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東京地方裁判所 平成3年(特わ)1504号 判決

主文

被告人を罰金五〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は、東京証券取引所の開設する有価証券市場に株式を上場している谷藤機械工業株式会社(平成三年四月一日「株式会社マクロス」と商号変更)の専務取締役機械営業本部長を務めていたものであるが、平成二年九月一日に開催された臨時取締役会において、代表取締役社長黒澤常三郎から、同社の営業活動の中心である商品営業本部所管の電子機器部門の売上げに計上されていた約四〇億円の売上げが架空のものであったこと、そのため予定されていた売掛金の入金がなく当面約三〇億円の営業資金不足が生じること、常務取締役商品営業本部長で電子機器部門の売上げの大半を上げていた乙の所在が分からないため、今後の営業活動にも重大な支障が生ずるのみならず、事業計画で予定されている右部門の今後の売上げのかなりの部分も架空であることが見込まれることなどの報告を受けた。被告人は、これにより、経営の不健全さの指標であり、かつ、業績を実態よりも良い状態にあるかのように装うことにもなる多額の架空売上が存在する事実及びその結果現に営業資金不足を招来している事実を知るに至り、同社の業務等に関する重要な事実であって投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすものであるこれらの事実が公表されれば、同会社の株式の価格が下落するものと考えた。そこで、被告人は、その前に自己及び自己が運用を任されていた妻甲2名義の右谷藤機械工業株式会社の株式を売却して、予想される損失を未然に防ごうと企て、法定の除外事由がないのに、右重要事実の公表前である同年九月三日、東京都渋谷区〈番地略〉日栄証券株式会社渋谷支店を介し、東京都中央区〈番地略〉東京証券取引所において、右甲2名義の右谷藤機械工業株式会社の株式一万株の売付けをなし、更に犯意を継続して、翌四日、同様、自己名義の同会社の株式一万二〇〇〇株の売付けをなし、もって、同会社の業務等に関する重要事実の公表がなされる前に、同会社の上場株券の売買を行った。

(証拠の標目)〈省略〉

(当事者の主張に対する判断)

一前記のとおり、本件の主位的訴因及び第一次予備的訴因(平成四年三月三〇日付訴因変更請求書の訴因)を認定せず、第二次予備的訴因(同年六月一九日付訴因変更請求書の訴因)を認定した理由は、以下のとおりである。

二これら三訴因は、被告人が本件株式を処分する直前の平成二年九月一日に開催された谷藤機械工業株式会社(以下、単に「谷藤」という。)の臨時取締役会(以下、単に「臨時取締役会」という。)において知るに至った重要事実の内容の点のみが相違するものであるが、主位的訴因は、要するに、平成二年度の売上高の予想値を二三〇億円として公表していたことを前提に、「臨時取締役会で代表取締役社長黒澤常三郎から、常務取締役商品営業本部長乙所管にかかる電子機器等の販売先等に対して少なくとも約四〇億円の架空売掛金が計上されていることが判明したので、右売上高の予想値が一九〇億円以下に減少する旨の報告がなされ、これが承認されたことにより、同会社の業務等に関する重要事実である売上高について、直近に公表した予想値の九〇パーセント以下の予想値が新たに算出された」ことをもって、平成四年法律第七三号による改正前の証券取引法(以下、単に「証券取引法」という。)一九〇条の二第二項三号に該当する重要事実とするものであり、第一次予備的訴因は、要するに、右前提の下に、「臨時取締役会で黒澤から乙の所管にかかる電子機器等の販売先等に対して少なくとも約四〇億円の架空売掛金が計上され、かつ、同人が失踪した事実が判明し、右架空売掛金及び同人の失踪に伴う商品営業本部の売上高の大幅な減少が確実視される状況が判明したことの報告がなされ、それによって、事業年度の売上高の予想値が二〇七億円以下に減少することが明らかにされて、これが承認され、売上高について、直近に公表した予想値の九〇パーセント以下の予想値が新たに算出された」ことをもって、右の重要事実とするものである。

三そこで、まず、同号の「会社が新たに算出した予想値」の算出主体である「会社」の意義について検討するのに、この点については、各会社の業務運営の実態に則して判断すべきであるところ、本件においては、前掲関係各証拠により、平成二年五月二一日に公表された谷藤の売上高等の予想値の公表数値はその直前に取締役会に諮られて承認されたことが認められ、この点にかんがみると、修正公表されるべき新たな予想値の算出主体も取締役会であると認めるのが相当である。

問題は、弁護人が主張するように、現に修正公表される予想値が取締役会の決議によって最終的に確定されて初めて新たな予想値が算出されたことになるのか、その段階に至る以前に取締役会において予想値の修正公表が避けられない事態の報告がなされてそれが承認されれば、その段階で、同号にいう算出があったものと認めてよいかという点である。

証券取引法一九〇条の二の立法趣旨は、上場株式の発行者である会社の役員等その会社と一定の関係を有するものに対して、その職務等に関して会社の業務等に関する重要事実を知った場合、その重要事実の公表前にその会社の上場株券等の売買を禁止することによって、証券取引市場の公正性及び健全性に対する投資者の信頼を確保しようとするものであって、同条二項三号の解釈も右の立法趣旨にそってなされなければならない。

そのような観点から考察するとき、取締役会が算出主体である場合においては、弁護人が主張するように、その決議によって最終的に公表数値が具体的に確定しなければ、これが算出されたことにはならない、と解したのでは、右の立法趣旨は没却されてしまうことがしばしば生ずることになる。すなわち、このような最終的な数値の決定がなされるまでの過程において、取締役会で取締役等が予め修正公表が必要であることやその概ねの数値を知ることが少なくないにもかかわらず、取締役会で最終的に公表数値の決定がなされるまでの間においては、これらの者がその会社の株式の売買をすることが可能になってしまうからである。

したがって、右の立法趣旨に照らせばこのような解釈はとりえず、取締役会において予想値の修正公表が避けられない事態に立ち至っていることについての報告がなされてそれが承認されたことをもって、同号にいう数値の「算出」がなされたものと解するのが相当である。

四なお、ここで、主位的訴因を主張する検察官の見解につき検討しておくと、検察官の見解は、臨時取締役会の時点で売上高に関して明確な報告がなされたのは、約四〇億円の架空売掛金が計上されていたことのみで、それ以外に売上高に関して出た話はその後の資金繰りや営業の立て直しの方向性についての話に止まり、何ら数値として確定したものはないのであるから、新たな売上高の算出にあたって考慮できるものではなく、したがって、直近に公表されている売上高の予想値から右の架空売掛金として確定された約四〇億円を差し引いた額をもって、新たに算出された予想値と見るべきであるという趣旨と解される。

しかし、架空売掛金の四〇億円が売上高を減少させるものとして確定されているとはいえるが、そもそも修正公表される売上高の予想値というものは、何らかのプラスあるいはマイナス要因が発生したとしても、それだけで変動を生じたといえる筋合いのものではなく、直近の数値公表後現在までの業績、今後の業績予測の見直し、更にはその上に経営上の政策的判断などをも加味・総合して決定される性格のものと解すべきである。したがって、プラスの要因が全くないことが確定されていればともかく、プラス要因が明確な数字ではないからといって、明確なマイナス要因のみを取り上げ、直近の公表数値からそのマイナス額を差し引いた金額が当然に新たな売上高の予想値となる筋合いのものではないというべきである。

五そこで、以上の前提に立ち、事案につき検討すると、前掲関係各証拠によれば、

1  平成二年五月二一日に公表された予想値は、売上高が二三〇億円、経常利益が二〇億円であったこと、

2  右売上高の公表予想値とは別に社内的には平成二年度の売上高の予想値あるいは目標値は二九〇億円とされていたが、そのうち電子機器部門の占める売上高は一六〇億円であったこと、

3  平成二年九月一日に開催された臨時取締役会において、代表取締役であった黒澤から、「前日入金予定であった、乙が担当する電子機器の売掛金十数億円の入金がなく、取引先に問い合わせたところ、そのような売掛金はないということであった。乙は引っ越してしまったようで行方がわからない。乙が担当していた売掛金の残が約四〇億円あるが、これも架空のようだ。乙のこれまでの取引全部がおかしく、場合によっては平成元年度の決算も修正しなければならないかもしれない。入金を予定していた四〇億円の入金がないことによって、当面約三〇億円の資金繰りをしなければならない。また、乙の売上げが架空である以上、今後の売上げや利益についても見直しが必要である。」などという趣旨の報告がなされたこと、

4  出席していた各取締役は乙が約四〇億円の架空の売掛金の残を残して、いなくなったことによって、期首において予定されていた今後の電子機器部門の売上げのかなりの部分が実現不可能であることを認識したこと、

などの事実が認められる。これらの事実を総合すれば、臨時取締役会に出席した各取締役が、電子機器部門の売上高が少なくとも一〇〇億円以上減少し、従って経常利益も大幅に減少し、経常利益については修正公表が避けられない事態になったことを等しく認識していたことが推認される(もっとも、この点については訴因の内容として掲げられるには至らなかった。)。

そして、四〇億円の架空売上があったことなどを理由として経常利益の予想値につき修正公表することになるような事態に立ち至っている場合には、通常売上高の予想値についても減少する旨の修正公表をせざるをえないものと考えられるから(もっとも、資金繰りの必要性がある場合や在庫処分の必要がある場合などには、収益を犠牲にしてでも売上げの増加を図る場合もある。)、各取締役が取締役会の席上で、売上高の予想値についても修正公表が避けられないものと認識していたと認めてよいのではないかと考えられないではない。

しかし、前掲関係各証拠、特に、証人勝田巳佐夫の公判供述、同人の検察官調書及びこれに添付された臨時取締役会の際に作成したメモによれば、臨時取締役会においては、黒澤から乙の架空売上や失踪について報告されただけにとどまらず、他方で、売上高のプラス要素として、

1  本来有価証券の売買として処理すべき三業会館の処分を不動産の売上げとして計上すること、

2  木場の土地等の処分による不動産部門の売上げが見込めること、

3  新規事業のニューメディア部門で二五億円の売上げが見込めること、

4  関連会社のナカタニの仕入れを、一旦谷藤を通して行うことによって、二五億円を谷藤の売上げに計上できること、などについても、報告がなされていたことが認められる、

仮に、検察官の主張するとおり、谷藤の平成二年度の売上高の予想値が社内的にも公表数値と同じ二三〇億円であったとしても、同年四月から八月までの売上げの推移にかんがみると、二九〇億円の社内の努力目標値(問題の電子機器部門は架空の売上げも含めて)は、不動産部門を除いてほぼ予定どおり達成されている状況にあったことが認められ、この点並びに証人乙の証言及び被告人の公判供述に照らすと、右の公表値二三〇億円は、右二九〇億円から、流動的な不動産部門及び特商部門の各売上予想値(前者が四〇億円、後者が二〇億円、合計六〇億円)を除外して算定されたものと見る余地がある。そうだとすれば、予想値を増加させるプラスの要素として、まず不動産部門の売上として、右1、2の分(少なくとも約四〇億円)が計上できることとなるうえ、3、4を合わせて約五〇億円の計上が可能になるとの報告がなされたこととなり、また特商部門の売上も予想値に近い金額になる可能性もあるものと考えられる。すなわち、マイナスの要素として、少なくとも、四〇億円の架空売上げが発覚しているのに加え、乙がいなくなったことによって、電子機器の売上げがどの程度まで落ち込むかは明らかではないもののこれが大幅に落ち込むことについての報告が一方でなされているのに対し、右のとおり種々のプラス要素も他方で報告されているのであるから、これらを併せると、臨時取締役会において報告された内容は、新たな売上高の予想値が二三〇億円から架空売上分の四〇億円を差し引いた一九〇億円になるという趣旨の報告でないのはもちろんのこと、客観的には、売上高についての修正公表が避けられない事態、すなわち売上高の予想値が二〇七億円以下になることが避けられない事態になっているとの趣旨の報告とも直ちに認め難いというべきである。

もっとも、マイナス要素の確実性がかなり高いのに比べ、これらのプラス要素には確実性に乏しいものも含まれていることは否定できない。しかし、電子機器部門のうち架空売上が相当多額であり売上額の減少がおそらく一〇〇億円前後に上るものとの認識のあったことは確かであるとしても、その具体的数値についてはいまだ明確にされていなかったことをも考え合わせると、平成二年度の売上高予想値につき修正公表が避けられない事態と認識した旨供述している冨永らはともかく、出席した取締役らが、等しく、その後の調査検討を待つまでもなく、売上高の予想値が明らかに二〇七億円を下回り、その修正公表が避けられない旨の認識を抱いたものとは直ちにいいがたいといわなければならない。してみると、右取締役会で、公表すべき新たな売上高の予想値が算出されたということについては、なお合理的な疑いが残るものといわなければならず、したがって、臨時取締役会において、売上高につき、新たな予想値が一九〇億円になる旨の報告がなされ承認されたことを内容とする主位的訴因も、新たな予想値が明らかに二〇七億円を下回り修正公表が避けられない事態の報告がなされ承認されたことを内容とする第一次予備的訴因も、いずれも証明が十分でないこととなる。

六以上に対し、第二次予備的訴因は、証券取引法一九〇条の二第二項四号に該当するというものであるが、年間一六〇億円の売上高が見込まれていた電子機器部門で八月末現在約四〇億円の架空売上が計上されていて過去の売上実績の少なくとも過半が粉飾されたものであったこと、右の事情に加え、同部門の売上げの大半を担っていた乙が失踪したこと等から、月々予定されていた売上げはそのほとんどが架空ではないかと思われるというのであるから、結局、同社の主要な営業部門として大きな収益を挙げているとされた電子機器部門につき、九月以降の営業をも含めて、売上予想値に大幅な水増しがされていたこととなって、経営状態が実際よりもはるかに良いように見せ掛けられ、その結果として株価が実態以上に高く吊り上げられた状態に置かれていたこととなるものといわなければならない。そればかりか、予定していた約四〇億円の売掛金の入金がなくなったことによって、今後約三〇億円もの資金繰りを必要とするという事態を招いているのであって、公表されていた売上高の予想値に大幅な架空売上が含まれていた事実、及びその結果現に売掛金の入金がなくなり、巨額の資金手当てを必要とする事態を招いた事実は、まさに投資家の投資判断に著しい影響を与える事実といわなければならない。すなわち、この事実は、証券取引法一九〇条の二第二項三号に掲げられた業績の予想値の変化として評価するだけでは到底足りない要素を残しており(通常、三号の事実は、景気の変動や商品の売れ行きの変動が生じた場合の業績予想値の変動を念頭に置いたものと解される。)、かつ同項一号の事実に該当しないことは明らかであるうえ、性質上は二号に類する事実といえるが、同号及びその関係省令等を調べても、同号の事実に該当しないものと認められる。加えて、年間の売上高の見込みが二三〇ないし二九〇億円で、計上利益の見込みが二〇億円という谷藤の会社の規模に照らせば、その事実の重要性においても、投資者の判断に及ぼす影響の著しさにおいても、証券取引法一九〇条の二第二項一ないし三号に劣らない事実と認められるから、かかる事実は同条二項四号に該当するものと解するのが相当である。

よって、前記のとおり第二の予備的訴因につき有罪の認定をした。

(法令の適用)

罰条

包括して、平成四年法律第七三号附則一七条により、同法律による改正前の証券取引法二〇〇条四号、一九〇条の二第一項一号、二項四号(罰金刑の下限につき、刑法六条、一〇条、軽い行為時法である平成三年法律三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項)

刑の選択

罰金刑選択

労役場留置

刑法一八条

訴訟費用

刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の理由)

本件は、いわゆるインサイダー取引の事案であるが、被告人は、谷藤の専務取締役という要職にあり、かつ、乙が引き起こした不祥事について詳細な調査を行う責任者の立場にありながら、前記認定のとおりのインサイダー取引を行い、しかも、その取引によって約一八〇〇万円にも上る多額の利得をした(あるいは損失を免れた)ものと推算されるのであって(なお、被告人が現実に処分した額と重要事実公表後の最初の市場取引価格で処分した場合の額との差こそ、インサイダー取引そのものによる利得と解される。)、犯情は悪質である。

そして、証券取引の公正の確保が強く叫ばれている今日の社会状況に鑑みれば、一般予防の見地から、この種事犯に対しては原則として厳重な処罰をもって臨む必要も認められるところであり、これにより得た利益も少なくないことからすると、被告人に何らの前科もないことや、本件が報道されて被告人が当然のこととはいえすでに相応の社会的制裁を負っていることを考慮しても、本来ならば懲役刑をもって処断するのが相当な事案ではないかと考えられる。

しかし、被告人は、本件インサイダー取引によって得た利得全額ではないとはいえ、本件株式売買の結果得た利益(売却価格から購入価格を差し引いた額)に相当する八〇〇万円余につき贖罪寄付として法律扶助協会に寄付するなどして、改悛の情を十分示しているのみならず、本件の審理が被告人の責めに帰すことのできない事由で長期化したことによって(弁護人は審理の当初から第二次予備的訴因の事実をもって有罪とされるのであればやむを得ない旨主張していた。)、被告人が物心両面において大きな負担を負った事情も認められるので、これらの事情をも併せ考慮し、被告人に対し、特に主文の罰金刑を科するに止めるのを相当と認めた。

(裁判長裁判官小出錞一 裁判官新穂均 裁判官安東章)

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