大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和63年(あ)856号 決定

本籍

大津市月輪二丁目一六二番地

住居

同月輪二丁目一七番一二号

農業

木村喜久治

大正一四年七月二三日生

右の者に対する相続税法違反被告事件について、昭和六三年六月八日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人福島正、同河本光平、同竹林節治、同畑守人、同中川克己の上告趣意は、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 奥野久之 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 香川保一)

○上告趣意書

昭和六三年(あ)第八五六号

被告人 木村喜久治

右の者に対する相続税法違反被告事件についての上告の趣意は左記のとおりである。

昭和六三年八月一五日

右弁護人弁護士 福島正

弁護士 河本光平

弁護士 竹林節治

弁護士 畑守人

弁護士 中川克己

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるので、刑事訴訟法第四一一条第三号によって原判決を破棄されるよう求める。

一、原判決は、被告人が「同和の優遇措置」につき、長谷部・松本らの説明どおり適法であると信じたとの主張は信用し難く、被告人は右説明につき当初から疑念を抱いており、不正申告の具体的内容については承知していなかったものの、架空債務を計上するなどの手段を用いて申告をすることは大枠的には了知しており、それが正当な申告納税であるとは考えていなかったと認定しているが、これは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認である。被告人は、長谷部・松本らが架空債務を計上し虚偽の申告書を提出するなどということは、全く認識しておらず、あくまでも適法な税務申告を依頼したのであり、脱税の故意など全く有していなかったのである。

(一) 原判決は、五丁目表七行目以下、八丁目表一〇行目以下において、被告人が松本から架空債務を計上して申告する旨簡単な説明を受けたことがあったと認定しているが、誤りである。

この点については、一審判決も「架空の相続債務をでっち上げるといった不正手段を用いることまでの具体的認識はなかった。」と認定しているところである。

これに対し、原判決が敢えて前記のような認定をしたのは、その八丁目表一〇行目以下によれば、松本が被告人に対し架空債務の計上について説明した旨検察官に対し供述したことを唯一の根拠としているものと思われる。

原審弁論要旨二において指摘したとおり、控訴審において松本証人は、債務を仮装することについては被告人に説明していないこと、税金が安くなる理由について被告人の方から特に質問がなかったこと、税理士に任せたという感覚で同和会に任せたらいいのではないかということで被告人を了解させたことを明確に証言している。

一審における松本証言は、控訴趣意書第三1(一)(1)(一九頁一一行目以下)において指摘したとおり、架空債務の計上について被告人に説明したか否かの点については、記憶が明確でないとの証言に終始しているが、これは捜査段階において仮装債務の点についても説明したとの趣旨の調書を取られているため、これが心理的な足枷になっていたものと思われる。

何れにせよ、原審及び一審における松本証言から原審の事実認定を導くことは不可能であり、してみると原審が拠所にするのは松本の捜査段階における検面調書であろうと推測される(もっとも、原判決は「証言」との表現を繰り返し用いており、この点必ずしも定かではないが。)。

しかしながら、捜査段階における松本の検面調書については、原審及び一審における松本証言、一審における惣司証言や長谷部・村井の検面調書(これらの証拠は、多少の食い違いはあるものの、被告人に対し架空債務を計上するとの点についてまで説明がなされたものではなかったとの点では、共通している。)とずれを見せており、原判決のように「自己の記憶に反し否定すべき点についてはこれを明確に否定している。」こと(このような評価自体が誤りであるが。)のみを唯一の理由に他の証拠を排斥し、松本の検面調書のみを事実認定の拠所とすることは極めて不当である。

むしろ、松本らが同和会を通じての申告を勧めたケースは、被告人の他に約一〇件あったにもかかわらず、松本が脱税の方法(架空債務の計上)について説明を行ったのは、本人から説明の要望があった近藤傳次郎の件一件のみであること、松本・惣司は近藤に対して架空債務の計上について説明を行ったことを明確に記憶している旨一貫して供述・証言しているにもかかわらず、被告人に対しては否定的な証言をしていること等を総合的に考慮すれば、被告人が架空債務の計上について説明を受けていなかったことは明らかであり、原判決の事実認定は誤りである。

(二) 原判決は、本件事案は同和会役員らが表向きは公認の税務対策を遂行する外観を装いながら、個人的利得獲得の意図を被告人に秘匿したうえ、被告人の節税心理に巧みに付け込んで仕組んだ詐欺的色彩を有するものであることを認定しながら、被告人が同和の優遇措置に関する説明につき、当初から疑念を抱いていたと認定しているが、これは誤りである。

原審弁論要旨一1において指摘したとおり、被告人は司法書士の資格を有し、鐘紡不動産の顧問まで務めている「信頼できる立派な温厚な方」である松本を信頼しきっていたのであり、被告人自身がその供述において再三にわたり訴えるとおり、同和の優遇措置に関する松本らの巧妙な説明に対し何らの疑いも抱いていなかったのである。

しかも、控訴趣意書二2(二)(二一頁以下)において指摘したとおり、長谷部・松本らの同和の優遇措置に関する説明の内容は極めて巧妙なものであり、法律や税務の実態に疎い被告人を信じ込ませるのに十分なものである。

即ち、長谷部・松本らは、長い間虐げられてきた同和部落の人々を税制上優遇するための特別措置であるとか、同和会を通じて申告すると納めた税金の何割かが補助金として同和会に交付され、同和の人々のために使われるなどと、特別措置の立法趣旨についてまことしやかに説明し、同和対策審議会の答申だの、同和対策事業特別措置法だの、自由民主党の後援を受けて国税局との間の確認事項に基づいて税務対策を行っているなどと巧妙に同和の優遇措置なるものを権威づけていたのである。従って、法律や税務に詳しい法律家の目で、しかも裁判という事後的な時点で本件を見るときは、原判決の言うように「松本から受けた説明については、その内容自体を知るだけでその根拠につき疑問を抱くのが普通で」ある(原判決八丁目裏七行目以下)という結論に走りやすいのであるが、被告人の松本に対する信頼関係や被告人が法律や税務に疎い農家の跡取りに過ぎないこと等を考慮すれば、被告人が松本らの説明を素朴に信じていたとしても何の不思議もないのである。

仮に、被告人が同和の優遇措置なるものが違法なものであること、従って、自分が同和会を通じて行おうとしている申告が脱税以外の何ものでもないことを認識していたとすれば、そのような危険を敢えて犯すに当たっては、松本らに対し脱税の方法について具体的な説明を求めるはずであるし、より安全な農地特例の手段を採用することについて、もっと具体的な検討をしていたはずである。

二、原判決は、被告人が松本に何か書いたもの(以下、「念書」という)を要求した動機、右「念書」の趣旨に関する被告人の主張を退け、この点にかんする「売買の当事者でもない同和会側に、その税申告の方法に不安も覚えなかったとする被告人が念書の差し入れまで要求するのはやはり異例であり、その記載内容が被告人の説明とは符号しないことからみても、右被告人の供述の説得力は乏しい。」(以下、一審判断という)との「原判決の説示(=一審判断)は相当である」と認定しているが(原判決一〇丁目表二行目乃至九行目)、これは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認である。

(一) 原判決は右一審判断が相当である理由として、右「念書」が授受された経緯に関する「被告人は、・・・(長谷部らの適法である旨の)説明につき疑念を拭い切れず、税務署の調査があった場合に備えて、昭和五九年九月下旬ころ松本に対してこの点に関する書面を要求し、本件申告の当日松本から同人ら三名が連署した同日付の念書と題する書面を受領している」との認定及び右「念書」の文言記載等を根拠として挙げている(原判決一〇丁目表二行目乃至九行目)。

しかしながら、既に前項で指摘しているように被告人は松本らの説明を全面的に信用し、同人らの説明に対し全く疑念を抱いていなかったのであるから、一審判断を相当として原判決が理由に挙げる「被告人は・・・疑念を拭い切れず、・・・松本に対しこの点に関する書面を要求し」たとの事実は認められない。

のみならず、原判決は被告人が右「念書」を要求した動機につき前述のごとく「税務署の調査があった場合に備えて、・・・この点に関する書面を要求し」たとまで踏みこんで認定しているが、右「念書」にかんする松本証言に照らしても、又、被告人の要求が単に「何か書いたもの」と言う漠然とした内容であったことに照らしても右認定は誤りである。

更に、一審判断を相当として原判決が理由に挙げる右「念書」の内容も被告人の全く関与しないところで松本により作成されたものであるうえ、右「念書」の内容が被告人の意向を反映したものでもないのであるから(=右「念書」の内容は松本個人の抱いている不安・疑念が投影されているもので、被告人のそれが反映されたものでない。このことは右「念書」の作成を依頼した被告人の要求が単に「何か書いたもの」と言う極めて漠然とした内容であったことからも明らかである。)、右「念書」の内容を根拠に一審判断を相当とするのは誤りである。

(二) そもそも、原判決が相当と支持する一審判断には明白な事実誤認があり、到底維持さるべきでない。

即ち、一審判断はまず「売買の当事者でもない同和会側に、その税申告の方法に不安も覚えなかったとする被告人が念書の差し入れまで要求するのはやはり異例である」と認定している。しかしながら、控訴趣意書でも一部指摘しているように、被告人が「一応の用心」として「何か書いたもの」を要求したのは、被告人にはカネボウ不動産(株)のような大手不動産業者から税負担にかんする約束を口約束であったため反古にされたという苦い経験があったからである。被告人が、大手不動産業者として信頼できると思ったカネボウ不動産(株)でも口約束では約束を反古にすることもあるのであるから、松本らの税務申告にかんする説明がどんなに信用できるものであったとしても、自らが直接関与せず全面的にまかしているからこそ、「一応の用心」として「何か書いたもの」を要求しなければという心理状態になったとしても何ら不自然でないし、まして「異例で」もないのである。信頼しているのであれば何ら保証を要求しない筈との見解は人間心理に対する洞察を欠く一面的な見解である。従って、右認定も誤りである。

又、一審判断は「(右念書の)記載内容が被告人の説明とは符号しないことからみても、右被告人の供述の説得力は乏しい。」と認定している。しかしがら、既に述べたように右「念書」は被告人の「何か書いたもの」が欲しいとの漠然とした要求にもとづき、松本により作成され、内容的にも被告人の意向が反映されたものではない。従って、「(右念書の)記載内容が被告人の説明とは符号しないこと」はある意味で当然であり、この「符号しないこと」を理由に被告人の弁解の信用性を否定することもあやまりである。

(三) 以上、「念書」要求の動機、その趣旨にかんする原判決の認定、それにより支持される一審判断はいずれも判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認と評さざるをえない。

三、原判決は、被告人が相続農地にかんする特別措置の存在を認識しており、敢えて本件脱税を敢行すべき動機を有さなかったとの被告人の主張を退け、「被告人は、昭和五九年七月初旬の前記被告人宅における長谷部らとの会合の席上で、・・・(結局その場で所論の)特例措置の適用を受けるのを断念し」たと認定しているが(原判決一〇丁目裏一行目乃至一〇行目)、これは判決に影響をおよぼすべき重大な事実誤認である。

(一) 原判決は、被告人が相続農地にかんする特別措置の存在を認識していたこと、かつ、同特別措置を受けるにつき法的支障がなかったことを前提としたうえで、「被告人は、昭和五九年七月初旬の前記被告人宅における長谷部らとの会合の席上で、同人らが勧める同和会を通じての申告と所論の特例措置の適用を受けた場合との比較得失につき質問しており、当時右特例措置に関し強い関心を有していたことが認められるものの、右質問に対し長谷部が同和会による申告の方が得策である旨理由をあげて説明し、また松本らも長谷部らに一任した方が得策である旨口添えしたこともあり、結局その場で所論の特例措置の適用を受けるのを断念し、同人らに本件申告手続きを依頼したことが認められる」と認定している。(原判決一〇丁目裏一行目乃至九行目)。

しかしながら、船橋克典の昭和六〇年六月二二日付検面調書三丁目表以下で詳細に述べられているように、昭和五九年八月一五日過ぎ頃船橋克典は二回被告人宅を訪問し右特別措置の適用を検討しているし、その後も被告人は松本に右特別措置を適用しての税申告を申し入れており、被告人が昭和五九年七月初旬時点において右特別措置の適用を「断念」した事実は認められない。

のみならず、原判決の右認定によれば「長谷部が同和会による申告の方が得策である旨理由をあげて説明し、また松本らも長谷部らに一任した方が得策である旨口添えしたこと」で被告人は右特別措置の適用を断念したことになっているが、被告人の控訴審における供述、関係証拠から明らかなように被告人には右特別措置の適用を回避して「同和会による申告」を選択しなければならない理由、必要性は全くなかった。換言すれば、被告人にとってはどちらの方法による申告でもよかったのであり、「同和会による申告」こそ得策と評しうるような事情もなかったのである。

むしろ、被告人の全供述を総合すれば、被告人にとって右特別措置法を適用しての税申告と「同和会による申告」とは全く等価であったが、松本との人間関係、就中相続登記手続を依頼しながら松本らの税申告をしてあげましょうとの申し出を断ることの気まずさ、それも被差別部落のためにもなるという大義名分をともなった勧めを断ることの気まずさから「同和会による申告」を選択したこと明らかである。

(二) 以上、被告人は特別措置の存在を認識しており、その上でなおかつ被告人には本件脱税の動機がなかったとする主張を退けた原判決の認定は判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認がある。

以上

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