大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成6年(行ツ)153号 判決

②事件

上告人

崔善愛

右訴訟代理人弁護士

橋本千尋

八尋光秀

被上告人

右代表者法務大臣

下稲葉耕吉

右指定代理人

細川清

外一一名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人橋本千尋、同八尋光秀、同木下隆一の上告理由第一の第一点について

我が国に在留する外国人は、憲法上、外国へ一時旅行する自由を保障されているものでないことは、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和二九年(あ)第三五九四号同三二年六月一九日判決・刑集一一巻六号一六六三頁、最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁)の趣旨に徴して明らかである(最高裁平成元年(行ツ)第二号同四年一一月一六日第一小法廷判決・裁判集民事一六六号五七五頁参照)。右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、論旨は採用することができない。

同第一の第二点及び第三点について

原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は採用することができない。

同第二について

一  原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

1  上告人は、昭和三四年一二月一日、大韓民国籍を有する父及び母の長女として本邦において出生した大韓民国国民である。

2  上告人は、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定(以下「日韓地位協定」という。)一条1(b)に該当するものとして、昭和四四年一〇月一日付けで日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(以下「出入国管理特別法」という。)一条の許可を受けて、本邦で永住することができる地位(以下右地位のことを「協定永住資格」という。)を取得した。

3  上告人は、外国人登録法(昭和五七年法律第七五号による改正前のもの)一四条の規定により指紋の押なつが義務付けられる年齢(一四歳)に達した後の昭和四九年一二月二日及び昭和五二年一二月二日に同法一一条一項所定の確認を申請した際には、いずれも、指紋を押なつの上、新たな登録証明書の交付を受けたが、昭和五六年一月九日に右確認を申請した際、区役所職員の度重なる説得にも応じず、指紋の押なつを拒否したため、昭和五八年五月一四日、同法一八条一項八号に該当するとして告発され、同年一一月二六日、同法違反の罪により起訴されて、昭和六〇年八月二三日、福岡地方裁判所小倉支部において有罪判決を受けた。しかし、上告人は、昭和六一年一月四日に外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一一条一項所定の確認を申請した際にも、同法一四条一項の規定する指紋の押なつを拒否し、その後の区役所職員による説得にも応じなかった。

4  法務大臣は、上告人が指紋の押なつを拒否するようになって以降、上告人が、旅行目的を親族訪問とし、渡航先を韓国及び米国としてした再入国の許可申請に対しては、昭和五六年四月六日付けで許可処分をしたが、上告人が、旅行目的を女性コーラス団のピアノ伴奏とし、渡航先をカナダとしてした再入国の許可申請に対しては、上告人が指紋の押なつを拒否している事情を考慮して、昭和六〇年三月一三日付けで不許可処分をした。

5  上告人は、昭和六一年五月三〇日付けで、旅行目的を米国インディアナ大学留学、渡航先を米国、出発予定年月日を同年七月一〇日、再入国予定年月日を昭和六二年七月とする再入国の許可申請(以下「本件許可申請」という。)をしたが、法務大臣は、上告人の外国人登録法違反の状態が依然として継続し、しかも、翻意の可能性が認められないことなどから、同年六月二四日付けで右申請に対する不許可処分(以下「本件不許可処分」という。)をした。

6  上告人は、再入国の許可を受けないまま、同年八月一四日、インディアナ大学留学のため米国に向けて本邦から出国した。その結果、上告人は、協定永住資格を喪失するに至った。

7  上告人は、昭和六三年六月二八日、我が国の査証を受けないで米国から本邦に入国しようとして上陸の申請をしたが、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)七条一項一号に規定された上陸のための条件に適合していないと認定されたため、同法一一条に基づいて法務大臣に対し異議の申出をしたところ、法務大臣は、同法一二条一項三号に基づき上告人に対して上陸を特別に許可するとともに、同法四条一項一六号、出入国管理及び難民認定法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号の在留資格及び在留期間一八〇日を付与した。

8  上告人は、右在留期間の更新を受けた後、平成元年一二月には在留期間六か月を付与され、平成二年六月には定住者として在留期間一年の指定を受け、平成三年九月にも定住者として在留期間一年の指定を受けた。上告人は、平成元年八月及び平成二年一〇月の二回にわたり指紋の押なつを拒否したが、昭和六三年七月、平成元年一月及び平成二年六月の三回にわたり再入国の許可を受けている。

9  上告人は、出生以来本邦に居住しており、義務教育課程を経て私立の高等学校を卒業後愛知県立芸術大学音楽学部器楽科(ピアノ専攻)に入学し、同大学を卒業後、同大学大学院修士課程音楽研究科器楽科(ピアノ専攻)に進み、昭和六〇年に同大学院を卒業したが、同大学院に在学中、米国インディアナ州立インディアナ大学大学院の教授の知遇を得て、その指導を受けることになり、昭和六一年四月に同大学院音楽研究科(ピアノ専攻)の入学許可を得た。上告人がした本件許可申請は、インディアナ大学における右の留学目的を実現するために行ったものであった。

10  他方、被上告人においては、当時指紋押なつ拒否者の数が増加する傾向を示していたことから、その対応策として、外国人登録法の一部を改正する法律(昭和五七年法律第七五号)の施行(同年一〇月一日)を機に、指紋押なつ拒否者に対して原則として再入国の許可を与えない方針が打ち出され、本件不許可処分も、右方針に基づいてされたものであった。また、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、在日外国人団体において、指紋押なつ制度反対の意思の表明方法として、登録証明書の切替交付に際して指紋を押なつしない意向を示し、当局の説得期間中も押なつを拒否する、いわゆる留保運動を展開したため、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢にあった。

11  昭和六二年法律第一〇二号による外国人登録法の改正により指紋の押なつ義務は原則として最初の一回のみとされ(同法一四条一項、五項)、さらに、平成四年法律第六六号による外国人登録法の改正により、協定永住資格を有する大韓民国国民につき指紋押なつ制度が廃止された(同法一四条一項、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法三条)。

二  右事実関係等に基づいて、本件不許可処分の適否につき検討する。

1  一般に、出入国に関する事務は国際法上国内事項とされていて、外国人の入国にいかなる条件を課するかは専らその国の立法政策にゆだねられているところ、我が国の出入国管理及び難民認定法は、再入国の許可を受けて本邦から出国した外国人に限って、当該外国人の有していた在留資格のままで本邦に再び入国することを認めるものとしている。そして、再入国の許可の要件について、同法二六条一項は、法務大臣は、本邦に在留する外国人(同法一三条から一八条までに規定する上陸の許可を受けている者を除く。)がその在留期間(在留期間の定めのない者にあっては、本邦に在留し得る期間)の満了の日以前に本邦に再び入国する意図をもって出国しようとするときは、法務省令で定める手続により、その者の申請に基づき、再入国の許可を与えることができる旨規定するのみで、右許可の判断基準について特に規定していないが、右は、再入国の許否の判断を法務大臣の裁量に任せ、その裁量権の範囲を広範なものとする趣旨からであると解される。なぜならば、法務大臣は、再入国の許可申請があったときは、我が国の国益を保持し出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状況、渡航目的、渡航の必要性、渡航先国と我が国との関係、内外の諸情勢等を総合的に勘案した上、その許否につき判断すべきであるが、右判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないものだからである。

右のような再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の性質にかんがみると、再入国の許否に関する法務大臣の処分は、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法となるものというべきである(最高裁昭和五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁参照)。

2  以上の見地に立って、本件不許可処分に係る法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法であるか否かにつき検討する。

前記事実関係等によれば、本件不許可処分は、協定永住資格を有する上告人が、渡航先国である米国における大学留学を旅行目的として本件許可申請をしたのに対し、被上告人が指紋押なつ拒否者の増加という事態に対する対応策として打ち出した指紋押なつ拒否者に対しては原則として再入国の許可を与えないという方針に基づき、上告人が外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条一項の規定に違反して指紋の押なつを拒否していることを専らその理由としてされたものであって、他に法務大臣が上告人の右許可申請に対する許否の判断に当たり右申請を許可することが相当でない事由として考慮した事情の存在はうかがわれない。

出入国管理特別法一条の規定に基づき本邦で永住することを許可されている大韓民国国民については、日韓地位協定三条、出入国管理特別法六条一項所定の事由に該当する場合に限って、出入国管理及び難民認定法二四条の規定による退去強制をすることができるものとされていることに加えて、日韓地位協定四条(a)の規定により、日本国政府は我が国における教育、生活保護及び国民健康保険に関する事項について妥当な考慮を払うものとされ、右規定の趣旨に沿って行政運用上日本国民と同等の取扱いがされているのであって、このような協定永住資格を有する者による再入国の許可申請に対する法務大臣の許否の判断に当たっては、その者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきである。しかるところ、本件不許可処分がされた結果、上告人は、協定永住資格を保持したまま留学を目的として米国へ渡航することが不可能となり、協定永住資格を保持するために右渡航を断念するか又は右渡航を実現するために協定永住資格を失わざるを得ない状況に陥ったものということができるのであって、本件不許可処分によって上告人の受けた右の不利益は重大である。

しかしながら、そもそも、外国人登録法が定める指紋押なつ制度は、本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資するという目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として規定されたものであって、出入国の公正な管理を図るという出入国管理行政の目的にも資するものであるから、法務大臣が、指紋押なつの拒否が出入国管理行政にもたらす弊害にかんがみ、再入国の許可申請に対する許否の判断に当たって、右申請をした外国人が同法の規定に違反して指紋の押なつを拒否しているという事情を右申請を許可することが相当でない事由として考慮すること自体は、法務大臣の前記裁量権の合理的な行使として許容し得るものというべきである。のみならず、その後の推移はともかく、本件不許可処分がされた当時は、指紋押なつ拒否運動が全国的な広がりを見せ、指紋の押なつを留保する者が続出するという社会情勢の下にあって、出入国管理行政に少なからぬ弊害が生じていたとみられるのであり、被上告人において、指紋押なつ制度を維持して在留外国人及びその出入国の公正な管理を図るため、指紋押なつ拒否者に対しては再入国の許可を与えないという方針で臨んだこと自体は、その必要性及び合理性を肯定し得るところであり、その結果、外国人の在留資格いかんを問わずに右方針に基づいてある程度統一的な運用を行うことになったとしても、それなりにやむを得ないところがあったというべきである。他方で、前記事実関係等によれば、上告人は、本件不許可処分の前のみならずその後も指紋押なつの拒否を繰り返しており、上告人が外国人登録制度を遵守しないことを表明し、これを実施したものと被上告人に受け止められても無理からぬ面があったといえなくもない。

右のような本件不許可処分がされた当時の社会情勢や指紋押なつ制度の維持による在留外国人及びその出入国の公正な管理の必要性その他の諸事情に加えて、前示のとおり、再入国の許否の判断に関する法務大臣の裁量権の範囲がその性質上広範なものとされている趣旨にもかんがみると、協定永住資格を有する者についての法務大臣の右許否の判断に当たってはその者の本邦における生活の安定という観点をもしんしゃくすべきであることや、本件不許可処分が上告人に与えた不利益の大きさ、本件不許可処分以降、在留外国人の指紋押なつ義務が軽減され、協定永住資格を有する者についてはさらに指紋押なつ制度自体が廃止されるに至った経緯等を考慮してもなお、右処分に係る法務大臣の判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとはいまだ断ずることができないものというべきである。したがって、右判断は、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるとまでいうことはできない。

四  以上によれば、本件不許可処分が違法であることを理由に国家賠償法一条一項に基づき被上告人に対して慰謝料の支払を求める上告人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であり、右請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において正当である。論旨は、原判決の結論に影響しない点の違法をいうものに帰し、採用することができない。よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根岸重治 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告代理人橋本千尋、同八尋光秀、同木下隆一の上告理由

第一 協定永住資格存在確認の訴え

(第一点)憲法解釈の誤り

原判決は、上告人に対する海外渡航権の保障の判断につき憲法二二条の解釈を誤った違法がある。

一 上告人の法的地位

上告人の法的地位が、「日本国民とほとんど異ならない地位にまで高められて」いたことは(原判決二九丁表)、原判決が認定したとおりである。

すなわち、上告人は、日韓法的地位協定、国際人権規約、難民条約及びこれらに基づく国内法の整備により、永住資格を有し活動内容や在留期間に制限がなく、退去強制事由は大幅に制限され、国民健康保険、教育を受ける権利、生活保護、児童手当、国民年金、国民金融公庫等々について国民に準じた取扱を法的に認められていた。日本国が国民に対して保障する社会権のほとんどを保障されていたのである(甲三五ないし三八号証、文部省、日本育英会、建設省、大蔵省、厚生省等の各通達等。甲四一、四二号証「在日韓国人の法的地位協定と出入国管理特別法(一)」、「同(二)」。甲七二号証「意見書」1項、田中宏)。

右の法的地位は、国内法の取扱につき行政各庁が前記の通達等で「国民に準じた取扱」と明記しており、また、原判決も判示するとおり、「国民に準じた法的地位」である。

二 右法的地位と海外渡航権の保障

上告人のように、国民に準じた法的地位を有する者にとって、海外渡航がどのような意義をもつかについて、原判決は全く理解を示さなかった。

原判決の判断は、次のとおりである。

「日本国民にとっては、海外渡航と祖国への帰国という関係になるが、本邦に在留する外国人にとっては、外国である日本から海外へ出国し、祖国ではなく外国に過ぎない日本への再入国という関係になるので、この両者を同一に考えることはできない。この両者の差異は本質的なものである。」

右判断は、「日本国民」か「外国人」か、すなわち日本国籍の有無だけの形式的な論理を展開しており、一切の具体的な考察を拒否するものである。しかしながら、「外国人」といっても様々な法的地位の人々が存在することは、原判決も当然の前提にしているはずである。そして、協定永住資格者が如何なる法的地位を有しているかについては、原判決自身が判示しているところである。原判決は、「国民に準じた法的地位にまで高められている」と認定しているのであるから、自らの認定にしたがって、そのような法的地位を有する人々の海外渡航について、国家と個人の関係がどのように規律されるべきかを深く考察すべきであった。

本件再入国不許可処分当時の出入国に関する法体系においては、「国民」の海外渡航については、憲法二二条の保障のもと、旅券法一三条各号で旅券発給の要件が定められており、一般的規定としては「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」(同法一三条五号)でなければ、旅券が発行されることになっていた。また、「難民」の海外渡航については、入管法で「日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれ」がなき場合は旅行証明書が発行されることになっていた(同法六一条の二の六第一項)。

右のような法体系のもとで、「国民に準ずる法的地位を有するもの」の海外渡航について、国家と個人との関係の規律は如何にあるべきであろうか。まさしく、国民に準じた法的保障がされるべきであり、憲法二二条の保障のもと旅券法の定めるところによって規律されるべきである。特に、協定永住資格者については、日韓法的地位協定の附属文書である「討議の記録f項」において「法令の範囲内でできるだけ好意的に取り扱う」趣旨での法的拘束があるのであるから、「難民」より劣位の取扱を受けるのは不当と言わざるを得ない。

また、実質的にみても、日本国に生活の本拠を有し、そのことが永住資格として法的にも確認されている人々にとって、海外渡航の意義は日本国民のそれと全く変らないのであるから、右に述べたところは当然の帰結である。原判決の論法で言えば、「日本国民にとっては、海外渡航と祖国への帰国という関係であり、協定永住資格者にとっては、生活の本拠であり国民に準じた法的地位を保障された永住国である日本から海外へ出国し、再び右のような自己の生活の本拠である永住国日本への再入国という関係になるので、この両者は同一に考えることができる。この両者に本質的な差異はない。」というべきである。

原判決のごとく、憲法上の保障を否定し、法務大臣の裁量権の問題とすることは、結局は、協定永住者の人権保障の一切を否定することに帰着する。「国際交流がこれだけ日常化した現在、日本に生活の本拠を有する外国人にとって、再入国許可が得られないということは、籠の鳥になることを強いられることを意味する。片道切符よろしく単純出国することは可能であろうが、それはほかでもない日本からの追放を意味することになるのである。」(甲七二号証「意見書」一三頁、田中宏)。

三 永住資格の保持と憲法二二条の保障

永住資格者の海外渡航は、憲法上の保障を受ける基本的人権というべきである。この保障の趣旨は、その適法な権利行使に対し、何等の不利益も課されないというものである。

そして、永住資格者の海外渡航については、国民に準じて旅券法一三条に該当する場合にのみ制約を受けるというべきである(甲七二号証「意見書」田中宏)。

本件上告人の場合、右に該当する事実はなかった。再入国許可申請手続、出国手続等、手続き的な法規は遵守している。原判決認定のごとく、上告人は音楽家としての自己の更なる向上を目指し、敬愛するピアニストに師事するためアメリカ合衆国インディアナ大学の大学院に留学するために出国した。再入国不許可処分について、告知聴聞の機会や処分再考のための行政手続は一切保障されていなかった。

そして、これを制約しようとした法務大臣の本件再入国不許可処分は違法であった。

本件は、上告人がした、適法且つ緊急避難的な権利行使の過程に、違法な法務大臣の処分が介在したにすぎない。したがって、上告人は、何等の不利益を受けるいわれはなく、永住資格を喪失していないと言うべきである。

四 結論

以上のことから明らかなように、原判決は、憲法二二条の解釈を誤り、同条の保障が上告人に及ばないとの前提で、上告人の永住資格喪失の結論を導いており、原判決は憲法に違反していることが明らかであるから、破棄されるべきである。

(第二点)国際人権規約B規約の解釈の誤り〈省略〉

(第三点)入管法の解釈の誤り〈省略〉

第二 損害賠償の訴え

原判決は、国家賠償法一条一項の過失の解釈を誤った法令違背があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決の判断

原判決は、法務省が指紋押捺拒否者に対して再入国を許可しない方針を取っていたこと、指紋押捺拒否者に対する再入国不許可処分を違法でないと判断した裁判例があったことを理由として、本件処分が違法であったことをその当時において法務大臣が当然に知り、または、知りうべきであったとまでは、直ちには言えないと判断した。

しかし、右判断は、以下の点で誤っている。

二 指紋押捺制度の形骸化に関する法務大臣の認識

指紋押捺制度は、本件処分当時、既に形骸化しており、原判決の認定においても、少なくとも二回目以降の指紋押捺の重要性はなくなっていた。

すなわち、法務省は、一九六〇(昭和四五)年、それまでの指紋照合システムであった換値分類を廃止し、外国人登録証の切替時の指紋照合を指紋原紙によって行うこととした。ところが、法務省は、一九七四(昭和四九)年、自ら通達を発し、二回目以降の指紋原紙への押捺を省略させた。

右の結果、法務省は外国人登録証切替時において採取した指紋をその都度入手しないでもよいとしたことを意味するから、この時点で、少なくとも二回目以降の指紋採取の重要性はなくなっていたのである。

以上のように、指紋押捺制度の形骸化に関する原判決認定事実については、法務省自らの行為によるものであって、法務大臣はその職責上、当然にこれを認識していたものである。したがって、かかる形骸化した二回目以降の指紋の押捺を拒否した者に対し、再入国を許可しない方針をとること自体が違法であったことは、法務大臣において当然に知りうべきであったと言うべきである。

三 原判決指摘の裁判例と本件との相違に関する法務大臣の認識

原判決指摘の裁判例(東京地裁昭和六一年三月二六日判決、行裁集三七巻三号四五九頁、判例時報一一八六号九頁)における原告の在留資格は、入管法四条一項一六号及び政令一項三号(法務大臣が特に在留を認める者)で、在留期間は一八〇日であった。

他方、上告人は、協定永住資格者であり、在留活動や在留期間に制限はなく、日韓法的地位協定、国際人権規約、難民条約及びこれらに基づく国内法によって「国民に準じた法的地位」を保障されていた。

右両者の在留資格や法的地位の相違については、職責上当然に法務大臣のよく知るところである。協定永住資格者に関する歴史的な経緯や事実関係に基づく資格付与のため再取得が不可能であることもまた法務大臣の熟知していたところである。また、原判決の指摘する右裁判例に関する研究者の評価については、理論構成は異なるものの、少なくとも協定永住資格者に右裁判例と同様の判断を下すことは不当であるという点ではほぼ一致していた(例えば、判例時報一二〇六号一四九頁)。更に、他の裁判例で言えば、東京高裁昭和四三年一二月一八日判決(行裁集一九巻一二号一九四七頁、いわゆる「朝鮮人祝賀団事件」)は、大要、在日朝鮮人は在留期間の制限を受けない点で永住権者(在日韓国人)と同視すべき外国人であるから海外旅行に関して日本国民と同様の自由の保障があるとの判断を示しており、右に言う永住権者である上告人については海外渡航権の保障が及ぶ旨の高等裁判所の判断が存在していたのである。

したがって、原判決指摘の裁判例の存在を前提としたとしても、協定永住資格者である上告人に対し、在留資格の相違を考慮せずに、同裁判例と同一理由で再入国不許可処分をした場合は違法な処分となることについて、法務大臣は当然に知り、または、知りうべきであったと言うべきである。

四 結論

以上のとおり、原判決は、法務大臣が当然に認識していた重要事実を検討せず、かえって、法務省の方針という自らの誤った判断や法的地位が質的に異なる外国人に対する一裁判例の存在を強調している。法務大臣は、国内の外国人行政の最高責任者であり、法律に関する行政府の最高権威者でもある。その法務大臣についての国家賠償法一条一項の過失の有無を検討するにあたって、認識対象事実の範囲、評価の判断における原判決の判示は著しく不当である。このことは右趣旨での法務大臣の過失の認定に当たっての法解釈自体を誤っていると断ぜざるを得ず、この法令違背は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れ得ないと言うべきである。

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