大判例

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最高裁判所大法廷 昭和26年(あ)4629号 判決

主文

本件上告を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人宗宮信次の上告趣意第一点について。

古物営業法一条二項は「この法律において『古物商』とは古物を売買し、若しくは交換し、又は委託を受けて売買し、若しくは交換することを営業とする者で二条一項の規定による許可を受けたものをいう。」と定め、同法二条一項は「古物商になろうとする者は、……公安委員会の許可を受けなければならない。」と定めており、他方同法六条は「古物商又は市場主でない者は古物を売買し、交換し、若しくは委託を受けて売買し、交換することを営業とし、又は市場を設けてはならない。」と定めているのである。即ち古物営業につき許可営業主義を採用し、なお同法二七条において無許可の営業につき罰則を設けているのである。従って古物営業においては所定の許可を受けなければその行為をすることができないということが規定されているのであるからそれらの規定が営業の自由を制限するものであることは所論のとおりである。そして論旨は右の制限をもって憲法違反であると主張するのである。しかし憲法二二条は国民の権利として「職業選択の自由」を保障しているが、その自由を無制限に享有させているのではなく「公共の福祉」の要請がある限りそれは制限されうることをも認めているのである。従って古物営業法が許可制限をとり、無許可営業を処罰することが「公共の福祉」を維持するために必要であるならば、その制限は何等憲法に違反するものではないのである。

ところで古物営業については、旧古物商取締法時代から許可営業主義をとり、各人の自由に放任する主義を採用しなかったのであるが、それは賍物の相当数が古物商に流される現実の事態に鑑み、その流れを阻止し、又はその発見に努め、被害者の保護を計ると共に犯罪の予防、鎮圧乃至検挙を容易にするために必要であり、右は国民生活の安寧を図り、いわゆる「公共の福祉」を維持する所以であるからである。古物営業法は旧法を廃止し新たに立法されたもので幾多の点において新たな規定を設けているが、許可主義をとった点においては終始一貫しておるのである。けだし許可主義をとることが前記の如く公共の福祉の維持に必要であるから新法もまた旧法の主義を踏襲したのである。ただ旧法においては古物商の免許については何ら基準を設けず、すべて行政庁の自由裁量に委ねられていたのであるが、新法において第四条において許可の基準を設け、その許可不許可が行政庁の独断恣意によってなされることのないようにし、特に同条二項において不許可のときは公安委員会は理由を附した書面をもって申請者に通知しなければならないと規定し、申請者がこれに不服あるときは第二六条によつ訴を提起することができるように配慮しているのである。

以上を要するに、古物営業法が許可制度をとり、無許可営業を処罰することは「公共の福祉」を維持するための必要な制限であるといわねばならないから、何等、憲法二二条に違反するものではなく従って論旨は理由がない。

同第二点について。

記録に徴するに被告人は古物営業法違反で昭和二六年三月二日逮捕(六六丁)され、同月五日同法違反で勾留(六七丁)されたが、起訴は同月二四日古物営業法違反及び窃盗罪としてなされたのである(一丁)。被告人は逮捕当時から、古物営業法違反について自白し、公判においても終始自白しているのに反し、窃盗は否認しているのである。論旨前段は要するに窃盗についてこれを自白させるべく被告人に対し強制拷問が加えられたというに帰着するが、原審は職権により被告人の取調にあたった司法警察職員の今武四郎、白浜三二、越田時雄及び本間鉄雄を証人として喚問し、強制拷問の有無を取調べたのである。原判決はかかる取調の結果に基いて被告人が本件につき取調を受けたとき強制拷問などにより自白を強要された事実のないことを説示しているのである。そして原審の右判断が違法であるとは認められないのみならず、第一審判決は窃盗罪の認定について被告人の自白を採用していないのであるから、窃盗罪について強制拷問が行われたという論旨は判決に影響を及ぼさない主張である。また憲法三五条に違反して令状なくして被告人の住宅、所持品を捜索したとの主張は控訴趣意として原審に主張せられなかったのであるから適法な上告理由とならない。

次に論旨後段は不法勾留の主張であるが、被告人が昭和二六年三月五日勾留せられ、四月二四日起訴されたことは所論のとおりである。しかし右勾留期間が刑訴二〇八条二項の規定により同月二四日まで延長されていることは本件勾留状裏面の記載により明白である。従って論旨はその前提を欠くものであって採るを得ない。

同第三点について。

第一審第一乃至第三回公判調書をみると検察官は窃盗の事実(判示第一事実)を立証すべく証人として横山清治外二名の喚問を申請し、また古物営業法違反の事実(判示第二事実)を立証すべく花田繁雄外四名の司法警察員の供述調書五通及び被告人の司法警察員に対する弁解録取書、被告人の司法警察員に対する第一回供述調書、被告人の検察官事務取扱検察事務官に対する第一回供述調書各一通の取調を求め、裁判官はこれを全部採用したので、検察官は右書類を前記の順序に従い朗読し、証拠調をしたこと、及び第二、三回公判期日に右窃盗の事実に関する証人横山清治等を取調べたことは明白である。そして被告人は窃盗については逮捕以来否認しているのであるから自白調書は存在しないのであり、前記弁解録取書以下の被告人の供述調書はいずれも判示第二事実に関する自白調書であって窃盗の事実に関するものでないことは原判決説明のとおりである。従って判示第二事実について補強証拠を取調べた後に前示自白調書を取調べているのであるから刑訴三〇一条違反の問題は生じないのである。論旨は判例違反を主張するが引用の判例は本件に適切でないから所論は採るを得ない。

被告人の上告趣意について。

論旨は窃盗の事実につき証拠の取捨判断乃至事実の誤認を主張するもので適法の上告理由とならない。また強制拷問の主張についてはそれが判決に影響を及ぼさないものであること弁護人の論旨第二点において説明したとおりである。

なお記録を調査するも本件につき刑訴四一一条を適用すべきものとは認められない。

よって刑訴四〇八条、一八一条により主文のとおり判決する。

この判決は弁護人宗宮信次の上告趣意第一点に対する栗山裁判官の少数意見を除き裁判官全員一致の意見である。

裁判官栗山茂の意見は次の通りである。

弁護人宗宮信次の上告趣意第一点について。

私は罰条の違憲性を上告趣意で初めて主張する本論旨は、次の理由で、不適法として棄却されるべきものであると思料する。

起訴状には、訴因を明示して公訴事実を記載し、且つ罰条を示して罪名を記載しなければならないとされている。(刑訴二五六条)このことは、検察官は、被告人の行ったところを訴因に明示したような事実として把握し、その事実が立証されれば罰条として示した刑罰法規に該当するから、被告人の行ったところを裁判所に対し、右罰条にあたる罪として処断を求めるものであることを起訴にあたり明確ならしめ、被告人をして自己の行ったところの如何なる事実が如何なる罪として起訴されたかを知らしめ、これに対する被告人の防御権を保護しようとしたものである。(刑訴二五六条四項に罰条の記載の誤は「被告人の防御に実質的な不利益を生ずる虞がない限り」公訴提起の効力に影響がないとし、又同三一二条四項に訴因又は罰条の追加又は変更により「被告人の防御に実質的な不利益を生ずる虞があると認めるときは」被告人に充分な防御の準備をさせるため必要な期間、公判手続を停止しなければならないとしているのは、このことを示すもので法は訴因又は罰条の明示によって被告人に充分な防御の手段を構ぜしめようとしていること明らかである。)それ故、訴因と罰条とは、一応裁判所を拘束し、審理の経過につれて立証されたところと訴因に明示されたところとにくいちがいが生じても、裁判所は原則として、検察官の請求により又は職権で、訴因又は罰条の追加又は変更を許し若しくは命ずるのでなければ(刑訴三一二条)、訴因に明示された以外の事実を認定し、又は罰条に示めされた以外の罰条で処罰することはできないのである。この意味において、訴因と罰条とは裁判所の審判の対象となるものということができる。そして裁判所は、職権で訴因又は罰条の追加又は変更を命ずることができることは前記のとおりであるけれども、それは審判の請求を受けた公訴事実の同一性を害しない限度に止まるのであり(刑訴三一二条一項)、罰条の追加変更といっても、起訴状記載の訴因又は右限度で追加変更された訴因に適用すべき罰条の追加変更を命ずるに過ぎない。そして右罰条の追加変更を命ずるためには、裁判所は職権により罰条を調査しなければならないが、それとても、起訴状に記載された罰条が起訴状の訴因又は右限度で追加変更された訴因に適応しなくなったか否かを調査して、これに適応する罰条を選定するに止まり、その罰条が、憲法に適合するか否を調査するものではない。故に罰条の憲法適否は、当事者から違憲の主張のない限りは裁判所の職権調査の範囲に属しないと解すべきである。又裁判所が犯罪事実を認定し自ら罰条を適用する場合でも、その罰条が既に最高裁判所で違憲と判断されたものでない限り、当事者から主張がないのにその罰条の憲法適否を判断すべきものでもない。何となれば、すべての法令は制定と同時に合憲の強い推定を受け、(Bouvier の法律辞典でも、「法律の合憲性については常に推定が存在する。その反対を主張する当事者は明に立証しなければならない」と言っているように合憲性の推定はアメリカでは通説である。)これが訴訟において争われ最高裁判所で違憲と判断されるまでは、合憲な法令として、行政府並に一般国民のみならず裁判所をも拘束する力を有し、裁判所も違憲の主張のない限りはこれを合憲のものとして、これに従わなければならないのであって、およそ憲法に適合しているか否かわからないような、あいまいな法令によって起訴されたり又は治者も被治者も支配されるというような考え方は、法の支配の根本精神に反するからである。そして検察官は合憲のものとして罰条を示し、これによって処罰を求めているのは当然であるし、被告人も防御方法として、その違憲性を争わないのに、職権で罰条の憲法適否を判断するのは、審判の対象の範囲を逸脱するもので、違憲法令審査権の濫用である。この理は控訴審においても同様である。なる程、控訴裁判所は控訴趣意書に包含されない事項であっても、刑訴三七七条乃至三八三条に規定する事由に関しては、職権で調査することができるけれども(刑訴三九二条二項)、それは第一審裁判所が前記審判の対象の範囲でした、第一審判決に関連し、第一審の審判に刑訴三七七条乃至三八三条に規定する事由があるか否かを調査し判断することができることを示したもので、第一審で被告人が罰条の違憲性について主張していない以上、右憲法適否の点は第一審裁判所の審判の対象の範囲外のことであること前記のとおりであって、右罰条の憲法適否の判断は、第一審判決には含まれていないのである。故に控訴裁判所は職権を以っても、右罰条の憲法適否については審判権を及ぼし得ないものといわなければならない。そこで、罰条に関する法令の適用に誤があって、その誤が判決に影響を及ぼすこと明らかであることを理由として、控訴の申立をした場合(刑訴三八〇条)を考えて見ると、第一審で罰条が違憲であるとの主張がしてない限り、右法令の適用の誤とは、第一審判決がした右罰条の解釈適用の誤に帰し、その罰条の憲法適否の判断は含まれていないのである。従って罰条の合憲か否かは、第一審で当事者からその違憲性の主張があって、第一審判決がこの点について判断をした場合に限り、刑訴三八〇条の控訴申立の理由となるのであるから、第一審判決の適用した罰条の違憲性を控訴審で初めて主張することは、刑訴三八〇条にも拘らず不適法であり、又刑訴三八〇条の規定する事由は職権で調査することができるとしても、右罰条の合憲か否かは職権でも調査し得ないのである。以上説明したように罰条の違憲性の主張は、訴訟の早い段階で主張さるべきもので、控訴審で初めてその主張をするのは時期に遅れたものといわなければならない。しかし控訴審でも訴因又は罰条の追加又は変更ができるとすれば(刑訴四〇四条)、当事者はその際初めて控訴審で罰条の違憲性を主張することができると解してもよかろう。しかし本件においては、第一審では勿論、控訴審ですら罰条が違憲であるとの主張はされていないのである。従って、原審控訴判決は、当事者の主張によっても又職権によっても、罰条が憲法に適合するか否かは判断していないのであり、従って右罰条に関しては憲法の解釈は何等していないのである。それ故当審で被告人が初めて右罰条が違憲であると主張しても、それは刑訴四〇五条にいう、高等裁判所がした判決に対し憲法の解釈に誤があることを主張するものには当らないこと明らかであって、かかる上告趣意は不適法として排斥さるべきものなのである。(なお刑訴四〇五条に「憲法の違反があること」とは高等裁判所の審判の手続が憲法に反する場合であって以上の説明はこの場合に関するものではない。)

そもそも、司法権の発動として法律上の争訟を裁判する(裁判所法三条)とは、審判の対象即ち争訟となっていない事項には審判権を及ぼし得ないということである。つまり司法裁判所は、現実の争となっていない事項について抽象的に判断したり意見を述べたりできないのである。このことはさきに昭和二七年一〇月七日言渡した当裁判所昭和二七年(マ)第二三号日本国憲法に違反する行政処分取消請求事件について当裁判所も「我が裁判所は具体的な争訟事件が提起されないのに将来を予想して憲法及びその法律命令等の解釈に対し存在する疑義論争に関し抽象的な判断を下すごとき権限を行いうるものではない」と判示しているのである。而してこの理は事件それ自体が何等具体的争訟を含んでいない場合であると、争訟事件を処理するに当って或る事項がその事件の審判の対象たる争訟となっていない場合とにより変りはないのである。さればもともと合憲として制定された罰条に当事者から何等違憲の主張もないのに裁判所が職権でその合憲性の調査判断をするのは、傍論としてはとにかく(しかし本件多数意見は傍論とし判断を示しているとはいえない。傍論は既判力を生じないから傍論としてならば本論旨を不適法として排斥した上で示すべきであるからである。)争訟がない事項を審判の対象として、それに抽象的に判断を加えるということに帰するのであって、多数意見は前記当裁判所の判例とも自ら矛盾するものと言わざるをえない。私はさきに同趣旨の意見を大法廷判決において(昭和二五年(あ)一五四五号同二六年七月一日言渡。判例集五巻八号一四二一頁以下)述べたのであるが、この問題は違憲法令審査権の根本に通ずるものであって且裁判所は軽々に職権で法条が合憲か違憲かなどと調査すべきものでないと思うので、この機会に重ねて詳しく述べたのである。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 霜山精一 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村又介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎)

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