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東京地方裁判所 昭和38年(レ)70号 判決

控訴人 高橋嘉禰

被控訴人 株式会社 浄水工業所

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人(被告)は被控訴人(原告)に対し金六万一、四一九円およびこれに対する昭和三七年八月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

この判決は、被控訴人勝訴の部分に限り、被控訴人において金二万円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め被訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述および証拠の関係は、次に付加するほか原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。

控訴人は、「(一)控訴人が被控訴会社東京支店から、昭和三七年七月分の部屋代として一万円、同年八月分の下宿料として、三万四、〇〇〇円、並びに保証金として三万四、〇〇〇円、以上合計七万八、〇〇〇円を受領した事実は認める。(二)しかし、本件下宿契約においては、(イ)下宿人は必ず四カ月間入居すること、(ロ)四カ月経過後下宿を出る場合は、一カ月前に予告し話合の上で出ること、(ハ)もし下宿期間中に予告話合なく勝手に出る場合は、控訴人は前払下宿料および保証金の返還を要しない旨の特約があつた。しかるに被控訴会社においては、本件下宿契約締結後、勝手に入居しなかつたのであるから、前記特約により、控訴人は被控訴人に対し本件前払下宿料および保証金の返還を要しないものである。」と述べ、

被控訴会社代理人は、「本件下宿契約中、控訴人主張の(イ)(ロ)(ハ)の如き特約のあつた事実は認める。しかし本件においては、被控訴会社において契約を解除すべき正当の理由が存し、これにより本件契約は適法に解除されたのであるから、この場合、右特約の適用はなく、控訴人は右契約解除の効果として被控訴会社に対し前払下宿料および保証金を返還すべき義務がある。」と述べた。

当審における新たな証拠関係として、控訴人は乙第一号証(契約書写)を提出し、被控訴代理人は当審証人佐藤匡雄の証言を援用し、乙第一号証の原本の存在および成立を認めた。

当裁判所は、職権により控訴人本人を尋問した。

理由

一、控訴人が、昭和三七年七月一九日被控訴会社東京支店との間に、被控訴会社の社員四名を下宿させる旨の契約を締結し、被控訴会社東京支店から、同年七月分の部屋代として一万円、同年八月分の下宿料として三万四、〇〇〇円保証金として三万四、〇〇〇円、以上合計七万八、〇〇〇円を受領した事実、並びに右下宿契約においては、(イ)下宿人は必ず四カ月間入居すること、(ロ)四カ月経過后下宿を出る場合は一カ月前に予告し話合の上で出ること、(ハ)もし下宿期間中に予告話合なく勝手に出る場合は、控訴人は前払下宿料および保証金の返還を要しない旨の特約があつた事実は、いずれも当事者間に争がない。

二、被控訴会社は、「本件下宿契約は、同年八月六日被控訴会社により適法に解除されたから、右解除の効果として控訴人は被控訴会社に対し、同年八月分の下宿料および保証金を返還すべき義務がある。」旨主張し、控訴人はこれを争うので、先ず被控訴会社主張の解除の適否につき判断する。

前記当事者間に争のない事実と成立に争のない甲第一号証、同第三号証の一、二原審および当審証人佐藤匡雄の証言により成立を認め得る甲第二号証の一、二並びに右佐藤証人の証言および当審における控訴人本人尋問の結果(但し右証人の証言および控訴人本人の供述中、後記採用しない部分を除く)によれば、次の事実を認めることができる。

すなわち(1) 被控訴人会社は尼ケ崎市に本店を有する会社であるが、昭和三七年七月本店の社員四名が東京支店に転勤する予定であつたので、同支店の庶務、人事等の担当者である同支店総務次長佐藤匡雄は、同年八月一日から右四名を控訴人方に止宿させる目的で、被控訴会社を代理して、控訴人との間に前記の如き本件下宿契約を締結したものであること、しかして右契約においては、控訴人の提供する部屋は六畳、三畳の二室とし、同年七月分は部屋代一万円、八月以降の下宿料は一人当り一カ月八、五〇〇円、四人分合計三万四、〇〇〇円の約であつたこと、(2) 次いで同年七月三一日朝、右佐藤は本店から転勤して来た社員宮崎および花浦の両名を伴つて控訴人方に赴き右社員両名は一旦控訴人方に入居したこと、その際、佐藤は、当時本店から転勤して来る予定になつていた他の二名の転勤が一応見送りになつたので、控訴人に対し右社員の代りに被控訴会社の他の従業員を入居させることにして貰いたい旨申出たところ、控訴人は一応了承したが、その后同日中、間もなく控訴人は被控訴会社東京支店に佐藤を訪れ、右申出は困ると言い出した、佐藤は控訴人と折衝しようとしたが、控訴人は高度の聾であり、(控訴人は、口は達者であるが、耳が遠く、耳許近くで非常な大声を発することにより辛うじて談話し得る程度であることは、当裁判所における控訴人本人尋問の際における状況に照らし明白である。)、かつ佐藤には他に用務もあつたため十分折衝することができず、その日は要領を得ない侭、控訴人は帰つて了つた。他方前記被控訴会社の社員宮崎および花浦は、同日夜控訴人に対し、別の宿に泊まると言い残して控訴人方を出て行つたこと、(3) しかし本件下宿契約は、元来被控訴会社と控訴人との間に締結されたものであり、被控訴会社としては、当時未だ本件下宿契約を解消する意思はなく、後に同年八月六日後記の如く控訴人に対し契約解除の意思表示を発するに至るまでは、本件下宿契約はなお存続中であつたこと、(当時被控訴会社の社員は入居していなかつたが、単にその一事により本件下宿契約が当然消滅に帰したと解すべきいわれはない。のみならず、被控訴会社における前記佐藤の担当職務の内容に鑑みるときは、同人の説得の如何によつては宮崎および花浦が再び控訴人方に入居するに至らなかつたものとは必ずしも保し難く、また控訴人との折衝の次第によつては、控訴人に実質的不利益を及ぼすことなく代りの社員を入居させる協定成立の可能性がなかつたものともいい難い。)(4) 前記佐藤は翌八月一日午前一〇時頃、被控訴会社を代理し、前日に引き続き本件下宿の入居者に関し、控訴人と折衝協議をなす目的で控訴人方に赴いたところ、控訴人方は門が閉ざされ、呼鈴を押したが誰も出て来なかつたので、佐藤はやむなく郵便受箱に名刺を入れて引き揚げ、その后同月二日、三日、四日の連日にわたり、いずれも午前一〇時頃同様の目的で控訴人方に赴いたが、前回と同様の状態で控訴人に会うことができなかつたので、その都度名刺を置いて空しく引き揚げたこと、(控訴人は、その都度後刻に至り右佐藤の名刺を見付け、佐藤の来宅した事実を知つたが、なんら同人に対し連絡を試みようともせず、むしろ被控訴会社の人間とは社長のほか一切面会しない決意を固めていた)、さらに同月三日、訴外日本通運株式会社は前記被控訴会社の社員花浦がさきに転勤の際、控訴人方宛に発送しておいた荷物二箇が品川駅に到着したので、これを控訴人方に運送したが、控訴人方の門が閉ざされ配達不能であつたため、右荷物を品川駅に持ち返つた事実があること、(5) なお佐藤は前記の如く連続四日間にわたり控訴人方を訪れたが会うことができなかつたので、同月四日控訴人方の隣家で事情を尋ねたところ、「控訴人は変り者で、従前学生を下宿させていたことはあるが、いびり出すようなことをするので長くいたことはない、例えば飯を三日分一度に炊いたり、学生が帰宅しても門が閉ざされ入ることができず、雨天の日など雨宿りに来たことがあつた。」旨聞かされ、ここに初めて被控訴会社は本件下宿契約を解除する外ないと考えるに至つたこと、(6) かくて同月六日被控訴会社は控訴人に対し内容証明郵便をもつて、前掲(4) 記載の如き状態である以上、本件下宿契約は目的を達することができないものであり、右は控訴人の契約不履行に基くものであるという理由で本件契約解除の意思表示を発し、右意思表示は同日控訴人に到達したこと。

以上の事実が認められる原審および当審証人佐藤匡雄の証言並びに当審における控訴人本人の供述中、前段認定に牴触する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

ところで、前記(1) に認定した事実および弁論の全趣旨によれば、本件下宿契約は、その内容としては普通の下宿契約と同じく、居室の賃貸並びに宿主において飲食物および一定の労務を提供することを内容とする混合契約であつて、いわゆる継続的契約の一種に属することが明らかである。しかして、右の如き下宿契約においては、たとえ当事者が期間を定めたときといえども、相手方において当事者間の信頼関係を破壊する著しい不信行為があつた場合その他、当事者の一方に契約の継続を強いることが社会通念上著しく不合理または不公平と認められるような重大な事由の存する場合は、衡平の観念と民法第六二八条の趣旨の類推とにより、その当事者は将来に向つて契約の解除(告知)をなし得るものと解するのが相当である。今これを本件につき見るに、

さきに認定した諸事実のうち、前掲(4) 記載のとおり本件下宿契約の当事者たる被控訴会社の責任者佐藤が連続四日にわたり控訴人方を訪れたが、門戸が閉ざされ呼鈴を押してもなんら応答がなく、四回とも控訴人に面会することができなかつた事実、および日本通運株式会社が被控訴会社社員の荷物を控訴人方に運送したが、控訴人方の門が閉ざされ配達不能になつた事実から考えれば、被控訴会社の側においては、本来控訴人が、通常下宿契約の宿主に要求されるべき当然の努力ないし適格を著しく欠くものと思料するのは、事柄の性質上むしろ当然というべきである。まして控訴人は、右佐藤の来訪した事実をその都度後刻に至り覚知しながら、なんら同人に対し連絡を試みようともしなかつたのであるから、かかる控訴人の態度は、信義誠実の原則に照らし到底是認することを得ないものである。尤もこれより先、被控訴会社と控訴人との間には、前掲(2) 記載の如き経緯があつたのであるが、他面、前掲(3) 記載の如く、当時本件下宿契約はなお存続中であつたわけであり、しかも控訴人は冒頭判示の如き前払下宿料および保証金を受け取つていたのであるから、たとえ被控訴会社の側に前掲(2) の如き経緯があつたからとて爾後被控訴会社側からの折衝に一切耳を籍さず、恰かも路傍の人に対する如く全然これを無視して顧みない態度は著しく信義に反するものといわねばならぬ。

以上説示の点を勘案すれば、本件事実関係の下においては、被控訴会社が本件契約解除の意思表示をなした前記昭和三七年八月六日当時、被控訴会社の側には本件下宿契約を解除し得べき重大な理由があつたものと解するのが相当である。

しからば、本件契約は、昭和三七年八月六日限り適法に解除されたものというべく、したがつて、他に特段の理由のない限り、被控訴会社は、右解除の効果として、控訴人に対し、同年八月分の前払賃料中解除の日の翌日以降の分を日割で計算した金二万七、四一九円(円位未満切捨)および保証金三万四、〇〇〇円計六万一、四一九円の返還を求める権利を有するものというべきである。

三、控訴人は「本件下宿契約においては、前記一の(イ)(ロ)(ハ)記載の如き特約が存するところ、被控訴会社においては、本件下宿契約締結后、勝手に入居しなかつたのであるから、右特約により控訴人は本件前払下宿料および保証金の返還を要しない」旨主張する。しかし原本の存在および成立に争のない乙第一号証(契約書写)を熟読するときは、控訴人主張の前記(ハ)の特約は要するに、前払下宿料については、下宿人が法律上正当の原因なくして勝手に下宿を利用しなかつたとしても、右利用しなかつた期間に対する前払下宿料の返還を請求し得ないこと、並びに保証金については、(前記乙第一号証および弁論の全趣旨によれば、右保証金は賃貸借契約における敷金と類似の性質を有するものであることが明らかである。)本来契約終了の際返還さるべきものであるが、下宿人側において右契約書所定の予告話合をしないで勝手に退去し、その責に帰すべき状態の侭で契約終了に至つた場合は、保証金の返還を請求し得ないことを定めた趣旨であり、下宿人側において法律上正当な原因に基き適法に契約を解除したため契約が終了した場合、前記保証金および解除后の前払下宿料に関しては右(ハ)の特約はその適用がないものと解するのが相当である。けだし前記特約の趣旨を右のように解しても、宿主たる控訴人の正当な利益が不当に害されることはなく、他面、以上と反対に、もし右特約はたとえ下宿人側において法律上正当な原因に基き適法に契約を解除したため契約が終了した場合においても宿主は当然右特約を楯にとり、前払にかかる将来の下宿料および保証金を没収できる趣旨であると解するときは、下宿人側に著しく不利益苛酷なものとなり、かかる解釈は甚しく衡平を失し到底合理的と認めることを得ないからである。

ところで本件下宿契約は、さきに認定したとおり昭和三七年八月六日前記説示の如き理由により被控訴会社によつて適法に解除されたため、終了したものであつて、右解除前においては、前掲二の(3) 説示の如き状況にあつたわけであるから、前段の説示に照らし、本件前払賃料中右契約解除の日の翌日以降の分および保証金の返還に関しては、前記(ハ)の特約は適用がないものと解すべきである。されば控訴人の前記主張は採用できないものである。

四、以上の次第であるから、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し、六万一、四一九円およびこれに対する解除后である昭和三七年八月七日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度においては正当であるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。よつて右と一部符合しない原判決はこれを変更すべきものとし、訴訟費用につき民訴第八九条、第九二条、第九六条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 土井王明 岡田辰雄 荒井史男)

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