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東京地方裁判所 平成元年(ワ)4881号 判決

原告 五十嵐鋼三

右訴訟代理人弁護士 倉田哲治

同 尾嵜裕

同 木村喜助

被告 東京海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役 松多昭三

右訴訟代理人弁護士 飯田隆

同 金丸和弘

同 山岸良太

同 増田晋

同 奥田洋一

同 市川直介

同 渡邊肇

同 菊地伸

主文

一  被告は、原告に対し、金二億七〇〇〇万円及びこれに対する平成元年四月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、海上、運送等の各種保険事業を行うことを目的とする会社である。

2  原告は、昭和六二年七月上旬、木下博道(以下「木下」という。)から、ルノアール作の油彩「LE BOUQUET FLEUR」(「花束」、84×65cm、以下「本件絵画」という。)を、一五〇万米ドル(当時のレート一米ドル約一五〇円として、約二億二五〇〇万円相当)で購入し、その所有権を取得した。

3  保険契約の締結

(一) 原告は、昭和六二年七月二四日、被告との間で、左記のとおり動産総合保険契約を締結した。

(1) 保険の目的 本件絵画

(2) 保険金額 二億七〇〇〇万円

(3) 保険期間 昭和六二年七月二四日から昭和六三年七月二四日午後四時まで

(4) 保険料 一六二万円

(二) 右保険契約においては、詐欺又は横領に起因して保険の目的に生じた損害は填補しない約定であったが、原告は、昭和六二年一〇月五日、被告との間で、右動産総合保険契約に、右損害をも填補する旨の詐欺・横領危険担保特約条項を付加することを合意した(以下「本件特約」という。)。

4  保険事故の発生

(一) 原告は、昭和六二年七月二四日、G株式会社(以下「G」という。)に本件絵画の輸入及び通関手続を依頼して本件絵画をG画廊に搬入させ、Gの代表取締役であるA(以下「A」という。)及びB(但し、同人は、昭和六二年一二月一六日代表取締役を辞任し、取締役となった。以下「B」という。)に本件絵画を預けていた。

ところが、Gは、同年一一月二四日ないし二五日ころ、本件絵画をGの株式会社三星(平成元年八月に商号を「株式会社サンセイ・アクティブ」に変更している。以下「三星」という。)に対する一億三〇〇〇万円の債務の担保に供し、その後、金融業者の北見事務所に依頼して本件絵画を受け戻したが、更にGの北見事務所に対する債務の担保に供した。

Gは、北見事務所に対する右担保設定の後、北見事務所に対して本件絵画の売却先を探すよう依頼していたところ、北見事務所が株式会社馬里邑(以下「馬里邑」という。)との間で売買契約を締結する交渉を進展させたので、昭和六三年一月二〇日ころ、北見事務所が馬里邑に対して本件絵画を二億七〇〇〇万円で売却することを承諾した。

右売買契約に当たって、馬里邑は、Gに本件絵画の売却権限があるものと信じていたので、本件絵画を即時取得した。その結果、原告は、本件絵画の所有権を喪失した。

(二) 以上のようなGの本件絵画の処分行為は、原告に対する本件絵画の横領行為に該当し、右横領行為の内容を、Gが昭和六三年一月二〇日ころ、北見事務所が馬里邑に対して本件絵画を売却することを承諾した行為として把握するか、あるいは、Gが昭和六二年一一月二四日ないし二五日ころ、本件絵画を三星に対する債務の担保に供した後、昭和六三年一月二〇日ころ、北見事務所が本件絵画を馬里邑に対して売却することを承諾するまでの一連の行為として把握するかはともかく、いずれにしても横領行為を構成することは明らかであり、本件特約の保険事故に該当する。

5  右事故発生当時の本件絵画の価額は、前記保険金額の二億七〇〇〇万円を下回らない価額であった。

6  よって、原告は、本件特約に基づいて、被告に対し、本件金二億七〇〇〇万円及びこれに対する訴訟送達の日の翌日である平成元年四月二二日から支払済みまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし4(一)の各事実は認め、同4(二)は争う。同5は不知。

三  抗弁

1  Gの売却権限

原告は、本件絵画をGを通じて転売の目的で購入し、昭和六二年七月二四日、荷受人をGとして通関手続をした後、Gの画廊に搬入したが、その際、Gに対して本件絵画の売却を依頼するとともに、売却の権限を授与した。すなわち、

(一) Gは、本件絵画の輸入及び通関手続を行い、自己の画廊に本件絵画を搬入したが、右手続に要した手数料を原告に対して請求しておらず、また、売却の準備として行った額装及び写真撮影等に要した費用(六〇万円ないし七〇万円)も原告に対して請求しておらず、いずれもGが自ら負担した。

(二) 絵画は、画商の名において売却されるのが一般であるが、これは、所有者である委託者から画商に対して絵画の売却権限が授与されていることの証左である。また、委託者から暗黙のうちに売却を依頼された場合でも、画商は、委託者の売却希望価格を推測することが可能であり、委託者も具体的な希望価格を提示せずに売却を依頼することが多く、画商は、事前に委託者の了解を得ないで売却するのが絵画の売却依頼の取引慣行となっている。

本件においても、GのAは、原告の本件絵画の購入に関与し、原告の本件絵画購入価格を知っており、原告の売却希望価格を推測し得る立場にあったので、売却の依頼を受けた段階で、原告との間で具体的な売却条件について協議する必要はなかった。

(三) Aは、昭和六二年一二月初旬、当時アールグレイ株式会社(以下「アールグレイ」という。)により本件絵画の具体的な売却の話が進行していたので、原告に対し、本件絵画を二億円程度で売却できる見込みである旨を説明したところ、原告も、右売却について基本的に了解した。

(四) Gは、同月二二日ころ、原告に対して小切手三通額面合計二〇〇〇万円を交付し、右小切手は、いずれも同月下旬に決済されたが、右小切手三通の交付及び決済は、本件絵画の売却前に原告対する前渡金支払としてされたものであり、右事実は、Gが本件絵画について売却権限を有していたことを裏付けるものである。

2  本件特約締結前における横領行為の発生

以下に述べるとおり、本件特約締結前に、Gが本件絵画を横領し、横領罪が既遂となった。

したがって、本件特約締結当時、原告は被保険利益を有いておらず(喪失し)、Gが北見事務所に対して本件絵画を馬里邑に売却することを承諾した行為は、本件特約にいう「横領」には該当せず、しかも、最終的な原告の本件絵画に対する所有権の喪失(損害の発生)は、既に生じていた前記横領行為に起因するものであるから、本件においては保険事故は存在しない。

(一) 本件の経過

(1) 前記のとおり、原告は、昭和六二年七月二四日、荷受人をGとして本件絵画の通関手続をした後、Gの画廊に搬入し、同日、Gに対してその額装を依頼した。

(2) ところが、Gは、翌二五日、本件絵画をクボタ商事株式会社(「ギャラリーくぼた」ともいう。以下「クボタ商事」という。)に対する四〇〇〇万円の債務の担保に供し、同月三〇日、一旦はクボタ商事から本件絵画を受け戻したが、同年八月一日、再びクボタ商事に対し、本件絵画を他の絵画とともに五〇〇〇万円の債務の担保に供した。

(3) そして、Gは、同年九月二五日、本件絵画をクボタ商事から一時的に借用して、五洋物産株式会社(以下「五洋物産」という。)に搬入し、掲額したが、翌二六日、これをクボタ商事に返却した。

(4) Gは、同年一一月六日、本件絵画をクボタ商事から受け戻し、同日、金融業者の株式会社アイチ(以下「アイチ」という。)に対する債務の担保に供したが、同月二四日ないし二五日ころ、アイチから本件絵画を受け戻した上、売却のためにアールグレイに預けた。しかし、Gは、アールグレイを通じて三星から一億三〇〇〇万円を借り入れたので、本件絵画を三星に対する右債務の担保に供した。

その後、Gが本件絵画をアールグレイに対して売却するのを取り止めたため、北見事務所は、同年一二月二五日ころ、三星に対し、Gへの貸付額に利息を加えた合計一億三五〇〇万円をGに代わって支払い、更にGに対して一〇〇〇万円を貸し付けた。そこで、Gは、北見事務所に対し、本件絵画を右合計一億四五〇〇万円の債務の担保に供した。そして、北見事務所は、昭和六三年一月二〇日ころ、馬里邑に対し、本件絵画を代金二億七〇〇〇万円で売却した。

(二) 被保険利益の不存在

本件において原告が保険金請求権を有するというためには、その前提として被保険利益が存在しなければならない。被保険利益とは、保険事故の発生により被保険者が損害を被るおそれのある経済的利益をいうところ、本件特約締結当時(昭和六二年一〇月五日)には、本件絵画は、Gのクボタ商事に対する債務の担保に供され、担保権者のクボタ商事が占有していたから、既に横領罪は既遂に達しており、しかも、Gは、当時慢性的、継続的な資金不足状態に陥っていたから、クボタ商事に対する債務を弁済して本件絵画を受け戻し得る可能性は全くなかった。したがって、原告には、本件特約を締結した当時、被保険利益は存在しなかった。

また、Gによるクボタ商事あるいはアイチからの本件絵画の受戻しは、本件絵画を更に他の金融業者に対して担保に供するための準備行為としてされたものであるから、右受戻しをもって被保険利益が回復されたと認めることはできない。

(三) 「横領」行為の不存在

本件においては、Gが本件絵画を昭和六二年七月二五日、クボタ商事に対して担保に供した行為により、横領罪は既遂に達し、これによって原告とGとの間の委託信任関係は破壊された。

その後、昭和六三年一月二〇日ころ、本件絵画が北見事務所から馬里邑に対して売却された当時は、Gは、本件絵画を占有しておらず、右売却は、担保権者である北見事務所が担保品の処分として行ったものであって、もとよりGの行為とはいえない。したがって、右当時、Gには、横領罪の構成要件である「占有」も「横領行為」も存在しなかった。

仮に、昭和六二年七月二五日に横領罪が既遂に達したとは認められないとしても、Gが本件絵画を同年九月二六日、クボタ商事に返却し担保に供した行為により、横領罪は既遂に達したというべきであり、Gは、前記のとおり本件絵画を受け戻し得る資力もなく、その後のクボタ商事からの本件絵画の受戻しは、以後における借替えのための準備行為としてされたものに過ぎないから、原告の本件絵画の所有権喪失は、本件特約締結前に発生した横領行為に起因するものである。

したがって、本件絵画の馬里邑への売却は、本件特約にいう「横領」には該当せず、しかも、原告の損害は、本件特約締結前に既に発生した横領に起因するから、保険事故には該当しない。

3  錯誤

(一) 動産総合保険は、具体的な物について生ずる事故を保険事故とする、いわゆる物保険であることから、保険会社は、保険契約の締結に当たり、一般に、主としてその物の形態及び性質等に着目して物に対する事故発生の危険性の程度を予測するのであるが、本件のような詐欺・横領危険担保特約の締結に当たっては、被保険者の信用あるいは預託先の信用が危険性判断の重要な要素となるため、被保険者の事故歴、付保歴、目的物の種類及び保管状況その他の具体的諸事情を総合勘案して、個別的に危険性の程度を判断することになる。

(二) 原告及び被告は、本件特約を締結するに当たって、本件絵画が預託先のGにより横領されていないこと並びに本件特約締結後も、本件絵画がGに引き続き預託されることを共通の認識としていた。

しかし、現実には、本件特約締結前の遅くとも昭和六二年九月二六日の時点において、本件絵画は、Gによりクボタ商事に対する債務の担保に供され、これにより横領罪は既遂に達していた。

被告にとっては、本件特約の締結に当たり、被保険者の信用と同時に預託先の信用も危険性判断の重要な要素となるから、本件特約を締結した当時、預託先のGが既に本件絵画を担保に供している事実を知っていたとすれば、本件特約を締結するようなことはおよそあり得ないことであって、このことは、原告も当然に知り又は知り得たものである。

したがって、本件特約は、錯誤により無効である。

4  損害の回復

前記のとおり、原告は、昭和六二年一二月二二日ころ、Gから小切手三通額面合計二〇〇〇万円の交付を受け、右小切手は、いずれも同月下旬に決済された。

右小切手は、本件絵画の売却代金の一部として交付されたものであり、少なくとも右限度においては、原告の損害は回復されている。

したがって、原告は、右二〇〇〇万円の限度において保険金請求権を有しない。

四  抗弁に対する認否及び原告の主張

1  抗弁1(Gの売却権限)について

(一) 抗弁1の冒頭の事実中、原告が本件絵画を昭和六二年七月二四日、荷受人をGとして輸入及び通関手続をした後、Gの画廊に搬入したことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告は、昭和六二年七月二四日、額装のために本件絵画をGに預け、また、額装終了後の同年一〇月一四日ころ、購入希望者を探してもらう目的で本件絵画をGに預けたものである。

(二) 抗弁1(一)の事実は認める。

(三) 抗弁1(二)の事実は否認する。

売主が画商との間で、あらかじめ最低売却価格を決めることなく絵画の売却を依頼することはあり得ない。原告がGとの間で、あらかじめ本件絵画の最低売却価格を決めていなかったことはAも認めているところである。

(四) 抗弁1(三)の事実は否認する。

(五) 抗弁1(四)のうち、Gが、昭和六二年一二月二二日ころ、原告に対して小切手三通額面合計二〇〇〇万円を交付したことは認めるが、その余の事実は否認する。

右小切手は、原告がGに預けていたルーベンス作「頭部習作」(又は「二つの顔のエチュード」ともいう。以下「頭部習作」という。)の代金の一部として受領したものである。

2  抗弁2(保険事故の不存在)について

(一) 抗弁2の冒頭の事実は否認する。

(二) 抗弁2(一)のうち、原告が昭和六二年七月二四日、本件絵画の荷受人をGとして輸入及び搬入し、同日、Gに対して本件絵画の額装を依頼したことは認めるが、Gが昭和六二年九月二五日、本件絵画を五洋物産に搬入し、掲額したが、翌二六日、これを受け戻してクボタ商事に返却したことは否認し、その余の事実は不知。

本件絵画は、額装完了後の昭和六二年一〇月二日、原告の下に搬入され、その後同月一四日ころまで一時五洋物産の応接間に掲額されていたが、本件絵画の買主を探してもらうため、原告が再びGに預けたものである。

しかし、Gに対して、本件絵画の売却権限までは授与していない。

(三) 抗弁2(二)のうち、本件特約締結当時、本件絵画がGのクボタ商事に対する債務の担保に供されていたことは不知。その余の事実は否認する。

昭和六二年七月二五日、Gが本件絵画をクボタ商事に対する債務の担保に供した際の債務額は四〇〇〇万円ないし五〇〇〇万円であったから、右は本件絵画の時価一八〇万米ドル(約二億七〇〇〇万円)又は原告の購入価格一五〇万米ドル(約二億二五〇〇万円)のわずか二割程度に過ぎず、Gとしても、右債務を弁済して本件絵画を受け戻すことは十分に可能であった。現実に、Gは、弁済あるいは所有に係る絵画を代わりに担保に供することによって本件絵画を受け戻している。

したがって、本件特約締結当時はもちろん、同年一一月二四日ないし二五日ころ、Gが三星の債務の担保に供した当時も、さらに、北見事務所が馬里邑に売却した当時も、原告は、終始本件絵画の所有権を有していただけでなく、所有者として現実に使用収益等をすることが可能な状態にあったから、被保険利益を有していたものである。

(四) 抗弁2(三)のうち、Gが昭和六二年七月二五日及び同年九月二六日に、本件絵画をクボタ商事に対して担保に供したこと、昭和六三年一月二〇日ころ、本件絵画が北見事務所から馬里邑に対して売却されたことは不知。その余の事実は否認する。

刑法上は、信任違背行為そのものを犯罪として処罰することから、Gの担保設定行為によって横領罪は既遂となる。しかし、本件特約においては、受託者(G)が債務の弁済又は代わりの絵画を担保に供することにより、委託者(原告)の委託物(本件絵画)を受け戻せば、受託者は現実の占有を回復し、委託者たる所有者への返還が可能となるから、この場合には損害は発生せず、保険事故とはならない。すなわち、本件特約にいう横領とは、受託者の行為によって委託者がその物に対する所有権を喪失し、法律上取戻しが不能となる行為をいうのである。

前記のとおり、Gは、弁済又は代わりの絵画を担保に供することにより、いつでも本件絵画を受け戻すことが十分に可能な状態にあったのであり、現に本件絵画を受け戻して占有を回復している。

3  抗弁3(錯誤)について

(一) 抗弁3(一)の事実は認める。

(二) 抗弁3(二)の事実は否認する。

本件特約締結当時、Gが本件絵画を担保に供していたとしても、原告は、本件絵画の所有権を喪失してはいないから、横領による本件絵画の所有権喪失を保険の目的として契約を締結したことについては、当事者間に何らの錯誤もなく、また、当時、原告及び被告の代理店株式会社日本テレビサービス保険部の矢橋實(以下「矢橋」という。)は、Gが本件絵画を担保に供していた事実を全く認識していなかったのであるから、本件特約には要素の錯誤はない。

4  抗弁4(損害の回復)について

抗弁4のうち、原告が昭和六二年一二月二二日ころ、Gから小切手三通額面合計二〇〇〇万円の交付を受け、そのころ決済されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

前記のとおり、右二〇〇〇万円は、原告がGに預けていた「頭部習作」の代金の一部として受領したものである。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  争いのない事実

1  請求原因1ないし4(一)の各事実は、当事者間に争いがない。

なお、請求原因3(二)につき、乙第一号証によると、動産総合保険普通保険約款第四条は、「当会社は、特約のある場合を除き、次に掲げる損害に対しては、保険金を支払いません。」と規定し、同条第三号は、「詐欺または横領に起因して保険の目的に生じた損害」を掲記しているが、詐欺・横領危険担保特約条項第一条は、「当会社は、動産総合保険普通約款第四条第三号の規定にかかわらず、この特約に従い、詐欺または横領によって保険の目的に生じた損害に対して、保険金を支払います。」と規定し、詐欺又は横領による損害についても保険金支払の対象とすることを明記していることが認められる。

2  抗弁1の冒頭の事実中、原告が本件絵画を昭和六二年七月二四日、荷受人をGとして輸入及び通関手続をした後、Gの画廊に搬入したこと、抗弁1(一)の事実、抗弁1(四)のうち、Gが昭和六二年一二月二二日ころ、原告に対して小切手三通額面合計二〇〇〇万円を交付したこと、抗弁2(一)のうち、原告が昭和六二年七月二四日、Gに搬入し、同日、Gに対して本件絵画の額装を依頼したこと、抗弁3(一)の事実、抗弁4のうち、原告が昭和六二年一二月二二日ころ、Gから小切手三通額面合計二〇〇〇万円の交付を受け、そのころ決済されたことは、当事者間に争いがない。

二  Gの売却権限について

被告は、原告がGに対して本件絵画の売却権限を授与した旨主張するので、以下この点について検討する。

1  甲第三、第五、第七、第八、第一〇ないし第一六、第一八号証、乙第四号証の一、二、第五、第七号証、第一一号証の四ないし八、第一三、第一四号証の各一、二、第一九号証、第二〇号証の三の二ないし九、第二三ないし第二七号証、第二八号証の二ないし六、証人Aの証言及び原告本人尋問の結果並びに前記争いのない事実によると、以下の事実が認められる。

(一)  本件絵画購入までの経緯

(1) 原告は、本件絵画を購入する約二〇年前から絵画に興味を抱くようになり、専ら東京都内のデパートで主に一〇〇万円単位の比較的安価な絵画を転売の目的ではなく、自らの鑑賞用として購入していた。

(2) 原告は、昭和六二年一月、原告が取締役に就任していた五洋物産の代表取締役である佐藤敏夫(以下、「佐藤」という。)から、GのAを紹介され、同人とスイスへ出かけて佐藤が経営する各ゴルフクラブのロビーに飾る絵画をスイスで購入し、日本へ搬送するよう依頼されたので、直ちに渡欧し、チューリッヒで、ルノアール、モネ及びゴヤの絵画三点を六三〇万米ドル(約九億四五〇〇万円)で購入し、同年二月中旬、東京都港区西麻布の五洋物産に搬入した。その後、佐藤は、右絵画をいずれ飾る予定の各ゴルフクラブ(株式会社清川カントリークラブ、株式会社秦野カントリー倶楽部、株式会社サニーフィールドゴルフ倶楽部)に対し、購入価格と同額で売却したが、Aから熱心に転売を勧められたので、これを承諾し、各カントリークラブとGとの間で、同月一八日、各絵画の目標販売価格を定めた上、同年八月一五日までの間、Gに対してその売却委託を行う旨の物品販売委託契約を締結してその旨の契約書(甲第七号証添付、甲第一六号証)等を取り交わし、右絵画をGに預けた。その際、原告は、右契約書に立会人として署名押印した。

(3) 原告は、同年四月中旬に渡欧した際、スイスのジュネーブで、知合いの木下からルーベンス作「頭部習作」を紹介され、資料を受け取って帰国した。

原告は、帰国後、A及びBに対して右資料を示して相談したところ、是非購入するようにと勧められたので、購入を決意し、同年五月二日、池袋信用組合から借り入れた金員の中から四五〇〇万円を木下に渡して購入を依頼した。その結果、「頭部習作」は、同月一四日、成田に到着し、直ちにGに搬入された。そして、原告は、Aから右絵画の転売を勧められたので、購入希望者が現れたときに売却価格等の条件を相談して決定することを約束して、Gに預けた。なお、原告は、同月二八日、被告との間で、「頭部習作」を保険の目的として、保険価格を九五〇〇万円とする動産総合保険契約を締結した。

(二)  本件絵画購入の経緯

(1) 原告は、同年七月六日、再びスイスに行った際、木下から本件絵画を紹介され、資料を受け取って帰国した。帰国後、A及びBに本件絵画を一八〇万米ドル(約二億七〇〇〇万円)で購入することの是非について相談したところ、「素晴らしい絵なので大化けする」(高額で転売できる可能性がある)などと購入を勧められたので、購入することを決意した。

(2) 原告は、木下から、本件絵画を最終的に一五〇万米ドル(約二億二五〇〇万円)で購入することになり、同年七月一四日に手付金一五万米ドル(二二五〇万七二四六円)、同月一七日に残金一三五万米ドル(二億〇五六七万八〇〇〇円)を送金した。

原告は、本件絵画購入のため、右代金のほかに、航空運賃、運送保険、国内保険及び金利等を負担し、総額で二億七一二七万四〇五六円を出費したが、右資金は、原告の前妻の所有名義の不動産を担保として世田谷信用金庫から二億五〇〇〇万円を借り入れて調達した。

(3) 原告は、本件絵画の輸入、通関手続等をGに依頼し、同年七月二三日、Gに対して送付した資料の中に、「〈1〉販売につきましては運送保険金額US350万ドルをコストと想定しその後の展開はお任せ致します。〈2〉額装の御手配も願い上げます」と記載して(乙第二八号証の六)連絡した。

同月二四日、本件絵画がGに搬入されたので、原告は、同日、Gに対し額装を依頼して本件絵画を預け、Gから同月三一日、以前から預けていた「頭部習作」と併せて「預り証」の交付を受けたが、その後額装が終了してからも売却条件の内容いかんによっては売却してもよいと考えていたので、そのままGに預けていた。

(三)  本件絵画購入後の経緯

(1) 後記のとおり、Gは、同月二五日、クボタ商事から運転資金を借り受け、原告には無断で本件絵画を担保に供したが(乙第一一号証の四)、同月三〇日、クボタ商事に右債務を弁済して本件絵画を一旦受け戻した(乙第一一号証の五)。しかし、同年八月一日、クボタ商事から運転資金を借り受け、やはり原告には無断で本件絵画をマルケの絵画とともに担保に供した(乙第一一号証の六)。そして、Gは、クボタ商事で額装した上、同年九月中旬、Bの手紙で原告に対して、ようやく本件絵画の額装が終了したので納品する旨を伝える一方、同月二五日、クボタ商事から、翌二六日までの期限付きで本件絵画を受け戻し、その代わりにルノアール作「横向きの若い女性の肖像」を担保に供した(乙第一一号証の七)。

(2) 原告は、前記のとおり同年九月一六日、Gから、本件絵画の額装が終了したので納品する旨の連絡を受けたので、保管が最も安全な五洋物産に搬入することにし、同月二五日、本件絵画を五洋物産に搬入して掲額した(なお、その際、額装代金は原告からGに対して支払われていない。)。

しかし、翌二六日、Gに購入希望者を探してもらうため、再び本件絵画をGに搬入して預けた。その際、原告は、Gとの間で、買主が見つかったときにあらためて本件絵画の売却条件について協議することにしたので、それ以上売却価格、最低売却価格、預入れの期間等については具体的な話合いをしなかった。

Gは、同日のうちに本件絵画をクボタ商事に約束どおり返却した。なお、同年七月三一日に本件絵画及び「頭部習作」についてGが原告に対して発行していた「預り証」(乙第四号証の一、二)は、同年一〇月一六日、新たな「預り証」(甲第三号証)に差し替えられた。

(3) 原告は、イギリス、ロンドン所在の美術品オークション会社「クリスティーズ」に、同年八月三日、本件絵画及び「頭部習作」の推定売却価格を取い合わせていたが、同年一一月二〇日ころ、本件絵画は約二二〇万米ドル(約三億三〇〇〇万円)、「頭部習作」は約九〇万米ドル(約一億三五〇〇万円)であるが、上下二割程度の幅があり、手数料として一割程度かかるとの回答を得たので、同月二五日、Bにその旨を伝えた(甲第八号証)。

(4) 後記のとおり、Gは、同年一一月六日、クボタ商事から本件絵画を受け戻し、その代わりにサルベージ作の絵画を担保に供し(甲第一一号証の八)、同日、本件絵画をアイチの債務の担保に供し、更に同月二四日ないし二五日ころ、アイチから本件絵画を受け戻し、その代わりにゴヤの絵画を担保に供した後、同日のうちに、本件絵画を三星の債務の担保に供した。そして、同年一二月二五日ころ、Gは、北見事務所が本件絵画を受け戻した後、北見事務所の債務の担保に供したが、昭和六三年一月二〇日ころ、本件絵画を馬里邑に対して売却させた。

(四)  「頭部習作」の担保差入

原告は、Gに預けていた「頭部習作」(乙第四号証の二)について相当期間が経過したのに一向に連絡がなく、なかなか買主が見つからなかったため、昭和六二年八月ころ、Gに対して返却するよう求めたところ、Aから、実は「頭部習作」は名古屋の「くぼた」という客が購入を検討しているので預けている、絵画取引の業界では、画商が絵画を担保にして金員を借り入れると、貸主が弁済を受ける代わりに絵画の代金との差額を清算して絵画を購入することが多いと聞かされたので、Gが「頭部習作」を担保に供して「くぼた」から四〇〇〇万円を借り入れることを承諾した。原告は、Gから、同年一一月一三日及び二六日に各一〇〇〇万円の送金を受け、さらに、同年一二月二〇日ころ、小切手三通(一〇〇〇万円一通、五〇〇万円二通)額面合計二〇〇〇万円の交付を受け、いずれも決済された。

2  ところで、本件絵画の額装が終了して本件絵画が五洋物産に搬入された時期について、原告は、本件絵画は、額装が終了して昭和六二年一〇月二日にGから原告に搬入された後、同月一四日まで五洋物産に預けられたが、その後再びGに預けられた旨主張し、本人尋問においてもその旨供述している。

しかしながら、本件絵画は、同年九月当時、Gのクボタ商事に対する債務の担保に供されていたところ、乙第一一号証の七によると、Gは、同月二五日、翌二六日までの期限付きで、クボタ商事から本件絵画を受け戻し、その代わりにルノアール作「横向きの若い女性の肖像」を担保に供したことが認められる。ところが、甲第一一号証(添付資料〈4〉)によると、「横向きの若い女性の肖像」は、クボタ商事が同月二七日に浅田満利に対する債務の担保に供した後、同年一〇月九日大松物産に、同月一二日アイチに、各債務の担保に供されたことが認められる。

また、同月一六日付け「預り証」がGから原告に対して差し入れられているが、乙第一四号証の一、二及び証人高橋道枝の証言によると、これは、原告の依頼により、従前、Gが原告に対して差し入れていた「預り証」(乙第一四号証の一)の返還と引き換えに差し入れたに過ぎないものであり、高橋自身、本件絵画を現実に確認しているわけではないことが認められるから、同年一〇月一六日付け「預り証」を根拠として、そのころ、本件絵画が実際に原告からGに対して預けられた事実を認めることはできない。

3  Gの本件絵画の売却権限に関して、証人Aは、一般的に絵画の販売は、画商が売主となって第三者に売却するが、売却の委託を受けるに当たっては、所有者たる委託者から当該絵画を預かり、画廊に展示したり、あるいは、買受候補者に写真等の資料を示した後に現物を持ち込むことが多い、売却の委託を受ける際、画商が委託者と売却価格等の具体的な売却内容について事前に決定する場合もあるが、画商が大体の原価を知っているときは、暗黙のうちに委託者の希望価格が分かるので、細かい話はせず、あうんの呼吸で引き受け、事前に売却内容について話はしない、これが一番多いケースであり、仲介手数料は、売却先が見つかった時点で、売却による差益額等の諸事情を勘案しながら、委託者と交渉して決定することになる、絵画を転売の目的で購入する場合、購入を仲介した画商が売却も仲介することが多く、仲介を依頼された画商は、購入価格を把握し、委託者の売却希望価格の推測が可能であるから、事前には売却価格の打合せをせず、委託者の了解をとるまでもなく、売却を一任されていることが通常である、本件絵画については、原告との間で事前に売却価格、売却期間等の売却内容について相談していない旨証言している。

この点について、株式会社吉井画廊の取締役である瀧口眞一は、刑事事件における証人尋問(甲第一九号証)において、画商が絵画の売却委託を受ける際には、書面を交わさないことが多く、画商自身が売主となって買主と代金交渉を行い、売買契約は画商が買主との間で締結し、絵画の所有者たる委託者が契約の当事者となることは少ない、手数料は事前に決めないで後から具体的に決めることが多いが、売却委託を受けるに当たって、委託者の指定する価格である仕切り値(最低売却価格)を決めずに預かることはあり得ず、額装のために預かることは、売却委託を前提にしたものとはいえない、顧客に絵画を渡すときは、売却価格、支払時期及び支払方法等についてある程度決めてから渡すことが多い、画商の報酬は、仕切り値を決めていればそれ以上はいくらをつけても受託者である画商の自由であるから、仕切り値以上で売れれば画商の利益が増え、逆に、顧客に売却できないときは、最終的に画商が買うことを前提に少し価格を下げることもある旨証言しており、証人Aの証言と共通する部分もあるが、相互に抵触する部分については、その内容に照らして瀧口眞一の証言の方がより信用性が高いと認められる。

すなわち、仕切り値は委託者の希望する最低売却価格であるから、極めて重要な要素であり、また、仲介者である画商にとっても報酬の重要な決定基準となるものであるから、仕切り値について全く打合せも相談もしないで売却委託をすることは通常あり得ないことであると考えられる。

加えて、本件において、原告は、昭和六二年二月ころGのAと知り合う以前は、デパートで比較的低価格の絵画を購入した程度の経験しかない絵画取引の素人で、佐藤から五洋物産の絵画購入に当たって監督を依頼されて初めて絵画の購入及び輸入に関与したものである。そして、佐藤は、Gに絵画の売却委託をするに際しては、最低売却価格及び期間を明示した物品販売委託契約書を正規に作成し、原告自身は立会人として右契約書に署名押印している。原告は、Gに対して本件絵画の実際の購入価格を告げておらず、Aの方は、木下から原告が原価相当の価格で購入したと聞いたので、原告は本件絵画を約一〇〇万米ドルで購入したものと推測していた。したがって、原告とAらG側との間では、本件絵画の購入原価については共通の認識が欠如していたのである。また、原告は、昭和六二年七月二三日、Aに対して、運送保険金額三五〇万米ドル(約五億二五〇〇万円)をコストと想定するように連絡して、右価格以上であれば売却してもよいという趣旨を伝えているが、これはこの当時における原告の意向を示したものであって、Gに対して確定的に売却権限を付与したものとは認められない。さらに、原告は、同年八月三日、自ら本件絵画の推定売却価格をイギリスの「クリスティーズ」に問い合わせた上、同年一一月二五日、Aに対し、本件絵画の価格は約二二〇万米ドル(約三億三〇〇〇万円)である旨伝えているが、これは価格について情報を提供したものである。

以上のとおり、原告は、Gに対して同年七月二三日、三五〇万米ドル以上であれば売却してもよいという趣旨を伝えたり、同年一一月二五日には、「クリスティーズ」による約二二〇万米ドルという価格を伝えるなどしているが、原告とGとの間で、事前に仕切り値(最低売却価格)等の具体的な売却内容について相談はされていないのであって、Gが原告の本件絵画の購入を仲介したわけではないので、Gにおいても、原告の希望する最低売却価格を合理的に推測し得る状況にはなかったことから、Gが購入希望者を見つけた時点で、原告とあらためて本件絵画の売却条件について協議することになっていたものであって、Gが原告の承諾なしに本件絵画を売却する権限を有していたとは認められない。

以上要するに、Gは、原告から本件絵画の購入希望者を探すことを依頼されていたに過ぎないものというべきである。

4  また、証人Aは、昭和六二年一二月初旬、Aが原告に対し、本件絵画を二億円程度で売却できる見込みがついたが、支払時期が昭和六三年三月の予定である旨伝えたところ、原告が、手取りで二億円はないと困る、しかも代金の一部を年内に支払ってほしいとの意向を示したので、昭和六二年一二月下旬、原告に対し、本件絵画の売却代金の前渡金として小切手三通額面合計二〇〇〇万円を交付し、その後決済した旨証言している。

しかしながら、前記認定のとおり、原告は、本件絵画の購入のために合計二億七一二七万四〇五六円を費やしており、運送保険金額について三五〇万米ドル(約五億二五〇〇万円)をコストと想定していたところ、その後の調査により、本件絵画の時価は約二二〇万米ドル(約三億三〇〇〇万円)と認識していたことが認められる。そして、原告の資力状態をみると、甲第八号証によると、原告は本件絵画の購入代金を世田谷信用組合からの借入金で調達し、その弁済期日は昭和六三年一月三一日となっていたが、佐藤の経営する株式会社サニーフィールドゴルフ倶楽部から二億五〇〇〇万円を借り入れたこと、同年四月二六日、右ゴルフ倶楽部の債務の弁済資金及び原告が代表取締役を勤める長生物産株式会社の運転資金とするために、原告の妻及び息子名義の土地建物に担保を設定して、世田谷信用金庫から四億五〇〇〇万円を借り入れ、右ゴルフ倶楽部に弁済したことが認められる。また、甲第七号証によると、原告は、出光家と縁戚関係にあり、本件絵画を場合によっては出光美術館に転売することも考えていたことが認められる。これらの事実によると、原告が昭和六二年一二月当時、本件絵画を購入原価を割ってまで急いで売却しなければならないほど資金繰りに切迫していた状況にあったとは認められないから、証人Aの前記証言は採用することができない。

原告が、昭和六二年一二月二〇日、Gから受け取った小切手三通額面合計二〇〇〇万円は、本件絵画の前渡金ではなく、前記のとおり、Gが原告の承諾を得て「頭部習作」を四〇〇〇万円の債務の担保として差し入れたにもかかわらず、原告に対しては同年一一月に二〇〇〇万円しか支払っていなかったことから、同年一二月二〇日、その残金として原告に対して支払われたものと認められる。

三  本件特約締結前における横領行為の発生について

被告は、本件絵画において原告が保険金請求権を有するというためには、その前提として被保険利益が存在しなければならないところ、本件絵画は、昭和六二年七月二四日、Gのクボタ商事に対する債務の担保に供され、クボタ商事が占有していたから、本件特約締結時には既に横領罪が既遂に達しており、しかも、Gは、当時資金不足状態にあり、債務を弁済して本件絵画を受け戻し得る可能性は全くなく、原告には、本件特約締結当時、本件絵画に対する経済的利益、すなわち被保険利益は存在しなかったし、また、北見事務所による本件絵画の担保品処分行為は、Gの行為ではないから、Gの横領行為とはいえず、原告の保険金請求は認められないなどと主張する。

そこで、以下、原告が被告に対して横領事故による被保険利益の侵害の補填を求める保険金請求権を有するか否かについて検討する。

1  甲第七、第一一ないし第一三号証、乙第一一号証の四ないし八、証人白井信雄、同高橋道枝、同Aの各証言及び原告本人尋問の結果並びに前記争いのない事実によると、以下の事実が認められる。

(一)  Gは、本件絵画を、昭和六二年七月二四日、日本に輸入し、同日、Gの画廊に搬入した。

(二)  Gは、同月二五日、本件絵画をクボタ商事に対する四〇〇〇万円の債務の担保に供したが、同月三〇日、四〇〇〇万円を弁済して受け戻した。

しかし、Gは、クボタ商事に対し、同年八月一日、再び本件絵画をマルケ作「パリのセーヌ河」とともに五〇〇〇万円の債務の担保に供し、その後、内金五〇〇万円を弁済してマルケの作品は受け戻したが、本件絵画はクボタ商事に対する四五〇〇万円の残債務の担保に供したままであった。同年九月二五日、Gは、クボタ商事にルノアール作「横向きの若い女性の肖像」を担保に供して本件絵画を期限付きで受け戻し、原告が即日五洋物産に搬入したが、翌二六日、再び原告から預かり、同日、クボタ商事に返却した。

(三)  Gは、同年一一月六日、クボタ商事に対し、佐藤から預かっていたサルベージ作「アルジャントゥーユの舟溜まり」を担保に供して本件絵画を受け戻した上、アイチに対し、担保が設定されていた「横向きの若い女性の肖像」の代わりに本件絵画を担保に供した。

(四)  Gは、同月二四日ないし二五日ころ、アイチに対し、津村靖志から預かっていたゴヤ作「聖女バルバラ」を担保に供し、本件絵画を受け戻した上、同日、アールグレイを通じて三星から借り入れた八〇〇〇万円の債務の担保に供し、さらに、同年一二月二日、藤田作「メキシコ人」を担保に追加して三星から五〇〇〇万円を借り入れ、以上共同で一億三〇〇〇万円の担保に供した。

(五)  北見事務所は、同月二五日ころ、三星に対し、Gに代わって利息を加えた一億三五〇〇万円を支払って本件絵画を受け戻し、Gに対して一〇〇〇万円を貸し付け、その際、Gは、本件絵画を右総額一億四五〇〇万円の債務の担保に供した。

(六)  そして、Gは、昭和六三年一月二〇日ころ、北見事務所が本件絵画を馬里邑に代金二億七〇〇〇万円で売却することを承諾した。

2  被告は、抗弁2(二)として、Gが本件絵画を本件特約締結以前に担保に供し刑法上の横領罪が既遂となっていたこと等から、本件特約締結当時、原告には被保険利益は存在しなかったと主張する。

刑法上の委託物横領罪は、他人から委託されて、行為者が自ら占有、保管する他人の財物を、不正に取得する犯罪であり、右占有、保管の原因は、私法上の契約、事務管理、慣習等による委託信任関係に基づく場合に限られるが、状態犯であることから、横領後の財物処分行為は、特に新たな法益を侵害しない限り、不可罰的事後行為として処罰されないこととなる。このように横領罪は、委託者の受託者に対する委託信任関係の違背行為そのものを犯罪として処罰するものであるから、行為者が他人から委託されて占有中の財物を委託に違背して担保に供する行為は横領罪を構成し、既遂となることが明らかであって、その後における財物処分行為は、不可罰的事後行為として処罰されないと解される。

しかしながら、横領罪は、委託信任関係の違背自体を犯罪として処罰することを目的としているのに対し、損害保険契約は、当事者の一方が一定の偶然の事故によって生じる損害を填補することを約するものであり、横領罪が既遂に達したからといって、そのことから当然に損害保険契約における被保険利益も消滅するとはいえないのであり、刑法上の規律とは別途に、被保険利益の有無を検討しなければならない。

ここに、被保険利益とは、損害保険契約において、保険の目的につき保険事故が発生することにより被保険者が経済的損害を被るおそれのある利益であり、被保険利益が認められるためには、保険事故が発生しないことにつき経済的利益を有する場合でなければならない。そして、右経済的利益は、社会通念上客観的に評価、判定し得るものであることを要するが、物それ自体ではなく、特定の主体の物に対する関係を本質的な内容とするから、一個の保険の目的物について、所有者、担保権者あるいは賃借権者等の複数の主体が重畳的に固有の利益を要する場合には、それぞれ独立に付保することができると解される。

このようにみてくると、本件特約締結当時、原告が被保険利益を有していたか否かは、原告が所有者として経済的利益を有していたか否かによって決せられるというべきであり、そのためには先行してなされたGの担保の効力及び原告による受戻しの可能性等を総合的に考慮して判断すべきものと解される。

そこで検討すると、本件特約締結当時(昭和六二年一〇月五日)、Gは、既に本件絵画を原告に無断でGのクボタ商事に対する四五〇〇万円の債務の担保に供しており、その際クボタ商事に対して差し入れた担保品差入証書(乙第一一号証の八)には、「担保として差入れましたこと間違いありません。期日に至り返済が滞った時は何らの催告を要せず、前記の担保品を適宜売却の上、其の代金をもってお引去り下さい。」と記載されている。

右担保の法的性質が、質権の設定であるか、譲渡担保権の設定であるか必ずしも明らかではないが、いずれにしてもクボタ商事は、本件絵画について担保権を取得したに過ぎないから、本件絵画を確定的に自己の所有とするためには、債権額と目的物の価額との清算手続をすることを要し、原告が本件絵画に対する所有権を喪失するわけではない。

したがって、担保権者であるクボタ商事は、本件絵画に対する担保設定により、Gが債務の弁済を怠った場合に、本件絵画を換価処分して優先的に弁済を受けることができる権利を取得したに過ぎず、他方、担保設定者であるG及び所有権者である原告は、右換価処分が完結するでは、右四五〇〇万円を弁済し又は代わりの物を担保に供することにより、いつでも本件絵画を受け戻すことができるのである。しかも、前記のとおり、本件特約締結当時、Gが資金不足の状態にあったことは認められるが、四五〇〇万円の債務の弁済が不可能であったことを認めるに足りる証拠はなく、現にGは、その後に他の絵画を担保に供して本件絵画を受け戻したことが認められる。

このように、本件特約締結当時、本件絵画が担保に供されていたとしても、原告は、Gに対し、クボタ商事に債務を弁済するなどして本件絵画を受け戻すことを請求することができ、Gも本件絵画を受け戻すことができる状態にあり、また、原告自身が受け戻すことも可能な状態にあったから、原告は、本件特約締結当時、本件絵画を使用、収益するなど所有者としての経済的利益すなわち、被保険利益を有していたと解すべきである。

3  被告は、抗弁2(三)として、北見事務所による本件絵画の処分はGの横領行為とはいえないなどと主張する。

昭和六二年七月二五日、Gがクボタ商事に対し、本件絵画を担保に供したことにより、刑法上横領罪は成立するが、原告にはなお被保険利益が存在していたことは前記説示のとおりである。しかも、本件絵画は、本件特約締結後、担保権者から受け戻されている。右受戻しの際、次の担保差入れ先が決まっていたとしても、一旦は担保権者から解放された状態になり、次の担保契約は、担保権者、被担保債務額も異なるのであるから、それぞれ別個独立した担保設定行為とみるべきである。したがって、クボタ商事に対する担保設定から馬里邑への売却に至る過程を一連の横領行為としてとらえることはできないのであって、担保設定行為及び売却行為を各個別の行為と評価した上で、最終的に原告に経済的損害が生じた行為をもって保険事故と認めるべきである。

昭和六二年一二月二五日、本件絵画は、北見事務所によって三星から受け戻されたが、昭和六三年一月二〇日ころ、Gの承諾の下に北見事務所から馬里邑へ売却され、これによって、原告は、本件絵画の所有権を完全に喪失し、本件絵画の使用収益等が不可能となり経済的損害を被ったと認められるから、Gが北見事務所に対し、本件絵画を馬里邑に売却することを承諾して売却させた行為が保険事故たる横領行為に当たると考えられる。

四  錯誤について

本件のような詐欺・横領危険担保特約の締結に当たっては、被保険者の信用あるいは預託先の信用が危険性判断の重要な要素となることは、当事者間に争いがない。

被告は、保険特約を締結するに当たって、本件絵画が預託先のGにより横領されていないこと並びに本件特約締結後もGに預託されることを共通の認識としていたのであって、本件特約を締結するに当たり、被告において、Gが既に本件絵画を担保に供していた事実を知っていれば、本件特約を締結するようなことはなく、このことは、原告も当然知り又は知り得たものであるから、本件特約は錯誤により無効である旨主張する。

本件特約の締結に当たり、原告と被告の間において、当事者、目的物、契約内容等について内心の効果意思と表示との間に不一致はないのであるから、被告の右主張は、要するに動機の錯誤をいうものと考えられるが、動機の錯誤は、明示的又は黙示的に表示されて法律行為の要素となるところ、動機の錯誤により本件特約が無効といえるためには、被告が、本件絵画が原告に無断で担保に供されていることはないので本件特約を締結するという動機を表示していることを要する。

しかしながら、被告が、本件特約の締結に当たってこのような動機を明示したことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、乙第一八号証の一、二、証人矢橋實の証言によると、本件特約締結当時、原告及び被告の保険代理店担当者矢橋は、本件絵画がGにあるものと思い込み、Gの資力等について何ら不安を感じておらず、本件絵画がGによって担保に供されているか否か、あるいは、今後も引き続きGに預託するか否かといった点については全く話題にされていないのであって、双方共にこの点について全く問題意識がなく、念頭になかったことが認められる。

したがって、本件絵画が担保に供されていないこと及び今後もGに預託されることを原告及び被告が共通の認識としていた事実は認められないから、右事実を当然の前提とし、かつ、そのことを明示的又は黙示的に表示していたということはできない。

そうすると、右動機は表示されているとはいえず、契約の要素となる余地はないから、本件特約が錯誤により無効であるとの被告の主張は理由がない。

五  損害について

1  原告は、Gの承諾の下に、北見事務所から馬里邑に対して本件絵画が二億七〇〇〇万円で売却されたことにより所有権を喪失した。

したがって、原告が被った損害は、右保険事故が発生した時点における本件絵画の時価、すなわち二億七〇〇〇万円と認めるのが相当である。

2  前記のとおり、原告が昭和六二年一二月二二日ころ、Gから小切手三通額面合計二〇〇〇万円の交付を受け、そのころ決済されたことは、当事者間に争いがないところ、被告は、右小切手は本件絵画の売却代金の一部として交付されたものであり、右限度において、原告の損害は回復されている旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、右二〇〇〇万円は、原告において、Gが第三者から「頭部習作」を担保として金員を借り入れることを承諾したことに関してGから受領した四〇〇〇万円のうちの残額であり、本件絵画の売却代金とは全く関係がないことが認められるから、被告の主張は理由がない。

六  結論

以上によれば、本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大藤敏 裁判官 相川いずみ 裁判官 貝阿彌誠は転官のため署名押印することができない。裁判長裁判官 大藤敏)

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