がなければはいれない。出て行つてもらいたい。我々が話し合つても解決する問題ではない。」等と話して、再三、被告人らの立入りを制止しようとしたが、被告人らはこれに応ぜず、説得隊員らもまた、それぞれ、前記の指定された場所につき、ホールに残つた被告人佐藤、同松橋および他の説得隊員らにおいて、「今日は校長と話し合うために来たのだ。とにかく話し合いたい。」旨話し、なかには、校長の退去要求に対し、「仮処分がなければ、あのような制札は効力がない。」等と発言するものもあつて、このような校長と説得隊員らとの押し問答は二〇分間余に亘つて続けられたことが認められるとともに、その後も、再三、校長に対し学力調査を中止するよう説得するなどして、被告人佐藤らの校舎内への右立入り行為は、同日午後一時ごろまで続けられたことが認められる。

ロ 管理権者の承諾

以上認定の経過に照らしてこれをみれば、被告人らは、すでに前記合同戦術会議において、当日の校舎立入りについては、立入禁止の制札をもつて入校を阻止されることあるはあらかじめ予測していたことであり、かつ、目的達成のため必要がある場合においては、あえてこれを無視しても校舎内に立ち入ろうとしていたものというべく、このことからすれば、当日、同校正面玄関その他の場所に立てられた立入禁止の制札が全然目に入らなかつたとする被告人らおよび多数の証人の供述等についても、その中にはにわかにこれを措信しがたいものもないわけではないが、その供述するところをそのまま信用して、当日、これを現認しなかつたとしても、正面玄関から続々として校舎内にはいるにさいし、正面玄関ホールにおいて、管理権者たる学校長から、明確にこれを制止され、退去を要求されているのであるから、ここに至つては、もはや管理権者の意図は被告人らにおいても明確にこれを認識したものと認めざるをえず、かかる認識のもとにありながら、なおかつ、ただその場から退去しなかつたというに止まらず、(事態の経過がここで止まるならば、あるいは、侵入罪か不退去罪かの問題を残すであろうが。)被告人らはもとより、説得員らは、さらに進んで、その後もなお、随時随所に、自ら欲するまま、校舎内各所に立入り、残留しているのであるから、それが管理権者の意思に反する立入行為であることは疑いない。

もつとも、前掲各証拠によれば、校長は、被告人佐藤らが立ち入つたのち、同日午前八時四五分ごろから約三〇分間に亘り、説得員らを伴つて校舎内を巡回していたことが認められ、これが弁護人らの主張の如く、校長が真意に基づいてした説得員らに対する校舎案内であるとするならば、このことからして、右玄関ホールにおける校長の制止、退去要求こそ真意に出たものではなく、かえつて、校長としては、被告人らの校舎内立入りを容認していたのではないかとの疑いを生ずる余地がないわけでもない。しかしながら、右証拠、なかんずく、斉藤吉春(永山第一二回)、平崎勲(同第二九回)、藤川重人(同第一七回)、横倉勝雄(同第三〇回、第三二回)、高木静雄(同第二四回、第二五回)の各供述記載および新聞写真(証一二号)によれば、校長は、右校舎を巡回したのちである同日午前一〇時すぎごろ、テスト関係者らを誘つて、玄関ホールにいた被告人佐藤、同松橋および説得員らに対して、なおも、強く、校舎内からの退去を求めていることが明らかであるから、右校舎巡回の一事をもつて、校長が被告人佐藤らの校舎内立入りを認容していたものとは到底認められないのみならず、むしろ同校長は、本件学力調査実施につき強い決意をもち、そのため、右ホールにおいて前後三回に亘つて被告人らの退去を求めていること、被告人らが校舎内から退去しないため、自ら二階保健室(同所にテスト用紙が置いてあつた。)に身を隠して、調査実施の機会を窺つていたこと、しかもその後、あまりにも不自然とおもわれる方法をとつてまでも調査を開始している等、その後における同校長の言動(前掲各証拠参照)に徴すれば、右弁護人らのいう校長の校舎内案内なるものは、説得隊員らの要望にそうというよりは、これを利用して、保健室に置かれた調査用紙の状況を把握し、さらに校長室から出て調査実施の機会を窺いうるという気持もあつてしたまでのことと認めるのが相当である。しかも、そのあと同校長が、被告人らに対してさらに校舎外への退去を求めていること、前示のとおりであるから、結局、被告人らの校舎内立入りが容認されていたとは認められない。

ハ 校舎の平穏

つぎに、被告人らの立入行為は平穏かつ整然と行なわれ、したがつて当該校舎の平穏を害していないと主張する。そして、被告人らは、本件立入行為の目的は校長その他のテスト関係者に対する「説得」であると供述するが、そのいわゆる「説得」たるものは、テスト関係者らをしてあくまでも調査実施を思い止まらせる、テスト関係者らが実施を思い止まるまでねばり強くこれを行なうというのであり(被告人佐藤、同松橋の各供述および永山第六五回村田竹雄の供述)、一方、斉藤校長の本件学力調査実施に対する決意は確固たるものがあり、これを弁護側証人ら(たとえば江下堅太郎、氏本利光)が強調し被告人佐藤らもこれを承知している同校長のかたくなな性格と思い合わせてみるならば、被告人らとしても、右説得の効果をあげて所期の目的を達することは容易なことではなく、たとえ暴力行為等については互いにこれを戒め、授業の妨げにならぬよう静粛にすることを注意して説得にあたることとしていても、「ねばり強い」説得の経過いかんによつては、いきおい、声も高くなり、それが多数の説得員であつてみれば、喧噪にわたることも十分ありうることであり、とくに、その建造物が現に生徒のいる学校であるということを考えれば、同建造物の平穏を害すべきことは十分ありうることであり、このことは、被告人らとしても容易にこれを予測しえたものというべく、のみならず、現に右立入りの状況からしても、ことに七〇余名の者が一時に校舎内にはいり、そのうち約四〇名がホール内に集つて、長時間、校長と問答を続け、しかもこれが一度ならず、二度、三度にもおよび、校舎内にはいつた説得員らの一部は前示の如く階段、出入口等校舎の要所を占め、外部から入校しようとするステト関係者にはもとより、すでに校舎内にはいつている校長その他のテスト関係者らに説得を行なうため、これらのものを監視する体制にあつたことが認められるとともに、説得員らのかなりの数のものが、暖をとるためとはいえ、比較的自由に職員室等に出入りし、その付近を往来していたことが認められるのであり、これをもつて同校舎の平穏を害しないものとは到底いいえない。

ニ 結論

以上説示したところからすれば、被告人佐藤、同松橋の本件校舎内への立入行為が建造物侵入罪に該当することは明白であるのみならず、その主張するところの正当行為論についても、たとえ当裁判所が違法と断じた本件学力調査の阻止を窮極の目的とするにせよ、立入り当面の目的とするところが、右の如き危険をはらむ程度のいわゆる「説得」であつてみれば、すでにこの点において「目的が正当」であるとはいいえず、さらに、前記の如き立入状況からすれば、その「手段、方法として相当」であつたとも認められないので、これが正当なる行為として立入行為の違法性を阻却するものとはいいえない。

なお、弁護人らは、当時斉藤校長もまた被告人佐藤と同じく組合員であり、被告人佐藤らは、組合決定の執行として統制上これを説得するために校舎内に立ち入つたものであつて、憲法が保障する団結権を行使したものである旨主張するが、団結権の行使といえども、それが現行法秩序に従つて行われなければならないことはいうまでもなく、前示の如く、その目的において正当でなく、手段、方法においても相当でない被告人佐藤らの本件校舎内立入り行為が、団結権の行使を目的とするとの故をもつて、正当な行為であるとされるいわれはなく、従つて違法性を阻却されるものでないこともまた明らかである。

3 被告人浜埜関係

被告人浜埜の供述および千葉大作(永山第六四回)、大井謙一(第七一回)の各供述によれば、被告人浜埜は、被告人佐藤、同松橋らが校舎内に立ち入つたのちである同日午前九時ごろに永山中学校に到着し、そのころ校舎内に立ち入つたことが認められることは弁護人主張のとおりである。

しかし、住居等に侵入する罪がいわゆる継続犯と解すべきことは前記のとおりであるところ、本件において、被告人佐藤、同松橋および説得隊員らが同日午前八時すぎごろ校舎内に立入り、同日午後一時ごろまでこれを継続していたこともまた前述のとおりであり、一方、被告人浜埜の供述および同人の検察官に対する供述調書、新聞写真(証第一二号)によれば、同被告人は、判示の如き経緯から、同日午前九時ごろ永山中学校に到着し、他の説得隊員らが、旭労等の決定により同校における学力調査の実施を説得によつて中止させるべく、すでに校舎内に立ち入つていることを現認し、自らも、これら説得隊員と同じ立場に立つて校長らを説得するため校舎内にはいり、しかも校舎内においては、説得隊の責任者と思われるものに挨拶をなし、同日午前一〇時ごろ、校長から校舎外への退去を求められるや、被告人松橋らとともに自らも校長に対して本件学力調査の中止を訴えるなどしている事実が認められるのであるから、これによつてみれば被告人浜埜は、被告人佐藤らを含む説得隊員らの校舎内立入りを認容して自らも校舎内に立入り、これらのものとともにそれ以後も校舎内の立入りを続けていたのであるから、同被告人についてもまた右説得隊員らと共謀による建造物侵入の罪が成立することは明らかであるとともに、正当行為その他の違法阻却事由の存しないこともまた、被告人佐藤、同松橋について前述したとおりである。よつて、被告人佐藤、同松橋、同浜埜の建造物侵入に関する弁護人らの主張は理由がなく、前記各証拠により、判示建造物侵入の各事実は優に認められる。

二 判示共同暴行罪の成否について(被告人松橋、同浜埜、同外崎関係)

1 その前後の状況と争点

弁護人らはまた判示第四の二の共同暴行の事実につき、そのころ同校校舎二階廊下付近においては、被告人松橋らにはもとより、他の説得員らにも暴行とみなすべき行為は全くなかつた旨主張する。そこで、この点について判断を示すこととするが、被告人らの行為の存否ならびにその行為をどのように評価すべきかを判断するに当つては、その前後の状況を的確に把握することが重要であるとおもわれるので、まずこの点から検討を始めることとする。

イ テスト開始直前ころの校舎内の状況

前示のとおり、被告人らは、他の説得隊員らとともに、校長に対して再三本件学力調査を中止するよう申し入れたものの、校長からこれに沿う回答を得られぬまま、校舎内立入りを続けたが、そのうち、市内の他の各中学校における学力調査中止の情報が相次いでもたらされ、多数の説得隊員が校舎内にいる状況の下では、同校校長も調査を強行するとはおもわれなかつたので、同日午前一一時すぎごろには、説得員らの間にも、他校と同様、結局、同校においてもまた調査は実施されずに終るのではないかとの見通しが強まつた。このようなことから説得員らの調査実施への警戒体制は次第に弱まり、近隣の小学校や高校から来校していた教員らの一部には自校に帰るものもあり、又前示のように階段付近やホール付近に配置されていた説得員の中には、暖をとるため、職員室や日当りの良い場所に出入りするものが多くなつた(第七三回被告人佐藤、第七四回同松橋、第七四回同外崎、永山第五六回上野要治、同第五六回有賀登志男の各供述および永山第三九回松田宏の供述記載)。

ロ 学力調査開始と説得員らの反応

校長は、このような説得員らの隙を見て、ひそかに、第三教時終了後の休憩時間(午前一一時三五分から一〇分間、この時間には平常授業を行う同校の教員も教室内にいない。)に、同校二階第二学年の各教室で学力調査を開始しようと考え、校長室で立会人の藤川重人および平崎勲と手筈を整えたのち、直ちに一人で二階に上り、同日午前一一時四〇分ごろ、保健室からテスト用紙を取り出し、これを二年A組から二年D組までの四教室(二年E組の生徒は、第四教時は体育であつたので教室内にいなかつた。)に、順次、配つて、学力調査を開始した。

一方、午前一一時五〇分ごろ、第四教時の授業を行なうため第二学年の各教室に赴こうとした同校教諭江下堅太郎らが二年A組(以下二Aという。他の組もこの例による。)教室前廊下付近に至つたところ、校長から「テストをやつているから、はいつてはいけない。」と制止されたので、同人らは、やむなく階下に降り、ホール付近や職員室にいた説得員らに校長が二階でテストを開始した旨伝えた。

このようにして、校長の学力調査開始を知つた説得員らは、急いで二階廊下に駈けつけ、まもなくその数は四〇名近くに達したが、同人らにとつても、右調査の開始は予期せざる不意の出来事でもあつたので、当初は当惑してなす術を知らず、単に各教室出入口の小窓を通して教室内を覗き込み、あろいはテストを始めている生徒達に対して、「テストを書かなくてもよい。白紙で出しなさい。名前を書くな。」などと声をかけるものがいたのみで、校長が二B教室から二C教室へ、さらに二D教室へと廊下を通つて各教室を巡視して歩くのにもほとんど妨害行為等には出なかつた(永山第一二回、第一六回斉藤吉春、同第二九回、第三〇回平崎勲、同第三六回大門功、同第四一回由川匡寿、同第四六回池野幸次郎、同第四八回北岸洋子の各供述記載、同第六〇回江下堅太郎、同第六〇回酒本敬、同第六一回坂下博、被告人松橋、同浜埜、同外崎の各供述)。

しかしながら、校長がさらに二C教室に赴くため、二D教室出入口から廊下に出ようとしたところ、「校長を出すな。」と声をかけるものがあり、これに呼応して出入口付近にいた女子組合員を含む説得員ら数名が右教室前後の出入口の戸を廊下側から押さえたので、校長は、右教室から出られなくなり、やむなく二D教室南東隅の窓から二C教室北東隅の窓に足を渡し、校舎の外側を渡つて二C教室にはいつた(以下この行為を「窓渡り」という。)(永山第一二回斉藤吉春、同第四三回中川弘、同第四六回目黒厚子の各供述記載、佐藤和子の検察官に対する供述調書。なお、弁護人らは、この点につき、説得員らが校長の出入りを妨げたことはない旨主張し、このことは、校長が、その後、二C教室や二D教室に自由に出入りしていることからしても明らかであるという。しかしながら、右各証拠によれば、前示事実は十分認められ、そして、それが説得員らのあらかじめ計画し、一致した考えというよりは、むしろその場に居合わせた一部のものの思いつきであると認むべきことからすれば、校長がその後二C教室や二D教室を出入りしていたとの事実も、右認定の支障とはならない。)。

ハ その後における二階廊下の状況(被告人らの行為の位置づけ)

前記の如く窓を渡つて二C教室にはいつた校長は、しばらく同教室の机間巡視をしたのち、前記江下堅太郎らから調査を受けている生徒達の保安管理のため入室したいとの申出があつたので、これに応じて同人らを入室させたうえ、これと入れ違いに同教室北側出入口から廊下に出た。

被告人浜埜は、右出入口付近において、校長の窓を渡つて二C教室にはいる状況を目撃したが、教育者である校長が、生徒達の面前でかかる行動に出たことに痛く憤慨し、直ちに、廊下に出た校長に対して、「学校の最高責任者である校長が生徒の見ている前で何ですか。窓渡りをするなどということは全く非常識じやないですか。」などと強く非難抗議し、これがきつかけとなつて、他の説得員らも校長をとり囲みながら「窓から伝わるようなものには校長の資格がない。子供をまかしておけない。そのような校長が子供をどうして教えるのか。そんな泥棒のようなことをして、どうしてテストを実施しなければならないのだ。テストをやめたらどうだ。」などと口口に非難、抗議し、さらに被告人外崎もまた他から校長が窓渡りをしたことを聞いて、校長のすぐ前に近づき、「最高責任者である校長が窓渡りするとはあまりにも非常識じやないか。それでも教育者か。生徒に対して窓から出入りしてもいいという教育をしているのか。」などと強く抗議した。後に判断を示す同被告人の暴行、すなわち、手拳で斉藤校長の胸部付近を突いたかどうかはそのさいのことである。

被告人松橋は、階下校長室における被告人佐藤と立会人藤川重人との会話から、立会人が本件調査の開始に立ち会つていないことを知つて、直ちに二階に赴き、二C教室北側出入口前付近の廊下で、被告大浜埜、同外崎を含む一四、五名の説得隊員らとともに校長を馬蹄形に取り囲みながら、「主任さん(立会人のこと)が、テスト用紙の開封に立ち会つていない、校長と対決してもいいといつている。下の校長室へ行つて話をつけよう。」などといつて、校長に階下校長室へ同行するよう促したが、校長は「テスト用紙を回収しなければならないから行けない。」といつてことわつた。同被告人は、さらに「下へ行きましよう。」といつて促したが、そのさい、後に判断を示すような同被告人の行為すなわち、校長の腕をかかえて引つぱつたかどうか、それが暴行かどうかの問題をはらむ動作があつた。ところで、そのころ、他の説得隊員らもまた、校長をとり囲んだまま、「他の学校でもテストが中止になつたのだから、この学校も中止したらどうだ。下の校長室へ行つて話し合おう。」などと口口に言い、さらに、その間、校長がその囲みから逃れて教室内に入ろうとするや、通路や教室出入口に立ち塞り、又校長に対して、学力調査の実施を強く非難するなどして、校長に階下校長室への同行を求め続け、校長をして、被告人松橋、同浜埜、同外崎を含む説得隊員ら一〇数名にとり囲まれたまま、やむなく二A教室前廊下付近まで移動させた。そして、同校長は、その後間もなく、説得隊員らにとり囲まれた中で、倒れた(被告人松橋、同浜埜、同外崎の各供述、永山第一二回、第一六回斉藤吉春、同第三六回、第三七回大門功、同第三八回松崎信吉、同第四六回目黒厚子、同第四六回高橋寛、同第四一回、第四二回由川匡寿、同第四六回池野幸次郎、同第四八回佐藤喜久雄、同第四三回、第四四回中川弘、同第四八回、第四九回北岸洋子、同第四九回佐藤和子の各供述記載、同第六一回安川長吉、同第六一回坂下博、同第六二回八重樫好の各供述)。

ところで弁護人らは、右認定の事実のうち、被告人らおよび校長の周辺にいた説得隊員らが校長に対して発言した部分は、おおむねこれを認めるも、被告人外崎が校長の胸部付近を手拳で突いたとの点および被告人松橋が校長の腕をかかえたとの点について、被告人外崎の行為は、同人の日頃の癖である右手の肘を曲げ、示指を校長に向けて軽く上下に振りながら発言したものにすぎず、一方被告人松橋の行為は、校長の右手手首の下あたりに自分の左手をそえながら促したものにすぎず、いずれも暴行と評価されるべきものではなく、又校長が二C教室横付近廊下から二A教室横付近廊下に至つたのは、校長自身の意思にもとづくものであつて、被告人らの行為によるものではない旨主張する。

2 判断

イ 被告人外崎の暴行について

前掲各証拠のうち、被告人外崎自身の供述はもとより、被告人外崎の同僚であり、本件当日もおおむねその行動をともにしていた安川長吉、坂下博の各供述には、いずれも、「被告人外崎には(前記の如き)癖があり、本件時においても、指を上下に振りながら校長に窓渡りの抗議をしていた。これに対して何をおもつたのか、校長は『君の名前を言え。』というようなことを強く言つた。そして、近くにいた松崎が『そういうような行動をとると暴力とみなされるからやめろ。』といつていた。それで僕(安川)が松崎に『どうして指を振るのが暴力になるのか。』。と質問した。」という趣旨の供述があり、由川匡寿(永山第四一回)の供述記載にも右と同旨の記載があつて、おおむね弁護人らの主張に沿う如くである。しかし、一方、永山第一二回および第一六回の斉藤吉春の供述記載には「カーキ色の服を着た二二、三歳の男が、突然、腰を低めにして、両手をかまえて私の胸を突いて来た。握りこぶしであり、それが自分の胸に当つた。あまりのやり方に私は、そのものに『名前を言え。』と言つた。そうするとそこにいた労組の中から暴力はよせよせという声がした。」との記載があり、また同じく第三六回大門功の供述記載には「暴力的なことはなかつたが、だれかわからない人が、校長と話し合おうということで、右手で軽く校長の肩を叩いているのは見た。それを見て、松崎が暴力はいけないといつた。またそれを見て、私は由川と二人で北王の人だなと話し合つた。」という意味の記載がある。弁護人らは右斉藤の供述記載について、その信憑性を争うのであるが、たしかに、前示の如きテスト開始の経緯ならびにその後の状況、ことに本件被告人外崎の行為は前記窓渡り直後のことであるから、校長自身が当時を回想して述懐する如く、同校長としても当時かなり興奮した状態にあつたこと、また、そのころの二階廊下の状況は、相当錯綜していたこと等からすれば、校長の事実認識がある程度混乱し、また、その記憶に不鮮明な点の存することは否定しえない。現に校長は、そのころ他の説得員らから窓渡り等につき厳しく非難抗議されたと供述しながら、被告人浜埜や被告人外崎からのそれについては、内容を全く記憶していないし、問題の外崎の行為についても、その時点を「二C教室を出たとたん」と供述して、他の証拠と異る。しかし、それにもかかわらず、同校長が「名前を言え」と言つたこと、説得員らの中から「暴力はよせ」或いは「暴力とみられるからよせ。」という趣旨の制止の言葉がとび出したことの二つは、前記対立する供述記載に通じて一致するところであり、前記の如く斉藤校長の述べるところは、その時点こそ若干異るが、両者は同一の事実について述べていることは疑いない。そして、「名前を言え」といわれ、「暴力云々」と制止された者が被告人外崎であることは同被告人もこれを認める。してみれば、校長をして、あるいは説得員の一人をして、そのような誰何あるいは制止の言葉を発せしめた被告人外崎の行為を推認するにさいし、それを弁護人ら所論のような動作の程度のものと考えるのは甚だ不自然であり、同校長の右供述記載部分をもつて、全く信憑性なきものとして一概にこれを斥けることはできない。そして大門功の前記供述記載部分は、その供述経過に徴して、これを全面的に措信しうるものではないが、少なくとも被告人外崎が校長になしたその行為が、単に発言のさい、その調子をとるために右手示指を軽く上下に振つたという如きものでないことは、十分にこれを窺わしめるに足るものであり、同じく第四三回中川弘の供述記載も右大門功の供述記載と同旨とも認められ、一方、八重樫好は、その直前における被告人外崎について、「テスト開始後、まもなく、こんなことでどうする。困つたことだ、というようなことを言いながら、少しあわてた様子で、急ぎ足で玄関ホールを横切つていつた。」旨供述している(永山第六二回)のであり、また同被告人の校長に対する抗議そのものからも窺われるとおり、同被告人もまた当時かなり興奮していたことが認められることをも併せ考察するならば、斉藤校長の右供述記載部分はおおむねこれを信用するに足るものというべきである。ただ、その具体的状況については、検察官が主張するように、「あたかも拳闘のような構えで両手をもつて交互に」突いたものかどうかについては、表現上の問題もあり、また、その異様さの故にいささか疑いがないわけでもないので、あえてそのことまで認定することはしない。しかし、その程度については、一部証人の供述するように、「ポンポンと軽く叩いた」とか「さわつた。」とか、あるいは「振つた。」という程度のものでないことは、前述のとおり、校長をして思わず「名前を言え」と憤慨させ、他の説得員をして「暴力云々」と制止させ、後に一部説得員の話題になつた(大門、由川)等の状況からも容易に推認され、同校長が供述するほど強烈に当つた(斉藤第一二回)ものでないにせよ、相当の激しさであり、かつ、手拳はその胸部にあたつているとする程度においては、同校長の供述は優にこれを信用すべく、それが暴行と評価されうるものであることは明らかである。なお、同被告人のこの暴行は、後記共同暴行と包括して一罪と評価すべきものである。

ロ 被告人ら説得員の共謀と共同暴行について

斉藤校長は、前認定の如く、その周辺にほぼ馬蹄形となつて集まつた説得員らとともに二C教室前から二A教室前に廊下を移動したのであるが、これが全く校長の自由意思に基づく行動であり、かつ、説得員らは、ただそれに追従随伴していたのか。弁護人らはその趣旨の主張をなし、校長の移動は、当時校長としても二A教室の生徒の状況を観たいという気持があつたからであるとし、このことは、校長が被告人らの抗議を受けながらも、その間、逆に二D教室に向かつて移動したことがあつたことからも明らかであるという。たしかに、前認定の経過のうち、校長が窓渡りを終えて二C教室から廊下に出た直後ころには、説得員らの意図としても、校長に対しては専ら窓渡りについて非難抗議するにあつて、テスト中止の要請は、ただそれに付随して若干つけ加えられるという程度に過ぎなかつたのであるから、校長としても比較的自由に廊下を移動できたものの如く窺われる。しかし、被告人松橋が階下校長室における相被告人佐藤と藤川との話合いの状況を耳にして再び二階に上り、みずから校長に対し、階下に赴くことを促し始めてからは様相を異にする。すなわち、それまでの説得員らの意思としては、校長に対する非難抗議という点では暗黙のうちに意思を共通にしていたとしても、被告人外崎の前記暴行の如きは、むしろ他の説得員らにとつては意外の事実であり、現に、同僚の間からも制止の言葉がとび出したこと前認定のとおりであつて、これが暴行について他の説得員らも犯意を共通にしていたとは認められない。ところが、右のように、被告人松橋が再度二階に現れて校長を校長室に連れて行こうとしてからは、同被告人が当日の旭労側責任者という立場にあつたせいもあつて、付近にいた約一四、五名の説得員らは、たちまち同被告人の意図を察知してその意思を共通にし、互いにその行為を認容しつつ、ここに共同の意思主体を形成するに至つたと認めるのが相当である。

そして、そのさい、被告人松橋は校長の腕をかかえて二、三歩引つぱつたとする判示事実について、弁護人らはこれを否定し、証拠の中にも、たとえば同被告人の供述、永山第六一回安川長吉の供述等、同被告人は校長の右手に自分の左手をそえて下に行くことを促したに過ぎないとするものもあるが、永山第一二回斉藤吉春の供述記載によれば、同校長は、被告人松橋に「腕をとられて」下へ行こうと言われたとし、目黒厚子(同第四六回、第四七回)および北岸洋子(同第四八回、第四九回)の各供述記載によれば、同被告人は校長と腕を組み(同女らの表現によれば友達同志が腕を組むように相手の腕に自分の腕をいれて)下へ行こうと言つていたというのであり、そのころ斉藤校長としては、後記の如く、同被告人ら説得員の促すままに階下へ降りようとする意思はなかつたのであり、前認定のような窓渡りの非難抗議等緊迫したその場の雰囲気、状況からしても、また、すぐには意のままにならない校長を促すのに、手に手をそえてするというのは、いかにも穏かすぎて不自然であり、むしろ、被告人を面前にして当公判廷においてなした右目黒、北岸の供述記載による腕の状況こそ、より自然なものとして信用するに足る。そして、同被告人も、検察官に対する昭和三六年一一月二四日付供述調書においてはこれと同旨の供述をしていたことをも綜合すれば、同被告人が校長と腕を組んだ(すなわち、そのようにしてかかえた)との判示事実は優に認められる。もつとも、その恰好じたいとしては、まさに和やかな「友達同志」の場合と同じかもしれない。しかし、同校長は容易に階下に赴くことを肯じなかつたことは、当の同校長が、「私には答案回収の責任があるので、下に降りないと言つてがんばつたんだけれども、無理にも連れて行こうという考えなんだろう。それで、徐々に移動させられた。」「私としては二B二C二Dの方に答案回収に行きたかつたが、結局、意思とは逆の方向に移動させられた。」旨供述しているのみならず、前記目黒厚子の「校長は、松橋が腕を組んで、行きましようと言つても、諾かなかつた。」旨、北岸洋子の「校長は、行きたくないような様子だつた。」旨の各供述記載等によつても認められ、同被告人の行為は、単に「腕をかかえた」に止まらず、同校長をその意に反して引つぱつたと推認するのが相当であり、それじたいとしても暴行と評価しうべく、被告人浜埜、同外崎を含む右説得員らは、かかる被告人松橋の行為を認容してこれに同調し、同被告人もまた説得員らの同調を認容して、ここに共同の力となつたものと認められる。その後も、中川弘の供述によれば、校長が教室内に入ろうとするや戸口に立つてこれを妨げようとする者もあつたことが認められ、同校長の供述記載にいわゆる「後から押されたり、こづかれたり」という表現はそのままとらないにしても、同供述記載によれば、少なくとも校長の身近かにあつて体に手をかける者もあつたことが認められ、このようにとり囲まれたまま、校長は、徐々にではあるが、その意思に反して移動せざるをえなかつたこと、そして、弁護人所論の如く、平素の血圧の状況、前夜来の疲労のせいにせよ(しかし、その疲労を増大するについて被告人らの行為が無縁のものとはいえない。)、二A教室前で廊下に倒れるに至つた状況が認められ、以上によつてこれをみれば、たとえ、被告人松橋の前記行為を除くその余の説得員らの行為が、個々の行為としてはそれじたい格別これをとりたてて単独の暴行というに値しない程度のものであつたとしても、全体の力としてこれを評価する場合、これを被告人松橋、同浜埜、同外崎を含む右説得員らの共同による暴行と認めるのが相当である。

なお、念のため、被告人浜埜について付言すれば、同被告人にはそれじたいとして単独の暴行と認められるような行為は認められない。検察官は、同被告人もまた、校長に対する非難抗議にさいし、校長に腕を突き出したと主張し、由川匡寿の昭和三六年一一月二八日付検察官調書中には、それかと窺わしめるものもないではないが、それのみをもつてしては、同被告人と校長との間隔等も明らかでなく、抗議等のさいの単なる身ぶり手ぶりの域を出るものかどうかも明らかでないので、あえてこれを認定することはしないが、ただ、斉藤吉春、松崎信吉、佐藤和子等の各供述記載によれば、同被告人は、校長に対し非難抗議をくりかえしながら、終始、校長の身近かにいたことが認められるとともに、そのことは、前記の如く共同暴行と認定した当時も同様であつたと認められるので、校長をとり囲む説得員の一員として、同被告人についても共謀による共同暴行罪の成立を認めざるをえない。

以上の次第であるから、被告人松橋、同浜埜、同外崎の共同暴行の事実は、優にこれを認めるに足り、そしてこの事実は、同被告人らの斉藤吉春に対する公務執行妨害の訴因に包含されているとみられるから、判示第四の二記載のとおり認定する。

第三節法令の適用

第一確定裁判

被告人佐藤は、昭和三七年一二月七日旭川簡易裁判所において道路交通法違反の罪により罰金三、〇〇〇円の言渡を受け、右裁判は同月二五日確定したものであつて、以上の事実は検察事務官作間光春作成の同被告人に対する前科調書により明らかである。

第二量刑の事情

学校教育の重要性は、国民のひとしく認めるところであろう。その指向するところが国家の将来を左右するものであることは歴史の教えるところである。被告人らは、自らの教育観に基づき、その信ずるところに従い、教育の自由を高らかに謳いあげて本件学力調査反対の闘争に参加した。それじたい、なんら責むべき点はない。なぜならば、一般に、国民の各自が、時の政策を批判し、進んでそのための行動に出ることは、民主主義国家において国民に保障されている自由の権利に属し、その論議や批判が純粋であり、真摯なものであり、建設的なものであればあるほど有益であろう。なお、それ故に、国家もまた、その論議や批判には、謙虚に耳を傾けるべきこともまた当然のことと思われる。しかも、被告人らが本件学力調査をもつて違法、不当とする点については、広く政策の問題としてみれば大いに議論のあるところであろうが、現行法の解釈に関する限り、当裁判所も、その見解を同じくする。

しかし、いかにその動機、目的(本件犯行との関連においては窮極の目的)において正当であろうとも、その行動は法秩序の枠内においてなされなければならない。このことは、それが団体の行動であつても当然である。

被告人らの判示各所為が、窮極において目ざすところが、前記の如く、正当であつたとしても、判示暴行についてはもとより、校舎内への侵入行為もまた、法秩序の枠を超えるものであることはすでに詳細に判示し説明したとおりであり、その点において刑罰の制裁は免れない。

とくに、裁判所は、本件が生徒のいる校舎内で行なわれたことを重要視せざるを得ない。いうまでもなく、学校は平穏でなければならない。また、大人の世界の政治的な争いを、生のままの形で学校にもちこみ、そのために混乱を生ずることのないように、最大限の配慮を尽すことが、大人の責務であろう。この点、必らずしも被告人らだけの問題ではないとも考えられるが、被告人らが、子供たちのための教育を守ることを目ざしながら、自ら子供たちの現在する校舎内の平穏を害し、とくに、生徒がテストを受けている教室前の廊下で、校長に暴行を加え、大きな混乱をひきおこしたことは、きわめていかんである。

ただ、被告人らが憂慮し、窮極の目的とした本件学力調査は、その主張する如く違法であつたと判断した今日においては、そして、すでに相当受けているであろう社会的不利益、それ故の苦悩等を考慮するならば、刑の量定にあたり、いたずらに被告人らの非を責めるに急であつてはならない。

以上の前提に立つて被告人各自の情状についていえば、

被告人松橋は、当日の旭労関係責任者であり、それ故、自己の欲すると否とにかかわりなく、自己の言動が、一挙手一投足にいたるまで、他の説得員らに及ぼす影響のきわめて大きいことを忘れ、勢いのおもむくまま、判示所為に及んだ点においてその責任は最も重く(なお、同被告人は、当日朝、校舎立入りに先だち、説得員に対し、適切にも、自ら、暴力行為に及ばぬことおよび校舎内の静粛等について注意を払つていただけに、その犯行は同被告人のために惜しまれる。)、

被告人外崎は、何よりも判示暴行の態容をみる限り、犯情は、むしろ被告人松橋のそれより重いとさえいえるのであるが、同被告人と異り、建造物侵入については訴追されておらず、また、当日本件説得に参加するにいたつた経緯等に照らせば酌量の金地があり、

被告人浜埜についても、当日永山中学校に赴いた経緯のほか、同被告人としては、なるほど校長に対する非難、抗議の激しさは証拠に照らしても推認できるが、前示の如く、同人一人の行為としてみる限りにおいては、とりたてて暴行と認めるに足る行為はなく、ただ被告人松橋らの行為に随伴して共同の責任を負うに過ぎない点があり、

被告人佐藤については、同被告人が当日の説得隊長の地位にあつたことからすれば、その責任は決して軽いものではないが、判示事案の程度に照らし、また、同被告人が教師であるところから、すでに受けている社会的な不利益には相当なものがあることを考慮すれば、所定刑中懲役刑を選択すべき事案とは認められない。

第三法令の適用

法律に照らすと、被告人佐藤の建造物侵入の所為は刑法第一三〇条前段、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、被告人松橋、同浜埜の所為中、建造物侵入の点は刑法第一三〇条前段、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、共同による暴行の点は暴力行為等処罰に関する法律(昭和三九年法律第一一四号による改正前のもの)第一条第一項、刑法第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に、被告人外崎の単純暴行と共同による暴行の所為は包括して暴力行為等処罰に関する法律(同じく改正前のもの)第一条第一項、刑法第六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第二号に各該当する。

被告人松橋、同浜埜の右建造物侵入と共同による暴行との間には手段結果の関係があるので、刑法第五四条第一項後段、第一〇条により一罪として犯情の重い後者の罪の刑で処断する。

被告人らの右各罪につき所定刑中、被告人佐藤、同浜埜についてはそれぞれ罰金刑を、被告人松橋、同外崎についてはそれぞれ懲役刑を選択する。

被告人佐藤の右建造物侵入の罪は、同人に対して確定裁判のあつた前記道路交通法違反の罪と刑法第四五条後段の併合罪であるので、同法第五〇条により未だ裁判を経ない右建造物侵入罪についてさらに処断することとする。

そこで右各罪の刑期または罰金額の範囲内において、被告人佐藤を罰金二、五〇〇円に、被告人松橋を懲役三月に、被告人浜埜を罰金五、〇〇〇円に、被告人外崎を懲役二月に各処する。

被告人佐藤、浜埜において、その罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

刑法第二五条第一項により、被告人松橋、同外崎に対し、この裁判確定の日から一年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、主文第四項掲記のとおり被告人らの連帯負担とする。

第四節一部無罪とその理由

第一被告人佐藤の藤川重人に対する公務執行妨害の事実(本件起訴状公訴事実第二の(一))について

一 公訴事実

被告人佐藤にかかる公務執行妨害の訴因は、「被告人佐藤は、同日(昭和三六年一〇月二六日)午前一一時四〇分ごろから、同校校長が被告人らの隙をうかがい、同校二階第二学年教室において、学力調査を開始するや、同日正午ごろ、同校一階校長室で待機していた立会人の調査立会を阻止する目的をもつて、突如、室外廊下より同室の入口扉を無断で押し開けて同室にはいり込み、立会人である藤川重人が、かねての校長との打合せに基づき、学力調査の立会に赴くため、同室から出ようとして入口に近づきつつあるのを認めるや、手招きをして浜埜登外一〇名位の説得隊員らを呼び入れ、ここにこれらの者と共謀のうえ、一団となつて、荒々しく同校長室に乱入し、藤川重人に向つて、口口に激しく学力調査実施の不当を難詰するとともに、両手をひろげて同人を制止する等の挙に出ながら、多数の勢いで同人に圧迫を加え、同人において強いて同室を出ようとするにおいては、実力をもつても同人を阻止しかねまじき気勢を示し、その勢いに怖れた同人をして、思わず後退して、もとの席に立ち戻るのやむなきに至らしめて、同人の自由な行動を束縛し、もつて同立会人に暴行、脅迫を加えて、その公務の執行を妨害した。」というにある。

すなわち、被告人佐藤はこれを公務執行妨害罪として訴追されているのであるが、たとえ、右公訴事実にいわゆる暴行脅迫等の事実が認められようとも、本来、公務執行妨害罪の成立するいわれのないことは、さきに判断を示したとおりである。そこで、右訴因に含まれるものと解される暴行および脅迫の事実の存否が問題となる。

なお、検察官が右訴因において、暴行として主張する事実は「一団となつて荒々しく校長室に乱入し、藤川に向つて口口に激しく学力調査実施の不当を難詰し、両手をひろげて室外に出ようとする同人を制止する等しながら、多数の勢いで同人に圧迫を加えた」ことである旨釈明し、冒頭陳述および最終意見の陳述において主張するところもほぼ同旨と解される。

二 検察官が援用する証拠と主張

検察官は、前記主張を立証するものとして、つぎの証拠を挙げる。

イ 藤川重人の供述記載(永山第一七回、第二四回、第三一回)および同人の検察官に対する供述調書(昭和三六年一一月二八日付、同年一二月五日付)、

本件被害者と目される藤川重人は、当公判廷において、大要、つぎのように供述する。すなわち、

「女生徒二人が、校長室入口に来て、校長先生が二階で呼んでいます、と言うので自分は急いで二階へ上ろうと思い、入口近くに行つた。丁度、女生徒が出るのと同時に、開いたままの入口から、一〇人前後の人が、話があるからちよつと待つてくれ、話し合いをしたい、と言いながらはいつて来た。その中に被告人佐藤がいたが、他の人はわからない。自分は、こういうことにぶつかつたのは、はじめてであるので、なんか大きな水の流れに押し流されるような感じで、もとの位置に戻つた。」といい、さらに立入りの具体的な状況については(以下、速記録による。)、

「問(弁護人)その人がはいつてきたときの状況ですが、続けてゾクゾクはいつてきたんですか、まばらにはいつてきたんですか。

答(証人)かたまつてはいつてきたという記憶があるんですが。かたまつたというのはおかしいんですが、すーつとですね。かたまつたというんでないでしようかね。

問 かたまつたと言つても、あの入口にかたまつて何人はいれますか。

答 並ぶというんでなく、すすーつとはいつてきた。

問 続いてはいつてきたんですか。

答 はい。

問 その一〇人前後の人が続いてはいつてきたですか。

答 はい。

問 切れ目なくはいつてきたんですか。

答 そういうように記憶しておりますが。

問 そうすると、二人、三人が一ぺんにはいつてきたんですか。それとも一人一人だが、続けてはいつてきたという意味なんですか。

答 続けてという表現がよろしいと思います。

中略

問 はいる際に手を横にあげたり、上にあげたりというような普通と変つた形はありましたか、おりませんか。

答 ちよつと話があるというようなことで、こういうゼスチユアーをしたかどうか、それも記憶おりませんが、そういうようにはいつてきたと思います。

問 話があるんで、多少、手を胸のへんにあげると、そういつた程度のこと、

答 そうです。あまりはつきりしておりません。」と。

そして、検察官に対する供述調書においては「とても校長室から出られたような状態ではなかつた。相手は大勢だし、もし無理矢理にでも出て行こうとすればおそらく腕でもつかまれて引き戻されていたかもしれない。今考えてみれば会議室のドアから出ることができたかもしれないが、生まれてはじめてあのような事態に会つたので、気持がおどおどして、そこまで知恵がまわらなかつた。」旨述べている。

ロ 横倉勝雄の供述記載(永山第三二回、第三三回、第三四回)および同人の検察官に対する供述調書(昭和三六年一一月二八日付、同年一二月二日付)、

被告人佐藤らが入室したさい校長室にいたという横倉勝雄は、当公判廷においては、大要、つぎのように述べる。すなわち、

「校長室の隣にある事務室のホール側入口から女生徒二人が藤川を呼びに来た。藤川は、事務室にはいつて女生徒と話したのち、また校長室にはいつてすわつた。その後しばらくして、被告人佐藤が校長室の廊下側の入口から一人ではいつて来た。そのとき、入口のドアはあいていたようにおもう。そして、佐藤は藤川にちよつと待つて下さいといつて一旦廊下に出た。すぐに佐藤が先頭になつて、そのあと七、八人の人がぞろぞろと間断なくはいつて来た。佐藤の態度は、少しせきこんでいるようであり、テストを実施したんですつてね、どうして話合いにのつてくれなかつたのかというようなことを言つていた。」と。

さらに検察官に対する供述調書においては「佐藤を先頭に一二、三名がどやどやとふみ込んで来た。」と言つている。

ハ 高木静雄の供述記載(永山第二四回、第二五回、第二九回)

同じくそのころ校長室にいたという高木静雄は、当公判廷において、大要、つぎのように供述している。すなわち

「女生徒が来たので、藤川は入口近くまで行つた。そこへ被告人佐藤をはじめ七、八名が校長室にはいつてきた。はいるときから一緒にはいつたのか、佐藤が最初にはいつて話しているうちにあとから何人か加わつたのか記憶がない。皆、椅子に腰かけて、そして佐藤と藤川との話が始まつた。」と。

検察官が本件立入りのさいの暴行、脅迫を立証するために提出して許容された直接の証拠は、右を除いてはない。

そして、これらの証拠によつて検察官が主張する主要な情況事実は、被告人佐藤は、校長室の入口扉をノツクもしないで荒々しく押し開いてはいつたこと、はいるや、両手をひろげて藤川が出ようとするのを制止したこと、その後一旦廊下に出て、他の説得員らを手招きし、これらの者と意思を通じて共謀のうえ、ここに共同の威力を形成してはいつていること、その状況は、藤川をして、あたかも「大きな水の流れに押し流されるよう」に感じさせる程度のものであつたこと、および入室後の説得ないし抗議の状況が、藤川の自由行動を制圧するようなものであつたことである。いずれにせよ、検察官がそのよりどころとする証拠の大要は右に摘示したとおりである。そのすべてを信用するとしても、果してそれが暴行ないし脅迫と評価しうるか、きわめて疑問の存するところであるが、まずこれらの証拠の証明力を検討しながら、検察官主張の情況事実について、その存否を判断する。

三 被告人佐藤が校長室にはいつた経緯と状況(はいり方)

検察官が暴行として主張するところは、主として被告人佐藤らの入室するさいの状況にあること前記のとおりであるが、同被告人は、校長室にはいつた経緯について、当公判廷においてつぎのように供述する。すなわち、その要旨は、「私は、(一一時五〇分ごろ)、ホールにいて、中学校の先生からテストが開始されたことを聞いた。ほかの組合員らは二階に移動して行つたが、自分は、被告人松橋との打合せもあつたので、そのままホールにとどまつた。そのうちに、上野先生と有賀先生にテストが開始されたことを知らせようと思つて、校長室の隣の事務室から旭川農高にいる両先生に電話をかけた。ところが、両先生にはなかなか連絡がつかず、受話器を持つたままで待つているうち、廊下の方から女性のかん高い声がきこえてきた。電話を切り、ホールに出てその場にいた人たちにたずねたところ、校長が窓を渡つてテスト用紙を配つているのだということだつた。そこへ、女生徒二人が二階からおりて来て、そばを通つて校長室に行き、廊下からの入口のドアを開いて中にはいつたので、自分も廊下を校長室の方へ行つた。校長室入口に近づいたとき、丁度、女生徒が入口の近くにいた校長室内の藤川と話を終えて出て来るところであつた。」というにある。そして右供述によつて窺われる状況事実は、渡辺智信(永山第五五回)、有賀登志男(同第五六回)、上野要治(同第五六回)の各供述のみならず、検察官請求にかかる証人である藤川重人(同第一七回)、横倉勝雄(同第三四回)、高木静雄(同第二五回)の各供述記載に照らしても、十分、これを措信しうる。それ故、公訴事実にいわゆる「突如、室外廊下より同室の入口扉を無断で押し開けた」とか、その後の主張にみられる「入口のドアをノツクもしないで、突然荒々しく開けた」等、そのはいり方の非礼、粗暴な状況は、いささかもこれを窺いえないのみならず、むしろ被告人佐藤は、女生徒たちとすれ違いに「開いたままになつていた」その入口から校長室内にはいつたとの事実が認められる。

なお、検察官は、被告人佐藤が、右入室の直後、両手をひろげて校長室を出ようとしている藤川を制止したと主張するが、この点については、これを認めるに足る証拠は全く存しない。

四 共謀による共同威力の形成(横倉勝雄の供述記載等の証明力)

検察官は、横倉勝雄の供述記載等をもとにして、被告人佐藤は、入室後、一旦廊下に出て、他の説得員らを手招きして呼び寄せ、これらの者と意思を通じて共謀のうえ、ここに共同の威力を形成して、一団となつてはいつたと主張するようである。そして、これが認められれば、暴行の一情況事実となりうる。しかしながら、横倉は、右供述記載においても、被告人佐藤は、入室後一旦廊下に出たとはいうものの、廓下に出て同被告人が何をしたかは見ていないといい、さらに「手招きして他を呼び寄せた」との点については、必ずしも明確に供述していない。そして同人の右供述は、藤川が供述するところの、佐藤らが「突然はいつてきたその勢いで、大きな水の流れに押されるような感じで後にもどつた。」、すなわち、間髪を入れぬ一つの流れとする情況とも相反する。

そもそも、横倉勝雄の供述記載等には、他の証拠によつて認められる客観的状況と多くの点においてくい違いを見出す。たとえば、校長の命によつて女生徒二人が藤川を呼びに来た状況について、その生徒は校長室廊下側入口からではなくて、事務室入口から来たとか、校長室内において高木とともに、被告人佐藤から種々質問されたのは藤川に対する抗議説得の後ではなくて、そのはるかに前であるとか、その他、被告人佐藤と一緒に校長室にはいつた説得員らの氏名、のちに説示する被告人浜埜に関する状況等、随所に、多くの疑問を懐かせ、同人が、故らに虚偽の事実を述べようとしているとは思えないだけに、何故か、何かを勘違いしているのではないかと思うほど、ときには奇異の感すらおぼえさせるものがあり、かくては、他にこれと同旨の証拠を見出しがたい右主張について、ひとり横倉の供述記載等のみをもつてこれを認めるにはいささか躊ちよを感ずるところ、他の証拠によれば、被告人佐藤が校長室にはいつたのは、いわゆる校長の窓渡りよりあとの時刻のことであり、そのころ、説得員らの関心は、テスト開始、校長の窓渡りという二階の出来事に向けられており、また、多くのものが二階廊下に赴いていたことが認められるのであり、被告人佐藤を除く七、八名ないし一〇名位の者らの人室は、同人らが、たまたま、当時、玄関ホール付近や校長室前廊下付近にいたか(もつとも被告人佐藤は、廊下付近に説得員らはいなかつたという。)、あるいは同所を通りかかつたさいに、被告人佐藤が入室することないしは入室していることを目撃して、これにつられて、次々に、校長室にはいつたと認める余地が大きいのであり、被告人佐藤以外の者らが、瞬時に、暗黙のうちに意思を同じうして、先を競うような状態で、すなわち共同の威力となつて校長室に立ち入つたとは、到底、認めるをえないところである。

五 いわゆる「大きな水の流れ」(藤川重人の供述記載等の証明力)

藤川重人は、被告人佐藤らがはいつて来た状況を、前記のとおり、「大きな水の流れに押されるような感じ」の勢いと表現する。かかる比喩的表現は、もとより日常語として、ある種の状況を推測させないわけではない。しかし、その根底をなす具体的状況については、人それぞれ、これによつて脳裡に描くところは異るのであり、それが、殴る、蹴るというような明白な暴力があるわけではなく、情況が果して「暴行」と評価しうるや否やという微妙な判断にかかわる場合、右証言部分が果していか程の証拠価値を有するものか、きわめて疑問である。のみならず、同人は、被告人佐藤を除いては、誰がどのような態容で入室したのか等については全く記憶しないのみならず、後記のとおり、その後の被告人佐藤との問答についても記憶がない。さらに、そのころ入室したと認められる旧知の上野要治、有賀登志男、柴田貞夫についてさえ、全く記憶がない旨供述している。このような点を考慮するとき、右の供述部分に止まらず、同人のその他の供述記載等についても同人の記憶がどの程度の事実認識に基づくものなりや、甚だ疑問が残るところである。

そして、右の如き藤川の供述記載ないし検察官に対する各供述調書とくに、前記「大きな水の流れに押し流されるような感じで後にさがつた。」とか、「校長室から出ることができなかつた。」とする部分について、これを評価するにあたり看過できないのは、被告人佐藤らの入室が前記の如く一二時すぎであつたことと、それまでに懐いていた藤川の心境である。すなわち、斉藤吉春(永山第一六回)、平崎勲(同第二九回、第三〇回)の各供述記載によれば、斉藤校長は、テスト開始直前、校長室において、立会人である藤川および平崎に対し、第三教時終了後の休憩時間(一一時三五分から一〇分間)に二階でテストを開始する。一度に上ると目立つので、先ず自分が上り、ついで平崎が、その次に藤川が上つて、立ち合つてもらいたい旨言い残して、一一時三〇分ごろ二階に上つた。そして、それに続いて平崎が上つたとの事実が認められる。しかるに、藤川は校長室を出ようとはしなかつた。さらに、横倉から校長が窓を渡つていることを聞きながら、校長室を出ようとはしなかつた(永山第三四回横倉勝雄の供述記載)、校長が出たのち、実に三〇分以上も出ようとしなかつたことになる。このことは、藤川が、二階へ行かなければならないことを認識しながらも、校長室から出ることにより、説得員らと接解することを極度におそれているために出ようとしなかつたのではないかと解さざるを得ない。そして、女生徒の連絡により、ようやくにして校長室を出ようと決意せざるを得なくなつたのであろう。同人は、説得員らが校内に居ることじたいに、すでに相当の危惧を感じている。そこに接触をおそれていた当の説得員らが現われた。それ故、もし仮りに同人が被告人佐藤らの行為を不法な攻撃と感じ、あるいは畏怖を感じたとすれば、それは同被告人らの立入りの態容にあるのではなく、すでに立入りそのものにあつたと認められる余地は多分に存するのであり、かかる心境をもつて感取した心情ないし比喩的表現から推論して、被告人らの客観的行動を想定することは、きわめて危険といわざるをえない。

六 被告人佐藤らの校長室内における言動(説得ないし抗議の状況)

被告人佐藤らの校長室内における言動については、まず藤川は、「自分も佐藤も(その他のものはあまり記憶にない。)椅子に坐つて、佐藤からいろいろなことをきかれた。テスト用紙をどこに置いたかなどということをきかれたが、その他のことはあまり記憶にない。いろいろな人からもきかれたとおもうが、ほとんど佐藤が一人で話していた。」「自分としては、佐藤に非常にきかれた、という記憶しかない。他の人にもきかれているかもしれないが、記憶に残つていない。佐藤をよく知つているから乱暴されるという心配はしなかつた。」旨供述し(同人の永山第一七回、第三一回供述記載)、横倉、高木もまた大体同旨の供述をしている。そしてこの点に関する被告人佐藤(第七四回)、渡辺智信(永山第五五回)、有賀登志男(第五六回)、柴田貞夫(同第五七回)の各供述等をも綜合すれば、被告人佐藤が椅子にかけたまま、ほとんど一人で、テスト立会人の性格、テスト用紙の保管場所等を藤川や高木、横倉に質問し、他の入室者らは、椅子にかけるなどして、時には発言することもあつたものの、ほとんどこれを傍観する立場にあつたことが認められる。そして、その間、藤川は、横倉に対して平崎を捜すよう指示するため、あるいは休息をとるため、二度にも亘つて校長室から自由に隣りの会議室に出入りしていること、横倉もまた右指示に応じて校長室から会議室、事務室に出入りしていること等の事実に照らせば、その場の雰囲気、状況は、互いに緊張し、重苦しいものであつたことは容易に推認されうるとしても、いわゆる険悪な状況とか、藤川が動けばなんらかの異常な事態が触発するというような緊迫した状況はこれを認めることができない(ちなみに、被告人佐藤らの右説得ないし抗議が、それじたいとして暴行、脅迫とするに足る程度のものとも認められない。)。

七 結論

以上のとおりであるから、検察官が本件において暴行ないし脅迫として主張する徴表事実はほとんどこれを認めるに足る証拠はなく、たとえ、本件当日の校舎内における全体の状況等を十分に考慮して考察するとしても、被告人佐藤らの行為が暴行、脅迫に該当すると認めることはできず、被告人佐藤に対する本件公務執行妨害の訴因は、その証明がないものというべきであるが、右は同被告人に対する判示建造物侵入の罪と手段、結果の関係にあるものとして訴追され、同一の公訴事実に関するものであるから、とくにこの点について主文において無罪の言渡をすることをしない。

第二被告人浜埜の横倉勝雄に対する暴行の事実(永山関係公訴事実第二の(二))について

被告人浜埜にかかる右暴行の訴因は、「被告人浜埜は、同日正午ごろ、同校一階会議室入口付近において、折柄、藤川重人の指示により、連絡用務のため同室を立ち出ようとした横倉勝雄に対し、『そこにはいつておれ』といつて、二回にわたり片手で同人の胸部を押して、同人を押し戻し、もつて暴行を加えた。」というにある。そして検察官は、横倉勝雄の永山第三二回、第三三回および第三四回の各供述記載を援用し、その趣旨に照せば、右事実は明らかである旨主張する。そこでまず横倉の右供述記載につき検討するに、同人は、その状況につき、「佐藤らが、校長室にはいつてきて、藤川に話していたとき、藤川から平崎を捜してくるようにと小声でいわれた。それで自分は、平崎を捜すため、会議室から廊下に出ようとしたところ、廊下にいた被告人浜埜から『中にはいつてなさい。』というようなことを言われ、肩をポンポンと二、三回軽く叩かれ、胸のへんに手をおかれて、中にいれられた。」と述べ、さらに「浜埜と逢つたのは、その日がはじめてだが、浜埜は、色が白くて面長だから、警察で写真を見せられて、すぐにわかつた。」旨供述している。

しかしながら、同人は、当日の被告人浜埜の服装等について、本件捜査当時、検察官の取調べに対しては、「この浜埜さんは、当日、紺色ジヤンバーを着て、胸に、笛をぶらさげていたものか、たすきをかけていたものか、赤い紐のようなものをかけていたのが印象的でした。」と述べておりながら(同人の検察官に対する昭和三六年一二月二日付供述調書)、その後の右供述記載においては、「当日、浜埜とは、玄関ホール付近、校長室内、そして本件の会議室出入口の三か所で逢つている。浜埜の服装は、最初の玄関ホール付近のときは黒か紺のグランドコートを着て、腕章をはめ、笛をぶら下げていた。あとの校長室内と会議室廊下のときは紺色の背広を着ており、腕章もつけておらず、また笛もなかつた。服装が変つたのは、途中、どこかでコートを脱いだのだろうとおもつた。」旨、同人の供述としては、比較的明確に述べており、さらに前記検察官に対する供述調書とのくい違いについては、「検察官に対し浜埜の服装がジヤンバーであつたと述べたのは、玄関ホールのときのものを述べた。服装が変つたことを述べていないのは、自分の説明が足りなかつた。」旨弁明している。しかるに弁護人から当日右玄関ホール付近において撮影されたものと認められる被告人浜埜の写真(新聞写真、証一二号)を示され、さらに供述を求められるや、にわかに、「玄関ホールのときも浜埜の服装は背広らしい。」と供述しはじめ、そのうちにグランドコートないしはジヤンバーは、被告人浜埜の服装から消えてなくなり、結局、「浜埜の服装については、自分の勘違いがあつたかもしれない。」旨供述するに至つているのである(同じく第三五回の供述記載)(右検察官に対する供述調書と証言とのくい違いが、単に自己の検察官に対する説明不足であつたとする同人の弁明は、検察官に対する供述調書の記載そのものから見ても、また同人と被告人との関係で重要なのは玄関ホール付近のときのものではなくまさに会議室出入口におけるものであることからしても、これを単なる説明不足としてたやすく措信することはできないが、仮りにこれを信用するとしても、結局、右服装の点については完全なくい違いを示すに至つている。)。このように同人の供述記載には、そのきわめて重大なる点において、くい違いないしは誤謬が存するところであり、また、他にも多くの不審な点が見い出されることは、前記被告人佐藤に対する公務執行妨害の事実に関して検討したところでもあるから、仮りに同人が、相手の顔の特徴を記憶していたから警察や検察庁で写真を示されてすぐにわかつた旨供述し、また、検察庁における被告人浜埜との面通しによりこれを確認しているとしても(写真あるいは面通しによる同一性の確認にどの程度の信用性をおくかは別として、)、同人と被告人浜埜とはその日が初対面であり、また、当日、校長室内あるいは校長室前廊下付近等の横倉の目につく場所に、被告大浜埜と顔かたちのよく似た者がいたとも認められるところであるので、横倉の前記供述記載のみをもつて、本件は被告人浜埜の行為であると断定することはできない。

それにもまして、横倉の右供述記載によれば、本件はいわゆる校長が窓渡りをした時点よりのちの出来事であることが明らかであるが(もつとも同人は、この点につき、窓渡りより前であつたように思うとも述べているが、被告人佐藤らが入室したのが窓渡り後であることは前記のとおりであり、これらのものがはいつてのち、会議室から出ようとしたというのであるから、窓渡り前であるとは考えられない。)、このころに被告人浜埜が階下校長室内あるいは会議室前廊下付近に居たとする証拠は、横倉の供述記載を除いては全くなく、かえつて、斉藤吉春(永山第一二回)、佐藤和子(同第四九回)の各供述記載等によれば、被告大浜埜は、そのころ二階廊下付近にいたことがほぼ認められる(被告人浜埜も、テスト開始を知つて直ちに二階に上り、そのまま、二階にとどまつていた旨供述している。)のであるから、横倉の供述記載等は信用できない。

そして、他にこれを認めるに足る証拠はないから、右事実については、結局、その証明なきことに帰着するが、同被告人に対する暴行の事実もまた、同被告人に対する判示建造物侵入の罪と公訴事実が同一であるので、とくに主文において無罪の言渡しをすることをしない。

第二章  被告人広岡、同伊藤、同加賀谷に対する公務執行妨害被告事件(昭和三六年(わ)第四六七号)

(以下、本章においてこれを本件という。)関係〈省略〉

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 金隆史 吉丸真 岡田良雄)

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