大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京地方裁判所 昭和28年(ワ)7016号 判決

原告 呉万泳

被告 東京都 外二名

主文

被告東京都は、原告に対し、金三万円及びこれに対する昭和二十八年九月二日から完済するまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告の被告東京都に対するその余の請求及び被告佐久間、同橘に対する各請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分し、その一を被告東京都の負担としその余を原告の負担とする。

事実

第一、原告の求める裁判――「原告に対し、被告東京都は金十五万円及びこれに対する昭和二十八年九月二日から完済するまでの年五分の割合による金員、被告佐久間、同橘は各自金七万五千円及びこれに対する昭和二十八年九月二日から完済するまでの年五分の割合による金員の各支払をせよ。」との判決。

第二、被告らの求める裁判――「原告の各請求を棄却する。」との判決。

第三、原告の主張

(一)  原告は朝鮮忠清南道扶余郡九竜面太陽里において出生した朝鮮人であり、朝鮮民主主義人民共和国または大韓民国の国籍をもつ者、被告東京都は地方自治団体、被告佐久間は後記不法行為の当時右東京都特別区自治体警察である警視庁西新井警察署(以下「西新井警察署」と略称)の署長、被告橘は西新井警察署の警備主任であつた者である。

(二)  足立税務署員鯨岡二郎ほか六名は昭和二十八年六月六日正午頃訴外李漢旭に対する酒税法違反容疑事実に基いて東京都足立区上沼田町百九十六番地所在の同人宅に対し押収捜索処分をし、同時に同町十二番地小西政治方に対しても令状をもたずに押収捜索をしたが、その際右容疑者の知人らは右場所に数十名群を成してその成行を見守つていた。原告はたまたま右群集に加わつていたが間もなく数名の西新井警察署員により公務執行妨害の現行犯として逮捕され、自動車に乗せられて同署まで連行されるに至つた。しかしその際原告は右自動車の中で右署員ら数名によつて「この野郎」などと怒号を浴びせられ、手拳で顔面を殴打されたため全治まで約一週間必要とする左頬粘膜部挫創の傷害を蒙つた。そのため原告は治療費千五百円を支出し同額の損害を蒙つたほか甚だしい精神的苦痛を受けた。精神的苦痛に対する慰謝料としては金七万三千五百円が相当である。

(三)  更に原告は同年六月八日午前九時頃取調のため東京地方検察庁に押送されたが、その際同検察庁において原告が、「少し坐らせてもらいたい」と頼んだところ、数名の警視庁押送係員は「生意気を言うな」と怒号し原告に手錠をかけて室外に引きずり出し、近くの便所に連れ込みこもごも殴打、足蹴などの暴行を加えたので、原告は約一時間意識不明となつたばかりでなく、その後検事の調室に行くにもひとりで歩行することができず両脇から支えてもらつて辛じて調室まで行つたほどであつた。原告は右暴行により全治まで約二週間を必要とする右母指基節関節脱臼症及び全身約十箇所にわたる打撲傷を蒙つた。そのため原告は治療費千五百円を支出し同額の損害を蒙つたほか著しい精神的苦痛を受けた。精神的苦痛に対する慰謝料としては金七万三千五百円が相当である。

(四)  朝鮮民主主義人民共和国においては公務員の違法不当な職務行為によつて他人の人権・財産が侵害された場合、当該公務員の所属する機関がその損害を賠償することになつており、この原則は被害者の国籍を問わないで一切の内外国人に適用され、もちろん在留日本人にも適用されている。また大韓民国においては相互保障主義をとる国家賠償法が施行されている。従つてわが国家賠償法第六条の相互の保証があることは明かである。そしてまた国家賠償法は民法の適用を排除するものではないから、国家賠償法上の要件を充足する行為が同時に民法上の不法行為の要件を充足する場合は、国家賠償法上の損害賠償請求権が発生するだけでなくこれと競合的に民法上の損害賠償請求権も発生するのであつて、国家賠償法第四条はまさにこの趣旨を注意的に規定したものである。したがつて被告らはそれぞれ前記(二)(三)の不法行為について原告に対し次に述べる各義務を負う。

(1)  被告東京都は、前記西新井警察署員及び警視庁押送係員がいずれも被告東京都の公権力を行使する公務員としてその職務を行うについて前記(二)及び(三)の各不法行為をしたのであるから、国家賠償法第一条第一項によりまたは民法第七百十五条第一項により原告に対し、原告が右各不法行為によつて蒙つた損害金合計三千円及び精神的苦痛に対する慰謝料合計金十四万七千円以上合計金十五万円並びにこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日である昭和二十八年九月二日から完済するまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務がある。

(2)  被告佐久間は、前記(二)の不法行為当時西新井警察署長として使用者である被告東京都に代つてその事業を監督する地位にあつた者であるから、民法第七百十五条第二項により、原告に対し、原告が前記(二)の不法行為によつて蒙つた損害金千五百円及び精神的苦痛に対する慰謝料金七万三千五百円以上合計金七万五千円並びにこれに対する本件訴状が被告佐久間に送達された日の翌日である昭和二十八年九月二日から完済するまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務がある。

(3)  被告橘は、前記(二)の不法行為の際その現場において西新井警察署警備主任として同署員らを指揮していた者であつて、右署員らの職権濫用・暴行侮辱の行為を制止しなければならない職務上の義務があつたのに故意または少くとも過失によりこれを怠り同署員らの前記(二)の暴行を放置していたために、原告に対し前記(二)の傷害を蒙らせるに至つたのである。したがつて同被告は、民法第七百十九条第一項により同署員らの共同不法行為者として、または同法第七百十五条第二項により使用者である被告東京都に代つてその事業を監督する地位にあつた者として、原告に対し、原告が前記(二)の不法行為によつて蒙つた損害金千五百円及び精神的苦痛に対する慰謝料金七万三千五百円以上合計金七万五千円並びに本件訴状が被告橘に送達された日の翌日である昭和二十八年九月二日から完済するまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務がある。

(五)  よつて原告は被告らに対し右各義務の履行を求める。

第四、被告らの主張

(一)  原告の主張第一項の事実のうち、原告がその主張するような者であることは知らないが、その余の事実は認める。

(二)  同第二項の事実のうち、足立税務署員鯨岡二郎ほか六名が原告主張の日にその主張する場所について押収捜索処分を行つたことその際西新井警察署員らが原告を公務執行妨害の現行犯として逮捕し、自動車に乗せて同署まで連行したこと、は認めるが、原告を逮捕連行するに当り右警察署員らが原告に対し原告が主張するような暴行を加えたこと、原告が治療費千五百円を支出したことは否認する。

足立税務署員らが原告主張の小西政治方を捜索した際原告は同税務署員大蔵事務官高島良雄、同伊藤繁らが国税犯則取締法第三条第二項により証拠物件を押収し小型自動車に積んで出発しようとするのを妨害し、伊藤らに暴行を加えたので、西新井警察署員らが公務執行妨害の現行犯として原告を逮捕しようとしたところ原告は附近の小椋方の板塀を握つて暴れるので、警察署員ら四名がかりで原告を輸送車まで連行して来て車に乗せようとしたが原告はこれに応じないので右四名が原告を抱き上げようやく乗車させた。輸送車内では原告は疲労のため静しゆくにしていたので、警察署員らがこれに関与する必要もなかつたし、暴行を加えたことなどはもちろんない。原告主張の負傷は原告が暴れたときに自ら招いたものである。このように西新井警察署員らが司法警察職員として正当な職務を執行しようとしたのに対し、被疑者である原告は任意にこれに応じないので、やむを得ず実力をもつてその目的を達成したまでであり、その際仮に原告の身体自由に多少の侵害を加えたとしても、この職務執行の方法は右のような事情に照らして必要なかつやむを得ないものであり、したがつて原告の身体自由に対するこの程度の侵害は正当な職権行使の結果として違法性を欠くものといわなければならない。また原告は逮捕後引き続き拘留され、かつ前刑の執行を受けており、その治療費金二百円(長沢医師に対するもの)は西新井警察署から支払済みであるから、原告自身が治療費を支出するはずがない。

(三)  同第三項の事実のうち、原告がその主張する日に東京地方検察庁に押送されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

この日原告は同検察庁第一同行室に収容されたが大声を出し余りにも騒がしいので、押送係員らは原告を階上の移監同行室に分離しようとしたが原告はこれに応じないので、係員らが原告を抱き上げ同室に至る階段を昇つたところ、原告が暴れたために係員らと共に階段の途中から転落してしまつた。そのため係員ら及び原告は一時近くの洗面所の入口で休息をしたほどである。その日原告は西新井警察署に帰つた後も留置場内の板壁を殴りつけるなどしてひとりで暴れていた。原告主張の負傷はその間に自ら招いたものである。仮に原告を移動させるときにこの負傷を負わせたものとしても、前記(二)の場合と同様正当な職権行使の結果として違法性がない。またその治療費金四百円(整復師新藤貞次に対するもの)は西新井警察署から支払済みであるから、原告自身が治療費を支出するはずがない。

(四)  同第四項の主張のうち、本件に民法不法行為の規定の適用があるという主張は争う。原告の被告らに対する本訴各請求はいずれも被告東京都の公権力の行使に当る警察職員がその職務を行うについて故意または過失によつて原告に損害を加えたことを原因とするものであるから、これに民法不法行為の規定の適用はなく、このような場合は、もつぱら国家賠償法により公共団体である被告東京都だけが賠償の責を負うことがあるに過ぎない。

第五、証拠

(一)  原告は、甲第一ないし第四号証、同第五号証の一、二、同第六及び第七号証を提出し、証人許太京、同辺海素、同辺海中、同長沢洋男、同新藤貞次、同根本清子の各証言並びに原告本人尋問の結果(第一、二回)を援用し、「乙第一及び第二号証の各一、二の成立は認めるが、その余の同号各証の成立は知らない。」と述べた。

(二)  被告ら三名は、乙第一及び第二号証の各一、二、同第三及び第四号証、同第五号証の一ないし四、同第六ないし第八号証を提出し、証人佐藤栄三、同笠原浩、同福岡忠、同成毛誠太郎、同小坂常吉、同長沢洋男、同新藤貞次の各証言を援用し、被告東京都は更に証人面川博、同木村竹雄、同三浦講吉、同中村当、同平川良三の各証言を援用し、被告ら三名は「甲第一、第二及び第七号証の成立は認めるが、その余の同号各証の成立は知らない。」と述べた。

理由

(一)  被告東京都に対する請求について

(1)  成立に争のない甲第七号証と原告本人尋問の結果(第二回)とを綜合すると、原告は千九百二十二年(大正十一年)四月十三日朝鮮忠清南道扶余郡九竜面太陽里に出生した朝鮮人であるが昭和十五年五月二十七日日本に渡りその後引き続き現在まで日本に在住していることが明瞭である。ところで昭和二十七年四月二十八日発効した日本国との平和条約第二条の規定により日本は朝鮮の独立を承認したのであるが、国家としての朝鮮の独立を承認する以上、所属国民のない国家は考えることができないのであるから、その規定は右独立の承認と共に一定の範囲の日本人が朝鮮の国籍を取得して日本の国籍を喪失することをその前提としているものと解しなければならない。このような場合何を標準として国籍の変更を認めるかは、従来の領有国と新独立国との間において独立を承認すると同時に国籍変更の範囲、態様などに関する協定をしてこれを明かにするのが通例であるが、日本と朝鮮との間にはこの種の協定がされていないばかりでなく、右平和条約発効の以前から朝鮮には朝鮮民主主義人民共和国政府及び大韓民国政府が成立し互に朝鮮における正統政府を自任しているのであるから、統一的な国籍変更の協定は殆ど不可能な状態にあるといつてよく、また平和条約もこれについては何も触れていない。しかし朝鮮民主主義人民共和国及び大韓民国は、それぞれ現実に支配している朝鮮の北半分または南半分をその国土とし、そこに居住するもしくは出生する朝鮮人だけをその国民と主張しているのではなく、いずれも朝鮮の全域を自国の領土とし全朝鮮民族を自国の国民として、互に朝鮮を正統に代表する政府であることを自任し合つているのであるから、これらは二つの国家ではなくその名称はともかく朝鮮半島を基盤とする一つの国家内における二つの政府であるとみるのが妥当であり、右平和条約はこのような一つの国家としての朝鮮の独立を、その正統政府はいずれであるかの問題には触れないで承認したものと解するほかない。したがつて問題をどの範囲の日本人が平和条約の発効と同時に日本の国籍を喪失しこのような朝鮮の国籍を取得したかということに限定するならば、客観的にはそれは既に確定しており、日本と朝鮮との協定がなくても他の事情から推認することができるものといわなければならない。思うに今次大戦及び終戦以来の経緯からみて日本をその侵略戦争以前の状態に戻そうということが右平和条約の一つの重要な眼目をなしていることは疑のないところであり、したがつて右平和条約第二条の規定に「朝鮮の独立を承認し」とあるのは、かつて存在した独立国であつた朝鮮が右に述べたような形で独立を回復する事実を承認するという趣旨であり、これに応じて国籍の変更についても、現に日本の国籍をもつている朝鮮人は、その居住地がどこにあるかを問わないで、すべて、その父祖または自分が日本及び朝鮮の合併当時にもつていた朝鮮の国籍を独立の回復と同時に回復するという趣旨を包含するものと解するのが妥当である。したがつて原告は右平和条約の発効と同時にこの朝鮮の国籍を回復し日本の国籍を喪失したものといわなければならない。

そこで原告の本国である朝鮮には国家賠償法第六条の相互の保証があるかどうかが問題になる。朝鮮において朝鮮民主主義人民共和国政府と大韓民国政府とが対立していることは前述のとおりであるが、この両政府はそれぞれ別個の法律制度をもちこの法律は少くとも朝鮮の北半分または南半分において実効性を担保されているものと認められる。これらは一国内において対立し互に他を否認し合つている政府が維持する法律制度であるという点においては、二つの国家のまたは一国内における法域を異にする二つの地方の法律制度と全く同じであるとはいえないが、しかしそれぞれの地域において実効性を担保された別個の法律制度であるという点においてはいずれも同様である。他方、国家賠償法第六条に規定する相互の保証の有無は、被害者である外国人に本来適用される統一的な法律制度毎に決定しなければならないものであり、国籍はたゞこの法律制度を判定するための通常の手段に過ぎない。そして被害者が何らかの理由により同時に二つの異なる法律制度に服するような地位にある場合には、一方の法律制度において相互の保証があるならば、他方にはこれがなくても、国家賠償法第六条の相互の保証はあるものと解するのが相当である。当裁判所の調査によれば、大韓民国政府の維持する法律の一つとして千九百五十一年九月八日公布施行された国家賠償法があり、これによれば公務員がその職務を行うにあたり、故意または過失により法令に違反し、他人に損害を加えたときは、国家または公共団体はその損害を賠償する責任があり(同法第二条第一項)、この法律は外国人が被害者である場合には相互の保証があるときに限り適用される(同法第五条)こととなつており、この法律は少くとも、大韓民国政府の支配する朝鮮の南半分において実効性をもつているものと認められる。そして前記のように大韓民国政府も朝鮮民主主義人民共和国政府も全朝鮮民族を自国の国民であると主張しているのであつて、このようなことは国家状態としても異常なことであるがこのような特殊な状態にある現在においては、朝鮮人である原告は、そのいずれを支持するかを問わないで、両政府がそれぞれ維持する二つの法律制度に服しなければならない地位にあり、大韓民国政府の維持する右国家賠償法の適用を受けるものといわなければならない。したがつて本件の場合国家賠償法第六条の相互の保証があるものと解することができる。

(2)  昭和二十八年六月六日正午頃足立税務署員鯨岡二郎ほか六名が訴外李漢旭に対する酒税法違反容疑事実に基いて、東京都足立区上沼田町百九十六番地所在の同人宅に対して押収捜索処分を行つたとき、同時に同町十二番地小西政治方に対し押収捜索を行い、その際西新井警察署員ら数名は原告を公務執行妨害の現行犯として逮捕し、自動車で同署まで連行したことは当事者間に争がない。そして証人佐藤栄三、同笠原浩の各証言及び本件弁論の全趣旨を綜合すると、(イ)西新井警察署に対し右税務署員から右押収捜索をするについて警備の依頼があつたので、同署の佐藤保安主任は二、三名の部下を連れ税務署員と共に李漢旭の自宅に行つたが、同人は留守であつたので附近で聞込などして調査したところ近所の小西政治方にも密造酒、醸造器具などが隠されていることが判明したので、同人を酒税法違反の現行犯として逮捕し同時に違反物件を押収して、これを税務署のトラツクに積み込み発車しようとしたところ、この騒ぎを聞いて集まつて来た大勢の朝鮮人が騒ぎ出し、そのうち原告を含む六、七名の者がトラツクの前に立ちふさがり、運転台に昇つてハンドルを奪い、あるいはトラツクの上に昇つて押収した密造酒を道路上に投下し、税務署員を突いたりして妨害し、佐藤主任の制止にも耳をかさないので、同主任は部下に命じて本署に応援を要請させたところ間もなく西新井警察署から約三十名の警官が応援にかけつけたため、妨害者らはいちはやくトラツクの附近を離れたがなおもこれを遠巻きにして騒いでいたので、佐藤主任はトラツクのハンドルを押えていた訴外辺海素とトラツクの方向指示器を押えていた訴外許太京を呼び出し公務執行妨害の現行犯として本署に連行するというと、同人らはおとなしく同署の自動車に乗つたが、しかし佐藤主任も妨害行為をした者の顔を一々覚えていないので税務署員らにそれを探じ出させたところ、税務署員は原告にあごを突かれたと言ふので、原告をも同じ現行犯として逮捕するよう部下に命じたこと、(ロ)部下署員が原告を逮捕しようとすると、原告は逮捕されまいとして近くの板塀をつかまえたり手足をばたばたさせたりして相当に暴れたが遂に数名の署員に押えられ抱え上げるようにして同署の自動車に乗せられたこと、が認められ、原告本人の供述中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定に反する証拠はない。したがつて、右原告の逮捕は現行犯逮捕として適法であるが、しかし、証人許太京、同辺海素の各証言によると、(ハ)原告が自動車に乗せられるとき先に乗車していた許太京、辺海素は車上からそれを見ていたが、原告のワイシヤツ・ズボンなどは泥で汚れていたけれども血などはついていないし、また顔にも傷は見られなかつたこと、(ニ)車内には既に二、三名の署員が乗つておりそこに原告を乗車させながら四、五名の署員が乗車してきて、原告を自動車の前部の方に押しやりこれらの署員がその周りに立つていたので、後部の方にいた許太京らには原告の姿は見えなかつたが、この署員のうちの一名が手を挙げて殴るような動作をしたのが見え続いて原告の「殴つたな」という声が聞えたこと(ホ)それから四、五名の署員は一旦下車したが、そのとき原告が口の中から血を流し、着ているワイシヤツの胸の附近に血がついているのが見えたこと、が認められ、証人笠原浩の証言、乙第五号証の一ないし四を綜合すると、(ヘ)原告が乗せられた自動車は幌付きのもので内部は昼間でも薄暗く、前部の方はそこで原告を殴打しても外部からはわかりにくい場所であることが認められ、証人福岡忠、同成毛誠太郎の各証言によると、(ト)原告が乗車させられてから四、五分して帰還命令が出され他の署員も原告と同じ自動車に乗り西新井警察署に帰つたが、その間は車内が混んでおり原告に暴行するようなこともなかつたことが認められ、(チ)同署の署員である証人福岡忠、同小坂常吉らも、原告が西新井警察署に着いたとき原告の唇の附近やシヤツに血痕がついているのを認めたと供述しており、成立に争のない甲第一号証及び乙第一号証の一、二証人長沢洋男の証言、同証言により真正に作成されたものと認められる乙第四号証、証人辺海中、同小坂常吉の各証言を綜合すると、(リ)同署の看守係小坂常吉は同日原告の申入に応じて長沢医師を呼んで原告の傷の手当をさせたが、その傷は左頬に鈍体が当り自分の歯によつて生じた左頬粘膜部挫創で全治まで約一週間を必要とする傷害であつたこと、(ヌ)その治療費金二百円は同署から支払われたが、それは原告の友人訴外辺海中が同署の小林次席に面会し治療費を警察の方から出すよう要求した結果であること、(ル)長沢医師は昭和十三年以来同署の嘱託医をしているが従来同署の指示で留置人の治療をしても同署から治療費の支払を受けたことはなく、直接患者から支払を受けまたは支払のできない者からは治療費を取つていなかつたこと、が認められる。以上(イ)ないし(ル)の各事実と原告本人尋問の結果(第一回)並びに本件弁論の全趣旨とを綜合すれば、同署員数名が原告を自動車に乗せた直後、車内において同署員の一名が原告を逮捕するまでの騒ぎによる興奮の余勢に駆られ手挙で原告の顔面を殴打したために、原告は前記傷害を蒙つたものと認定するのが相当であり、右認定に反する証人笠原浩、同福岡忠、同成毛誠太郎の各証言部分は信用できない。

(3)  証人面川博、同三浦講吉、同木村竹雄、同中村当の各証言を綜合すると、(イ)原告は同年六月八日午前十時三十分頃辺海素、許太京らと共に取調のため東京地方検察庁に押送され、他の被疑者らと一緒に同庁の第一同行室に収容されたが、同室の警備主任である警視庁押送係面川警部補は、原告が辺海素、許太京らと並んで腰かけているのをみて共犯者が一緒にいてはよくないと考え、原告を分離するよう部下に命じ、部下の巡査は原告に別の席に腰かけるように言つたが、原告は「どこにいようと勝手だ」と言つて動かないので、しばらく「立て」「立たない」でもめている間に室内が騒然としてきたので、面川主任はやむなく原告を二階の移監室の方に移すように命じ、中村、三浦、木村、堅脇の各巡査が机を蹴つたりして暴れる原告を抱えるようにして室外に連れ出し、二階へ昇る階段の昇り口まで来たが、原告は階段の下で足を突張り上ろうとしないので、右各巡査らは原告の手足や胴に手をかけて抱え上げ階段を五、六段昇つたところ、原告は足を持ち上げていた木村巡査を蹴つたため同巡査は思わず手を離し、その反動で他の巡査も手を離したので、原告は木村巡査もろとも階段を滑るようにして下まで落下したこと、(ロ)そこで右各巡査は原告を引張るようにしてすぐそばの洗面所に連れて行きその場に座らせたが、五、六分してから今度は外にある空の護送車内に原告を移しこゝに午後二時頃までおいてその間に昼食をとらせたりしたが、こゝでは原告はおとなしくしていたこと、(ハ)原告が検事の取調を受けたのはその後であること、が認められ、証人辺海中の証言によると、(ニ)原告は当日の朝は元気であつたが、午後検事の調室に入るときには両脇を一人づつの巡査につかまれもう一人の巡査が後から押すようにして連れて来られ元気のない様子なので、辺海中が「どうしたか」と聞くと原告は「殴られた」と一言いつただけであることが認められ、証人面川博、同平川良三の各証言によると、(ホ)原告は検事に対しても係員に殴られたと訴えていたが、その取調はごく簡単で約三、四分で終り原告は移監室に移されたところこゝで原告は胸部や腹部の痛みを訴えたので午後三時頃警視庁の平川医師が呼ばれて原告を診断し鎮静剤を注射したこと、(ヘ)同医師は原告の内臓状態に異状はないものと認めたようであるが、しかし医師がこのように検察庁に呼ばれて被疑者を診断することはそうしばしばあることではないこと、が認められ、証人許太京、同辺海素、同小坂常吉の各証言によると(ト)当日原告は許太京らよりも約一時間遅く午後七時頃西新井警察署に帰されて来たが、そのとき原告は二名の係官に肩をかしてもらい助けられるようにして監房に入れられたこと、なおその翌日原告は同人らに検察庁の便所で警官に殴られたと話していたことが認められ、成立に争のない甲第二号証及び乙第二号証の一、二証人新藤貞次の証言、同証言により真正に作成されたものと認められる乙第三号証、証人許太京、同小坂常吉の各証言を綜合すると、(チ)柔道整復師新藤貞次は六月十五日頃西新井警察署の依頼により原告の右母指基節関節脱臼症の治療をし、約一週間固定安静処置(母指を添木で固定しほう帯を巻く)を施したが、この傷害は負傷直後のものとは認められなかつたこと、(リ)この治療の費用合計四百円は同署から支払われたがこれも許太京が交渉した結果同署から支払われることとなつたものであること、(ヌ)新藤貞次は従来も同署の依頼を受けて留置人の治療をしたことは何回もあるが、本件のようにその費用を同署から受取つたことは始めてであること、が認められる。以上認定の(イ)ないし(ヌ)の各事実と原告は検察庁から西新井警察署に帰つて来てから留置場内の壁を殴つたりして暴れたという被告らの主張を認めるにたりる証拠は少しもないこと並びに原告本人尋問の結果(第一回)とを綜合すれば、原告を移監室に移動させようとした前記警視庁押送係の各巡査は、原告が木村巡査もろとも階段を落下した直後、原告が前記のように暴れて素直に移動しないのを憤り前記洗面所において原告に対し手挙で殴打したり足蹴にするなどの暴行を加え、その際に右暴行により原告は前記傷害を蒙つたものと認定するのが相当であり、右認定に反する証人面川博、同木村竹雄、同平川良三の各証言部分は信用できない。

(4)  前記西新井警察署及び警視庁押送係の各警官がいずれも被告東京都の公権力の行使に当る公務員であることは当事者間に争がなく、原告の蒙つた前記各傷害は右各警官がその職務を行うについて故意に原告に加えた暴行により生じたものであることは前記認定の事実から明かであるから、被告東京都はその損害を賠償する義務があることは明瞭である。

そこで更に損害の点について考えるに、原告が前記傷害の治療を受けたことは前記のとおりであるが、その治療費合計六百円については西新井警察署がその支払をしたことも前記認定のとおりであり、他に原告が治療費を支出したことを認めるにたりる証拠はないから、治療費合計三千円を支出したという原告の主張は失当である。しかし原告が前記各暴行により前記各傷害を受け精神的に多大の苦痛を感じたことは当然である。たゞ前記検察庁における場合は、前記面川主任が原告を他の室に分離するよう命じたのは前記認定の事情からみて少しも不当なことではないのであるから、原告としても素直に行動しなければならなかつたのに、その指示に従うことなくかえつて暴れたりなどしていたずらに係員の感情を刺激して前記暴行を誘発したものであつて、右暴行による損害の発生については原告にもまた過失があつたものといわなければならない。そこで証人根本清子の証言及び原告本人尋問の結果(第一回)によつて認められる。原告は朝鮮人中学校を中退した者であるが現在は肩書住所地に家族五人とともに居住し長野県自由労働者組合副委員長、長野県地区労働組合評議会幹事として勤め、朝鮮人の間においてかなりの信望がある事実、前記各傷害の部位、程度その他本件諸般の事情に原告の右過失を斟酌すれば被告東京都の原告に対し支払わなければならない慰謝料としては前記(2) (3) の各不法行為について金一万五千円宛合計金三万円を相当と認める。

(5)  よつて被告東京都は原告に対し右金三万円及びこれに対する本件訴状が同被告に送達された日の翌日であること本件記録により明かな昭和二十八年九月二日から完済するまでの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務がある。

(二)  被告佐久間に対する請求について

原告は、前記西新井警察署員が原告を逮捕連行した際原告に前記暴行を加えたが、被告佐久間は当時同警察署長であつたから、被告東京都に代つてその事業を監督する者として民法第七百十五条に基いてその責任を追求しようとしていることは、その主張自体から明かである。しかしながら民法第七百十五条の「事業ノ執行」には国または公共団体の公権力の行使は含まれないものと解しなければならない。もつとも国家賠償法第四条は「国または公共団体の損害賠償の責任については、前三条によるのほか民法の規定による」と規定されているが、これはその規定の上からも明かなように国または公共団体の責任に関するものであつて、このことは国家賠償法が国または公共団体の責任を定めるものであることからいつて当然のことであり、しかも右法条は、一面において国または公共団体の活動が他人に加える損害のうち公権力の行使による公務員の加害行為による損害(同法第一条)及び公の営造物の設置または管理のかしによる損害(同法第二条)については、国家賠償法によるのほか消滅時効・過失相殺などに関する民法の規定を補充的に適用し、他面においてこれ以外の損害については民法不法行為の規定を適用して賠償責任の有無を定めるという趣旨であつて、公権力の行使に当る公務員の加害行為による損害についてまで民法不法行為の規定を競合的に適用できることを認めたものではないと解するのが相当である。そして前記暴行による傷害は、被告東京都の公権力の行使に当る西新井警察署員らがその職務を行うについて原告に対し加えたものであることは、前記のとおりであるから、被告佐久間に対する請求は失当である。

(三)  被告橘に対する請求について

原告は被告橘が原告を逮捕連行する際原告に対し前記暴行を加えた西新井警察署員の共同不法行為者であると主張し、また共同不法行為者と認められないとしても、右逮捕連行の指揮監督者であつたから、被告東京都に代つてその事業を監督する者として民法第七百十五条により責任があると主張するが、被告橘が前記暴行を加えた署員の共同不法行為者であることを認めるにたる証拠は少しもなく、また本件に民法第七百十五条を適用できないことは前記のとおりであるから、同被告に対する請求は失当である。

(四)  よつて原告の本訴各請求は以上認定の範囲で正当であるからこれを認容し、その余の部分は失当であるからこれを棄却することとし訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原英雄 輪湖公寛 山木寛)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com