大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

札幌地方裁判所 昭和57年(行ウ)6号 判決

原告

荒眞吏子

右訴訟代理人弁護士

村松弘康

佐藤哲之

伊藤誠一

細木昌子

右訴訟復代理人弁護士

肘井博行

太田賢二

被告

札幌中央労働基準監督署長川浪隆治

右訴訟代理人弁護士

山本隼雄

右指定代理人

栂村明剛

高野誠二

八田靖裕

山田信之

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告が、昭和五四年八月二七日付で原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、被告が、亡荒照夫の死亡には業務起因性がないとして第一請求記載の処分を行ったのに対して、原告が、業務起因性があると主張してその取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実

1  荒照夫は、昭和三八年四月二一日札幌通運株式会社(以下「訴外会社」という。)桑園支店の臨時積卸手となり、昭和三九年一月一日正式採用、昭和四八年一一月、桑園支店の車両班長及び運行管理者となった。

荒は、昭和五四年七月二日当日の朝、作業係長森宏から、作業班長福司賢の代わりに、作業班の畑中昭と共に、(住所略)旧日本国有鉄道(以下「旧国鉄」という。)苗穂駅構内貨物七番線ホームにおいて、貨車からのレール積卸作業に就くように指示を受けて右作業に従事した。

荒は、畑中と共に午前九時ころからレールの積卸作業を開始した。右作業は、貨車に積載されていた一〇メートルのレール九本と一二メートルのレール三本(一メートル当たりの重量五〇キログラム)を、金てこで押して貨車の側板上を移動させてホームの上に降ろし、ホームのコンクリートの上をレールの端の穴に金てこを差し込み回転させて移動させ、集積場所に並べた枕木の上に金てこでしゃくり上げて並列に置くというものであった(以下「本件作業」という。)。

本件作業を開始してから約一時間四〇分後の午前一〇時四〇分ころ、最後のレールの移動に従事して、レールの穴に金てこを入れ、畑中が「班長、かえすぞ」と声をかけ、二人でレールを回転させた瞬間、荒は、握っていた金てこを手から離し、円形状に七、八歩よろよろと歩いて左隣の貨車の扉に両手をつき、そのまま座るようにして仰向けの状態となりホーム上に倒れた。

荒は、救急車で病院に運ばれたが、昭和五四年七月二日午前一一時五分ころ、脳出血により死亡した(以下「本件事故」という。)。

2  荒の血圧は、昭和五四年六月二九日の健康診断において、収縮期血圧が一三〇、拡張期血圧が七六の正常値であった。

3  原告は荒の妻であったが、荒の死亡は業務上の原因によると主張して、被告に対して、療養補償給付、遺族補償年金及び葬祭料の請求をしたところ、被告は、昭和五四年八月二七日、荒の死亡は業務との間に相当因果関係が認められず、業務上の事由による死亡とは認められないとして不支給処分を行い、同月二八日、原告に対して不支給決定通知書を送付した。

4  原告は、北海道労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求を行ったが、昭和五五年二月二二日同請求を棄却され、更に、労働保険審査会に対し、再審査請求を行ったが、昭和五七年五月三一日これも棄却され、同年七月八日右採決書の送付を受けた。

二  争点

本件の争点は、荒の脳出血による死亡の業務起因性、すなわち業務と脳出血による死亡との相当因果関係の存否である。

右争点に関し、当事者双方は次のとおり主張する。

1  原告の主張

(一) 業務の過重性

(1) 荒は、昭和四八年一一月一日、車両班長兼運行管理者に命じられて以来、実質上二人分の仕事を担当することとなり、生来の責任感の強い性格もあって、肉体的・精神的な疲労が極度に蓄積している状態であった。

訴外会社の通常の勤務体制は、日曜日から金曜日までの勤務時間が午前八時三〇分から午後五時三〇分までの拘束九時間、実働八時間であり、土曜日は午前八時三〇分から午後二時三〇分までの拘束六時間、実働五時間であり、一週間の実働時間は四五時間、日曜祭日を休日とするというものであった(争いがない。)。荒は、毎朝午前七時二〇分に出社し、夜は早くて午後七時半、遅いときは午後一〇時過ぎまで残って仕事をし、また、休日も一箇月のうち二、三日は他の従業員、運転手の代替で出勤し、その余の日も管理業務のために事実上出勤せざるを得なかった。

荒の仕事の内容は、通常の勤務時間中は車両班に属し、車両の運転及びそれに附帯する荷物の積卸作業の現場で働き、右勤務終了後、車両班長として運転日報の整理をし、また、運行管理者として車両の点検・修理、運転手の健康管理、配車や運行計画表作成の準備を行うというものであった。訴外会社の他の支店において、車両班長と運行管理者とを兼務している例はなく、桑園支店においても、荒死亡の後は、桑原正雄及び荒谷洋が分掌しており、車両班長及び運行管理者を兼務すると、少なくとも毎日三時間の残業が必要であり、前記のとおり、荒は、始業前に出社し、更に、残業して車両班長及び運行管理者としての業務を行っていた。

(2) 荒は、車両の事故等の処理に当たり上司と従業員の間で一人悩むことが多かったところ、昭和五三年以来、精神的ストレスのたまる事故が相次いだ。

(3) 荒の死亡前一か月間(昭和五四年六月一日から同年七月一日まで)の労働内容は、休日が六月一五日の祭典休日を含め三日間で、引越下見等の軽労働に従事した日が九日間、他は車両の運転、引越荷作り、冷蔵庫配送、その他物品の積卸作業であった(争いがない)。休日出勤が本件事故当日を入れて三日間あり、一一日間連続勤務の後一日の休日を挟んで八日間連続勤務をし、一日休んで更に八日間連続勤務の八日目の事故であった。

このように、荒の死亡前一か月間の労働内容は、労働基準法の最低基準である週四八時間労働及び月四回の休日を満たしていない。この一か月間は、平均すると一週間につき所定労働時間の四五時間を二九時間超える超過勤務であり、作業記録によっても死亡前一週間の労働時間は、拘束時間八一時間二〇分と過重なものであった。

(二) 死亡当日の作業の過重性

(1) 荒が発病当日従事した金てこ(長さ一四〇センチメートル、直径二・五センチメートル)によるレール移動作業は、荒がそれまで従事していた一般荷物の移動作業とは全く異なった作業であり、荒は初心者であったので、短時間のうちに肉体的精神的に極度の負担が加わった。

作業時間は午前九時から午前一〇時四〇分までで、一〇分間の休憩を挟みほぼ四五分間の連続作業二回である(争いがない。)。

(2) 本件作業の工程は、次の三つである。

(a) 貨車内に三本ずつ束になっているレールを一本ずつ貨車の床に横一列に並べる工程 この工程は、互いに重なりあっているレールを一本一本あおって貨車の床に上に平行に並べるものである。

(b) レールを回転させながら貨車側板上を下ろしてホーム上まで移動し、次いでホーム上を五メートル先のレール集積場所まで移動させる工程。

(c) 枕木の上に乗せる工程。本件においては、枕木のそばまでレールを移動させた上、レールの下に金てこをあてがい、一気に枕木上にしゃくりあげる方法をとった。

レールを移動させる方法は、〈1〉下ろす場合は金てこで押す、〈2〉上げる場合は金てこでしゃくり上げる、〈3〉平面上をころがす場合は、金てこをレールの継ぎ目の穴に挿入し、金てこを引き起こしレールを前方に向けて横転させ重心の移動により自重で前転する瞬間に金てこを穴から引き抜くというものである。

〈3〉の四回の動作によりレールは一回転し約五〇センチメートル移動するので、五メートル移動させるには右動作を四〇回繰り返すこととなり、四五分間に八本移動したとすると、右動作は全部で三二〇回となり、一分当たり七回余り右動作を行ったこととなる。

また、レールを横転させて移動することは、ホーム上のみならず、貨車上でも行われた。

(3) 右のような金てこによるレールの移動作業は、金てこにはねられて負傷する危険性が高いので、作業者は、高度の精神的緊張を強いられる。そして、右作業を安全に行うためには、作業者の呼吸、力の配分、金てこを抜く時のタイミングを合わせる必要があり、作業に対する熟練度と共に、作業に当たる二人の作業員の均衡も要求されることになる。しかるに、畑中は、身長一八〇センチメートル、体重九〇キログラム、胸囲一メートルの体格を有し(争いがない。)、訴外会社内部でも力持ちの部類に入り、主に重量物を扱っている者であって、本件作業の熟練者であった。一方、荒は、身長一五六センチメートル、体重六二・五キログラムの小柄な体格で、五〇キログラムの荷物を運ぶとふらつく程度の力しか有しておらず、本件作業に関しては経験がなく初心者であった。本件作業の初心者には、安全なレール起こし器を使用させるべきであったのに、畑中は、荒が初心者であることに気付かず、経験があると誤信したため、荒に金てこを使用させ、しかも、作業の手順・方法について荒に十分教示することなく作業に着手し、自己のペースで作業を進めた。このような状況の中で、体力的にも劣り、本件作業に関して経験がない荒は、無理に畑中のペースに合わせて作業を行わざるを得ず、肉体的精神的に強度の負担を強いられた。

(4) レールを移動する作業は、四〇キログラムの荷物を地上から持ち上げる程度の力が必要であり、特に、レールを返すときには瞬間的に強い負担力が必要とされ、呼吸停止と腹圧上昇が伴う。

通常レールの移動に当たっては枕木を引き、油を塗ってレールを滑りやすくして作業するが、本件作業ではレールの集積場所にのみ枕木を引き、他は側板上又はコンクリート上を移動したので、より強度の力を必要とした。

しかも、集積場所の枕木は、レールよりも高いため、通常は滑走下地である鉄棒を渡してその上を移動させるが、本件作業においてはそれを使用せず、金てこでしゃくり上げたため、より強度の力を必要とした。

(三) 荒の健康状態

荒の血圧値は、毎年の健康診断において正常の範囲内であったが、昭和四八年一一月以来の長期にわたる身体的疲労の蓄積により肩凝りの自覚症状が生じ、昭和五二年に電気肩たたき機を購入し、昭和五三年には電気肩もみ機に買い換えた。昭和五二年ころからは、慢性的疲労に管理者としての心理的負担が加わって次第に自律神経系の不調を来し、粘膜の恒常性が失われ抵抗力が弱まって、扁桃腺炎を発症させることがしばしば起こった。消化器系においても、昭和五三年ころから食欲不振が生じたし、心臓の調律機能や血圧の変動が起こりやすい状態となっており、荒は死亡時において高度の疾病抵抗力の低下状態にあった。

(四) 業務と脳出血による死亡との相当因果関係

荒の死亡当日の作業は、高度の疾病抵抗力の低下状態にあった荒にとって、怒責を強め、血圧の急上昇を招くとともに、精神的緊張状態を極度に高めるものであったことから、これが原因となって荒の脳室内に強い出血を招き、脳幹部を圧迫して急死に到らしめたのである。

2  被告の主張

(一) 業務の過重性

(1) 荒は、昭和三八年四月以降、貨車の積卸し、荷役機械運転、トラックによる集配運転作業を担当し、死亡当時は事務を担当することもあったが、ほとんどの時間を力仕事に従事してきた。

(2) 荒は、毎朝午前七時四〇分には出勤していたが、同時刻には、通常約三分の一の従業員が出勤していた。荒は、渋滞を避けるために早く出勤していたものと思われる。荒は、前日の運転日報の点検等を始業時までしていたが、これは訴外会社が命じたものではないし、それをするとしても所要時間は五分程度であり、所定勤務時間内で処理できる業務であった。

荒は、訴外会社の記録している超過勤務時間よりも多くの時間、訴外会社に自主的に残ったとも考えられるが、原告主張のような長時間であることは認められないし、その間は格別な業務に従事しているものではなく、実質的な残業時間は、一日三〇分を超えることはほとんどなかった。

(3) 荒は、車両の運行管理者であったが、実際に扱った仕事の内容は、車両の状態把握と確認、運転手の健康状態のチェック、車の鍵の管理、運転日報の提出を受けての点検等で、右作業は三〇分程度で終わり、事務的処理の実務は、昭和五三年八月以降事務職の玉川武市が分担し、必要な運行計画の策定(作業に伴う配車等)は、作業係長森宏が行っていた。

訴外会社の桑園支店の搬送用車両は一四台あり、これらの車両が帰着するまでは、特別のことがない限り荒は残っていたが、ほとんどの車両は大体午後五時半までには帰着していた。荒が退社するのは、森と大体同じ時間で、午後七時半ころであった。得意先の都合により月に一、二回程度車両の帰社が午後一〇時ころになることもあったが、午後六時以降に帰着する車両については夜警に引き継ぎ退社して良いことになっていた。

(4) 荒は、運行管理者と車両班長とを兼務しており、実質二名分の仕事をしてきたと原告は主張するが、昭和五四年七月一日当時の支店別車両台数及び動態人員数は次のとおりである。

支店 車両台数 動態人員数

桑園 一九 六八

東札幌 九一 二二四

大谷地 一六三 二三〇

新札幌 三七 一〇三

車両台数割合 動態人員割合

一・〇 一・〇

四・七 三・三

八・六 三・四

一・九 一・五

右についてみると、車両台数及び動態人員数のいずれについても、荒の勤務していた桑園支店は、各店に比して格段に小規模であった。したがって、荒が運行管理者と車両班長を兼務していたからといって、労働が過重であったとはいえない。

(5) 昭和五四年六月の作業状況は、休日三日、引越下見等軽作業九日となっており、一〇日に一回は休日があり、休日出勤を含む全労働日ののべ実労働時間は二二六時間であり、一労働日当たりは八時間二二分であって、就業時間は過重なものではなく、生理的疲労を蓄積するほどのものではない。

(二) 当日の作業の過重性

(1) 荒が発病当日従事していたレールを移動させる作業は、最近においてショベルやフォークリフトを使用するようになったが、昭和五四年当時はほとんど人力に頼るものであった。荒は、レールの移動作業には習熟しており、右作業により精神的肉体的に極度の負担がかかったということはなかった。共同作業者の畑中が荒の仕事ぶりに不自然さを感じていないのは、荒が右作業に慣れていたからである。

(2) 金てこをレールの継ぎ目の穴に挿入する動作は労力を要せず、右穴から金てこを引き抜く動作も、呼吸を合わせるこつを覚えれば労力を要しない。レールを引き起こし回転させる動作についても、引き起こす一瞬に力を要するが、あとは力を抜いてタイミングを合わせて回転させるのみであって、慣れた者には楽な作業である。

(3) 貨車から下ろしたレールをレール集積場所まで金てこで回転して移動させなければならないが、その距離は約二メートルであり、集積場所でレールを枕木にしゃくり上げるためには、レールが枕木から一五ないし二〇センチメートル離れていなければならず、レールの一回転による進行距離は五〇センチメートルであるから、右移動のためにはレールを四回転させれば十分である。

レールを半回転させるとレールの上下が逆転するが、レールの上部は幅が狭く丸みを帯びていて、静止させることは困難であり、金てこを抜くタイミングを正しくすればレールは更に前方に回転して結局四分の三回転することになる。そして、次の引き起こす作業でレールを最初のときから一回転させ、レールを安定した状態に置いてから金てこを抜くことができるので、注意を要する金てこの引き抜きは一回転につき一回ですむ。また、レールの回転移動が必要なのは、ホーム上だけであって、貨車上は押し送りの方法である。

(4) 金てこでレールを倒す作業に要する力は、一〇メートルレールで一四キログラム、一二メートルレールで一六キログラム、起こす作業に要する力は、一〇メートルレールで一五キログラム、一二メートルレールで一八キログラムであって、女子年少者規則七条により女性に許された三〇キログラムの二分の一強にすぎない。

(5) 畑中は、荒の技量体力が自分より劣っていることをよく知っており、作業遂行中もこれを念頭において作業を主導し、荒の負担を軽減し、危険を防止するよう配慮していた。

(6) 本件作業においては、レールの移動に特に慣れていた畑中が主導して、その経験に基づいて枕木を使用しなくても作業が可能と判断して実行したものであるが、レールの移動の距離、経路状態等環境条件によって、枕木を使用しないでレールを移動させる作業方法が通常とされる場合があるのであり、本件の作業方法は妥当なものであった。また、原告が主張するレールをしゃくり上げる方法(レールの一端の両面から作業者が対面して連絡穴に金てこを深く差し込んで、呼吸を合わせて一気に引き上げる方法)における一人当たりの負担出力は二五キログラムであり、この作業も格別に高度の力を必要としたり、著しい身体負荷を負担するものではなかった。

(三) 荒の健康状態

荒は、訴外会社の健康診断によると、昭和四五年一〇月一七日以降、感覚器、呼吸器、循環器、消化器、神経系等のいずれにも自覚的・他覚的異常所見が認められなかった。特に、昭和五四年六月二九日の検診結果では、収縮期血圧一三〇、拡張期血圧七六、尿糖マイナス、尿蛋白マイナス、胸部X線撮影異常なしというもので、全く健康異常は認められず、疲労の蓄積も認められなかった。

(四) 業務と荒の脳出血との因果関係

(1) 荒の発症から脳出血による死亡に至る時間は、約二〇ないし二五分以内であった。このように発病後直ちに意識喪失、呼吸停止となり、間もなく死亡に至る場合の機序としては、〈1〉高血圧性脳出血などにより、意識・生命維持の中枢である脳幹が直接障害された場合、〈2〉脳血管の奇形による視床・被殻・小脳からの大量出血が、脳実質内のみならず脳室内穿破を起こし、脳幹へも損傷を与えた場合、〈3〉脳動脈瘤が破裂し、脳・脳室内へ穿破し、ひいては脳幹へも損傷を与え、脳幹内の血管奇形等とあいまって、脳幹に大量出血を生じさせた場合、〈4〉前交通動脈瘤が意識・生命維持の重要な部分である視床下部を突き破り、脳室内へ穿破して、大量の脳室内出血を起こした場合、のうちのいずれかであるが、荒が生前において高血圧であったことを示す検査結果はないから、高血圧性脳内出血等(前記〈1〉)によるものとは考え難い。

そして、荒の父が六四歳で脳溢血で、姉も七一歳で脳溢血で、兄は三〇歳で心臓疾患で死亡していること、動脈瘤、動静脈奇形の成因は先天性要因が大きいとされていることからすると、荒には脳動脈瘤・脳血管奇形等の特異な基礎的疾患があったと考えられる。

(2) そして、前記のとおり、荒が通常行っていた業務は過重なものではなかったし、当日の作業も荒に対し特に精神的・身体的負荷を与えたものではなかったから、荒の脳出血による死亡に関しては、荒には日常生活を送っていても発症し得る状態になっていた基礎的疾患があり、それが災害性脳心疾患発症の原因となり得る危険性を有しない通常の作業中に、たまたま脳出血を引き起こし、短時間のうちに死亡したと考えられるのであり、荒の脳出血による死亡についての業務起因性は認められない。

第三争点に対する判断

一  荒の死亡原因

荒の死亡が、脳出血によるものであることは争いがない。そこで、その脳出血の原因について検討する。

1  荒の脳出血の原因としては、〈1〉高血圧性脳出血と〈2〉脳動脈瘤や脳血管奇形等の器質的異常の存在の二つが考えられる。

〈1〉高血圧性脳出血の発症原因は、脳内動脈の破綻であり、加齢、高血圧、血流変化に起因する動脈壁の脆弱性が存在するところに、激しい運動、排便その他の力みに伴う怒責による血圧上昇等が誘因となって発生する。〈2〉のうち、脳動脈瘤は、先天的要因に動脈硬化性変化、加齢、血行力学的負荷などの後天的要因が加味されて生じ、全人口の一から二パーセントに存在し、四〇歳から六〇歳に多く、その破裂のひき金となるのは、急激な血圧上昇である。脳血管奇形は先天的要因によるものであり、その出血は二〇歳から四〇歳に多く、やはり血圧上昇が関与する。

つまり、脳出血は、それを準備する脳血管の病変が存在するところに、何らかのきっかけが加わって血管が破綻することによって生じる(〈証拠略〉)。

2  本件では、死亡確認後脳脊髄液を採取したところ、強い血性であったことと、発症後直ちに意識消失、呼吸停止に至り、死亡までの時間が二〇分余りと極めて短いことから、脳内の中枢部分である脳幹が直接損傷されたことが考えられ、荒死亡の原因としては、高血圧性橋出血が生じたか、脳幹内に存在した血管奇形の出血により直接脳幹が損傷されたか、脳動脈瘤が破裂して脳並びに脳室内へ穿破し、大量の脳室内出血を起こしたか、そのいずれかの可能性がある(〈証拠略〉)。

3  高血圧性脳出血のリスクファクターとしては、加齢(六〇歳以上)、高血圧、心電図異常、眼底異常、肥満、飲酒習慣、喫煙、糖尿病などがある(〈証拠略〉)。

4  荒は、昭和四五年一〇月一七日から昭和五四年六月二九日までの間、一七回にわたり、訴外会社における健康診断を受診していたが、その結果は別紙一(略)のとおりであって、身長一五七センチメートル、体重六二・五キログラムでやや肥満状態にあったものの、血圧値は正常範囲であってほぼ一定しており、尿検査において蛋白も糖も検出されていないし、胸部間接撮影の結果も異常が認められていない(〈証拠略〉)。更に荒は、煙草を全くのまなかったし、飲酒量は一週間に二、三回ビール半本とウィスキーの水割りコップ半杯を飲む程度であって、多量の飲酒習慣はなく、食事は魚肉類を好み、一週間に二、三回それを摂取していたが、豆類や海草類もよく摂取し、原告が高血圧症で治療中であったことから、塩からい食事は避けていた(〈証拠略〉)。

5  右3、4の事実によれば、荒には肥満傾向があったものの、高血圧性脳出血のリスクファクターとされるその他の要因はいずれも認められないから、荒が高血圧性脳出血によって死亡した可能性は低く、死亡時に解剖は行われていないので、荒に脳動脈瘤等の器質的異常があったことは客観的所見として明らかにされてはいないものの、荒には脳動脈瘤あるいは脳幹部に血管奇形があって、それが原因となって脳出血を引き起こして死亡した蓋然性が極めて高いと考えられる。

6  右のような器質的異常があった場合においても、生涯無症状で健康人として過ごす場合があるし、また、激しい労働や精神的ストレスによって一時的に血圧が上昇したことを契機に脳出血に至ることもあるし、労働の場とは関係ない日常の生活の中で血圧が上昇したことにより脳出血に至る場合もある(〈証拠略〉)。

そこで、次に、荒が行っていた日常の業務及び死亡当日の業務の内容を検討することにより、荒の脳出血による死亡と業務との間に相当因果関係が認められるほどに、右業務が過重であったか否かを検討することとする。

二  荒の日常業務の過重性の有無

1  争いのない事実、(証拠・人証略)によると、荒の日常の業務については、次の事実が認められる。

(一) 荒は、昭和四八年一一月以来死亡に至るまで、訴外会社桑園支店の車両班長兼運行管理者の地位にあった。桑園支店には、支店長の下に、総務係、営業係、作業係、市場営業所及び手稲営業所が置かれ、作業係には車両班と作業班があった。車両班長であった荒は約二〇名の車両班のまとめ役であり、日中は他の者と同様に現場作業を行うとともに、車両班長及び運行管理者としての業務にも従事していた。

(二) 訴外会社の通常の勤務時間は、午前八時三〇分から午後五時三〇分である。しかし、桑園支店では、午前八時二〇分ころから全員で朝礼を行っているので、そのころまでには全員が出社していた。

(三) 訴外会社の作業記録、休日勤務日報及び超過勤務日報によると、荒は、昭和五四年六月一日から七月一日までの間、別紙二(略)のとおりの勤務時間において作業内容欄記載の作業を行ったことが記録されている。

2(一)  (人証略)は、左記のとおり、荒が車両班長及び運行管理者としての業務を行うために、別紙二記載の勤務時間以外にも長時間残業していたとして、荒の行っていた業務は過重なものであった旨それぞれ証言し、(証拠略)にも同様の記載がある。

(1) 荒は、毎朝七時二〇分ころには出社し、前日分の残りの運転日報の整理、時間外労働集計表と燃料給油実績表の整理を行い、当日の配車と配置を確認し、朝礼における運転手に対する注意事項の伝達の準備を行い、朝礼では注意事項を述べた。出発前には、運転手の仕(ママ)業点検に立ち会い、乗務員点呼簿により運転手の健康状況、車両状況、免許証の点検等を行い、八時四〇分ころには、他の者と同様に現場へ向かって出発した。

(2) 現場での作業は、主に引越作業であり、その他重量物運搬、引越下見等があった。最初の仕事は、午前中又は午後二時ないし三時には終わり、いったん事務所へ帰り、その後、作業係長森宏が作成した手配書を基に、再び配車・配置を考え、運転手に午後の仕事を割当て、自分もまた現場へ向かった。この配車等は本来森係長の職分であるが、森係長から書類を手渡され、事実上荒が行うことになっていた。この配車の仕事は、各運転手の適正(ママ)や公平を考えながら配分しなければならない神経を使う仕事であった。

午後から仕事に出掛けると、帰りは夕方以降になるが、午後からの仕事がない場合には、他の班が当時行っていた旧国鉄の仕事を手伝うこともあったし、事務所で待機することもあった。

(3) 荒は、夕方、事務所へ帰ると、運転手からあげられた終業点検書、手配書、給油カード等の各種の表と併せてタコグラフの点検と運転日報、時間外労働集計表、燃料給油実績表等の整理記入をし、本社へ提出するための一覧表を作成していた。この運転日報整理等の作業には一時間以上が必要であった。また、翌日の配車と運転手の配置を考えなければならず、これにも一時間以上かかった。更に、配送伝票の整理や小包混載の荷札書きも荒の仕事であり、荒は残業を行ってこれらの仕事を処理していたが、運転日報の整理等が一週間分たまっていることがあった。

(4) 訴外会社の運行車両は、通常、午後六時ないし六時三〇分には帰ってきたが、地方へ出ている車両は、午後一〇時ころになることもあった。荒は、運行管理者としての責任感から、全部の車が帰ってくるまで待っていたので、桑園支店においてほぼ一番遅くまで残っていることが多く、帰宅はほぼ午後八時前ということはなかった。荒は酒は飲めない体質なので訴外会社で酒を飲んでいるようなことはなく、テレビを見たり雑談をする等して時間をつぶしていたこともなかった。

(5) 荒は、運行管理者として、毎月各一回行われる運行会議、運行管理者会議へ出席し、訴外会社車両が事故を起こした場合の現場処理から示談に至るまでの作業も行っていた。桑園支店では、昭和五三年に二件、昭和五四年に一件の車両事故があり、荒は、事故処理や事故後の家庭の不和等を解決するために奔走していた。

(6) 訴外会社は週休一日制であったが、仕事の性質上、顧客の要求に応じて休日に仕事をすることもあり、このようなときに他の運転手の都合がつかず、荒が休日出勤をすることがしばしばあったが、荒はほとんど代休を取らなかった。また、荒は、休日に出勤して残業しても終わらなかった日報の整理等を行うことも良くあったが、これについては休日勤務として記録されていなかった。

(7) 荒の死亡後、桑原は、車両班長になるようにと森から言われたが、荒の仕事ぶりを見ていて自分にはできないと固辞し、約一年間は、森と玉川が荒の行っていた車両班長兼運行管理者としての業務を分掌して行い、昭和五五年七月一日、訴外会社は桑原を車両班長に任命したが、運行管理者は荒谷洋に命じ、この両者を兼務させることはなくなった。そして、車両班長としての仕事のうち、配車関係の仕事と小包混載の荷札書きや伝票整理は玉川が引継ぎ、桑原は、運転日報の整理、時間外労働集計表及び燃料給油実績表の記入、乗務員点呼簿の作成の仕事だけを引き継いだが、それでも残業が長くて一時間程度必要な状況であった。

(二)  次に原告本人も、荒が毎日遅くまで残業していた状況について、次のとおり供述し、(証拠略)(弁護士村松弘康が昭和五六年一〇月一六日作成した原告からの聴取書)にも同様の記載がある。

(1) 荒は、車両班長兼運行管理者になる前は、午前七時五〇分ころに出社するために家を出て、午後六時から六時半の間には帰宅していた。しかし、右地位に就いた昭和四八年以降は、午前七時には家を出るようになり、帰宅時間も午後八時から一〇時の間になった。

荒は、運行管理者の仕事は、地方に車両が出ていると、その車両からの連絡や事故があるので、その車両が帰社するまで帰ることができないと言っていた。

(2) 荒が、昭和五四年六月一日から同年七月一日まで帰宅した時間を当時原告が見ていたテレビ番組から思い出すと別紙三(略)のとおりとなる。

荒は、月に四、五回ある休みも二、三回は仕事の都合で通常どおり出勤し、他の休日も時間の途中から会社に出て仕事を行っていた。代休はもらわないことがあったし、有給休暇も冠婚葬祭以外にはとっていなかった。

(三)  一方、(人証略)は、荒の勤務状況並びに車両班長及び運行管理者としての業務の内容について、次のとおり各証言し、(証拠略)にも同様の記載がある。

(1) 森は、昭和五三年一〇月に桑園支店の作業係長になり、荒の上司となったが、その当時の荒の仕事量が多く、また、荒には事務的能力が欠けると思われたので、荒が行っていた運転日報の整理、時間外労働時間の整理、燃料給油実績表の作成、配達伝票の点検の事務的作業についてはそのころ桑園支店に配置になった事務作業員である玉川武幸に分担させ、その後、乗務員点呼簿の作成も玉川が行うようになった。訴外会社の車両の配車や運転手の配置の仕事は、森が行っていた。そして、荒には引越しの下見の作業を増やし、車両班長及び運行管理者としては、玉川が整理作成した運転日報及び乗務員点呼簿を基にタコメータと照らし併せて、各運転手の出発時間、帰着時間、運行距離、運行速度等の点検を行うという仕事の他に、朝礼における交通規制等の注意事項の伝達、運行管理者の会議の出席、車両事故の発生のときの処理があったが、事故の賠償の問題については保険会社が行うことになっていた。

(2) 森は、荒に対し、帰社が遅くならないような現場作業を分担させたし、荒は、現場作業がないときは事務所に待機していて、事務を行うことができた。

そして、訴外会社の車両のほとんどは午後五時半から六時半の間に戻ってきた。荒が、その後、残業してしなければならない仕事は、せいぜい三〇分程度であった。車両の帰社が遅くなる場合は、夜警に引き継いで帰ることができ、全車両の帰社を見届けてから帰らなければならないという勤務体制になっていなかったから、荒は、ほとんど森が退社する午後七時ころまでには退社していた。

(四)  以上のとおり、荒の業務に関する(人証略)は、その内容が異なり、対立しているが、右各証言等によって、荒が別紙二記載の勤務時間以上に車両班長及び運行管理者の業務を行うために残業を行っていたものと認定することができるか否かを検討する。

(1) 原告は、別紙三記載のとおり、当時見ていたテレビ番組を根拠として、昭和五四年六月一日から同年七月一日までの荒の帰宅時間を述べているが、一か月間の毎日の帰宅時間を、しかも約二年も経た後にテレビ番組によって推測できるとは経験則上到底考えられないから、原告の右供述によって、荒の残業時間を認めることはできない。

(2) 荒の出社時間については、原告は、毎朝午前七時には家を出ていたと供述し、(人証略)も午前七時二〇分ころ出社していたと証言する。そして、(人証略)は、自らの出社時間は午前八時前後で、荒は既に出社していたと証言し、森は、労働者災害補償保険審査官に対する聴取書(〈証拠略〉)では荒が午前七時四〇分ころ出社していたことを認めている。そうすると、荒の自宅から訴外会社までは約三〇分の通勤時間を要する(〈証拠略〉)から、荒は、毎朝勤務時間の一時間前である午前七時三〇分ころには出社していたと認められる。

そして、(人証略)によれば、荒は、毎朝午前七時三〇分ころから朝礼が始まる午前八時二〇分ころまで運転日報及び乗務員点呼簿の整理ないし点検を行ったり、朝礼での注意事項の準備を行っていたことが認められる。

(3) 荒の退社時間については、(人証略)は、竹本が業務で地方に出て午後一〇時半か一一時ころ訴外会社に帰社したときも荒が待っていたことからして、荒の退社が午後八時前ということはなかったと証言し、(人証略)もほぼ同様の証言をする。しかし、(人証略)は、荒はほとんど午後七時ころまでには退社していたと証言している。また、地方に出た車両の帰社が遅くなる場合は夜警に引き継いで帰ることができるし、そのような場合の連絡や事故の処理は運行管理者が三交替制で勤務についていた訴外会社の大谷地支店で統括しており(〈人証略〉、弁論の全趣旨)、運行管理者である荒が右車両を待っている必要性もなかったと認められる。

更に、荒の車両班長と運行管理者としての各業務を処理するための残業の必要性について、(人証略)は、運転日報の整理等の作業に一時間以上、翌日の配車と運転手の配置の作業に一時間以上の時間が必要であったと証言する。しかし、同証人は右各作業を行った経験を有する者ではないうえ、(人証略)によれば、訴外会社の車両の配車及び運転手の配置の作業は森が行っていたこと、昭和五三年一〇月から荒が行っていた運転日報の整理、時間外労働時間の整理、燃料給油実績表の作成、配達伝票の点検の事務的作業については玉川に分担させ、その後、乗務員点呼簿の作成も玉川が行うようになったことを証言しており、そうすると、そもそも昭和五三年一〇月以降の荒が行うべき業務の範囲に関する(人証略)自体に疑問がある。

(人証略)は、荒から引き継いだ運転日報の整理、時間外労働集計表及び燃料給油実績表の記入や乗務員点呼簿の作成のためには長くて一時間の残業が必要であったと述べている。荒のその他の業務として配車関係の仕事と小包混載の荷札書きや伝票整理があったとも証言しているが、右業務が荒が行うべき業務であったかどうかは疑問があるところであるし、仮に、右業務を行っていたとしても、荒は、前記のとおり午前七時三〇分ころに出社した後朝礼までに日報の整理等の業務を行っていたことや日中において仕事がない場合は、事務所で待機しており、その時間を利用して、右業務を行うこともできたことなどの事実を考慮すると、(人証略)によって、荒が(人証略)が認める午後七時を超えて残業を行っていたという事実をいまだ認定することはできない。

(4) 荒の運行管理者としての業務には、毎月一回行われる運行会議及び運行管理者会議への出席もあったが、これは勤務時間内に行われるものであるから(〈人証略〉)、荒の残業時間を増やすものとは考えられないし、事故の処理についても、事故の発生が昭和五三年に二件、昭和五四年に一件であることを考えると、荒の日常の業務を特段に過重にするものとは考えられない。

3  以上の検討によると、荒の車両班長及び運行管理者としての業務は、森が桑園支店の作業係長になった昭和五三年一〇月まではかなり過重なものであったと認められるが、その後は玉川が荒の行っていた事務的な作業を分担したこともあり、勤務時間の午前八時三〇分の一時間前である午前七時三〇分ころに出社し、帰りは勤務時間の午後五時三〇分から一時間三〇分ほどの残業を行って、車両班長及び運行管理者としての業務を行っていたと認められる。

そして、これに昭和五四年六月一日から同年七月一日の間の訴外会社に記録されている別紙二(略)記載の荒の勤務時間を併せると、右期間の荒の業務は、一か月の休日五日間のうち、実際の休みが三日間で、あとの二日間は出勤して引越作業を行い、本件死亡日までは八日間連続勤務し、その前も一日の休日を挟み八日間連続勤務、一日の休日を挟み一一日間連続勤務という状態が続き、その勤務時間は午前七時三〇分ころから午後七時ころまでであり、午後八時以降の残業も三回行っているということになる。

そうすると、荒の死亡前一か月間の業務は、著しく過重であったとはいえないものの、通常の業務に較べると過重な点があったことは否定できないといわなければならない。

三  荒の健康状態

そこで、次に、荒の健康状態を検討し、日常の業務が荒の健康状態にどのような影響を与えていたかを考察する。

1  原告は、その供述及び(証拠略)において、荒の健康状態について、昭和五二年ころから肩が凝ると言って自動肩たたき機を購入したこと、昭和五三年には更にひどい肩凝りに悩まされ、自動電気肩もみ機を購入し、食欲が減ったこと、昭和五四年ころから疲れ易くなり、毎日睡眠中にいびきをかくようになり、いつも使用していたマットレスを敷くと身体が痛いとか、疲れが取れないと言ってその使用を止めたこと、昭和五二年ころから従来はほとんど引いたことがないかぜを引くようになり、昭和五四年になってからは半年に二、三回かぜを引くようになり、扁桃腺が腫れて、三七度五分の熱が出たこと、死亡の一か月前にもかぜを引いていたこと、したがって、荒は、日常の過重な業務によって相当に疲れ、また、精神的なストレスもたまっていた状態にあったと供述する。

2(一)  しかし、前記のとおり、荒の昭和四五年一〇月一七日から昭和五四年六月二九日までの健康診断の結果は、別紙一のとおりであり、右健康診断の結果によると、荒は血圧値は正常範囲であって、長年の間ほぼ一定しており、尿検査においても一度も蛋白や糖が検出されたことはなく、胸部間接撮影の結果も異常がなく、自覚症状や他覚症状も異常がないとされ、体重も六一キログラムから六四キログラムの範囲で一定しており、荒は、昭和四五年一〇月一七日から昭和五四年六月二九日までの間健康な状態にあったと認められる。

(二)  更に、原告は、昭和五四年八月四日、札幌労働基準監督署労働事務官に対し、荒が訴外会社での疲労を感じたときは早寝をすると良くなること、家にある座椅子式アンマ機を一週間に一回位気まぐれに使うが肩凝りはなかったこと、荒は日常も健康な人で、かぜも一年に一回引くかどうかであって、かぜを引いたときはのどに来るくらいで、会社を休むと言うことはなかったとして、荒が日常も健康な状態にあったことを述べている(〈証拠略〉)。

(三)  また、(証拠略)によれば、荒は、昭和五二年一月二七日に急性腺窩性扁桃腺炎で、昭和五三年一月六日に急性扁桃腺炎で病院において治療を受けた以外には病院にかかっていないことが認められ、右記載からも荒は健康な状態にあったことが窺われる。

3  荒の健康状態について述べる原告の前記供述及び(証拠略)の記載は、(証拠略)の記載と相入れない点があるし、前記健康診断の結果によって認められる荒が長年の間自覚症状としても何も異常を述べていなかったこと、体重が減っているとは認められないこと、(証拠略)によって認められる扁桃腺炎で病院において治療を受けたのも一年間に一回であって、通常の健康な人にも見られる状態であることに照らして、採用することはできないといわなければならない。

4  そうすると、荒は、本件死亡当時健康な状態にあったと認められ、したがって、前記一に見た荒の業務の過重な点は、荒の心身に対し何も影響を与えていなかったものと認められる。

四  死亡当日の作業について

1  争いのない事実、(証拠・人証略)によると、次の事実が認められる。

(一) 荒は、死亡当日の朝、森係長から、畑中と共に、予定されていた作業班長の福司の代わりに、本件現場へ行ってレールを運ぶようにと命じられた。森係長は畑中に対し、荒よりも畑中の方が、レール運び作業には慣れているので、主体となって作業を行うようにと命じた。

(二) 本件レール運び作業の手順は、まずレールが貨車の中で三本ずつ組になって縛られているものをはずして並べ、それを貨車の床及び開かれている約一メートルの長さの側板の上を押して移動させてホーム上に下ろし、側板から集積場所にある枕木までの約二・一五メートルの間はホームの上を回転させて移動させ、最後は一四センチメートルの高さのある枕木の上へしゃくり上げるというものであった。

(三) レールを回転させる方法は、荒と畑中がレールの両端付近において、それぞれ金てこをレール先端付近にあるボルトの穴に差し込み、体重を金てこにかけ、てこの原理によりレールを回転させ、回転の途中で金てこを引き抜くことを繰り返すものである。金てこに力を加えて回転を開始する際には、作業者両名がタイミングを合わせて力を入れることが必要であり、また、回転の途中で作業者両名がタイミングを合わせて金てこを引き抜くことが必要である。タイミングが合わなかったり、金てこをすばやく抜かなかったりすると、体が持っていかれたり、地面に当たった金てこが跳ね返って体に当たったりして危険である。

そして、最後に枕木の上にしゃくり上げる作業は力を最も必要とする作業である。

(四) 右のような方法で、貨車から集積場所まで五〇〇キログラムの重さがある一〇メートルレールを九本と六〇〇キログラムの重さがある一二メートルレールを三本移動させる作業であったが、レールがホーム上を一回転すると約五〇センチメートル移動するので、側板から集積場所まではレールを約四回転させることが必要であり、そして、レールを一回転させるために必要となる金てこの引抜き作業は、レールが上部を下にして停止する場合には三回、レールの上部が狭く丸味を帯びているため、レールが更に勢いで回転する場合には二回となる。

(五) 荒と畑中とは、午前九時ころから本件作業を始めた。始める前に、早く終わらせようという話はしていたが、畑中は、荒がレール移動作業について十分経験があると思っていたので、作業方法その他について打合せをすることなく作業を開始した。そして、レールを五、六本移動した後に一〇分程度休憩をしたが、この時も格別話はしなかった。

レールを回転させるためタイミングを合わせる必要がある場合には、畑中が声をかけて行った。また、畑中は、身長一八〇センチメートルで体重九〇キログラムあり、身長一五七センチメートルで体重六二・五キログラムの荒とは体格が違い、レールを回転させるタイミングがずれるような気もしたため、レールを回転させる際の金てこを持つ位置を、最も力が入りやすい先端部分ではなく、下の方を持つようにして、荒との調整を図っていた。しかし、それ以外に、荒の作業方法に心配なところはなく、荒が特にレールの移動作業に慣れていない様子であるとか、苦しそうであるというようなことは感じられないまま作業を続けた。

そして、荒と畑中がレールの移動作業を開始してから約一時間四〇分後の午前一〇時四〇分ころ、最後のレールの移動に従事していたときに本件事故が発生した。

2  そこで、まず、荒が、死亡当日行ったレールを転がして移動する作業の初心者であったか否かを検討する。

(一) 荒には、金てこを使用してレールを転がしながら移動させる作業の経験がなかったとする次の証拠がある。

(1) (証拠略)(畑中昭の司法警察員に対する供述調書)には、畑中は森係長から荒がレール卸作業には経験がないので、畑中が主体になって作業をするように指示されたとの記載がある。

(2) (証拠略)(弁護士村松弘康の桑原正雄からの聴取書)には、桑原は、訴外会社の琴似支店において荒と一緒に仕事をし、その中にはレール移動作業もあったが、レール移動作業の多くは、レールをフォークリフトに乗せて運搬し、荷卸しの後、てこで手直しをすることであったとの記載がある。

(3) (証拠略)(弁護士村松弘康の出葉博からの聴取書)には、荒が訴外会社の琴似支店に勤務していたとき、貨車からの荷物の積卸作業に従事していたが、出葉は、荒がレール作業に従事していたり、フォークリフトでレールを運んでいたことを見たことがないし、レールが貨車に積まれて入ってきたという記憶もないとの記載がある。

(4) (証拠略)(弁護士村松弘康の湯浅正からの聴取書)には、荒が訴外会社の琴似支店に勤務していたとき、フォークリフトに専門に乗っており、フォークリフトでレールを運んでいたり、乱れたレールをてこで直したりしていたことはあるが、てこを使用してレールを転がして移動させる作業に従事したことはなかったとの記載がある。

(二) しかしながら、(一)の各証拠は、次に検討するとおり、いずれも採用し難い。

(1) まず、(証拠略)の記載については、(人証略)は、森係長から荒がレール卸作業には経験がないと言われたことはないと証言して、(証拠略)の前記記載事実を否定しているし、(人証略)も、畑中がレール卸作業に慣れているので、その指示に従うように言ったが、荒がレール卸作業に経験がないと言ったことはない旨証言している。

また、(人証略)によれば、レール卸作業の初心者には何も教えないで移動作業に従事させることはないこと、畑中は荒がレール卸作業の経験があると思っていたので、荒に対し作業の心得も手順を話すことなく、直ちに作業に入ったことが認められ、右事実は、畑中が森係長から荒がレール卸作業には経験がないと言われたことと矛盾するものである。

更に、(人証略)は、レールの移動作業において荒とのタイミングを合わせるために金てこの先端部分を持たないで、やや下の方を持ったことはあったが、荒の作業方法に心配を感じなかったし、荒がレールの移動作業に慣れていない様子であったとか、苦しそうであるとも感じなかったばかりか、荒の作業は見劣りしなかったこと、作業中も荒がレール移動作業に経験がない者とは感じなかったと述べているのであり、この証言からすると、荒には金てこを使用してレールを転がして移動させる作業の経験がなかったとは到底考えられない。

以上のいずれからも、(証拠略)の記載事実は採用できない。

(2) (証拠略)の記載は、(証拠略)の各記載とも矛盾しており、到底採用できない。

(3) また、(証拠略)の各記載を検討すると、(証拠略)には、荒がレールを転がして移動させる作業に従事したことはなかったということまでは触れていないし、むしろ、(人証略)は、フォークリフトの運転手も他の作業員と一緒にレールを動かす作業を行っていたと証言しており、荒のみが、レールを転がして移動させる作業をしなかったとするのは不自然である。

更に、争いのない事実、(証拠略)によれば、荒は、琴似支店において、昭和三八年四月二一日に臨時積卸手を、昭和三九年一月一日に積卸手を命じられており、職種が荷役機械運転手に変更されたのは昭和四一年八月二一日であること、積卸手とは主として旧国鉄の貨車からの積卸作業を行う者であって、貨車の荷物には原木、トラクター等農耕機具、レール等の鉄製品など重量物が多かったことが認められ、荒の経歴からすると、荒がフォークリフトに専門に乗っていたから、てこを使用してレールを転がして移動させる作業に従事したことはなかった旨の(証拠略)の記載も採用できないといわなければならない。

(三) 以上の検討によれば、荒が、琴似支店に臨時積卸手として採用された昭和三八年四月二一日から昭和四一年八月二一日まで、積卸手としてレールの積卸作業にも従事していたこと、荷役機械運転手になってからもレールをフォークリフトで移動させる作業に従事していたのであるから、他の作業員と共にレールを機械力を使わないで移動する作業にも従事していたこと、そして、(人証略)は、死亡当日畑中が荒に対し作業の心得や手順を何ら説明することなく、直ちに作業に入ったが、荒の作業方法に心配を感じなかったばかりか、荒の作業は見劣りしなかったことを証言していることに照らすと、荒がレールを転がして移動させる作業に経験がなかったとは考えられず、むしろ、荒は従前レールを転がして移動させる作業に従事した経験を有していたものと認められる。

3  次に、死亡当日荒が行ったレールを転がして移動させる作業が特殊な作業であったか否かを検討する。

(一) (人証略)は、レールの移動作業を一七、八年経験している者であるが、荒と畑中が行ったホーム上をレールを転がして移動させる作業は、今まで見たことがなく、極めて特殊な作業方法であって、危険性が高く、力も必要な作業であること、自分がそのような作業を命じられたとしても貨車からレールを下ろす作業に留め、その後の作業は行わないこと、右のような方法で一〇メートルレール九本、一二メートルレール二本を移動する作業を行うと、二時間半から三時間の時間を必要とすることを証言する。

(二)(1) しかし、(証拠略)(弁護士村松弘康の橋本幸一からの聴取書)には、荒と畑中が行ったレールの移動作業は見たことがない特殊な作業であったとの記載はなく、初心者にはバリを使用してレールのボルトの穴に入れて移動することは危険なので行わせないという趣旨の記載がある。

(2) (人証略)によれば、畑中はレールの移動作業の熟練者であることが認められるが、(人証略)は、荒の死亡当日に行ったホーム上でレールを転がして移動させる作業について普通の作業と思っていること、当日に移動するレールの本数からしてそんなに時間がかからないから早く終わらせて会社に帰ってゆっくりしようという話を荒としたことを証言している。

(3) (人証略)は、レールの両端にあるボルトの穴に金てこの先を入れてレールを転がしていく移動方法があることを前提にして、右移動には呼吸を合わせることが重要であると証言している。

(4) 荒の死亡当時桑園支店の作業班長であり、畑中とレール移動作業を行うことが予定されていた福司は、その陳述書(〈証拠略〉)において、本件現場ではホーム上でレールを移動する距離が短く、移動本数も少なかったから、滑走下地を使わずに移動した作業には特に誤りはなかったと述べている。

(三) 荒と畑中が行ったレールの移動方法を今まで見たことがない、極めて特殊な移動方法であるとする(人証略)の証言は、(二)に記載した(証拠略)の各記載及び各証人の証言に照らして採用し難いし、また、(人証略)がレール移動作業の熟練者であると認める畑中が、極めて特殊な移動方法を行った理由を見出せないし、畑中が荒との間に作業手順について打合せを行わなかったのに、最後の一本のレール作業まで順調に作業が行われたことを考えると、(人証略)により、死亡当日荒が行ったレールを転がして移動させる作業が特殊な作業であったと認めることはできないし、荒と畑中が、殊更右作業を急いで行ったと認めることもできない。

なお、(証拠略)によれば、旧国鉄のレール作業の安全作業基準には、レールを転倒させる場合は、ボトル穴にバールを差し込まないことという記載があることが認められるが、(人証略)によれば、畑中が初心者であったとき、レールのボルト穴に金てこを深く差してはいけないと教えられたものの、右ボルト穴に金てこを差し込んであおってはいけないとは教えられたことがないことが認められるし、(証拠略)の記載や(人証略)によっても、ボルト穴に金てこを差し込んで移動させる作業が禁じられていたとの趣旨は窺われず、右安全作業基準に従って実際のレールの移動作業が行われていたとは認められない。

4  最後に、死亡当日荒が行ったレール移動作業が荒にとって過重な作業であったか否かを検討する。

(一) (人証略)によれば、荒と畑中が行ったレールを回転させながら移動する方法では、レールを返す瞬間に瞬発力が必要であり、また、金てこをレールから抜きさるタイミングを誤ると、跳ねられて体を持っていかれたり、金てこが飛んで体に当たる危険があるので、レールを返す呼吸を合わせるため声を掛け合ってレールを返していくこと、レールを抜くタイミングをとることが重要であり、神経を使う作業であること、そして、移動し終えたレールを枕木に上げるときに一番力が必要であることが認められる。

(二) しかし、前記各証人は、レールを一回転させるために金てこの引抜き作業が何度必要であるのか、レールの移動作業において瞬発力が必要であり、かつ金てこを抜きさるタイミングが重要なのはどの段階なのかについては何ら証言していない。

ところで、被告が主張するように、レールを一回転させるために金てこの引抜作業は二回で足りるとすると、右作業方法では全体としての金てこの引抜作業の回数は減るが、一回目の返しの際にレールを四分の三回転させることになり、かなりの勢いでレールを返す必要があるし、この場合金てこを抜きさるときも回転によって勢いがついたレールから金てこを引き抜かなければならず、作業の危険性は高まると考えられる。そして、最後の四分の一回転についてはレールを引き起こして元の位置(レールの下部が下になる位置)に戻す作業であるから、力もさほど必要であるとは考えられないし、金てこを引き抜く危険性も考えられない。右作業が三回になると、全体としての引抜作業の回数は増えるが、レールが二分の一回転する一回目の返しには前記に較べて力や金てこを引き抜く際の危険性は少なくなり、二回目の返しについてはレールの上部を下にして停止している状態からの返しであるから、レールの上部が狭く、かつ、丸みを帯びていることからしてさほど力を必要とすることなく作業を行うことができると考えられる。更に、仮に、原告が主張する四回の引抜作業がいる場合には、一度の返しに勢いをつけずに、四分の一回転ずつ着実に回転させていけばよいのであるから、その力の入れ具合も前記二つの場合に較べて少なくなるし、金てこの引抜作業にも危険性が生じるとは考えられない。

いずれにせよ、荒と畑中は、貨車の側板から集積場所までの移動にレールを四回転させる必要がある作業を一二回行い、一三本目のレールを約一メートル移動させたのであった。

(三)(1) 金てこを使ってのレールの返し、更には、レールを枕木上に上げるためにどれだけの力が必要であるかについては、(人証略)は、レールを回転させるときの力は、一〇メートルレールで七、八〇キログラム、一二メートルレールで一二〇から一三〇キログラムの物を持ち上げる場合と同じ力を必要とし、枕木に上げるときには一五〇キログラムの力が必要であると証言し、(人証略)は、レールを返すためには四〇キログラム、レールを枕木の上に持ち上げるためには六〇キログラムの重さを持ち上げる力が必要であると証言し、(人証略)は、一五キログラムの重さを持ち上げる力で足りると証言し、(人証略)は、引越しの際の荷卸作業でも五〇キログラムの荷物を手で運ぶこともあり、労働者であるから力というより、レールの移動作業は頭を使う仕事であると証言する。

また、(証拠略)には、てこの原理による計算によって一〇メートルレールで一四キログラム、一二メートルレールで一六・二キログラム以上の力でレールを引き起こすことができるとの記載があり、(証拠略)には、一二メートルレールを返すときに必要な力として金てこの重さを考えずに、しかも、レールの重さが一点に集中するとの仮定で二八キログラムの力がかかるとの記載があり、(証拠略)には、一二メートルレールを枕木に上げるときには二五キログラムの力を必要とする旨の記載がある。

(2) (人証略)のうち、レールを転がして移動する作業が極めて特殊な作業であると証言する点が採用できないのは前記3のとおりであるが、レールの返しや枕木に上げるために必要な力についても、同人一人だけが極めて大きな力が必要であることを証言しており、この点も採用の限りではない。

その他の証人が述べるところは、各人の力の入れ具合の感じを述べるもので、必ずしも正確な値を示すものとは考えられないし、右の各証言や計算による数値のいずれを採用すべきか本件全証拠によるも確定できないが、最も力が必要としても、その力は(人証略)が証言するレールを返すために四〇キログラムの、レールを枕木の上に持ち上げるために六〇キログラムの各重さを持ち上げる力が必要であるということになる。

(四) そこで、(一)ないし(三)の検討を踏まえて、荒にとって死亡当日のレール移動作業が過重であったか否かを検討する。

(1) まず、レールを返す作業及び枕木に上げる作業には力を要したという点について考察する。

先に認定したとおり、荒は日常引越作業にも従事していたところ、右作業では五〇キログラムの荷物を手で運ぶこともあり、(〈人証略〉)、重い荷物を持って階段を上り下りしなければならないこともあって、(〈人証略〉)、引越作業そのものが力を必要とする作業であることは容易に想像がつく。そして、荒の昭和五四年六月一日から同年七月一日の作業記録によっても、荒は右期間に冷蔵庫の搬入据付作業に四回、パイプの荷卸作業に一回、事務機搬入据付作業に二回従事しており、荒は重量物の搬入据付作業に携わっていたことが認められる。更に、(証拠略)によれば、レールの運搬整理作業の注意事項として一人当たりの重量が四〇キログラム程度とされていることが認められる。以上によれば、(人証略)がいみじくも引越しの際の荷卸作業でも五〇キログラムの荷物を手で運ぶこともあって、レール移動作業は、労働者であるから力というより、頭を使う仕事であるとの趣旨の証言をしているように、レールの移動作業が力を要するという点において、荒にとって通常行っていた業務に較べて過重なものであったとは認められないといわなければならない。

なお、原告は、荒が身長一五七センチメートル、体重六二・五キログラムであったのに対し、畑中は身長一八〇センチメートル、体重九〇キログラムであるとの体格的な不均衡を理由に、荒に不必要な力がかかったと主張するが、(人証略)は、荒とのレール作業においてタイミングを合わせるために金てこの先端部分を持たないで、やや下の方を持ったことがあったと述べているに留まり、荒と畑中の体格差ゆえに、荒に不必要な力がかかったことを窺わせる事情を証言しておらず、かえって、荒について作業中苦しそうであるとは感じなかったし、息使いも正常で、疲れた様子も見られなかったと証言しているのであるから、原告主張の右各事実は認められない。

(2) 次に、回転しているレールから金てこを引き抜くときの危険故に、神経を使う作業であったという点について考察する。

前記2で検討したとおり、荒は、死亡当日行ったレールの移動作業について初心者であったとは認められず、従前右作業に従事した経験を有していた者であった。(人証略)によれば、当日の作業も畑中が作業手順を何ら説明することなく始めたが、荒は右作業を順調に行い、畑中において荒が見劣りしない作業を行っていて、作業中ずっと荒が右作業の経験者であると感じていたことが認められるのである。そして、荒と畑中が行った当日の作業が特殊な作業であるとも認められないことは、前記3に検討したとおりであるから、これらの事情からすると、金てこの引抜作業の危険性を考えても、荒にとっては右作業が過重なものであったと認めることもできない。

五  結論

以上によれば、荒の行っていた通常の業務が荒の健康に悪い影響を与える程に過重なものであったとか、死亡当日のレールの移動作業についても、荒にとって過重な作業であったとは認められない。したがって、荒がレール移動作業中に死亡した事実をもって、荒の脳出血による死亡が右レール移動作業に内在もしくは随伴する危険性の発現とは評価しがたく、右死亡と業務との間に相当因果関係があると認めることは困難である。

なお、荒の脳出血による死亡は業務上の疾病として取扱われるのが妥当である、とする斉藤一の意見書(〈証拠略〉)及び同人の証言は、当裁判所の以上の認定事実及び見解と異なる事実及び見解(特に、荒の死亡前の日常業務の過重性と疾病的状況の存在やレール移動作業に関する荒の未経験、非熟練度、右業務の特殊性とその危険性及び畑中との体力差の強調など)を前提とするものであって、いずれも採用できない。

よって、原告の被告に対する本訴請求は理由がないので、これを棄却する。

(裁判長裁判官 大澤巖 裁判官 櫻井佐英 裁判官前田順司は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官 大澤巖)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com