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東京地方裁判所 昭和33年(合わ)138号 判決

被告人 大金昭二

昭二・一・一七生 無職

主文

被告人を死刑に処する。

押収にかかるトランク一個(昭和三十三年証第一四二九号の六)は、これを没収する。

押収にかかる保護預り通帳(同号の四)、不動産売渡証(同号の一九)、郵便貯金通帳(同号の二二)、普通預金通帳(同号の二四)各一通および手提げ鞄二個(同号の二五)は、これを被害者入江慶の相続人に還付する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十三年二月十七日頃の午後八時頃東京都中野区本町通一丁目三十番地靴修理業入江慶(明治三十六年七月二日生)方勝手場において、同人を殺害して金品を強取する意図で、右手ににぎつていたまきわり(昭和三十三年証第一四二九号の八)をふるつて、その刃の背部で同人の頭部を強く一撃し、同人が昏倒するや更に同人着用の襟巻で同人の頸部を強くしめつけ、即時同人を頭部強打による脳震とうおよび頸部圧迫による窒息のため死亡させて殺害したうえ、同日から同年三月一日までの間同所において、同人所有の現金約六千円、貯金高一万千五十円の郵便貯金通帳一冊、住友信託銀行株式会社新宿出張所発行の預金高九万四千五百四十六円の普通預金通帳一冊および東京ガス株式会社ほか三社の株式合計四千株等の保護預り通帳一冊ならびに靴、本箱、布団等家財合計約百数十点を強取し、かつ同所において同人の死体をトランク(同号の六)に詰め、同月二日これを自動車で栃木県那須郡馬頭町大字盛泉三十五番地に居住する実父大金良雄方附近まで運搬したうえ、同日午後九時すぎ頃右死体を同所附近の竹やぶ内の土中に埋め、もつてこれを遺棄し、

第二、同年二月二十五日頃前記入江慶方において、隣家のクリーニング店の店員大塚春雄に対し、入江慶を殺害したことを秘し、「自分は入江慶の息子の武雄という者であるが、父からここの土地、家屋(東京都中野区本町通り一丁目三十番地の土地八坪三勺および同地上の家屋建坪四坪五合一棟)の売却方を頼まれたので買つてくれないか。」などとでたらめをいつて、その旨大塚を誤信させ、右土地、家屋を代金二十万円で買いうける旨約束させたうえ、同月二十六日頃および同年三月一日頃いずれも同所において、同人から右代金名下に合計金二十万円の交付を受けてこれを騙取し

たものである。

(被告人の経歴および犯行に至る経緯)

被告人は、本籍地において農業を営む父良雄、母ヌイの二男として生れ、同地の小学校、公民実業学校、栃木県立農事試験所の技術養成所等に学んだのち、栃木県農業会、同県食糧事務所等に勤めたが、昭和二十三年四月頃から次々に強盗、窃盗、詐欺等の罪を重ねて前後四回処罰され、その最後の刑を受け、昭和三十一年八月頃仮出獄した。その後被告人は、本籍地の父母のもとへ帰つて農業の手伝いをしていたが、間もなく附近で飲食店を営んでいた渡辺ヤイと知り合い、昭和三十二年十月頃から同女方で同棲するに至つた。ところが同年十二月頃同女が家主から立退きを求められ、飲食店を閉じることとなつたので、被告人は、栃木県大田原市内に住む知人の川上[木周]に頼んで一時の約束で同人方に身を寄せヤイとその娘をひきとつたが、ヤイの若干の所持金と父からの援助によつて徒食するうち、次第に生活も苦しくなり、川上からも家賃の延滞等を理由に、立退きを求められる破目となつた。被告人は、生活に追われるまま、昭和三十三年二月十四日はつきりしたあてもなく、僅か千円余をふところにして単身上京し、夜は寺の境内等で野宿し、昼は機会があつたら盗みでもするつもりで街を歩きまわるうち、手持ちの金を使い果し金銭に窮した結果、同月十七日頃、かつて近所に住み、靴の修理を依頼したことのある判示入江慶が老令の一人ぐらしで、かねて小金をためている様子であつたことを想い起し、同人方で金品を奪取しようと企て、午後七時すぎ頃同人が外出したすきに乗じ、判示まきわりをたずさえて同人方に忍びこんだが、やがて追いつめられた気持から同人を殺害してでも金品を強取しようという気になり、午後八時頃勝手口から帰宅した同人に対し、判示犯行におよんだものである。

(証拠の標目)(略)

(証拠説明)

被告人は、当公廷においては、終始強盗殺人および死体遺棄の事実を否認し、自分は他人から頼まれて入江慶の家屋等を処分し、トランク等を運搬したにすぎないと弁解した。そこで裁判所は、虚心に被告人の弁解に耳を傾けつつ、多数の証拠を取り調べ、慎重に審理を進めた。しかし、結局判示のとおり認定せざるをえなかつた。

つぎにその理由を説明しよう。

(一)  本件犯行の存在を推認させる情況の存在

まず前示各証拠(ただし、強盗殺人および死体遺棄に関する自白の部分を除く。)によると、つぎの諸事実が認められる。

(1)(イ)  判示入江慶は、昭和三十三年二月中旬頃頭部を鈍器で強打されたうえ、頸部を布片のようなもので強く緊縛されて殺害された。(六(ロ)(ホ)(ヘ)、五(ヌ)、一(ヘ))

(ロ)  同月十七日の午前中住友信託銀行員中島正雄が入江慶方を訪問した際に同人が在宅していた事実がうかがわれるが、その後に入江の姿を認めた者はなく、特に、同月二十日頃大塚春雄が入江方を訪問した際には入江の姿がなく、被告人がいて「入江は豊島区にアパートを建ててそこに移る。」等といつていた。(五(ヌ)、一(ヘ)(ハ)(ニ)(コ)(エ))

(2)  同年四月十八日頃判示入江慶方勝手場ガス台附近の板等に血液の飛沫痕と目されるもの数個が発見された。また同年五月十四日の鑑定において、同家六畳間の押入れに張つてあつたベニヤ板に血痕らしいものの附着が認められた。(一(ノ)(オ)、六(ハ)(ヌ)、岩崎茂次作成の昭和三十三年四月九日付検証調書)

(3)  被告人は、前示のように、昭和三十二年十二月頃から渡辺ヤイおよびその娘と一緒に栃木県大田原市の川上[木周]方に間借りし、ヤイの若干の所持金と父からの援助によつて徒食していたが、昭和三十三年二月頃にははなはだしく生活に窮するに至つた。当時被告人は、ヤイや川上に対し、「東京で店を借りて商売をする」等といつていた。(一(ル)、三(ロ)(ハ)(ホ))

(4)  被告人は、同年二月十四日オーバーを入質するなどして工面した金千円余を持つて上京し、同夜は東中野の屋台で飲酒して野宿した。(一(ル)(キ)、三(ハ)、一〇)

(5)  被告人は、遅くとも同月十九日頃から前示入江慶の家屋に一人で住んでいた。(一(ニ)(ヘ)、五(ヌ)、一〇)

(6)  被告人は、同月二十一日頃東谷信輔に対し入江慶本人である旨偽つて入江の土地家屋の売却を申しこんだが、さらにその後間もなく大塚春雄に対しても入江慶の息子である旨いつわつて右土地家屋の売買の交渉をし、結局大塚に代金二十万円で売り渡すことに決め、同月二十七日入江の権利証等を使つて移転登記手続をし(登記料等に四千円位支出)、同月二十六日および三月一日に代金を受領した。(一(ハ)(ヘ)(ヌ)、五(ハ)、六(ヲ)、一〇)

(7)  被告人は、同年二月二十四日中野区宮園通り郵便局において入江慶の代理人である旨いつわつて同人の郵便貯金一万円の払戻しを受けた。(六(ワ)(タ)、七、一〇)

(8)  被告人は、同日および翌二十五日住友信託銀行株式会社東京支店新宿出張所において副長市川功等に対し、「自分は入江慶の長男入江武雄だが、慶が中風で倒れ、郷里へ帰つて療養中なので金がいる」等全然虚構の事実を申し向け、入江慶の普通預金七万円の払戻しおよび同社貸付信託受益証券等の保護預りの解約方を請求交渉し、二十五日普通預金の払戻しを受けた。(一(ト)、五(リ)(ヌ)、七、一〇)

(9)  被告人は、同日夜タクシーで箱根へドライブし、旅館で芸者二名を揚げて遊興宿泊し、少くとも二万一千円位を費消した。(五(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)、一〇)

(10)  被告人は、その後も住友信託銀行に対し種々虚言を申し向けて執拗に保護預りの解約方を迫り、特に同月二十七日には栃木県今市市の福田実方へわざわざタクシーで八千円の費用を使つて赴き、住友信託銀行に対して同所を入江の療養先と詐るための工作をした。また富田証券融資株式会社の富田昇に対し、前同様の虚言を申し向けて保護預りの換金方を依頼した。(一(ト)(リ)、五(リ)(ヌ)(ル)(タ)、三(ト)、一〇)

(11)  被告人は、同月二十八日頃中野区本町通りの鍵和田荘アパートの一室を借り受け、礼金として一万円を支払つた。(五(チ)、一〇)

(12)  被告人は、同年三月一日古物商若林道喜に対し、「入江慶の息子であるが慶が中気で倒れたので整理にきた」等といつわつて入江方にあつた家財等数十点を代金一万円で売却した。(一(ホ)、六(ソ)、一〇)

(13)  被告人は、同日残りの家財等を全部鍵和田荘の自室に運び込み、自己の用途に供した。その際入江慶の主要食糧購入通帳、古物商免許証、養老保険証券等の書類も持ち運び、以来逮捕されるまで所持していた。(司法警察員岩田茂次作成の昭和三十三年四月十二日付捜索差押調書、渡辺ヤイ作成の任意提出書、一(カ)(ヨ)、一〇)

(14)  被告人は、同年三月二日長さ約九十二糎、巾約二十糎、高さ約五十四糎の重量のあるトランク一個(昭和三十三年証第一四二九号の六)を鈴木祐二の運転するタクシーに積んで入江慶方から本籍地の被告人が以前住んでいた家屋(当時は空屋となつていた。――以下被告人の家と略称する。)の附近まで運搬し、タクシー代一万一千円を支払つた。(一(ヲ)、三(イ)(ト)、一〇)同年四月八日右家屋附近の大金良雄所有の竹やぶにおいて地中に埋没されていた入江慶の死体が発掘され、右家屋の縁下から前記トランクが発見された。(三(ニ)、司法警察員岩崎茂次の昭和三十三年四月九日付検証調書および同月八日付捜索差押調書)そして鑑定の結果右トランクには入江慶の血液型と同型(A型)の人血少量が附着しているほか、人血痕(血液型不明)一個、血痕(人血と確認し得ず)二個、血痕らしいもの三個が附着していることが認められた。(二、六(ニ))

(15)  三月二日被告人が被告人の家の附近でタクシーからトランクをおろしたのは午後九時すぎ頃であつたが、同夜被告人は、十一時四十分頃被告人の家の近くの大内郵便局をおとずれ、同所から電話でタクシーを呼び、代金千三百円で大田原市へおもむき、まず川上[木周]方に声をかけ、ついで料理店「福寿」に住み込んでいた渡辺ヤイとその娘とを連れ出し、再び川上方をたずねて延滞していた部屋代三千円を支払つたのち、タクシーで塩原温泉へ行つて遊興しこのため五千円位を費い、翌三日帰京して鍵和田荘へ入り、以来三人で暮すようになつた。そのために代金一万二千円位のラジオ等相当数の世帯道具等を買い求めた。(一(ヲ)(ル)(ラ)(ム)、三(ロ)(ト)、五(チ)一〇)

(16)  被告人は、同月四日三菱銀行中野支店に普通預金として五万円、定期預金として七万円を預け入れた。その後数回にわたつて払戻しを受け、同月二十九日同銀行新宿西口支店へ預けかえ、逮捕当時の預金残高は約四万円であつた。(五(ヲ)(ワ)(カ)、六(ヨ)、一〇)

(17)  被告人は、同月十五日頃および四月初め頃本籍地の両親のもとへ旅行したが、その際同家へ入江慶の普通預金通帳、保護預り通帳、簡易生命保険証書等の書類を置いてきた。(一(ワ)、三(ホ)大金良雄作成の任意提出書)

(18)  被告人は、同月二十八日肩書古川方に引越し、敷金、引越費用等に約二万円を支出した。(一(ル)、一〇)

(19)  同年五月十四日の鑑定において、被告人が同年二月十四日の上京の際着用していた背広上衣右袖口に少量の人血が附着していると認められた。(一(オ)、六(ハ)、一〇)

右の諸事実は、被告人が判示のような罪を犯したことを推認させる、きわめて有力な情況証拠であると考えられる。

(二)  被告人の警察および検察庁における自白の経過とその任意性の有無および信用性の程度

(1)  自白の経過。 被告人の司法警察員および検察官に対する各供述調書は、被告人が逮捕された日である昭和三十三年四月七日から同年五月二十七日までの被告人の供述を録取したものであつて、その内容は、かなり詳細なものである。各調書の内容には重複する点もすくなくなく、また多くの重要な点、たとえば入江慶を殺害した日時、動機、方法、殺害に使用した兇器の所在場所等について種々の変遷がみられるが、これらの供述を通じ注目される点は、被告人がみずから入江慶方で同人を殺害しその死体を被告人の本籍地まで運んで遺棄したという点の供述が、逮捕された日の翌日から最後まで維持されているということである。

(2)  自白の任意性の有無。 被告人は当公廷において、「自分の司法警察員に対する供述調書の記載の大部分は、自分の述べたことを録取したものではなく、作成者が勝手に作文したものである。警察官は、自分を長時間にわたり、手錠をかけたまま正座させ、証拠写真を目の前に並べるなどして強制的、誘導的に取り調べた。自分が弁解しても聞いてくれなかつた。自分は、逮捕当時病気で、頭が非常に重く、胸から下が突つぱるように痛く、寝ていても芝居か映画でも見ているように、いろいろなものが回転し、眠ろうとしても眠れず、夜になると急激に熱が出た。そこで警察官に対し医師の診療を受けさせてほしい、また下着の着用を許してほしいと懇請したが容れられず、また渡辺ヤイにかいまきや寝まきの差入れをたのんでほしいといつてもきいてもらえず、かえつて同女が差し入れようとしたかいまきを警察官が自分に渡さず、同女に持ちかえらせてしまつた。その他警察の処遇はきわめて悪かつた。自分はかような警察官の不当な取調および処遇にたえられず、虚構の事実を記載した調書に署名押印したのである。また検察官からは司法警察員に対する供述調書にもとづいて尋問を受け、その際自分が事実を否認すると検察官が怒つて三十分間位腕組みしたまま口をきかないようなことがあつたので、前同様の理由により、検察官のいうことをそのまま認めてしまつたのである。」旨供述している。しかし、

(イ) 証人加藤勘蔵、井上哲夫、渡辺恒雄の当公廷における各供述によると、被告人に対する司法警察員の取調べは原則として午前十時頃から午後六時頃までの間に行われ、検察官の取調べは夜間行われたが午後十時以降にわたつたことはなかつた(ただし、調書の作成のため、右時刻より若干おくれたことはある)こと、司法警察員の取調べ中に休けい時間がもうけられていたこと、司法警察員または検察官が取調べにあたり、強制、ごう問、不当な誘導等違法な方法を用いた形跡のないことが認められる。被告人は、前記各証人の尋問の際充分反対尋問または反ばく供述の機会を与えられたのに、司法警察員等の取調べにおいてどのような強制、誘導が行われたのか、どのような方法で虚構の事実を承認させられたのか等を具体的に指摘することがすくなく、人を首肯させるに足りる根拠をあげることができなかつた。その他、右の点に関する被告人の陳述あるいは弁解は、迫真力を欠き、前記各証人の供述と対比すると信用しがたい点が多い。なお被告人の「弁解しても聞いてもらえなかつた」旨の供述は、被告人が取調べにあたつた検察官等に対し、公判廷でしたような弁解を全然しなかつたと認められること等に徴し、とうてい信用することができない。

(ロ) また証人長島仲、小原準三の当公廷における各供述によると、中野警察署では、被告人の在監当時在監の被疑者等が病気の場合には、医師の診療を求める等必要な医療措置を構じていたこと、被告人は、取調べのほとんど終つていた昭和三十三年五月十一日頃腹痛を訴え、警察職員が招致した小原医師の診療を受けたが、その際同医師は、被告人が高熱に悩まされていた等の重篤な病状を認めず、急性胃炎と診断したこと、被告人は在監中長島看守に対し、二、三回気分が悪いと訴えたことがあるが、その際同人から医師を呼ぼうかと尋ねられると、その必要はないと答え、前記小原医師の診療を受けたときのほかには、医療措置を求めたことがなかつたことが認められる。したがつて、被告人が検察官等の取調べを受けた当時被告人の供述するような重い病気にかかつていたとは認められず、当時の健康状態は、必ずしも良好でなかつたとしても、それほど悪くはなく、取調べにたえられないような状態ではなかつたと認められる。

(ハ) また被告人の当公廷における供述によつても、警察職員が悪意でことさらかいまき等の差入れを差し止めた等の事実は認めがたく、かいまき等の差入れが遅れたため被告人が著しく苦痛を感じたとも認めえない(証人渡辺恒雄、長島仲の当公廷における供述等参照)。その他被告人が勾留中とりわけ不利益な処遇を受けた事実は認められない。

(ニ) 被告人の司法警察員に対する供述を録取した録音テープによると、被告人が司法警察員の質問に対しすすんで詳細に犯行を供述したことが明らかであり、この点からみても、被告人が沈黙しているのに司法警察員が勝手に犯罪事実を創作して調書を作成した旨の被告人の供述は、とうてい信用することができない。

以上の諸事実を綜合すると、被告人の警察および検察庁における自白については、なんら任意性を疑わせるような事情は存在せず、右の自白は任意にされたものと認められる。

(3)  自白の信用性の程度。 前記各供述調書によると、被告人は、逮捕された翌日に司法警察員に対し、入江慶を殺害し、その死体を遺棄した事実を供述し、この点に関する供述は、基本的には最後までそのまま維持されている。先に指摘したとおり、被告人の供述は種々の点で変せんしているが、これは、被告人が少しでも自己の罪責を軽くしたいという気持と性来の虚言癖(証人星名春治、古沢謙一の当公廷における各供述、鍵和田栄介の司法警察員に対する供述調書等参照。)とから、当初は金品強取のための殺害であることを秘すため、種々虚構の事実を供述したのであるが、捜査の進展につれ、その供述がつぎつぎに客観的事実に符合しないことが明らかとなり、取調官からそのくい違いを鋭く指摘、追及された結果、徐々に真実を供述していつたために生じたものと認められる。(証人加藤勘蔵の当公廷における供述参照。)したがつて、本件においては、調書記載の供述内容が変化していることは、供述の任意性または信用性を疑わせる資料とはならない。むしろ、本件捜査にあたつた司法警察員および検察官が当初から入江慶が強盗に殺害されたとの強い嫌疑をもち、その相当の理由もあつたと認められるにもかかわらず(昭和三十三年四月八日付警察調書記載の事件名が強盗殺人、死体遺棄であること、同月九日被告人に対し強盗殺人、死体遺棄を被疑事実とする逮捕状が発せられたこと等参照。)、同月八日から同月十九日までの間に作成された調書にはつきりした強盗殺人の自白の記載がなく、かえつて、「入江からげんのうで殴りかかられたので、そのげんのうを奪つて殴り返した。」旨の記載や、「入江に七十万円位の貸分があつた。」など容易に想像し難い事実の記載のあることは、右調書が、司法警察員等の想像にもとづいて勝手に創作されたものではなく、被告人の任意の供述を忠実に録取したものであることの有力な証拠と認められ、その信用性を高めるものと考えられる。

以上の点および供述調書の内容がほぼ前記各情況証拠に符合することを考えると、右の供述は、裏づけ証拠の充分でないこまかな点については種々の疑問をまぬがれないが、被告人が判示のような経過で判示のような罪を犯したという大綱においては、信用しうるものと考えられる。

(三)  被告人の当公廷における弁解とこれについての合理性あるいは信用性の有無。

右(一)(二)の証拠、すなわち情況証拠と被告人の捜査官に対する自白とを綜合すると、判示の強盗殺人および死体遺棄の各事実を充分認めうると思われるが、被告人は、これらの事実については、当公廷において極力否認し、種々弁解しているので、被告人の弁解が果して合理的であるか、あるいは信用しうるものであるかを、つぎに検討することとする。これは、判示事実の認定について、いささかの疑問をも残さないためである。

被告人の当公廷における弁解の要旨は、「自分が昭和三十三年二月十九日から入江慶の家屋に住みこみ、右家屋等を売却したり、入江の預金の払戻しを受けたり、本籍地へトランクを運搬したりしたのは、鳥羽博、加藤実、渡辺(名不明)の依頼を受けたためである。鳥羽は自分が昭和二十五年から二十六年にかけて東京小菅拘置所に入監中知つた者、渡辺は昭和三十年頃府中刑務所に服役中知り合つた者、加藤は昭和三十二年一月頃都内の土工飯場(その名と場所の詳細は忘れた)に二日ほどいたとき知り合い、その後被告人方(本籍地)をたずねてきたことがある者である。自分は、昭和三十三年一月三十一日上京した際偶然山谷で渡辺と再会し、ついで二月十四日上京したとき重ねて同人と会い翌十五日同人から鳥羽、加藤を紹介された。鳥羽は金融、古物売買等の仕事をしているといつていた。翌十六日同人等と空地に放置してある古自動車を窃取しようと企てたが果さなかつた。翌十七日同人等と別れて午前十一時頃中野区仲町の渋谷ヤス方をたずねたのち、赤羽から東北線下り列車で宇都宮へ赴き、午後五時三十分頃同市旭町の松本喜一郎方を訪れてしばらく雑談したのちバスを利用して本籍地の被告人の家へ行き、そこに一泊した。バスの中で古沢謙一に会つた。翌十八日午前六時頃家を出、栃木県那須郡小川町の飲食店清水リン方で飲酒したのち上京した。翌十九日鳥羽の案内で入江慶の家へ行き、鳥羽から入江は古物の行商で留守であるが、この店で金融、古物売買、靴修理等の仕事をするから店番をしてくれと頼まれて承諾した。ところが、翌二十日鳥羽から入江の右家屋、土地を売つてほしいと頼まれ、鳥羽の指示で東谷信輔と交渉したが、そのうちたまたま靴直しにきた大塚春雄と話ができて同人に売り渡すこととなつた。入江慶の郵便貯金、普通預金の払戻しを受け、保護預りの解約を交渉したのも鳥羽の依頼を受け、同人の指示に従つてしたのである。払戻し金は直ちに鳥羽に渡し、謝礼として二万円もらつた。

また三月二日タクシーで本籍地の被告人所有の家屋附近へ運んだトランクの中には、ビーカー、はかり等の入つたより小さなトランク、なめし皮、棒はんだ等が入つていたのであるが、これは同月一日加藤から茨城県高萩まで運ぶのだが、ひとまず被告人の本籍地の家まで運んで預かつておいてほしいと依頼されて運んだものである。同月十五日本籍地の家でそのトランクを加藤に渡すと、加藤は、内容物だけ持ち去つた。三月六日土地家屋および家財の売却代金として、現金五万円および預金高五万円の普通預金通帳を渡辺、加藤に手渡した。」というにある。

右の弁解は、要約すると、(1)被告人は、偶然その頃山谷であつた渡辺ほか二名の者に頼まれて入江慶の家屋、動産等を処分したり、トランクを本籍地の家まで運んだりしただけで、入江慶の殺害やその死体の遺棄には関係していないということと、(2)被告人が入江慶を殺害したとされている昭和三十三年二月十七日午後八時頃には被告人は東京にいなかつた。すなわち、被告人にはアリバイがあるということの二点に尽きるようである。(これらの弁解は、審理がすすみ、つぎつぎに被告人に不利な客観的事実が明らかにされるにつれて、多少内容がかわるとともに、詳細かつ具体的になつていつた。)

(1)  被告人が渡辺ほか二名の者に頼まれて入江慶の財産を処分し、あるいはトランクを運んだという弁解について。

この弁解は、つぎにかかげる理由によつて、とうてい信用することができない。

(イ) 通常起りえないようなことがつぎつぎに起るとか、常識で考えられないようなことが行われるとか等きわめて不自然な、空想的な部分が多いこと。

(ロ) あいまいな部分や前後矛盾する点がすくないこと。

(ハ) 被告人が主張する「鳥羽博」「加藤実」「渡辺某」なる人物が実在し、本件に関係したことをうかがわせるに足る証拠は被告人の供述以外には全く存在しないこと。

詳言すると、

(a) 証人鳥羽博は、「被告人とは昭和二十七年頃小菅拘置所で同房したことがあり知つている。しかし、昭和三十三年二月当時自分は茨城県稲敷郡東村伊佐部におり、被告人と会つたことはない。」旨供述し、これに対し、被告人は、右証言ののち「この証人は知らない。自分のいう鳥羽博は別の男である。自分は小菅拘置所で鳥羽博という男と同房したことはなく、その顔も知らなかつた。ただ同房の者から鳥羽博という名前を聞いていたので、昭和三十三年二月十五日渡辺から紹介された男の名が鳥羽博であると聞いたとき小菅にいた鳥羽君かと尋ねたところ、そうだと答えたのでそう思いこんでいただけである。」旨供述した。

しかし、証人鳥羽博の右供述に、裁判所の証人川上[木周]に対する尋問調書および東京拘置所長大井久作成の回答書を綜合すると、被告人と鳥羽博とは昭和二十五年十二月から二十六年四月まで同時に小菅拘置所に在監し、その間同房したこともあると認められる。(鳥羽証人の供述中同房した時期が、昭和二十七年頃とあるのは、同証人の記憶違いによるものと認められる。)したがつて、鳥羽博と同房したことはない。自分があつたのは鳥羽博と称する男であつた旨の被告人の弁解は、鳥羽博が本件に関係のないことが明らかになつた際の窮余の遁辞と認めるほかはない。いずれにしても、被告人が鳥羽に頼まれて土地、家屋の売却等をした旨の供述は、とうてい信用することができない。

(b) 検察官が被告人の供述を基礎にして該当者らしい人物として探し出してきた証人加藤実、渡辺蔵三は、「被告人を知らない」と述べ、被告人も「同人等を知らない。自分のいう加藤、渡辺は別の男である」旨供述している。

(c) 府中刑務所庶務課長三浦正作成の回答書によると、その後の被告人の供述に符合するような「渡辺」という男は被告人の供述する時期に府中刑務所に在監しなかつたと認められる。

(d) 被告人は、第六回公判において「昭和三十三年二月二十六日大塚春雄が入江慶の家に自分をたずねてきたとき鳥羽博がいて自分と話をしていた」旨、第二十回公判において「大塚がきたとき渡辺がいて自分と話をしていた」旨それぞれ供述しているが、右被告人の供述には、大塚がきた際被告人と話していた男が誰かという最も重要な点にくいちがいがあるうえ、証人杉田房子の当公廷における供述、東谷信輔の司法警察員に対する供述調書、司法警察員白井登美夫作成の捜査報告書てん付の写真、被告人の司法警察員に対する昭和三十三年四月二十三日付供述調書等を綜合すると、大塚が入江方に被告人を訪ねてきたとき被告人と話していたのは、信栄商事株式会社の東谷信輔であるとの疑いが強く、この点に関する被告人の供述は信用できない。また裁判所の証人大金良雄に対する尋問調書中「昭和三十三年三月十六日大金良雄方に洋服を売りにきた男があり、被告人と十分間位何か話をして帰つた。」旨の供述記載について、被告人は、「その洋服売りの男が加藤実である」旨供述するが、右供述も、その内容がきわめて不自然でとうてい信用できない。そのほかに「鳥羽」「渡辺」「加藤」が本件に関係した事実をうかがわせる証拠はなにもない。

(ニ) 被告人が、入江の財産を処分して入手した金員の中から合計十七万円を鳥羽等に交付した旨の供述が真実であるとすればその頃の被告人の金員消費状況すなわち、芸者をあげての遊興費、鍵和田荘の借賃、借金の支払、ヤイとの生活費、銀行への預金等と明らかに矛盾すること。(情況証拠中(3)(4)(9)(11)(15)(16)(18)等参照)

(ホ) 被告人の弁解によつては、(a)被告人が入江慶の財産の処分にあたり、鳥羽、渡辺、加藤等の名前を出さなかつたのはもちろん、入江慶および入江武雄以外の者の名前を出していない事実。(b)被告人が入江慶の家財等多数を鍵和田荘に運んで自己の用途に使用し、入江の郵便貯金通帳、養老保険証券等を所持しつづけ、普通預金通帳、保護預り通帳、簡易生命保険証書等を本籍地の両親の家に置いていた事実、(c)被告人の運搬したトランクに入江慶と同じ血液型の血痕が付着していた事実等を理解しがたいこと。((c)の事実について、被告人は、「自分が警察で取調を受けた際押収のトランクからしめつた入江慶の着衣等を出し入れするのを手伝わされた」旨供述し、弁護人は、「トランクの血痕は警察に保管中入江の着衣等についた血痕が移りついたものと推定される」旨主張するが、右被告人の供述は、証人加藤勘蔵の当公廷における供述と対比してとうてい信用できない。なお司法警察員岩崎茂次作成の昭和三十三年四月九日付検証調書中右トランクについて警視庁斎藤技師がルミノール試験をほどこしたところ、トランクの内側の数個所に陽性反応が認められた旨の記載参照)。

(ヘ) 被告人が警察あるいは検察官に対し、なんら同種の弁解をしていないこと。

(2)  被告人にはアリバイがあるという弁解について。

この点については、弁護人の請求により証人松本喜一郎、松本文子、古沢謙一、清水リンに対する各尋問が行われたが、同証人等の供述によると、同証人等がそれぞれ昭和三十三年一月頃から三月頃までの間に被告人と会つたことがあり、そのときの状況がほぼ被告人の供述のとおりであつたことは認められる。しかし、その会つた時期に関する同証人等の記憶はきわめてあいまいであつて、それが二月十七日または同月十八日であつたと確認することは全く不可能である。かえつて証人渋谷賢之助の当公廷における供述によると、被告人は警察でも述べているとおり、犯行の数時間前である二月十七日の午後四時頃犯行場所の附近である中野区仲町三十番地に住む渋谷賢之助方を訪れたと認められるのである。(この点に関する渋谷ヤス供述は、信用できない)。したがつて、被告人のアリバイも、とうてい認めることはできない。

要するに、被告人の弁解は、捜査の過程では全く述べられず、当公廷において突然主張されはじめたものであるが、その内容は、きわめて不自然、不合理であるばかりでなく、客観的証拠による裏づけを欠き、かえつて多くの重要な点で客観的事実と矛盾しているのである。被告人の弁解をいれる余地はないといわなければならない。

(四)  弁護人の主張の成否。

弁護人は、被告人に不利と認められる各証拠間の矛盾をつき、被告人の自白の非合理性を指摘し経験則上本件を被告人の犯行と断ずることの困難さ等を説いたのち、「疑わしきは罰せず」との原則にしたがい、強盗殺人および死体遺棄の点については、被告人を無罪にすべきであると主張している。そこで、最後に弁護人の主張中重要な点を検討することとしよう。

(1)、弁護人は、押収にかかるまきわりに血痕の付着が認められないことおよび犯人が右まきわりを隠匿投棄しなかつたことを理由に、右まきわりは入江慶殺害の用に供されたものではないと主張している。しかし、鑑定人兼証人中舘久平の当公廷における供述および被告人の検察官に対する昭和三十三年四月二十七日、同月三十日付各供述調書等によると、犯行の際兇器のまきわりに付着した血液はごく少量であつたので、のちに被告人が水洗いし、ぬれ雑布でふいた際落ちてしまつたと認められる。また、右まきわりに血痕の付着等顕著な犯罪の証跡が認められず、それが犯行発覚の端緒となりまたは犯人割り出しの手がかりとされる蓋然性が比較的小さいと考えられる点等からみると、被告人が右まきわりを他の場所に投棄あるいは隠匿しなかつたのも、それほど不自然ではないと思われる。

(2)  弁護人は、押収にかかるトランクの大きさ、入江慶の死体の状態等からみて、右トランクに死体を詰めることは不可能であること、および被告人が昭和三十三年三月二日右トランクをタクシーに積んで本籍地へ運んだ際運転者等がなんら死臭を感じていないことの二点をあげて、右トランクに死体が入つていたとは認めがたい旨主張する。しかし、中舘久平作成の鑑定書および鑑定人兼証人としての同人の供述に照らし、右主張は理由がないと認められる。中舘久平の鑑定は、その推論に不合理な点がなく、実験の正確性についても鑑定書添付の写真等によつて疑問がないから、充分に信頼しうるものと考えられる。

(3)  弁護人は、経験則上、小柄でそれほど頑健とも思われない被告人が昭和三十三年三月二日夜暗闇の中を独りで入江の死体を詰めたトランク(弁護人は、このトランクの重量が十七貫以上であるというが、入江慶はきわめて小柄な男で体重は約四十五キロ、衣類、トランクの重量を加えるとしてもそんなに重くはないと思われる。中舘久平ほか一名作成の鑑定書参照。)を、おろした場所から百メートル余もへだたつた、しかも途中に急な坂のある竹やぶまで運び、押収にかかるシャベルを使用して竹やぶに死体を埋没しうるほど大きな穴を掘ることは不可能である、被告人が時間的にきわめて制約されていた点を考慮するとなおさらである旨主張する。しかし、証人鈴木祐二に対する尋問調書、証人石井サツキ、鵜沢正二、星利夫の当公廷における各供述、星利夫作成の市外通話表および発信交換証各一通を綜合すると、当夜被告人が本籍地の家の附近に到着したのは午後九時すぎ頃であり、そこを立ち去つたのは午後十一時三十分頃であつたと認められ、その間に二時間余の余裕がある。また当裁判所の検証の結果と司法警察員作成にかかる昭和三十三年四月九日付検証調書(死体発掘現場に関するもの)によると、トランクをおろした場所から被告人宅までの距離は約百二十メートル、同所から竹やぶ中の死体発堀場所までの距離は約四十五メートルで、それほど遠くなく、そこに至る道も、それほど歩きにくい状態ではない。したがつて、トランクの運搬はさほど困難ではないと思われるし、死体の埋めてあつた地点は、土質が柔かく、竹の根も多くなかつたと認められるから(司法警察員岩崎茂次作成の昭和三十三年四月九日付検証調書、証人岩崎茂次、宮田東洋二の当公廷における各供述、当裁判所の検証の結果等参照)、被告人が二時間あまりの間にトランクを同所まで運びそこに穴をほつて死体を埋めることも不可能ではなかつたと思われる。暗さという障害を考慮するとしても、前記時間内に被告人が死体を竹やぶに運搬埋没することができなかつたとは認められない。

(4)  弁護人は、証人塩野入正の、当公廷における「自分は住友信託銀行新宿出張所の営業係をしているが、昭和三十三年二月二十日か二十一日頃同僚の荒川けい子から入江慶からだといわれて電話を引きつぎ、入江慶らしい声で貸付信託の利息のことを尋ねられた。当時はその声が入江に間違いないと思つていた。」旨の供述をとらえて入江慶がその頃生きていた疑いがある旨主張する。しかし、同証人の供述は、「入江慶らしい声は非常に言葉の数が少なかつた。その声はちよつとおとなしいというか、口の中で言つているようであつた。その声を聞く前か後かはつきり記憶しないが、若い男の声で同様のことをいわれた。相手の声が突然変つたのであるその若い男の声は被告人に似ていた。」というにすぎないのであつて、この供述自体によつても、問題の電話の主が入江慶であつたと断定することは、困難である。まして経験則上電話の声をききわけることが必ずしも容易でないことを思うと、右のように断定することは一層困難である。被告人の検察官に対する昭和三十三年四月二十八日付供述調書には、「二月二十日住友信託銀行に電話をして利息三万九千円の件を尋ねると、普通預金に入れておくとの返事があつた」旨の記載があり、被告人が電話する際意識して、または無意識のうちに声の調子を変えることも多分にありうることを考慮すると、問題の電話は、被告人がかけたものと認められる。この点については、被告人自身入江慶がそのとき電話をかけたなどといつていないことも注意されるべきである。

(5)  証人湯本勝雄は、当公廷において、「昭和三十三年三月一日夜十時半頃自転車に乗つて被告人の家の北側の道路を通つた際、道端に四尺四方位の箱がおいてあるのを見た。その箱は押収にかかるトランクとは違つていたと思う。」旨供述し、証人板橋博は、「日時ははつきり記憶しないが、昭和三十三年の初め頃の午後十時前後頃自動車を運転して被告人の家の北側の道路を通つた際、道端に箱のおちているのを見た。その箱は押収のトランクより少し厚さが厚く、板でできたような箱ではなかつたかと思う。」旨供述した。弁護人は、右各供述を、入江慶の死体を遺棄した者が被告人のほかにいることの有力な根拠として採用する。しかし、湯本証人は問題の箱を見た当時、その箱についてほとんど関心をいだかず、自転車に乗つたまま数メートル離れたところを通りすぎたというのであるから(同証人の当公廷における供述参照。)、同証人が箱の形状等を誤認し、箱を見た日時等について記憶違いするおそれは小さくないと考えられるし、板橋証人は、箱を見た日時について正確な記憶がないうえ、高速度で自動車を運転しながら短時間箱を認めたにすぎず(同証人の当公廷における供述参照。)、箱の形態等を正確に認識することはきわめて困難であつたと認められる。従つて同証人の見た箱は、被告人が三月二日タクシーで運搬した後一時道端に置いておいたトランク(裁判所の証人鈴木祐二に対する尋問調書参照。)であつたとみる余地が大きく、またその頃入江慶の死体遺棄と無関係に、偶然そこにあつた箱であつたことの可能性も否定できない。なお、被告人以外の者が入江方から入江の死体を運び出した事実をうかがわせるような証拠は、被告人の供述以外には何もない。(被告人は、「三月一日加藤、鳥羽が入江方から数個の箱をオート三輪に積んで持ち去つた」旨供述するが、加藤、渡辺等が本件に関係したという被告人の供述は、前記のとおり全般的に信用しがたいうえ、被告人が加藤等が運び去つたと主張する入江方六畳間にあつた木箱について、当公廷において「その箱を見た」旨供述した証人大塚春雄が同時に、「本件について警察で取調を受けた際、その箱を示された旨」供述している点からみても、右被告人の供述は信用できない。)以上により、証人湯本勝雄、板橋博の各供述は、必ずしも、判示事実の認定について合理的な疑をいだかせるような証拠ではないと考えられる。

以上詳細に述べたところを要約すると、(一)の情況証拠と(二)の被告人の検察官および司法警察員に対する自白とによつて優に判示事実を認定することができるのであつて、(三)の被告人の弁解は、根拠がなく、(四)の弁護人の主張も前記認定を動かすに足りないということになるのである。

(累犯にかかる前科)

被告人は、昭和三十四年四月二十七日中野簡易裁判所において窃盗罪により懲役一年六月に処せられ、当時刑の執行を受け終つた者で、この事実は、被告人の当公廷における供述および検察官に対する昭和三十三年四月二十一日付供述調書ならびに身上調査照会回答書の記載によつて認められる。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の所為中第一の強盗殺人の点は刑法第二百四十条後段に、死体遺棄の点は同法第百九十条に、第二の詐欺の点は同法第二百四十六条第一項に各該当するところ、強盗殺人罪については死刑を選択し、被告人には前示前科があるから、同法第五十六条第一項、第五十七条により死体遺棄罪および詐欺罪の各刑について累犯の加重をし、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十六条第一項を適用して死刑のみを科すこととし、主文第二項掲記のトランクは、死体遺棄の用に供したもので被告人以外の者に属しないことが明らかであるから、同法第十九条第一項第二号第二項本文によりこれを没収し、主文第三項掲記の物は、強盗殺人の賍物で被害者入江慶の相続人に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三百四十七条第一項に則りその言渡をすることとし、訴訟費用は、被告人が貧困のためこれを負担することができないこと明らかなので、同法第百八十一条第一項但書に則つて被告人に負担させないこととする。

そこで、主文のとおり判決する。

(裁判官 横川敏雄 緒方誠哉 吉丸真)

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