大判例

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東京地方裁判所 平成8年(特わ)4476号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、酒気を帯び、呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態で、平成八年一二月三日午後一一時ころ、東京都板橋区熊野町一五番付近道路において、普通乗用自動車を運転したものである。」というのであり、被告人が飲酒して右公訴事実記載の日時場所で普通乗用自動車を運転したこと、その直後に被告人が検問で受けた呼気検査で、被告人が吐き出した気体一リットルにつき〇・二五ミリグラムのアルコールが検出されたことは、当公判廷で取り調べた各証拠により認めることができる。

しかしながら、被告人は、当公判廷において、喉頭がんの手術で声帯を摘出したため口と気管が通じておらず、呼気検査の際には、食道に飲み込んだ空気を少しずつ送り出して風船を膨らませたので、風船内の気体は呼気ではない旨供述し、弁護人は、同様の事実を前提に、風船内の気体を調べても呼気検査をしたことにはならない旨主張する。

そこで、被告人の手術の結果についてみると、司法警察員作成の捜査関係事項依頼回答書と題する書面及び被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は、平成七年七月七日に東京女子医科大学病院耳鼻咽喉科で受けた喉頭がんの手術のため口腔と肺が完全に遮断されており、前頚部下方に気管に通じる穴を開けてそこから呼吸をしていることが認められる。したがって、呼気検査の際に被告人が風船内に吐き出した気体は呼気ではなく、単に口から食道と胃に取り入れた空気にすぎないので、呼気検査の結果をそのまま犯罪認定の証拠に用いることは相当ではない。

もっとも、身体に道路交通法施行令に定める程度以上にアルコールを保有する状態にあったことの認定は、必ずしも検知器その他特別のいわゆる科学的判定によることを要せず、運転前の飲酒量や飲酒状況等の資料を総合して認定することも可能であるが、被告人の当公判廷における供述、被告人の検察官に対する平成八年一二月五日付け供述調書(五丁のもの)及び司法警察員に対する同月四日付け供述調書(八丁のもの)並びに司法警察員ら共同作成の捜査報告書及び酒酔い・酒気帯び鑑識カードによれば、被告人が本件当日午後九時ないし九時三〇分ころから午後一〇時ころにかけて刺身などをつまみに日本酒約二合を飲んだことが認められるものの、他方で、その後自動車を約四キロメートル運転しても格別操作を誤るなどした形跡はなく、同日午後一一時ころから呼気検査などを受けた際にも歩行能力、直立能力は正常であり、顔色や目の状態も普通で、警察官との質問応答状況にも不自然な点はないことが認められるのであって、このような事情のもとでは、前記認定の飲酒量を考え併せても、被告人が呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有する状態にあったものと認定することはできない。

検察官は、呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上というアルコール濃度は、アルコール度一五度の日本酒二〇〇ミリリットルの飲用を基準として定められたものであるところ、被告人はアルコール度一五度ないし一六度の日本酒を二合(約三六〇ミリリットル)飲んでいるのであるから、本件当時呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有していたものと認められるとし、さらに、算式により体内血中アルコール濃度を求め、そこから呼気アルコール濃度を算出するいわゆる上野式算定法を用い、被告人の体重を六九キログラムとし、アルコール度一六度の日本酒二合を飲んで約一時間経過した場合の呼気アルコール濃度を求めると呼気一リットルあたり〇・三二一ミリグラムないし〇・二三八ミリグラムとなることからもこの結果は裏付けられる旨主張する。

しかし、被告人の当公判廷における供述及び前記各供述調書によって認められる被告人の飲酒量は日本酒約二合というにとどまり、被告人が厳密に二合の日本酒を飲んだことまでは認められないのであり、この飲酒量だけから、飲酒後の経過時間や前記認定に係る諸事情等を無視して身体に保有するアルコール濃度を直ちに認定することはできないし、上野式算定法による計算結果についても、その最低値は〇・二五ミリグラムを下回っていることに鑑みると、これをもって道路交通法施行令に定める程度以上に被告人がアルコールを身体に保有する状態にあったものと断定することはできない。

以上のとおりであり、被告人が本件当時呼気一リットルにつき〇・二五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有していたと認定するに足りる証拠はなく、本件公訴事実についてはその証明が不十分であって、犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 政木道夫)

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