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札幌高等裁判所 平成2年(行コ)1号 判決

控訴人 生井清六

被控訴人 函館労働基準監督署長

代理人 栂村明剛 館田孝廣 ほか二名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人

(一)  原判決を取り消す。

(二)  被控訴人が昭和五三年九月二九日付けで控訴人に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  被控訴人

主文と同旨

二  当事者双方の主張は、次のとおり付加・訂正・削除するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決書一一枚目表一〇行目「促進しつつあると考えられ、」から同裏一行目までを次のとおり改める。

「促進しつつあると考えられ、タクシー運転労働は、とりわけ高血圧症罹患者にとって、血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、脳出血を発症させるリスクファクターである。

高血圧症に罹患したタクシー運転手は、運転労働に従事することによって繰り返し繰り返し日常生活における通常予想される血圧上昇をはるかに超え、しかも高血圧値をはるかに上回る異常血圧となるものであり、非常に軽い程度の高血圧症罹患者であっても、短期間にその血管病変等を増悪させ、脳出血を発症させるに至るものである。」

2  同一一枚目裏四行目から同六行目までを次のとおり改める。

「控訴人は、昭和三五年七月から訴外会社に勤務し、タクシー運転手として運転業務に従事してきたが、昭和四九年五月一三日の追突交通事故にあう以前には、毎年の定期健康診断で血圧異常の判定を受けたことはなく、右交通事故以前より控訴人が高血圧症に罹患していた事実はない。」

3  同一二枚目表七行目「八回測定中の」から同九行目までを「五月一三日の七回の血圧測定の中で最高血圧一五〇、最低血圧一一〇(高血圧)を示し、同月一四日は最高血圧一一八、最低血圧八〇(正常血圧)であった。」に改める。

4  同一三枚目裏三行目から同五行目までを次のとおり改める。

「(4) 脳出血は、脳内の細い血管が破綻し、脳組織の中に出血し、出血した血液により脳が圧迫され、脳障害を発生させる疾病であり、血管破綻の原因の主なるものは、脳小動脈壁の病変(血管壁の壊死、間隙毛形成、内膜肥厚)と血圧の亢進であり、脳小動脈壁の病変のうち、特に重要なのは血管壁の壊死(動脈瘤を含む。)であり、他方血圧の亢進を伴う疾患として本態性高血圧症等が存在し、その他血圧を亢進させる要因として、疲労、精神ストレス、筋肉労働負担、気候、気温の変化、日間変動、憤怒のような精神感動、飽食、飲酒、上厠、温冷浴、性交等があげられており、さらに高血圧症の発症や増悪は、遺伝や体質だけをその要因とするものではなく、労働その他の生活環境にも規定されるものであって過労、精神的ストレス、冬期の急激な気温の変化等にも強く影響されるものであり、深夜労働を含む交替制労働の生活を送ることは、生態のリズムのバランスを失わせるため、高血圧症に罹患している患者が同労働に就労することは不適当である。

控訴人は、右(1)ないし(3)の健康状態の推移及び血圧測定値等からみて本件脳出血発症時に高血圧症に罹患していなかったものというべく、控訴人の脳出血は高血圧性脳出血ではない。

そして、仮に、控訴人が、本件脳出血発症時に高血圧症に罹患していたと仮定しても、非常に軽い高血圧であり、その症度は中等度以下で、高血圧症のため脳実質内の血管が容易に破綻する程度までに脆弱になっていなかったものであるから、控訴人の血管病変等は自然経過(日常における通常予想される血圧上昇)で脳出血を起こす程度まで増悪していたとは考えられない。この事実は、本件脳出血発症時控訴人の年齢が四四歳で、発症約一年五か月以前には高血圧に罹患していなかったこと、本件脳出血発症直後の昭和五〇年一〇月三一日共愛会病院におけるリハビリ訓練に入って以降の血圧は殆ど正常域で、降圧剤を服用していなかったこと、心電図検査、腎機能検査でも異常はなく、本件脳出血発症後約七年八か月後の眼底検査でもほぼ正常に近いと診断されていることからも裏付けられる。したがって、控訴人の脳出血は高血圧性脳出血ではない。

これに対し、被控訴人は、本件脳出血の発症は、本態性高血圧性のために脳内小動脈に動脈硬化ないし動脈瘤が形成され、これがなんらかの原因によって破裂して脳出血が発生したものであって、本態性高血圧症が自然増悪して発症したと主張する。しかし、非常に軽い高血圧症では、自然経過で脳出血を起こす程度にまで血管病変が進行しているものではなく、高血圧症に長年月罹患し、血管病変が血管壊死する程度にまで増悪した非常に重い高血圧症(WHOの症度基準で第二期、日本循環器管理研究協会の基準で三度以上)の場合に自然経過で脳出血を発症するものである。

5  同一五枚目裏六行目の次に、行を改め左のとおり加える。

「ハ 仮に、右いずれの主張も採用できないとしても、

〈1〉  「業務上」の疾病または死亡とは、業務と相当因果関係ある疾病または死亡と解するのが相当であり、相当因果関係があるというためには、業務と疾病もしくは死亡との間に条件関係があるだけでは足りないが、疾病等の原因のうち業務が相対的に有力な原因であることを要し、かつこれで足りるのであり、業務がその原因の中で最も有力な原因である必要はなく、相対的なものである以上、他に共働する原因があり、それが同じく相対的に有力な原因であったとしても、相当因果関係の成立を妨げないと解するのが相当である。

〈2〉  被災者の疾病の発症・増悪もしくは死亡(以上「発症等」という。)につき、業務と関連性を有しない被災者の基礎疾病(疾患)もしくは既存疾病(以下「基礎疾病等」という。)の増悪が原因となった場合であっても、業務が基礎疾病等を誘発または増悪させて発症等の時期を早めるなど、基礎疾病等と共働原因となって発症等の結果を招いたと認められる場合は、「発病の直前又は発病当日における業務(作業)の過程において特に発病の原因となるような突発的できごと、あるいは一定期間内に強度の精神的、肉体的負担となるべき事態」(災害)の存否にかかわりなく、業務と発症等との間に相当因果関係が成立すると解するのが相当である。そして、業務が相対的に有力な原因であったかどうかは、医学的知見も一つの有力な資料として、発症等に関連する一切の事情を考慮し、経験則上業務が自然的経過を超えて、発症等をさせる危険が高いと認められるかどうかによって総合的に判断(医学的メカニズムを解明する医学判定ではなく、法律的因果関係の有無を行う司法判断)されるべきである。

〈3〉  当該労働者の従事した業務が、当該労働者にとって、

(イ) 「発病の直前又は発病当日における」「特に発病の原因となるような突発的できごと、あるいは一定期間内に強度の精神的もしくは肉体的負担となるべき事態」(災害)が存在した場合はもとより、

(ロ) 右(イ)の災害が存在しなくても、発症等の当日における業務内容が当該労働者にとって、基礎疾病等の自然増悪の結果と異なり、基礎疾病等に悪影響を与える性質のものである場合、

(ハ) 右(イ)の災害が存在しなくても、発症等の前の数日間における業務内容が、当該労働者にとって、基礎疾病等の自然増悪の結果と異なり、基礎疾病等に悪影響を与える性質のものである場合、

(ニ) 右(イ)の災害が存在しなくても、発症等の前の長期間(数か月から数か年)における業務内容が、当該労働者にとって基礎疾病等に悪影響を与える性質のものである場合、

は、業務が基礎疾病等を誘発または増悪させて発症等の時期を早めるなど基礎疾病等と共働原因となって発症等の結果を招いたと推認するのが相当である。」

6  同一五枚目裏八行目から同一七枚目裏七行目までを次のとおり改める。

「イ 脳出血は、脳内の細い血管が破綻し、脳組織の中に出血し、出血した血液により脳が圧迫され、脳障害を発生させる疾病であり、血管破綻の原因の主なるものは、脳小動脈壁の病変(血管壁の壊死、間隙毛形成、内膜肥厚)と血圧の亢進であり、脳小動脈壁の病変のうち、特に重要なのは血管壁の壊死(動脈瘤を含む。)であり、他方血圧の亢進を伴う疾患として本態性高血圧症等が存在し、その他血圧を亢進させる要因として、疲労、精神ストレス、筋肉労働負担、気候、気温の変化、日間変動、憤怒のような精神感動、飽食、飲酒、上厠、温冷浴、性交等があげられており、さらに高血圧症の発症や増悪は、遺伝や体質だけをその要因とするものではなく、労働その他の生活環境にも規定されるものであって過労、精神的ストレス、冬期の急激な気温の変化等にも強く影響されるものであり、深夜労働を含む交替制労働の生活を送ることは、生態のリズムのバランスを失わせるため、高血圧症に罹患している患者が同労働に就労することは不適当である。

脳血管疾患(脳出血を含む。)は一般にその発症の基礎となる動脈硬化等による血管病変等に、これらを増悪させる血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷が加わることによりその血管病変等の自然経過を超えて発症することがあり、業務上の諸種の要因による精神的、身体的負荷が、時として血圧変動や血管収縮に関与すると医学的に考えられており、したがって、業務による精神的、身体的負荷によって血管病変等の増悪が引き起こされ、脳血管疾患が発症する可能性があると医学的に考えられている。

また、本態性高血圧症によって血管病変等の自然増悪により脳出血が発症するには、五年、一〇年という長期間を要すると医学的に考えられている。

ロ 控訴人は、毎年健康診断を受けてきたが、前記追突事故以前には一度も血圧測定において、高血圧を示す血圧値はなく、右事故で入院中高血圧が測定され、その後、昭和四九年一一月八日青山外科等にて前記のとおりの血圧値が測定されたが、控訴人の健康状態の推移からみて、控訴人は本件脳出血発症当時、高血圧症に罹患していたものとはいえず、仮に罹患していたと仮定してもその症度は、中等程度(第二期)以下であり、高血圧症のため、脳実質内の血管が容易に破綻する程度まで脆弱になっていたとはいえないというべきである。

そして、控訴人が前記追突事故以前より、高血圧症に罹患していたとする証拠はなく、控訴人は五年、一〇年という長期間、高血圧症に罹患していたものではない。

ハ ところで、控訴人が前記追突事故より九か月後の昭和五〇年二月二一日以降本件脳出血を発症した同年一〇年二〇日までの間従事したタクシー運転労働は、一般の労働に比し、一日の労働時間が長く、しかも深夜に及ぶ労働であり、かつ、事故防止のため、神経を集中し、緊張させ、それを持続させる労働であって、血圧の亢進を招き易い過重な労働であり、血管病変等の増悪を引き起こす可能性のある業務というべきである。

〈1〉  控訴人が昭和五〇年二月二一日から同年六月一二日までに従事した業務は、泊まり勤務のある基本勤務体制より拘束時間が一週間で六時間少なかったが、一週間に午前八時三〇分より翌日午前二時三〇分までの拘束一八時間、実働一六時間勤務(終車上がり勤務)を三回行う勤務形態であり、一般の労働に比し、一般の健康な労働者にとっては過重とはいえないとしても、血管病変等を有する控訴人にとっては過重というべきである。

〈2〉  控訴人が昭和五〇年六月一三日以降同年一〇月一九日まで従事した業務は、一週間に午前八時三〇分より翌日午前八時三〇分までの拘束二四時間、実働一六時間勤務(泊まり勤務)を一日と、前記終車上がり勤務を二日行う基本勤務形態であり、この間の控訴人の勤務が従前に比べその勤務回数が多いわけではなく、また、同僚の運転手に比べて過重な負担を伴う業務に従事していたわけではないが、一般の健康な労働者にとって過重といえるか否かはともかくとしても、血管病変等を有する控訴人にとっては血管病変等を増悪させる血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷を及ぼすものであった。

ニ 控訴人が本件脳出血発症当日従事した運転業務は、当初公休日の予定であったものを会社の求めに応じて終車上がり勤務に就労していたものであり、血管病変等を有する控訴人にとって過重であったというべく、控訴人が長年運転手として勤務し、時としてこのような変則的な勤務形態が起こり、また従前このような勤務に従事してきたとしても、血管病変等を増悪させる血圧変動や血管収縮を引き起こす過重負荷を及ぼすものであった。

ホ したがって、右イないしニを総合して判断すれば、控訴人は、本件脳出血発症時、脳出血の基礎となる動脈硬化等による血管病変または動脈瘤等の基礎的病態を有していたが(控訴人は、高血圧症には罹患していなかったものであり、仮に罹患していたとしてもその症度は、前記のとおり中等程度以下であったから、控訴人の本件脳出血は、本態性高血圧症による血管病変等の自然増悪によるものではない。)、昭和五〇年二月二一日以降同年一〇月一九日まで従事したタクシー運転業務による血圧亢進により、控訴人の血管病変等がその自然経過を超えて増悪し、さらに本件脳出血発症当日のタクシー運転業務による血圧亢進により、かねてより形成されていた血管病変等が急激に増悪し、本件脳出血の発症に至ったものというべく、控訴人の従事したタクシー運転業務は本件脳出血発症の相対的に有力な共働原因の一つというべきである。」

7  同二〇枚目裏七行目を「同(4)の、脳出血に関する説明のうちその要因に関する部分を除いて認め、同(4)のその余は争う。」に改める。

8  同二〇枚目裏八行目の冒頭に「高血圧症には、主として腎臓病に起因する腎性、内分泌、心血管等の異常による「症候性高血圧症」と、原因は定かではないが動脈硬化等の異常による「本態性高血圧症」とに二分されるところ、控訴人は、関係検査結果に照らし、症候性高血圧症であった可能性は否定される。」を、同二一枚目表二、三行目「CTスキャン撮影」の前に「市立函館病院における初診時の脳血管撮影、」を、同六行目「ものであり、」の次に「昭和五六年六月二六日の函館稜北病院における眼底検査においても、眼底の毛細血管は軽度の硬化所見を示していることなど」をそれぞれ加え、同六行目「このこと」を削除し、同末行目「高脂肪症」を「高脂血症」に改める。

9  同二一枚目裏七行目「同(六)(1)は争う。」を「同(六)(1)のうち、ハ〈1〉〈2〉は認め、その余は争う。」に改める。

10  同二二枚目裏末行から同二三枚目裏一行目「しなければならない。」までを次のとおり改める。

「これを脳血管疾患・心疾患の業務起因性についてみれば、次のとおりである。

イ  脳血管疾患・心疾患の病像

脳血管疾患・心疾患のうち、脳血管疾患としては、出血性脳血管疾患(脳の血管が破れて出血するもの。例えば、脳出血、くも膜下出血、硬膜下出血、硬膜外出血等)と虚血性脳血管疾患(脳血管が閉塞または狭窄を起こして脳組織への血液循環が不足するために起こるもの。例えば、脳梗塞、一過性脳虚血発作、高血圧性脳症等)とが挙げられる。他方、虚血性心疾患としては、心筋梗塞、狭心症、心臓弁膜症、心筋症、心筋炎等の外、原因が不明の疾患(診断名としては、急性心不全、心臓麻痺等とされることが多い。)が挙げられる。

脳血管疾患・心疾患は、単一の原因により発症するものではなく、高血圧症、動脈硬化の進行、高脂血症、糖尿病、肥満、塩分の取り過ぎ等の食生活の影響、喫煙、アルコール及び加齢等の多数かつ種々の原因が複雑に影響し合い発症するという特徴がある。これらは右発症にとっての促進因子ないし危険因子と呼ばれている。これら促進・危険因子は、特段の事情がない限り、業務に内在ないし通常随伴するものではないから、これらによる発症は業務に起因するものではない。

ロ  災害性疾病としての脳血管疾患・心疾患における業務起因性

災害性の脳血管疾患・心疾患における災害(原因事実としての時間的・場所的に明確にしうる一定の出来事)、すなわち、発症の誘因等としての過重な負荷が存在した事実が認められる場合である。

一般に、医学的知見においては、様々な時期における負荷について、脳血管疾患・心疾患発症の誘因等となり得る蓋然性をみるに、二四時間以内の負荷が最も高く、それから以前のものになるにつれその蓋然性は急速に低下し(特に、虚血性心疾患の場合はほとんどない。)、数日前においては極めて低いものとなり、一週間以前となれば、抽象的可能性としては否定できないという程度まで低下するといわれている。

このような医学的知見を踏まえ、労働省により、」

11  同二四枚目裏二行目の次に、行を改め左のとおり加える。

「結局、災害性疾病としての脳血管疾患・心疾患における業務起因性は、まず、脳血管疾患・心疾患の誘因等たり得る危険性を有する災害としての過重負荷の存否、右過重負荷と発症との因果関係の有無を問題とし、これが肯定された場合、さらに、相当因果関係、つまり、当該災害の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係の有無を問題とすることになる。

ハ 職業性疾病としての脳血管疾患・心疾患における業務起因性

脳血管疾患・心疾患は、右に述べた災害性のものばかりではなく、職業性、すなわち、職業に内在ないし通常随伴する有害因子の長時間の暴露による過度の疲労、負荷が他の促進・危険因子と共働して増悪し、発症する場合もないとはいえない。しかし、このような場合の業務起因性の有無を判断することは極めて困難な問題であり、現代の医学知見によっても特定の業務との相関関係は認められていない。疲労、負荷が業務以外によっても生ずるし、個人差が著しく、その影響を客観的に判断することが困難であり、業務に従事する期間を幅をもって把握しようとすればするほどその困難は増幅するからである。

職業性疾病としての脳血管疾患・心疾患における業務起因性は、災害性疾病のように業務に関連する突発的若しくはその発生状況を時間的場所的に明確にしうる出来事によって媒介されているわけではなく、発症と条件関係を持つ業務に関連する漸進的な疾病の原因となる事象の存否及び発症との条件関係(共働関係を含む。)が問題となり、これが肯定された場合、さらに、相当因果関係、つまり、当該災害の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係の有無を問題とすることになる。」

12  同二四枚目裏三行目を「(2) 同(2)イの、脳出血に関する説明のうちその要因に関する部分を除いて認め、同(2)イのその余の事実、同ロないしホは争う。」に改める。

13  同二四枚目裏八行目「ことからして、」の次に「タクシー運転業務自体に他の職種と比較して右疾患を発病させる有害因子が一般的に含まれるものとは解しがたく、」を加える。

三  証拠関係 〈略〉

理由

一  当裁判所も、控訴人の本訴請求は失当として棄却すべきものと判断する。その理由は、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。ただし、次のとおり付加・訂正・削除する。

1  原判決書二七枚目表七行目「疾病にかった」を「疾病にかかった」に改める。

2  同二七枚目裏二ないし四行目「労働者に基礎疾病が存在する場合、業務がその基礎疾病と共働原因となって当該疾病を発症させたと認められるときには」を「労働者に基礎疾病が存在する場合、医学的知見を含め経験則に照らして、業務の遂行が基礎疾病をその自然的経過を超えて増悪させたと認められるときには」に改める。

3  同二八枚目表八、九行目及び同五四枚目表一行目の「約一五年余」をそれぞれ「約一六年余」に改める。

4  同三九枚目表九行目「甲第一号証の」の次に「一二、」を加え、同一〇行目「同号証の」の次の「一二、」を削除する。

5  同四七枚目裏六行目「第二七号証、」の次に「第三二号証、」を加える。

6  同四八枚目表三行目末尾の次に「しかし、脳出血の発症は、高血圧者ばかりではなく、境界域血圧者及び正常血圧者にも見られるものであり(福岡県久山町における住民追跡調査の結果では、脳出血の発症率は、拡張期高血圧者、収縮期高血圧者、境界域高血圧者及び正常血圧者の順番で低下し、正常血圧者の発症率は拡張期高血圧者の一〇分の一以下である。)、また、血管壊死もしくは血漿性動脈壊死についても同様に高度高血圧者ばかりではなく、中等度高血圧者あるいは正常または軽度高血圧者にも認められる。」を加える。

7  同五〇枚目裏二、三行目「高血圧症」を「高血圧」に改め、同裏六行目「なお、」から同五一枚目表四行目までを削減する。

8  同五一枚目表五行目の前に次のとおり加える。

「五 控訴人は、タクシー運転労働の特徴を指摘し、タクシー運転労働は、タクシー運転手とりわけ高血圧症罹患者にとって、血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、脳出血を発症させるリスクファクターであると主張し、右主張を裏付けるために原審及び当審において、甲第三〇、第三三、第四七号証、第五三ないし第五五号証を提出し、原審証人斉藤一の証言、財団法人労働科学研究所に対する鑑定嘱託の結果及び当審証人上畑鉄之丞の証言を援用するので、この点について検討する。

当審証人上畑鉄之丞は、タクシー運転手、とりわけ高血圧症に罹患しているタクシー運転手は、運転労働に従事して、血液中のナトリュウム、カリウム比が徐々に低下してゆき、勤務が終了してもなかなか回復せず(回復が遅れ)、勤務明けの翌日の午後以降に回復すること、血液中のアドレナリンの排泄量が勤務中の深夜時間帯に最も増大すること、このため高血圧症罹患者の血圧は、収縮期血圧も拡張期血圧も、高血圧値をさらに上回る異常値に上昇する、高血圧症に罹患したタクシー運転手は、運転労働に従事することによって、繰り返し繰り返し日常生活において通常予想された血圧上昇をはるかに超え、しかも高血圧値をはるかに上回る異常血圧となるものであり、非常に軽い程度の高血圧症罹患者であっても、短期間にその血管病変を増悪させ、脳出血を発症させるに至るものである、と供述し、右甲号各証にも、一部その趣旨にそう記載が見られ、原審証人斉藤一も、タクシー運転労働の特徴を指摘し、人体に対する悪影響について供述している。

〈証拠略〉(労働省労働基準局安全衛生部編に係る「労働衛生のしおり」及びそれに基づいて作成された高血圧症に関する統計表)によれば、昭和五一年から昭和五五年まで行われた産業別定期健康診断実施結果が発表されており、その実施結果に基づき検討すると、先ず、全体の平均疾病率ないし疾病発見率については昭和五一年から昭和五五年までそれぞれ七・七%、七・四%、八・〇%、八・六%、八・八%であり、道路旅客運送業の平均疾病率ないし疾病発見率は昭和五一年から昭和五五年までそれぞれ七・四%、七・六%、九・〇%、一〇・二%、一一・三%であり、疾病率ないし疾病発見率の高い方では、農業、鉱業の一七ないし二〇%、官公署は一二ないし一七%程度であり、道路旅客運送業の疾病率ないし疾病発見率は平均疾病率ないし疾病発見率を下回っているところ、右全疾病のうち高血圧症は相当高率の割合を占めていること、高血圧症についてみれば、産業全体の疾病数は、昭和五一年から昭和五五年までそれぞれ全受診者数一一〇八万一一六九人中三三万三五〇一人、一一一五万四一八六人中三八万〇二三五人、一一一三万二四八七人中四〇万七三一一人、一一一五万八四七二人中四三万六〇九九人、一一三〇万六九九〇人中四六万九六〇六人で、疾病率は三・〇%ないし四・一%であること、運輸交通業全体では右五年間の平均疾病率は五・二%であり、道路旅客運送業は四・五%、鉄道・軌道・水運・航空業は五・九%、道路貨物運送業は四・六%、その他の運輸交通業は四・二%となっており、一方、高い業種は清掃・と殺業、官公署の七・九%、低い業種では通信業、製造業の三・七%、三・二%であること、心疾患の疾病率についても、昭和五一年から昭和五五年までそれぞれ全受診者数一一〇八万一一六九人中二万二二六一人、一一一五万四一八六人中二万七〇四七人、一一一三万二四八七人中二万九三三五人、一一一五万四八四七人中三万一五一二人、一一三〇万六九九〇人中三万四九二六人であり、疾病率は〇・二〇%から〇・三〇%であり、道路旅客運送業では昭和五一年から昭和五五年までそれぞれ全受診者数三九万〇七七八人中五七七人、四一万九〇八三人中八九七人、四三万〇九二二人中一〇六六人、四一万五三八一人中八六六人、四五万二二六二人中一一六三人となっており、疾病率は〇・一五%から〇・二五%であり、道路旅客運送業の疾病率は産業全体の平均疾病率と比べてもやや下回っていることが認められる。

さらに、〈証拠略〉の「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」の昭和六二年九月八日付け「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」によれば、福岡県久山町における住民追跡調査の結果では、脳出血の発症は、拡張期高血圧者、収縮期高血圧者、境界域高血圧者及び正常血圧者の各群に見られ、その発症は拡張期高血圧者が最も多く、以下右の順番で低下し、拡張期高血圧者は正常血圧者の一〇倍以上に及んでいること、脳出血患者の脳動脈には血管壊死もしくは血漿性動脈壊死と呼ばれる特殊な血管病変が見られるが、ある剖検例では、血管壊死の頻度は、正常または軽度高血圧者では一五%、中等度高血圧者では四〇%、高度高血圧者では五六%に認められたと報告されていること、発症に関する臨床的要因として、季節、発症の時間帯、身体的負荷、飲酒、ストレス、入浴を取り上げ、これについて考察しているが、身体的負荷については、「強い身体的負荷が脳出血発症の要因となり得るであろうことは、経験的に知られている。身体的負荷の軽重と高血圧との関連について、諸家の報告がみられるが、脳出血との関連に関しても、主として高血圧を介して脳出血発生の要因となっているものであろう。」と、ストレスについては、「精神的不安、緊張、焦燥など種々の心理的ストレスが、脳出血発症の要因因子として考慮しなければならない場合がある。一般に、両者の因果関係を医学的に立証することは困難な場合が多い。症例ごとに慎重に検討する必要がある。」と説明されていることが認められる。

右事実によれば、道路旅客運送業の疾病数及び疾病率と他の業種のそれにとの間には注目しなければならない程度の有意差はないというべきであり、高血圧症の疾病発見率についても道路旅客運送業は全産業平均の疾病率を上回るものの、高い業種の清掃・と殺業、官公署の七・九%と比較してかなり下回っており、高血圧症あるいは脳疾患と密接に関連する心疾患の疾病率についても他の業種に比較して注目しなければならない程度の有意差はないといわなければならず、道路旅客運送業が他の業種に比べて高血圧症あるいは脳疾患と密接に関連する心疾患についても特に危険な業種ということはできない。

道路旅客運送業が全体の疾病数及び疾病率、特に高血圧症あるいは脳疾患と密接に関連する心疾患の疾病率についても他の業種に比較して注目しなければならない程度の有意差はないという右事実並びに前掲乙第八、第二七号証、成立に争いのない乙第三三号及び原審証人小暮久也の証言と対比すると、控訴人の主張(タクシー運転労働の特殊性から、タクシー運転労働が、とりわけ高血圧症罹患者にとって、血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、脳出血を発症させるリスクファクターであるとする。)に沿う甲第三〇、第三三号証、第四七号証、第五三ないし第五五号証あるいは原審証人斉藤一の証言、財団法人労働科学研究所に対する鑑定嘱託の結果及び当審証人上畑鉄之丞の証言はにわかに採用することはできず、他に、控訴人の右主張を認めるに足りる証拠はない。」

9  同五一枚目表五行目冒頭の「五」、同五二枚目表末行冒頭の「六」及び同五六枚目裏八行目冒頭の「七」をそれぞれ「六」、「七」、「八」に改める。

10  同五二枚目裏六行目「生起した、」を「生起し、」に改め、同行「というものである。」を削除し、同裏一〇行目「不十分である、」を「不十分であり、」に改め、同行「脳出血」から「存在しない、なお、」までを削除する。

11  同五三枚目表六行目から同裏九行目までを次のとおり改める。

「そうすると、労働者に本態性高血圧症が存在する場合、医学的知見を含め経験則に照らして関係事実を総合検討して、業務の遂行が当該労働者の本態性高血圧症をその自然的経過を超えて増悪させたと認められるときには、右業務の遂行と脳出血の発症との間に相当因果関係を認めるのが相当である。」

12  同五六枚目表四行目の次に、行を改め左のとおり加える。

「(六) なお、控訴人は、高血圧症に罹患していた控訴人にとってタクシー運転業務は過重負荷であったと主張し、右主張に沿う原審証人斉藤一の証言、財団法人労働科学研究所に対する鑑定嘱託の結果があり、当審証人上畑鉄之丞の証言中にもこれに沿う供述部分がある。

しかし、右各証言ないし鑑定嘱託の結果は、タクシー運転労働が、とりわけ高血圧症罹患者にとって、血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、脳出血を発症させるリスクファクターであることを前提にするものであり、右前提が採用できないことは既に指摘したとおりであるから、右各証言ないし鑑定嘱託の結果も同様に採用することはできない。

また、控訴人がタクシー運転業務に従事中に本件脳出血が発症したことは当事者間に争いがないが、右事実のみから直ちに控訴人が従事していたタクシー運転労働が、高血圧症罹患者である控訴人の血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、本件脳出血を発症させたと結論づけることができないことはいうまでもない。〈証拠略〉の高血圧者の発症に関する臨床的要因に関する前期説明によれば、強い身体的負荷ないし精神的不安、緊張、焦燥など種々の心理的ストレスが、脳出血発症の要因因子となりうるものであり、控訴人が従事していたタクシー運転業務も一定の状況のもとにおいては脳出血発症の要因因子となりうる可能性があったことは否定することができない。

しかし、先に認定したとおり、控訴人は、本件脳出血発症前三か月の間に母親の三三年忌出席のため栃木県所在の実家に帰省するために公休日を挟んで引き続き六日の休暇を取った以外に休暇を取ったことはなく、控訴人が昭和五一年三月八日被控訴人事務官に対して、本件追突事故後に復帰した職場の状況について「復職してから特に身体がだるいということはなく、運転以外の仕事をさせられたこともない、かえって他の人より楽だったかもしれない。」旨、本件脳出血発症当日の状況について「(本件脳出血の)発生当日は二万円程の収入で三〇〇キロメートル程走行していると思いますが、発病までは身体に異常は全くなく乗客も通常の日より少なく暇な方でした。」というように述べている事実、さらに控訴人は本件脳出血のころタクシー運転業務がきつく、過労であるということを家族ないし同僚など周囲の者にもらしていたことを認めるに足りる証拠もないことを考慮すると、控訴人は本件脳出血発症当日あるいはそれ以前の数か月においても自己のタクシー運転業務に格別負担感を抱いていた様子は窺えず、タクシー運転業務が控訴人の心身に対し格別のストレスとして作用していたものとは認められない。」

13  同五六枚目表五行目冒頭「(六)」を「(七)」に改める。

14  同五六枚目表一〇行目「本件脳出血については、」から同表末行、同裏一行目「見ることはできず、」を「控訴人の従事していたタクシー運転業務が控訴人の本態性高血圧症をその自然的経過を超えて本件脳出血を発症させるほどの過重な負荷とはいえず、他に右事実を立証するに足りる証拠もないから、」に改める。

二  よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、民訴法三八四条、行訴法七条、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 楠賢二 安齋隆 持本健司)

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