大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京地方裁判所 昭和45年(ワ)8664号 判決

福岡県朝倉郡小石原村大字小石原五五七番地の一

原告 森山正雄

〈ほか六名〉

右七名訴訟代理人弁護士 井上恵文

同 大嶋芳樹

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告 国

右代表者法務大臣 前尾繁三郎

右指定代理人 兵頭厚子

〈ほか二名〉

主文

一  被告は、原告森山正雄に対し金八、六四五、三五七円および内金八、三六五、三五七円に対する昭和四二年九月一日から、内金二八〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告蔦原伊勢松に対し金三、七四四、二七六円および内金三、六二四、二七六円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告蔦原ミヨに対し金三、七四四、二七六円および内金三、六二四、二七六円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告伊地知貫一に対し金三、七七七、五二三円および内金三、六五七、五二三円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告伊地知ノリ子に対し金三、七七七、五二三円および内金三、六五七、五二三円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告江藤武光に対し金三、七七七、五二三円および内金三、六五七、五二三円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を、原告江藤アヤに対し金三、七七七、五二三円および内金三、六五七、五二三円に対する昭和四二年九月一日から、内金一二〇、〇〇〇円に対する本判決言渡しの翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は五分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(請求の趣旨)

一  被告は、原告森山正雄に対し金一七、六四四、九九二円、同蔦原伊勢松に対し金五、一二四、九六九円、同蔦原ミヨに対し金五、一二四、九六九円、同伊地知貫一に対し金五、一三九、一五一円、同伊地知ノリ子に対し金五、一三九、一五一円、同江藤武光に対し金五、一三九、一五一円、同江藤アヤに対し金五、一三九、一五一円および右各金員に対する昭和四二年九月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

(答弁)

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

三  仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  事故の発生

訴外亡森山鳳継三等陸曹(以下亡森山という。)、同蔦原利吉二等陸士(以下亡蔦原という。)、同伊地知博朗一等陸士(以下伊地知という。)および同江藤恭一一等陸士(以下亡江藤という。)は、いずれも陸上自衛隊第七師団所属の自衛官であった。

同人らは、それぞれ所属連隊より、昭和四二年八月三日から約二か月間行なわれるレンジャー集合教育に参加することを命ぜられ、同師団第二三普通科連隊レンジャー訓練隊主任教官訴外宮地守男二等陸尉(以下宮地教官という。)指揮の下に、ほか一八名の隊員とともに、北海道千歳、苫小牧周辺で訓練を実施中であった。

右訓練の一環として、同年八月三一日午後二時一五分ごろ、北海道千歳市支笏湖モラップ市営キャンプ場において、着装水泳訓練を実施するため、宮地教官、助教五名および亡森山ら四名を含む隊員二二名が渡河用折たたみボート二艘に分乗して湖岸から約四六メートル沖に出た。そして、同日午後二時三五分ごろ、宮地教官の号令により、隊員が、作業帽、作業服上下(夏期のため下着は薄いもの一枚位であった。)、半長靴、弾帯(布製)、弾帯吊り(布製)および水筒を装着したままの状態で、湖中に飛び込み、湖岸に向って泳ぎ出したが、亡森山、亡蔦原、亡伊地知および亡江藤を含む一〇名位の隊員が溺れ出し、右亡森山ら四名はいずれも救助が間に合わず溺死した。

≪以下事実省略≫

理由

一  請求原因第一項記載の事実(本件事故の発生)は、着装泳訓練における湖中飛込み地点から湖岸までの距離を除いて、当事者間に争いがない。

右距離は、≪証拠省略≫によれば、少なくとも約四六メートルであったものと認められる(以下書証の成立はすべて争いがないから、その旨を特に摘示しない。)。≪証拠判断省略≫

二  宮地教官の過失について

(一)  宮地教官の職務権限について

≪証拠省略≫によれば、陸上自衛隊においては、レンジャー教育に関して、レンジャー教育基準が設けられており、教育訓練上準拠すべき一般的、原則的な事項が定められているほかは、特段の命令、規程等は存しないこと、したがって、教育訓練を実施するに当って、その順序、方法等実施の細部事項の決定は、担当教官の自主的判断に任され、その責任において行なわれるものであること、昭和四二年八月三日から行なわれた第二三普通科連隊における本件レンジャー集合教育の実施については、連隊長からその指揮下の各部隊長に対し、包括的な一般命令があったものであるが、命令に定められていたのは参加する人員、車両等計画の大綱にとどまり、その細目については主任教官の判断に任せられていたこと、教官は、訓練実施に先立って、その細目を記載した訓練指導計画案(レッスンプラン)を作成して、これを一応上官に提出してその承諾を得る慣例になっているが、これは決裁を得るというのではなく、指導を受けるためのものであって、教官は右指導計画案に従って訓練を実施するよう拘束されるものではなく、その判断で情況に応じて変更することも許容されていることが認められる。

以上の事実によれば、本件レンジャー集合教育の一環として、本件着装泳訓練を実施するかどうか、実施するとすればその具体的方法をどう定めるかは、もっぱら宮地教官の職務権限に属する事項であったことが明らかである。したがって、一般的にいって、同教官は、右のような主任教官としての職務上、右訓練を実施する場合は、これを安全に実施すべき義務を有していたといわなければならない。

(二)  本件着装泳訓練が行なわれた状況について

1、訓練が行なわれた場所の水深

≪証拠省略≫によれば、隊員が飛び込んだ二艘のボートが停泊していた地点の水深は一五メートルと六メートル、亡森山ら四名が溺死した地点(ボートと湖岸との間に位置する。)の水深は七メートルないし一〇・五メートルであることが認められる。したがって、着装泳訓練の行なわれた付近の水深は、岸の近くは別として、ほぼ六メートルないし一五メートル位であったものと推測される。

もっとも、宮地教官等があらかじめ水深を測定したことは証拠上認められないが、≪証拠省略≫によれば、宮地教官は、昭和四二年五月から七月に行なわれた第一次レンジャー訓練の際この場所を三回訪れ、湖底および付近の状況は把握しており、隊員が飛び込んだ地点の水深は六、七メートルであるものと判断していたことが認められる。これによれば、宮地教官が、着装泳訓練の行なわれた場所の水深について、事実と大幅に異なった状況判断をしていたという訳ではないことになる。

2  隊員の着装泳の経験

≪証拠省略≫によれば、本件レンジャー訓練に参加した隊員中、大久保辰見、柳橋良一、川上紀一、山田健次、松田武政、大倉昭男、甲斐映行、杉本清晴、黒木哲郎および荒木英雄は、本件訓練時までに衣類をつけて泳いだ経験は全くなかったことが認められる。この事実と着装のまま泳ぐということは稀有のことであることからすれば、亡森山ら四名を含む他の隊員も、おそらく着装泳の経験はなかったものと推認されるのである。

また、≪証拠省略≫を総合すれば、本件着装泳訓練に先立って、レンジャー教育訓練の一環として、昭和四二年八月二六日、千歳市内の千歳川において最初の水上訓練が行なわれたこと、その内容は、川の一方の岸から他方の岸まで(川幅は約一〇メートル)水面約二、三メートルの高さにロープを張り渡し、作業帽、作業衣、半長靴、弾帯吊りおよび水筒を身につけたままの隊員が、ロープに取りつけた滑車につかまって川の中央付近まですすみ、そこから川の中に飛び込み、水深約二メートルの川を渡る訓練であったこと、川が急流であったため隊員は泳ぐというよりも水流に流され、下流に張ってあったロープにたどりつき、これにつかまって川を渡ったこと、しかも訓練途中で気絶者が出たため、訓練を実施したのは隊員中八名位であって、訓練は中止になったこと、右訓練以外には本件当日までに水上訓練はなかったことが認められる。

右事実によれば、昭和四二年八月二六日の水上訓練は、要するに、着装のまま泳ぐというより、単に川に飛び込むというに過ぎず(前記証拠によれば、この訓練は「胆力テスト」と呼ばれていたことが認めらをる。)、本件着装泳訓練とはその内容において、特に溺死の危険性について大差があったといわなければならない。千歳川における訓練が行なわれていたことをもって、隊員には着装泳の経験があったというのは強弁といわざるを得ない。

3  隊員の水泳能力と疲労度

≪証拠省略≫によれば、レンジャー訓練に参加するための一つの条件として、裸での水泳能力が一〇〇メートル以上あることが要求されており、隊員はいずれも右要件を充足する旨の申告をしていたが、北海道駐屯の自衛隊にはプール等の施設がないため、右申告が正確であるかどうかを実地に検査することは行なわれていなかったことが認められる。

もっとも、甲第八号証、第一〇号証、第二五号証(いずれも宮地教官の供述調書)および証人宮地守男の証言中には、本件事故当日の午後、着装泳訓練の直前に、応急浮体曳行訓練(着装具、装備品などを防水した天幕に包み、二人一組でこれを曳行しながら、裸で、沖合約二〇メートルの位置にあるボートまでの往復を泳ぐ訓練)を行なったが(この事実は当事者間に争いがない。)、その際は全隊員が泳ぎきり、杉本、大久保両隊員の水泳能力がやや不十分と見受けられたほかは、隊員には一〇〇メートルの水泳能力は十分あると判断されたとの部分がある。

しかし、次のような事実に照らしてみれば、隊員が本件着装泳に耐えられるだけの水泳能力を有していたと判断するためには、右証拠は十分なものということはできないのである。すなわち、杉本、大久保両隊員については、次のとおり、応急浮体曳行訓練を円滑に終了したとは到底いい難い状況である。

(1) ≪証拠省略≫によれば、杉本隊員の状況は次のとおりであった。

イ 四、五メートル泳いだところ足が動かなくなってしまったので、浮体につかまってようやくボートの所まで行った。

ロ そして、ボートの助教から救命胴衣を渡してもらい、どうやら岸に帰れた。

ハ そこで、他の隊員が訓練続行中、江藤隊員に平泳ぎの要領について指導を受けた。

(2) ≪証拠省略≫によれば、大久保隊員の状況は次のとおりであった。

イ 曳行訓練で大分疲れを覚えたので、着装泳の場合は岸まで泳ぐ自信がなくなり、救命胴衣をつけて泳ごうと思った。

ロ 途中折り返してから急に身体が疲れてきて、浮体を押して泳ぐより、野上隊員に引かれて帰ったような状態である。

しかも、各隊員の供述調書を検討すると、前記宮地教官の供述に反して、杉本、大久保両隊員のほかにも、応急浮体曳行訓練さえ必ずしも容易には終了できなかった隊員があったことが認められる。すなわち、隊員の供述調書中には、次のような記載がある。

(1) 甲第一六号証(大倉昭男の供述調書)

泳ぐ自信がないので、浮体につかまって、ようやく泳ぎきった。

(2) 甲第三〇号証(黒木哲郎の供述調書)

一緒に曳行した川上隊員は、大分疲れている様子であった。

(3) 甲第三二号証(松田武政の供述調書)

一緒に泳いだ佐藤隊員は泳ぎが上手でないというので、一人で浮体を曳いて泳いだ。佐藤隊員は浮体から約五、六メートル離れて泳ぎついた。

(4) 甲第三四号証(甲斐映行の供述調書)

途中身体がだるくなり、思うように片手で泳げなかったので、浮体から手を離して泳いで岸に帰った。

(5) 甲第三五号証(荒木英雄の供述調書)

他の組には泳ぎに自信のない者がおり、一人が浮体にすがりつき、他の一人が曳いて泳ぐという組も二、三組あった。

(6) 甲第三六号証(山田健次の供述調書)

途中手がだるくなって、浮体から手を離してボートにつかまりながらこれを廻り、浮体につかまり引きずられる様な状態で岸についた。疲れたという程でもないが、身体が思うように動かなかった。

これらの供述によれば、隊員の中には、杉本、大久保両隊員のほかにも、ようやくにして岸に泳ぎついた者、あるいは曳行訓練が終了した時点で既にかなり疲労していた者が相当数いたことが認められ、このことは、曳行訓練を注意深く見守っていたとすれば、宮地教官にも確知できたはずである。

ところで≪証拠省略≫によれば、本件事故当日は、午前中まず準備訓練として攻撃用ボートの組立、運搬、着水が行なわれ、次に二組に分かれて二艘のボートに分乗して、銃を背負い、救命胴衣をつけた服装で、往復約三キロメートルの競漕が実施され、負けた組は約三〇回の腕立て伏せをすることを命じられたこと、その後昼食のために約一時間の休止があった後、午後は前記応急浮体曳行訓練および本件着装泳訓練が行なわれたことが認められる。このような強行な訓練の経過にかんがみると、最後の着装泳訓練時においては、隊員の中にかなりの疲労を感ずる者があったとしても当然のことと思われる。

4  着装泳の危険性

≪証拠省略≫によれば、レンジャー教育訓練は昭和三〇年ごろの連隊創設以来例年実施されてきているが、本件のような事故は初めてであること、昭和四二年六月にも、宮地教官の指導の下に、第一次レンジャー訓練の一環として、隊員二二名に対し、本件と同じ場所で、全く同じ方法による着装泳訓練が行なわれたが、二二名全員が無事岸に泳ぎつき、事故はなかったことが認められる。

また宮地教官は、自分の着装泳の経験からして、作業衣が次第にぬれてくると若干の抵抗は感ずるが、手と足をうまく利用すれば、意外に軽く、容易に泳ぐことができる旨証言している。

しかし、≪証拠省略≫によれば、着装の状態で四、五〇メートル泳ぐことは、それ程困難なことではなく、裸体で一〇〇メートル泳ぎ得るならば、着衣で四、五〇メートルは泳ぐことができるものの、摩擦抵抗の関係から、裸体水泳の方が着装水泳よりも泳ぎやすく、スピードも出るし、疲労も少ないこと、裸体水泳のときは種々の泳ぎ方ができるが、着装水泳で靴を着用しているときは、平泳ぎなどが適しており、他の泳ぎ方は無理であることが認められる。

以上の事実によれば、着装水泳の危険性がどの程度のものか必ずしも明確ではないが、少なくとも着装水泳は裸体水泳に比較すれば、泳ぎ方には工夫が必要であり、かつより困難で疲労も大きいといえることは明らかである。

(三)  そこで、以上のような状況の下において、着装泳訓練の指導に当たる教官としては、事故防止のために、具体的にどのような措置を講ずべき注意義務があるかを検討する。

前記認定を要約すれば、次のような状況であった。着装した場合の水泳は、裸体の場合に比して、技術的により困難なものである。隊員の裸体の場合の水泳能力は、各自の申告により一〇〇メートル以上はあるとされていたにとどまり、実地にこれが確認されたことはなかった。しかも隊員は本件のような着装泳の経験は皆無であった。着装泳訓練の直前に行なわれた応急浮体曳行訓練は、裸体で約四〇メートルの距離(着装泳訓練の距離よりやや短い。)を泳ぐものであるにもかかわらず、相当数の隊員が、ようやく泳ぎきるという状態であった。また隊員の中には本件着装泳訓練までにかなり疲労していた者もいた。本件着装泳訓練は、作業帽、作業服上下、半長靴、弾帯、弾帯吊りおよび水筒を身につけたまま、水深六メートルないし一五メートルの場所を約四六メートルの距離泳ぐものである。そして、以上の事実は、宮地教官が十分知っていたことか、もしくは教官として当然知らなければならないことである。

そこでこれらの事実を前提として考えると、本件着装泳訓練に当たっては、溺れる危険性がないとか、隊員中に溺れる者がもしあるとしても、それはきわめてわずかの人数であると判断することは、何ら合理的根拠のない独断であり、軽率であるといわなければならない。たまたま過去一〇年以上にわたって、あるいは直前の同様の訓練において事故が全くなかったということは、直ちに以後も事故はあり得ないとか、また溺れる者があるとしてもきわめてわずかであるということにはならないから、この事実は右のように判断する合理的根拠とはなり得ない。

すなわち、このような危険な訓練を担当する教官としてはその専門的な立場からして一般的に、前記事実ことに隊員は着装泳の経験が全くなく、しかも着装泳は相当程度の危険を伴なうものである事実に照らし、どの隊員についてみても、その隊員が確実に泳ぎきることができ、溺れる危険は全くないとは断定できなかったはずである。したがって、同時に多数の者を飛び込ませるとすれば、最悪の場合には、そのうち相当数の者が溺れるという事態も予測が可能であったといわなければならない。その予測ができなかったとするならば、この点において既に注意を怠った過失があるものといわなければならない。

したがって、宮地教官としては、場合によっては相当数の隊員が溺れる危険性があるという予測の下に、訓練の指導に当たるべきであった。そして、ことは生命の問題にかかわるのであるから、溺れた場合には直ちに救助できる態勢をととのえておかなければならない注意義務があることは当然である。

被告は、訓練の効果をあげるという観点から、危険防止のためにあらゆる措置をとる必要はないと主張する。しかし、これは、訓練の効果と危険防止の措置を混同する見解である。いかに自衛隊におけるレンジャー訓練であるとはいっても、その効果をあげるためには隊員の生命を危険にさらしても良いということにはならない。世に生命より尊いものはない。訓練の効果に藉口して、尊厳な生命の犠牲を正当化するような主張は、断じて採用することができないのである。訓練の効果をあげるためには、不十分な救助態勢のままで危険な訓練を強行することによってではなく、十分な危険防止の措置を講じた上、その目的を達するように努力すべきものである。そして、そのことは可能なはずである。与えられた人的構成と物的資材の下でそれが不可能ならば、訓練を中止するこそ至高な生命尊重の理に叶う。

以上の観点に立って考えると、宮地教官には、次のような事故防止の措置を講ずべき注意義務があったというべきである。

1  全員一斉にではないとしても、同時に多数の者が飛び込むような方法で訓練を実施しようとするならば、それは危険性がより大なのであるから、それに対応して、溺れた者を救助できるような態勢を完備すべきである。

≪証拠省略≫によれば、宮地教官が提出した訓練指導計画案では、本件着装泳訓練の際には、溺れた場合につかまらせるためと、泳ぎの進路を与えるという意味から、ボートと湖岸に打った杭との間にロープを張る計画になっていたことが認められる。

このように、ロープを張り渡すとか、あるいは飛込み地点だけでなく、ボートと湖岸の中間にも救助用ボートと救助員、救命胴衣を適宜配置する(その数は、泳ぐ距離と同時に泳ぐ人数とを勘案して、溺れた者を直ちに救助できるようなものにすべきである。)などして、溺れた者があった場合には、その全員をすみやかに救助できるような措置をとるべきである。

被告は、ロープには浮力がないから、これを張ることは救助用として効果がないと主張するが、もしそうであるとすれば、ロープに浮きをつける等して救助用に十分役立つような資材と方法を用いて張るべきなのである。

2  もしも人員、資材、訓練場所の状況等の関係から、右のような措置をとり得ないとするならば、同時に多数の者が泳ぐという訓練方法を避けるべきである。すなわち、救助要員の救助可能な人数ずつ順次着装泳を行なわせ、例えば二名編成の一つの組が無事に岸に到達したことを確認してから後に、次の組を飛び込ませるという措置を講ずべきである。これによって着装のまま泳ぐという訓練の目的は、少しも損われないからである。この場合にも救助要員の配置に配慮しなければならないことはもちろんである。このような方法は、訓練に若干時間を要するという難点があるだけであって、特に資材等を必要とするものではなく、きわめて容易にとり得るものである。

(≪証拠省略≫によれば、本件事故後に、第七師団においては、レンジャー訓練とその安全管理についての実施細則(案)を定めたが、その中には、水上訓練時における不測の事態対処施策として「着装泳においては、絶えず教官、助教の救助力の及ぶ範囲内の人員で訓練し(パディー単位の実施が望ましい)、全員を同時に飛び込ませてはならない」との規定があることが認められる。事故防止のためにとるべき措置として、何人も容易にこのような結論に到達するであろう。このことは、右のような注意義務を要求することが社会通念に合致することを示して余りあるというべきである。)

(四)  右のような注意義務に対比して、実際に本件訓練がどのように行なわれ、事故防止のためにどのような措置がとられたかを検討する。

1  ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

着装泳訓練のために沖合に出た二艘のボートのうち、第一船には宮地教官と二名の助教および一一名の隊員が、第二船には三名の助教および一一名の隊員がそれぞれ乗り込んだ。隊員がれ溺た場合に備えて、救命胴衣三〇個が用意されており、各ボートに一一個ずつ積み込み、残りは岸においた(≪証拠省略≫によれば第一船に一〇個、第二船に六個、残りが岸であって、この点は明確でない。)。また各ボートに長さ三五メートルの訓練用のナイロンザイルを一本ずつ積み込んだ。ほかに各ボートには、長さ五、六メートルの竿が一本ずつと、長さ一五メートル位のロープが一本ずつ備わっていた。なお、各ボートは、全隊員が飛び込んだ後、これを追尾して岸に向う予定であった。これらの措置以外には救助のための措置は特にとられていない。

隊員は、宮地教官の「岸に向って飛び込め」との号令によって順次湖中に飛び込んだ。全員一斉にではなかったが(それは技術的に不可能である。)、数人の組が岸に到達してから次の数人の者が飛び込むという方法はもとより、数人一組ずつ、きちんと時間をおいて一定間隔で順次飛び込むという方法さえもとられず、隊員は、各自思い思いに次々と飛び込み岸に向った。

結局最後まで飛び込まなかった隊員は、第一船の荒山、大久保の二隊員だけであり、第二船は杉本隊員を最後に全員飛び込んだ。杉本隊員が飛び込んだ後に溺れる者が出始め、溺れた隊員の数は約一〇名であった。大久保隊員が、溺れている隊員に気付く直前に見たときは、すでに岸に到達している隊員は三、四人であった。(したがって、一時に約一六名の隊員、少くとも約一〇名の隊員が泳いでいるという状態であった。)

2  なお、救命胴衣については、≪証拠省略≫により、第一船の荒山、大久保の二隊員、第二船の杉本隊員がこれをつけたことが認められる。そして、≪証拠省略≫には、宮地教官は、着装泳訓練の冒頭に助教に対し、曳行訓練の結果水泳能力が不十分と思われた者および助教が危険と判断した者には、救命胴衣をつけさせるように指示したとの部分がある。これに符合するものとして、≪証拠省略≫には、原助教が「泳ぎに自信のない者は申し出るように」と指示したところ、杉本隊員が申し出たとの記載が、また≪証拠省略≫には、宮地教官か誰かが、飛び込ませる際、「泳げない者は救命胴衣をつけろ」といっていたとの記載がある。

しかし、≪証拠省略≫によれば、このようにあらかじめ救命胴衣の着用を教官側から指示された事実があった形跡はうかがわれず、杉本隊員の場合は、救命胴衣の着用の許可をみずから申し出るかどうか非常にちゅうちょした末にようやく決心して助教にその旨申し出て、一番最後に飛び込んだ事実が認められる。また≪証拠省略≫によれば、着装泳訓練のため乗船する際に、甲斐隊員ほか一名の隊員が岸においてあった救命胴衣を携行しようとしたところ、教官に「そんなものを持っていっては訓練にならない、おいてこい」と叱責されて、結局これをもとの場所に返した事実が認められる。したがって、あらかじめ教官あるいは助教から、このような指示があったかどうかきわめて疑わしい。

仮にそのような指示があったとしても、隊員には着装泳の経験が全くないのであるから、はたして救命胴衣なしで泳ぎきることができるかどうか自分で判断できるはずがなく、申出をさせようというのが所詮無理である。したがって、このような指示をした事実があったとしても、宮地教官の過失責任が軽減されるものでもなく、また指示に応じて救命胴衣の着用を申し出ることをしなかった隊員に過失があったということもできない。

3  以上の事実によれば、宮地教官は、訓練に当たって要求される前記のような救助態勢ないし訓練方法をとらなかったことは明らかであるから、教官としての注意義務に違反したものといわざるを得ず、過失の責を免れない。

二  宮地教官が被告の公権力の行使に当たる公務員であり、本件訓練がその職務の執行であることは明らかであるから、被告は本件事故によって生じた損害を賠償する責任がある。

四  原告らの損害について

(一)  亡森山ら四名の死亡当時の年令、自衛隊を退職する時期、在職中の俸給、手当および昇給の状況、学歴、いずれも満六三歳まで就労可能であること、相続関係ならびに遺族補償金および賞じゅつ金の受領額は当事者間に争いがない。

生活費は、自衛隊在職中は、食事、被服、住居等の現物給与があることを考慮しても(なお亡森山の場合、満五〇歳の停年まで引続き隊内に居住することはないであろう。)自衛隊在職中も退職後も収入の二分の一とみるのが相当である。

原告らの慰藉料額は、原告らがいずれもまだ若年の最愛の子に先立たれたことにより受けた精神上の苦痛は甚大なるものがあると認められるから、本件が訓練中の事故であること、昭和四二年の本件事故当時一般に認められていた慰藉料額との均衡等諸般の事情をしんしゃくして後記のとおり認定すべきである。

弁護士費用については、被告が本件訴訟において、自己に損害賠償責任が存することを強く争っている態度からして、原告らの請求に対し任意の支払いに応じたであろうとは到底考えられないから、原告らが、弁護士を訴訟代理人として本件訴訟を提起したことは余儀ないものであったと認められる。原告らとその訴訟代理人との間で、報酬契約が締結されていることは、弁論の全趣旨により認めることができるが、報酬額が認容額の一割であることを認めるに足りる証拠はない。そこで弁護士費用のうち、本件不法行為と相当因果関係に立つ損害は、本件事案の難易、特に本件口頭弁論および証拠調の経過ならびに原告ら代理人から提出された証拠、請求額、認容された額その他諸般の事情をしんしゃくして、認容額のうち約三分三厘(一万円未満四捨五入)が相当と認められる。

中間利息の控除は、ライプニッツ式ではなく、ホフマン式によることにする。

(二)  原告森山正雄の損害

1  亡森山の逸失利益

(1) 自衛隊在職中の逸失利益

損害計算書(一)の各数値(ただし生活費は二分の一)により計算すると、別紙損害計算書(七)のとおり、合計金六、八一四、四六五円となる。

(2) 自衛隊退職後の逸失利益

五〇歳で自衛隊を停年退職した後の職場としては、通常は小規模のものしか見出し得ないと思われる。また亡森山は高等学校を卒業している。

そこで、乙第四号証(労働大臣官房労働統計調査部発行、昭和四五年賃金構造基本統計調査報告)によって、企業規模一〇人ないし九九人、旧制中学または新制高校卒の男子労働者の五〇歳以後の平均給与額をみると、五〇歳から五九歳までの一か月の平均給与は、勤続年数零年で金五九、五〇〇円、一年で金六〇、七〇〇円、二年で金六一、三〇〇円、三年ないし四年で金六四、四〇〇円、五年ないし九年で金七〇、九〇〇円であり、六〇歳以上の一か月の平均給与は勤続一〇年ないし一四年の場合金六三、八〇〇円である。

亡森山も満五〇歳から満六三歳まで生存すれば、少なくとも右平均給与額程度の収入は得られたであろうから、その現価額を計算すると、別紙損害計算書(八)のとおり、合計金二、〇二〇、八九二円となる。

(3) 相続

右合計額金八、八三五、三五七円は原告森山正雄が相続したことになる。

2  慰藉料

金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  損害の填補

支払いを受けた金二、四七〇、〇〇〇円を控除すると、損害額は金八、三六五、三五七円となる。

4  弁護士費用

金二八〇、〇〇〇円が相当である。

5  総額 金八、六四五、三五七円

(三)  原告蔦原伊勢松、同蔦原ミヨの損害

1  亡蔦原の逸失利益

(1) 自衛隊在職中の逸失利益

損害計算書(三)の各数値(ただし生活費は二分の一)により計算すると、金一六二、七七五円となる。

(2) 自衛隊退職後の逸失利益

亡蔦原の学歴は中学校卒業である。

そこで乙第二号証(昭和四三年の前記統計調査報告)によって明らかな、昭和四三年の産業計、企業規模計で男子労働者の小学校、新制中学校の学歴を有する者の平均月間給与および平均年間賞与等によって、満二〇歳(亡蔦原の死亡の一年後で、自衛隊の任期の終了する時)から満六三歳(亡蔦原の死亡から四四年後)までの間の逸失利益を計算すると、別紙損害計算書(九)のとおり、合計金八、一五八、〇七七円となる。

したがって、亡蔦原のこの間の逸失利益は、少くとも原告蔦原両名の主張する金七、〇六五、七七七円を下ることはないものと認められる。この間の逸失利益は原告らの右主張額によることにする。

(3) 相続

右合計額金七、二二八、五五二円は、原告蔦原伊勢松と同蔦原ミヨが二分の一ずつ(金三、六一四、二七六円)相続したことになる。

2  慰藉料

各金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  損害の填補

支払いを受けた各金九九〇、〇〇〇円を控除すると、損害額は各金三、六二四、二七六円となる。

4  弁護士費用

各金一二〇、〇〇〇円が相当である。

5  総額 各金三、七四四、二七六円

(四)  原告伊地知貫一、同伊地知ノリ子、同江藤武光、同江藤アヤの損害

1  亡伊地知、同江藤の逸失利益

(1) 自衛隊在職中の逸失利益

損害計算書(五)の各数値(ただし生活費は二分の一)により計算すると、各金八六、五一〇円となる。

(2) 自衛隊退職後の逸失利益

亡伊地知および同江藤の学歴はいずれも高等学校卒業である。

試みに前記乙第二号証によって明らかな、昭和四三年の産業計、企業規模一〇人ないし九九人(賃金は最も低額である。)で、男子労働者の旧制中学または新制高校卒の学歴を有する者の平均給与によって、満二〇歳(亡伊地知および同江藤の死亡時の年令であり、同人らが自衛隊を退職する年令でもある。)から満六三歳までの間の逸失利益を計算すると、別紙損害計算書(一〇)のとおり、合計金八、〇九二、〇一二円となる。もしも企業規模計の数値によって計算すれば、これよりもさらに高額になる。

したがって、亡伊地知および同江藤のこの間の逸失利益は、いずれも、少くとも原告伊知地両名および同江藤両名の主張する金七、二七一、五三六円を下ることはないものと認められる。同人らのこの間の逸失利益は、右主張額によることにする。

(3) 相続

右合計額金七、三五八、〇四六円は、右原告ら四名が各金三、六七九、〇二三円ずつ相続したことになる。

2  慰藉料

各金一、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

3  損害の填補

原告らについて支払いを受けた各金一、〇二一、五〇〇円を控除すると、損害額は各金三、六五七、五二三円となる。

4  弁護士費用

各金一二〇、〇〇〇円が相当である。

5  総額 各金三、七七七、五二三円

(五)  結局原告らの損害額は次のとおりとなる。

1  原告森山正雄、 金八、六四五、三五七円

2  原告蔦原伊勢松、同蔦原ミヨ 各金三、七四四、二七六円

3  原告伊地知貫一、同伊地知ノリ子同江藤武光、同江藤アヤ 各金三、七七七、五二三円

五  よって、原告らの被告に対する請求は、右各金員およびこれに対する不法行為の後である昭和四二年九月一日から(ただし、弁護士費用に対する成功報酬は、一般に審級ごとに勝訴判決の言渡しがあることを条件として、それと同時に支払う約束がなされるのが通例と認められるから、被害者の不法行為者に対する弁護士成功報酬損害賠償債権の履行期は、被害者に対する勝訴判決の言渡しと同時と解するのが相当である。したがって弁護士費用については遅延損害金の起算日を本判決言渡しの翌日とする。本件においては、原告らが原告ら訴訟代理人に着手金を支払っている事実を認めるに足りる証拠はないから、前認定の弁護士費用は、いずれも成功報酬と認むべきである。)支払いずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを正当として認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、仮執行の宣言の申立については相当でないから却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩村弘雄 裁判官 矢崎秀一 裁判官 飯塚勝)

〈以下省略〉

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com