大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京地方裁判所 昭和61年(ワ)1795号 判決

原告

甲野太郎

原告

甲野花子

原告

甲野雪子

右三名訴訟代理人弁護士

有賀信勇

横田雄一

駒場豊

一瀬敬一郎

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右指定代理人

野崎守

伊藤勇

被告

東京都

右代表者都知事

鈴木俊一

右指定代理人

梅澤洋三

兼子慎介

篠原茂

荻島昭彦

福本勝洋

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告らに対し、各金三六〇万円及びこれに対する昭和六一年二月二八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文一、二項と同旨。

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位

(一) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)はA(以下「A」という。)の父であり、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)はAの母である。

(二) 原告甲野雪子(以下「原告雪子」という。)は、昭和五六年一月一三日当時、Aの許婚者であって、既に結納を交わし、同年四月一九日には挙式の予定であったものである。

2  Aに対する逮捕状の発付

警視庁公安部又は警視庁東調布署の司法警察員(以下「警視庁の司法警察員」という。)は、昭和五六年一月一三日、Aを被疑者とする殺人等被疑事件(以下「本件被疑事件」という。)について、同人の逮捕状を請求し、その逮捕状の発付を得た上、全国に指名手配し、その旨、報道機関に発表した。

Aに係る本件被疑事件の被疑事実の要旨は、新聞報道等によれば、概ね、「Aは、多数の者と共謀の上、昭和五五年一〇月三〇日午前一〇時四五分頃、東京都大田区南千束二丁目二番六号先路上において、所携のハンマー等で、東京工業大学学生B(当時二四歳)、元千葉大学学生C(当時二七歳)、元明治大学学生D(当時二九歳)、元明治大学学生E(当時二九歳)らに襲いかかり、同人らの頭部等を殴打するなどして、同人らを殺害した。」というものである(以下「本件被疑事実」という。)。

3  Aのアリバイの存在

(一) しかし、Aは、本件被疑事実に係る殺人事件等が発生したとされる昭和五五年一〇月三〇日午前一〇時四五分頃には、事件現場から遠く離れた場所において、右被疑事実とは何のかかわりもない行動をしていたものであって、Aには、左記のような明白なアリバイがある。

昭和五五年一〇月三〇日、Aは、終日、前進社の社屋(東京都豊島区千早町一丁目一一番)内にいた。同人は、同日午前一〇時頃、同僚のFに起こされ、その後、午前一一時少し前から右前進社内三〇二号室で開催された「前進」(Aの属する革命的共産主義者同盟の政治機関紙)編集局の編集会議に参加し、会議の途中で本件被疑事実に係る殺人事件等が発生した旨のラジオニュースを聞いた。同日午後二時頃に会議が終了した後、同人は、自ら編集局全員の昼食を取りに行き、編集局の部屋で食事をした後、深夜まで「前進」編集の仕事に従事した。

(二) 右アリバイの存在が判明し、右アリバイに関する証拠が長野地方裁判所及び弁護人らによって保全されるに至った経緯は、以下のとおりである。

(1) 昭和五六年四月一一日、弁護士横田雄一(以下「横田弁護士」という。)の事務所宛に、Aのものと認められる筆跡で、「報告書」と題する書面三通、ファイルノート一冊及び「前進」と題する新聞一六部(一九八〇年九月一二日付第一〇〇三号ないし一九八一年一月一九日付第一〇一八号)が郵送されてきた。右報告書三通は作成名義がいずれもAであって、「弁護士殿、Aです。私は、昨年昭和五五年一〇月三〇日の大田区洗足池の事件とは全く無関係であるにもかかわらず、本年昭和五六年一月一三日以来不当にも、殺人容疑で全国指名手配を受けています。私には明確なアリバイがあります。」と書き始められ、本件被疑事実に係る殺人等の行為が行われたとされる昭和五五年一〇月三〇日には、Aは、東京都豊島区千早町所在の前進社内にあって「前進」編集委員として午前中から編集会議に参加し、会議終了後は編集の仕事をしていたことや、相当期間にわたる本件被疑事実発生時前後の状況が詳細に述べられた上、同人は事件と全く無関係なので事実を調査してほしい旨の依頼で結んであった。

(2) 逃走中の被疑者からかかる依頼を受けた横田弁護士は、事態の重大性に鑑み、五名の弁護士からなるA行動調査弁護団(以下「A弁護団」という。)を結成し、同弁護団は、昭和五六年四月から同年八月にかけて、Aの主張する事実の真偽について事実調査を行ったところ、Aの報告書に記載されていたアリバイの内容が、ほぼ完全に裏付けられるものであることが判明した。

(3) そこで、A弁護団は、証拠の散逸を防止するため、昭和五六年九月、長野地方裁判所、浦和地方裁判所及び東京地方裁判所に対し、それぞれ、証拠保全の申立てをした。長野地方裁判所は、同年九月二二日、多数の証拠物を押収した上、同日、弁護人、検察官立会の上、証人として原告太郎、原告花子及びGの各証人尋問を行い、その証言を保全した。浦和、東京両地方裁判所は、それぞれ、同月一八日、同月二九日に、右保全請求を却下した(なお、東京地方裁判所の命令に対しては、同年一二月二六日、準抗告を申し立てたが、東京地方裁判所刑事九部は、原命令の一部を取り消した上、右準抗告申立てを棄却した。)が、右申立てに係る証拠は、一部を除いて、A弁護団により保全されている。

(三) なお、A弁護団の調査によれば、本件被疑事実に係る殺人事件等が発生した日の前後数日のAの行動は、次のとおりである。

(1) 本件被疑事実に係る殺人事件等の発生前

昭和五五年一〇月二八日は、早朝、前進社を出発し、午前一〇時頃には警視庁築地警察署に赴き、同月二三日に銀座で紛失した普通自動車運転免許証や現金等の還付を受け、その後、同日午後七時二〇分頃には、原告雪子と吉祥寺で待ち合わせ、同原告と一緒に「ホテル一休」に泊まった。

翌二九日は、午前八時過ぎに原告雪子と別れ、吉祥寺駅北口付近で、日本大学在学当時の知人と偶然出会った。その後、喫茶店やパチンコ店で一日過ごし、午後九時過ぎに前進社に戻り、Hに、原告雪子の足の病気の治療について相談した。同日深夜、編集局の責任者であるIに対し、一一月二日ないし四日、原告雪子と同原告の両親を同原告の実家である長野県の飯山に連れて行く計画の承認を求めたところ、Iは、日程を一一月三、四日と変更した上で、右計画を許可した。

(2) 本件被疑事実に係る殺人事件等の発生後

昭和五五年一〇月三一日は、早朝、編集局の先輩であるJに起こされ、同人の指示に基づき、編集局員Kに会うべく前進社を出て、京王線幡ケ谷駅北口の喫茶店「ガロ」に赴いたが、Kと会うことができず、目的を果たせないまま前進社に戻り、以後、終日、前進社内で編集の仕事に従事した。

同年一一月一日は、午後二時三〇分頃、前進社を出発し、越生の原告雪子に電話をかけ、同月三日朝九時頃越生に着く旨を伝えた。その後、飯山の実家に電話をしたが、不通であったため、同日夜に再び電話をかけ、同月三、四日には予定通り原告雪子の両親を飯山に案内する旨を伝え、午後九時二八分頃、前進社に戻った。

同月二日は、前進社社屋内で、終日、編集局の仕事に参加していた。

同月三日は、早朝、前進社を出発し、午前一〇時頃、越生の原告雪子の実家に着き、同原告とその両親を連れて、自動車で飯山に向かい、夕方、Aの実家に到着した。

同月四日は、午前一〇時過ぎにAの実家を出発し、途中で原告雪子の両親と別れ、同日午後一〇時過ぎ頃、越生に到着し、越生に泊まった。

同月五日は、午前八時頃、原告雪子に送られて同原告宅を出発し、川越で下車して時間を潰し、同日の編集会議の終了時間を見計らって、午後八時二七分頃、前進社に戻り、この際、編集局の同僚に、長野の土産を配った。

(四) 右3(一)のアリバイの存在に加えて、当時のAの生活状態からしても、同人は、本件被疑事件に関与し得なかったことが明白である。

すなわち、Aは、昭和五五年九月半ばから、革命的共産主義者同盟の政治機関紙「前進」の新人の編集局員として、週の前半は編集会議を行い、次週の企画内容を討議決定し、後半は殆ど前進社内で編集活動に専念し、週明けには取材活動や、前進社の防衛等の任務に就いたり、プライベートな時間をとるなど、多忙な生活を送っていたものである。また、当時は、Aが、既に内縁関係にあった原告雪子と正式に婚姻すべく、真剣に取り組んでいた時期でもあり、まさに、この頃、Aが同人の両親と原告雪子の両親を引きあわせることによって、同人らの結婚は初めて正式に親の認めるところとなったのである。右のような仕事上及び私生活上の重要な時期に、Aが、本件被疑事件のような組織的・計画的集団事件に関与し得たとは到底考えられない。

4  違法行為

警視庁の司法警察員及び東京簡易裁判所の裁判官は、以下のとおりの違法行為によって、無実、かつ、明白なアリバイを有するAをして、逃走生活を余儀なくさせ、ひいて、Aの親ないし許婚者である原告らの権利ないし利益を違法に侵害したものである。

(一) 警視庁の司法警察員がAの身辺捜査を行わずに逮捕状を請求し、全国に指名手配した違法行為

警視庁の司法警察員は、被疑事実発生当日のAの行動について捜査さえしていれば、Aのアリバイの相当部分を容易に確定し得たはずであるのに、重大な過失により、同人について、事前に一切の身辺捜査を行わないまま、本件被疑事実について、東京簡易裁判所に対して逮捕状を請求し、昭和五六年一月一三日頃、右逮捕状の発付を受け、また、同日、Aを全国に指名手配し、かつ、報道機関にその旨発表した。

(二) 警視庁の司法警察員がAのアリバイの存在を知悉しながら逮捕状の再請求を続けている違法行為

(1) A弁護団が、独自に調査したAのアリバイについて、昭和五六年九月、長野、浦和、東京各地方裁判所に対して、証拠保全の申立てをしたことは3(二)(3)記載のとおりであるが、右証拠保全の申立てによって、Aのアリバイ及びそのアリバイ証拠の数々は、捜査官憲の知るところとなった。しかも、警視庁は、右証拠保全の申立てによって知るところとなったAのアリバイについて、独自に裏付け捜査を行ったことが窺われる。また、東京地方検察庁の米沢慶治検事は、長野地方裁判所における証拠保全に立会ったのを始め、原告雪子の両親を埼玉県越生の実家に訪ね、事情聴取を行った。

(2) このように、警視庁は、Aのアリバイの主張の存在を十分知りながら、また、その信憑性についても事後の裏付け捜査によって十分知悉しながら、ことさらに、アリバイの核心をなすAの当日の行動については何ひとつ捜査せず、今日に至るまで、一か月ないし三か月の頻度で逮捕状の再請求を続け、東京簡易裁判所から右逮捕状の発付を受けているのである。

(三) 東京簡易裁判所の裁判官がAのアリバイを精査することなく逮捕状を発付し続けている違法行為

(1) A弁護団は、昭和五七年四月二八日、東京簡易裁判所に対し、長野地方裁判所が証拠保全したAのアリバイ証拠、弁護団が保全した証拠及びAの横田弁護士宛の前記報告書等のコピーを添付し、Aには明白なアリバイが存在し、本件被疑事実については、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」が存在しないので、Aに対する逮捕状を取り消すことを求める上申をし、また、昭和六〇年三月一八日には、同庁令状係裁判官全員に対し、内容証明郵便をもって、右と同旨の上申をした。

(2) 右二度にわたる上申によって、東京簡易裁判所の令状係の各裁判官は、Aのアリバイの存在及びその内容を詳細に知悉するに至ったのであり、右各裁判官がAのアリバイを真摯に精査するならば、同人の無実は明らかであって、逮捕状は直ちに取り消されるべきであるにもかかわらず、右各裁判官は、捜査官憲の請求を唯々諾々と容れ、無実のAに対する逮捕状を違法に発付し続けているのである。

5  原告らの損害

(一) 慰謝料

前記4の違法行為によって、原告らは、次のとおり、その固有の権利ないし利益を侵害され、重大な精神的苦痛を被った。右苦痛を敢えて金銭的に評価すれば、原告らそれぞれにつき、三〇〇万円を下回ることはない。

(1) 原告太郎及び同花子

ア 原告太郎及び同花子は、本件指名手配の発表後、実の子であるAと会うことができないでいる。殺人という重大事件の容疑による逮捕状の発付、指名手配により親子関係を破壊された驚きと精神的苦痛は、その境遇に身をおいた者でなければ到底理解できないものであり、現に、同原告らは、右の精神的衝撃によって、神経衰弱の直前の状態にまでなっている。

イ 原告太郎及び同花子は、Aと原告雪子との婚姻にAの幸福を期待していたのみならず、右婚姻を通して家を実子Aに継がせ、原告太郎及び同花子は隠居して雪害の少ない地方で余生を送ろうとの将来の計画を立て、御代田町に山の家を建てたのである。しかし、右計画は、前記4の一方的な違法行為によって、無残にも破壊された。

ウ 原告太郎は、肩書地に長期間居住し、三〇数年間の真面目な教員生活を通して、郷土社会における信頼関係を築き上げてきたもので、当時、青少年育成補導指導員、民生委員、児童委員及び部落解放推進委員を務めていた。しかし、Aに対するいわれなき指名手配によって、原告太郎の社会的信頼は著しく傷付けられ、同原告は、道義的に右役職の一切を辞任するのやむなきに至らしめられた。

エ 原告太郎は、老人クラブにも未だ入会していない。他人の息子の自慢話の相手をするのは、苦悩が深まるばかりであるからである。そのため、原告太郎は、入会により老人が社会から当然受けるべき数々の利益を受けられないでいる。また、Aに対する指名手配の発表後、近隣の親しい間柄の人達でさえ、原告太郎の家へは誰も来なくなり、同原告は、これが「村八分」というものか、と心底から感じて最大の苦痛をなめた。

オ 本件指名手配の発表以降、毎月ないし二か月に一度の割合で、所轄の飯山警察署から、刑事らが原告太郎及び同花子の家を来訪するようになっている。また、警察官が嫁ぎ先の娘の勤務する病院に、事情聴取といって訪れたり、娘の義父の自治体の町長室やAと原告雪子の仲人の所へ訪れたり、右仲人の勤務する北飯山高校の校長宛に手紙を送ったりしている。かかる訪問等は、原告太郎及び同花子に対して精神的圧迫を与えるものであり、親族を巻き込んだいやがらせであって、同原告らに対する最大の侮辱である。

(2) 原告雪子

ア 原告雪子は、本件被疑事実発生当時、Aとの婚姻を準備中であり、昭和五五年末には、Aとともに双方の親のところへ挨拶に行き、昭和五六年一月六日には結納が交わされ、その席上、挙式は同年四月一九日と決定され、幸福な日々を送っていた。ところが、その一週間後の昭和五六年一月一三日のテレビ、新聞報道により、同原告は、一転して地獄にたたき落とされる境遇になった。右報道によってAが指名手配を受けたことを知った同原告は、一週間近く一睡もできず、食事ものどを通らなくなった。同原告は、職場も辞職し、自動車学校も停学した。隣近所や親戚の人々の同原告に対する態度も今までとは変わってよそよそしくなり、同原告は外出することさえできなくなって、追われるように東京に出てこざるを得なくなった。

イ この精神的苦痛から、原告雪子は体が衰弱し、下半身が一時、麻痺状態に陥って労働不能となったため、東京都から生活保護を受けるに至った。しかし、東京都での右生活中も、警察が、同原告の居住する杉並区井草のアパートの住人たちに、就寝時間の夜八時を過ぎて、ドアを叩きながら「男が来ないか。何か物音がしないか。」などと原告雪子の身辺の聞込みにまわるなど、原告雪子の日常生活を監視し、アパートの住人を巻き込んだ度重なるいやがらせをしたため、同原告は、アパートにも住めなくなり、再び越生の実家に帰らざるを得なくなった。

ウ 原告雪子は、前記4の違法行為によって、婚約者と会うこともできずに、ただひたすら婚約者の無実が晴らされて再会するのを期待する以外にない境遇におとしめられたのであり、その苦痛は計り知れない。

(二) 弁護士費用

原告らは、本件損害賠償請求訴訟の提起と遂行を、原告ら訴訟代理人に委任した。右委任契約に基づく弁護士費用として被告ら各自が負担すべき金額は、原告らそれぞれにつき、請求慰謝料額の二割である六〇万円が相当である。

6  被告らの責任

被告東京都は、警視庁の司法警察員が職務を行うに当たり行った前記4(一)、(二)記載の違法行為により原告らに与えた損害について、被告国は、東京簡易裁判所の裁判官が職務を行うに当たり行った前記4(三)記載の違法行為により原告らに与えた損害について、それぞれ原告ら各自に対し、賠償する責任を負う。

7  よって、原告らはそれぞれ、被告ら各自に対し、国家賠償法一条に基づき、各金三六〇万円の損害賠償金及びこれに対する本件訴状が被告らに送達された日の翌日である昭和六一年二月二八日から支払い済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告東京都)

1 請求原因1の事実は知らない。

2 同2の事実は概ね認める。

3 同3(一)の事実は否認する。

同3(二)の事実は知らない。

同3(三)(1)の事実中、昭和五五年一〇月二八日、Aが警視庁築地警察署に赴き、同月二三日に銀座で紛失した普通自動車運転免許証や現金等の還付を受けたことは認める。Aが午前一〇時頃右警察署に赴いたことは否認し、その余の事実は知らない。同(2)の事実は知らない。

同3(四)の事実は知らない。

4 同4(一)の事実中、警視庁の司法警察員がAにつき事前に一切の身辺捜査をしないまま逮捕状を請求したことは否認し、その余の事実は認める。

同4(二)(1)の事実中、証拠保全の申立てによって、Aのアリバイ及びそのアリバイ証拠の数々は捜査官憲の知るところとなったこと及び警視庁が右証拠保全によって知るところとなったAのアリバイについて独自の裏付け捜査を行ったことは否認する。その余の事実は知らない。同(2)の事実中、警視庁においてその後も東京簡易裁判所の裁判官に対して逮捕状の請求をし、逮捕状の発付を受けていることは認め、その余は否認する。

5 同5(一)(1)アないしエの事実は知らない。同オの事実中、警察官が、嫁ぎ先の娘の勤務する病院へ事情聴取のために訪れたことは認め、その余は否認する。同(2)ア、ウの事実は知らない。同(2)イの事実中、警察官がその住人たちに就寝時間の夜八時を過ぎてドアを叩きながら「男が来ないか。何か物音がしないか。」などと原告雪子の身辺の聞込み等をして原告雪子の日常生活を監視し、アパート住人を巻き込んだ度重なるいやがらせをしたことは否認し、その余は知らない。損害については争う。

同5(二)は争う。

6 同6は争う。

(被告国)

1 請求原因1の事実は知らない。

2 同2の事実中、警視庁東調布署の司法警察員が、昭和五六年一月一三日、Aについて殺人等被疑事件について逮捕状を請求し、逮捕状の発付を得たこと及び本件被疑事件の概要については認め、その余は知らない。

3 同3の事実中、長野、浦和、東京の各地方裁判所が証拠保全の申立てを受けたこと(ただし、その時期は、昭和五六年九月ではなく、同年八月である。)、長野地方裁判所が昭和五六年九月二二日に証拠物を押収し、同日証人として原告太郎、同花子及びGの各証人尋問を行う等の証拠保全をしたこと、浦和、東京両地方裁判所がそれぞれ昭和五六年九月一八日、九月二九日に証拠保全請求を却下したこと、東京地方裁判所がした命令に対しては昭和五六年に準抗告の申立てがあり、東京地方裁判所が原命令の一部を取り消した上、準抗告の申立てを棄却したことは認めるが、その余は知らない。

4 同4(三)の事実中、東京簡易裁判所が昭和五七年四月二八日に四名の弁護士からAにはアリバイが存在するとして逮捕状を取り消すよう求める上申(報告書等のコピー類添付)を受けたこと、昭和六〇年三月一八日に五名の弁護士から右同旨の上申を受けたこと、東京簡易裁判所の裁判官がその後も警視庁の司法警察員の請求に対してAに対する逮捕状を発付していることは認め、その余は否認する。

5 同5の事実中、原告らが被告らの違法行為の結果精神的苦痛を被っていること及び原告らの損害については否認し、その余は知らない。

6 同6は争う。

三  被告らの主張

(被告東京都)

1 逮捕状未執行の段階における不法行為の主張の失当性

(一) 本件被疑事件は、昭和五五年一〇月三〇日、中核派活動家が組織的、計画的に革マル派活動家五名を殺害したいわゆる「内ゲバ殺人事件」であって、警視庁東調布警察署では、右事件を捜査した結果、Aら五名を被疑者と断定し、東京簡易裁判所裁判官に対し逮捕状を請求してその発付を受け、追跡捜査中であるところ、Aらはいずれも逃亡し、所在不明であるため、現に捜査を継続中である。

(二) ところで、逮捕状の請求は、捜査機関が裁判官に対して、逮捕権の具体的行使の許可、承認を求める行為であって、右請求に基づいて発付された逮捕状が執行されるまでの段階においては、何ら被疑者に対し直接不利益を及ぼすものではない。逮捕状の請求が被疑者の権利を侵害したというためには、少なくとも被疑者が現実に逮捕状の執行を受けて何らかの権利を侵害されていることが必要であり、右執行により初めて逮捕状請求の違法性を主張することができるのである。

しかるに、本件被疑事件では、Aら五名の被疑者の逮捕状の発付を受けているものの、未だ執行できない状況にあるのであるから、原告らは、Aに対する逮捕状の請求それ自体を不法行為として主張することはできないものというべきである。

(三) また、刑事訴訟法上、司法警察員のした逮捕状の請求については、同法四三〇条二項による準抗告が許されておらず、逮捕状の発付及び逮捕の処分についても、同様に同法四二九条一項による準抗告が許されていないのであって、それにも拘わらず、逮捕状未執行の段階で、逮捕状請求の適否を民事訴訟において争うことができるということになれば、犯罪事実の存否はもとより、刑事手続の適否が、本来の刑事訴訟手続に先行して民事訴訟手続で争われることになり、時には捜査の内容や証拠までも開示され、捜査の密行性が害されることとなるばかりか、さらに、証拠隠滅が図られるなど、被疑者の逮捕のみならず、公訴の提起、追行に多大の支障を生じ、ひいては、刑事訴訟の究極の目的である実体的真実の発見が不可能となり、また、犯罪及び犯人を糾明することによって法秩序を回復することにより全うすべき公共の福祉が維持できなくなることは明らかである。

(四) したがって、逮捕状の請求それ自体が、原告らに対し、不法行為を構成するとする原告らの本訴請求は、失当である。

2 原告らの慰謝料請求権

(一) 原告太郎及び同花子は、同原告らはAの両親であって、Aに対する違法行為によって精神的苦痛を被った旨主張するところ、被害者の近親者の慰謝料請求権は、被害者の生命侵害の場合に生ずるのを原則とするものである。例外的に、身体傷害の場合にも固有の権利として発生することがあるが、それは、被害者の近親者において、被害者が生命を害されたときにも比肩すべき精神上の苦痛を受けた場合又は生命侵害に比して著しく劣らない程度の精神的苦痛を受けた場合に限る(最高裁判所第三小法廷昭和三三年八月五日判決・民集一二巻一二号一九〇一頁等)ものとされているのであるから、仮に、原告らがその主張のような精神的苦痛を被ったとしても、それは、未だ右判例にいう近親者固有の権利として慰謝料請求権が発生している場合には当たらない。

いわんや、原告雪子は、同原告の主張によれば、Aの許婚者にすぎないというのであるから、民法七一一条所定の配偶者ではないことは明らかである。

(二) また、原告らは、Aに対する違法な逮捕状の請求等の捜査手続により、種々の不利益を受けて精神的苦痛を被ったと主張するが、仮に、原告らがその主張のごとき精神的苦痛を被ったとしても、これらの精神的苦痛は、通常の捜査手続に必然的に伴うものであって、単なる事実上の不利益にすぎず、直ちに法律上の保護に値する損害ということはできない。また、原告らの右のごとき精神的苦痛は、刑事訴訟手続においてAの無罪が確定し、さらに同人の精神的苦痛が民事訴訟手続で補償されれば、それに伴って当然慰謝されるものと解される。

(三) 原告らは、裁判所による証拠保全やAの行動を調査した弁護士らにおいてAの明白なアリバイを保全しているというが、そうであるなら、被疑者自ら、あるいは弁護人になろうとする者が捜査機関に出頭し、警察官、検察官の捜査過程ないしは公判手続の過程において、刑事訴訟法所定の手続に従って真相を明らかにすればよいのであって、逮捕状が執行される前に、アリバイの存在を主張して令状請求が不法行為になると主張するのは論理の飛躍である。

(被告国)

1 裁判官の職務行為と国家賠償責任

(一) 最高裁判所第二小法廷昭和五七年三月二一日判決・民集三六巻三号三二九頁(以下「昭和五七年判決」という。)は、「裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不法な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とする」と判示している。

(二) 右昭和五七年判決は、事案が裁判官のした判決についてのものであったことから、「裁判官がした争訟の裁判」に関して、国家賠償法一条一項の規定にいう「違法性」の範囲を限定しているにすぎず、本件のような逮捕状発付行為を含む裁判官の職務行為一般にも適用されるべきものである。

すなわち、昭和五七年判決が、右のとおり国家賠償を認める場合の違法性を限定したゆえんは、裁判所の判断の公権的性格及び終局的尊重という制度的要請にあるのみならず、さらに、裁判官の独立の見地から、直接的、間接的に裁判官の司法権の行使に影響を与えることのあるような一切の可能性をも排除し、もって、裁判官の独立を実質的に確保すべきであるというにある。他の裁判所が、当該審理を担当した裁判官の認定、判断ないしは職務権限の行使に優位する判断をなし、右裁判官の措置の違法性を問題にしたり、裁判官の職務行為上の判断や措置等について、当該裁判官が他の法廷において弁明を求められることの可能性を認めることは、外部からの干渉又は介入を認めることとなり、裁判官の職務の独立性を侵害するおそれを肯定することとなるからである。

裁判官の職務行為についての国家賠償責任を制限する趣旨が右のようなものであるとすれば、それが典型的な争訟事件に属する場合はもちろんのこと、非訟的性格を有する場合においても、また、これらに必然的に随伴する手続行為、さらには秩序維持に関する行為についても、それが裁判官の権限に属せしめられている限り、裁判官の独立の見地から国家賠償請求は制限されるべきである。

なお、右は、裁判官個人の利益を擁護しようとするものではなく、裁判官の職務行為の特殊性から、その職務行為についての独立を確保することが公共の利益に合致するからである。

(三) 裁判官の令状発付行為は、憲法上認められた令状主義に基づく捜査の司法的抑制という司法に固有の権能であり、この権能は何人においてもこれを妨げることは許されないものであって、右は裁判官の独立性の一発現である。したがって、裁判官の令状発付行為については、争訟事件に関する場合と同じく、裁判官が違法又は不当な目的をもって令状を発付するなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情がない限り、国家賠償法上の違法の問題は生じないものというべきである。

2 東京簡易裁判所の裁判官が、本件逮捕状を発付し、その後、逮捕状を更新発付した経緯は次のとおりであり、本件逮捕状の発付は、裁判官が法律の規定に従ってその付与された権限を行使したものであって、何ら違法な点はなく、もちろん、裁判官がその権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情はないから、原告らの被告国に対する本訴請求は失当である。

(一) 警視庁東調布警察署の司法警察員は、昭和五六年一月一三日、東京簡易裁判所の裁判官に対し、被疑者Aに対する殺人等被疑事件について、同人が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由及び同人を逮捕する必要があることを認めるべき捜査報告書等の資料を提供して、逮捕状の発付を請求した。

(二) 右請求を受けた東京簡易裁判所の裁判官は、提供された資料を慎重に検討した結果、被疑者を逮捕する理由及び必要性があるものと認め、右請求は相当であるものと判断し、同日、逮捕状を発付した。

(三) その後、Aの所在が不明で同人の逮捕ができなかったので、東京簡易裁判所の裁判官は、東調布警察署の司法警察員の請求に対して、引き続き逮捕状を更新発付したが、もちろん、その際、裁判官は、提供された資料を慎重に検討した上、被疑者を逮捕する理由及び必要があることを認めて逮捕状を発付したものである。

3 原告は、二回にわたる東京簡易裁判所に対する上申によって、同裁判所が被疑者のアリバイの存在及びその内容を知悉し、これにより被疑者の無実が明らかになったのであるから、逮捕状を取り消すべきであったのにそれをしなかった違法があると主張する。

逮捕状の発付も一種の命令であるから、刑事訴訟法四三条三項、同規則三三条三項によって必要な事実の取調べが可能であるものと解する余地はあるが、そもそも逮捕状の発付は捜査の最初の段階において行われるものであり、しかも、捜査の密行性の要請も併せ考えれば、この段階で証人尋問をしたり鑑定を命じたりするのは急速を要する逮捕状発付の許否を決する上で不適切であることは明らかである。刑事訴訟規則一四三条の二が逮捕状請求者に限ってその者から事情聴取しあるいは書類の提出を求めることができる旨の特則を規定しているのは、以上のような点を考慮した結果であり、被疑者側の資料の取調べを行ったりすることは法の趣旨に反して許されない。したがって、令状担当裁判官としては、被疑者側から本件におけるような上申等があったとしても、令状発付の可否を決する上で必要があれば逮捕状請求者に対してこれらの事由についての事情聴取をしたり、資料の提出を求めれば足りるのであって、常にそのような申出に対応等をしなければならないというものではない。本件においては、東京簡易裁判所の裁判官が原告側の上申書を考慮しなかったとしても、それは、本件逮捕状を発付するに当たり、一件記録上これを顧慮する必要がないと判断したことによるのであって、何ら違法ではない。

四  被告らの主張に対する原告らの反論

1  被告東京都の主張1について

刑事手続のいかなる段階においても、司法機関による人権侵害の可能性は存在し得るのであり、そうであるとすれば、いかなる段階においても、当該刑事手続での救済とは別に、それに関する民事上及び刑事上の責任問題が発生し得る。

被告東京都は、実体的真実の発見が刑事訴訟の究極の目的であって、これを阻害するおそれのある民事訴訟は許されないと主張するが、わが刑事訴訟法は、積極的な実体的真実主義の立場をとっているのではなく、憲法に基礎づけられた人権保障の理念によって全面的に貫かれているという点を見落としてはならない。

刑事手続に逮捕状執行以前の早期の段階で逮捕状請求の過誤を是正する手続があるとすれば、当事者はもとよりその家族の被る損害の程度もさして大きくはないであろうし、民事上の救済の必要も比較的乏しいといい得るであろう。しかし、刑事実務上、逮捕状の請求、発付に対しては、準抗告は許容されていないのであるから、この段階で民事上の救済を認める必要があるのである。

原告らが、何年かかるかもわからず、その結果についても裁判上の過誤という危険を負担しなければならない刑事訴訟手続の終結を漫然と待たねばならない理由はない。それは捜査の密行性と衝突するかも知れないが、捜査の必要性が人権保障の前に後退すべき場面があって当然である。しかも、本件の場合においては、逮捕状発付直後に全国指名手配がなされており、その上今日まで七年近い年月を経ているものであって、捜査の密行性、緊急性は、捜査機関によって放棄されているに等しい。

2  被告東京都の主張2について

(一) (被告東京都の主張2(一)に対し)

原告らは民法七一一条に基づいて慰謝料の請求をしているわけではなく、その根拠条文は、国家賠償法一条、四条、民法七一〇条であるから、被告東京都の主張は失当である。

なるほど、民法七一一条は、被害者が死亡した場合の精神的損害についての慰謝料請求権者として、父母、配偶者及び子を挙げている。しかし、右条文は、父母、配偶者及び子については損害の立証責任を軽くしたものであって、それ以外の内縁の妻、祖父母、兄弟姉妹等も、被害者と特別の関係があったことを立証すれば、民法七〇九条、七一〇条によって慰謝料を請求し得るものである(かかる解釈が学説上は多数を占めており、また、近時においては、同法七一一条そのものを、内縁の配偶者、祖父母、孫等の範囲にまで類推適用する解釈も出てきているのである。)。したがって、原告雪子についても、許婚者であるからという理由のみで慰謝料を請求し得る地位から排除されるものではない。

重要なことは、原告らに法の保護に値する被侵害法益が認められるか否かということであり、原告らはまさにこの利益の存在を主張しているのである。原告らはAの法益が侵害を受けたとして慰謝料を請求しているのではない。Aに明確なアリバイがありながら、不当にもその存在を全く無視して逮捕状を発付し続ける被告らの違法な行為により、原告ら自身の法益を直接侵害されたものとして慰謝料の請求をしているのである。

民法七一〇条は、財産権のほかに身体、自由、名誉の侵害が不法行為となることを示しているが、これは限定的列挙ではなくて例示であり、これ以外の各種の人格権的法益、すなわち身体的自由、社会的自由、貞操、婚姻、近隣関係に根ざす人間感情、名誉、プライバシー等に対する侵害も同法七一〇条による保護の対象となる。本件における原告らの被侵害法益は、抽象的な表現をすれば、自由、名誉、近親関係に根ざす人間感情、精神的平和である。

(二) (被告東京都の主張2(二)に対し)

本件において、Aの親族が国家賠償の請求に踏み切ったのは、本件被疑事件が、法治国家においては決してあってはならない冤罪事件であるからにほかならない。しかも、現在もなお被告らの違法行為は継続し、繰り返されているのである。被告らは、原告らの主張が損害補填の要求ばかりではなく、むしろ、かかる意味を超えて国家機関それぞれの責任を告発する狙いが込められていることに思いを致し、深く反省すべきなのである。殺人者として逮捕、起訴されただけでもその親類縁者に塁が及ぶ冷厳なわが国の精神的風土のなかで、ただひたすら親族の無実を信じ、冤罪が晴れるを待つ以外に方途のない原告らの苦痛には計り知れないものがある。冤罪事件の場合には、国家の国民に対する犯罪という性格から、国と国民の間には立場の互換性がない。交通事故訴訟等で培われた法理に基づく被告東京都の主張は、冤罪事件においては、国家は永久に加害者であって、冤罪に泣く無辜の国民に深刻かつ回復し難い損害を与えるものであることを全く無視したものといわなければならない。

(三) (被告東京都の主張2(三)について)

Aは、昭和五六年一月一三日の指名手配と同時に逃走を開始し、以来、逃走生活を続けている。一般に、犯人又は逃亡者が自らを隠匿してもそれを処罰し得ないとされているのは、処罰を免れるため、そうした行為に出るのは人間自然の至情と解したからであるといわれている。まして、Aは、身に覚えのない殺人容疑で、しかも、事前に何らの事情聴取もなしに突然指名手配を受けたのであって、無実でありながらある日突然マスコミで自分が殺人事件の犯人として指名手配されたことを知った驚きはいかばかりか想像に難くないものがある。しかも、Aが時の政権に反対する政治活動に従事し、常日頃公安警察の監視と弾圧を受けていたことを思えば、Aが右指名手配を政治的フレームアップであると受け取り、逃走を開始したことは、まことにやむを得ないものといわなければならない。

3  被告国の主張1について

被告国の引用する昭和五七年判決は、民事事件の判決における裁判官の判断の過誤が問擬されている事案であって、本件とは全く事案を異にするものであり、その引用は適切でない。

4  被告国の主張2について

逮捕状を発付する裁判官は、逮捕の相当性及び必要性を具体的客観的資料に基づいて判断しなければならない(刑事訴訟法一九九条二項)。逮捕は、最も基本的な人権である身体の自由を制限するものであり、しかも、わが国の法制のもとにおいては、いったん逮捕されると、これに対する異議申立ても保釈も認められないものである以上、その発端である令状発付の段階で、厳重なチェックがなされる必要がある。特に、被疑者のアリバイの存在等、被疑者が犯罪を犯したものではないことを窺わせる資料が存在する場合には、右資料の証拠価値を覆すに足りる有力な資料が存することにより右否定的根拠を排斥し得ない限り、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法一九九条二項)が存するとはいえず、かかる検証を怠り、単に肯定的資料が存することのみをもって漫然と逮捕状を発付することは違法といわなければならない(広島地方裁判所呉支部昭和三四年八月一七日判決・下民集一〇巻八号一六八六頁)。

しかも、本件においては、被疑事件発生後すでに七年余を経過し、第一回逮捕状が発付されてからでも七年近くを経過しており、捜査上の緊急性の要件は喪失しているとさえ思料され、また、逮捕状発付と同時に被疑者は公開の全国指名手配に付され、新聞、テレビ等で大々的に報道されたほか、手配写真が全国に配布、掲示されているのであるから、捜査の密行性の要件も捜査当局自身によって放棄されているものと断定せざるを得ない。

本件のかかる事情は、逮捕状発付の裁判官の十分知悉しているところであり、しかも、アリバイの存在等被疑者の犯行を否定する明確な資料を弁護人から正式に提出されている以上、裁判官は、右資料はもとより、右資料から容易に推定できる諸証拠を取り調べる義務があるのであって、かかる義務を怠り、捜査機関から提出されている資料のみに基づいて漫然と逮捕状を請求し続けることは違法である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一警視庁東調布警察署の司法警察員が、昭和五六年一月一三日、Aを被疑者とする殺人等被疑事件について、東京簡易裁判所の裁判官に対し逮捕状を請求してその発付を受け、全国に指名手配したこと、Aに係る本件被疑事件の要旨が概ね原告ら主張のとおりであることはいずれも当事者間に争いがない。また、弁論の全趣旨によれば、Aが逃走し所在不明となったため、警視庁においてその後も東京簡易裁判所の裁判官に対して逮捕状を請求し、現在まで追跡捜査中であること(右事実は、原告らと被告東京都との間においては争いがない。)、右逮捕状の請求に対して東京簡易裁判所の裁判官が逮捕状を発付していること(右事実は、原告らと被告国との間においては争いがない。)が認められる。

二ところで、原告らの本訴請求は、右のとおりAが逮捕状の発付後、逮捕されることなく今日まで逃走中であるという状況の下で、司法警察員及び裁判官には、犯罪事実の不存在を看過しあるいは知りながら敢えてこれを無視し、Aに対して逮捕状を請求又は発付した違法があるとして国家賠償を求めるものであるが、以下に詳述するとおり、このように未だ今後引き続き刑事手続の進行が予定されている段階にあっては、国家賠償請求訴訟において、犯罪の嫌疑の有無についての捜査機関又は令状発付裁判官の判断若しくはこれに基づく行為をとらえて違法行為ということはできないものと解するのが相当である。

1  刑事手続は、犯罪につき、捜査機関の一方的な嫌疑により捜査をもって開始される(刑事訴訟法一八九条二項、一九一条一項、二項)ものであって、捜査の段階で、いかなる資料に基づきいかなる犯罪の嫌疑を抱くかは、捜査機関の専権に委ねられている。そして、司法警察員は、その捜査によって、被疑者に罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、逮捕の必要性があると思料するときは、裁判官に逮捕状の発付を請求することができ(刑事訴訟法一九九条一項)、逮捕状が発付されれば、その被疑者を指名手配することもできるものである。

右犯罪の嫌疑の相当性に対する終局的判断は、当該被疑事件が被告事件として公判に付された場合、公判における審理を経て、究極的には刑事訴訟の判決により有罪か無罪かの判断をもってなされるものであるが、起訴前においては、当該刑事手続の中で、裁判官が、捜査機関の逮捕状の請求に対し、被疑者が罪を犯したと認めるに足りる相当の理由があるか否かを審理するものとされ(刑事訴訟法一九九条二項)、右逮捕状が執行されて身柄が拘束され、勾留請求の段階に至った場合には、改めて、裁判官が、勾留の要件の判断として犯罪の嫌疑の相当性の有無を審査するものとされる(刑事訴訟法六〇条一項)など、強制を伴う処分に関して、一定の限度で、犯罪の嫌疑についての相当性について、裁判官の判断を受けることが保障されている。

2  ところで、刑事訴訟法上の違法性と国家賠償法上の違法性との間には異なる面があるとしても、国家賠償の原因たる不法行為として主張されるところが、捜査機関又は裁判官による犯罪の嫌疑についての判断の誤り自体を内容としあるいはこれを前提とするものである場合は、その違法性の審理は刑事訴訟の本質である犯罪事実の有無自体の審理と重複せざるを得ないから、刑事手続の終結に先立ち国家賠償請求訴訟でこれを審理しようとすれば、結局、犯罪事実の存否そのものを刑事手続に先んじて民事訴訟において審理することを容認すると同様の結果を来すことになる。

しかし、刑事手続と国家賠償請求訴訟とを対比した場合、前者が犯罪事実の有無を明らかにし、刑罰権を実現することを目的とするものであるのに対し、後者は権利侵害による損害の事後的な填補を目的とするものであって、両者はその目的ないし性格を異にする。また、その手続の在り方についても、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則においては、犯罪事実の有無及び刑罰権の存否の審理のために、公判段階では、一連の厳格な手続、証拠法則(伝聞法則等)が定められ、かつ、犯罪事実の証明については、検察官に合理的疑いを容れない程度にまで重い立証責任が課されており、一方、捜査段階においては、捜査の流動的発展的性格が考慮されて、令状の請求における犯罪の嫌疑の相当性は公訴事実の証明よりも低い程度で足りるものとされ、また、捜査の密行性の保護の見地から、捜査機関側の証拠は令状裁判官以外には開示されることがないように配慮されているのに対し、国家賠償請求訴訟においては、右のような厳格な手続も、証拠法則も定められておらず、その審理においては弁論主義が支配し、また、証明においては真実であることにつき高度の蓋然性があることをもって足りるとされているのであって、もちろん、捜査の流動性や密行性に対する配慮についての規定はない。このような両手続の差異を比較し、その差異を無視することの結果を考察すれば、犯罪事実の存否に関する判断ないしこれを前提とする行為の違法性については、究極的には民事訴訟においてこれを審理し得るとしても、少なくとも刑事手続が進行中の場合には刑事手続法規に基づく審査が優先されると解するほかなく、刑事手続に先行し、民事訴訟において犯罪事実の不存在を理由にその嫌疑の有無の判断ないしこれを前提とする行為の違法性を判断することは、現行法制度のもとでは容認されていないといわなければならない。

3  これを逮捕状の請求、発付の段階についてみれば、刑事訴訟法は、捜査の密行性の保障の観点から、捜査機関は収集した証拠のうち犯罪の嫌疑の相当性及び逮捕の必要性を疎明するだけの資料を裁判官に提供すれば足りるものとし(刑事訴訟規則一四三条)、裁判官は、必要と認めるときは、逮捕状の請求をした捜査機関の出頭を求めてその陳述を聞き、その者に対し書類その他の物の提示を求めることができるに留まるものとしているのであり(刑事訴訟規則一四三条の二)、逮捕状の請求を受けた裁判官が事実の取調べをすることができる(刑事訴訟法四三条三項、刑事訴訟規則三三条三項参照)としても、これは右刑事訴訟規則一四三条の二の趣旨及び令状審査の迅速性、秘密性に反しない限度に限られるべきものである。そして、右以外に、逮捕状の請求、発付の段階で、捜査資料が捜査機関以外の者に開示されることはないのであって(逮捕状の請求、発付に限らず、捜査の全段階を通じて、令状審査の裁判官及び準抗告裁判所に対する以外に捜査資料が開示されることはない。)、もちろん、裁判官が右以上に証拠を探索することもないのである。しかるに、この段階で犯罪の嫌疑の相当性の欠如を内容とし、あるいはこれを前提とする国家賠償請求訴訟の審理を行うとすれば、捜査機関の資料が刑事手続に先立ち開示されて捜査の密行性が侵害されることになるばかりでなく、刑事訴訟法に規定する犯罪事実の有無の審理のための一連の厳格な手続によらないで結局これを審理することにならざるを得ないが、現行法体系上このような審理が許容されているとは到底解し得ないというべきである。

4  のみならず、現行法のもとでは、犯罪を犯さなかったにもかかわらず刑事手続上身柄の拘束を受けた者についての事後的な補償の制度として、無罪判決が確定したときは、未決の抑留若しくは拘禁を受けた者又はその相続人は、国に対して刑事補償の請求をすることができるものとされており(刑事補償法一条一項、二条)、また、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留又は拘禁について、検察官により補償がなされることとされている(被疑者補償規程(昭和三二年法務省訓令一号)二条、三条)。このような制度の趣旨に照らしても、誤って犯罪の嫌疑がかけられた者は、民事訴訟においては事後的にのみ救済されるものと解されるのである。

5  原告らは、逮捕状の発付はもちろん、逮捕の処分についても、刑事訴訟法上準抗告は許されておらず(刑事訴訟法四二九条一項参照)、逮捕状の請求、発付に対する不服申立ての制度は設けられていないのであるから、逮捕状の請求、発付による人権の侵害に対して国家賠償が認められるべきであると主張するが、刑事訴訟法が準抗告を認めないのは、逮捕が比較的短期の身柄拘束であること、逮捕前置主義が採用されて勾留請求の段階で裁判官の司法審査が保障されていることなどから、さらにそれ以前の段階で準抗告を認める必要性は乏しいとする判断に基づくものであって、これはなんら法の欠陥ではなく、かえって刑事訴訟法が逮捕状の発付について準抗告を認めていないことに鑑みれば、右時点における不服申立ては、いかなる手続によってもこれを認めないのが法の趣旨であるというべきである。

原告らはまた、刑事訴訟法は捜査の密行性のほかに被疑者の人権も保障しているものであって、人権の保障のために捜査の密行性が侵害される結果となってもやむを得ないと主張するけれども、刑事訴訟法は、人権保障と捜査の密行性との調和を図った上で、なお、前記のような規律をしているものであるから、右主張も当を得ないものである。

6  したがって、刑事の無罪判決が確定し、あるいは、犯罪の嫌疑がないことを理由として不起訴処分になる等、当該被疑事実についての刑事手続が完結すれば格別、それ以前の段階においては、犯罪事実の存在、不存在を理由として刑事手続を違法であると問難することはできないものというべく、Aについて逮捕状の請求及び発付がなされただけの段階において、Aが本件被疑事実に関与していないことを理由に、右逮捕状の請求及び発付を違法であるとすることはできないといわなければならない。そうであれば、本件逮捕状の請求及び発付が違法であることを前提として国家賠償請求を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくいずれも失当である。

三よって、原告らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山田博 裁判官大橋弘 裁判官杉原麗)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com