大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)1021号 決定

国籍

韓国(済州道北済州郡翰林邑洙源里九五二番地)

住居

京都府長岡京市花山一丁目六番地

会社役員

金勝弘

一九四二年一月二三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六二年六月一一日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、右のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人小松正富の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、原判決は所論のいうように逋脱した所得税額の認定を要しない旨を判示しているものではないから、所論は前提を欠き、その余は、憲法三一条違反をいう点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖)

昭和六二年(あ)第一〇二一号

○上告趣意書

所得税法違反

金村こと 金勝弘

右被告人にかかる頭書被告事件について、昭和六二年六月一一日大阪高等裁判所が言渡した判決に対し上告を申し立てた理由は別紙のとおりである。

昭和六三年一月一一日

弁護士 小松正富

最高裁判所 第一小法廷 御中

原判決は、一審判決に事実誤認、量刑不当ありとしてこれを破棄し、被告人を懲役一年六月及び罰金二億円に処する旨の判決を言渡した。しかし原判決には憲法違反及び最高裁判所の判例に反する違法があるのみならず、判決に影響をを及ぼすべき法令違反、量刑不当、重大な事実誤認があって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するから、いずれにしても破棄を免れないものと思料する。

以下その理由を詳述する。

第一点 未収利息について

第一 原判決の説示

原判決は、未収利息に関する原審弁護人の主張を排斥する理由として

「所得税の課税の対象となる収入すべき金額は、収入すべき権利の確定した金額をいうものであるが、それには当然未収利息も含まれるので、本件の場合各年度の課税対象となる収入すべき金額は、各年度の未収利息を計算した上、当該年度において実際所得された利息収入金額から前年度末の未収利息額を差し引き、それに当該年度の未収利息額を加えることによって算出すべきものであり、しかも、右の未収利息の計算は、約定利息が利息制限法による法定利息を越えるときは、右の法定利息に従い、且つ約定利息のうち法定利息を越えて支払われた部分は順次元本に充当してその残額元本を基礎として行われるべきである(最高裁昭和四三年行(ツ)第二五号同四六年一一月九日第三小法廷判決・民集二五巻八号一一二〇頁参照)ところ、本件では各年度の未収利息が全く計算されていないので、本件で課税の対象とされている各年度で被告人の実際受け取った利息収入が、右の方法により算出される本来の課税対象となる収入すべき権利の確定した金額を越えるものでないか否かを検討するに、被告人の営む貸金業における年度末の貸金債権残高は、昭和五三年から同五五年までの間年々増加し、その増加の状況は、昭和五二年末七億五八八六万二〇〇〇円、同五三年末一〇億二九九二万円(前年比三五.七パーセント増)、同五四年末一六億四二九〇万四〇〇〇円(前年比五九.五パーセント増)、同五五年末二五億九四一九万三〇〇〇円(前年比五七.九パーセント増)となっており、しかも被告人は、本件課税の対象となっている昭和五三年から同五五年の各年において毎年新しく店舗を二、三店開店しており、それら新規店舗における貸金債権残高が、昭和五三年から同五五年の各年度末の全店舗の貸金債権残高に占める割合は、昭和五三年二八.一パーセント、同五四年三四.一パーセント、同五五年二三.九パーセントであり、またその前年比増加分に占める割合は、昭和五三年一〇六.九パーセント、同五四年九一.四パーセント、同五五年六五.〇パーセントであって、これらの割合がいずれも高いことからすれば、先のように計算されるべき昭和五三年から同五五年までの各年度末の未収利息金額は、逐年増加していると推測することは難くなく、本件で検察官によって確定され原判決が是認した所得金額が、本来課税の対象となる収入すべき金額を上回ることはないものと断じることも不可能でなく、たとえそれを上回ることがあったとしても、各年度の原判決認定の所得金額に対してその額はわずかにとどまると推認することができる。」(以上原判決一六丁表末尾ないし一八丁表)

「なお、未収利息を計算しなかったことが、たとえ原判決認定の各年度の総所得金額に誤差を生じさせることがあったとしても、それは極く僅かであることは、前述のとおりであるから、この未収利息の非計算による所得金額の誤差の点を右の点に併せ考慮しても、同じく判決に影響を及ぼすものではないといえる。」(以上原判決二〇丁表、裏)

と説示している。

第二 原判決の違法

原判決は右説示のとおり一般に経験法則として認められていない独自の見解によって、本件各年度末の未収利息の金額が当該年度の期首の未収利息を上回るものと推認することによって事実を誤認している上、右推認そのものが法令の解釈を誤ってなされた違法なものであるとともに、「検察官によって確定され原判決が是認した所得金額(収入金額の誤りと思われる)が、本来課税の対象となる収入すべき金額を上回ることはないものと断じることも不可能ではなく、たとえそれを上回ることがあったとしても、各年度の原判決認定の所得金額に対してその額はわずかにとどまると推認することができる」とか「未収利息を計算しなかったことが、たとえ原判決認定の各年度の総所得金額に誤差を生じさせることあったとしても、それは極く僅かである」などと判示して刑事訴訟の大原則である「疑わしきは被告人の利益に」に反するどころか、「疑わしきは被告人の不利益に」という見解を示していることは、適正手続きを保障した憲法三一条に違反し、かつ、所得税法違反事件については、実際所得額、税額を確定することを要するとしている最高裁判所の判例と相反する判断をしているのである。

以下これを説明する。

一 事実誤認

原判決は前記のとおり、まず検察官も弁護人も争点にしていなかった新規開店店舗の貸金残高が各年度末の全店舗の貸金残高に占める割合いや、前年度比増加分に占める割合いを、その算定方法も示さず独自の計算で算定し、その算定結果にしたがうと「未収利息金額は逐年増加していると推測するに難くない」としている。

どの店舗を新規開店としたのか不明なので、その数値について是非は不明であるが、原判決の計算した各種割合いが、そのとおりであると仮定しても、それだけで「未収利息が逐年増加している」との推測が合理的であるとの根拠は全くない。

原審弁護人が一審、原審を通じて、縷々説明しているとおり、未収利息は約定貸付金が増加しているからと言って、増加しているとは判断できないのである。

原審で検察官と原審弁護人が論争した恭栄クレジットも逐年約定貸付金残高が増加している(昭和五九年一〇月一六日付原審弁護人作成控訴趣意補充書、特に原審記録四三七丁裏参照)。貸付金残高が増加するということは、サラ金業界では危険負担を考慮し顧客一人当り貸付限度を制限しているから、一般に新規貸付数が増加しているものである。

新規貸付数が増加することは、新規開店による新規客増加と同じである。

したがって、右恭栄クレジットの例と被告人の例とは同じようなものと考えるのが妥当であろう。前記原審弁護人作成控訴趣意補充書の子細な御検討を切願する次第である。

よって考察するに、まず原審の算定した新規店舗における貸付金の増加や、全店舗に占める増加割合い等は、その計算根拠が不明である上、それだけで、被告人の未収利息が逐年増加していると断定できる合理的根拠に乏しい。原審判決がした推認による認定は全く恣意的なものというべきであって、法の予想する事実認定の名に値しないものであり、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があるといわなければならない。

判決例を見ても東京地方裁判所昭和五四年一月一六日判決(税務訴訟資料一一一号一頁)によると、刑事裁判においては所得税法一五六条の推計程度では所得の存在について証明十分とは言い難く、一応の蓋然性の程度をもってしては足りないと断じている。

けだし刑事裁判の鉄則からすれば当然の理である。

原判決のように「断じることも不可能ではない」とか「上回ることがあってもわずかである」というに至っては、立証責任の所在に関する刑事裁判の原則を頭から否定した暴論というほかはなく、かかる見解に立つ原判決の認定は事実誤認の最たるものである。

二 推認の違法性

そもそも刑事裁判において、所得計算上の推認ないし推計が許されるのは、計算をするための証拠がない場合に限るのである。仙台高裁昭和五二年一二月二二日判決(税務訴訟資料一〇〇号一八三九頁)もこのことを明言している。

もともと課税標準額の算定は、実額によってなされるのが本来の姿でなければならない。すなわち、課税標準額は、課税対象となる一定期間の収入・支出を具体的な直接の資料によって正確に把握し、これに基づいて算出される一定金額でなければならない。ただ、事実問題として課税標準額を調査・算定することが不可能であって、実額の把握ができない場合にのみ、納税義務者の財産・債務の増減の状況、収入・支出の状況、取扱量、従業員数、事業の規模等の間接資料により課税標準額を推計することが許されるにすぎない。もとよりこの推計の方法は合理的なものでなければならず、また証明の程度も合理的疑いを越えるものでなければならないことは言うまでもない。

ところで本件では、推計・推認方法によらなくとも、未収利息を計算しようと思えば、その資料は全部揃っているのである。したがって、計算をするための資料が全部あるのに、その具体的な検討をしないで勝手な推認・推計をすることは許されから、これを許されると解してなした原審の判断ないし事実認定には判決に影響を及ぼすべき法令の解釈を誤った違法がある。

三 憲法違反

原判決は前記のとおり、要するに「一審判決の是認した検察官計算にかかる収入金額は、本来の収入金額を上回ることはないと断じることも不可能ではない。」とか「たとえ上回っても所得金額に大した影響はないと推認できる」などと言うのである。

弁護人が今更いうまでもないが「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を原審はどう考えているのであろうか。かような判決はこれまで寡聞にして見聞したことがない。

憲法三一条の法文上は「法律の定める手続き」が保障されているに止まるけれども、この憲法はアメリカ法の影響のもとにつくられたもので「適正な手続き」が保障されているものと解されている。

刑事被告人に対する司法、警察権力の行使の制約を定め、犯罪事実の立証責任を原則として国側に負わせた憲法の精神に照らせば、「疑わしきは被告人の不利益に」とする原判決が許されないことは言うまでもなく、かような判決が憲法三一条に違反することは明白である。

そしてまた、未収利息の算定について、これをするに十分な資料があるのにかかわらず、国税査察官及び検察官が調査、捜査中、弁護人の未収利息計算の要請を却けてことさらこれをせず、また、裁判所においてもその点の審理を尽くすことなく、資料があるのに、その資料によらない勝手な推計・推認によって刑罰を科したことは憲法三一条にも違反しているというべきである。

四 最高裁の判例と相反する点

1 最高裁昭和三八年一二月一二日判決(最高裁判例集一七巻一二号二四六〇頁)は旧所得税法六九条(現二三八条)に関し「(同法条)の犯罪事実については、……免脱した所得税額をも認定判示することを要する」との判決要旨の下に、「所得税法六九条一項前段のいわゆる所得税逋脱罪は、所得税の納税義務ある者が詐欺その他の不正な行為をもって、納税義務の履行を怠り(いわゆる逋脱行為)、その結果、税金を免れることにより成立する犯罪である故、その犯罪事実を認定するにあたっては、逋脱の犯意や逋脱行為にとどまらず、その行為により履行を免れた所得税額をも認定することを要すると解すべきであるところ、原判決は、被告人の逋脱の犯意および逋脱行為を認定しているものの、逋脱の結果については単に『同年分の所得金額は八八二、〇〇〇円をこえていたにかかわらず云々』と判示しているのみであって、逋脱にかかる所得税額を判示していない。かかる判示の程度では、逋脱の結果の認定としては不確定かつ不充分であるというべく、原判決はこの点に理由不備の違法がある。また、原判決は、第一審判決が否定した昭和二九年度期首における手持現金、売掛金、および借入金について、正確には確定することはできないが、相当額のものがあったことを推認できるとしている反面、同年度期末の右各課目の金額については判示するところがないので、したがってその相当額は全額同年度の財産増減の表中減の方に加算されてしかるべき金額である。しかるに原判決は、単に漠然と相当額と推認しているのみであって、その金額を確定するところがないから、右金額の如何によって、被告人の所得金額は、あるいは被告人が確定申告書に記載した所得金額よりも少額であるやも知れず、被告人にとって有利な金額であることを疑い得る余地があり、その認定が不明確であることを免れず、このような認定にとどまった原判決には、審理を尽さなかった違法があるというべきである。」旨判示し、

最高裁同四五年九月一一日判決(税務訴訟資料六四号二八六頁)は、前同様、実際所得額を確定しないまました有罪判決に対し「旧所得税法六九条二項は、同条一項の『免れた又は還付を受けた所得税額が五百万円をこえるときは、同項の罰金は五百万円をこえその免れた又は還付を受けた所得税額に相当する金額以下となすことができる』と規定しているところ、『五百万円をこえその免れた又は還付を受けた所得税額』は当該被告事件の裁判において認定されることによって特定されるものであるから、罰金の最高限度額が定まっておらず刑の量が特定されていないということはできない。」旨判示している。

2 ところが原判決は前記のとおり、未収利息を算定するに足る十分な資料があるのにかかわらず、合理性のない独自の見解に基づく推計計算をした上、一審認定の収入金額が実際収入金額(未収利息算入)を上回ることがあっても僅かであるから、そのことはとるに足らないという趣旨の判示をしている。

所得税法二三八条二項によれば、罰金刑の上限は、ほ脱税額であるから、免れた所得税額を確定する必要があるとするのが前記最高裁判所の判例であるので、所得税額を確定しなくともよいとする原判決が最高裁の判例と相反することは明らかである。

また、免れた所得税額が五〇〇万円をこえたときの罰金刑の金額の上限は、裁判所が認定したほ脱税額に相当する金額とされているのであるから、前記法条項は裁判によって補充される一種の白地刑罰法規であるといってよいであろう。従って、ほ脱税額の認定に事実誤認があれば、それは即、法定刑の誤りに直結する筋合いであり、法的に間違った罰金額(上限)の幅を前提にした刑の量定が、判決に影響を及ぼす法令の違反であり、著しく正義に反することも、多言を要しないところである。この理は、未収利息についての認定の誤りについて言えることであるのみならず、次の上告趣意第二点において述べる貸倒損失についての認定の誤りについても同様に妥当することである。

第二点 貸倒損失について

第一 原判決の判断

原判決は、原審弁護人が遅くとも昭和五五年分の貸倒損失として認むべきであると主張した昭和六〇年九月一一日付控訴趣意書訂正申立書添付の第一表、第二表(同六一年二月五日付控訴趣意書訂正補充申立書添付訂正表Ⅰ及び同Ⅱによる訂正後のもの)及び同申立書添付の第三表(記録四九三丁ないし四九五丁)に記載の総額八二、五三二、八三三円(原審弁論要旨、記録五一五丁参照)に対し、最終入金後一年を経過したもの及び債務者に対する破産宣告がなされたもの、並びに債務者との間で債務不存在が確認されたもの等貸倒損失を認めるべき形式的基準に合致したもののみの合計一四、八二五、〇〇〇円を新たに貸倒損失と認めたのみで、弁護士介入、調停申立、本人所在判明等の事実があるときは、最終入金日後一年を経過したものでも貸倒損失と認める必要がないなどと説示して、法令の解釈適用を誤ったほか、債務者が債務の支払いができない状態であったかどうかという事実には全く触れないまま弁護人の主張を排斥した。

第二 原判決の違法

1 法令違反(審理不尽)

原判決は前記のとおり、原判決が貸倒損失を認めるべきとする形式的基準に合致した債務者に対する債権についてのみ貸倒損失を認めたが、債務者において支払いができない状態であったかどうかという実質的貸倒理由の存否については、何ら判断することなく弁護人の主張を排斥している。

原審弁護人は、昭和六〇年九月一一日付控訴趣意書訂正申立書により、控訴趣意書添付の一表及び二表を訂正し、更に同六一年二月五日付同様申立書によりこれを訂正補完して貸倒損失を認めるべきそれ相当の理由を示し、被告人も弁護人請求証拠番号(以下「弁」という)四七八号貸倒調査表(記録原審六〇四丁ないし六四〇丁)及び弁四七九号調査担当者一覧表(記録原審六四一丁ないし六四八丁)を作成提出し、貸倒損失に計上すべき債務者ごとの貸倒損失を認めるべき理由並びにその理由の存否等を調査した者の氏名を列挙して、貸倒損失認容理由の存否の判断資料を提供したのである。

しかるに原審は、前記のとおりの形式基準に合致する債務者についての貸倒損失は認めたが、債務者が支払能力を失っているかどうかという、実質的な貸倒損失を認容すべき理由があるか否かについては、全く無関心で、検察官に捜査を要請することもなく、職権で取調べることもしなかった。

例えば原審記録四五一丁の進行番号2番の石川忠彦の件についてみれば、被告人の調査結果によると「本人、保証人とも五五年九月頃より行方不明」と記載されている。債務が六四、〇〇〇円のサラ金債務者らが行方不明となったのであれば、一応その債権の取立は非常に困難となったであろうことは経験則上明らかである。もっとも、被告人側では、債務者等で行方不明になった者については原則として追跡調査をしていたこと、なかにはその結果所在が判明し、若干の金員の回収ができていた例もあるから、行方不明になったというだけでは直ちに貸倒損失と認められない(検察官や裁判官の見解)と言えないこともない。

しかし、行方不明になったままのもあれば、行方不明当時債務の支払いが既に全く不可能になっていた者もある筈である。

したがって、石川のような事例では、昭和五五年中に、支払不能の状態になっていたのかどうかを十分に調査した上で、貸倒損失を認めるかどうかを合理的に判断すべきである。

原審記録四五一丁について見れば、原審が貸倒損失を認めたのは進行番号1、21、23のみである。

しかし、そのほかの債務者につていは、被告人の調査結果を見る限り、すべて、五五年中に債務者が支払能力を失っていたかどうかの実質判断をすべきものばかりである。

特に番号一六の永田芳一は「五四年中に破産宣告、配当なし」とある。右永田についても何等の実質的調査はなかった。

四五一丁以外の債務者についても、ほぼ同様の事実が認められる。そもそも貸倒損失を含め、必要経費について弁護人、被告人において一応の主張、立証をすれば、その不存在について厳格な証明により検察官が立証すべきものである。

甚だしい審理不尽というほかない。

2 法令の解釈適用の誤り

原判決は貸倒れを認めるか否かの一般的基準については「検察官が本件貸金債権の貸倒れを認めるか否かを判定するに当って基準として採用し、原判決が是認したものの適否、特にそれが被告人にとって不利益となっていないか否かを検討する」(べきである)旨説示している(原判決八丁裏)。しかし原判決はその基準の趣旨に沿って事実関係を具体的に検討して被告人に不利益になっていないか否かを誠実に判断した形跡は全くない。

(一) 四ヵ月基準について

原審弁護人が最終入金日より四ヵ月間元利金の入金のない債務者にかかる債権については貸倒れを認めるべきであると主張しているのは、サラ金業界の常識である。

サラ金業者から督促を受けながら、四ヵ月も全く支払いができないというのは、支払い能力がないと見るのが社会的常識にも合致する。

原審記録四一九丁の読売新聞によると、被告人よりも規模の大きい(貸出金利が被告人方よりも安いということでもある)業者でも三ヵ月の焦げつきで貸倒処理をしているというのである。

貸金の回収が不能かどうかは社会的常識で判断すべきである。

何万円あるいは何十万円かの貸金に対して、千円や二千円の入金は、回収とは言えない。

そのような支払いしかできない債務者は支払い能力を全く失ったと判断するのが社会的常識である。加えて原審弁護人は四ヵ月も入金できないのは、支払能力を失っているという実質的貸倒理由に該当することをも主張していたのである。

このことは原判決九丁表の記載によっても明らかである。ところが原判決は、昭和五五年中に貸付け又は入金のあるものについては貸倒れを否定したことは税法の趣旨に反し被告人に不利なものとは言えないという。(原判決一〇丁表)

昭和五五年に入金があったり、同年に貸出をしていても、債務者が同年中に破産宣告を受けるのもあれば、そこまでに至らなくとも支払不能という実質的貸倒損失認容基準に該当する者もいるのであるから、同五五年中の入金や貸出のみをもって一律に貸倒れを否定するのは誤りである。

(二) 弁護士介入について

原判決は「弁護士が介入しても、必ずしも債権不存在の確認に終ることはなく、残存債権の回収の見込みが生じることもあるのであるから、弁護士等の介入の事実があったときは貸倒れを認めるのに妨げとなる事由となるものといわざるを得ず」と判示する。

念のために説明を加えるが、これは、入金がとだえて、弁護士介入がなければ、そのまま一年を経過していて、昭和五五年までの貸倒れと認められるのに、その途中で弁護士介入の事実があれば、その期間は中断して、弁護士介入があったときから一年間入金のない期間が経過しないと貸倒れと見るべきではないというのである。

全く理解に苦しむ法解釈である。不当極まるというほかはない。

(三) 調停について

(四) 所在判明について

右(三)(四)とも弁護士介入と同様、貸倒を認める妨げとなると原判決は言うのである。(二)同様不当な法解釈というほかない。

(五) 債務者の破産について

原判決は債務者が破産の申立をしただけでは、貸倒事由とならず破産宣告を必要とするというのである。

サラ金債務者が破産の申立をすれば、支払能力、支払意志のないことは社会的に明らかと言えるのではないか。

税法は社会の経済活動に基礎をおくものであるから、経済界の常識で判断すべきであって、科学的・法律的に絶対的なものを求めるべきではない。

原判決は科学的・法律的に絶対的なものを求めている。

大阪地方裁判所昭和四〇年七月三日判決(税務訴訟資料四一号八二二頁)も破産手続き等の開始をもって、貸倒れを認めるべき時点としている。同旨の判決例も多い。

原判決のこの点に関する法令の解釈も不当に被告人に不利益なもので妥当を欠く。

(六) 利息制限法超過について

原審弁護人は、利息制限法超過については、これのみを理由とするものではなく、これと同時に支払能力のなくなっていることを同時にあげている。(原審記録四五一丁ないし四八四丁参照。また、同四五〇丁のD欄の説明にHも含む旨説明している)。

原判決の判示はこれを無視したものである。

第三点 経費について

原審弁護人豊島時夫が主張した必要経費の過少認定について原判決は「記録によれば、それらについてはいずれも、被告人の貸金業の維持運営との関連性も薄く、またそのために必要なものであったとも認められず、いまだ必要経費と認めることはできない」と説示する。

記録を検討すると、原審立合検察官大井恭二はその答弁書において「当該支出は被告人の家事関連費の支出が記録された雑綴中にあったものであり、かつ、その記載者である高辰範に対する質問調査の結果右雑綴りは家事関連費が記載されているものと認められること、また……各支出は事業遂行上必要な経費とも認め難い」旨答弁(原審記録四二九丁裏ないし四三〇丁表)するところ、高辰範の質問てん末書(検八二号)によると、問六において同人は「雑綴に書いてある諸経費は、当店と社長の家事関連費である」旨供述しているが、高辰範が家事関連費なる税法用語を知っていたか否か甚だ疑問である上、「当店」の家事関連費なるものはあり得ないのにこれも含むと供述しているのに対し、一方被告人は検一〇九号問六において「事務所経費等です」と供述していて両供述は食い違っているのであるから、必要経費か否かは、各支出が事業経営に必要なものであったかどうかを証拠に照らして具体的・実質的に判断すべきものである。これを検討する労を避けることは許されない。

一 昭和五三年七月一一日支出の「お中元」三万円について

被告人尋問の結果(原審記録六八三の一二二丁)によると(以下同様)、これは顧問税理士と吉川氏に対するものであるとのことである。顧問税理士や仕事で世話になっている吉川氏に合計で三万円のお中元を贈るのは社会的儀礼として相当であり、事業遂行上必要なものと税法上も一般に認められているところである。検一七号のP/L元帳にはこれの支出は記載されていない。顧問税理士らのところに中元、歳暮を贈るのは当然のことであり、これを否認できる根拠はない。

二 同五四年

1 二月一六日の「吉川コトの入学祝」一五万円

仕事や納税で世話になっている人に対して、何億円もの所得のある被告人が一五万円くらいの金員を贈るのは事業遂行上必要である。

2 四月二九日の「新築祝」

被告人がサラ金業を始めるに当って世話になったローンズ江坂の社長(中堅サラ金業者)の新築祝であり、同業者のオーナーの新築祝に八万円くらいの置物を贈るのは、当然のことであり、このような贈物は慣習上接待交際費として税務行政上も一般に認められているところである。

3 七月二三日の「お中元」

右一のお中元三万円と同じだというのである。必要経費に算入するのが当然である。

これを否定するのは常識はずれである。

4 一一月一三日の「韓国大阪青年会議所」六万五千円

被告人の供述によると、同会議所には、韓国人の事業経営者や金融機関の幹部が入会していて、事業上の情報を得る利益があるという。その会議所に入会するのは事業経営上有益かつ必要であり、そのための入会金であるから、必要経費に算入すべきは当然である。

ロータリークラブなどに入会するのとは性格を異にする。

三 同五五年

1 三月三一日の「大阪JC会費」八万五千円

JCとは青年会議所の意味であるとのことである。

前記二の4同様必要経費に算入するのは当然である。

2 一一月四日の「JCパーティ費用」一万円

このような費用を企業の接待交際費に算入することは税務行政上一般に認められているところであって、否認する理由は全くない。

以上のとおり、前記各支出は、税務行政上も企業の交際接待費として一般に認められているところであって、これを必要経費でないと判断した原判決は経験則にも反し、法令の解釈を誤り、かつ事実を誤認したものである。

第四点 損益計算と財産計算の不突合について

原判決は、昭和五三年分については、損益計算方式による所得額よりも財産増減計算方式による所得額が少ないから、被告人に有利な計算である財産増減計算方式による所得額を採用すべきである旨の弁護人の主張に対し「本件においては損益計算法による計算が困難又は不合理であるとは認められず、却って財産増減法による計算については、その基礎となる資料に不十分な点があり、その正確性に疑問がある」として弁護人の主張を排斥した。

しかしながら、検一一一号被告人の質問てん末書問九ないし一一によると、被告人は資金に余裕のある店舗から適宜資金を持出して、接待交際費や交通費等に充てていたことが窺われるところ、問一二によると、同五三年においては、各店から金員を持出してもこれを記帳していなかったとのことである。検察官の冒頭陳述書添付の調査所得(損益計算)の説明書を見ても同五三年分は推計に基づく経費を計上しているのがほとんどである。

しかも、検察官が認めた経費は、被告人の営業規模にしては異例の少なさが目立つ。

例えば、接待交際費も少額であって、新規開店にともなう同業者への挨拶、交際等には少なからざる出費を必要とするなど、各種方面へのこの種支出は相当な額に達する筈であるのに、認定された数額は少ない。

通信費でも、各電話局へ直接支払ったものしか計上していない。被告人のように、全国に店舗を開設していれば、出張の際公衆電話などからの通信費も相当多額な筈であるが、これも計上されていない。

このように、特に同五三年分については損益計算法による計算は推計部分が多い上、各費を過少にしか認めていない疑いが極めて濃厚である。

一方、財産計算法による資料が不十分である証拠はどこにもない。

原審において米田証人は、証拠は十分あった旨証言している。

こうしてみると、原判決の右判断は事実誤認に基づくものであって不当である。

以上、第一点ないし第四点において述べたように、原判決には表見的・形式的推論による違法な事実判断・認定と論理法則・経験法則の無視とが顕著に見受けられる。その結果、刑事裁判に要求される地道な具体的資料・証拠による実質的な真相追求の努力がおろそかにされた。憲法上の基本的要請である適法手続への配慮が欠落し、そのため、ひいては事実誤認をもたらしたものといわなければならない。原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。

第五点 量刑不当

原判決は被告人にいくたの有利な情状があることは認めながら、懲役刑につき執行猶予を付するのが相当とは認め難いとして執行猶予を付さなかった。

被告人の情状は他の同種事例に比し、格段に軽いものがあるのにもかかわらず、執行猶予を付さなかった原判決の量刑は過酷に失する。

その理由の大略は原審における控訴趣意書、弁論要旨に詳述しているところであるが、なお若干補充したい。

原判決は、所得税の高い累進税率、税負担の不均衡、脱税の摘発と刑事訴追の不平等などについての原審弁護人の詳細な説明に対し「一般論としてはともかく」として「被告人の場合は必ずしも当てはまらず、特に酌むべき事情とはなし得ない」と判示する。量刑については、背景事実も考慮するのが当然であるのに、原判決は不当な高率累進税率、税制執行面での不公平などについて、被告人については必ずしも当てはまらないから考慮しないというのである。

なぜ、被告人の場合必ずしも当てはまらないと言えるのか、合理的な根拠は考えられない。

被告人の場合、特に考慮さるべきことは近所に住むサラ金業者中村貞一氏が、被告人とほぼ同じ時期に、ほぼ同額の脱税をしていたことが発覚しながら、中村氏については修正申告だけで処理され、一方被告人は身柄を拘束起訴され、多額の罰金刑のほかに懲役刑につき実刑に処せられる判決が宣告されているということである。

甚だ失礼ではあるが、もし裁判官の親類にでもかような不公平な処分を受けた者がいたとすれば、どのような感情を持たれるであろうか。

あまりにも不公平な処遇は、刑の目的とする被告人の改善に役立つどころか、裁判所や為政者の不公平に深い恨みを抱かすのみではなかろうか。

裁判は公平でなければならないが、その公平は起訴された者だけについての公平ではなく、広く起訴されなかった者も含め、全体の比較衡量の上に立った社会的な公平を基準とすべきである。近時の量刑の一般的傾向からすれば、被告人の高額脱税額だけで実刑相当という安易な考え方を採る方が無難ではあろう。

しかし、最近の厳刑判決がその理論的根拠とする申告納税制度を神聖視する誤りは原審弁護人が詳述しているとおりであり、被告人については査察調査に当った査察官米田福雄氏が、被告人ほど正直に記帳し、その帳簿も隠すことなく、不正手段を全く弄していなかった事例は他にないと証言していること、所得ありとは言いながら、その実質財産は砂上の楼閣に等しいサラ金債権であったのを被告人が営々として努力して現金化し、所得以上に登る税金を納税していること、被告人は身柄を拘束中に検察官の要請により、貸倒等所得金額に不満を抱きながら、原審弁護人の指示を受け、検察官要請の金額どおり修正申告をしたが、その申告金額は原審で認められた貸倒金額だけでも分るとおり、不当に高額なものであったこと、なお、右申告金額が不当に高額なものであったことが分っても修正申告をしているから、これを是正して超過納税分を還付して貰う法的手段がなく、被告人としては泣き寝いりをするほかはないことなども考慮するならば、被告人に対し、更に懲役刑につき実刑を課することはあまりに過酷な、かつ不公平な処分であって、著しく正義に反すると言わざるを得ないと確信する。

以上

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