大判例

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東京地方裁判所 昭和43年(行ウ)129号 判決

原告 藤川数彦

被告 社会保険庁長官

主文

被告が原告に対し昭和四一年九月五日付でした遺族年金支給申請棄却決定を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

(原告)

主文と同旨の判決

(被告)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二原告主張の請求原因

原告は、その長男で船員保険の被保険者である藤川晃が株式会社山口県漁業公社所属の第五防長丸(一九二トン)に機関員として乗り組み、大西洋の北緯二七度一四分八、西経七〇度五八分附近の海域において鮪漁業に従事し、キユーバのハバナ港に帰港中、昭和三九年六月一五日午后八時(日本時間、以下同じ。)過ぎころ、同船の右舷船尾附近に取り付けられた吊便所を使用する際、誤つて海中に転落、死亡したので、昭和四一年四月二五日被告に対し、船員保険法に基づき、右事故が同法五〇条三号所定の職務上の事由による死亡に該当するものとして、遺族年金の支給を請求したところ、被告は、同年九月五日付で、職務上の事由によるものとは認められないとの理由で、原告の請求を棄却する旨の裁決をした。

しかし、晃の死亡は、休憩時間中の、しかも、用便という私的行為に基づくものであるとはいえ、同人が船員として休憩時間中も船内にとどまり、用便には同船に設けられた便所を利用せざるをえない関係にあつたのであり、しかも、前記吊便所が、ブルワーク(舷牆)から船外に吊り下げられ、ブルワークを跨いで出入しなければならないため、一歩踏みはずせば海中に転落するという、位置および構造上危険な施設であり、また、当時は、全員連日の過労と睡眠不足により動作の不安定を来たすおそれがあつたのに、右吊便所に至る手摺にはチエーンが張られていなかつたことからみて、晃の事故は、明らかに、船員保険法五〇条三号所定の職務上の事由による死亡というべきである。

第三被告の答弁および主張

原告主張の請求原因事実中、晃が吊便所を使用する際誤つて海中に転落したこと、右吊便所が位置および構造上危険なものであることは否認、その余の主張事実は認める。

晃の死亡事由については、直接の目撃者がなく、また、これを推認しうるに足る資料も存在していないのであるが、仮りに原告主張のように吊便所を使用する際、誤つて海中に転落したものであるとしても、次に述べるような理由により、当該事故は、職務上の事由による死亡とは認められない。すなわち、右事故は、

(1)  休憩時間中に発生したものであること。

晃は、当日午后八時一二、三分ころ機関長より早く就寝するよう注意されて操舵室を出たが、午后九時三〇分ころ同機関長が船室に行つたとき、晃の寝台には電燈がつき、カーテンも開いたままになつていて本人の姿が見当らず、船内はもとより附近海上を約三五時間にわたつて捜索したが、遂に発見できなかつたところから、海中に転落したものとして処理されたのであるが、同人は、当日午后五時船内整備作業終了後機関部の当直につく翌一六日午前零時まで休養することとなつていたのである。したがつて、右事故は、休憩時間中に発生したこと明らかである。

(2)  船舶施設の構造管理上の瑕疵に起因するものでないこと。

第五防長丸は昭和三九年三月一〇日竣工した新造船であつて、その構造設備には欠陥はなく、また、前記吊便所にも位置、構造上の瑕疵は存在しなかつた。そればかりでなく、事故当時、現地ではすでに夜が明けており、船内の照明は消されていたが、甲板等の歩行には何等の支障もなかつた。

(3)  その他職務上起因したものと認めるに足る合理的事由もなかつたこと。

当時の気象状況は、天気快晴、風向南西、風力一、気温二七・七度、視野良好で波浪もなく、吊便所の使用についても何らの危険も認められなかつた。

したがつて、晃が吊便所を使用する際海中に転落したとしても、それは、同人の過失によるものであつて、死亡との間に相当因果関係があるものとはいえない。

第四証拠関係〈省略〉

理由

原告は、船員保険の被保険者藤川晃の父であるが、晃が株式会社山口県漁業公社所属の第五防長丸(一九二トン)に機関員として乗り組み、大西洋の北緯二七度一四分八、西経七〇度五八分附近の海域において鮪漁業に従事し、キユーバのハバナ港に帰港中、昭和三九年六月一五日午后八時過ぎころ行方不明となつたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第四号証、証人浦崎勝春、田村松治の各証言を総合すれば、同人は、前日の午后二時ころから始まつた最終の第三六回操業に従事し、約二六時間ほとんど寝ていなかつたが、当日の午后六時ころ船内整理作業を完了して休養に入り、七時四五分ころから操舵室で船長や一等航海士らと雑談し、たまたまそこへ入つてきた機関長より次の当直だから早く船室に帰つて就寝するよう注意され、八時一二、三分ころ週刊誌を手にして操舵室を出たまま、前叙のごとく、行方不明となつたものであること、同人は、船員の常として、就寝前に必ず用便することを習わしとしており、当時は、暑気のため航海中吊便所を使用していたが、該便所は、後記認定のごとき危険のある施設であり、当時現地では、すでに夜が明けて相当見透しがきき、天候に恵まれ、風もなく、海上は極めて穏やかであつたとはいえ、同人は、連日の投繩、揚繩作業による疲労と睡眠不足とが重なり、行動に不安定を来たすおそれが多分にあつたこと、もとより、飲酒、船酔はしておらず、もともと、陽気な人柄で、後輩の面倒をよくみるので仲間の評判もよく、前記のごとき当日の行動から推しても、自殺するなど到底考えられなかつたことを認めることができ、右認定の妨げとなる証拠はない。しかして、右認定事実によれば、晃は、操舵室を出て、用便のため吊便所に入る際又は用便の直後誤つて海中に転落して死亡したものと推認するのが相当である。

ところで、船員は、休憩時間中といえども、船内にあつて、船舶航行の安全と船内紀律維持のために、船長の指揮監督下に置かれているのであるから、船員の航行中における事故は、それが船員の私的行為によるものであつても、その原因が本来の職務の遂行に由来し、又は船舶の施設自体ないしはその管理の瑕疵等に起因しているものと認められる場合には、特段の事情のないかぎり、職務上の事故であるというべきである。

いま、本件についてこれをみるのに、第五防長丸の乗組員たる晃の死亡事故は、航行中、用便のため吊便所を使用する際、誤つて海中に転落したことによつて生じたものであると推認されるが、当時同人は、鮪漁の操業という同船乗組員としての職務の遂行による疲労と睡眠不足とが重なつて行動に不安定を来たすおそれが多分にあつたこと、前段認定のとおりであり、また、前掲各証拠によれば、同人の使用したと思われる吊便所は、四囲を板でかこい、底部の左右両側に踏板を打ちつけた木製箱形のものであつて、右舷船尾のブルワークから吊金具で船外に吊り下げられ、四〇センチ位いの高さの右ブルワークを跨がなければ出入り出来ないようになつているので、普段航行中は、両吊金具の側方にスタンシヨン(鉄の棒)をたて、チエーンを張ることとなつていたが、当日は、前叙のように海が穏かであつたし、また、操業を終えて帰港の途についたばかりで、船員を休ませることが何よりも必要であつたところから、スタンシヨン等の取付けが行なわれていなかつたことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はないので、右の吊便所は、スタンシヨンやブルワークにつかまつて使用すれば、航行中でもそれほど危険のあるものではないが、それが船外に突き出ており、しかも、ブルワークを跨いで出入りしなければならないようになつていることからみて、たとえ昼間で凪のときでも、スタンシヨン等が取り付けられていない場合には、ちよつとの気の緩みや身体の均衡を失うことが、直ちに、転落死を招くという意味において、なお、瑕疵ある施設であるといわざるをえない。もつとも、同船には船内の便所もあつて、右の吊便所は、主として熱帯地方を航行する際に使用されるものであるとしても、それが同船に備え付けられた船舶施設の一部であることにはかわりはなく、また、右の事故は、晃の過失に基づくものであるとしても、同過失が重過失に該当する旨の主張・立証はない。

されば、晃が休憩時間中用便という私的行為のため吊便所を使用するに際して海中に転落したことは、同人の本来の職務遂行による心身の疲労と、同船の施設たる右吊便所の位置および構造自体又はその管理の瑕疵によるものであり、その間の相当因果関係を中断すべき特段の事由も認められないから、同人の死亡は、船員保険法五〇条三号所定の職務上の事由による死亡であると認めるのが相当である。

よつて、以上と異なる見解のもとになされた被告の棄却決定は、違法であり、その取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるので、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡部吉隆 園部逸夫 竹田穣)

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