大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京地方裁判所 昭和41年(刑わ)6856号 判決

被告人 片岡昌博 外四名

主文

被告人五名は、いずれも無罪。

理由

一、公訴事実の要旨

二、関係会社の概況と被告人らの地位、担当業務

(一)  株式会社片岡商店

(二)  サンシン株式会社

(三)  東京資材株式会社

(四)  三井物産株式会社

三、本件各公訴事実のうち当裁判所の認定する事実

四、証拠の標目

五、争点に対する判断

(一)  検察官および弁護人らの主張の骨子

(二)  本件空取引を含む一連の空取引開始の事情とその後の推移等

1、業界における故麻袋取引の実情

2、本件に先だつ空取引開始の事情

3、その後の経過(サンシン設立、塩入課長退職、三井物産監査部による物資部産業資材課監査等)

4、本件取引開始とその後の経過

5、三井物産における本件空取引の事務処理手続

(三)  詐欺罪の成否についての判断

一、公訴事実の要旨

(一)  昭和四一年一二月二九日付起訴状記載の公訴事実の要旨は、

被告人片岡昌博は東京都文京区後楽一丁目一番八号所在の後楽ビル内に本店を置き故麻袋、故紙の集荷販売等を営業目的とするサンシン株式会社(以下サンシンという)の代表取締役、被告人中村正司は同都港区麻布飯倉町三丁目一三番地所在の麻布台ビル内に本店を置き繊維製品の販売等を営業目的とする東京資材株式会社(以下東京資材という)の専務取締役、被告人佐藤正平は同社の総務部長として経理、庶務等の業務を担当していたもの、被告人西山實は同社の包装資材部長として麻袋、段ボール等の仕入、販売業務を担当していたもの、被告人西山登は同都港区西新橋一丁目二番九号に本店を置き繊維製品等の輸出入及び販売等を営業目的とする三井物産株式会社(以下三井物産という)の物資部産業資材課長代理(昭和四〇年一〇月一日以降は紙パルプ部包装資材課長代理)として故麻袋、故紙の仕入販売等の業務を担当していたものであるが、被告人五名は公山修、渡辺鉄夫と共謀の上、真実は故麻袋をサンシンが三井物産に売却し同社がこれを東京資材に転売した事実がなく従つて東京資材は右三井物産に対し買受代金を支払うことはないのに右の如き故麻袋の売買が行なわれたように装い、右三井物産よりサンシンからの故麻袋買受代金名下に三井物産振出の約束手形を詐取しようと企て、昭和四〇年七月二二日頃サンシンより輸入食糧用故麻袋四十八万袋を代金四千六百九十七万六千円で三井物産に売却し、同社が、これを同日、東京資材に代金四千八百二十五万円で売却したように架空の売買契約書、受渡伝票、貨物受領書、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成しこれを同月二四日頃三井物産において同社財務部長福永次郎に提出し、同人をして右売買契約書記載どおりサンシン、三井物産、東京資材の三者間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に右故麻袋の代金支払請求があり且つ三井物産は東京資材より確実に転売代金の支払を受け得るものと誤信せしめ、よつて同日同所において、同人から故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長福永次郎振出しサンシン宛支払期日昭和四〇年一二月一日額面各金五百万円の約束手形計九通、額面百九十七万六千円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取した外別紙一覧表(その一)記載のとおり、同年九月一五日頃から同年一一月一〇日頃までの間三回に亘り三井物産において同社財務部部長代理石川忠郎等を前同様の手段で欺罔し、その頃同所において、同人等より三井物産がサンシンから買入れた故麻袋の買受代金名下に三井物産振出の約束手形合計十九通額面合計一億七千五百二十一万六千円の交付を受けて、それぞれこれを騙取したものである。

(二)  昭和四二年二月二日付起訴状記載の公訴事実の要旨は、

第一  被告人等は真実は故麻袋をサンシンが三井物産に売却し同社がこれを全国食糧容器商組合連合会(以下全容連という)に転売した事実はなく、従つて全容連は三井物産に対し買受け代金を支払うことはないのに、右の如き故麻袋の売買が行なわれたように装い、三井物産よりサンシンからの故麻袋買受代金名下に三井物産振出の約束手形を詐取しようと企て、

一、被告人五名は公山修、渡辺鉄夫と共謀の上昭和三九年四月一五日頃サンシンより内地米麦用故麻袋百万袋を代金六千八百五十万円で三井物産に売却し、同社がこれを同日全容連に代金七千万円で売却したように架空の売買契約書、受渡伝票、貨物受領書、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成しこれを同月一六日頃三井物産において同社財務部次長稲毛一三に提出し、同人をして右売買契約書記載のとおりサンシン、三井物産、全容連の三社間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に右故麻袋の代金支払請求があり、且つ三井物産は全容連より確実に転売代金の支払を受け得るものと誤信せしめ、よつて同日同所において同人から故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長堀川虎楠振出しサンシン宛支払期日昭和三九年八月一五日額面各金五百万円の約束手形計十通、額面各金三百万円の約束手形計四通、額面各金二百万円の約束手形計二通、額面金二百五十万円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取した外別紙一覧表(その二)記載のとおり、同年四月二七日頃から翌四〇年三月二六日頃までの間十二回に亘り三井物産において同社財務部次長稲毛一三を前回同様の手段で欺罔し、その頃同所において同人より三井物産がサンシンから買入れた故麻袋の買受代金名下に三井物産振出の約束手形合計九十六通額面合計三億九千三百六十六万七千円の交付を受けてそれぞれこれを騙取し、

二、被告人片岡昌博、同西山登は公山修および渡辺鉄夫と共謀の上昭和三九年九月二二日頃サンシンより内地米麦用故麻袋九十三万袋を代金五千百六十一万五千円で三井物産に売却し、同社がこれを同日全容連に代金五千三百一万円で売却したように架空の売買契約書、受渡伝票、貨物受領書、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成し、これを同月二八日頃三井物産において同社財務部次長稲毛一三に提出し、同人をして右売買契約書記載どおりサンシン、三井物産、全容連の三社間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に右故麻袋の代金支払請求があり、且つ三井物産は全容連より確実に転売代金の支払を受け得るものと誤信せしめ、よつて同日同所において同人から故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長堀川虎楠振出しサンシン宛支払期日昭和四〇年二月一日額面各金五百万円の約束手形十通額面金百六十一万五千円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取した外別紙一覧表(その三)記載のとおり、同年一二月二四日頃から翌四〇年一一月一九日頃までの間二十三回に亘り三井物産において右稲毛等を前同様の手段で欺罔しその頃同所において同人等より三井物産がサンシンから買入れた故麻袋の買受代金名下に三井物産振出の約束手形合計二百十通額面合計金十億五千八百四十六万二千八百円の交付を受けてそれぞれこれを騙取し、

第二、 被告人片岡昌博、同西山登は公山修および渡辺鉄夫と共謀の上真実は故麻袋をサンシンが三井物産に売却し同社がこれを買持品として在庫保管した事実がなく、従つて三井物産はサンシンに対して買受代金を支払う義務はないのに、右の如き故麻袋の売買が行なわれたように装い、右三井物産よりサンシンからの故麻袋買受代金名下に三井物産振出の約束手形を詐取しようと企て、昭和三九年三月一八日頃サンシンより内地米麦用故麻袋十五万七千袋を代金九百四十二万円で三井物産に売却し、同社がこれをサンシンの管理する中山倉庫および小口麻袋倉庫に買持品として保管を委託したように架空の在庫証明書、売買契約書、受渡伝票、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成し、これを同月二八日頃三井物産において同社財務部次長稲毛一三に提出し、同人をして右売買契約書記載どおりサンシンと三井物産の間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に対し正当な右故麻袋の代金支払請求があつたものと誤信せしめ、よつて同日同所において同人から故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長堀川虎楠振出しサンシン宛支払期日昭和三九年七月一五日額面各金三百万円の約束手形三通、額面金四十二万円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取した外別紙一覧表(その四)記載のとおり、同年四月一一日頃から翌四〇年九月一五日頃までの間十九回に亘り三井物産において同社財務部次長稲毛一三等を前同様の手段で欺罔し、その頃同所において同人等より三井物産がサンシンから買入れた故麻袋の買受代金名下に三井物産振出の約束手形合計百三十四通額面合計金五億六千二百五十一万九千六百円の交付を受けてそれぞれこれを騙取し

たものである。

(三) 昭和四二年四月一日付起訴状記載の公訴事実の要旨は、

第一、 被告人五名は真実は故麻袋をサンシンが三井物産に売却し同社がこれを東京資材に転売した事実はなく、従つて東京資材は三井物産に対し買受代金を支払うことはないのに、右の如き故麻袋の売買が行われたように装い、三井物産がサンシンから買入れた故麻袋買受代金名下に三井物産より同社振出の約束手形を詐取しようと企て、公山修、渡辺鉄夫と共謀の上、昭和三九年一月二四日頃サンシンより輸入食糧用故麻袋十九万二千袋を代金千九百十一万四百円で三井物産に売却し、同社がこれを同日東京資材に代金千九百六十二万五千円で売却したように架空の売買契約書、受渡伝票、貨物受領書、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成しこれを同月二七日頃三井物産において同社財務部次長稲毛一三に提出し、同人をして右売買契約書記載のとおりサンシン、三井物産、東京資材の三社間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に右故麻袋の代金支払請求があり、且つ三井物産は東京資材より確実に転売代金の支払を受け得るものと誤信せしめ、よつて同日同所において同人より故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長堀川虎楠振出しサンシン宛支払期日昭和三九年六月一〇日額面各金三百万円の約束手形計六通額面金百十一万四百円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取した外別紙一覧表(その五)記載のとおり、同年二月四日頃から翌四〇年四月二六日頃までの間二十九回に亘り三井物産において同社財務部次長稲毛一三等を前同様の手段で欺罔し、その頃同所において同人等より三井物産がサンシンから買入れた故麻袋の買受代金名下に、三井物産振出の約束手形合計二百五十二通額面合計九億六千七百八十二万七千九百円の交付を受けてそれぞれこれを騙取し、

第二、 被告人片岡昌博、同西山登は公山修および渡辺鉄夫と共謀の上、真実は故麻袋をサンシンが三井物産に売却し、同社がこれを買持品として在庫保管した事実がなく、従つて三井物産はサンシンに対して買受代金を支払う義務はないのに、右の如き故麻袋の売買が行なわれたように装い、右三井物産よりサンシンからの故麻袋買受代金名下に三井物産振出の約束手形を詐取しようと企て、昭和四〇年六月八日頃サンシンより輸入食糧用故麻袋六十九万四千袋を代金六千九百五十五万八千四百円で三井物産に売却し、同社がこれをサンシンの管理する中山倉庫および小口麻袋倉庫に買持品として保管を委託したように架空の在庫証明書、売買契約書、受渡伝票、代金支払請求書、手形支払伝票等を作成し、これを同月一二日頃三井物産において同社財務部次長稲毛一三に提出し、同人をして右売買契約書記載どおりサンシンと三井物産の間で故麻袋の売買が行なわれ、サンシンから三井物産に対し正当な右故麻袋の代金支払請求があつたものと誤信せしめ、よつて同日同所において同人から故麻袋買受代金名下に三井物産財務部長福永次郎振出しサンシン宛支払期日昭和四〇年一一月一日額面各金五百万円の約束手形十二通額面金三百万円の約束手形二通額面金三百五十五万八千四百円の約束手形一通の交付を受けてこれを騙取し

たものである

というにある。

二、関係会社の概況と被告人らの地位、担当業務

(一)  株式会社片岡商店

株式会社片岡商店(以下片岡商店という)は、本店を東京都千代田区飯田町一丁目九番地におき、製紙原料、藁工品、麻袋等の販売を目的とする資本金百八十万円(昭和四〇年六月一日に七百二十万円に増資)の代表取締役片岡武雄の一族で占められた同族会社であるが、製紙原料と故麻袋の集荷販売で業界ではかなりの信用のある業者であつて、被告人片岡は、同社の麻袋関係の仕事を担当していた。右事実は、(証拠略)により認められる。

(二)  サンシン株式会社

サンシン株式会社は、後記のとおり、片岡商店の空取引を引き継ぐために被告人片岡が昭和三八年五月、資本金を一千万円として設立した会社であって、本店を東京都千代由区西神田二丁目四番地(のちに同都文京区後楽一丁目一番地に移転)につき、名目上麻袋布袋の販売、段ボール函その他の包装資材、石油、製紙原料故紙などの販売を目的とし、被告人片岡は、同社の代表取締役であつた。右事実は、(証拠略)により認められる。

(三)  東京資材株式会社

東京資材株式会社は、本店を東京都中央区八重州六丁目五番地エビスビル(昭和三四年当時。昭和三七年二月に同都中央区日本橋本石町三丁目四番地に、昭和三九年一二月一九日に同都港区麻布飯倉町三丁目一三番地麻布台ビルに順次移転)におき、石油製品、化学薬品、船舶水産用資材、繊維製品、紙、紙製品、建築用資材等の販売を目的とする資本金六千万円(昭和三四年当時。昭和三六年一一月二五日に一億二千万円に、昭和三九年一一月二一日に一億八千万円に順次増資)の株式会社であつて、事業の中心は、日魯漁業株式会社関係の船舶水産用資材の販売と食糧庁指定調達会社としての麻袋の販売との二つであり、被告人中村は、同社の総務部長、資材部長などを経て、昭和三七年六月ころから専務取締役として資材部関係の業務を担当し、被告人佐藤は、昭和三八年二月同社に入社し、当初は総務部長代理として、昭和三九年三月ころからは総務部長として総務、経理関係の業務を担当し、被告人西山實は、昭和三九年一月一日に同社に入社以来包装資材部長として麻袋等の仕入販売業務を担当していた。右の事実は、(証拠略)により認められる。

(四)  三井物産株式会社

三井物産株式会社は、東京都港区西新橋一丁目二番九号に本店をおき、諸物資の仕入、販売を目的とする資本金百三十三億円のいわゆる商事会社であって、国内、国外に多数の支店を設けており、被告人西山登は、昭和三五年ころから同社物資部産業資材課員として、昭和三八年七月ころからは同課課長代理として、昭和四〇年一〇月一日からは同社紙パルプ部包装資材課長代理として故紙、故麻袋等の仕入販売業務を担当していた。右事実は、(証拠略)により認められる。

三、本件各公訴事実のうち当裁判所の認定する事実

被告人五名(但し、前記公訴事実の要旨(二)第一の二、第二および(三)第二については被告人片岡昌博、同西山登)および公山修、渡辺鉄夫が意思を通じ、サンシンが三井物産に故麻袋を売却納品した事実がなく、また三井物産がこれを買持品として在庫保管し、又は東京資材ないし全容連に転売した事実がないのに、本件各公訴事実のとおり(但し訂正部分は別紙一覧表(その六)のとおり)、サンシンが三井物産に故麻袋を売却納品し、三井物産がこれを買持品として在庫保管し、又は東京資材ないし全容連に転売し、サンシンは三井物産に対しその故麻袋代金を請求する趣旨のサンシン、三井物産間および三井物産、東京資材間又は三井物産、全容連間の各売買契約書、その間に故麻袋の受渡があつた旨の受渡伝票、東京資材および全容連の貨物受領書又はサンシンより三井物産宛の在庫証明書、サンシンの三井物産に対する代金支払請求書、三井物産の手形支払伝票等を作成し、これを三井物産財務部長福永次郎らに提出し、昭和三九年一月二四日ころから昭和四〇年一一月一九日ころまでの間前後九十二回にわたり、同人らより故麻袋合計四千四十三万五千五百袋の売買代金名下に三井物産振出の約束手形合計七百七十五通(額面合計三十四億二千二百八十七万三千百円)の交付を受けたことは、左記の証拠の標目掲記の証拠を総合して認めることができる。

四、証拠の標目(略)

五、争点に対する判断

(一)  検察官および弁護人らの主張の骨子

検察官は、本件は被告人らが公山修、渡辺鉄夫と共謀のうえ、片岡商店―三井物産―東京資材の三者間の取引関係を利用し、のちには片岡商店、東京資材に代るダミー会社として設立されたサンシン、全容連を介在させ、サンシン―三井物産―東京資材、サンシン―三井物産―全容連の三者間に故麻袋の売買がないのにそれがあるかの如く装い、情を知らない三井物産物資部および財務部の関係者を欺罔し、三井物産財務部長らをして真実売買契約書記載のとおりの故麻袋が三井物産に売却納品され、かつ確実にその転売代金の支払を受け得るものと誤信させて、故麻袋売買代金名下に前記各約束手形を継続的に騙取していたもので、三井物産では本件が現物の伴わない空取引であることを知つていた者は当初(本件起訴分以前)は前物資部産業資材課長塩入徹、同人退職後の本件空取引については同人の仕事を引継いだ被告人西山登だけであり、従つて本件は詐欺罪を構成すると主張し、他方被告人西山登の弁護人らを除くその余の弁護人らは、被告人片岡、同中村、同佐藤、同西山實は、サンシン、東京資材の役職員として三井物産との間に金融商売と呼ばれる形態で一種の金融操作を行なつただけのことで、被告人らに詐欺等の犯意のなかつたことは勿論、相手方取引の衝に当る者が欺罔された事実も全くない。ただ、本件の金融商売の融通金額および取引の頻度があまりにも多く、かつ取引継続の期間も長期にわたり、そのうえ取引が突然打ち切られたため、サンシン、東京資材の倒産という思わぬ破綻を生じたにすぎない。右金融商売による空取引は、世間周知の融通手形の交換と同様、今日の中小企業界において広く慣行されている一種の金融手段であつて、一流の商社といえども傘下の中小企業者の育成、援助のためには、その求めがあれば事情の許す限りこれに応じているのが実情である。ただ商社は金融業者ではないが故に公然とこれを行なうことは極力避け、できるだけ隠密裡にことを運ぶのが通例である。相互に相手方の腹を読み合つて以心伝心の合意のもとに取引するのが常で、かつこの種の金融操作は相手方が承知でない限り絶対に行ない得ない。本件では取引に関与した三井物産物資部および紙パルプ部の部長以下、担当部長席、課長、課員に至るまで片岡商店、サンシンに対し金融の便宜を与えかつ自己の業績を向上させるため、本件各取引が金融操作のための空取引であることを了解しながらこれに応じていたものである。なお、三井物産財務部は、物資部、紙パルプ部等いわゆる営業部で成立した契約については、これを審査する権限を有せず、営業部から所定書類が回付されれば自動的にこれを処理し、手形を振り出すだけであつて、同部関係者は欺罔の対象にならない旨主張するので、以下この点について判断するが、後記認定のとおり、本件空取引を含む一連の空取引は、当時の三井物産物資部産業資材課長塩入徹の主唱のもとに昭和三六年八月に開始されて以来昭和四〇年一一月に至るまで前後四年余にわたる継続取引で、本件はそのうち昭和三九年一月以降の約二年間、九十二回分であり、右取引の全過程を通じて契約に従つた故麻袋の引渡は勿論、右ルートにおける実取引は全くなかつたのであるから、本件空取引はこれを客観的にみれば、弁護人の主張のとおり、取引の形態をとつた継続的融資であることは明白である。そこで問題は、三井物産側の塩入課長および同人退職後同人の仕事を引継いだ被告人西山登以外の者がどこまで本件が空取引であることを知つていたか、さらには被告人らに三井物産を欺罔する意思があつたかにかかることになるが、この点は、検察官主張の如く、本件のように長期かつ巨額で危険の大きい金融を、三井物産としてはたしてその商社本来の機能を逸脱してまで行なうことがあるのかという基本的な疑問を念頭におきつつ慎重に検討を加えなければならない。

(二)  本件空取引を含む一連の空取引開始の事情とその後の推移等

1、 業界における故麻袋取引の実情

故麻袋取引には、民間で雑穀肥料その他の包装に使用する故麻袋(民貿用故麻袋)の取引、外国から輸入する米麦等の食糧をつめるために食糧庁が買い上げる故麻袋(輸入食糧用故麻袋、以下輸食袋という)の取引、国内産の米麦をつめるために必要な故麻袋(内地産米麦用故麻袋、以下内米麦袋という)の取引の三種があり、民貿用故麻袋については数量もさほど多くはなく取引上の規制もないが、輸食袋、内米麦袋の取引については政府の食糧管理政策の関係でかなりの規制が行なわれている。すなわち、輸食袋については、食糧庁は調達会社として指定した会社からのみ買い上げることとされ、調達会社は日本穀物検定協会の検定を経て合格した故麻袋でなければ集荷業者から買い入れることができない仕組みになつている。調達会社としては、瑞穂資材株式会社(以下瑞穂資材という)と東京資材の二社だけが食糧庁から指定されており、昭和三五年以降おおむね瑞穂資材が食糧庁に対する全納入量(年間約三千万袋)の六十五パーセントを、東京資材は残りの三十五パーセントを調達すべく割当てられていた。内米麦袋についても、輸食袋以上に厳格な検定が実施されており、調達会社としては、瑞穂資材、東京資材および全国麻袋工業協同組合連合会(以下全麻連という)の三社が独占して集荷業者から調達し、これが所定ルートを経て各農家へ販売されていたが、昭和三九年以降の内米麦袋の年間総需要量は約二千四百万袋(内地産米麦用麻袋の年間総需要量は約五千四百万袋であるが、そのうち新麻袋約三千万袋を除く)であり、瑞穂資材はその約四十パーセントを、東京資材と全麻連はそれぞれその約三十パーセントを調達すべく割当てられていた。各調達会社は前記全麻連との協定により輸食袋、内米麦袋とも全麻連に所属する全国八十八の集荷業者から買い入れるのを原則としていたが、それは必ずしも厳格なものではなく、それ以外の業者から買い入れるいわゆるアウトサイダー買いも行なわれており、東京資材が三井物産から買い入れる形態をとる本件空取引は、いずれもこのアウトサイダー買いであつた。

2、 本件に先だつ空取引開始の事情

東京資材と片岡商店とは昭和三四年ころから丸紅飯田株式会社を通じて輸食袋の取引をしていたが、三井物産では、昭和三〇年ころから片岡商店との間に民貿用故麻袋の取引があつた関係もあり、調達会社である東京資材と強く結びつきたいと考え、輸食袋も三井物産を通じて東京資材に売り込むよう片岡商店に働きかけた結果、昭和三六年初めころから、片岡商店―三井物産―東京資材のルートの輸食袋取引が開始された。そして、同年七月ころまでは右ルートにより月十万袋前後の実物の伴つた輸食袋取引が行なわれていたが、そのころ右取引は、片岡商店では被告人片岡、三井物産では物資部部長代理保木口久守、同部産業資材課長塩入徹、同課長補佐福田昇、同課員の被告人西山登、東京資材では麻袋部長藤波静二、麻袋課長山本泰一らが関与していた。

ところが東京資材では、昭和三六年夏ころ取引先の倒産などのため約七千万円の資金不足を生じ、銀行から約三千万円の融資を受けたものの、なお約四千万円の資金が不足し、その解決に苦慮した結果、同社の総務部長福原新一、前記藤波、山本泰一らは被告人片岡に窮状を訴えて援助方を依頼し、相談をうけた被告人片岡は三井物産の故麻袋取引を直接担当していた前記塩入徹に事情を明かして協力を求めたところ、同人は、かねてから片岡商店、東京資材との結びつきを深め、両者を三井物産の系列下に入れ、ついには調達会社をなくして既存の故麻袋取引のルートを廃止し、三井物産が麻袋業界を完全に把握したいとの意図を有していたため、被告人片岡からの協力依頼を、片岡商店、東京資材の両社に食い込む恰好の機会とし、三井物産が東京資材に与えている信用限度の範囲内ならば危険はないし三井物産としても口銭収入があがる利点があるとの考えのもとに、上司には相談せず独断で、故麻袋の架空取引の方法で一時的に東京資材の資金的窮状を打開してはどうかと提案し、右各関係者もこれに同調して、昭和三六年八月一四日契約の輸食袋八十万袋、金額にして約七千万円の取引から実物の伴わない空取引が開始された。その方法としては、三井物産が故麻袋を片岡商店から買い入れて即日東京資材へ売却するいわゆる直渡しの方法をとり、東京資材名義の架空の貨物受領書のほか売買に必要な所定書類を作成し、これを三井物産物資部を経て財務部にまわし、財務部から故麻袋代金相当額の期間一二〇日の約束手形を片岡商店に振り出させ、東京資材は直ちにその金額に三井物産の口銭(一袋につき二円)を上乗せした買受代金相当額の期間一二〇日の約束手形を三井物産に渡す一方、東京資材から片岡商店に同じ故麻袋を売り戻した形にして期間一〇〇日の片岡商店の約束手形を受けとるというもので、取引数量、売買代金は、東京資材の必要資金約四千万円を浮かすためにそれを基準として三井物産から受けとる手形の割引率などから逆算して決めるというものであつた。結局、手形が右三社間で順次に授受されるだけで、故麻袋の実物の動きや検定手続は全くなく、片岡商店は三井物産の手形を割引いて、東京資材に支払うまで一〇〇日間その金員を利用でき、東京資材は一〇〇日目に片岡商店から支払われる金員を一二〇日目に三井物産に支払うまでの二〇日間資金繰りに利用でき、三井物産としても口銭収入があるという三社とも利益のある構想であつたが、東京資材において右約四千万円の資金を常時利用するためには、それ以降二〇日ごとにほぼ同額の空取引をくり返して行なう必要があつた。右空取引が開始された後は、片岡商店―三井物産―東京資材のルートの実物の伴つた故麻袋取引は全く行なわれなくなり、片岡商店の集荷した故麻袋は三井物産を通さず直接東京資材へ売り込まれていた。

右のような空取引の内幕を知つていたのは、当初、三井物産では前記塩入だけであり、東京資材では前記藤波、福原、山本泰一らだけで、被告人中村や同社社長の河野弘は深い事情は知らされておらず、被告人中村は、空取引開始後約半年くらいたつた昭和三七年初めころ、山本泰一から説明をうけて、片岡商店―三井物産―東京資材ルートの故麻袋取引は一切実物の伴わない空取引であることおよび空取引の開始された事情の詳細を知るに至つた。片岡商店では、もつぱら被告人片岡が空取引の交渉にあたつていた。

3、 その後の経過(サンシン設立、塩入課長退職、三井物産監査部による物資部産業資材課監査等)

(1) 被告人片岡は、当初、空取引で得た三井物産の手形の割引金を他の事業に投資するなどして利益をあげていけば、三井物産の口銭や手形割引料の負担は補えるものと考えて、右割引金を関係会社に投資したり、値上りを見込んで不動産に投資したりしたが、十分な利益の上らぬまま、空取引から生じた支払手形を決済処理し、さらに投資金を得るため、より多額の空取引を行なう必要に迫られ、かくして空取引の額は雪だるま式に増大していつた。

(2) 右のようにして空取引を続けるうち、昭和三八年四月ころには東京資材の三井物産に対する未払手形の額が五億五千万円にも達し、他に三井物産が片岡商店から故麻袋を買つてこれを東京資材に売り抜くまでの間片岡商店に保管させておくいわゆる買持取引形態の空取引による代金としての受取手形が約一億円にも達して、片岡商店、東京資材ともこれらの空取引から生じた支払手形の決済資金の調達に忙殺されるようになり、これを苦慮した被告人片岡と東京資材の関係者らは相談のうえ、丸紅飯田、江商、住友商事などの各商社を介在させて同様の空取引を若干行なつて三井物産関係の空取引を減少させようとしたが、事態は一向に好転しなかつた。

(3) そこで被告人片岡は、昭和三八年五月ころ、塩入課長の示唆もあつて、空取引による片岡商店の破綻を回避する策として、片岡商店の空取引を引き継ぐ別会社の設立を企図し、前記のサンシン株式会社を設立して自ら代表取締役となり、そのころ公山修、渡辺鉄夫を右サンシンに入社させて公山には三井物産との交渉を、渡辺には東京資材との連絡交渉の仕事をそれぞれ担当させるとともに、塩入課長を除く三井物産物資部の者に対しては、右のようなサンシン設立の事情を告げずに、今般とくに三井物産への仕入部門を独立せ、サンシンを設立した旨説明し、片岡商店、同社長片岡武雄および被告人片岡が右サンシンの債務を連帯保証することを条件に三井物産との取引を片岡商店に代つてサンシンが行なうことの了承を得、これ以降片岡商店―三井物産―東京資材の空取引は、逐次サンシン―三井物産―東京資材のルートへと切り替えられ、昭和三九年一月には完全に新ルートに切り替つた。

(4) 被告人佐藤は、昭和三八年二月東京資材に総務部長代理として入社し、間もなく経理課長小川誠之助、前記麻袋課長山本泰一らから従前の空取引の実情を聴取してこのような取引の危険性を強く感じたものの、すでに東京資材の三井物産に対する支払手形の未決済分が三、四億円にも達しており、空取引を中止すれば、東京資材が破綻をきたすことが明らかであつたため、これを続けざるを得ないと考え、同年五月ころの被告人片岡からのサンシン設立の趣旨申入れに対しても、被告人中村らと相談のうえ、右小川課長らの「サンシンはいわゆる自爆(計画倒産)会社であるからこれを認めるべきでない」旨の反対を押しきつて、サンシン―三井物産―東京資材ルートの空取引を認め、その後の空取引を直接担当してゆくとともに、そのころから重要事項については、同被告人、被告人中村、右小川らが合議をして決定する態勢をとり、昭和三九年一月被告人西山實が包装資材部長として東京資材に入社してからは、同被告人も入社直後に右ルートの故麻袋取引が空取引であることを知つて、右合議に加わることとなつた。

(5) 昭和三八年八月ころ、それまでに三井物産が片岡商店およびサンシンから買持保管していることになつていた架空の内米麦袋七、八十万袋について、三井物産の東京資材に対する売掛金がすでに五億円近くあつて同社に対する与信限度に達していたためこれを同社に売り抜くことができず、またサンシンから買持することを許される限度も越えていたので、前記塩入課長は、三井物産の決算期を控えてこれを何とか処理する必要に迫られ、その処理を被告人片岡に依頼し、被告人片岡は、三井物産がこれを各県の経済連合会に売り込んだ形に整えて処置した。そのころ塩入は個人で喫茶店の経営を始めたが、その経営権について知合いの元ホステス佐藤圭子という女性と紛争を生じ、同女らから金員を要求されていたところ、これに関し、塩入の紹介でサンシンに入社していた同女の兄が、新聞社会長と称する梶原という者に前記県経済連合会に対する空売りの事実がある旨の情報を提供し、右梶原らが同年九月ころから、これを種にして、塩入のみならず三井物産物資部長伊佐孝吉、同次長山本操に対しても、右経済連合会売り商内は調達会社を通さないルート違反の取引であるうえ空取引であるから総会で公表すると脅迫し、多額の金員を要求するという事態がおきた。伊佐部長は、直ちに被告人西山登に指示して右各県の経済連合会に対する売りの契約を破棄させ、被告人片岡に交渉して右内米麦袋を片岡商店に売り戻すとともに、サンシンとの取引を停止するよう山本操次長に指示し、そのころサンシンとの取引は停止されるに至つた。そのころから会社を欠勤し、産業資材課長の地位を退いた塩入は、昭和三九年三月一身上および健康上の理由で退職し、昭和三八年一〇月から大島恒男が同課長に就任したが、同課長更迭後は、当時すでに物資部産業資材課長代理として同課長を補佐して故麻袋関係事務を扱つていた被告人西山登がその事務一切を引き継ぐことになつた。同被告人は、従前から塩入課長、被告人片岡、東京資材関係者らの言動、三井物産が片岡商店ないしサンシンから買つて東京資材へ売り抜く故麻袋の量が業界の実情からみて異常に多いことおよび故麻袋の在庫確認の際、あるべき数量がないことなどから、片岡商店ないしサンシンとの故麻袋取引には空取引の部分が相当あるのではないかとの疑念を強く抱いていたところへ、昭和三八年秋ころ、被告人片岡から三井物産との故麻袋取引には空の部分もある旨うちあけられて相当部分の空取引の存在を確認し、さらにその後の空取引を担当するうち昭和三九年夏ころにはサンシンが東京資材に対し故麻袋代金相当の手形を振り出していることなどを知り、サンシン、三井物産間の故麻袋取引は全部が空取引である事実を明確に認識するに至つた。

(6) 昭和三八年一二月、三井物産監査部により、塩入課長更迭にからんで右の如き問題のあつた物資部産業資材課の監査が行なわれたが、その結果監査部が同社社長に提出した監査報告書には、主たる問題点として、後記のとおり、運輸ノータツチ商内の実体把握に欠けているなどの指摘がなされたものの、結局空取引については表面に出されることなく終つた。

4、 本件空取引開始とその後の経過

(1) 昭和三八年一二月下旬、伊佐部長は、山本操次長らに対し「当分の間サンシンと片岡商店の両立てで仕事を再開するように」と指示し、一時停止されていたサンシンとの取引が翌昭和三九年一月から再開されて本件空取引が開始されたが、東京資材においても、そのころまでに前記福原、藤波、山本泰一らが退職し、昭和三六年八月に本件に先だつ空取引が開始された当時から事情を知つて関与していた者としては、片岡商店、三井物産、東京資材を通じて被告人片岡のみとなつていた。

(2) 右サンシンとの取引再開により、被告人五名および公山修、渡辺鉄夫は、昭和三八年五月サンシン設立以来行なわれたのと全く同様のサンシン―三井物産―東京資材ルートの空取引を行なつて、昭和三九年一月二四日ころから昭和四〇年一一月一〇日ころまでの間前後三十四回にわたり、三井物産より故麻袋合計千二百九万五百袋の売買代金名下に三井物産振出の約束手形合計二百八十八通(額面合計十二億九百十三万三百円)の交付を受けた(公訴事実の要旨(一)、同(三)第一の各事実)が、この間、サンシンでは東京資材に対する支払手形の期日が近づくと、被告人片岡又はその指示をうけた公山が直接三井物産に赴き、被告人西山登と相談してその手当をするために必要な金額などから適宜故麻袋の種類、数量を決めて架空の売買契約を起こすこととし、同じく被告人片岡又はその指示をうけた渡辺が東京資材へ赴いて被告人佐藤、同中村、同西山實らと連絡をとり、右架空の売買の了解をとりつけあるいはサンシン、東京資材間の手形の処理について相談するなどの方法をとつた。東京資材では、片岡商店、三井物産間で一つの架空の売買契約ができると、多くの場合公山が被告人西山登から受け取つて持参してくる東京資材の三井物産宛の買約証、貨物受領書にもとずいて社内で必要事項を記入し、被告人西山實、同佐藤、同中村らの決裁を経て、通常被告人佐藤が、保管している社印、社長印をこれに押捺して文書を完成し、これを三井物産に届けていた。

なお、この間、東京資材では、被告人中村、同佐藤、同西山實らは、本件空取引の将来に不安を感じ、前記河野社長からもこれを減少するよう指示されていたこともあつて、しばしば被告人片岡に空取引の減少方を申し入れたが、すでに回転している空取引を中止するだけの資金は片岡商店、サンシン、東京資材にはなく、また被告人片岡は前記の如く空取引による三井物産の手形の割引金を不動産購入に使用したり関係会社へ投資し続け、さらに東京資材側でも、当初は同社の要請で始つた空取引ではあるが、現状では被告人片岡に協力しているだけだとの認識に立つて、昭和三九年三月から約三ヶ月間毎月五十万円ずつ被告人片岡から口銭名義で現金を徴収したり、その後は三井物産の手形の一部をそのまま東京資材へまわすよう要求し、同年七月から昭和四〇年八月までの間に、被告人片岡から、約五億七千万円分の三井物産振出の手形を受け取り、これらの手形を内米麦袋の集荷資金を農林中央金庫から借り入れるに際して同金庫に担保として差し入れるなどして利用したりしていたため、空取引は減少するどころか増大する一方であつた。

(3) 被告人片岡は、前記のように、サンシン、三井物産間の取引が再開されたころ、東京資材側が空取引の拡大に消極的であり、他方サンシンの資金繰りがますます苦しくなつて空取引を拡大せざるを得ない事情にあつたところから、その打開策として三井物産と東京資材の間にもう一つクツシヨン的な役割を果たす組織を加えて空取引をさらに拡大しようと考え、そのため、未端の食糧販売店で発生する空俵、叭、麻袋などの包装を回収して販売する業者が作つている全国各地の協同組合の代表者が集合して昭和三八年一一月結成していた全国食糧容器商組合連合会(全容連)を、その会長が叔父の片岡武雄であることを好都合として利用することにしたが、右全容連は、俵が多かつた米穀の包装が近年麻袋にかわつてきたので食糧庁に働きかけて各協同組合ないし全容連自身を麻袋の調達機関に指定してもらうため陳情、運動する趣旨で結成されていた任意団体にすぎず、法人格も資産もなく、独立した事務所もないものであつたところ、同被告人は、昭和三九年二月ころ、被告人西山登、同中村、同佐藤、同西山實らに対し、右全容連を介入させる構想を話して了承を得、その後被告人片岡、同西山實らが三井物産に赴いて物資部の山本操次長、前記塩入の後任となつた大島恒男産業資材課長らに対し全容連は将来前記全麻連に比すべき団体になるなどと誇大に話をし、「東京資材は農林中央金庫から融資を受けているので同金庫の系列外の商社へ多額の手形を支払つているのはまずい。農林中央金庫からチエツクされないためにも三井物産と東京資材の間に全容連を介入させたい。そのかわり全容連が三井物産から買い受けた麻袋は必ず東京資材が引き取る」旨述べて承認を求めた結果、右山本操、大島らも同被告人らのいうことに納得し、全容連へ売り抜くことは東京資材へ売り抜くのと同じであるとして、全容連の三井物産に対する支払は、東京資材が振り出した手形に全容連が裏書したものによることを条件としてサンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの故麻袋取引が認められることとなつた。そのころ被告人片岡は全容連の役員会で全容連に麻袋を集荷して東京資材に売ることなどの計画を話したものの、全容連は商取引をする団体ではないとして認められないまま、同会副会長方においてあつた全容連の事務所を勝手にサンシンの事務所と同じ場所に設置し、また印判屋で全容連の角印、ゴム印、会長印なども勝手に作成して、後記サンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの空取引を開始し、推進していつた。

(4) 右のようにして全容連を介在させた取引が三井物産によつて認められた結果、被告人五名および公山修、渡辺鉄夫は、前記サンシン―三井物産―東京資材ルートの空取引と併行して、サンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの空取引を行ない、昭和三九年四月一五日ころから昭和四〇年三月二六日ころまでの間前後十三回にわたり、三井物産より故麻袋合計五百七十四万七千袋の売買代金名下に三井物産振出の約束手形合計百十三通(額面合計四億六千二百十六万七千円)の交付を受けた(公訴事実の要旨(二)第一の一の各事実)が、その方法は、前記サンシン―三井物産―東京資材ルートの空取引とほぼ同様で、ただ全容連が作成すべき三井物産に対する買約証、貨物受領書は、前記のとおり被告人片岡が用意してサンシンの事務所においてあつた全容連の印判を使用して公山、渡辺らが作成し、そのためあらかじめ東京資材との間で架空の売買について打ち合わせをする必要はなく、ただ三井物産から貨物受領書は全容連の三井物産に対するもののほか、東京資材の全容連に対するものの写しも要求されていたため、東京資材としても全容連宛の貨物受領書だけは用意しなければならず、被告人中村、同西山實の総括的了承のもとに被告人佐藤がこれを作成して渡辺に渡していた。

(5) さらに、被告人片岡、同西山登および公山修、渡辺鉄夫は、独自に、サンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートを利用して空取引を行ない、昭和三九年九月二二日ころから昭和四〇年一一月一九日ころまでの間前後二十四回にわたり、三井物産より故麻袋合計千三百六十三万二千袋の売買代金名下に三井物産振出の約束手形合計二百二十一通(額面合計十一億千七万七千八百円)の交付を受けた(公訴事実の要旨(二)第一の二の各事実)が、これについては、前記のように東京資材へ貨物受領書をもらいに行く手間を省くため、被告人片岡のもとで東京資材の丸印を作成し、サンシン内部で渡辺、公山らをして東京資材の全容連宛貨物受領書を作成してその写しを三井物産に提出するという方法をとつた外は、前記サンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの空取引の方法と同様の方法がとられた。

なお、塩入課長更迭後サンシンとの故麻袋取引が再開され、さらに全容連を介入させた故麻袋取引が開始されたのと期を一にして、昭和三九年二月ころから片岡商店と三井物産の間で故紙の取引が開始され、片岡商店が集荷する故紙をサンシンが三井物産に売り、三井物産は、片岡商店がその納入先の製紙メーカーの振り出した手形で決済することを条件に、これを片岡商店に売り戻す形態で、後記三井物産がサンシンと取引を停止するまで本件故麻袋の空取引と併行して多額の取引が行なわれたが、右故紙取引も全部が実物の全く伴わない空取引であつた。

(6) 被告人片岡、同西山登および公山修、渡辺鉄夫は、実物の伴う故麻袋取引においても、三井物産が、その取引先に売り抜くまである程度の期間買持する故麻袋を買い入れるいわゆる買持取引をすることがあつたことから、前記サンシン―三井物産―東京資材、サンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの空取引が行なわれた期間中、東京資材および全容連に対する三井物産の与信が限度に達して両社に売り抜くことができないようなときには、従来の空取引の決済資金を捻出するため、右買持の方法による空取引を行ない、昭和三九年三月一八日ころから昭和四〇年九月一五日ころまでの間前後二十一回にわたり三井物産より故麻袋合計八百九十六万六千袋の売買代金名下に三井物産振出の約束手形合計百五十三通(額面合計六億四千百四十九万八千円)の交付を受けた(公訴事実の要旨(二)第二、(三)第二の各事実)が、買持取引の場合は、故麻袋を三井物産のために保管している旨を証する保管者の在庫証明書が必要であつたので、被告人片岡は、部下に命じて公訴事実記載の場所に故麻袋を保管している旨の虚偽の在庫証明書を作成させ、これを三井物産に提出していた。右架空の買持品は、被告人西山登において被告人片岡、同西山實らと相談のうえ、全容連ないし東京資材が三井物産から与えられていた与信に余裕のできたつど、両社に適宜売り抜いていた。

(7) 三井物産では、本件空取引継続中の昭和四〇年五月末ころ、物資部長伊佐孝吉が札幌支店長に転出したのに伴い、後任物資部長に紙パルプ部長の中山久が就任し、故麻袋を含む物資部産業資材課の取引について最終決裁者として決裁をしていた同部次長山本操は、右中山の後任として紙パルプ部長に就任した。右移動後の同年一〇月一日に至つて、物資部産業資材課の扱つていた商品のうち、故麻袋、故紙ほか二点は紙パルプ部に移され、これらの商品を扱うため同部に包装資材課が新設されることになり、その課長および課長代理には物資部産業資材課長福田昇(昭和四〇年三月大島の後任として同課長となつた)、同課長代理の被告人西山登がそれぞれ紙パルプ部に移つて就任し、右包装資材課の決済は、同部部長代理の山本利三が担当することとなつた。このようにして、本件空取引も昭和四〇年一〇月一日からは、紙パルプ部のもとで、被告人西山登が従来どおり直接担当して行なわれていたが、同月末ころに至り、前記片岡商店―サンシン―三井物産―片岡商店ルートの故紙の取引量が多すぎることに不審を抱いた前記山本利三は、片岡商店からの故紙代金の入金状況の資料を前記福田課長に提出させて検討した結果、片岡商店に対する故紙売掛代金約一億円が約定どおり入金されていないことがわかり、同課長および被告人西山登に右故紙代金の回収を急がせるとともにサンシンに対する故紙代金の支払を差し止めたところ、同年一一月二一日に至つて被告人片岡は、山本利三に対し、「三井物産から入つた商品代約十億七千万円ばかりを横流ししていた。正直に申し上げたのだから是非五億円くらい出してもらいたい」と要請するに至り、山本利三からその旨報告をうけた紙パルプ部長山本操は即時サンシン、片岡商店両社との故麻袋、故紙取引の停止を指示し、ここに四年余にわたる故麻袋の空取引は終了するに至つた。

5、 三井物産における本件空取引の事務処理手続

三井物産では、営業部門、支払担当部門、商品の運輸担当部門の三つがそれぞれ独立して相互に牽制しあいながら営業ないし出入金の不正や過誤の防止をはかる制度がとられており、二五〇ちかくある営業部にはそれぞれに会計課を設けて各部ごとの独立採算制がとられている。売買契約の締結については、代表取締役から委任をうけた物資部長など各営業部長が責任者であるが、実際には部長から委任をうけて次長ないし部長代理(両者を部長席と総称し、各部長席はそれぞれ数課を託されて責任を負つている)が最終権限者としてその名において契約を締結しており、支払についても、同様に、代表取締役の委任をうけた財務部長が最終支払承認権者であるが、実際は財務部長の委任をうけた部長席が最終的に決裁処理していた。

本件空取引において、仕入および売却の契約がまとまると、被告人西山登は自らあるいは部下の係員に命じて契約番号控帳(日記帳ともいわれる)にその内容を記入して契約番号を起こし、ついで売買契約書、受渡伝票、貨物受領書(直渡し取引の場合)、代金支払請求書など必要書類に所定事項を記入したうえ、これらに署名又は押印して産業資材課長、物資部産業資材課担当部長席、同部総務課長、会計課長などの押印、決裁を得て、右各書類のうち売買契約書、貨物受領書、代金支払請求書を前記公山に渡し、サンシン、東京資材で前記のとおりの手続がとられてこれらの書類の返送を受けたのち、手形支払伝票に所定事項を記入して、これを前記貨物受領書(直渡し取引の場合)又は契約を起こす時点に受け取つてある保管先の在庫証明書(買持取引の場合)および代金支払請求書とともに再び産業資材課長、同課担当部長席、物資部会計課長の決済をうけて財務部に送付していた。

財務部では、資金課長の決済を経て担当部長席が決裁をし、ここに最終的に支払承認がなされてサンシンに対して約束手形が振り出されていたが、その際、財務部では、契約内容の当否についてまでの審査は行なわず、貨物受領書又は在庫証明書が実体と一致するかどうかについての調査もされていなかつた。

以上の事実は、前記証拠の標目掲記の各証拠ならびに以下の証拠を総合してこれを認める。

被告人全員に対する関係において(証拠略)

被告人片岡、同中村、同佐藤、同西山實に対する関係において(証拠略)

被告人片岡、同中村、同佐藤、同西山登に対する関係において(証拠略)

(三)  詐欺罪の成否についての判断

1、当裁判所は、検察官および弁護人らの主張にかんがみ証拠を検討した結果、以下の理由で、本件に先だつ空取引の開始されたころはともかく、少なくとも塩入課長更迭後三井物産内部で物資部産業資材課の監査が行なわれた昭和三八年一二月ころ以降は、同部産業資材課長、総務課長、会計課長は勿論、物資部長伊佐孝吉、同部長の後任である中山久、産業資材課担当部長席(次長)山本操(昭和四〇年一〇月一日に故麻袋取引が紙パルプ部に移管されてからは紙パルプ部長として)らは、サンシン―三井物産―東京資材およびサンシン―三井物産―全容連―東京資材ルートの故麻袋取引ならびにサンシンからの買持の故麻袋取引には、いずれも相当部分の空取引があることを了知しながらこれを黙認していた疑いが強く、したがつて、検察官主張の如く、本件空取引の行なわれた期間中三井物産物資部の関係者が欺罔されていたということは極めて疑わしいと考える。

(1) 三井物産が片岡商店ないしサンシンから買い入れて東京資材に売り抜いていた故麻袋の数量が業界における故麻袋取引の実情からみて明らかに不自然なほど多量であつたこと。

前記認定のとおり、輸食袋の年間総需要量は、昭和三六年ころから昭和四一年ころにかけて約三千万袋であり、これを調達会社である瑞穂資材と東京資材が独占集荷して食糧庁に納入しており、東京資材は右三千万袋の約三十五パーセントを割り当てられていたため、その扱い量は年間約一千万袋、月間では約八十ないし九十万袋となつていた。そのうえ、調達会社は、故麻袋を前記全麻連に所属する全国八十八の業者を通じて買い入れるべき旨全麻連との間に協定があつたため、東京資材も全麻連所属の業者からその扱い量の約七十パーセントを買い入れており、全麻連に所属しない業者(いわゆるアウトサイダー)からは残りの約三十パーセントを買い入れていたにすぎず(東京資材のアウトサイダー買いは、ときにふえて五十パーセントくらいになることもあつたが、そのような場合は全麻連からの抗議によりアウトサイダー買いを減らしたため、おおむね全麻連所属業者から約七十パーセント、アウトサイダーから約三十パーセントという比率は守られていた)、従つて、東京資材がアウトサイダーから買い入れる輸食袋は、月平均三十万袋で、多くても四十五万袋を上回ることはなかつたのである。ところが、右アウトサイダーに属する三井物産は、昭和三六年八月に本件に先だつ空取引が開始されて以来、月平均約六十万袋(本件空取引開始後は前記認定のとおりの空取引が行なわれており、少ない月で約三十万袋、多いときには月約百万袋にも達する)の輸食袋を片岡商店ないしサンシンから買い入れてこれを東京資材に売り込むという取引を行なつたことになつていた。また、内米麦袋についても年間総需要量は、昭和三八、九年当時、約二千四百万袋であり、東京資材はその約三十パーセントを割り当てられ、年間扱い量は約七百万袋、月間では約六十万袋であつたが、輸食袋と同様、そのアウトサイダー買いはそのうち約三十パーセントの月約二十万袋にすぎなかつた。にもかかわらず、アウトサイダーたる三井物産は、昭和三九年内米麦袋の取引が開始されて以来、毎月その二ないし三倍(本件空取引開始後は前記認定のとおりの空取引が行なわれており、多いときは月約百万袋にも達する)の内米麦袋をサンシンから買い入れてこれを東京資材に売り込むという取引を行なつたことになつていた。このように多量の故麻袋をアウトサイダー業者である三井物産が片岡商店ないしサンシンから買い入れて東京資材に売り抜くということは、業界における故麻袋取引の実情に通じた者にとつてあまりにも不自然なことであり、故麻袋を東京資材に売り込んでいたアウトサイダー業者が三井物産以外にも、山下通商、中和産業、第一麻袋など数多く、東京資材はこれら三井物産以外のアウトサイダー業者からも月約二十万袋の輸食袋を買い入れていたことおよび三井物産が片岡商店、サンシン以外から買い入れて東京資材に売り込んでいた故麻袋(これは実物の伴つた取引であつた)が、毎月一回平均約五万袋で、最高でも十五万袋にすぎなかつたことも考慮に入れると、その不自然なことは誰の目にも明らかである。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

ところで、塩入徹の後任物資部産業資材課長大島恒男は、東京資材のシエアやアウトサイダーから買い入れる割合を課長当時は知つていたが現在は記憶がない旨(第一五回、二二六七ないし二二七三)、同人の後任課長福田昇は、取扱数量があまり大きいし、集荷能力がそんなにないことがわかつていたから、麻袋については空気(からけ)があるんではないかという不安があつた旨(第四回、四六四ないし四八〇)それぞれ証言し、同人らが前記の不自然さに気づいていたふしがうかがわれるが、ほとんどすべての故麻袋取引について最終的に決済をしていた産業資材課担当部長席(次長)山本操は、東京資材は、輸食袋の総需要量の約三十五パーセント、月間約八十万袋を扱つていることや三井物産がいわゆるアウトサイダーであることは知つていたが、内米麦袋の総需要量や東京資材の内米麦袋のシエアおよびアウトサイダーから買う割合は知らなかつた旨(第五回ないし第七回、六〇〇、七〇四、七〇五、九二二、九二三)、さらに、三井物産は課長中心主義で課長を全面的に信用していたし、取引数量、契約のスピード、回数などについては麻袋に素人であつたため不審を抱かなかつた旨(第五回、四九九、五〇六)など、同人が前記の不自然さに気づかなかつたのももつともであるかのような証言をしているので、この点について検討するに、同人は、前記のとおり物資部産業資材課担当部長席として長期間にわたりほとんどすべての故麻袋取引についてそのつど決裁をしていたものであるところ、右故麻袋取引は、同課の取扱品目の約七、八割を占めていた重要な商売であり(第六回山本操(七八〇))、かつ三井物産では、業界の実情、需要量、集荷能力などは最低部長席までは知つているべき事柄とされている(第二四回原口四郎(三四六一、三四六二))のであつて、このように業界の実情を知りうる、また知るべき立場にあつた右山本操が、右のように重要な取引について長期間決裁していながら、特段の事情もないのに、業界の実情については素人のためわからなかつたというが如きは、およそ措信し難いところであり、山本操も前記の不自然さに気づいていたと推認するのが合理的である。

(2) 本件に先だつ空取引が開始されたころから、三井物産物資部内外に、三井物産の故麻袋取引は空取引ではないかとの批判および噂があつたこと。

本件に先だつ空取引が開始されたころ、これを始めた塩入徹は、部内での実績が上がつたため得意になつていたが、そのころ物資部総務課では同人が独走していると批判をしており、昭和三七年ころからは、当時同部産業資材課長代理であつた福田昇が、塩入課長の扱つている故麻袋取引は空取引ではないかと非難していたのみならず、三井物産外でも麻袋業者の間に、三井物産が、サンシン、東京資材と三角取引をしているという噂が流れはじめ、全麻連においては、そのため興信所を使つて数度にわたり調査をしたほどであり、このような噂はその後も昭和四〇年ころまで絶えることがなかつた。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(3) 昭和三八年秋、新聞社会長と称する梶原らから伊佐部長、山本操次長らが脅されたところ、同人らの動きに不審の点が存すること。

前記のとおり、昭和三八年九月、新聞社会長と称する梶原という者らから、三井物産が各県の経済連合会へ故麻袋を売つたのは、調達会社を通さないルート違反の取引であるうえ空取引でもあると指摘されて金員を要求されたのちの同年一二月ころ、伊佐部長は、帳簿類を調べることもなく、山本操次長に対し、すでに故麻袋の引渡しは完了したことになつていた右各連合会売りの契約破棄を指示し、その後被告人片岡に交渉して右故麻袋を片岡商店へ売り戻したうえ、同店から四、五千万円の手形を受け取つたが、この間、右各連合会との交渉が行なわれた形跡は全くない。右各連合会売りの故麻袋取引はもとより空取引であつたため、被告人西山登は、契約破棄、売り戻しといつても単に帳簿上訂正したのみであつたが、その訂正方法は、三井物産経理規定によつて通常行なわれている売買日記帳の当該箇所に横線を引いて抹消し、破棄と記載する正規の方法をとらず、各連合会の表示をインク消しで抹消し、そのあとに片岡商店と記載して、連合会売りの事実を糊塗する方法をとつたにもかかわらず、これらの帳簿に最終的に決裁をしていた山本操次長は何ら異を唱えていない。その後、伊佐部長の指示で、サンシンとの取引が停止されたが、そのころ、同部長は、前記片岡商店から受け取つた手形の決済状況を心配して被告人西山登に尋ねたりしていた。さらに、ルート違反と空取引の二点が指摘され、その後、空取引を直接担当していた塩入課長から事情を聴取した伊佐部長は、同課長から「ルート違反と空取引のことで脅されているが、決して会社に迷惑をかけるようなことはない」旨聞かされ、むしろ同課長が空取引の事実を否定しない態度をとつたにもかかわらず、ルート違反の点についてのみ前記の如く処理したにとどまり、空取引の点についてはは、同部長が山本操次長に、山本操次長が被告人西山登にそれぞれ間違いないかと尋ね、同被告人から間違いない旨の答えを聞いたのみで、右の指摘はいいがかりであるとして、その真偽につき全く調査をしていない。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(4) 三井物産監査部が行なつた物資部産業資材課の監査に関して以下の疑念が存すること。

前記梶原らによる恐喝問題が、各県の経済連合会売り契約破棄と塩入課長の更迭により一段落した昭和三八年一二月、三井物産監査部により物資部産業資材課の監査が行なわれ、監査委員となつた監査部次長佐々木禎吉外一名は、監査にあたつて当時三井物産がサンシンから買持して保管していることになつていた故麻袋について、その保管場所とされていた横浜市の中山倉庫、東京都葛飾区の奥戸倉庫などの立入検査を実施したが、右中山倉庫には故麻袋約五十万袋が保管されていることになつていたにもかかわらず、実際には、約五万袋しか存在せず、しかもそれらが倉庫の入口から一列に高く積み重ねられて、いかにも大量の故麻袋の在庫があるようにみえる状態になつていたところ、右佐々木がそれに手をかけた際、これが崩れ落ちてその背後には何もないことが明らかとなり、また奥戸倉庫についても故麻袋約十万袋が保管されていることになつていたにもかかわらず、実際には、雑穀袋約五万袋が積まれていたのみで、検査後、被告人西山登は、監査員から、倉庫に埃がたまつていたが本当に在庫はあつたのかなどといわれたりした。その後、右佐々木は三井物産を退職したのち、被告人片岡、同西山登に対し、空とわかつていたがゆるやかに報告した旨語つたことがある。しかも、右佐々木外一名作成の三井物産社長宛監査報告書には、故麻袋の存在を前提として「改善の必要を認めた事項」が記載されてはいるものの、その冒頭部分には「主タル問題点」として「1、運輸NOTOUCH商内ノ実体把握ニ欠ケテイル、総務課並ニ会計課ヲシテ部内ノ指導監督ガ必要ト思ハレル、2、部長席ガ課ノ状態一般ヲ克ク掌握スルコト勿論ナガラ主要取引先トノ重要接渉事項ヲモ熟知スルコト以上ニ欠ケテイタ点アリ今後ノ善導ヲ希望スル(三八年中ノ業務日誌一一通ノミ)3、改善スベキ点ハ速ニ実行ニ移スコト、“臭イモノニ蓋”式ノ考ヘハ厳ニ慎ムコト、特ニ人事ニ関シテハ部長席ノ反省ヲ促シタイ」との記載があり、この記載は漠として関係者以外には何を意味するのか的確に理解し難い表現をとつているうえ、問題とされた事項を導き出した根拠はそれ以下の右報告書のどこにも記載がなく、なかんずく「部長席が課の状態一般をよく掌握すること勿論ながら主要取引先との重要折衝事項をも熟知すること」、「“臭いものに蓋”式の考えは厳に慎むこと」という講評は、右報告書全体から全く遊離したものとなつているのである。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

ところで、物資部長伊佐孝吉、同次長山本操は、右「主たる問題点」として記載されている事項について、それが何を意味するのか全く心当りがない旨それぞれ証言しているのであるが(第九回伊佐孝吉(一二七六、一二八九、一二九〇)、第五回山本操(五二七ないし五三三))、前記事実により、当時サンシン、三井物産間の故麻袋取引には空取引の部分があることを察知したものと推認される監査員佐々木らは、それが何を意味するものかは、三井物産における故麻袋取引の最終的責任者である右伊佐部長、山本操次長らには、それだけの表現で十分了解できるものと考えたからこそその詳細について何ら説明を加えなかつたものと考えるのが最も自然であり、そうだとすれば、前記「主たる問題点」は、当時、従来の空取引について一切を塩入課長に任せ、自らは直接これに関与することを避けていた伊佐部長、山本操次長に対し、同人らが空取引の事実を知つていることを前提として、前記のとおり、当時東京資材に対する売掛金が約五億円に達していた空取引の実体を把握し、その回収に万全を期すべきである旨注意したものではないかという疑いが強いのである。

なお、伊佐孝吉、山本操は、監査の結果については、現物確認を確実にせよという注意をうけたのみで、前記「主たる問題点」については何らの報告もなかつた旨それぞれ証言するが(第九回および第一〇回伊佐孝吉(一二三九、一二七二、一二七三、一二九三、一二九四、一三三七ないし一三四三、一四一三ないし一四一七)、第五回および第六回山本操(五二七ないし五三三、七二七))、前記監査報告書の「主たる問題点」に続く「以上監査結果ニ付テハ一月七日物資部長並ニ関係者ニ報告シ、改善スベキ事項ハ逐次実行ノコト要望シタ」旨の記載および監査部長千葉安治の監査の結果は物資部の部長、次長、総務課長、会計課長、担当課長ら同席のもとに、報告書に記載されている趣旨は大体もれなく伝えられたと思う旨の証言(第一一回、一五〇四ないし一五〇六、一五二〇、一五二一、一五三八)に照らし、右伊佐、山本操の証言は措信できず、同人らは前記「主たる問題点」の趣旨を了知したものと推認すべきである。

(5) 東京資材、全容連の三井物産に対する故麻袋代金の支払が一貫して遅延しており、かつ全容連については、監査部から付された取引条件に違反した手形による入金も少なからずあつたにもかかわらず、三井物産が、信用程度を急激に増加させ、取引を拡大していること。

東京資材の三井物産に対する故麻袋代金の入金状況については、すでに昭和三八年一二月の前記監査の際にその遅延を指摘され(期日徒過一ヶ月以上におよぶ売掛金債権が、昭和三八年一一月現在で一億七千九十万千円に達している旨の指摘)、早期に手形をとりつけるよう注意をうけていたにもかかわらず、三井物産物資部では、その後も本件空取引の期間中、東京資材へ売り抜いた三十一件のうち入金状況の不明である四件(契約番号四三〇五六、四三〇八二、四四〇〇九、四四〇二七)を除く二十七件全部について、同社との取引条件の決済期日より二ないし三ヶ月ずつ遅れた支払期日の約束手形ないし小切手による入金を受け入れており、全容連へ売り抜いた五十五件については、十件(契約番条九一七、九三四、九四四、九八二、九八七、九九〇、一〇〇六、一〇〇九、一一四四、四三〇一九)を除いて、その受取手形は、受取期日および手形の支払期日又はその一方において、取引条件より二ないし三ヶ月ずつ遅れていた。なお、前記小切手による入金は、東京資材の支払手形を減らすため、手形を徴することなく、決済期日に現金又は小切手で支払ういわゆる期日現金払を三井物産が大幅に承認していたことによるもので、そのような支払方法を認めること自体異常だといわなければならない。のみならず、三井物産では、前記のとおり、全容連へ売り抜くのは東京資材へ売り抜くのと同じであるとして、全容連に対する信用程度設定に際しては、通常なすべき興信所による調査はせず、そのかわり、全容連からの入金は、東京資材振出の約束手形に全容連が裏書したものによることが取引条件とされていたにもかかわらず、右条件に違反して、全容連自身(一部は片岡商店と連名)又はサンコウ株式会社振出の約束手形ないし小切手による入金を認めたりもしており、その金額は合計約九億七千九百万円にものぼつている。右サンコウ株式会社は、被告人片岡が空取引の枠を拡大するため昭和四〇年六月に東京資材に代る会社として設立したものであるが、当時はまだ工作中であつて三井物産から取引先として承認されておらず実体のない会社であることを三井物産の関係者は知悉していたのである。他方その間、三井物産が全容連に対して与えていた信用程度(売掛金および受取手形の未決済合計の限度、物資部長が申請し、監査部で審査のうえ決定されていた)をみるに、昭和三九年四月四日の一億五千万円から始まつて、同年六月一三日には三億円、同年八月三一日には五億五千万円、同年一二月二五日には七億円、そして昭和四〇年五月一八日以降取引停止に至るまでは八億円とその急激な膨張ぶりは驚くべきものであつた。もつとも、東京資材のそれは、昭和三九年四月一日の四億五千三百万円から同年一二月二五日には三億二千三百万円、昭和四〇年五月一二日以降は三億五百万円と減少されているが、これは前記のとおり、全容連を東京資材と同視して、取引を東京資材から全容連に移行させていつたためであつて、両者を併せ考えれば、全体として信用程度を急激に膨張させたことにかわりないのである。しかもこの間、物資部では、昭和三九年七月ころ、本件空取引外の不正事件のため同部を監督した監査部部長代理から、「金融商内ト見ラレルモノノ内特ニ同一系列ニ当社介入シオル商内、サンシン(片岡系)―当社―片岡(故紙)、サンシン(片岡系)―当社―全容連(故麻袋)ハ常時業態、内容把握スルト共ニ与信限度ノ増加トナラヌ様」という注意をうけていた事実もあり、また信用程度設定のつど付されていた担保取付けの条件が満たされないうちにしばしばその増額が認められていたのであつて、右の如く信用状況に種々の問題があるにもかかわらず、信用程度を急激に膨脹させたのは、正常な取引としては理解に苦しむところであつて、むしろ、物資部、監査部の関係者が故麻袋取引が空取引であり取引の破綻する危険のあることを知りつつ、これを防止するためにかかる措置をとつていたものと理解するのが自然である。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

なお、山本操は、信用程度が急激に膨脹した事実は知つていたが、入金遅延の状況などについては何ら報告もなく知らなかつた旨証言し(第六回および第七回、六九〇ないし六九三、八八〇ないし八八六)、物資部会計課長泉功は、条件違反の手形受入れについては、部長席の承認がなくても会計課長の判断で受け入れてもよいという社内通達があつたので自分の判断で受け入れた旨証言している(第二八回三九五八、三九五九)が、右各証言については、監査部員原口四郎の条件違反の手形はそのつど部長席の認印をとりつけることという通達があつた旨の証言(第二四回三四五五ないし三四五七)、右泉功の後任となつた紙パルプ部会計課長山田彰司の入金遅延があれば毎月売掛金月報を作成して遅延状況を監査部、経理部および営業部長席に報告していたので当然部長席は知つていたはずであり、条件違反のサンコウ株式会社振出の手形を受け入れたのは、右泉から部長席の承諾もある旨聞いたためである旨の証言(第二二回および第二三回三二六〇ないし三二六四、三三三七、三三六一、三三六二)ならびに福田昇作成の昭和四二年一月一〇日付上申書によれば、入金伝票および手形受入伝票には延滞日数、利息請求要否記入欄に部長(実際は部長席が決裁すること前認定のとおり)の決裁欄があることに照らしてこれを措信することはできない。

(6) 本件空取引を含む一連の空取引を通じて、三井物産の故麻袋検査方法に首肯し難い点が存すること。

本件空取引を含む一連の空取引を通じて故麻袋の受渡しに立つた三井物産の社員は一人もおらず、また買持品の在庫確認についても産業資材課長大島恒男、同福田昇以下課員がそれぞれ数回三井物産のために故麻袋を保管していることになつていた前記中山倉庫や甲府市所在の小口倉庫へ出向いたが、いずれも故麻袋の存在を見分したのみで、その数量の確認はおろか、どの取引分についての在庫かなどを倉庫の責任者に問い合わせたり、倉庫備え付けの入出庫伝票によつて確かめることは一度もせず、実質的な在庫確認は何ら行われていなかつたのであつて、このことは実取引を前提とした場合、通常考えられないところである。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(7) 本件空取引を含む一連の空取引について、三井物産の故麻袋取引方法に疑問の点が存すること。

三井物産の社内規定によれば、売先に対する売買契約書は総務課で発送し、同じく代金請求書は会計課で発送すべきことになつているにもかかわらず、本件故麻袋を東京資材ないし全容連へ売り抜くに際して、右規定に違反し、産業資材課の被告人西山登又はその部下において直接、しかも三井物産が右故麻袋を買い入れる当の相手であるサンシンの公山修にこれらを手交しており、東京資材ないし全容連からの代金入金についても、大部分を右公山から受け取つており、東京資材ないし全容連の社員を直接の交渉相手とした形跡がないのに、物資部内でこれを怪しむ者はいなかつたのみか、毎日のように産業資材課へ出入りしていた右公山は、山本操次長から「お前も一つ席を作るか」などと冗談をいわれたり、他の課員から「今日はサンシンの公山か全容連の公山かはつきりしろ」などといわれていた。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(8) 三井物産の債権確保の方法に疑問の点が存すること。

三井物産では、本件空取引を含む一連の空取引を通じて、故麻袋買入れ先のサンシンからは種々担保をとりつけているが(それも信用程度許可条件として指示されていたところより常に遅れがちであつたが)、取引上の債務者たる故麻袋売り込み先の東京資材からは取引停止直前の昭和四〇年七月ころまで一切の物的、人的担保をとりつけたことはなく、わずかに昭和四〇年七月ころ、前記サンコウを取引相手として認める前提として、東京資材から五億円の保証書をとりつけたのみであつて、このことは客観的には、本件空取引によつて直接資金を得ていた実質上の債務者であるサンシンないし被告人片岡から担保をとりつけていた形となるわけである。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(9) 三井物産が、サンシンからその資金繰り表を徴していたことなどに関して不審の点が存すること。

三井物産物資部では、サンシンの資金繰りが極端に苦しくなつた昭和三〇年初めころから、同部会計課長の指示によつて、サンシンから毎月その資金繰り表を提出させていたが、その一方では、前記のとおり、サンシン―三井物産―全容連ルートの故麻袋取引を拡大させていた。そして昭和四〇年二月ころ、三井物産のサンシンに対する故紙代金の支払が、担当者たる被告人西山登の欠勤によつて一日遅延したところ、公山修が産業資材課内で、支払がなければサンシンは不渡りを出して倒産する旨発言したため、同課では大騒ぎとなり、当時京都に出張していた被告人片岡を呼び戻して釈明を求めた結果、同被告人は、山本操次長、大島課長らに対し、「サンシンは手形を振り出してはいない。今日がサンシンおよび片岡商店の仕入代金の支払日であり、従来片岡商店は仕入先に対して一日も支払を遅延したことがないので、一日でも遅延すると信用がなくなるから、三井物産としても代金を支払つてもらいたい」などと説明して、前記公山の発言を取り消し、大島課長から呼ばれて相談をうけた監査部課長代理安井敬一においても「払うものなら払つたらどうか、巨額の与信先であるからよく注意すべき」旨発言したこともあつて、山本次長以下は、それ以上公山の発言について調査することもなく、直ちにサンシンに対する故紙代金の支払手続をしたが、前記のとおり、サンシンの資金繰り表に照らして、サンシンの資金繰り状況が極端に悪いことを知つていたと認められる山本操らが被告人片岡の右の如き曖昧な説明に納得したのは理解に苦しむところであり、むしろサンシンが空取引のため多額の手形を振り出していることを知つて知らぬふりをしたものと理解するのが自然である。

右事実は、(証拠略)によりこれを認める。

(10) 物資部産業資材課の故麻袋取引を紙パルプ部に移したころ、物資部内に不審な動きがあつたこと。

前記のとおり、昭和四〇年五月末ころ、物資部長伊佐孝吉が札幌支店長に転出したのに伴い、後任物資部長に紙パルプ部長の中山久が就任し、故麻袋を含む物資部産業資材課の取引について最終的決裁者として決裁をしていた同部次長山本操は右中山の後任として紙パルプ部長に就任したが、右中山が物資部長に就任したのち、従来山本操次長の担当していた産業資材課について、これを担当する部長席がなかなか決まらず、産業資材課長福田昇を困らせていた。やがて大高善三郎物資部次長が産業資材課を担当することとなつたが、そのころ被告人西山登が本件故麻袋取引について同次長に決裁を求めたところ、同次長から「いいね、君は首をかけているね」「悪い星の下に生れたんだからこの辺で他の課に逃げだしたらどうだ」などといわれたり、別の上司からは「事態がここまできているんだから全力投球で担保をとりつけろ、それがお前の義務だ」などといわれたりした。その間、物資部の幹部の間で、山本操前物資部部長席の後任を誰にするかについてアンケートをとつたところ、全員が産業資材課の商内は空気のような危険性の多いものがあるので、この際産業資材課を紙パルプ部に移すのが得策であるという意見で一致し、前記のとおり昭和四〇年一〇月、産業資材課の故麻袋、故紙ほか二点が紙パルプ部に移され、これらの商品を扱うために同部に包装資材課が新設されたが、その際産業資材課の扱つていた新麻袋(これは実物の伴つた取引であつた)は物資部内の鉱工品課に残された。

右事実は、(証拠略)により認める。

なお、山本操、中山久、福田昇らは、産業資材課を物資部から紙パルプ部に移したのは、本来故紙が紙パルプ部に属するものであつたので、従来から物資部の故紙取引を紙パルプ部に移管させたかつたところ、物資部次長山本操が紙パルプ部長に、紙パルプ部長の中山久が物資部長に就任したのを機会にこれを実現させたもので、故麻袋については、片岡商店との故紙、故麻袋取引の窓口を一つにしておくため便宜上紙パルプ部に移管したものであつて、これらが空取引であつて危険であるから従来からの担当者の山本操に押しつけたものではない旨それぞれ証言しており(第三回および第四回福田昇(一八一、三四四ないし三四七)、第五回山本操(五八五ないし五九〇)、第一〇回中山久(一四四六ないし一四四八))、右各証言は一応もつともであるようにきこえるが、前記のとおり、新麻袋のみは物資部に、しかも鉱工品課というおよそ麻袋取引とは無縁と思われる課に残していること、前記包装資材課担当部長席となつた紙パルプ部部長代理山本利三は、故紙、故麻袋を紙パルプ部に引き継いだ理由は知らない旨証言していること(第一一回一六三八ないし一六四〇)および前記の如き大高物資部次長らの言動に照らすと、前記山本操らの証言にかかる産業資材課移転の理由は名目上のものではないかという疑念を払拭しきれないのであり、前記事実は、産業資材課の故紙、故麻袋取引が空取引であることが物資部内に相当広く知れわたつていたことを前提としてはじめてよく理解しうるのである。

(11) 本件空取引は、相互に相手方の腹を読み合つて以心伝心の合意のもとになされた一種の金融操作であるとの弁護人らの主張に符合すると解釈できるような事実が存在すること。

昭和四〇年初めころ、被告人西山登は、外出先から産業資材課に帰つたところ、大島課長から、「サンシンから故麻袋取引の資金繰りがつかないから取引してくれといわれた。すぐ約定書を部長席へ持つていくように」と指示をうけ、すでに作成されていた約定書等を山本操次長の席へ持参し、その際、「サンシンとの商売はこれでよろしいのでしようか」と尋ねたのに対し、同次長は、「これでよろしいかとは何だ、こう決まつたから決裁して下さいといわなければ駄目だ」と被告人西山登を叱り、その後同次長は同被告人の席へ足を運んで、「お前は歌舞伎の勧進帳を知つているだろう。そういうものでもたまにはみて勉強しろ」などと注意した事実がある。

右事実は、(証拠略)により認められる。

右の事実、および以上認定した本件空取引の全過程において、伊佐孝吉、山本操、大島恒男らがあからさまには空取引であることを知つているような言動を示さなかつたことについては、次のように解釈することも相当合理性をもつている。すなわち、同人らは空取引であることを了知しつつこれを決裁していたのであるが、これは三井物産の幹部としてたてまえ上はもとより許されないところであるから、関係者に対しても空取引であることを知らないようにふるまい、また関係者が同人らの右知情に気づかないような態度で行動することを要求ないし期待していた。そのことによつて同人らは、ひとたび取引が破局を招いた場合には、被告人片岡にだまされたと弁明することが可能になるのであり、三井物産の社内においては、せいぜい末端の被告人西山登が責任を負えば足りることになるのである。

2、 そこで、被告人片岡が、三井物産物資部の関係者を欺罔する意思を有していたかどうかについて検討するに、(証拠略)によれば、被告人片岡は、昭和三八年九月ころ、三井物産の各県経済連合会売りの故麻袋取引が問題となり、塩入課長が更迭された際、後任課長や部長に空取引が知れて取引を停止されれば、七七、八億にのぼる手形の決済資金に困り、サンシンが倒産するのではないかと心配し、塩入課長にも「この取引が部長にわかつて会社側で取引を中止することはないでしょうね」などと不安な気持を表明していたほか、三井物産以外の業者との取引にかかる故麻袋を直接東京資材へ売り込まず、本件空取引と同様に全容連を通して東京資材に売り込んだり、甲府市所在の小口倉庫に保管中の三井物産とは無関係の故麻袋に「三井物産預り品」なる表示をさせて同倉庫で三井物産の買持品を保管しているようにみせかけたり、横浜市所在の中山倉庫の故麻袋の数量を増して、同倉庫に多量の故麻袋を在庫しているようにみせかけるなど、検察官主張の如く、同被告人の三井物産物資部に対する欺罔の意思を推測させるような諸事実も認められる。しかしながら、右不安な気持を表明したのはサンシンとの取引開始前、すなわち本件空取引開始前のことであるし、被告人片岡、同中村、同西山登の当公判廷における各供述によれば、被告人片岡は、すでに本件空取引継続中から、被告人西山登、同中村、同佐藤、同西山實に対し、「空取引であることは三井物産の上層部は知つている」旨述べていたことが認められる(被告人片岡につき供述関係記録四四九四ないし四四九六丁、被告人中村につき同四八九八丁、被告人西山登につき同四四一一丁)ほか、同被告人は、当公判廷においても、三井物産物資部の関係者らは本件故麻袋取引が空取引であることを知つていると考えていた旨供述し(前同四五二一ないし四五二三丁)、物資部を欺罔する意思はなかつた旨供述するところ、当裁判所が疑問とする前記1の各事実の大部分は同被告人もこれを熟知していたところであること、同被告人が山本操ら物資部の幹部と公私にわたる接触が多かつたと認められることを考えあわせると、同被告人の右供述も一概にこれを排斥することはできないところである。そして、同被告人の犯意を推測させるような前記諸事実については、前記のとおり、昭和三六年八月ころ、本件に先だつ空取引を開始した際には、塩入課長との話し合いによるだけで、その後も空取引については、被告人西山登を除く三井物産物資部の関係者と空取引であることをあからさまにして話し合つたことがなかつたので、物資部長、同次長ないし産業資材課の全員が空取引の事実を知つているとの確信を抱くまでには至らなかつたため、あるいは知つている旨認識しても三井物産の社員としては知らないようにふるまわなければならない立場にあることを了解したうえの言動であるとも解し得るのであつて、必ずしも同被告人の物資部を欺罔する意思はなかつた旨の供述と矛盾するものではないと考えられる。そして、現に、前記のとおり、三井物産物資部産業資材課長、総務課長、会社課長は勿論、物資部長伊佐孝吉、同部長の後任である中山久、産業資材課担当部長席(次長)山本操らが欺罔されていたことが極めて疑わしい以上、このことと合わせ考えて、被告人片岡に物資部の関係者を欺罔する意思があつたものとは認められない。

3、 次に検察官は、三井物産物資部長以下が空取引の事実を知つていたとしても、現実に手形を振り出す三井物産財務部が空取引について了承していない以上、財務部関係者を欺罔したことによる詐欺罪が成立する旨主張するので、本件の如く、物資部関係者が空取引の事実を知つているような場合にも財務部が欺罔の対象となるか、すなわち、財務部において空取引による代金の支払を拒絶し、空取引を中止させる権限を有していたかどうか、ならびに被告人片岡が三井物産財務部の関係者を欺罔する意思を有していたかどうかについて検討する。

三井物産財務部長堀川虎楠、昭和四〇年六月以降同人の後任部長となつた福永次郎、同部次長稲毛一三、同安藤保、同部長代理伊藤鉄夫らは、一致して、本件が空取引であることは知らなかつた、知つていたならばサンシンに対する手形の支払を拒絶した旨証言し(第八回公判調書中の証人福永次郎、同稲毛一三の各供述部分(福永につき供述関係記録一〇一三、一〇一四丁、稲毛につき同一一二〇ないし一一二六、一一四三丁、以下公判回数、証人氏名、供述関係記録丁数のみで表わす)、第三四回堀川虎楠(四二四六ないし四二五二)、同伊藤鉄夫(四二八五ないし四二八八)、同安藤保(四三〇一ないし四三〇五))、これらの各証言は一見検察官の主張に符合するが如くみえるが、右各証人の供述を全体としてみれば、「空取引は、規定はないが商取引ではないからできない」など(第八回福永次郎(一〇〇五、一〇〇六))、およそ三井物産においては空取引は許されないことを前提とするものであり、したがつて物資部においてもそのような取引を知つて行なうはずがないから、物資部においても空取引であることを知らなかつたという断定に暗を前提としているものと認められ、本件の如く、物資部関係者が空取引であることを知つてこれを行なつている場合においても妥当するものとは速断できないところ、前記のとおり三井物産においては、物資部を含む各営業部と財務部とはそれぞれ独立してその業務を行なつており、契約締結については物資部長等各営業部長が代表取締役の委任をうけて最終的に責任を負つているのであり、その行為はすなわち三井物産の行為にほかならない。そして前記証人らの証言によれば、財務部は支払については各営業部の業務に不正や過誤がないかを各営業部から送付されてくる書類、本件においては前記のとおり物資部から送付された手形支払伝票、貨物受領書(直渡し取引の場合)又は在庫証明書(買持取引の場合)および代金支払請求書によつて審査をするのみであり、換言すれば、これらの書類に手続上、内容上不備がないかどうかのみを審査しており、各営業部の締結した契約内容にまで立ち入つてその当否を審査したり、商品の受渡しを現物について確認したりする態勢は全くとられていないこと、(第八回福永次郎(一〇〇一ないし一〇〇六、一〇四二ないし一〇五二、一〇六六ないし一〇六八、一〇七九ないし一〇八一、一一〇一ないし一一〇五)、第八回および第九回稲毛一三(一一一五ないし一一一七、一一二九ないし一一三七、一一九九ないし一二〇七)、第三四回堀川虎楠(四二五四ないし四二六〇)、第三四回伊藤鉄夫(四二八三、四二八四、四二九〇ないし四二九五)、第三四回安藤保(四三〇八ないし四三一二))および財務部において物資部の締結した契約を取り消させる権限はないこと(第八回福永次郎(一〇六一、一〇六二)、第八回稲毛一三(一二〇六、一二〇七))も認められるのであつて、これらの事実に鑑みると、三井物産財務部においては、同物資部の締結した契約内容に立ち入つて、その当否を実質的に審査する権限はないものと推認され、従つて、本件の如く、売買契約の締結につき、代表取締役の委任をうけた物資部長をはじめ、同部関係者が空取引であることを知りながら敢えてこれを行なつているような場合には、財務部関係者がそのことを知つたとしても、財務部のみの判断で支払を拒絶することはできなかつたのではないかという疑いが濃厚であり、かくの如き場合、物資部を捨象して、三井物産財務部のみを欺罔の対象とすることはできないものと解される。すなわち、財務部に支払拒絶の権限がなく、いずれにしても本件各手形を振り出さなければならなかつたのであれば、財務部関係者が空取引であることを知らなかつたとしても、そのことは手形の振出しに対して因果関係をもつものではなく、ひいては財務部関係者のみを欺罔して手形を騙取するということはありえないことになる。

次に、被告人片岡の意思についてみると、同被告人の検察官に対する供述調書には、「私は従来から慣習のようにして引き続き取引の裏付けのない三井物産振出の手形を入手していましたが、三井物産の物資部の人達はその事情を知つていたのではないかと思います。財務部の人達まで知つていたかどうかは判りません」(昭和四一年一二月九日付第三項)、「警視庁でも述べたとおり、実際に営業を担当している物資部の人達は空取引を気付いていたと思いますが、取引書類、特に貨物受領書によつて手形を振り出す経理部関係の人達は営業の実態が判らないので、まわされてくる貨物受領書によつて現品の受渡しが行なわれたと信用し、手形を出していたと思います。十一億円にものぼる取引が全部空でしかもサンシンの資金状態が倒産寸前だと判つていれば、経理部で手形を出すようなことはしなかつたと思います」(同月二六日付第一三項)などとの供述記載があるが、右の表現は、かなり誘導的な質問に基づくものであることがうかがわれ、必ずしも同被告人が、財務部を欺罔する意思を有していた旨供述したものとは解されないところ、同被告人は、当公判廷において、財務部のことはとくに意識はしていなかつた旨供述しており(供述関係記録四三八四ないし四三八六、四五二二、四五九二ないし四六〇五)、前記のとおり、故麻袋取引について契約締結の最終責任者である物資部長まで空取引を黙認しているものと信じていた被告人片岡が、物資部の承認は三井物産の承認であると考えて(そう考えるのは取引の相手方として当然のことである)、それ以上財務部のことは意識しなかつたというのも首肯できるところであることに鑑みると、同被告人は、物資部において売買の決裁があつた以上、財務部においては当然機械的に代金手形を振り出すものと考えていたものと認められ、同被告人に財務部関係者を欺罔する意思があつたと認めることもできない。

4、 次に、被告人西山登の犯意について検討するに、同被告人は、当公判廷において、昭和三九年八月ころから本件が空取引であることを知り、その後は情を知らない三井物産の上司をミスリードしてその結果三井物産に莫大な損害を蒙らしめたものであるから、昭和三九年八月ころ以降は責任のあることを認めると述べ(第一回公判調書中の同被告人の供述部分(手続関係記録六六ないし六七丁)、供述関係記録四四〇四ないし四四三七丁)、上司である三井物産物資部関係者ならびに財務部関係者を欺罔する意思を有していた旨自白し、さらにこれらの上司は空取引の情を知らなかつたとしてその根拠となる事実を種々挙げている(同四四二二丁ないし四四二五丁)のであるが、他方、同被告人は、当公判廷において、なかんずく相被告人の弁護人の質問に対し、前記1の認定に供したように、上司が空取引の情を知つていたと推認しうる事実も種々述べており、さらには、山本操の証言内容は自己の記憶に相違する旨述べている(同五三五五、五三五六、五五九五ないし五五九八)ほか、その司法警察員および検察官に対する各供述調書によれば、物資部の上司は空取引の情を知つていた旨主張した事実も認められ(司法警察員に対する昭和四一年一二月一二日付、同月二〇日および検察官に対する同月二四日付各供述調書)、このように同被告人の供述は変遷、前後矛盾して複雑なものがあり、当裁判所としては、同被告人の胸中を覗き得べくもないが、物資部の上司を欺罔する意思を有していたかどうかについては、当裁判所が疑問とする前掲1の各事実の大部分につき、同被告人が、被告人片岡以上に熟知していたことに鑑みると、被告人西山登に物資部の上司を欺罔する意思があつたものとは認められない。また、同被告人の三井物産財務部を欺罔する意思を有していた旨の自白については、前記のとおり、本件においては、物資部を捨象して、財務部のみを欺罔の対象とすることはできないものと解されるのであるから、同被告人にかかる意思があつたとしても、同被告人の行為は客観的には詐欺の実行行為と認めることができないのである。

5、  以上の認定を総括すると、本件空取引について、三井物産の物資部長以下同部の関係者が被告人片岡らの行為によつて欺罔されたことは認められないのであり、従つて同人らが錯誤によつて本件空取引を承認したものとは認められない。もつとも、本件で起訴された空取引に先だつ塩入徹の行なつていた空取引については同人らに錯誤のあつたことがうかがわれるが、その錯誤が本件空取引当時まで存続していたことは認められないのである。そして、三井物産財務部においては、本件のように物資部長以下同部の関係者が空取引であることを知りながらこれを行なつている場合、支払を拒絶する権限のあつたことが認められないのであるから、空取引であることを知らなかつたといつて、財務部関係者のみが欺罔の対象になることはあり得ないのである。一方、被告人片岡、同西山登も三井物産物資部の関係者が錯誤によつて本件空取引に応じ手形を交付していると考えていたものとは認められない。従つて、同被告人らに三井物産物資部に対する欺罔の意思があつたことは認められない。なお、被告人片岡には財務部関係者を欺罔する意思があつたことも認められない。

右認定を前提として考えると、被告人片岡、同西山登の行為は、売買の形式を利用して三井物産から継続的に資金の融通を受け、又は受けさせていたものにほかならないことになるから、同被告人らの行為は、商事会社の営業形態として不健全なものであるとしても、なお社会通念上許容される一種の商取引と認めるべきであつて、単に詐欺罪の結果を生ぜしめるに至らなかつたもの、又はその犯意を欠いたものであるばかりでなく、そもそも詐欺罪の実行行為にあたらないと解すべきである。従つて、これを詐欺罪の既遂として処断することができないことはもちろん、未遂として処断することもできない。また、これに対する共犯も考えられないことになる。被告人中村、同佐藤、同西山實についていえば、同被告人らは、被告人片岡、同西山登と本件空取引を行なう意思を通じ、被告人片岡又はその指示をうけた公山から受け取つた三井物産に対する買約証、貨物受領書に必要事項を記入し、東京資材の社印、社長印を押捺して、これを再び被告人片岡のもとに届けていたのが本件において果たした主要な役割であるが、被告人片岡、同西山登の行為が実行行為と認められない以上、これを実行行為ないしそれに加功する行為といえないことは明らかである。

以上の次第で、被告人五名に対する本件各公訴事実は、いずれも犯罪の証明が十分でないことに帰するから、刑事訴訟法第三三六条により、被告人五名に対し無罪の言渡をする。

よつて、主文のとおり判決する。

(別紙略)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com