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東京高等裁判所 平成5年(行コ)55号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

名取俊也

外一〇名

被控訴人

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

久連山剛正

梅澤幸二郎

本田敏幸

木村哲也

藤田正人

福島武司

山下幸夫

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じ被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文に同じ。

二被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二事案の概要

原判決事実摘示のとおりである。

第三当裁判所の判断

一争点2(旅券法一三条一項五号及び一九条一項の憲法適合性)について

当裁判所は、旅券法一三条一項五号及び一九条一項は、憲法に違反するものではないと判断するものであり、その理由は、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

二争点3(本件旅券返納命令の手続における違法性)について

当裁判所は、被控訴人主張の点について本件旅券返納命令の手続に違法はないと判断するものであり、その理由は、原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。

三争点4(本件旅券返納命令の実体的理由の存否)について

1  被控訴人のRとの関係及びRの指示でした行為

証拠(〈書証番号略〉)によれば、被控訴人の経歴、被控訴人がRと名乗る男性と知り合い、Rの指示により行動した内容等として、次の事実を認めることができる。

(一) 被控訴人は、昭和三〇年一一月六日兵庫県尼崎市で出生し、同四九年三月高校を卒業後、いったん就職したがしばらくしてやめ、同五一年四月ころ南海保育専門学校に入学した。被控訴人は、昭和五二年二月、大阪空港からイタリアに向けて出国し、その後フランスへ渡り、ウエイトレス、皿洗い、ベビーシッターなどをして働く一方、スペイン、イギリス、オランダ、デンマークなどヨーロッパ各地を旅行して回っていた。

(二) 昭和五六年六月ころ、被控訴人は、観光のため訪れたデンマークのコペンハーゲンでRと名乗る男に声を掛けられ、知り合うようになった。Rは、被控訴人に対し、中国物産品の輸出をしている会社に勤務しているなどと自己紹介をした。被控訴人は、Rに対し、「乙川春子」という偽名を名乗り、当時住んでいたフランスの連絡先を教えた。

(三) 昭和五六年八月ころ、被控訴人は、Rからの連絡でコペンハーゲンに行き、Rに会った際、同人から仕事の手伝いとして電話の取次ぎ、市場における商品の売れ行き調査等を依頼された。被控訴人がこの申出を承諾したところ、Rは、手始めにイギリスやフランスのホテルのパンフレットを入手したり、セーターや下着などの衣類を購入することを依頼し、その費用としてアメリカドルで一〇万円相当を交付した。被控訴人は、同年九月か一〇月ころRからの連絡を受けてコペンハーゲンに行き、依頼により入手した商品等をRに渡し、謝礼としてアメリカドルで一〇万円相当を受け取った。

被控訴人は、その際、Rからシンガポールに行って同市内の写真を撮ること、及び有名なホテルのパンフレットを入手することを依頼された。Rは、被控訴人に、撮影場所を示した地図、カメラ及び費用としてアメリカドルで五〇万円相当を渡した。

被控訴人は、いったんフランスに戻ってからすぐにシンガポールに行き、Rが指示した一〇か所くらいの場所につき三六枚撮りフィルムで一〇本程度の写真を撮影した。また、二〇軒くらいのホテルのパンフレットを入手した。

昭和五六年一〇月か一一月ころ、被控訴人はRの指示でコペンハーゲンでRと会い、撮影した写真等を渡し、謝礼としてアメリカドルで五〇万円相当を受け取った。

(四) 昭和五七年七月ころ、被控訴人は、Rと一緒にコペンハーゲンから東ベルリン(当時)経由でモスクワに旅行した。また、被控訴人は、その後二回Rと共にコペンハーゲンからベオグラードに旅行した。

(五) 被控訴人は、昭和五九年七月日本に帰国したが、その一週間ほど前の同月初めころコペンハーゲンでRに会った。その際、Rは、被控訴人に対し、帰国してもRの仕事を手伝うよう指示した。Rの指示した仕事は、ポラロイドカメラ、下着等の日用品、東京、大阪、新潟、富山等の地図及び防衛白書、警察白書等の書籍の購入、日比谷公園等数か所の写真撮影並びにホテルのパンフレット、ガイドブックの入手であった。

Rは、右指示の際、被控訴人に対し、仕事に関するメモは用が済んだら必ず細かくやぶいて捨てるか、燃やすかするよう注意をしたほか、写真を撮ったりしていて怪しまれたりした場合、自然に装うよう、怪しまれないようにするには写真マニアのように装えばよいと教え、誰かに監視されていないか常に注意すること、本を買うときは何回かに分けて買うよう指導し、そして指示した仕事のことは絶対に他人に言ってはいけないなどと述べた。そして、その費用として、現金一万アメリカドルを被控訴人に渡した。Rは、同時に、渡した金を日本円に両替するときは偽名を使うように被控訴人に指示した。

被控訴人は、帰国後、前記指示されたとおり実行し、昭和五九年一二月中旬か下旬ころコペンハーゲンに行き、Rと会って、購入した物品、撮影した写真、入手したホテルのパンフレット等を同人に渡した。その際、Rは、被控訴人に対し、ライターや万年筆などの装飾品の追加購入並びに新宿、渋谷及び銀座の写真撮影を指示した。

被控訴人は、帰国後、右指示されたとおり実行し、昭和六〇年四月コペンハーゲンに行き、Rと会って、購入した物品及び撮影した写真を同人に渡した。その際、Rは、被控訴人が日本において飲食店を開くべき土地として米軍及び自衛隊の基地のある横須賀を挙げ、また、被控訴人が日本に戻ったらすぐに預金口座を開設してキャッシュカードを作るように指示し、具体的な暗証番号をいくつか教えた。被控訴人は、帰国後、Rの指示に基づいて銀行や証券会社等に預貯金の口座を開設し、また、その後昭和六二年一二月二日以降横須賀において、飲食店「夢見波」を開いた。

(六) 被控訴人は、昭和六〇年一二月中旬ころコペンハーゲンに呼び出され、Rに会った。Rは、被控訴人に対し、知り合いの人の出身地、性格、趣味などをできるだけ多く調べて名簿を作り提供するよう、また、調べる対象となる人は金銭的に困っている人、仕事を辞めたいと思っている人、海外渡航を希望している人が良いと指示し、謝礼として一万アメリカドルを支払う旨約束した。

昭和六一年一月下旬ころコペンハーゲンで、Rは被控訴人に対し、約束した謝礼の一万アメリカドルを渡した。被控訴人は、日本で両替するのが面倒であったため、Rに頼んでその場で日本円に両替してもらった。

(七) 昭和六一年一〇月上旬ころ、Rは、被控訴人に電話を掛け、名簿の提供を督促した。被控訴人は、急きょ知人二〇名(その中には自衛隊員や米軍人が含まれていた。)程度の名簿を作成し、同六二年一月Rの指示でコペンハーゲンにおいて同人に会い、右知人の名前、住所、出身地、性格、趣味などを記載した赤色の手帳をRに渡した。

Rは、その二、三日後、被控訴人に右手帳を返したが、その際、住所は番地まできちんと書くよう、生年月日ももれなく書き、家族や趣味についてはもっと詳しく書くよう指示した。そして、Rは、被控訴人に一万アメリカドルを渡し、名簿作成を継続すること及びRと同人の知人との電話の取次ぎをすることを指示した。

被控訴人は昭和六二年二月下旬か三月上旬ころ帰国したが、同年四月ころ前記赤色の手帳を廃棄し、新たに青色の手帳に、調査した者の指名、住所、出身地等の事項を記載する作業を継続した。また、被控訴人は、Rとその知人との連絡役を務めた。

右の現金一万アメリカドル及び青色の手帳は、昭和六三年五月二五日ころ、被控訴人の逮捕に伴う捜索により被控訴人方から発見され、捜査機関に押収された。この手帳には、一四二名の指名(そのうち四五名は現職自衛官)が記載されていた。

2 Rの身上について

証拠(〈書証番号略〉)によれば、被控訴人は、別件刑事事件について取調べを受けた際、複数の人物の写真の中からこれがRであるとして一枚を指示したこと、そして、その写真は、欧州のある国の治安機関から、朝鮮民主主義人民共和国外交官及び朝鮮労働党連絡部欧州地区担当幹部である北朝鮮工作員Kであるとして提供された写真であったことが認められる。この治安機関の情報が正確であれば、被控訴人が知り合い、その指示を受けて前記のような行動をしていたRは、北朝鮮の工作員であったこととなる。

右の欧州の治安機関について、控訴人は、外交関係上これを明らかにできないとしており、その情報の正確性について検討しなければならないが、この点について、証拠によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  右の治安機関から、昭和五七年二月六日北朝鮮工作員Kとともに被控訴人がコペンハーゲンから東ベルリンに出国した際被控訴人を撮影した写真であるとして、日本の機関に提供された写真(〈書証番号略〉)がある。この写真に写っている人物について、被控訴人は自分であると述べた。また、被控訴人は、右の写真に写っている人物が用いているメガネは、被控訴人が取調官に提出したものと同一のメガネであると述べた(〈書証番号略〉)。

(二)  右のKとの接触があるとの情報のある六名の日本人女性のうちの五名の女性がいずれも北朝鮮関係の活動をしており(〈書証番号略〉、原審証人瀧澤裕昭の証言)、そのうちの二名は、右のKとともにピョンヤンへ向かったが、その際、右Kは、日本人名義の偽造旅券を使用したとの某国調査機関の情報がある(原審証人瀧澤裕昭の証言)。

(三)  右Kと接触のあったという情報のある丙沢夏子は、北朝鮮の外交旅券を使ってオーストリアから出国したことがあり(原審証人渡邊咲子の証言)、丙沢夏子は、同人に対する旅券返納命令の直後、ウイーンの北朝鮮大使館のある住所から日本の外務大臣宛、上記返納命令について問い合わせてきた(〈書証番号略〉、原審証人渡邊咲子の証言)。

(四)  被控訴人は、昭和五八年七、八月ころと思われる時期に、Rすなわち前記の写真の男と二人で、コペンハーゲンからベオグラードに旅行したと供述しているが(〈書証番号略〉)、前記情報を提供した治安当局から、被控訴人が昭和五八年六月二六日、前記の写真の人物とともに、「K夫妻」の名前でコペンハーゲンからベオグラードに出国したとの情報が寄せられている(〈書証番号略〉)。

(五)  右のKについては、基本的には一カ国から情報の提供があったが、類似した情報が数カ国から寄せられている(原審証人瀧澤裕昭の証言)。

(六)  被控訴人の手帳に記載された神奈川県内の高校に通学する生徒の名前が、よど号事件の関係者である柴田泰弘の自宅から押収されたメモに記載されていた(原審証人瀧澤裕昭の証言)。そして、被控訴人は、この高校生二人の名前は、名前の不明な人から、Rへ伝言してほしいと言われて、手帳に書きとめた名前で、その後Rに取り次いだものであると供述している(〈書証番号略〉)。そして被控訴人が、柴田泰弘と連絡を取り合っている状況を録音したテープがある(〈書証番号略〉、弁論の全趣旨)。

このように、右の治安機関の情報については、その正確性を裏付ける証拠が存在するのであるが、その信頼性に疑問を抱かせる事情は発見できない(被控訴人の右各供述が任意にされたものと認められることは、原判決説示のとおりである。)。そうすると、控訴人が右治安機関について国名などを伏せているという事情があっても、その情報について信頼性のないものとすることは相当ではない。

そして、右に認定した事実に加えて、被控訴人がRから指示を受けた内容について、前記1に認定した事実を併せて判断すると、Rは、控訴人が主張するように北朝鮮の工作員であったものと認めることができる。

3 旅券法一三条一項五号該当性

右に認定したところによれば、被控訴人は、昭和五七年から朝鮮民主主義人民共和国政府機関の工作員と認められる人物と主に海外において接触し、日本国内においても連絡をとりあい、その指示にしたがって情報収集活動等をしていたものである。そして、証拠(〈書証番号略〉、原審証人渡邊咲子の証言)によれば、長年、特に昭和六〇年後半以降、国際テロを防圧することが、先進諸国の重要な政治課題となっており、昭和六三年七月当時、北朝鮮関係者や日本赤軍、よど号事件の犯人によるソウル・オリンピック(昭和六三年九月開催)に対するテロ活動の危険が高まっていたこと、テロ活動には、テロの実行行為者となる者のほか、テロ行為者の回りにいて、連絡をしたり、カバーをする人も必要であり、そのような総合的な活動の枠組みの中で、被控訴人がこれに参加する可能性があると考えられたので、これを防ぐためには被控訴人が国外に出ることを阻止する必要があるというのが外務当局の判断であったことを認めることができる。

そうであれば、外務大臣が、被控訴人を旅券法一三条一項五号にいう「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由がある者」に該当するとしてした本件旅券返納命令には、裁量権濫用の違法性を認めることができない。

四結論

以上のとおりであって、被控訴人の本件国家賠償の請求は、理由がなく棄却を免れない。

そこで、請求を一部認容した原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官淺生重機 裁判官杉山正士)

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