大判例

20世紀の現憲法下の判例を掲載しています

東京高等裁判所 昭和26年(を)2号 判決

本籍 広島県深安郡神辺町

住居 東京都世田谷区松原町三丁目九百六十二番地

会社役員 重政誠之

明治三十年三月二十日生

右の者に対する経済関係罰則の整備に関する法律違反、公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令違反及び贈賄被告事件について、昭和二十四年四月二十六日に東京地方裁判所が言い渡した有罪の判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、東京高等裁判所第四刑事部は審理の上昭和二十五年四月二十七日に一部有罪一部無罪の判決を言い渡した。しかるに、この判決の全部に対して検察官から上告の申立があり(被告人も右の判決中の有罪の部分に対し上告の申立をしたが、その後これを取り下げた。)昭和二十六年一月十日に最高裁判所において右の第二審判決を破棄し本件を東京高等裁判所に差し戻す旨の判決があつたので、当裁判所は検事佐藤豁同稲葉厚関与の上さらに審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役壱年に処する。

この裁判の確定した日から壱年間右の刑の執行を猶予する。

押収にかかる富士紡績株式会社株券百九拾参枚(昭和二十四年押第一三五二号の二〇一一の一株券八十枚、十株券八十二枚、五十株券三十枚、百株券一枚)、東洋紡績株式会社株券百四拾八枚(前同押号の二〇一二の十株券百三十五枚、五十株券十三枚)、日清紡績株式会社株券弐百四十六枚(前同押号の二〇一三の五十株券一枚、十株券二百四十五枚)、日清紡績株式会社株券参拾枚(前同押号の五四七の十株券三十枚)及び東洋紡績株式会社株券弐拾弐枚(前同押号の五四四八の十株券十五枚、五十株券七枚)を沒収する。

被告人から金弐拾弐万千百拾五円を追徴する。

差戻前の第二審における訴訟費用中証人和久井亀蔵に支給した分及び当審における訴訟費用中証人二宮九郎、同藤山敏次郎、同山口敬三に支給した分は、被告人の負担とする。

本件公訴事実中贈賄の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は大正十二年に当時の農商務省に入つて以来多年農林行政に携わり、戦時中の東条内閣、小磯内閣、戦後の東久邇内閣の時代には農商次官、農林次官の職に在つた者で、その間肥料課長、資材部長等をも歴任して特に肥料行政に関する造詣が深いとの定評があつたが、昭和二十年十月に政界進出を志して農林次官の職を退くとともに同月三十一日附をもつて日本肥料株式会社の理事長に就任し、他方同年十一月に結成された日本自由党に入党して同党の農林政策の樹立等に参画しながら政治の第一線に進出する準備を整えつつあつた者である。ところで、右日本肥料株式会社(以下「日肥」と略称する。)は、昭和十五年七月二十二日に日本肥料株式会社法によつて肥料の需給の円滑及び価格の公正を図るため必要な事業を営むことを目的として設立された会社で、肥料の買入及び販売・肥料の輸出、輸入、移出及び移入、肥料の製造、肥料製造事業に対する投資その他肥料の供給確保上必要な事業並びにその他肥料の需給の円滑及び価格の公正を図るため必要な事業を行うものであり、被告人はその理事長として同会社を代表しその業務を総理していたのであるが、同会社は昭和二十年十一月から農林省の指令により化学肥料製造工場の復旧、転換、拡充のため農林中央金庫の資金を各化学肥料製造会社に貸し付けることとなり、その頃から昭和二十二年三月までの間に第一次から第十次までの融資を実施した。また、同会社は、かねてから福島県石城郡小名浜町字高山三十四番地を本店所在地とし、硫安その他の肥料の製造販売等を目的として設立された資本金三千万円の日本水素工業株式会社(以下日水と略称する)の株式三十一万七千株(一株の金額五十円、二十五円払込済)を所有しており、いわゆる親会社として日水に役職員を派遣し、資金を融通する等援助を与えるとともに、その経営につき相当強力な発言権を有していたもので、戦時中一時事業をメタノール製造に転換していた日水が終戦後これを硫安製造に再転換するにあたつては、他の肥料製造会社に対すると同じく前記農林省の指示による融資をも行い来つたものである。しかるに、日水の取締役の一人であつた日野原節三は、かねてから肥料工業界への進出を希望していた者で、昭和二十一年春頃日肥がその所有する日水の株式を手離す意思のあることを知るや、右の株式を譲り受けて日水の社長に就任しようと考え、被告人にその旨申し込んで折衝の末、同年五月十六日附で日肥との間に日肥所有の右株式のうち二十一万七千株を譲り受ける契約を締結し、六月十三日にその代金を完済して株券の授受を完了し、翌七月十日の取締役会の決議によつて日水社長に就任したのであるが、右株式譲受に関する折衝のうちに被告人と次第に相識るに及んで、被告人の人となり及び肥料工業界における勢望、実力並びに政治家としての将来性に着目し、この際被告人の歓心を得てこれを自己の庇護者とすれば将来肥料工業界に勇飛するについてもきわめて有利であるのみならず、さしあたり自己が社長となることとなつている日水の経営に関しても、なお十万株の株式を所有し日水に対してある程度の発言権を保留している日肥の理事長として好意ある態度をとつてくれるであろうし、また日水が日肥より受けつつある前記融資に関しても便宜の措置を受けうるであろうと考え、株式の取引の完了後社長就任前である同年六月下旬ないしは七月初旬頃、その所有する日清紡績株式会社株式富士紡績株式会社株式おのおの三千五百株及び東洋紡績株式会社株式三千株合計一万株の株券を携えて被告人を東京都世田谷区松原町三丁目九百六十二番地の自宅に訪問し、日水株の譲渡を受けたことの謝礼の意味を兼ね、前記のように当面する日水の経営及び日水に対する融資に関し日肥理事長として好意ある取計を求める趣旨を含めて、今後万端のことにつき自己を引き立てて貰いたいという意味の下にこれを被告人に贈与したところ、被告人もその趣旨を諒承してこれを受領し、もつてその日肥理事長としての職務に関して賄賂を収受したものである。

≪証拠省略≫

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示所為は、経済罰則の整備に関する法律(昭和十九年法律第四号、ただし昭和二十二年法律第二百四十二号による改正前のもの)第二条第一項前段第二項、経済関係罰則の整備に関する法律に基く経済団体指定に関する件(昭和十九年勅令第二百六十八号)第二条第二十一号に該当するところ、右の法律は行為後において昭和二十二年法律第二百四十二号により改正され、前記勅令は昭和二十二年政令第二百九十八号によつて廃止されたが、右法律第二百四十二号附則第二項によつて被告人の所為にはなお行為当時の前記法律及び勅令を適用すべきものである。

そこで、刑の量定について考えるのに、被告人の所為は、その日肥理事長たる地位から見ても、またその贈与されたものの価値からいつても、その犯罪の情状は軽からざるものがあるように見える。しかしながら、すでに認定したところから明らかなように、被告人の収受した一万株の株券は、被告人の職務に関する賄賂としての趣旨においてのみ供与されたものと見ることはできず、むしろ日野原節三としてはこれをも含めたより大なる目的の下にこれを被告人に贈与したものと見るのが相当であり、それゆえにこそ被告人もこれを拒絶することなくつい受領するに至つたものと推察される。しかも、本件においては、右株券贈与の前後を通じ、被告人がその職務関係において特に日野原のため便宜な取計をしたという事実も認めることができないのであつて、この点からいつても被告人の所為の収賄としての情状はさほど重いものであるとはいえない。その他被告人の性行、従来の業績等諸般の事情をこれに参酌すれば、被告人に対し厳刑を科することは相当でないと判断されるから、前記該当法条所定の刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、刑法第二十五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から一年間右の刑の執行を猶予することとする。

次に、押収にかかる主文第三項掲記の株券は、被告人の収受した賄賂であるから、昭和二十二年法律第二百四十二号附則第二項により被告人の所為に適用せらるべき前記改正前の経済関係罰則の整備に関する法律第四条前段によつてこれを沒収することとし、被告人の収受した株券のうち右以外の分は被告人が他に売却処分したため沒収することができないから、昭和二十四年四月五日附で東京証券株式会社から東京地方検察庁に提出された「日清紡績外二銘柄株価調」と題する書面中の昭和二十一年六月二十日現在の右各株式の平均値段によりその価格を合計金二十二万千百十五円と算定し、右法条後段によつてこれを被告人から追徴することとし、なお刑事訴訟法施行法第二条、旧刑事訴訟法第二百三十七条第一項を適用して、訴訟費用の一部を主文第五項記載のとおり被告人に負担させることとする。

(弁護人の免訴の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の判示所為については刑の廃止があつたものであるから、被告人に対してはこの点につき免訴の判決があるべきだと主張する。すなわち、その主張を要約すれば、「経済関係罰則の整備に関する法律(昭和十九年法律第四号、ただし昭和二十二年法律第二百四十二号による改正前のもの、以下「旧経済罰則整備法」と呼ぶ。)第二条は、その適用を受くべき会社その他の団体を自ら規定することなく勅令の定めるところに譲り、そのため経済関係罰則の整備に関する法律に基く経済団体指定に関する件(昭和十九年勅令第二百六十八号、以下「指定勅令」と呼ぶ。)が制定され、その第二条第二十一号によつて日肥が前記第二条に該当する会社として指定されたのである。しかるに、右指定勅令は、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律(昭和二二年法律第七十二号、以下「法律第七十二号」と呼ぶ。)第一条にいわゆる「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定で、法律を以て規定すべき事項を規定するもの」に該当するから、同条によつて昭和二十二年十二月三十一日限りその効力を失つたものといわなければならない。なんとなれば、旧経済罰則整備法第二条の収賄罪のごとき刑事犯は、日本国憲法第三十一条によれば法律をもつてその構成要件を規定すべきものであること明白であるのに、右の指定勅令は明らかにその構成要件の重要な一部を命令をもつて規定しているからである。もつとも、日本国憲法第七十三条第六号は、「この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること」を認め、かつ「特にその法律の委任がある場合」には政令をもつて罰則を設けることを認めている。しかしながら、ここにいう政令は、憲法及び法律を実施するためのいわゆる執行命令に限ると解すべきであり、「罰則」とはその実施のために必要な罰則すなわちいわゆる行政犯又は法定犯の処罰規定だけを指すものと解すべきであるから、いわゆる刑事犯又は自然犯を処罰する法規までこれによつて命令をもつて規定し得ると解することはできない。それゆえにこそ昭和二十二年十二月二十七日に公布された経済関係罰則の整備に関する法律の一部を改正する法律(同年法律第二百四十二号、以下「改正法」と呼ぶ。)は、適用団体の指定を命令に委任することをやめ、法律中に直接団体を指定するに至つたものと解されるのである(しかも、日肥はこの改正法においては指定団体から除かれている。)かくのごとく、指定勅令は、法律第七十二号によつて昭和二十二年十二月三十一日限り当然効力を失つたものと解されるのであるが、内閣は、これとは別に同年十二月二十七日附をもつて指定勅令を廃止する政令(同年政令第二百九十八号、以下「廃止政令」と呼ぶ。)を公布し、この政令は公布の日から起算し十日を経過した日(すなわち昭和二十三年一月六日)から施行することとした。しかし、これは立法の過誤で、指定勅令の失効は法律第七十二号によるものであるから、廃止政令は全く無意味のものであるのみならず、その施行期日を指定勅令の失効以後の日と定めた点において無効であるといわなければならない。そうであるとすれば、日肥は、昭和二十二年十二月三十一日限り旧経済罰則整備法の適用から除外されたもの、すなわち同法の構成要件から外されたものであるから、被告人に対しては刑の廃止があつたものとして免訴の言渡しをすべきである。もつとも同年十二月二十七日に公布された改正法の附則第二項には、「この法律施行前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」旨の規定が設けられているから、この改正法が遅くとも昭和二十三年一月一日から施行されていれば、指定勅令の失効後においても被告人を旧経済罰則整備法及び右指定勅令によつて処罰することができたであろう。しかし、改正法は、廃止政令と同じく、その公布の日から起算して十日を経た日すなわち昭和二十三年一月六日からはじめて施行されたのである。従つて、一旦消滅した公訴権は、この附則第二項をもつてしては回復することはできない。」というのである。

そこで考えてみるのに、旧経済罰則整備法、指定勅令、改正法及び廃止勅令の制定公布又は施行の関係が所論のとおりであることは明らかである。そして、もし右の指定勅令が所論のように法律第七十二号第一条に該当するものであれば、それが昭和二十二年十二月三十一日限りその効力を失うこととなり、従つて本件は刑の廃止となると解すべきことも所論のとおりである。それゆえ、問題は、もつぱら右の指定勅令が法律第七十二号第一条に該当する命令であるかどうかにかかつているといわなければならない。そこで、この点につき考察するのに、この指定勅令は、旧経済罰則整備法第二条第一項に「特別ノ法令ニ依り設立セラレタル会社、国家総動員法其ノ他経済ノ統制ヲ目的トスル法令ニ依リ統制若ハ統制ノ為ニスル経営ヲ為ス会社若ハ組合又ハ此等ニ準ズルモノノ役員其ノ他ノ職員其ノ職務ニ関シ賄賂ヲ収受シ云々」と規定されている其の会社、組合及びこれらに準ずるものを指定する規定であつて、明らかに犯罪構成要件の一部を命令をもつて定めたものであるから、かかる性質の規定を命令で定めることが日本国憲法の下において許されるかどうかが問題の要点になるわけである。ところで、所論引用の日本国憲法第三十一条が「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定しているのは、いわゆる罪刑法定主義の原則を明らかにしたものと解せられるのであつて、そこに「法律」とあるのは、国会の制定した形式的意義における法律を指すものであることも疑ない。従つて、指定勅令のごとく犯罪構成要件の一部を補充するものも、本来からいえば狭義の法律をもつて規定すべきことは同条の規定上明らかである。しかしながら、それだからといつて、刑罰法規はことごとく狭義の法律それ自体の中に規定されなければならないと解するのも狭きに失する見解だといわなければならない。もともと罪刑法定主義の原則として、刑罰法規が形式的意義における法律をもつて規定されなければならないとされているのは、刑罰法規の制定者を国民の代表たる国会だけに限ることによつて人権の保障を全うしようとするにあると解せられるから、旧憲法下におけるいわゆる独立命令又は現行憲法下における執行命令のごとく、行政機関が独自に制定する命令をもつて自由に刑罰法規を定めることが右の原則に反することはいうまでもないけれども、国会が一定の事項を限つてその本来の権限に属する刑罰法規の制定を行政機関に委任することは、その委任の範囲が広きに失して刑罰法規の制定が国会に委ねられていることの趣旨を沒却しない限り、必ずしも右の原則の精神に反するとはいいえないのであり、その委任命令が適正な授権の下に制定せられたものである場合には、その規定による処罰は、やはり法律の定める手続によつたことになると見て差支ないのである。そして、このことはまた、同法第七十三条第六号但書が法律の特別の委任がある限り政令に罰則を設けることを認めていることからも窺うことができるであろう。けだし、同法第三十一条に掲げられた罪刑法定主義の原則が刑罰法規の制定につき委任命令を一切許さぬ趣旨のものであるならば、第七十三条第六号但書のごとき規定は存在の余地がない筈だからである。もつとも、これに対し、弁護人は、同号但書の規定はその本文に規定するいわゆる執行命令たる政令に関するもので、換言すれば行政刑罰法規たる罰則のことを規定したものであり、刑事犯ないし自然犯を処罰する国有の刑罰法規には及ばないと主張する。なるほど、右第六号の規定の文言を見れば、そこに定められているのは、「この憲法及び法律の規定を実施するため」の政令すなわち執行命令たる政令だけのことであるように見える。従つて、その但書も、執行命令たる政令に法律の特別の委任によつて罰則を設ける場合だけを規定しているように見えないではない。しかし、その規定の直接の意味はかりに所論のとおりであるとしても、同号本文の規定がいわゆる委任命令の制定を禁止しているとまで解する必要はないと同時に(法律の具体的委任による委任命令が日本国憲法下においても有効であり、従つて旧憲法時に制定されたこの種の命令が法律第七十二号第一条に該当するものでないことについては最高裁判所昭和二十六年(れ)第一二〇六号、同二十七年五月十三日第三小法廷判決、刑事判例集第六巻七四四頁参照)、その但書がいわゆる刑事犯もしくは自然犯を規定する刑罰法規の制定に関して委任命令によることを一切禁止する趣旨のものであると解すべき理由も存在しない。なんとなれば、前に述べたように、刑罰法規が狭義の法律をもつて制定されなければならないとされている趣旨は、もつぱら人権保障のためであると解すべきところ、その人権保障の点から見れば、制定される刑罰法規が行政犯ないしは法定犯を規定するものであろうと、刑事犯あるいは自然犯と呼ばれるものを規定するものであろうと、そこに区別のあるべき筋合でないからである。ただ、前者において委任命令をもつてする必要のある場合が比較的多かるべく、後者においては実際問題としてそれが少いという差異があるにすぎない。従つて、むしろ、前記第七十三条第六号但書の規定の存することは、かりに、それが直接には執行命令に関するものであるとしても、ある範囲においては刑罰法規を委任命令で制定することができるとする解釈の有力な論拠になるということができるのである。ところで、以上述べたところを前提として前記指定勅令の当否を検討してみると、旧経済罰則整備法第二条第二項が同条第一項の会社、組合等の指定を同勅令に委任したのは、これらの団体の設立廃止等が時に応じて行われるため、これを命令に譲るのを適当としたからであると認められるのであつて、その点において少くとも当時としては刑法その他の一般の固有の刑罰法規に存しない特別の必要性のあつたことが肯定せられるのみならず、その授権の範囲についてこれを見れば、前述のようにその指定すべき団体の範囲を法律において「特別ノ法令ニ依リ設立セラレタル会社、国家総動員法其ノ他経済ノ統制ヲ目的トスル法令ニ依リ統制若ハ統制ノ為ニスル経営ヲ為ス会社若ハ組合又ハ此等ニ準ズルモノ」と明定して、行政機関の実質的な裁量の余地をほとんどなからしめているのであるからかかる限定的な委任に基いて制定された前記指定勅令は、日本国憲法の下においてもまた有効に制定されうる性質のものだといわなくてはならない。されば、同勅令は、かつての命令の条項違犯に関する罰則の件(明治二十三年法律第八十四号)の広汎な委任に基いて制定された命令などとは異なり、法律第七十二号第一条の命令には該当しないものと解すべきである。従つて、右指定勅令は昭和二十二年十二月三十一日限り効力を失つたものではなく、廃止政令の施行された翌昭和二十三年一月六日にはじめて廃止されたものであるから、同日施行の改正法附則第二項によつて、その廃止前にした行為は、その後においても旧経済罰則整備法第二条及び指定勅令によつてこれを処罰することができる筋合である。なおこの点に関し、廃止政令の性格が問題とされているから、一言しておくことにする。弁護人の主張によれば、この廃止政令は無用のものであるのみならず無効のものだというのである。しかし、これは指定勅令が昭和二十二年末に当然失効するという見解を前提としたものであるから、その前提を前述のごとく認めない以上採用するわけにはゆかない。ただそれにしても、この指定勅令は、その基本となる旧経済罰則整備法第二条の規定が改正法の施行によつて昭和二十三年一月六日に改正され、その基本構成要件が消滅すれば、これによつて当然その実効性を失い、適用の余地がなくなるわけであるから、改めてわざわざ廃止政令をもつて廃止の手続をとる必要はなかつたように見えるのである。そこで、検事及び差戻前の第二審の判決は、この廃止政令をもつて「旧勅令(指定勅令)が改正法施行の前日まで有効に存続することを注意的に規定したもの」であると説明した。しかし、かくのごとく有効性を明らかにするために廃止政令を制定したという説明はきわめて不自然であること弁護人指摘のとおりであつて、右の見解には賛成することができない。思うに、右に述べたとおり、指定勅令は一月六日の改正法施行によつて当然その適用の余地(実効性)がなくなるわけであるから、特にその廃止の手続をとらなくとも、実際はなんらの不都合はなかつたわけである。けれども、この場合、その指定勅令はその形態においてはともかく存在しているから、整理の意味においてこれを抹消しておくことが適当だという考から廃止政令によつて廃止の手続をとつたにすぎないと見るべきである。これは、基本法律が改廃された場合の委任命令の処置としてつねに行われるところであつて、あえてこの場合に限つたことではないのである。それゆえ、この廃止政令の制定が全然無意味なものであるということもできないと同時に、その制定にそれ以上の特段の意味を認めようとすることも正当ではないと考えるものである。以上の次第で、本件においては刑の廃止があつたとすることはできないから、弁護人の主張は採用しない。

(株券の沒収に関する弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、主文第三項掲記の株券は、現在すべて他人名義に属するものであるから、これを沒収することはできないと主張するのである。なるほど経済関係罰則の整備に関する法律第四条による賄賂の沒収は、その賄賂がなお犯人に属する限り行いうるのであつて、これが他人に属するに至つたような場合には、沒収を言い渡すことができないと解すべきこと所論のとおりであり、また本件株券の名義が現在重政千代子、重政益子、佐藤三七次、遠藤恵一、下山一二、秋山文武の六名の名義に書き換えられていることも所論のとおりである。しかしながら、前記の規定が賄賂の沒収を規定しているのは、収賄者についていえば、その収賄行為による利益を保持させないためであるから、いやしくも収賄者がその賄賂たる物に対し現に実質的に所有権者と同一の経済上の支配を有する以上は、その名義のいかんにかかわらずその支配を収賄者から剥奪する意味においてこれを沒収するのが相当だといわなければならない。もつともその物が株券である場合においてはなお若干の説明を必要とするのであつて、商法第二百一条第二項によれば、他人を通じてその名義をもつて株式を引き受けた者は、その他人と連帯して払込の義務を負うこととされており、これによつてみれば、単に株主たる名義を貸したにすぎない者についても会社との間に一定の法律上の権利義務の関係が発生するわけで、むしろ会社との関係ではその名義人が株主たる地位を取得すると解せられる余地もないわけではない。しかしながら、かりにそのような解釈をとるにしても、これは、名義人に対し、その意思を表示したところに従つて法律上の責任を負わしめる趣旨に出たもので、名義人を保護するための制度ではないことはいうまでもなく、この場合においても名義を借りた本人がその株券につき株主と実質において同一の支配関係を有するという事実はやはり否定するわけに行かないのである。収賄罪における沒収の可否はまさにこの実質上の関係に着眼して決せられるべきものであつて、かくのごとく収賄者がその賄賂について現に経済的な支配関係を有するにかかわらず、その沒収を断念して追徴の方法によらなければならぬとすることは、沒収制度の本旨に照らして到底容認することができないといわなければならない。また、これを名義人の側について考えてみても、この場合その者は当該株式について実質上なんらの経済的利益を有しないものであるから、これを沒収しても別段その者に損害を与える筋合ではなく、いわんやその者が名義の貸与を承諾しなかつたような場合には商法第二百一条第一項後段の趣旨からいつてもその者は株式につきなんらの利害関係を有しないわけであるから、これを沒収しても同人の権利には別段のかかわりを生じないのである。そこで、いま本件について考慮してみると、本件株券の名義書換が単に他人の名義を借りるだけの目的のものであつて、この株券に対する経済的支配が今日なお被告人に属していることは、被告人の当公廷における供述、差戻前の第二審における第三十四回公判調書及び検事の被告人に対する昭和二十三年十一月六日附聴取書中の被告人の供述の記載並びに差戻前の第二審における第六十三回公判調書中の証人佐藤三七次の供述の記載によつて明らかであり、ことに右各証拠から認められるように名義書換に使用した名義人の印章は日野原節三が別にそのため作つたものであつてこれら名義人の本来所持していた印章ではないこと及び被告人が当公廷において名義書換後においても右株式の配当金はすべて自分が受け取つていると述べていることからしてもこのことは明瞭である。それゆえ本判決においては右株券の沒収を言い渡すこととしたものであつて、この点に関する弁護人の主張は採用しない。

(被告人が賄賂として現金百万円を収受したとの公訴事実に対する判断)

次に、本件公訴事実中、被告人が昭和二十二年二、三月頃二回にわたり、東京都世田谷区松原町三丁目九百六十二番地の自宅で、日野原節三が日肥所有の日水株式の譲渡、右日野原の日水社長就任及び日肥より日水に対する融資等につき便宜の取扱を受けた謝礼並びに将来も融資等につき便宜の取扱を受けたい趣旨の下に供与するものであることを知りながら同人より現金百万円を受領し、もつてその職務に関し収賄した、という点について考察することにする。

≪中略≫

以上の次第で、結局右の金百万円については、そこに賄賂性の存することの証明が十分でなく、従つて右の公訴事実はその証明がないことに帰着する。しかし、右の金員贈与に関する事実は、その時期から見て、さきに有罪と認定した一万株の株券の収受と連続一罪の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから、この点については特に主文において無罪の言渡はしない。

(贈賄の公訴事実に対する判断)

次に、被告人に対する贈賄の公訴事実は、「被告人は、昭和二十三年一月以降昭和電工株式会社に対する復興金融金庫その他の金融機関の不正融資、同会社の借入金の不正支出及び民主党に対する政治献金等の問題が国会の審議に附せられ、漸次政治問題化する情勢にあるのを知るや、右会社社長日野原節三の意を受け、同年三月頃東京都品川区五反田六丁目百九十一番地松岡松平方において元自由党総務であつた同人に対し、右会社が復興金融金庫その他の金融機関から不当に融資を受けたことも借入金を不当に支出したこともなく、また日野原節三が民主党に政治献金をした事実もないのにかかわらず、大野伴睦等一部民主自由党議員はこれを誤解し、日野原に反感を持つているから、そのしからざる所以を大野伴睦等に理解せしめられたい旨を依頼し、その頃松岡松平をして同都港区芝下高輪五十七番地大野伴睦方で、民主自由党所属衆議院議員として国会において国政に関する議案の発議をなし本会議委員会等に提出される議案予算案等につき演説、質疑、動議の提出、討論、表決等をなし且つ国政に関する調査、討論、質問等をなす職務を有する同人に対し、前記のような諒解運動をなさしめた上、その頃数回にわたり松岡松平とともに又は単独で大野伴睦方等で同人に対し、さきに松岡松平に対し述べたと同趣旨の事情を説明するとともに、国会において強いてこれを糾明することはかえつて国会の権威を失墜する結果を招来するから右融資問題等の調査審議に当つては十分考慮せられたい旨を請託し、同年五月六日頃大野伴睦方において同人に対し、その報酬及び運動資金として現金二十万円を交付し、もつて同人の職務に関し賄賂を供与したものである。」

というのである。

よつてこの問題につき考察するのに、被告人が昭和二十三年五月六日に右大野伴睦方で同人に現金二十万円を交付したことは、大野が右の金員をどういう意味のものであると理解したかは一応別問題として、被告人大野伴睦及び松岡松平の第一審以来の供述によつても疑がなく、本件においては争のないところである。しかしながら、被告人がこの金二十万円を大野伴睦に供与した趣旨に至つては、被告人は、検事の取調に対しては、当時国会において問題となりつつあつた復興金融金庫等の昭和電工株式会社(以下「昭電」と呼ぶことにする。)に対する不当融資、昭電の右借入金の使途についての不正及び昭電社長である日野原節三の内閣総理大臣芦田均に対する政治献金の問題(以下これを総括して「昭電問題」と略称することにする。)に関し、日野原節三のため国会方面の諒解を求めることと関係のある金員の贈与だと供述し、相被告人であつた松岡松平も検事に対しては同様の趣旨を認めているのに対し、大野伴睦は検事の取調以来右のような趣旨のものであることを否定し、被告人がそれまで追放解除のこと等につき大野に骨を折つて貰つたことの謝礼及び近く追放解除になつて政界に復帰するについては引き立てて貰いたいという依頼の趣旨で供与を受けたものであると主張しており、第一審以来の公判においては被告人及び松岡も右の金員が昭電問題と関係のあるものであることを否認し、大野のいうが如き性質の贈与であると極力主張するに至つているのである(もつとも、松岡松平は、同人に対する被告事件の第一審公判においては、右の金員は大野が自分と共同して競馬馬を買うための資金として被告人が大野に貸したものだと主張したが、その後次第に被告人及び大野の供述と符合するような供述をするに至つている。)それゆえ、本件においては、右の金二十万円が昭電問題と関係のあるものであるか、それとも被告人が現在主張するようにこれとは全然無関係のものであるのかをまず確定しなければならない。ところで、この点については次のような事実を考慮する必要がある。

(一)  被告人及び日野原節三が差戻前の第二審及び当公廷で供述するところ並びに検事の日野原節三に対する昭和二三年十二月二十二日附聴取書の記載とその他の証拠とを綜合すれば、昭電問題が国会で取り上げられたのは、昭和二十二年八月衆議院の鉱工業委員会で社会党の稲村代議士が昭電に対する不当融資の問題を攻撃したのが最初でその後これに関連する政治献金等の問題が新聞雑誌等に掲載されるに至つて国会の各部門においてもこれを問題とする気配が濃くなり、翌昭和二十三年初めに衆議院の不当財産取引調査特別委員会(以下「不当財委」と呼ぶ。)において社会革新党の田中健吉委員が昭電問題を取り上げることを要望した頃からこの問題が政治問題化する形勢は一層濃厚になつてきたことが認められるが、この情勢を新聞紙等で知つた被告人としては、世上に伝わる昭電問題なるものが無限のことであると信じ、この問題を国会が取り上げて論議することはかねて親交のある日野原のために惜しむべきことであり、かたがた国家的に見ても採らざるところであると考えていたことは、被告人、大野伴睦及び松岡松平の当審及び差戻前の第二審における供述からこれを認めることができる。

(二)  被告人が昭和二十三年三月中旬頃松岡松平を訪問し、その際同人に対し昭電問題が事実無根であるとの話をし、なおその旨を同人と親交のある大野伴睦にも伝えてくれと言つたこと、その後間もなく松岡が大野方を訪問した際被告人の前記の話を伝えるとともに、被告人が近く大野を訪問する予定であることを告げたこと、さらにその数日後被告人と松岡とは大野を訪問し、その席上被告人は直接大野に対しても昭電問題が事実無根であることを説明し、証拠もないのにこの問題を民主自由党が国会で取り上げるのは天下の公党として採らざるところであると力説したこと、越えて五月六日被告人が松岡と同道して大野を訪問し、大野方階下応接間で松岡に対し自己の所持金中から持参した現金のうち金十万円を交付し、大野に対しては金二十万円を交付したことは、当審及び差戻前の第二審における被告人、大野伴睦、松岡松平三名の供述を綜合することによつて認めえられるところである。もつとも、右の事実のうち、被告人が松岡に対し大野への伝言を依頼したことは、被告人の現在認めないところであるが、この点は松岡のいうところが真実であると認めなければならない。

(三)  その頃被告人が大野伴睦と疎遠であり、それまで同人宅をしばしば訪問するようなことのなかつたことも、右各証拠によつて認められるところであり、ことに被告人が当公廷において、大野を最初に訪問した際「暫く御無沙汰した」と挨拶したと述べていることから見ても明らかである。また、被告人が前記のごとく大野を訪問した目的は、被告人の第一審公判以来の弁解によれば、久しく会わないから久しぶりに敬意を表するためであつたというだけで、それ以外の特段の訪問目的も主張されていない点に注意する必要がある。

(四)  次に証人日野原節三の当審及び差戻前の第二審における供述によると、昭電本社が警視庁の捜索を受けた五月二十五、六日より少し前頃、同人が被告人に会つた際、被告人から「実は自由党の方にもいろいろ工作しているので相当金を使つているのだ」という話があつたので、被告人に物質的負担をかけてはならぬと思い現金五十万円を被告人に届けさせたことが認められ、そして、右金五十万円のうち被告人が結局において三十万円を受取つたか四十万円受け取つたかについては、日野原の供述と被告人の供述とにくいちがいがあるが、右の日野原の供述と当審及び差戻前の第二審における被告人の供述とを綜合すると、被告人は右五十万円全部を受領せずその一部を戻して残りの三十万円ないし四十万円だけを受領したことは疑がない。

(五)  なお、当審及び差戻前の第二審における被告人及び証人日野原節三の供述によれば、その後被告人は日野原からさらに二回に合計金百三、四十万円を届けられ、これと前の金員とを合した百七十万円中から五、六十万円を数回にわたつて松下権八に渡して昭電問題についての検察庁方面への諒解工作を同人に依頼した事実が認められ、なおそのほかにも知合の新聞記者等に対し自ら日野原のため諒解運動を試みたことが窺われる。

そこで、以上の事実を綜合して考えるのに、被告人が最初松岡松平を通じ、またその後直接訪問して大野伴睦に昭電問題の話をしたのは、畢竟国会方面における昭電問題のいわゆる諒解工作の目的をもつてしたものと認めざるを得ず、大野に交付した金二十万円もこれと関連のある趣旨のものであつたことは疑のないところであつて、これと全然無関係のものであるとする被告人の弁解は到底採用することができず、被告人の検事に対してした各供述は少くともその大綱において真実を述べているものと判断されるのである。この供述の信憑力の強いことは、被告人が最初に検事に対してこの問題につき右の趣旨の供述をしたのが身柄拘束の翌日の昭和二十三年九月十一日のことで、当時日野原から受領した前述の紡績株一万株及び現金百万円の趣旨については否認していた時のことであることからみても明らかであるといわなければならない。被告人は、公判においては、この供述が虚偽のものであると極力主張しているが、その弁解の内容自体に照らしてもこの主張は採用することができない。もつとも、被告人の検事に対する供述も、その細部の点ないしは微妙な趣旨の点についてはその取調べの都度若干の変化があり、また他の証拠との関係上事実と符合しないと認められる部分もないわけではなく、この点は当裁判所としても無条件にそのすべてを採用するものではないが、これは記憶が不正確であることに基くこともあろうし、時としてその表現が誇張されるということもありうることであつて、このような不正確な部分の存するということは、その供述の根本的な真実性をなんら覆えすものとは思われないのである。

そこで、当裁判所は、検事の被告人に対する昭和二十三年九月十一日附(この問題に関するもの)、同月十五日附、同月二十一日附、同年十月七日附、同月九日附(二通)各聴取書を基礎とし、これに当裁判所の取り調べたこの事実に関するすべての証拠を参照して、事実関係を次のように考えるものである。

(一)  被告人は、前述のごとく昭電問題が国会において問題として漸次取り上げられる気配が強くなつたので、主として日野原のために諒解運動をしてやろうと考え、ことに問題が芦田献金の問題を含んでいるため野党である民自党がこれを政治問題とする形勢にあつたので、同党の前幹事長で当時顧問の地位にあり党内に勢力を有している大野伴睦とは幸い従前から面識があるところから、まず同人を説得し、これを動かして民自党が国会でこの問題をあまり騒がないようにして貰おうと考えた。しかし、事はやや機微にわたる問題であるので、直接大野に交渉することを避け、かねて大野ときわめて親密な関係にあり大野の経済的後援者の一人である松岡松平と親しいのを利用し、同人を介し、また同人の口添えによつて事を運ぼうとしたものである。

(二)  そこで被告人は三月中旬頃松岡を訪問し、昭電問題が事実無根であること、及びかくのごとく無根の事実を国会の問題とすることは日野原にとつても気の毒であるのみならず、民自党ないしは国会のためにも採らざるところであつて、結局は共産党を喜ばすだけのことであり、ことに渉外費の使途を問題とすることは占領下において不適当であること等を説き、大野にこの旨を伝言すること及び自己が大野に直接その件につき面談することの斡旋を依頼したところ、松岡はこれを承諾し、間もなく単独でまず大野方を訪問して同人に被告人の言を伝え、かつ被告人から直接話を聞くことを求め、大野の承諾を得た。

(三)  そこで、それより数日後、被告人と松岡とは予め打合せをした上大野方を訪れ、被告人から直接大野に対し前記と同趣旨のことを申し述べて大野の説得に努めた。ことにその際、「昭電問題を取り上げるだけの証拠があるのか」という意味のことを強調したことが認められる。その意味は、証処もないのにこれを政治問題化するのは面白くないということを強調してまず大野を説得するにあつたことは明らかであるが、同時にかく申し向けることによつて大野に党方面に向つて動いて貰いたいという趣旨を暗に含んでいたことも疑ない。しかるに、これに対する大野の態度は、その内心はともかくとして、被告人の言うことを無下に排斥するという風にも見えなかつたが、さればといつて直ちに被告人の言に賛成するというわけでもなく、「証拠があるかないかは民自党所属の不当財委の委員諸君に聞いてみてやろう」という意味の返事をするに止まつたものと認められる。大野がその際それ以上の積極的な返事をしたという証拠はどこにも存在しない。ところで被告人としては、この種の問題は個々の不当財委の委員などによつて左右される性質のものではなく、党の方針の問題であることを十分承知しており、さればこそ大野に期待するところは、同人が党の領袖の一人として党の幹部に働きかけ、党議を自己の希望する方向に動かすことにあつたことは疑のないところであるが、これに対して大野が右のように単に証拠の有無を確めてみるという程度の返事をもつて報いたことは、被告人にとつては、必ずしも意に満たないものであつたであろうことは想像に難くない。しかし、被告人としてそれ以上押し返すわけにも行かず、よろしく頼むということでこの日は大野方を辞去したものである。なお、右会談の際同席した松岡も、被告人のため、大野に対しある程度口添えをしたものと認められる。

(四)  右の会談が大野が岐阜方面に旅行する直前に行われたものであることは、その会談の際大野が「近く岐阜方面に旅行するから、あとは帰つてからのことにしてくれ」と言つたこと(検事の被告人に対する昭和二十三年十月七日附聴取書)から窺われる。そして、大野が岐阜方面に向つて出発したのは四月初であるが、その後被告人は大野の帰京するのを待つて、同月中旬から下旬までの間に少くとも一度は松岡とともに様子を聞くため訪問しているものと見なければならない(この点については、差戻前の第二審において、大野が四月中引き続き東京には不在であつたとの主張がなされているが、そこで取り調べられた全証拠によつても、右の認定を覆すには十分でない。)しかし、その時の大野の返事も「聞いてみたが適確な証拠はないらしい。なおよく聞いてみよう。」という程度で、それ以上被告人の希望するような回答なり言質なりを与えたと見るべき証拠はない。そして、大野は遅くとも四月二十八日頃には再び東京を出発して遊説の途に上つたことが認められる。

(五)  その間被告人は松岡から、大野にこの問題について依頼している以上四、五十万円の金を用意するように注意を受けた事実がある。

(六)  しかるに、事態は被告人の希望するようには進展せず、四月四日にはすでに衆議院の不当財委に復興金融金庫融資状況調査のための小委員が選定されていたのみならず、四月二十七日の同委員会では、民自党の高橋英吉委員から昭電問題を初めとする諸問題について正式に調査要求がなされ、これを調査する旨の決議がなされるに至つた。これを新聞紙によつて知つた被告人としては、これが党議に基くものであること、すなわち昭電問題に対する民自党の態度が正式に確定したものであることをこれによつて当然認識した筈であり、自己の努力が徒労に帰したものであることを確認したものと見なければならない。けだし長い官僚生活の経歴を有し短期間ではあるが政党に籍を置いたことのある被告人としてみれば、この種の政治問題につきひとたび党議が決定した以上は、いかに大野が党の長老であつても、当時は顧問の閑職にあつて党内の責任ある地位にあるわけではないし、同人一個の力をもつてしては、到底これを動かすことのできないものであることは、よく知つていた筈だからである。いわんや大野のそれまでの態度が必ずしも積極的なものでなかつたこと前述のごとくである以上はなおさらのことであろう。従つて、四月二十八日の新聞紙を見たとき以後の被告人は、もはや大野を通じて民自党に働きかけることはすでに断念した心境にあつたものと判断するのが至当である。

(七)  しかし、被告人としては、大野がともかくも被告人のために民自党所属の不当財委の委員に会つて証拠の有無等を確めてくれたものと思つているし、そのためには会食をする等若干の費用もかけていると考え、かつは松岡から前記のように注意を受けた次第もあるので、その労を謝し併せてその出捐を償う意味も含めて挨拶をしておかなければならないと考えた。これが五月六日大野の帰京を待つて松岡を誘い大野方に金二十万円を持参して手渡した被告人の気持であると判断される。もつとも、当時はいわゆる追放の大量解除の声のあつた時であるから、被告人としてもこれを期待していたことは疑なく、この二十万円を大野に供与した気持のうちには、近く政界に復帰することを予想して、この機会に挨拶をしておくという気持も少しはあつたかもしれず、強いてこれを否定し去るべき根拠もない。

(八)  以上のような判断からすれば、被告人が大野に贈つた金二十万円の趣旨は、昭電問題に関する限りはもつぱら過去のことがらに関するものである。これをもつて将来の大野の行動に期待する趣旨があつたものと見るべき客観的な事情は存しない。このことは、それまで被告人と相伴つて動いていた松岡がその後この問題に関与した形路のないことからも窺われるし、被告人がその後一、二度単独で大野を訪問している事実はあるが、それは単にその後の事情の推移を聞く程度のものであつたとしか思われず、その後被告人の足が大野から遠ざかつていることからも窺われるのである。また、その金額が二十万円という比較的少額であつたということも、これを推測させる有力な手がかりとなるであろう。しかるに、被告人の検事に対する供述を見ると、五月六日当時においてなお大野の将来の活動に期待し、そのために右の金員を供与したように読まれる供述が存在する。しかし、これは前述したとおり当時の客観的状況と符合しているものとはいい難く、右の供述は当初被告人が大野に働きかけた際の被告人の気持と、金員供与の趣旨とを混同した粗雑な表現にすぎないのではないかとの疑惑が濃く、これをもつてしてはいまだ右の金員の贈与に将来の大野の行動に対する趣旨まで含まれていたものであるとの心証を生ぜしめるに足りない。

(九)  従つて、被告人が大野に金二十万円を贈つた趣旨は、次のように理解される。第一に、それは、大野が被告人のために民自党所属の不当財委の委員と会つて昭電問題に関する証拠の有無を問い合せてくれたことの労を謝する意味である。そして、第二に、それについては委員らと会食する必要もあつたであろうから、その費用及びこれに附随する足代等の実費を補填するという趣旨である。この後者の趣旨があつたことは、その前における被告人と大野との会話の中に、大野の言として、委員連中と夕飯を食べながら聞いて見よう(あるいは聞いて見た)という趣旨の話が出たと認められることと、被告人自身としても議員連中はなにか話をするといえば飯を食べて話をするに決つていると考えていたことから見て、疑のないところである(もつとも、大野がはたしてその言のごとく不当財委の委員とそのために会食したかどうかは、当裁判所の取り調べたすべての証拠によつても明らかでない。)。ところで、問題は、それ以外に昭電問題に関するなんらかの趣旨があつたかどうかということである。第一に考えられることは、大野が民自党の幹部その他に働きかけて党の方針の決定に関しなんらかの努力をしたということであるが、大野がかくのごとき努力をしたという形跡は証拠上どこにも発見されないし、また、諸般の証拠から見ると、昭電問題の糾明は当時民自党内においては既定方針であつて、三月二十三日の代議士会においては山崎幹事長より吉田総裁の意向としてこのことが伝えられている事実があるし、四月中旬には山崎幹事長の自宅で不当財委にこの問題の調査を要求することの協議が行われ、同月二十日の同党緊急役員会ではこの調査要求をすることの決議がなされているのであるから、かかる策動の余地もなかつたものと認められる。のみならず、被告人の検事に対する自白によつてこれを見ても、五月六日以前に大野からこのような努力をしたという話を聞いたとは言つていないのである。また、前述のような大野の消極的態度から推して、被告人として大野がそのような方面にまで働きかけてくれたと思つたとは認め難い。それゆえ、本件の金二十万円に右のごとき趣旨があつたものとは認めることができない(なお、附言すれば、被告人の検事に対する昭和二十三年九月十五日及び十月七日の供述には、被告人が五月六日以後に大野に会つた際、大野が「民自党の幹部会でも昭電の話が出たが、根拠がはつきりせぬものをむやみに煽つて政治問題にすることはよろしくあるまいというのが大体の意向だ」と言つたとあるが、前述の党内情勢と対比して考えれば、大野がかようなことをその頃に被告人に告げたものとは考えられない。)次に、考えられるのは大野が不当財委の委員に会つて証拠の有無を聞いた際、併せてこの昭電問題を国会で騒ぎ立てないように依頼したという点である。しかし、この点についても、大野がこのような工作を現にしたという客観的な証拠はない。のみならず、すでに説明したところから明らかなように、昭電問題を国会で騒ぎ立てるかどうかは党の方針の問題であつて、個々の不当財委の委員の意思の問題ではない。大野としてもこのことはよく知つているわけで、それにもかかわらず党の主流をぬきにして個々の委員に働きかけるということは考え難いことである。被告人としても本来このようなことを大野に期待していたものとは思われないし、ことに前述のように大野の態度が必ずしも被告人にとつて積極的なものであるとは感ぜられなかつたとしてみると、被告人として大野がかような努力までしてくれたと思つたことはにわかにいい難い。もつとも、被告人の検事に対する供述中には、大野が被告人に対し「委員に対し、事は肥料の問題であり根拠のないことをとり上げるのはよくないと言つておつた」と告げた旨の供述が存在するが、この供述は以上の事情に照らし、にわかに信用し難く、その他の証拠をもつてしても、被告人がこのように考えていたこと、従つて本件の二十万円の供与にこれに対する謝礼の意味まで含んでいたことについては確信を抱くことができない。そして、この金二十万円に大野の将来の行動に対する請託の意味が含まれていたと認定し難いことはすでに説明したとおりであるから、畢竟右金員供与の趣旨としては、最初に述べた二点以上のものは認められないということに帰着する。そして、このことは被告人が検事に対し、あれだけのことに松岡が四、五十万円用意しろというのは不都合だと思い自己の一存で二十万円に減額したと述べていることとも符節を合する観があるのである。

そこで、以上のような認定を前提として、右の金二十万円の贈与が大野伴睦の衆議院議員としての職務といかなる関係にあるかを進んで考察してみなければならない。しかし、そこで明らかになつたのは、大野が被告人のため不当財委の委員に対し昭電問題にどれだけの確証があるかを聞いてやつたというだけのことである。この大野の行為は、直接にも、間接にも、大野の衆議院議員としての職務に関する行為であるとはいえない。けだし、それは、大野が不当財委の委員に対し、その知友関係を利用して個人的に証拠のあるなしを聞いたという以上のなにものでもないからである。もつとも、同じことを聞くにしても、大野が衆議院議員としての本来の職務に属する活動をする必要上、かかる事実を調査したというのであつたら、これを附随的職務行為と見る余地はまだあるかも知れない(それは正確にいえば、むしろ職務行為の準備行為ともいうべきものである。)しかし、本件においては、大野がかような意思をもつて不当財委の委員に昭電問題の内容を問い合わせたものだとする証拠は存在しないのである。むしろ、認定し得られるのは、単に被告人の依頼により、証拠の点を聞いてやつたということ、いいかえれば、問合わせの取次をしてやつたということにすぎない。かかることは、不当財委の委員と知己関係があれば、衆議院議員たる地位の有無にかかわらず、何人にもできることである。強いていえば、大野が同じ党内の有力者であるがゆえに、そのことを尋ね易いというだけのことである。これは、大野がその党内における地位をその点で利用したということにはなるかもしれないが、そのことと大野がその職務権限に属する行為をしたということとは全然別問題である。恐らく、かりに大野が当時衆議院議員たる地位を有していなかつたとしても、この程度のことは実行したであろうことは疑ない。これを考えてみても大野の行為がその職務に関するものといえないことは明らかだといわなければならないのである。従つて、被告人がそのことに関する大野の労に謝意を表するため金員を贈つたとしても、それが同人の職務に関する賄賂だといえないことは明白である。また、前記金二十万円には、大野が不当財委の委員に事情を聞くためこれらの者と会食した費用その他の費用を支弁する意味も含んでいると認むべきこと前述のとおりであるが、この点によつてその金員が賄賂性を帯びるものでないことについては多くをいう必要はないであろう。大野の右の行動がその職務に属しないものであることはすでに説明したとおりであるし、会食したという点についても、畢竟面談の機会を作つたという以上の特段の意味はこの場合認めることができないからである(しかも、現に会食の事実があつたことを確認しえないこと前述したとおりであるし、検事も、会食そのものを問題としているものとは認められない。)。

以上説明したところによつて、被告人が大野伴睦に贈つた金二十万円が同人の職務に関する賄賂であるといえないことはすでに明らかとなつたと信ずるのであるが、本件においては、第一審以来、不当財委の性格及びそこで調査される事項に関する大野の職務権限について繰り返し討議されているので、この点について簡単に触れておくこととする。

第一審における証人大池真、同鈴木隆夫の供述、差戻前の第二審における証人鈴木隆夫の供述、衆議院事務総長大池真が第一審裁判所に提出した「不当財産取引調査特別委員会について」と題する書面、衆議院委員部長鈴木隆夫が差戻前の第二審裁判所に提出した答申書と西沢哲四郎の検事に対する供述とを綜合し、かつ検事に対する武藤運十郎の供述をこれに参酌して考えると、不当財委は第一回国会において衆議院に設置された隠退蔵物資等に関する特別委員会の後身ともいうべきものであつて、当時の連合国総司令部の示唆勧告により昭和二十二年十二月十一日第二回国会において衆議院本会議の決議により設置された特別委員会で、昭和二十年八月十四日以降における公有財産、民間保有物資、過剰物資、隠退蔵物資、連合軍最高司令官より日本政府に移管された特殊財産、遊休物資、過度の貯蔵物資及びその他日本経済の復興に有用な一切の物資の処理、取扱及び取引並びに現存しない物資の虚偽の売買及びその収益等につき全面的な調査を行うことを目的とするものであり、従つて日本国憲法第六十二条により議院に属する国政調査権を行使するものとして設置されたものであること、そして、その運用面においては、総司令部の意向に基き、委員の構成に関しては必ずしも各派の所属議員数の比率により委員を選任するのでなく、いかなる小会派からも必ず委員が選任されることとなつており、またその調査は閉会中でも当然これを行うことができ、記録の提出要求、証人の呼出についても議長を経由することなく直接にこれを要求し又は出頭を求めることができ、なお委員会独自の事務局を有する等種々の点において国会法及び衆議院規則の定めるところと異なる運用がなされていたことが認められる。また、右不当財委は国政調査のみを目的として設置されたものである性質上、その調査の経過又は結果について委員長が本会議で報告をすることはあつても、これを議題として表決に付するということのありえないことも明らかである。また、それがいわゆる一事不再議の原則の適用上そうなるかどうかはともかくとして、少くともその設置の沿革上、本会議が不当財委の調査に関し干渉するというがごときことは考えられていなかつたことも認めえられるところであつて、これら諸般の点において不当財委が他の一般の常任委員会及び特別委員会と異なる取扱を受けていたことは、その所管する事項の性質及び特にそれが連合国総司令部の強い勧告に基いて設置された経緯から見て肯けるところである。その特殊性を一言にして言えば、同委員会が本会議との関係においてかなり強い独立性を有しているということ、換言すれば、不当財委の委員以外の一般議員は同委員会の行う調査に関し、純法律的にみればともかく、少くともその実際の運用においては職権を行使する機会がほとんどないという点を挙げることができるのである。この実情は、また、大野伴睦が被告人のためにした前記行為が同人の衆議院議員としての本来の職務行為のためにするものとしてなされたものでなく、いわば個人的な立場においてなされたものであることの一つの裏付けともなるであろう。かくのごとき実情の下に不当財委が運営されている以上、大野として不当財委の調査に関し自らなんらかの職権を行使する意図を抱く筈もなく、従つてその職権の行使に関して前記のような行為に出るということも考え難いといえるからである。もしそれ不当財委の所管事項に関する委員外の一般議員の権限を純法律的に論じて、あるいは衆議院規則第四十六条により許可を受けて委員会において意見を述べることができると説き、あるいは本会議における委員長の報告の際これに対し質疑を行う権限があると説くならば、あえてこれを否定する根拠もない。しかしながら、賄賂罪の成否は、抽象的な職務権限の有無だけで直ちに決まるものではなく、むしろ問題は、かりにかかる権限が抽象的にはあるとしても、利益供与の対価となつた過去又は将来の具体的な行為がはたしてその職権に属する行為といえるかどうか、これを本件についていうと、大野の現実の行動が右のような職務権限の行使であるかどうか、又は少くともこれを行使する意図の下にこれを前提としてなされたものであるかどうかにあるのである。しかるに、本件においては、それが職務権限の直接の行使といえないことはもちろん、同人がこれを行使する前提の下に不当財委の委員に対し昭電問題の内容を問い質したものとも認め難く、また不当財委に限らずいやしくも自己の議員としての活動のためかかる行為をしたものとも認められないことは前段に述べたとおりであるから、その抽象的権限の有無は問題にする余地がないわけである。

以上説明したような次第で、被告人が大野伴睦に贈与した金二十万円には、それが大野の衆議院議員としての職務に関するものであること、すなわち賄賂であるということは認めることができない。従つて、被告人に対する右贈賄の公訴事実は、結局犯罪の証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法施行法第二条旧刑事訴訟法第四百七条第三百六十二条により、この点については被告人に対し無罪の言渡をすべきものである。

(公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令違反の公訴事実に対する判断)

被告人に対する右勅令違反の公訴事実は、「被告人は、元日本自由党広島県支部長であつて、昭和二十二年四月八日に同年勅令第一号に基き同令第四条の覚書該当者として指定されたものであるところ、昭和二十三年一月以降昭和電工株式会社に対する復興金融金庫その他の金融機関の不正融資、同会社の借入金の不正支出及び民主党に対する政治献金等の問題が国会の審議に附せられ、漸次政治問題化する情勢にあるのを知るや、前記贈賄の公訴事実中に記載したとおり、同年三月頃松岡松平をして衆議院議員大野伴睦に対し諒解運動をなさしめた上、その頃数回にわたり松岡とともに又は単独で大野に対し請託をし、同年五月頃大野方において同人に対しそこに記載したような趣旨で現金二十万円を交付しさらに松岡松平に対しては同人が右のごとく諒解運動をした謝礼及び将来における諒解運動の促進方を請託する趣旨で現金十万円を交付する等、政治上の活動をしたものである。」

というのである。しかし、右の公職に関する就職禁止、退官、退職等に関する勅令(昭和二十二年勅令第一号)、に違反する罪は、大赦令(昭和二十七年政令第百十七号)第一条第二十四号イに該当し、かつこの行為が同時に他の罪名に触れ又は他の罪名に触れる行為の手段若しくは結果であるとは認められないから、右の公訴事実については大赦があつたものといわなければならない。従つて本来ならば被告人に対しこの点につき免訴の言渡をすべきところであるが、右の事実は主文において無罪を言い渡した前記贈賄の公訴事実と刑法第五十四条第一項前段の一罪の関係にあるものとして起訴され同一事件をなすものと認められるから、この点については主文において免訴の言渡をしない。

以上の次第であるから、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)

「大判例」は20世紀で日本国憲法下の裁判例のうち,公刊物に掲載されたものをまとめたインターネット判例集です。原則として公刊されたものをそのまま載せています。

憲法により判決は公開とされており,法曹および法律研究者に利用されているものです。その公共性と平等主義の観点から,送信防止措置または改変には一切応じませんのでご了承ください。

©daihanrei.com