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最高裁判所第二小法廷 平成5年(あ)488号 決定

国籍

韓国(慶尚南道統営郡光道面安井里二五一番地)

住居

神戸市垂水区千鳥が丘三丁目八番二七号

飲食店業

李武龍

一九二六年九月二七日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成五年四月二七日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人中務嗣治郎の上告趣意は、違憲をいう点を含め、その実質は量刑不当の主張であって刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 木崎良平 裁判官 大西勝也)

平成五年(あ)第四八八号

○ 上告趣意書

被告人 李武龍

右の者に対する所得税法違反被告事件について、上告趣意を次のとおり述べる。

平成五年七月七日

弁護人 中務嗣次郎

最高裁判所第二小法廷 御中

一 原判決が、被告人に対し懲役一年六月の実刑判決のほか罰金刑として一億五〇〇〇万円を併科し、右罰金を完納することができない時は、金四〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することを言渡したが、この判決は、憲法第三六条の残虐な刑罰を厳禁する規定に反する。

憲法第三六条の残虐な刑罰とは、単に刑罰自体の残虐性を意味するだけでなく、認定された犯罪事実及び被告人の情状に比較して判断すべき相対的な概念であると解すべきである。それは、刑の量定が著しく不当であるという概念とは別個のもので、犯罪事実に比較して、刑の量刑不当では論じられない程その不当性が重大になった場合には、その刑罰自体を残虐な刑罰として捉えなければならないと考える。

ところで、所得税法違反事件で罰金刑を併科されるのは、脱税犯から脱税額を剥奪し、脱税が経済的にも割の合わないものであることに根拠を置いている。従って、被告人に不正収益の蓄財がありそれだけの経済的負担能力がある場合に有効に機能する。ところが、本件事案のように、株売買による利益が株投資資金の調達金融機関に対する利息金の支払や次の株投資資金に投入され、それが結局、株式の暴落で、かえって莫大な損失を被ったような事案では、脱税による不正利益は存在せず、その支払能力は皆無であって、罰金刑の併科は実質的には労役場に留置する拘禁刑に変質するのである。

本件では、一日に四〇万に換算して労役場に留置する旨宣告されているが、現在の社会で一日の労役の対価が四〇万円にのぼる業務は現実には存在せず、本判決は、当初から、被告人を三七五日間労役場に留置することを内容とするものにほかならない。

これは、罰金刑併科の法の趣旨がその本来の目的から逸脱し、自由刑たる懲役刑に拘禁刑を附加する結果になっている。

本件事案で、懲役一年六月と労役場留置一年一〇日の拘禁の合算は、本件事案に比較して相対的に被告人に対し著しく過酷な刑罰となり、憲法第三六条の残虐な刑罰の禁止の条項に違反するといわなければならない。特に、本件では被告人の妻が、尿毒症のため通院のうち週三回人工透析の治療を受けているところ、看病に被告人が専属的に従事しており、被告人に対し、実質的意味のない罰金刑の併科は、妻の看病自体を長期間不能にさせ、人道的にも忍び難い結果をもたらすのである。

二 前項のように、罰金刑併科の法の趣旨がゆがめられて適用され、被告人及びその家族に過酷な制裁ととりかえしのつかない結果を強いる刑罰は憲法第一三条の個人の尊重、生命自由、幸福追求に対する基本的人権を侵害すると共に、憲法第二五条の生存権をも侵すものと考える。本判決は、この点でも憲法違反がある。

三 仮に、原判決に右に述べたような憲法違反がないとしても、原判決には刑事訴訟法第四一一条第二号にいう刑の量刑が著しく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、本件事案の背景、内容、情状を充分検討され、同法に基づいて原判決を破棄されるよう求める。

著しく量刑不当な事情は次のとおりである。

(一) 犯行後の法改正について

本件公訴事実の対象となっている株式及び債権の所得税額は、現行法の分離課税の税制で算定した場合は、金一億五七二四万四六二一円である。

すなわち、現行租税特別措置法によって本件所得税を計算した場合には、本件株式及び債権の売買に関する税額は、合計金一億五七二四万四六二一円に過ぎず、本件公訴事実の脱税額をはるかに下回るものである。

この株式等売買による分離課税税制は、平成元年四月一日以降の株式売買に適用され、公訴事実の直後から改正・施行されたものである。すなわち、証券業者に委託して行う上場株式等の譲渡による所得については、納税者の選択により、源泉分離課税とすることができ、その税率は、株式等の譲渡金額の一%(転換社債等については〇・五%)となっている{二〇%の源泉分離課税であるが、株式等の譲渡による所得の金額は譲渡代金の五%(転換社債等にあっては二・五%)相当額とされたため、結果的には譲渡代金の一%(転換社債は〇・五%)となる}。

これらの改正は有価証券取引の適正な譲渡益課税方式として採用されたもので、以後この税制が適用されているのである。

従って、税制改革直前の有価証券売買による譲渡益の所得税額について、法律上は旧法の適用をうけて納税すべき義務があるとしても、これを刑事罰として処罰すべき場合には、その政策変更及び現行法上の有価証券譲渡益課税の法制を充分配慮しなければならないはずである。

すなわち、被告人の脱税額が、犯行当時の税制のもので計算されるべきであるとしても、その税制が抜本的に改正されて、裁判時においては、脱税額が犯行当時よりも極めて少なく評価されるものである以上は、法律の適用の時間的平等の見地(日本国憲法第一三条の包括的基本権、第一四条の平等権、第三一条の適正手続の保障から導かれる法適用の時間的平等)や、刑法第六条(犯罪後ノ法律ニ因リ刑ノ変更アリタルトキハ其軽キモノヲ適用ス)の法の趣旨からは、量刑上は被告人に充分考慮しなければならない。

(二) 修正申告の所得税本税を完納していること

被告人は、本件公訴事実にかかる所得税本税金七億二七五四万三一〇〇円を完納している。

すなわち、平成二年一〇月二二日、本件公訴提起前に本件公訴事実に相応する修正申告を自発的に行ない、本税合計金七億二七五四万三一〇〇円を納付している。

これは、当時被告人として取得株式の値下がり等により、大幅な損失を受け、経済的にも極めて窮乏していた事情があるにもかかわらず、本件事件に対する反省と改悛の意を込めて、銀行からの借入、、あるいは子息、結婚して他家へ嫁いでいる長女等の援助を受け、この税額を捻出して支払ったものである。

被告人の当時の資力からすれば、これは極めて過大な負担であり、被告人の親族は右借財のため、苦しい生活の負担を強いられている。この上、罰金刑の併科、実質的な拘禁刑の加算は、量刑が著しく不当になっているといわなければならない。

(三) 本件株式売買による実質的利得について

本件株式等の売買については、被告人の株式売買を全期間通算した総精算金額からすれば、全体として莫大な損失を被っている。

すなわち、通年で計算し、評価損を計上すれば利益どころか損失になるにかかわらず、個人税制上は単年度で計算され、損失の繰り越しも認められず、評価額も計上されないため、本件について本税だけで七億円以上の課税が発生する結果になったものである。これは単に、現行法の計算方式の結果、そのような処理になったにすぎず、実質的な利益計算の原則から言えば、極めて不合理と言わなければならない。

現在の個人に関する税制の非合理制が結果的には被告人に過大な負担を与えているわけであって、他の脱税事案に見られるような常識的通則は本件では当てはまらないというべきである。

(四) 本件の社会的背景について

被告人が大量かつ長期的に本件株式売買を継続したのは、バブル経済の金融超緩和時代の金融機関の無定見な融資姿勢に大きな原因がある。

本件株式の購入資金は、融資金で賄われているが、これらの融資は、融資を受ける側ではなく、金融機関側から強い融資と株取引の誘因に因り発生し、被告人をその体力と容量を超えた投機の淵に落としこんだものである。その結果発生した結末の全責任を被告人の責に帰するのは、失当である。

法の適用についてはこのような社会的事情も充分に斟酌する必要があることは当然である。

(五) 税理士が関与していたことについて

本件については、被告人本人が申告手続をしたのではなく、全て税理士が関与していたことが証拠上明らかである。この税理士の税務指導が適正に行われていた場合には、長年にわたってこのような脱税が継続しなかったし、本人がこのような深刻な事態にならない前に、株式の取引を断念した可能性が充分にあったわけである。

適正な助言と指導をしない税理士が関与していたことが、本件事件を深刻化させたものと言わざるを得ない。証拠上、当該税理士は本件脱税事件を知り、また容易に知るべき立場にいたことは明白であり、被告人一人がその全責任をかぶり、しかも、過酷な刑罰に処せられるのは、公平公正な法の適用の原則からいって著しく不当であると言うべきである。

(六) 被告人の経済状態について

被告人の現況は、現在でも膨大な株式を保有し、その全株式が株式購入代金の担保として銀行に提供されている。しかし、株式の評価が著しく低下し、その担保不足のために、被告人及び親族の所有する全ての不動産も担保に供されている状態で、それでもなおかつ、元本をはるかに割り込み、被告人は極めて深刻な債務超過状態になっている。このような債務超過の被告人に罰金刑を併科し、罰金刑の立法趣旨を著しく逸脱している量刑は著しく不当といわなければならない。

(七) 被告人の家庭生活の状況

被告人の妻三国和子は、重症の腎臓病を患い、週に三回人工透析を受けなければ命を保つことができない状況になっている。被告人は妻と二人の生活で、人工透析を受けるための送り迎えをほとんど被告人が担当している。被告人に、万一、実刑判決が出て拘束されたような場合は、妻自身の生命維持ができる最低限の看護もできなくなる恐れがある。このような深刻な事態を招来する刑の宣告は、著しく不当というべきである。

(八) 再犯のおそれについて

被告人は、バブルの崩壊により、既に全財産を失い、莫大な債務を負担し、被告人には脱税の再犯のおそれは全くない。

それどころか、被告人は平成四年七月より露天商(ラーメン店)の営業許可を取り、毎日ラーメンの露天営業を営んでいる。一杯数百円のラーメンの売り上げでは莫大な借財の返済に程遠いが、被告人の自責と自らの反省の礎として残された人生を送ろうとしている。以上のとおり、本件では、原判決の量刑は著しく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると言わなければならない。

以上

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