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東京地方裁判所 昭和61年(レ)69号 判決

控訴人 林志陽

右訴訟代理人弁護士 伊東眞

被控訴人 古村スマ子

右訴訟代理人弁護士 長塚安幸

同 望月千鶴

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

二  控訴の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件賃貸借契約関係の存在

被控訴人の夫古村啓蔵(以下「啓蔵」という。)と控訴人との間には、昭和五三年二月七日時点で、別紙物件目録(一)記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、同目録(二)及び(三)記載の部分(以下それぞれ「一階賃貸部分」、「二階賃貸部分」といい、これらを併せて「本件賃貸部分」という。)を控訴人に賃貸するとの契約関係(以下「本件賃貸借」という。)が存在しており、控訴人は、これに基づいて、本件賃貸部分の引渡しを受けていた。

2  被控訴人の相続

啓蔵は右同日死亡し、同人の妻である被控訴人が本件建物の所有権を相続によって取得した。

3  控訴人の用方違反

(一) 控訴人は、本件賃貸借につき啓蔵との間で、本件賃貸部分を控訴人一家の居住用として使用する旨合意していた。

(二) 控訴人は、昭和四三年九月に本件賃貸部分の一部を賃借した後いつしか本件賃貸部分内で猫を一匹飼育し始め、その数は次第に増えて八匹となり、更に、遅くとも昭和五八年四月ころには、別紙図面一階平面図のイ、ロ、ハ、ラ、ウ、ネ、ナ、ム、イの各点を順次結んだ直線で囲まれた範囲の部分(以下「北六畳間」という。)及び同平面図のヨ、タ、レ、ソ、ツ、ヨの各点を順次結んだ直線で囲まれた範囲の部分(以下「南六畳間」という。)において各四匹ずつ、また、二階賃貸部分において二匹、合計一〇匹の猫を飼育するに至り、これらを各部屋内で放し飼いにする一方、控訴人一家は本件賃貸部分には居住しなくなっていた。このため、各部屋は猫の悪臭がしみつき、また、ダニ、シラミ、ノミその他家畜に寄生する昆虫類及びサルモネラ菌が生育する可能性もあって、極めて不衛生な状態におかれていると共に、柱といわず窓わくといわず、猫が爪をとぐため、損傷するにまかされていた。

(三) また、控訴人は、本件賃貸部分の周辺に猫のえさを置き、野良猫を多いときには十数匹も飼育した。そのため、特に春秋の発情期には、集まってくる野良猫のけたたましい鳴き声で近隣の静ひつが害されるうえ、これらの猫の強い悪臭などで近隣との紛争も絶えず、被控訴人にも苦情が寄せられているが、控訴人が頑として野良猫の飼育をやめようとしないため、被控訴人は困惑していた。

4  本件賃貸借の解除

被控訴人は、昭和五八年五月一二日に到達した書面で、控訴人に対し、右のような猫の飼育を中止するよう催告するとともに、控訴人がこれを中止しないまま四日が経過すれば本件賃貸借を解除する旨の意思表示をし、右期間は経過した。

5  相当賃料額

右解除当時の本件賃貸部分の賃料額は、一か月一一万七〇〇〇円が相当である。

よって、被控訴人は、控訴人に対し、本件賃貸借の終了に基づき、本件賃貸部分の明渡し及び本件賃貸借終了の後である昭和五八年五月一八日から明渡しずみまで、一か月一一万七〇〇〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2は認める。

2  同3(一)は明らかに争わない。同3(二)のうち、控訴人が、北六畳間及び南六畳間で各四匹ずつ、合計八匹の猫を飼育していたことは認め、その余は否認する。そもそも本件賃貸借には、猫の飼育を禁止する特約はなかったから、控訴人が本件賃貸部分で猫を飼っても、その用方に違反するとはいえない。また、控訴人は、これらの猫について、いずれも去勢手術をさせ、猫の用便のために、新聞紙の切片を入れた箱を用意するなど室内を清潔に保つよう特に留意しており、本件賃貸部分に悪臭をしみつかせたり、これを損傷させたりはしていない。同3(三)のうち、控訴人が本件賃貸部分の周辺に猫のえさを置いたことは認め、その余は否認する。控訴人は、本件賃貸部分の周辺で捕獲した野良猫は、牝猫であればすべて避妊手術を施し、また、飼育猫は一切室外に出さないなど、近隣に対しても十分配慮しており、被控訴人に何ら迷惑はかけていない。

3  同4のうち、催告及び解除の意思表示の到達は認める。

4  同5は否認する。

三  抗弁

控訴人とその妻が本件賃貸部分に常住していないのは、次のとおり賃貸人である被控訴人が本件賃貸部分の修繕を拒んでいることによるものであるから、当事者間の信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情がある。

(一)  啓蔵及び被控訴人は、昭和四三年九月以後一度も本件賃貸部分の屋根に塗装を施さなかったため、屋根のトタン板及び雨どいが腐食して随所に破損をきたし、昭和五四年ころから雨漏りがするようになって、これにより、畳、床等のいたみも激しくなった。

(二)  また、控訴人は、二階賃貸部分にある風呂設備が利用できるとのことで本件賃貸部分を賃借したものであるのに、昭和五五年前後から、この設備も老朽化して、階下へ水漏れがするため、使用不能となった。

(三)  控訴人は、被控訴人に対し、これらの修繕を再三要求したが、被控訴人はこれに応じなかった。被控訴人が本件賃貸部分の修繕義務を故意に怠ったことにより、本件賃貸部分は、極度に荒廃し、著しく居住困難な状況になったものであるから、現在控訴人が本件賃貸部分に居住していないとしても、当事者間の信頼関係を破壊すると認めるに足りない特段の事情がある。

四  抗弁に対する認否

全部否認する。昭和五六年七月の台風による強風豪雨で二階部分和室の床の間(別紙図面の二階平面図のタ、オ、ワ、カ、ヨ、タの各点を順次結んだ直線で囲まれた範囲のうち、板敷と記載された部分)に若干雨漏りがあったのを除いて、その余の部分には、全く雨漏りなどはしておらず、畳や床なども全く腐ってはいない。また、風呂設備が使用不能となったとしても、控訴人が湿気抜きなどの管理を怠ったためであって、被控訴人にこれを修繕する義務などはない。本件賃貸部分は、見晴らしは良く風通しも良くて、居住に最適であり、居住が不可能などというのは、全く事実に反する。そもそも、控訴人は、入口の鍵を勝手に取り替えるなどして、被控訴人が本件賃貸部分に出入りすることが全くできないようにしており、被控訴人は本件賃貸部分内部の状況を全く知ることができなかったのである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(本件賃貸借契約関係の存在)及び同2(被控訴人の相続)は、当事者間に争いがない。

二  請求原因3(控訴人の用方違反)について判断する。

1  控訴人が、本件賃貸借契約につき、啓蔵との間で、本件賃貸部分を居住用として使用する旨合意したことは、控訴人において明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

2  ところで、居住用の目的でした建物の賃貸借契約において、当該建物内で猫等の家畜を飼育してはならないとの特約がない場合であっても、猫等の家畜を飼育することによって、当該建物を汚染、損傷し、更には、近隣にも損害ないし迷惑をかけることにより賃貸人に苦情が寄せられるなどして、賃貸人に容易に回復し難い損害を与えるときは、当該家畜の種類及び数、飼育の態様及び期間並びに建物の使用状況、地域性等をも考慮したうえで、なお、家畜の飼育が居住に付随して通常許容される範囲を明らかに逸脱していて、賃貸借契約当事者間の信頼関係を破壊する程度に至っていると認められる限り、右家畜の飼育は、賃貸借契約における用方違反に当たるというべきである。

3  そこで、まず本件建物(ないし本件賃貸部分)の地域性、使用状況についてみるに、《証拠省略》によれば、本件建物の位置する一帯は、比較的規模の大きい宅地が多く、木造二階建の居宅が多い中級以上の住宅地であって、交通も至便であることが認められる。また、《証拠省略》によれば、本件建物は、二階建の居宅であって、本件賃貸部分のうちの北六畳間に隣接して四畳半の部屋があり、かつて、他の賃借人が居住して、本件賃貸部分内の内玄関、一階廊下及び便所を控訴人と共用していたこと、本件賃貸部分及び右四畳半の部屋と、被控訴人の居住している本件建物のその余の部分とは、同一敷地内にあり、一応ドアで隔てられているものの棟続きであることが認められる。

4  控訴人の本件賃貸部分での猫の飼育についてみるに、《証拠省略》によれば、控訴人は洋画家で、猫の絵を描くのが好きだったところから捨て猫を飼うようになり、昭和四五年ころ、一匹飼い始めたのを嚆矢として、以後その数は順次増え、昭和四九年ころには八匹に達していたことが認められる。また、《証拠省略》によれば、控訴人は、昭和六〇年五月ころには、南、北六畳間で各四匹ずつ(この事実は当事者間に争いがない。)、二階賃貸部分で二匹の、計一〇匹を飼育するに至っていたことが認められる。

そして、《証拠省略》によれば、控訴人は、前記各部屋の戸を閉め切り、窓には金網を張って、猫が右各部屋から外に出ないようにして放し飼いにしていたことが認められる。そして、《証拠省略》によれば、右各部屋の柱、壁面及び窓枠の随所に猫の爪痕とみられる損傷が多数あったことが認められる。また、《証拠省略》によれば、控訴人は猫の排泄場所として各部屋に千切った新聞紙を入れたプラスチックの箱を置いて糞尿はそこでするように猫をしつけていたが、これらの排泄物は、控訴人が臭いと感じるまではそのまま放置されていたこと、各部屋にはネコノミが発生していたことが認められ、控訴人の猫飼育によって各部屋は、不衛生な状態におかれていたものということができる(もっとも、悪臭については、なるほど前記認定のような控訴人の猫の飼育状況に照らせばかなりあったのではないかとの疑いも否定し去ることはできないが、他方、《証拠省略》によれば、控訴人が消臭剤を用いていたこと、北六畳間のすぐ隣りの四畳半に下宿していた網代修一が控訴人の猫飼育によって何ら迷惑を受けていない旨の書面に署名押印していることが認められ、これらに照らすと、結局、前記飼育状況から直ちに悪臭があったものと推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)。

加えて、《証拠省略》によれば、遅くとも昭和五八年四月ころまでには、控訴人及びその家族は他に住むようになって本件賃貸部分には居住しなくなり、控訴人は、もっぱら猫の飼育場所、控訴人のアトリエ及び物置として、これを使用していたことが認められる。

5  更に、《証拠省略》によれば、控訴人は、野良猫のために、本件賃貸部分の周囲の数か所にペットフードなどのえさを置き(控訴人が本件賃貸部分の周囲に猫のえさを置いていることは当事者間に争いがない。)、軒下等に発泡スチロールの空箱を利用した猫小屋を設置したりしていて、そのために野良猫十数匹余りが常時本件建物の敷地内に集まり、出入りしていたこと、そのため、被控訴人方と控訴人で共用している本件建物の門柱付近の植え込みではこれらの猫の糞尿による悪臭がひどいうえ、これらの猫が徘徊するので、家屋内に侵入されないようにするために、部屋を空けるときには、窓や戸などを閉め切りにせざるをえず、また、猫の足跡で汚されるため、監視をしていなければ布団などを干すこともできず、更に、特に春秋の発情期には、これらの猫の鳴き声や駆け回る音で被控訴人方の静ひつが害されるのみならず、右猫の悪臭などについて被控訴人方への来客から苦情を言われることもあって、被控訴人の日常生活に多大の支障が生じていたこと、これらの野良猫が近隣住民にも右と同種の被害を及ぼしているため(徘徊する猫の侵入を防ぐために、塀に金網や鉄条網を設置した家もあり、これらの野良猫のため、本件建物は、近隣住民から「猫屋敷」と呼ばれるほどであった。)、その苦情が被控訴人方に寄せられ、被控訴人を困惑させていたことが認められる。

加えて、《証拠省略》によれば、控訴人は被控訴人の家族などが猫を追い払おうとすると、立腹して不穏当な言辞を口にすることもあり、被控訴人らからの苦情に対しても頑くなな態度をとっていたことが認められ(る。)《証拠判断省略》

6  以上の認定事実によれば、控訴人の本件賃貸部分における猫の飼育は、一〇年近くにわたり、猫の数が八匹ないし一〇匹に及んでいるうえ、隣室に他の賃借人が居住し、一応ドアによって遮断されているとはいえ、賃貸人である被控訴人も同一建物に居住しているという状況下で行われ、その態様も各部屋内に猫を放し飼いにして鍵をかけ押し込めるというもので、これによって柱や壁などに損傷を生じさせ、各部屋内を不衛生な状態にしていることにも照らすと、右飼育の状況は、居住に付随して通常許容される限度を明らかに超えるものであった(特に、遅くとも昭和五八年五月時点では、控訴人は本件賃貸部分に居住すらしていなかったのであるから尚更である。)といえる。そして、控訴人が野良猫をも飼育して、日常生活及び近隣住民との交際の面において被控訴人に少なからぬ支障を生じさせていたこと及びこれに対する控訴人の対応などをも併せ考えると、控訴人の本件賃貸部分内外での猫飼育は、賃貸借契約当事者間の信頼関係を明らかに破壊する程度に至っていたといえるから、本件賃貸借において定められた本件賃貸部分の用方に明らかに違反するものといわざるをえない。

7  もっとも、《証拠省略》によれば、控訴人は、本件賃貸部分内で飼育している猫は一切室外に出さないようにし、また、これら全部の猫について避妊、去勢手術を受けさせ、前記認定のとおり排泄場所を作って、糞尿はそこでするように猫をしつけ、臭いと感じたらその新聞紙はビニール袋に入れてごみ収集の際に捨てるなど、猫の飼育に際して配慮していたことが認められる。しかし、これらの事実のみから直ちに控訴人の前記認定のような所業が正当化されるものとは到底いうことができず、右事実は前記認定判断を左右するものではない。

また、控訴人が既に昭和四九年ころから八匹以上の猫を飼育していたことは前記認定のとおりであり、弁論の全趣旨によれば、それにもかかわらず本件賃貸借が更新されてきたことが認められるが、《証拠省略》によれば、控訴人が本件賃貸部分の内玄関の鍵を被控訴人に無断で付け替え、各部屋の扉にもそれぞれ鍵をつけて被控訴人らを立ち入らせないようにしていたため、被控訴人は控訴人の右のような猫の飼育状況を知ることができず、昭和五八年四月ころ初めてこれを知るに至ったことが認められるから、右更新の事実も前記認定判断を左右するものではない。

更に、《証拠省略》によれば、近隣住民の中には猫による被害は受けていないとする者もいることが認められるが、被害を受けたとしている者に比してごく少数にすぎないから(《証拠省略》添付の地図によれば、右《証拠省略》の署名者には近隣住民とはいえない者も二、三名含まれていることが認められる。)、この事実も前記認定判断を左右するものではない。

また、《証拠省略》によれば、控訴人は捕獲することのできた一〇匹位の野良猫について避妊ないし去勢手術をさせていることが認められるが、それにもかかわらず、前記認定のような被害が生じている以上、右事実も前記認定判断を覆すものではないといわなければならない。

三  請求原因4のうち、催告及び本件賃貸借解除の意思表示が到達したことは当事者間に争いがなく、期日の経過は当裁判所に顕著である。

四  抗弁(信頼関係を破壊しない特段の事情)についてみるに、仮に所論の事実があったとしても、前記認定のような猫の飼育が許されるとは到底いうことができず、控訴人の前記用方違反の態様及び程度並びにこれによって被控訴人の受けた損害や控訴人の右損害に対する対応などに照らせば、既に控訴人と被控訴人の間の信頼関係は破綻していると認めるに十分であって、右事実のみではこの判断が左右されることはないといわなければならない。

よって、抗弁は理由がない。

五  以上のとおりであるから、本件賃貸借は、昭和五八年五月一六日の経過をもって解除により終了したものというべきである。そして、《証拠省略》によれば、本件賃貸借終了の後である同月一八日時点の本件賃貸部分の相当賃料額は、一か月一一万七〇〇〇円であったことが認められる。

したがって、控訴人は、被控訴人に対し、本件賃貸借の終了に基づき、本件賃貸部分を明け渡し、かつ、本件賃貸借終了の後である昭和五八年五月一八日から明渡しずみまで一か月一一万七〇〇〇円の割合による賃料相当損害金を支払う義務があるものというべきである。

六  よって、被控訴人の請求は理由があるから、これを認容すべきであり、これと結論を同じくする原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 平手勇治 裁判官 後藤邦春 瀬戸口壯夫)

〈以下省略〉

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