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東京地方裁判所 昭和43年(刑わ)2238号 判決

主文

被告人福島敏行を懲役四年に、被告人池田幸人、同西村猛男を各懲役一年六月に、被告人小幡靖、同入江乕男、同田村倫之輔を各懲役一年に、被告人大倉精一を懲役一年二月に、被告人池田正之輔を懲役一年六月にそれぞれ処する。

この裁判確定の日から被告人池田幸人、同大倉精一に対し三年間、被告人小幡靖、同入江乕男、同田村倫之輔に対し二年間いずれも右各刑の執行を猶予する。

被告人大倉精一から金二〇〇万円、同池田正之輔から金三〇〇万円をそれぞれ追徴する。

訴訟費用の負担〈省略〉。

理由

(事実)

Ⅰ  日本通運株式会社の概要および被告人らの経歴、職務権限

日本通運株式会社(以下日通と略称する)は、昭和一二年日本通運株式会社法に基づき、通運事業を営業目的として、国際通運株式会社ほか六社の資産を承継すると共に政府出資を得て、設立されたが、昭和二四年右法律の廃止により民間会社となり、通運業界における最大の組織と規模を有する企業体としてその活動を行なつており、本社は同三七年一〇月一日以前は東京都千代田区大手町一丁目四番地所在大手町ビルにあつたが、その後は同区神田旅籠町一丁目一一番地(住居表示変更により同区外神田三丁目一二番九号)所在日通ビルに移転し現在に至つている。

被告人福島敏行(以下福島と略称する)は、日通設立当初からの社員であり、昭和二四年取締役に選任され常務取締役になり、同二九年専務取締役、翌三〇年副社長と昇進した後、同三五年五月三〇日代表取締役社長に就任し、同四三年一月一一日辞任して常任相談役となり、同年三月一三日これも辞任したが、右社長在任期間中は、同会社の経理、出納その他会社業務全般を統轄し、会社資金を保管する業務に従事していたもの、

被告人小幡靖(以下小幡と略称する)は、昭和二四年八月二七日運輸省自動車局長を退き、同年九月一日日通の嘱託となり同二六年常務取締役、同三五年五月三〇日副社長となり、翌三六年一〇月二七日右役職のまま代表取締役に選任され関連企業部門を担当していたが、同四三年一月一一日右役職を解かれ、取締役常任顧問となり、同年三月一三日これを辞任したもの、

被告人池田幸人(以下池田と略称する)は、日通設立当初からの社員であり、昭和二六年取締役に就任し、同二九年常務取締役、同三五年専務取締役、同三六年一〇月一月副社長と昇進し、営業部門を担当し、翌三七年一一月三〇日右役職のまま代表取締役となつたが、右小幡同様退職するに至つたもの、

被告事西村猛男(以下西村と略称する)は、前同様の社員であり、昭和二九年取締役に選任され、同三三年常務取締役、同三六年一〇月一日、経理部門を担当する副社長となり、翌三七年一一月三〇日右役職のまま代表取締役に就任し同四一年四月総務部門担当を兼ねるに至つた後、右小幡同様退社したが、右副社長在任期間中は、社長を補佐して同会社の経理、出納を総括し、会社資金を保管する業務に従事し、かたわら前記日通ビル所在のホテル、観光施設、娯楽場等の経営を目的とする、日通系列会社である日通伊豆観光開発株式会社が、昭和三九年一一月二一日設立されたのに伴い、同社の代表取締役社長に就任し、同会社の経理出納その他会社業務全般を統轄し、同会社資金を保管する業務にも従事していたが、同四三年二一日辞任したもの。

被告人入江乕男(以下入江と略称する)は、昭和一六年一一月当時経営していた運送会社が日通に合併された後日通に入社し、同二九年取締役に就任し、同三三年常務取締役、同三五年専務取締役、同三六年一〇月一日副社長と昇進し、総務、勤労部門を担当し、翌三七年一一月三〇日右役職のまま代表取締役に選任され、同四一年四月からは勤労部門のみ担当していたが、右小幡同様退職するに至つたもの、

被告人田村倫之輔(以下田村と略称する)は、昭和一五年日通に入社し、途中一時労働組合に専従した外もつぱら経理関係の事務に従事し、同三六年経理部経理課長代理となり、同三八年八月一五日経理部管財課長代理、同三九年四月一日同課長となり、不動産および物品の購入、改修等の実施に関する事務を担当するかたわら同三九年一月頃からは福島、西村の命を受けて簿外資金の捻出・保管の業務に従事していたが、同四三年三月一三日解職されたもの。

被告人大倉精一(以下大倉と略称する)は、昭和一六年日通に入社し、同二一年全日通労働組合中部地区書記長、翌二二年同地区委員長、同二六年同組合中央執行委員長となつた後同二八年参議院議員に当選して以来日本社会党に属して同四六年七月任期終了までの間、三期その職にあり、主として参議院運輸委員会委員をしていたが、右任期終了時における参議院議員選挙に際しては、立候補しなかつたもの、

被告人池田正之輔(以下池田(正)と略称する)は、昭和一七年衆議院議員に初当選し、戦後は、同二四年第二四回衆議院議員選挙に山形県二区から立候補して当選して以来今日まで連続当選し、同三〇年自由民主党が結成されて以来本件により一時離党した外、同党に所属し国務大臣・科学技術庁長官に就任したこともあつたが、同四二年二月一七日から翌四三年一月二七日までの間衆議院予算委員会委員として、同委員会の所管に属する国の予算に関する議案・請願等の審査および国政に関する調査に関与する職務を有していたもの、

であるが、右被告人らは、いずれも右在任中後記の各犯行をした。

Ⅱ  横領関係

第一(一) 福島、小幡、池田、西村、入江、田村は、共謀のうえ、日通の会社資産で純金延板・日通物上担保付社債を購入し、株主総会の承認等正規の支給手続を経ないいわゆる裏賞与としてこれを秘かに役員に分配しようと企て、別紙一覧表(一)記載のとおり、昭和三七年五月二九日頃から同四〇年五月二三日頃までの間三五回にわたり日通においてほしいままに日通振出小切手の交付、現金支払および購入先の銀行預金口座への振込手続等をなし、その結果、右小切手及び預金口座振込については、日通の取引銀行をしてそれぞれ決済手続をさせ、もつて福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金中より合計約一〇六、五五八、二二四円を株式会社審美堂に対する純金延板合計約75キロ818.475グラムの購入代金ならびに野村証券株式会社および大和証券株式会社に対する前記社債額面合計三、五〇〇万円の購入代金の各支払に充当して横領し、

(二) 福島および西村は共謀の上、日通の会社資金で前同様社債を購入して、秘かに経理部の部課長その他に分配しようと企て、昭和四〇年五月二八日頃日通において前記野村証券に対し、被告人両名が日通のため業務上保管中の会社資金より現金五、〇三二、七五六円をほしいままに右社債額面金五〇〇万円の代金として支払つて横領した。

第二福島、池田、西村、田村は共謀のうえ池田が昭和三七年八月頃から、鹿島建設株式会社に施行させた東京都世田谷区代田四丁目八番一号所在同被告人私宅の増改築代金支払の一部に日通の会社資金を充当しようと企て、同三八年三月一九日頃、日通においてほしいままに金一、八九二、八五〇円を、同都千代田区丸の内一丁目一番一号所在株式会社第一銀行本店の右鹿島建設の当座預金口座に振込み手続をなし、日通の取引銀行である右銀行をしてその決済をさせ、もつて、福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より右金額を増改築代金支払に充当して横領した。

第三福島、西村、田村は共謀のうえ、

(一) 福島が菊池輝より私用別荘として取得した熱海市水口町五丁目一五番地宅地約423.7平方米および家屋一棟床面積約106.35平方米の購入代金の支払に日通の会社資金を充当しようと企て、昭和三八年九月一三日頃同市田原町一八六番地雲野不動産支店において右菊池に対し、福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より現金五〇〇万円を、ほしいままに右土地・家屋売買契約の手付金として支払つて横領し、

(二) 福島が昭和三八年秋頃、株式会社大野建築事務所に施行させた右別荘家屋修理工事の代金支払に日通の会社資金を充当しようと企て、別紙一覧表(二)のとおり、同年一〇月七日頃および一一月四日頃の二回にわたり、日通においてほしいままに日通振出小切手の交付および右大野建築の預金口座へ振込入金手続をなし、その頃前記第一の(一)同様の決済をさせ、もつて福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より合計金四五三万円を右代金の支払に充当して横領し、

(三) 福島が、昭和三九年二月一五日頃、高橋きゆ子ほか一名から前記別荘の隣接地約656.3平方米を購入した代金の支払に日通の会社資金を充当しようと企て、別紙一覧表(三)記軽のとおり、右同日頃および同月二〇日頃の二回にわたりレストラン「赤トンボ」および旅館「一ふじ」において、右高橋に対し福島、西村、田村が日通のため業務上保管中の会社資金より現金合計金一、二〇〇万円および株式会社三菱銀行秋葉原支店振出額面金一、〇〇〇万円の小切手一通を、ほしままに右代金として支払つて横領し、

(四) 福島が、昭和三九年三月頃から、前記大野建築に施行させた前記別荘家屋の解体および新築工事代金の支払に日通の会社資金を充当しようと企て、別紙一覧表(四)記載のとおり同年五月四日頃から七月四日頃までの間三回にわたり、日通においてほしいままに合計金一〇、八〇七、〇六五円を前記三和銀行阿佐ケ谷支店の右大野建築の普通預金口座に振込み手続をなし、その頃前記第一の(一)同様の決済をさせ、もつて、福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より右金額を右代金の支払に充当して横領し、

(五) 福島が昭和三九年九月頃、前記大野建築に施行させた右家屋の階段改修工事代金の支払いに日通の会社資金を充当しようと企て、同年一一月四日頃、日通においてほしいままに金五三三、八五〇円を、前記大野建築の預金口座に振込み手続をなし、その頃三和銀行東京支店をしてその決済をさせ、もつて福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より右金額を右代金の支払に充当して横領し、

(六) 福島が昭和四〇年一二月頃、前記大野建築に施行させた右別荘敷地内の書庫および物置の新築工事代金の支払に日通の会社資金を充当しようと企て、日通においてほしいままに同月四日頃、金七二万円、同月一九日頃金一、三二一、九五〇円、合計金二、〇四一、九五〇円を前記大野建築の預金口座に振込み手続をなし、その頃右同様決済をさせ、もつて、福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より右金額を右代金の支払に充当して横領し、

(七) 福島が昭和三八年九月頃から株式会社長谷川商店および大和造林株式会社(いずれも代表取締役社長長谷川博和)に施行させた前記別荘庭園の造園ならびに維持管理工事代金の支払いに日通の会社資金を充当しようと企て、別紙一覧表(五)記載のとおり、昭和三八年一二月一九日頃から同四二年三月二〇日頃までの間二三回にわたり、日通において、ほしいままに日通振出小切手の交付或は、相手方の銀行預金口座への振込入金手続をなし、前記第一の(一)同様の決済をさせ、もつて福島、西村が日通のため業務上保管中の会社資金より合計約二七、一八八、四二〇円を右長谷川商店および日通不動産株式会社に対する右代金の支払に充当して横領し、

(八) 福島が昭和三八年一二月、渡辺酉蔵から、前記別荘用温泉引湯権を譲受けた代金の支払に日通の会社資金を充当しようと企て同月下旬熱海市熱海七二七番地の一熱海土地興業株式会社において、右渡辺の代理人小松喜平に対し、福島、西村、田村が日通のため業務上保管中の会社資金より現金八〇万円をほしいままに右代金として支払つて横領し、

(九) 福島が昭和四一年春頃、前記別荘用庭石として前記大和造林から購入しためのう石一個の代金約六〇〇万円の支払を前記日通伊豆観光開発の会社資金で充当しようと企て同年五月四日頃、同社において、西村が同社のため業務上保管中の会社資金より前記長谷川博和に対し、ほしいままに右代金の支払として同社が購入した他の庭石の代金支払も含め同社振出、三菱銀行本店宛額面金二、〇〇〇万円および三和銀行東京支店宛額面金五〇〇万円の小切手二通を交付し、その頃右各支払銀行をして、同社の資金中より、右小切手金を支払わせ、もつて、右めのう石の代金に相当する約六〇〇万円を横領した。

第四福島は、日通が昭和三八年二月株式会社毎日新聞社に対し、日通所有の東京都千代田区竹平町一番地四所在宅地約一、一六〇坪を売却した際、右新聞社との間で、同社が建設計画中の同区有楽町一丁目五番地の建物に地下駐車場を設置してこれを日通に賃貸すべく、これに違反した時は日通に対し違約金として一億円を一時に支払う旨の特約が結ばれたが、同新聞社が右建設計画を放棄するの止むなきに至り、駐車場の設置が不可能となつた結果、日通に対し違約金一億円を支払わなければならなくなつたところ、たまたま自分以外の日通役職員が右事情を知らないのを奇貨とし、右違約金を秘かに領得しようと考え、同年一〇月二〇日頃、同年一一月二〇日頃同年一二月一九日頃、同四〇年一月二五日頃、同年二月二〇日頃の五回にわたり、右新聞社より違約金として同社振出額面二、〇〇〇万円の小切手五通合計額面一億円を、いずれも日通の代理人高橋良蔵を介して受取り日通のため事務上保管中、その都度日通において、ほしいままこれを自己の用途に費消するため着服して横領した。

Ⅲ  贈収賄関係

日通は、昭和一五年以来政府所有の米麦その他農産物の運送を一手に引受け、戦後民間会社となつてからもその大規模な運輸一貫体制を背景にこれを継続して来たが、その利益はかならずしも会社の全利益に対し多くの割合を占めるものではなかつたものの、右米麦等は、安定した貨物であり、料金回収も確実であるため、人的・物的設備の計画配置活用を図れること、又政府物資を独占的に長年にわたり事故なく扱うことは、対外的信用を得る所以ともなつていることから被告人福島ら日通幹部は、政府食糧運送を重要視し、その継続方を意図していた。一方、戦後競争原理を導入した通運事業法の施行により、日通発展の基礎となつていた一貨物取扱駅に一免許業者のみを認める一駅一店の原則が廃止された結果、新たに多数の一般通運業者、いわゆる新免業者が生れることとなつたが、これらの業者は、その発生の由来からして日通と競合、対立する宿命にあり、しかも規模が小さく到底日通に対抗し得ないところから、昭和二五年一〇〇余の業者が集り全国通運業連合会を結成し、政府食糧運送をはじめ日通の独占体制を打破する運動を始め、さらに昭和三四年新免業者の総括体として、貨物引換証の整理・保証料金の交互計算事業を営む全国通運株式会社(以下全国通運という)を設立して逐次資本・信用を増強させ、政治的・経済的に、日通独占体制打破の運動を展開していつた。

ところで政府食糧運送は、会計法およびそれを受けた予算・決算および会計令に基づき、毎会計年度の初めに、日通と食糖庁との間で「政府所有食糧および農産物等運送契約」という名称で随意契約として締結されていたが、右契約により日通に支払われる運送賃のうち運送諸掛の料金算定方法は、事務処理の効率上、前米穀年度の運送状況についての運送実態にもとづき品目・運送形態・運送区分別に貨物一個当りの平均単価を算出するといういわゆるプール単価制がとられ、実料金による決済方法がとられていなかつたため、会計検査院、大蔵省等による改善の指摘とか、他業者の疑惑を招くもとともなつていた。

昭和四一年二月一六日、衆議院予算委員会において社会党所属川俣清音議員が、食管会計赤字の原因は、運送賃などの中間経費の無駄にあるとして日通が運送賃の過払いを受けていると指摘し、この発言を契機に大蔵省主計局が食糧庁に対し、食糧運送契約の内容の説明を求めて、プール単価の内容についての改善を要求し、その結果、昭和四一年度の契約は、右単価に含まれる事務処理費の軽減など前年度に較べ、厳しい条件で締結されることとなつた。

同年六月三〇日、経済企画庁長官の諮問機関である物価問題懇談会が、日通の独占が貨物輸送のコスト高を招来しているとして日通の独占体制・経営のあり方を批判するものと解される勧告を出し、さらに七月一六日運輸省自動車局長が日通に対し適正料金の収受等の警告を行ない、新聞にも報道されるに至つた。

そして、全国通運並びに前記連合会の会長である衆議院議員浜野清吾は、食糧運送の契約内容を把握しようと企図し、七月一九日、議員の立場から衆議院議長宛に「昭和四一度年政府食糧運送契約書に関する質問主意書」を提出した結果、同月二六日、内閣からこれに対する回答を得て、契約内容の一部を把握し、また、全国通運は、九月末全国通運社長名で関係諸官庁に、新免業者を政府管掌物資の運送に参加させられたい旨陳情した。

このように、日通の経営方式・営業実態に対する批判が高まり、他方全国通運の政府食糧運送への参加運動が活発化している折しも一〇月一日、全国消費者団体連絡会は全国通運から提供された資料を骨子とした「食管会計における輸送費不当支出についての声明書」を発表し、その中で政府食糧運送契約に関し、年間三〇億円の運送賃の水増し支出があること、右契約は会計法等に違反すると指摘し、消費者米価値上問題とからみ一段と大きな反響を呼び起こした。

翌四二年四月二四日、社会党所属の衆議院議員猪俣浩三は予算委員会第三分科会において右消団連声明を取り上げて日通の独占体制による弊害を指摘し、食糧運送への他業者の参加を求める発言を行ない、さらに、六月八日、衆議院内閣委員会において民社党所属受田新吉議員が、七月一三日同院予算委員会において社会党所属高田富之、中沢茂一の両議員が、それぞれ政府食糧輸送に関連して日通を攻撃する質疑を行なつた。一方日通では、こうした国会内外の動きに対して、各支店長宛契約条項の遵守方や、地元選出の予算、大蔵等各委員会所属の国会議員に対する適切な広報活動を行なうよう指示し、あるいは、冊子を作成して関係方面へ配布し、又報道機関に対する懐柔を行ない、さらには、右猪俣、高田等の議員の発言に際しては社会党議員や全日通労組と会合を持つなど政治的にも国会論議を円満に収拾する措置を講じていたが、政府食糧運送問題に対する批判は衰えるところを知らず、契約条項も年々厳しくなるなど、日通をめぐる情勢は益々悪化の一途をたどつていつた。

その間、六月上旬国鉄が、鉄道と通運の一体化および国鉄の輸送力増強計画の推進とあわせて全国通運を育成して日通に対抗し得る業者とする狙いのもとに全国通運に対しその増資額中四億円を引受ける内諾を与え、さらに、八月九日、国鉄労組出身の社会党所属参議院議員柴谷要による後記資料要求が行なわれるに至つた。

第五福島、小幡、池田、西村、入江は、参議院決算委員会委員として議案請願等を審査する職務を有する右柴谷要議員が昭和四二年八月九日、同委員会において、日通と食糧庁との間の政府所有食糧の輸送契約に関し徹底追及するため次回に質問する旨発言し、食糧庁に対し右契約に基づく運送費に関する資料を要求したことを知るや、同議員は国鉄労組の出身者で貨物輸送の実情に詳しいから、同議員が政府所有食糧輸送問題に関し、不正不当のかどがあるかの如き内容の詳細な質問を行うときは、前記のように日通にとつて重要な意義のある政府食糧輸送の将来や、ひいては日通の対外信用一般にも不利な影響を及ぼすおそれがあると憂慮し、共謀のうえ、同月中旬頃東京都千代田区外神田三丁目一二番九号所在の前記日通本社内において、前認定のように日通労組出身の参議院議員である大倉に対し、右柴谷に金員を供与して同人が同委員会における食糧庁関係付託案件の審査にあたり、日通の前記輸送契約に関する質問を取止め又はできるだけ緩和するよう斡旋尽力してもらいたい旨依頼し、右斡旋の報酬および費用として同被告人に対し現金二〇〇万円を供与し、もつて右柴谷要に職務上不正の行為をなすよう斡旋することに関し贈賄した。

第六大倉は、前記第五記載の日時場所において、福島らより同記載の依頼を受け、同記載の趣旨で供与されるものであることの情を知りながら現金二〇〇万円を収受して収賄した。

第七福島、池田、西村は、かねて福島が衆議院議員で国の予算に関する議案・請願等を審査する職務を有する同院予算委員会委員の池田(正)に対し、東京都文京区大塚二丁目四番六号ひまわり苑その他において、同委員の猪俣浩三ら社会党議員が、同委員会で日通と食糧庁との間の政府所有食糧の輸送契約に関する質疑を行ない又は行なおうとする際は、日通を擁護するとともに日通に有利な活動方を依頼していたところ、右猪俣議員が再び同委員会で右契約に関する質疑を行なうとの情報を得るや、右質疑が前同様食糧輸送その他につき日通に悪影響を及ぼすことをおそれ、共謀のうえ昭和四二年一一月三〇日、同都港区芝明舟町二五番地秋山ビル内池田(正)の事務所において、同人に対し、久保俊広を介して、前同様の請託をしたうえ、その報酬として現金三〇〇万円を供与し、もつて池田(正)の前記職務に関して贈賄した。

第八池田(正)は、前記第七記載の日時場所において福島より右同様の請託を受け、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら前記久保俊広を介して現金三〇〇万円を収受し、もつて自己の職務に関して収賄した。

(証拠の標目)〈省略〉

横領関係

一小幡、池田、入江の業務上占有者としての身分について

福島らが、昭和三五年五月三〇日、日通の代表取締役社長に選任され、小幡が同日、同会社の副社長に就任ののち、昭和三六年一〇月二七日代表取締役に選任され、池田、西村、入江がいずれも同年一〇月一日同会社の副社長に就任ののち、昭和三七年一一月三〇日代表取締役に選任せられたことは、日通の登記簿謄本、永末格朗作成の上申書等により明らかなところである。

ところで、検察官は、小幡、池田、入江は代表取締役副社長として日通を代表し、会社業務全般につき福島を補佐する職務上、会社の経理、出納その他会社業務全般を統轄していたとして、会社資金の業務上占有者であると主張する。

福島は、代表取締役社長であり、会社運営の最高責任者であり、会社を代表し、会社業務全般を執行、統制する者として、会社資金の業務上占有者であることは疑いをいれないが、副社長については、その役職が、会社代表権を有し、社長業務全般を補佐するということから当然に会社資金に対する占有者であるとはいえず、占有者であるか否かは、会社組織において現実になされているそれぞれの職務の実態を検討し、事実上業務上占有者の関係にあるか否かを判断しなければならない。

本件証拠によると、日通は、昭和三七年、権限の大幅下部委譲により責任の明確化と決裁手続の促進をはかり経営の近代化に資するため各部署、各職位の権限を明定した「本社職務権限規程」(押六八)を制定したが、これによれば、副社長は、定款および職制の定めるところにより社長を補佐し、その区処を受け、担当部門の室部長を総括し、決定された方針に基き所管業務を執行するにつき次に掲げる職務権限を有するとし、業務、組織、人事、教育訓練、就業、予算、財産の各管理に関する事項が定められた(この規程は、その後改正がなされたが、その大綱は同じである)。そして小幡が関連企業部門、池田が、営業部門、西村が経理部門、入江が勤労、総務部門(昭和四一年に総務部門は、西村の担当となつた)をそれぞれ担当し、いずれにも代表権が与えられて所管業務を執行するに至つたが、四副社長は、社長を補佐するとはいえ、各担当部門を総括し、それらの責任を全うすることによつて社長を補佐する仕組みになつているものと解される。もつとも、当時、社長福島、副社長小幡、池田、西村、入江ら五名が集り、いわゆる五役会と称し、会社の重要案件を協議決定していたが、これとても、小幡、池田、入江らは、議題を協議する立場に過ぎない。

ところで本件各横領の対象は会社資金であるが、会社資金の管理は経理部においてなされていることは明らかであり、経理部は、西村の担当であるから、前述の仕組の上からいえば、同人が直接の責任者となる。もつとも、前記の職務権限規程では副社長は所管業務の執行にあたり、予算管理、財産管理に関する事項についての権限が定められているが、予算管理については、毎期予算編成への参画、決定予算の完全遂行についての部門の総括統制であり、財産管理については、担当室部、事業部の所管財産に関し会社運営に重大な影響を与える基本的事項の決定に関する権限であつて、会社の資金関係に影響は与えても、直接資金の管理に関係するものではない。その他、小幡、池田、入江らが経理、出納に関与した事実を認めるに足る証拠はない。

従つて、小幡、池田、入江を、会社資金の占有とみることはできず、本件業務上横領について、同被告人らは、占有にいう身分のない者であつて、占有身分者である、各相被告人と共謀した関係になるのである。

二純金延板、社債の配分について

(一) 配分の回数、横領金額の算定関係〈省略〉

(二) 共謀関係〈省略〉

四、判示第四の小切手横領について〈省略〉

(一) 高橋良蔵の証言〈省略〉

(二) 一、五〇〇万円の小切手交付の理由〈省略〉

(三) 社内預金とされるに至つた経緯〈省略〉

(四) 一億円を日通の経理に入金した経緯、日通職員の知情〈省略〉

(五) 被告人の主張の変転〈省略〉

五期待可能性がないとの主張について〈省略〉

斡旋贈収賄関係

一被告人らの自供調書

(一) 総論

被告人らは、いずれも当公判廷において、本件公訴事実を全面的に否認するのであるが、福島ら日通側被告人は捜査段階では、公訴事実に添う供述をしており、その信用性が問題となつている。

各弁護人は、右自供は、いずれも高令、病身の被告人らを殊に福島、池田、西村については長期間身柄を拘束した上、連日長時間にわたつて取調べ、種々の方法で供述を誘導、強制して得られたもので、任意性も信用性もないという趣旨の主張をし、各被告人らもそれぞれ種々な具体的事情を挙げて、自白は検察官の誘導にあわせて自己の想像を交えて創作した架空の物語であるという趣旨の供述をしているのである。

なるほど右三名に対する身柄拘束の期間は決して短いとはいえず、その間取調は殆んど連日行われ、夜間におよぶこともしばしばであつたことは、取調時間に関する東京拘置所の回答書によつて明らかである。しかし、金員授受の事実を直接証明する物証等がなく、右授受の趣旨の認定に関しても種々問題があり、被疑者の供述以外に的確な証拠を得ることの甚だしく困難なこの種の事件においては、被疑者を辛抱強く説得して供述を促し、時には心証の一端を示して誘導的質問を試みる必要があり、このような取調方法が一概に許されないわけではないのみならず、むしろそのようにして供述相互のくいちがいや客観的事実との矛盾等を順次解明して行くのが捜査の常道であると考えられるのであつて、本件においてもそのような取調が当然行われたであろうと推測されるとともに、そのために取調時間が長くなることは、ある程度やむを得ない面があるというべきである。そして、本件で日通側被告人の取調を担当した吉永、石黒、八巻、安保、村田各検事の証言、各被告人らの東京拘置所における動静、病状等に関する東京拘置所長の回答書等によれば、検察官は、被告人らの健康状態に慎重な配慮をし、病状を無視して取調を行うようなことはなかつたことが認められるのである。

次に、被告人らの本件自供に至る経過を見るに、右各検事の証言、被告人らの検察官に対する各供述調書の記載内容を総合すると、福島、西村は、昭和四三年四月八日業務上横領の事実につき身柄を拘束され、その後しばらく右横領関係の取調が行われたが、西村については、右横領関係の取調が一段落した後、同月二二日頃から使途不明の簿外資金の使途に関し日通の政治献金の実態についての取調が開始されたところ、同日夜に至つて大倉に対する本件金員供与の概略を供述したもの、福島については、同横領関係の取調が一応終了した同月二四日頃から贈収賄関係に入り、先ず五月一日頃池田(正)に対する三〇〇万円の供与を認め、次いで間もなく大倉に対する本件二〇〇万円供与の事実を供述したもの、また池田は、四月二三日業務上横領の事実につき逮捕される以前から政治献金の関係についても取調を受けていたが殆んど具体的な供述をしていなかつたところ、四月二二日取調終了後検察官の示唆により小幡、入江と話し合つた結果思い出したとして、翌二三日池田(正)に対する供与の外形的事実を供述し、逮捕後の同月二七日夜に至つて大倉に対する二〇〇万円供与の事実を自白したものであり、その後右三名が六月末に保釈されるまでの取調は、具体的詳細な事情の聴取であつて、大倉関係以外の事実の取調も行われているのであり、いずれも金員授受の事実自体は必ずしも長期にわたる拘束取調の後はじめて自供するに至つたというわけではないのである。小幡、入江は在宅のまま取調を受けたもので、取調の回数、時間も異常に多かつたわけではない。

そして以上の取調の間に供述の強制と目すべきほどの不当な取扱があつたかどうかの点については、この点に関する各被告人の公判廷における供述は、前記取調検事の証言に照し信用し難く、他にこれをうかがわせるほどの証拠はない。

もつとも、取調の間に前記のような意味での説得誘導が行われ、これと被告人側の記憶のあいまいさと相まつて、事実に反する供述もなされていることは否定できないところであつて、その顕著なものが、後記のように謀議および実行の日時を昭和四二年八月一四日と特定した福島、西村、池田の各六月一七日付検察官調書であるといえよう。

しかし、わが国有数の大企業である日通の社長、副社長の地位にあつた被告人らの供述が、全く根も葉もない作りごとであるなどということは、検察官の追及がいかに峻烈であつたとしても、また右のような地位にある者がかえつて身柄拘束の苦痛もしくは将来拘束されるかもしれないという恐怖に弱いこと等を考慮に入れても、容易に信じ難いことである。

(二) 自供内容の検討

福島らの捜査段階における自供は、細部においてまで一致しているわけではないが、その内容を総合すれば、後記のように、池田が大倉を招致して金二〇〇万円を手交した場面に、福島、小幡、西村が立会つていない点を除きおおむね次のとおりである。

昭和四二年八月中旬頃日通の社長室で開催された五役会において社会党の柴谷議員が参議院決算委員会で政府食糧運送問題について相当詳しい資料要求を行なつたこと、同議員は国鉄労組出身で、全国通運や国鉄のバックアップがありそうであり、今後相当細かい質問を続けるだろうということが話題になつたが、福島らは成行を懸念して何らかの手を打つ必要を感じ、日通出身の大倉に頼むのが最善の方法であると考えた。その時、あるいは、その頃の五役会に大倉で現われたので、その席に加え福島、池田らが大倉に対し、右柴谷が委員会で食糧運送について質問するのを取りやめさせるか緩和させるよう働きかけてもらいたい旨依頼したところ、大倉は、柴谷は党の方針としてやつているのではない、同人は新免業者から金を握らされてやつているのだろう、日通に協力させるよう骨を折る旨答え、福島らの申出を了承した。大倉が退席した後、福島から大倉に頼むだけでは効果がない、口止料ぐらい渡さねばならないだろうと提案し五役全員がこれを了承し、福島は、その金額の決定を池田と入江に任せた。右五役会のあと池田と入江は協議した結果二〇〇万円が適当であるとの結論に達し、この旨、福島の了解をとつた後西村に右金員の調達方を依頼した。その後、池田は、西村から現金二〇〇万円を受取り、議員会館に電話して、大倉を呼び出し、渡したいものがあるから直ぐきてほしい旨申し入れた。間もなく大倉が池田の部屋に来たので、池田は入江立会のうえ大倉に対し、柴谷に質問しないよう頼んでくれ、これに二〇〇万円入つているので柴谷に適当にやつて押えてくれと言つて、二〇〇万円を差し出し、入江も会社としてあなた一人が頼りだからよろしく頼むと口添えした。大倉は右の申出を了承し、これをやれば柴谷も手を引いてくれますよなどといつて、右の金を受取り、忙がしいからとすぐ立去つた。

福島らは、当公判廷において、柴谷議員の資料要求の件をほとんど意に介しておらず、従ってその対策も協議しなかつた旨主張し、池田にあつては、柴谷の名は勾留されてはじめて知つたとか五役会で柴谷の資料要求について報告したことはないとまで主張する。

しかしながら、池田の右主張が信用できないことは、本件相被告人でさえ同人が資料要求について報告したことを認めていること、柴谷の発言後直ちに池田に報告した旨の前記前谷の証言に照らして明らかである。

ところで、柴谷議員は国鉄労組出身で輸送問題に関してはいわば専門家であり、単に新免業者支持の立場から従来同様日通の独占体制を攻撃するにとどまらず、資料要求の内容をみてもわかるとおり、例をみないほど詳細であつて専門的立場から相当突込んだ質疑をすることが予測されるのであり、他方、当時の政府食糧輸送をめぐる情勢は、判示認定のとおり四月以来の猪俣議員はじめ受田、高田、中沢の各議員らによる国会での日通攻撃、報道機関による熾烈な批判、国鉄の全国通運に対する四億円出資等の状勢の下に新免業者の日通に対する政府食糧運送独占打破の運動が高まりつつあり、日通を取巻く環境は一段と厳しさを増していたのである。従つてこのような情勢のもとで国会においてさらに具体的かつ詳細な攻撃的質問が展開されると日通の信用が失墜するばかりか新免業者の運動に拍車をかけ、日通の独占体制をゆさぶり、利潤の減少をもたらすかも知れず、政府食糧の輸送は全国的規模を持つ日通においてのみ完遂されるとの自負心と誇りを傷つけられるおそれが予想される等日通の立場がますます困難になることは目に見えており、日通の幹部として、その成行を憂慮し、対策を協議することは、当時その経営能力を否定されたという証拠のない日通社長或は副社長たる福島ら被告人五名にとつて当然のことといわなければならない。この点を否定する被告人らの弁解は、自らの無能をことあげするもので合理性がなく信用できない。

さらに、同被告人らが、大倉を起用しようと考えたか否かの判定資料として、従来大倉が日通の政府食糧運送擁護のために活動した実績を看過できない。

すなわち、池田の当公判廷における供述、証人前谷重夫、同吉田重宗、同浅川淳夫の各証言、右前谷の各検察官調書を総合すると、大倉は、猪俣発言につき池田、前谷から了解工作を依頼されてこれを引受け、さらに、全日通労組幹部を社会党国対委員長、政審会長等に引き合せて政府食糧運送の実態を説明させ、今後国会でこの問題を取り上げる場合には事前に全日通労組に連絡するとの了解をとりつけさせたり、五日頃社会党の参議院決算委員竹田現照、同農林水産委員中沢茂一の両議員が委員会で政府食糧運送の問題をとり上げるため説明を受けることを希望しているのを知るや、日通の食糧課長吉田重宗に連絡して資料を提供させ、又食糧庁係官から説明させるなどした結果、両議員は、委員会での質問が行なわれなかつたこと、七月一五日の社会党の高田、中沢両議員による衆議院予算委員会における発言に関し同党の同院予算委員会理事加藤清二議員を全日通労組幹部や前記吉田課長に引き合わせたりした等の事実に示されるように、大倉は、議員の国会での発言に関しては、かならずといつていい位日通に協力しており、右被告人らは、日通出身の議員の中で大倉を最も頼りにしていたことがうかがわれるのであるから、柴谷議員の資料要求についても同人に工作を依頼しようと考えるのも自然のことと思われる。

なお、福島は、公判の冒頭における本件公訴事実に対する認否では「その頃(八月中旬)大倉を除く相被告人らの間で大倉は日通の出身であり右契約の実体をよく承知しているから同人に柴谷要が右契約の実体を誤解せずに正しく認識するよう説明してもらおうと話合つたことはあります」と資料要求に対する対策を協議した事実を認めているのである。

又、入江は、右同様認否の段階で、「昭和四二年八月中旬頃社長室における五役会の席で大倉議員に対し、柴谷議員その他この問題に関心をもつ社会党議員に政府食糧運送の実態を正しく理解してもうらよう啓蒙を依頼し右実態を正しく理解した上で質問されるよう斡旋を依頼したことは事実ですが」と、贈賄に関する請託を認めていないものの、八月中旬頃、五役会の席に大倉が来たこと及び、その際柴谷議員に対する働きかけを依頼していることを認めているのである。入江は、被告人質問の段階で右供述を覆し、大倉が五役会に来たのは、六月上旬か中旬頃と供述するに至つたが、この点に関する供述内容を検討すると非常にあいまいで当時の客観的事実と矛盾するところが多いうえ、前記公判冒頭における供述をした理由につき、捜査段階と同様の心理状態が続いていたので推理や想像で述べたなどと極めて合理性の乏しい根拠しか説明できないのであり、入江の右供述は信用できない。

一方、大倉も同人の検察官調書によれば、「柴谷議員の発言の少しあと、日通本社の社長室にいくと五役全員が揃っており、五役の誰かから柴谷議員の資料要求のことでよろしくと頼まれ、いいですよと返事をした」旨供述している。さらに同人は、その際「柴谷はしようがない男ですよ、やめたら全国通運にでも行くのじやないですか、どつからか金をもらつているといううわさも今までちよいちよいあるようですよ」と述べているのであり、これは、小幡、池田、入江の各検察官調書に共通してみられるところの、「大倉が柴谷は新免から金を握らされてやつているんじやないかといつた」との供述に符合している。

大倉の退席後に続く謀議および二〇〇万円の授受についてみると、まず、これを認める被告人らの捜査段階における供述は、互いに矛盾することなく詳しく述べられており、特に池田と入江の間で金額が決定された経過や二〇〇万円が大倉に供与される際の状況には、実際経験した者でないとわからないと思われる描写がみられるのであつて、供述内容自体から相当の信憑性が認められるのであるが、後述するように、八月中旬頃、田村倫之輔を通じて現金二〇〇万円が日通の簿外資金から調達され、西村に交付されたという動かし難い事実があり、又入江は公判の冒頭で、「八月中旬頃、池田副社長の部屋において池田氏、大倉議員と三人で話をした記憶がある」と供述し、右金員授受の可能性を示唆しているなど、被告人らの捜査段階における供述が真実であることをうかがわせる事情が存するのである。

(三) 自供の際の情況

更に、本件につき被告人中最も先に自供した西村の当時の状況につき、取調検察官石黒久の当公判廷における証言内容、すなわち、西村は自供前、国会便覧の提供を求め、議員の氏名を鉛筆でたどりながら、柴谷要の所で止めて本件を自供するに至つたという事実、並びに次に自供した池田の状況につき、右同様安保憲治および右取調に立会つた検察事務官中屋毅の各証言を総合すると、池田は、日通側の他の被告人が自白したかどうか気にしていたが、自発的に供述するようにと右検察官から説得され、遂に、中腰に立上り、すみませんでした、実は隠していました、大倉に二〇〇万円やりましたと述べながら指二本を机の下から出した、同検察官は右自供を主任検察官に報告するために中座したが、その間右事務官と二人だけになつた池田は、独語ともつかず、事実だから仕方がない、他人に迷惑が掛るかも知れないがと述懐した事実が認められる。これらの事実は、右被告人両名が、ちゆうちよしながらも、真実を吐露したことを如実に物語つているものというべく、右が検察官のねつ造であるとか、中屋事務官の聞きちがいであるとは到底認められない。右事実だけを以てしても被告人らの自供の信用性を担保するに足りるとさえいえよう。

このようにみて来ると、被告人らの検察官に対する前記自供内容には充分信憑性があるといわなければならない。

(四) 付言

もつとも、本件行為の日時について被告人らの供述は、かならずしも一貫性があるわけでなく、又被告人相互においても異なつている。捜査当初の八月下旬あるいは九月上旬という漠然としたものから、捜査の進展にともなつて次第に具体化され、勾留中の福島、西村、池田において八月一四日という日に特定したのもあり、資料要求に対する対策協議、謀議、実行行為が一日のうちになされたというものもあれば、数日を隔ててなされたというものもある。この点については、本件二〇〇万円の調達の日や被告人らの行動とも関連するので後で触れるが、前述した、一連の基本的筋道については、被告人らの自供は一致している。

二本件二〇〇万円の調達の経緯

(一) 二〇〇万円の調達

(1) これまで検討してきたところによると、福島ら日通側被告人の捜査段階における供述には基本的な点において充分信を措くことができるものと考えるが、本件二〇〇万円の調達の経緯を明らかにする。

西村の検察官調書によれば、本件二〇〇万円は、田村に命じて準備させたことになつているが、西村は当公判廷においてこれを否定しているわけである。

しかし、証人田村倫之輔、同沢村昭一、同松井雅美、同尾形辰五郎の各証言、右田村、尾形の各検察官調書を総合すれば次の事実が認められる。

田村は、昭和四二年八月中旬頃の正午より少し前頃、西村から日通の簿外資金より二〇〇万円を持参するよう指示され、直ちに、当時簿外資金の調達及び保管の補助をさせていた課員の沢村昭一に対し、二〇〇万円を用意するよう命じた。

沢村は手許に二〇〇万円がなかつたため、昭和建装株式会社に保管させていた簿外資金中より届けさせようと考え、港区新橋二丁目所在の株式会社松井商店に電話して同店の社長であり、右昭和建装の専務取締役であつた松井雅美に至急二〇〇万円を調達するよう依頼した。松井は午後一時前後頃自動車で千代田区神田駿河台二丁目所在の右昭和建装に赴き、同社社長尾形辰五郎から、同人が金庫内に保管していた日通の簿外資金二〇〇万円を受け取つて大型封筒に入れ、直ちに近くの日通本社管財課へ持参し、沢村に手渡した。沢村は間もなく、これを田村に手渡し、田村は直ちにこれを西村のところへ持参した。

もつとも、田村は当公判廷で、同人の検察官調書と異り、金の調達の日を七月か八月頃と証言するけれども、検察官に対する供述であるところの、調達したのは、福島が夏の休暇を終つて帰つて来た後で八月中旬と思うというのを、何故に変更するのか、その理由の説明に合理性がなく、右証言は、本件贈収賄を否認する被告人らの面前において、決定的な不利益となる証言を避けたものと考えられるのであつて、右日時に関する証言部分は信用できない。むしろ、同人の検察官に対する、同人が福島の休暇中の滞在先である箱根、山のホテルに遊びに行つたことを明確に記憶していて、これよりも後であるとする合理的な記憶喚起による供述をこそ信用すべきであろう。

弁護人は、右事実は架空の事実であると主張するが、田村、沢村ら、右に関与した者が虚偽の供述をしたことをうかがわせる資料は全くなく、又田村が、右二〇〇万円を他に費消したことの点についても同様である。

(2) 以上のとおり二〇〇万円を八月中旬に用意したという田村らの右供述も具体的な日時については、その記憶による限り、八月中旬であること以上を出ない。そこで、同人らの記憶の根拠を確かめるべくさらに検討を進める。

まず、松井雅美は、八月二〇日頃、沢村から日通の大宮前町等の社宅の架空工事により二五〇万ないし三〇〇万円の簿外資金を作るよう指示され、韮山の昭和建装現地事務所にいた尾形に電話で了解を得た後、必要書類の作成の下請先のサン工事株式会社の小椋徳一郎に依頼したところ、二、三日後にできたので、それに基づき昭和建装名義の請求書を作成して八月二二日頃沢村に提出したのを覚えており、本件二〇〇万円を届けたのは沢村から右の指示があつた二、三日前である、と証言し、一方尾形は、八月二〇日頃右韮山の事務所にいた時、松井から電話で大宮前等の日通社宅の架空工事による資金調達を依頼されたとの話があり、二〇〇万円を届けたのはその少し前の日だつたと松井の証言に添う供述をし、両名の出張した先の宿泊日をあたると二〇日前後に、松井が在京し、尾形が韮山にいた日が存在する。そして沢村は松井に架空工事を依頼したことを認め、右依頼によつて作成提出された日通に対する八月二二日付の大宮前町等社宅の工事代金請求書も現に存在する(押七〇四)。又、小椋徳一郎は、八月中旬頃、日通業務研究所の突貫工事をしていた折に松井から電話で荻窪等の社宅の架空工事見積書を提出するようにとの話があつた、と証言している。このように松井、尾形の八月中旬に二〇〇万円を届けたとの記憶は相当の根拠を有するものと考えられる。

次に、沢村は、二〇〇万円調達が八月中旬であると記憶する根拠を、暑い頃で、横浜市の神奈川大学の体育館を見学した前後であり、見学の帰りにサウナ風呂へ初めて行つた記憶がある、と証言し、証人望陀敏一郎、同宮崎貞一郎の各証言、日通不動産株式会社の業務日誌によれば、右見学の日は八月一七日であつたと認められる。

田村倫之輔の検察官調書によれば、前記のとおり福島が帰つて来たあとで八月中旬ではないかと思うというのであり、後段認定のとおり、福島は八月一四日に休暇明けの出社をしている。

以上検討してきたところによれば、関係者はいずれも、固有の記憶の根拠を有しており、二〇〇万円が調達されたという八月中旬という時期には充分信用がおけるものと考えられる。

(二) 現金二〇〇万円の調達日

前述のように二〇〇万円は、田村、沢村ら四人の関与により、八月中旬の或日の昼頃調達されたのであるが、弁護人らは、右の者らのその頃の行動を辿ることによつて、右事実を否定するので、以下検討を加える。

なお、後段認定のように、福島は、七月下旬から八月一三日まで夏季休暇をとり、同月一四日以降出社しているので、五役の行動との関係から、同日以降を対象にすればよい。

(1) 尾形辰五郎、松井雅美

本件二〇〇万円は、両名共に東京にいた日でなければ、沢村の手許に届き得ないことは前認定のとおりであるから、当時の両名の行動を先ず考察する。尾形は証人斉藤良三、同牧野民子の各証言、ホテルハルピンの請求書、領収証、アタミ観光ホテルの明細書綴、領収書によれば、八月一五日夜伊豆長岡市のホテルハルピンに、同月一八日夜熱海市のアタミ観光ホテルに泊つたことが認められ、松井は、証人水谷磯雄の証言、旅館水口園の明細書、領収証、松井商店の出勤簿によると、八月一九日、二〇日の両日熱海市の水口園に泊つていることが認められる。そして、右両名並びに前記宿泊先従業員の各証言を総合すれば、当時、両名は右宿泊先以外に外泊していないことは明らかである。

ところで、尾形並びに松井の証言に徴し、尾形は、必ず前記宿泊の当日に東京を発ち、翌日帰京していたことが明らかであるが、具体的時間については、かならずしも明確とはいえない。帰京時間について、尾形は、真直ぐ帰ることもあれば韮山の事務所へ寄ることもあるが、帰京するのは早くてせいぜい午後二時頃と証言し、又検察官調書では、泊つた翌日も現場へ行き夕方東京へ戻つていたと述べており、真直ぐ帰つた場合でも午後二時頃という点はいささか疑問があるが、韮山へ寄る場合の右時間は首肯できるところである。そして、尾形が、右宿泊の翌日である八月一六、一九日は何れも韮山へ寄つていることが、韮山の事務所への通路である有料の熱海新道の両日付通行券が、昭和建装の事務所に保存されていた(押七七一)ことにより認められるから、両日共、前記二〇〇万円が準備された時間帯に在京していることがほぼ不可能であり、従つて八月一六、一九日は他の者の行動を検討するまでもなく、除外される。

次に、同人が東京を出発した時間であるが、同人は、当公判廷において、一般的に二時か三時頃になると証言したけれども、検察官調書では午前に出発して昼頃には現地につくようにしていたと述べている。直接ホテルへ行く場合は、午後二時あるいは、三時以降でも問題はないが、韮山の事務所へ行く場合は、その所要時間等を考えると、右の時間に出発しては、あまり用をなさないものと考えられ、従つてこの場合はやはり、午前中に東京を発つたとの検察官に対する供述に信用がおけよう。

尾形は検察官調書で八月一五日、一八日の両日とも午前九時三五分こだまで東京を発ち韮山の現場へ行つたと供述しているが、一八日については、熱海新道を利用した通行券が残つているので現場へ行つたことは明らかとしても、一五日については、その形跡がないので、さらに検討を要する。

尾形は、検察官調書で一五日の行動について人夫の賃金を届けた旨述べているが、検察官は通行券のないことをもつてホテルへ直行したと主張するのである。しかし、昭和建装領収書綴には「八月一日〜八月一五日賃金明細表」があつて、八月一五日付で二一九、二〇〇円の人夫賃が支払われ、他方、第一銀行新橋支店の昭和建装名義の当座預金口座から、前日の八月一四日、右賃金にあてたとみられる現金二五万円が引き出されている事実からすると、尾形の前記供述は理由のあるものと考えられ、当日は現場へ寄つたものと考えられる。

そうとすると、八月一五日、一八日の両日も、本件二〇〇万円を準備するのに支障がある日であり、結局、尾形、松井に関しては、両人が共に在京していた八月一四日と一七日の両日が、その可能性のある日ということに推定せざるを得ない。

(2) 田村倫之輔

田村は、当公判廷および検察官調書で八月中旬は、一五日モーテールフジミあるいは水口園に泊り、一六日帰京した以外東京にいた、富士見ホテルの宿泊者名簿に八月一五、一六日の両日、宿泊したような記載があるが、これは知人を同ホテルに紹介したため自分の名前が記されているのであつて、自分は泊つていないと述べている。八月一五日のモーテルフジミの宿泊者名簿や水口園の明細書綴には、田村が宿泊したとの記載はなく、どこで宿泊したか判然としないが、前記(1)で検討したように、八月一五日の可能性を除外したから同月一七日の可能性について吟味すれば、重要なのは、一六日に右ホテルに泊つたか否かである。弁護人は、富士見ホテルの宿泊者名簿は真実であると主張するが、田村は捜査段階から当公判廷に至るまで一貫してこれを否定しており、八月中に富士見ホテルに泊つたのは二三日島村の家族と泊つただけであると、理由ある記憶の根拠を述べているし、一五、一六日に田村が同所にいたことを認め得る証拠もないから、同人の供述は信用できるものと考えられる。そうとすると、田村は一七日は終日在京していることになり、(1)で検討した、一四日、一七日は田村についても可能な日である。

(3) 沢村昭一

沢村は、二〇〇万円を用意した日を、同人が神奈川大学の体育館を見学した日の前後であると述べ、その日が、八月一七日であることは前述したとおりであるが、同人の証言は、二〇〇万円を用意した日が、右一七日の前後というのみで、同日であるのか、或はその前か後の日であるかさだかでなく、同日である可能性も否定することができない。

従つて、二〇〇万円の調達の時間帯との関係で、一七日における同人の行動を検討して見ると、同人は、横浜市の神奈川大学へ行つた時間について午後から行つたと証言しているだけで具体的な時間について述べず、他方、同行した日通不動産の社員望陀は、昼少し早め、一一時か一一時半ごろ車で出発したように証言しており、判然としない。しかし、右望陀の証言は、格別急ぐ理由も認められないのに一一時か一一時半には既に昼食を済ませて、出発したというのであり、直ちに右証言を信用し難く、その他往復の所要時間、見学に長時間を要するとは思われないこと、および同人らは帰京して会社に行かず、サウナ風呂に行つたが、それは帰社するに及ばない時刻であつたからと思われ、時刻が夕方であつたとの望陀の証言は信用するに足ること等を考慮すると、昼前に出たと推認するのは困難で、むしろ、沢村のいう午後からというのが正しいものと考えられ、二〇〇万円が、沢村から田村に渡された時間、すなわち、午後一時前後あるいは遅くとも一時半を過ぎてからでも見学は充分可能である。

従つて、八月一七日は、沢村についても可能な日である。

なお八月一四日については、格別支障ある行動は認められない。

三福島ら日通五役の行動

二で検討したところによれば二〇〇万円の調達は、八月一四日か一七日になされ得ることが明らかになつたが、福島ら五役の八月中旬における行動を検討することによつて、さらに事実関係を明らかにする。

なお、「山のホテル」支配人山田太郎の証言、同ホテルの宿泊台帳によると福島は、昭和四二年七月二〇日から同月三一日まで、および八月八日から同月一二日(土曜日)まで箱根の「山のホテル」に滞在し、右被告人ら五役の供述によれば、福島は同月一三日を以て夏休みを終り、翌一四日朝から出社したことが認められるので五役の行動を検討するにあたつては、八月一四日以降を対象にすればよい。

(一) 八月一四日

(1) 西村は、富士見ホテルの宿泊名簿、同被告人の供述、証人井出博、同山内正一、同中川次夫等の各証言、中央業務研究所の教務日誌、講習実施報告書綴によれば、八月一〇日、一一日富士見ホテルに宿泊、一二日、一三日、伊東の別荘に泊まり、翌一四日は、新幹線を利用して帰京し、そのまま都内杉並区西高井戸所在の日通中央業務研究所へ直行し、午前一〇時から一一時頃まで講義したことが認められる。その後帰社したのであるが、その時刻につき争いがあり、西村は、帰途神田でそばを食べたため日通へは、午後一時過ぎ帰つたと供述するのに対し、検察官は、一一時三〇分過頃と主張するが、西村がそばを食べたか、否かは別として、講義終了後の休憩時間、車での所要時間を考慮すれば、早くても一二時少し前頃にしか帰社し得ないものと考えられる。

小幡は、同被告人の供述、証人山内正一の証言、前記研究所の教務日誌等によれば、八月一四日は、自宅から右研究所へ直行し、午前九時頃所長として研修生に訓示をした後、記念撮影を行ない、午前一〇時頃同所を出て日通本社へ帰つたことが認められる。

池田は、同被告人の供述、証人池田幸彦の証言、ファイファーの回答書によれば、出社したあと、午前一〇時から米国マトソン社副社長と面談したことが認められるが、会談終了時間につき、右各証拠によれば、午前一一時四〇分となるが、他方、その際通訳をした証人油橋重男は、通訳としての経験および会談の内容から午前一一時頃には終つたと証言し、結局、いずれであるか断定できない。同被告人は、さらに、証人野口英一、同三浦誠一の各証言、月曜会記録(押七三七)によれば、その後正午頃より、午後一時頃まで開かれた日通の営業関係各部長を構成員とする定例月曜会に出席している。

福島、入江は、同日は、平常どおり出社したものと考えられ、格別な行動は認められない。

(2) 証人渕脇政治、同吉田一二、同伊東康之の各証言、日通名古屋支店の業務日誌、日通ひまわり交通の運転報告書の各記載によると、日通名古屋支店長渕脇政治は、前任者の吉田一二が関係した同支店の予算問題で福島と打合せるため、八月一四日午後零時八分名古屋発ひかり号で上京して、午後二時三〇分頃本社に着き、福島に面会を申込んだところ、ふさがつているとのことで約一時間応接室で待たされた後、午後三時三〇分頃から社長室で福島と面談し午後四時ないし四時三〇分頃退出した。その後間もなく前記吉田が呼ばれて、万博事務所長への転出を命ぜられた、との事実を認めることができる。

(3) 以上によれば八月一四日において、五役全員が集る可能性のある時間帯は午後一時以降と認められる。

(二) 八月一五日

部長会議と題する書面(押五二九の四)、大和田秀子の日記帳(同七五〇)、各被告人の供述によれば、一五日午前九時頃から本社で五役全員出席のうえ部長会が開催され、遅くとも昼頃までには終了したものと認められる。

(三) 八月一六日

小幡は、同被告人の供述によれば、一六日正午頃から午後一時頃まで三越本店で開かれたロータリークラブの会合に出席し、午後二時頃帰社したことが認められる。

池田は、同被告人の供述によれば、午後零時半頃から午後一時半頃までホテルニューオータニで開かれた城西ロータリークラブ例会に出席したことが認められる。

福島は、大和田秀子の日記帳によれば、午後二時三〇分頃からしばらくの間、国際観光公社大韓旅行社々長一行と面談したことが認められる。

西村、入江には格別の行動は認められない。

(四) 八月一七日

全員格別の行動は認められない。

(五) 八月一八日

福島は、大和田秀子の日記帳によれば、午前中日本事務能率協会竹内専務ほか四名と面談、午後五時三五分東京駅発こだま号で熱海別荘へ行つたことが認められる。

なお、西村は、同日午前九時半か一〇時頃新幹線で、日通伊豆観光開発へ出張したと主張するが、田村の供述、富士見ホテルの宿泊者名簿、同被告人の検察官調書の記載に照らして信用できない。

(六) 八月一九日

池田は、同被告人の供述、時刻表によれば午後零時五分発新幹線で伊東別荘へ向つたことが認められ、従つて午前一一時三〇分頃には日通本社を出たものと考えられる。

四大倉の行動

前述したように、福島ら贈賄者側の自供内容によれば、大倉が本件に関して、日通に来社したのは、福島が休暇を終えて出社した八月中旬、五役全員が揃つて柴谷議員の決算委員会での資料要求の件について話合つていた時と、その後池田が大倉を呼んで同人に現金二〇〇万円を渡した時の二回である。そこで八月中旬の大倉の行動を検討すると、既に明らかになつたように、福島ら五役全員が、集る可能性のあつた最初の日は、八月一四日であり、そして、金員交付者である池田は、右のとおり一九日午前一一時三〇分前頃から差支えがあるから、一四日から一九日午前一一時三〇分前までの間を対象にすればよいことになる。

(一) 八月一六日の本会議開催までの行動

〈証拠〉によれば、大倉が、八月一二日名古屋市内で行なわれた、日通名古屋支店と全日通労組笹島分会の共催による盆踊り大会に出席したことは明らかであるが、いつ帰京したかについては、一四日かあるいはそれ以前であるか争いのあるところである。しかし、一四日において五役が集る可能性のある時間は前記のとおりせいぜい正午近くからであるし、一四日に帰京したと主張する大倉自身、昼頃には到着したというのであるから、あえて確定する必要はない。

大倉は、帰京後の行動について、一四日は、社会労働委員会で審議されていた健康保険法特例法案の中間報告を求めるため一四日中にも本会議が強行されるかもしれないという情勢であり、役員会なり、国会なり議員総会が次から次へと開かれていて議員全部がいつでも対応できる態勢をとつていた。禁足令もでていたので終日国会にいた、一五日に入り議長の斡旋により右委員会の審議は一六日午後頃まで続行され、それまで中間報告を求める動議は出さないということになつたので、帰宅した。一五日と一六日夕、本会議が始まるまでも所在を明らかにしなければならない状態で、国会内かその付近で待機していた、日通へは格別の用もないので行つていない旨供述するのである。参議院会議録(甲の一、880)朝日新聞、一四日付夕刊、一五日、一六日付朝・夕刊の各写(五四回公判提出)によれば、右法案をめぐつて与野党が対立していた参議院では、一四日に至り、自民党が一八日の会期末までに同法案を成立させたいという考えで遅れていた委員会審議を促進するとともに、本会議で中間報告を求めるという動きを示していたため、情勢が相当緊迫し、自社両党は同日朝から秘密議員総会を開いていること、同日夜八時過参議院議長が、自、社、公明三党の幹部を招き事態収拾を要請したが物別れに終り、その結果自民党は一〇時過、中間報告を求める動議を事務局に提出するとともに、議長に要請して一一時一七分本会議を開き、一五日午前一時から再開する手続をとつたがようやく三党の話合いがつき、一六日の委員会の審議の後に本会議を再開することになつたこと、本会議は一六日午後五時八分再開されたことが認められる。禁足令が出ていたか否かは、大倉の供述を除きこれを認める証拠はないが、右の情況下においては肯定されて然るべきであろう。しかし、禁足令が出たとしても所在を明らかにしておけば、近くへの外出が可能であることは被告人も認めているところであり、情勢が極度に緊迫し始めたのは、一四日夜からであることを考慮すると、同日夕方頃までは日通へ赴く程度のことは充分可能であつたと認められる。一五日の終日、および一六日の本会議開催までの間は、情勢はやや落着いていたのであるから、行動の自由は、一四日と比べて大きいものと考えられる。このことは同人が一五日午後五時二五分頃、官用車で自由ケ丘の撞球場へ行つたことからもうかがうことができる。

なお、大倉は、松岡敏男、幡鎌芳三の各検察官調書によれば官用車を利用し一五日午後零時三五分頃から午後二時五〇分頃までと、一六日午後零時三〇分頃から午後一時五〇分頃までの間自宅へ往復したことが認められる。この点につき検察官は、大倉が利用したものではないと主張するが、そのように断定できる証拠はない。

(二) 一六日夕以降の健保法案審議中の行動

参議院本会議は、前記会議録によれば一六日午後五時八分から開かれて健保法案の審議が始まり、一八日右法案が可決された後、午後三時一九分散会となるまで、何回かの休憩、延会をはさみながら続けられたことが認められるが、このうち、福島らの日通における在社時間に対応する時間帯の審議経過をとりあげると、一六日は午後五時以降開議であるから省き、一七日の審議は、①午前七時八分から同八時二〇分、②午前九時三八分から午後零時二一分、③午後一時三八分から同四時三四分まで(このあと、八時一九分まで休憩)、一八日は④午前八時一二分から午後一時三六分、⑤午後三時一五分から一九分までで直ちに散会となつている。

ところで、右会議録によれば、大倉は右三日間の審議にすべて出席したことになつているが、会議に僅かでも出席すれば、その日は出席扱いになるのであるから、右の記載から直ちに、大倉が、終始審議に参加しているといえないことはいうまでもない。むしろ右会議録によれば、大倉は、一六日の公務員給与改定等について緊急質問、一七日の中間報告に対する質疑終局の各動議の採決に参加していないことが認められるのであり、又後述するように、審議の時間内に、日通病院へ行つていることが認められるのである。そこで、大倉の行動を検討するため、右審議の経過をさらに詳しく右会議録により認定すると次のとおりである。

前記①の審議においては、右委員会委員長による健保法案の中間報告を求めることの動議に対する投票がなされて可決されたが、大倉はこれに参加しており、右表決後直ちに休憩に入つた。従つて、大倉は午前八時二〇分までは外出の可能性がない。

②の審議においては、開議後直ちに①で可決された動議にもとづき山本伊三郎社会労働委員長の中間報告が約一時間にわたつて行なわれた後、これに対する質疑等を一人一〇分に制限する動議が提出されて採決に入つたところ社会党、共産党などが牛歩戦術をとつたため、議長により、投票開始後約四〇分位で投票が打切られ、社会党議員ら約二〇名が投票できなくなつて、議長との間で一五分位やりとりがあつた。次いで、瀬谷議員が、制限時間の一〇分を超え、議長により三回注意を受けながら質疑を続け、これに対して山本委員長から答弁がなされ、午後零時二一分休憩となつている。

ところで、会議録上、大倉が右の採決に加わつたとの記載はなく、更に松岡敏男の検察官調書および同人の運転日誌によれば、同人は、官用車を午前一一時四〇分から午後二時一五分まで利用し、その間豊島区大塚所在の日通病院へ行つていることが認められることからして、大倉は、右の審議には当初から欠席していたのではないかとの疑念が生じるわけである。この点につき大倉は、会議に参加していたところ、当時痛めていた眼に新聞社のライトを直射され、同僚議員に病院に行くよう勧められて記名投票開始前の午前一一時四〇分頃官用車を呼び、日通病院へ行つた旨供述するが、先の会議の時間的経過に照らせば、投票が始まるのは午前一〇時四〇分頃と推認され投票の直前には議場が閉鎖されるため、議場を出たのであれば一〇時四〇分頃よりも前でなければならず、そうとすると、配車が一一時四〇分であるから議場を出てから一時間以上も経過し、かつ、投票の終る頃日通病院へ向かつたということになり極めて不自然である。このようにみると大倉の前記供述は信用し難く、右の会議には出席しなかつたとの検察官の主張は理由があるかのように思えるが、しかし、この点については次のように考えられるのである。すなわち、

前記松岡の運転日誌によつて官用車の走行経路をみると、車は議員会館でなく、本館つまり参議院に着けられており、このことから、大倉は議院に居たものと推認され、当時の情勢の下であれば、議院にいることは、会議に出席しているものと考えるのが普通である。会議録には大倉が前記の動議に投票したとの記載はないが、先に認定したように、議長により投票が制限され、そのため約二〇名の社会党議員が投票できなくなつたのであり、これらの者は議事録に記載されないのであるから、会議録に記載がないからといつて直ちに、投票時、居なかつたものと断定するわけにはいかない。

大倉が車を利用したのは一一時四〇分であるから、会議の経過に照らせば、投票が終り、議場が開鎖されるや、退場したものと認められる。

大倉の当公判廷における供述、とりわけ、本会議に関する供述はその内容を検討すると、記憶に基いたというより、客観的出来事を前提に推測したものと見受けられるものが多く、問題となつている点についても議事録の記載や配車時間から推測し不用意な供述をしたものと考えられるのである。

右のように、大倉が②の審議に出席していたものと認められるとしても、開議の当初から出席していたものと断定できないことはいうまでもない。投票のため議場閉鎖がなされたのは、午前一〇時四〇分頃と認められるから、その少し前頃までは外出の可能性があるわけである。

従つて、大倉が自由に行動し得る可能性がある時間帯は①の審議の後、つまり午前八時二〇分から午前一〇時四〇分前頃までと認められる。

次に③の会議は午後一時三八分開かれているが、その経過は、前記会議録、朝日新聞一八日付朝刊写によれば次のとおりである。

開議後山崎議員が先の中間報告に対して質疑を行ない、山本委員長が答弁を行なつたが、次いで「質疑終局の動議」が提出され、これに対して社会党などが牛歩戦術を用いて対応したが可決された。その後、「委員会の審査に期限を付することの動議」と「議院の会議において審議することの動議」が一括上程され、吉田、村田の各議員が討論を行なつたあと「討論終結の動議」の採決に入つたが、これに対しては牛歩戦術がとられずに、投票がなされ、午後四時三四分休憩に入つた。大倉は、「質疑終局の動議」の投票には参加せず、「討論終局の動議」の投票に参加している。

ところで、大倉は、前記のように日通病院へ行くため午前一一時四〇分頃から、午後二時一五分頃まで外出しているので右会議には、当初から出席しておらず、又病院からの帰途参議院本館でなく議員会館で下車していることからすると直ちに会議場へは赴いていない。そして前叙の経過に照らすと大倉が参加していない「質疑終局の動議」に対する投票は、同人が日通病院から帰つた頃から始まり、これには牛歩戦術がとられていたので午後三時二〇分前後までかかつたものと考えられるが、その間議場は閉鎖されるのであるから、大倉がその頃まで議場内にいる可能性はない。しかし、大倉は、その後行なわれた「討論終局の動議」の採決には参加しているので、右の投票が開始されたと思料される午後四時頃には既に出席しており、従つて、大倉は、二議員の討論中すなわち、午後三時二〇分頃から四時頃までの間に議場に入つたものと認められる。以上によると、日通病院から帰つた午後二時一五分頃から午後四時前までの間が議場外の行動可能な時間帯である。

大倉は、右会議が午後四時三四分休憩に入つた後、午後五時四〇分頃から学士会館で撞球をしている。(押七六七、ゲーム伝票による。)

一八日は、会期の最終日であり健保法案の採決が予想された日であるが、前日に引続き、午前一時三九分から会議が開かれ、首相、厚相等の出席を得て、質疑答弁が行なわれた。③の会議においては健保法案に対する各党の討論があり、次いで「討論終局の動議」が可決され、一一時四五分頃から右法案の記名投票が行なわれたが、社会党、共産党のいわゆるリレー式牛歩戦術により相当時間を要して右法案は可決され、午後一時三六分休憩に入つた。大倉は右の投票にはいずれも加わつているが、当時の情勢からして、この会議には終始出席していたものと認められる。

その後会議は、午後三時一五分から開かれ、同一九分散会となつているが、大倉が、右の会議に出席したか否かは不明である。なお同人は、午後二時開会し、同四分散会した参議院運輸委員会には欠席し、午後二時三五分開会し同三八分散会した同院産業公害及び交通対策特別委員会には出席している。

(三) 一九日の行動について

松岡敏男の検察官調書、社会党配車表、配車申送表、運転日誌によると、大倉は一九日午前一〇時頃、目黒区中根町の自宅から、官用車に乗り、社会党大会が開かれていた九段会館へ行つていることが認められるが車が午後零時一五分帰庫しているところからすると、大倉は、同会館へは正午前頃に着いたものと考えられる。そうすると既に検討したように、池田は、その頃は既に日通本社を出たものと認められるので、結局、大倉は一九日は、日通で同人と会うことはなく、従つて、金員授受の可能性もない。

五結論

第二で明らかになつたように、二〇〇万円が準備されたのは、八月一四日と一七日の両日のいずれかであるが、これを日通五役の行動と対照させて検討をすると、まず一四日については、同日五役が全員集まる可能性が最も強いのは午後一時以降であり、その可能性を拡げても午前一一時四五分位からであるが、いずれにしても、協議、請託、謀議、金額の決定等の時間的経過を考えると、二〇〇万円調達の時間と矛盾し、一四日に、金額の決定以下の行為が行なわれた可能性はなく、従つて金員調達が行なわれたこともないといわなければならない。

残るのは一七日であるが、五役については、格別支障はなく、この日に金員の調達が行なわれたものと認定できる。対策協議、請託、謀議等が、その前、いつ行なわれたかは明らかでないが、一四日午後から、一七日午前中までの間において、行なわれる時間的余裕が五役にあることは前記第三で検討したとおりの行動により推認できる。

他方大倉についても、同様日通に赴いて五役会の席に加わり、又二〇〇万円を受取る行動の可能性があつたことは、前記第四で検討したとおりである。

なお、福島、西村、池田の三名は、いずれも六月一七日付検察官調書で、八月一四日に本件の各行為が行なわれたと述べているのであるが、前述のとおり、同日に柴谷議員の資料要求についての対策協議、大倉の出席、請託、謀議、供与金額の決定が行なわれた可能性はあるとしても金員の調達、従つて、その供与が行なわれる可能性はないのであるから、被告人らのことの点に関する供述は誤まつていることは明らかである、右三名がいずれも勾留中であつたこと、六月一七日に至つて、揃つて同様の調書が作成されていること、本件公判審理の経過からすると、右供述は取調検事が、小幡、西村の前記日通業務研究所へ出向いたことを知らないまま、本件行為が一四日なりとの心証を抱き、右三名を追及したことに起因するものと考えるほかない。しかしながら、このことから、本件訴因事実が、検事の誘導に基く供述により組立てられた架空の事実であるということはできない。日通五役の被告人福島以下五名共に、本件行為の日時につきおぼろげな記憶しか持たなかつたのであり、このようなことは、いやしくも国会議員に対する二〇〇万円の贈賄を敢行した者にとつて一見不可思議に思われるけれども、同人らに対する全事件を通じて見られるところの、同人らの金銭に対する無感覚、政治家に対する思考方式等を考え合わせれば、無理からぬことというの外ない。

要するに、福島ら五名の自供は、その基本において、一致し、加うるに現金二〇〇万円の調達という動かし難い事実と、当時の政府食糧運送をめぐる判示客観情勢を背景に真実を物語つているものと考えられる。

以上詳細に検討したとおり、当裁判所は、被告人福島ら日通五役が被告人大倉に対し、現金二〇〇万円を供与したとの結論に達し、判示のとおり認定した。

(池田正之輔関係贈収賄)

池田(正)は、本件起訴は、当時の東京地方検察庁次席検事河井信太郎の私怨に基づき、公権力を乱用し計画的に事実を歪曲してなされたものであるから、本件公訴は棄却さるべきものであると主張するけれども、私怨の点はその証明なく、事実歪曲の点は、次に述べるように被告人の弁解にもかゝわらず有罪であるが故に、右主張は採用できない。

本件につき、被告人らはいずれも金員の授受は認めるが、その趣旨につき池田(正)は、自分が事実上主宰する当時政治団体であつた内外事情研究所(以下研究所と略称する)に対する寄付金ないし祝金であるとし、福島、池田幸人(以下池田(幸)と略記する)、西村は、政治献金ないし歳暮の類であると主張する。

しかしながら、以下に述べるところにより、右主張はいずれも理由がない。

一猪俣浩三議員の質疑および日通五役の対応

日通の政府食糧運送をめぐる情勢については、大略判示したとおりであるが、池田(正)に対する金員提供の直接原因となつた右議員の発言ならびに日通五役の対応について検討する。

〈証拠〉を総合すれば以下の事実を認めることができる。

社会党所属の衆議院議員猪俣浩三は、当時全国通運の意を体して、新日本新聞紙上に日通の政府食糧運送に対する攻撃記事を連載していた小原孝二の依頼をきつかけに、昭和四二年四月二四日、衆議院予算委員会第三分科会において日通の政府食糧運送独占問題に関し、消団連の大会で約三〇億円の不当な料金が農林省から日通に支払われていると報告され、新日本新聞でも報道されているがそのような事実があるか、今日独占企業に対する弊害も相当あらわれており競争によつて運賃を引き下げることも考えなければならないが、日通以外の運輸会社に何か分担させるという方針がいまあるか等々質疑を行なつた。

福島ら日通幹部は、猪俣議員の質疑について事前に情報を得ていたが、五役会で池田(幸)からその内容や同議員の発言は全国通運のバックアップによるものであるから今後も日通を攻撃非難する発言がなされる可能性があるという旨の報告があり、五役全員は、同議員の発言が根拠のないものにもかかわらず、新聞等を通じて報道されることによつて、世人に、日通があたかも不正を行なつているような印象を与え、信用を著るしく失墜させるのみならず、食糧庁にも迷惑をかけ、一方新免業者の独占打破の気勢が盛りあがるものと予想し、食糧輸送の実態について広報の必要を感じるとともに政治的に国会論議を円満に収拾する方策を考えた。

そこで池田(幸)は、営業本部長前谷重夫に指示し、大倉に猪俣の説得方を依頼させるとともに全日通労組にも連絡させたが、全日通務組から猪俣議員に対し、日通の食糧輸送体制がくずれると人員整理が起こり大変な問題になると申入れたところ、かえつて、御用組合呼ばわりされ、米の問題は一般国民の問題だから徹底的にやるといわれ、一方大倉も、猪俣は党歴も古く、長老的な存在で説得に応じてくれそうにもなく、手に負えないと回答し、いずれも不成功に終り、同議員に対しては、これ以上打つ手もなく傍観するほかなかつた。

その後、中沢、受田等議員の発言、国鉄の全国通運に対する四億円の増資決定、柴谷議員の資料要求等、日通をめぐる情勢はますます厳しくなり、日通としては、もはや従来の独占体制を維持することは困難と感じ、局面を打開するため県内輸送の一部を新免業者に下請させることで問題を解決しようと考え、一〇月頃食糧庁の了解を得たうえ、両者間の斡旋を依頼した。

一方全国通運側は、あくまで輸送契約への直接参加を要求し、下請けには応じないという強い態度を示しており、特に九州、北海道の一部急進業者は、九月二七日大口駿一食糧庁長官に対し、四三年度政府食糧運送契約に競争入札を実施するよう上申書を提出し、これがいれられない時は行政訴訟を提起する旨申入れていたが、食糧庁は、この問題を解決するには、日通と全国通運が話合い、まず下請け方式をとり、段階的に直接参加へ進むことが最善の方法と考え、折から柴谷議員が一一月一五日参議院決算委員会で下請論を展開したこともあつて一一月二〇日頃、食糧庁、日通、全国通運の三者による研究会を開くことを提案し、その結果、一二月四日、三者の首脳会談が開かれることとなつた。

ところで、前記猪俣議員の発言後、再質問の動きは、業界紙等で報道され、日通内の会議でも話題になつていたところ、右のように下請参加という機運が起り、問題の解決が一応日通の意図する方向へ向つているやに考えられた一一月末頃、前谷は、大倉から猪俣議員が次期国会で再び食糧輸送問題を追求するらしいと聞き、これを池田(幸)に伝えた。池田(幸)は、猪俣議員は前回の様子からして今回も相当激しい質問をするだろうと予想し、これによつて全国通運側が勢を得て競争入札を主張したり、近く開かれる前記首脳会談に無理難題を持ち出し、あるいは、来年度の契約締結が遅れるばかりでなく契約条件も厳しくなるかもしれないと憂慮した。

二料亭「花蝶」および「ひまわり苑」における会合

福島、久保俊広の各検察官調書、および当公判廷における各供述を総合すれば、次の事実が認められる。

福島は、昭和二七、八年頃、当時雑誌「政界ジープ」の記者をしていた久保俊広と知り合つたが、同人が政界の事情に明るく、又律義な面もあるところから同人を重宝がり、社長就任の後も、交際を続け、政界の裏話などを聞く一方、盆暮に小遣い銭を与えたり、同人が発行する「国会ニュース」(後に「政界ニュース」となる)を日通で多量に購入し、又日通の系列会社である日通商事株式会社のPR誌「通商ニュース」の編集、発行を任せたりして援助していた。

久保は、他方昭和三四、五年頃から池田(正)のもとにも出入りし、同人と親しく付き合つていたが、かねてから福島に対し、池田(正)は政界に顔が広く、同人の知遇を受ければ何かと便利だから同人に会うように勧めていた。福島は、従来、日通と親しくしていた大野伴睦、河野一郎の両政治家が相次いで死亡したため、これに代る人物を捜してはいたものの、特に池田(正)に依頼すべき事柄もなかつたのでそのままにしていたが、昭和四二年一月頃久保の仲介で同人と会うことになつたが、所用のため、日取りも決めないまま流れたことがあつた。ところが、昭和四二年四月頃から前記のように猪俣はじめ社会党などの国会議員による、政府食糧運送に関する発言があり、今後も同様の発言が続くであろうと憂慮していたが、殊に猪俣議員に対しては、説得工作がことごとく失敗し、打つ手もなくただ傍観せざるを得ない状態であつたところ、八月初旬頃、久保から池田(正)が猪俣議員をはじめ社会党議員をよく知つているから同人に会えば役に立つだろうと話され、日通の政府食糧運送契約の実情を説明するとともに、猪俣その他の議員に日通の実情を話してもらおうと考え、久保に紹介方を頼み、まず挨拶料として一〇〇万円を同人に託した。

その結果、九月四日午后六時から、中央区銀座の料享「花蝶」において、福島と池田(正)が始めて会合し、久保およびかねて知合の永山忠則自民党所属衆議員議員も同席したが、福島は、池田(正)が政界の話をしているうち、自民党もそうだが社会党議員も多数知つている、猪俣議員も同じ委員会のメンバーでよく顔を合せているが多年の付合いだから何でも話ができると語るのを好機だと思い、用意してきた、広報用に作成した「政府食糧運送と日本通運」と「流通百科」なる冊子を差し出し、日通の概要、政府食糧運送に対する日通の役割、重要性を説明するとともに、日通に不正はない、猪俣議員は日通が米の輸送で年間三〇億円も不正に利得しているようなことをいつているが、そのような事実はないと強調し、さらに猪俣議員をはじめ社会党議員や自民党でも違つた考えを持つている議員についてよろしく願いたい旨依頼した。これに対し池田(正)は、「この問題は今にはじまつたことではないが、骨折つてあげましよう」「大木に風が当るのは普通なんだ」などと好意ある態度を示し協力を約した。

福島は、その後の五役会で副社長の池田(幸)外三名に対し、池田(正)と会い食糧輸送問題について説明したこと、池田(正)は、猪俣議員とは同じ予算委員会の委員で何でも話せる仲であり、社会党議員も多数知つているそうである等右会合の状況を告げた。

日通は、文京区大塚二丁目に、かつて旧満洲国成立前彼地において勢力を振つていた張作霖が亡命に備えて中国から移築したと伝えられる亭を中心とした日本庭園のある迎賓館を有し「ひまわり苑」と称していたが、池田(正)は、久保からその話を聞き、観賞しようと考え、同人を通じて福島へその旨連絡し、一一月二一日夜右「ひまわり苑」へ赴いた。福島の案内で庭園等を観たあと宴席が設けられたが、会談が池田(正)の政界話から始り、そのうち、米麦輸送の問題に触れた際福島は、池田(正)に対し、「猪俣議員をはじめ社会党の議員達があられもないことを云つて日通を攻撃しているので、そのようなことのないよう、よろしくお願いしたい」と依頼し、同席していた久保俊広は「池田先生は、このことはよくお判りになつていますよ、先生ひとつ猪俣のことをよろしく頼みますよ」と口添えした。それに対し池田(正)は、「そのことはよく判つている、猪俣君や社会党の議員にもよく話してあげる」とその依頼に応じた。

当公判廷において池田(正)は、「花蝶」の会合は短時間であり、その間芸者との馬鹿話に終始して政府食糧運送問題のような固い話は出なかつた、又「ひまわり苑」においては福島から日通の事業の重要性については聞いたが、政府食糧運送のこととか、猪俣議員の国会質疑の話はでなかつた旨主張する。しかし、右の主張が事実に反することは、いずれの席にも同席していた右久保の検察官調書の記載に照らして明らかであるばかりか、福島は当公判廷においても捜査段階における供述ほどではないにしても概ね前記認定に添う供述をしているのであり、特に池田(正)が日通に対して好意ある態度を示してくれたことに対して感激した様を強調して述べている点は、なによりも前記事実が真実であることを物語るものといえよう。

さらに当時食糧庁長官であつた大口駿一の証言および議員会館の面会票によれば、池田(正)が、昭和四二年一一月二九日議員会館に右大口を呼び、同人に対し、福島に最近会つた旨話し、日通の政府食糧運送の独占問題、猪俣議員の国会質疑、食糧輸送制度の将来の見通し等について尋ね、大口が、食糧輸送の実情について話し、日通との契約は、会計法等の法律に照らし違法でないことについて自信があること、政策的に日通の独占を修正し、県内輸送の一部を新免業者に下請として分担させる等と説明したことが認められる。この事実は、食糧輸送にかかわる問題意識を持つていなかつたし、「花蝶」「ひまわり苑」ともにその話が出なかつたとする池田(正)の供述にも拘らず、「ひまわり苑」において、池田(正)が政府食糧運送に関する猪俣議員の国会質疑について前記認定のような依頼を受けたことを推認させる資料であるばかりでなく、池田(正)が本件三〇〇万円を受領する直前のことであるという点において、右金員の趣旨に対する池田(正)の認識につき重要な意味を持つものといえよう。

次に、池田(正)は、ひまわり苑の会合において福島に対し、研究所の趣意書を渡し、その目的性格等を説明したところ、同人ができるだけ応援する旨の意向を示したと述べ、前記久保もこれに添う証言をするけれども、この点についても福島は、捜査公判を通じて終始否定するところであり、他の五役も当時福島から研究所のことが話されたことを認めるものはおらず、本件謀議に際し、研究所のことに全く触れられなかつたことについては一致しているのであつて、池田(正)および久保の右各述は、信用し難い。

なお、鷲見一雄は、四二年九月中旬に研究所の趣意書、規約、入会申込書等を日通の福島宛送つた旨証言するが、福島の秘書大和田秀子、日通総務課員剣持正令の各証言、文書受信簿によれば、研究所から文書が送付されたのは、本件犯行後である一二月一五日の一回だけであり、鷲見の右証言は信用できない。

三贈賄の共謀

福島、池田(幸)、西村および入江の各検察官調書を総合すれば、本件贈賄の謀議の内容を次のとおり認めることができる。

前記一で認定したように、前谷から猪俣議員再質問の情報を聞き、福島が一二月四日外遊する前に早急にこれに対する方策を講じる必要性を感じていた池田(幸)は、昭和四二年一一月二九日午前一一時頃から日通本社で常勤役員会が開催されるに先立ち、社長室で開かれた五役会の席上、猪俣議員がまた国会で発言するらしい、食糧庁としても一部下請で円満に解決したい意向であるし、この際猪俣議員ら社会党議員が国会で日通攻撃をすると、せつかくの前記食糧庁、全国通運との三者会談もまとまらなくなる、猪俣議員らが国会でこの問題をとりあげないよう社長の外遊前に何とか手を打ちたい旨切り出したところ、福島は、これに同調し、ここで猪俣議員らに国会で攻撃されると右三者会談もまとまらなくなる、池田(正)は、猪俣と同じ予算委員会のメンバーで何んでも話せる仲であり、猪俣以外の社会党議員もよく知つておるということだから、この際池田(正)に金三〇〇万円を提供し、猪俣らが国会で日通を攻撃しないようお願いしたらどうかと提案し、他の四副社長は即座に賛成した。そこで、福島は西村に右金員の調達を指示したのであるが同人が当時大和造林の脱税が発覚し、日通の簿外資金が問題とされて捜索を受け、簿外資金の捻出をひかえていたため、一瞬困惑の表情を示したところ、福島が不気嫌になり、自分のポケットマネーから出すというなど若干西村との間でやりとりがあつたが、結局日通商事の鈴木康一社長に立替えてもらつて三〇〇万円を用意することとなり、西村は右鈴木にその旨依頼して翌三〇日同人から三〇〇万円を受取り、これを直ちに福島のもとに届けた。右認定事実によれば、福島らが、判示認定の趣旨で本件金員を池田(正)に提供すべく共謀したものと認められる。

福島、池田(幸)、西村は、当公判廷において、右事実を否定するのであるが、その弁解は、同人らの捜査段階における供述が、矛盾することなく、具体的かつ詳細に謀議の状況を描写しているのにひきかえ、互いに相違しており、その要旨は次のとおりである。福島は、公判の冒頭において謀議を否定し、三〇〇万円の趣旨について「池田(正)に衆議院議員猪俣浩三らが日通と食糧庁との間の政府食糧輸送契約の実体を誤解せずに正しく認識するよう猪俣らに説明してもらつたり、池田(正)は政財界方面に交際が広いので将来日通の事業に協力してもらつたりする諸費用を含む謝礼である」と述べていたのに反し、被告人質問の段階では「一一月二九日午前九時頃、社長室に西村が来たので、同人に訳はいわずに、池田(正)のところへ持つていくから三〇〇万円用意してくれと言つたところ、西村が手元にないというので、池田(正)に対しては現状においては、得るところが非常に多い、いろいろ決心したこともあるからとにかく出してくれといい、日通商事で借りるよう指示した」と述べ、西村は、「午前九時頃福島から呼ばれていつたところ他の副社長はおらず福島から、自民党の池田に一応顔つなぎに挨拶したいから三〇〇万円出してくれ、といわれた」旨、池田(幸)は、「二九日常勤役員会の前に呼ばれて社長室へ行つたところ、五役が全部そろつており、途中から入つたのでその前のことはわからないが、福島が、池田(正)は偉い人だ、三〇〇万円持つていかねばならないといつて西村に用意するよう指示していた」とそれぞれ三者三様の供述をしているのである。ところが日通五役の一人である入江は、検察官調書において先の認定に添う供述をしているのであり、当公判廷においても、「五役全員が揃つているときに、福島が本件三〇〇万円を池田(正)に提供することを言い出した」と明確に証言しているのみならず、その趣旨につき、瞹昧ではあるにしても、「池田は政界の人であり、日通の政府食糧輸送等につき非常に国会で問題になつている時なので、衆議院の野党を含めていろいろ奔走してもらう、正しい理解をしてもらうために説得していただくという意味に解釈した」と述べているほどである。

猪俣議員の名が出なかつたという点については同人らの弁解が一致しているけれども、前谷重夫は、当公判廷(贈収賄一六回)において昭和四二年秋一一月頃小幡から社長が食糧問題について池田(正)を使うといつているがどう思うかと聞かれたが、その時小幡が自分の意見を求めた趣旨は、池田(正)と社会党の猪俣議員との関係であつた旨証言しており、小幡は、当公判廷(贈収賄四八回)において、前谷に対して尋ねた議員の氏名を猪俣でなく柴谷であつたとする外右同様の供述をしているのであつて、右五役会で猪俣議員の名が出たこと、池田(正)に対して前記のように依頼する話がでたことは明らかである。前記一で認定したように、当時の政府食糧運送をめぐる情勢は、厳しい批判の中で、食糧庁、日通とも、県内輸送の一部下請けという線で打開の道を見出そうという時であり、又懸念していた柴谷議員の国会での発言も右の方向に沿うものであり、前記三者会談も近々予定され、ようやく事態が収拾へと向うやに考えられた折柄、これまでどうしても了解をとりつけることができず、熾烈な日通攻撃を行なつた猪俣議員が再び国会で発言するともなれば、前回同様激しい日通攻撃を行なつて事態を悪化させ、来るべき三者会談もまとまらなくなるだろうと、その影響を憂慮するのは、日通幹部として当然のことであろうし、その意味で、福島らが、池田(正)に金員を提供し、猪俣工作を依頼することは充分考えられるのであり、又福島が池田(正)をたのみにする最大の動機は、池田(正)が猪俣をよく知つているということであり、従つて福島が、まさにこの時にこそ同人を利用しようと考えるのは自然の成行といえる。前記各検察官調書によつて認定した福島が外遊直前の五役会において、資金提供をしぶる西村に対し、自分の金を出すとまで言い切つて、同人を押切り、日通商事に三〇〇万円を立替えさせ調達した事実は、当時の状勢と相まち福島の決意の程を如実に表現しているのであつて、このような供述は、誘導とか、想像或いは思いつき等でなされ得るものではない。

被告人らの当公判廷における弁解は、右のような事情からしても措信できない。

四本件三〇〇万円は内外事情研究所に入金されたか

池田(正)は、前記主張を理由づけて、本件三〇〇万円は、研究所の代表者であり自分の秘書でもある神山享に渡したから、研究所の金銭出納帳に日通からの寄付金として記帳されている旨主張するので検討する。

研究所は、多年衆議院議員として外交問題に関心を有していた池田(正)により共産圏諸国の諸問題について研究し、情熱および知識の交換を行ない資料を発行することを目的として、昭和四二年七月任意団体として発足し、事務所を港区芝明舟町二五番秋山ビル四階に置き、同年九月二九日付で代表者ならびに会計責任者を池田の第一議員秘書神山享、会計責任職務代行者を池田の私設秘書鷲見一雄として、政治資金規正法による団体として届出がなされ、さらに翌四三年五月九日、外務大臣により社団法人としての認可を受け現在に至つている団体であることは、池田(正)、神山、鷲見の当公判廷における各供述、および内外事情研究所趣意規約なる書面により明かである。そして、右研究所の金銭出納帳として提出された帳簿の昭和四二年一二月一五日欄に、日本通運よりの寄付金として三〇〇万円収入の記載が存するところ、鷲見一雄は、当公判廷において、右の記帳は、昭和四二年一二月末他の分とまとめて自分がした旨供述する。

しかしながら当裁判所は、以下のとおり検討を進めた結果、池田(正)の右主張は事実に反するものと判断した。

(一)、本件三〇〇万円は神山に渡されたか

(イ) 池田(正)は、検察官調書で久保から受取つた本件三〇〇万円を神山に渡した状況につき、「久保からの三〇〇万円の風呂敷包を議員会館に持つて行き、秘書の神山に日通の福島から研究所に対するお祝いとしてもらつたと話してそのまま渡したが、神山は受取るとすぐ同人の部屋に持つて行き、二人の目前でその風呂敷包を開けなかつた」旨供述している。

ところが、受取つた側の神山は、検察官調書でその状況につき「昭和四二年一二月中旬頃、議員会館の事務所で池田から、福島から研究所に対する祝としてもらつたと風呂敷に入つた三〇〇万円を受取り、その場で開けると一万円札の百万円束が三つ入つていた」旨述べ、日時の点を除き同趣旨のことを法廷でも述べている。

この供述を比較すると明らかなように、本件三〇〇万円の在中を確かめたか否かの点について相反しているのである。池田(正)は、神山の法廷における供述の後、右の点について前の供述を翻したが、神山の供述に符節を合せたものと考えられる。

ところで、本件三〇〇万円は、日通商事で用意されたものであるが、これを銀行から受取つた、同商事の木村喜一およびこれを西村に交付した同社の鈴木康一の各証言によれば、右三〇〇万円には一万円札だけでなく二束の五千円札が混じつていたというのである。従つて、神山の金種についての前記供述は誤つているといわなければならない。

神山の供述をさらに検討すると、同人は、検察官調書で、本件三〇〇万円を受取つたのは一二月中頃と述べていたことは前述したとおりであるが、鷲見も検察官調書で、一二月一五日夕方議員会館の事務所へ行き、相馬(神山の通称)と将棋をさしていたとき、同人から「大将が日通から三〇〇万円もらつたので寄付金にしておいてくれ」といわれたと述べ、その時期は一致して一二月中旬を指向しているが、当公判廷においては両名共供述を翻し、一一月末か一二月初頃と述べるに至つた。

このように、本件三〇〇万円が神山に手渡された点に関する関係者の供述は、互いに矛盾したり、あるいは、客観的事実に反したり、又供述自体が変るなど信用性が極めて乏しい。

(ロ) 阿曾勝男の検察官調書、三菱銀行高田馬場支店の回答書集金控、捜査報告書、捜索差押調書の各記載によれば、池田(正)は、酒田市の池田(正)は後援会の費用にあてるため四二年一二月二一日、および二七日の二回にわたり、三菱銀行高田馬場支店より、荘内銀行酒田支店の阿曾勝男名義の預金口座へ各二〇〇万円を振込送金したことが認められるが、一方神山は、当公判廷において、四二年の暮頃、池田(正)から、酒田の後援会に入用だから金を貸して欲しいといわれ研究所の金から合計三五〇万円を同人に貸した旨供述し、右の送金が、その金から出たもののように関連づけ、ひいては、本件三〇〇万円を受取つていることを主張するが、池田(正)から、そのような話があれば、神山自ら、あるいは、私設秘書の大類ないし鷲見に命じて送金すればよく、池田(正)が、わざわざその手続をすることは不自然である。又後段(二)において認定した如く、金銭出納帳に右貸付の記載がない。

神山は、検察官の取調の当初、年末頃池田(正)が誰かに金を貸すとかやるとかいう話は聞いた覚がない、と供述しているのであり、又池田(正)は、一二月頃阿曾宛二〇〇万円二口を送つたこともあつたように思うがその金の出所については特定することができないと供述しているのであつて、神山の前記公判廷の供述は信用できないし、送金は池田(正)が所持していた資金から出たものと認められる。そして後段(二)の(ニ)において検討する点をも考え併せると、本件三〇〇万円が右後援会に対する送金に充てられたのではないかとの疑いも生じ得るのである。

(ニ)、金銭出納帳の記載の信用性

前述したように鷲見一雄は、研究所の金銭出納は、その当時前記金銭出納帳に記載していたというが、次に述べるように出納帳の記載を検討した結果、右帳簿の記載は当初から存在していたものではなく、後日一括して作成されたものと認められる。

(イ) 鷲見は、後段(ホ)において述べるとおり、一月毎にまとめて記入したり、収支の都度とか、或は昭和四二年一一月一一日から一二月一杯分は同月末日にまとめて記入したと証言する。ところが、右帳簿を通覧して奇異に感じるのは、収支の記帳の大半が同一筆記用具で同一筆勢のもとに書かれているとの印象を受けることである。収支の記帳がその都度あるいは一ケ月分まとめてなされていたならば、その間において筆調や筆線の太さに変化があろうし、又筆色に濃淡があるのが自然であろう。

(ロ) 昭和四三年三月三一日現在の昭和四二年七月二〇日からの支払合計額は三、六九一、一〇五円となつているが、記入された支払額を実際に計算すると三、七三三、四〇五円である。研究所の領収書綴と右出納帳を対照すると昭和四二年三月二八日付「桂」の四、七〇〇円の領収証が存在し、前後に同所への支払がない。一方、出納帳には同月三〇日欄に「桂」に対する支払四七、〇〇〇円の記載があり、試みに右「桂」の分を四、七〇〇円で計算すると、右帳簿上の支払合計額に合致する。以上の事実からして四、七〇〇円の支払が真実であると考えられる。そうとすると、支払金額を一桁多く誤つて記入したにもかかわらず、その日の支払合計は真実の支払を前提として計算されていることになる。つまりこのことは、本件出納帳の記載は、もととなるものが存在していてこれを転写したものではないかとの疑を拭い去り難い。

(ハ) 議員会館における池田(正)の事務所では、議員秘書の斉藤弘が事務を執つており、同事務所関係の経理も担当して金銭出納帳を作成しているが、右帳簿は記載の形式、内容、又本件に直接関係がないこと等に徴し正確であると思料されるところ、右の帳簿内容と研究所の前記出納帳とを対比すると、四二年一二月分について増田書店、第一食堂、天竹、木村、田中大臣祝、花輪、あちらのくらし社等一五箇所に亘る重複記載が存在するのである。このことは、単に偶然の誤りとか、あるいは支出の水増とかではなく残高の調整を行なつたか、あるいは、重複記載が一二月に集中している(右の指摘の他には、四三年四月二五日付、五月八日付の現代書房に対する支払の二点がみられるのみ)ことからして、本件三〇〇万円の記載がある一二月分の記帳の正確性を装つたが、いずれにしても本件帳簿に何らかの操作が行なわれたとの疑いを否定できない。

(ニ) 昭和四三年三月一五日社団法人の申請の際外務省に提出された研究所の財産目録によると、流動資産が約六六〇万円で負債はない。ところが研究所の前記出納帳では右申請時の差引残高は約九二〇万円となつている。

ところで、財産目録は将来社団法人になるべき研究所の申請時点における実態を明らかにするものであるのに、右の相違はどのように考えるべきであろうか。

法人申請のため、三月一三日、自民党から三五〇万円を借入れ、これを銀行に預けたうえ、その残高証明をとつて財産目録に添付していることは神山、鷲見の各検察官調書および各証言、金銭出納帳の記載、右財産目録により動かせない事実であるが、右の借入措置がとられたのは、当時研究所において、財産目録に表示された額に対し、右借入額に相当する金額が不足していたことにほかならない。

ところが、本件三〇〇万円入金の記載のある右出納帳の上からは、目録記載の作成日付の二月一五日あるいは、申請時の三月一五日の時点では、右借入がなくとも、残高は六〇〇万円近あるから収支が正しい限り、三五〇万円も借入れる必要はないのである。神山は、当公判廷において池田(正)に対し前記のように、四二年暮、三五〇万円位貸していたためだというが、それならば、その支出を帳簿上記載しなければならないのにその記載がない。事情により貸付を記帳しないならば借入も記載せず事実上金員の補充を行なえばよい。もし右貸付の記帳を忘れていたとしても、財産目録作成時に、出納帳上の残高と現実の残高とが三五〇万円もくいちがうことが発見されれば、当然右記帳もれに思い当るべき筈であり、わざわざ自民党から借入れてまでその穴埋めをする必要があつたとは思われない。いずれにしても出納帳の記載は一貫せず、神山の右主張はこの点からも否定される。

結局財産目録上の流動資産と出納帳上の額との相違は日通からの本件三〇〇万円収入の記載に起因するものと考えるほかない。相違額が右の金員の額と近似していることに注意すべきである。右三〇〇万円を除外すれば、概ね財産目録と出納帳は一致するのである。

なお、神山が七月一七日付検察官調書において自民党からの借入金に関し「約六〇〇万円相当の流動資産を保持しないと認可の基準としてまずい」と述べていることから明らかなように、財産目録上の流動資産の額は、出納帳上の残高を基準にしたのではなく、社団法人認可のための条件という見地から右六〇〇万円の額に満つるように自民党から三五〇万円を借り入れたのである。

(ホ) 鷲見一雄は、研究所の収支の記帳を七、八月分は各月末、九、一〇月分と一一月一〇日までは収支の都度、同日以降は一二月末に一括して、その後は各月分を翌月初めに、それぞれ記帳していたというのであるが金銭出納帳と実際の収支の状況を各関係領収書、売上帳、入金表、証人羽賀幸一、同鈴木延夫、同高山茂等の各証言により検討すると次のように矛盾する事実が存在する。すなわち、

(1) 四二年八月一〇日付金文字商会に対する一六二、二〇〇円の支払は、実際は、八月二五日、一部返品分と値引分を差引いて一六〇、〇〇〇円が支払われているのに請求書額どうりの右の額が記されている。

(2) 九月一二日付「賀寿老」に対する四七、七一二円の支払いは、実際は、一二月二〇日に支払われているのに飲食日である九月一二日欄に記載されている。なお、研究所の領収証綴中の「賀寿老」の領収書には領収日付がなく42.9.12なる記載があるので右記帳はこれを支払日と見誤つた可能性が強い。

(3) 九月一四日付内外カレント第一号発送費六六、一七〇円の支払は、九月一四日、一六日、一九日、二九日、一〇月二一日に支払われた分の合計額が記載されている。

(4) 石川正敏に対する各月一〇日付の各五万円の支払は、日曜、祭日も含まれているのみならず、かならずしも各月一〇日に支払われたものでなく、一二月分は同月二三日付の領収証が存在する。

(5) 一一月一一日付、二一日付、二五日付各「竜村」に対する支払は、実際は一二月二七日にまとめて支払われ、しかも飲食自体は四一年一〇月二一日、二五日、一一月一一日になされたものである。

(6) 昭和四三年一月二六日付「山王飯店」に対する三八、二三〇円の支払は、実際は、同年五月一日に支払われているのに、現実の飲食日が記載されている。

(7) 同年二月二八日付中央工業所に対する二、三〇〇円の支払は実際は三月二九日に支払われている。

このように(イ)ないし(ホ)で指摘した事実を総合すると本件出納帳の記載は、研究所の設立当時から存在していたものとはとうてい認めることができないのであり、後日、急拠一拠した作成されたものと考えざるを得ない。

他方拘置所の接見表、および書信表の記載、鷲見一雄の検察官調書によれば久保俊広は、昭和四三年四月三〇日東京拘置所へ移監されて本格的な取調を受けるようになり、五月一日、四日、一一日と弁護士と接見し、本件三〇〇万円の趣旨を研究所に対する祝であると述べ、同弁護士から池田(正)の方にその旨伝えられたという事実が認められるところからすると、本件出納帳は、その頃作成されたものではないかとも疑われるのであつて、本件三〇〇万円についての入金記載の信用性は極めて乏しいというほかないのである。

以上検討した結果本件三〇〇万円は池田(正)の主張するように神山へ渡されたのではなく、従つて研究所へ入金されたと認めることもできない。

五池田(正)の本件三〇〇万円の趣旨に対する知情

本件三〇〇万円が、一一月三〇日福島から、久保を介して池田(正)に渡されたことは争いがなく、又福島らが本件三〇〇万円に託した趣旨が、衆議院予算委員会委員である池田(正)に対し、同じく委員である猪俣浩三議員をはじめ社会党議員が、同委員会で政府食糧運送に関して質疑を行ない、又は行なおうとする際日通を擁護してもらうとともに、日通に不利益な質問を抑止し、あるいは緩和するための活動をしてもらうためであつたことは、既に前記三で認定したとおりである。

そこで、池田(正)が本件三〇〇万円を受取つた際、右の趣旨を認識し得たかが問われなければならないが、福島の検察官調書および久保俊広の検察官調書ならびに起訴前の尋問調書および久保俊広の検察官調書ならびに起訴前の尋問調書を総合すれば、

福島は、一一月三〇日西村から三〇〇万円の入つた封筒を受取ると間もなく電話で久保に連絡し、社長室に来た同人に対し「君もよく知つているように国会で米の輸送のことが論議されているが猪俣など社会党の議員に対する工作は池田先生にお願いする以外に方法がない、先生にお任せするからこれを先生に差上げてもらつて先生から猪俣など社会党の議員に日通のことをよく説明していただいて国会でガタガタやらないようにお願いしてくれ、三つ入つているから頼む」といつたところ、久保が「そのことはよく判つています、すぐ池正さんに届けてよくお願いしてきましよう」と答えたので、同人に右の金員を風呂敷に包んで手渡した。そこで久保は研究所に赴き、同所にいた池田(正)に対し、「日通の福島社長が先生に日通のことや社会党の議員の発言に関してよろしくお願いするといつて寄越しました。中には三〇〇万円入つているそうです、先生に一任するからといつてよろしく伝えるようにいつておりました」と話して風呂敷包のまま差し出したところ、池田(正)が「ああそうかよく判つた。そこへ置いてくれ」とテーブルを指したのでその上に置いて退出した。

との事実を認めることができる。この事実に前記認定の「花蝶」、「ひまわり苑」における福島の請託、二九日における池田(正)の大口長官に対する事情聴取等の事実を合せ考えれば、池田(正)は、福島の前記趣旨を充分理解したうえで、本件三〇〇万円を受取つたものと認めることができる。

ところで、久保は、当公判廷において、捜査段階における右供述を覆し、事実は、福島から「一寸した拶挨だがお使いしてくれ」といわれたので、同人の秘書太田に命じて下さいと断つたところ、太田は池田先生の作つた事務所を知らないから君が行つてくれ」というので、引受けた、福島は「三〇〇万円入つている、池田先生によろしく伝えてくれ」といつたので、研究所の祝であると考え、池田(正)に「これは福島からの祝です」といつて手渡した旨供述するに至つた。久保の祝であると信じた、あるいは推測したとの右証言は、福島が研究所に対する積極的な認識を有していたことと、「花蝶」、「ひまわり苑」における会合で、猪俣議員の質疑をはじめ政府食糧運送の問題が主要な話題にならなかつたことを前提としなければならない。それかあらぬか、久保は、当公判廷において、福島から政府食糧運送の話は聞いたことがなかつた、自分はかかる問題について無関心であつた、「花蝶」において猪俣議員のことは話題にならず、その後の一一月初旬、池田(正)から研究所に対する協力を要請されたので、日通に行き福島にパンフレットをみせて研究所への協力方を依頼したところ、福島の了承するところとなり、さらに「ひまわり苑」では池田(正)が福島に研究所について説明すると、福島はできるだけ力添えするといつた、と証言するのである。

しかし、日通に出入りし、多大の便益を受けていた者が、当時日通としては最も重要な問題であつた政府食糧運送に関し無関心であろうはずがなく、ことに右の問題は、国会における議員の発言を中心としていたのであるから、国会の情報屋であり又その故に福島から重宝がられた久保にとつては極めて身近な問題であつたと考えられるのであり、検察官調書で述べているように、「食糧輸送問題が大きくなりはしないかと心配し「国会通信」の記事が悪どいので日通も困つていると思い心配していたが、これといつたお役に立てず心苦しく思つていた」というのが当時の偽らざる久保の気持であつたといえよう。又久保の自宅の机から押収された「政府食糧運送と日本通運」という小冊子に福島が自分の筆跡であることを認める「更には発着全店が同一経済体制を最高度のものとします」との書き込みがあることからすると福島が、久保に右の冊子を渡し、発着一貫体制の重要性を強調しつつ、政府食糧運送について説明したことが窺われる。

「花蝶」「ひまわり苑」において福島が、猪俣議員の発言や政府食糧運送について縷々説明し協力方を要請したこと、又それが、右会合における福島の最大の目的であつたこと、「ひまわり苑」において研究所のことは触れられず、福島は当時その存在すら知らなかつたことを既に検討してきたとおりである。

このように久保の証言は、全く事実に反するものであり、従つて本件三〇〇万円が福島から託された際、久保が祝であると考える根拠はなかつたといわなければならない。

六久保調書の信用性について

なお久保の供述調書の任意性について一言すると、同人は当公判廷において取調当時アジソン氏病に罹り、疲労、倦怠が激しかつたうえ連日の取調べで憔悴し、歩行すらも困難となり、検察官の執拗な追求に抗しきれず虚偽の供述をしたと主張するのであるが、東京拘置所の医師多田隅満、八王子医療刑務所の医師若林近生の証言によれば、東京拘置所における取調中、同所で行なわれた検査では胸部レントゲン撮影、検尿、内臓触診の結果いずれも異常はなく、病室に入れる必要もなく軽作業に従事させて支障ないものと判断されており、取調期間中胃薬、ビタミン剤、睡眠薬の投与はなされているが取調に耐えられない身体的状況は見出せず、かえつて右拘置所に在監中体重が一㎏増加しているほどであり、七月二二日八王子医療刑務所へ移監後の精密検査の結果アジソン氏病ではないことが判明し、軽度の慢性胃炎、慢性肝炎と診断されてはいるが、一般刑務所における軽作業に耐えられるものと判断されているのであつて、久保の前記主張は事実を誇張、歪曲しているものというべく、取調の回数、時間、あるいは時折の食欲不振、睡眠障害等の事実を考慮にいれても取調中の久保の身体的状況には、供述の任意性に疑を差し挾むべき事情を見出すことができない。

又久保は、取調べにおいて検事から上層部で話がついているから協力すれば起訴しない、あるいは、社会党をやつつけるために協力してくれといわれたとか、検事が紙挾みで殴りつけ机をたたき、床を踏みならし、耳許で大声を出すなどして暴行脅迫を加え勝手に調書を書いてしまつたと主張するが、取調検事、担当看守の証言によれば右の事実は認められないし、久保は、起訴前の裁判官の証人尋問に対しても概ね検事に述べたのと同様の供述をしているのである。もつとも、同人は右尋問終了後、裁判官に対し上申書を提出し、右証言において虚偽の事実を述べたので訂正したい旨申入れているけれども同人が、当公判廷において供述するところの右証人尋問に対する供述時、並びに右供述を覆そうとした時における心境は、前記および後記の諸事情からして、信用できない。

久保は、取調の当初本件三〇〇万円を池田に渡したことを否定し、次いで研究所の祝として渡したと供述し、遂に六月一九日の取調で賄賂であることを認めるに至つたが、この動機を検察官調書において「ここで真実を話せば、御世話になつた池田(正)や福島に迷惑をかけ、自分自身も罪にとらわれて出所が遅くなるばかりか、社会に復帰しても久保は口が軽い奴だとか義理のない男だと批難を受け、もはや政財界の人と顔を合せることすらできず、新聞記者の生命は失われ、生活すらできなくなると悩み、とても真実を語る気にはなれなかつたが、自分のごとき零細な新聞業を営んでいると結局はどこか無理がでて再び問題を起し、妻子を泣かせる危険があると悟り、この際心機一転して妻と二人で前にも話したことのあるレストランとかフルーツパーラーの様な店でも経営した方がいいのではないかと思うようになつた矢先、妻も同じ気持になつてくれ、手紙で出所したら直ぐ開店できるように勉強しておくから安心して刑をつとめるようにといつて来たので、新聞業を辞め政財界人と手を切ろうと決心した」と述べているが、これはまさに久保が、自己の立場、或は、池田(正)、福島への影響を思い煩いながらも真実を語る心境に至つた苦衷を吐露しているものといえる。同人の当公判廷における証言態度を仔細に観察すると、或は答をちゆうちよし、或は質問をはぐらかす等真実と虚構との間に去就に迷う苦悩が看取されたのである。

以上のように久保の捜査段階における本件賄賂を認めた供述には充分信を措くことができる。

(法令の適用)〈省略〉

(情状)

まず業務上横領の事実について概観するに、横領金額は判示のとおりまことに厖大である。金、社債関係についていえば、被告人らはいわゆる枠外賞与、裏賞与といつたものは、他の会社でも一般的に行つていると主張し、なるほど裏賞与の類は経済界において他に例を見ないものではないであろうし、現に右主張にそう供述をする証人もあるのであるが、このことはむしろ財界の宿弊を如実に示すものというべく、慨嘆に堪えないところであつて、量刑にあたつて一般予防の面を考えざるを得ず、必ずしも被告人らにとつて一概に有利な情状とは言い難いのである。しかも本件における金、社債の購入代金は一億一一〇〇万円余に達し、純金価格と社債額面になおすと配分総額は約八八〇〇万円の巨額にのぼり、配分対象者たる役員二十数名中被告人ら五役の間のみでその大部分(金延板は約二分の一、社債に至つては八割以上)を分配しているのである上、日通においては株主総会の承認を経た正規の役員賞与のほかに人件費から支出される職務賞与が、従業員たる地位を兼ねない副社長にも支給され、さらにその上に特別賞与なるものも五役に支給されており、(これらは税法上問題があるということで、昭和四〇年上期からこれら枠外賞与は廃止されたが、右廃止分に見合う額が関連会社の役員報酬、賞与として支給されることとされている。)、本件金、社債の配分は、右のような枠外賞与の上にさらに上積みして行われたものであることも見のがすことはできないのである。被告人らは、当時日通においては経営改善の長期計画達成のため役員、職員ともに異常な努力をしていたのに、職員には種々報償制度があるのに対して役員、殊にいわゆる使用人重役でない純然たる役員は報われるところがないので、このような形でその労に報いることにしたままであつて私腹を肥やす意図はなかつたとも弁疏するけれども、右にみたような事情を考えれば到底採るに足りない牽強付会の弁というほかはない。

熱海別荘関係、毎日新聞関係についていえば、社長一個人の別荘に会社資金から八、〇〇〇万円に近い巨費を投じてあやしまず、(もつとも田村はあまりに額が多いのでさすがに疑問に思つたともいうが、)、また一億円の違約金を会社経理に入金せず秘かに処分しようとする関係者の心情には、ただ唖然とするばかりである。

業務上横領関係全事件を通じての当裁判所の感慨を率直に吐露するなら、準公共企業的色彩を有するともいえる大日通の最高幹部として、恥しからざる収入を享受し、それなりの人格、識見もあるべき筈の五役の被告人らにして、このような醜行があろうとは全く信じ難く驚くべきことというほかなく、経営者としてのモラルの欠如もここに極まつた感があり、被告人らは、各個についてみればその立場により自ら程度の差はあるにせよ、大日通の最高幹部の地位にあり、あるいはその厚い信任を受けて、会社内外からのあからさまな批判もない権勢の座に酔い、会社を私物化したとの非難を免れ得べくもないと思われるのである。

ただ、被告人らはいずれも被害を弁償していること、本件の発覚により、既にある程度の社会的制裁を受けていることは有利な情状ということができる。

贈収賄関係については、多くを語る必要はないであろう。政治活動資金の大部分を財界に仰いでいる政界の一部と、政治家を金銭によつて利用しようとする財界との結びつきについては、従来も事あるごとに論議されているところであり、この風潮が浄化されない限りいわゆる黒い霧事件は根絶し得ないとともに、たまたま摘発された者のみを厳しく責めることは酷に失するという見方もあり得よう。しかし政治資金の規制がいかに法規上厳格化されようとも、政財界人の金銭に対する倫理観念が確立されない限り現実に励行されず、法は空文化するおそれのあることも、事がらの性質上見易い理である。

本件審理によつて政財界癒着の一断面を、しかも醜悪な、日常的とさえも思われる状況を認識した当裁判所としては、本件の如き行為が、政治に対する一般の信頼を裏切ることの甚しいものであることに想を致し、量刑にあたつて諸般の事情を考慮しつつも秋霜の態度を堅持せざるを得ない。たゞ、全国通運やその意をうけた業界紙等の食糧輸送問題に関する日通攻撃は、プール単価による運送賃の算定方式の不合理を指摘する点等の一部には正当なものを含みながらも、全国通運および新免業者の利益擁護を意図してことさらセンセーショナルな攻撃のための攻撃に走つたきらいがあり、国会における一部議員の発言にも、これら全国通運側の論調を鵜呑みにして政府を攻撃するような傾向が見られたため、被告人ら日通幹部をことさら刺戟してこれに対する防衛策を焦慮させ、本件犯行を誘発するに至らせたものと見られるのであつて、この点は日通側被告人の情状としては一考を要する点であると考えられる。

各被告人の個別的情状を若干考えてみるに、福島は日通五役中最高の地位にあつた実力者であり、日通の業績向上に多大の功績があつたことを認めるのにやぶさかではない。しかしながら熱海、毎日関係では利得はすべて同被告人に帰するのであるし、金、社債関係でもその利得額は他をはるかにぬきんでており、その合計額は、二億円を超える。そもそも、本件各犯行の経緯から見て、同被告人に身辺の清潔を保とうとする念慮が多少でもあれば、多くの部下を連座させての本件横領事件は起り得なかつたとさえ思われるのであつて、その凄烈とも評すべき金銭欲は、世人をして慄然たらしめるものがある。同被告人は、贈賄についても、主唱者的役割を果したことが認められ、その責任は極めて重いものといわなければならない。同被告人は高令病身であり、本件によつて従来の名声栄誉を一時に失い、最愛の男子さえも自殺によつて失い、現在は同居の妻子、一族もなく孤影悄然と余生を送つていることを思う時、人情としては同情を禁じ得ない面もあるが、前記のような刑責の重大性を考えると、なおかつ相当長期の実刑をもつて処断せざるを得ない。

西村は、犯行による実質的な利得は金、社債関係の分だけであるが、福島の信任を受け、社内において同人と最も親しく、会社資金の保管についても経理部門における最高の責任者であり、福島の独断専行を諫止し易い立場にありながら、小心でひたすら上司に忠実な性格が禍してか事こゝに出ず、福島の意向に唯々諾々として従い、本件の如き重大な結果を招来したもので、その意味で責任は重大といわなければならない。

小幡、池田(幸)、入江については、利得も前二者に比して少く、関係全犯行を通じて比較的従属的立場にあつたものと認められるので、相当の識見を有すべき筈の同被告人らが、無批判に福島らの意向に追随した点はまことに遺憾であるけれども、年令、健康状態、経歴、日通ないし社会に対する従来の貢献等諸般の事情にかんがみ、刑の執行を猶予するのが相当である。

田村は、一課長に過ぎず、本件犯行自体による利得も僅少であり、また日通における職務の遂行上優れた手腕を発揮した有能な社員であつたと認められる。しかし、その故に福島、西村らの厚い信任を得、かつその職務上の地位の然らしめたところとはいいながら、簿外資金の捻出、金、社債、熱海別荘関係の支払の架装処理等については、極めて重要な役割を果したものであつて、その間右仮装経理の協力者として利用した出入業者等からのつけ届け等により相当な利益を得ていたこともうかがわれる。しかし同被告人が右のように本件犯行に深く加担するに至つたのは、前記のように信任された福島、西村らの命令、指示ないし依頼によるものであつて、一課長に過ぎない同被告人としてはこれを断乎拒絶し、あるいは説得し翻意させるというが如きは、心理的にもかなり困難であることは理解できるのであつて、これを弁護人所論のように期待可能性がないとは到底云い得ないにしても、情状としては相当の考慮に価すると思われる。なお同被告人は、別件所得税法違反で懲役六月、二年間執行猶予、罰金一千万円の判決を受けており、右罰金や逋脱所得税、重加算税等の支払に窮している状況にあることをも考慮し、本件についても刑の執行を猶予するのが相当である。

大倉、池田(正)は、ともに刑責を否定し、本件捜査に関与した検察官に対する非難に終始している。殊に池田(正)は本件三〇〇万円を受領したことを認めながら、その趣旨を否認するのはともかく、道義的反省さえも示さず、本件起訴を検察庁首脳部の人事に自己が介入した結果不利益を蒙つた検察官の私怨によるものである等として法廷においてもしばしば不遜な言動を示したことはまことに遺憾である。さきにも一言した如く、国権の最高機関の構成者として最も廉直高潔でなければならない筈の国会議員の収賄事犯に対しては、これを軽々に看過することは到底許されないのである。

大倉は、議員となつた後も、日通の参与として月々の手当を受け、しばしば日通に出入りして政界の情報を提供し、或は自己の立場を利用して、日通に有利な計いをしていた関係上、本件依頼に応じたことは、人間の情としてこれを理解するのにやぶさかではない。しかしながら、国会議員としての衿持を忘れ、一線を画することができなかつたことは、その晩節を汚すものとして被告人のため極めて遺憾である。ただ、収賄額が池田(正)よりもさらに少い上、元来右金員の趣旨が判示認定の如くであつて、これをすべて同被告人が実質的に利得したものとも認め難いこと、本件起訴を恥じて、本年の参議院議員選挙に立候補せず議員の職を退いたこと等を考慮し、執行猶予相当と認めた。

池田(正)は、本件三〇〇万円を久保から受取るに際し、極めて無造作に風呂敷包みのまま、中を改めもせず、自分の席の横に置かせて同人を帰えらせたのであつて、その状況たるや、他人から金を贈られることにつき何らの感情の動きもなく、営々として勤労にはげむ庶民の年収をも超える金額が、かくも無造作に収受されるとは、被告人の政治家としての生態を暴露したものといえよう。同被告人が貧乏代議士を以て自任し、巨額の蓄財をしていない上に輝やかしき政治歴が、本件により一挙に瓦壊し、齢七〇を越えての前途を想うとき、同情を禁じ得ないものの、その刑責の重大さを考えるとき、到底刑の執行を猶予することはできない。

よつて主文のとおり判決する。

(播本格一 藤井登葵夫 田尾健二郎)

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