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東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)125号 判決

原告 山本道生

被告 総務庁恩給局長

訴訟代理人 林茂保 谷口悟 岩井明広 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和四九年二月二七日付けで原告に対してした扶助料請求棄却処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

1  本案前の答弁

(一) 本件訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  本案に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告(昭和四〇年三月一三日生)は、昭和四八年六月一〇日高知市において死亡した元公務員小松生幹(以下「生幹」という。)の婚姻外の子であるが(生幹は原告を昭和四〇年二月二六日胎児認知している。)、昭和四八年九月六日被告(当時の名称は「総理府恩給局長」。以下同じ。)に対し、恩給法(以下「法」という。)に基づき扶助料の裁定請求をしたところ、被告は昭和四九年二月二七日、生幹には法七三条一項、七二条に規定された配偶者である小松千代(以下「千代」という。)が存在するから、原告に扶助料を給することができないとして、これを棄却する旨の裁定(以下「本件処分」という。)をした。

2  原告は、右処分を不服として被告に対し異議申立てをしたところ、被告は昭和五〇年九月九日右異議申立てを棄却する旨の決定を行つた。そこで、原告は、更に内閣総理大臣に対し審査請求をしたところ、同大臣は昭和五八年五月二四日審査請求を棄却する旨の裁決を行つた。

3  右裁決書の謄本は、昭和五八年六月一日付けで被告から送付され、同月六日ころ原告宅へ送達されたようであるが、原告の当時の親権者母山本道子(以下「道子」という。)は骨折等で病院へ入院しており、道子は、生幹の命日である同月一〇日墓参りから帰宅して初めて右裁決書謄本が送達されたことを知つた。

4  生幹と千代との婚姻関係は早くから破綻し、生幹は、昭和三八年高知市比島町に別居して以後千代と関係なく生活をしていたのであるから、千代は法七二条一項に規定する遺族に該当しない。したがって、原告は法に基づく扶助料を受給すべき地位にあるものというべきである。

5  よつて、原告の扶助料請求を棄却した本件処分には法七二条一項の規定の解釈適用を誤つた違法があるから、その取消しを求める。

二  被告の本案前の答弁の理由

本件訴えは、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条に基づく処分の取消しの訴えであるところ、行訴法一四条一項には右訴えの出訴期間につき「処分又は裁決があつたことを知つた日から三箇月以内」と定められ、同条四項において、右第一項の「処分又は裁決」について「審査請求をすることができる場合……において、審査請求があつたときは、その審査請求をした者について、これに対する裁決があつたことを知つた日又は裁決の日から起算する。」と定められている。

これを本件訴えについてみると、原告の扶助料請求の棄却裁決に対する審査請求の裁決は、昭和五八年五月二四日にされ、原告に右裁決書の謄本が送達されたのは同年六月三日であり、したがつて、本件訴えの出訴期間は同年九月二日限り満了する。しかるに、本件訴えは同月四日に提起されており、出訴期間経過後の訴えであることは明らかであるから、不適法な訴えとして却下されるべきである。

三  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の各事実はいずれも認める。同3の事実中、裁決書謄本が昭和五八年六月一日付けで被告から送付されたことは認めるが、右謄本の送達日及び道子が同謄本の送達を知つた日付けは争う。その余は不知。同4の事実中、生幹が高知市比島町に別居したことは認めるが、その余は不知ないし争う。同5は争う。

四  被告の主張

1  被告のした本件処分は、次のとおり適法である。

(一) 扶助料の給与要件について

扶助料は、公務員が在職中死亡し、その死亡を退職とみなすときは之に普通恩給を給すべきとき、又は普通恩給を給せらるる者死亡したるときに、公務員の遺族に対し給されるものである(法七三条)。

右の遺族とは、公務員の祖父母、父母、配偶者、子及び兄弟姉妹にして公務員の死亡当時之により生計を維持し又は之と生計を共にしたるものとされている(法七二条)。

そして、右の遺族の扶助料の給与順位は、配偶者、未成年の子、父母、成年の子、祖父母の順であるから、先順位の遺族がいる場合には、後順位の遺族は先順位の遺族が扶助料を受ける権利を失わない限り扶助料を給されることはないのである(法七三条)。

(二) 原告に扶助料を給与できないことについて

(1) 原告は、後記(3)で述べるとおり公務員の遺族ではあるが、原告が扶助料を給与されるためには、先順位の遺族、すなわち公務員の配偶者が存在しないか、存在しても扶助料を受ける権利を失つた場合であることを要する(法八〇条一、二項)。

法七二条の配偶者については、同法に特別の定めは存しないものの、少なくとも、法律上婚姻関係にある配偶者は、特段の事情のない限り同法上も配偶者であることに疑問の余地はない。

ところで、千代は、生幹の死亡当時戸籍上の妻、すなわち法律上公務員と婚姻関係にあつたばかりでなく、生幹と千代の婚姻生活の実態は、以下に述べるとおりであり、なお、実質的な意味でも婚姻関係が継続していたものといえるから、千代が法七二条に規定する配偶者であることは明らかである。すなわち、生幹と千代とは、昭和三八年一一月から同四八年六月一〇日生幹が死亡するまで別居はしているが、それは、同三九年四月ころ生幹と道子(原告の母)とが同棲したことに基因するのであつて、別居は、生幹の不貞行為が原因であり、それにもかかわらず、千代は生幹との離婚を拒否し、同人の死亡に至るまで同人との同居を切望していたものである。

(2) また、千代は、以下に述べるとおり生幹の死亡当時之により生計を維持し、又はこれと生計を共にしたるものということができる。

すなわち、生幹は、昭和三八年一二月千代と別居するに際し、同女の生活費等に充当するため、現金二〇万円及び額面三〇万円相当の証券を贈与し、かつ、生幹名義の恩給証書を照合済の印鑑と共に交付した。また、千代が生幹を相手方として申し立てていた高知家庭裁判所における婚姻費用の分担審判事件において、同裁判所は、昭和四二年一〇月二日「生幹は千代に対し婚姻費用の分担として即時金二八万円及び昭和四一年一〇月から当事者双方が婚姻を継続し且つ同居するに至るまで月額一万円宛を、同年一二月は計金三万円(一〇乃至一二月の三か月分)、同四三年以降は毎年一月、四月、九月及び一二月の各月に各金三万円宛(三か月分)をいずれも当該月の末日限り高知家庭裁判所に寄託する方法をもつて支払をせよ。」という趣旨の審判をなし、同審判はそのころ確定した。右によれば、千代は別居後生幹の財産及び恩給によつて生計を維持し、また、少なくとも審判の確定後は生幹の婚姻費用分担義務が具体的に形成されることにより、同人の死亡当時直ちにその履行を現実に得られる状態にあつたことは明らかである。

ところで、法七二条にいう「公務員ノ死亡ノ当時之ニ依リ生計ヲ維持シ又ハ之ト生計ヲ共ニシタル」配偶者の意味については、他の社会保障関係諸立法と異なり、同法に内縁の妻の受給権に関する明文の規定が設けられていないのであるから、以下のように解すべきである。すなわち、民法上夫婦間には同居、扶助の義務(七五二条)或いは婚姻費用分担義務(七六〇条)があり、たとえ別居しているものであつても事実上離婚関係に至らない限り、協力・扶助の義務はなくならず、婚姻費用の分担者は、他方に対して生活保持に必要な費用は与えなければならないとされている。したがつて、法律婚姻関係にあれば、たとえ一方が家を出て全くの没交渉であつたとしても、それは扶養義務を怠つているに過ぎず、婚姻による法律的効果からいえば、生計維持関係が存続しているものと考えられるのである。

そこで、本件についてこれを見ると、千代は生幹との別居後生幹の財産及び恩給によつて生計を維持し、また婚姻費用の分担の審判の確定後は生幹の婚姻費用分担義務が具体的に形成され、その義務が概ね履行されていたのであるから、千代が「公務員ノ死亡ノ当時之ニ依リ生計ヲ維持シ又ハ之ト生計ヲ共ニシ」ていたことは明らかである。したがつて、千代は、法七二条に規定する扶助料の給与されるべき第一順位の遺族であるというべきである。

(3) 生幹と原告は、昭和四八年六月一〇日高知市において生幹が死亡するまで同居していたことが認められるので、未成年の子として法七二条に規定する第二順位の遺族ということになるが、前述したとおり先順位の遺族として千代がいる以上、いまだ扶助料を受給すべき権利は発生していないものである。

2  以上の次第であるから、原告に扶助料を給与し得ないとした被告の本件処分は正当であり、何ら違法とされるいわれはない。

五  被告の主張に対する認否並びに原告の反論

被告の主張1(二)(1)の事実中、生幹と千代とが昭和四八年六月一〇日生幹が死亡するまで別居していたことは認める。ただし、別居したのは昭和三八年一二月からである。その余の事実は否認し、主張は争う。同(2)の事実中、生幹が昭和三八年一二月千代に現金二〇万円及び額面三〇万円相当の証券を贈与し、かつ、生幹名義の恩給証書を照合済の印鑑と共に交付したこと及び昭和四二年一〇月二日高知家庭裁判所において被告主張の審判があり、右審判がそのころ確定したことは認める。ただし、千代は、生幹との離婚に同意することを条件に生幹から右金品を受領したものである。その余の事実は否認し、主張は争う。生幹は、前記審判の内容を履行しておらず、千代は生幹の死亡当時同人からの仕送りによつて生計を維持してはいなかつたのである。同(3)の事実中、生幹と原告は、昭和四八年六月一〇日高知市において生幹が死亡するまで同居していたことは認めるが、その余は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1及び2の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  被告は、本件訴えは出訴期間を徒過して提起された不適法な訴えである旨を主張するので、判断する。

請求原因3の事実中、本件処分の審査請求に関する裁決書謄本が昭和五八年六月一日付けで被告から送付されたことは、当事者間に争いがなく、右事実に前記争いのない請求原因1及び2の事実、成立に争いのない乙第一号証、原告法定代理人山本道子の尋問結果(第一回)により真正に成立したものと認められる甲第一、二号証、第三号証の一、二、右山本道子の尋問結果(第一回)を総合すれば、次の事実が認められる。

原告は、昭和四九年二月二七日付けでされた本件処分を不服として被告に対し法一三条に基づき異議申立てをしたところ、被告は、昭和五〇年九月九日これを棄却する旨の決定を行つた。そこで、原告は、法一四条一項に基づき内閣総理大臣に対し審査請求をしたところ、内閣総理大臣は昭和五八年五月二四日右請求を棄却する旨の裁決を行つた。これを受けて、被告は、同年六月一日右裁決書の謄本を当時の原告の親権者である道子宛に送付し、右謄本は、同月三日原告肩書地の道子宅へ送達された。ところが、道子は、胸部挫傷等により同年五月二〇日から高知市知寄町一丁目五番一五所在の図南病院において入院加療中であつたため、原告がこれを受領したが、同人は道子に連絡をしないでいた。道子は、生幹の命日である同年六月一〇日に一時帰宅し、その際右裁決書の謄本を発見し、本件処分に関する審査請求の裁決があつたことを知つた。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、行訴法一四条四項所定の「裁決があつたことを知つた日」とは、審査請求人が未成年者である場合には、その法定代理人である親権者が裁決書の謄本を受領するなどして裁決のあつたことを現実に知つた日を指すものと解すべきであるところ、右認定事実によれば、原告の当時の親権者母道子が右謄本の送達を知つたのは昭和五八年六月一〇日であり、他方、本件訴えが同年九月四日に提起されたものであることは記録上明らかであるから、本件訴えは、出訴期間を遵守した適法な訴えであるというべきである。したがつて、被告の前記本案前の主張は、採用することができない。

三  次に本件処分に原告主張の瑕疵が存するか否かを検討する。

1  法は、公務員が在職中死亡しその死亡を退職とみなすときはこれに普通恩給を給すべきとき、又は普通恩給を給せられる者が死亡したときには、公務員の遺族に対し扶助料を給することとし(七三条一項)、右の遺族とは、公務員の祖父母、父母、配偶者、子及び兄弟姉妹であつて、公務員の死亡当時これにより生計を維持し、又はこれと生計を共にしていたものをいうと規定するところ(七二条一項)、原告が公務員であつた生幹の子であること(請求原因1の事実)は、当事者間に争いがない。しかし、扶助料を給与すべき遺族の順位は、配偶者、未成年の子、父母、成年の子、祖父母の順とされているのであるから(七三条一項)、先順位の遺族が存在する場合には、後順位の遺族は、先順位の者が扶助料受給権を失わない限り(八〇条)扶助料を受給する権利を有しないものというべきである。

そこで、以下、千代が法七二条一項所定の遺族に該当するか否かにつき判断する。

(一)  千代が公務員の配偶者であることについて

被告の主張1(二)(1)の事実中、生幹と千代は生幹が昭和四八年六月一〇日死亡するまでの一定期間別居していたこと及び同(3)の事実中、原告は生幹が死亡するまでの間同人と同居していたことは、当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第五七号証の二ないし一一、乙第二号証、第三号証の一、二、第四号証の一、二、第六号証、第七号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一、二、生幹の葬儀及びその墓石を写したものであることは当事者間に争いのない乙第九号証の三、証人小松千代、同小松剛二、同山本道子、同山本幸尾の各証言、原告法定代理人山本道子の尋問結果(第二回)を総合すれば、次の事実が認められる。

(1) 生幹(明治三五年六月一八日生)と千代(明治三三年四月一〇日生)は、大正一〇年八月結婚したが、当時生幹は大阪に勤務し、千代も東京で勤務するかたわら夜学に通つていたため、別居生活をしていた。右両名は大正一一年ころ、南国市物部四八三番地の千代の生家に戻り、同所において同居生活を開始し、大正一二年三月二〇日婚姻の届出をした。生幹は、その後高知県庁職員を勤めた後、大正一四年東京物理学校へ入学し、昭和四年に同校を卒業して同年四月三重県立桑名中学校教諭として赴任した。一方、千代は、前記南国市物部四八三番地の生家において祖母及び母と共に養蚕業に従事しながら、生幹と別居生活を送つていたが、生幹は休みの度に帰宅をし、桑名市で一年間ほど千代と同居生活をしたこともあつた。この間千代は、大正一二年に長女みさ子を、昭和二年に長男陽一を、昭和五年に二男剛二をそれぞれ出生した。右別居期間中の千代及びその家族の生活は、主として生幹からの毎月二〇円の仕送りによつて維持されていた。生幹は昭和一三年高知県立高知工業学校教諭に就任し、その後は千代及びその家族と同居するに至り、千代らは生幹の収入によつて生計を維持していた。生幹は、昭和三六年三月高知西高等学校を最後に退職し、同時に高知県教育委員及び土佐女子高等学校講師に就任した。他方、千代は、子供の養育及び家業に従事するかたわら、昭和二六年から農業協同組合の婦人部長等として活躍していた。その間、生幹と千代は、後記道子との関係が生ずるまでは、夫婦関係も概ね円満であつた。

(2) 道子(昭和六年三月二三日生)は、昭和三一年二月二三日近藤和男と協議離婚したものであるが、同人及び道子が生幹の俳句仲間であつたため、生幹に離婚の相談をしたことを契機として生幹と親しく交際するようになり、昭和三五年七月ころから肉体関係を持つに至つた。道子は、昭和三八年秋ころ剛二らに対し生幹の生話をしたい旨を申し出、生幹は、同年一二月千代に対し「一人で勉強したい。」「一人で静かにおりたい」等と言いながら別居を持ちかけ、千代もやむなくこれに同意したため昭和三九年一月初旬高知市比島二八二番地所在の借家で別居生活を始めた。その後、千代は生幹の身の回りの世話をするため別居先をしばしば訪れていた。道子は、昭和三九年四月ころ、生幹が病院から退院したのを契機として高知市比島一二二番地において生幹と同棲を始め、ほどなく生幹の子を懐任し昭和四〇年三月一三日原告を出生した。生幹は、道子との関係が表画化したため昭和四〇年二月教育委員及び高校講師を辞任し、同月二六日原告を胎児認知した。千代は、そのころも別居先を訪れ生幹に道子との関係を精算するよう要請したが、生幹から夫婦の関係を破壊したくなければもう少し辛抱してほしい旨を懇請されたため行くのを止めた。生幹と道子及び原告は、高知市薊野一二六五番地において同居生活を継続していたが、その間、生幹の家庭教師、予備校講師などによる報酬、恩給、道子のアルバイト収入等により生計を維持していた。

(3) 千代は、生幹が別居した後も同人との婚姻を継続する意思が強く、再三にわたり前記のように別居先を訪れたばかりでなく、生幹の実兄八木陽芽らを通じ不倫の関係を絶つように要請し、道子の母山本幸尾に道子を引き取るように申し出た。また、千代は、昭和四〇年一月二五日高知家庭裁判所に対して夫婦関係調整の調停申立てを行つたが、右調停は同年四月一日不調に終つた。更に、千代は、同年六月東京家庭裁判所に対し、上京中の生幹を相手方として婚姻費用分担の調停申立てを行つた。その一方で、千代は、道子と生幹の不倫を原因とし高知地方裁判所に対し道子を被告とする慰謝料請求の訴えを提起し、昭和四三年二月八日一部勝訴判決を受けた。千代は、生幹との同居を望み、婚姻関係の維持継続のために種々の努力を重ねたが、生幹及び道子は、千代の要請に応じず、同居を解消するに至らなかつた。

(4) 千代は、昭和四八年四月末ころ道子から生幹が癌で入院した旨の連絡を受けると、四回程生幹の入院先の病院に見舞いに行き、同人が手術を受ける際には同意書に押印し、陽一らと共に手術に立ち会つた。生幹は同年六月一〇日死亡したが、遺体は道子が引き取り、火葬にして分骨し、千代及び道子はそれぞれ葬儀を行つた。その後、千代は、新盆に家族と共に故人の霊を弔い、七回忌の法要を行い、墓石を建立した。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、法七二条に規定する配偶者は、民法の採用する法律婚主義の建前にかんがみると、公務員と法律上婚姻関係にある者をいうものと解されるが、例外的に、当該法律上の婚姻関係が全く実体を失つて形がい化していて法律上の離婚があつたのと同視し得るような特段の事情がある場合には、当該配偶者は、同条所定の配偶者から除かれるものと解すべきである。

これを本件についてみると、前記認定事実、ことに、千代は生幹と別居後も同人との婚姻関係の維持継続を強く望み、婚姻関係回復のために可能な限りの手段を行使してその回復に尽力して来たものであること、別居後も生幹との交流は続き、同人の妻として一定の役割を果たして来たことに加え、後記認定のとおり千代は別居後もほぼ定期的に生幹から生活費として一定の金員の支給を受けていたものであること等の諸事情を合わせ考慮すると、生幹と千代は九年余りという比較的長期の別居生活を送つて来たものではあるが、それが当事者の離婚の合意に基づくものということができないのみならず、夫婦共同生活が長期間断絶し、これが固定化していたものということができないのであるから、生幹と千代の婚姻関係が全く形がい化していたものと解することはできないものというべきである。

そうすると、千代は、法七二条に定める「配偶者」に該当する者といわなければならない。

(二)  千代が公務員の遺族であることについて

被告の主張1(二)(2)の事実中、生幹が昭和三八年一二月千代に現金二〇万円及び額面三〇万円相当の証券を贈与し、かつ、生幹名義の恩給証書を照合済の印鑑と共に交付したこと及び昭和四二年一〇月二〇日高知家庭裁判所において被告主張どおりの審判があり右審判がそのころ確定したことは、当事者間に争いがない。右事実に前掲乙第三号証の一、二、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一、二、成立に争いのない乙第一一号証の一、第一二号証、第一三号証の一ないし三、原本の存在は当事者間に争いがなく、その成立の真正は弁論の全趣旨によつて認められる乙第一一号証の二(写)、証人小松千代、同小松剛二の各証言、原告法定代理人山本道子の尋問結果(第二回)(後記措信しない部分を除く。)を総合すれば、次の事実が認められる。

生幹は、千代と別居するに際し、千代の生活費等に当てるため、「小松生幹の恩給金額は今後妻小松千代のものとして与える事を約束する」旨を記載した書面と共に、生幹名義の恩給証書と照合済の印鑑を千代に交付し、同時に現在二〇万円及び額面三〇万円相当の証券を贈与した。千代は、その後、右恩給、農業収入、陽一の勤労収入等で生計を維持していた。ところが、生幹は、昭和四〇年二月前記の経緯で公職を退き、定収がなくなつたため、自ら恩給を受給すべく改印の上支給郵便局の変更手続を行つた。そのため、千代は、恩給を受給できなくなつたので、同年六月、東京家庭裁判所に上京中の生幹を相手方とし婚姻費用分担の調停申立てを行い、同事件は生幹の帰高に伴い高知家庭裁判所に移送されたが、不成立に帰して審判に移行し、その結果、同裁判所は、昭和四二年一〇月二〇日「生幹は千代に対し婚姻費用の分担として即時金二八万円及び昭和四二年一〇月から当事者双方が婚姻を継続し且つ同居するに至るまで月額一万円宛を、同年一二月は計金三万円(一〇乃至一二月の三か月分)、昭和四三年以降は毎年一月、四月、九月及び一二月の各月に各金三万円宛(三か月分)をいずれも当該月の末日限り高知家庭裁判所に寄託する方法をもつて支払をせよ。」という内容の審判をし、右審判は、昭和四二年一〇月二〇日確定した。しかるに、右審判後生幹が右金員の支払をしなかつたため、千代は、昭和四五年一一月一四日同裁判所を通じて最初の分担金二万円を受領し、その後は「毎回裁判所の手をわずらわすのも申し訳ないので直接手渡したい。」という生幹の申出により、道子に知られないようにしながら、バスの停留所やうどん屋等で待ち合わせて生幹から二万円ないし四万円を受け取り、時には八木陽芽を通じて受領していた。このような生幹から千代に対する金員の支給は、三月に一回位の割合で生幹が癌で入院する約一年位前の昭和四七年四月ころまで続いた。その後、生幹は、病気などの理由により千代に連絡をしなくなつたが、千代は生幹を気の毒に思い敢えて自ら請求したり、法的手段を取らなかつた。

以上の事実が認められる。原告法定代理人山本道子の尋問結果(第二回)中には「生幹は右審判に基づき千代に対し生活費の仕送りをしたことはない」「これを渡すだけの金を所持していなかつた」旨の供述部分が存するが、前掲各証拠によれば、当時生幹には家庭教師等のアルバイト収入、恩給等自由に使うことのできる所持金があり、死亡当時道子の知らなかつた隠し預金も存在した事実が認められるのであつて、右事情に別居中の夫が正妻に生活費を渡すことを不倫の相手方に告げ、争いの原因を作ることは通常考えられないことにかんがみると、右供述部分は採用し難く、前記認定を覆すに足りないものというべきである。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、法七二条一項は、「本法ニ於テ遺族トハ公務員ノ祖父母、父母、配偶者、子及兄弟姉妹ニシテ公務員ノ死亡ノ当時之ニ依リ生計ヲ維持シ又ハ之ト生計ヲ共ニシタルモノヲ謂フ」と規定し、配偶者のほか、祖父母、父母、兄弟姉妹等についてもあわせて規定しているが、祖父母、父母、兄弟姉妹等は必ずしも常に公務員によつて生計を維持し又はこれと生計を共にするものではなく、ときには公務員により生計を維持せず、又はこれと生計を共にしないこともあるものであるのに対して、配偶者は、法律上公務員により生計を維持し(公務員には配偶者に対して扶助義務、婚姻費用分担義務がある。民法七五二条、七六〇条参照)、これと生計を共にする(公務員には同居義務がある。民法七五二条参照)ものとされているのであるから、祖父母、父母、兄弟姉妹等の場合には、遺族たるには、文字どおり、現に公務員により生計を維持し又はこれと生計を共にした者であることという要件が付加されたものと解されるが、配偶者の場合は右のとおり、法律上すでに扶助義務、婚姻費用分担義務ないし同居義務があるのであるから、同項の規定の文字どおりの意味において、公務員により生計を維持し又はこれと生計を共にした者であることという要件が付加されたものと解するのは相当でないというべきである。そして、法が他の社会保障関係法律と異なり内縁の妻の受給権について明文の規定を設けていないなど配偶者につき法律婚を重視していることにかんがみ、法律上の配偶者は、公務員に配偶者に対する扶助義務、婚姻費用分担義務ないし同居義務を負わせることが極めて不合理であると認められる特段の事情のない限り、現に公務員により生計を維持し又はこれと生計を共にした者であるか否かにかかわらず、原則として、同項の規定する遺族に当たるものと解するのが相当である。

このような見地に立つて本件をみると、前記認定事実によれば、千代は、生幹と別居後も、同人が残した現金及び恩給等により生計を維持し、恩給を受給できなくなつた後も、婚姻費用分担の審判に基づき定期に一定額の金員の支給を受け、右状態は生幹死亡の一年二か月位前まで続いていたというのであり、また、その後も千代は右審判に基づきいつでも婚姻費用の支給を受くべき法的地位にあつたというのであるから、千代には生幹に扶助義務・婚姻費用分担義務ないし同居義務を負わせることが極めて不合理であると認められる特段の事情は到底認められないものというべきであり、千代は法七二条一項にいう遺族に該当するものというべきである。

2  以上のとおり、千代は法七二条一項、七三条一項に規定する第一順位の遺族であり、千代が扶助料受給権を失うべき事情は本件証拠上認められないから、原告は法七三条一項に規定する扶助料を受給することのできる遺族に該当しないものといわざるを得ない。したがつて、原告の扶助料請求を棄却した被告の本件処分には何らの瑕疵もないものといわなければならない。

四  よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸達徳 小磯武男 金子順一)

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